2006年11月18日
海外での反響

海外での評判は熱狂的であった。世界中から、称賛の手紙を戴いた。フランスからは、英仏ごちゃ混ぜの凄まじい手紙が来た。ドイツからはまともな英語の手紙が来た。もちろんアメリカ、イギリスからもたくさん来た。
雑誌の発表と相前後して、祖父江氏を案内してミルウォーキのNMRAのコンヴェンションに参加した。2台の4-8-4を同一のレイル上に置いて、片方を押せばもう一方がその発電した電力で走り出す。このデモンストレイションで、人気を博し、地元のテレビも取材に来た。
その様子をじっと見ていた人がいた。AJINの趙南達(チョーナンダル)氏であった。「すばらしいデモンストレイションだ。これは世界中に広めるべきアイデアである。」と話し掛けてきた。
趙氏はその後、技術指導を仰ぎに来た。何回か韓国に出向き3条ウォームの製作指導をした。しかしその結果は思わしいものではなかった。
不思議なことに、私が手取り足取りして教えた社員はその次に行くと姿が見えないのである。そんなことが3回ぐらいあって、ようやく気がついた。彼らは筆者から得たノウハウを持って、ライヴァルのサムホンサなどに就職したのだった。
しばらくすると押して動く機関車がサムホンサから出てきた。
アメリカ人の友達が電話を掛けてきて「お前のアイデアは高く売れたのか?」と聞く。「盗まれたんだよ」と言うと「やっぱりな。うまく動かないよ。」と言った。筆者はその時点で100%のノウハウは伝えてなかったのであった。
AJINはヨーロッパ市場向けの製品に搭載したようだ。これは確実に作動したという。