4-8-2 Mountain
2025年03月04日
PRR M1

KTMのK4の火室部が太いという話題は過去に出した。その点では、このM1はまずまずである。
40年前、吉岡精一氏がもう一輌のM1を徹底的に作り替え、フル・イコライジングとした。素晴らしい工作であったが、レイルの継ぎ目音がカツカツと響いた。その音が良いということだったが、筆者は好きではない。重ね板バネを付ければ一挙に解決なのだが、OJの人たちはバネをハンダで固めるのが習わしである。
もう20年以上昔、筆者が重ね板バネを装荷してイコライズされた機関車を持ってOJの集まりに行ったところ、
「アイツは分かっていない。」と言われたことがある。それ以降OJの集まりには行かないことにしている。これは宗教の一種であって、話合いでは解決しないのだ。
筆者の機関車はポイントのフログでドスドスという軽い音をさせて通過する。ハンダで固めたものはコツコツ、カチャカチャという感じである。どちらが長持ちするかは自明である。彼らは長距離を重負荷で走らせていないのだろう。

2025年01月17日
続 UP7000(Lobaugh製)

通電すると起動に 3 A も喰ったが、12 V で適正速度であった。モータを外し、動輪はフランジの形の良いKTM製と取り替えた。軸が1/4インチ(6.35 mm)であるのは太過ぎるので、5 mm軸にした。軸箱は3/8インチ(9.52 mm)角である。これを10 mm角にした。ボ−ルベアリングは内径 5 mm、外径 8 mm で統一している。
このボイラはとても重い。厚さが 3 mm弱のブラスパイプでできていて、内外の型の中で押し出されて作られている(後述する)。
直接のハンダ付けは難しいので、あちこちに孔をあけ、2-56(約 2.2 mm のネジ)のタップを立てている。相手が厚いのでネジはよく利いている。
この機関車には、形だけは正しいYoung 式ヴァルヴギヤが付いていたが、理屈を理解しているようには見えなかった。
モーション・プレートがヤング式用のものなので、丁寧に作り替える予定だ。構造は難しくないので、壊れにくく作って動きを楽しみたい。
このヤング式は祖父江氏が作ってみたいとは言っていたが、実現されなかった。おそらく実物通りに作動する模型は日本にはないのではなかろうか。
テンダは異常に重い。1.7 kgもある。普通は 500 g程度であるはずだ。床板は鋳物である。タンク部はエンドも一体の構造で、厚肉パイプである。前方の四角の炭庫部分は鋳物を削り出してある。踏んでも壊れないだろう。側面に付いている工具箱はムクの角棒を削ったもので、厚板を組み合わせてテンダ台枠にネジ留めである。
台車は捨ててバネの利くKTM製に取替え、ボールベアリングを仕込んで Low-D 車輪を付けたので、実に滑らかに走る。バネがつぶれているので、硬いバネに取り替えざるを得ない。
2025年01月15日
UP7000(Lobaugh製)
当時はこの UP7000 (4-8-2) とUP5000(2-10-2)とを補機として使用するような勾配のあるレイアウトを考えていたので、複数欲しかった。この機関車の形が気に入っていたこともある。いかにもUPらしい形だ。
もう1輌のロボゥの機関車の主台枠は鋳物で新製した。細かい細工をしているときに少し捻じれてしまい、戻すと折れそうになったからだ。太いネジ貫通孔を沢山あけ過ぎである。これはロボゥの欠点だ。主台枠は作り替えることにした。
祖父江氏は中に補強を入れれば捻りに耐えるようになるので、実用になるとは言う。預けていた別の台枠が帰って来たものを見たら、なんと厚さ 5 mmの板を切ったものを3枚もはめ込んでハンダ付けしてあった。さらに軸箱護りが実物のように噛み合うようにしてあったのだ。これくらいやれば壊れないよ、ということであったが、もっと単純な解決がしたかった。
その頃偶然に高岡の鋳物屋さんと知り合い、発泡スチロールで原型を作る鋳造法の話を聞いたので、お願いした。砲金で作って欲しいと言うと、配合を聞かれた。単に快削の砲金としか考えていなかったので、水道の止水栓をばらして送り、それで鋳造してもらった。
この原型は鋳縮みを計算して作る。砂に埋めて固めたのち、熔湯を注ぐと発泡スチロールは蒸発して空洞になり、その空間が金属で置き換わるという手法だ。発生するガスは負圧にして吸い出すのだ。
鋳物が出来上がったが、一部失敗して欠損したと言う。新たにやり直すにはもう一つ原型が必要なので、そのまま発送して貰った。台枠の後ろを切り離して削り、ブラスの塊を嵌め込んでハンダ付けしてから、縦フライスで切り出した。難しい仕事ではなかった。
軸箱護りもフライスで削り出し、パイロットをガス火で焙ってハンダ付けした。シリンダはロボゥの製品だ。上廻りを載せ、高さを調整してネジで締めた。製品よりかなり重くなった。台枠が厚い鋳物になったからだ。しかもネジは細い M2 の止まり穴だから折れることはない。しかしタップは#3まで使って奥までネジを切る必要がある。ガラはこういう仕事では威力を発揮する。
テンダはロボゥのオリジナルだ。かなり重厚な感じであるが、好きな形ではない。台車は非可動の砲金鋳物なので、捨ててバネの利くKTM製に取替える。
もう1輌のロボゥの機関車の主台枠は鋳物で新製した。細かい細工をしているときに少し捻じれてしまい、戻すと折れそうになったからだ。太いネジ貫通孔を沢山あけ過ぎである。これはロボゥの欠点だ。主台枠は作り替えることにした。
祖父江氏は中に補強を入れれば捻りに耐えるようになるので、実用になるとは言う。預けていた別の台枠が帰って来たものを見たら、なんと厚さ 5 mmの板を切ったものを3枚もはめ込んでハンダ付けしてあった。さらに軸箱護りが実物のように噛み合うようにしてあったのだ。これくらいやれば壊れないよ、ということであったが、もっと単純な解決がしたかった。

この原型は鋳縮みを計算して作る。砂に埋めて固めたのち、熔湯を注ぐと発泡スチロールは蒸発して空洞になり、その空間が金属で置き換わるという手法だ。発生するガスは負圧にして吸い出すのだ。
鋳物が出来上がったが、一部失敗して欠損したと言う。新たにやり直すにはもう一つ原型が必要なので、そのまま発送して貰った。台枠の後ろを切り離して削り、ブラスの塊を嵌め込んでハンダ付けしてから、縦フライスで切り出した。難しい仕事ではなかった。
軸箱護りもフライスで削り出し、パイロットをガス火で焙ってハンダ付けした。シリンダはロボゥの製品だ。上廻りを載せ、高さを調整してネジで締めた。製品よりかなり重くなった。台枠が厚い鋳物になったからだ。しかもネジは細い M2 の止まり穴だから折れることはない。しかしタップは#3まで使って奥までネジを切る必要がある。ガラはこういう仕事では威力を発揮する。
テンダはロボゥのオリジナルだ。かなり重厚な感じであるが、好きな形ではない。台車は非可動の砲金鋳物なので、捨ててバネの利くKTM製に取替える。
2025年01月13日
UP7000
以前完成させたのはこの機関車だ。細密度はこの程度に抑えたもので十分としている。
あと、これと同型の KTM製2輌と、Lobaugh製1輌 がある。図面を調査すると、Southern Pacific のマウンテン MT は、UP の7000型の同型機であることが分かる。動輪は73インチ(1854 mm)で、パシフィックよりも小さい。これらは当時世界最大のマウンテンであって、最強力機でもあった。当時はSPとUPは同じ機種を採用していたことが多い。Max Gray がこの二社の機関車の模型を相次いで発売したのは当然である。
祖父江氏が MT を作り、それを KTM の別の下請け工場でコピィしてUP7000を作った。そのコピィの方をジャンクで手に入れた。テンダが無かったのでスクラッチから作った。UPの9000 (4−12−2) のテンダと同形のものを設計した。材料が厚過ぎて重くなったが、ボールベアリングを付けてよく走るようにした。それを別の機関車に流用したので、この写真のテンダはSP5000用を仮に置いてある。
1977年、ボールベアリングの装着を始めた頃だった。重いテンダの走りを改良するためにはボールベアリングを入れるしか方法がなかった。機関車の改良はその後である。
祖父江氏に見せると、「こいつぁ参ったね。こんなによく走るたぁ思わなかったよねぇ。よぉし、機関車に付けてやらぁ。」と言って、機関車にボールベアリングを装着した。
驚いたことに、その改装が終わった機関車には双方向クラッチが付いていた。工場の試運転線のSカーヴを端から端まで惰力で走った。当時は逆駆動できるギヤが無かったし、コアレスモータも手に入らなかった時代だったからだ。
「素晴らしいですね!」と褒めると、祖父江氏は自虐的に言った。
「おいおい、勘ちげぇしちゃあいけねぇよ。こいつぁオモチャだぜ。本線上でこんな走りじゃあ、事故を起こしちまわぁ。」
その通りである。合葉氏も同じことを言われた。筆者は祖父江氏が作ってくれた双方向クラッチを装備したパシフィックを持っているが、本線上で走らせたことはない。試運転線でも完全に平坦であることを確認していないと、怖くて運転できない。摩擦の多い車輌を牽けばそれなりの走りを示すだろうが、単機では危ない。そういうことを知ってか知らずか、この機構をほめそやす人が居るが、危ない話である。ボールベアリングを装備した客車を牽かせるのは怖くてできない。
あと、これと同型の KTM製2輌と、Lobaugh製1輌 がある。図面を調査すると、Southern Pacific のマウンテン MT は、UP の7000型の同型機であることが分かる。動輪は73インチ(1854 mm)で、パシフィックよりも小さい。これらは当時世界最大のマウンテンであって、最強力機でもあった。当時はSPとUPは同じ機種を採用していたことが多い。Max Gray がこの二社の機関車の模型を相次いで発売したのは当然である。
祖父江氏が MT を作り、それを KTM の別の下請け工場でコピィしてUP7000を作った。そのコピィの方をジャンクで手に入れた。テンダが無かったのでスクラッチから作った。UPの9000 (4−12−2) のテンダと同形のものを設計した。材料が厚過ぎて重くなったが、ボールベアリングを付けてよく走るようにした。それを別の機関車に流用したので、この写真のテンダはSP5000用を仮に置いてある。
1977年、ボールベアリングの装着を始めた頃だった。重いテンダの走りを改良するためにはボールベアリングを入れるしか方法がなかった。機関車の改良はその後である。
祖父江氏に見せると、「こいつぁ参ったね。こんなによく走るたぁ思わなかったよねぇ。よぉし、機関車に付けてやらぁ。」と言って、機関車にボールベアリングを装着した。
驚いたことに、その改装が終わった機関車には双方向クラッチが付いていた。工場の試運転線のSカーヴを端から端まで惰力で走った。当時は逆駆動できるギヤが無かったし、コアレスモータも手に入らなかった時代だったからだ。
「素晴らしいですね!」と褒めると、祖父江氏は自虐的に言った。
「おいおい、勘ちげぇしちゃあいけねぇよ。こいつぁオモチャだぜ。本線上でこんな走りじゃあ、事故を起こしちまわぁ。」
その通りである。合葉氏も同じことを言われた。筆者は祖父江氏が作ってくれた双方向クラッチを装備したパシフィックを持っているが、本線上で走らせたことはない。試運転線でも完全に平坦であることを確認していないと、怖くて運転できない。摩擦の多い車輌を牽けばそれなりの走りを示すだろうが、単機では危ない。そういうことを知ってか知らずか、この機構をほめそやす人が居るが、危ない話である。ボールベアリングを装備した客車を牽かせるのは怖くてできない。
2025年01月11日
Southern Pacific の Mountain


キャブの中は見えにくいので、いつものようにごく適当に仕上げた。美しい塗装ができれば、誰も文句は言うまい。
配管はある程度正しく、綺麗に仕上げなければならない。給水温め器は日本にはないタイプだ。
数輌の客車を牽いて走ればよいので、走りは静かであれば合格点を与えられる。
この調子で行けば、毎月1輌完成させられるかもしれない。ディーゼル電気機関車と異なり、全て異なる細工なので気が滅入ることがない。塗装も楽しい。ディカールは全て用意してある。
2013年05月26日
続々 コロンビア川に沿って




この天井の高さはどういうことなのだろう。施工する大工もおかしいと思ったに違いない。どう考えてもおかしい。天井を凹ませて機関車を収納している。
素晴らしい形の機関車なのに、ちょっとしたミスで展示物の価値を損なっている。



全景を見たい。


残念な話だ。屋根をジャッキで1m弱上げることができれば良いのだが、望み薄である。
<追記> 奇しくも本日芦屋で行われたJORC関西の会合でこの機関車を持っていらした方があった。


撮影は土橋和雄氏による。
2013年05月24日
続 コロンビア川に沿って

かなり有名な場所なのだが、あまり写真を見ることがないのは、撮影が難しいからだろう。飛行機からなら、完璧な写真が撮れるに違いない。








排気インジェクタが付いている。全体が写せれば、かなり立派な機関車であろうことが分かるのに、これでは興冷めだ。
2009年11月21日
先台車の復元装置

復元装置はいくつか試作したが、以前UPの4-8-4に付けたものが最高の性能を示したので、それを再度作る。
実はチャレンジャその他の先台車を多数作らねばならないので、レーザ・カットすることにして、その試作見本を手作りで作ってみた。
ボールベアリングのアウタ・レースをローラーとして荷重を掛けると、非常に大きな復元力が発生する。バネ式では中心付近の復元力が弱く、役に立たない。
これは UP7001 の 4-8-2 についていた先台車である。まずフライスで鋳物表面を落とし、ハンダ付けの準備をする。ぺデスタルを切り込むので補強が必要だからだ。
軸箱をパイプでつないでキャノン・ボックスという構造にする。左右の中心に荷重を掛ける必要があるからである。力が掛かるので硬質ハンダを使っておく。
内径 5 mm外径 8 mmのボールベアリングを納めて、スペイサをはさみ、車輪の左右のガタを完全にゼロにする。復元力を効かせるのだから当然のことだ。
床面を下げて、左右動による輪重移動を最小にする。それにH型の切り込みを入れて、押し下げて曲げ、斜面を張り付ける。これで台車側の作業は終わりだ。
2009年09月10日
続 UP7001
リターン・クランク、エキセントリック・ロッドがクランクピンから片持ちで飛び出しているため、強度的に問題があると考えた。ダイナミック・バランスの問題もあった。
90度違いの反対側のピストンの動きをとらえるという着想は素晴らしい。ヴァルヴ・タイミング・イヴェント(弁の動き)も正確無比になる。
ワルシャート式のヴァルヴ・タイミング・イヴェントは完全に正確ではないが、ヤング式は完全である。CNWと業務提携していたUPにはヤング式が多い。しかし、その後40年代になるとワルシャートが多くなるのはなぜか。
それは当時の材質に大きな問題があったからだ。主台枠を左右に貫通してヴァルヴ・イヴェントを伝えるシャフトには、捻じりが掛かる。太さは大したことが無いから、常に正逆に捻じられて、最終的に疲労破壊する。つまり、疲労しにくい材料を使える時代ではなかったから、使えなかったのだ。現在なら、そういう材料はある。理論的には優れているので、これを使いたかったはずである。
先回のリンク先の動画は定数が固定されていて逆転ができない。カットオフを早くしたときのインジケータ線図も出ないので面白くない。こちらのサイトの10Dを開くと完全な動画が得られる。定数を変えると面白い動きが楽しめる。
DCCにするとこのようなナンバーボードの点灯も、別個に楽しめる。キャブの室内灯も点けられ、愚行権を十分に行使できる。
愚行権については私信も含め、多くのコメントを戴いている。いずれ、場所を改めて扱いたい。
2009年09月08日
UP7001
製造当時はハリマンの影響下にあったから、SPもUPも同じ基本設計で出来ている。実はLobaughの製品はSPのMT3なのである。それをUP7000に改造した。
この機関車は、故稲見氏の製造である。祖父江氏がMT3, MT4を作り、それを稲見武夫氏が増産してUPにしたわけだ。数が少なく入手は難しいが、高価ではない。長く待っていればたまに出る。US Hobbiesから発売されたままの商品はあまりにものっぺりしていて面白くない。これはかなり加工してある。
実物はALCOのスケネクタディ工場製で、当時世界最大のマウンテンであった。その後もっと重いマウンテンが出現したのでその座を譲った。
この機関車は当時のUPの機関車の中で最も重く、導入に際しては橋梁、築堤などすべてを補強しなければならなかった。当初は特急牽引機として華々しくデヴュウしたが、動輪径が73インチとやや小さく、他社が80インチ動輪を特急牽引機に採用し始めてからは、あまり評価が高いとは言えなかった。 戦後、UPはシャーマン・ヒルの補機としてUP5000(2-10-2)と共に使用していた。
実物は、Young式ヴァルヴギヤを持っていたが、のちにワルシャート式に換装されている。この模型はワルシャートである。
ヤング式は賢い方法で、90度ずれたヴァルヴモーションを取り出すのに反対側のクランクから採っている。ワルシャートではリターンクランクから採っているが、反対側から採れば機構が簡単になり、ずれもなくなる。
というのはヴァルヴモーションがクロスヘッドから採られているからである。この方法なら、誤差がゼロになる。リターンクランクから採ったのでは最前部と最後部は正しいが、途中は位相が微妙に狂うはずだ。
LoboughのUP7000はヤング式で作られている。いずれお見せできるが、下廻りは完全なスクラッチ・ビルトである。