2007年06月30日

続々々 1941

 父の時代は手で石炭をくべていた。その労働は辛く、たくさん食べなければならなかった。その習慣が糖尿病のもとであった。ツケが廻ってきたのである。

 戦争の間、優秀な罐焚きには出会うことが無かったと父は言っている。手で焚いていた時代の罐焚きは機関士に昇進していて、若い罐焚きは兵隊に行った。

 鉄道会社はその採用基準を下げざるを得なかった。戦争の間、雇われた罐焚きは年寄りばかりで機関車の罐を焚く能力はほとんど無かった。ただ、応募してきた人を採用するだけであった。

 クビにすることは出来ない。ほかの人を雇える可能性などない。鉄道は大変な人手不足に陥っていた。通信、信号、整備工場などにたくさんの女性が採用された。しかし機関士と罐焚きは男性であった。

 列車はまともに走らない。誰かが大変な失敗をしていた。あちこちでそのようなことが起こって、大混乱の日々であった。

 父は毎日長い貨物列車を牽いていた。本当は旅客列車を運転したかった。しかし、彼より上席の機関士がいたので、それは出来なかった。もし。最初の昇進試験で通っていたなら、彼は旅客列車の運転をさせてもらえていたであろう。

 父は戦争に行った2人の息子のことが気がかりであった。毎日の仕事も辛かったが、それ以上にそのことが心配であった。

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