自動車
2025年07月04日
Revell の gas truck


しばらく前にテキサスのデニスがお土産にくれたものだ。消火器は銀色であり、箱絵はあまり正しくない。
これは1955年にRevell 社が売り出した製品だ。当時日本ではまだプラスティック・キットが無かったころである。これは古いものではあるが面白い設計がされていて驚いた。


筆者はトーション・バーには良い思い出が無い。1960年頃父が買ったトヨペット・コロナ(2代目)の前輪のサスペンションがこれであった。父は「スペースの要らない方法で賢い」と褒めていたが、一月も経たないうちに右が折れて、みじめな姿で帰って来た。
トヨタ自動車の友人に電話を掛け、怒っていた。ショット・ピーニングの不良だそうで、他にも複数の事故があったそうだ。トヨタはそれに懲りたのか、その後トーション・バ―を採用した車は出していないようだ。
2024年05月30日
アメリカの道を走る
テキサスの田舎道を走ると、その制限速度に驚く。2車線の分離帯のない道でも 70マイル/時である。これは時速110 km以上である。車線の幅は 5 mほどで、路側帯はそれと同程度の幅があるが、舗装されていない。その外側は砂漠のような畑である。このごろの車は車線をキープする装置がついているので安心であるが、対向車にもついている保証はない。大型トラックとすれ違う時は、さすがに怖い。

ところが日本で走っている車は全ておかしい。速度が7%多めに表示されるように作ってある。昔からある誤差の計算式によって許される最大の誤差をあらかじめ設定してあるのだ。107 km/時が表示されているとそれは100 km/時で走っていることになる。スピード違反しにくくなるからありがたく思え、ということでもなさそうだが、実に不愉快だ。高速道路の容量が7%減ってしまう。そのような権限は国土交通省にはない。
同じ車を日米で同時に走らせて日本の方が7%遅く走るように作られているというのは、どう考えてもおかしい。
2021年03月23日
続々々々々 アメリカ製の切断機

筆者はシァには興味があり、過去に様々なものを購入している。中国製のも買ったが、根本的に設計が駄目で、また精度が無かったので整備できず、始末した。今回はアメリカ製ということで、少々不安であったが、結果としては非常に良くなった。
この機械は、アメリカ製の製品によくある欠陥を、すべて持っていた。設計と材料と工作機械は素晴らしいのだが、クラフツマンシップが駄目なのである。すなわち、組立工の質が悪いのだ。筆者は昔アメリカに居て、それをいろいろなところで感じた。
例えば車である。アメリカの車は、実用機械としてはとてもよくできていて、信頼性がある。基本的な構成が正しいのだ。しかし、製造時のミスがあまりにも多い。一番腹が立ったのは、後輪のブレーキ装置である。グリスを入れずに組まれていて、錆びて固着し、引きずるようになってしまった。しかたなく抜き出して磨き、グリスを塗ってOリングを入れ替えると直った。
子供を乗せると、座席ベルトが締まらない。よく見ると左右逆で、裏返っている。あちこち点検すると座席の下から、アイスクリームの木の棒が出てきた。食べながら組み立てている奴がいるのだ。その他無数にあった。友人の車は走行中に運転席ドアが開いた。違う長さのボルトが使ってあった、というあり得ないミスだった。
日本製の車が評判を勝ち得たのは、こういうことが無かったからだろう。Bill Wolferは、"World’s Best Craftsmanship"と言って、日本車しか乗らず、Datsun 240Z を乗り回して絶賛していた。
しかし、手を入れていれば非常に調子が良く、筆者の車は20万マイル(32万キロ)を無故障で走った。隣人が車の整備を趣味としていたので、教えてもらって整備した。タイヤとエアフィルタは、10回近く替えただろう。
今回の切断機はそのことを思い出させてくれた。手を掛ければ素晴らしいが、そんなことなんかやっていられるか、という方には薦められない。
しかし自分で整備して高性能になったものには愛着が湧く。0.1 mmの板を、正確に繰返し切ることができるのは、素晴らしい。 (この項終わり)
2020年12月25日
自動操縦自動車

記事を読んで少々驚いたことがある。その中に松田恒久氏の名前が出て来る。TMS 3号に自動クラッチの記事を書いた人だ。今まで何回もこの模型を触っていたが、自動クラッチ付きであることを失念していた。ウォーム駆動だから動かないはずの車輪が軽く廻るのにそれに気づかなかったのだ。また、ディファレンシャル・ギヤも搭載されているし、3点支持で極めて滑らかに作動する。伊藤剛氏は車庫で手押しで動かせなければいけないと思ったらしい。


「松田さんのを改良しただけだよぉ、俺のアイデアではねぇからさー。」と辞退されたので、井上氏が作ったように紹介されている。祖父江氏は松田氏を知っているような口ぶりだった。井上氏の作例は小さいので、作動の確実性はやや劣った。祖父江氏のは2倍の大きさで、円周の外側に摺動子があって確実に作動するが、Oスケールの長大貨物列車を起動する時のショックに耐えるようにするには数度の改良が必要だった。最終的には、爪をS45Cで作り熱処理をしたが、滑らかな運転が出来る3条ウォームには、到底、敵わなかった。惰力が利くのは面白いが、快適な運転はできない。
下り坂で、重い荷物を積んだブレーキ無しの自転車に乗るようなものである。逆転すると瞬時に噛み合って急ブレーキが掛かるが、列車は脱線する。またその瞬間に、爪が噛む相手がヘタる。松田氏のように電車に付けて手押しを楽しむのは良い利用法とは思うが、機関車には向かない物である。
という訳で7輌ほどの試作で、双方向クラッチは廃案となった。摩擦の少ない車輛からなる列車を牽いて、勾配での運転をしない人には分からないのだろうが、実用性は無いと言うべきだろう。
この件は以前にも書いたが、この双方向クラッチは珍しいものではない。陸軍の手廻し発電機にも、これが搭載されていたと、亡父が言っていた。よくある工夫で、特許にもなっていないようである。これを高く評価するのは間違いだそうだ。
2020年08月11日
セレン整流器の耐圧
鉛蓄電池の充電での最高電圧が2.26 Vであるから、その6倍で13.6 V、電圧降下分2 Vを足すと15.6 Vである。交流が正弦波であれば、電圧の最大値は√2倍で22 Vとなり、許される最大電圧に近い。6 Vの車の時代が長かったが、それは亜酸化銅整流器の耐圧とも関係があるのかもしれない。しかしその頃はジェネレータの時代で、直流発電をしていたから、因果関係は希薄だ。現在はオルタネータで、三相交流発電である。ばらすとダイオードが6個付いている。
最近の車には12 V でない車が出て来た。48V車である。トラックはしばらく前から24 Vである。PHVでは数百 Vであるが、主回路に異常が起きた時には切り離され、非常用クランキングは補助の12 Vバッテリィで行って、ガソリンのみで家まで帰れるようになっている。直流の48 Vは感電の可能性がある電圧だ。汗をかいていると危ないと思う。
我々が楽しんでいる鉄道模型の電圧が自動車用の充電装置から決められたものであれば、その起源はやはりセレン整流器の耐圧ということになる。実験室で使う直流電源のことをエリミネータと言っていた時代がある。これは battery eliminator のことであり、鉛蓄電池が無くても通電実験ができる装置という意味であった。出力はAC16 V、DC12 Vであったものが多い。これがパワーパックの原点である可能性は高い。
電圧は直接目で見えるものではないから、様々な素子の性能で決まったものが多いのは、歴史的事実である。例えば 1 Volt という電圧は、初期の実用電池であるダニエル電池の電圧で決められたことは、意外と知られていないが電気化学史上の事実である。一方、真空管のヒータ電圧12.6 Vは、鉛蓄電池の6個直列満充電時の電圧であることは有名である。
現在はシリコン整流器が常識である。これは電圧降下が小さいので、発熱も小さく効率が高い。また耐圧が250 V以上あるものが大半で、既にそういうことを考える必要はほとんどなくなってしまった。
筆者は、高校生の時にシリコンダイオードを初めて手に入れた。12 A規格の製品で、放熱器にネジ込んで使うタイプだった。当時は高価で、4つも買えなかったから、トランスをセンタータップにして、ダイオードを節約した。耐圧が大きいからこそ、できるのである。セレンでは2段にしないと壊れる。即ち、その枚数はブリッジ接続の枚数と同じになってしまい、ダイオードの数の節約はできないわけだ。それに比べれば、センタータップとシリコンダイオードの組合わせでは、はるかに効率が良くなることを知って、感動したことを覚えている。
セレンより電圧降下が少なく、さらに半分の数で済んだから、DC出力電圧が高くなった。また放熱器は大きいものを作ったのに、全く熱くならなかったので拍子抜けした。きっと熱くなると思い込んでいたのだ。
センタータップ方式の電源を鉄道模型に使った例は、国内ではまず無いだろうと思う。
この電源を用いたトランジスタ・スロットルを椙山氏のところに持ち込んで披露した。国鉄の電気技師のH氏が操作してとても気に入り、椙山氏のレイアウトの4台あるキャブを、全て作り替えた。但し、シリコンダイオード・ブリッジを採用した。
〔追記〕 セレン整流器は徐々に進化し、その終末期には耐圧が36 V以上に達したようである。また電圧降下も小さくなっているそうだ。そうなると18V車が可能になるが、 シリコンダイオードが普及すると同時にオルタネータが標準装備されて、ブリッジ接続のセレン整流器は姿を消した。8/16/20
2019年12月11日
inspection car

アメリカでこの種の車を見ることがたまにあるが、非常に大きな接地ブラシが付いている。たいていは前後左右に4箇所ある。それは信号装置による検知を確実にするためだ。左右のレイルを跨いで鉄車輪が載っているが、軽いし、多少錆びているから、電気の導通が良くないかもしれない。だから、銅の太い平編み線で作ったブラシをネジとバネで押えている。
Inspection を巡察としたのは、初期のTMSである。日本の鉄道模型界では巡察車で通っている。どうして巡という文字が入ったのかはわからない。視察とか検査と訳すのが普通だと思う。巡察を英語にするとpatrol であろう。
昔見たのは、UP色の黄色であった。屋根上に赤の大きな警告灯とサーチライトがついていた。作ってみたい。小さな車輪を挽かねばならない。径を揃えるのは大変である。1/100に拘らなければ簡単かもしれない。サーチライトと人形の首が連動して動くようにしたい。やりたいアイデアはいろいろある。
2018年02月17日
constant velocity
CV joint 等速継手というものは、30年ほど前から生産量が格段に増えた。いわゆるFF自動車がたくさん売れたからだ。FFは、50年ほど前は、国産ではスバル1000という車ぐらいのものだった。友人の父君が乗っていて、乗せてもらうと水平対向の独特な音だった。BMW のオートバイの音である。バックでステアリングを切って坂を登ると、切れ過ぎる方向に行くとのことであった。一方、四日市の椙山氏はシトロエンに乗っていて、これまた陸上の乗り物とは思えない乗り心地であった。
これらの車には等速継手が使ってあった。ステアリングを切っても駆動軸の回転と車輪の回転が完全に一致した。即ちステアリングに何ら振動が伝わって来なかった。その後、筆者はスバル・レオーネに乗っていたことがあるが、12万キロも乗ると等速継手が摩耗して、ステアリングを切るとカラカラと音がし始めた。
80年代になるとトヨタ、日産も大量にFFを売り出し、FRをはるかに凌ぐようになった。等速継手の材料、工作技術、潤滑が進歩し、耐久性が飛躍的に向上したのだ。今乗っている車は15万キロをはるかに超えているが、ステアリングは新車同様の切れ味で、全くガタがない。進歩したのだ。
この頃はステアリング・ホィールいわゆるハンドルの軸の曲がっているところにも使われている。昔は、エンドウの継手で言えば、ABAまたはCBCのタイプを使っていたが、これなら軽くできるからだ。もしこれが不等速継手であると、カーヴを曲がるときに非常に奇妙な感じがする筈だ。ガードレイルを擦る人が増え、人身事故も大幅に増大するだろう。そういう点でも、等速であるということは大切なことだ。
ユニヴァーサル・ジョイントを単独で使うと、何が起こるのだろう。角速度が変化するのだ。二つ組合わせてその変化量を打ち消させると、出力軸は入力軸と等速になる。もちろん中間軸は速くなったり遅くなったりする。伊藤 剛氏の解説によると、
「中間軸は細くて軽いものですからね、速度が増減しても、殆ど問題は起こらないんですよ。でもね、出力軸の角速度が増減すると、人間が乗っていますからね、激しい振動が生じれば乗り心地が悪くて困ってしまいます。もちろん出力軸が入力軸と平行でなければ多少の不具合は起こりますが、工夫をする前と比べたら大幅に緩和されていますよ。
中間軸が高速で廻れば、問題が起きるでしょうから、そういう用途には向きませんね。別の等速ジョイントを使うでしょうね。その辺は経験に依りますな。それを使わなくてもね、最近はそういう角速度変化を吸収する継手があるのですよ。強化したゴムでできています。それが付いていると、高速回転での振動が大いに軽減されるんだそうです。」
という事であった。

この角度が小さいときは、α≒β だから、等速と近似できるだろう。振れる量を小さくしようと思ったら、キングピンの位置をジョイント側に近付けるべきだ。もちろん荷重を負担するものを、台車中心に付けねばならない。
このyoutubeをご覧戴きたい。中間軸の不等速を、カードを押し当てて発生する音で分かり易くしている。非常にうまい表し方だ。模型とはいえども、こういうことを知っていないと、よく走る模型はできない。
2015年09月16日
続 truss bridge

この橋は緑色だ。一般的には、橋の色は黒、銀、暗赤、緑の4色が大半だ。これは褪色しにくい顔料の種類がこれぐらいしかないからだ。 緑は昔からクロムグリーンが使われた。三価の酸化クロムで極めて安定な化合物だ。黒板塗料として、現在も使われている。毒性はない。硬いので、金属を磨く時に使う。緑棒などという名で売られている。
最近は銅フタロシアニン化合物を使う。これも極めて安定で、褪色しにくい。


遠くから見ると普通のトレーラだ。

よくできていて、ドアを開ける時に簡単に畳めるようになっている。前方はかなり流線形になっているし、側面のスカートも多くなってきた。残った問題は後部の渦だったので、これはかなり売れているようだ。
20台に1台は付けている。
しかし日本では車輛の長さが決まっているので、これを付けることは違法かもしれない。赤い旗をつけてもダメなのだろうか。尤も、日本では最高速が低く制限されているので、付けても効果が薄いということもあって普及しないだろう。
追記
最近のニュースで、メルセデス・ベンツが80 km/hでは車体の後部が伸びて空気抵抗を減らすモデルを発表したそうである。
2015年08月11日
Rentacar
よく使う会社の上級会員になっているので、予約しておけば、電光表示板に名前が出ていて、その番号のところから乗り出すことができる。会員の出場は非常に簡単で、免許証を見せればたちまち遮断機が開く。

後ろのドアの断面が変わっていて、窓の下に角がある。サイド・ミラで見ると飛び出していて、バック運転の時の基準を失わせる。妙な設計である。機能を重視していない。
アメリカ国内用のGPSを持っているので、出発前に行き先を打ち込んでおけば大変楽である。走っている途中でも、腹が空けば、最寄りのスーパ・マーケットを教えてくれる。まず安いボトル入りの水を大量に買って、スタートした。
ロス・アンジェルスで用を済ませてから、アリゾナに行った。そこまで、あちこちの鉄道施設の写真を撮りながらの移動である。Tucsonは2回目である。25年前、トゥーソンは田舎町だったのにかなりの都会になっている。
この辺りだけには、saguaro (サハロと発音)がたくさん生えている。日本人にはこれがサボテンのイメージだが、本当は非常に限られた地域にしか生えていない。
友人に会った。どこかお勧めのところはないかと聞くと、航空博物館があるという。第二次世界大戦の飛行機がたくさんあるというので、行ってみた。入場はシニア料金で入れて助かったが、寂しくもある。
2014年09月19日
続 デザイン
「でもアメリカは高級車でも4年で新型ですね。」
「そうだ。あの国はそういう国だ。日本はそれをまねしたのだ。」
バブル以前はその種の高級車に乗れる階層はとても少なかった。しかし今は小金持ちが増え、S classなら買えるのだ。すなわち大衆車に近づいたと言える。最近のサイクルは短くなっている。
それでは王侯貴族しか乗れないような車はどうだろう。Rolls-Royceなどのモデルチェンジは少なかった。20年は形が変わらない。これはその形が変わる必要がないからだろう。Phantom VIなどは今でもその形が目に浮かぶ。車輌のパーツ全てが意味をもち、機能している。無駄なものはない。
日本でも、日産のプレジデントやトヨタのセンチュリーなどのモデルチェンジは少ないし、前とそれほど形が変わるわけでもない。この種のデザインは良く出来ているのだ。眺め廻しても突飛な造形はひとつもない。しかし、 これを縮小して大衆車にすると売れるわけではない。大衆は突飛なデザイン、すなわち陳腐化するデザインを好むと言える。そのあたりの匙加減がとても難しい。土屋氏は、それをいともやすやすと、やってのける。車名は書けないが、ベストセラーになった車は多い。
20年持つデザインは鉄道車輌のそれである。自動車より寿命が長いので、より簡潔にまとめられなければならない。そういう意味では新幹線の0系のモデルチェンジはいささか遅すぎたのである。100系にしても、単なるマイナーチェンジであって、すぐ陳腐化した。
300系は優れたデザインで20年持つと思われたが、異なる事情で早期引退してしまった。その後の新幹線車輌は、デザインではなく、空洞試験とコンピュータ解析が形を決めている。土屋氏が鉄道から手を引いた原因はそこにあったようだ。
「人間の感性など要らなくなったのだ。」
と心情を吐露された。
20年以上の寿命を持つ鉄道車輌が多いので、土屋氏は前頭部を取り換えられる様にしていた。
「もう前頭部は作って渡してある。」とおっしゃったが、取り換えられる気配がない。
鉄道会社の社長が口を出してきて、駄目になるケースもあるようだ。社長は素人である。デザインのことが分かるはずもないのだが、色を変えろなどと言って来るそうだ。色と形が組になっていることを理解できないのである。こういうことを許す会社は日本には多い。逆に国鉄時代はそんなことが全くなかったらしい。デザイナーの意見が尊重されていたのだ。
話題の列車も、素人の社長がデザイナーを気に入っただけのことであり、そのデザインの良さを見抜いたわけでもない。このデザイナーは内装デザインが本業である。デザインの本質を理解しているようには見えないのだ。
車輌は中も外もごてごてと飾り立て、出来た瞬間に陳腐化していると感じたのは筆者だけだろうか。
<多忙のため、10日ほど休載します>
土屋氏のデザインした車種の問い合わせがありますが、その種の質問には一切お答えできません
2014年08月20日
続 Lost Plastic Casting
指をクロスさせたおかげか、仕上がりはまずまずであった。ボディ表面には目立った瑕疵は見えず、つるりと仕上がった。簡単な下廻りと良く効くバネを仕込めば、出来上がりである。最近は小さなデコーダもあるので、ありがたい。
Inspection Vehicle の実物写真を見せると、Dennis もかなり気に入ったようだ。小さい車輪を探さねばならない。あるいは旋削して自作することになるだろう。
同時にTamiya の2-1/2トン 6輪トラック や バンダイのジープもブラスに置き換えた。6輪トラックもレイル上を走るようにしたい。実物の写真もある。
ジープは積荷であって可動にはしない。 6輪トラックのキャブはきれいにできたが、荷台はざらざらだ。同じ埋没材を使ってもこんなに差が出る。違いは何だろう。Dennis は、「うまく行ったのは灰色だ。緑のプラスティックは駄目になった。」と言ってウィンクした。
これはjokeで、実際には、灰色のブルドーザもあまりうまく行っていない。火山の噴火で埋まったのを掘り出したかの様な状態である。積荷としては失格である。積荷は新品であろうからだ。トラックの荷台は板から作り出す予定だ。簡単に出来る。ぼろ荷台はジャンク置き場に捨てた状態にするしかないだろう。 プラスティック・モデルを組んでから持ち込むと、検査を受けて、あちこちを切り開くように指示される。
例えば燃料タンクは内部に空間があろうから、それを外部とつながなければならない。タンクの下側に孔をあけて、四角に切り取り、内部まで埋没材が浸入できるようにする。内部が完全に独立した空間なら良いが、接着がまずくて隙間があると、そこに埋没材が浸入し、あとで取り出すことが不可能になる。また、独立空間はブラスに置き換わるが、質量測定の時に空間分の金属量が算入されないので、熔融金属が足らなくなる可能性もある。今回は完全に下側を切り取って持っていたので、すんなり検査に通った。エンジンブロックとか、色々な塊に孔をあけて削り取った。
これらは、正直なところお遊びの域を出ていない。手間を掛けてもビジネスにはならない。成功確率は1/2を大きく割り込むだろう。Staff Carが成功したので、それだけで筆者は満足した。
その他のロストワックスは台車部品で、かねてから依頼してあったものだ。
2014年08月18日
Lost Plastic Casting
今回のテキサス行きは2年振りであった。その間にDennisはロストワックス工房を廃業した。あまりにも注文が多くて、自分の好きなことができないというのが、その理由である。
全部やめてしまうのかと思っていたら、「自家用の鋳造装置は残したから、好きなものを持って遊びに来い。」と誘いがあった。 ワックス型を作って持って行こうと思っていたのだが、例の博物館の方が忙しくなり、間に合わなかった。
数年前に買ったTamiyaのStaff Carをブラスに置き換えたかった。このプラスティック模型を作ったのだが、ボディ・シェルが薄過ぎて、持つと撓むのが分かる。触らなければよいのだが、筆者はこれを動力化したかった。 故鹿ケ谷氏の訪問記に同時代の Inspection Vehicle がある。これを作りたいのだ。バネをよく利かせて、ぐわぐわ、ゆらゆらさせたい。それには、どうしても重い車体が必要となる。補重した車体は、丈夫でないと持った時割れてしまう。
そういうわけで、ブラス置換がどうしてもやりたかった。
プラスティックはロウとは異なり、加熱焼成するときに膨張し、型が割れてしまう惧れがある。Dennisは、「うまくいくかどうかは分からない。指を交差させて幸運を祈るんだな。」と言う。
指を交差させる (crossing fingers) とは、人差し指と中指を、交差というよりも捩った状態にすることである。彼は鋳造時には両手ともそうして、さらに腕まで交差させて、「うまく行きますように!」と唱えた。筆者も唱和した。 フラスコの底部に入れ、より圧力が掛かるようにした。12時間の焼成での温度上昇を緩やかにし、型が割れないような配慮もする。全てに亘って最深の注意を払って、なおかつ成功確率は1/2以下だと言う。「失敗しても、文句言うなよ。」ということであった。
型が割れると、細かいひびが全面に入る。
2012年12月24日
Road-Rail Vehicle



シアトルに戻る途中でRoad-Rail Vehicle(軌陸車)を見た。高速道路のパーキング・エリアに停まっていたのだ。この種の車はHi-Rail Carとも言う。Highway-Railroad Carの略だ。綴りはいくつかあるようで、Hy-Railというのもよく見る。模型の世界でハイレイルと言うと、ライオネルに代表されるハイフランジでブリキレイルの上を走るトイ・トレインを指すので、初めはそれと勘違いしていた。
UPの車で、前後の誘動輪がゴムタイヤであったのは少々驚いた。おそらくサスペンションを省略するためであろう。フランジは金属製であるがトレッドはゴムである。電気が通らないので、閉塞信号を作動させるために大きなブラシを持っている。スティール・ワイヤを切ったものを3本まとめてレイルを摺るようになっている。電線が出ているから、その解釈で間違いなかろうと思う。ゴミが絡まっていて見えにくいが、レイルに対して直角に当るようになっている。
駆動力は道路用のゴムタイヤがレイルに接触しているから、それが機能する。4輪駆動だから十分な牽引力もあるだろう。



2012年05月25日
2012年05月23日
2012年05月21日
Indianapolis の自動車博物館

以前にも行ったが、その時間が遅く、博物館が閉じた後であったので、今回出直した。



博物館の内部には歴代の優勝車が展示してある。40年位前の車は左右の車軸長さを変えていた。一方向に曲がるレース場であったからだ。しかし、最近はそのようなことはなく、左右対称の車ばかりである。
2012年05月05日
借りた車


空港に到着して案内バスに載って営業所に行くと、自分の名前が電光掲示してある。その番号の場所に行けば、借りるべき車がトランクを開けて待っている。スーツケースを放り込んで出発である。今回の車はスバル・レガシーであった。全くの新車で、走行距離は4マイルであった。たまに新車に当たるが、これほど少ない車は初めてだ。今までの経験では約100マイルというのがあった。




正直なところ、4輪駆動車は降雪時以外歓迎しない。燃費が悪いからだ。今回1600マイル(約2500キロ)走っての平均燃費は31マイル/ガロン(12.9 km/L)である。これはカタログ通りであった。しかし、同程度の2輪駆動車なら15 km/L 位走るはずだ。
この車は常時その瞬間の燃費が表示されるので、走行中それをよく見て経済運転に徹した。面白いのは、トップギヤを選んでいると燃費が良いことである。これは意外であった。
高速道路で、かなり急な上り坂であっても、ギヤをシフトダウンせず、トップのままアクセル開度を大きくした方が低燃費である。どうやら燃料消費量は回転数の影響が大きいようだ。この車はオートマティックではあるが、ギヤを手動選択できるので、このような実験が簡単に出来る。今までシフトダウンを許す運転法をしてきたのは間違いであった。
色々な速度で運転したが、67マイル/時(107 km/時)での燃費が最も良かった。日本では60 km/時での燃費が良いと信じられているが、どうもそうではなさそうだ。もちろん、この車の燃費表示が正しいという前提の話である。70マイル/時 (112 km/時)でもそれほど変わらなかったが、それ以上では徐々に落ちた。
日本の車の高速道路での燃費設定は100km/時であるらしい。それを超えると急速に悪くなる車が多い。今度開通した新東名では制限速度120 km/時になるという報道が多かったが、それが実現していたら、燃費の悪化に愕然とした人が増えたかも知れない。筆者の持っているドイツ車は120km/時での燃費が最も良さそうである。
2010年10月29日
続々 Feather River Route を走る

この辺りの橋は、余部の鉄橋とほとんど同時期に作られた。設計手法も類似しているから、製造所もほとんど同じであろうと思われる。山中の塩分の飛んで来ないところであるから、全くと言ってよいほど錆びていない。無塗装でも十分持つのではないかと思う。


当初はこの写真で言うと右向きの線路だけがあった。その後左向きの線を敷くとGreat Northernへの連絡線になるので、その鉄橋を作った。さらにこの写真の向う側の山の中にトンネルを掘って、デルタ線にしてしまった。しかし、トンネル線は、長大列車が通っているかどうかは疑わしい。どちらかと言えば非常用の線のような気がする。このトンネルを通る列車の写真・動画は少ない。



この辺りの道路は起伏が激しく、ガソリンの消費が多いと思ったのだが、今回借りたレンタカーはカムリ・ハイブリッドであった。下り坂で回生制動して蓄えた電力で次の上り坂のエネルギを賄うので、極端に燃費が良かった。シアトルからLAX空港までの2600kmを1回の給油で走り通した。
帰国後欲しくなってクルマ屋に聞いてみたところ、国内販売はしていないという。
2008年08月04日
Texasの旅

この夏に2週間の休暇が取れることが分かったので、思い切って行ってみたという次第である。
Texasは過去二度行ったことがある。しかし2週間も同じところに居たのは初めてで、様子がよく分かった。Texasは広く、場所によって気候が全く違う。
DFW(ダラス・フォートワース空港)からレンタカーに乗ってひたすら西に向かい、時差ぼけで眠りそうになるのをこらえながら3時間でAbileneに着いた。アバリーンと発音する(太字を強く発音する)。昔は南部から追い上げてきた牛の群れをここで貨車に載せ、シカゴに向けて送り出したのだ。全てがその目的の町で、家畜業者以外、誰も住んでいなかったという。
1881年のTexas and Pacific鉄道の開通以前は、カウボーイたちがカンザス・シティまでさらに1000キロ近く牛の群れを追っていたのである。
ここはWest Texasと呼ばれる高地で乾いた地域ではある。しかし、多少の降水があるらしく潅木に覆われた地域である。水道は池の水を使っているから、季節により多少臭いことがあると言う。飲用水は特殊なフィルタで漉して使うようにしていた。
現在は人口12万位の小都市である。郊外には広大な空軍基地があり、デニスはそこでB-1に乗務していた将校である。壁には"Captain”と大書された現役時代の写真が貼ってある。健康上の理由で退役したのだそうだ。小型飛行機も持っていたがそれも売却し、今は2002年型マスタング・コブラだけに乗っている。 いつも車庫に入れているので、新車のようにぴかぴかである。
2007年03月10日
長らく休載しましたが本日より再開します。

個人的な用事とは運転免許の更新である。昔とった免許を中断せず保持し続けているのにはいくつかの理由がある。
まず、アメリカ国内での「信用」である。レンタカーを借りるにせよ、ホテルに泊まるにせよ、いくつかの場面で要求される。パスポート、国際免許でも用は足りるが、信用度が全く異なる。自動車保険でも、アメリカの免許と国際免許では料率が異なるはずである。
五年ごとに更新だが、一回だけは郵便で可能で、十年に一回は必ず本人出頭が求められる。
更新のたびに条件が厳しくなり、今年は場合によっては無理かと思ったが無事通過した。10年前には外国人であってもSocial Security Number国民総背番号が必要とされ、わざわざその申請をして、大変な時間が掛かった。今回は9.11テロ以降初めてのことであり、外国人には大変面倒なことになると思っていたが、意外にすんなり通った。写真は新しい免許証だが、偽造の助けにならないよう色を換え、解像度を極端に落としてある。
一番最初に運転免許を撮ったときのことを思い出す。どうしたらよいかわからなかったので、とりあえず試験場に電話してみた。すると、
「自分の車に乗ってきてください。」と言う。「免許が無いのですが、」と言うと、「運転できるでしょ。」と言う。
「それはできますが、運転していいのですか。」と聞くと、「もちろんOKだ。もし警察に捕まったとしても、『今から運転免許試験場に行くところだ』と言えばよい。」
「そんなバカな。事故を起こしたら困る。」と言うと「それなら今から保険屋に行きなさい。車を買ったから保険に入りたい。免許はない。今から取りに行くと言えば良い。」
保険屋でその通り話すと、「はい結構です。」と言う。半信半疑で試験場に赴いた。法規の問題を渡された。解かねばならない。当時の筆者には難解な法律用語がいくつかあって意味がとりかねた。
試験官に「私は外国人で英語の難しい言葉が分からない。辞書を使っては駄目か?」と聞くと、"That's a very good idea"(それはいい方法だ)と言う。
<この項続く>