4-6-2 Pacific
2024年12月14日
UP Heavy Pacific



この機関車のボイラの残骸だけを、別に1輌分持っている。アメリカの友人がこの下廻りを何かのボイラと組み合わせてパシフィックを作った。その残りを安く引き取った。このテーパ・ボイラをばらしてある。エッチングなので板が薄くて柔らかいのには参る。持つだけでボイラが凹みそうだ。大半の部分を捨てて作り替える。キャブは使えそうだが、板が鈍してあってくたくたである。裏打ちをして堅くせねばならない。

実物は、Big Boyの牽く貨物列車に補機として使われることがあった。脚が短いので、下り坂では過回転で恐ろしいほどの振動が起こり、生きた心地がしなかったとTom Harvey が言っていた。63インチ(1600 mm)動輪なのに、75 mile/h(120 km/h)で下り降りるのだから当然だろう。Big Boyは69インチ(1750 mm)だから余裕がある。Big Boyは85 mile/h(136 km/h)までは平気で出せたそうである。
2024年12月02日
慣性増大装置の tuning

要するに機関車の牽引力とテンダの慣性とのバランスが悪かったのだ。機関車の牽引力が不足して動きにくかった。テンダは最大限に作ってあってそれを減らす必要はなく、機関車の牽引力を増す必要があった。
モータの出力、伝達効率から計算すると、動輪の軸重を900 gw 増しても良いことになる。とりあえず 720 gの錘を鋳造して取り付けた。材料は活字金である。非常に正確に鋳物ができるので、ボイラ内にきっちり嵌まるように作れた。重心位置も計算通りだ。この後少しずつ補重していく。
結果は非常に具合が良く、1 Vで起動し、50 mAで走行する。しかもこれが無音で走るのである。
5 Vで構内を走る程度の速度になるから、3 Vにして逆転を掛けると動輪がロックして滑って行く。これは実物では絶対にやってはいけないことになっている。動輪踏面にフラットができるからだ。
1 Vを掛けて放置すると、超低速で少しずつ動く。動輪一回転に10秒ほど掛かる。
「『低速コンテストで優勝できる』とありましたが、本当ですね。」とおっしゃった方がいる。お褒め戴くと嬉しいが、その後ろでこんな声も聞こえて来た。
「Oゲージだからできるんだよ。」
それを聞いてある方が、
「失礼なことを言ってはいかんよ。世界中のどこにこんな動きができる模型があるんだ。Oゲージだからできるんじゃないよ。dda40xさんだからできたんだ。」と言ってくれたので、助かった。
今野氏はお気に召したようで、低速走行をじっくり見ていらした。
一般によく見る模型の走行は、決して褒められた状態ではない。それを解決する一つの方法が高効率ギヤの採用である。今野氏はそれを見極められたようであり、嬉しく思う。
非効率な伝動装置では、ヒステリシスが大きく、ガッと動いて、ガクリと止まる。中間速度での滑らかな動き、負荷が掛かった時の速度の落ち方、負荷がなくなった時の加速というものを感じることが出来ないのだ。だから、いわゆるオモチャ的な運転しかできない。
今回の披露で、「サウンドが付いていると良かったのに」という御意見を戴いたが、実はわざとサウンドなしでお見せしている。無音で走るというところを強調したかったのだ。無音走行ができる機関車は、まれな存在であることを知らせたかったからだ。
KKCの集会では、最後の会員の個別のスピーチで、高効率ギヤを採用して好結果を得ている旨、何人かから発言があったのは嬉しい。
HO用は貫名氏が販売して下さっているので、希望される方は連絡されたい。
2023年11月21日
ATSF Pacific (rebuilt)


と同時に惰行時のブレーキのスリップ、逆転ブレーキは容易に再現でき、昔の鳥羽駅でのC51の曲芸を堪能できる。右の写真はNortherns484氏の撮影。
今回の慣性モーメントの算出は前回と同様にできるはずだった。昔の物理計算を思い出しつつ、「角加速度を積分すればできるはず」と取り組んだが、かなり頭が錆びついていて3日ほど考え込んだ。ラジアンは無次元であることを思い出すのに2日も掛かった、というお粗末。
間に合わないので、工学エキスパートのT氏に助けを求めた。朝9時半にメイルを送ったところ、12時半にはサラサラと手書きの計算結果が来てしまった。昼休みにやって下さったようだ。プロには敵わない。
今後の調整としては、動輪上重量を今の 1.5倍まで増やしたい。そうすると、もう少しキビキビとした動きになるはずだ。
先回は超大型の4-8-4で動輪上に2.7 kg載っていた。今回は大型とは言え、パシフィックで動輪上には1.3 kgしか載っていない。これでは単機でも起動に苦労するのは当然だ。
実物のデータを記しておこう。機関車より重いテンダを付け、砂漠の中で長距離を
無停車で走る急行列車に用いられた。1919年製、1936〜47年更新改造
ボイラ圧力 15.2気圧
機関車質量 154トン
動輪軸重 31トン
テンダ質量 180トン
テンダ軸重 30トン
水積載量 78トン
重油積載量 30トン
2023年02月06日
続々 太いボイラ
筆者がアメリカに居た頃に、このK4のボイラが太いということは聞かされていた。シカゴのMike Hill氏は6輌のカツミ製K4sをカスタムビルダに作り直させ、かなりの価格で頒布したそうだ。
それを聞いていたにもかかわらず、筆者は西部の機関車に興味が向いていたので、現物を見ることがあまりなかった。一方10年ほど前から、三線式のスケール車輌が出廻るようになった。ライオネルの線路を走らせるので、急カーヴを曲がれるように一部のフランジがなかったりするが、上廻りはよくできている。本物の図面を渡して中国で作らせているので、ボイラの外形はとても良い。三線式は販売数がとても多いので、大抵はダイキャストである。時間が経つと壊れる可能性もあるかもしれない。
カツミの旧製品のK4s パシフィックは、一言で言うと立派過ぎる。火室の大きさだけでこんなに印象が変わるものなのだ。それはチャレンジャについても言える。ビッグボーイの長さを切り縮めただけで、火室が大き過ぎるのだ。後に作られた韓国製、中国製のボイラの形はすこぶる良い。ボイラの形は例外なくシロナガスクジラのように真ん中が太いのだ。キャブの前は絞られている。
ビッグボーイも近くで見ると、ボイラ中央部が膨れて飛行船のような感じである。
今回、K4s をじっくり眺めた。横から見ている限りはなかなか良いものである。汽笛の位置、向きは興味深い。Tom Harveyの気持ちもよく分かる。
それを聞いていたにもかかわらず、筆者は西部の機関車に興味が向いていたので、現物を見ることがあまりなかった。一方10年ほど前から、三線式のスケール車輌が出廻るようになった。ライオネルの線路を走らせるので、急カーヴを曲がれるように一部のフランジがなかったりするが、上廻りはよくできている。本物の図面を渡して中国で作らせているので、ボイラの外形はとても良い。三線式は販売数がとても多いので、大抵はダイキャストである。時間が経つと壊れる可能性もあるかもしれない。
カツミの旧製品のK4s パシフィックは、一言で言うと立派過ぎる。火室の大きさだけでこんなに印象が変わるものなのだ。それはチャレンジャについても言える。ビッグボーイの長さを切り縮めただけで、火室が大き過ぎるのだ。後に作られた韓国製、中国製のボイラの形はすこぶる良い。ボイラの形は例外なくシロナガスクジラのように真ん中が太いのだ。キャブの前は絞られている。
ビッグボーイも近くで見ると、ボイラ中央部が膨れて飛行船のような感じである。
今回、K4s をじっくり眺めた。横から見ている限りはなかなか良いものである。汽笛の位置、向きは興味深い。Tom Harveyの気持ちもよく分かる。
2023年02月02日
太いボイラ
カツミが Max Gray やその後継者に輸出した蒸気機関車の一部には、火室が太いものがあることは、アメリカの模型ファンには常識である。カツミは1960年頃から2000年頃まで約2万輌のOゲージの機関車を輸出している。その内の7割以上は祖父江氏による。
当初、モータが大きいので、そのモータにかぶせることができる最小のボイラを作って載せた。すなわち、火室は少し太い。真横から見るとわかりにくいが、前から見るとすぐに分かる。これはK4パシフィックである。キャブ前の妻は、ラニングボードの方から見てほぼ長方形でなければならないが、台形である。

ペンシルヴェイニア鉄道のアトランティック(4-4-2)、パシフィック(4-6-2)、マウンテン(4-8-2)などの機関車の火室は、どれも太い。太いと言っても火室の幅のことであり、真横から見たときはそれほど感じない。左はマウンテンM1,右はアトランティックE6sである。模型のE6sの火室は明らかに広がっている。とは言うものの、祖父江氏の工夫でモータの鉄心をキャブに押込んだので、多少は助かっている。

本物の機関車を毎日見ていた人は、これらの角度でも見ていたのだから、違和感を持つ人はあっただろう。これらは、K4s パシフックである。模型のラニングボードが狭いのがよく分かる。ベルペア火室の幅が広過ぎるのだ。キャブの前に向けて、すぼまっていなければならない。2枚の写真は、写真集 ”I remember Pennsy" からお借りしている。





2021年06月13日
OゲージのC53
”ウーンド”を調べている途中で、益田氏のC53の記事を見つけた。TMSの99号である。98号には辻阪信一郎氏の作品が載っている。
HOの棒型モータを2台つなげて、スパーギヤで平行に落とし、それからウォームギヤで減速している。スパーギヤはヘリカルギヤを使っているそうだが、騒音がひどいらしい。よほど優秀なギヤを使って密閉式ギヤボックスに入れない限り、この方法では騒音を撒き散らし、とても蒸気機関車とは思えない走りになる。記事にも、うるさくてだめだったと書いてあるが、その後に売り出された模型で、この種のドライヴを持つものは多い。すべてギャーギャーとやかましい。
益田氏のドライヴで良いところは、隣の軸に跨がせて反トルクを受け持たせたところだ。残念なことにひねりが利くようには作られていない。2軸が3点支持にはなっていないからだ。この種の、反トルクを受け持たせる機構(トルクアーム、トルクチューブ)を付けた模型は、その後60年以上に亘って、ほとんど出現していないのは、理解に苦しむ。少数は発表されているが、強調がなされていない。前後進で調子の異なる機関車が大半だ。これは走らせている人が少ないということだろう。
写真を見るとボイラが少し太くて立派過ぎる。C59の感じである。説明には2 mm太くしたとあり、失敗だったと書いている。キャブも低くしたようだ。
この模型は今どこにあるのだろう。拝見したいものだ。

益田氏のドライヴで良いところは、隣の軸に跨がせて反トルクを受け持たせたところだ。残念なことにひねりが利くようには作られていない。2軸が3点支持にはなっていないからだ。この種の、反トルクを受け持たせる機構(トルクアーム、トルクチューブ)を付けた模型は、その後60年以上に亘って、ほとんど出現していないのは、理解に苦しむ。少数は発表されているが、強調がなされていない。前後進で調子の異なる機関車が大半だ。これは走らせている人が少ないということだろう。

この模型は今どこにあるのだろう。拝見したいものだ。
2020年05月23日
続々 Heavy Pacific



UPは機関車の出力を上げるには通風を良くすることであることを知り、ひたすらその路線を歩んだ。大口径の煙突を付け、ノズルを調整して、煙がよく吹き上がるようにした。煙室を長くするのも、火の粉止めの工夫の一つである。それにしてもこの煙突は大きい。
テンダは細く小さい。これではすぐ水が無くなりそうだが、走らせる線区には水が豊富にあった。台車をばらして車輪を取り替え、ボ−ルベアリングを入れた。これも0.2%勾配を勢いよく転がり降りる。
UP本線は山岳路線であったため、Pacificを本線上では殆ど使わなかった(平坦な支線では多用している)。旅客列車の牽引にはMountain 4-8-2 を使用したのだ。のちに大動輪のNorthern 4-8-4の天下となる。
その後の韓国製の機関車を見たことが無いが、改良されていると信じたい。この機関車は、とても走るとは言えないものだった。走らせているうちに部品がぽろぽろ取れ、それがひっかかって急停止という状態であった。ボイラのハンダ付けは稚拙で、すべて補強を当てて作り直した。キャブ内のディテールだけは、必要以上にあり、位置を修正するだけで使えた。カウキャッチャの鋳物は使ったが、それ以外のフレイムはすべて新製である。
2020年05月21日
続 Heavy Pacific


内側台枠から外に出るのだから斜めに付いているのだが、怪しい板を途中でぐにゃりと曲げて売っていたのには失望した。また、それは途中で切れていた。
走らせて見せた時の彼らの驚きようは、ビデオに撮っておくべきであった。押して動くということの重要性が分かったのだ。その時前照灯が点いたので、それにも驚いていた。
そのあとでアメリカのインポータに見せたらしいが、彼らは全く評価しなかったそうだ。Tom Marshはそういう人らしい。ディーゼルは大好きだが、蒸気機関車には興味が無いのだ。
メインロッド関連部品を、ある理由で作り直している。外した状態で撮ったので、いずれ写真は取り替える予定である。炭庫の側面の汚れは写真を見て付けてみた。単なる試しであって今後どうなるか未定である。機炭間のdrawbar pinが光っているのは許せない。
2020年05月19日
Heavy Pacific
このパシフィックのボイラは国鉄のC59よりもはるかに太い。C62を腰高にしてパシフィックにした感じだ。
このATSFの3400クラスは、1919年製造の中古を1936年以降に完全にリビルドしたもので、殆ど原型をとどめていない。ボイラを替えて圧力を上げ、シリンダと台枠を一体鋳造し、剛性を高めている。動輪は新設計のディスク車輪だ。機関車のみで154トン、軸重は31トンほどもある。テンダは新製で、当時としては超大型であり、満載時180トンもあって機関車よりはるかに重い。砂漠地帯で重急行列車を、無停車で牽くことが目的であった。
煙突は延長が可能である。今回塗ってしまったのは、この煙突がネジ一本で取り外せることに気が付いたからだ。もしやる気になったら、そこだけ作り直して、延長煙突を可動にすることができる。
アチソン、トピーカ & サンタ・フェ鉄道では煙室にもジャケットが巻いてある。即ち、罐胴に巻いてあるのと同じ色で先端まで仕上げている。煙室戸だけが耐熱の銀灰色のグラファイト塗装だ。この部分は、時期、線区、機種によってさまざまな仕上が施してある。銀色や真っ白のもある。白くすると目立ちやすく、事故を防ぐと信じられていた。煙突はジャケットを被っていないので、グラファイト色である。まだ、あちこちタッチアップをせねばならないところがある。ナンバ・ボードに数字を入れねばならない。
車輪の裏まで塗ってあることに、注目願いたい。ここが白いと、おもちゃっぽく見える。汽笛は高いところについている。もちろん助士席側だ。
ディカールを貼って、仕上が施してない状態で撮ったので、部分的に妙な艶がある。いずれまともな写真に取り換える。


アチソン、トピーカ & サンタ・フェ鉄道では煙室にもジャケットが巻いてある。即ち、罐胴に巻いてあるのと同じ色で先端まで仕上げている。煙室戸だけが耐熱の銀灰色のグラファイト塗装だ。この部分は、時期、線区、機種によってさまざまな仕上が施してある。銀色や真っ白のもある。白くすると目立ちやすく、事故を防ぐと信じられていた。煙突はジャケットを被っていないので、グラファイト色である。まだ、あちこちタッチアップをせねばならないところがある。ナンバ・ボードに数字を入れねばならない。
車輪の裏まで塗ってあることに、注目願いたい。ここが白いと、おもちゃっぽく見える。汽笛は高いところについている。もちろん助士席側だ。
ディカールを貼って、仕上が施してない状態で撮ったので、部分的に妙な艶がある。いずれまともな写真に取り換える。
2020年05月13日
トルクアーム、トルクチューブ、吊掛け式
コメントが多いので、予定を変更して稿を起した。
吊掛け式は、トルクチューブの先端に剛の状態でモータが付いていると考えられる。そしてそのモータの一部を、僅かの自由度を与える方法で(ゆうえん氏は軟かい素材の両面テープで)フレイムに取付けている。要するにモータ軸の延長線に対して垂直の動輪軸が、減速装置を介して廻るだけ、と考えることができる。その動軸が、バネその他の懸架装置で、レイルに押し付けられている。反トルクはモータの尻で承けている。遠いところにあるから、力は小さい。
左の写真のトルクチューブは、その先端が一点で固定されている。長孔があり、多少の伸縮(チューブが斜めになっているから)があっても逃げられるようになっている。この方法ではモータは固定できる。これはOスケールではありがたい。モータは350 gもある。そのモータが吊掛け式で動くと壊れやすい。また吊掛け式ではモータ固定ネジが、軸方向から締められるので、どうやって締めるべきか、設計に苦労する。また、吊掛け式ではバネ下質量が大きいから、軸重は均等にはならない。即ちレイル接続部を渡る音が、同じ音ではなくなる。
トルクアーム方式は機種ごとにトルクアームの位置を考えねばならない、ところがトルクチューブはすべて共通部品で済む。モータ軸とドライブシャフトとはほぼ同一直線上にあれば良い。ルース・カプリングを介して付ければ、全く無調整でよく走る。トルクチューブには簡単な腕を付け、その先端にはピンを差すようになっているだけで、とても簡単である。モータ・ブラケットに小さな腕をつけたのは、祖父江氏のアイデアである。これは優れたアイデアで、簡単に、かつ確実にできるので、量産には都合が良い。筆者のプロトタイプは、配線用のゴムのグロメットで承けたが、これでは経年変化が無視できない。10年でパリパリになったので改装した。
この駆動方法は、祖父江氏が改造して世界中に出て行った1000輌超のほとんどすべてに使われている。即ち、Sofue Drive の一部を成している。
愛読者氏のコメントで質問されているフレイムが曲がる話は、ギヤボックスや反トルク承けとは全く無関係の話である。おそらく、高ギヤ比の減速装置の付いたモータを取り付けたが、動輪が何らかの原因で廻らなかっただけのことである。単なる失敗の話であるので、削除した。
吊掛け式は、トルクチューブの先端に剛の状態でモータが付いていると考えられる。そしてそのモータの一部を、僅かの自由度を与える方法で(ゆうえん氏は軟かい素材の両面テープで)フレイムに取付けている。要するにモータ軸の延長線に対して垂直の動輪軸が、減速装置を介して廻るだけ、と考えることができる。その動軸が、バネその他の懸架装置で、レイルに押し付けられている。反トルクはモータの尻で承けている。遠いところにあるから、力は小さい。

トルクアーム方式は機種ごとにトルクアームの位置を考えねばならない、ところがトルクチューブはすべて共通部品で済む。モータ軸とドライブシャフトとはほぼ同一直線上にあれば良い。ルース・カプリングを介して付ければ、全く無調整でよく走る。トルクチューブには簡単な腕を付け、その先端にはピンを差すようになっているだけで、とても簡単である。モータ・ブラケットに小さな腕をつけたのは、祖父江氏のアイデアである。これは優れたアイデアで、簡単に、かつ確実にできるので、量産には都合が良い。筆者のプロトタイプは、配線用のゴムのグロメットで承けたが、これでは経年変化が無視できない。10年でパリパリになったので改装した。
この駆動方法は、祖父江氏が改造して世界中に出て行った1000輌超のほとんどすべてに使われている。即ち、Sofue Drive の一部を成している。
愛読者氏のコメントで質問されているフレイムが曲がる話は、ギヤボックスや反トルク承けとは全く無関係の話である。おそらく、高ギヤ比の減速装置の付いたモータを取り付けたが、動輪が何らかの原因で廻らなかっただけのことである。単なる失敗の話であるので、削除した。
2020年05月11日
続々々々々 ATSF Heavy Pacific
本物では、インジェクタなどの補機類はどこに付いているのだろうか。たいていは運転室床下にある。機関士が手を伸ばしてレヴァを引き、あるいはコックを開き、作動させる。インジェクタは配管だけでぶら下がっているのではない。配管だけでは、振動で折れてしまう。大型機のインジェクタは重い物である。最低100 kg、大きいものは300 kgほどもありそうだ。垂直荷重の大半はフレイムから生えた支え(stay)で持つ。配管には殆ど力が掛からない。ステイは垂直方向にもある。三角形にして重さも受け持つようにしたものもある。また、Uボルトでインジェクタを押さえたり、インジェクタそのものに取付ボルトがあるものもある。
模型では、インジェクタはキャブに配管だけでぶら下がるものが、ほとんどだ。だから塗装などで上下分解すると、上廻りをインジェクタで支えるような置き方になる。HO 以下のサイズなら、さほど問題にはならないかもしれないが、Oスケールの大きさであると、これは 大きな問題である。上廻りをどうやって置くべきか、考えねばならない。事前に台を作ったりする。そのまま置けば、インジェクタが曲がってしまったり、配管が折れたりするからだ。

今回は火室底板に付いている配管を延長し、インジェクタまで一体にした。インジェクタには支えをハンダ付けし、フレイムに作ったネジ穴で固定することにしたのだ。2箇所留まっていれば安定する。
このやり方は祖父江氏と何回か相談したことがある。どうすれば実感的で、しかも壊れにくいか、だ。今までは、キャブ床板からステイを下に延ばしたものが多かった。これは実感を損なうし、弱い。今回のやり方でいくつか作って検討してみることにする。
既製品であるので、寸法を出すのが難しい。配管だけで浮かしたものに、フレイムにネジ留めしたステイを接触させ、その先に炭素棒でインジェクタをハンダ付けした。こうすれば位置は必ず合う。 そうしておいて外して洗う。
塗装はばらばらの状態で行い、組んでネジを締める。あちこち触っているので塗装は傷だらけだ。後でタッチアップする。裏面だから見る人はいないが、気にする人もいるからだ。
模型では、インジェクタはキャブに配管だけでぶら下がるものが、ほとんどだ。だから塗装などで上下分解すると、上廻りをインジェクタで支えるような置き方になる。HO 以下のサイズなら、さほど問題にはならないかもしれないが、Oスケールの大きさであると、これは 大きな問題である。上廻りをどうやって置くべきか、考えねばならない。事前に台を作ったりする。そのまま置けば、インジェクタが曲がってしまったり、配管が折れたりするからだ。


このやり方は祖父江氏と何回か相談したことがある。どうすれば実感的で、しかも壊れにくいか、だ。今までは、キャブ床板からステイを下に延ばしたものが多かった。これは実感を損なうし、弱い。今回のやり方でいくつか作って検討してみることにする。
既製品であるので、寸法を出すのが難しい。配管だけで浮かしたものに、フレイムにネジ留めしたステイを接触させ、その先に炭素棒でインジェクタをハンダ付けした。こうすれば位置は必ず合う。 そうしておいて外して洗う。
塗装はばらばらの状態で行い、組んでネジを締める。あちこち触っているので塗装は傷だらけだ。後でタッチアップする。裏面だから見る人はいないが、気にする人もいるからだ。
2020年05月09日
続々々々 ATSF Heavy Pacific

この種の反トルク承けは実物にとっては大切な機械要素であるが、そのスケールモデルと称する模型に正しく付いているのを見ることは、まれである。TMSの記事で出現確率を調査されると面白いと思う。コンテストの入賞作品でさえも、ついているものはまれだ。
スリップさせながら(最大のトルクを発生)、フログなどの不整部分を通過させる時、バネ、イコライザの動作があっても、全く同じように引張力を発揮することが求められる。要するに動輪の上下動があっても、引張力が変化してはならないのである。これはサウンド装置を働かせながら、重列車を牽いてポイント上で起動するとよくわかる。
ギヤボックスは、負荷の大小に関係なく、自由に動かねばならないのだ。
2020年05月07日
続々々 ATSF Heavy Pacific

端梁は厚いブラス鋳物だから、それにしっかりとハンダ付けすれば、安心である。ハンダが廻るように傷をつけ、ブラスのネジで締め付ける。ガスで焙って持てなくなる温度(100 ℃くらい)まで予熱し、その上で炭素棒で短時間加熱すると、狭い部分だけを完全に融かすことができる。途中はネジで締めただけで十分だ。おそらくオリジナルの状態よりも丈夫になっている。

背後から太陽光を受けると、塗り残しを発見しやすい。蒸気機関車のように凹凸が大きく、丸いものは難しいものだ。

不思議なのはその番号で、機関車は30、この灰箱下の板は21、テンダは22であった。もう一つのテンダは20だ。
2020年05月05日
続々 ATSF Heavy Pacific



テンダの集電シュウは祖父江方式で前後の2軸から採っている。DCCの時の雑音を無くすには効果がある。左右の動輪と従輪から2極採り、テンダの台車で2極を採る。テンダ本体は機関車と同極性であるが、カプラは絶縁してある。いろいろな方法で試したが、この方法が、最も集電が良く、ショートが無い。
台車ボルスタの心皿の周りは、ギヤボックスを収容するために四角の穴を大きく抜いた。ここに 2 mmの板を貼り重ね、ドライヴ・シャフトを貫通させるスペイスをボールエンドの刃物で削る。可撓継手のスペイスも要る。その 上に、さらに2 mm板を貼り重ねる。全体を厚板から作ると設計施工が面倒なので、よくやる方法である。銀ハンダを使えば、一体構造と同等の強度を持たせることができる。切り取るものは補強板を付けてからという原則を守ると、寸法の狂いが無い。合計でボルスタの最大厚みは7.5 mmになった。過去最高である。

心皿高さは現行より5.8 mm高くなる。床板の上面とほぼ同じ高さになるが、心皿が邪魔なので別の方法を考えている。中央軸のギヤボックスの収容は大きな体積を必要とするからだ。
先回のリンク機構は今思えば、ベストの方法であった。駆動軸を通すと心皿は邪魔である。今回もそれが気になっていた。ギヤボックスを偏心させ(中心に置かない)、キングピンを反対に置くという手もあるが、見た人が驚いて落とすといけないので、それはやめた。
2020年05月03日
続 ATSF Heavy Pacific
この機関車は場違いなところにあったのだ。東部の機関車は西部で、西部の機関車は東部で買うと良い、と言われていた。人気がない機種は、安く買えるということだ。サンタフェの機関車がニュー・イングランドにあっても、欲しい人などいない訳である。当時の相場としては900ドル位であった。その価格で出ていたが、誰も見向きもしない。売り主と話をすると、
「800ドルにするから買ってくれないか。」と言う。
「いや、こちらはアメリカ一周の旅行中だから、買いたくない。」と答えると、「最終日まで待って誰も買う人が居なかったら、600でも良い。」と言う。
「いやそれでも買いたくないな。」
「じゃ500でいいから。」と言う。その価格でなら魅力があった。
そして最終日の夕方行って見ると、筆者の名前を書いた箱があり、小切手を渡してそれを受け取って来た。良い買い物であった。南部の友人を訪ねてから、自宅に帰って箱を開けた。驚いたことに、ACモータが入っていて、逆転スウィッチはキャブの中にあった。Max Gray時代の極めて初期のものだったのだ。それが安い理由であった。ニ線式であったのは助かった。帰国する時には錘とモーターは捨てた。それでも十分に重かった。
祖父江氏に見せると、「参ったねー。こいつぁー古いよ。30輌位作ったっけな。モータが入らねえから、バックプレートを切り開いて、無理に押し込んだんだよ。テンダは重いよ。厚い板で作ったんだ。高くついたね。あとでUS Hobbies向けにも作ったけど、あれは薄い板で作ったから軽いよ。」と言った。
「煙突の裾はハンダの丸味だよ。プレス型を作るほどの数が無かったからね。あとで作った時はプレスになったな。」
バネを入れ、動力を改造して押して動くようにした。外装もかなり手を入れた。塗ってしまえば良かったのだが、ガラス棚に長期間鎮座していた。今回テンダを改造する予定だが、先に塗ってしまうつもりだ。本物の煙突は2フィート(61 cm)ほど折れて畳めるようになっている。それをやりたいのに、資料が見つからなかったのが、塗装が遅れた理由だ。DCCで畳めるようにしようと思っていたのだ。この図面がかなり近いと思う。
実は、この機関車はもう一輌ある。テンダを手に入れたので、スクラッチからある程度作ってあった。並べると壮観だろうと思った。それは贅沢にもフル・イコライジングである。作りかけのまま、30年以上放置されている。スポーク動輪を他に使ってしまったのだ。今度作るときはボールドウィン・ディスク輪心にしたい。最近は3Dプリントでもできるから、試しにやってみたくなった。しかしタイヤを挽くのは大変である。快削鋼のΦ45を買ってきて削り出すのだ。ほとんど切粉になってしまう。昔は鋳鉄からも作ったことがある。鋳鉄製タイヤでは、牽引力は確かに増大するが、見た目が良くない。ステンレスのタイヤは許せない。色が悪いし、滑りやすい。快削鋼の色は素晴らしい。錆びると言う人がいるが、よく走らせていれば心配ない。
精度の点ではタイヤだけは外注したいのだが、20枚程度では引き受け手がない。タイヤを研削する時に使うヤトイを作ってあったのだが、見当たらない。頑張って作ってみよう。
「800ドルにするから買ってくれないか。」と言う。
「いや、こちらはアメリカ一周の旅行中だから、買いたくない。」と答えると、「最終日まで待って誰も買う人が居なかったら、600でも良い。」と言う。
「いやそれでも買いたくないな。」
「じゃ500でいいから。」と言う。その価格でなら魅力があった。
そして最終日の夕方行って見ると、筆者の名前を書いた箱があり、小切手を渡してそれを受け取って来た。良い買い物であった。南部の友人を訪ねてから、自宅に帰って箱を開けた。驚いたことに、ACモータが入っていて、逆転スウィッチはキャブの中にあった。Max Gray時代の極めて初期のものだったのだ。それが安い理由であった。ニ線式であったのは助かった。帰国する時には錘とモーターは捨てた。それでも十分に重かった。
祖父江氏に見せると、「参ったねー。こいつぁー古いよ。30輌位作ったっけな。モータが入らねえから、バックプレートを切り開いて、無理に押し込んだんだよ。テンダは重いよ。厚い板で作ったんだ。高くついたね。あとでUS Hobbies向けにも作ったけど、あれは薄い板で作ったから軽いよ。」と言った。
「煙突の裾はハンダの丸味だよ。プレス型を作るほどの数が無かったからね。あとで作った時はプレスになったな。」

実は、この機関車はもう一輌ある。テンダを手に入れたので、スクラッチからある程度作ってあった。並べると壮観だろうと思った。それは贅沢にもフル・イコライジングである。作りかけのまま、30年以上放置されている。スポーク動輪を他に使ってしまったのだ。今度作るときはボールドウィン・ディスク輪心にしたい。最近は3Dプリントでもできるから、試しにやってみたくなった。しかしタイヤを挽くのは大変である。快削鋼のΦ45を買ってきて削り出すのだ。ほとんど切粉になってしまう。昔は鋳鉄からも作ったことがある。鋳鉄製タイヤでは、牽引力は確かに増大するが、見た目が良くない。ステンレスのタイヤは許せない。色が悪いし、滑りやすい。快削鋼の色は素晴らしい。錆びると言う人がいるが、よく走らせていれば心配ない。
精度の点ではタイヤだけは外注したいのだが、20枚程度では引き受け手がない。タイヤを研削する時に使うヤトイを作ってあったのだが、見当たらない。頑張って作ってみよう。
2020年05月01日
ATSF Heavy Pacific

1989年、アメリカ東部のOスケールのショウを見てみたいと思った。西部から車で何日も掛けて走り、あちこちで友人を訪ねながらメイン州まで行った。帰りにコネチカット州のスタンフォードに寄った。駅前のホテルでその模型ショウがあったので、Bill Wolferに頼んで、入場券を押さえて貰った。ホテルはマリオットで高級だが、参加者は安く泊まれた。すぐ裏に、St. John's Episcopal Church があり、そこの地下には巨大なOスケールのレイアウトがある。その大きさ、精緻さは全米で屈指のものである。
物品販売しているテーブルはたくさんあり、手紙のやり取りで知っている人も多かったので、一つずつ訪ねて歓談した。中には金を払ったけど送って来なかった奴がいて、乗り込んで行って名乗った。非常に驚いて、「もうすぐ送るつもりだった。」と言い訳をした。「黙れ!さっさと商品を渡さないと主催者に言うぞ。」と怒鳴ると、慌てて渡した。もう廃業しているから名前を出すが、Sal Marino’sというイタリア系の店であった。何回か電話したが、ごまかすつもりで、でたらめなことを言っていた。まさか西部から乗り込んで来るとは思わなかったのだろう。啖呵を切る練習をして行ったので、うまく行った。そのせりふの手ほどきをしてくれたのは、Bill Wolferである。後ろでニコニコして、見ていてくれた。
2020年04月29日
慣性増大装置付き機関車の増備
今アメリカの複数のフォーラム(非公開サイト)で筆者のUP850が採り上げられている。Youtube を見て討論しているのだ。傍観しているが、いろいろな意見があって面白い。
増速装置にウォームギヤを使っているとは思わないので、様々な想像をして、多段スパーギヤ + 食い違い傘歯車だろうと書いている。そんな歯車装置では、高価だろうし、多分すさまじい音がする。たとえウォームギヤが使ってあっても正しい歯型のものでないと無意味なのだが、そのあたりはあまり理解されていない。動けば良いというものではないのだ。高効率で静粛性を求めるには何をすべきか、ということは自分で計算をしてみないと分からないだろう。7軸の内、6軸から動力採取をしていることの意味は読み取った人がいた。これは嬉しい。
そのうちに、誰かが3条ウォームを使っている筈だ、と言い出した。ここでも"3条"に意味があると思っている人が多いことがわかった。3という数字には意味はない。「互いに素」の組み合わせが相手が偶数でも作りやすいという利点しかない。かなり頭を絞って考えているようだが、進み角 lead angle にたどり着いた人は、まだいない。
多条ウォームは、世の中に沢山ある。オルゴールとか、蓄音機に使われて来た。しかしそれらはゼンマイ動力であって、駆動側の慣性モーメントが無いに等しい。
歯形がでたらめでも、被駆動側の大きな慣性モーメントで、均等化されていたのだ。今回は、大きな慣性モーメントを持つものを駆動し、また逆に、それによって駆動されるのだから、話は違ってくる。角速度の均一性は極めて重要なファクタである。そこに気が付くかどうかを見ている。
MRに投稿する原稿をまとめる上でとても参考になるので、しばらく議論を眺めていたい。
原氏の博物館からは、当分帰って来ないことが確定した。その間落下事故がないことを祈る。
フライホィールの効果を見たい友人がいる。もう一台くらい作って見せてくれ、と言う。作るのが簡単で効果が大きいものは、テンダの体積の大きな、大動輪のパシフィックであろう。このSanta Feのパシフィックは塗る直前の状態で10年以上置いてあった。
車輪は既にLow-Dに交換してあり、この重いテンダは0.2%の坂を下り降りる。塗装前にテンダの床に孔をあけて準備しておけば、フライホィールの増設は難しくない。このテンダは箱型で、高さがあるから、改造には適する。台車のシルエットも、動力ピックアップ装置をかなり隠せる大きさだ。 車輪径が小さいので、増速率を減らすことができる。これは音の問題を小さくするだろう。
増速装置にウォームギヤを使っているとは思わないので、様々な想像をして、多段スパーギヤ + 食い違い傘歯車だろうと書いている。そんな歯車装置では、高価だろうし、多分すさまじい音がする。たとえウォームギヤが使ってあっても正しい歯型のものでないと無意味なのだが、そのあたりはあまり理解されていない。動けば良いというものではないのだ。高効率で静粛性を求めるには何をすべきか、ということは自分で計算をしてみないと分からないだろう。7軸の内、6軸から動力採取をしていることの意味は読み取った人がいた。これは嬉しい。
そのうちに、誰かが3条ウォームを使っている筈だ、と言い出した。ここでも"3条"に意味があると思っている人が多いことがわかった。3という数字には意味はない。「互いに素」の組み合わせが相手が偶数でも作りやすいという利点しかない。かなり頭を絞って考えているようだが、進み角 lead angle にたどり着いた人は、まだいない。
多条ウォームは、世の中に沢山ある。オルゴールとか、蓄音機に使われて来た。しかしそれらはゼンマイ動力であって、駆動側の慣性モーメントが無いに等しい。
歯形がでたらめでも、被駆動側の大きな慣性モーメントで、均等化されていたのだ。今回は、大きな慣性モーメントを持つものを駆動し、また逆に、それによって駆動されるのだから、話は違ってくる。角速度の均一性は極めて重要なファクタである。そこに気が付くかどうかを見ている。
MRに投稿する原稿をまとめる上でとても参考になるので、しばらく議論を眺めていたい。
原氏の博物館からは、当分帰って来ないことが確定した。その間落下事故がないことを祈る。

車輪は既にLow-Dに交換してあり、この重いテンダは0.2%の坂を下り降りる。塗装前にテンダの床に孔をあけて準備しておけば、フライホィールの増設は難しくない。このテンダは箱型で、高さがあるから、改造には適する。台車のシルエットも、動力ピックアップ装置をかなり隠せる大きさだ。 車輪径が小さいので、増速率を減らすことができる。これは音の問題を小さくするだろう。
2018年10月10日
御召し列車

蟹江駅で被災したC57139は御召し列車に使われる機関車であった。ブレーキは多少効きにくいそうだ。わざとそうしてあるという話を聞いた。御召し列車では客車のブレーキは殆ど使わない。機関車のブレーキだけを使って止める。ショックが無いように、停止位置が所定の位置からずれないように、最深の注意を払って運転される。
現在そのC57139は名古屋の金城埠頭にあるリニア・鉄道館にある。以前は千種駅北の旧国鉄の教習所であった中部鉄道学園にあった。名前が社員研修センターになってからもしばらくそこに置いてあった。聞くところによると、管理者側は持て余していたそうだ。
以前はあまり感心しない状態であったが、現在は磨かれて置いてある。問題は、その保管場所が名古屋港内の
<追記>
ゼロメートル地帯ではないというご指摘を受けたので、表現を変えた。津波の予測高さは諸説あり、湾内であることを考えてもその程度はあると考えられる。現場に行って見た感じでは、設置場所の標高は低過ぎると感じている。
津波は大きな潮位変化と考えれば、施設内各所にある排水溝から水が逆流することが想定されるが、果たしてそのようなことには対処されているのだろうか。
2018年10月11日
2018年10月08日
豊橋空襲
川端氏は昭和20年6月19日夜、乗務中に豊橋空襲を経験している。
それは23時52分着の上り列車であった。3分の停車であったが、駅に到着するとすぐに駅長が走ってきて、すぐに出発せよと言う。旅客列車は、所定の時刻表より早く出発することが禁じられているにも関わらず、直ちに出発するように急かされたのだ。
その駅長は山口氏、機関士は木村氏である。川端氏は機関助士であった。連絡を受けているうちに、少し離れたところで爆撃が始まった。機関車C59は全力を振り絞り、豊橋駅を離れた。駅構内を出て後ろを振り向くと、駅に爆弾が命中して、周辺は火の海となった。後1分出発が遅れたら、乗客1000人もろとも吹っ飛ぶところであった。まさに間一髪であった。
戦後、豊橋空襲が一体いつ始まったかということはよく分からず、19日の夜だという説と20日の午前1時ころとの説に分かれていたという。慰霊祭をいつにするかでいつも揉めていたのだそうだ。
昨年、それを聞いた川端氏が証言して決着が付いたのだそうである。乗務員は時刻を正確に認識している。当時の時刻表も見せて貰った。確かに11時52分着、55分発である。定時到着であったそうであるから、爆撃開始は11時55分前後である。これはNHKで放映された。
川端氏は数字に強い人である。非常に細かい数字を完璧にそらんじている。
さらに珍しいものを見せて戴いた。満州国皇帝であった愛新覚羅溥儀が日本に来た時の、御召し列車の運行計画表である。実際に予行演習で走ってみて、その結果も書き込んである。その機関士であった人から貰ったものということだ。満州国の国旗もあったそうだが、それは畏れ多くて貰わなかったそうだが、あれば貴重なものである。満州国の国旗は黄色を基調としている。その国旗と日の丸を交差して機関車前方に付けたのだそうだ。
それは23時52分着の上り列車であった。3分の停車であったが、駅に到着するとすぐに駅長が走ってきて、すぐに出発せよと言う。旅客列車は、所定の時刻表より早く出発することが禁じられているにも関わらず、直ちに出発するように急かされたのだ。
その駅長は山口氏、機関士は木村氏である。川端氏は機関助士であった。連絡を受けているうちに、少し離れたところで爆撃が始まった。機関車C59は全力を振り絞り、豊橋駅を離れた。駅構内を出て後ろを振り向くと、駅に爆弾が命中して、周辺は火の海となった。後1分出発が遅れたら、乗客1000人もろとも吹っ飛ぶところであった。まさに間一髪であった。
戦後、豊橋空襲が一体いつ始まったかということはよく分からず、19日の夜だという説と20日の午前1時ころとの説に分かれていたという。慰霊祭をいつにするかでいつも揉めていたのだそうだ。

川端氏は数字に強い人である。非常に細かい数字を完璧にそらんじている。

2018年01月30日
御殿場線ものがたり


御殿場線は田舎を走っているのに、隣に線路があったような跡があるのはなぜ?駅の構内が広いのはなぜ?という疑問から始まる謎解きがある。

当時はC53が出たばかりなのだが、特急「燕」の本務機はC51なのだ。信頼性があったのだろう。一方、普通列車は小さな機関車で牽いている。
筆者も関西本線でC51が本務機の、重連鳥羽行き快速に乗ったことがある。C55と組んで、ぶっ飛ばした。当時名古屋ー桑名間(23.8 km)は18分であった。平均速度は 79.3 km/h である。当時近鉄は木曽三川を渡る鉄橋が古く、そこでの最高速が40 km/h に制限されていて、とても国鉄の快速には敵わなかった。
その後この記録は40年間破られることなく、ディーゼル快速「みえ」で再度18分になった。今は最速17分半だと思う。
C51はブラスの帯を沢山巻いた、お召し列車に使われるような機関車で、古いけど魅力的であった。その列車と相前後して発車する湊町行き快速も良かった。それはたいていC55とC57の重連であった。昭和33年頃の話だ。毎日駅まで行って観察していた。素晴らしい時代であった。写真があれば・・・、としみじみ思う。
2016年03月02日
Harmon の死去
Harmon が死去したと、先ほど奥さんから連絡があった。
実は昨日彼からのメイルで、「シカゴのショウに来るかい?またうちに遊びに来ないか。」という連絡があったばかりなのだ。すぐに返事を出して、
「いま博物館の建設で忙しいから今年は行けない。夏までには片付くから行きたいもんだ。ところでそちらはどうなんだ、奥さんと一緒に遊びに来ないか?」
と送ったばかりだった。
先ほどメイルボックスを開けたら、奥さんから来ていた。
「大変なことになった。ハーマン が今朝3時に脳卒中で死んでしまった。とても残念だ。友達でいてくれてありがとう。」
本当に残念だ。昨年のショウで賞を取って、満足だったようだ。その後、モータを換装するから、コアレスモータの良いのを紹介してくれ。」という打診があった。
彼は筆者の3条ウォーム、Low-D車輪に興味があり、導入するつもりであった。地下には大きなスペイスがあり、そこにレイアウトを作るつもりで、図面を見せてくれたのだ。それはイリノイの田舎の実にのどかな風景であった。
今度行くときには飛行機に乗せてもらう予定であったのに、それも叶わなくなった。
実は昨日彼からのメイルで、「シカゴのショウに来るかい?またうちに遊びに来ないか。」という連絡があったばかりなのだ。すぐに返事を出して、
「いま博物館の建設で忙しいから今年は行けない。夏までには片付くから行きたいもんだ。ところでそちらはどうなんだ、奥さんと一緒に遊びに来ないか?」
と送ったばかりだった。
先ほどメイルボックスを開けたら、奥さんから来ていた。
「大変なことになった。ハーマン が今朝3時に脳卒中で死んでしまった。とても残念だ。友達でいてくれてありがとう。」
本当に残念だ。昨年のショウで賞を取って、満足だったようだ。その後、モータを換装するから、コアレスモータの良いのを紹介してくれ。」という打診があった。
彼は筆者の3条ウォーム、Low-D車輪に興味があり、導入するつもりであった。地下には大きなスペイスがあり、そこにレイアウトを作るつもりで、図面を見せてくれたのだ。それはイリノイの田舎の実にのどかな風景であった。
今度行くときには飛行機に乗せてもらう予定であったのに、それも叶わなくなった。
2015年04月30日
続 Harmon の入賞
何人かの方からもお知らせを戴いた。
Harmonの作品の大きな写真が The O Scale Resource という雑誌に載っている。
この雑誌はWeb上でのみ読めるもので、無料である。広告料だけで運営されている。筆者の考える最終的な雑誌の形である。写真もきれいで、60ページ以上もある。中身も濃い。Resourceという言葉はふつう、資源と訳されるが、そう意味ではない。必要な時に役に立つ助力 a source of aid or support that may be drawn upon when needed という意味だ。
筆者の3条ウォームギヤとかLow-D車輪の原稿を頼まれているのだが、博物館が忙しくてなかなか書けない。
Harmon は最近のシカゴのショウで入賞し、なおかつBest in Showという最高賞まで与えられた。どうして一等にならなかったかが不思議だが、おそらく塗装がきれいだったのだろう。投票結果は接戦だったようだ。筆者も行って投票すれば良かったと思う。
45ページの解説に、ハーマンは成功している農家で、夏の間は忙しい。製作は冬の期間に限られる。製作期間は15年以上とある。今度会ったら何と言ってあげようかと思っている。
この雑誌の先号に電池動力のラジコン機関車の話がある。23ページである。少々ややこしいが、面白い方法である。筆者がやるならもう少し簡単にしたい。
Harmonの作品の大きな写真が The O Scale Resource という雑誌に載っている。
この雑誌はWeb上でのみ読めるもので、無料である。広告料だけで運営されている。筆者の考える最終的な雑誌の形である。写真もきれいで、60ページ以上もある。中身も濃い。Resourceという言葉はふつう、資源と訳されるが、そう意味ではない。必要な時に役に立つ助力 a source of aid or support that may be drawn upon when needed という意味だ。
筆者の3条ウォームギヤとかLow-D車輪の原稿を頼まれているのだが、博物館が忙しくてなかなか書けない。
Harmon は最近のシカゴのショウで入賞し、なおかつBest in Showという最高賞まで与えられた。どうして一等にならなかったかが不思議だが、おそらく塗装がきれいだったのだろう。投票結果は接戦だったようだ。筆者も行って投票すれば良かったと思う。
45ページの解説に、ハーマンは成功している農家で、夏の間は忙しい。製作は冬の期間に限られる。製作期間は15年以上とある。今度会ったら何と言ってあげようかと思っている。
この雑誌の先号に電池動力のラジコン機関車の話がある。23ページである。少々ややこしいが、面白い方法である。筆者がやるならもう少し簡単にしたい。
2015年03月21日
Harmonの入賞
Harmonの作品がシカゴのコンテストで一等になったそうだ。当然であろう。ここしばらく会っていなかったので、進捗状況を掴んでいなかった。素晴らしい出来である。

写真は1枚しか公表されていないので、細部はわからない。テンダが美しい。 いずれ、他の写真も発表されるはずだ。
テンダの車輪にはLow-D車輪が使われているはずだ。詳しいことは分からないので本人からの連絡を待っているところだ。


テンダの車輪にはLow-D車輪が使われているはずだ。詳しいことは分からないので本人からの連絡を待っているところだ。
2013年06月13日
Snow White



現在ではマグネットモータが全盛で、界磁が電磁石のモータ(直巻電動機)を模型に使うのはメルクリンだけになった。メルクリンも最近は違う種類のモータを使うようになったと言う噂である。直巻電動機はトルクが電流の二乗に比例して大きくなるので、起動トルクが大きく、また空転時の抵抗がほとんど無いから逆駆動もできる。
色々な点で模型に適するのであるが、電流を逆にしても逆転しない。界磁も電機子も磁極が逆転するからである。それを逆転するのに、さまざまな工夫がなされている。この機関車では直流を送ると、逆転機が回転してスタンバイするようにしてある。そんなことをするぐらいなら、界磁の主電流を整流器で一定方向にすれば良い(ポラライズと言う)と思う人もいるだろうが、当時のモータの電流値は10 A近くもあったので、それを整流するセレン整流器が巨大で入らなかったのだ。またそれはとても高価であった。



