祖父江欣平

2006年08月31日

全面ハンダ付け

6c82176a.jpg 日本では、「ハンダ付けがうまい人はハンダの量が少ない」という変な定義があるようだ。確かに、ハンダが全く見えない作品も目にする。たいしたものではあるが、Billの基準ではそれは失格である。
 ハンダは接合面のすべてに流すべし。そうでない時にはやり直しをせよと迫る。「ちょい付けでいいではないか」と言うと、「中のフラックスが洗い落とせないから錆びる」と言う。

 写真はディーゼルの機械室側版の扉部分を貼り付けた様子である。こんなところは力が掛かるところではないから、ほんのちょっと付けてあればよいのだが、大きなコテでとろとろと流して、このようにせよと言う。しかも最初にハンダを全面に塗っておいて(tinningという)クランプではさみ、バーナで予熱してから 200 Wのコテを当てる。訳なくできるが、結構な量のハンダを消費する。しかも穴ばかりでなく、穴と穴の中間をよく加熱せよとうるさい。中間にハンダがついているのは、その加熱の伝熱用である。
 手前の面の貼り付けられた板の周りにハンダが少しはみ出しているのがお分かりであろうか。ここまでやってから、ハンダを削り取らねばならない。

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ここでハンダゴテの持ち方について、日米の達人のテクニックが一致したことを報告させていただく。

 みなさんはハンダゴテをどのような持ち方をされて居られるか。Billも、日本の達人祖父江欣平氏も内野日出男氏もコテ先が小指側に来るように握る。決して包丁をもつときのような持ち方はしない。机に向かって座り、肘を机に突き、コテを押し下げる。歯科の先生方が治療中に道具をどんな持ち方をして居られるか、よくご覧いただきたい。この握り方は、力が入り、なおかつ手が滑って失敗することがない握り方である。肘をつけるのが最大の秘訣である。ある程度以上の大きさのものをハンダ付けするときはこの方法に限る。

 はみ出したハンダをキサゲで削り取るときの持ち方も全く同様である。この方法で削れば、驚くほど調子よく、また正確に削れる。鉛筆を持つ時のような持ち方では、力は入らないし、うっかりと滑らせて失敗しやすい。

 あちこちの会場で開かれるハンダ付け教室を覗いても、ここの部分の指導は完璧だとはとても思えない。


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2006年11月17日

押して動く機関車の実現

Model Railroader 指先で押しただけで動く機関車を実現するには、次の3つの条件がある。どの一つが欠けても不可能である。

 .灰▲譽好癲璽拭´■馨鬟Εーム ボールベアリング
 ”當未離泪哀優奪肇癲璽燭任蓮鉄心が吸いつけられているので動き出せない。
 ▲ヤ比は比較的小さくした。そうしないと押して動きにくくなるからだ。それには低回転高トルクモータを使うことが前提となる。
 ボールベアリングは当然のことである。しかし潤滑剤もまた大切だ。普通の潤滑油では、停止時に逆駆動すると、歯面が強く押し付けられ、極圧剤がなければ動き出せない。

 何台かの機関車にこのギヤを装備して、レイアウト上を走らせた。極めて快調であった。何かの手違いで電源が切れても急停車することはない。すなわち、列車の脱線事故が、ほとんど皆無となった。

 震災で亡くなった神戸の魚田真一郎氏に、「電源を切っても3 mくらい惰行するよ。」と伝えると、「そんなん、ウソやわ。できるわけないやろ。もしホンマやったら、フランス料理のフルコースをおごりますわ。」と言った。その週末、車で来た彼を仮設レイアウトに連れて行き、60輌編成の貨車を牽いた走行を見せた。彼は仰天して、
 「エライことになりましたなあ。これで世界中がひっくり返りますわ。」と言った。当然、フランス料理を御馳走になった。

 祖父江欣平氏の工房で魚田氏の機関車を改造した。受け取った彼は喜んで、「ホンマに世界一の機関車ですねん!」と電話の向こうで叫んだ。

 これは特許を申請すべきか、ずいぶん考えた。当時、韓国をはじめとする新興国では不法行為が続発していた。たとえ特許を取得できても、海賊版が堂々と売られることになるだろうことは予想できた。特許防衛に手間をかけるのは現実的でない。

 多からぬ特許収入より、発表して名を残すべきである。という結論に達した。早速日・英文で原稿を書き、投稿した。

 「とれいん」誌には直接電話してページを空けて貰い、原稿と現物を送った。その記事は直ちに翌月号に載った。Model Railroader誌には3ヵ月後に載った。

その年の夏にミルウォーキィでNMRAのコンヴェンションがあった。それに出品しようということになった。それは、祖父江氏にとっては最初の海外旅行であった。

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2006年11月20日

押して動くディーゼル機関車

chain drive 祖父江欣平氏の工房には走行装置取替えの依頼が殺到するようになった。その点ではこのビジネスは成功であった。

 ミルウォーキの会場で出会ったアメリカ人が、デモ機のFEFをいくらで売るかと聞いてきた。「私の宝物だから売らない。」と言ったら、「それなら注文をするからたくさん作れ。」ということになった。
 祖父江氏はカツミ模型店の下請けをしていたので、「カツミ模型店を通しての下請けならやってもよい」ということになった。仕事は始まったが、彼らの資金が続かず、結局のところアメリカには数台の輸出で終わったようだ。残りは国内で捌けたという。
 
 しかし、うわさがうわさを呼んで、祖父江氏のところにはアメリカから直接、改造注文がやってくるようになった。

 蒸気機関車の改造がある程度済むと、次はディーゼル機関車の改造を望む声が大きくなった。
Bill Wolfer氏が「ディーゼルは車輪径が小さいから難しいね。」と言ったので余計やる気になった。

 確かに車輪が小さければ、その分車輪を回転させるトルクが小さくなる。しかし、車輪数は多いから、押した時掛かる力が分散して、有利になる。駆動軸を床下に通すとモータの収容場所がなくなり、結局チェインで上から下ろすことになった。このチェインはプラスチック製で、精度高くできている。台車間が長い大型機の場合はモータから直接に駆動できる。

 この方式で部品を標準化し、いろいろな形式の改造に応える方法をとった。これはアメリカの模型屋を経てかなりの数が出て行った。一部はシカゴの科学工業博物館のレイアウトで、運転用に採用されたと聞いた。毎日数時間走らせるのであるから、耐久性に目をつけたのである。

 この一群の製品には、祖父江氏の発案で、車輪と車軸の固定に細目のネジを用いた。細目とはISOネジのうち、細かいピッチのネジである。同じトルクでも締付け力が大きく外れない。ちょっとしたことなのだが大きな進歩であった。

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2006年11月29日

ウォームギヤ と スパーギヤ

90-degree drive 筆者がなぜここまでウォームギヤにこだわるのか。他のギヤで「押して動く」のでは満足できないのか。

 Model Railroaderへの投稿原稿にも書いたが、最大の利点は、食い違い直角伝導であるということだ。ギヤボックスの設計、製作が容易で、小さくできる。

parallel drive スパーギヤでは歯車は大きく、モータは吊掛け方式にならざるを得ない。佐藤昌武氏の名作C53はスパーギヤが動輪の内側に密着して取り付けられている。ギヤボックスはとても作りにくい。油の飛散を防ぐのは困難だ。また、たとえイコライズしても、軸重の均等化は無理である。モータもあまり大きいのは使えない。一段ではギヤ比が足らないので2段以上にせねばならない。

 電気機関車のような各軸モータであっても、イコライズの問題以外、それは同じことだ。筆者は、油が飛散するような車輌が自分のレイアウトに進入するのを極端に嫌う。レイルが汚れて集電が悪くなるからだ。

 ベベルギヤはギヤボックスの設計が難しい。製作はもっと難しい。目的に合う歯車を製作してくれる工場を探すのも難しい。また、機関車への収まりも、ウォームギヤほどうまくいかない。実は祖父江欣平氏が試作してくれたベベルギヤ・ドライブの機関車もあるが、横から透かして見たときのシルエットが良いとは言えない。

 おそらく、スパーギヤ、ベベルギヤの効率は90%近いだろう。二段なら80%だ。ウォームギヤが70%として損失はかなり違うが、その分大きなモータが楽に入るメリットがある。

最後に音の問題がある。ウォームほど静かなギヤはない。理論的にはバックラッシュをゼロにすることもできる。蒸気機関車がわずかでもジコジコとギヤの音をさせて走るのは、興醒めだ。筆者はサウンド装置を搭載しているので、余計に音には敏感である。その点、ディーゼルは多少の音があっても許される。

 ところで気になっていることがある。皆さんの模型のギヤボックスには、動輪の駆動に伴う反トルクを受けるトルクアームまたはトルクチューブがついているだろうか。昔からTMSなどに発表される作品でこれがついているのをめったに見ることがない。怪しげなシリコーン・ゴム・チューブで繋いでお仕舞いというのが多い様に思う。これでは前進・後退で調子が違うのも当たり前である。

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2008年02月21日

Lorell Joiner氏のこと その1

Lorell Joiner's O scale Empire Lorell Joiner氏のことをご存知ではないだろうか。'93年のMRGreat Model railroadシリーズの中にも収録されている。MRの1980年6月号の表紙にも写真がある。彼は2ヶ月前に亡くなった、と友人から知らされた。

 テキサス州San Antonioの方で、すばらしいレイアウトを所有されていた。その規模、シーナリの精密さ、車輌のコレクション、走行性能の改良、信号装置、制御装置すべての面で当時世界最高レベルであったことは、間違いない。

 MRの記事を見て、MR編集部経由で見学希望の手紙を出した。すると丁寧な招待状が届いた。祖父江欣平氏を伴って見学に行った。

 サン・アントニオ(発音はサナントーニオで、太字のところを強く発音する)の空港まですばらしい自動車で迎えに来てくれた。高級ホテルに泊めてくれ、「テキサス流に歓待するぞ。」と言った。

 立派なステーキハウスに連れて行ってくれ、とんでもなく巨大なステーキをご馳走になった。今でもその前菜を思い出す。「メキシコ湾で取れる生牡蠣を食べなさい。」と言う。出て来たものはなんとどんぶりに、中程度の大きさのものが12個も入っていた。それを唐辛子ソースをつけて食べるのだが、おいしかった!それだけで満腹になってしまうほどだった。

 そのあと出てきたステーキは32オンス(900グラム)で、火が通るように半分に切れ目を入れて焼き、それを二階建てにしたものであった。煉瓦くらいの大きさである。
 おいしかったが、あまりにも大きかったので途中であきらめようと思った。しかし、若かったので、死に物狂いで食べた。祖父江氏は小さいのを注文して正解であった。

 食べ終わったとき、Joiner氏は「よく食べたな。たいしたものだ。友人として扱う。」と言った。どうも資格試験のようなものであったらしい。

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2008年02月23日

Lorell Joiner氏のこと その2

 自宅敷地内に90坪の別棟を建て、レイアウトはその中にあった。工作室、資料室があり、真夏なのに寒いほどの空調であった。さらに別棟に倉庫があり、古今東西のすべてのブラス・モデルが山と積んであった。

 Joiner氏は電気技術者でもあったが、建築業界では有名人であった。また、不動産事業でも成功した方であった。アメリカの競馬界で5本の指に入る、という名馬も所有していた。彼の姉はかなり有名なピアニストで、カワイのピアノは最高だと言っていた。その方のお宅にもお邪魔したが、自家用ジェット機もヘリコプタもお持ちであった。テキサスの典型的な豪邸であった。食堂には銀器がずらりと並んでいて、それを磨く人を雇っていた。各部屋には名画もたくさんあった。昔は牧場を経営していたのだろうが、今は石油が出るらしい。映画ジャイアンツを地で行くような話であった。

 Joiner氏は祖父江欣平氏がMax Gray,US Hobbiesの大半の製品を製造して、それがKTMブランドで輸出されていたことに驚き、「アメリカに引っ越して来い。工場を建ててやる。」と言った。
 祖父江氏が、工具を全部持ってこなければ仕事が出来ないし、食事の問題もある。無理です。」と答えると、「全部もって来い。日本食のコックを雇おう。」とまで言ってくれたが、結局のところ、この話は流れた。もし実現していたら、アメリカの模型界はどうなったであろうか、興味深い。

Great Southern GP-7 Cockham Drive installed その後、e-bayで、Joiner氏のコレクションが売りに出されるようになった。氏のコレクションはすべてGreat Southernというロゴが入っていて、すぐ分かる。Oゲージの雑誌に、Joiner氏の広告が載ったのはそのしばらくあとである。

 「私はGreat Southernの所有者であるが、健康上の問題があり、すべてを処分したい。レイアウト、車輌すべてを一括して売却する。個別の売却には応じられない。」というものであった。彼は重度の糖尿病であったそうだ。

 それから一年、悲劇的な最後であった。彼は失明し、頭を銃で撃ち抜いて自殺したのだ。


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2008年03月12日

続 Garyのレイアウト

440V 3-phase power line これがその送電線である。実に見事に再現してある。ターンテーブルの動力は三相モータのOn,Offのみで制御しているものがほとんどである。たまにスター・デルタの切り替えが付いているものもある。電車に比べると制御方式はやや怪しいが、短時間しか廻さないので問題ないらしい。


Gary's engines この写真を見て戴きたい。どの機関車も色調が同じである。筆者の好みとしてはたまにぴかぴかの機関車があってもよいと思うが、Garyは色調をそろえることをポリシィとしているのだ。




ATSF Pacific この機関車は40年以上前にKTMを通して輸出された。製造は祖父江欣平氏である。筆者も2台持っている。非常にプロポーションのよい機関車である。それをGaryが手を加えるとこうなる。筆者のと比べた写真を出そうと思ったが、その差があまりにも大きいので、今回は取り止めである。とりあえず塗装を落としてやり直すことにした。 しかしこのように手際よくは出来ないような気がしている。



2008年06月02日

続 組立て式線路

PCボードにハンダ付け この写真はポイントの枕木にフログをハンダ付けしている様子である。筆者はすべてのハンダ付けは屋外でやる。塩化亜鉛のみならず、塩酸も足しているからである。非常に強力で、ハンダがよく流れる。屋内で使うと、置いてある金属がたちまち錆びるから、外で使う。

 ハンダゴテの握り方にご注意願いたい。この握り方でないと力が入らない。「ハンダ付けは力でつけるのだ。」という祖父江欣平氏の言葉の通り、うんと熱くしたコテを、「エイ」と押し付ける。勝負は一瞬である。あまり長く加熱するとPCボードから銅箔がはがれる恐れがある。肘は机の角に当てておく必要がある。手首の曲げ方の調整で位置が決まり、力が入りやすい。

 写真のハンダゴテはたまたま見る角度が悪く、極端に薄く見えるが、ごく普通のものを改造して100 W→125 Wとしたものである。単に、ニクロム線を少し短くしただけである。コテ先は削って先から 5 mmのところを細くし、フログの中などの狭いところに届くようになっている。

 PCボードはガラスエポキシ製を用いる。紙フェノール樹脂ではそりが出る。シァでざくざくと切り、型紙となる合板に原寸図を描いたものに、粘着テープで仮留めする。レイルはコード157のカツミ製レイルである。これは高校生の時に入手したものであり、それに硬質ニッケルめっきを掛けた。光沢めっきで非常に平滑である。もちろん引き抜きレイルにはかなわないが、走行音は合格である。この硬質ニッケルはとても硬く、ヤスリがすべる。砥石をつけたモトツールで切り落とす。めっきさえなければ、切り口のヤスリはよくかかる。

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2009年01月03日

続 金属の臭い

 金属は良い触媒となり、手の表面の皮脂を変化させる。おそらく酸化を早める。また、酸化的分解も起こすだろう。すると短い分子になり、揮発性が増すはずだ。何になっているのかは、しかとは分からぬが、金属元素ごとに触媒能力が違うので、生じる分子の形も違うであろう。皮脂は、スクワレンという二重結合をたくさん含んだ炭化水素を、30%以上も含む。これが変化すると考えるのが自然だろう。脂肪酸も二重結合を含んでいるものを20%程度は含まれるので、反応するだろう。

 機械油は、炭化水素をベースに添加剤として脂肪酸が入っているのでそれが触媒によって変化する。しかしアルミニウムはあまり臭わない。

 鉄錆を指先でつぶすと、独特の臭いを感じる。これなどは酸化鉄の触媒作用によるものであろう。

 最近の学説によると、亜鉛イオンはタンパク質の形を容易に変化させる優れた触媒であるそうだ。タンパク質を分解するプロテアーゼという酵素の活性中心である。それも臭いに関係するかもしれない。

 ヤスリ掛け、糸鋸で切るなどの操作で、金属の微粉が生じると、表面積が大きいので反応速度は大きいだろう。

 ハンダ付けして塩化亜鉛が付着している模型に手を触れても、これまた臭いがする。しかしこれをよく洗うと臭いは全くしなくなる。祖父江欣平氏の工房を訪ねると感じる独特の臭いも、まさにこれである。

 「モータの臭い」と言う表現があるが、これもコミュテータの銅の上で何かの油が変化した臭いであろう。誘導電動機では聞かない表現である。  

2009年02月14日

続々 イコライジング

 「揺れるのはけしからん。」と仰る人もいる。「イコライズした模型に可動するバネが入っているのはもっとけしからん。」と叱られたこともある。
「イコライズするとどうしてバネが要らないのですか?」と聞くと「バネのたわみで、調整したイコライザが所定の位置からずれる。第一、変動が分散するからバネは不要である。そんなことは当たり前だ。」というお答えであった。また、「バネがあると、レイルの継ぎ目でコツンコツンという刻み音が聞こえなくなる。」とも仰った。

 これはどうやら宗教問題の様相を示す。話して分かるという問題ではなさそうだ。筆者はバネは不可欠であると思う。その一方、上記のようにバネ無しイコライズが当然だという方もいらっしゃるのだ。
 大きな軸重を掛けて高速で走らせると、バネがなければイコライザは徐々にへたる。しかもやかましい。

 最近のTMS誌上で紹介された祖父江欣平氏のBig Boyは極めて静かだ。フログの欠線部を乗り越えて行くときも、滑らかである。ドスドスという響きを感じるだけだ。実物どおりの重ね板バネを用い、緩衝性がある。あの記事には、そのことも全く触れていない。どうしてメカニズムに触れないのだろう。外見の話ばかりだ。

 以前OJゲージのEF58の紹介記事では、「ロンビック・イコライザ」に触れていた。4つの支点が同一平面上にあるのだろうか。あの構成では、車内の長いイコライザ・テコがたわむので、バネがなくても程々に柔らかいサスペンションになるであろう。しかし、揺れは減衰しにくい。ダンパがないからだ。
「鉄道模型はこれで完成の域に達した。」とまで書いてあったが、「過負荷でスリップしないようでは完成の域に達したとは言えない。」と考えるのは筆者だけだろうか。あのギヤ比では不可能だ。
 起動時にスリップが起こらないような設計ではモータが焼ける。そういうことは設計時には考えるべきである。模型といえども機械なのだ。
 およそ設計と言うものは条件設定が大切である。条件を無視した設計は意味がないはずだ。

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2009年06月30日

リヴェット形成法

 リヴェットを表現する方法は、大きく分けて2つあった。裏から押し出す方法と、表面から植え込む方法である。

 どちらも使っているが、裏から押し出すには組み立て前の準備段階しかできない。リヴェットをつけ忘れたときは表から植え込む。決して難しい作業ではない。正確に穴を開けて、差し込んでハンダ付けする。適当な高さに切りそろえてから丸くする。
 歯科及び彫金用の刃物でコーンカップカッタというものがある。飛び出している線の先端を丸くする道具だ。これで丸く仕上げるのだが、深さの問題があり、市販品では深すぎる。砥石で擦って、穴を浅くする必要がある。
 歯科用のカッタには、純粋のコーン(円錐)を形成することができるタイプのものがある。それを使えば円錐型リヴェットも可能である。

 祖父江欣平氏の植え込みリヴェットはハンダ付けされていない。ドリルの穴は微妙にマイナスである。専用のドリルを用意しているようだ。そして差し込む線をぐっと押しこむ。その勘どころは彼にしかできないのだが、抜けて来ない。引っ張っても抜けない。押し込んだ時に塑性変形してひっかかってしまうのだ。筆者はまねをしたが、抜けてしまう。

 電解生成リヴェットの形は良いが、生成には少々時間がかかる。0.3mmほど盛り上げるのに1時間はかかる。組み立て済みでも局所的に電解液につけることができれば良い。極端な話では塗装済みの車体の鼻先にHゴムを付けることもできない話ではない。
 また、旗竿の先端を丸くすることもできるし、煙突先端に縁取りをつけることもできる。

 いろいろな応用例が考えられる。
 
 

2009年07月02日

押し出しリヴェット

 押し出し方式のリヴェット打ち器には2方式ある。凹んだ雌型に針状のポンチを打つ方法と、飛び出した針に工作物(ワーク)を載せて、凹んだダイを打つ方法である。

 日本では前者しか見たことがない。アメリカではどちらも使われている。炭水車の側面のように細かくリヴェットが並んでいるときには、ダイを細くしてその肩に成型したリヴェットをひっかけて次に送るという方法が用いられる。

 下から押し出す方式は板のそりが少ないという。しかし、筆者は下から押し出す方式はあまり使わない。

 テキサスの男が作ったのを持っている。70年代のMRに広告が載っているものである。アルミ合金製の比較的大きな装置である。この道具には、上からのと下からのと2方式のポンチとダイが数サイズついていた。

 ワークに卦書き線を入れて、針をその溝の中で滑らせながら打つ。打つ力を一定にしなければならないので、ハンマを持ち上げて落とす高さを一定にする。簡単な道具であるが、手順を守らないとよい結果は出せない。

 針状のポンチの形が大切で、円錐形というよりも針状に尖っていた方がうまくいく。祖父江欣平氏の押し出しリヴェットはレコード針で作られていた。雌型は鋼板に穴を開けただけである。焼き入れはしていない。レコード針は、昔はいくらでも手に入ったが、現在入手は難しい。特注で作ってもらっているようだが高いという。

2009年07月16日

ボールベアリングを取り付ける工具

face cutting bits 筆者の機関車にはすべてボールベアリングが装荷されている。既製品の機関車の軸は3 mmか5 mmで、それを加工してボールベアリングが入る穴を開けねばならない。
 既に空いている穴を広げるのは難しい。心がずれる恐れがある。祖父江欣平氏は、自作の座グリドリルでそれを行う。筆者も一本戴いたのがある。これがないとフライスで座標を決めて削らねばならずとても面倒だ。

 その座グリドリルを特注せよということになり、またもnortherns484氏に図面のお手伝いを戴いて、発注した。

 ブラス用なのでハイス製ではない。SK3という工具鋼製であり焼きが入っているからとても硬い。SK3はタガネなどを作る高炭素鋼である。鉄板でもよく切れるが、十分な油がないと、焼けてなまってしまう。

installing ball bearings with face cutter 先端のテーパが大切である。心を出しながら、ボールベアリングのインナ・レースに当たらない様に削る。もちろんシャフトも接触しない。この辺りの工夫がないと、ボールベアリングの意味が半減する。

 ボールベアリングが入っていると謳っている製品でも、この気配りがある物はほとんどない。

2009年07月18日

続 ボールベアリングを取り付ける工具

 counterbore bits  (3 sizes) これらが、今回の製品群である。届いたばかりで切削油が付いている。多少の汚れはご容赦願いたい。

 3 mmを5 mmへ、3 mmを6 mmへ、そして5 mmを8 mmへ広げる座グリドリルである。座グリドリルを英語で何と言うかは難しい。Seat Cutter とかSpot Face Cutter と言う言葉もあるが、どうやら       Counterbore Bit というらしい。

 小さいボールベアリングは、滑り嵌めによって取り付ける。17ミクロンの隙間を作り、そこに注油して押し込むが、決して無理をしてはいけない。アウタ・レースが変形する。油膜でぬるぬるとはまるのが正解である。

 このドリルも、所定の寸法+17ミクロンに作られている。先端部のテーパなどの細かい寸法は祖父江欣平氏に監修を戴いた。
 8 mmのドリルはシャンクを6.5 mmとし、小さいボール盤でもつかめるようにした。



2009年10月18日

US Hobbies Challenger その2

USH UP4-6-6-4 fireman's sideUSH UP4-6-6-4 engineer's side US Hobbies の時代は、Max Grayと何が違うのか。

 この機種はその過渡期にあるので、興味深い。祖父江欣平氏によると、その違いは車軸の太さであるという。MGは 1/4 inchでUSHは 6 mm軸であるという。フランジの高さはあまり違いがあるとは言えないそうだ。この軸は6 个任△辰拭また、ダイキャスト製ギヤボックスが取り付けられていた。 
 すなわち、Kemalyan氏の意向で、量産体制に転換したことがわかる最初の模型である。 

 さて、このChallengerの板は薄い。ボイラーも0.6 mm厚しかない。ハンダ付けは楽なはずだが、あまり上等ではない。100%流れていない。

 安全弁の数が多い。本物は5本だが、左右対称だと思って6本にしたのだろう。これはインポータが確認すべきことでKTMの責任ではないだろう。

 保護塗装がしてないので、表面はこれ以上錆びない位、錆びていた。酸で洗うと新品ではないかと思うくらいきれいになった。

USH UP4-6-6-4 front パイロットのステップが折れている。作って直さねばならない。下回りは油脂が固まっていたので、ギヤボックスをばらして溶剤で洗い、走り装置はマジックリンに漬けて超音波洗浄機で洗った。泥がスプーン二杯くらい落ちた。

2009年10月27日

祖父江欣平氏の死去

祖父江欣平氏 本日午前2時、祖父江欣平氏が亡くなった。87歳であった。35年以上のお付き合いを戴いた。(写真は本年9月撮影)

 KTMの下請けをされていたころ、酒井喜房氏の紹介でお会いした。あの出会いが筆者に鉄道模型人生の方向付けを与えた。それまでいくつか模型を作ってみたが、どうしようか迷っていたのだ。

 祖父江氏の手の切れるような仕上がりの模型を拝見し、進む方向は自ら定まった。何度か泊まりがけで指導を受けた。ヤスリ掛け、糸のこ、ハンダ付けのテクニックはいくつか伝授願えたが、とても足元にも寄れない。

 ハンダゴテを渡されて、「ほれ、付けてみろ。」と言われた。
「ハイ。」とやってみた瞬間、ブラスの角棒で手首をバチンと叩かれた。
「握り方が違うよ。そんな握り方でハンダが付くと思っているのか。こうやんだよ。ほらこうだよ。」ハンダゴテはすりこぎのように持たねばならない。それができるようになっただけでも、感謝せねばならない。

 いささか厳しいご指導ではあったが、おかげさまで、その後上達してなんでもつけられるようにはなった。ありがたいことである。

 3条ウォーム、ボール・ベアリング装備の件では、手法が確立され売上に貢献できたのはうれしい。一時は廃業も考えていらしたが、その後20年以上も営業できた。

 1985年には、アメリカにご案内した。多くの模型人を紹介し、クラブにもいくつか行った。その時撮った写真でBig Boyを作った。 一部の方とは、商売が成立し、アメリカに Sofue Brand が定着した。

Tom Harvey and Mr. Sofue in 1985 Big Boy の機関士だったTom Harveyの自宅に泊めてもらい、詳しく話を聞かせてもらった。その時の写真が出てきたのでお見せしたい。

2009年10月28日

続 祖父江欣平氏の死去

祖父江欣平氏 1997年7月27日 祖父江氏がKTMで働いていた時、Max Grayが日本にやってきた。

 1952年ころ、あるアメリカ人が、シェイの写真を持ってきたそうである。1枚だけでエンジン側だけであったそうだ。それを見せて、これを作れと言ったのである。反対側の写真もないのに、祖父江氏は作った。そのメカニズムがMax Gray を驚かせ、彼は日本に乗り込んできたのだ。
 そうして1956年より、怒涛のような輸出が始まった。アメリカにあったいくつかの模型メーカはたちまちつぶれてしまった。

 その件は以前にも書いた。祖父江氏は「俺がつぶしたんだ。悪いことをしたとは思っているよ。でも順番なんだよ。次は韓国、中国って決まってんだから。俺も飯の食い上げだよ。」

 祖父江氏は、事実上の日本の鉄道模型隆盛の基礎を作ったまさにその人なのである。しかし、このことは意外と誰も知らない。ほとんどの模型人はHOのことしか知らないので、その前のOゲージが中心だった時代のことは意識の外にあるように感じる。
 日本型は粗悪であったが、輸出用の機関車はすべて軸箱可動であった。そのほとんどが祖父江氏の設計、製作であった
 KTMの中に祖父江工房を持ち、すさまじい速度で製作していた。
 
「図面を持ってくる奴なんていねえんだよ。写真を数枚持ってきて雑誌から切り抜いた仕様書だけで作るんだ。いいものが出来るわけねえよな。」とはおっしゃったが、当時の製品は今でも通用する出来である。
「図面を持ってきたのはMax Grayが初めてだよ。」

「作ったのを取りに来て、KTMの社長と話をしているんだけどね、社長は俺のことを紹介しねえんだよ。作った本人が横にいるのにさ。」その悔しさはよくわかった。だから、アメリカを案内した時は、「この人こそ、KTMの大半の機関車を作った本人である。」と紹介した。祖父江氏は嬉しそうであった。

 その後、アメリカからの客が2人あった。直接工房に案内すると、驚く。
「こんな場所で作っていたのか。従業員は何人だったのか。」と聞く。35年前はパートのおばさんが5人くらい居たように思う。ジグを作ってそれに合わせて部品を取り付けて、ハンダ付けする。奥様も手伝っていた。

 テキサスの富豪は丸抱えで雇ってやるから引っ越して来いと言ったが、その話に乗っていれば、世界の模型界地図は大きく変わっていただろう。筆者もその世界に居たかも知れない。

2009年10月29日

続々 祖父江欣平氏の死去

祖父江欣平氏 2007年撮影 祖父江氏は実物のことを実によく知っていた。それもそのはず、もともと機関車や艦船の部品を作る工場(東京機器工業、のちのトキコ)に仕上げ工として勤務していことがあるのだ。
 祖父江氏の工房には国鉄の蒸気機関車についていた速度計がある。時計仕掛けになっていて、カチンカチンとある速度で針の示度が下がる。下から軸を回すとそれが針の示度を上げる方向に働く。二つが釣り合えば速度を指示することになる。
「これも俺が組み立てたんだよ。何回かばらして、組み直してあるよ。部品も作り替えたしね。中身は新品さ。」

 先日訪ねた時、「最近働けねえんだよ。朝飯を食うと眠くて寝てしまう。起きると11時だから、1時間しか仕事が出来ねえ。昼飯を食うとまた眠くて寝ると4時だろ。また1時間働いたらもう夕飯だ。この間までは1日8時間仕事をしてたのにね。」と、おっしゃっていた。
 85歳を過ぎても現役であった。かくありたいものだ。

 まだ、あれも作らなきゃならない、これをしなければならないとおっしゃっていた。
「最後にNYCのナイアガラの完全な模型を作る。これは誰にも売らない。棺桶に入れるんだ。」とおっしゃっていたが、図面と一部の部品だけで終わってしまった。


 古今東西の模型を分析し展開する能力は、単なる模型屋とはまったく異なる。工学的な素養があるからこその仕事なのである。
 長年のお付き合いの間に、筆者のアイデアもいくつか製品に組み込まれた。筆者の夢を叶えてくれる"神の手”を持った方であった。

 祖父江氏がいなければ、日本の模型界いや世界の模型界はかなり異なるものになっていたであろうことは想像に難くない。

2009年12月09日

続 SP5000

 以前、ある日本の書籍にSP5000は「最も成功した三気筒機関車」と紹介してあったが、それは正しくない。最も成功した三気筒機関車は、UP9000 4-12-2である。輌数で約2倍であるし、走行距離はけた違いに大きい。また動輪径も大きい。
 
 UP9000は原型を保って使用されたのは少ないが、SP5000は最後まで原型通りで使用された。SP5000はUP8000とほとんど同様である。実はそのUP8000はある程度出来ている。いずれお目にかける日が来るだろう。

 UP8000は10台しかなかった。しかも、面倒なメンテナンスを嫌って二気筒に改造され、5090という番号になった。それもなかなかよい恰好であるが、UP8000の無骨な形が好きである。三気筒の期間は短い。
 三気筒機関車は、動輪一回転の内のトルク変動が小さく、牽き出し時のスリップが少ない。すなわち勾配線区で好んで使われた機種である。

 グレズリ・ヴァルヴというリンク機構で中央シリンダのヴァルヴが駆動される。極めてうまい着想であるが、現実にはこのリンクの軸受はよくすり減り、ヴァルヴ・イヴェント(日本語ではタイミング)がずれて事故のもとになった。
 国鉄のC53はこの駆動レヴァに軽め穴を空けたので、剛性不足で余計にダメになったという説もある。この部分は剛性が最も必要とされる部分であるらしい。

 4-10-2と言う軸配置はSouthern Pacificと呼ばれている。UPではOverlandと呼んで対抗していた。
 4-10-2の改良型として4-12-2が作られ、Union Pacificと呼ばれるようになった。

 1970年代にカリフォルニア州パモウナの競馬場でSP5000とUP9000を同時に見た。SP5000は軽快であった。UP9000は、ただただ大きく感じた。
 いつの日かこのUP9000をスクラッチで作ってやろうと思っていたら、韓国製が出てしまった。2台持っている。片方は改造してBold Faceの、のっぺりした物を作ろうと思う。UP8000はさすがにどこも出していないはずだ。

 筆者の個人的な意見としては、祖父江欣平氏が存命のうちに、特製品でUP9000を作って欲しかった。そのつもりでかなりの量の資料を確保していた。吉岡精一氏にお願いして、半径1800个竜泪ーヴを回す時の計算まで準備していたのだが。

2010年02月04日

equalized と sprung その10

 ゴムの材質は何でもよいというわけにはいかない。油に耐えるゴムを探さねばない。自動車の部品でガソリンパイプと称するものはニトリルゴムで、素晴らしい耐油性があるが入手しにくい。
 パッキンとして汎用品の「Oリング」は大抵はクロロプレンゴムで、これもかなりの耐油性がある。適当な太さのものをホームセンタで購入し、切り刻めばよい。ゴムを切るのは、カミソリがよい。いわゆるゴム系接着剤はクロロプレンゴムなので、同種のゴムは接着しやすいことも具合のよいことである。

 緩衝性について述べてきたが、その必要性について、いまだに懐疑的な方は多い。何度も申し上げるが、比較をしなければその優劣について論じることが出来ない。
 筆者の実験では、緩衝装置の無い模型は、走らせるとやかましく、またすぐ壊れる
 バネは必要であって、なくても良いものではない。

 本物とは異なり、バネ下質量の問題が無視できるので、イコライザの上でも下でもどこかに緩衝装置があれば、実にうまく作動し、静粛である。

 いままで模型雑誌を見てきて、この件に言及した記事は一つもなかったのは残念だ。
 どの記事も、外見の精密さの見地からしか述べられていない。お飾りの模型ではないので、走行性能を上げようと思えば、それなりの工夫が要る。
 
 祖父江欣平氏の製作した模型は、全て重ね板バネを使用している。
「イコライザを付ければバネが要らねえって奴が居るのかい。冗談じゃねえよ。バネがなかったら壊れるってことを知らねえんだな。音の問題だけじゃあ、ねえんだよ。」

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2010年02月22日

イコライザの設計 その9

8-Wheel bucheye Truck equalizing 解答 8輪バックアイ台車の均等配分の図である。濃い青の桁に掛かる力が 2f になればよいので、1:1 が正解である。この比を守っていれば、端の部分(腕のように見える部分)の長さは自由である。すなわち濃い青の部分の長さも自由である。

 Buckeye社の方針は、軸のちょうど中間にバネを持ってくることである。先の6輪の場合も同じであるが、この方法を採ると大きなバネを効率よく収容することができる。したがって、実際の設計では青い桁の末端のピンは第2軸の真上にくる。
 この台車の自由度は極めて大きく、設計方針の賢明さには感銘を受けた。この模型の台車は、酒井喜房氏設計、祖父江欣平氏製作(1954年頃)である。

weight distribution 解答 さて、不均等な分配の例である。f と 2f の軸重を合わせると 3f になる。中間にはさんだイコライザの長さを 2:1 にするとうまくいく。

 この時、台車枠に結ばれている部分を剛性のあるテコにすると、そのどこに荷重を掛けると台車枠が転ばないかを調べる。中学校の理科の問題であるので、作図すればすぐにわかる。これが合力の中心であるが、台車をどんなに眺めてもその位置は見ることができない。この図で赤丸がその点である。

 その計算値は、何のことはない、下の概念図の赤いテコの 2:1 の点である。この赤いテコと上の複合型イコライザは全く等価であることが分かる。


2010年03月23日

続々 Chicago O Scale Meet

Clinic 4時少し前になると、館内放送で「午前中に行われた低抵抗車輪のクリニックは、過去のクリニックの中で最高の講演であったという評判です。再度の講演を行いますので聞きにいらしてください。」と伝えてくれた。
 これには少々驚いた。主催者が、クリニックの内容を主観的な表現を交えて伝達しているのである。

 二回目の講演では、より深く興味のある人たちが来ていて、自由闊達な意見交換が行われた。非常に良い雰囲気であった。他のクリニックをのぞいてみると、車体の外見上の改良とか、DCCの可能性というような、すでに何度も扱われている内容であった。鉄道模型の本質を突いたクリニックはこれが初めてだという評価を得た。

「雑誌に発表すべきだ。」と主催者側が言う。出版社を紹介するから会えと勧められた。実はModel Railroaderの副編集長のAndy Sperandeo氏には以前から連絡してあったので、会う日取りを決めているところであった。滞在中に連絡があり、シカゴを離れる前日にミルウォーキィで会った。
 クリニックでの講演をPower Pointを使って再現したところ、「大変面白い。すぐに原稿をまとめてくれ。」ということであった。
 25年前に祖父江欣平氏と訪ねたことをよく覚えていて、最近亡くなったことを伝えた。彼の功績の一部を話し、祖父江氏がいなければMax Grayが日本に来ることがなかったかもしれないこと、3条ウォームのギヤボックスの量産により、その後1000輌以上の機関車が "Free to Roll”になったことを話した。

 それも原稿にまとめてくれということになり、近日中には原稿を完成させることになった。

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2010年04月14日

Dick のこと

Dick Tomlinson Dick Tomlinson氏は筆者の最も古いアメリカの友人である。1970年頃のModel RailroaderDetroit Model Railroad Clubの紹介が載り、MR誌経由で手紙を出して以来の知り合いである。全米一の模型クラブの会長から頻繁に手紙を貰うのは、惧れ多いことであった。
 MRは筆者の手紙をすぐに転送してくれた。TMSとは大変な違いで驚いた。TMSは「記事の執筆者への手紙は取り継ぎません。」というメモを、筆者が同封した切手付きの封筒に入れて、筆者の手紙を送り返してきたのだ。

 その後、アメリカに行くことができたので、デトロイトに訪ねた。豪雨の中、遠いHollyの町まで筆者をレイアウトを見せに連れて行ってくれた。当時、ディックはデトロイト警察の刑事であった。家に泊めてくれ、奥さんのJudyには本当に良くして戴いた。その後、1985年に、祖父江欣平氏を伴って訪れた際、
Henry Ford Museumに連れて行ってくれた。ポケットにピストルを入れて。
「俺は警察バッジがあるからタダで入れるからな。俺は君たちの護衛さ。君たちはVIPだろ?」
「そこの警備主任は友人で、なんでも言うことを聞いてくれるよ。」という調子であった。

C&O Allegheny 2-6-6-6 at Henry Ford Museum 祖父江氏は、C&O Allegheny 2-6-6-6 の実物が見たかった。「どうしても確認したいところがある。煙室戸に付いているステップの表面の模様がどんな形か、写真を撮りたい。」と言う。
 ディックに相談すると、「訳ないことさ。警備主任を呼んで頼んでやるよ。」と答えた。

 現場に着いて、ディックが頼むと、その警備主任が付いてきてくれて、筆者に「登れ。」と言う。「大丈夫ですか?」と聞くと、「私が許可をしている。さっさと登れ!」
 筆者が屋根の上に立った瞬間、遠くの方から警備員が笛を吹きながら警棒を振りかざして二人走ってきた。
「直ちに降りろ!」
 筆者は撃たれるのではないかとひやひやしながら、「私は特別許可を得ている。」と怒鳴り返した。すると、「そんな許可があるわけない!この ass holeめ、降りろ!」と怒鳴る。アス・ホウルと言うのは最大限の罵り言葉である。
「反対側に廻れ。君たちの上司が居る。」と言うと、「がたがた言ってないでさっさと降りろ。さもないとぶちのめすぞ。」と言ったところで、警備主任が、「君たち、もういい。あっちへ行きなさい。」と促した。
 警備員たちは不思議そうな顔をして去って行った。

Allegheny's Step at Smoke Box Front その時の結果であるが、ステップはデッキと同じ模様であった。模型製作には上から観察した資料が必要なのである。そのときの調査のおかげで、筆者のコレクションには祖父江氏のカスタムビルトのアレゲニィが加わった。

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2011年07月19日

糸鋸の達人

DSC_1659 糸鋸のframe(弓)は何本も持っている。中学生のとき買ったものはネジが甘く捨ててしまったが、その他の物は今でも使っている。英国製の弓も良かったが、20年ほど前アメリカで買った弓が軽くて使いやすく、もっぱらそれを使っている。

 この写真の上は英国製らしいがアメリカで買った。少々重いのが難点だが、使いやすい。狙った方向に刃が向いて曲線切りには良い。下が米国製である。弓の一部がダイキャストであり、それがすぐ折れるだろうと思ったが、永持ちしている。価格は意外に安かったことを覚えている。当時の価格で10ドル強だったと思う。
 このダイキャストが軽いので驚く。マグネシウムでも入っているのではないかと思うほど軽い。ブランドはなく、ただ Made in USA としかない。 歳を取ってくると、少しでも軽いほうが助かる。人に勧めたいのだが、銘柄が不明なので検索しようがない。見つけたら買おうと思っているが、なかなか遭遇しない。

 刃はVallorbeである。この箱は10グロス(1440本)入りで、筆者が普通に使って10年分である。達人に使い方を習って折らないようにしているが、5秒で折ったりすることもあり、そういう時は別の仕事をして気を紛らす。達人とは伊藤英男氏のことである。先年TMSに平岡氏による紹介記事が発表されたので、ご記憶の方もあるだろう。

 伊藤氏によると「糸鋸の寿命は12分間」であるそうだ。「それ以上は持ちません。距離にして大体1200mmですね。」と仰る。「鋸も疲労するのです。どこにも引っ掛けないように注意していても、12分経つと自然に切れます。」と仰る。氏はおそらく生涯に何万本かの糸鋸を消費された上での結論であろう。伊藤氏はシァを使わないで、すべての直線を糸鋸で切るのである。
 伊藤氏は東京模型研究所という工房で船舶模型の一品物を製作するのを業とされた。生涯に約300隻作られたそうだ。戦後すぐ、カワイやカツミで特製品の製作をしていたと仰る。
 「その頃カツミに祖父江(欣平)さんが入って来られて、あの人にはとてもかなわないと思いました。それで船の方に行ったのですよ。」と当時を振り返られた。それはちょうど一品物の特製品の時代から、機械を使う大量生産に移り変わる過渡期であったのだ。「私は糸鋸とハンドドリルとヤスリだけしか使わないハンドメイドでしたから、祖父江さんのように速く作ることはできませんでした。」と述懐する。

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2012年07月06日

Kleinschmidt氏のコレクション

COM_4372-2COM_4371-2COM_4373-2 クラインシュミット氏はあちこちの模型ショウで出物があると買っている。最初に見せてくれたのはこのガーラットだ。
 縮尺は1/32位だろうか。妙に大きかった。30年くらい前に手に入れたそうだ。実物が狭軌なので、それをOゲージにするために全体を大きくしたのだろう。この手法は佐野衡太郎氏のガーラットでも採用されている。誰が作ったのかは分からないが、よく出来ていた。大きいので、Oスケール・レイアウトで走らせると、あっちこっちでひっかかりそうな感じである。要するにシーナリィが無い線路上を走らせていたのだ。

COM_4375-2COM_4376-2COM_4377-2 LobaughのC&NW Berkshireである。この機関車はかなり大量に生産された。筆者も持っている。組んで塗装してあるものは珍しい。しかもオリジナルのディカールが貼ってある。
 従台車の構造はオリジナルとは異なる。実物を摸した構造である。当初のデザインは側枠が独立していて、回転中心は無かった。これはその構造が気に入らなくて造り替えたものであろう。
 主台枠も後ろが絞られ、良く出来ている。テンダの床板が日本製のようにも見える。祖父江欣平氏の手法が見えるのである。
 一つの推測として、ロボゥのキットを祖父江氏が組み直したものではないか、と思った。1950年頃にはそういう仕事をしたことがあると祖父江氏から聞いている。その時のノウハウ吸収が、大きな転機となったそうだ。

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2014年08月08日

続 吉岡精一氏の死去

 吉岡氏は受け継いだトウガラシ畑からの一次産品を処理するだけでなく、中国での栽培も手掛けた。中国でのビジネスの厳しさを何度となく聞かせて戴いた。日本のトウガラシを持って行って栽培しても辛味が薄くなるという話もあった。
 家内工業から近代的な工場へと脱皮させ、大きく成長させた。工場を見学させて戴くと、吉岡氏らしい様々な工夫があることが分かる。

 吉岡氏の住宅も御自身の手による設計である。最初のお家も御自身の設計のすばらしいものであった。建築雑誌に載るほど洗練されたデザインであったのだ。ところが隣の病院の拡張により立ち退きを迫られ、代替地に選ばれたのは廃止された鉄道の駅の脇であった。
 庭は公園と間違えて入って来る人があるほど広く、素晴らしい。

 吉岡氏は東京生まれで、ちゃきちゃきの江戸っ子である。祖父江欣平氏の言葉を聞いて、「ああいう巻き舌の江戸言葉は久し振りに聞いたよ。」とおっしゃったのが印象的であった。お手持ちの全ての機関車の動力機構は、祖父江氏のところで三条ウォームに改装された。その時、祖父江氏は、「素晴らしい能力のある方だねぇ。あんな人が〇〇〇の社長だったら、日本の鉄道模型はこんな状態にはならなかっただろうよ。」と仰った。

 どの順番に繋いでもよい、互換性のある組立て式線路を設計され、筆者、魚田真一郎氏と土屋氏、そして吉岡氏で半径2900mmの複線を発注した。Oゲージだけでも合計3セットである。他にOJ用もあった。合わせると結構な金額になり、受注した木工所は張り切って作ってくれた。神戸の震災で潰れたものを除いて2セットが、今度の博物館の線路として利用される。
 この線路は、饋電線を内蔵したホゾ継ぎの高級仕様である。カントも付いていて素晴らしい出来である。ゴムを制震材として採用しているので、走行音が実に良く、実感的である。この音響効果については吉岡氏が10年以上かけて研究されたものである。

 イコライジングは理論だけでなく、様々な試みを実現したモデルを作られ、実際に走らせて挙動をテストされた。理論だけで終わらない実践家としての主張は、傾聴すべきところが多かった。

 ご自宅に伺うと、物理実験に使うような精密電流計、可変抵抗器、定電圧電源を並べて機関車の性能試験をされていたことが多い。旧来のモータ、ギヤでは効率が10%台であったのに、筆者の三条ウォームとコアレス・モータを採用すると50%以上もあることに、とても驚かれた。

 そこで「モータ調書」という論文をものにされた。コアレスモータの特性を順次測定され、目的別のギヤ比の策定をし、負荷が掛かった時の回転数の落ち具合を調べられたのだ。
 すなわち、重連をしても問題の無い組合せを探し出されたのである。現在はDCCであって個別調整が効くから意味が無くなってしまったが、DC二線式の時代には重要な意味のある論文であった。

 吉岡氏の口癖は、「客観的なデータを出せ。」である。それは筆者の仕事と重なるところも多く、様々な測定値を送ると、測定時の条件を必ず問い質された。

2014年11月01日

平岡氏の講演から学ぶこと

 平岡氏の工作技術はすばらしい。天下一品である。その秘密を知ることができた。
 
 いろいろな人から質問を受けるそうだ。
「長い間掛かって完成させるのは大変だと思います。どうしてそんなに気が長いのですか。」
 平岡氏は決して気が長いほうではないのだそうだ。ライヴスティームの機関車の完成まで二年以上も掛かる。その間気力を充実させる秘訣は、品位の高い部品を作ることだということだ。美しい仕上がりの正確な部品を作れば、次の仕事への原動力になるのだそうだ。
 確かにその通りで、ある。良い品を作ればそれが組合わせられる機関車を早く完成したくなる。

 昔、祖父江欣平氏がBig Boyを作られていたころ、何度かお邪魔した。凄まじい精度の部品をたくさん作られて、
「おい、これどうだ。」
と見せてくれるのだ。セーパー(shaper)を駆使して作られた、小ピラミッドを集積したステップなどをこれでもか、と見せる。
 その時、同じようなことを言われたのだ。
「世界一の精度の部品を作れば、それを組み合わせた機関車も世界一だ。こうやって部品ができてくると、完成が楽しみなんだ。寝ずにでもやりたくなるよ。」

 結局、発注元からの入金が途絶えても、自力で借金までして完成に持ち込んだ。経済的には成功したかどうかはわからないが、すばらしい作品が完成したのだ。その時の祖父江氏の嬉しそうな顔が目に浮かぶ。

 最近は筆者はスクラッチ・ビルドをしないが、再開する時があれば、この言葉を思い出しながらやりたい。

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2015年12月25日

機玄

114_4355 「機玄」という本を紹介したところ、その内容についていくつか質問を戴いた。

 この本は私家版で市販されていないのに、国会図書館にある。この本を西尾音吉氏が印刷され、いろいろな方に配った。TMSの山崎喜陽氏も受け取っている。当時のTMSにはこの話が少しだけ載っていた。その号を探し出せないのだが、「要するに総論は賛成で各論は反対」というような書き方だったと記憶する。

 機という字は「はた」とも読む。大昔は機織りというものは、世の中で最も複雑な器械だった。それから来ているのだろう。玄という字は人名で「はじめ」と読む人がいる。つまり機械の始めという意味だろうと推測する。せっかく書名になっているのだから、どこかに説明があると思ったのだが、その説明はない。表題の「機械美のルーツと機関車や機械を創る時の働き」を見て理解せよということらしい。

 模型は手で作れ、機械で作った模型より手で作ったもののほうが良い、と主張されている。これは達人の世界の話で、祖父江氏や伊藤英男氏のような方たちはそうだろうが、我々は機械で作ったものの方がよほど出来が良い。
 蒸気機関車の場合は手作業できれいに作ってあっても、走らせると悲惨な揺れを見せるものが多い。機能という点では機械で作ったものにはとても敵わない。精神論だけでは勝てないのだ。

 西尾氏は戦前に有名人であったので、筆者が若いころ、年上の著名人たちが、西尾氏を招いて話を聞いた。筆者はそこで末席に座っていたのである。2時間ほど持論を説明されたが、筆者には理解不能であった。他の方たちに聞いてみても、「あの人は戦前にはとても有名な人であった。」と言うのみで、お話の解釈については聞くことはできなかった。

2016年06月27日

Walker氏のこと その3

opentop hopper 井上氏はその図面を祖父江欣平氏にも見せている。だから、Oゲージの アレゲニィはよく出来ている。Max Grayの時代にしては、他の機種より数等、出来が良いのだ。
 祖父江氏は、そのお礼にOゲージのアレゲニィの鋳物、プレスで抜いた板を井上氏に差し上げた。その板や部品は長い間井上氏の押し入れに眠っていたが、ある時、
50-ft boxcar「もうOゲージを作ることは無いから、君が組めよ。できるだろ?」
と筆者に譲ってくれた。半分くらい組んだところで、祖父江氏が仕事が無い時期があったので、完成してもらった。そうしたら、
「鋳物の台枠なんて、気に入らねえ。厚板で作り直したぜ。他にも気になっていたところを、全部作り直しちまったんだぁ。」
と言った。それは完全にカスタム・ビルトと言えるものであった。そして、韓国で作っていた怪しいアレゲニィがあって、当時のメーカが提供してくれた鋳物部品のうち、正しいものだけを組み付けた。鋳物セットを貰ったので、それから選り出したのだ。半分以上は捨ててしまったが。動輪は砂鋳物でなく、鍛造品である。それを祖父江氏が挽いてくれたのだ。
 そのアレゲニィは筆者のコレクションの中で、最も価値ある機関車である。

livestock car さて、ライヴのアレゲニィであるが、井上氏は国鉄の工場の旋盤を使って主要部品を作り、自宅で仕上げをしていた。
 ウォーカー氏は時々寄って、ヤスリ掛けを手伝ってくれたりしたそうだ。そういう時には、
”For your family."
と言って、缶詰をたくさん持ってきてくれたそうだ。
「食べ盛りの子供がいたから、あれは助かったね。」

 蒸気の自在継手を球状に仕上げて、漏れないことを確かめたときは嬉しかったそうだ。  

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2016年09月02日

祖父江欣平氏の殿堂入り

 祖父江欣平氏を、O Scale Hall of Fameに入れようと、過去5年ほど動いてきた。その前の段階から考えると、もう10年もやって来たことになる。

 DavidはワシントンDCの弁護士で、この運動に力を入れてくれていた。今まで殿堂入りした人は、すべてアメリカ人だ。その点も難しいところであった。
 筆者は各地で何回か、祖父江氏に関するクリニック、”The man who built engines for Max Gray" を講演した。参加者はすべて、祖父江氏のファンになり、運動を後押ししてくれた。O Scaleのコンヴェンションをまとめる評議会で何度も話題になったらしいが、すでにその年の人選が終わっていて、難しかったようだ。
 ようやく、今年になって可能性があるという知らせをもらったが、決定を知らされたのは最近だ。日本人が、アメリカの殿堂入りをするということは、画期的なことであり、日本の模型界のみならず、世界に影響を与えた模型人という意味でも、我々模型ファンは深く心に刻むべきことであろう。
 写真を送らねばならない。良い表情のものを探している。
  
 これは、もちろん日本の模型雑誌でも発表すべきことである。さて、どんな扱いになるだろうか。雑誌社にコンタクトしたいが、先年コンピュータが2台ともクラッシュして、アドレスが行くえ不明になってしまった。 

2017年02月27日

祖父江欣平氏の生涯

 Kimpei Sofue OSRの最新号が出た。かねてより依頼のあった祖父江氏の生涯について書いた。いつか発表するつもりで祖父江氏の生涯について書いておいたものを、投稿した。1999年にワープロで打って、ご本人に修正して戴いたものだ。直筆での添削が入っているから、今となっては貴重なものである。博物館で保存する。

 英語訳は何回も書き直した。「もしこうだったならば、このようになっていただろう。」という仮定法過去完了の表現が必要であったので、堅苦しいがお許し願いたい。ほとんど書いたとおりに出てしまった。編集者による添削を期待していたのだが、そのままでよいということになった。

 "a stag at bay" という表現があるが、「いよいよ追い詰められた」という意味である。これは、過去の人生で2回しか使ったことが無い表現だ。この表現は編集者に褒められた。

 写真を探して、表情の良いものを選んだ。工場の様子はあまり生々しいものは避け、半製品が積まれている様子を載せた。
 14,000輌もの機関車を数人で作っていたのだ。ハンダ付け、小さな旋盤仕事などはアルバイトの女工さんがしていた。祖父江氏は彼女らに組ませるキットを作っていたのだ。この14,000という数字は、聞いた人が誰しも驚く数字だ。 


 編集者は、
「とてもすばらしい。読んで、ためになる。多くの人たちがこの話を喜んで読むだろう。もしこの歴史を貴方が書いてくれなかったなら、誰も知らずに終わってしまっただろう。」
と書いてきた。

 思った以上の反応でうれしい。

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2017年03月01日

Kimpei Sofue’s life  (1)

日本語版を発表してくれという要望が多いので、しばらく連載することにした。

     祖父江欣平氏の生涯

           マックス・グレイに機関車を作った男
 
 70年代の中ごろ、アメリカで見るHO、Oの機関車は、ほとんどすべてが日本製であった。日本で誰が作っているのか、全く見当もつかなかった。 
 日本に帰ってから、友人がHOのいろいろな製造所で機関車の図面を描いていたという老人を紹介した。(訳者註  椙山氏が酒井喜房氏を紹介してくれたのだ。) 彼曰く、「祖父江さんに会うべきです。その人がKTMのOゲージの機関車を作っている、まさにその人ですよ。」
 私は、たった一人の人がKTMのほとんどのOゲージ機関車を作っていると聞き、とても驚いた。Oゲージのみならず、その設計がHOの機関車にも使われていたという。私は東京の郊外の田舎にある祖父江氏の工場を訪問してみようと思った。

 彼の工場は小さく、6 m X11 m ほどの作業場であった。3台の旋盤のうち1台は中型、残りは小型である。足踏みプレスが2台、型削り盤が1台、縦フライス、横フライス各1台、足踏みシァ1台、コンタマシン(いわゆる縦型帯鋸)、ボール盤数台とタッピングマシン2台があった。一角には簡単な鍛冶屋をする場所があった。ほとんどの特別な刃物はここで自作して焼きを入れていた。一番大きな機械は湿式研削盤である。これは自製のプレス型を研削して平面にする装置だ。

 3,4人の女性が主としてハンダ付けをしていた。祖父江氏は彼女らに組み立てさせる”キット”を作っていたのである。もちろん奥さんも手伝っていた。私が彼女らのハンダ付けを見ていたら、祖父江氏は聞いた。
「あんたはハンダ付けはできるかい?」
「もちろんできます。」と答えたので、私がハンダ付けする準備をしてくれた。

「駄目だ。」と彼は長いブラスの棒(断面は 3 mm X 25 mm)で、私の手首をぴしゃりと叩いた。「そんなんじゃ駄目だね。」と、彼は肘を机の端に付ける方法をやって見せてくれた。(次ページの私が鋼製トラス橋をハンダ付けしている写真を参照されたい。)これが、強い圧力を掛けながら鏝先を正確に制御するコツなのだ。
 彼が言うには、ハンダ付けは温度だけではなく、圧力で出来るのだ。熱い鏝はたくさんの熱量を持ち、先端には平らな面がある。押し付けると、熱エネルギィは短時間にワークになだれ込むのだ。私は練習生で、彼は厳しい教官であった。私は彼のところによく通って、模型の作り方を習った。 

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2018年06月10日

O Scale West での講演 1

 今回の公演の演題は勝手に決められていて、
”Museum of Sofue Drive" であった。
「ちょっと待ってくれよ。祖父江ドライヴの発明者は僕なんだ。」
と伝えると、Rod の答は、
「確かにそうなのは知っているが、”Tad Drive" と言っても理解する人は居ないだろう。一言付け加えるから我慢してくれ。」ということになった。
 結局のところ、”Museum of Sofue Drive, by the inventor Takashi Daito”ということになった。これは非常にうまい言い方だと、感心した。

 今回の講演は60分から75分で頼むと言われていた。自宅でやってみると90分掛かるので、いくつかを削った。長すぎるといやになる人もいるので、面白い話題を10分ごとに入れて、気分転換をするようにした。動画はなるべく感動的なものを、と考えて撮った。

 3条ウォームの話から入った。3条ウォームはライオネルが採用しているから珍しいものではないということを最初に言った。そうでないと論点がずれる可能性があった。3条を採ったのは、工作の容易さ、効率の高さを考えたからである。
 1980年当時パソコンは普及しておらず、三角関数表と計算尺と電卓のみで3か月ほど掛かってグラフを作って検討した話は受けた。ウォームの進み角を増やすと多少効率が上がるが、18度以上はホブで切る場合、 tooling cost(異なる形状の刃物が別に必要になり、金が掛かること)の点で採用できなかったが、17度と効率が1%も違わなかったことを話すと、どよめいた。最高のものを求めたかったが、そんなに金を掛けないでやりたかったことを理解してくれたのだ。

 Model Railroaderに発表したら、世界中から手紙が来た話で、
「そのすべての手紙で、『歯車だけを欲しい』と言って来たのは、おかしな話だ。」と言うと皆笑った。いちばん必要な物は、精度の高いギヤボックスとスラストベアリング、潤滑剤、コアレスモータなのだ。そのことを書いて送ったら、誰も返事が来なかったと言うと、また大笑いだ。皆よく分かってくれている。
 実は日本でその3条ウォームをギヤボックス無しで付けた人もいて、動かないと大騒ぎであった。物の理屈を考えられない人に売るべきではなかったのだが、なかなか難しいことである。

  祖父江氏はアメリカからの受注がなくなって困っていたが、3条ウォーム化の改造を引き受けて生活を支えるというビジネスモデルは、非常にうまくいった。そして祖父江ブランドが確立されて、アメリカに浸透したのだ。この場面ではみな立ち上がって拍手をしてくれた。
「人を助けるために努力するというのは、大切なことだ。よくやった。」
 自己犠牲というのは、キリスト教の精神で、最も大切なものとされているらしい。
「祖父江氏は天才であったので、彼を潰すと世界的な損失だと思ったからだ。」
と言うと、
「あなたがいなければ、我々は19世紀のドライヴで我慢しなければならなかった。それをアメリカに紹介してくれて、我々は感謝している。Sofue Engines が紹介されたのも、模型界に大きなインパクトを与えた。」
と言ってくれた。これには筆者も感動した。 

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2018年07月22日

一次情報

 最近始まったブログ「米国型鉄道模型とモダンジャズ」は、興味深い。そのなかに、Don Drew氏の回顧録 Fit for a Kingがある。Drew氏はPFMの経営者であった。その感想は?と問われると、やや複雑である。英語を日本語に置き換えたことに問題はない。なかなかの名訳である。問題はその回顧録である。

 4,50年ほど前、朝日新聞に連載された”マッカーサー回想録”を思い出す。それを読んで、父や叔父は、「嘘が多い」と言っていた。回顧録は、自分の都合の良い方向に書いてあるのが普通である。失敗したことは小さく、成功したことは大きく書く。相手方の話も同時に読まねばならない。しばらく前に出た瀬島龍三の本などと照らし合わせると面白いのだが、そういうことをする人は少ないようだ。 
 
 さて、筆者は日本のブラスの歴史には少なからず興味がある。たまたまその最後の時期に日本とアメリカの両方の関係者に会っているので、その時の聞き取りメモ、録音を持っている。いずれまとめようと思っていたのだが、先週、Ug氏(日本人)が連絡してきて、知っていることを発表するよう促された。とりあえずこれに関連したことだけでも、発表しよう。

 最近はインターネットの発達で、あちこちを検索して、情報を得やすい。それを並べると、いかにもそれについて研究したような気になってしまう。それは二次、三次の情報であって、いずれAIが進歩すると、瞬く間に集めてくれる程度の情報だ。殆ど価値はなく、自己満足の範囲を出ない。

 筆者は一次情報 primary information にこだわる。一次情報でなければ価値がない。Tom Harveyの記事、祖父江氏井上豊氏伊藤 剛氏伊藤英男氏の記事を書いているのも、それらが一次情報だからだ。


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2019年10月17日

Sofue Drive

 1985年、3条ウォームが実用化された。 これを世界中に広めたいと、祖父江氏と筆者はかなり努力した。雑誌に発表し、現物を持ってアメリカ中見せて廻った。その真価は理解できるようだが、なかなか浸透しない。

 カリフォルニアのある富豪が、現物を見て目を輝かした。名刺を渡したら早速連絡があり、試しに一台送るから改装してくれと言って来た。

 それは1950年頃の安達製作所製のミカドであった。もともとは酒井喜房氏の設計である。この機関車は動輪がブラス製で、台枠は、t1のブラス板をプレスでコの字断面に曲げてある。軸距離は怪しい。しかもクランクピンがネジ留めであるから、クランクピンが緩みやすいし、磨り減りやすい。正直なところ、改装の価値がない劣悪な模型であるとは思ったが、祖父江氏が丁寧に直してドライヴを入れ替えた。

 それを送ったら、大変興奮して電話を掛けて来た。日本は深夜だったので驚いたが、その興奮はよく分かった。その後の彼の注文数は凄まじかった。300輌ほどの機関車を順次送ってきて、その改造で祖父江氏の生活は成り立った。
 大半はカツミ製(祖父江製)であったが、アメリカ製、韓国製もかなりあった。それらの改装のノウハウも掴め、順調に注文をこなすことが出来た。

 その後30年経ち、その富豪は亡くなり、コレクションが売りに出された。Sofue Drive付きだから、価格はすこぶる高い。しかしすべて売れてしまった。その後、筆者のところに、改装を依頼する連絡が届き始めた。祖父江氏の代わりをせよというリクエストが大きくなってきたのだ。
 本業の仕事を辞めて、そちらにシフトしようと思っていた矢先に土屋氏から博物館設立を頼まれ、Sofue Drive受注はしばらく中止となった。動輪リビルトの道具一式を揃えたのに、日の目を見ることがなくなった。

 しかし、今回あるきっかけで、既存の機関車を改装し、新製に近い形で完成させねばならないことになった。その第1号がこの4-8-4であった。今ボイラまでばらして、新しい缶胴を作っている。50年前の製品のボイラは、ばらさないと修正できなかった。煙室は新製である。キャブも新製である。
  
quartering jig 動輪嵌め替えジグを引っ張り出して、整備した。これはアメリカで普及しているタイプであり、日本ではあまり見ない。これを自作するつもりで、northerns484氏の親しい職人に部品を作ってもらっていたが、彼はあっという間に全体を完成させてしまった。これには驚いた。筆者はジグを自作した、と言いたかったのだが、有難いことに言えなくなってしまった。さてどんな構造であろうか。


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2022年02月20日

8-wheel Buckeye truck for Allegheny

 自宅の地下室の棚を整理している。長らく進まなかったプロジェクトを進ませるべく、順次引っ張り出して、工程を考えている。いくつか同時にやれば効率が良いからだ。
 地下室は20坪あるので、そこに置いてあるものは4トン車1台分くらいである。この一年で1/3ほど点検して、捨てるものは捨て、資源回収に廻すものは業者に持っていった。高校生のときに作った貨車、客車もかなり出てきたが、経年変化で捨てざるを得なかったので、地金として処分した。やはり、ブラス製は残るが、その他の材料は全て駄目であった。それを考えると、稲葉氏の客車群の状態は奇跡的である。 筆者は木工用ボンド(酢酸ビニル・エマルション)を使ったので、全て壊滅的な状態であった。エポキシは全く問題ない。
 
 1990年代、祖父江氏の仕事がなくなってしまった時期にお願いしたのが、このC&O 2-6-6-6 Allegheny である。プレスで抜いた板を井上豊氏が保管していて、それを戴いたものだ。主台枠の鋳物などはあったが、祖父江氏は自分の作ったものなのに「気に入らねえ。」と捨ててしまった。新たに、ブラスの厚板から切り出したものだ。シリンダ廻り、運転室の支持は、手が込んでいる。カスタムビルトの素晴らしい作品である。

8-wheel Buckeye truck テンダは自分で作りなさいということで、部品をある程度揃えてくれた程度だ。8輪台車の部品はあったが、肝心のイコライザがなかった。すぐ作るはずが、30年近く放置されてしまった。このイコライザは 3 mmの厚さである。快削材を削り出して作るのだが、寸法が大切である。誤差があると、動きが不自然になる。この写真撮影後、少し削って外形が変化している。

8-wheel Buckeye2 縦フライスで計算通りの穴をあけて、切欠きを付けた。それを切り抜いたのだ。イコライザの形は、力が掛かっても折れない設計になっている。この図は軸受等が異なるタイプである。図面は半分しかないので、反転して継ぎ足した。平面図もあるので拡大して見ている。素晴らしい設計だ。 
 ピンは何本か挽き出して、良いものを取った。余分なところにハンダが廻らないように注意して、目的部に完全にハンダを流した。滑らかに動き、強度は十分だ。

 この台車はある程度ひねられる可能性があるので、ボールベアリングは付けなかった。写真に写っている樹脂製の滑りの良いブッシュを入れ、シャフトは細いものを用いた。こういう時のシャフトは#2000で研磨しておく必要がある。素晴らしい滑りである。このテンダはとても重く、1 kgほどあるから、何も対策せずにブラスの鋳物に穴をあけただけでは、損失が大き過ぎる。

 祖父江氏は今から65年以上前に、この台車を作った。輸入者のMax Gray は、それを見せられて、驚嘆したらしい。それまでの台車は、全く可動しない、文鎮のようなものであったからだ。 

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