アメリカの生活

2012年10月23日

続 再度 騎兵隊フリーク

 712_5711-2712_5712-2 この屋根を掛けた部分は牧場へのツアの車輌停泊所になる予定なのだろう。まだ着手前である。そこに犬がやってきた。足の指が異常である。左右とも6本の指があった。Polydactyly(多指症)という。触ってみると骨が不完全であった。別に困ることもないので放置してあるそうだ。

712_5723-2 バッファロ(アメリカ・バイソン)の数が減ったという。昨年の異常気象で300頭以上居たのが100頭位になったそうだ。放牧してあるので、泉の水が減ったことに気付いても、群れを移動させるのが難しく、高温のためたくさん死んだのだそうだ。死ぬとハゲタカが集まって来るので分かるという。

712_5744-2712_5738-2 この自動車であちこちを見ることができるようになるそうだ。 左の車はアメリカ製らしいが、ほとんど同形のクボタ製のもあった。乗せてもらってあちこち見て歩いた。

712_5729-2 この牛は、テキサスロングホーンと呼ばれる、西部劇によく出て来る種類である。この地域に昔から居たのだろうが、現在は頭数が減り、保護しないと絶滅してしまう惧れがあるそうだ。この牧場では、この種の希少生物を殖やしている。

2012年10月21日

再度 騎兵隊フリーク

 デニスの友人ガーランドは騎兵隊博物館を建てた。その新博物館がつい最近出来たそうなので、見に行った。
 荒れ地の中に巨大な500坪位の建物があり、エアコンが良く効いている。聞けば、Geo-Thermal(地熱)を利用しているので、電気代は1/4以下だという。深い井戸を掘る必要があり、設備に多少の金が掛かったが、10年で元が取れるそうだ。夏も冬も効果がある。30mほどの地下の温度はほとんど一定なので、そこまで行って帰って来るパイプを埋め込むだけである。11本の井戸を掘ったそうだ。

712_5692-2712_5716-2 入口に大砲が据え付けてある。これは年1回の催しで、実際に射撃する。弾はこんな形をしていて、火薬の爆発によって後ろのブラスの傘が開き、それがライフル線条に密着して、回転が与えられる。砲身内部にグリースを塗って摩擦を減らすのだそうだ。「良く当たるぜ」と、ご自慢の大砲である。

712_5699-2712_5700 当時のライフルのコレクションである。かなり無造作に棚に並べてある。一応ガラス戸の向こう側だが、取ろうと思えば取れそうだ。日本ではまず考えられない展示である。刀類もかなり置いてある。
 日本刀の話になると夢中で、「欲しい」と言う。筆者の実家で見つかった刀の話をすると、涎を垂らさんばかりであった。それはすでにデニスに渡してしまった。

712_5702-2 Stage Coach(駅馬車)の実物である。革ベルトで吊ってある、文字通りのSuspension(吊ったものという意味)で、バネと革の伸縮で
車体を浮かせている。車輪は車軸のテーパ軸に嵌まり、ガタが無いようになっている。日本の大八車とは違い、高速走行を前提としている。
 天井の大きな扇風機の羽根の先端には、Wingtipがある。効果があるのかないのか知らないが、最新のテクノロジィの応用だというカタログを見せてもらった。

2012年10月13日

Turkeyを焼く

712_5670-2712_5673-2712_5674-2 少し話題がそれるが、Turkeyの話をしたい。ターキィとは七面鳥である。日本ではまず食べるチャンスはないが、アメリカではよく食べる。筆者の好物でもある。脂肪分が少ないので健康食でもある。

 スーパーマーケットで買うと16ポンド(7キロ)で12ドル位である。それを半日塩水に付けて胡椒を振り、専用のロースタで焼く。
 以前はオヴンで焼いていたのだが、このロースタを最近買ったので、放っておいてもうまく焼けるという。ガスで二重の釜を加熱する。肉汁はうまく集まって下に溜まるようになっている。それはソースを作る時に使う。

 買ったターキィには肝臓と頭が付いて来る。これらはソースの出汁にする。それと肉汁を合わせて煮詰めるだけで出来上がりである。見栄えのする料理であるが、わりあい簡単にできるので、人の集まる行事の主たる料理として用いられて来た。クランベリィ・ソースは自分で作ると面倒なので、缶詰を使う。


 「何を食べたいか?」と聞くので、「もちろんターキィだ。」と答えると「そう言うだろうと思って、買ってあるんだ。」と言う。早速焼いた。
 温度計を差すが、赤いボタンも付いている。これは内部が適温(85℃位)になると、ぽちっと飛び出して来る。それを見てガスの火を絞るわけだ。

712_5677-2 焼き具合は最高で、この素晴らしい色が食欲をそそる。大きな鳥なので3人では食べきれない。近所の人を呼んでパーティをする。それでも食べ終わるのに3日掛かった。
 そういうこともあって、人気が出ない芝居のことをTurkeyと呼ぶ。まだ終わらないのか、という皮肉な言葉である。

 懲りずに滞在中に2回焼いた。一部はドライアイスで冷凍して持ち帰った。
 こんなおいしいものがどうして日本で人気が無いのかが分からない。

 野生の七面鳥は郊外に行けばいくらでも居て、撃ちに行くことも可能だ。首を狙って撃つのだそうだ。大事な体に傷をつけないようにするためだ。爪が一本だけ上を向いているのでそれを使って枝に引っ掛けて血抜きすると言う。

2012年09月11日

続々 久し振りのNew York

 一般的なコンヴェンションは前日を含めて3日である。つまり実際のショウは2日である。ところがNational Convention になると5日ある。主催者によるレセプション、実物の鉄道施設へのツア、同行してきた奥様方への観劇ツア、その他いくつかの興味深いツアがいくつか用意してあった。
 めったにないことなので、ブロードウェイのMatinee(観劇ツア)を申し込んでおいた。よくは分からなかったが、最近人気の”Jersey Boys"という出し物を見るのだそうだ。不勉強で見るまでよく分からなかった。
 貸切バス、途中での食事、観劇代をふくめ、一人170ドルと格安であった。参加者は筆者と同年代の人が多く、ほとんどが夫婦で参加していた。

 バスはリンカーントンネルを通ってマンハッタンに入る。そのトンネルは混み合い、事故が起こりそうで緊張する。このトンネルを通過するだけで30分以上かかった。
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 トンネルの入り口には各種の大きなレッカー車が置いてあって、事故に備えている。いつも臨戦状態で、事故があったら直ちに事故車を牽き出せるように待ち構えている。フェリーで来るのとは違うニューヨークの街並みを見て、目的地に着いた。

Jersey Boys712_5362”Jersey Boys”は60年代に大ヒットした4人組”Four Seasons"の伝記である。当時、ファルセットという裏声ではない高い声で「Sherry」を歌うのを聞いたときはぞくぞくしたものだ。他に「Big Girl Don’t Cry」「Walk Like A Men」などのヒット曲がある。

 今回のミュージカルの配役は素晴らしく、体格も顔立ちも似た歌手を選んでいる。しかし、歌は本物よりはるかにうまい。客層は、若いときに歌を聞いた年代ばかりで、歌に合わせて体を動かしている。また、一緒に歌い始める人もいる。最後のクライマックスでは全員が立ち上がって拍手と共に合唱である。舞台と客席とが完全に一体化している。
 うまい演目を探し当てたものだ。あと10年はロングランするであろう。もう一度見たいと思う。映画もできるという話だ。

712_5363-2712_5364-2 舞台がハネた後、外に出ると激しい雷雨であった。時間を見計らって、威勢のよい輪タクのお兄ちゃんたちがたくさん並んでいた。威勢よくラッパを鳴らして客寄せをする。帰りのバスを待つ10分の内にかなり濡れてしまった。

 帰路のバスではFour SeasonsのCDが掛かり、みんなで合唱した。楽しい観劇を企画してくれた幹事に、感謝した。

2012年09月07日

久し振りのNew York

712_5351712_5315 前回ニューヨークに行ったのは1988年であったから、実に24年ぶりの再訪である。レンタカーで乗り入れるのは、金と時間の無駄なので、フェリーで行くことにした。

712_5322 昔はStaten Islandからのフェリーは、往きが1ドルくらいで帰りは無料であった。今回は往復とも無料である。すなわち、マンハッタン島の南西の対岸にあるスターテン島のフェリー乗り場の駐車場に置くことができれば、マンハッタンまで直行である。駐車料金は1日5ドルであった。おそらくこれがマンハッタンに行く最安方法であろう。乗船時間は20分強である。鉄道で行く方法もあるが高い。

712_5319 船は自由の女神を横に見て進む。下手な観光船より眺めが良い。このフェリーは4隻あるらしい。昼間は30分おきだが、ラッシュ時には15分おきに出る。24時間運行で、市当局はこの船を道路の一部と位置づけているらしい。橋を歩く代わりに船に乗って来てくれというわけである。マンハッタン島への自動車の流入量を減らすことに大きく貢献しているのだ。この船は意外と大きく、定員は約3000人である。双方向に操舵室があり、反転せずに接岸する。

 自由の女神像には40年前に登っている。夏だったので内部は酷暑で、どうかなりそうだった。髪飾りからは外を覗くことができた。そこだけ小さい通気口があって僅かに涼しい風が入った。今は多少なりとも冷房があるのだろうか。

712_5343712_5348 マンハッタンの見どころはいくつかあるが、今回の最大の関心事は改装後のGrand Central駅を見ることであった。


712_5330 ついでにその地下にあるSeafood Restaurantで昼食をとるのである。タイルを貼ったアーチが印象的な店であった。
 地下鉄で行って駅のコンコースに出た。昔とはうって変わって、明るいベージュを基調とした内装になっていた。天井の星座も鮮やかである。昔は薄暗く、何か犯罪に巻き込まれそうな感じであった。 
 この天井の星座は間違って反転画像を描いてしまったらしい。Davidがそう言っていた。上空から見た状態が正しいのだそうだ。「気が付いている人はほとんどいないけどね。」

712_5336 人は多く新宿駅を歩いているような感じである。コンコースの二階には、かなり大きなスぺイスをアップルが借り切って、i-Padなどを展示販売している。この写真の左奥がその場所である。

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2012年09月05日

Annapolis

 アナポリスはアメリカの黎明期よりの商業港であり、一時期は首都までここに置かれた歴史ある街である。ワシントンDCから車で1時間ほどで行ける。第二音節の「」を強く発音しないと通じない。

 アナポリスは Navy Academy 海軍兵学校の町である。30年ほど前の映画に「愛と青春の旅立ち」というのがあった。まさにこの学校が舞台である。リチャード・ギアの出世作であった。

712_5285-2712_5289-2 筆者は以前からこの学校に興味があり、通り道なので寄ってみた。正門の横に駐車場があるので当然駐車できると思い、守衛所に横付けして聞いてみた。すると、"You can come in, but you can't come by your car."と言われて、遠くの駐車場を指定された。パーキングメータに小銭を入れ、歩いて中に入った。

712_5290-2 パスポートを見せれば外国人でも入ることができる。入場は無料で、建物には入れないがかなりの部分を見て歩くことができる。体育館もいくつかあり、設備は素晴らしい。


712_5288-2712_5287-2 波打ち際からの景色である。左が昔の商業地域、右が現在の学校敷地である。校内にはホテルもある。在校生の親などが来た時のための施設であろう。

712_5293-2712_5294-2712_5297-2 町並みは古く、ヨーロッパの匂いのする町である。ボストンのような感じである。この建物はPaca Houseである。庭が素晴らしい。

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2012年08月12日

続 David のレイアウト

712_5281a この写真の真ん中の人がアームストロング氏である。ディヴィッドは、氏と仲良くなりその素晴らしいレイアウトを譲り受けることになったのだ。
「このような貴重なHeritage (文化遺産)を引き継ぐことは模型人として当然のことであり、誰かがやらなければならない。だから僕がやった。」と言う。言葉で言うのは簡単だが、実際には大変だ。
 地下室を延長し、そこに見せ場を作るのだ。その最中にディヴィッドは離婚している。それでもやる価値があったと言う。
「ずいぶん高くついたよ。大変だったけどね。」

712_5284a 既設の地下室の設備を何もかも移動し、レイアウトを小さく切ったものを運び込む。給湯器を移動してカーヴを収容した。庭を掘って地下室を10m以上延長した。そこで前の奥さんはブチ切れたのだそうだ。
 彼が言うのには地下室の延長時に離婚するケースが多いそうだ。2回延長して2回離婚した例があるそうだ。「僕はまだ1回だけどね。」

712_5283a 新しい地下室の上にはサンルームを作ったのだが、そこは運び込んだレイアウトの仮組み立て場となった。美しい芝を壊して延長した様子が分かる。この写真は数年前のものだ。ディヴィッドの嬉しそうな顔を見て戴きたい。
 鉄道模型人は離婚率が高いと言う。たいていは奥さんが愛想を尽かして出て行くのだ。そこで筆者は1950年代のMRに載っていた話を持ち出した。

 毎週、その亭主は友人を集めて地下室で汽車を走らせている。奥さんは相手をしてくれないのでさびしい。それでは積極的に仲間に入れてもらおうと地下室に降りて行った。
 そこを通りかかった列車が目の前で脱線した。早速、内助の功を発揮しようと貨車を持ち上げて復線させた。すると亭主は怒り、「今クレーン車をそこにやって復線させるところだったのに、余計なことをしてくれるな!」と言った。それで離婚という話だ。
 デイヴィッドは腹を抱えて笑った。「うちは地下室に降りて来なかったよ。」

 これらの写真は栗生弘太郎氏の御好意で修正をして戴いた。

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2012年07月04日

Kleinshmidt氏の仕事

COM_4385-2 クラインシュミット氏の本業はもともとは電子工学および精密機械加工であった。ラジオ、電気蓄音機、テレビ、時計、その他「電気と機械が組み合わさったものなら何でも修理します」という看板を揚げていたらしい。

 今回訪問した時に時計旋盤の写真を取るのを忘れたが、それを駆使して時計の部品を作る。たまたま完成したばかりだと言って見せてくれたのが、1934年型デューセンバーグの時計であった。この種のヴィンテージ・カーの時計などを修理できる人は少なくなってきて、ニューヨークに一人と彼だけだそうである。アメリカ中から修理依頼がくるそうだ。
 その他、真空管の時代の無線機器や電気器具の修理も引受けている。

 3年ほど前、筆者の家にあったアメリカ製の電気オヴンが故障してしまったことがあった、制御部分を外して様子を見たが分からなかった。2か月ほど回路図とにらめっこしたが、結局直らず廃棄した。製造元はすでに部品が無いと言うし、インターネット上では、「クロック部分の修理が出来る人を探さねばならない」という抽象的な表現しか見付からなかった。
 その話を彼にすると、「なーんだ、送ってくれたら直してやったぞ。」と言われた。
 
 その後そのオヴンを外した穴に適合する同サイズの新しいオヴンを購入した。期待していなかったが、珍しくアメリカ製で、価格もそこそこであった。運賃を入れても、日本製の同程度の物の1/4位の価格であった。この種の台所用の大型電気器具は、まだまだアメリカ本国で作っている場合が多い。ドルの価値が下がったので相対的に安くなっている。
 筆者の家では洗濯機、乾燥機、食器洗い器、冷蔵庫はアメリカ製を使っている。多少やかましいが、機械部分は壊れにくい。回転部分のボールベアリングに、常識的に考えられる大きさの二倍程度の大きさのものを使っている。すなわち消耗が少なく、極端に長もちする。その会社の製品は故障が少ないのが売りであった。
 しかしオヴンは機械部分などほとんどなく、制御部分が壊れると火事になってしまうので、故障すると打つ手が無い。18年使ったので良しとせねばならない。 

2012年05月05日

借りた車

COM_3769-2COM_3767-2 いつも同じ会社で車を借りるので、会員になっている。多少割引もあるし、予約が確実なので便利ではある。
 空港に到着して案内バスに載って営業所に行くと、自分の名前が電光掲示してある。その番号の場所に行けば、借りるべき車がトランクを開けて待っている。スーツケースを放り込んで出発である。今回の車はスバル・レガシーであった。全くの新車で、走行距離は4マイルであった。たまに新車に当たるが、これほど少ない車は初めてだ。今までの経験では約100マイルというのがあった。

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 正直なところ、4輪駆動車は降雪時以外歓迎しない。燃費が悪いからだ。今回1600マイル(約2500キロ)走っての平均燃費は31マイル/ガロン(12.9 km/L)である。これはカタログ通りであった。しかし、同程度の2輪駆動車なら15 km/L 位走るはずだ。

 この車は常時その瞬間の燃費が表示されるので、走行中それをよく見て経済運転に徹した。面白いのは、トップギヤを選んでいると燃費が良いことである。これは意外であった。
 高速道路で、かなり急な上り坂であっても、ギヤをシフトダウンせず、トップのままアクセル開度を大きくした方が低燃費である。どうやら燃料消費量は回転数の影響が大きいようだ。この車はオートマティックではあるが、ギヤを手動選択できるので、このような実験が簡単に出来る。今までシフトダウンを許す運転法をしてきたのは間違いであった。 
 色々な速度で運転したが、67マイル/時(107 km/時)での燃費が最も良かった。日本では60 km/時での燃費が良いと信じられているが、どうもそうではなさそうだ。もちろん、この車の燃費表示が正しいという前提の話である。70マイル/時 (112 km/時)でもそれほど変わらなかったが、それ以上では徐々に落ちた。

 日本の車の高速道路での燃費設定は100km/時であるらしい。それを超えると急速に悪くなる車が多い。今度開通した新東名では制限速度120 km/時になるという報道が多かったが、それが実現していたら、燃費の悪化に愕然とした人が増えたかも知れない。筆者の持っているドイツ車は120km/時での燃費が最も良さそうである。

2012年04月15日

友人Harmon

Harmon5Harmon4 かねてより招待を受けていたハーマンの家を訪ねた。シカゴのO'Hare空港から南へ80マイルほど行った大平原の中の農家だ。考えてみれば、今までたくさんの友人宅を訪れたが、農家は初めてだ。左が格納庫である。

Harmon3Harmon1Harmon2 大きな土地を持ち、トウモロコシと大豆を作っている。農家というより会社を経営していると言った方が当たっているかも知れない。見渡す限り広がる農地の一角に新築の家があった。
 1 kmほど離れたところに倉庫があり、そこには巨大な農業機械が入っている。その横に中学校の体育館程度の大きさの倉庫があり、飛行機が入っている。彼の息子は農薬や除草剤などの散布を請け負う航空会社を経営している。この飛行機は作業専用機で、製造数が少ない型だそうだ。気に入っているので2機目を最近購入したという。乗用機も持っている。GPSがあるから、アメリカ国内ならどこへでも行けるよとのことである。但し、洋上飛行はしたことが無いそうだ。
 この格納庫の中には、まだスペイスがあるのでもう一機入れたいらしい。この農薬散布専用機は製造数が少ないので、手に入りにくいのだそうだ。
「もし、日本で見かけたら知らせてくれ。買い付けに行く。」と言っていた。

 シカゴの方に飛んでいくと管制が厳しいそうだ。近くしか飛ばなければ、300 m 以下の高度に限り飛行計画も不要だということだ。近所にはもう一軒飛行機で農薬散布をしているところがあるらしい。その飛行機と衝突しない限り、事故はないという。飛行中にエンジンが止まったらどうすると聞くと、「経験はないが、止まっても降りるところはいくらでもあるという。このあたりの道路はどこもまっすぐで、通行量は少ない。200mあれば降りられるという。

 庭先には砂利敷きの滑走路がある。800mもある。理由は、薬液を満載すると離陸しにくいからだ。

 射撃が趣味で、庭で的を撃つ。ライフルの弾は 3 km も飛ぶ可能性があるので、土盛りした一角があり、そこでしか撃たない。



2012年04月13日

続々 シカゴのダウンタウン

Millenium Park これはMillenium Parkである。ミレニアムというのであるから2000年に出来たものだろう。70年代はここは鉄道用地だったと思う。イリノイ・セントラル鉄道の留置線であった。二階建ての電車がたくさん置いてあった。また、貨物列車が通過して行ったのを覚えている。今でも多少は線路が残っているが、以前の規模の 1/3 程度である。
 現在はスケート・リンクになっている。やりたかったが、旅先でけがをすると収拾が付かないので諦めた。

Millenium Park 2Millenium Park 3 その後ろにはこのステンレスの大きなオブジェがある。このような巨大なものは、一体どこで作ってどうやって持ってきたのだろうか。現場で作るのは難しそうだ。子供たちには絶大な人気がある。
 
Sky Scrapersスケートリンクの向かいの建物を撮った。煉瓦を使った建物はやや傾いて隣の建物に寄り掛かっている。基礎が狂ったのだろう。古い建物は往々にしてこのような状態になる。
 10年ほど前に訪れた時はもっと巨大な建物から煉瓦が落ちて来るようになり、その建物のある一角の全ての道路が鉄骨のシェルタで覆われた。それに厚さ2インチの木の板を張り、落下に備えた。この種の目的には木材は緩衝性があって適する。鉄板ではよほど厚くしないと突き抜けるだろう。その建物は20世紀初頭に建てられたものであった。それらはすでにほとんど取り壊されている。

Under the ElSky Scrapers 2 市街地を歩くとこんな感じである。昼でも日が差さないので暗い。El(高架鉄道)は100年以上の歴史があり、ときどき沈下して運休している。


sign for blindsSign for blinds 2 先日問題点を指摘された盲人用ブロックである。色は黄色ではない。 

追記 この公園は2005年に完成ということだ。

2012年04月11日

続 シカゴのダウンタウン

only good reason to keep the ugly Marilyn Monroe このマグニフィシェント・マイルはシカゴ随一の目抜き通りで、パリのシャンゼリゼ、ロンドンのボンド通り、ニューヨークの五番街、銀座通りなどとはGreat Avenues of the Worldとして提携しているはずだ。実測値としては1マイルを少し切る程度である。有名店や著名なレストランが並び、歩くだけで幸せを感じることができるような通りである。

 この像はその通りの南の端の公園にある。余りにも巨大で驚いてしまった。スカートの中に50人位は入れるのではないか。にわか雨が降りだしてその中に入って雨宿りしている写真がある。

 先回の写真は 14 mm 超広角レンズを使って撮ったので大きさが分かりにくかったかもしれない。横から見るとこんな調子だ。それにしても大きい。どうやって作って、どうやって運んできたのかは不明である。

COM_3782-2COM_3783-2COM_3787-2COM_3789-2 何枚か撮ってきたのでお見せする。周りの様子が分かる画像を集

めた。

2012年04月09日

シカゴのダウンタウン

BNSF 3月にはシカゴに行った。貯まっているマイレイジの消化旅行であって、気楽なものだ。花粉症がひどいので、それからの退避という大義名分もある。
 レンタカーを郊外の駅前に駐車し、列車に乗ってシカゴのダウンタウンに行く。

BNSF2 やってきた列車はプッシュプルで、機関車に押された8両編成であった。事前に駅で切符を買っていたので、車掌の検札時に見せるだけでOKであった。切符は前の座席の背もたれの上にあるクリップに挟んでおく。
 客車は二階建てで、着席定員が多い。二階の客の検札も、切符を見えるように挟んでおけば、下から行える様になっている。 

BNSF3BNSF4Chicago Union Station 列車は駅に近付くとダブルスリップをたくさん通ってユニオン・ステーションへと向かう。ダブルスリップ独特の音を聞きながら到着した。駅にはたくさんの列車が停まっていて、全体は薄暗い。曲がりくねった通路を経て外に出るとそこは旧シアーズタワァの真下であった。

Chicago DowntownEL ダウンタウンを歩きながら上を見ると、車に乗って来なくてよかったと実感した。空がほとんど見えない。これではGPSは全く作動しない。おそらくアメリカの大都市の中で、あるいは世界中で一番空が狭い街はシカゴであろうと思う。
 New Yorkの方がもう少しましだ。またELに乗って一周し、食事をしてあちこち散策した。

In the skirt The Magnificient Mileという通り(東京で言えば、銀座通り)に面した広場には不思議なものがあった。たくさんの人が上を見て写真を撮っている。さてこれは何であろうか。

2012年03月08日

続 San Jose へ

OSW_3513 この日は天気も良く、時間があった。昔から行ってみたいと思っていたWinchester家を見に行った。個人の住宅なのだが、増築に次ぐ増築を続けて「お化け屋敷」のようになったのである。
 ガイド付きのツアを申し込む。ガイド無しでは建物の中には入れてくれない。迷ってしまうからである。
 総部屋数は 160もあるという。ツアでは半分くらいを見ることができるが、それだけでも1時間以上も掛かり、とても疲れる。ウィンチェスタ銃の製造元の未亡人が迷信に基づいて作った家で、全ての部屋に13の窓があるという不思議なつくりだ。

 当時としては超豪華な設備である油圧式のエレベータや照明用ガス製造設備もあり、そのあたりの構造は筆者の興味のある部分である。 写真を撮って解析中である。石を詰め込んだ網で重しをしてガスに圧力を掛ける工夫があり、面白い。

 現在の貨幣価値で、毎日3万ドルほどの利息があるほどで、途方もない財産家であった。馬車に乗ったまま家に入ることができるような作りにもなっているほどである。階段は、背の低かった未亡人の足に合わせて、極端に低い段差でできている。1階から2階に上るだけで、50段ほどもある。それを真っ直ぐには作れないのでつづら折りに作ってある。使用人用に短い階段もある

 召使いの部屋はざっと見ただけで40くらいあり、どれにも電気式の呼び鈴が付いている。しかもそれは、どの部屋から呼んでいるのかを認識できるようになっている。当時としては高級な論理回路になっているのだ。

 San Joseの発音は以前から気になっていた。栗生氏の掲示板でも少々話題になっていた。理屈を言えば、”J”の音は摩擦音に近い「ハ」であり、スペイン語のJaponは「ハポン」の「ハ」を思い切り勢い良く吐き出すようにすれば正しい発音になる。
 そうなるとSan Joseは 「サンホセ」になりそうだ。しかし、たいていの人はサンノゼと発音するような気がするし、地図にさえそう書いてある。今回は、地元民にその発音を念入りに聞いてみた。
 結果はやはり「サンホゥセ」である。後述の電車の中の録音されたアナウンスも「サンホゥセ」と言っている。
このブログでは、今後「サンホセ」で統一することにする。

2012年03月06日

San Jose へ

OSW_3511 空港で予約してあったレンタカー・オフィスに向かう。昔は、歩道で待つと、レンタカー会社のバスが来るので、手を挙げて乗り、運転手に名前を言うと手持ちのリスト(これも紙の時代があったが、コンピュータになった)をチェックして、駐車場まで連れて行ってくれた。このごろはこの自動運転の電車に乗ってレンタカー会社まで行く。電車のドアが開き、プラットフォーム・ドアが開けば、そこは広大なオフィスの一部になっている。

 電光掲示板にアルファベット順に名前が出ているので、その番号の駐車場に行けば、トランクを開きキィを差した車が置いてある。そのまま乗って出口で免許証を見せて、向こうのデータと合っていれば即乗り出せる。まず間違いはないが、過去に一回とんでもないミスがあって、間違って拘束されたことがある。向こうのタイプミスであるのに、こちらが書類を偽造したと勘違いしたのだ。レンタカー泥棒は多いからだ。筆者は怒って徹底抗戦した。
 お詫びに100ドルだったかの割引券をくれたが、怒りは収まらなかった。現在は全ての車にGPSの位置情報を送信する装置が付いていて、盗んでもすぐ捕まるらしい。

 このレンタル・システムは、会社によって多少違う。昔、どの会社だったか忘れたが、大きな駐車場に車が放射状に止まっていて、どれに乗って行っても良いという時代があった。みな一巡りして車を選ぶので、大きな荷物を持っていると結構疲れた。
 アメリカの運転免許証を持っていると、保険料も安いし具合が良かったのだが、いよいよその恩恵も受けられなくなる。実は免許の更新がむずかしくなったのだ。
 今までは運転免許は持っていないのが普通でないくらいで、誰でも取れたし、日本に引っ越してからも、友達の住所を使って20年以上も免許の更新ができた。今度は、いくつかの条件を満たさないと更新できなくなったのだ。例のテロ以降、条件を厳しくするように法律が改正されたからだ。
 まず、Social Security Number(国民総背番号)が必須で、その他、就労証明、在学証明、あるいは納税証明などの書類を持っていかねばならない。SSNは持っているが、その他はもう事実上不可能だ。今年中に切れてしまうので、もう乗り納めである。来年からは毎年国外免許証を申請する羽目になりそうだ。面倒である。

2012年02月29日

続 PortlandのLRT 

OSW_3415 Portlandには、人口比でアメリカ最多のストリップ劇場があるそうだ。この町は表現の自由を最大限に保障することで有名な街だからだ。Larryはそんなことは当たり前だと言う。「よそが間違っている。」
 今回は忙しくて見学するチャンスが無かったが、興味深い話であった。新聞の中にもこの種の広告が多い。
 春先には裸で自転車に乗る催しがあるそうだ。この街では、下らないことに公権力が介入すべきではないという考え方が強いのだ。

OSW_3468OSW_3464 ポートランドは大陸横断鉄道の起点の一つである。ここからUPに乗ればオマハを経由してシカゴ、ニューヨークに行けた。
 中央駅にはAmtrakが停まっていた。この駅は大きい。また、とてもきれいである。電車はこの駅の前にも来ている。この駅とSteel Bridgeとの距離は600 mほどである。

OSW_3477OSW_3476 電車はアメリカ製であった。低床車と高床車が組み合わさっている。低床でなければ乗れない人は比率としては少ないので、全部を低床にする必要はない。健常者は段を上って座ればよいという考え方だ。
 我々が興味があったのは自転車の処理だ。自転車を持ち込んだ後どうするかだが、非常に単純明快な解決法であった。吊り下げればよいのである。後ろのタイヤはこの黒い溝に入れる。

OSW_3479 車椅子の人が介助犬を連れて乗ってきた。みな慣れたものである。車椅子で乗るときにはステップがせり出し、緩やかなスロープになる。



OSW_3462 歩道と車道の境目には盲人用の凸凹のタイルがある。その色は黄色ではない。日本の黄色はおかしいと同行の友人はかねてからそれを主張している。見えない人が黄色を認識できるわけはないのだから、黄色にして都市景観を損なうのはばかげているというのだ。

追記 黄色は弱視者のためのものであるということを複数の方から指摘されています。その件について検討後、当該個所を削除するか訂正します。
 反射率の高い白か、逆に反射率の低い物が良いのか、黄色以外の色に適するものが無いのか、客観的な資料を探しています。アメリカには黄色はほとんどなく、韓国、台湾には黄色が多いというのも不思議な話です。


2012年02月27日

Portland のLRT

OSW_3428 オレゴン州ポートランドは車が無くても生活できる街として知られる。そういう街はアメリカ中探しても数少ない。ボストン、ニューヨークそれとシアトルくらいしかない。しかしそのような大都市は地価が異常に高い。
 ポートランドはそれほどでもなく、市電が市街地を網の目のように走っていて、なおかつ町なかから空港まで、電車で行ける数少ない町である。この区間は片道2ドル40セントである。

 この街を見たいという政治家の友人の求めに応じて行ってみた。空港を出ると高速道路の中を走り、市街地まで20分である。大きな川を渡る橋は築101年のSteel Bridgeである。
 この川はWillamette川である。ウィラメットと言えばシェイのパテント切れを狙って参入してきたギヤード・ロコ製造会社の名前でもある。この街の川岸にあったはずである。
 今はあまり見ないが、昔はこのあたりには無数の製材会社があったのだ。

OSW_3440OSW_3448OSW_3450 この可動橋は上下二段で下はUPの本線、上はLRT
(Light Rail Transit)と自動車用である。下を船が通る時は20mほど持ち上がる。

 その部分で架線は当然切れている。多少剛性のある構造で重なるように飛び出しているのだ。
 橋の北には2万トンクラスの貨物船が穀物の積み込みをしている。たくさんこぼすので、水鳥たちがやってきてそれをついばむ。毎日食べきれないほどの餌を食っているのだから、みな丸々と太って飛べそうにない。

OSW_3456 この橋のたもとから、市内方面は電車の無料区間である。市中心部の駐車場を取り壊して電車をタダにするという思い切った施策で、自動車に依らない生活を実現した。中心部には駐車場を持たない高密度な集合住宅もある。

 ポートランドに行くことになったので、旧知の友人であるLarryに連絡を取った。彼は市内随一のLaw Firmを持ち、医療訴訟を専門としている。

2012年01月18日

続 cat walk, gang way & running board

 日本の鉄道では線路わきに犬走りという場所がある。幅はせいぜい60cmだ。この言葉は建築用語らしい。家を建てるときに、建築士が「犬走りはどうするか」と聞くので、思わず聞き直したことがある。

 城の石垣とか堤防には、必ずある程度の幅(2、3メートル)の「犬走り」がある。大きな仏閣にも軒下にある。明治の初頭に鉄道が敷かれた時、その部分を犬走りと名付けたのは、自然な成り行きであったろう。

 英語では何と言うか、と良く聞かれる。それは、”cess” のはずである。はずであるというのは、アメリカの鉄道関係者に聞いた言葉であって間違いないはずであるが、辞書に載っていないのである。ずいぶん調べたが見つからない。税金だとか色々な意味が書いてあるが、これも建築用語なのだろう。どなたか建築学に詳しい方がいらっしゃれば、その方面の辞書をお調べ願うことも可能であろう。

 舞台関係の言葉で "cat walk" というと、舞台の真上の天井に張り巡らせた回廊を指す。幕とか照明装置のメンテナンスやセッティングなどに使う通路だ。一応手摺があって、転落しにくい構造になっている。
 また、最近はファッション・ショウでモデルさんたちが歩く長い舞台もキャットウォークというのだそうだが、あまり認知されているとは言い難い。たぶん ”run way”(滑走路)という方が一般的だろう。

 話はやや遠ざかるが、最近、ホームセンタや高速道路のパーキング・エリアに「ドッグ・ラン」なるものがあるのを見る。公園の芝生に犬を連れていくと排除されることが多いが、ここでは遊ばせることができるらしい。当然排泄もあるだろうから、公園から締め出すのは正しいだろう。
 この「ドッグ・ラン」という言葉は、和製英語のような感じがする。アメリカで ”dog run” と言えば、それは個人住宅の敷地内にある、犬を放してあるエリアを指す。
 友人の家でその dog run を作るのを手伝った事がある。 3 m × 10 m ほどの大きさであった。敷地全体に放すと、芝生を掘り返すので、ごく狭い範囲に留めるためだ。アメリカ人は芝生をとても大切にする。

2011年09月12日

Denverの空港

 話は前後するが空港について書こう。
 デンヴァの空港に行ったのは26年ぶりである。祖父江氏を案内して出掛け、UPの機関士Tom Harvey に迎えに来てもらったのだ。その時の空港はStapleton空港であった。比較的小さな空港で、迷うことなく会えた。それ以来、車で通ったりしているのだが、空港には行ったことがなかった。郊外の農地の中に引っ越し、遠くなったがとても広い空港になった。ダウンタウンから45分も掛かる。移転前の空港は取り壊されて住宅地になった。

 この空港は標高が高いので、飛行機の離着陸の角度が小さい。また滑走路がとても長い。空気の密度が小さく、揚力が小さいからだ。特に夏は気温が上昇するので空気の密度はますます下がる。
 旅客ターミナルのいたるところに酸素ボンベが置いてある。高山病で倒れる人がいるからだ。標高が高いと言っても1600 mほどである。荷物を受け取るBaggage Claimにはスキー専用の長いものを縦に入れて回転するキャラセル(ベルトコンベア)がある。
 
2215 相変わらずTSA(運輸保安局)の検査は厳しく、筆者のように金属製品を多量に持っているとスーツケースは開けられる。検査に便利なように、全ての細かい部品をポリ袋に入れて外から見えるようにしてあるのにナイフで一つずつ底を切ってぶち撒ける。スーツケースの中には衣類にまぎれて細かい部品が散乱している。困ったものである。苦情を書いたが、紋切り型の返事しかよこさない。
 身体検査は厳重を極める。ポケットの中のものは全て出させ、ベルトを外し、靴も脱いでボディスキャンをする。六角形の大きな電話ボックスのような機械がそれである。試しに胸ポケットにデンタルフロス(歯の隙間の清掃をする糸)を入れておいたら、見事に検出され、「胸ポケットに何か隠している。」とスピーカが怒鳴った。出すと「なーんだ。」というわけだ。あんなに軽いプラスティックの箱まで検出するのだから、大した性能ではある。

 この「なーんだ」というのは勝手な訳で、現場では”No wonder”(どうってことない)と言ったのだ。この言葉は筆者には昔から「なーんだ」に聞こえる。意味も似ていて、日本語と英語が同じ音に聞こえる珍しい例である。

 機関車は機内持ち込みの小さいバッグに入れ検査を通す。ダラス・フォートワース空港では暇な時間帯だったせいか、「おい機関車だぜ、見てみろよ。」と職員が寄ってたかって見ている。縦横から透視して遊んでいるのだ。アメリカから引っ越して来るとき、同じようにみんなで見て、ちっとも通してくれず、家族で飛行機に乗り遅れたことを思い出す。あの時は家族全員の機内持ち込みバッグに機関車を一台ずつ入れたのである。時間がかかるわけだ。

 この空港のトイレは妙な構造である。入口がつぶれたS字になっていて、急いで入ろうと思っても時間がかかる。Tornade(竜巻)に襲われた時に逃げ込むシェルターの役割を果たしているからだ。と言うのは天井は合成繊維のフィルムで剛性がない。竜巻が来たときには破れるかもしれないということを予測しているのだろう。鉄筋コンクリートの建物でないと竜巻の被害は防げないのだ。もちろん、トイレはとても頑丈に作ってある。 

2011年06月13日

Chicago O scale Meet 2011 始まる

08220904 木曜日にシカゴ Oスケールミートが始まる。午前中は予定がなかった。昨年のように、イリノイ鉄道博物館へのツアがあると思っていたので手持無沙汰で模型屋を覗いてみた。右の写真の左手、手前から二番目の赤いテントがその模型屋である。何も得るものはなく、塗料と工具の消耗品を買った。以前よりOスケールの商品が減っている。
 シカゴは踏切が多く、よく止められる。貨物列車はヤードで仕立てたばかりで色々な種類の貨車がつながっていた。いたずら書きも多い。これだけ塗ろうと思うと、スプレイ缶がかなりたくさんいるだろう。

090509200913 午後3時ころから会場が開き、商品の展示が始まる。友人たちがたくさん出店しているので、もっぱらおしゃべりが多い。
 今年も講演を頼まれていたので、その話が多かった。昨年聞いた人たちが友達をつれて聞きに来てくれ、「期待している」と言われて嬉しかった。

 今年も商品が山と積まれ、その大半が売れていくのだから消費は大きい。この会場だけで日本の模型界の売り上げの何分の一かに匹敵するのではないかと思うほどだ。
 誰もが札束を持って乗り込んでくる。ほとんどが現金のやり取りである。小切手はこのような初めて会う客からは受け取らない場合が多いからだ。もちろん旧知の客からは受け取る。クレジット・カードも使えないから現金だけである。
 100ドル札がこれほどたくさんやり取りされるのを見る機会は少ない。
 

2011年06月11日

続々 シカゴのダウンタウン

08390862 駅で待っていると電車は次から次へとやってくるが、方面が異なるので注意して乗らないとあらぬ方向に行ってしまう。色で方面が指示してある。駅はこんな具合で階段を登れない人は乗ることができない。
 特定の駅にはエレベータがあるが、その数は少ない。
0874
 第三軌条であるので事故などで車外に降りるのは危険だ。注意を見ると、降りる気が失せるようになっているのだろうか。




0873 後ろを見ると旧シアーズ・タワァが見えた。現在は名前が変わって Willis Tower になっている。登ろうと思ったが、手荷物検査、身体検査が厳しく待ち時間が長かったし、入場料が高かったので取りやめた。

0880 駐車してある車を取りに行こうと歩き始めてくぐるガードにはどこかで見た鉄道会社の社紋があった。もう使っていない鉄橋である。
 シカゴのかなり西の端まで来ていたのかと少々驚いた。

2011年06月09日

続 シカゴのダウンタウン

0847 この建物は図書館である。この写真では、超広角レンズなのでその迫力が伝わりにくい。画面に目を近づけて、目玉を動かして戴くとその威容がわかるかもしれない。屋根の緑青色の飾りが素晴らしい。どのように作られているのか知りたい。この写真は地表からなので見上げるかたちになるが、高速道路からは真横に見られて、素晴らしい景観である。中は極めて普通の図書館である。

08610850 高架下はこのような感じで、映画などでよく見る。高架の柱が細くて、大型トラックがぶつかったら、高架が落ちそうである。
 開業からもう100年も経っているので、ときどき梁の落下事故がある。外部要因ではなく支柱の破断である。10年ほど前に行ったときは、それで不通になって、タクシーに乗らざるを得なかった。そろそろ全面的な更新時期が来ているように感じる。

 最近のバリア・フリィ化には適応できていない駅が多い。構造上も難しい。この高架鉄道は開通当初Fornyタイプの複式機関車(0-4-4)により運転されていた。New Yorkなどでも同様の機関車が使われた。 
 当初、従台車が左右にスライドせず、第二動輪のフランジがないタイプであった。フォーニィという機関車はそんなものだと長らく思っていたのだが、後年のフォーニィは第二動輪にフランジを付け、従台車に左右動を許している。むしろそのタイプが多数派である。
08530846 この鉄道は”L"と呼ばれる。”El"という表現もあるが前者が正しいようだ。これは”Loop"ではなく、”Elevated”、すなわち高架鉄道を意味する。曲線半径は市電並みで、タイヤをきしませて走る。道路に降り注ぐ鉄粉の量は多い。脱線しても転落しないようにガードレイルは全線の半分以上に付けてある。

2011年06月07日

シカゴのダウンタウン

0825 シカゴはRailroad Capitolという言葉で表されるように鉄道の要衝である。ほとんどの鉄道はシカゴにつながっていた。今でも市内には巨大なヤード(操車場)がいくつもある。高速道路を走るとそれらを次々とまたぐことになる。

0845 シカゴのダウンタウン(繁華街)に車で行くのは避けたい。込んでいるし、駐車場は東京並みに高い。それともう一つ、筆者のようなおのぼりさんには大変困ることがある。GPSが使えないのだ。この写真を御覧になるとお分かりかと思うが、空がほとんど見えないから、画面が黒くなって"satellites not found"(衛星が見つかりません)というサインが出る。ニューヨークより空は狭いように感じる。

0834 そうなると電車で行くしかない。郊外の”Park and Ride”の駅を探して車を置き、電車に乗る。駐車料金は1日3ドルである。運賃は片道2ドル25セントだが現金では乗れない。5ドル払ってカードを買うとそれで往復できる。「50セントが無駄になる」と言うと、「いつまでも使えるから保管しておけ。」とのこと。

0843 市内はLoopと呼ばれている。高架鉄道が周回する区域をそう呼ぶ。外側三線式の電車がゴロゴロと走る。有名な交差点に来た。ここで電車が方面別に切り替えられる。ただし、錆び具合から判断すると、全部の線路を使っているわけでもなさそうだ。
  

2011年06月03日

Iowaのガソリン

0786 アイオワ州のガソリン価格は奇妙である。何度通っても同じなので何か特別な理由があるに違いない。
 アメリカのガソリンは日本とは異なり3種類である。Regular, Plus と Premiumである。オクタン価の公称値は 87、91、100となっている。この数値と実際の性能は日本の数値と多少違うが、それはこの際あまり関係がない。
 問題は価格である。レギュラが高いのである。プラスの価格はプリミアムとほとんど違わない。どうしてであろう。店によってプリミアムのほうが安いところがある。Unleaded というのは無鉛ガソリンであり、もはや当然の言葉となった。70年代初期は、Regular, Regular Unleaded, Premium の3種だったと思う。この Unleaded の発音が難しくて、何度も練習したことを思い出す。1 ガロン(3.8 L)が29セントの時代である。 

 この地方産出の石油が、偶然にも高オクタン価のガソリンを作りやすい組成になっているのか、あるいは非常に優秀なアンチノック剤がここで安く手に入るのか、色々考えたがわからない。

 プレミアムガソリンは、高圧縮のエンジン(高出力であろう)の中で、異常燃焼(点火しなくても勝手に燃えて、その衝撃波でシリンダ・ヘッドが壊れたり、ピストンが抜けたりする)を防ぐように調合されている。燃料の密度も多少大きい。
 ガソリンのようなある程度の長さの分子の炭化水素の燃焼熱は、質量に比例すると考えてよいので、同じ価格なら重いガソリンのほうが発熱量が多くて得なのである。この時プリミアムの性能などは考える必要がない。その意味でもプリミアム・ガソリンは数%高くても買う価値がある。ガソリンを買うということは、発熱量を買うことなのである。その点、アルコールが入っていると発熱量が減って出力は低下するわけである。
 最近のようにガソリン価格が高騰した時、レギュラとの価格差が10円で一定であると、200円台になればプリミアムが相対的に安くなると試算する。

Rochelle アイオワは確かに田舎である。それを抜けてイリノイ州に入っても田舎であることには変わりがないが、高速道路が立派になる。Rest Area(沿道の無料休憩所、日本のパーキングエリアに相当)に入り、Coupon Book(ホテルの割引券を綴じたもの)を入手してシカゴ方面を探した。一番安いホテルはRochelleにあった。

 ロシェ−ルの町には有名な複線の平面クロスがある。昨年も行ったのだが、チャンスがあればもう一度行きたいと思っていた。そのチャンスが偶然にもめぐってきたのである。

2011年03月12日

シカゴにて日本の大地震を知る

 先週よりアメリカ中西部に居る。今日の朝、ホテルでTVを見て飛び上がった。
 すぐにインターネットを使って日本の状況を調べたところ、史上最大の地震であることが分かった。こんなに離れていても、津波の襲来をヘリコプタから撮った動画を見ることができた。
 自然の力に比べれば、人間の力など無力なものだと思い知らされる。東北地方にも知人が多く居るので、彼らの無事を祈るばかりだ。
 こちらの知人から、家族の安否を聞かれた。日本に帰ることができるかと問われたのには驚いた。空港に津波が押し寄せる動画を見ているからだろう。


 当地は先週より天候不順で、大雪、暴風、大雨に見舞われ、思わぬことで雪山に突っ込んだりという多少の事故もあった。車も損傷せず、我が身も無事であった。暴風雪の中、除雪車の働きを頼もしげに見ていた。マイナス20度以下になったが、高速道路はいつも開通しているところが日本と異なる。
 除雪車が除雪しながら、塩と砂を撒く。これが効果絶大で、ほとんど滑らないので、普通タイヤでほとんどの車は時速50マイル(80キロ)ほどで走ることができる。車は塩まみれ、泥まみれで色が分からなくなるほどだ。

 今回はミネソタ州に行ったついでに、足を伸ばして、南北ダコタ州にも行ってみた。つまらぬ理由であるが、その二州は筆者にとって未踏の州であったからだ。これで全州踏破したことになったが、雪の中で景色がよく分からなかった。どちらもまったくの大平原で、取り立てて景色というものも少ない。途中で「大草原の小さな家」のあった町を通過した。本当にまったく平らで、すごいところであった。

2010年12月12日

続 Pantera氏の工房を訪ねて

Dan's Workshop 地下の工作室に入る。せいぜい12畳くらいの大きさだ。O scaleの工作室としては小規模だ。しかも客車を100輌単位で仕上げるのだから、仕掛品の保管場所としても狭すぎる様に思う。



Dan's Workshop2Dan's Workshop3 今回は平積みであるが、先回は沢山の車輌が一山24輌の井桁積みになっていた。6輌ずつ直角に積むのである。地震のない国ならではの保管法である。


Dan's Workshop4 プライマは自動車用のものである。1ガロン(約4L)の缶がたくさんあった。




Dan's Paintshop2Dan's Paintshop これは塗装ブースである。宅地が広いので庭に排気を吹き出しても、どこからも文句が来ない。おそらく隣家はここが塗装工場であることすら知らないはずだ。



2010年11月02日

続々々々 Feather River Route を走る

Ponderosa pineRoad to SacramentoFreeway ダム湖を抜け、起伏の少ない地域に出た。この写真の松の木はポンデローサ・パインであり、筆者のレイアウトにも何本かあるので写真を撮った。より実感的な生え方の参考にするためである。

 先を急ぐのでやや速度を上げて走っていた。ところどころにハイウェイ・パトロールのポリス・カーが待ち伏せしているから、周りの車と同じ速度で走った。これがコツで、制限速度から10マイル程度なら、まずお咎めはない。

Highway Patrolspeeding ticket しばらく走ったのち、前に3台くらいノロい車が居たので抜こうと思った。後ろにはポリス・カーが居ないのを確認して、グィーンと抜いた瞬間、後ろに赤色灯が点滅し、”Pullover, Pullover(脇に寄せろ)" と怒鳴る声が聞こえた。いつの間に忍び寄ったのか分からなかった。グラマン・ヘルキャットに追撃されたゼロ・ファイターのような感じであった。

 警官曰く、「ずっとつけていた。お前が一番速かったからな。最後に抜く瞬間、後ろを見たろう?それも見ていた。1台しか抜かないと思ったら、3台ごぼう抜きしたから、時間が掛かった。その隙に後ろに付いたのさ。」と手の内を明かした。「お前は運転はなかなかうまい。なかなか隙が見つからなかったので、かなりの距離を付けてきた。」という。

 楽しく話をしたので、無罪放免してくれると思ったが、「24マイル超過のところを10マイルにしてやるから、サインせよ。」と言ってきた。よくある話だ。本当なら、証拠を捏造したわけだから裁判にすれば無罪になるところだが、また飛行機代を使って裁判所に出頭するのは無駄である。「すべて認める」とサインした。「そのうち請求書が来るから、小切手を送れ。」という。別れ際に、「運が悪かったな。気を付けて帰れよ。」と言う。なかなか好感の持てる警官であった。それも彼らの手口なのかもしれない。

 その後、カリフォルニア州政府に211ドルほどの寄付をすることとなった。
以前テキサスだったかで捕まった時は、「小切手かクレジットカードかどちらにするか?」と聞かれた。その場で集金するシステムで驚いたことがある。

 カリフォルニア州は歳入が不足し、道路維持のために罰金を取るという話を聞いた。確かに他の州に比べて、取り締まりは厳しい。

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2010年09月13日

続 Mike Wilson 氏を訪ねて

IMG_2210 Mikeはライオネルのコレクタでもある。この部屋の中央部にはライオネルのレイアウトがあり、楽しく遊ぶことが出来る。  




IMG_2213 スケールモデルを楽しんでいても、ライオネルにはまた別の楽しさがあるのだ。子供のころの楽しさを何時までも忘れないようにスケールのレイアウトの下段に10坪ほどのレイアウトを作った。



IMG_2220IMG_2221 この制御盤の中を見ると想像を絶する量の配線であった。最近はライオネルもDCC化されるようになったので、もしDCC化すればこれらの配線はほとんど要らなくなるはずである。


 筆者はスケールモデルしか楽しんでいないが、余裕があればライオネルも欲しかった。何回かライオネルの購入チャンスはあったのであるが、そのチャンスを逃し続けている。子供の時代に出会っていたらきっと今でも持ち続けているであろう。その点、日本の三線式Oゲージはただ走るだけのもので、材質の点でも合格点が与えられない。逆転機さえ無かったのだ。後で付けたが、作動は不完全であった。
 持っていた車輌、線路等は全て処分したが、今思い出してもあまり面白くないと思える。
 



2010年09月05日

Mike Ross 氏を訪ねて

Mike Ross MikeはいわゆるGated Community に住んでいる。アメリカなどの国では、富裕層はより高い安全性を求めて、高い塀で囲まれた街の中に住む。道は公道ではなく、全て私道となる。どの家も塀を持たず、遠く離れた家と家の間は全て芝生でつながっていて、あたかもゴルフ場の中に住んでいるかのような感じである。実際にゴルフ場、テニスコートも併設されている。不思議なことにプールが見えない。聞けば、どの家もインドア・プールなのだそうだ。
 どの家も大きい。中にはディズニィの動画に出てくるお城のような家もある。床面積は、各戸、最低4000平方フートというから130坪ほどであろうか。
 訪問するときには、事前に警備本部に訪問者の人数と全てのフルネームを申告する必要がある。ゲートでは、車のトランクまで確認する。

 マイクは大きなレイアウトを建設中である。広さは60坪くらいだろうか。設定は1950年の Blue Ridge Mountains である。ブルー・リッジとは米国東部のアパラチアン山脈の一帯を指す。石炭の宝庫であり、Virginian2-6-6-6が長大な石炭列車を牽き山を越える。その時代の再現を狙っている。死ぬまでには完成できないだろうと本人が言うほどであるが、彼は精力的に製作している。
 人を雇うべきなのだろうが、それはしない。友人に助けを求めることはあるようだが、全部人には任せたくないらしい。彼は、筆者のレイアウトの動画、写真は詳細にチェックしていて、進歩の度合を探っている。「飛行機代を払ってやるから、しばらく遊びに来ないか。」ぐらいのことは言うのだが、プロには任せたくないのだ。その理由は、「彼らの作品は、皆同じに見える。」と言うのだ。

 マイクは彼の少年期を過ごしたブルーリッジの山々を頭の中に描いている。全て、それを再現するつもりだ。その、他人には見えない山の中を線路だけが完成しているというのが現在の状態である。
 
曲線の中心を決める。 線路は全て計算通りに敷かれる。適当に路盤を作ってぺたぺたというのとは違い、座標通りに路盤を建設する。カントは全て路盤に付ける。
 床はポリ塩化ビニルのタイルである。それは1フート角であるから、それを碁盤の目として活用する。曲線の中心はこのような道具で位置決めをする。
 1インチごとに目盛を付けてあるから、所定の場所において重りを置く。上から出ているボルトに、長いアームを取り付けて、曲線を描く。

2010年06月13日

Athearn の貨車 

Athearn 40' boxcar Athearn という会社がある。発音は"A"を強く言う。「ェアサン」と言えばよく通じるはずだ。人によっては「エイサン」という発音も聞くが、例が少ない。
 その昔天賞堂の広告に「アサーン」とあったので、日本ではその音が根付いたが、アメリカでは全く通用しない。
 
 現在ではHO,N の完成品を出しているが、もともとはOゲージの会社であった。
 薄い木の板を組み合わせて作る箱に、印刷済みの金属製側板を貼り付けて完成するキットであった。40ft、50ftの Boxcar と40ftのReeferを販売した。側板さえ変えればどんな製品も作れるので、かなりの種類の製品を売り出していたはずだ。 
 筆者は40輌ほど持っている。現在の基準からみるとやや荒っぽいが、当時としてはスケールモデルの代表格で、よく売れた。Athearn氏 はこの利益でHOに進出し、どうすると部品の数が減るかという工夫をして、ダイキャストとプラスティックを組合わせた製品を作った。組立ての省力化と相まって、大変大きな利益を上げた優秀な経営者であった。現在のNゲージの車輪の基本になっている、車軸を左右切り離してプラスティックのギヤ付きスリーブでつなぐアイデアは、Athearnのものである。  
 社長のIrvin Athearn氏は、鷹揚な人で、「盗めるものは盗め」と言って、日本のメーカがまねをするのを許した。

1945年の新聞が詰め物として入っていた。Athearn Boxcar kit このキットは最近購入したもので、1945年の新聞が詰め物として入っていた。裏面の漫画はその時代を感じさせる。屋根のブリキ板はCoca Colaの印刷がある中古板である。アメリカ製にも中古を使ったものがあったのだ。 よく見ると印刷は裏焼きで、失敗に気が付いて廃棄されたものを安く買い請けたのであろうと推測する。

 側板はフロクイルの塗装で、シルクスクリーンで印刷してある。台車が素晴らしく、当初はダイキャストであったが、のちにデルリン製の低摩擦の製品になった。コイルスプリング懸架で滑らかな走りを保証した。

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2009年12月15日

鉱山都市

 国内外の鉱山都市は、その周辺の集落とは明らかに異なる文化を持つ。

 まず、流れ者が多く、言語が異なる。昔住んでいたソルトレーク市の西のはずれにBinghamという銅鉱山がある。足尾とは異なり、完全な露天掘りである。人間が堀った世界最大の穴という表現がある。穴は、長さ4キロ、幅2キロ、深さ1キロほどである。
 掘り出した土砂は周りに積み上げたので、穴が相対的にますます深くなった。線路は、すり鉢の内部に螺旋を描いて下っていく。底まで500キロもの距離があり、貨車は2日かけて下りて3日掛けて登ってきた。しかし穴を深くするために時々線路を敷き替えていた。
 あまりにも非効率で、20年ほど前、底から、水平導坑を掘り、ベルトコンベアで運び出すようにした。 
 このビンガムの街の人たちの英語は、かなり異なるアクセントをもつ。町にはいろいろな娯楽施設があり、稼ぎのよい鉱夫たちがそこでお金を落とすように出来ていた。

 日本の鉱山も、根本的には同じ構造を持つ。相対的に町全体が裕福であった。足尾には映画館が四軒もあったそうである。
 博物館には古いカメラがたくさん陳列してあった。そのような高級品を買う余裕があったわけである。
 鉱山の設備も貴重な外貨を投資して購入したものばかりである。鉱山が外貨を稼ぐのであるから、いろいろなものを直接買い付けている。

 小さな町であるが、市内の交通は鉄道に依っていた。かなり贅沢であると言える。

2009年08月19日

ASTRAC

ASTRACという多重制御方式があった。これはGE General Electric が発売した装置で、Automatic Simultaneous Train Control 自動同時列車制御という意味である。
 1963年から66年あたりまで発売されていたようだ。現物は70年代に1度しか見たことがない。Web上では写真も見つかるが、もうほとんど存在していないのであろう。
 FM変調で5台の動力車を動かすものであった。車上素子はそれほど大きくはない。

 この技術はGEの内部では別のところに使われていたもので、製品化してみたもののあまりにも売れなくて、販売停止になったようだ。

 電灯線経由の多重制御もこれと同じところに根ざすものであろうと推測する。この当時の特許を見ると様々な方式が見つかる。アナログ方式はどれも比較的似ている。

 デジタル方式のクロックに相当する部分を同期用の電動機で機械的に作り出し、受信側では所定のパルスを拾い出す工夫など涙ぐましい工夫の跡がある。ソリッドステート化以前は大変だったようだ。

 日本では、たくさんの列車を同時に走らせられる人の数が少なかったので、このような工夫は
ほとんど興味をもたれなかったし、その存在にも興味がなかったように見受けられる。

 さすがに伊藤剛氏は興味があった。氏は昭和23年ころ、2台の自動車を個別に制御する自動車レース場のアイデアを出されている。これは路面からの集電装置の工夫で自動車が左右に動いても、常に独立した集電をするようにしたものであった。

2009年08月17日

続々 多重制御

 アメリカでは35年ほど前から家庭電化製品の中に多重制御の工夫が入り込み始めた。正面きっての多重制御ではなく、各電球や、扇風機の中に組み込んだモヂュールにより見掛け上の多重制御ができるようになった。

 一番良く売れたと思われるものは、電球のソケットの中に埋め込んだ切り替え装置で、壁のスウィッチを手早くOn、Offすると、明るさが三段階に変化するものであった。これは筆者もたくさん買った。ありがたいのは電球が極端に長持ちすることであった。タングステンフィラメントが冷たいときには、その抵抗が小さく1/12くらいしかない。そこに規定電圧を掛ければ、電流は12倍流れてフィラメントは急激に膨張して切れる。
 この素子はその突入電流 rush current を抑制するように設計されているので、ほとんど切れない。ざっと10倍くらいは持つ。点灯すると、ボワッと明るくなるのがわかる。パッと付くのではない。

 時間が来ると自動消灯する電球もあった。賢いことに30分経つと、点滅して警告を発してから、やがて消灯する。これは我が家のトイレの電球に使っている。これもソフト点灯するので、築18年で一度も切れていない。

 天井の扇風機と電灯は2本しか電線が来てない家庭が多かった。電灯だけしかなかったところに扇風機をつけたのだから当然である。ぶら下がっている紐を引いてファンとライトを切り替え、回転速度は手を伸ばしてロータリー・スウィッチで切り替えていた。これを壁スウィッチのOn、Offで、全てコントロールできる。手早くOn、Offするとモードが順次切り替っていく。このモジュールはとても小さくまとまっていて、天井扇のベースに収まる。我が家の天井扇にもつけてある。大変具合が良い。

 ややぜいたくなタイプは、壁スウィッチのパネルに3つのモードの切り替えと明暗、回転の無段階調整がついている。扇風機中のモジュールとの通信は、最初からある2線で行うので、配線を触る必要はない。

2009年06月14日

続 Route 66

Barringer Crater 筆者はRoute 66を何度も走っているが、一か所だけ行きそびれたところがあったので、昨年思い切って行ってみた。

 それは Barringer Crater であった。小学校の頃から「子供の科学」等でよく見た隕石孔である。バリンジャ・クレイタがRoute 66沿いにあることを知らなかった。

 Santa Fe 鉄道の拠点であるFlagstaffからそれほど遠くなかった。
 同行の栗生氏には無理を言っておつきあい戴いた。感謝している。

 この種のMeteor Crater(発音はメテオでなく、ミーティアに近い)はネバダ州の砂漠の中にたくさん残っている。バリンジャ隕石孔が最大である。しかしこれほど大きいとは思わなかった。"Meteor"は特急列車の名前にもある

 これは何万年か前に落ちたものだが、これが現在の地球に落ちると大災害になるだろう。陸上はもちろんのこと、海に落ちても大津波が発生するだろう。

 雨が降らない地域ではこのような形で残るが、日本のような気候ではたちまち崩れてしまう。この近くを走るSanta Feの本線の築堤も実に簡単に作ってあるが、崩れることはない。  

 

2009年06月12日

Route 66

Route 66 カホン峠はRoute 66の一部である。
 この峠の歴史については、この銘板をご覧戴くとよくわかる。サン・バーナディーノは、最初はモルモン教の人たちの居留地であったそうだ。

 アメリカのいくつかの峠を越えると、よくぞこの場所を見つけたものだと感心する。あの広い原野を馬で調査し、鞍部を探し当てるのは大変な仕事である。

 このカホン峠は、鞍部を越えるとかなり平坦である。峠の上の部分はHesperia という町で、ここには友人がいてよく訪ねた。
 カホン峠を線路沿いに登っていくとトンネルもなく突然鞍部に出る。少し手前からトンネルを掘ればかなり楽ではないかと思ったが、実際の標高を調べると頂上が平坦だから、トンネルを掘っても標高差は残る。すなわち現在のルートが最適解である。

 最近ルート66は脚光を浴びている。筆者の世代はこの歌をよく知っている。テレビでドラマもやっていた。シカゴからLA(ロスアンジェルスとは言わない)への最重要路線であった。普通の道は東西、南北に走っているが、この道は斜めに走っているのが珍しい。

 実際に走ってみると、ひどい道が多く、ブレーキ故障でたくさんの人が亡くなっている場所がある。


2009年06月10日

Cajon Pass のお立ち台

Elevation 4000Ft at I-15overview from I-15 カホン峠にはいくつかの有名な撮影場所がある。

 筆者は1973年以来、約25回程度ここを訪れている。最近はBNSFになって警備が厳しくなった。鉄道用地への立ち入りが厳しく制限されていて、Railroad Police まで巡回している。思えば昔はどこにでも簡単に入り込めた。

 昨日のコメントのSullivan's Curveあたりへは、そう簡単には行けない。車では無理で、歩いて行かねばならないが、夏は蛇がたくさんいるので危ない。いわゆるサイドワインダである。尻尾の先の輪をカラカラ鳴らしながら脅しをかけている。近寄ると襲われる。
 冬なら比較的安心であるが寒くて立っていられない。

 全体を見渡す場所で、最も簡単に行ける場所は高速道路の外の空き地である。この写真の標高 4000Ft の地点で右に出られる。そこには大パノラマが広がっている。高速道路が開通してからは、ここが目玉になった。ここは、鉄道の峠とほとんど同じ高さである。この場所から高速道路に出るには気をつけないとぶつけられるかもしれない。十分な車間距離があるのを確かめて車線に出るが、トレーラがたくさんつながって走っているので、それをやり過ごす必要がある。

 鞍部は向こうの方の送電鉄塔が2本立っているところの根元である。左の方のやや高い線路はUP(旧SP線)である。
  

2009年06月08日

続 Cajon Pass の守り人

Cajon Pass 以前、トールズ氏が植えた植物について興味深いことを話してくれた。
 10年ほど前、せっかく植えて根付いた植物を、公権力によって引き抜かれたことがあるそうだ。砂漠の過酷な環境でも根付く植物はまれである。線路沿いに生えていた日よけになりそうな木を植えたのに、National Forest内で無許可で木を植えたと実力行使されたのだそうだ。

 アメリカでは国立公園やNational Forest内ではRangerと呼ばれる人たちが強権を帯びて活動している。警察権まで持っているので、下手に逆らうとブタ箱に入れられる可能性がある。

 その後当局との交渉の結果、許可されたようだが、トールズ氏は憤慨していた。その経緯もこのサイトに書いてあった。

 このHill582には連結器が置いてあったが、最近の写真を見ると壊したトンネルの破片まで持ち込んだようだ。1913年に完成したらしい。95年間使用して廃棄したことになる。

 このHill582は道路から見えているが、実際に行くのは少々難しい。歩いて行けば簡単だが、車で行くには1キロほど西に行って線路を越えて戻らねばならない。乗用車でも行けるが、わだちが深いので、4輪駆動車なら楽である。ここから撮った動画がNortherns484氏のブログにある。ちなみに、その動画にちらりと映る人は筆者ではない。

2009年06月06日

Cajon Pass の守り人

Mr.Don E Toles カホン峠には、いくつかの「お立ち台」がある。絶景を眺める最高の場所が10か所くらいあるのだ。
 その中のHill 582という地点には手作りのモニュメントがあり、きれいに整備されている。写真のように植物もたくさん植えてあり、頂上も平にしてある。
 
 その場所を守っているのがこのToles氏である。地元と言ってもサンバーナディーノだから片道60キロくらいある。そこから毎日通って清掃したり、遠くからやってくるファンにアドヴァイスを与えている。
 
 もの好きと言えばおしまいだが、いつ行ってもお会いする。向こうもよく覚えていて、当方をカリフォルニア住民だと思っている。「日本から来ている」と言うととても驚くが、「来る価値があるところだ。」と言う。

 貴重な写真をたくさん撮り、それを公表している。このウェブサイトの写真の大半は彼が撮ったものである。

 今回は、トンネルその他の情報を詳しく聞いたので、その場所に写真を撮りに行くことができた。そのために進入する道路が鉄道用地であると、鉄道側にとがめられた場合、不利である。どの道が公道かという情報は彼に頼るしかない。面白いことに本線に沿った砂利道が公道であることがわかったので、その道を走った。西部開拓時代の馬車が通った道らしい。

2009年02月26日

続々々 雑誌の存在価値

 今年もO Scale Westに参加した。詳しくはNortherns4-8-4氏の報告をご覧戴くとしよう。この未曾有(みぞう)の不況下では趣味界も影響を受けていると思ったが、意外にもほとんど影響が見られなかった。

 要するに、皆さん余裕があるのだ。余裕の中からしか良いものは生まれない。出版社も余裕がある。同業他社を押しのけてなどという雰囲気は微塵もない。
 だからこそ、その記事には余裕が感じられる。瑣末なことはあまり書いてない。これは昔から感じていることだ。大きな方針を力強く推し進めていく編集方針は敬服に値する。

 日本の雑誌にそのようなところがあるだろうか。DCCにしても、これ以上の制御方式は存在しないことが、何年も前から明白になっているにもかかわらず、DCCを強く薦めるという記事などない。
 散発的には載るが、やや偏向した記事であったと思う。世の中には多数の機種があるのだから、せめて主な数機種を比較検討した記事があってもおかしくない。
 発煙装置にしても、DCCであれば電力はいくらでも使える。大昔の発煙装置の回顧など全く意味がないが、編集者がそれを書きたがるというのは問題だと思う。そんなことを書くくらいなら、現代の発煙装置について1行でも書くべきだろう。

 イコライズについても全く同様で、こうやりましたという記事はあるが、イコライズするとはどういうことなのかについては、ほとんど例がない。僅かに内野日出男氏の記事にさわりがある程度である。しかしバネとの関連の記事は全くない。

2008年11月06日

続 三相交流

3-phase power line 日本ではほとんどの電線路は三相交流で配電されている。その三本の電線の配置は、たいてい直線上にある。
 郊外の大きな送電用の鉄塔を見てもほとんど6本、12本くらいをそれぞれ直線上に配置している。
 米国の郊外にあるさほど電圧の高くなさそうな電柱を見ると、このような三角配置が大半である。この写真では、正三角形には見えないが、それは施工上の問題であろう。設計者は正三角形を考えていたはずである。
 
high voltage 3-phase power line この写真は、もう少し電圧が高い場合の送電線である。見事に正三角形になっている。この碍子は引っ張りに耐えるだけでなく、剛性のある構造である。どのような構成になっているか、知りたいものだ。三相交流で送電するとき、3本の導体を正三角形に配置すると、効率がよいはずである。最近話題の電磁波輻射による健康被害も低減されると思う。

3-phase power line3 これも正三角形である。これは簡単に作れる構造であるが、避雷の点で難しいところがあるかもしれない。


2008年08月28日

Jimのライオネルレイアウト

Jim's layout Jimは空軍を退役して人生を楽しんでいる。Dennisと教会で知り合うまで、互いに、空軍にいた事も鉄道趣味のことも知らなかったという。
 Dennisの家から車で5分のところに住んでいる。木彫りが大変上手で、面白い表情の人形をたくさん作っている。

 遊びに行くと、庭の8坪ほどの小屋を見せてくれた。入り口はカブースのデッキを模した作りで、中を見るとライオネルのコレクションが一杯であった。
 どれも良く走り、楽しい。特にギミックつきの車輌を集めている。


冷蔵車に氷を積み込む。

ミルク缶を冷蔵車から降ろす。
 
製材所で板を積み込む。
 
フォークリフトでドラム缶を積み込む。

 他に、牛が貨車に入ったり出たりする。階段を登って照明塔の修理をするなどどれもとても楽しい動きだ。

 Dennisに「スケールモデルの世界に入れ。」と永年誘われているが、腰が重い。

2008年08月16日

騎兵隊フリーク

Fort Chadbourne Garlandは砦を持っている。騎兵隊の時代の本物の砦である。500m四方くらいの広さで、城壁と将校用の住宅、兵舎、厩などが残っている。長い間放置されていたので、完全に崩れ落ちたのを修復したのだ。

 土地を碁盤の目に仕切り、機械で土を丁寧に掘り、それを篩(ふるい)にかける。すると当時のボタンとか襟章、銃弾、薬莢などが出てくる。それらを丁寧に分け、座標別に展示してある。

 建物はある程度までは現状を保存し、壊れたところは崩れた石を使って修復している。建物内部も当時の工法を用いて再現しているが、部分的に、断熱してエアコンを入れている。

 Gunと刀のコレクションは秀逸で、各種のものが集められている。実際に撃つことが出来る。銃剣をつけるとかなり重い。

 騎兵用の刀の使い方などを実際に教えてもらった。切るのではなく、突くためのものであることが分かった。彼は日本刀にも興味がある。

 この砦はすでにインディアンとの攻防が終わったあとのものらしく、籠城戦の備えはなかった。約20マイルおきに置かれて、伝令が走るための基地として用いられたようだ。

 軍の伝令のみならず、Pony Expressに類するものも走っていたようだ。これは初期の郵便システムであり、馬を全速で走らせて手紙を配達するために、後には駅間をやや縮めている。騎手は極めて危険な仕事であり、独身の若者が採用されたとある。体重制限もあったようだ。給料はかなり高く、当時の花形の職業であったが、電信の開通により廃止された。

2008年08月14日

バッファロを育てる

バッファロがやってきた Dennisの友人Garlandはバッファロを飼っている。

 バッファロ(アメリカバイソン)は、北米大陸に何千万頭もいたのだろうが、白人がインディアン対策としてそれを大量に殺し、事実上絶滅した。インディアンがバッファロを追って、やってくるのを防ぐには、バッファロがいなくなればよいと思ったからだ。

 その後僅かに生き残った群れが発見され、Yellow Stone National Parkで保護されてきた。そのうちの数頭を借りてきて繁殖させたのが彼である。これを見せたくて呼んでくれた。牧場の中に入ってもそのような群れはいなかった。持って行った餌をあたりにばら撒き、自動車の警笛を鳴らすと、どこからとも無く大群がやってきて、車の周りを埋め尽くした。ぶつかってくるので、車が左右に揺れる。

バッファロの群れ 「出るなよ。」と言われた。もちろん、怖くて窓を閉め切っていた。餌を食べてからは落ち着いたので外に出た。とても大きい。体重は2000ポンド(900kg)あるそうだから、何かあると命にかかわる。一週間に1回くらいは、このような餌付けをしているのだそうだ。意外とおとなしく、触っても動かなかった。生まれたときから人間と接触しているので、飼いならされているのだ。

 西部開拓時代にはバッファロの大群が暴走し、町が消えてしまった話を聞いた。線路上を数マイルに亘って埋め尽くして、汽車が走らなかったことも多々あったらしい。

 牧場を出て、彼の倉庫を見せてもらった。彼は南北戦争時代の骨董品を集めている。それをレストアして実際に走らせている。また、当時の大砲も持っていて、本当にぶっ放すのだ。

Stage Coach その最新作のレストア品はStage Coach (駅馬車)である。金属のばねと革で出来サスペンションは、かなりよい乗り心地を作り出す。このConcord CoachはOx-Bow Routeを通るの駅馬車会社Butterfield Stage Coachの車輌である。

2008年08月12日

続 Carlsbad の鍾乳洞

Bat Feight 世界遺産に指定された頃から、遊歩道が整備されて歩けるところが増えた。例のコウモリの穴から下って地下200mまで行けるようになったのには驚いた。この地図の青い線がその通路を示している。コウモリはその通路上を飛び出していくのだ。実際のコウモリの飛ぶ様子はこの図の100倍位である。本物は真っ黒の雲である。


ranger's talk in front of cave この写真はコウモリが飛び出す直前の様子。レインジャが説明のあと、背後の黒い穴から飛び出すのだ。

 この入り口から入ることにした。かなりの急勾配ではあるが、完全に舗装されている。下りはひざにこたえるが、1時間半ほど歩くと地底の大空間に到着する。

 その広さはサッカー場8個分と言われ、天井高は120mもある。秋吉台の秋芳洞などの比ではない。規模が2桁以上違う。

 以前はところどころに金網で出来たケイジ Cage があり、1時間ごとに子供たちをそこに押し込んで5分間全体の電気を消し、暗闇の世界を体験させていたが、それはもうやっていなかった。オリの中に入れられたのは12歳以下の子供で、安全確保のためである。"Jail"と言う人も居て、子供たちには人気の場所であったから、無くなったのは残念であった。

 レインジャの人にどうしてなくなったのかと問うても、皆若い人たちばかりで誰もその当時のことを知らなかった。逆に、「そのオリのアイデアは面白い。」会議で提案するから、詳しく教えてくれとせがまれたのには参った。

すれ違いで写したUP貨物列車 Abileneへの復路は往きと異なる道を通った。意外にもUPの線路の近くであった。すれ違いざまに片手で撮ったのがこの写真。



2008年08月10日

Carlsbad の鍾乳洞

側線上のUP Abileneから近い(と言っても300マイル以上)ところにCarlsbad Caverns がある。これは世界最大と思われる鍾乳洞で、洞窟好きの筆者にとっては行かざるを得ない場所である。20年前にも行ったことがあるが、その後かなりの進歩を遂げて、歩ける範囲がかなり伸びていると聞いたからだ。ニューメキシコ州に入ったすぐのところである。

車で5時間半掛かる。TP(T&P) と平行して走ると、貨物列車と抜きつ抜かれつの状態になった。少し先回りして待っていたが、ちっとも来ない。戻ってみると退避線に入っていた。

 筆者の興味は夕方7時30分のBat Flightにあった。そもそもこの洞窟が見つかったのは、夕方コウモリの大群が飛び出す穴があったことによる。大群といってもあまり実感は湧かなかった。

 そのコウモリの穴の周りには観客席が設けられ数百人を収容できる。レインジャ(Ranger)と呼ばれるガイド兼監視人の説明の後、コウモリが飛び出した。

 その数や数百万から2千万と言われる。黒い旋風が直径50mくらいの真っ黒の竜巻になり、30分以上もかかって出る。夕暮れの空に黒い雲が出来る。1秒当たり数千から1万くらいの割合であるから、向こうが透けて見えなくなる程の量である。

 正直なところ非常に驚いた。これほどまでに大規模とは思わなかった。コウモリの飛ぶ音が超低周波で腹に響き、独特の臭いがあたりを埋め尽くす。観客は、最初の一瞬は歓声を上げるが、そのあとは圧倒されて声も出ない。残念ながら、撮影禁止になっている。フラッシュを焚かなければよいはずなのだが、完全に禁止されている。

 コウモリは飛び出す時に直径100mくらいの垂直の穴を50mくらい昇らねばならないので、そこで反時計周りの螺旋を描く。整然とした動きで魅了される。その様子は、しばらく前の映画の"Green Mile”に出てくる死刑囚の口から出る黒い虫の大群を思い出した。その日は興奮のあまり、寝付けなかった。

2008年08月08日

続々 Texasの旅

Abilene T&P StationDowntown AbileneこれがT&P駅である。きれいにレストアされている。さすがに旅客駅であった当時の繁栄を彷彿とさせる。駅前にはホテルや新聞社、映画館が立ち並び、昔の栄光の日々を偲ばせてくれる。それらの建物は全て空き家になり、町並み保存会が管理している。映画館だけは、一月に3回くらいなつかしい映画を上映するそうである。


Abilene Burlington StationBurlington Station West SideこれがCB&Q駅である。薄汚い倉庫街の中にあり、うっかりすると通り過ぎそうである。この写真を撮っていたら、「買うつもりなのか。やめておけよ。こんな物騒なところなんか。」と声を掛けられた。「いや、鉄道ファンで写真を撮るだけだ。」と言うと、「えっ、これが駅なのか?!」と逆に驚かれる始末であった。

Corner Stones 建物の角は石がはめ込まれ、格調高いつくりではあるが、放置されて薄汚い。しかし、いまだに"Burlington Route"の文字が見える。ワークスK様あたりはきっとご興味がおありだろう。

2008年08月06日

続 Texasの旅

T&P Texas and Pacific鉄道は1976年にMissouri Pacific鉄道に併合され、その2年後にさらにUnion Pacific鉄道に併合された。しかし町の人は今でもT&P鉄道という名前に愛着を持ち、いまだに「TP Stationの方に行く」と言う。



UP Train Passing AbileneTo Trains 駅はかなり豪華なつくりで、当時の繁栄をしのばせる。現在は博物館になっている。荒れ地の中に突然出来た駅であろうから、周りの土地とは同一平面である。後に駅の辺りだけは地下の人道を作るために少し持ち上げてはいるが、それでも交差する道路は下を掘ってかなり深くもぐっている。駅から500mほど離れると一部の道路とは平面交差していて、列車が接近すると猛烈なホーンを鳴らす。その音が町中に響き渡り、列車が通過していくのが分かる。そういう意味では、鉄道に対するノスタルジィをいつまでも市民に感じさせ続ける町である。駅の近くの橋は大半がいまだに木製であるが、全く傷んでいない。乾燥した地域だからだろうが、たいしたものである。

Connecting lines Abilene Burlington Station T&P駅から数ブロック離れたところにCB&Qの駅がある。これはかなり見劣りがする。しかし、Chicago,Burlington and Quincy Railroad と書いてあり、Colorado Southern Railroadとも乗り入れしているとも書いてあった。
 現在は完全な廃屋であるが、当時はシカゴに直結する重要路線の一部であったのだ。

 その周りは倉庫街で、引込み線が網の目のように張り巡らされている。しかし、現在では半分埋もれてしまっている。以前はT&Pに対して立体交差で直交する線路があったが廃止されている。


2008年08月04日

Texasの旅

Old Abilene Texasの友人、Dennisとは長い付合いである。彼とは歳が近い。奥さんのKathyも気さくな人で、かねてより遊びに来ないかという誘いがあったのだ。
 この夏に2週間の休暇が取れることが分かったので、思い切って行ってみたという次第である。 

 Texasは過去二度行ったことがある。しかし2週間も同じところに居たのは初めてで、様子がよく分かった。Texasは広く、場所によって気候が全く違う。
 
 DFW(ダラス・フォートワース空港)からレンタカーに乗ってひたすら西に向かい、時差ぼけで眠りそうになるのをこらえながら3時間でAbileneに着いた。アバリーンと発音する(太字を強く発音する)。昔は南部から追い上げてきた牛の群れをここで貨車に載せ、シカゴに向けて送り出したのだ。全てがその目的の町で、家畜業者以外、誰も住んでいなかったという。
 1881年のTexas and Pacific鉄道の開通以前は、カウボーイたちがカンザス・シティまでさらに1000キロ近く牛の群れを追っていたのである。
 
 ここはWest Texasと呼ばれる高地で乾いた地域ではある。しかし、多少の降水があるらしく潅木に覆われた地域である。水道は池の水を使っているから、季節により多少臭いことがあると言う。飲用水は特殊なフィルタで漉して使うようにしていた。  
 
 現在は人口12万位の小都市である。郊外には広大な空軍基地があり、デニスはそこでB-1に乗務していた将校である。壁には"Captain”と大書された現役時代の写真が貼ってある。健康上の理由で退役したのだそうだ。小型飛行機も持っていたがそれも売却し、今は2002年型マスタング・コブラだけに乗っている。 いつも車庫に入れているので、新車のようにぴかぴかである。

2008年05月27日

Rod の貢献

Orange County Model Railroad Club 3 この写真は会場全体を見渡せる位置から写したものである。会場がいかに広いか、このモヂュラ・レイアウトがいかに大きいかがわかる。

 このような会合が、アマチュアだけで運営されているところが日本のJAMとの大きな違いである。当初はカリフォルニアのコンヴェンションはそれほど大規模ではなかった。Rod Miller氏が元締めになってからの進歩は大きい。彼のいないOSWは考えられない。

 ロッドはIBMの技師であった。退職後は鉄道模型の道に邁進している。彼の自宅には何度も行っているが、すばらしい工作機械をたくさん持つ、一風変わった模型人である。

Rod's Rivetting Machine この機械は、ロッドの工夫した手回しミシンを使ったリヴェット打ち機である。凄まじく速く打てる。なおかつ、間隔を無段階制御出来る。ミシンだから当然である。

 筆者は1988年にコネティカット州ハートフォードのコンヴェンションに行った。前出のBill Wolfer氏が呼んだからだ。その他シカゴの会合にもよく行くが、ここほど開放的でもなく、会場が広くもなかった。ワシントンDCであったときも、それほどすばらしいとは思わなかった。

 しかし、テキサスで行われた時は、かのJoiner氏がホストであったので、すばらしい演出であった。これは別格である。

 このOSW では売り場を少しずつ減らし、モヂュラ・レイアウトを増やしているように思う。全く無関係と思われたSゲージと組んだのも大きな進歩である。  


2008年04月13日

続々 Jerry Porter氏の模型哲学

 財産があって、時間があり、能力が溢れるほどあれば、伯楽という遊び方は楽しいに違いない。
 目をつけた人が、自分の導く方向に進み、どこにもない素晴らしいレイアウトを作るのだ。このArdenの場合はSゲージというあまり例のないサイズの鉄道であり、車輌は、すでにJerryの手の中で育てられている。彼はSゲージのメーカを仕切っているのだ。だから、車輪の規格の変更は直ちに出来た。
 
 なぜ彼がSゲージの道に入ったかは興味深い。N,HO,Oの世界はあまりにも大きく、一人の活動で大きな変化を与えられるかというと、Jerryほどの力をもってしても難しい。しかしSゲージでなら可能であったのだ。ほとんどの機関車、貨車はJerryの力によって生み出されていると言う。元は取れるのかと聞くと、「趣味だからいいのだ」と言うだけで、あまり頓着していないようだ。これも伯楽の仕事のひとつらしい。

 Sゲージとは何かという質問を戴いている。  
 Sゲージは22.5mmゲージ、1/64サイズである。日本ではこれを楽しんでいる人はほとんどいないだろう。Sのナローはたまに見る。
 Seven Eighth インチゲージ, One Sixtyfourth 1/64, Three Sixteenth inch Scale の三つのSからその名がつけられたそうである。  

 戦後すぐに、Sゲージの線路上を1/48の国鉄車輌が走るようにした人が居た。すばらしい着想であったが、どういうわけか、その試みには賛同者がほとんどいなかった。1/45,32mmゲージの0番という不可思議な方向に向かった結果、現在の日本の鉄道模型がある。その時の指導者のミスリードがすべてを複雑にしてしまった。これについては、いずれ項を改めて書きたい。
  
 

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