2025年02月02日
UP の Southern Pacific

運用区間はロスアンジェルス東方のカホン峠である。3気筒機は、2気筒機に比べ、動軸1回転のうちのトルク変動が少なく、勾配での牽き出し能力が勝っていた。SP は50輌以上保有していたが、UP は10輌ほどだった。番号は 8000 と付けられたが、後に8800 と改められた。
しかし、UP はこの3気筒の機関車の出力と速度に不満であった。この動輪径は 63インチ(1600 mm)であったが、少し大きくして 67インチ(1702 mm)とし、さらに1軸足して UP9000 4-12-2 を発注した。これは速度、牽引力とも十分に満足できるものであって、UPは 88輌も購入し、シャーマン・ヒルの勾配線で使われた。しかし、急曲線に強い単式関節機のチャレンジャが登場すると、それらは勾配線ではなくシャイアンより東側の区間で貨物用として用いられた。そういうわけで UP8800 はカホン峠だけで使われた。
3気筒の機関車は田舎では数が少ないので保守コストがかさんだ。1942年にこれを2気筒に改造したものが UP5090 で、カホン峠で蒸気機関車の終焉まで使われた。カホン峠は急曲線が続くので、固定軸距離が長い UP9000 には向かなかったのだ。第二次世界大戦末期にはこの区間にBig Boyを入線させる計画もあった。関節機は曲線でも無理なく使えたからだ。良い水が無いので、テンダを延長し、8軸としたものを採用する計画であったそうだ。
祖父江氏と筆者が改良に取り組んだ SP5000 を Sofue Project として生産することになった。筆者はそれを改造すれば UP8800 になるはず、とその工程を調べ始めた。
コメント一覧
1. Posted by Tavata 2025年02月03日 08:25
昨年、ポモナにあるレールジャイアンツ博物館のUP9000を訪ねました。ボランティアの方に解説していただいた所、展示位置までカホン峠経由で自走してきたそうです。峠では、やはり固定軸距が長いので、極低速(1mphくらいと聞きました)で走り、横を作業員が歩いて、レールヘッド側面とフランジにグリースを塗りながら通過したそうです。
ポモナ地区は年始のロサンゼルス山火事の一つが10マイル程度先まで迫っており、博物館も心配していたのですが、一昨日なんとか全火災が鎮火したようです。
ポモナ地区は年始のロサンゼルス山火事の一つが10マイル程度先まで迫っており、博物館も心配していたのですが、一昨日なんとか全火災が鎮火したようです。
2. Posted by dda40x 2025年02月03日 11:39
その低速走行時の写真はいろいろな書物に載っています。かなり有名な話なのですね。