2010年04月16日

Dick との再会

 トムリンソン氏の父君は鉄道模型界では神話の世界の人である。NMRAの創立者のひとりなのであった。NMRAの紋章になっている動輪と連結器の図柄を作った人でもある。
 ディックはそれが誇りであり、アメリカでもっとも正統な模型クラブを率いる代表者であった。ところがその後運営方針の対立から、ディックは会長の座を降り、自宅でのレイアウト建設に邁進する。その時のレイアウトは地下室にあった。あの重いBig Boyはそこで見せてもらった。
 
 1988年に家族で訪ねた時は新居のレイアウト建設が始まったばかりであった。地下室を見せてもらったときに、こんな広い部屋に本当に作るつもりなのかと驚いた。12m×25mくらいあった。
 その後彼の住所を紛失してしまい、再会は難しいと思っていたので、今回の訪問は全く幸運であった。デトロイト の模型屋 P&D Hobby Shop はOゲージの在庫が多い店である。そこの主人のPatはディックと一緒に訪ねたことを良く覚えていた。パットには1985年以降2回ほど会っている。
「お前の機関車は単三電池一本でも、するすると走った。大したものだった。あれはミルウォーキィのNMRAの発表の後だったな。」と言うので、その記憶力にこちらが驚いたくらいだ。

 パットに「ディックの電話番号が分からないか?」と聞くと、「分からない。時々来るけど、どこに住んでいるのかは知らない。」と言う。あちこち聞いてもらったが分からない。
 万策尽きたと思ったところで、「そうだ、Joeに聞こう。」と言ってジョージア州まで電話してくれた。「分かった。Fentonだ。」と電話番号を教えてくれた。
 礼を言って出ようとしたら、「ここから電話せよ。」と言う。ダイヤルして、「よう、ディック爺いか。日本からの客人だぞ。」と言って受話器を渡してくれた。
 ディックはすぐ思い出してくれ、「久しぶりだな、子供たちは大きくなったろう。」と、しばらく昔話に花を咲かせた。
「今日か、明日に会うことができないでしょうか。」と聞くと、「今晩7時以降に来い。今日は友達が13人来ている。みんなで遊ぼう。」と言う。

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