アメリカの鉄道

2025年02月26日

Santa Fe の Texas 

ATSF 2-10-4 (2) この機関車は大きい。ボイラの大きさは煙室部分を除けば Big Boy とそれほど違わない。片手で持ち上げるのは難しい。これは祖父江氏の設計・製造である。このジャンク品をアメリカで極端に安く手に入れた。キャブとテンダがつぶれたものを手に入れたのだ。修理は難しくなく、よく走るようになったが、キャブ内が作ってないのでそのまま20年経過した。  
 この機関車は祖父江氏のお気に入りで、「上手く出来た。」と自負していた。
「このでけぇ機関車が、どういうわけか知らねぇが急カーヴを曲がるんだよねぇ。1200Rでも通っちまうんだよ。面白ぇもんだよねぇ。」と言った。
 テンダを作り直している最中に代わりのテンダをアメリカのジャンク市で見付けて購入した。この機種のテンダはかなり大量に輸入されていたらしく、あちこちで見たし価格も安かった。買ったと祖父江氏に伝えると、 
「テンダなんて箱だよぉ、いっくらでも簡単にできらぁ。でもねぇ、ボイラはそうはいかねぇよ。苦労するぜ。」とのことであった。 

ATSF 2-10-4 煙突を伸ばした状態である。後ろに畳まれているのをひょいと廻して上にかぶせる。これぐらいの高さの方がバランスが良いと感じる。これもどういうわけか、動力逆転機がない。形が気に入らないから新たに作って取り替えようとしたような気がする。

 この機関車の先台車は1軸であり、その復元力を強くしておかないと曲線から直線に入っても機関車がまっすぐ向かない。 
 強力モータを付けてあるので、単機で100輌牽いて坂を登れる。現物の写真もたくさん撮ってあるので、塗装が楽しみだ。 

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2025年02月20日

cab interior

Max Gray backhead いくつかの未完成の機関車を紹介してきた。未完成の理由は全てキャブの中、すなわち backhead が作ってないということである。伊藤 剛氏は「室内は室外である。」とおっしゃった。筆者も見えるものは付けたいのだ。
 その昔、アメリカの輸入業者 Max Gray はこのような怪しいバックヘッドを付属させていた。大型機も小型機も同じで、軟らかい鉛合金製だった。いくら何でも、これではまずいと思い、自分で作ることにしたのだ。 

 しかしここに拘ると永久に出来ないので、前回の 2-8-0 では大幅に譲歩してそれらしく作っただけである。その前の ATSF 4-6-2 でもかなり手を抜いた。

 覗き込む人は居る。しかし多分知らないだろうとは思いつつ、 分かっている人が見るとどう思われるかと考えると、手を抜けなかった。それで30年ほど呻吟していたのだ。

 最近はあちこちで保存機の蒸気機関車を動かしている。その様子の動画などを見るとキャブ内が写るが、外から写しているので、ほとんど分からない。それを見て少し勇気が湧き、簡単に作ることにした。

cab interior 4-8-4 ロコ・サイクロペディアを見て、焚口戸の位置を知り、スロットルの形式、ストーカの形式、洗口栓の位置、メータの位置さえわかれば、あとは適当である。その思い切りが出来てから、急に工作が進んだ。
 左の図はUPのFEFの cab interior である。この通り作ったので大変な手間が掛かった。これは図面が手に入ったので、その意味では楽であった。、無いとかなり困る。

 塗装してはめ込むと気分が良い。ハンドル部には例の赤い塗料を塗るのがミソである。これが塗ってあると、殆どの人の眼はそれに注意を奪われ、部品や配置については注意力が向かないようだ。 

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2025年02月14日

続 石炭を積む

coal load (3) スポンジの石炭はこんな具合だ。撓ませた状態で大きさを決め、押し込んで収まり具合を見る。軽く押して嵌まるようならOKだ。右側はやや低い。何かを詰めて持ち上げねばならない。
 わずかに中心部が膨らむことを確認する。スプレイの黒を十分に吹き、乾燥させる。大きさの変化は少ない。

coal load (5) スポンジの目はスケールの石炭に近くなければならない。すなわち、HO ではかなり細かいスポンジが必要だ。中心部が低くなるのを避けるために何かの支えを入れることも必要になるだろう。    

coal load (4) この作例では右の方がやや浮き上がっている。裏を斜めに削ぐと落ち着くだろう。



coal load (1) この作例では全体に押さえが足らず、妙な曲面で落ち着いている。右の方は長さが足らなかったようだ。


coal load (2) スポンジの表面をカミソリで落として新しい面を出しても良い。この写真の一番奥の石炭がそれである。一番手前は落ち着きがない状態だ。スポンジであってもかなりの手間が必要である。本物の石炭とどちらが良いだろうか。

 夕張炭という名前を出したら、敏感に反応した人が居た。石炭を使ったことがある世代の人たちである。昔、東京に行くと妙に石炭の煙が臭かった。おそらく常盤炭のせいだろうと思う。夕張炭は火力の強い高級品であり、ストーヴには安物の石炭を使っていた。それで良かったのだが、蒸気機関車用の石炭を燃やしたら、鋳物のストーヴが白熱して融けてしまったという話を聞いたことがある。鋳鉄は 1200 ℃で融けてしまうのだ。 

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2025年01月31日

SP の Southern Pacific(Max Gray)

 軸配置 4-10-2 を ”Southern Pacific” と呼ぶ。SPの注文で作られたのが最初だからだ。この模型はMax Gray向けで、製造は祖父江氏だった。
「こいつにゃあ、苦労したぜ。」と言う。サンドドームを貫通しているスロットルの引き棒の孔を前後で合わせるのが大変だったそうだ。ガタの無い孔で、なおかつ引き棒が曲がってはいけない。正確なジグを作り、ケガキを入れたという。これは難しそうだ。

MG SP5000 (2) この SP はアメリカの中古市場で破損品を入手したものだ。徹底的に修理して先輪の復元機構を作り、動力機構を取り替えた。祖父江氏が「あんたもよくやるよねぇ」と呆れるほど手を加えた。3気筒だから先輪の復元機構の厚さがほとんど取れない部分であったが、V字の斜面で正しくセンタリングする機能を持たせるように設計し、作り直した。

MG SP5000 (1) 3気筒機であるから、中央クランクを作動するように改造した。しかしそれは祖父江氏の目には適わず、さらに2回も改良工事を受けている。この件については以前にも述べた。 

 外観は完成しているが、キャブ内が作ってなかった。そのまま30年近く放置してあったのだ。極めてよく走り、どんな線路状況でも脱線したことがないので、救出用の機関車として重宝していた。自宅のレイアウトで手が届きにくい場所で脱線した貨車があっても、連結さえできれば牽き出せる。牽引力は大変大きく、信頼性があった。
 これもキャブ内を適当に作って塗ることにする。重油専焼型の焚口戸はたくさん用意してある。後はメータ類とブレーキだけだ。その程度の部品が付いていれば、文句はない。  

 32年前この機関車がほぼ完成した時、神戸の震災で亡くなった魚田真一郎氏に見せた。彼はその構成と走りに驚嘆した。
「こんなに実感的であって強力で、滑らかに走る機関車は世界中のどこにもない。」と褒めちぎった。

 それでこのレヴェルの機関車を祖父江氏に作って貰い、世に残すべきだと、祖父江プロジェクトを立ち上げたのだ。
 全軸イコライジングで、模型としての完成形を作ろうというものである。祖父江氏という類稀なる能力を持つ人に、正しい資料を適切に提供し、物理的、工学的な監修を施した世界最高の模型を作って貰おうということになった。日米の模型人と交渉して、販売先を確保しつつ、資料と部品の入手に尽力した。晩年の祖父江氏はこれらのプロジェクトで忙しかったが、きっと幸せであったと思う。
 Sofue Projectとして8機種の製品が誕生し、それらはOゲージ鉄道模型の最高傑作とされている。

 この機関車は動輪径が63インチ(1600 mm)であって、固定軸距離がそれほど大きくはないので急曲線の続くSPの山岳路線では重宝されたのだ。


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2025年01月13日

UP7000

 以前完成させたのはこの機関車だ。細密度はこの程度に抑えたもので十分としている。

 あと、これと同型の KTM製2輌と、Lobaugh製1輌 がある。図面を調査すると、Southern Pacific のマウンテン MT は、UP の7000型の同型機であることが分かる。動輪は73インチ(1854 mm)で、パシフィックよりも小さい。これらは当時世界最大のマウンテンであって、最強力機でもあった。当時はSPとUPは同じ機種を採用していたことが多い。Max Gray がこの二社の機関車の模型を相次いで発売したのは当然である。

 祖父江氏が MT を作り、それを KTM の別の下請け工場でコピィしてUP7000を作った。そのコピィの方をジャンクで手に入れた。テンダが無かったのでスクラッチから作った。UPの9000 (4−12−2) のテンダと同形のものを設計した。材料が厚過ぎて重くなったが、ボールベアリングを付けてよく走るようにした。それを別の機関車に流用したので、この写真のテンダはSP5000用を仮に置いてある。

 1977年、ボールベアリングの装着を始めた頃だった。重いテンダの走りを改良するためにはボールベアリングを入れるしか方法がなかった。機関車の改良はその後である。
 祖父江氏に見せると、「こいつぁ参ったね。こんなによく走るたぁ思わなかったよねぇ。よぉし、機関車に付けてやらぁ。」と言って、機関車にボールベアリングを装着した。

 驚いたことに、その改装が終わった機関車には双方向クラッチが付いていた。工場の試運転線のSカーヴを端から端まで惰力で走った。当時は逆駆動できるギヤが無かったし、コアレスモータも手に入らなかった時代だったからだ。
「素晴らしいですね!」と褒めると、祖父江氏は自虐的に言った。
「おいおい、勘ちげぇしちゃあいけねぇよ。こいつぁオモチャだぜ。本線上でこんな走りじゃあ、事故を起こしちまわぁ。」

 その通りである。合葉氏も同じことを言われた。筆者は祖父江氏が作ってくれた双方向クラッチを装備したパシフィックを持っているが、本線上で走らせたことはない。試運転線でも完全に平坦であることを確認していないと、怖くて運転できない。摩擦の多い車輌を牽けばそれなりの走りを示すだろうが、単機では危ない。そういうことを知ってか知らずか、この機構をほめそやす人が居るが、危ない話である。ボールベアリングを装備した客車を牽かせるのは怖くてできない。

KTM UP7000 この工事中の機関車の主動輪のクランクピンは、細くしてボールベアリングを入れるようにしている。ベアリングなしでは穴が大きいので、自作のロッドが重さで垂れている。 


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2024年12月28日

Climax の rollout 

 F氏に組立調整をお願いしてあった Climax が完成した。帰省の途中に博物館に寄って下さったのだ。試運転を見せてもらった。よく走る。
 その後で、3階に資材を運び上げるのを手伝って戴いた(後述)。
 
B-Climax (3) この機関車のキットは Lobaugh の製品だ。1960年頃に発売になったが、それが走るところを見た人が居ないと言われて来た。
 144輌作られたそうだが、誰一人として完成させられなかったようだ。要するに、根本的に無理な設計であって、動くわけがないのだ。これは Rollin Lobaugh 氏が既に老齢で、直接手を下した模型ではなかったというのが原因だ。彼は動きにはうるさい人だった。筆者は何輌か持っているが、当時としてはよく出来た走行装置を持っている。モータはコアレスに替えるが、他は手を入れなくてもなかなかよく走るのだ。なんと潤滑油を入れ替えると、押せばかろうじて動くものがある。当時から2条ウォームを採用したものがあったからだ。ウォームの前後にはボールベアリングが装荷され、スラストを受けていた。そのボールベアリングのグリースが粘いので、洗って入れ替える必要がある。

 O Scale West などの会場で完成品をたまに見たが、staticな模型(動かない模型)であった。飾りに置いておくものだと言う。それにしては高かったので誰も買わなかった。。

B-Climax (1) それから30年、筆者の長年の友人の Bob Stevenson氏が Lobough の在庫、金型一式を買い取ったと知った。彼は筆者に電話を掛けて来た。
「Hey Tad、お前の好きなLobaugh の Climax だぞ。買うだろ?」価格は約400ドルだった。当時の物価水準では高くはなかった。しかし当時、筆者は忙しく、組む時間がとれなかった。

 その後土屋氏が、「何かキットを組みたい。とびきり難しいのが欲しい。」とおっしゃるので、とりあえず譲り渡した。数年後土屋氏は亡くなり、未成品が残された。

B-Climax (2) それをF氏に見せたところ、「組み立てて走らせてみたい。」とおっしゃるのでお願いした。その後の奮闘は時々お知らせしているが、かなり困難なものだったようだ。動力伝達部分は100%作り直している。  

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2024年11月30日

cab interior

UP 2-8-0 painted and lettered この機関車を KKC 集会に持って行った。何かアピールすることを書かねばならないので、「窓が開いているのが好きです」とだけ書いておいた。(写真はnortherns484氏撮影)
  
 窓からも後ろからもキャブ内は丸見えであるから、ごく簡単にbackhead(火室後部)を作っておいた。
 
backhead この機関車は小型機ではあるが、装備は大型機のものを流用している。特に注目すべきは water columnである。普通の水面計ではなく、より高性能な太いものを用いているのだ。 
 正確な水位が分かるのは良いが、これがあると室内はさぞかし暑かっただろうと思う。普通型の水面計に比べ表面積が10倍以上もありそうだ。そこが約 200 ℃である。 
 オイル焚きであるから、火室扉はそのタイプにした。メータ類は文字も針もなく、白いだけであるが、誰もそれには気付かない。ハンドル類は例によって赤く塗った。機関士は Weston製があったのでそれを乗務させた。たくさんあったのにもう残り少ない。 

UP 2-8-0 on spurUP 2-8-0 窓枠はビリジアンを塗った。この色は当鉄道では2輌目である。UPでは採用例が比較的多い。偶然にもアメリカの森林鉄道の機関車を持っていらしたLittle Yoshi 氏の機関車にも同じ色が塗ってあった。  

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2024年11月28日

続 coach passengers

UP coach passengers (9) 先日のKKCの会合では、会員の見せている各ブースを、今野氏が案内して、説明を聞く時間を設けてくれている。これは良い方法で、ほとんどの人の言いたいことを互いに知らせ合うことが出来る。

coach passengers 順繰りに廻って来てくれた30人程度の会員集団に、
「何の変哲もない客車ですが、まあ見ててください。」とパカッと音を立てて、側面を開いて見せた。その瞬間に「オオッ」とか「ワァッ」という歓声が一斉に上がったのには、こちらが驚いた。
「まさかの部分が開いたし、閉めると全く隙間がなくなって、開いた痕跡もないのは凄い。」という声を戴いた。「照明等の電装も簡単になるから素晴らしい方法だ。」と言う。今野氏は、「dda40xさんは、こういう遊びもしているのですよ。」と結んだ。

 この方法を平岡氏に事前にお見せした時に、「これはうまい方法だ。」と褒めて戴いたのは嬉しかった。普通は屋根が取れる。それが外れないように留めるのはなかなか大変で面倒であることを指摘された。
「反対側の側面を強力に接着して強度部材としています。」と申し上げると「正しい方法です。5面が剛性を持っていれば強度は十分ですから。」とのことであった。

 窓ガラスにデロデロ感があるのは面白いとみなさんがおっしゃる。当時の板ガラスの製法も披露したので余計に興味が湧いたようだ。コンビニで弁当容器の透明部分を吟味して買う、という話をすると大笑いだ。

UP coach passengers (7)UP coach passengers (1) 人形には丁寧に色を塗っていない。既に塗装が剥げているものもある。どうせデロデロのガラスで良く見えない筈とは言っているものの、実際には側板を外して中を見せているのだから、困ったものだ。この写真は側板を外して手前に持ってきて撮影している。中はこの程度のボケ方で見える。

 磁石のサイズと個数を調べていた人がいたのは、さすがだ。この方法が成功したのは、アメリカでは側板をブリキ板で作る方法が当時の主流だったからだ。その板の腰の強さの効果は無視できない。

 トイレの便器の模型を売っていることに驚いた人がいる。鉛合金製である。洗面台もある。洗面台は角に付けるタイプと壁に付けるタイプの二種がある。鏡は額縁が唐草模様になっていて、鏡そのものはガラスではなく、鏡面の金属板である。
 消火器の色は赤いのではないか、という質問があったが、アメリカでは銀色である。 
  
 この側面が開く方法は、いろいろな点で便利であるのでお薦めしたい。照明の電線を切り離し可能にする必要が無いのが良いという御意見も戴いている。 

 台車は新規製造の3Dプリントだ。バネは別部品の金属製をはめてある。全くのダミィだが、台車自体が柔軟に捻られるので、脱線しにくい。

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2024年11月26日

coach passengers

UP coach passengers (4) コウチに乗客を乗せた。庶民の人形だ。姿勢を整え、彩色した。どうやら縮尺は1/43,1/48,1/50の三種があるような気がする。大きなものはプロレスラのような感じだ。長過ぎる脚は縮め、広い肩や尻を削って無理やり座らせたのもある。
 それほど細かく塗らなくても窓ガラスがクリアでないので、良く見えないからこの程度で良い筈だった。

UP coach passengers (6) 通路に立っている人も必要である。洗面所、トイレには人が居た方が良い。側板が外れる方は丸見えであるから、便器、洗面器、鏡、トイレットペーパ(toilet roll holder が正しい名称だろう)も付けた。床板には磁石が見える


UP coach passengers (5) 紙は少し黄色くした。聞いた話によると、アメリカでトイレットぺーパが白くなったのは1950年代だそうだ。それまでは、今でいう茶封筒のような色をしていた。 
 1970年代でもアメリカの公衆トイレの紙には色があったのを覚えている。米軍基地のトイレで見たことがあるという人も居る。(今回、インターネットで探すと、当時の現物を持っている人が写真を UPしていたので紹介した。これらを見ると当時のことを思い出す。)

 便器は白く、座板は茶系統の色だ。 便座に座っている人を作るつもりだったがやめた。
 便器の中には何もない。中身の写真を発表するような人も居るようだが、筆者はそういうことはしない。

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2024年11月10日

Lehigh Valley の電車

 Lehigh Valleyとはどこのことだろうと迷う人は多い。ニューヨークの西の方約80 km、Pensylvania州の東部にある地方で、工業都市がたくさんある。アメリカの重工業基盤を作った地域だ。Valleyとは言うが、峡谷ではない。アパラシア山脈中(老年期山脈)にあるがかなり広い平地がある。
 Allentown, Bethlehem, Eastonなどの工業都市が並んでいる。それらを結ぶ電車があった。現在は工業都市群ではなくなったが、ペンシルヴェイニア州の文化の中心地のひとつである。

Lehigh Valley (2)Lehigh Valley (1) 先日の会合でこの電車をKT氏から見せてもらった。アメリカの職人が作った物で、貴重な品である。車体はブラス製で車内まで細かく出来ている。艶のある硬い塗膜が施されている。全体のバランスも良い。後述するが、駆動装置が独特だ。
 作者の名前はよく分からないが、その業界では名を成した人らしい。
 アメリカの職人には腕の良い人も居るので、それに当たれば幸運である。ただ、その確率は極めて低い。

 筆者は蒸気機関車を作った達人はかなりの数を知っているが、電車はほとんど知らないので、今回の電車を見てかなり驚いた。 

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2024年11月08日

dining car interior

8c380891 食堂車の内装は手間が掛かる、とアメリカの達人から聞いている。取り付けるものが多いのだ。

 テイブル、椅子、食器、料理、カトラリィ、カーテン、花、照明、乗客、ウェイトレス、ウェイター、コック、厨房設備、食品材料、飲物等を揃えねばならない。普通の客車の5倍以上の苦労があるそうだ。
 また、食堂車の照明は他より少し明るくし、内部の色の彩度を上げるのがコツだそうだ。そうでないと、中がよく分からないのだそうだ。他の車輌はともかく、食堂車は目立つようにするべきだという意見だった。

 Danに習ったコツを披露すると、壁の高さは同じなので、適当な材料で一定の高さのものを大量に作っておく。それを切って,曲げて作ると早いそうだ。筆者は薄いアルミ板( t 0.6)を用いる。軽く、ある程度の腰があるので成型が楽である。丸い壁も容易にできる。塗装したものを床にスーパーXで取り付ける。そう簡単に壊れるものではない。  

 個室になっている部分は全てを作る必要はない。ブラインドを下ろしておき、一部を作る。走るのを見るだけなのだから、細部には拘る必要がない。

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2024年11月06日

dining car

West_Side_Diner_Providence_RI 食堂車のことを diner ダイナと呼ぶことも多い。しかし、アメリカの日常会話では、ダイナという言葉は街角にある軽食堂を指す時代になった。


Summit_diner_1024x658 これは、廃車になった食堂車の台車を外したものを地面に置いて軽食堂を始めたことから始まった。小さなものが多かったので、客が増えると収容できなくなった。側壁を切り取って幅を広げたが、全体を新たに建て直す場合が多くなった。そのうちに食堂車の雰囲気を残す食堂をダイナと呼ぶようになったのだ。現在はずいぶんと巨大になり、客車数台分ほどの面積を持つものが多い。正統派のダイナはもうほとんど残っていないだろう。筆者は数箇所行ったことがあるが、すでに無くなっている。
  
 最近のアメリカでは鉄道旅行をする人が極端に少ないので、数少ない Amtrak の食堂車にはもの珍しさで来る人が多いようだ。
 すでに日本では、極めて高価なパッケージ旅行でしか食堂車は利用できないそうである。東海道山陽新幹線に食堂車が付いていたころが懐かしい。出張時に飛行機が取れない時は、かなりの頻度で利用していた。隣に相撲取りが座ってしまい、狭い思いをしたこともあった。

 アメリカの食堂車は3回くらいしか利用していない。Amtrakだからあまり雰囲気が良くなかった。昔の本物の時代の食堂車を利用して見たかった。その当時は黄色人種は入れてもらえたかどうかは分からないが。
 当時の映画を見て、その雰囲気を味わう程度だ。当時のテイブルクロスは手に入れた。皿も少しはある。レシピ集の本も手に入れたので、挑戦してみたこともある 。

 自宅を建てた時、台所をdining car のkitchenと同じ形にするつもりだったが、諸般の事情で実現できなかった。この映画は撮影所のセットで撮っているようだが、長い時間、場面が見られる。

 模型化に当たっての問題は、食卓の上にあるものをどうやって用意するかだ。もちろんお客さんもかなり用意せねばならない。

UP diner (2)UP diner このキットも Walthers の製品だ。少し手を加えてUP風にしてある。内装はある程度分かっているので、それに近付けたい。 

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2024年11月04日

またまた solarium

solarium  当鉄道には solarium は3輌ある。UPが2輌とAlton Limited のが1輌である。UPの塗色は緑と2-tone gray と違えてある。

 「よほど solarium が好きなんだね。」と友人は言う。そうかもしれない。日本にはない車輌である。興味を持ったのは椙山 満氏の影響が大きい。

solarium interior (2)Walthers solarium interior plan 日光浴室部分の窓が2枚のと3枚のがある。窓が大きいので内装を省くわけにはいかない。ここの窓は磨きガラスである。各種の車輌の写真を眺めて、どれにしようかと悩む。椅子のデザインもいろいろあり、迷う。これはAlton Limited用である。
 椅子を並べてみて、構想を練る。いろいろな家具を作らねばならないが、便器だけは売るほどある。 

 立派な厨房が付いて、大きなダイニング・テーブルを装備したタイプが好きである。屋根上には排気口がいくつもついている。ローストビーフを作るための大きなグリルが装備されているのだ。贅沢に貸切りで行くのであろう。日光浴室側は飲み物を用意するビュフェもある。そこには大きな冷蔵庫があり、屋根上のハッチから氷を入れるようになっている。
 ソファは1人用が多い。リクラインするものが欲しい。脚乗せが付いているものが良い。作らざるを得ない。

 カーペットはカタログから切り抜いたものを多量に確保している。ラウンジの窓は磨きガラスが使ってある場合が多い。

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2024年11月02日

続々 coach interior

 しかし、この Keil Line の座席には一つ大きな欠点がある。それは物理的なバランスだ。本体の背ずりと座板はプラスティックで軽い。それに活字金で出来た座布団を貼るのだ。形は良いが、これが妙に重い。それを接着すると、椅子は自立できず、前にひっくり返る。肘掛けも活字金なので、それを貼れば重くなって安定するかと思ったが、やはり前に傾いて転ぶ。先日の記事で角棒に載せてあるのは、脚で自立させるのを諦めて、広い面で受けて転ぶのを防いでいるのだ。この状態で塗装した。   

coach seatsseats installed この自立できないということは、室内を完成させるのに、膨大な手間が掛かるということである。間隔を保つ簡単なジグさえあれば直ちに全数を貼りつけて完成の予定だったのだが、40個を貼るのに2日も掛かった。椅子がひっくり返らないように押さえが必要で、それがあると間隔保持のジグが使えない。結局一つずつ貼った。少し間隔がおかしくなったり、微妙に前に傾いたところもあるが、窓ガラスの歪みで見えなくなるだろう。屋根と床板に、小さな磁石が埋まっているのが見えるかもしれない。この程度で十分な保持力がある。

UP coach (2)UP coach (1) この写真では壁の仕上げがまだ完成されていない状態だ。洗面所等も置いていない。それを置くとこのような写真は撮れない。床の薄いアルミ板に欠き取りがあるのは、側板を受けるアングルの逃げである。

 洗面所はアルミ板を曲げて作った。側板が開く方は便器などをつけたが、見えない方は何もない。1930年代のカー・サイクロを見て、それらしく作ったのだ。 

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2024年10月29日

coach interior

coach seats (2) コウチの椅子を3Dプリントで新たに作り出すつもりだった。図面を探し、それらしきものを描き始めたが、偶然にも ”passenger interor kit"  と書いてある箱を自宅で見付けた。これはcoach用の椅子だ。洗面所の鏡、消火器、便器に加え、トイレットペーバ・ホルダまで付いている。壁が外れるので、手前側だけ洗面所の内装を作るということにした。

coach seats (1)coach seats (3) これはKeil Lineが出していたものである。形の良いプラスティックと活字合金でできた製品で、ちょうど42個あった。84座席用である。この会社の社長はDennisの友人で、薦められて買ったことを思い出した。この椅子の背もたれは転換できないタイプだ。肘掛けの形からもそれが分かる。また、座席は回転して方向を転換するようにも見えない。ということは三角線(デルタ線)などで列車全体の向きを変えていたのだろう。日本では折り返し運転が通常なので、座席は転換シートが普通だが、アメリカでは違うようだ。三角線は至る所にある。

 早速組立てて塗装の準備で並べた。塗装してから薄い金属板に接着して並べれば良い。それを客車の側面からそっと押し込み接着する。

 あとは洗面所部分をそれらしく作るだけだ。屋根は外れないから、向こう側の面の便器、洗面台などは作る必要はない。

読者の方から、昭和30年代の国鉄固定編成特急の方向転換法を詳しく述べたウェブサイトを紹介戴いたので掲載します。)

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2024年10月27日

続 coach

 この客車は Walthers のキットから組んだ。70年ほど前の発売だ。色はプルマングリーンよりわずかに彩度の高い緑である。椙山満氏の助言で、UPの社有車はそのようにしている。

 このキットは不思議な構成で、屋根板と床板を妻板にネジ留めするようになっている。床板に妻板を付けるのは簡単であったが、屋根板をどうやってつけるのか、どこにも説明がない。下側から木ネジを締めるのだが、床にネジ廻しを通す孔を開けねばネジを締められない。
細い穴を通してネジを締めるとしても、側板を先に付けるとネジを保持する方法が無い。どう考えても、片方の側板はあとから嵌め込むようにしないと無理であった。

 側板はブリキ(鉄板)なので、磁石を使って落ちないようにできる。側板の重さはアングルで床板に掛け、上の幕板部分を磁石で付けた。強力なネオジム磁石で付いているから、そう簡単には外れないはずだ。

coach interior 片方の側板が外れるので、室内は簡単に付けられる。仮に椅子を並べてみた。洗面所を前後に付けねばならないが、大体の雰囲気は分かった。この椅子はリクラインする一等車用なので、もう少し簡単なものを用意する。 

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2024年10月25日

coach

UP coach 最近はCOACHと言えば、ファッション・ブランドのことらしい。そういう方面に全く疎い筆者は、客車(しばらく前まで、飛行機の普通席もそう呼ばれていたように思う)のことしか考えられない。いわゆる庶民用の客車のことだ。chair car とも言う。アメリカでの発音は「コウチ」である。イギリスでは「カウチ」と言っている。「コーチ」では通じないかもしれない。

 この客車は Union Pacific 鉄道の普通車で、急行列車には前方に1,2輌入っていた。急行列車は上級のプルマン寝台車が主で、食堂車、展望車がつながれていた。2等車の乗客は食堂車には行けなかった時代があったという話を聞いたことがある。軽食を売る売店が付いた車輌もある時代以降はあったようだ。それが無かった時代では、停車駅で食べるものを買わねばならない。飲料水は洗面所にあったようだ。

 また、2等車の前には荷物車があり、前方の郵便車に行けなくなっている。強盗を防ぐためだ。 
 台車は2軸である。既製品では満足できなかったので 3Dプリントの新作である。バネは金属バネを入れた。細いのでいかにも作動するように見える。 

 窓ガラスは小さく、プルマンに比べるとガラスの質が明らかに落ちる。平面度が低く、外が見えにくい。この模型の窓ガラスは、コンビニ弁当の容器の透明部分を切り出して使っているが、それでも綺麗過ぎる。もう少し汚いガラスが欲しい。本物はかなり緑っぽく、泡も入っている。

 その時代のガラスを見たことが無い世代が99%以上になった。

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2024年10月07日

UP M10000  

UP10000 UP M10000を仕上げた。流線形台車外被、車輪の塗装その他細かなところに手を入れた。


UP M10000 1 以前紹介した時は前部のラジエータ・グリルが銀色であった。塗ったのは筆者の年の離れた友人で、戦前に実物を見たそうである。銀色だったとは言うが、そのような写真が見つからないから、何かの勘違いであった可能性が高い。他機種と混同したのだろう。この動画では奥に銀色に塗ったモデルが紹介されている。これが手本かも知れない。手前はライオネルで1/45.2の時代だ。有名なハドソンも同じ17/64インチスケールだ。

m10000up ボディの色と同色にせねばならないので調色して塗った。乾くと色が異なる可能性もある。太陽光の下で再確認した。 



 就役当時の話が伝わっている。この色の組合わせは”マスタードを載せたホットドッグ”と言われたそうだ。ケチャップが少しはみ出しているようにも見える。 これは地上を飛ぶ飛行機であり、車体はアルミ合金で作られていた。、

vertical lightbeamM10000 veertical light 運転会に持って行くので、念入りに試運転をした。ピヴォット軸にはモリブデン・グリースを入れ、前照燈他の電球が切れていないかも確かめた。特に、上向きのビームが間違いなく点くかを確かめた。左の図のように、光の柱が遠くからでも見えたそうだ。
 すべての車輌が同極であるので、ショートの可能性は極めて低い。全金属製車輌であるからこの点は考慮しておくべきである。


 UPの蒸気機関車と並べると、断面積が小さいのには驚く。大型トラックと普通車ほどの違いがある。高さがかなり低く、最高部で3.65 mしかない。エンジンはV12気筒で粗製ガソリンを燃料として600馬力を出す。最高速度は110マイル/時(約176 km/h)であった。運転席には両手、両脚の圧力を検知する装置(いわゆるデッドマン)があり、力を抜くと急ブレーキが掛かるようになっていた。しかし、それでは鼻をほじることもできない。
 また、ブレーキは滑走防止機能が付けられていて、最短距離で止めることができたそうだ。

 今回のブログの写真その他の情報は、当時のUPのパンフレットを持っている友人から送ってもらった。感謝する。 

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2024年08月20日

SP bay-window caboose

SP bay-window caboose (2) このカブースは30年ほど前にアメリカで手に入れた。事故車で片方のデッキが無かったのを廉価で購入したのだ。反対側を参考にスクラッチから修復したが、難しい仕事ではなかった。  
 適合する台車が無く未塗装で放置されていたが、一念発起して完成させて塗装した。

 bay‐window 部分は妻の方から見るとオレンジ色である。目立つ色にしておかないとぶつかる人が居るからだろう。

 ちょうどぴったりの良いディカールを入手してあったので塗装できた。デイカールが無いと塗装する気が起きない。逆にディカールがあると信じていたにもかかわらず、そのディカールが不良だと貼れなくて落ち込む。   

 この製品は安達製作所製で、板が厚い。
 屋根板の仕上がりが今一つだ。プレスの角がしっかり出ていないので安達製作所らしさが無い。屋根板に鈍し板(ナマシイタ)を使っていないような気がする。あるいは板が厚過ぎたのだ。しかしハンダ付けは上手で、壊れることはないから、安心して持てる。 

 この安心して持てるというのは、Oゲージでは大事なファクタである。韓国製のどうやって持てばよいのやらわからない模型は、とても困る。結局は壊れて、すべてハンダ付けをやり直すことになる。アメリカの顧客はどうしているのだろう。大半はエポキシで付けていて、修復が不完全である。 

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2024年08月16日

D&H wood cabooses

 Bob Weaver氏は、どういうわけか デラウェア & ハドスン の模型をいくつか出している。彼はペンシルヴェイニア州在住であったが、 D&H 方面 の出身だったのかもしれない。

D&H cabooses さて、この会社のカブースは2輌ある。1輌は図面通りであるが、作ってから時間が経ち、部分的に接着剤の剥がれが見られた。あちこちの部品を引張ったり、叩いたりして浮き上がりを調べ、外してエポキシ接着剤で付け直した。こういう時のコツは古い接着剤を完全に剥がしとることである。付け直す時は圧締を完全にすることだ、クランプを工夫して締め付ける。場合によっては、締め付けジグを作ることだ。今回は端梁が緩かったのでその辺りをすべて外し、ジグを介して正確に締め込んだ。これで、軽度の衝突時にも確実に生き残るはずである。塗装は剥げているところを補修し、全体に半艶とした。幸いにも貼られたディカールは生き残った。一部を補修しただけである。

 もう1輌はキュポラオフセットした。塗装も少し変えた。これもディカールが劣化していて駄目であったので今回は貼れなかった。
 色は最大限に彩度の高い塗料を用いた。昔、現役時代のこの車輌を見たことのある友人に聞いたのだ。カブースは目が覚めるくらい、綺麗な赤だったとのことであった。

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2024年08月14日

PRR wood cabooses

Pennsy N6's Pennsylvania 鉄道のカブースがいくつかある。自前のもの以外に、半製品を入手したものもあり、意外に輌数が多い。どれも最大限に手を入れ、原型を保っているものは少ない。
 筆者はペンシルヴェイニア鉄道に関してはそれほど知識があるわけではなく、東部の友人を訪ねた折にいくつかの博物館を見た程度である。 Brass_solder氏は大変お詳しいので、戴く助言を最大限に受け容れている。

 木製のN6Aは2輌ある。これは原型の短いカブースを伸ばした時に片方に延ばしたタイプである。すなわち、前後非対称である。キュポラを黒くしたものと車体色と同色のものとした。これらはBob Weaver氏の設計である。メリハリのある設計で、木製とは思えない仕上がりである。キュポラは大きく、建築限界の大きな西部で使われたものだ。

 手摺等は写真でよく見る塗りにする。その色は白と黄色の2種あるようだ。向こう側の車輛は未仕上である。キュポラを黒くするとかなり奇妙な感じがする。ディカールを貼ろうと思ったが、そのディカールが極端に劣化していて断念した。 


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2024年08月12日

NKP wood caboose

NKP caboose finished このNickel Plate Roadのカブースは、既に10年以上も製作途上であった。キュポラ側面の連絡用ライトの色がよく分からない。レイル方向には緑、枕木方向には赤のレンズを向けている写真が1枚あっただけで、それがどのような状況のものなのかはわからない。

 窓ガラスがあると実感が出るのは間違いない。 取り付けはかなり面倒な作業ではある。平面度の高いアクリルガラスの薄いものを用いている。

 この赤白の塗り分けは美しい。ディカールの予備が無いので、ずいぶん緊張して貼った。木板の継ぎ目で浮かないように、下地には塗料を十分に沁み込ませて水を吸わないようにする必要がある。その上に十分艶のある塗料を塗る。ディカールを水だけで貼って、切り込みを丁寧に入れてから柔軟剤を沁み込ませた。この操作を3回繰り返し、泡を押し出したので何とかなった。

 この種の泡を追い出す手法はいろいろなやり方があると思う。筆者は薄く削いだゴムベラを使う。決してこすらず、押さえるだけである。カッタの刃で軽く切れ目を入れておいて空気を押し出す。切れ目は全て平行に入れるのがミソである。切れ目が交差すると、ディカールはこま切れになってしまう。

 40年ほど前だが、この手法で貼った模型をとれいん編集部に持って行ったことがある。彼らは非常に驚いた。
「外板の切れ目にディカールが馴染んでいる!Oゲージだとそこまでやるのか?」と言うので、
「Model Rilroader の Paint Shopにもこの方法が載っている。HOでもやるべきだ。」と答えると驚いた。 

 この写真の左の方の ”radio equipped”の稲妻マークは手作りである。製品のディカールが壊れたので、白い部分を切り取り、つぎはぎで仕上げた。左右で微妙に異なる。

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2024年08月10日

finishing cabooses

 しばらく前から掛かっていた塗装済のカブースを数輌仕上げた。ディカールを貼って、手摺などの彩色をした。窓ガラスも入れた。

 当鉄道に見学に来られる方々の中には、カブースの窓にガラスが入っているのに驚く方がある。筆者は、それを聞いて逆に驚く。ガラスの嵌まっていないカブースを考えるのは困難である。乗務員が乗っているのだから、ガラスが無いわけにはいかない。 

 ウェザリングも多少は掛けるが、余りひどくはしない。人が乗っているのだからそんなに汚くしているわけがないのだ。たまに洗っているのを見かけた。

UP CA9 このUPカブースは到来物で元の持ち主は改造を断念したものだった。あちこちが左右裏返しになっていて、かなりの部分を作り直した。床下は手抜きである。床下が左右逆になっているのはよくある。上からの透視図を下からと勘違いするのだ。本物の場合、下からの図面があったとしてもとても使いにくいはずだ、ということに気付かない人たちが作っているわけだ。

 ディカールはありあわせのもので、当時実際にありそうなものを選んでいる。これでUPのカブースは10輌目だと思う。


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2024年07月31日

PFE の塗装完了

PFE 63-ft mechanical reefer 48年前に製作した木製キットの修理が完了した。基本部分は壊れていなかったが、細かい造作はかなり折れたりしていた。新たに部品を作ってエポキシ接着剤で取付けた。
 元の塗装を全部は剥がさず、スクレイパ(キサゲみたいなもの)で浮いているところを剥がし取りスティール・ウルで磨ると、褐色の自動車用プライマの色が出て来た。その状態を見た友人が、
「このままでも行けるよ!」
と言ったほど、がたがたに錆びた風情がそこには出ていた。

 筆者はそういう状態のまま、荒っぽく上塗りをした車輛を見たことがあるので、そのまま塗り重ねた。表面がざらざらではディカールは載らないから、全体に艶出し塗料を塗ってから貼った。泡を押し出すのに一苦労だ。

 ディカールはとっておきの新型車用(とは言っても35年前の話)である。白抜きのPFEの文字が眩しい。以前の黒文字とは全く異なる雰囲気だ。

 この貨車に装着してあるショックアブソーバの実演をすると、皆驚く。かなりの高速でぶつけても、ぐわっとめり込み、じわっと離れる。 
 誰かが動画を撮ったので、そのうちUPされるだろう。

diesel exhoustdiesel exhoust2 排気管を細い角パイプから作った。こういう部分には意外に大きな力が掛かるので、脆い材料では持たない。ブラスパイプを銀ハンダで付けたものを深く穴をあけた本体にエポキシ接着剤で付けてある。既に塗料が剥げて地肌が出ている。間もなく軽くウェザリングを掛ける。
 この貨車があと2輌ある。黄色と白にする予定だったが、オレンジが好きだ。本当はあと20輌ほど欲しいのだが、おそらく無理だろう。  

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2024年07月27日

続 automated rail way

automated rail way automated の意味だが、これは1962年にUPが本線の運行表示の自動化を完成したことを表す。日本の新幹線で言うところのCTCだ。それまでは電信、電話による通信で列車の位置を人間が認識し、ポイントを切り替えていた。それをコンピュータによる遠隔操作に置き換えたのだ。真空管とリレィの巨大な装置で、何十トンもあったそうだ。Cheyene駅の2階に置くつもりだったが、重過ぎて断念したらしい。 

 この黄色と銀の塗装は、各種の boxcar に応用された。短い 40 ftから長大な 86 ftまである。ヘラルドや地図の大きさは同じであるので、86 ftでは空白(黄色部分)が多くて奇妙なものである。rail に下線があるのが面白い。さらにwayとの間にスペイスがあるのも興味深い。 

 この塗装が始まった頃は、まだ屋根の上にラニングボードがあった。1970年の少し前に新しい法律が出来て、ラニングボードが廃止された。ブレーキホィールも低いところに移された。要するに危険な作業を許さないことになったのだ。
 それまでは走行中の貨車の屋根の上を、係員が歩くことは許容されていたのだ。

 また、当初はヘラルドの文字が UNION PACIFIC RAILROAD で3行だったが、1969年からRAILROADを消し、2行となった。

applying decals さて、これらのヘラルドとか地図はプラスティック膜に耐光性のある顔料で印刷したものだ。粘着性があり、押さえるだけで粘り付く。と書けば大した話ではなさそうに見えるが、実際の貼り付けにはかなり苦労していた。現在のような伸縮性のある材料ではなかったのだ。小さなリヴェットでもその部分はテントのようになってしまい、密着しない。仕方がないのですべてのリヴェット部分を手作業で丸く切り抜き、接着後塗料を塗っていた。これは現物を見た時に気が付いた。最近読んだ記事にその写真があるので、お見せする。これらはUPの鉄道資料保存会の会報からお借りしている。 

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2024年07月25日

automated rail way

automated railway ようやく塗装が完了した。夏は湿度が高く、このような平面が多い艶あり塗装は難しい。金属製であれば、予熱しておいて塗るという手もあるが、これはプラスティック製である。下手に加熱すると歪んでしまう。  

 黄色も銀もラッカ・スプレイを用いた。この貨車も連結器には大きなバネが付いてはいるが、ダンパ機能は無いので押し込まれると蓄積されたエネルギィは瞬時に放出される。すなわち壁にぶち当てると、元の速度で正反対の方向にはね返ってくる。やはりショック・アブソーバの威力は凄い。

 細かい部品は全て捨て、金属製の部品に取り替えてある。しばらくは走るだろうが、いずれあちこちにひびが入って壊れてしまうのだろう。

 automated rail way の意味については今まで日本の本で解説を見たことがない。この文字の色分けも独特だ。このディカールはDr.Yに作って戴いたものだ。市販のものより鮮明で、白がきれいだ。あらためてここで感謝の意を表したい。

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2024年07月17日

Fruit Growers Express

Fruit Growers Express insulated boscar Fruit Growers Expressは、ワシントンDCに本社を置く企業であった。フロリダの果物を東部の大都市、中西部に運ぶのが目的の会社だった。

 先回扱ったPFEは西部の山脈を越えて3日以上も掛かって運んでくるので、途中で氷を足さねばならなかった。山間部には天然氷を取り込む備蓄設備も持っていたし、大きな製氷装置を約20箇所稼働させていた。季節によっては車端の氷室の天蓋を開けて通風させた。のちには機械式冷蔵車を大量に発注した。

Railroad_Museum_of_Pennsylvania FGEの運行は上手くいけば一日半で到着できる範囲なので、この会社の冷蔵車はやや異なる方向に発達したようだ。断熱性の良い貨車を作り、予め良く冷やした貨物を入れると2日は十分に冷たさを保つのだそうだ。
 のちに機械式冷蔵車も導入されたが、断熱を主流としたようだ。

 さらにはGreat Northern鉄道と組んで、ワシントン州から、リンゴ列車を仕立てて、東部に運んでいた。山間部を通るときには凍結から守るために、ヒータを装備したものもある。

 PFEは冬季に商品が凍結するのを守るために、当初は木炭を使った。のちに石油ヒータによる保温を行っていた。はじめは気が付かなかったが、青いオレンジを積んで目的地に到着すると、程よく熟成し食べごろになっていたのでそれが当然だと思っていた。ところがそれを電熱保温に切り替えたとたんに、オレンジが青いまま目的地に到着することが判明した。

 科学者による詳しい調査の結果、燃焼時にわずかに生じるエチレンのガスが、果実の完熟を促進することが解明されたのだ。以後、この技術は出荷調整の方法として広く行われるようになった。このガスは腐った果実からも出るので、リンゴ箱の中に一つでも傷んだものがあると、全体が傷んでしまうことはよく遭遇する事故である。

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2024年07月15日

40-ft Hi-cube boxcar

coupled 40ft Hicubes 筆者が最初にこの40-ftの貨車の実物を見た時、非常に不思議な感じを持った。
 連結器は30 cmほど縮んでショックを小さくするようになっている。だから横から見ると相対的に車輌の隙間が広い。すなわち、列車の長さに対して空間が異常に大きく感じるのだ。一方、86-ftは長いので連結面が多少開いていても、特に不思議な感じは無かった。

up 40ft hicubeATLAS 40_hi-cube_boxcar 黄色に塗った貨車は、大陸横断鉄道開通100周年を記念したキャンペーンの時に使われたはずである。学生時代世話になっていた銀行家から貰ったポスターやカレンダにあったが、現物はほとんど見ることが無かった。

 背が高く、一部の線路では建築限界が低くてぶつかる可能性があるから、妻板の上の方を白く塗って気が付き易くしてある。

 側面の熔接でつないである部分 weld line は細い鉄線(0.3 mm径)を、ぴんとさせて貼り付ける。その時の方法はラッカ・サーフェサの粘着力を使うことになっている。木材の上に塗り重ねたサーフェサにナイフで切れ目を入れ、そこに細い鉄線を載せる。そしてラッカ・シンナを筆で塗ると、軟らかくなって埋没するのだ。そんなことで、くっつくのだろうかと心配したが、意外によく着く。はがれて来ない。もちろん、その上に塗装を掛ける。錆びるといけないのですぐに塗るべきだ。すぐには信じ難い方法であったが、うまい方法であると思うようになった。

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2024年07月07日

cushion coil car

cushion coil car (2) この木製貨車は車齢45年ほどである。今回塗装して、ディカールを貼った。車輪はまだ塗っていない。後ろにあるのは以前紹介したプラスティック製真空成型の模型だ。
 木製キットはLykens Valley という会社の製品で、珍しく正確な図面と材料が入っていた。

cushion coil car (1)cushion coil car inside 内側はこのようになっている。木製模型は内部が平滑で面白くないが、プラスティックの方は本物をよく見て作っている。木製の方は hood(覆い)を取らず、かぶさったままが良さそうだ。車端のスノコ状のところはうまく出来た気がする。

 この車輌の実物はよく見た。いかにも丈夫そうなH鋼を組み合わせた構造で、かぶさっていた hood は薄い材料で出来ていた。クレインで外した hood には重ねて置けるように角が生えていた。しかし、後ろのプラスティック製の hood の角は短い。これでは重ねて置けない。捨てて作り直すしかない。

 模型は棒材と板材で、それらを組み合わせてH鋼状の梁を作り、全体を構成する。透けた歩み板が手に入ったので本物のようにした。上からレイルが見えるのはなかなか良い。接着剤は全てエポキシを用いた。木材には沁み込むので非常に丈夫である。

 hoodはブラスで作るつもりである。角のあるタイプと、丸いカマボコ状のタイプがある。積み荷として鋼板コイルに見えるロール紙を各種用意してある。うまく塗装すれば鋼板に見えるはずだ。

 連結器には油圧のシリンダがあり、衝撃を吸収する。とにかく重いものを載せる貨車である。

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2024年06月17日

続 古い木製貨車を完成させる

50-ft express reefer (1)50-ft express reefer (2) これらの express reefer の着手はさらに古く45年ほど前である。キットの製造所は前回の会社と同じであり、側板と妻板は塗装済みであった。しかし説明書が不完全で、枕梁の高さが分からずに放置されていたのだ。
 他の車種が見本となって謎が解決したので、徐々に完成へと歩みを進めて来た。床下は客車と同等であるので、エアタンクは大小2個あり、制動弁も客車用である。ブレーキ・シリンダも大きい。台車はプルマンの客車用である。 

 これらの貨車は旅客列車に組み入れられて、牛乳などの配送に用いられた。すなわち、大都市圏周辺の運用であり、大陸横断鉄道の本線上では回送以外、見ることはまず無い。

 細かな手摺、ハシゴ等を取り付ける作業はきわめて面倒で、塗装に持ち込むまで、2週間もかかった。接着剤を使う仕事は時間が掛かるから好きではない。取り付けた部品は手塗りであるので、艶の具合が異なる。後で何らかの方策を採る。

 厚い板を使った内箱があるので、かなり重く、軸箱にはボールベアリングが必要であった。台車は Lobaugh の砲金鋳物である。鋳物の抜き勾配を無くすように削り、すっきりさせた。ぼてっとした感じを無くすために糸鋸でバネを切り外し、見かけだけのコイルバネを入れてある。こうするだけで本当にバネ可動のように見える。イコライズだけで追随性が良く脱線しないが、緩衝性が無いとレイルの継ぎ目の音がかなり響く。枕梁を承けている部分に薄いゴムの板を貼ると静かになる。厚さが 1 mmでも効き目が大きい。 

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2024年06月15日

古い木製貨車を完成させる

36-ft wood reefers (1)36-ft wood reefers (2) この2輌の冷蔵車は当鉄道での車齢は約40年である。木製キットで、側板と妻板だけが出荷時に塗装してあった。文字も印刷してある。塗料はFloquilであると書いてあった。合う色を探すと Tuscan すなわちトスカーナ地方の屋根の色である赤褐色である。これを90%完成の状態で放置していた。
 オリジナルは薄い板だけで構成されているので軽く、また壊れやすかった。厚さ10 mm程度の木板を正確に切って箱を作り、それに側板等を張り付けた。屋根には鉛合金のハッチ等を付けて塗装したが、細かい部品が未装着であった。手摺、ブレーキホィールなどを付けて完成に持ち込んだ。

 細い部品に塗装してもすぐはがれるので、ミッチャクロンを塗り、はがれないようにした。この下塗剤は非常に優秀であって、愛用している。

 扉の蝶番は印刷されただけであって寂しかった。3D-プリントで作った部品を貼り付け、それに黒い塗料を沁み込ませた。こうすると粗粒面の隙間はかなり埋まって鋳物然とした感じになる。本物はごてごての鋳物である。

 追加した部品は筆で手塗りしたが、他の部分との差ができてしまったところもある。全体に艶消し剤を塗ると目立たなくなるだろう。

 Yakima Valleyのリンゴはとても美味しい。しばらく前に博物館に来訪したアメリカ人は Washington州出身で、この文字を見るとホームシックになると言っていた。  

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2024年01月12日

more cabooses

 自宅の地下室で電気温水器の更新工事に伴い、棚を動かしたところ、その内側に3輌のカブースが隠れていた。Atlas が当時の人気車種であったInternational Railway Car Company のExtended Wide-Vision caboose を量産したのだ。これはキュポラが車幅以上にせり出し、ベイウィンドウの様になっているとも言える。当鉄道にはすでに数輌ある。もう埋蔵金属はないと思っていたが、埋蔵プラスティックはあった。
 
 各種の塗りで売られていたが、どの塗装も中途半端で面白くなかった。塗装が薄くて文字が透けて見えるのである。色調もおかしいから塗り直しが必要であった。

DT&IModl Rilroader June 19741974 MR なんと懐かしいカブースだろう。1974年の Model Railroader の表紙になっている車輌だ。DT&I Detroit, Toledo & Ironton という鉄道のカブースだ。Atlas のカブースの窓を塞いで加工し、ディカールを入手して貼った。デッキ部分は金属で作ったが、行くえ不明となっている。窓ガラスも落ちている。
 ろくな道具の無い環境で作ったので、出来は悪いが、50年前の作品として蘇らせてやりたい。台車は仮のものに載せた。一応は板バネを模した台車である。

Chessie system cabooseC&O この2輌も Atlas の製品である。急速に価値が下がり、投げ売りをしていたときに入手したものだ。は B&O が C&O と合併した頃の製品であるが、塗色が単純過ぎる。もう少しややこしい塗り分けが必要だ。B&Oの台車だけは3Dの高速台車に替えた。
 は、色がかなり違う。最近復元されたようだ。正しい色に塗るだけで価値が出るであろう。当然、台車も取り替えねばならない。

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2024年01月10日

loading / unloading coal

 石炭をどの様な方法で積んで、どうやって荷下ろししているかということには興味があった。

 70年代に炭鉱が近くにあって、見に行った事がある。昔ながらの方法で、両側に屈強の男が二人一組で立ち、ホッパ車の下のラッチを外して中身を出し、その蓋を閉じる。これは重労働である。その後閉鎖され、遺構があったがそれも高速道路の工事で無くなってしまった。思い立ってYoutubeを検索すると、現代のいくつかの事例が見つかった。

 まず積むときの様子である。かなり細かく砕いた石炭を、微速で動いている貨車の上から落としている。横についているゴムの板がくせ者で、安息角ギリギリで山を整形しているように見える。

 下ろすときはホッパを開いただけでは落ちにくいことがある。この動画では振動を与えて落としている。上から降りてくるものがその vibrator である。ただ載っているだけのように見える。これが振動を始めるとへばり付いていたものが落ちる様子が分かる。
 ホッパの出口蓋は自動で閉まる様だ。これは大きな省力化である。全体をひっくり返す方法は効率的だが、投資額が巨大である。貨車も全て替えねばならないからだ。

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2024年01月08日

open top hoppers 3

2-bay hoppers (2) これらの塗装は過去にも施したことがある。これらのディカールはイリノイ州のハーマンの遺品だ。

 左はオフセット・サイドなどと呼ばれて、容量を増すために骨の外に板を貼っている。側板は上の方で曲がっていて、その上は外側に骨を貼っている。部品の数が多く、工場での組立てに手間がかかる。その点、前回紹介のプレスした板を張る方式は、部品が少なく手間もかからない非常に賢い方法である。

 ともかく、右は穀倉地帯の模型人の好みだから、農業関係の会社のディカールである。 番号だけは多少変えてある。文字が多くて貼るのは大変である。台車は高抵抗車輪付きの仮台車である。2%の坂をかろうじて転がる。

2-bay hoppers (1) この左側は B&O のごく普通の貨車である。よく見るとまだ文字の貼り足りないところがあった。

 右は Berwind Coal Co の貨車である。黒い日の丸がついていて面白いが、ディカールが変質していてまともに貼れない。剥がして別の物を貼ろうかと考えている。このディカールは50年前にシカゴで買ったものだ。さすがにパリパリしていて無数のヒビが入っている。補強剤を塗ったが、救い切れなかった。

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2024年01月06日

open top hoppers 2

C&O 70 ton panel side hopper (2) 側面の板が膨らませてあるタイプ(パネルサイド)もある。これは賢明な設計で、工場で組み立てる時の工程をほとんど変えなくても容量が増す。なおかつプレスでの押出しでの加工硬化により、強度を増大させることができる。

 これはC&O塗装とした。前回は黄色塗装であった。あまり多くなるのは避けたいので、黒塗装であればC&Oが無難である。
 C&Oはその後他の鉄道と合併を繰り返し、CSXとなった。今でも石炭輸送を多く担っているが、この種の貨車はすべて廃車となり、長さが統一された石炭車となった。また、車体下部にホッパがついたタイプは減り、バスタブ型の車輌が増えた。ロータリィ・ダンパが普及したからである。 


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2024年01月04日

open top hoppers 1

 一度に7輛塗った。黒の単色とは言え、疲れる作業である。車端のホッパの下の部分には塗料が入りにくい。先に筆で塗ってから全体を吹いて、時間と塗料を節約した。

C&O peaked end open hopper 今回のホッパの中には珍しい個体がある。C&Oの 70 ton peaked end hopperという車輌である。これは長年探していたが、出会わなかったものだ。入手したジャンクの中に半分壊れたのを見つけ、丁寧に修復した。車輪、台車はまだ塗ってない。

 普通のホッパは妻部分が側面と同じ高さで、半自動の積込み装置ではかなりこぼれてしまう。妻が高いと石炭を盛り上げたときにこぼれにくいということだろう。この貨車も写真のように満載にするつもりだ。そのための石炭(本物)も十分に用意してある。

C&O peaked end この写真をどこから入手したのかは覚えがない。この積み方を見ると、長い列車を超低速で動かしながら、石炭の流量だけを制御していると推測する。

 どこかのコンテストで超低速の競争があるようだが、単機では何の意味もないということに、いつまでも気付かないのはどうしてだろう。

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2024年01月02日

gons

謹賀新年

 今年こそ仕掛品を一掃すると同時に、博物館の線路の完成に向けて注力したい。

 年末は塗装の仕上げをする予定であったが、食器洗い機の不調を自力で直すのにかれこれ3日ほどかかり、果たせなかった。我が家の電化製品は Maytag製 ばかりなので、マニュアルと消耗部品さえあれば直る。2台同じものを持っていたから、他方から移植すれば良いのだ。30数年使って修復不能になったものを廃棄するときに健全な部品をすべて外してあるので、それを使えば2台目の延命は難しくない。 
 正月は家族が集結するので食器の数が非常に多く、8人用の大きな装置が1日に5回転する。これがないとどうかなってしまうので、間に合ってよかった。


P&LE gon 先日の Railgon は数輌仕上げたが、長い50 ft のゴン用の他のディカールも見つかったので、P&LE Pittsburgh & Lake Erie とした。文字が大きい。Erieの発音について書いておきたい。
 現地音はャリーである。最初の部分は耳の「イャ」と同じである、それにRの音を響かせれば良い。Rの音を出すコツは、舌をどこにも触らせないことである。前に触るとLの音になるから、少し上に上げて「ゥラ」と言えば誰でもできる。
 我が国の趣味界ではこれを「エリー」と発音する人が多い。こんな発音は誰もしない。地図にもエリー湖とあるが、それもそろそろ変える時期に来ているような気がする


 70年代にこれをたくさん見かけた。大抵は薄汚れて錆だらけだが、たまには綺麗なのがある。その思い出があって、今回は汚さないことに決めた。

 何回も塗装が重なってボテボテになってはいるが、なるべく艶のある状態が作りたかった。考えて、温めた車体に濃いのを吹いてみた。思った通りのボテボテ塗装になった。これで良い。

D&H gon 以前お見せしたこの貨車も同様の塗装を施してある。貨車があまりにもきれいな塗装だと、現実味がない。車体内側は錆色を吹いて汚くしている。

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2023年12月31日

C&NW ore cars

C&NW ore car (2) 長い間塗ってなかったオアカーをまとめて塗った。色は迷ったが、この緑の塗装が気に入った。とりあえず3輌塗って様子を見て、あと10輌ほどあるから徐々に塗り替えようと思う。連結器の色は後で仕上げる。

C&NW herald ヘラルドはウェブ上で探して印刷をお願いした。この種の仕事は昔に比べるとはるかに楽になった。昔は様々な本のページをめくって探し、色を確認しながら作らねばならなかったのだ。


 台車のキングピンの位置が正しいとこのようになるという見本である。極めて実感のあるオアカーとなった。これを見ると今までの物は一体何だったのだろうと思う。いずれ全部作り替えるつもりだ。

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2023年12月27日

Railgon

 カブースはこれで一段落した。完全に仕上がったときに再度紹介したい。他の貨車はこの3年で20輌ほど仕上げた。
 
Rail Gon 実物の世界では、1980年頃からこの貨車がどんどん増えてきた。今までは鉄道会社が自社の名前の入った貨車を持っていたのだが、稼働率が低くなると保守費用の方が高くなり損失が生じる。必要なときにリース会社から借りたほうが安上がりで、利益が増大するわけだ。
 目立つ色で塗られているので、嫌でも目に入る。そうこうするうちに、1980年代の終わりにはほとんどの gondola(無蓋車のこと)がこの貨車になってしまった。現在では、ゴンドウラと発音(太字にアクセント)する人は殆ど居ない。”ゴン” と言うのが普通だ。
 
 35年ほど前のことだ。Ralph Brownが電話を掛けてきて、買ってくれと言う。「4輌買ってくれたら割引くよ」と言うので買ってしまった。精度の高いインジェクション成形品で、きちんと組めるが、塗装が面倒で放置してしまった。10年後に黒塗装はしたが、またもやそのまま放置。さらに10年後黄色を塗りに掛かったが、マスキングがあまりにも面倒で挫折した。

 放置中マスキング・テープの糊が変質して、それを剥がして糊を取るのに苦労した。また10年放置したが、ついに完成させることにした。ディカールが見つかったからだ。買ってあったが、行方不明になっていた。

 マスクしてすぐに塗った。凹凸が非常に多く、完全なマスキングは難しい。多少の塗料の漏れは気にしないことにした。ナイフで削って、タッチアップという原則で行く。汚くなった貨車を表現するつもりである。白いのはディカールの糊が固まったものである。これは水でふやかしてスポンジで拭き取る。多少残っても気にしないことにする。このディカールの銘柄は分からないが、糊が多過ぎるようである。車輪はローラベアリングだから錆色だが、カー・リターダを通るから、タイヤ側面は光っている。

 問題は積荷である。もっともらしい形の積荷を作りたい。この種の記事は、Model Railroaderを読むと、最近は妙に多い


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2023年12月25日

UP caboose CA9

UP CA5 この韓国製のカブースは戴いた物だ。ほとんどの部品が左右反転してついていて、修復のしようがないと言う。図面の読み方を知らない人が作ったのだろう。窓の位置もおかしい。
 床下機器は上から見た配置を描く。床板を透視しているのだが、それを下から見たように作ってあった。どういうわけかハシゴの位置も反対で、ラニングボードも逆であった。床下などは大した問題ではない。ほとんど見えないので、目立つところだけを直した。 
 直しついでに窓も塞ぎ、随分様子が変わった。どんな色にするかは迷う必要がなく、黄色である。ただ、ディカールをどうするかは考えねばならない。

 UPは各種のスローガンを側面に貼っている。前回貼ったのは、”I Follow The Leader"である。これはいかにもアメリカ的な哲学である。民主主義で平等を謳ってはいるが、能力差を認めている。能力を持つ人間を探し、選んで代表者にする。
 日本では、こういうことを言う人はあまり居ない。その結果、能力に欠けた人が組織のトップに立ってしまうことが、ままある。しかもそれが長く続く。

 大きなディカールを貼らねばならないから、滑面にする必要がある。さて何を貼ろうか、手持ちのディカールの戸棚を探っている。 

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2023年12月23日

Pennsy cabooses 2

Pennsy N5c この2輌のN5Cはエンドウのブラス製品である。アメリカのSunnysideというインポータが日本に発注した最後のロットである。ペンシィのT1とほぼ同時に発注された。その製作には筆者もごく僅かであるが関係している。日本側の受注者は池田 度氏であった。当時池田氏は名古屋に在住し、筆者とはかなり親しかった。祖父江氏を紹介し、この計画遂行には協力した。一部の部品も製作した。 池田氏はアメリカ在住が長かった技術者で、筆者とは話が合うところがあったが、このプロジェクトが始まってまもなく他界した。T1の駆動装置はアメリカ側の意見が通ったので、走りは良いとは言えない。

 この1輌は土屋氏から来たものであり、他方はクラブの物故者のご遺族から譲渡されたものである。非常に凝った作りではあるが、走行性能を第一に考える筆者から見ると不満が多い。台車は取り替えたいが、珍しい構成なので代替品を作るのは難しいかも知れない。この太いコイルバネは透けて見えるものではないはずだ。中に逆捻りの別のバネが入っている。実車では極めて初期以外は重ね板バネに換装されているものばかりだ。
 とりあえずタスカン・レッド(トスカーナ地方の瓦屋根の色らしい)のボディと黒い屋根にしたが、片方のキュポラは黄色にすることにした。いずれ塗装して発表するが、クロムイェロゥのキュポラというのは目立つ。interdivisional pool service用である。これはカブースを各devision内でのみ運用するのではなく、鉄道全体で共用する ”pool制” を採用したときに登録されたものである。要するに黄色のカブースはどこへでも行けたというわけだ。
 
Pennsy N8 (1) これはN8である。戦後の斬新なデザインで、乗務員の安全に配慮した設計であり、筆者の好みのタイプである。手に入れたジャンクは派手に壊れていて、片方のデッキはほとんど新製に近い。ステップは作り直している。これは赤いボディで黒いキュポラにするつもりだ。赤いとは言っても、カドミウム・レッドの赤ではなく、エビ茶色をもう少し赤くした色だ。資料は集めてある。
  
 これら3輌は train phone を装備している。エンドウのアンテナ部分は、引っ掛けて壊しやすい。なるべく丈夫になるようにハンダ付けをやり直しているが、材料が細いと思う。 

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2023年12月21日

Pennsy cabooses 1 

 ペンシルヴェイニア鉄道のカブースを5輌仕上げねばならない。ディカールは製作依頼中である。木製はこの2輌だ。

Pennsy NDA ND型は元々は2軸車であった。長いリーフ・スプリングで承けていた。後年、4軸に改造されたものを仕上げている。実は2軸にしようと長いバネを作ったが、やはり模型は堅く、思うように出来ない。等角逆捻りにしようと思ったが、木製の床をくり抜いて仕込むと壊れそうな気配であったので、楽な4軸化を施し、形式はNDAとなった。

Pennsy N6A N6Aは上部のキュポラが大きい。建築限界の狭いピッツバーグ以東の路線には入れなかった。その区間にはキュポラの部分が小さいN6Bが使用された、とBrass_Solder氏から教わった。N6Aは比較的早い時期に淘汰されたようだ。
 また、N6Aは古い2軸カブース車体の片側だけ伸長改造したのでキュポラがオフセットしていたが、N6Bは片側に伸ばした物と両側に伸ばした物があり、キュポラの位置が2種類あったそうである。もちろん、台枠は鋼製に更新されている。


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2023年12月19日

Northern Pacific cabooses

 このカブースは3輌ある。内2輌は木製、1輌はウレタン樹脂の鋳物である。木製は特に紹介することもないので、外観だけお見せする。
NP caboose 1 色は何色が良いのかよくわからない。ミネソタ州の博物館に行ったときに見たのはこんな色だった。屋根は黒っぽいほうが良さそうだ。緑色のBNヴァージョンもあった。 


NP caboose to ew-paint この写真の車輌はかなり風化が進んでいて、全塗装を施すべきである。これはカビだらけのを、次亜塩素酸ナトリウム水溶液を吹き付けて洗ったものだ。カビは落とせたが、塗料がかなり傷んでいる。これも全塗装すべきだろう。オイルステインに浸けてしみ込ませ、乾かすつもりだ。そうすれば、カビの再発は完全に防げる。
 ある人が、「素晴らしいウェザリングだ。」と言ったが、その範疇ではないように思う。
 屋根が外れないので窓ガラスが入らないと思っていたが、塗料によって屋根が固着していただけであることがわかった。

NP caboose plastic 問題はこのウレタン樹脂製である。10年ほど前、キットのジャンクを安価で手に入れた。当然部品は足らない。ステップは3Dプリントだ。
 寸法が正しいとは思えないところもある。屋根の幅が足らなかった。修正して箱にはしたが、多分屋根は作り直すことになろう。一生懸命直しても、20年も経てば劣化して壊れてしまう可能性があるのは残念だ。

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2023年12月17日

Southern Pacific bay-window caboose

SP bay-window caboose このカブースは当鉄道唯一のベイ・ウィンドウ カブースである。NYCのも持っていたが、友人に譲ってしまった。飛び出している部分と妻面は、遠くからでも認識できるようにオレンジ色に塗ってある。 

 これは安達製作所製のブラス車輌である。手堅くまとめてある。屋根はプレスで凹凸を付けてあるが、その板は厚い。ステップや細かな手摺などが壊れていたが、すぐ直せた。屋根のラニング・ボードは安っぽいエッチング板であったので、剥がして実物のような素抜けているタイプのものに取り替えた。東部で買ったので、安価であった。 

 意外に窓が大きいので、室内もある程度は作っておく必要があるだろう。このカブースはSPのSouthern Pacific(4-10-2の軸配置)と写っている写真があり、その情景を再現しようと導入したまま30年以上経過した。機関車の方は完成しているのだが、まだ塗っていない。これが良い機会となったので、取り組んでみよう。  

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2023年11月19日

続 ATSF cabooses

ATSF CAbooses (2) この2輌は工事中である。右は先回で紹介のKTMの製品である。派手に壊れたもの2輌からのニコイチである。もう壊れないように太い骨を入れた。垂直に落としても、連結器は壊れるだろうが他は無傷のはずだ。台車は 3D print のナイロン製である。極めて低摩擦で調子が良い。もちろんピヴォット軸受である。  

 左は Lobaugh(ロボゥと発音する)のキットから組んでいるものである。おそらく1950年代初頭の製品である。この2つは根本的には全く同じ形であるはずなのだが、ずいぶん異なるように見える。窓枠は追加することになっている。
 Lobaugh の会社の住所を訪ねたことがあるが、近くに Santa Fe 鉄道の線路もあり、彼らは現物を見ていたはずである。それならば自社で製品化されたものと比較することも容易だから、正確なものが出来たはずなのだが、ちょっと異なるような感じがする。遠く離れた日本で作られたもののほうが、忠実度が高いように見えるというのは不思議である。

 Lobaughのキットはやや厚めのブラス板で構成され、しかもその板は快削材で堅い。すなわち鷲掴みで持っても、全く歪むことがないし、衝突しても生き残る。筆者の好みの頑丈なキットである。車体だけはオリジナルを使用し、あとは自作である。
 デッキ部分などは怪しい構成であるので、全て角材からフライスで削り出す。床下は木材との混成で実に不思議な構成だ。すべて捨てて作り直す。

 こういうものをアメリカに持って行って友人に見せると、是が非でも欲しがる人が居るのは面白い。そういう意味でも、手に入る物は手に入れておいて損はない。


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2023年11月17日

ATSF cabooses

 改修中のサンタフェのカブースが4輌ある。KTMが輸出した安達製作所の製品が2輌、木製キットを組んだもの1輌、もう一つはアメリカ製のブラスキットである。

ATSF CAbooses (1) 木製キットはQuality Craftで45年ほど前に出したものである。よくできたキットで、実感的である。1930年代の木製車輌を模している。作るのは大変だが、仕上がりは美しい。仮台車の上に載っている。車輪が未塗装なのはご容赦願いたい。

 右はインポータがUS Hobbiesで、おそらく1965年頃の生産であろう。アメリカで見つけたジャンクから再生したものである。破損品の塗装を剥がして修理し、再塗装したものだ。ブラス製であると、如何ようにも改修できるので気楽である。

ATSF 1952 窓ガラスを入れてないと、いかにも未完成品である。当鉄道では、必ず窓ガラスを入れている。 

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2023年10月22日

Broadway Limited

 友人から様々な情報を戴いている。この食堂車はブロゥドウェイ特急の食堂車だということが判った。この特急名は複々線区間のある自社路線を誇るものらしい。この路線を走るAmtrakの列車には乗ったことがある。並行する川は、はじめはせせらぎであったが、一日それに沿って走ると最後は大河になった。
 戦前の塗装は難しい。戦後の塗装にするつもりだ。

 ちょうど50年前、筆者はPhiladelphiaでBill Wolfer氏と会っていた。彼はフィラデルフィア警察の殺人課の刑事で、趣味としてPennsylvania鉄道のOゲージ模型を制作・販売していた。電話を掛けて予約し、夜間に会った。東洋から来た若い趣味人に対し、彼は親切であった。地下のレイアウトでブロゥドウェイ特急の編成を走らせてくれたのだ。それはGG1によって牽かれた8輌編成であった。室内まで作られて、点灯すると内部が見えた。彼は得意満面で見せてくれた。
 その時、映画の話題が出たが、「あれはハリウッド映画だからな。車内はセットで撮っている。参考にはならない。本物はもっと良い。」
 機関車は本物を撮っている。その中で流線型のK4から受け継いでHarrisburgの橋
(59:51)を渡る機関車はなんと4-4-0である。これはD16だ。現在博物館に飾ってある機関車そのもののようだ(リンク先のOur Train中、No.1223を探されたい)。 

 Billはその後カリフォルニアに引っ越したが、30年以上の親交を結べた。3条ウォームの開発に関し、いくつか助言を貰ったのはその後の発展に大きく影響を与えた。会うと最大限の歓待をしてくれ、奥さんも「貴方は私の亭主にとって特別な人だ。」と言ってくれた。祖父江氏を案内して訪ねたこともある。 

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2023年10月20日

食堂車

PRR Diner (3)PRR Diner (1) この食堂車のジャンクをかなり前に入手したが、これがどこの鉄道の車輌かを長らく特定できなかった。

 おそらく、アメリカ東部の鉄道会社であろうということは見当がついたが、ありとあらゆる写真集を見ても手がかりがつかめなかった。ようやくPRR(ペンシルヴェイニア鉄道)の図面集を見ていて、行き当たった。10年以上掛かったことになる。

PRR Diner (2) 業務用のドアが小さく、低い。食堂部分のテイブルは少なく、ソファが置いてあるのは不思議だ。そこでも食事ができるようにテイブルがあるようだ。BARの前にもソファがある。この内装には興味があるので、写真を探している。それらしく作ってみたい。

 この床板はとても弱く、お話にならない構造であったので、作り替えた。これも縦に床に落としても壊れないはずだ。
 連結器はガタのないMonarchにする。

 ジャンクの客車はまだいくつかある。毎週1輌ずつ仕上げれば、年末までに終わる計算だが、そんな訳にはいかない。何年も掛かるだろう。
 どれも落下痕があり、凹んだり歪んだりしている。それを切って叩き出して直す。鈑金屋になったような感じだ。それを見た友人は驚いた。完成品に色を塗っているだけだと思っていたらしい。
 筆者のコレクションにそういうものは一つもない。全て事故があっても壊れない構造にリビルトしてある。 

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2023年10月02日

Climax の動輪

Climax drivers F氏から動輪を全部作ったと連絡があった。非常に速い工作で驚いた。 全部で5台の台車であるから、動輪は20枚である。




Climax Drivers(2) 絶縁紙を貼るのにかなり手間取ったようだ。先述の角を斜めに落とすところの手加減が難しかったという。タイヤ内側のテーパ角度は大きくはできない。これが大きいと、入りやすいが、抜けやすい。しかも今回はステンレス鋼なので、塑性変形しやすい。無理に叩き込むと、動輪径が大きくなるはずだ。

 すなわち、絶縁紙をエポキシ接着剤で隙間なく固めて、飛び出したところがないか指先で撫でて確認する必要がある。その上で、嵌まり込む部分をヤスリで角を落とす。45度に削ってタイヤに当てるのだ。間違いなく入りそうであれば、ゆっくり押し込む。
 プレスがあれば良いが、ゴムハンマでまんべんなく叩くと、少しずつ入る。絶縁紙の一部は、削れて押し出されて来るだろう。それが全周に亘って、均一に出て来なければならない。

 難しそうに聞こえるかもしれないが、それほどでもない。6年ほど前に名古屋のクラブで "Old Black Joe" の部品頒布を担当したが、全員が簡単に組めて、車輪の心が出ていて素晴らしいと伝えて来た。

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2023年09月30日

続々 Lobaugh の Climax

Climax driver center F氏は、持ち帰った輪心にタイヤをたちまち嵌めてしまった。腕の良い方である。絶縁側は、今試している模様。

  タイヤを掴む時には、そのまま掴むわけにはいかないから、専用のヤトイが必要だ。これらは pot chuck と呼ばれる。F氏は各サイズのヤトイを作って持っている。

 筆者は踏面側を掴んでフランジ内側を削り、次はネジで締めるヤトイに取り付けて表側とフランジを削る。最後にフランジを掴んで車輪のジャーナルに近いところを落とす。12個やると、かなり疲れる。これが筆者にとっては限界値である。
 最初にフランジを掴むと、おかしな製品もあるから、失敗する可能性がある。韓国製の機関車では、フランジと踏面とが同心ではなかった事があるのだ。信じがたい話だが、おそらく太さの足らない丸棒を心の出ていない3爪チャックで掴んでタイヤを挽いたのだろう。そんなものが検査に通っているというのがおかしい。

 旋盤は大小2台持っていると具合が良い。筆者は小さい方をコレット専用機にしている。実は、もう一台欲しいところだ。 

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