Oゲージ
2025年08月15日
アメリカ製の金属外被キット
Athearnをはじめとする boxcar の大量生産は1950年あたりから始まった。そのピークは1960年あたりで、その後は急速に衰えた。
この会社の発音はェアサンに近い。太字を強く発音する。エイサンだと主張する人もいるがそれはイギリス音であり、アメリカではこのように発音する。筆者の知人にもこの名前の人が居たから、発音は間違いない。
戦後すぐはコカコーラの空き缶の裏に塗装して文字等を印刷して売っていた。次はアメリカ製の 0.25 mm(1/100 インチ)ブラス板にリヴェットを打ち出し、塗装して売った。そのうちに、日本にブラス製のプレスした側板を注文すれば安上がりだと気が付いた。安達製作所製で、板厚は0.30 mmになった。多少厚くなって安心できる。その模型は木製箱( 約 4 mm厚)に外板を張るようになっていたので、木部に剛性を負担させ、わしづかみで持てたのだ。金属板だけではめり込む可能性があり、不安である。
さて、この写真を見て戴きたい。UPのヘラルドがシルクスクリーンの印刷ズレでおかしくなっている。こういう失敗作を10枚ほど、安く手に入れた。剥がしてしまって別の会社にしてしまったものもある。2枚一組になっているので、半分に切り離すのだ。あるいはヘラルド部分だけをうまく剥がしたりして平滑にすれば、新しいディカールを貼れるだろう。
そう思って買ったが、全て別の会社の塗装になった。木箱に貼ったものもあるが、先回のように骨を入れて剛性を稼いだものもある。
この会社の発音はェアサンに近い。太字を強く発音する。エイサンだと主張する人もいるがそれはイギリス音であり、アメリカではこのように発音する。筆者の知人にもこの名前の人が居たから、発音は間違いない。
戦後すぐはコカコーラの空き缶の裏に塗装して文字等を印刷して売っていた。次はアメリカ製の 0.25 mm(1/100 インチ)ブラス板にリヴェットを打ち出し、塗装して売った。そのうちに、日本にブラス製のプレスした側板を注文すれば安上がりだと気が付いた。安達製作所製で、板厚は0.30 mmになった。多少厚くなって安心できる。その模型は木製箱( 約 4 mm厚)に外板を張るようになっていたので、木部に剛性を負担させ、わしづかみで持てたのだ。金属板だけではめり込む可能性があり、不安である。さて、この写真を見て戴きたい。UPのヘラルドがシルクスクリーンの印刷ズレでおかしくなっている。こういう失敗作を10枚ほど、安く手に入れた。剥がしてしまって別の会社にしてしまったものもある。2枚一組になっているので、半分に切り離すのだ。あるいはヘラルド部分だけをうまく剥がしたりして平滑にすれば、新しいディカールを貼れるだろう。
そう思って買ったが、全て別の会社の塗装になった。木箱に貼ったものもあるが、先回のように骨を入れて剛性を稼いだものもある。
2025年06月24日
続 神戸の例会
この会場に来る人の大半は関西で鉄道模型を楽しんでいるグループの人たちで、ある程度の知識と腕のある人たちである。静岡の会場に来た人たちとはやや違う。
静岡で筆者が慣性増大装置のついた機関車を動かして見せていると、突然このように話し掛けて来た人が居た。
「この機関車にはウェイトが足らないね。」
さすがにこの時は反論する気力もなかった。
その話を友人にすると、A氏のC62の動輪がスリップするのを見て、「ゴムタイヤを付けるといいですよ。」と言った人も居たということを聞いた。
昨今の鉄道では、車輪がスリップする現場を見ることがなくなったので、致し方ないのであろう。機関車は動輪がスリップするように設計してある。滑らないと運転しやすそうに見えるが、故障しやすいのである。
神戸の例会では「慣性増大装置実演中」という看板を掲げておいたので、興味深そうに見てくれる人が居た。特に、
「ブレーキを掛けますよ」と言って、
僅かの逆電圧を掛けると動輪がロックしてスーッとスリップするのを見た人の中には、
「素晴らしい! こんな模型を見ることが出来るとは思わなかった。」と言ってくれる人が居た。その方は70代後半の方だった。
しかし、若い人はあまりピンと来ないようだった。実際に蒸気機関車が走るのを見たことがない上に、動力車はスリップするものだという知識がないからだろう。
静岡で筆者が慣性増大装置のついた機関車を動かして見せていると、突然このように話し掛けて来た人が居た。
「この機関車にはウェイトが足らないね。」
さすがにこの時は反論する気力もなかった。
その話を友人にすると、A氏のC62の動輪がスリップするのを見て、「ゴムタイヤを付けるといいですよ。」と言った人も居たということを聞いた。
昨今の鉄道では、車輪がスリップする現場を見ることがなくなったので、致し方ないのであろう。機関車は動輪がスリップするように設計してある。滑らないと運転しやすそうに見えるが、故障しやすいのである。
神戸の例会では「慣性増大装置実演中」という看板を掲げておいたので、興味深そうに見てくれる人が居た。特に、
「ブレーキを掛けますよ」と言って、
僅かの逆電圧を掛けると動輪がロックしてスーッとスリップするのを見た人の中には、
「素晴らしい! こんな模型を見ることが出来るとは思わなかった。」と言ってくれる人が居た。その方は70代後半の方だった。
しかし、若い人はあまりピンと来ないようだった。実際に蒸気機関車が走るのを見たことがない上に、動力車はスリップするものだという知識がないからだろう。
2025年06月22日
神戸の例会
神戸のOゲージの運転会に出かけた。場所はふたば学舎という古い小学校を地域の文化施設として開放している建物だ。この建物は昭和4年に建設された鉄筋コンクリート造りのかなり立派なものである。床、廊下は全て樫の木が張ってあり素晴らしい仕上がりだ。その講堂で机を数十台並べ、線路を敷いて様々な車輌を走らせた。関西であるから、電車が多い。また、久しぶりだからとコレクションを引っ張り出して長い客車編成を走らせる人も居る。
筆者は例の慣性増大装置装備の機関車と、小さな機関車に牽かせる31輌の貨物列車を持って行った。貨車は最近の記事で扱ったものをつないでおいた。貨物列車が低電流で周回していると、真顔でこう聞く人が複数居た。
「どの貨車にモータが入っているんですか?」
この写真は蒸気機関車が牽いているが、ほとんどの場面では小さな入換用のディーゼル電気機関車が牽いていた。たかだか30輌程度の列車だから、本物の世界でも不可思議ではない編成である。低速から滑らかに加速し、時速60キロ程度で走る。電圧は 6.0 V、電流は0.21 Aであった。半径 3 mの曲線上では電流は 0.23 A になった。それを見て、昔の車輪を知っている人が、
「Low-D でない頃は、曲線上では電流が2倍になったよね。」と言った。
大きな機関車で牽くのなら当たり前であって、面白くない。そういう意味で小さな機関車を選んで持って来たのだが、目論見は当たったようで、驚く人が多かった。
2025年02月28日
Santa Fe の Northern
実物は客貨両用の高速機で動輪径が80インチ(2032 mm)の巨人機である。砂漠の中を無停車で走るために長大な16輪テンダを付けていて、重油を27トン、水を92トンも積んでいる。
初期型は動輪径がやや小さい73インチ(1853 mm)であったが、進化して最終型は大きな80インチ動輪を付けた。圧力も 300ポンド(約21気圧)となり、極めて高性能な機関車となった。この模型の動力を改装してから、もう25年も放置してしまった。各種の部品をロストワックス鋳物に取り替えてあるが、動力逆転機が外れている。
「こんなのあり得ないよ。」しかし、ほとんどの線区でこの状態で走っていた。トンネルがひとつしかない鉄道であったからだ。
テンダはあまりに汚いので、洗った。 塗色が単色で簡単であるので、すぐ塗れるのだが、これも運転室が作ってないのだ。簡単に作って塗ってしまうことにした。
動力はUPのFEFと同等であり、高効率で静粛な動力伝達ができる。貨車100輌を牽いて、当レイアウトを周回できる。
2025年02月24日
C62の動輪
C62 の動輪径は 1750 mm だ。1/42 にすると 40.7 mm である。1/45 ならば 38.8 mm だ。この差は無視できない。
手元に C62 用の動輪があった。それが昔の 1/43 用だと信じていたが、測定すると 39 mm であった。これは OJ用 であって、使えない。いくら磨り減ったタイヤでもここまでは小さくならないだろう。
動輪を沢山持っているが、その殆どがアメリカ型の動輪セットで、日本型に使えるものは少ない。41 mm 径はほとんどなく、42 mm径は沢山ある。80インチの機関車用だ。
80x25.4 ÷ 48=42.3という計算である。
タイヤはスティール製だ。磁石に付く。快削鋼でニッケルメッキが施してある。これは賢い方法で、見た目が綺麗で、走らせればタイヤ踏面が削れてスティールが出る。牽引力は大きい。相手がスティール製レイルであるということも大きなファクタだ。集電は良い。
さて、この 1/42 の C62 をどのように料理しようかと考えている。動輪を3Dプリントして、それをブラス鋳物にしてもらうという手がある。タイヤは快削鋼だ。ついでにクロスヘッドなども発注して磨き、メッキを掛ければ簡単だろう。
手元に C62 用の動輪があった。それが昔の 1/43 用だと信じていたが、測定すると 39 mm であった。これは OJ用 であって、使えない。いくら磨り減ったタイヤでもここまでは小さくならないだろう。
動輪を沢山持っているが、その殆どがアメリカ型の動輪セットで、日本型に使えるものは少ない。41 mm 径はほとんどなく、42 mm径は沢山ある。80インチの機関車用だ。
80x25.4 ÷ 48=42.3という計算である。
タイヤはスティール製だ。磁石に付く。快削鋼でニッケルメッキが施してある。これは賢い方法で、見た目が綺麗で、走らせればタイヤ踏面が削れてスティールが出る。牽引力は大きい。相手がスティール製レイルであるということも大きなファクタだ。集電は良い。
さて、この 1/42 の C62 をどのように料理しようかと考えている。動輪を3Dプリントして、それをブラス鋳物にしてもらうという手がある。タイヤは快削鋼だ。ついでにクロスヘッドなども発注して磨き、メッキを掛ければ簡単だろう。
2025年02月22日
C62
稲葉元孝氏の遺品のC62がある。機関車だけで 5.5 kgもある。高いところにあるのを左手で持ったら捻挫を起こしそうになったほど、重い機関車である。
カツミ製でボイラ、キャブが 0.3 mmの板なので、下手に持つとめり込んでしまう。さらに、台枠は 1 mm厚でへなへなである。台枠の下に線路ぎりぎりまで鉛のブロックをぶら下げてあり、それで牽引力を稼いだのだろう。当時の客車の抵抗は大きく、12輌編成を牽くには仕方が無かったのだろうが、これから鉛を外すだけでも大変な作業だ。ボイラ中には融けた鉛を注ぎ込んであるようにも見える。軸もクランクピンもガタガタに減っていて、修理するのはほとんど不可能である。
先日のクラブの年次総会でOZ氏が、三井金属が作ったダイキャスト製のC62を3輌分持って来た。それを改造してOゲージの線路を走らせようという相談だ。下廻りは筆者がブラスの平角棒からフライスで切り出す代わりに、上廻りを1輌分貰うことにした。
その上廻りを持ち帰って手元のカツミ製C62と比べると、ほとんど同じ大きさであった。公称 1/42 のダイキャスト製と 1/43とされている板金製とは同寸と言っても差し支えないほどであったのには驚いた。ひょっとすると、カツミ製を採寸して作った時に計算して1/42だと思ったのかもしれない。寸法は0.5 mm刻みに丸めてあるようだ。
このカツミ製は祖父江氏の設計であった。1/43にした理由は酒井喜房氏の計算による。Oゲージでは、クロスヘッドがクランクピンに当たらないようにするにはここまで大きくせねばならなかったのだ。このことは戦前に模型鉄道という雑誌に書いてあるから、いずれコピィをお見せしよう。
OJではそういうことは考えなくても良く、1/45になった。40年ほど前カツミから売り出された OJゲージC62も祖父江氏の設計である。筆者が名古屋の東山植物園に保存されていたC6217号を隅から隅まで撮影した写真から作られた。当時の園長氏にコネクションがあり、特別の許可を得て、上に跨って撮った写真だ。
それ以降のカツミ製 OJ模型は全て内野日出男氏の設計である。
動輪、従台車、テンダ台車などは持っているので、意外に簡単に組み替えられるような気がしてきた。ロッド類は3Dプリントで作って金属に置き換えれば簡単かもしれない。あまり手を掛けるつもりはない。ただ、改修を終えた「はと編成」を動かす機関車が必要なだけなのである。
カツミ製でボイラ、キャブが 0.3 mmの板なので、下手に持つとめり込んでしまう。さらに、台枠は 1 mm厚でへなへなである。台枠の下に線路ぎりぎりまで鉛のブロックをぶら下げてあり、それで牽引力を稼いだのだろう。当時の客車の抵抗は大きく、12輌編成を牽くには仕方が無かったのだろうが、これから鉛を外すだけでも大変な作業だ。ボイラ中には融けた鉛を注ぎ込んであるようにも見える。軸もクランクピンもガタガタに減っていて、修理するのはほとんど不可能である。
その上廻りを持ち帰って手元のカツミ製C62と比べると、ほとんど同じ大きさであった。公称 1/42 のダイキャスト製と 1/43とされている板金製とは同寸と言っても差し支えないほどであったのには驚いた。ひょっとすると、カツミ製を採寸して作った時に計算して1/42だと思ったのかもしれない。寸法は0.5 mm刻みに丸めてあるようだ。
このカツミ製は祖父江氏の設計であった。1/43にした理由は酒井喜房氏の計算による。Oゲージでは、クロスヘッドがクランクピンに当たらないようにするにはここまで大きくせねばならなかったのだ。このことは戦前に模型鉄道という雑誌に書いてあるから、いずれコピィをお見せしよう。
OJではそういうことは考えなくても良く、1/45になった。40年ほど前カツミから売り出された OJゲージC62も祖父江氏の設計である。筆者が名古屋の東山植物園に保存されていたC6217号を隅から隅まで撮影した写真から作られた。当時の園長氏にコネクションがあり、特別の許可を得て、上に跨って撮った写真だ。
それ以降のカツミ製 OJ模型は全て内野日出男氏の設計である。
動輪、従台車、テンダ台車などは持っているので、意外に簡単に組み替えられるような気がしてきた。ロッド類は3Dプリントで作って金属に置き換えれば簡単かもしれない。あまり手を掛けるつもりはない。ただ、改修を終えた「はと編成」を動かす機関車が必要なだけなのである。
2025年02月18日
貨車の飽和
未完成の貨車を一掃すべく、過去数年努力してきた。その結果百輌ほどあった未組、未塗装の貨車がほとんど無くなった。完成した貨車は本線上、ヤード内に並べてあるが、もう置くところがない。ヤードには240輌入っていて満杯である。
自宅にもかなり持ち帰った。博物館の収蔵方針としては、ブラス製または木製キット完成品以外を置かないことにしているが、現実にはプラスティック製数十輌が昼寝している。殆ど Weaver の 50 ft boxcar と40 ft covered hopper, ballast car である。
運営委員と相談の結果、これらは売却すべしという結論になった。読者の皆さんの中で、これらの貨車の譲渡を希望される方がいらっしゃれば、適価でお譲りしたい。車体の質量は当鉄道の基準に合わせてあるから、走行性能は極めて良い。車輪はステンレス製Low-Dのピヴォット軸受けが標準である。
とりあえず40輌ほど処分することになる。
ご希望の方は連絡されたい。写真等をお見せする予定だ。連絡先はコメント本文中に書いて戴きたい。「私信」としてお送り戴ければ、公表することはない。
自宅にもかなり持ち帰った。博物館の収蔵方針としては、ブラス製または木製キット完成品以外を置かないことにしているが、現実にはプラスティック製数十輌が昼寝している。殆ど Weaver の 50 ft boxcar と40 ft covered hopper, ballast car である。
運営委員と相談の結果、これらは売却すべしという結論になった。読者の皆さんの中で、これらの貨車の譲渡を希望される方がいらっしゃれば、適価でお譲りしたい。車体の質量は当鉄道の基準に合わせてあるから、走行性能は極めて良い。車輪はステンレス製Low-Dのピヴォット軸受けが標準である。
とりあえず40輌ほど処分することになる。
ご希望の方は連絡されたい。写真等をお見せする予定だ。連絡先はコメント本文中に書いて戴きたい。「私信」としてお送り戴ければ、公表することはない。
2025年02月04日
Overland (UP の 4-10-2) を作る
この機関車 UP8800 は SP の機関車に比べ、煙室の手摺がやや武骨であるのと、テンダの形が異なる。この写真の TFF は、FTT の誤植である。HOの模型は KTM-WSM で出ているが、あまり正確でない。SP5000のテンダを替えただけであり、砂箱などはやや不思議な形である。また、8800と謳っているがこれは就役当初の8000型である。
この機関車を知っている人は極めて少なく、作ってみたかった。図面は手に入れてあるから、ボイラは自作することにした。テンダは SP のものに長さは近いが、後半の断面形状が異なる。就役当初は石炭焚きであったが、すでに戦前に重油焚きに改造されていた。すなわちテンダはオイルタンクを積んでいる。
祖父江氏はギヤボックスが横から見えるのは避けたかった。なるべく目立たないようにするには縦に細長くして、エアタンク部で隠すのが良い。アイドラ・ギヤを挟んで伸ばしている。当初はアイドラ・ギヤなしでトルクチューブが斜めに伸びているものが多かったが、横から見ると見えてしまう機種があった。ギヤを挟むと効率が低下するが、祖父江氏は互いに素でしかも正しい歯数のギヤを使ってそれを解決している。きわめて静かで逆駆動しても抵抗を殆ど感じない。
潤滑はモリブデン・グリースである。祖父江氏はこのグリースを使うとあまりにも摩擦が減るので驚いた。ウォーム・ギヤには不可欠である。
120度クランクで、第一軸はメインロッドから逃げて曲げてある。熱間鍛造で作り、それを鋼製ブロックに嵌め込んで、旋盤で削ってある。動輪を圧入してからブロックを外して磨いてあるのだ。畏るべき技量である。完全に心が出ている。当初は90度クランクで行こうということになっていた。両側を同時に見る人は居ないので、中央クランクを135度にすれば、模型の走行としてはまず見破られることはないと考えた。しかし、アメリカサイドからは「120度にしないと買わない」と言って来たので、方針を変更した。120度クランクで絶対に躓かないような加工精度を確保するのは難しいと祖父江氏は言っていたが、出来たものはみな素晴らしい走りを見せた。その点でもこの模型は特筆すべきものである。
ボイラとキャブは 90% 出来ているが、テンダは ほとんどできていない。SPのテンダを切り縮めて、継ぎ足すのだ。ここまで来て放置されているので、早く決着を付けたい。毎日やれば100時間くらいで出来そうだ。その種の工作は得意だが、祖父江氏が見たらきっとこう言うだろう。
「そんなまどろっこしいこたぁやめて、捨てっちめぇ。一から作っちまった方がよっぽど早えぜ。」
2025年01月23日
Texas and Pacific の Texas
「部品が足らねぇよ。」ということだったが、アメリカのジャンク市で部品を買い集めたり、手作りしてほぼ完成させた。この種のジャンク部品は意外と高いものである。サンドボックスは増設した。裾の丸味はハンダを盛ったものである。これは上手く出来なかったので、祖父江氏にやってもらった。
祖父江氏は大きな銅の焼き鏝を加熱して、サンドボックスをボイラに付けたままで、ひょいひょいと廻して盛ってしまった。その間約2分である。達人の技を近くで見られて幸運であった。50%ハンダを使ったのを確認した。
この機関車は Lima 社の自信作で、主台枠が途中で切れている珍しい一群である。Super Powerというシリーズだ。従台車は無く、曲がる主台枠の後半が、従台車の代わりをする構成であった。Articulated Locomotive という本では、この機関車を関節式の中に入れているほどである。
模型もその構造を再現し、ドロー・バァ(機炭間の連結棒)は後部台枠から出ている。祖父江氏は、「主台枠はここで切れちまって後ろはねぇんだよ。でもねぇ、模型じゃ、モータを入れにゃならねえんでね。」と言った。そのための薄い台枠が火室の途中まで伸びていたのだ。しかしコアレスモータが付いていれば、それは不要であるから切ってしまうつもりだ。
この機関車には祖父江氏の双方向クラッチが付いている。うっかりして箱の中に転動止めの詰め物をするのを忘れて、工作室から撮影のため動かした途端に機関車が動いてカウキャッチャがつぶれた。また作らねばならない。
双方向クラッチはどうも都合が悪いものだ。動輪軸を外して、新規に製作した高効率ギヤ付の動輪軸に取り替える必要がある。これで壊したのは2回目だ。やる気が失せる。
2025年01月21日
Lobaugh の 2-8-4(CNW)
Lobaugh は1950年代にこのChicago &Nothwestern 2-8-4を発売していた。このキットは Harmon から「後は頼む」と譲り渡されたものだ。50年前に組み始めて、そのまま放置してあったらしい。今でも根強いファンが居て、古いキットを組んで楽しんでいる。写真はここからお借りしている。他にも彼が組んだものはあったが、仕掛品はこれだけだった。驚くべきことにディカールが付属していた。1950年代のかなり印刷の甘いものではあったが、使えるかもしれない。早速、膜の補強剤を塗っておいた。駄目なら買い替える。
Lobaugh はその当時からロストワックス鋳物の部品を付属させていた。惜しむらくは、従台車、テンダ台車が軸箱が非可動で、走らせるとオモチャっぽい音がすることだ。すべての軸箱を可動にした。ウェイトは全く付けていないのだが、とても重い。構成材料が分厚いものばかりだからだ。
ボイラは厚肉ブラスパイプを焼き鈍して外型の中に入れ、その内部にプランジャを油圧で押し込み膨らませて作っている。金属バットと同じ製法であり、外型に彫り込んであるディテールが転写されつつ、テーパのあるボイラが出来る。リヴェットなどは完全に表現されているし、各種の補機などの取付穴も同時成型である。それをフライス盤で削ってラニングボードの嵌まり込む溝を付けている。外型は2つないし、3つに分かれるようになっているようだ。火室部分だけが 0.8 mm 程度の厚さの板金工作である。
主台枠は砲金鋳物を機械加工して作られ、ネジも立ててある。動輪軸受はバックゲージ全体に伸びた角材に精密な穴をあけたもので、油膜が摩擦を低減している。主台枠は孔をあけ過ぎで、少々弱いことは先に述べた。
動輪軸は角棒に油穴をあけた構造で、面圧が低く、油膜が切れないので、ボールベアリングに劣らないほど滑らかに走る。当時は機関車だけを売っていた場合もあり、テンダは好きなように自作するのが普通だった。木製のテンダもよくあったのだ。
日本製の模型が輸入されるようになり、テンダだけ欲しがる顧客がたくさんいた時代だ。様々な日本製テンダが売りに出ていた。多少形が違っていても文句は言わない人が多かった。あるいは自分で改造する人も居た。
2025年01月17日
続 UP7000(Lobaugh製)
向こう側の手術台に載っているのが UP7000 のボイラである。Lobaugh 製は、Kansas Cityの人から適価で購入したものだ。電話で確認したところ、亡くなった親戚の人の作品だったそうだ。毎朝シカゴから到着する機関車に惚れて、Lobaughのキットを組んだと聞いた。非常に丁寧に組んであった。自動車の塗装をしていた人らしく、塗装は完璧であり、良い買い物だった。購入した頃は、ほとんど誰も Lobaugh の価値を再評価していない時期で高くなかった。日本から Lobaugh を指名して買う人が居るとは信じ難いと言っていた。通電すると起動に 3 A も喰ったが、12 V で適正速度であった。モータを外し、動輪はフランジの形の良いKTM製と取り替えた。軸が1/4インチ(6.35 mm)であるのは太過ぎるので、5 mm軸にした。軸箱は3/8インチ(9.52 mm)角である。これを10 mm角にした。ボ−ルベアリングは内径 5 mm、外径 8 mm で統一している。
このボイラはとても重い。厚さが 3 mm弱のブラスパイプでできていて、内外の型の中で押し出されて作られている(後述する)。
直接のハンダ付けは難しいので、あちこちに孔をあけ、2-56(約 2.2 mm のネジ)のタップを立てている。相手が厚いのでネジはよく利いている。
この機関車には、形だけは正しいYoung 式ヴァルヴギヤが付いていたが、理屈を理解しているようには見えなかった。
モーション・プレートがヤング式用のものなので、丁寧に作り替える予定だ。構造は難しくないので、壊れにくく作って動きを楽しみたい。
このヤング式は祖父江氏が作ってみたいとは言っていたが、実現されなかった。おそらく実物通りに作動する模型は日本にはないのではなかろうか。
テンダは異常に重い。1.7 kgもある。普通は 500 g程度であるはずだ。床板は鋳物である。タンク部はエンドも一体の構造で、厚肉パイプである。前方の四角の炭庫部分は鋳物を削り出してある。踏んでも壊れないだろう。側面に付いている工具箱はムクの角棒を削ったもので、厚板を組み合わせてテンダ台枠にネジ留めである。
台車は捨ててバネの利くKTM製に取替え、ボールベアリングを仕込んで Low-D 車輪を付けたので、実に滑らかに走る。バネがつぶれているので、硬いバネに取り替えざるを得ない。
2024年12月30日
3-truck の Climax
F氏にお渡ししたのは 2-truck の Climax だったが、F氏はBob Stevenson氏にコンタクトし、もう1輌分とさらに1台車の部品を購入した。それを猛烈な勢いで作り始めた。
F氏は Bob に直接電話を掛け、詳しい話を聞いたそうだ。当初の 2-truck の部品は間違っていたところがあったようで、正しい部品を手に入れた。しかし、設計のまずさは如何ともならず、結局のところF氏は駆動部分をすべて自作することになった。車輪は心が出ていないので、完全に作り替えた。様々な部品を手作りしたり、筆者の在庫品から融通して、2年近い時間を掛けて完成したのだ。この機関車の煙突は細いものになった。2-truck の方の太い煙突には、中に小型のスピーカが入っている。
滑らかな走りである。当初は押して動くようにするつもりであったそうだが、ギヤ比がある程度高い構造なので、下手をすると壊れる可能性がある。無理に押すのは遠慮している。
塗装をするべきなのだが、ブラスの鈍い艶が何とも言えない。日本製のブラスではないので、緑がかった光沢である。F氏の奮闘を称えて、しばらくこのままで飾っておきたい。
2024年08月04日
ショック・アブソーバの効果
ショック・アブソーバの作動をご覧になった方は、皆さんとても驚かれる。
「さすがですね。でもこれはOゲージを走らせたことが無いと意味が分からないでしょうね。」
「長大編成の運転時、これがあれば脱線事故は減るでしょう。」
といった感想を戴く。
Oゲージでも軽い模型ばかりを作っている人には、事故などによる急停車での脱線の経験は少ないと思われる。筆者のように金属製の車輌で低摩擦であれば、何かの事故で急停車すると、その慣性で途中の車輌が脱線する。過去には空中に飛び上がったこともあった。
最近は全ての機関車が「押して動く駆動装置」を付けているので、衝突以外には急な減速は無い。しかも博物館のレイアウトでは保線が完璧なので、脱線は無い。連結器の高さはすべてそろい、耐久性のある金属製の Kadee を付けているので、列車がちぎれることもない。
唯一の懸念は、外部から持ち込まれた機関車である。車検基準には、「電流値が 0.5 Amps以下、全軸集電、イコライジングまたはバネ懸架、密閉ギヤボックスを装備、車輪踏面は清拭してあること」と謳ってはあるが、「押して動くこと」とは書いてない。その種の機関車は電流を切れた瞬間に急停止するので、後ろからドン突きが起きて脱線する可能性がある。
100輌以上(約45 kg)の牽引の経験のある人はまず居ないので、配慮を求めるのは難しい。そういう時にこの種の車輌が入れてあると、事故が激減する。
HOであっても考慮が必要な方はいらっしゃるはずだ。
「さすがですね。でもこれはOゲージを走らせたことが無いと意味が分からないでしょうね。」
「長大編成の運転時、これがあれば脱線事故は減るでしょう。」
といった感想を戴く。
Oゲージでも軽い模型ばかりを作っている人には、事故などによる急停車での脱線の経験は少ないと思われる。筆者のように金属製の車輌で低摩擦であれば、何かの事故で急停車すると、その慣性で途中の車輌が脱線する。過去には空中に飛び上がったこともあった。
最近は全ての機関車が「押して動く駆動装置」を付けているので、衝突以外には急な減速は無い。しかも博物館のレイアウトでは保線が完璧なので、脱線は無い。連結器の高さはすべてそろい、耐久性のある金属製の Kadee を付けているので、列車がちぎれることもない。
唯一の懸念は、外部から持ち込まれた機関車である。車検基準には、「電流値が 0.5 Amps以下、全軸集電、イコライジングまたはバネ懸架、密閉ギヤボックスを装備、車輪踏面は清拭してあること」と謳ってはあるが、「押して動くこと」とは書いてない。その種の機関車は電流を切れた瞬間に急停止するので、後ろからドン突きが起きて脱線する可能性がある。
100輌以上(約45 kg)の牽引の経験のある人はまず居ないので、配慮を求めるのは難しい。そういう時にこの種の車輌が入れてあると、事故が激減する。
HOであっても考慮が必要な方はいらっしゃるはずだ。
2024年05月26日
続々々々々 Tomの娘
Paulaは筆者と祖父江氏が訪問した時のことを何回も聞かされていたらしく、「素晴らしい機関車を持ってきたのだそうですね。」と言う。祖父江氏についても十分に知識があるようで、類稀なる模型作りの達人であったことは認識していた。1985年に3泊ほど居候させてもらった。
Tom と近くの公園に置いてある機関車を見に行ったとき、Tomは祖父江氏の実物の知識には舌を巻いた。どうしてそんなに知っているのだと怪訝な顔をした。戦前、機関車の部品を作る工場に居たと知り、合点が行ったようだった。
その時Paulaが帰ってくる予定だったけれども、何かの不都合で会えなかった。
それ以来、彼女は模型には多少の興味を持ったらしい。Oゲージの模型は HO や N に比べて少ないことは気付いていた。最近知り合った模型人は、庭に線路を敷いてBig Boyを走らせているとのことで行ってみたら、1番ゲージだったそうだ。写真を見せて貰ったが、大きなレイアウトで線路は腰の高さ(90cmほど)であった。
筆者のYoutubeを見てもらっていたが、機関士が Tom Harvey の風体を表していることにとても感動していた。
白い帽子、白いシャツ、赤いバンダナ、青いオゥヴァオールがまさにそれであった。少なくとも 4輌はTomが乗っている機関車であることを伝えた。彼女はそれを聞いてとても喜び、全部の写真を撮って送るように頼まれた。
手袋の汚れが服に付かないように、立つ時は手袋の内側を外に向ける仕草をして笑い転げた。彼女は父親の蒸気機関車乗務時代を知らない世代だ。話だけはたくさん聞かされているのだろう。
2023年10月12日
鉄道玩具の客車 後日談
鉄道玩具の床下を改造して耐衝撃性を持たせたのは良いが、線路上に載せてみると妙な感じだ。台車と車体の間が空いている。
連結器の高さも修正したから良いはずだったが、違和感がある。標準的な客車と並べると、2 mmほど高いではないか。愕然とした。
この客車は鉄道玩具(ライオネルの系統)であった。フランジが高いのだ。すなわち、縮尺のとおりではフランジが床板に擦る可能性があるから、上げてあったのだ。これに気づかなかったのはうかつであった。台車を捨てた状態で保存していたのが、この失敗の原因である。作業を始める前に新しい3D成形の台車に載せてみてから始めるべきであった。
本物の図面を元に高さの補正量を決めて、削った。せっかく組み上げた客車を再度全部分解し、フライス盤で1.9 mm削り落とした。連結器座も削り落とし、せっかくのメタルタッチも全て作り直しだ。
つまらぬ客車5輌を修正するのに延べ5日ほど掛かったことになる。こんな客車はそのまま投げ捨てればよかったのだが、塗装が気に入って残してしまったのが間違いのもとであった。この列車は史実に基づいていない仮想の列車である。機関車を一輌塗って、この編成専用とする。
Daylight塗装の機関車 GS4 はあるが、この編成にはそぐわない。もう一本のスケールの16輌編成に用いる。
連結器の高さも修正したから良いはずだったが、違和感がある。標準的な客車と並べると、2 mmほど高いではないか。愕然とした。
この客車は鉄道玩具(ライオネルの系統)であった。フランジが高いのだ。すなわち、縮尺のとおりではフランジが床板に擦る可能性があるから、上げてあったのだ。これに気づかなかったのはうかつであった。台車を捨てた状態で保存していたのが、この失敗の原因である。作業を始める前に新しい3D成形の台車に載せてみてから始めるべきであった。
つまらぬ客車5輌を修正するのに延べ5日ほど掛かったことになる。こんな客車はそのまま投げ捨てればよかったのだが、塗装が気に入って残してしまったのが間違いのもとであった。この列車は史実に基づいていない仮想の列車である。機関車を一輌塗って、この編成専用とする。Daylight塗装の機関車 GS4 はあるが、この編成にはそぐわない。もう一本のスケールの16輌編成に用いる。
2023年08月05日
続 若い見学者
彼は3条ウォームギヤの効率について、あまり知識がなかった。押して動く程度のものだと思っていたようだ。
音がするようなウォームギヤはまがい物であって、存在すべきものではないことを強調した。
現物のギヤボックスを実際に触らせて、感想を聞いた。
「これがウォームギヤとは、とても思えない」と言う。機関車がするすると押せて、前照灯が点くのにはかなり驚いたようだ。
「このギヤセットだけ分けて下さい。」と頼まれたが、それはお断りした。ギヤボックスとボールベアリングのセット、それと高精度シャフトの組でなければ売らないことにしている。そうしないと怪しいギヤボックスを作って、「動かない!、インチキ商品を売付けられた!」ということになってしまうからだ。これには過去に苦い経験がある。高名な模型人だから分かっているはずだと思ったのだが、実際にはその方は小学生程度の理解しかなかった。
このギヤのバックラッシについて、話をした。潤滑油が通る程度しか隙間はない。モリブデングリスの塗布についても説明した。潤滑油なんてなんでも良いのだと思っている人も居るから、そこは特に注意した。完全密閉のギヤボックスが必要である。
模型用の歯車ではなく、精密機械の歯車であることを認識してもらわねばならない。つい先日も、訳の分からない人が「歯車だけを売れ」と言って来たので、困った。この人も価格だけを見て買いたいと言ったのだ。怪しいOゲージ用のギヤも最近は高いのだそうで、何でも良いけども、安い筆者のを買いたいのだ。こういう人とは接触を避けているが、下手に断ると「あいつは独り占めしている」と言われかねない。
模型人は自信過剰の人が多いようだ。今まで誰も出来なかったことを、歯車さえあれば自分にもできると思うらしい。このギヤにはかなりのノウハウが有る。全部が設計者の意図の通りに組まれれば、高性能を発揮するが、1箇所でも駄目な所があれば、性能はガタ落ちで作動しない。謙虚さが大切だと力説しておいた。
音がするようなウォームギヤはまがい物であって、存在すべきものではないことを強調した。
現物のギヤボックスを実際に触らせて、感想を聞いた。
「これがウォームギヤとは、とても思えない」と言う。機関車がするすると押せて、前照灯が点くのにはかなり驚いたようだ。
「このギヤセットだけ分けて下さい。」と頼まれたが、それはお断りした。ギヤボックスとボールベアリングのセット、それと高精度シャフトの組でなければ売らないことにしている。そうしないと怪しいギヤボックスを作って、「動かない!、インチキ商品を売付けられた!」ということになってしまうからだ。これには過去に苦い経験がある。高名な模型人だから分かっているはずだと思ったのだが、実際にはその方は小学生程度の理解しかなかった。
このギヤのバックラッシについて、話をした。潤滑油が通る程度しか隙間はない。モリブデングリスの塗布についても説明した。潤滑油なんてなんでも良いのだと思っている人も居るから、そこは特に注意した。完全密閉のギヤボックスが必要である。
模型用の歯車ではなく、精密機械の歯車であることを認識してもらわねばならない。つい先日も、訳の分からない人が「歯車だけを売れ」と言って来たので、困った。この人も価格だけを見て買いたいと言ったのだ。怪しいOゲージ用のギヤも最近は高いのだそうで、何でも良いけども、安い筆者のを買いたいのだ。こういう人とは接触を避けているが、下手に断ると「あいつは独り占めしている」と言われかねない。
模型人は自信過剰の人が多いようだ。今まで誰も出来なかったことを、歯車さえあれば自分にもできると思うらしい。このギヤにはかなりのノウハウが有る。全部が設計者の意図の通りに組まれれば、高性能を発揮するが、1箇所でも駄目な所があれば、性能はガタ落ちで作動しない。謙虚さが大切だと力説しておいた。
2023年08月03日
若い見学者
若いOゲージャ S氏の来訪があった。今まで筆者の作品、動画を見たが、たくさん牽いて走るのを実際に見てみたいとのことであった。
最近は雑事が多かったのでしばらく走らせていなかったが、無事走り、極めて滑らかな走行を見せることができた。
120輌の貨物列車が坂を登るのは、驚いたようであった。途中で止まってから、再牽き出しが困難であるのは実感的であったという。停車中にカブースを手で押すと、その動きの波が40 m先の最先端まで達し、機関車が押されて動いたのには、「すごい!」と叫んだ。
次にFEF3によるプルマン10輌編成の運転を見せた。
「蒸気機関車がこんなに滑らかに走るのは、HOでも見たことがない!」とのことであった。特に坂の上から、位置エネルギィを運動エネルギィに変えて下り降りる様子には、興奮したようだ。
「2000 km以上走ってもこの調子だよ。」
と言うと、潤滑についての質問があった。車軸、ギヤ、モータには無注油、ロッドには10時間ごとの洗浄、注油をしていると答えた。
ステンレスのロッドピン、ブラスのスリーヴのお陰である。全ての摺動部にはブラスの小片を摺板として当ててある。相手はラッピングしてある。
貨車の標準質量を 355 gと決めていることを知り、POM樹脂のピヴォット軸受を採用していることは意外だったようだ。
「本当に持つのですか?」と聞くが、
「すでに30年以上走り続けているが、何の故障も無い」と言うと驚いていた。
「先入観を持ってはいけないのですね。」と言う。その通りなのだが、今だにピヴォット軸受を忌避して、摩擦の多い軸受でキーコーと音を出しながら走らせている人は居る。
帰り際に、「やればできる上限を見せて戴いたので、これに追いつくようにしたい。」という決意を聞かせてもらった。
最近は雑事が多かったのでしばらく走らせていなかったが、無事走り、極めて滑らかな走行を見せることができた。
120輌の貨物列車が坂を登るのは、驚いたようであった。途中で止まってから、再牽き出しが困難であるのは実感的であったという。停車中にカブースを手で押すと、その動きの波が40 m先の最先端まで達し、機関車が押されて動いたのには、「すごい!」と叫んだ。
次にFEF3によるプルマン10輌編成の運転を見せた。
「蒸気機関車がこんなに滑らかに走るのは、HOでも見たことがない!」とのことであった。特に坂の上から、位置エネルギィを運動エネルギィに変えて下り降りる様子には、興奮したようだ。
「2000 km以上走ってもこの調子だよ。」
と言うと、潤滑についての質問があった。車軸、ギヤ、モータには無注油、ロッドには10時間ごとの洗浄、注油をしていると答えた。
ステンレスのロッドピン、ブラスのスリーヴのお陰である。全ての摺動部にはブラスの小片を摺板として当ててある。相手はラッピングしてある。
貨車の標準質量を 355 gと決めていることを知り、POM樹脂のピヴォット軸受を採用していることは意外だったようだ。
「本当に持つのですか?」と聞くが、
「すでに30年以上走り続けているが、何の故障も無い」と言うと驚いていた。
「先入観を持ってはいけないのですね。」と言う。その通りなのだが、今だにピヴォット軸受を忌避して、摩擦の多い軸受でキーコーと音を出しながら走らせている人は居る。
帰り際に、「やればできる上限を見せて戴いたので、これに追いつくようにしたい。」という決意を聞かせてもらった。
2023年05月01日
続々 思わぬ到来品
この機関車が誰によって作られたものかは不明であった。明らかに祖父江氏ではない。ハンダ付けの手法が異なる。稲見武夫氏でもない。板が厚いし、床をネジ留めする手法が全く異なる。しかもネジ頭が沈ませてある。また、パイオニアのような怪しい作りでもない。とにかく重い。下の2つはアメリカのCLW製である。それらに優らず劣らず重い。側板が1 mmの板であった。床板も1 mm厚で、それに6 mm角の角棒が縁取りとして付いている。
たくさんのネジを外して内部を見て驚いた。ハンダ付けの手法、ネジの使い方、厚板を組合わせてネジ留めし、ハンダを廻してからネジを削り取る手法は、見覚えがあった。
2023年04月29日
続 思わぬ到来品
先回の写真の左側に写っている機関車この機関車はB&O鉄道の最初の機関車で、極めて調子が良くなかったようだ。出力は1馬力を下回っていたという。馬に負けたのだ。
日本の子供向けの図書にも絵が載っているとお知らせを受けた。スキャナで読み込んだ画像を戴いたが、著作権を侵害するので載せる訳にはいかない。本島三良著「世界の鉄道」1969年にあるとのことだ。
サンタフェもこの機関車を持っていた。鼻先に筋が通った初期型である。これを仕上げたいが、問題はディカールである。手元にあるものは、ノーズの傾斜が緩いもの用なので、かなり形が異なる。切れ目を入れて誤魔化すつもりだが、かなり難しそうだ。 2023年02月02日
太いボイラ
カツミが Max Gray やその後継者に輸出した蒸気機関車の一部には、火室が太いものがあることは、アメリカの模型ファンには常識である。カツミは1960年頃から2000年頃まで約2万輌のOゲージの機関車を輸出している。その内の7割以上は祖父江氏による。
当初、モータが大きいので、そのモータにかぶせることができる最小のボイラを作って載せた。すなわち、火室は少し太い。真横から見るとわかりにくいが、前から見るとすぐに分かる。これはK4パシフィックである。キャブ前の妻は、ラニングボードの方から見てほぼ長方形でなければならないが、台形である。

ペンシルヴェイニア鉄道のアトランティック(4-4-2)、パシフィック(4-6-2)、マウンテン(4-8-2)などの機関車の火室は、どれも太い。太いと言っても火室の幅のことであり、真横から見たときはそれほど感じない。左はマウンテンM1,右はアトランティックE6sである。模型のE6sの火室は明らかに広がっている。とは言うものの、祖父江氏の工夫でモータの鉄心をキャブに押込んだので、多少は助かっている。

本物の機関車を毎日見ていた人は、これらの角度でも見ていたのだから、違和感を持つ人はあっただろう。これらは、K4s パシフックである。模型のラニングボードが狭いのがよく分かる。ベルペア火室の幅が広過ぎるのだ。キャブの前に向けて、すぼまっていなければならない。2枚の写真は、写真集 ”I remember Pennsy" からお借りしている。
当初、モータが大きいので、そのモータにかぶせることができる最小のボイラを作って載せた。すなわち、火室は少し太い。真横から見るとわかりにくいが、前から見るとすぐに分かる。これはK4パシフィックである。キャブ前の妻は、ラニングボードの方から見てほぼ長方形でなければならないが、台形である。
ペンシルヴェイニア鉄道のアトランティック(4-4-2)、パシフィック(4-6-2)、マウンテン(4-8-2)などの機関車の火室は、どれも太い。太いと言っても火室の幅のことであり、真横から見たときはそれほど感じない。左はマウンテンM1,右はアトランティックE6sである。模型のE6sの火室は明らかに広がっている。とは言うものの、祖父江氏の工夫でモータの鉄心をキャブに押込んだので、多少は助かっている。
本物の機関車を毎日見ていた人は、これらの角度でも見ていたのだから、違和感を持つ人はあっただろう。これらは、K4s パシフックである。模型のラニングボードが狭いのがよく分かる。ベルペア火室の幅が広過ぎるのだ。キャブの前に向けて、すぼまっていなければならない。2枚の写真は、写真集 ”I remember Pennsy" からお借りしている。2023年01月21日
2022年06月16日
Double Diesels 2
これらはDD35Aである。先回同様、左からカツミ製、スクラッチビルトの機関車、同新造車である。キャブ(運転室)がないDD35は、運用上面倒な点があった。そこでキャブ付きを作ると便利だと、作ったのがこれだ。DD35AにはAという文字がついているが、DD35にはBを付けない。DD35Bと書いてあるのを散見するが、あり得ない機種名である。これはよくある間違いだ。
UPがDD35Aの発注時に「DD35と同じ長さに作れ」という指示を出したそうなので、EMDはキャブの長さ分だけ、ラジエータ部分を切り詰めることにした。とは言えども面積は確保せねばならないから、縦に伸ばし、さらに斜めにして面積を稼いだ。このラジエータを斜面にする発想は、のちのSD45に生きている。力強さを感じさせるデザインだ。
この高いラジエータ部分を、昔どうやって作ったのか、覚えがない。今回は材料がふんだんにあるから、5 mm角棒を数本寝かせて嵩上げし、斜めの板を張ることにした。もちろんフライスで、高さは調節した。斜面のラジエータ・グリルは用意できている。
カツミ製は繊細な感じがするが、衝突時に生き残れるかは、少々怪しい。先頭部には置かないほうが良さそうだ。
DD35Aは、4輌ある。1輌は、Ping Pong table(卓球台)と呼ばれる列車無線のアンテナを付けることにした。
2021年11月02日
近鉄2200
先日の2200を焙って分解した。妻板を外して再度良く見た。これは一体どこの電車だろうと思うくらい、出来が悪い。窓が大き過ぎるのだ。京浜急行の電車かと思うほどだ。2200の窓は細い。高校生の時、この電車が名古屋線に来たので、毎日乗っていたから、細かい部分までよく覚えている。
先日動画の撮影に来たAM氏も、大阪線で高校生のときに乗っていたそうで、話が合った。
「2200の窓は細く、側面の窓も細いのです。この模型の窓は国電のようです。緑に塗って『2200です』と言い張っているだけのようですね。」と言う。
国電は800mmの窓だそうだが、近鉄は狭い。
この模型の製造にあたっては新規にプレス型を作るのが惜しくて、国鉄の窓型をそのまま流用したのだろう。屋根材も国電の形であった。しかも左右で形が違う。
討議した結果、使い物にならないということになった。苦労して塗料を剥がしたのは、徒労である。真鍮クズになって地金として処理される日は遠くない。そう言えば、昔作ったものも、寸法がおかしかったので、別の材料をケガいて切り抜いて作ったことを思い出した。
レーザで窓を切り抜くようにする。northerns484氏が、早速その図面を作成してくれた。ステンレス・ボディの2200が誕生する日も近い。
2021年10月11日
来客
四日市の椙山氏の仲間であったKB氏が来訪された(写真中)。 氏は四日市出身のピアニストで東京藝大の先生であった。1960年から1964年までドイツに留学されたので、そのことは椙山氏から教えて戴いていた。直接お会いすることは長らくなかったが、その人となりは十分にお聞きしていたので、数年前に初めてお会いした時には、懐かしさを感じるほどであった。小海線沿いの別荘にGゲージの屋外レイアウトをお持ちで、土屋氏の機関車を持って伺ったこともある。
四日市郊外にピアノの博物館ができるので、その関連でいらしたのだ。ビデオ作家のK氏から連絡があり、当博物館見学を希望された。
お話が非常に面白く、あっという間に予定時間が過ぎた。SONYの社長、会長だった大賀典雄氏とはドイツで仲良くしていたという。大賀氏は船でドイツに行ったそうで、航海は横浜からハンブルグまで一月もかかった。途中で船が故障してしまい、動けなくなった。乗組員たちは右往左往して故障を直そうとするが、直らなかった。大賀氏が「俺にも見せろ。」と現場に行って、なんと、直してしまったそうだ。大賀氏は音楽家であったが電気、機械に強く、思わぬところで役に立ったわけだ。
列車を走らせて、感想を聞いた。静かであることと、100余輛の長い列車が、ほとんどブラス製であることには驚かれたようだ。
「こんなに沢山のブラス製車輌を揃えるのは大変だったろう。」
と心配してくれたが、安達製作所からのジャンクを使って組んだと言うと、
「それでも大変だ。」
と言ってくれた。上り勾配で列車を止め、手で引き上げるときの感触を楽しまれた。
「凄い牽引力だ。でも静かで、モータが焼けないのはどうしてか。」という質問があった。ここまで高効率であることにはかなり驚かれたようだ。カブースの一群には実際に手を触れて、その重さと走行の滑らかさを実感された。
一周7分間かかる走行を堪能され、列車の10輛ごとに毛色の変わった貨車を入れて、数えやすくする工夫を面白がられた。
次回の再会を約束してお別れした。
2021年10月07日
inspection car
Tamiyaの Ford のstaff car をブラスで鋳造してから、早くも 7年が経った。最近車輪を挽いて、少しやる気が出てきた。動けば良いのだ。牽引力、惰行などは考えなくても良いから、適当なモータさえあれば良いのである。コアレスモータに減速ギヤが付いたものを売っているので、それで駆動しようと思う。屋根上には、派手な警告灯を付ける事になっている。
懸架装置は気を付けて作りたい。伊藤 剛氏が、
「発進時には後ろに傾き、急停車すると前につんのめれば実感的なんですよね。」
とおっしゃったので、それを念頭に置いている。ただ揺れるだけでなく、ダンピングを利かせねばならない。実はそこが一番難しいところだ。案を練っている。
inspection を山崎氏が巡察 と訳したことについては、このコメントを評価したい。筆者は、巡察という訳語が正しいとは思えない。
2021年07月23日
続 直角カルダン駆動
最近、電車の動力をすべて入れ替えたいという要望が、友人からある。
「今までは外見を素晴らしくすることには努力してきたが、走りは今ひとつだ。このままでは面白くない。」と言う。
友人たちは、筆者の車輛が音もなく走り、押して動き、なおかつ滑走するのを見ると心を動かされるようだ。
博物館の線路には、ギヤボックスがない車輛の進入は禁止であるから、その本線上を走らせてみたいというのもある(油を撒き散らされては困るから、未整備車はお断りしている)。
この台車を見せられた。外見は素晴らしい出来である。作者のH氏はもともと本物の電車を作る会社に居た。押さえどころがしっかりしているので、シャープで実感的である。もちろんイコライザは可動である。キングピン位置が高いので、軸重移動はかなりある。
モータ軸を延長して2軸に吊り掛けている。この模型では、油が飛ぶので、ウォームの寿命は短い。頻繁に取り替えねばならない。これを3条ウォームでやりたいそうだが、スペイスが足らない。
1軸駆動なら出来るが、それでは嫌だと言う。乗越しカルダンで2軸駆動でも嫌なのだそうだ。実物にもこの種の配置のカルダン駆動はある。さりとて、先回の動力を付けると、床下器具をなぎ倒すことになる。
「全軸ボールベアリング装荷にすれば、動軸が少なくても十分走りますよ。」と言うと、やる気が出たようだ。おそらく合葉式直角カルダンになるだろう。その方式ならば、駆動軸がおとなしいので、床下の改造は最小限で済む筈だ。
New O gauge, New OJ gauge の時代は来るだろうか。
「今までは外見を素晴らしくすることには努力してきたが、走りは今ひとつだ。このままでは面白くない。」と言う。
友人たちは、筆者の車輛が音もなく走り、押して動き、なおかつ滑走するのを見ると心を動かされるようだ。
博物館の線路には、ギヤボックスがない車輛の進入は禁止であるから、その本線上を走らせてみたいというのもある(油を撒き散らされては困るから、未整備車はお断りしている)。
この台車を見せられた。外見は素晴らしい出来である。作者のH氏はもともと本物の電車を作る会社に居た。押さえどころがしっかりしているので、シャープで実感的である。もちろんイコライザは可動である。キングピン位置が高いので、軸重移動はかなりある。モータ軸を延長して2軸に吊り掛けている。この模型では、油が飛ぶので、ウォームの寿命は短い。頻繁に取り替えねばならない。これを3条ウォームでやりたいそうだが、スペイスが足らない。
1軸駆動なら出来るが、それでは嫌だと言う。乗越しカルダンで2軸駆動でも嫌なのだそうだ。実物にもこの種の配置のカルダン駆動はある。さりとて、先回の動力を付けると、床下器具をなぎ倒すことになる。
「全軸ボールベアリング装荷にすれば、動軸が少なくても十分走りますよ。」と言うと、やる気が出たようだ。おそらく合葉式直角カルダンになるだろう。その方式ならば、駆動軸がおとなしいので、床下の改造は最小限で済む筈だ。
New O gauge, New OJ gauge の時代は来るだろうか。
2021年07月09日
”New O gauge”
最近、遠方からの見学者が2組あった。どちらも2線式Oゲージを見るのは初めてということだった。彼らは、列車が走るのを見て、愕然とした。もっとつまらないものだと考えていたらしい。ガーと走ってギッと止まるものだと思っていたと言う。
サウンド装置の音が消されると、全く無音で蒸気機関車が走るというのは、かなりの衝撃だったようだ。また電源を切っても、貨物列車が慣性で走り、下り坂ではそのまま下って行くのには、かなり驚いた。また、列車全体の走行音が静かなのは、信じられないとのことだった。
「何が違うのですか?」
という質問を受けた。
答は、
「すべてが異なるのです。」
である。見ているのはOゲージには違いないが、昔のOゲージとは根本的に異なるものであることを、昔の部品と比較しながら現在の部品を見せた。輪軸、軸受、歯車、モータ、レイル、道床、連結器のすべてが、60年前とは根本的に異なることを納得して戴いた。
「今のHOとも違いますね。」と聞く。
「もちろんです。精度の高い機械で作られた部品のみを用いて構成するとこうなります。歯車は無調整で所定の性能が出ます。音がしないというのが、その高性能の証明です。下廻りは精密機械と言えますが、忘れてはいけないのが、大きさの効果ですね。」と説明した。
「HOでは、これと同じことは出来ませんか。」と聞く。
「大きさの効果は如何ともし難いので、頑張っても同じ結果は出せないでしょう。」と言うと、理解した。
やってみたいと仰るので、車輪と歯車、ボールベアリング、モータをいくつかお世話し、専用工具も渡した。線路も新規に購入するように勧めた。また、ゴム板の上に線路を敷くことも念を押した。一つでも手を抜くと失敗することは、強調しておいた。
合葉氏の仰った”New O gauge" が、60年遅れでやってきたのだ。鉄道の持つ特性が模型にも現れると、その素晴らしさがより感じられるようになる。本物を縮小しようとすることしか考えない人たちには、到達できない目標である。
筆者自身は、合葉氏のこの記事は読んだことがなかったので、全く独立に同じ結論を出していたことになる。吉岡精一氏もその結論を模索していたので、筆者と意気投合したのだ。
既存の3条ウォームとコアレスモータ、ボールベアリングを組み合わせて高性能を得たのは筆者だが、合葉氏によれば、それは模型観を塗り替える程の世界的大発明だったそうだ。その割には普及率は低いのは知らない人が多いからだと思ったが、合葉氏の判断では「走らせている人が少ない」という、単一の原因なのだそうだ。
だからこそ、走らせて見せるということを主眼に置くべきだと言ったのだ。博物館の建設の最初のきっかけはそこにある。
サウンド装置の音が消されると、全く無音で蒸気機関車が走るというのは、かなりの衝撃だったようだ。また電源を切っても、貨物列車が慣性で走り、下り坂ではそのまま下って行くのには、かなり驚いた。また、列車全体の走行音が静かなのは、信じられないとのことだった。
「何が違うのですか?」
という質問を受けた。
答は、
「すべてが異なるのです。」
である。見ているのはOゲージには違いないが、昔のOゲージとは根本的に異なるものであることを、昔の部品と比較しながら現在の部品を見せた。輪軸、軸受、歯車、モータ、レイル、道床、連結器のすべてが、60年前とは根本的に異なることを納得して戴いた。
「今のHOとも違いますね。」と聞く。
「もちろんです。精度の高い機械で作られた部品のみを用いて構成するとこうなります。歯車は無調整で所定の性能が出ます。音がしないというのが、その高性能の証明です。下廻りは精密機械と言えますが、忘れてはいけないのが、大きさの効果ですね。」と説明した。
「HOでは、これと同じことは出来ませんか。」と聞く。
「大きさの効果は如何ともし難いので、頑張っても同じ結果は出せないでしょう。」と言うと、理解した。
やってみたいと仰るので、車輪と歯車、ボールベアリング、モータをいくつかお世話し、専用工具も渡した。線路も新規に購入するように勧めた。また、ゴム板の上に線路を敷くことも念を押した。一つでも手を抜くと失敗することは、強調しておいた。
合葉氏の仰った”New O gauge" が、60年遅れでやってきたのだ。鉄道の持つ特性が模型にも現れると、その素晴らしさがより感じられるようになる。本物を縮小しようとすることしか考えない人たちには、到達できない目標である。
筆者自身は、合葉氏のこの記事は読んだことがなかったので、全く独立に同じ結論を出していたことになる。吉岡精一氏もその結論を模索していたので、筆者と意気投合したのだ。
既存の3条ウォームとコアレスモータ、ボールベアリングを組み合わせて高性能を得たのは筆者だが、合葉氏によれば、それは模型観を塗り替える程の世界的大発明だったそうだ。その割には普及率は低いのは知らない人が多いからだと思ったが、合葉氏の判断では「走らせている人が少ない」という、単一の原因なのだそうだ。
だからこそ、走らせて見せるということを主眼に置くべきだと言ったのだ。博物館の建設の最初のきっかけはそこにある。
2021年07月07日
続々 合葉博治氏の記事
合葉氏はOゲージを再興するつもりだった。その呼び水に筆者のメカニズムを使うことにしたようだ。二回目にお会いした時は、京王プラザホテルの会議室に呼び出され、ご馳走になりながら、その構想を聞かされた。その時、開発中のステンレス製車輪、高性能な動力台車の見本などを渡した。合葉氏は一つ一つ確認して、たいへん驚いた。その時、慣性増大装置についても話した。
「貴方はすごい。どこまで先の事を考えているんだ。すぐには実現できなくても、その構想を書くだけでも、模型界は進歩する。」
と言われたが、実現するまで30年以上掛かった。
「10年前に出会っていれば、世の中は大きく変わっただろうね。でも今からでも遅くない。やってみよう。」
と言う。
「京王百貨店の中の特設会場で、60輛編成の列車がゆっくり動いて止まる、ということを見せれば、分かる人は分かる。山崎氏に見せつけてやるんだ。」
と言った。合葉氏は山崎氏に、「Oゲージの時代は終わった」と言われて癪にさわったようだ。
「精密機械としてのOゲージを見せれば、彼はきっと動く。」と言って、ニヤリとした。
その後、筆者は再度渡米し、滞米中何度か手紙を差し上げたが、返事が全く無く、帰国後大変な病気であることを知った。ご本人にもお会いしたが、大変お気の毒な状態だった。
今回は、合葉氏の”New O gauge”という記事に触発されて、30年以上前の事を思い出した。当時の合葉氏の記事には正しいことが書いてある。他の外見だけの模型とは、一線を画した記事ばかりである。
「模型と工作」という雑誌にもたくさん図解入りの記事を書かれている。子供向けだが、真理を書いているのはすごい、と今でも思う。
伊藤剛氏と双璧をなしていた。この二人が居なかったら、かなりあやしい状態になっていたのではないかとも思う。
「貴方はすごい。どこまで先の事を考えているんだ。すぐには実現できなくても、その構想を書くだけでも、模型界は進歩する。」
と言われたが、実現するまで30年以上掛かった。
「10年前に出会っていれば、世の中は大きく変わっただろうね。でも今からでも遅くない。やってみよう。」
と言う。
「京王百貨店の中の特設会場で、60輛編成の列車がゆっくり動いて止まる、ということを見せれば、分かる人は分かる。山崎氏に見せつけてやるんだ。」
と言った。合葉氏は山崎氏に、「Oゲージの時代は終わった」と言われて癪にさわったようだ。
「精密機械としてのOゲージを見せれば、彼はきっと動く。」と言って、ニヤリとした。
その後、筆者は再度渡米し、滞米中何度か手紙を差し上げたが、返事が全く無く、帰国後大変な病気であることを知った。ご本人にもお会いしたが、大変お気の毒な状態だった。
今回は、合葉氏の”New O gauge”という記事に触発されて、30年以上前の事を思い出した。当時の合葉氏の記事には正しいことが書いてある。他の外見だけの模型とは、一線を画した記事ばかりである。
「模型と工作」という雑誌にもたくさん図解入りの記事を書かれている。子供向けだが、真理を書いているのはすごい、と今でも思う。
伊藤剛氏と双璧をなしていた。この二人が居なかったら、かなりあやしい状態になっていたのではないかとも思う。
2021年07月05日
続 合葉博治氏の記事
筆者は、自分の経験を話した。5歳のときから、3線式Oゲージを楽しんだが、中学生の頃、こんなのでは駄目だと思った。車輪の形、線路の構成、バネが利かないこと、モータの設計がおかしいこと、軸受の構成が間違っていることなどである。
品揃えの良い模型屋に行ってバネ付き台車を手に入れたが、軸受はどうしようもないほどひどかった。全部自作する以外ない、と覚悟を決め、旋盤を買った。と筆者の模型歴をかいつまんで話した。
父親に教えられたことを基に少しずつ実現していったが、それは決して平坦な道ではなかった。70年代初頭にアメリカの模型を見て、日本との違いを考えたのが大きな転機になった。車輪が鋼製の物が多かった。黒染めし、塗装してあるので錆は少ない。形が良かった。また踏面の錆は走らせれば落ちる。軸は鋼製で細かった。日本の半分の太さだ。
動力は、All-nationのは秀逸だが、その他はあまり感心しなかった。日本製の輸出品はよく出来ているが、走りは今ひとつだった。「モータが良くない」と、アメリカ製のモータに取り替える人が多く、歯車装置ごと取り替える人も居た。それらはとても良く走った。
帰国後、祖父江氏と知り合って、動力改造で協力することが出来た。アイデアが形になるのは楽しく、様々な工夫を実現したが、3条ウォームに敵うものは無かった。Model Railroaderに発表したら、世界中から問い合わせが来た、という話をしたら、
「そりゃ当然だ。大発明だからね。しかも、貴方のには反トルク承けが簡単な方法で付けてあるが、こういうものも付けてない模型が大半なのだよ。有名な模型人が作ったものでも、合格点が与えられないんだ。力学の基礎なんだが、模型には関係ないと思っているのだろうね。そんな模型を雑誌に載せてしまうというのが、根本的に間違っている。正しい鉄道模型というものを広めるべきだったのだよ。」
と述べた。
モータを開放する双方向クラッチの話題も出た。
「あれは駄目。1輌しかなくて、手で押すなら良いけどね。編成では事故の元以外の何物でもない。だいたいね、下り坂でどうするの?レイアウトで走らせたことのない人の発想だね。」
ということだった。当時は軸受にボールベアリングを入れる人は居ず、摩擦が多い時代だったが、さすがは電鉄会社の技術屋であって、見抜いていた。
「3条ウォームは押せばモータが廻るし、それで発電してもう1輛が動くところが素晴らしい。」
と、奥さんを呼びに行って見せていた。
筆者の電流制御のコントローラも持って行ったので、それを使った運転は、合葉氏の知的好奇心をいたく刺激したようだ。
「貴方の発想は素晴しい。鉄道模型界のノーベル賞だ。」と激賞された。
品揃えの良い模型屋に行ってバネ付き台車を手に入れたが、軸受はどうしようもないほどひどかった。全部自作する以外ない、と覚悟を決め、旋盤を買った。と筆者の模型歴をかいつまんで話した。
父親に教えられたことを基に少しずつ実現していったが、それは決して平坦な道ではなかった。70年代初頭にアメリカの模型を見て、日本との違いを考えたのが大きな転機になった。車輪が鋼製の物が多かった。黒染めし、塗装してあるので錆は少ない。形が良かった。また踏面の錆は走らせれば落ちる。軸は鋼製で細かった。日本の半分の太さだ。
動力は、All-nationのは秀逸だが、その他はあまり感心しなかった。日本製の輸出品はよく出来ているが、走りは今ひとつだった。「モータが良くない」と、アメリカ製のモータに取り替える人が多く、歯車装置ごと取り替える人も居た。それらはとても良く走った。
帰国後、祖父江氏と知り合って、動力改造で協力することが出来た。アイデアが形になるのは楽しく、様々な工夫を実現したが、3条ウォームに敵うものは無かった。Model Railroaderに発表したら、世界中から問い合わせが来た、という話をしたら、
「そりゃ当然だ。大発明だからね。しかも、貴方のには反トルク承けが簡単な方法で付けてあるが、こういうものも付けてない模型が大半なのだよ。有名な模型人が作ったものでも、合格点が与えられないんだ。力学の基礎なんだが、模型には関係ないと思っているのだろうね。そんな模型を雑誌に載せてしまうというのが、根本的に間違っている。正しい鉄道模型というものを広めるべきだったのだよ。」
と述べた。
モータを開放する双方向クラッチの話題も出た。
「あれは駄目。1輌しかなくて、手で押すなら良いけどね。編成では事故の元以外の何物でもない。だいたいね、下り坂でどうするの?レイアウトで走らせたことのない人の発想だね。」
ということだった。当時は軸受にボールベアリングを入れる人は居ず、摩擦が多い時代だったが、さすがは電鉄会社の技術屋であって、見抜いていた。
「3条ウォームは押せばモータが廻るし、それで発電してもう1輛が動くところが素晴らしい。」
と、奥さんを呼びに行って見せていた。
筆者の電流制御のコントローラも持って行ったので、それを使った運転は、合葉氏の知的好奇心をいたく刺激したようだ。
「貴方の発想は素晴しい。鉄道模型界のノーベル賞だ。」と激賞された。
2021年07月03日
合葉博治氏の記事
TMSの100号あたりの記事を見ると、様々な試行錯誤が載っていて楽しい。あまり良いモータが無かった時代で、歯車も良くない。車輪はブラスの地肌で、車軸も軸受も同じ材料を使っている。フランジの先端は曲線でレイルに当たっている。車軸も太い。これではろくな走りは期待できない。
合葉氏と初めて会ったのは1985年である。筆者の3条ウォームの開発記事を見て、興奮して電話を掛けていらした。呼び出されてお宅に伺った。機関車 2輛と線路10メートルほどとポイント1台を持って行った。廊下に敷いた線路を機関車が往復した。その時の合葉氏の興奮状態は、動画に撮ってあれば、Youtube で100万回の視聴が望めるほどだった。
「これだよ!これでなくっちゃ。」
と、惰行するのを楽しんだ。全軸ボールベアリング装荷のOゲージ蒸気機関車を見るのは初めてのようだった。しかも三条ウォームで軽く押せて、発電によって前照燈が点く。合葉氏は子供のように何十回も押して、楽しんだ。先台車の復元装置が本当に作動するのを確かめ、テンダの重さと摩擦の少なさを確認した。
「昔ね、”New O gauge" というのを提唱したんだ。ほとんど反響がなくってね、10人くらいの人が賛同を表明したが、それっきりになった。Oゲージにはそれ以下の模型とは異なる魅力があるんだけど、走らせる線路の確保が大変ということがあるからね。」
と切り出した。(写真はTMS97号1956年6月号)
「良い線路、良い車輪、良いギヤ、良いモータ、良い軸受の5つが揃えば、怖いもの無しだったのだ。今のHOに、果たして、それがあるだろうか?無いんだよね。それじゃHOの魅力って何だろう。狭い場所でも走らせられる?HOでも自宅のレイアウトで走らせている人なんて、ほとんど居ないよ。それならOゲージのほうが良い。Oゲージの大きさ、質量は、鉄道模型の最大の魅力だよね。HO以下では、逆立ちしたって、できゃしないんだからね。」
と、大きさの効果(2乗3乗則)をまくし立てた。
「原さんのはスパーギヤでよく走るけど、工夫がない。貴方のは直角伝導で、より実用的だ。こちらのほうが良い。」と言った。
「今まで誰もできなかった。でも貴方はやった。将来語り継がれるエポックメーカだ。」
と、お褒めの言葉を戴いた。
合葉氏と初めて会ったのは1985年である。筆者の3条ウォームの開発記事を見て、興奮して電話を掛けていらした。呼び出されてお宅に伺った。機関車 2輛と線路10メートルほどとポイント1台を持って行った。廊下に敷いた線路を機関車が往復した。その時の合葉氏の興奮状態は、動画に撮ってあれば、Youtube で100万回の視聴が望めるほどだった。
「これだよ!これでなくっちゃ。」
と、惰行するのを楽しんだ。全軸ボールベアリング装荷のOゲージ蒸気機関車を見るのは初めてのようだった。しかも三条ウォームで軽く押せて、発電によって前照燈が点く。合葉氏は子供のように何十回も押して、楽しんだ。先台車の復元装置が本当に作動するのを確かめ、テンダの重さと摩擦の少なさを確認した。
「昔ね、”New O gauge" というのを提唱したんだ。ほとんど反響がなくってね、10人くらいの人が賛同を表明したが、それっきりになった。Oゲージにはそれ以下の模型とは異なる魅力があるんだけど、走らせる線路の確保が大変ということがあるからね。」と切り出した。(写真はTMS97号1956年6月号)
「良い線路、良い車輪、良いギヤ、良いモータ、良い軸受の5つが揃えば、怖いもの無しだったのだ。今のHOに、果たして、それがあるだろうか?無いんだよね。それじゃHOの魅力って何だろう。狭い場所でも走らせられる?HOでも自宅のレイアウトで走らせている人なんて、ほとんど居ないよ。それならOゲージのほうが良い。Oゲージの大きさ、質量は、鉄道模型の最大の魅力だよね。HO以下では、逆立ちしたって、できゃしないんだからね。」
と、大きさの効果(2乗3乗則)をまくし立てた。
「原さんのはスパーギヤでよく走るけど、工夫がない。貴方のは直角伝導で、より実用的だ。こちらのほうが良い。」と言った。
「今まで誰もできなかった。でも貴方はやった。将来語り継がれるエポックメーカだ。」
と、お褒めの言葉を戴いた。
2021年06月05日
続 昭和20年代初頭の同人誌
他の同人誌を見ていこう。
これは大阪鉄道同好会が発行していた「快速度」である。編集者は佐々 武氏であったり、前田一夫氏であったりする。汽車会社の寮が住所になっていたことがある。新しく作られたC62の情報が、異常に詳しく載っている。どのD52から作られたかなど、普通には分かりにくいことを詳報している。
辻阪信一郎氏のComet Roadである。これはどちらかと言うと模型を中心にしている。辻阪氏は当時三重県津市に住んでいたようだ。Sゲージを始めている。当初から、椙山氏とは親交があり、椙山氏の祝辞を兼ねたかなりの長文が掲載されている。
辻阪氏は後に、筆者の仮住まいのすぐ近くに住まれたので、親しくお付き合いしていたが、こんな同人誌を発行していたとは知らなかった。腕の立つ鉄道模型人であった。
富山の北氏が松本正二氏を訪ねたときの様子が書かれている。この時代はまだ 35 mmゲージがあったのだ。
これは大阪鉄道同好会が発行していた「快速度」である。編集者は佐々 武氏であったり、前田一夫氏であったりする。汽車会社の寮が住所になっていたことがある。新しく作られたC62の情報が、異常に詳しく載っている。どのD52から作られたかなど、普通には分かりにくいことを詳報している。
辻阪信一郎氏のComet Roadである。これはどちらかと言うと模型を中心にしている。辻阪氏は当時三重県津市に住んでいたようだ。Sゲージを始めている。当初から、椙山氏とは親交があり、椙山氏の祝辞を兼ねたかなりの長文が掲載されている。辻阪氏は後に、筆者の仮住まいのすぐ近くに住まれたので、親しくお付き合いしていたが、こんな同人誌を発行していたとは知らなかった。腕の立つ鉄道模型人であった。
富山の北氏が松本正二氏を訪ねたときの様子が書かれている。この時代はまだ 35 mmゲージがあったのだ。 2021年06月03日
昭和20年代初頭の同人誌
椙山氏の書庫の整理をK氏と行った。
古い海外の雑誌を約100 kg運び出した。それらの大半はすでにあるので、保存状態の良い方を博物館で並べ、良くない方は書庫に収めた。日本の雑誌の大半はすでにあり、残りは防カビ処理をして気密箱に入れた。
ボロボロのファイルが見つかった。その場では判読が難しいものばかりだったが、自宅に持ち帰って明るい光の下で拡大鏡で見ると、昭和21年あたりからの、全国各地の同人誌であった。TMSの発刊前の時代に、実物、鉄道模型に関する同人誌が、全国各地でこんなにたくさんあったことなど、現代の誰も知らないことであろう。

発行者は著名人が多く、名鉄出身で大井川鐵道副社長だった白井 昭氏、富山の北龍一氏らが、それぞれ自ら編集して発送している事がわかった。白井氏、北氏には直接お目にかかった事もあったが、このようなことは一切お話にならなかった。白井氏は、最近このブログによく登場する伊藤禮太郎氏(国鉄)とは同級生であり、伊藤氏は印刷を担当したとある。また、白井氏は伊藤剛氏の後輩で、親しかった。東京モノレールは白井氏が中心になって作られた。
貴重な原稿がたくさんあり、これを保存し、部分的には公開したいが、紙、インクの劣化が甚だしく、かなり難儀しそうだ。白井氏はご存命であるので、許可を得ることも可能だろう。また、このアーカイブに入れて戴くことも考えている。
古い海外の雑誌を約100 kg運び出した。それらの大半はすでにあるので、保存状態の良い方を博物館で並べ、良くない方は書庫に収めた。日本の雑誌の大半はすでにあり、残りは防カビ処理をして気密箱に入れた。
ボロボロのファイルが見つかった。その場では判読が難しいものばかりだったが、自宅に持ち帰って明るい光の下で拡大鏡で見ると、昭和21年あたりからの、全国各地の同人誌であった。TMSの発刊前の時代に、実物、鉄道模型に関する同人誌が、全国各地でこんなにたくさんあったことなど、現代の誰も知らないことであろう。

発行者は著名人が多く、名鉄出身で大井川鐵道副社長だった白井 昭氏、富山の北龍一氏らが、それぞれ自ら編集して発送している事がわかった。白井氏、北氏には直接お目にかかった事もあったが、このようなことは一切お話にならなかった。白井氏は、最近このブログによく登場する伊藤禮太郎氏(国鉄)とは同級生であり、伊藤氏は印刷を担当したとある。また、白井氏は伊藤剛氏の後輩で、親しかった。東京モノレールは白井氏が中心になって作られた。
貴重な原稿がたくさんあり、これを保存し、部分的には公開したいが、紙、インクの劣化が甚だしく、かなり難儀しそうだ。白井氏はご存命であるので、許可を得ることも可能だろう。また、このアーカイブに入れて戴くことも考えている。 2021年05月22日
EF58の再生計画
動輪のめっきが出来た。厚い硬質ニッケルめっきだから、スティール製のレイルの上を走っても、そう簡単には剥げることはない。台枠をどうやって作るかを思案中だ。オリジナルのダイキャスト製軸箱は、一つも使えるものがなかった。ブラスのロストワックス鋳物に取り替える。Φ3の穴を座ぐってΦ5にし、内径 2 mmのボールベアリングを入れる。機関車であるからΦ2が限度で、細いジャーナルでは折れてしまうだろう。
板バネは、新たにリン青銅の板から切り出す準備が整った。イコライザは正しく動くように作り直す。リンクは作り直すべきか、調べている。バネ座を正確に作らないとバネが水平にならない。できる限り機械加工して、精度を高めることにする。
先台車上部のフレイムは、剛性を高めた設計にする。主台枠同士は連結棒で結び、ボディには引張力が掛からないようにする。すなわち、主台枠が回転すると、片方のデッキ部分が、少し中心に引き込まれることになる。
片方の台車のキングピン穴は長穴にする。そうしておかないと車体が引き伸ばされたり、押し込まれたりして疲労し、ハンダが外れる。列車を加減速するときの衝撃は小さくない。
先台車は3Dプリントにする。現在のものはあまりにも出来が悪いので、直すのは断念した 。非金属製であれば、ショートから逃れられるし、梯子に当たっても問題ない。梯子はハネ上げ式にする。
車体には床板を付けるが、ひねりが効くような構造にするアイデアがある。床上に両軸モータを取り付けて、全軸連動させる。軽いが強力な機関車になるだろう。
この座グリドリルはあと数本残っているので、御希望の方はコメントを通じてお知らせ願う。コメント本文にメイルアドレスを書かれたい。
2021年05月20日
続 EF58の分解
台車が外れたので、次は車内だ。ウェイトを取り付けている帯金を外した。その状態で車体を掴むと、凹みそうである。ウェイトは一つ 1.5 kgもある。これが各3本の 3 mmネジで車体に付いている。というよりもウェイトに車体がついていると言ったほうが正しいだろう。鉛だけで 3 kgもあるのだ。起動電流が 5 Aを超えるのも無理はない。 重いけれども堅いウェイトが車体に密着しているので、車体を握っても凹まない。ウェイトが構造部材となっているわけだ。これはなかなか良い方法かもしれない。ウェイトの角の凹みは、テイルライトを避けたものだ。稲葉氏は木で型を作って鉛を流し込んでいる。ウェイトの側面が直立しているのが素晴らしい。普通は上の方がすぼまってしまう。おそらく、それを経験して鋳型を上広がりにしたのであろう。鋳放しではなく、少しヤスリを掛けて、平面を出したようだ。
3面(運転台面と左右)は暗い青に塗ってある。車内色はこの色だったのだろう。モータに当たるところはタガネで彫ってある。
こんな重い機関車なので、ウォームは磨り減り、歯型が変形している。もう少しで丸坊主だ。鋼製のウォームを用いると同時に、ギヤボックスに入れてあれば、グリースが保たれてもう少し長持ちしたであろう。同時代に祖父江氏が作って輸出した機関車は、そうなっている。それに比べるのも酷だが、この機関車の設計者は工学的な知識がほとんど無いことが明白だ。
とりあえず下廻りの塗料を剥がして、工法を考える。先台車の台枠は、ソリッドのT字型のものを作って銀ハンダで付けることにする。先台車で一点、台車側枠で二点の三点支持が2つできるわけだ。車体が柔かければ、側受を付けて四点支持で良いが、堅いのならば弾性支持にする。機関車の質量は1.5 kgにする。軽いから壊れにくくなる。
2021年05月18日
EF58の分解
EF58の分解に取り掛かった。とにかく重い。5 kg以上だ。作業台にひっくり返して置くと、パンタグラフはもちろん、屋根上のモニタが潰れる可能性がある。車体は厚さ0.4mmである。本物のようにふにゃふにゃだ。
横向きに置いてネジを20本ほど抜くと台車が外れた。ACモータが集電ブラシから直接配線されている。界磁のポラライズはしていない。ということは、前進のみで後退できない。おそらく、電流が大き過ぎてセレン整流器が入れられなかったのだろう。特急用であれば、それで良かったのかもしれない。台車からモータ、車輪、ギヤをひとまとめで引き抜く。
台車の構造は全く感心しない。本物の構造を知らない人が設計している。梁に相当する部分の剛性が全く足らない。重い車体が載っているのだから、かなり無理をしていて、台車ボルスタはすでに曲がっている。
2つの台車も結合していないから、牽引力は車体を介していることになる。(HO以下の模型ではそれが普通だ。)
デッキ部分の骨は、主台枠に強固に結合していなければならないのに、上下にフラフラしている。側枠の連結器に近い方の表面にはたくさんのネジが有る。そのネジが何のためなのかを考えれば、こんなひどい設計はしない。本物はここが鋳鋼でできていて、相当の厚さがあるのだ。ところが、1 mmの板にデッキの台枠が 2 mmネジ2本で留まっているだけであるから、バネのように上下に振れるのは当然だ。写真の手前を見ると、その部分が撓むのを見越して逆反りにしているのがわかる。これではだめだ。
全体を作り替える予定であったが、側枠が意外と良い出来で、残すことにした。軸箱のダイキャストは膨れて動かない。ペンチではさむと粉砕された。ブラスのロストワックス鋳物があるから、それと振り替える。数えたら11個しかないので、一つは自作し、速度計部分とすることにした。板バネは作り替える。例のシァはそのために購入したのだ。
横向きに置いてネジを20本ほど抜くと台車が外れた。ACモータが集電ブラシから直接配線されている。界磁のポラライズはしていない。ということは、前進のみで後退できない。おそらく、電流が大き過ぎてセレン整流器が入れられなかったのだろう。特急用であれば、それで良かったのかもしれない。台車からモータ、車輪、ギヤをひとまとめで引き抜く。台車の構造は全く感心しない。本物の構造を知らない人が設計している。梁に相当する部分の剛性が全く足らない。重い車体が載っているのだから、かなり無理をしていて、台車ボルスタはすでに曲がっている。
2つの台車も結合していないから、牽引力は車体を介していることになる。(HO以下の模型ではそれが普通だ。)デッキ部分の骨は、主台枠に強固に結合していなければならないのに、上下にフラフラしている。側枠の連結器に近い方の表面にはたくさんのネジが有る。そのネジが何のためなのかを考えれば、こんなひどい設計はしない。本物はここが鋳鋼でできていて、相当の厚さがあるのだ。ところが、1 mmの板にデッキの台枠が 2 mmネジ2本で留まっているだけであるから、バネのように上下に振れるのは当然だ。写真の手前を見ると、その部分が撓むのを見越して逆反りにしているのがわかる。これではだめだ。
2021年05月16日
四日市のクラブ

当時Oゲージのスケールモデルは人気があり、運転会では各種の模型が走っていた。この2枚の写真は1956年8月26日の四日市工業高校での催しである。橋(伊藤禮太郎氏製作・東海道本線揖斐川橋梁)もある大規模なレイアウト(稲葉氏設計)であり、C53(益田 昌氏作)が走っているのが見える。益田氏はTTゲージを広めようとされた方だ。TMS111号に記事がある。 この時期のNMRC名古屋模型鉄道クラブやYRFC四日市レールファンクラブの会報を読むと、その熱気が伝わってくる。この2つのクラブは姉妹クラブで、記事原稿のやり取りをしていた。
特に椙山氏の文章は、創作意欲を湧き立たせる、リズム感のある筆致で素晴らしい。それに答えて伊藤剛氏の軽妙な、かつ工学的な素養を含む記事が毎月発表されていた。当時のTMSを比較して読むと、4分の1近くが、この2つのクラブの会報に端を発した記事であることがわかる。
1955年10月18日三田祭におけるレイアウト(図参照)で、稲葉氏のC62、EF58による特急編成、益田氏のC53による戦前の特急編成、生川氏のモハ42編成の併走の様子などが書かれている。
電流の事も書いてあり、C62は 2 A、EF58は 5 Aとある。C53はDCモータが2個付いているとも書いてあり、電流は 1〜2 Aだそうだ。セレンは中古の3Aで、パンクを恐れて1輛ずつ運転していたが、しまいには2列車走らせても壊れなかったとある。
またC53は、最初は4輛しか牽かなかったが、当たりがつくと調子が良くなって7輛牽き、騒音も小さくなった。後半には電車顔負けの猛スピードで走ったとある。精度の無い歯車しかなかった時代なのだ。
この時代の記事を読むと分かるのは、誰もがよく走る模型を目指していたことだ。外観にこだわる人は少数であった。
2021年05月14日
続 稲葉氏の言葉
稲葉氏は、HOには熱心ではなかった。Oゲージの時代が過ぎると、模型はほとんどやめてしまわれたようだ。筆者が初めて会ったのは1960年代後半で、筆者の作ったOゲージのコンソリをご覧になって、細かい批評を激励と共に戴いた。
そのコンソリは手に入れた動輪径から計算して図面を描いて作った自由形でアメリカ型であった。椙山氏のところで見せて戴いた本の写真と図面から作った。動輪は3点支持のイコライザ懸架で先輪は復元を利かせていた。九割方出来たところで放置されていたが、引越しの際に派手に壊してしまい、処分した。板が薄くて、剛性がなかったからだ。その後の筆者が作る模型は、厚い板で構成し、十分な剛性を持たせるようになった。探せば動輪だけは見つかるはずだ。動輪やロッドは銀めっきをしたので、後には真っ黒になってしまった。銀は錆びやすいのだ。
その時稲葉氏は、
「おや、まだOゲージの新作を見ることができるとは思わなかったな。これはいい形をしているね。椙山先生に見せたかい?彼の好きな形だ。」
と褒めてくれ、さらにこう述べた。
「Oゲージは、模型として正しい大きさだと思う。大きさ、重さが良いのだ。Oゲージが斜陽化したのはメーカの努力が足りなかったからだ。良い製品、パーツを出してくれれば、我々も作リ続けたのだ。最近はHOが盛んになっているが、それは部屋が狭いからという制約だけから来ている。その大きさが素晴らしいというわけではないんだ。大きな部屋があれば問題はない。田舎なら土地はふんだんにある。君たちが頑張って、いつの日か再興してほしい。」
それについては、椙山氏も同じことをおっしゃった。
「Oゲージはすばらしい模型の大きさなのですけど、今や子供の玩具(三線式)に成り下がってしまいましたね。Oゲージでスケールの車輛を作ろう、走らせようとしても、キットや部品がなくなってしまったのです。もっと素晴らしいものを提供してくれれば、我々はOゲージのままでいただろうと思いますよ。」
その後も稲葉氏とは、椙山邸で何度もお会いしているが、模型は作っていないとのことだった。
その後、数十年が経った。稲葉氏の作品が走る日が近付いてきた。
そのコンソリは手に入れた動輪径から計算して図面を描いて作った自由形でアメリカ型であった。椙山氏のところで見せて戴いた本の写真と図面から作った。動輪は3点支持のイコライザ懸架で先輪は復元を利かせていた。九割方出来たところで放置されていたが、引越しの際に派手に壊してしまい、処分した。板が薄くて、剛性がなかったからだ。その後の筆者が作る模型は、厚い板で構成し、十分な剛性を持たせるようになった。探せば動輪だけは見つかるはずだ。動輪やロッドは銀めっきをしたので、後には真っ黒になってしまった。銀は錆びやすいのだ。
その時稲葉氏は、
「おや、まだOゲージの新作を見ることができるとは思わなかったな。これはいい形をしているね。椙山先生に見せたかい?彼の好きな形だ。」
と褒めてくれ、さらにこう述べた。
「Oゲージは、模型として正しい大きさだと思う。大きさ、重さが良いのだ。Oゲージが斜陽化したのはメーカの努力が足りなかったからだ。良い製品、パーツを出してくれれば、我々も作リ続けたのだ。最近はHOが盛んになっているが、それは部屋が狭いからという制約だけから来ている。その大きさが素晴らしいというわけではないんだ。大きな部屋があれば問題はない。田舎なら土地はふんだんにある。君たちが頑張って、いつの日か再興してほしい。」
それについては、椙山氏も同じことをおっしゃった。
「Oゲージはすばらしい模型の大きさなのですけど、今や子供の玩具(三線式)に成り下がってしまいましたね。Oゲージでスケールの車輛を作ろう、走らせようとしても、キットや部品がなくなってしまったのです。もっと素晴らしいものを提供してくれれば、我々はOゲージのままでいただろうと思いますよ。」
その後も稲葉氏とは、椙山邸で何度もお会いしているが、模型は作っていないとのことだった。
その後、数十年が経った。稲葉氏の作品が走る日が近付いてきた。
2021年05月12日
稲葉氏の言葉
稲葉氏の写真は意外と少ない。K氏のアルバムを見せて戴いたが、数枚しかない。それを複写させてもらった。
この写真は1951年撮影だそうだ。左端の人が稲葉氏だ。一人おいてK氏、下の左端が椙山満氏である。右端は、東京藝大のピアノ科の先生になられたKB氏である。昨年お会いした。とてもお元気であった。博物館にいらっしゃるであろう。
稲葉氏はK氏を誘ってサイクリングによく出かけたそうで、その一コマである。遠く、熊野の方まで遠征したという。
この写真は四日市のクラブでは伝説となっていた有名な場面である。日永のジュニア模型店の座敷で、Oゲージの運転会をした後、
「次回からは2線式でないと走らせない」
と宣言し、中央三線式の中央線(既にこの時は銅線になっていた)を引きはがしている様子である。引きはがしている本人が稲葉氏である。後ろは故伊藤禮太郎氏だ。撮影は椙山氏である。
高校の大先輩である稲葉氏とは、よくお話をさせて戴いた。
この写真は1951年撮影だそうだ。左端の人が稲葉氏だ。一人おいてK氏、下の左端が椙山満氏である。右端は、東京藝大のピアノ科の先生になられたKB氏である。昨年お会いした。とてもお元気であった。博物館にいらっしゃるであろう。
稲葉氏はK氏を誘ってサイクリングによく出かけたそうで、その一コマである。遠く、熊野の方まで遠征したという。
この写真は四日市のクラブでは伝説となっていた有名な場面である。日永のジュニア模型店の座敷で、Oゲージの運転会をした後、「次回からは2線式でないと走らせない」
と宣言し、中央三線式の中央線(既にこの時は銅線になっていた)を引きはがしている様子である。引きはがしている本人が稲葉氏である。後ろは故伊藤禮太郎氏だ。撮影は椙山氏である。
高校の大先輩である稲葉氏とは、よくお話をさせて戴いた。
2021年05月10日
スシ37
窓ガラスは全て本物のガラス板であり、稲葉氏自身がガラス切りで切っている。それを角棒で作った溝に落とし込んで、セメダインCで接着してある。徐々に接着剤の劣化が進み、はがれてきたものがある。ガラスを外し、窓枠を削って段をなくし、洗ったガラス板を嵌め込んだ。接着はもちろんスーパーXである。こうすれば二度と外れることが無い。
幸か不幸か、この食堂車の窓ガラスはまだ外れていない。窓掃除が行き届いていないのはお恥ずかしい限りだ。外さなくても綿棒とマイクロブラシできれいにできることが分かったので、就役時までには綺麗になるだろう。
整備の終わった3軸台車の性能はすこぶる良く、ナイロン製台車と優劣が付けがたい。もちろん後者は軽負荷(軸重100 gw程度)の時である。重い車輛であれば、ボールベアリング装荷の勝ちである。
床下にはカビが生えているものが2輛あったので、次亜塩素酸ナトリウム水溶液をブラシで塗って、直ちに水洗いした。カビ止め塗料を塗る必要があるかもしれない。
2021年05月08日
優等客車群




稲葉氏の作られた車輛の残りを受け取って来た。スユニ、スロ、カシ、マイロネフ、マイネ、スロネなどである。すべての文字が手書きである。字体が美しい。白の水彩絵の具に中性洗剤を一滴落とすとはじかれないのだ。
改造してLow-D化する。また3Dで台車を作らねばならない。車輪の在庫がかなりの勢いで減った。

博物館にある客車関係の本と、当時の雑誌(初期の鉄道ピクトリアル)をくまなく見ている。作られた時代が分かると、ありうる編成も少しずつ読めて来た。星晃氏の著作を読むと、当時の工夫も理解できる。戦後の連合軍による接収が解けた頃の話だ。いのうえ・こーいち氏の本も面白い。客車の連結方向もある程度判って来た。稲葉氏宅の蔵に入れてもらって、当時の製作日記などを拝見できれば確実なのだが、それがすぐ見つかるかはわからない。この優等客車群は、東海道のいわゆる名士列車を編成していたのではないかと推測する。特急「かもめ」のテイルサイン(いわゆるアンドン)も出てきた。山陽線の2・3等特急だが、その編成用ではない。
3軸台車の改良も終わり、連結器の破損も修理した。床下器具の更新も進み、多少見られるようになってきた。運転用であるから、細かい細工はしないことにしている。横から見て美しく、滑らかな運転ができればそれでよい。
マイロネフ38を作るつもりだったが、スイロネフ37の完成品が来てしまった。TR73の新たな行き先を考えねばならない。こうなったら、新規に展望車を作る、というのも一案である。「はと」編成は、貨物列車の最後尾につけて試運転している。非常に調子良く走り、脱線しないが、毎日連結器がぽろぽろと割れる。本物のようにナックルが欠ける。連結器は、ナイロンで3Dプリントするのが賢明だろう。
2021年05月06日
続 C62

この機関車をK氏宅で棚から降ろす時、左手首を捻挫しそうになった。それほど重いのである。一瞬目を疑うような状態だ。ここまで重くしないと、12輌牽けなかったのだ。この機関車のボイラ内は全て鉛で埋め尽くされているのは当然であるが、シリンダブロック、主台枠下も全て鉛の塊を後付けしている。横から見えているが、なりふり構わず、補重しているのだ。機関車だけで5 kg以上ある。
当時の客車の車輪は Φ3 のブラス製ジャーナルで、ブラス製軸箱である。いくら注油しても摩擦は大きい。せめて鋼製の Φ2 にしていれば、かなり違ったであろう。そのころ、メルクリンでは熱処理した鋼製のΦ1 を使っていた。それを使えば、ずいぶん違った走りを示したに違いない。
このC62のロッド、クランクピンは、外れそうになるくらい磨り減っている。また、軸はガタガタで、すでに限界に来ている。タイヤを含めて動輪はブラス製であるから、かなり磨り減って、フランジは薄くなり、また相対的に高くなってしまっている。
下廻りは全て新製する。部品は揃えた。主台枠を作り直すのにレーザを使うか、切削で作るかは悩むところだ。主台枠を一体で3Dプリントする、というアイデアも来ている。可能な範囲にあるそうだ。
動輪は鋼製タイヤの高級品があるから、気楽な工作である。
前方の連結器はダイキャスト製であったが、座もろとも粉になっていた。取付穴に合うように板金工作して、仮の連結器を付けた。いずれエンドビームごと更新されるので、まじめに作ってはいない。 このOゲージの機関車は走行を目的とし、余り細かく飾り付けないようにするが、走行性能は最高にする。サウンドと煙が出れば文句あるまい。
2021年05月04日
C62
四日市のK氏に会って、最近の博物館の事情を説明した。預かっている車輌の台車、車輪を Low-D に換装したら、14輌でも軽く牽けるという話をした。 「はと」編成の写真を見せたところ、大変興奮し、撮影に来るとのことだ。
「これが走れば大したものだ。すごいね。昔の四日市のクラブ仲間を誘って見に行くよ。」
とは言うものの、最後に走ったのは60年前である。
「うちで預かっているC62も作り直して貰えば、牽くよね。」と、C62の改造も引き受けさせられてしまった。この機関車のダイキャストの部品は全て崩れ、かなりひどい状態である。後述するが、この機関車は極端に重い。これを改造するのは困難だ。
同時に、稲葉元孝氏製作の優等客車群も預かって来た。これらの客車は何の編成のものかは、まだ調査中である。3軸台車を付けたのが2輌あるので、また台車の改造をせねばならない。これは意外と大変な作業である。
驚いたことにスイロネフ37が含まれていた。進駐軍に白帯を取られて、黄帯の一等車である。マイネもあって、それにはJNRと書いてある。外国人旅行者用だ。
このC62は祖父江欣平氏の設計で、設計番号A‐1である。縮尺は1/43だ。この縮尺でないと、クロスヘッド裏がサイドロッドに当たってしまう。この計算は酒井喜房氏が「模型鉄道」誌に発表している。
当然のことながら、この機関車は大きい。その昔、Oゲージ 1/45を採用しようと呼びかけた湯山一郎氏は、1/43が大きいとの指摘に対し、
「機関車は大きい方が立派に見えます。」
などと、怪しいことを言っていた。確かに、アメリカの機関車は客車よりはるかに大きい。ところが日本では客車がかなり大きいので、丸屋根の客車(3等寝台など)と並べると機関車が小さく見え、見劣りがしたのは否定できない。
これをOJに作り替えたものを見たことがあるが、それはかなり奇妙な様子を示していた。相対的に軌間が異常に狭く見えるのだ。三井金属のダイキャスト製がまさにそれである。これは 1/42 と公称している。不思議なサイズだ。
のちに1985年ごろ、KTMはOJのC62を発売した。サイズは 1/45で、これも祖父江氏の設計だ。その機関車はC6217を模型化したものである。現物は、名古屋の東山公園の植物園に置いてあった。現在、その機関車はJR東海のリニア・鉄道館にある。
(カツミの番号の付け方はOゲージをAとし、HOゲージをBとした。ちなみにA-2はこだま号である。)
「これが走れば大したものだ。すごいね。昔の四日市のクラブ仲間を誘って見に行くよ。」
とは言うものの、最後に走ったのは60年前である。
「うちで預かっているC62も作り直して貰えば、牽くよね。」と、C62の改造も引き受けさせられてしまった。この機関車のダイキャストの部品は全て崩れ、かなりひどい状態である。後述するが、この機関車は極端に重い。これを改造するのは困難だ。
同時に、稲葉元孝氏製作の優等客車群も預かって来た。これらの客車は何の編成のものかは、まだ調査中である。3軸台車を付けたのが2輌あるので、また台車の改造をせねばならない。これは意外と大変な作業である。驚いたことにスイロネフ37が含まれていた。進駐軍に白帯を取られて、黄帯の一等車である。マイネもあって、それにはJNRと書いてある。外国人旅行者用だ。
このC62は祖父江欣平氏の設計で、設計番号A‐1である。縮尺は1/43だ。この縮尺でないと、クロスヘッド裏がサイドロッドに当たってしまう。この計算は酒井喜房氏が「模型鉄道」誌に発表している。
当然のことながら、この機関車は大きい。その昔、Oゲージ 1/45を採用しようと呼びかけた湯山一郎氏は、1/43が大きいとの指摘に対し、
「機関車は大きい方が立派に見えます。」
などと、怪しいことを言っていた。確かに、アメリカの機関車は客車よりはるかに大きい。ところが日本では客車がかなり大きいので、丸屋根の客車(3等寝台など)と並べると機関車が小さく見え、見劣りがしたのは否定できない。
これをOJに作り替えたものを見たことがあるが、それはかなり奇妙な様子を示していた。相対的に軌間が異常に狭く見えるのだ。三井金属のダイキャスト製がまさにそれである。これは 1/42 と公称している。不思議なサイズだ。
のちに1985年ごろ、KTMはOJのC62を発売した。サイズは 1/45で、これも祖父江氏の設計だ。その機関車はC6217を模型化したものである。現物は、名古屋の東山公園の植物園に置いてあった。現在、その機関車はJR東海のリニア・鉄道館にある。
(カツミの番号の付け方はOゲージをAとし、HOゲージをBとした。ちなみにA-2はこだま号である。)
2020年08月03日
続々 特急”はと”編成を預かる
他にC62も持って来ねばならないし、優等客車もあと何輌かある。Oゲージのままで走行性能を極限まで上げて、博物館のレイアウトを疾走させるのも面白い。そうなれば客車ヤードに入れておいて、リクエストがあれば走らせるという形になるだろう。Oゲージの旧製品は下廻りと動力機構を全て入れ替える必要があり、その工事を待たねば、線路には載せられない。バネが無いものは集電が悪く、スパークでレイルに傷がつく。当博物館のレイルがきれいなのは、それが無いからである。客車であっても電球では電流が大きく、台車が固定軸だとスパークが出て、すぐに車輪が傷だらけになる。と同時にレイルも傷むわけだ。
現在博物館のレイアウトを走っているUP4-8-4と10輌編成の急行列車は、LED照明で登り坂でも0.7 Aで走る。この程度の効率を実現するのは可能である。
下廻りはすべて新製する予定だ。台枠はレーザで切り抜き、動輪は鉄タイヤの新品にする。
筆者は国鉄型の知識が少ないので勉強中であって、いろいろな方からご指導を戴いている。
最近、いろいろな方から寄贈の相談がある。應迎寺の話は現実のものとなりそうな気配である。どなたもおっしゃることは同じである。
「家に置いておくと、自分が死んだときに捨てられてしまう。頼むよ。」
今のところ、ワンフロアが完全に空いているので、そこに順に置いて、内容物を示す紙を貼っている。スペイスはかなりあるから、当分は全く問題ない。ガラス棚もいくつか新しいものが入ったので、代表作は展示している。
現在博物館のレイアウトを走っているUP4-8-4と10輌編成の急行列車は、LED照明で登り坂でも0.7 Aで走る。この程度の効率を実現するのは可能である。
下廻りはすべて新製する予定だ。台枠はレーザで切り抜き、動輪は鉄タイヤの新品にする。
筆者は国鉄型の知識が少ないので勉強中であって、いろいろな方からご指導を戴いている。
最近、いろいろな方から寄贈の相談がある。應迎寺の話は現実のものとなりそうな気配である。どなたもおっしゃることは同じである。
「家に置いておくと、自分が死んだときに捨てられてしまう。頼むよ。」
今のところ、ワンフロアが完全に空いているので、そこに順に置いて、内容物を示す紙を貼っている。スペイスはかなりあるから、当分は全く問題ない。ガラス棚もいくつか新しいものが入ったので、代表作は展示している。
2020年07月30日
特急”はと”編成を預かる
椙山氏のレイアウト移設に関連して、故稲葉元孝氏の遺品の客車群をお預かりすることになった。国鉄型車輌は初めて入線する。
K氏から、「お宅しか、お願いするところがない。」と電話があったので、受け取って来た。緩衝材入りの箱であって、さすがに20メートル車を20輌と機関車1輌を運ぶのは大変な作業だ。乗用車の車内、トランクにぎっしりだった。
Oゲージのフル・スケールモデルの列車を見ることは、稀である。窓はすべてガラス板で、意外と重い物である。一部の接着剤の剥がれは、修正が必要であるが、可能な範囲にある。室内側から、粘度の低いエポキシ樹脂を少量流し込んでみる。浸み込ませて、剥がれを押さえるつもりだ。この方法は旧い貨車の修復に使ったことがある。
床下器具の補修は3Dプリントの出番だろう。一部の車輌には室内が完備されている。驚いたのは屋根板の内側が丸ノミで彫ってあり、天井が丸いことである。デッキ部分、トイレなどの仕切りも正確に再現されている。床板が簡単に外れないように、4つの留め金がある。
展示してあったものは、埃をかぶっているのできれいに掃除し、屋根だけは艶消し塗料を再度塗ってやれば、修復できるだろう。

稲葉氏は、地元では教科書に載っている偉人の孫であった。高校の大先輩でもあり、椙山氏と共にご指導戴いた方である。
東京の大学に行っていたので、帰省時にはカツミの製品・部品を大量に担いで帰ってもらったと、椙山氏には聞いた。毎回の往復時に乗った列車をくまなく記録した写真帳、メモ帳を拝見したことがある。非常に几帳面な方で、細かい字とスケッチがぎっしりと書き込まれていた。
K氏から、「お宅しか、お願いするところがない。」と電話があったので、受け取って来た。緩衝材入りの箱であって、さすがに20メートル車を20輌と機関車1輌を運ぶのは大変な作業だ。乗用車の車内、トランクにぎっしりだった。
Oゲージのフル・スケールモデルの列車を見ることは、稀である。窓はすべてガラス板で、意外と重い物である。一部の接着剤の剥がれは、修正が必要であるが、可能な範囲にある。室内側から、粘度の低いエポキシ樹脂を少量流し込んでみる。浸み込ませて、剥がれを押さえるつもりだ。この方法は旧い貨車の修復に使ったことがある。床下器具の補修は3Dプリントの出番だろう。一部の車輌には室内が完備されている。驚いたのは屋根板の内側が丸ノミで彫ってあり、天井が丸いことである。デッキ部分、トイレなどの仕切りも正確に再現されている。床板が簡単に外れないように、4つの留め金がある。
展示してあったものは、埃をかぶっているのできれいに掃除し、屋根だけは艶消し塗料を再度塗ってやれば、修復できるだろう。

東京の大学に行っていたので、帰省時にはカツミの製品・部品を大量に担いで帰ってもらったと、椙山氏には聞いた。毎回の往復時に乗った列車をくまなく記録した写真帳、メモ帳を拝見したことがある。非常に几帳面な方で、細かい字とスケッチがぎっしりと書き込まれていた。
2020年07月08日
古い車輪を再利用する
3線式の時代の車輪はかなり捨てたが、まだいくつかある。厚みがあるのでこれを削ったら、OJ用のスポーク車輪になるかもしれないと思い付いた。19 mmのサンプルで試してみる。

ネジは旧JISのM4で、ピッチが0.75 mmだ(現在の並目ピッチは0.7 mmである)。筋の良い車軸を選んでヤトイとする。車輪裏の根元がきちんと平面になっていないと振れが生じるので、まずそこを削り、フランジ内側を削り落とす。これでよいかと思ったが、多少の振れがある。昔の製品の精度はこんなものだ。この方法では、最初に根元を削った部分が垂直であるとは限らないからだ(大きなコレットでタイヤを掴むのが良いことが分かった)。ヤトイから外して、前後嵌め替え、今度は表面を厚さ 3.5 mmになるように削った。
タイヤ厚み(法線方向)が1 mmだから、輪心径17.0 mmのものと、それから絶縁材の厚み×2を引いたもの、の2種を削り出すのだ。
ネジ込み車輪というものは根本的に「振れ」からの脱却は困難である。筆者が圧入にこだわるのはそこである。
この工場で作ったネジ込み車輪のネジの精度には誰しも驚く。ぎゅっとは締まらない。コツンと締まる。ガタが、事実上ないネジを作ってくれるのだ。だからこそ、Low-Dにもネジ込み車輪が登場したのである。最初はすべて圧入するしかなかった。
タイヤはステンレスだから伸びやすい。無茶に締めると、径が左右で異なることになる。定盤の上でエポキシ接着剤を塗ってそろりと嵌めるべきだろう。

軸はバックゲージが21.5 mmのものを作る。今どきM4-P0.75と聞いたら、工場の人は驚くはずだ。久しく作っていないだろう。
当時の製品はネジがガタガタで、心が出にくい。
今回の発表で、細かいものを少し作ってくれと言ってくる人があるが、そういうものは請けられない。この工場は量産工場である。極めて精度の高いものを大量に作る技術を金に換えているのである。こちらで用意した仕様以外のものは、相当数の注文がないと動き出せない。
タイヤだけを作っておけば、いろいろな使い方が見つかるだろう。昔は旋盤工作ができないと加工は無理だったが、今回はそのまま嵌めるだけというものもできるかもしれない。ある人は、車輪内にボールベアリングを仕込んではどうか、というアイデアもある。左右自由回転になる。出来ないことはないだろうが、ガタがあるので、複列にして多少の予圧を掛ける必要がある。かなり面倒な構造だ。ガタを見越して使うのなら簡単だが、Oスケールでは避けたい。
見かけだけはよくできた車輛を見せてもらうことがあるが、車輪が振れていると、思わず天を仰いでしまう。優れた走りには、どうしてもこだわりたい。
<追記>
このM4-P0.75のネジを持つ車輪、車軸は全て廃棄した。Φ3のストレート穴のあいた車輪を入手したからだ。これは、ある人がカツミに特注したものらしい。それが300個ある。正しい設計で作り直すことにする。
(2022年2月5日)

ネジは旧JISのM4で、ピッチが0.75 mmだ(現在の並目ピッチは0.7 mmである)。筋の良い車軸を選んでヤトイとする。車輪裏の根元がきちんと平面になっていないと振れが生じるので、まずそこを削り、フランジ内側を削り落とす。これでよいかと思ったが、多少の振れがある。昔の製品の精度はこんなものだ。この方法では、最初に根元を削った部分が垂直であるとは限らないからだ(大きなコレットでタイヤを掴むのが良いことが分かった)。ヤトイから外して、前後嵌め替え、今度は表面を厚さ 3.5 mmになるように削った。タイヤ厚み(法線方向)が1 mmだから、輪心径17.0 mmのものと、それから絶縁材の厚み×2を引いたもの、の2種を削り出すのだ。
ネジ込み車輪というものは根本的に「振れ」からの脱却は困難である。筆者が圧入にこだわるのはそこである。
この工場で作ったネジ込み車輪のネジの精度には誰しも驚く。ぎゅっとは締まらない。コツンと締まる。ガタが、事実上ないネジを作ってくれるのだ。だからこそ、Low-Dにもネジ込み車輪が登場したのである。最初はすべて圧入するしかなかった。
タイヤはステンレスだから伸びやすい。無茶に締めると、径が左右で異なることになる。定盤の上でエポキシ接着剤を塗ってそろりと嵌めるべきだろう。

軸はバックゲージが21.5 mmのものを作る。今どきM4-P0.75と聞いたら、工場の人は驚くはずだ。久しく作っていないだろう。 当時の製品はネジがガタガタで、心が出にくい。
今回の発表で、細かいものを少し作ってくれと言ってくる人があるが、そういうものは請けられない。この工場は量産工場である。極めて精度の高いものを大量に作る技術を金に換えているのである。こちらで用意した仕様以外のものは、相当数の注文がないと動き出せない。
タイヤだけを作っておけば、いろいろな使い方が見つかるだろう。昔は旋盤工作ができないと加工は無理だったが、今回はそのまま嵌めるだけというものもできるかもしれない。ある人は、車輪内にボールベアリングを仕込んではどうか、というアイデアもある。左右自由回転になる。出来ないことはないだろうが、ガタがあるので、複列にして多少の予圧を掛ける必要がある。かなり面倒な構造だ。ガタを見越して使うのなら簡単だが、Oスケールでは避けたい。
見かけだけはよくできた車輛を見せてもらうことがあるが、車輪が振れていると、思わず天を仰いでしまう。優れた走りには、どうしてもこだわりたい。
<追記>
このM4-P0.75のネジを持つ車輪、車軸は全て廃棄した。Φ3のストレート穴のあいた車輪を入手したからだ。これは、ある人がカツミに特注したものらしい。それが300個ある。正しい設計で作り直すことにする。
(2022年2月5日)
2020年06月28日
続 ”ある鉄道模型人”
この第2弾の取材は、転車台の動きを見せてくれ、と頼まれて始まった。機構部分の動きはアメリカで発表して、その動画をまだ日本では発表していなかったので、良いチャンスであった。高性能なカメラでの撮影は意味があると思ったからだ。
全体を俯瞰する動画は、早回しで再現している。これは面白い。カメラを機関車で押す貨車に載せている場面も、説明図を付けてもらったのでわかりやすくなった。
K氏宅のビデオ鑑賞室(田舎の映画館ほどの大きさ)で、編集するのに立ち会ったが、まだ一つ直っていなかったところがあった。5分30秒あたりの「差動」装置は、「鎖錠」装置が正しい。
アメリカで評判の良かった場面も入れてもらったが、その部分は筆者の撮影なので画質が低い。1分45秒辺りからの押して動く機関車の場面である。この部分はアメリカの発表では観客が立ち上がって拍手してくれた。K氏も「これはすごい。誰も信じられないだろうな。」と言った。
K氏はこの地方では有名なビデオ作家であり、撮影の角度選びはなるほどと思わせるものがある。普段自分では見ていない視点からの動画は面白い。中で登場するI氏は凄腕シリーズの1回目の人であった。彼も、無断放映で驚いたと言っていた。
第1弾をUPした人(テレビ会社の人らしい)と同一人物がUPしたのだが、その文字が変わっていたので、全然気が付かなかった。発表されて2月以上経つのに、見に来た人は50人だ。
全体を俯瞰する動画は、早回しで再現している。これは面白い。カメラを機関車で押す貨車に載せている場面も、説明図を付けてもらったのでわかりやすくなった。
K氏宅のビデオ鑑賞室(田舎の映画館ほどの大きさ)で、編集するのに立ち会ったが、まだ一つ直っていなかったところがあった。5分30秒あたりの「差動」装置は、「鎖錠」装置が正しい。
アメリカで評判の良かった場面も入れてもらったが、その部分は筆者の撮影なので画質が低い。1分45秒辺りからの押して動く機関車の場面である。この部分はアメリカの発表では観客が立ち上がって拍手してくれた。K氏も「これはすごい。誰も信じられないだろうな。」と言った。
K氏はこの地方では有名なビデオ作家であり、撮影の角度選びはなるほどと思わせるものがある。普段自分では見ていない視点からの動画は面白い。中で登場するI氏は凄腕シリーズの1回目の人であった。彼も、無断放映で驚いたと言っていた。
第1弾をUPした人(テレビ会社の人らしい)と同一人物がUPしたのだが、その文字が変わっていたので、全然気が付かなかった。発表されて2月以上経つのに、見に来た人は50人だ。
2020年06月26日
”ある鉄道模型人”
またも知らないうちに動画がUPされていた。と言っても、今回はある程度は予測していた。
前回は「凄腕」という題で発表されたもので、これは完全な無断放映であった。事実と異なる説明があったので文句を言ったが、それなりによく出来た動画で、もういいかという感じである。
この撮影時は、旧知のK氏が見せてくれというので案内した。この地方では有名な ビデオ作家である。現在86歳であるが、極めてお元気な方である。経営している会社の仕事もされている。かれこれ50年以上のお付き合いのある鉄道趣味人だ。遠方まで取材に行くのに、交代運転手として乗って行ったこともある。
ビデオ仲間での発表に使うのだと承知していたが、突然、ケーブルテレビで放映されていると高校時代の友人から電話があった。当家にはテレビが無いので確認する術がなかった。ちょっとひどい話である。
後でそのDVDを貰った。間違いはたくさんあるが、すぐに消えてしまうものなので良いかと思っていた。ところが忘れた頃に、「Youtubeで放映されている」と、また友人から連絡があった。 さすがにこれには驚いたが、画像が良いので、それはそれでよいかと思っていた。見る人も居ないだろうと高をくくっていたが、随分見に来ていて驚いた。
新しい動画がupされていた。と言っても、これはありうると思っていた。2回目の取材の折には、編集に立ち会うのを条件としたからだ。編集には2回参加し、間違いがないようにした。こちらから持って行った動画も挿入した。ケーブルテレビの放映があったが、これも当家では見ることができなかった。その後のYoutubeへのupもなさそうだと安心していたのだが、別の名前でupされていることに気が付いたのは、先々週である。
前回は「凄腕」という題で発表されたもので、これは完全な無断放映であった。事実と異なる説明があったので文句を言ったが、それなりによく出来た動画で、もういいかという感じである。
この撮影時は、旧知のK氏が見せてくれというので案内した。この地方では有名な ビデオ作家である。現在86歳であるが、極めてお元気な方である。経営している会社の仕事もされている。かれこれ50年以上のお付き合いのある鉄道趣味人だ。遠方まで取材に行くのに、交代運転手として乗って行ったこともある。
ビデオ仲間での発表に使うのだと承知していたが、突然、ケーブルテレビで放映されていると高校時代の友人から電話があった。当家にはテレビが無いので確認する術がなかった。ちょっとひどい話である。
後でそのDVDを貰った。間違いはたくさんあるが、すぐに消えてしまうものなので良いかと思っていた。ところが忘れた頃に、「Youtubeで放映されている」と、また友人から連絡があった。 さすがにこれには驚いたが、画像が良いので、それはそれでよいかと思っていた。見る人も居ないだろうと高をくくっていたが、随分見に来ていて驚いた。
新しい動画がupされていた。と言っても、これはありうると思っていた。2回目の取材の折には、編集に立ち会うのを条件としたからだ。編集には2回参加し、間違いがないようにした。こちらから持って行った動画も挿入した。ケーブルテレビの放映があったが、これも当家では見ることができなかった。その後のYoutubeへのupもなさそうだと安心していたのだが、別の名前でupされていることに気が付いたのは、先々週である。
2020年04月11日
続 コンテストの結果
肺炎騒ぎで、原氏の博物館は閉鎖されている。本来なら、4月4日〜4月末まで展示され、その後は返却されるはずであった。それを取りに行って、その足で友人たちに見せ、家に持って帰るはずであったが、延期になってしまった。表彰式は9月にするそうだ。
本来は5月に渡米し、コンテストにエントリィの予定であったが、それは不可能になった。もっとも、向こうも大変な騒ぎで、そのコンテストも取りやめになっているはずだから、実害はなくなった。しかし、機関車は早く手元に戻したい。少し手を加えて、より静かにしたいからだ。
以前にも書いたように、テンダの4軸側の動力ピックアップによって発生するトルクが、チェインの許容張力の限界に近いので、急加減速時に少し音がするからだ。2丁掛けにすればかなり静かになる。定速走行時には殆ど気にならない程度の音である。
筆者の友人たちは、機関車が帰って来るのを待っている。目の前でスリップさせて見たいのである。動画では満足していない。運転させてくれという人も多い。
慣性が大きいので、運転はかなり難しい。慣れるまで時間が掛かるだろう。
もう一輌作ってみたい。テンダが大きく、四角い Santa Feの6輪台車のテンダが良さそうだ。パシフィックなので、スリップは 容易だ。ただ、ギヤボックスが横から見えにくいとは言えないので、少々問題である。そういう点では、このセンティピード・テンダはとても好都合であった。
審査風景の写真が差し替えられている。テンダをわしづかみの写真が消えてしまった。どうして消すのだろう。やったことは仕方がない。壊れなかったようで、問題は生じなかったのだ。消したことで、余計問題が大きくなるのではないか。
驚くほど大量のコメントを戴いた。放送禁止用語の入っているものは掲載できない。すべてが選考の基準等に関するものであった。落としたのを見たというのも複数ある。そういうところであれば、無事に返してくれるよう祈るしかない。
本来は5月に渡米し、コンテストにエントリィの予定であったが、それは不可能になった。もっとも、向こうも大変な騒ぎで、そのコンテストも取りやめになっているはずだから、実害はなくなった。しかし、機関車は早く手元に戻したい。少し手を加えて、より静かにしたいからだ。
以前にも書いたように、テンダの4軸側の動力ピックアップによって発生するトルクが、チェインの許容張力の限界に近いので、急加減速時に少し音がするからだ。2丁掛けにすればかなり静かになる。定速走行時には殆ど気にならない程度の音である。
筆者の友人たちは、機関車が帰って来るのを待っている。目の前でスリップさせて見たいのである。動画では満足していない。運転させてくれという人も多い。
慣性が大きいので、運転はかなり難しい。慣れるまで時間が掛かるだろう。
もう一輌作ってみたい。テンダが大きく、四角い Santa Feの6輪台車のテンダが良さそうだ。パシフィックなので、スリップは 容易だ。ただ、ギヤボックスが横から見えにくいとは言えないので、少々問題である。そういう点では、このセンティピード・テンダはとても好都合であった。
審査風景の写真が差し替えられている。テンダをわしづかみの写真が消えてしまった。どうして消すのだろう。やったことは仕方がない。壊れなかったようで、問題は生じなかったのだ。消したことで、余計問題が大きくなるのではないか。
驚くほど大量のコメントを戴いた。放送禁止用語の入っているものは掲載できない。すべてが選考の基準等に関するものであった。落としたのを見たというのも複数ある。そういうところであれば、無事に返してくれるよう祈るしかない。
2020年03月28日
日本製のボールベアリング
”日本製の高精度ボールベアリングを使用している”と書いたところ、おかしなコメントが来た。その人は、日本製のNMBボールベアリングを見たことがないようだ。だから間違っていると主張している。その方は民生機器を作っている会社にお勤めのようで、そこではボールベアリングを使う製品を作っているらしい。多少の経験はあるらしく、自分は正しいと思っているようだ。要するに自分の見たことが世の中のすべてだと思う体質の人である。
先日のヤスリの件でも書いたことだが、妙に自信家の方がこの趣味界には多い。大変な勢いで書いてくる。インターネットでは顔が見えないから物が言い易いのだそうだ。実世界では相手の顔が見えると同時に自分の顔も晒すので、うかつなことを言うと恥をかくが、インターネットなら言いたい放題なのだろう。自分はこの世界では専門家で、何でも知っている。ここに書いてあることは間違いであるぞよ、と言いたいのだ。
しかし世の中は広い。知らない世界もあるのだ。そのボールベアリングは民生用ではない。詳しいことは分からないが、軍需用の物であったはずだ。
もうかなり前にお亡くなりになったが、親しくして戴いた方が、某軍需産業のこの地域のトップに居た。Oスケールを楽しんでいらした。
筆者が軸重の大きい動輪軸に、ボールベアリングを入れ始めた頃のことである。彼もいっしょにやり始めたのだが、
「ちょうど良いものがある。」と廃棄されたNMB製の高精度品をある程度の量、持って来てくれたのである。それは珍しくメトリックの規格のもので、日本製のある重要な装置の部品らしかった。こういうものは時間で交換するものらしい。たとえ不都合がなくても外して廃棄してしまうとのことであった。新品の価格は民生品用の数十倍らしいが、外したものはゴミであることは間違いなかった。その廃棄品であるが、新品に見えるものが多く、たまにグリスが少し汚れてはみ出しているものがあった。
軸を通して回転させ、共鳴箱に当てて音を聞く。この方法で選って、最高に良い物を集めた。実のところ、不良品など無かったが、その中でも特に静かなものを選んだのだ。
そういうわけで、このFEF2、FEF3の機関車には、とんでもなく高級な日本製のボールベアリングが使ってある。決して勘違いでもない、本当の話である。最近は某国製の怪しい製品があるが、妙に抵抗が大きかったり、異音を発するものもある。そういうものは切粉が入っているのだ。
だからこそ、この機関車を長距離走らせて様子を見ているのである。
筆者には軍需関係の友人が、日米に何人か居た。そういう連中からの情報、部品などは、筆者の模型をより高性能に導いてくれる。ありがたいことである。
(この記事に関するコメントは掲載しません)
先日のヤスリの件でも書いたことだが、妙に自信家の方がこの趣味界には多い。大変な勢いで書いてくる。インターネットでは顔が見えないから物が言い易いのだそうだ。実世界では相手の顔が見えると同時に自分の顔も晒すので、うかつなことを言うと恥をかくが、インターネットなら言いたい放題なのだろう。自分はこの世界では専門家で、何でも知っている。ここに書いてあることは間違いであるぞよ、と言いたいのだ。
しかし世の中は広い。知らない世界もあるのだ。そのボールベアリングは民生用ではない。詳しいことは分からないが、軍需用の物であったはずだ。
もうかなり前にお亡くなりになったが、親しくして戴いた方が、某軍需産業のこの地域のトップに居た。Oスケールを楽しんでいらした。
筆者が軸重の大きい動輪軸に、ボールベアリングを入れ始めた頃のことである。彼もいっしょにやり始めたのだが、
「ちょうど良いものがある。」と廃棄されたNMB製の高精度品をある程度の量、持って来てくれたのである。それは珍しくメトリックの規格のもので、日本製のある重要な装置の部品らしかった。こういうものは時間で交換するものらしい。たとえ不都合がなくても外して廃棄してしまうとのことであった。新品の価格は民生品用の数十倍らしいが、外したものはゴミであることは間違いなかった。その廃棄品であるが、新品に見えるものが多く、たまにグリスが少し汚れてはみ出しているものがあった。
軸を通して回転させ、共鳴箱に当てて音を聞く。この方法で選って、最高に良い物を集めた。実のところ、不良品など無かったが、その中でも特に静かなものを選んだのだ。
そういうわけで、このFEF2、FEF3の機関車には、とんでもなく高級な日本製のボールベアリングが使ってある。決して勘違いでもない、本当の話である。最近は某国製の怪しい製品があるが、妙に抵抗が大きかったり、異音を発するものもある。そういうものは切粉が入っているのだ。
だからこそ、この機関車を長距離走らせて様子を見ているのである。
筆者には軍需関係の友人が、日米に何人か居た。そういう連中からの情報、部品などは、筆者の模型をより高性能に導いてくれる。ありがたいことである。
(この記事に関するコメントは掲載しません)
2019年10月03日
台車各種
Walthers, Lobaugh, 3Dプリンティングの台車を比較してみる。
Pullman 4輪台車である。これらが同じ台車とは信じがたい。
左のダイキャスト製はバネが抜けてない。これを抜いたところで形が悪すぎるので、40年以上放置である。車輪だけLow-Dにしている。背が高い。
中のLobaughは形が良い。バネを切り抜いて適当なコイルバネを接着してある。実感的だと評判であったが、やや小さい。
右は今回の台車だ。図面通りだ。
こうしてみると、ボルスタ高さ、軸距離など思いのほか、異なっている。
Pullman 6輪台車である。左の二つはコイルバネが抜けていない。切り抜いたものもあるが、いまひとつである。
今回の台車はブレーキシュウもついているし、しかもそれがタイヤ踏面の位置にある。ナイロンだからこそできることだ。絶縁材料は助かる。
造形的にはLobaughのものが良い。凹凸の深さも適当で、黒く塗ると十分に気分が出る。しかし、抵抗が大きく、ショートする。
今回の試作で、いろいろな改良点が分かったので、次期量産品は素晴らしいものとなるだろう。アメリカに送って評判を聞いてみる。
左のダイキャスト製はバネが抜けてない。これを抜いたところで形が悪すぎるので、40年以上放置である。車輪だけLow-Dにしている。背が高い。
中のLobaughは形が良い。バネを切り抜いて適当なコイルバネを接着してある。実感的だと評判であったが、やや小さい。
右は今回の台車だ。図面通りだ。
こうしてみると、ボルスタ高さ、軸距離など思いのほか、異なっている。
今回の台車はブレーキシュウもついているし、しかもそれがタイヤ踏面の位置にある。ナイロンだからこそできることだ。絶縁材料は助かる。
造形的にはLobaughのものが良い。凹凸の深さも適当で、黒く塗ると十分に気分が出る。しかし、抵抗が大きく、ショートする。
今回の試作で、いろいろな改良点が分かったので、次期量産品は素晴らしいものとなるだろう。アメリカに送って評判を聞いてみる。
