reefer
2024年08月08日
ventilated reefer

この貨車は25年ほど前にアメリカのオークション・サイトで見付けたものだ。オリジナルは横浜のパイオニアという模型屋の製品で、1960年代にアメリカの US Hobbies に輸出された。例によってハンダ付けは怪しく、ぽろぽろと壊れやすい筈だが、かなり手直しがしてあり、壊れにくい。当時の最新型のプラグドアタイプだったが、観音開きに改造してある。
この貨車はオーストラリアの人から購入した。地理的な問題もあってアメリカ本国からの入札は少なく、筆者は比較的安価で落札でき、日本への運賃も安かった。

いつぞやは日本のHOの機関車で機関室のドアが開くものの話題を出したが、あの種のギミックは避けるべきであると思う。開けるなら完全に開いた状態で固定すべきである。一般人にはまともなものは作れまい。しかしあえてそれをやって、それが間違って評価されてしまうとその影響は無視できなくなる。正しい模型を見たことが無い人が多いのだ。
祖父江氏の模型はドアが開くものがあるが、それらは完璧な構造で、閉じると周りと曲率が一致し、ロックが掛かれば完全に同一面になる。模型ではそんなことは実現できないと思っていたので、見せてもらって愕然としたことを思い出す。達人である。

案の上、蝶番は壊れて扉はぷらぷらしていた。これは閉鎖して固定する。車内は実物のように床を持ち上げて作ってあり、壁、扉にも断熱材が張ってあった。また、氷室との境の壁も実物のように作ってあった。

塗色はオレンジ色の PFE にするか、黄色の Burlington にするか迷っている。非常に良いディカールを持っているのだ。どちらも捨てがたい。
2024年08月06日
Weaver の PFE
棚の奥から、もう1輌の冷蔵車を取り出した。Weaver社の音の出る機械式冷蔵車である。Prototype Blue Printsの通りに作ったとは書いてあるが、実感味が全く無く、見たくないので奥の方に置いてあったのだ。LVMの木製の模型との違いを見ていこう。
2008年まで、Weaverという会社はアメリカ製で賄うという方針を堅持していた。車体のモールドは細かくは出来ていないが全体の印象をよく掴み、筆者が好きな模型であった。筆者は社長のBob Weaver氏に頼まれて、90年代には日本での代理店をしていたこともあるのだ。
それがBobの逝去とともに変質していった。車種が急に増えたが中国での製造になり、実感味の乏しい模型ばかりになった。 別の車種2輌も入手したが、もうこの会社の製品を欲しいとは思わなくなった。木製キットか日本製の古いブラス製の方がずっと良いのだ。

何が気に入らないのかと言われれば、凹凸の無さである。この2輌を比較すると、縦のリブの奥行きがあまりにも無い。またドアの部分は飛び出しているはずなのに平面である。プラグ・ドアの構造を知っていれば、こんな形にはなり得ない。ドアレイルの深さが無い。側面の写真と簡単な図面しか与えずに模型を作らせているのだ。本物を見ればリブの高さが自ずと判るのに、見ていないのだ。妻板のドレッドノートも薄っぺらだ。本物はごつごつしている。
外見はつまらないが、中身は良いと言いたいところだが、中身も怪しい。DCまたはDCCで運転すると、集電して音が出る。


エンジンが起動し、黄色のLEDが点く。エンジンが定常運転をしている間は緑のLEDが点いている。しばらくするとエンジンは止まり、赤のLEDが点灯する。エンジン音はまずまずである。これを繰返すが、集電が悪いので、雑音が入り、時々奇妙な電子音(ピーポー音)が出っぱなしになる。
機械室ドアを閉めるとこんな具合だ。本当はこのドア・レイルは少し斜めに手前に飛び出している。開くときにリブに当たるのでそれを避けて手前に出るのだが、平面である。リブが低いので気が付かなかったようだ。
全軸集電にしたので多少良くなったが駄目である。電源を浮かせておくべきだった。今ならスーパ・キャパシタを入れるべきだろう。
車体の下側の台枠のモールドも下手くそだ。肉の厚くなるところは工夫してヒケが無くなるようにすべきだが、出鱈目な設計でめちゃくちゃだ。見えないところだが、とても気分が悪い。床下機器も例によって裏返しの上に前後逆だ。エンジンの排気管の位置も点対称の位置になっている。文字の印刷も気に入らない。ロゴが違うのだ。
この冷蔵車の発売直後におかしな点を羅列して知らせたが、応答はなかった。もう二度と買うことはない。Bob は草葉の陰で泣いているだろう。
2008年まで、Weaverという会社はアメリカ製で賄うという方針を堅持していた。車体のモールドは細かくは出来ていないが全体の印象をよく掴み、筆者が好きな模型であった。筆者は社長のBob Weaver氏に頼まれて、90年代には日本での代理店をしていたこともあるのだ。
それがBobの逝去とともに変質していった。車種が急に増えたが中国での製造になり、実感味の乏しい模型ばかりになった。 別の車種2輌も入手したが、もうこの会社の製品を欲しいとは思わなくなった。木製キットか日本製の古いブラス製の方がずっと良いのだ。


外見はつまらないが、中身は良いと言いたいところだが、中身も怪しい。DCまたはDCCで運転すると、集電して音が出る。




全軸集電にしたので多少良くなったが駄目である。電源を浮かせておくべきだった。今ならスーパ・キャパシタを入れるべきだろう。
車体の下側の台枠のモールドも下手くそだ。肉の厚くなるところは工夫してヒケが無くなるようにすべきだが、出鱈目な設計でめちゃくちゃだ。見えないところだが、とても気分が悪い。床下機器も例によって裏返しの上に前後逆だ。エンジンの排気管の位置も点対称の位置になっている。文字の印刷も気に入らない。ロゴが違うのだ。
この冷蔵車の発売直後におかしな点を羅列して知らせたが、応答はなかった。もう二度と買うことはない。Bob は草葉の陰で泣いているだろう。
2024年07月31日
PFE の塗装完了

元の塗装を全部は剥がさず、スクレイパ(キサゲみたいなもの)で浮いているところを剥がし取りスティール・ウルで磨ると、褐色の自動車用プライマの色が出て来た。その状態を見た友人が、
「このままでも行けるよ!」
と言ったほど、がたがたに錆びた風情がそこには出ていた。
筆者はそういう状態のまま、荒っぽく上塗りをした車輛を見たことがあるので、そのまま塗り重ねた。表面がざらざらではディカールは載らないから、全体に艶出し塗料を塗ってから貼った。泡を押し出すのに一苦労だ。
ディカールはとっておきの新型車用(とは言っても35年前の話)である。白抜きのPFEの文字が眩しい。以前の黒文字とは全く異なる雰囲気だ。
この貨車に装着してあるショックアブソーバの実演をすると、皆驚く。かなりの高速でぶつけても、ぐわっとめり込み、じわっと離れる。
誰かが動画を撮ったので、そのうちUPされるだろう。


この貨車があと2輌ある。黄色と白にする予定だったが、オレンジが好きだ。本当はあと20輌ほど欲しいのだが、おそらく無理だろう。
2024年07月21日
バナナの熟成
読者の方が興味深い感想を送って下さったので、紹介させて戴く。コメントも合わせて御読み戴きたい。
私が子供の頃(昭和30年中〜末頃)は、バナナは輸入果物ゆえにかなりの高級品で、一般には「病気の時の滋養」
これは我が家が裕福だったというわけではありません。父親が神戸港の港湾職員で小型船の運転をしていた関係で、
当時は、船でも冷蔵設備が整っていなかったので、
この投稿によると、船の中でむらしていたそうであるが、筆者が見たのは青くて固いバナナが運ばれて来て、それを地下の室(むろ)にぶら下げていたのである。間違って船の倉庫で熟成してしまったのを廃棄していたのかもしれない。そこのところが不明だが、興味深い調査の題材を与えて下さったと感謝している。
また、青いバナナについては、「轟沈」という軍歌にもあるそうだ。
かわいい魚雷と一緒に積んだ青いバナナも黄色く熟れた。男所帯はきままなものよ。髭も生えます。無精髭。
2024年07月17日
Fruit Growers Express

先回扱ったPFEは西部の山脈を越えて3日以上も掛かって運んでくるので、途中で氷を足さねばならなかった。山間部には天然氷を取り込む備蓄設備も持っていたし、大きな製氷装置を約20箇所稼働させていた。季節によっては車端の氷室の天蓋を開けて通風させた。のちには機械式冷蔵車を大量に発注した。

のちに機械式冷蔵車も導入されたが、断熱を主流としたようだ。
さらにはGreat Northern鉄道と組んで、ワシントン州から、リンゴ列車を仕立てて、東部に運んでいた。山間部を通るときには凍結から守るために、ヒータを装備したものもある。
PFEは冬季に商品が凍結するのを守るために、当初は木炭を使った。のちに石油ヒータによる保温を行っていた。はじめは気が付かなかったが、青いオレンジを積んで目的地に到着すると、程よく熟成し食べごろになっていたのでそれが当然だと思っていた。ところがそれを電熱保温に切り替えたとたんに、オレンジが青いまま目的地に到着することが判明した。
科学者による詳しい調査の結果、燃焼時にわずかに生じるエチレンのガスが、果実の完熟を促進することが解明されたのだ。以後、この技術は出荷調整の方法として広く行われるようになった。このガスは腐った果実からも出るので、リンゴ箱の中に一つでも傷んだものがあると、全体が傷んでしまうことはよく遭遇する事故である。
2024年07月11日
63-ft mechancal reefer


筆者の大陸横断鉄道の貨車の印象は、この機械式冷蔵車に集約される。砂漠の中に停車して轟音を発する冷蔵車群。めったにないがその中で燃料切れ予報の警報音が鳴ると、機関士はすぐに無線で連絡して次の駅での給油を手配する。そういう様子を懐かしく思い出す。だから最初にこの車輛のキットを手に入れ、組み立てたのだ。車齢48年になる。
市販されている既製品の冷蔵車にはエンジン音が出るものがある。DCC仕様で電力はいくらでもあるから、かなりの音量である。正直なところ、やかましい。音量を絞りたい。仮にスピーカを厚紙でふさいでいる。
この修理中の貨車には連結器には本当に作動するショックアブソーバが取り付けられている。
材料はかなり粗悪で、側面と床の板が反っていた。それは捨てて、10 mm のアガチス材を正確に挽き下ろして箱を作り、屋根板を貼った。妻板のドレッドノートは鉛合金で重い。エポキシで箱に貼り付けた。




〈 63-ftという表記は連結器までの長さであり、57-ftは車体長であることが判明したので以前の記事を訂正した。〉
July 31、2024
2024年06月17日
続 古い木製貨車を完成させる


他の車種が見本となって謎が解決したので、徐々に完成へと歩みを進めて来た。床下は客車と同等であるので、エアタンクは大小2個あり、制動弁も客車用である。ブレーキ・シリンダも大きい。台車はプルマンの客車用である。
これらの貨車は旅客列車に組み入れられて、牛乳などの配送に用いられた。すなわち、大都市圏周辺の運用であり、大陸横断鉄道の本線上では回送以外、見ることはまず無い。
細かな手摺、ハシゴ等を取り付ける作業はきわめて面倒で、塗装に持ち込むまで、2週間もかかった。接着剤を使う仕事は時間が掛かるから好きではない。取り付けた部品は手塗りであるので、艶の具合が異なる。後で何らかの方策を採る。
厚い板を使った内箱があるので、かなり重く、軸箱にはボールベアリングが必要であった。台車は Lobaugh の砲金鋳物である。鋳物の抜き勾配を無くすように削り、すっきりさせた。ぼてっとした感じを無くすために糸鋸でバネを切り外し、見かけだけのコイルバネを入れてある。こうするだけで本当にバネ可動のように見える。イコライズだけで追随性が良く脱線しないが、緩衝性が無いとレイルの継ぎ目の音がかなり響く。枕梁を承けている部分に薄いゴムの板を貼ると静かになる。厚さが 1 mmでも効き目が大きい。
2024年06月15日
古い木製貨車を完成させる


オリジナルは薄い板だけで構成されているので軽く、また壊れやすかった。厚さ10 mm程度の木板を正確に切って箱を作り、それに側板等を張り付けた。屋根には鉛合金のハッチ等を付けて塗装したが、細かい部品が未装着であった。手摺、ブレーキホィールなどを付けて完成に持ち込んだ。
細い部品に塗装してもすぐはがれるので、ミッチャクロンを塗り、はがれないようにした。この下塗剤は非常に優秀であって、愛用している。
扉の蝶番は印刷されただけであって寂しかった。3D-プリントで作った部品を貼り付け、それに黒い塗料を沁み込ませた。こうすると粗粒面の隙間はかなり埋まって鋳物然とした感じになる。本物はごてごての鋳物である。
追加した部品は筆で手塗りしたが、他の部分との差ができてしまったところもある。全体に艶消し剤を塗ると目立たなくなるだろう。
Yakima Valleyのリンゴはとても美味しい。しばらく前に博物館に来訪したアメリカ人は Washington州出身で、この文字を見るとホームシックになると言っていた。
2024年01月14日
radial couplers

塗装を補修し、台車を取り替えた。当然車輪は Low-D である。連結器は何も補修していない。110度ほど回り、ガイドに沿って動くから垂れ下がることもない。これは路面電車の線路を使って配送していたときの名残だ。

これを介して80輌の推進運転をしてみたが、問題はなかった。ただしKadeeが相手だと、ガタが大きいので推進では座屈する可能性がある。実験はMonarchと組み合わせて行った。これは実物の構造に極めて近いから、固く噛合うので安心できる。
この貨車のRalston Purina は19世紀からある動物用の飼料の会社だったが、かなり長期間、人間用のシリアルも売っていた。またこの赤白のチェッカー柄の看板のピザのチェイン店も営業していたが、1990年以降は見たことがない。 現在はネスレと合併して、また飼料会社に戻ったようだ。この貨車の時代は1940年代であろう。キットの製造元はMain Line Modelsだと思う。同様の作りの冷蔵車を複数持っていることから判断した。(品番OR-41であることが判明したが、radial coupler は元の持ち主の好みで付けられたものである。おそらくQ-CarCompany の部品を使っているものと思われる。床板より下は、普通のMain Line Models の構造とは異なる。)
荷室ドアの蝶番はすでに3Dプリントで作ってあるから、貼る予定だ。
2022年03月14日
express reefer

田舎の方では、旅客車1輛にこの冷蔵車8輛という列車の写真もある。かなり昔にアメリカで買った木製キットを組んだが、基準となる寸法、特に高さがわからないので、ボルスタ高さを決めかねていた。
仮に台車を付けて、機関車の次位に置き、客車との高さが不都合でないようにしたが、しっくり来なかったのだ。微妙な差があるように思えた。

貨物列車の reefer 冷蔵貨車を持ってきてつなぐと、屋根面の高さが同じになった。これには驚いたが、考えてみれば、当然であろう。icing platform(氷を入れる施設)で、高さが合っていなければ、仕事はやりにくいはずだ。
そうだろうとは思ったが、実はその考えを否定するような写真があったのだ。一つが80ポンド(36 kg強)の氷塊を氷ハサミで片手で下げ、梯子を登って入れている写真を見た。力自慢の男が軽々と入れていたのだ。それを見ていなければ、このexpress reeferは40年前に完成していただろう。
車輪は客車用の36インチである。床面はその分高く、屋根高が先述の理由で抑えられているので、車体の内部の有効体積は比較的小さい。普通の貨車の車輪は33インチである。
重い車体なので、ボールベアリングを仕込んだ台車に載っている。Lobaugh のぼてっとした砲金鋳物の台車をヤスリがけして整形し、形だけのバネを入れている。こうするだけで、本当にバネが利いているかのように感じるのは、面白い。人間は目で見ているのではなく、脳で見ているのだ。
まだ仕掛かり品であるので、屋根高さだけをご覧戴きたい。直接台車に車体を付けると継目音がうるさいので、薄いゴムシートを挟んでいる。極めて静かになった。HOゲージでも、試されるべきことだと思う。
2021年05月30日
車輛の高さを揃える
3軸台車の客車を整備したが、背の高さがおかしいことに気が付いた。床が高いのだ。ボルスタが厚い。サイドベアラが接触するまで下げねばならない。70年前からこうなっていたらしい。 たくさんつなぐと高さの不揃いはすぐわかる。
早速、ボルスタを沈め、他の車輛とつないで、不自然さがないことを確認した。
120輛編成の貨物列車を動かす。おかしなところがないか、目を配る。最近は殆ど脱線しないから、機能的にまずいところはなさそうだが、外見上の欠点を探し出している。
間違った台車をつけていないか、は大きな問題だ。最近見つけたのは、Full Cushion台車をつけているはずの貨車がBettendorfであったことだ。予備を用意してあったので、早速取り替えた。

次に問題となるのは貨車の高さだ。特に冷蔵車の高さは気になる。他所から来た車輛の台車を振り替えたものは、気を付けねばならない。特にアメリカの友人からお土産としてもらったものは、要注意だ。その模型の製造工場(Atlasなど)で取り付けられた台車の心皿高さは、NMRAの基準から外れているものもある。そこにLow-D化した標準台車(Athearn)を付けるものだから、高さが狂う。大抵は高くなっている。右の銀色の貨車の高さを低くした。
冷蔵車は、氷を積み込むプラットフォームの高さで高さが統一されている。1 mmでも高いとおかしい、とわかる。キングピン(台車の中心軸)のあたりをフライスで削り、低くする。大抵は0.8 mm(1/32インチ)削れば用は足りる。こうして冷蔵車数十輛の高さが揃えば壮観だ。
中には大幅に狂ったものもある。これはLaBelle社の木製品である。よくできたキットなのだが、背が高い。本物の図面をあたってみると2 mm以上も高いことがわかる。組んだときに連結器座の高さを誤ったので、キングピンにワッシャを噛ませて車体を持ち上げている。そうすると、許せない不揃いだ。標準より低いことはありうる。積荷が重いとか、車輪が減っているなどの場合だ。ところが高いというのはありえない。
本当は、床を構成する骨組みの中に連結器の中心が来る設計であったのだが、図面にそれが描いてなかった。その高さになるように、Kadeeの連結器座の形にフライスで彫り込んだ。新しい刃物を使えば、すぐ終わる。連結器をエポキシ接着剤で取り付け、絶対に取れないようにする。台車を取り付けると、腰が低くて実感的である(写真は修正後)。アメリカでも、この貨車の高さは大半が間違っている。図面に正しいことが一行書いてあれば、こんなことにはならなかったはずなのだが、知らずに骨組の下面にKadeeを取り付けてしまって、具合が悪くなったのだ。よく考えてみれば、draft gear(連結器座)のボルトに剪断力が掛かるような取り付け法など、ある訳がない。連結器中心は骨組みの中にあるはずだ。
早速、ボルスタを沈め、他の車輛とつないで、不自然さがないことを確認した。
120輛編成の貨物列車を動かす。おかしなところがないか、目を配る。最近は殆ど脱線しないから、機能的にまずいところはなさそうだが、外見上の欠点を探し出している。
間違った台車をつけていないか、は大きな問題だ。最近見つけたのは、Full Cushion台車をつけているはずの貨車がBettendorfであったことだ。予備を用意してあったので、早速取り替えた。




本当は、床を構成する骨組みの中に連結器の中心が来る設計であったのだが、図面にそれが描いてなかった。その高さになるように、Kadeeの連結器座の形にフライスで彫り込んだ。新しい刃物を使えば、すぐ終わる。連結器をエポキシ接着剤で取り付け、絶対に取れないようにする。台車を取り付けると、腰が低くて実感的である(写真は修正後)。アメリカでも、この貨車の高さは大半が間違っている。図面に正しいことが一行書いてあれば、こんなことにはならなかったはずなのだが、知らずに骨組の下面にKadeeを取り付けてしまって、具合が悪くなったのだ。よく考えてみれば、draft gear(連結器座)のボルトに剪断力が掛かるような取り付け法など、ある訳がない。連結器中心は骨組みの中にあるはずだ。
2017年02月21日
50-ft PFE's


氷冷式のものは、たまに側線に打ち捨てられているのがあったが、50 ftの車輛は見たことがない。比較的少なかったし、製造時期が戦前に限られたからであるように思う。
PFE Pacific Fruits Express の色は黄色、またはオレンジであった。屋根の色は銀もあれば、茶色、黒色などさまざまであった。濃い色は熱を吸収しやすいから損ではないかと思った。最近は色が濃くても、赤外線をよく反射する塗料があるようだ。
茶色の屋根のほうは、比較的古い塗装で戦前戦中の時代である。こちら側のヘラルドがSPであると、反対側はUPであった。1輌だけでは感じがつかみにくいが、たくさんつなげば、UP, SP両方が同じ確率で見える筈である。PFEはUPとSPの共同出資の会社であるからだ。
銀の屋根の時代になると、2種のヘラルドを並べて貼るようになった。
この貨車はパイオニア製で、出来が良いとは言えない。ハンダ付けが下手で、部品がぼろぼろと脱落して来る。全部の部品のハンダを調べると、2割くらいの付きが悪い。すべて、炭素棒でやり直すことになる。
重い貨車であって、軽衝突に耐えねばならないから、ハンダ付けの良否は大事な問題である。
2010年06月15日
続々 Athearn の貨車
極めて安い作りだが、完成するとなかなか良い。鉄板が主で、板が薄いところが仕上がりの繊細さにつながるからだ。ステップも細く実感的である。
細釘で留めるようになっているが、いずれ釘穴が緩んでバラバラになる。
組上げ後、30年位で完全にばらしてリストアする必要があるだろう。先日お見せしたGNのオートモービル・カーなどはその典型である。
車輪はデルリンの車輪をピヴォット軸に嵌めたものが付いているが、フランジ形状が良くないのと、ピヴォット軸の精度が良くないので、走行抵抗がそれほどよいわけではない。
今回、Low-D車輪を作ったので、Athearnのデルリン台車にはめると、0.3%の勾配で転がる。既製品では0.8%程度である。もちろん、ごく少量のモリブデングリスを尖端に塗布している。
0.3%なら、ボールベアリングを凌ぐ転がりだ。ボールベアリングはグリスが充填してあるので、軽い軸重ではその撹拌抵抗がバカにならない。貨車は軸重が軽いのでピヴォット軸で十分である。一方、軸重が100 g重を超える重い車輌は、ボールベアリングのお世話になるべきだろう。
先日、芦屋で行われたJORCの総会で筆者の22輌の貨物列車は、一押しで、一周30mのエンドレスを2/3程度廻った。注意深く押して十分な速度を与えれば、1周させることは不可能ではなかった。
あまりにも軽く転がり、「本物みたいだ。」という声が上がった。その通りである。鉄道とは本来そういうものなのである。
小さなB凸電気機関車をお借りして、22輌を軽々と牽く場面では、どよめきが起こった。いつもは強力機を持っていくので、低摩擦であることに誰も気が付かなかったのだが、これからはそういう見せ方をする必要があると気付いた。
栗生氏がご覧になっていたので、いずれ氏のブログで触れられるだろうと予測する。
2009年01月29日
3 PFE Reefers
この3種のPFE Reefer は、全て出自が異なる。
左はAthearnのキットを組んだもので、もう車齢は40年近い。この貨車の側板は塗装、印刷済みで当時10ドルくらいであった。初めて組んだ時は要領が分からず、かなり難しかった。2輌目からは楽しく組めた。「側面の塗装はFloquil使用」とあった。現在のリーファ・オレンジと比べるとやや褪色している。滑らかな塗装である。印刷はシルク・スクリーンである。
中は今回仕上げたMGの#246 40' Reeferである。これは安達製作所製ではなく、パイオニア社製である。安達製作所製と比べると、プレスが甘く、ハンダ付けは下手である。コテが小さかったのであろう。ハンダが全然廻っていない。完成品を購入したのだが、部品がぽろぽろ取れてくる。全部ハンダを付け直した。大変な手間が掛かる。
塗装はFloquilである。塗って生乾きの時に電気炉で80℃に保った。2時間で塗膜が硬化した。もちろん 加熱時には、新鮮な空気を導入しながらでないと意味がない。
エナメル系塗料は、冬季には硬化速度が小さくて取り扱いに困る。一応固まったと思えるまで、3日を要する。それでも多少軟らかく、尖った部分ははがれやすい。外に置いておくと、風でゴミがついたりして、ろくなことはない。酸素と反応して硬化するのだが、反応速度は大体10度上げると2倍になるので、10℃で放置するのと80℃に加熱するのでは百倍くらい違うことになる。
右はIntermountainの製品である。最近は中国で組み立てられたものを売っているが、これは自分で組んだものである。凄まじい細密模型である。色は指定の仕上げである。屋根が銀色でないと、熱が吸収されて効率が悪いはずであるが、実物は黒や黒褐色のものが大半であった。
2008年12月14日
Quality Craft のキット

You can say, "I built it.”と書いていた。ディカールが気に入って買ったようなものだが、このディカールを貼るのは大変難しかった。いくつかに切って貼ったように記憶する。後にこれと同じ柄のプラスティック製のビルボード・リーファが他社から出ている。
これは事故車で、ひびが入っている。木製であることを強調するために登場させた。車輪が光っているのはご容赦を願いたい。取り換えてから塗ってない。近々車輪を塗る予定である。