2018年02月21日
プラグマティズムについて
1月10日号のコメントを読んで、アメリカから長文のコメントを戴いた。日本とアメリカで自然科学を研究されている方からである。日米の鉄道模型文化の比較論である。興味深いので、紹介したい。コメントは800字を限度としているので、数回にわたって送られてきたものを編集した。
私は、こうすれば良くなる、こうすればできると考えたらやってみたい、と思うタイプの人間です。ところが、日本の殆どの人は、考えただけでできた気になり、やらない人が多いと感じます。いざとなったらやるし、やればできるはずと思うのでしょうが、実践していない人には経験から得られる勘所がないので、それまで手を動かしてきた人間にはかないません。それだけではなく、考えたことをやってみてどうなるか見たいと思わない人は、最後まで実践することもできません。
私は、こうすれば良くなる、こうすればできると考えたらやってみたい、と思うタイプの人間です。ところが、日本の殆どの人は、考えただけでできた気になり、やらない人が多いと感じます。いざとなったらやるし、やればできるはずと思うのでしょうが、実践していない人には経験から得られる勘所がないので、それまで手を動かしてきた人間にはかないません。それだけではなく、考えたことをやってみてどうなるか見たいと思わない人は、最後まで実践することもできません。
「考えたことをやってみたい!」と行動する人間と、「考えた。理屈上うまくいく。」と満足する人間とは、生き方の根幹が違うからです。
アメリカには、考えて終わりという人はあまりいませんね。学生達は、私などそっちのけで考えを言い合い、白熱した討論の後、必ず「その実験をやってみよう」となります。残念ながら、日本ではあまり見ない光景です。
日本では考えは言い合っていますが、自ら行動することは非常に少なく、大学院にもなって「指導してもらう」という感覚の学生がいることには驚きます。教育の違いかと考えたこともありますが、結局、主体性があるかないかの違いなのだと思うようになりました。主体性があるということは、「自分がこうしたい」という目的意識がはっきりしているということです。そのため、その目標達成のためにはどうすべきか考えて、実践するということになります。
<続く>