メディア論

2024年08月30日

最近のTMS

 しばらく見ていなかったが、友人が最近のTMS 2冊を見せてくれた。
「率直な意見を聞きたい」と言う。
「僕はいつも率直にものを言うから、これ以上率直には言えないよ。」と言うと大笑いだ。

「この花火見物はお話にならないね。こんなの鉄道模型じゃないよ。その次の号の大きな橋も鉄道模型の中に入れたくないな。汽車や電車が添え物じゃないか。鉄道車輌が走らなきゃ単なる受け狙いの展示品だな。静止画でしか審査していないからこういうことになる。」

 友人はニヤリとして、
「それを聞きたかった。最近購読をやめた人が多くてさ、どうしてだろうと思ったのさ。今の話で僕自身も納得できた。僕も、もうやめるよ。」


 実は別の友人から一つねじ込まれていた件があった。このブログで採り上げてくれと言うのだ。それは例のアニバーサリー・チャレンジに上位入賞した北海道の湿原を表したレイアウトだ。走行動画が YouTube にある。(人の作品の悪口など書きたくもないが、現実にあるものを紹介するだけであるから御許し願いたい。)
 彼がそれを見つけてコメントを読んでいた時に、外国からの投稿で ”日本の動画の常で、この運転も速過ぎる” というのを見つけたのだ。
 その友人から、
「動画を見てくれ。」
と電話があった。あまり見たくもなかったが、それを見ると確かにそう書いてある。その外国の投稿者は日本の動画が好きなのだろう。その ”速く走るものばかり” というのは筆者にも思い当たる経験がある。いろいろな運転会に行くと、ジャーという音を立てて列車が新幹線並みのスピードで走っている。これはやめて欲しい。そういうものは見たくないのだ。走らせている人は、自分が幼稚に見えるということに気付いていないというところが問題だ。

 動力機構が昔から殆ど変化していないからだろう。ヒステリシスが大きく、適当な速度ではうまく走らないということもある。重負荷時に効率の高い動力装置ではないのだ。筆者のように動力装置の改良に血道を上げる人は極めて少ない。
 この話を最初の友人にすると、知らなかったらしく大変驚いた。
「いい勉強をしたよ。全くその通りだ。今後ますます酷くなるだろうね。」
と言った。筆者は行ったことが無いので知らないが、貸しレイアウトに行くと、どれも新幹線並みのスピードで走っているそうだ。  

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2022年03月02日

3号雑誌

unnamed 3号雑誌という言葉を聞かなくなって久しい。昔はよく聞いた。要するに、3号で発行が止まってしまう雑誌である。

 調子よく発刊されても、執筆者が定着しなかったり、広告が入らなかったり、その他の様々な理由で廃刊になってしまうことがあったのだ。この3冊はTK氏から戴いたもので、博物館で大切に保存している。

 紙質が良くないので、開くと折れそうである。中身を読んでみると面白いことが書いてあるが、筆致がやや粗い。関係者からは睨まれそうなこともたくさん書いてある。当時のことだから、情報源は国鉄である。国鉄当局に不興を買ってしまい、新しい情報を貰えなくなったのかも知れない。

 ともかく非常に珍しい雑誌である。早くディジタル化せねばならない。

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2021年11月26日

気が付かない人

 スパーギヤを使った車軸と平行のフライホイールを持つ増速装置は、作ったことがある。一言で言えば音が気になる。効率はあまり良くなかった。もちろんピニオンは15枚歯である。ここはぬかりない。しかし、3条ウォームを使う直角伝動では静粛である。

 10年ほど前、高効率のウォームギヤ・セットを作ることが出来たので、それを使うと、無音で逆駆動でき、効率は非常に高かった。あとはチェイン駆動である。Delrin製のチェインは素晴らしい性能で、十分に静粛である。しかし、テンダを強く押すとチェインが多少伸びるせいか、少し音がする。すなわちチェインの伝達能力の限界ギリギリで使っているのだ。当初はフライホィールが重過ぎて、車輪とレイルとの摩擦力が大きくなり、限界を簡単に超えた。そこでフライホィールの中を中空にして軽くし、摩擦力を減らした。すると慣性モーメントは少し減るので、増速率を上げて補った。
 簡単な経緯を説明すると、「素晴らしい。見事だ。」という感想を戴いた。


 午後には某雑誌社の取材があったが、その質問には失望した。
これってスクラッチですか?」それ以外聞かない。
 その程度の感受性しか無い人が取材しているのだ。
「それ以外の質問はないのですか。なければ取材を受ける必要はなさそうです。」
と答えると、
「FEF3は844までですよね。850というのは想像の産物ですか。」と来た。生産されなかった形式であることを告げるとメモして立ち去ろうとした。放置するつもりだったが、他の人がわいわいと見に来て、慣性の話をしているのを聞いて、慣性増大装置とメモしていたようだ。筆者に詳しく聞けばよいのに、そのまま行ってしまった。理解したかどうかは、しかとは分からない。そのようなことなら、記事にならないほうが良い。

 こういう人が取材しているのでは、まともな記事は期待できない。 この社の人ばかりではない。最近の模型雑誌は、写真映りが良いものしか載っていない。外観だけだ。もう一社来ていたようだが、見に来ることもなかった。外国の雑誌に載ると取材に来るのかもしれない。

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2021年06月11日

TMSの発音表記

 taper-wound の発音調査にはかなり時間がかかったが、一応見るべきものは見た。山崎氏の最初の表記 "ウーンド” は明らかな間違いで、その後の "ワゥーンド"は、誰かに注意されて直したのだろうが、まだ駄目ということだったのだろう。その注意した人とは、翻訳家の日吉菊雄氏に違いない。しかしそれを聞いているのに、再現が不完全だ。

 このミキストの記事は高校生の時に読んだ。ウーンドでは”負傷”という言葉であり、文法的にも成り立たないと気づいた。その後NMRAの会報を読んで、なーんだということになった。TMSの102から106号は読むチャンスがなかったので、今回お知らせ戴くまで気が付かなかった。
 この件に関して、ドイツ語に堪能な方から興味深い連絡を戴いている。

 今回のレオスタットに関する記事を興味深く拝読しました。TMSは昔から外国語のカタカナ表記におかしなところがあるのですね。コアレスモーターのメーカーであるFaulhaberを、ずっと「フルハーベル」と表記しています。日本のドイツ学園でハノーファー標準音による教育を受けた友人やミュンヘンとサルツブルク(ザルツブルク)の模型屋で確認したことがあるのですが、いずれもカタカナ表記にすると「ファウルハーバー」になる音でした。大学の一般教養のドイツ語で習う簡単な規則通りです。そもそも新光電子や光進電気といったFaulhaberの代理店も「ファウルハーバー」と表記しています。
 一般的にも数学の「ファウルハーバーの公式」とか日本でのFaulhaberのカタカナ表記として、「ファウルハーバー」は慣用化しているので「フルハーベル」という表記は不可解ですが、ある有名ブログでも先日「フルハーベル」が使用されていたので当惑しているところです。 


 出版人は教養を持たねばならないという話を書いた。日本には鉄道模型誌は3誌あるがどれも怪しい。アメリカ情報を垂れ流していた某誌の記事は、眉唾ものが多かった。推測と妄想が多い。結局のところは語学力に欠けるというところなのだ。語学が出来なければいけないと言う意味ではない。語学のできる人が親しい友人に居て、その人から正しい情報が来たら受け入れれば良いだけのことである。妙なプライドがあって、自分の力でやろうとするからこういうことになるのだと思う。「客観的に正しいのは何か」ということを考える力がないと間違いを繰り返すことになる。

(日本ではアメリカ映画”Sound of Music”の影響でザルツブルクという音が定着しているが、現地ではサルツブルクと言っている。筆者註) 

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2020年02月23日

続 Model Railroader Feb.2020 issue 

「HOは 最初から1/87.1 以外を指さない」と言っている人がまだ居るようだが、このような客観性の無いことを大声で言うことは、まさに宗教である。教義を唱えて、それに反するものは異教徒として抹殺しようとするのと変わらない。

 その怪しい新興宗教の教義を唱える人たちは、この最近号のMRを見て、何と言うのだろう。その教義では説明できない。この号にはある日本人の写真が載っているのも、奇しき縁である。これらのページを見ていないのだろうか。
 
 その不発弾のお方は、その教義を流布する文書で、筆者を攻撃している。様々な方から、再度の不発弾を転送してもらっている。話のついでに要約を紹介する。
 
 決着のついている件に口出ししている。自分が注目されたくて理屈をこねているだけである。かき回すのが目的の人だから、最初から結論を出そうとしているわけではない。話をすり替え続けるだけだ。ああ言えばこう言う人であるから、相手にするな、と言っている。

 これはまさに、ご自分のことを言っている。すでに事実が判明しているにもかかわらず、捏ね繰り回した屁理屈を作って、さもそれが真実のように流布するのは法律に触れる可能性が高い。「ああ言えばこう言う」と言うのは、反論出来なくなった人が吐く決まり文句である。出来ることなら、反論するべきである。 

 決着は付いている。HOは最初から 1/87.1であったというのは虚構である。某国のように歴史を捏造しているのだ。ゲージが先に決まっていて、スケールは各社が自由に決めたのは歴史的事実である。日本型を1/80で作ってHOゲージの上を走らせて満足している人に向かって、お前たちは間違っていると言う必要などさらさら無い。また、日本型の1/80、16.5mmゲージの方たちは、「私たちはHOゲージを楽しんでいる」と、自信を持って大きな声で言うべきだ。
 昔から16番という小難しい言葉を使う模型屋は、親TMS派の模型屋で、大半の模型屋はHOゲージと言っていた。何も間違っていない。それこそ世界標準である。

 先日「ヒットラー〜最期の12日間〜」という映画を見た。完全に追い詰められて、もうダメというところまで来ているのだが、「勝利はわが軍にあり」と叫んでいる。重なるところがあると感じた。

 問題はTMSというメディアのあり方だ。史実を捻じ曲げて報道するつもりならば、自分の首を絞めることになる。名取氏の舵取り能力が問われるところである。 社長は口を出さないと宣言しているが、手を出すのは良いとは言わないだろう、と信じたい。

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2019年09月07日

Fine Scale という言葉

 ようやく右手のリハビリに入った。動かせない期間、博物館の本を順番に読んで、整理をしていた。その中に、Guy Williams編、The World of Model Train(1970年刊)という本があった。これは全く目を通してなかった。

619_1154 素人向けに、非常に広く浅く書かれた本であるが、編集者の中に Linn Westcott 氏(Model Railroaderの編集長)もいるからには、変なことは書いてないはずだ。どういうわけか、日本語版も出ている。模型機関車/この魅力の世界 秋野忠弘訳(実業之日本社1970年刊)である。この秋野氏がどういう方なのかは、見当が付かない。検索しても、この本以外の訳書は見つからない。

 この2冊を並べて読んでみると、訳がかなりまずいところが見つかる。ゲージ関係の説明はよろしくない。それは後述するが、Fine Scaleという言葉の説明があったのは驚いた。英語の説明は良い。対する日本語は、言葉の選び方が良くはないが、ウソはない。p.80から引用する。

 The idea of modelling to exact proportions in every possible respect, and most especially in respect of the track and wheel contours, originated in great Britain, where new approach is called Fine Scale. The term is misnomer, since the scale is not actually changed. In America, the words fine standard or exact standards are usually preffered and give a more accurate idea of the purist modeller's intention.

 この部分の日本語は、

 できるだけ多くの点で、特に軌道と車輪の外形で、正確な比率の模型を作ろうとする考えは、イギリスで起こった。イギリスではこの試みを ”精密スケール” と呼んでいたが、実際にはスケールは変わらないのであるから、この用語は誤称といえる。アメリカでは ”精密基準” あるいは ”正確基準” という言葉の方が好まれており、この方が潔癖な模型製作者の意図にかなっている。

とある。英語を母国語とする人もおかしいと言っているのだ。

 この言葉を日本に持ち込んだのは、とれいん誌である。1970年代に否定された言葉を80年代中頃に持ち込んだような気がする。その細かい年代は、まだ調べていない。そこには、意図的なものを感じる。あるいは完全な無知から来るものである。

 井門氏の文章から、最近はファインスケールという言葉を探し出せなくなったのは、喜ばしいことだ。間違った言葉であることは明白だからだ。
 気が付かないうちに少しずつ変化している。もう少し待てば良くなるだろうか。 

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2018年07月10日

O Scale West の記事

 O Scale Resourceの最新号が届いた。今回の特集は、O Scale West への参加レポートである。15 ページから始まる13 ページもある記事だ。写真が多い。
 筆者のクリニックにも聞きに来てくれたので、次号あたりに何か書くよう、要請された。この説明に "a great clinic" と書いてあるのが気になる。雑誌では、一般的にこのような主観的な表現は避けるものであるが、何か感じたのかもしれない。彼自身の言葉なので論評しても仕方ないが、異例の表現である。聞きに来てくれて、
「感銘を受けた。素晴らしいクリニックだ。他所でもやるべきだ。」
と言ってくれたので、嬉しかった。

 主催者の Rod からはあとでメイルを貰った。
「遠いところを来てくれて、感謝する。貴君のクリニックを聞いた、と言う友達の来訪を受けた。素晴らしいクリニックだったそうで、招待のし甲斐があった。また来年もやって欲しい。」
という事であった。

 この無料雑誌は最近購読者が急速に伸びているそうである。ページ数もどんどん増え、広告も多くなっている。日本の雑誌もこうなるのが理想である。


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2018年03月15日

翻訳

 日本ほど、世界各国の本が翻訳されている国もないそうだ。特に英語の本は、すぐ訳本が出る。素晴らしい訳ばかりではないのが残念だ。

 先日の「走れ‼機関車」は、なかなか良い。英語版が届いたので並べて再読した。なるほどと思わせる訳もあり、感心したところも多い。しかし、一箇所訳を外したところがある。その言葉自体を無くしてしまっている。訳せなかったのだろうか。

tricock valves水面計? それは、"tricock" である。おそらく辞書には載っていない言葉だ。これは蒸気機関車のバックプレートにある三つ並んだコックである。その中心付近に水面が来るように設計してある。水面計はあっても、ガラス管が割れることはよくある。また、水質の悪いところでは、水が泡立って、水面計では用をなさないこともある。そういう時は、この最も原始的な方法を採るしかない。西部ではガラスは貴重品で、ガラス水面計の無い機関車もたくさんあった。

 高いところのコックを開いてブシュッと蒸気が出れば、水面はその下にある。真ん中のコックを開いてジュワッと熱水が飛び出れば、水面はその上にある。もちろん圧力が掛かっているから、気化して泡立つが、水が出ることには変わりがない。Big Boyにもついている
 飛び出した熱水は漏斗で受け、床下に捨てる。こういう単純な装置なのだが、訳者は意味が分からなかったのだろうか。水面計ではまずい。アメリカに聞けばわかる人もいる筈だが、どういう訳か、この言葉は日本語版から削除されている。よく見ると、図には修正の痕らしきものも、見えないこともない。これはまずい。作者に失礼だし、読者にも同様だ。
 gauge cock として、このブログでも近いところまで紹介した。

 翻訳というものはとても難しい。作者と同レベル以上の知識の持ち主でないと訳せない。筆者も時々翻訳を引き受けるが、分からない時もある。そうなると知っていそうな友人を順番に当たり、さらに外国に問い合わせて、やっとの思いで正しい解釈にたどり着いたことがある。そういうときの焦燥感は終わってみると懐かしいが、その当時は大変だった。

 この本は素晴らしい本なので、直ると嬉しい。

2017年04月02日

一区切り

unique user このひと月のアクセス数を表すグラフを見て、あまりにも平坦で、驚いた。こんなことはめったにない。確かに、今月はあまりセンセイショナルな話題がなかった。淡々と、祖父江氏の記事と、競作の記事を並べただけだからだ。
 隔日更新なので、その波がひたひたと感じられる。途中5日に更新設定を誤って、6日に更新しているのが唯一のイレギュラな点で、如実に表れている。あとは平凡そのものである。このグラフはUUを示している。この原稿を書いているのが22時なのでまだ少し増える筈で、規則的な波であることは間違いない。お読みになる方が固定化しているということだろう。
 このひと月で一番アクセス数が多かったのは例の仮定法の話題だ。グーグルで検索して来られた方が多いが、集中しているわけではないので、グラフからは読み取りにくい。その方たちは模型の範疇外の方であろう。いくつかコメントを戴いたが、ここに載せるほどのこともないので直接ご返事差しあげた。親しい英語の教師に聞くと、やはりそのあたりの実力が怪しい教師が多いそうだ。要するに会話ができない人が多いのだ。会話の中には仮定法はいくらでも使われている。

 もしここに話題を呼ぶような記事を出すと、いっぺんに山の高さが数倍になる。実は、今月はいろいろな点で忙しく、あまり熱心に記事を書いていない。というよりも書く暇がなかったのだ。
 定年のある仕事ではなかったのだが、模型の方に力を注ぎたいので、仕事をすべて辞めることにした。その節目に本を出さねばならなかった。校正その他がどっさり来て忙殺されたが、ようやく出版された。引き続き、町内会の仕事を引き受けているので、年度末は眼が廻るほど忙しかったのだ。実際に過労で少し休んでいた。町内会とはいえども、ある程度の法律の知識が無いとおかしな方向に行ってしまうから、手を抜くわけにはいかない。市役所はほとんど誰も法律を知らない。憲法違反まであるので大変である。

 博物館レイアウトに掛ける時間はいつもの半分以下である。しかし、家でもできる作業をかなりした。もうないと思っていたブラス貨車の組み掛けが、書斎の書庫からどさっと出てきて、それをかなり完成させた。今月は10輌近く作った。最近作業の速度がかなり速くなったのを感じる。この1週間で5輌作った。博物館に行けない日は、工作に充てる時間が長い。貨車であるから、少々荒っぽい作りだ。ハンダは削ってない。鏝を上向きに使って吸い取る程度だ。それで十分である。ハンダは200 gほど使った。スズを足して共晶にして使っている。ハンダはあと数kgある。

 石炭ホッパをたくさん作った。安達製作所から側面の板をもらったのをベースに、ごく適当に板とアングルを組合せて作る。本物の図面を見て補強を入れるので、製品より多少出来が良くなる。このサイズのアングルは売るほど持っていたが、ほとんど使い尽くした。 

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2016年08月31日

続 O Scale Resource

 OSRは、もともとあった紙媒体の雑誌を受継いでいる。数千部では経費ばかりかさんで採算割れしてしまった。いっそのこと、無料のウェブ雑誌にしてしまえば、採算が取れるという計算だ。大きな利益を目的としていないので、損失がなければよいのだ。編集者は、良い書き手を求めて、取材活動をしている。くだらない投稿記事ばかり並べるような雑誌とは、一線を画しているのだ。

 編集者は、筆者と過去に何回か話をしている。記事にあったように、Melissaが日本に来て、当家に逗留していった報告を聞いて、ぜひとも詳しい話を聞きたいと思ったのだそうだ。
 博物館のレイアウトの分岐がハンドメイドであることには甚く感動していた。例の4番Y分岐と8番の関係など、目から鱗だったようだ。また、持って行った等角逆捻りのサンプルを見て、眼を輝かした。
「これはすごい発明だ。このデモンストレイションをやったら、みんな拍手喝采だよ。」
線路を持って行かなかったので、ハーマンの遺品の線路を借りて置いた。p.28の写真を見ると泣き別れになっているが、そんなことはどうでもよい。3点支持のまずいところがよくわかったのだ。

 ハーマンの奥さんが、
「線路がたくさんあるが、持って帰れるものなら博物館に寄贈したい。」
と言う。有難い申し出であった。線路はいくらあってもよい。ショウケースの中の展示用が不足していた。縦横高さの和158 cm以下であれば持って帰れる。航空会社の上級会員になっているので、荷物の数も余裕がある。数十本貰い、ちょうど良い箱を作って入れた。他にも、
「組み掛けの貨車キットなども、持って帰ればどうか。」
と勧めるので、10輌分ほどもらってきた。完成時には「ハーマンからの寄贈」というシールを貼る。
  墓地でハーマンの墓に参り、
"Bye bye, Harmon."
と言った瞬間に、それまで気丈に振舞っていた奥さんが号泣した。遠いところを来てくれたことを感謝された。

 帰国してから、すでに半分以上組んでしまった。欠落した部品は自作して補った。どれもシカゴ近辺の鉄道会社の貨車である。久しぶりの車輛工作だ。ハーマンのことを思い出している。

2016年08月29日

O scale Resource

 昨日友人から連絡があって、記事が載っていると言う。開いてみたら、5ページもあって驚いた。27ページからである。編集者によると5,6回の連載にするつもりだそうだ。この雑誌は無料のウェブ雑誌で、広告費と寄付だけでやっている。金を取る雑誌よりも中身が良いと評判である。数千人の定期読者がいるそうだ。

 先日、シカゴに行ったときに、亡くなったハーマン宅を弔問し、墓参した。その時、奥さんが編集者に筆者が来ることを連絡したのだ。彼は急いでやってきて、3時間半のインタヴュを受けた。
「世界中であなたしかやっていないプロジェクトを紹介したい。なぜ、ここまで機関車の性能向上に心血を注ぐのか、それは一体何が始まりだったのかを知りたい。誰があなたに影響を与えた(mentorという言葉を彼は使った)のか。」と聞く。
 彼はジャーナリストである。今まで、仕事上でも趣味の世界でも、さまざまな報道関係者と話をしたが、彼の姿が一番正しい。核心を突いているのだ。

 i-Padの写真を見せながら、いくつかのサンプルを机の上に並べて見せた。彼は一つずつ動かしてみて、驚嘆した。
「これは模型の世界ではない。とてつもなく素晴らしい性能だ。どうして模型製造業者が飛びついてこないのだろう。」と聞く。
「単純に言えば、彼らに能力がないからです。見ても理解できない人たちなのです。実際に走らせていないから、100輌牽くと言っても、フーンで終わってしまうのですよ。」
と答えた。
「誰にもわからない、とは思えないけど。」
「ごく一部の人はわかります。今回も車輪を1000軸ほど買ってくれた人がいて、それを持ってきました。また、韓国の製造業者はこの歯車を欲しがりました。」
「でも、実用化されなかったよね。」と畳みかける。
「アメリカのインポータがそれを蹴ったのです。頭が悪いとしか言えませんよ。『単なるマスターベーションの一種だ。』と言ったそうです。でもヨーロッパには売れたようです。それほど高いものではないからね。」
「うーん。そうだね。」

 100輌以上の列車が1輌の機関車によって牽かれ、なおかつ下り勾配で発電しながら降りて来る様子をヴィデオで見せると、
「これは世界中に見せる必要がある。」と言った。           
 
 忘れていたが、このブログの開設10周年の記念日が過ぎたことを指摘された。 

2016年07月15日

TMS195号

TMS195 もう50年以上も経ったのだ。TMS195号(1964年)のミキスト欄にはかなりすごいことが書いてある。筆者の持っている一番古いTMSが186号であるが、それ以前のTMSで、NMRC(名古屋模型鉄道クラブ)の記事はよく見ていた。だからクラブに入会しようと思っていたのだが、突然TMSでのNMRCの記事が全く無くなってしまった。解散したのではないかと思ったぐらいだ。
 しばらく経って、椙山氏のお宅でNMRCの会長だった荒井友光氏を紹介され、直ちに誌友となり、正会員になった。NMRCが無事に存続していたことは、筆者には驚きであった。
 
mixt195 そのミキストにはNMRCの悪口が40行くらい書いてある。今だったら、名誉棄損で直ちに裁判沙汰になるような内容である。個人名も明記するなど、とても信じられない記事だ。剛氏と山崎氏は「ケンカ友達」だったのだが、副会長の加藤氏はそうではなかった。TMS憎し、でそれは加藤氏が編集長だったYard誌に表れている。
 これがきっかけで、NMRCはTMSと絶縁した。剛氏はそれまで極めて頻繁に紙面に登場していたが、全く影を潜めた状態が、400号まで続いた。ざっと16年間の冷戦状態であった。剛氏は東京勤務の時代もあったのだが、TMSとは接触しなかった。
 剛氏は仲直りが必要だと考えたのだが、副会長氏は強硬で実現しなかったようだ。
 この状態に心を痛めたのは井上豊氏で、東京方面に引っ越されたこともあって、頻繁にTMSとは接触し、仲裁を試みた。360号(’78年)あたりから、かなり頻繁にアメリカ型蒸気機関車の記事を発表している。古橋正三氏はギヤード・ロコの記事をかなりの数投稿したし、また、荒井友光氏も395号でトラス橋の記事を書いた。荒井氏は上京の際山崎氏に会い、400号までに関係の修復をすることを約束させた。
 その年のNMRC新年会で、山崎氏は来名し、「また仲良くやろう」と全会員を前に、伊藤 剛氏と握手をした。その後名古屋特集が出たのは、筆者の解釈では、いわゆる手打ちではないかと思っている。あの内容を訂正もせず放置したのは良くなかったからだ。


2015年11月17日

またまた曲がった橋

 今月号のTMSをようやく読むことができた。ぎりぎりセーフである。田舎に住んでいると、本屋に行っても置いてないのだ。

 小さなレイアウトの記事なのだが、写真を見るとガーダ橋が曲がっている。これには困った。編集部は何をしているのだろう。「集まった記事を順番に載せているだけ」と揶揄した話があったが、反論できないだろう。

 どうして、力学的な考察をしないのだろう。はがきを切って糊付けして作った橋が真っ直ぐなら、多少の荷重を掛けても大丈夫だ。ところが、曲がっていればたちまち落橋だ。そういうことは小学校の時にやらないのだろうか。あるいは、中学校の技術家庭の時間でも扱わないのだろうか。
 どなたかが、「鉄道模型は文系工学です。」とおっしゃった。その時は、その言葉にやや偏見があるように感じたが、最近はそうかもしれない、と思うようになった。


 前にも書いたように雑誌には責任がある。明らかな誤りに対しては、編集部が是正せねばならない。間違った情報を流されると、読者は迷惑するのである。

 最近、古いメルクリンを見た。製造後50年ほど経っているのだろうが、良く走る。少量の油を注すと、ジコジコと音がするが、確実に走り、脱線しない。
 その昔、TMSの山崎氏は、「メルクリンはよくできたおもちゃ」と評したが、それは当たっている。しかし、精密にできた日本製を中心とする模型のほうはちっとも進歩せず、「見かけは良いけど、出来の悪いおもちゃ」が多かった。今回の橋の件は、見かけも間違っているのだ。


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2015年06月23日

MRの整理

MR back issues 日本の雑誌は綴じが固くて自立するが、アメリカの雑誌はふにゃふにゃで合本にしないと自立させることができない。アメリカでそのような雑誌を立てるための箱をいくつか手に入れたが、その中でもつぶれてくしゃくしゃになってしまったものが多い。さりとて合本は取扱いが良いとは言えない。重いし、合本の表紙から外れるものもある。

 今回の本棚には低い棚がたくさんある。これはこの種の雑誌の収納には適する。平積みで見やすいし、雑誌の傷みも少ない。写真に写っている平積みだけで26年分以上ある。その他合本を合わせて約50年分は手に取りやすいところにある。古いものは触るとばらばらになるものもあるので、開架しない方針である。

 こうやって並べると、時代の流れがわかる。広告が多くて分厚かった時代から、ディジタル化が進んでペラペラの時代への変化だ。経営は苦しくなったのだろうか。
 
centrifugal clutch 整理していると、昔挟んだ栞があって、思わず開いて見入ってしまう。これには見覚えのある方は多いはずだ。
 60年以上前から、このようなメカニズムを作っていた人があるのだ。この頃のアメリカのOゲージでさえも、モータの性能は良いとは言えず、より滑らかな走りを追及する人が作ったのである。低速でのトルクが小さいモータでも、滑らかに発進できたのだ。
 この時代の日本の16番は走りが悪かった。小さいモータは、機関車それ自身が走る程度の出力しかなく、車体の小さい日本型16番には大変苦しい時代であった。だからこそ、70年代にシカゴで会った元進駐軍の将校は、「日本はSスケールを採用すべきだった。」と言ったのだ。 

 大きなOゲージは、このクラッチの成果を十分に堪能できる。Kleinschmidt氏に頼んでおいたけど、ちっとも送ってこないので、自分で作ってみることにする。ボールベアリングを入れて完璧な構造にしてみたい。大きめのフライホイールを付けると面白い走りとなるだろう。

2015年04月30日

続 Harmon の入賞

 何人かの方からもお知らせを戴いた。
 Harmonの作品の大きな写真が The O Scale Resource という雑誌に載っている。

 この雑誌はWeb上でのみ読めるもので、無料である。広告料だけで運営されている。筆者の考える最終的な雑誌の形である。写真もきれいで、60ページ以上もある。中身も濃い。Resourceという言葉はふつう、資源と訳されるが、そう意味ではない。必要な時に役に立つ助力 a source of aid or support that may be drawn upon when needed という意味だ。

 筆者の3条ウォームギヤとかLow-D車輪の原稿を頼まれているのだが、博物館が忙しくてなかなか書けない。
 Harmon は最近のシカゴのショウで入賞し、なおかつBest in Showという最高賞まで与えられた。どうして一等にならなかったかが不思議だが、おそらく塗装がきれいだったのだろう。投票結果は接戦だったようだ。筆者も行って投票すれば良かったと思う。
 45ページの解説に、ハーマンは成功している農家で、夏の間は忙しい。製作は冬の期間に限られる。製作期間は15年以上とある。今度会ったら何と言ってあげようかと思っている。

 この雑誌の先号に電池動力のラジコン機関車の話がある。23ページである。少々ややこしいが、面白い方法である。筆者がやるならもう少し簡単にしたい。

2015年03月03日

天秤棒の件

 米国にいる間に、メイルをいくつか戴いた。中身は全て同じで、最近号のTMSの記事で、小林義和氏が執筆された記事について、意見を求めるものであった。
 どれも記事の完全なコピィを送ってくれたわけではなく、不鮮明な画像しか送ってくれなかったが、単なるバネ装置の範囲から出ないことはすぐわかった。
 帰国後、時差ボケがひどく、昼間は頭痛がしていたが、書店に行った。最近、TMSは近くの書店にはなく、街の本屋まで出かけて確認した。

Athearn truck mouting 思った通り、単なるバネ装置でイコライズはしていない。これは形は異なるが、1940年ごろからアメリカで売っているAthearnのOゲージ貨車の台車マウントと同じである。
 二つの台車が、床板の上に貼りつけられた板金製の台枠にはめ込まれた雌ネジに取り付けられる時、径のやや大きなコイルばねを介してネジで留められる。雌ネジの台車に当たるところは狭く、台車はかなり自由に傾く。

 バネは台車の傾きに抵抗する。レイル上の突起に乗り上げると、片方の台車枠は持ち上げられ、車体に対して捻りを伝える。しかし、もうひとつの台車は平面レイルの上にあるから、それは車体を元の位置に保とうとする。その二つの力のつり合いによって、平均値である捻り角の半分ほどのところで車体が落ち着くはずだ。ただし、車体はバネで支えられているので、ふらつく。

 Oゲージの場合、このふらつきがなかなか良く、ポイントを渡るときは実感的である。もちろんバネの固さ、ネジの締め付け具合は経験上、一番良いところを選んでいる。ただキットを組んだだけでは、そのような動きはしない。バネ座部分の多少の摩擦がダンピングに効果を発揮している。3点支持ではないので、どちらの方向に走っても具合が悪いことはないと云うところが良い。これはバネで制御された2点支持である。

 車輪が突起に乗り上げると、その反対側の車輪の輪重は低下する。ちょうど自動車の一輪が突起を踏んだ時と同じである。対角線上の一輪に対する荷重が増え、その他の荷重は低下する。自動車の場合はスタビライザ・バァが付けられているので、反対側に多少は荷重を増やすように働く。しかし等荷重にはならない。自動車にはショック・アブソーバと云うダンパが付いているので、揺れも収まり、乗り心地の改善に貢献する。この天秤棒は、スタビライザ・バァそのものである。

 鉄道模型にダンパが付いているのを見たことがない。積層した板バネはダンパだが、それを正しく働かせている例を見ない。たいていは上の1,2枚だけを利用している。筆者はハイドラクッションの模型を作った時に自作のエアダンパを付けた。実にうまく作動して効果的であった。オイルダンパは20年経つと油が漏れてきてダメになった。

 この小林氏の作例もダンパが付いていると、かなり走りが改善されるであろう。ダンパは空圧、油圧のみならず、摩擦方式もあるので、簡単な方法で大きな効果が得られるであろうと思う。

 今野氏のブログで議論が白熱し、非常に良い結果が出た。このようなインターネットを手段とした議論は、おそらく日本の模型史上最初のことではないかとも思う。小林氏は潔く非を認められ、訂正をTMSに対して申し出られたのである。これは大人の対応であって、とても素晴らしいことである。
 

2014年11月29日

TMSの誤記

TMS Mistake 少しだけ図書の整理をした。あまりにもたくさんあるので、全体が完了するのは1年以上掛かるだろう。雑誌の整理をしてあげるという方もいらっしゃるので、その方にお任せすることになりそうだ。

 土屋氏から来たTMSを並べているうちに、1994年の12月号が無いことに気が付いた。10月号は2つある。中身は違う。疲れていたので、頭がおかしくなったのではないかとさえ思ったが、何度か見て、12月号を10月号と誤記したのだと気が付いた。

 この頃は、筆者は自宅の建設に勤しんでいて、模型工作を全くしていなかった。要するに1:1のストラクチュアを作っていた。アメリカからキットを買って、大工を呼び、住めるところまで作ってもらった。内装、外構、地下室は自分でやったのだ。約二年かかって一応の完成と言えるようになった時期が95年の春である。
 このあたりの号には、伊藤剛氏の”平田町(へいでんちょう)界隈”という面白い随筆調の連載記事が載っていて、後でコピィは戴いたが、表紙は全く見てなかった。

 誤記のすぐ次の号で、編集者の手帳に誤記を詫びる文が載っている。他にも写真の日付の間違い等、些細なミスを詫びて訂正している。山崎氏には意外と律儀なところもある。
 誤記訂正の載っている雑誌は信頼性が高いということを認識していたのであろう。

 それに引き換え、最近のTMSはひどい。例の”パイクは卑称”というとんでもない話は、訂正された気配はない。その筆者は、まさにこのころ入社していると編集者の手帖に紹介がある。

 訂正のない雑誌は、それが自分の首を絞めていることに気が付くべきだ。

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2012年04月07日

ゴミ箱の中

yhst-22106725251441_2203_82412769 今回のコンヴェンションで最も印象的だったのが、この事件だ。

 いつも古い書籍とか雑誌を並べている男がいる。毎年会うのでおマケしてくれるいい奴だ。今年は妙に御機嫌が悪い。たくさん並べてあるModel Railroaderの旧号が一つも売れないのだ。
「こんなことは今までなかった。Kalmbach社がDVDを出したからだ。」とブリブリ文句を言う。

「そうだね、あれを買った人は紙の本を捨てるかもしれないから、古本の供給が過剰になって、値段が付かないかも知れないね。」と言うと、「あああ、もう駄目だ。」と頭を抱えた。

 最終日の午前中に彼はMRの山をゴミ箱に投げ込み始めた。200冊くらいあっただろうか。そして残りの荷物を車に積み込んでさっさと帰ってしまった。
 残った我々は一応最終時間まで居たが、何人かが集まってそのMRを見ていた。

「図面は紙が良いね。」
「そうだよね。でも紙も劣化しているからすぐ破れてしまうよ。」
というわけで、何冊か引っ張り出してそれぞれが興味ある図面だけ外して持って帰った。帰宅して早速コピィを取り、原本は捨てた。拙宅には図面のコピィは何百枚かあり、綴じてある。時々出して眺めるのは楽しい。

 Kalmbach社の広告には、「計算してみよう。199.95ドルで912冊、一冊当たり22セント!」とある。あまり劣化はしないだろうが、DVDというメディアがあと何年用いられるのだろうかは心配だ。

Model Railroaderの電子配信の件はここに書いた。

2012年02月25日

続 不思議な工作記事 

台枠の切欠き フライスで台車枠を切り出す記事があった。エンドミルで四角に切り取っておしまいである。
 ほとんどの人には気が付きにくいことだが(もちろんこの著者も気が付いていない)、台車枠の切り込みは四角ではない。必ず丸くえぐってある部分がある。これは、応力の集中を避けてクラックを生じさせない工夫である。

応力の集中「応力の集中」とは、次のようなことである。 例えば紙テープを引っ張って切れる時の力を測定する。そのテープの二倍幅の物を用意し、半分までハサミで切れ目を入れる。先ほどの力を掛けると簡単に切れる。おそらく二割程度の力で切れるであろう。角があるとまずいのである。粘着テープを切るカッタがギザギザなのは、これを利用しているのだ。
 切れ込み部分を半径の大きな円にすれば、最初の実験とあまり変わらぬ値になるであろう。

 手法はもちろんであるが、製作記事にはこのような解説があることが望ましい。軸箱守も爪状になって強度部材として存在していることも触れるべきであろう。
 
 単発記事ではなく連載で書く人は、それなりに勉強した人であってほしい。そうでないとこの趣味の世界をリードすることにはならない。今の連載では、中学生が外見だけ見て模型を作っているのと、さほど変わりが無いのである。タイトルは模鐡技師になっているが、技師とはとても思えない。

 その点では、昔伊藤剛氏が書かれていた記事には今でも感服することが多い。専門家が分かり易く説く姿勢というのが、この趣味の世界には最もふさわしい。素人の勘違い記事は初学者にとって迷惑そのものである。

 機械で工作する手法が書きたいなら、少し謙虚になって近くの町工場で見学してくるべきだ。素人の思い付きではだめなのである。
 鹿ケ谷氏の御指摘にもあったように、ワーキング・パス(working path)が長くなると必ず失敗する。刃物が飛び出している量を少なくすることが最も大切なことである。
 機械全体の中でどの部分の剛性が最も小さいかを考えれば、自ずと手法は決まるのだ。

 しばらく前にこの雑誌中、どなたかの記事で模型連結器の話が展開されていたようだが、それにMonarchの話が出て来なかった。連結器の歴史上、最も信頼性ある連結器として名を轟かしたのだが、それをご存知ないようだ。編集部ももう少し知識のある人を揃えないといけないし、前にも書いたように査読者に見てもらうべきなのである。

2011年11月17日

Rebuilt Engines

 このように、ほとんどの機関車は筆者の鉄道の仕様に合致させるべく改造を行う。場合によっては下廻りは完全新製することもある。今手掛けているChallenger 3輌がそれである。
 上回りはよほどひどい間違いがなければ、多少手を入れただけで塗装する。それを所属クラブの例会に持っていく。分かっている人は「よくやったね!」と言ってくれるが、まったく評価しない人もいる。

 先日クラブの例会で、ある方がそっと耳打ちしてくれた。
「『dda40xさんは買ったものしか持って来ない。 あの人は自分で物を作らない人だ。』ということを言っている人が居ますよ。ひどい言い方ですよね。」

 半分弱は当たっている。しかし、このようなことを言う人に物を見せても、たぶん理解してもらうことは不可能だ。筆者の機関車を見ても、その違いが分からないということは、模型店が提供している動力装置に何も手を加えずに模型を完成させても、何も感じない人だということである。

 人生は短い。「時間を買う」という意味で完成品を素材として買うのだ。しかも筆者は格安品しか買わない。それらは何か問題を持っている。衝突事故でめり込んだもの、モータが焼けたものとか、脱線して側面が削がれたものなどである。
 手を入れれば直せるものを相場の半分以下でしか買わない。

 しばらく前、当鉄道に来訪された方が、工作室に入られて大変驚かれた。模型用としてはかなり大型の工作機械が並んでいて、切粉が山になっていたからだ。廃品回収業者に持っていくために、大きな缶に山盛りにしてあったのだ。

「こんなに削るのですか。」
「Oゲージですから、HOの8倍くらいにはなりますよ。しかもOゲージの部品は売っていないので、全部作らねばなりませんからね。」
「材料もこんなにストックがあるのですね。」
「全部、廃品回収業者から目方で買って来るので、安いものですよ。ほらこの汚い塊もブラスや砲金ですよ。いつも50 kgくらいは持っています。」
「これはボールベアリングですか。一体何個くらい持っているのですか。」
「この筒1本が100個ですから、1500個くらいありますね。10年分くらいです。欲しい人にはお譲りしていますよ。1個100円を切ります。安いでしょう?」

 この方は、クラブ内で、筆者が物を作らない人であるという噂を一生懸命否定してくれたが、たぶん何の効果もないだろう。

 筆者はとにかく、よく走り、脱線せず、壊れない模型作りに興味があるのだ。上廻りを細かく作ることにはあまり興味がない。 筆者の機関車をアメリカのレイアウトに持っていくと、皆その走りには驚嘆する。やはり、走らせる環境がないと理解するのは難しいのだ。
 日本の雑誌に載る作品はどのような走りをするのか、その動画を見たいと思う。出版社が持っているウェブサイトで公表すれば良い。こうなるとレイアウトを持たない出版社は、意味がなくなるかもしれない。

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2011年08月16日

続々々 伊藤英男氏の蒸気機関車

 35mmゲージというのはすでに過去のゲージであるが、戦後になってからも、ある程度の秀作は発表されている。しかし、その後全く発表されていなかった。
 筆者は20年ほど前、吉岡精一氏に伊藤氏のお宅に連れて行って戴いた。その時の衝撃は忘れられない。全てを手作業でここまでのものを作れる人は、まれである。祖父江欣平氏、内野日出男の両氏も凄いが、彼らとは異なる次元の製作者であり、一品物をこの速度で着実に作られるというのは、まさに研ぎ澄まされたプロの世界であった。

 平岡氏のTMS記事まで、一般の方には伊藤英男氏の名前すら知られていなかった。どうしてこの国の模型雑誌社は、製作者の取材をしないのだろう。伊藤氏のお宅に何回も伺って密着取材をすれば、いくらでも素晴らしい記事が書けるだろうし、作品集だけでも大冊ができる。国鉄型をここまで細かく、精密に、大量に作られた方はいないはずだし、この作品を見て参考になる点は多い。

4 2 祖父江氏の時もそうだった。雑誌が全く取材に行かない。来たのは朝日新聞とアエラだけで、模型誌には顔写真の一つも載らなかった。この国の模型文化の根元を作られた方なのに、亡くなっても知らぬふりである。(写真はアエラ2004年10月4日号)
 ある雑誌社の編集部が極めて浅い記事を書く気配があったので、あわてて文章をまとめたのが載り、ほっと一息というところであった。
 編集部の書く記事など読みたくないと思うのは筆者だけだろうか。投稿者があれば、それを元に取材に出るというのが筋である。
 新聞その他のメディアの「記者クラブ」制度が批判の対象になっていることを御存じの方も多いだろう。役所から渡される原稿を載せるだけで仕事をしたことになるわけで、現在の模型雑誌にも似たところがあると筆者は見ている。

 伊藤英男氏は、長年、特定の顧客を相手に仕事をされてきたので、一般には全く知られていない。また、インターネットをされていないので発表する機会がなかった。今回の訪問時に「発表させてほしい。」と申し出たところ、快諾を得た。秘密にしていた「ハシ」の工夫などを全てオープンにして下さった。
 ロクロはほとんどだれも知らないことで、それだけでも今回のシリーズには存在価値があったと思う。 

2011年07月05日

続 査読者

 この件で何人かの方からメールを戴いている。私信なので一部を公開するにとどめるが、大体同じことを仰っている。

A氏より
 査読がある、というのは驚きです。載せる記事に責任を持つというメディアの姿勢と理解しました。

B氏より
 dda40xさんが指摘されているように、日本の雑誌のレベルに問題があるのは、投稿された原稿をそのまま載せるという体制に最大の原因があると思います。というか書き手の割に雑誌数が多すぎるのと、コストが低くできて多く売れればよいという雑誌社の姿勢が問題なのでしょうか?

C氏より
 学会誌と同じですね。査読に通れば、それはお墨付きが得られたと同然ですから、大きな進展があるものと思います。…中略… 出せば載るというレベルの低い日本の雑誌とは違うということがよくわかりました。どんな人に査読をお願いしているのでしょうね。

 筆者は、Model Railroaderが世界最大にして最高の模型雑誌たらんとして、努力している雑誌社であると認識している。その世界中に与える影響の大きさを鑑み、慎重であることが素晴らしいと思う。
 
 以前の押して動くギヤも、25年経つと、世界中の色々なメーカが採用していることに気がつく。
 先日のHill氏も、「祖父江氏に頼んで改造してもらった押して動くギヤは素晴らしい。あれも日本人が考えたそうだね。ずいぶん色々な会社で作られているね。」と言うので、「そうですよ。この雑誌です。」と棚の蔵書のMRの旧号を取りだして見せた。「おや、すぐわかるのかね ?」と聞くので、「どこかで御覧になった名前ではありませんか?」と著者名を見せた。
 彼はとても驚き、「どうしてそれを早く言わないのだ。もっと早くに招待していたのに。」と言った。
 MRに載るということは、とても重要なことだと彼は念を押した。

2011年07月03日

査読者

 Model Railroader誌には原稿を送ってあったのだが、事務手続き上の手違いが双方にあって、手紙が届かなかったりしたことが、この遅れの元となった。

 原稿は正当に評価された。しかし、「内容があまりにも重大な部分を含むので編集者の一存では判断しかねる。Reviewer(査読者)にその判断をゆだねたい。」という連絡が来た。確かにこの記事はNMRAの規格にも大きな影響を与えるだろうし、ひいては世界中の規格にも影響を与えかねない。うっかり載せて、それが何かの間違いを含むものであると、大変なことになるからだ。
 査読者がどなたかはよく分からないが、NMRA規格などの責任者であろうと推察する。1月ほど経ったある日、「査読者のApproval(承認)が得られたので、原稿の買い取りの契約書を送る。それに書いてある条件以外の指定事項があれば知らせよ。」と言ってきたので、コンピュータ・グラフィックによるレンダリングや3DのPDFを作ってくれたBunji Izumi氏の名前を載せることなどを指定した。原稿料の振込先の指定もある。

 問題はそのあとのことである。E-mailならば話は簡単なのだが、契約書は紙である。それを送ると言ったきり、待てど暮らせど送って来ない。問い合わせると「送ってある。」とのことだが、来ないものは仕方がない。再度問い合わせている最中に、知人経由でその封筒が届いた。聞けば、その封筒は筆者の20年以上前の住所に送られていた。前回の”Free Rolling Locomotive(押して動く機関車)"の記事を送った時の住所が、Kalmbach社のコンピュータに残っていたらしい。幸い、旧住所には知人が住んでいるので、気を利かせて送ってくれたのだ。

 査読者がいるということは素晴らしいことである。レイアウトの紹介記事、車輌の製作記事などは主観的な記事であって、間違いということはあまりないし、たとえ多少の間違いがあっても問題にはならないだろう。しかし、このような規格に関する記事や、電子工学に関する記事などは査読者が必要だ。前回の歯車の記事も、査読の対象であったようだ。

 翻って、日本の雑誌はどうだろうか。以前電子工学の記事が載った時は、「内容に関しては製作者にお問い合わせください」という編集部の断り書きが付いた記事があったことを記憶している。これは責任放棄も甚だしい。「私たちは原稿をそのまま載せています。場所を貸しているだけなので中身については関知しません。」ということなのだ。金を出してその雑誌を買う人のことを考えていない。これは「横暴」である。

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2011年04月27日

「1000記事達成!」 の通知を受ける

 気にも留めていなかったが、昨日表記の通知が届いた。思い起こせば2006年8月末から始めて、当初は毎日更新であった。ある方から、ペースが速すぎてついていけないと言われ、2日に一回とした。

 このブログを始めたきっかけは既存のメディアに対する不満からだ。とにかく勉強が足りない。金を取って売る雑誌なら、少しは努力せよと言いたかったのである。筆者は職業柄、物事を客観的に見ている。鉄道模型は情緒的な面もあるが、本質はメカニズムである。

 幼少のころより、技術者であった父の指導の下、理屈に合った模型を楽しんできた。ところが雑誌に書いてあることはそれとは異なり、大きな誤りも多々あった。それを正す人が居ないのは、この趣味を楽しむ人たちのためにならない。それなら書いてみようということになったのだ。もっとも筆者が楽しむのはO Scale であり、日本ではやや異端である。あまり影響力を及ぼすことはできないとは思っていたが、読者の方々の賛同を得ることができた記事も多かった。

 「快削ブラス板の採用」、「炭素棒ハンダ付け」、「バネの効いたイコライジング」、「ステンレス容器中での折れ込んだタップの溶解」、「曲がった橋」、「パイクは卑称と言う新説」、など、今でも読み返してみて感慨深い記事もある。一方、興味深いがとても手が届かないという御意見をたくさん戴いた記事もあった。ロストワックス関係の記事がそうである。
 日本ではどういうわけか、ロストワックスのプロセスが模型雑誌には久しく載らなかった。ある人は、「秘匿している。」という表現をされたほどである。
 アメリカではごく当たり前の鋳造法で、電話帳で Casting の項を調べればいくつかは簡単に見つかる。この方法のテクニックを公開することは、当然必要なことであり、多くの人がその恩恵に浴することができればよいと思う。

 最近はブラス工作をする人が減っているが、やってみればこれほど簡単な工作はない。接着という時間のかかる難しいプロセスがないのである。やけどさえ気を付ければよいのである。
 工具をそろえると速くできる。おそらく投資金額分を時間の節約ですぐ回収できるはずである。また、プロの工房でのテクニックを皆さんに披露したい。本当はそのような記事こそ、雑誌に載せるべきなのである。

 もうひとつこのブログでやりたかったことは、中間に人を介さない直接の海外の情報提供である。過去の雑誌の記事を読むと、記事を書いている人が、だれか(通訳?)を介して情報を集めているのが明白なものが見つかる。とんでもない勘違い記事があるのだ。このブログではすべて筆者が自分で集めた情報しか書かない。伝聞はウラを取り、間違いがあればすぐ訂正する。しかし、雑誌は誤りを指摘しても、まず訂正しない。困ったものだ。 

 幸い、筆者は伊藤 剛氏、井上 豊氏、祖父江欣平氏、椙山 満氏ら、綺羅星のごとく輝く先輩模型人に直接の御指導を戴いたので、その一部でも御紹介したいと考えたのである。彼らの助言なしにはとても現在の自分があるとは思えないのである。感謝している。

 また、読者の方々からは有用な助言をたくさん戴いて励みとなった。あらためて御礼を申し上げる。

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2010年03月25日

Kalmbach社を訪ねる

Kalmbach Publishing Co. カルムバック社を訪ねるのは25年ぶりである。前回は、ミルウォーキィのダウンタウンの古いビルであった。そのビルは取り壊されてすでにないはずである。ミルウォーキィの旧市街にはたくさんの跳ね上げ橋があり、今でも作動する。
 1988年頃、郊外に引っ越して新築の自社ビルを建てた。2階建ての広大な建物である。昨年一部を増築したのでかなり大きな床面積を持つようになった。従業員数も増えて300人ほどだそうだ。

 カルムバック社は7つの雑誌を出している。模型に全く関係ない分野の雑誌もある。
 Model Railroader誌は発行部数は20万部を超えるベストセラー雑誌であるが、そのページ数が年々減ってきているという統計があることを話題に出した。

「広告が減ってきたのです。」とおっしゃるので、「そのうちWeb雑誌になるのでしょうか?」と過激な質問をしてみた。

 答は意外にも明快であった。「そのつもりです。」「少なくとも私はそうしたい。けれども抵抗する人たちが居ます。でもいつかはそうなる。」とのことであった。栗生氏の予想は当たっていた。日本の模型雑誌は、どの程度これを理解しているのだろうか。

foreign magazines 1foreign magazines 2 会見ののち、社内ツアをしてくれた。例によって書庫を見せてもらった。書棚には最近の日本の雑誌やヨーロッパの雑誌があった。
「古いのはどこかにあるだろう。処分したかもしれない。」という話であった。以前見た子供の科学、模型とラジオはちらりと見た限りでは、もう見当たらなかった。 

2009年09月06日

続 愚行権

 筆者の世代はTMSしかない時代を生きてきた。小学生高学年からTMSを読んで育ったのだ。買ってくると、興味のある部分を父に見せ、話をした。

 技術者であった父はおおむね肯定的であったが、伝動機構、サスペンション、軸受については、全く取り合わなかった。「こんなものを読んでいると馬鹿になる。」

 ウォームギヤが逆駆動できる件と、ピヴォット軸受には注油が必要という件については、以前書いた。
 しかし大多数の人は、ウォームギヤは逆駆動できない、ピヴォットには油を差してはいけないと信じてしまっただろう。

 こんなことは、工学を勉強した人には当然のことである。それが指摘されるまでに何十年もかかった。指導者の勉強不足、慢心がその原因であったことは論を待たない。読者にも知識を持っていた人は居たであろうが、筆者の父と同じように軽蔑していたのであろう。したがって、雑誌の誌面にそれが表れることもなかった。

 指導者の資質は大切である。ある程度の力を持っていなければならないのは当然であるが、謙虚に識者の意見を伺うということはもっと大切である。支配欲のある人はこの仕事に適さない。年をとると、その部分が急速に大きくなる人がいる。そうなると自分を客観視できない。

 遊びの世界ではあるが、正しいこととそうでないことのの区別を付けられない人は、退場して戴くほかないだろう。

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2009年09月04日

愚行権

 愚行権という言葉は一般には知られていないようだ。日本語に取り入れられて20年も経っていないであろう。英語では "The right to do wrong (things)" と言うのだそうだ。
 これは、「人に迷惑をかけない限り、個人の自由は最大限に守られる」という公理から導かれる権利である。憲法の幸福追及権に含まれる。

 筆者の友人で38歳でコロンビア大学の教育学の教授になった男(日本人)がいる。当時、彼が「日本には愚行権がないも同然だ。」と言うので、そこではじめて知った次第である。
 彼は「民主主義と愚行権はともにある。」と言った。「たとえば麻薬だ。日本では持つことも吸うことも違法だ。売るのも当然違法だ。アメリカでは、売る者は厳罰に処せられるけど、買う方はほとんどの州で許されている。」
 例が悪いが、確かにそうだ。
「君の好きな鉄道模型も、北朝鮮あたりでは非合法だろうね。日本だって戦争中はその様な趣味は資源の無駄とか軟弱だとか言って、白い目で見られただろう。」ときた。

 それを聞いて悟ったのは、この種の趣味は明らかに愚行の中に入るのだろうということだ。しかし、我々はそれを十分楽しむことができる。汽車を作って刑務所に叩き込まれることもないし、明らかに間違ったことを記事に書いても許される。しかし、編集者にはそれがない。麻薬の売人と同じになるからだ。
 雑誌は年少者も読む。判断力の乏しい者に間違ったことを教えることになりかねない。編集者の責任は重大だ。昔、筆者がマスコミ関係者と付き合っていた時に、飲むと彼らがいつも同じことを言う。
「メディアの責任は重大だ。」「編集者の資質は教養の一語に尽きる。」
 おそらく、彼らの先輩たちに繰り返し聞かされているのだろう。しかし、最近の記事を見ると、その教養という点で疑問符が付く記事が多い。読者はそれに対して声を上げなければならない。

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2009年09月02日

続 不思議な表現

 もう一つは線路の半径についてである。小さい半径の線路の上を走れる限界を調べて、80mmであったので…というくだりがあった。それは結構である。だから内側のレイルの半径を決めて作図した話が載っている。作者はそれが正しいと信じているのだから、それはそれで良い。

 ところが編集者が、いかにもそれに感心したように書いているではないか。これはおかしい。世界中の鉄道のうち、どこかに内側の半径を表示するものがあるのだろうか。
 しかもその内側レイルの外側なのか内側なのかの表示もない。工作の手間を考えるとレイルのベースの部分の寸法を出す方が楽である。何かおかしい。

 これが不思議で、誰かに話そうと思っていたところ、クラブの例会で伊藤剛氏にお会いした。氏は開口一番、この話を振って来られた。
「作者はそう思い込んでいるのだろうが、編集者がいかにも感心したように書いているのはおかしいです。」
 全く、筆者と同じ意見であった。「おお、あなたもそう思いますか。よかった、よかった。dda40xさんがそれでいいと言ったら、どうしようと思っていたよ。鉄道は中心線で物を考えるのです。ゲージは変化することもあるからね。今度会ったら言っとこう。でもしばらく行かないから忘れちゃうね。」
 
 メディアに携わる人たちには、相当の責任がある。常識のない編集者は読者に害を与える可能性がある。いくら趣味の本と言えども、「本当はこうだ」と言えない編集者など存在する意味がない。

 やはり、査読者が必要なようだ。 

2009年08月31日

不思議な表現

 TMS799号を見ていくつか首を傾げる所があった。
 
 まず“Pike”という言葉の意味についてである。アメリカ型鉄道模型大辞典には「もともとの意味はRailroad System、すなわち一つの鉄道会社の組織全体を指す。転じて、個人所有のレイアウトを指すときに使う。」とある。この定義は伊藤剛氏が昭和23年頃名古屋模型鉄道クラブの会報"Yard"誌に書かれたものである。全くその通りで間違いはない。
 ところが当該TMSのp.116メディアチェック欄には「卑称である」と書いてある。英語にも卑称があるのか、と感心されて読まれた方もいらっしゃるであろう。
 もし卑称であるなら、"my pike"で始まる文章しかあり得ない。しかし、"your pike"で始まる文章を検索すると、いくらでもある。あなたのパイクを登録しませんか?というNMRAの呼びかけもある。
 
 この卑称という解釈は、明らかに間違いである。活字を扱う人間としてはあまりにも軽率な文章だ。

 アメリカに行くと、仲間から、「君のパイクの進行状況はどうなっているか?」とよく聞かれる。明らかに、これは卑称ではない。
「君のつまらないレイアウトはどんな調子かね。」などとは聞かないはずだ。

 日本ではこの言葉はほとんど定着せず、昭和30年代からしばらくはTMS誌上でもほとんど見ることがなかった。
 そのまま消えていくものと思っていたら、持ち運びできる極小レイアウトをパイクと呼ぶという珍説が披露されていた。言葉は進化するものとは言え、それはおかしい。この様な言葉の定義は、格式ある雑誌であれば、正しい方向に持っていくのが筋ではないだろうか。

2009年03月06日

続 パターナリズム

 TMSは日本を代表する鉄道模型雑誌であると、読者は信じてきた。「Model Railroaderに投稿するときは、必ず連絡せよ。うちが窓口だから。」という話は、ヤマ氏の口から直接、複数回聞いた。
 
 1985年に、ミルウォーキィでNMRAのコンヴェンションがあり、例の3条ウォームを取り付けた機関車2輌を持って出かけたMRには事前に連絡しておいたので、Andy Sperandeo氏が待ち構えていた。

 当時のMRの本社は、会場のわずか数ブロック先であったので、アンディが自ら社内ツアをしてくれた。書庫を見せてもらうと、古今東西の模型、実物の資料がぎっしりであった。撮影スペース、レイアウト建設スペース、編集部どれも立派であった。
 書庫に「模型とラジオ」、「模型と工作」、古い「子供の科学」があったのには驚いた。
TMSとは提携関係があるのでしょう」と持ちかけると、言下に否定した。「それはなにかの勘違いだと思う。」 これには少々驚いた。
「日本には面白い雑誌がいくつかある。」という表現であった。
 椙山満氏MRに投稿したときも、ヤマ氏はご立腹であった。しかし、椙山氏は、「そんなことを言われる筋合いはありません。」と仰った。結局椙山氏は2回投稿されている。

 明らかにパターナリズムが行き過ぎた状態であった。所詮、原稿は書いた人が自由に投稿するものであり、それに干渉しようというのはおかど違いであることは、若かった筆者にもよくわかった。
 MRと交渉できる人間が、自分以外に居ては困るという風にしか聞こえなかった。その交渉も、人を介してであったことは後に知った。

 時代は進み、外国で暮らした人がたくさん居る現在の日本では、もうそんなことは言っていられない。最近は日本人の投稿者をよく見る。

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2009年03月04日

パターナリズム

 読者の皆さんは「パターナリズム」という言葉を聞かれたことがないだろうか。これはもともとは哲学用語で、日本語訳は「父権主義」などとされている。筆者は一時期哲学に興味があり、この概念を知ってこれがまさしくTMSの山崎氏のあり方であると気がついた。

 パターナリズムは、家長主義とも呼ばれ、力があるものが弱いものを守り育てるため、ある程度の強制力を以って統制する。大きなお世話だと感じる場合もあるが、上から見れば、こうしてやることが、結果として日本の模型界に役に立つと言う強い信念があったのだろう。

 今回のTMS問題に関する投稿中、「日本には9mmゲージ」論があったが、それはまさにこのパターナリズムの典型的な表れである。当時の日本の経済力では、特に大都市圏ではHOのレイアウトを持つということは大変なことであったろうと推測する。だから、鉄道模型の楽しみとしてレイアウト上で走らせるにはNゲージしかないということになったのだろう。

 それに対してより大きなゲージを楽しんできた人たちは、大きなお世話だと思い、反発した。特に、外国に太いパイプを持つ人たちは、別の楽しみ方を知っているので、より反発した。

 TMSに対抗する立派な雑誌があれば、それが一番よい解決法であった。より学術的に正しく、技術論が戦わせられるような場所が提供されるべきであった。
 実は、昭和30年代の月刊誌「模型とラジオ」「模型と工作」には、TMSと比肩する記事が多数載っていた。しかしそれが水泡のように消えてしまったのは誠に残念だ。
 
 その時期に誠文堂新光社あたりが鉄道模型誌を発刊して、TMSと競えば、現在とはまったく違った展開になったであろうと思う。
 正しい競争こそが物事をよくする方向に導く。しかし、その正しい競争がなかったのではないかと懸念する。利権問題が常に絡まっている。雑誌社はメディアであるから、モノを売ることにタッチすべきではなかった。しかもその価格が妙に高い。
 外国から直接取り寄せれば、送料込みでもまだ安い。この時代になってもそれが続いているのは、時代錯誤であると思う。 

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2009年02月22日

続 雑誌の存在価値

 以下の文は、しばらく前に投稿したものの再録である。

>雑誌の編集に携わっている人たちが余りにも不勉強であるのは、昔から感じています。しかし、一般大衆に対しては威圧的です。またそれを読みきれず、迎合する読者にも責任があります。

>雑誌に掲載されることが名誉であると思わされていないでしょうか。昔よく見た言い回しに、「〇〇〇の貴重な紙面を拙稿でけがすことをお許しください。」なんてのがありました。これでは主客転倒です。

>優れた原稿によって、雑誌の価値は上がるはずです。雑誌社は、そのような優れた原稿を求めて、探し歩かねばなりません。そのツテの多い雑誌社こそ、能力のある雑誌社です。

>編集部の書いた記事が多い雑誌は、それだけで存在価値を自己否定しているのではないでしょうか。

 
 また、もはや鉄道趣味誌は「化石化」した状態だという論評がどこかにあった。どの記事を読んでも、活路を開こうという気力が感じられないのである。
 それを打開するのは、優れた記事を集める以外ないのだ。栗生氏が仰るように、Web上には「オッ」と思う記事がいくらでもある。どうしてその人たちに接触しないのだろう。
 某誌は、「うちは投稿されたものを載せるのが原則です。」と言っている。それではもう成り立たない時代になった。


2009年02月20日

雑誌の存在価値

 雑誌は何のためにあるのかが問われている。最近はテレビ、新聞の存在価値まで怪しくなったという説もある。
 インターネットが世の中に現れたとき、今後はこうなるかも…と思ったことが、本当にそうなりつつある。マスメディアは、その存在価値が揺らいでいるのだ。

 いわゆるマスメディアには巨大な力があった。それは編集権である。このニュースはボツ、あるいはこのニュースは大きく扱おう、という判断が編集長に集中していた。
 したがって、新聞によって取り上げ方が大きく異なった。意図的に何かを伏せることも不可能ではなかった。

 インターネットの普及で「誰でも編集長」「誰でも報道記者」の時代になった。ありとあらゆる不祥事が公表される。しかし、いまだに不祥事は金、権力でねじ伏せられると思っている経営者が居て、時々槍玉にあがっている。時代錯誤の人たちはまだ多い。

 趣味界も同じだ。誰でも発表できる。もちろん玉石混交だ。それを判断するのは読者である。Web上に流されている情報はピンからキリまである。
 どう考えてもこの人はパラノイアではないかという記事もある。そのうち読者も気が付くから放置しておけば良いのに、そこを突っ込むからトラブルが起こる。

 Web上には、すばらしい記事も多い。雑誌に発表されていないのはなぜか。すでに雑誌は見放されているからである、と考えるのは私だけだろうか。メディアの価値にしがみついている人は雑誌に投稿するだろう。あるいは取材に応じるだろう。しかし採り上げ方は向こう次第だ。価値を理解できない編集者に切り刻まれるなら、自分で発表してしまおうと考えるのは当然だ。一度でもそういうことを経験していれば、雑誌社の能力の限界がよく分かる。

 ジャーナリストは、とにかく博識でなければならない。何でも知っていなければならないのだ。この趣味界の雑誌だけでなく、新聞を読んでいると、最近はその前提が大きく変化していることがよく分かる。

dda40x at 02:20コメント(2) この記事をクリップ!
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