2-8-0 Consolidation

2024年11月30日

cab interior

UP 2-8-0 painted and lettered この機関車を KKC 集会に持って行った。何かアピールすることを書かねばならないので、「窓が開いているのが好きです」とだけ書いておいた。(写真はnortherns484氏撮影)
  
 窓からも後ろからもキャブ内は丸見えであるから、ごく簡単にbackhead(火室後部)を作っておいた。
 
backhead この機関車は小型機ではあるが、装備は大型機のものを流用している。特に注目すべきは water columnである。普通の水面計ではなく、より高性能な太いものを用いているのだ。 
 正確な水位が分かるのは良いが、これがあると室内はさぞかし暑かっただろうと思う。普通型の水面計に比べ表面積が10倍以上もありそうだ。そこが約 200 ℃である。 
 オイル焚きであるから、火室扉はそのタイプにした。メータ類は文字も針もなく、白いだけであるが、誰もそれには気付かない。ハンドル類は例によって赤く塗った。機関士は Weston製があったのでそれを乗務させた。たくさんあったのにもう残り少ない。 

UP 2-8-0 on spurUP 2-8-0 窓枠はビリジアンを塗った。この色は当鉄道では2輌目である。UPでは採用例が比較的多い。偶然にもアメリカの森林鉄道の機関車を持っていらしたLittle Yoshi 氏の機関車にも同じ色が塗ってあった。  

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2024年11月18日

続 UP2-8-0

 蒸気機関車の塗装は気楽で楽しい。ディーゼル機関車や客車などと比べるとかなり大まかである。
 バラして順に塗るのだが、塗り分けの境目をどうするかだけは手順をよく考えねばならない。
 
up2-8-0 painting in progress 今回は煙室、火室はグラファイト色に塗った。室内は天井と壁を緑で塗った。床は黒である。火室後部は外せるようにして別に塗る。各種ハンドルも筆で赤く塗った。カドミウム・レッドである。この写真では煙室とキャブ内をマスキングしている。煙室は普通のマスキングだが、キャブ内にはスポンジを詰め込み、窓枠の内面に当てている。こうすればキャブ内には吹き込まない。

UP 2-8-0 (3)UP 2-8-0 (5) こうして塗った状態がこれである。フロクイルなので、塗ってから1週間は塗膜が軟らかい。

UP 2-8-0 (4) 机の上で寝かせるときは必ずこのようにクッションを敷く必要がある。窓枠は別の色で筆塗りするので気にすることもない。 

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2024年11月16日

UP 2-8-0

 この機種はC57と呼ばれることが多いが、様々なヴァリエイションがある。この模型がどの形式をプロトタイプとしているのかは不明だが、Max Gray はカリフォルニアの会社だったから、西海岸のどこかにあったものを参考にしていた筈だ。

916-Victorian-Railways-Aus-Vauclain-Compound-2-8-0-No.V499 弁装置も各種ある。ボールドウィンで作られたものの中には、Vauclain Compound もあった。ヴォークレイン複式は往復動慣性質量が大きく、高速では走れなかった。アイデア倒れで、多少効率が良くても、使いにくいものであったらしい。メンテナンス・コストも大きかったので、後に大半が標準型に改造されている。 
 この絵はこのサイトからお借りしている。これはオーストラリアに輸出されたもののようだが、いかにもアメリカ的なデザインである。 

 さて、筆者の模型のことであるが、キャブ前方のドアは開放とした。すなわち夏仕様である。窓枠は緑にした。この種の小さな機関車は相対的にキャブが大きいので、中を覗き込まれてしまう。すなわち、「室内は室外である」わけで、ある程度は作っておかねばならない。火室後部は丸見えであるから、先回の Rawlins で撮った写真を基にまとめた。正確ではないが、それらしく見えるようにしただけである。

 ウェザリングは最少にして、やや艶のある状態を楽しむことにした。 

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2024年11月14日

D型機

UP 2-8-0 (1)UP 2-8-0 (2) この17日に綿商会館で開かれる KKC 集会の今年のお題は「D型機」であった。たくさんあるのでどれでも良いのだが、いつも 4-8-4 ばかり持って行くのは気が退けた。せっかくだから新作を持って行こうと思い、塗ってないものを探した。
 
 Lobaugh の下廻りを利用したミカドを完成させたいが、やや時間が足らない。スクラッチから作っているマウンテンは ヴァルヴ・ギヤをヤング式にしているが、これも間に合いそうもない。そうなると 30時間で出来るものは 2-8-0 しかなかった。

 綿商会館は来年には取り壊されるようなので、そこでは今年が最後になるとのことだったが、来年は取り壊し前の9月に行うとの発表があった。

UP6053UP355 UP には各種の 2-8-0 がある。製造所はいくつかある。また製造年は非常に長期に亘っている。使用期間が長いので、ほとんどが改造で原型からはかなり離れたところにある。支線ではその線区に合わせて特色ある改造が施されている。

 筆者としては細いヴァンダビルト・テンダの機種が好きである。石炭焚きでも、箱型テンダは好きではない。右の写真はテンダを太いものと振り替えている。これは 2-10-2 用のテンダのように見える。

 この模型は30年以上前に入手したもので、動力改良を施してある。Tom Harveyの家の近くの公園で実物と対面した。小さいが、バランスの取れた機関車である。
 製造はKTMだが、祖父江製作所ではない。この種のストレイト・ボイラのものは祖父江氏のところに注文が行かなかったようだ。内側を覗くと、ハンダ付けのプラクティスはかなり違う。ハンダが完全に廻っていない。

 引越しを何度か経験しているので、あちこち壊れていて、部品がかなり無くなっている。塗装済みのものは丁寧に梱包するが、未塗装のものは、つい荒っぽく扱ってしまったようだ。ハンダ付けが完全でなかったのが大きな原因だろう。
 ジャンク箱を探してそれらしきヘッドライトその他を探し、手摺を付けた。あちこちのハンダ付けもかなり緩んでいたので、炭素棒で完全に付け直した。力のかかるところは銀ハンダで付けた。もう壊れることはないだろう。

 よく水洗し、乾燥させた。Canonのモータの外側がかなり錆びていたので削った。再塗装する。
 この機関車は黒塗装だから簡単だが、メリハリのあるものにしたい。現役時の、ある程度艶ありの状態にするつもりだ。 

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2024年09月01日

JAM

 貫名氏と会ったときにJAMでの様子を聞いた。

 高効率ギヤに興味を示す人は居るが、実際に取り組むという人は少ないという。手持ちの機関車の一輌がこの動力機構を持つとすべてやりたくなるものなのだが、非常に大きな障壁があるそうだ。やればそれほど難しくない筈なのだが、乗り越えられない人が多いらしい。

 貫名氏は購入希望者に事前に換装手順書を送り、持っている工具の確認をすることにしていると言う。孔はリーマを通すように念を押す。リーマなしではできないと伝えると手を出さないそうだ。安い工具であるのに入手しようとしないらしい。
 決して叩き込んだりせず、ボール盤などでゆっくり押し込むように言うのだが、言うことを聞かない人も居るようだ。
 すなわち、相も変わらず「コンコン改軌」を得意そうに語る人はまだまだ多いようだ。
 OJの人にも車軸を叩く人はたくさんいるようで驚いている。


 ある友人の話が印象的だった。彼はなかなかのクラフツマンで工作は上手だ。
「最近のTMSに載るような超絶技巧(というのは褒め過ぎか)の作品を作るのと、高効率ギヤへの換装とを比べてみれば前者の方がはるかに難しい。僕もやろうかと思ったけど自信がないよ。ところが後者はできる。やろうと思えば一日で出来る。動輪のクランクの位相合わせだって、ジグを作ればよいのだ。その作り方はいろいろな方法が発表されている。簡単なのを作ればよい。それがあればどれだけでもできる。そういう工作ができないと言いながら、外観を細かく作るというのは解せない。」
と言う。彼にはカスタムビルダになるように勧めておいた。

 JAMにはたくさんの精緻なレイアウトがあったが、どれもこれも猛スピードで走るものが大半であったそうだ。これは悲しい。
 前回にも述べたが、スケールスピードは大切だ。正しい動力伝達機構を持たせれば、ごく自然にできることなのだ。
 高効率ギヤのギヤ比は低い。3:23である。それでも低速での走行が安定しているのはどうしてしてだろうか、と考えて欲しい。

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2013年08月10日

Heber Creeper

Heber Creepers 1 ソルトレーク市の南東、直線距離で約30マイルの山の陰にHeber Cityがある。ProvoからのDRG&Wの30マイルの支線があって、旅客や貨物を運んでいたが60年代に廃止になった。70年頃、蒸気機関車による観光鉄道として人気を集め、Heber Creeperとして有名になった。Creeper とは、這うことを意味し、機関車が列車を牽いて喘ぐように登ったからそう言ったのである。しかし、観光鉄道の区間には急勾配はない。

 70年代にはここに連れてきてもらって、ピクニックを楽しみ、汽車の煙を吸った。当時は0-6-0とか2‐8‐0などがいた。客車は木造で、貨車はリヴェットが一杯のものが多かった。

 80年代に再訪したが、景気は悪そうであった。客が減ってきたのである。ところが2002年のオリンピックで息を吹き返した。観光客がこれに乗りたがったので、かなりの高密度運転をしたようだ。
 その後、機関車の酷使と景気の後退で、事実上の休止状態に陥り、破産したようだ。現在の経営母体は以前のような個人経営ではなく、州政府が土地と蒸気機関車を提供し、ヴォランティアを中心に動いているようだ。経営を任されているのは、企業の経営者だった人で、ヴォランティアで来ている。なかなかの人物で、きっとうまくいくであろうと思った。
 機関車はユタ州のどこかの公園にでも放置されていたものであろう。それをここに持ってきて、完全にリビルトする。「ここの工場は全米で5本の指に入る蒸気機関車再生工場である。」と誇らしげに語った。 確かにそうだろう。どう考えても、そのような工場がたくさんあるわけではない。
 以前の機関車は倒産時に売り払われ、オレゴン州の方に行ったそうである。

 蒸気機関車の運転をしていると思って行ってみたところ、ディーゼル電気機関車であった。客車をつないで、全行程3時間の往復運転をする。実質的に走っているのは1時間強である。

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