2011年01月11日
危険信号

筆者の世代は毎週土曜日はこれで盛り上がった。実際に三線式Oゲージで、これをまねて遊んだ覚えもある。
先日、元カツミ勤務の高橋淑氏にお会いしたので、その当時の話を伺った。当方にとって意外だったのは、それが2線式Oゲージであったことである。1番ゲージであるとばかり思っていた。

この模型は荻窪の職人が手作りで、10輛くらいずつ納品していたのだそうである。筆者も何輛か持っているが、全て出来具合が異なる。
二代目は「こだま号」になった。スケール車輌ではなく、ショーティであったそうだ。16メートルくらいに切り縮めたものらしい。それは使用をやめたあと、誰かが持ち去って、行方不明だそうだ。
新幹線開業が近づいて、国鉄から新幹線を使用してくれという要望があり、ショーティの0系「ひかり」を作って使用した。それが人気を博したので、量産して販売したのだそうだ。これは今でも中古市場でよく見る。
放送時には高橋氏が詰めて運転、保守に携わったとのこと。確かに、途中で動かなくなってもすぐに代替車輌が登場し、しばらくすると「直りました。」と交換されるのを、手際が良いと感心して見ていたものだ。
[追記]
当時の国鉄が新幹線開業を控えて、宣伝のために新幹線の模型を使わせたいと思い。国鉄本社が発注して、それを NHK に寄贈したそうだ。テレビを見て「こだま号」の製造元を調べ、カツミに注文が来た。
新幹線車輌は、初め鋳物で前頭部を作ったのだそうだ。厚さ4 mmほどもあって、重くて走りが悪かったという。その理由は、厚いスカートがあるので、外側台車を付けることが出来ず、輸出用の蒸気機関車の先台車を、前部台車として用いた。それは内側台車であって、軸の太さが5 mmもあり抵抗が大きかったためである。
完成したものを車に積んで国鉄本社に納品に行ったところ、守衛が怪しんで入れてくれず、電話して担当者を呼び出した。守衛を排除して地下の駐車場に入り、エレベータで4階に行って展示したところ、みな興奮して見ていた。走らせてみると、ちっともうまくいかない。重心が前に在って、動力台車がスリップしたのだそうだ。すぐにそれは解決したのだが、窓ガラスを入れろと言われた。放熱用に窓は開いていた方が良かったのだが、とにかく窓ガラスを入れた。鋳物であるから、厚みがあって、難しかったのだそうだ。
放映が始まると、大人気でカツミには「あれを売ってくれ」という要望が多数あり、プレス型を作って薄い板金製の車輛を作った。何台かはフルスケールの長さの物を作ったそうだが、短いものを作ると爆発的に売れたそうだ。いわゆる三線式Oゲージのショーティである。
1/30/2014 記