2026年07月
2026年07月20日
Oscar と Piker を再発見
古い箱を開けるとこの2輌が見つかった。購入したのは1974年だから、もう50年以上も経つ。古い記事にある通りの状態で見つかった。なんという怠慢!このウェブサイトに当時のWalthersのカタログがある。
余りにも古く、捨ててしまおうかとも考えた。買った頃のいろいろなことを思い出し、完成させることにした。


これを買ったのはシカゴの模型屋だった。金のない時代で、ずいぶん迷った結果買ったのだ。
東部の友達を訪ねてシカゴまでグレイハウンドに乗った。2日かかった。シカゴでWMCAに泊まり(確か4.25ドルだった)、市内を散策中に見つけた店だ。古いキットで少し値引きしてあった。この3枚の写真はweb上で見つけたもので、色調は補正してある。
当時のYMCAはホモの巣窟であった。多少の問題はあったが、無事生還した。
そのまま組まずに日本まで持ち帰った。組み始めたのは1977年頃だろう。サーフェサを塗り、ざらつきを落として滑らかにした。 説明書の室内配置と側板とは矛盾があり、窓を少し小さくして解決した。
そのうちに完成させようと思って50年の放置である。これほど長く放置したのは珍しい。側板を磁石で留める方式にした。小さなネオジム磁石を埋め込んで、吸い付かせた。こういう場合には便利な方法である。
余りにも古く、捨ててしまおうかとも考えた。買った頃のいろいろなことを思い出し、完成させることにした。


これを買ったのはシカゴの模型屋だった。金のない時代で、ずいぶん迷った結果買ったのだ。東部の友達を訪ねてシカゴまでグレイハウンドに乗った。2日かかった。シカゴでWMCAに泊まり(確か4.25ドルだった)、市内を散策中に見つけた店だ。古いキットで少し値引きしてあった。この3枚の写真はweb上で見つけたもので、色調は補正してある。
当時のYMCAはホモの巣窟であった。多少の問題はあったが、無事生還した。
そのまま組まずに日本まで持ち帰った。組み始めたのは1977年頃だろう。サーフェサを塗り、ざらつきを落として滑らかにした。 説明書の室内配置と側板とは矛盾があり、窓を少し小さくして解決した。
そのうちに完成させようと思って50年の放置である。これほど長く放置したのは珍しい。側板を磁石で留める方式にした。小さなネオジム磁石を埋め込んで、吸い付かせた。こういう場合には便利な方法である。
2026年07月18日
railway post office
意外にも多くの方から連絡を受けた。今から数十年前のアメリカの鉄道郵便の事情を初めて知ったという話が多かった。もっと面白い動画を紹介して欲しいとのことだった。
日本でも鉄道郵便局はあった。1970年ころに北海道旅行に行った友人からの手紙には釧路―旭川間の郵便車の消印が押してあった。鉄道郵便局の職員は「鉄郵一家」と呼ばれ、結束の固い人たちであった。現金の入った郵便物を扱うからには互いを信頼できなければならないからだ。ところが1980年代になるととんでもない事件が起こった。東京に到着した書留の郵袋が紛失していて、被害額は1千万円以上であった。それが複数回あったらしい。
鉄道郵便は1983年あたりから縮小に向かい、86年の国鉄民営化で消滅した。その事件の影響もあったかもしれない。
さて、どんな動画があるか調べたところ、この動画が見つかった。15分あたりに出て来る。この動画では機関士が郵便物の投下ポイントに近付くと、汽笛を鳴らして知らせているのが興味深い。
イギリスの郵便車の走行中回収、投下の様子を再現する動画もなかなか面白い。大きなネットを使っている。5分あたりで回収する袋に何かを当てて外しているように見える。
"on the fly"という言葉が時々出て来るが、これは飛行中という意味ではない。「列車を止めずに仕事をする」という意味である。最近は別の場所でよく聞く言葉でもある。
日本でも鉄道郵便局はあった。1970年ころに北海道旅行に行った友人からの手紙には釧路―旭川間の郵便車の消印が押してあった。鉄道郵便局の職員は「鉄郵一家」と呼ばれ、結束の固い人たちであった。現金の入った郵便物を扱うからには互いを信頼できなければならないからだ。ところが1980年代になるととんでもない事件が起こった。東京に到着した書留の郵袋が紛失していて、被害額は1千万円以上であった。それが複数回あったらしい。
鉄道郵便は1983年あたりから縮小に向かい、86年の国鉄民営化で消滅した。その事件の影響もあったかもしれない。
さて、どんな動画があるか調べたところ、この動画が見つかった。15分あたりに出て来る。この動画では機関士が郵便物の投下ポイントに近付くと、汽笛を鳴らして知らせているのが興味深い。
イギリスの郵便車の走行中回収、投下の様子を再現する動画もなかなか面白い。大きなネットを使っている。5分あたりで回収する袋に何かを当てて外しているように見える。
"on the fly"という言葉が時々出て来るが、これは飛行中という意味ではない。「列車を止めずに仕事をする」という意味である。最近は別の場所でよく聞く言葉でもある。
2026年07月16日
railway post office を作る
長年温めて来たプロジェクトがある。ステンレス・ボディの郵便車を作るのだ。この郵便車はアイオワ州のカウンスル・ブラフに置いてあった。UPはせっかくの新車を導入したものの、間もなく鉄道郵便というものが消滅したので新車同様のものが置き去りになったのだ。どういうわけか、米語のrailroad とは言わずに railway という。R.P.O.と略され、英語圏の模型誌などでの読者通信欄の名前になっていることが多い。筆者の友人の父君が郵便車に乗務していたので、当時のことを聞いたことがある。走行中の郵便物の受取、放出の話はスリルに満ちたものであった。速度は通常の走行速度であって徐行などしなかったそうだ。乗務員は強盗の襲撃に備えて拳銃を常時携行していたし、その射撃訓練もあったそうだ。この動画にもそれが見える。UPでは1967年あたりでやめてしまったが、東部のニューヨーク・ワシントンDCの区間ではその後10年近く運用されていたという。
この模型のコルゲートの材料はアルミニウム合金の押出しである。屋根上には例のリブが2本出ている。屋根と床板を35年程前に手に入れた。断面が異なる部分はラウタで削り落として、Union Pacific 仕様にしてある。窓の部分はステンレス板をレーザで切り抜いて作る。接着剤が進歩したので壊れることはないと思う。以前はエポキシを使ったが、硬化後は脆くなり衝撃を受けると思わぬ外れ方をしたものだ。スーパーXはそういうことが全くない。
ラウタで削り取った部分は構成刃先でガタガタなので、油を付けてヤスリで削り取った。あまりきれいにはならないが、塗装する部分であるから、下塗りをして研げばかなり改善されるはずだ。
ドアはかなりオフセットされている。その部分を表現せねばならないので、ステンレス板を重ねる必要があるし、周りのアルミニウム材も削る必要があるから、そう簡単には出来ない。設計には工夫が要る。
2026年07月14日
続 How to fasten the observation roof
バネは土手(nipple)を乗り越えてその向こう側に行く。これがあれば安定化する。図は再掲した。厳密に言うと土手を乗り越えた向こう側の斜面の上で止まると良いと習った。より安定化するのだ。
リン青銅のバネはネジで屋根板に留められているが、ネジの頭を使って前後の位置決めをしている。孔に嵌まり込むようにしたのだ。外す時は持ち上げて引っ張るとスパンと抜ける。バネの幅はテーパになっているので、所定の深さまで嵌まると左右動は無くなる。この設計は意外と面倒だったが、修正なしで作動した。他の丸孔は照明用だ。天井板に彫り込んだLEDから光が落ちるようにする。
押し込むとカチンと嵌まりこむ。前方(流線型でない方)を持ち上げてやると外れるが、そうしない限り外れることがない。バネの力で引き込まれているので隙間は無くなる。もう一つの Ardenは四角の展望室なので左右2箇所で引っ掛かるようにした。この工作は極めて簡単である。
庇(ひさし)の部分に隙間が開かないようにするのは少々姑息な方法を用いる。側板からの続き部分を眼に見えない程度、わずかに上反りにしておくのだ。屋根がバネでグイと押し付けるので隙間は無くなる。光が通らなければ気にならないので、屋根側には細い角材を貼ってあればさらに確実な筈だ。2026年07月12日
How to fasten the observation roof
展望室の窓は大きい。そこに屋根を留めるボルトがあれば、かなりみっともない。以前購入したアメリカ人の組んだ展望車は大きな木片で天井を支えていた。それが目立つの避けるため黒く塗ってあった。実にグロテスクで参った。結局、天井板と床板以外は全て捨てた。
現在製作中の展望車は都合3輌あり、どれも内部がよく見えるから屋根を留める工夫が必要だ。細いボルトを壁に沿わせる手もあるが、やはり見えてしまう。
材料置き場でリン青銅の 0.6 mm厚の材料をを探し出した。これでバネを作って屋根を喰い込ませる。もちろん展望室には頑丈な天井を作り、それに引っ掛けるのだ。
以前ブラス板でこれと同様のバネを作ったが、どうしても疲労して堅くなり、バネが利かなくなって来る。リン青銅は金属疲労しにくい材料であるという知識は大切である。昔からTMSにはブラス線や板でバネを作る例がよく紹介されていたように思う。その後どうなってしまったのか、心配だ。殆どの模型は耐久性が考えられていない。何年経っても製造時のような確実な作動を求める人など、いないのだろうか。
ある科学博物館に興味深い展示があった。色々な種類のバネ材を用意し、同じ寸法に切り出してある。それにモータで負荷を掛けて曲げ、カウンタでその回数を表示している。鋼材各種、ブラス、銅、アルミ合金、ガラス繊維補強のプラスティックなど15種くらいが並んでいる。どれも数百、数千回以内でほとんど折れてしまっているがリン青銅だけは数万回でも生き残って、さらに実験は続いている。結果は本で読んだ通りだが、それを目の前で見ると衝撃的だ。
この展望車の屋根は、リン青銅のバネが丈夫な天井板の穴に嵌められ、後方に押し込まれるとグイと押し付けられ、左右のガタも無くなる。車体前部のトイレと物置の中に長いネジを付けて、それを締めるとどうやって固定したか分からなくなる。
現在製作中の展望車は都合3輌あり、どれも内部がよく見えるから屋根を留める工夫が必要だ。細いボルトを壁に沿わせる手もあるが、やはり見えてしまう。
材料置き場でリン青銅の 0.6 mm厚の材料をを探し出した。これでバネを作って屋根を喰い込ませる。もちろん展望室には頑丈な天井を作り、それに引っ掛けるのだ。
以前ブラス板でこれと同様のバネを作ったが、どうしても疲労して堅くなり、バネが利かなくなって来る。リン青銅は金属疲労しにくい材料であるという知識は大切である。昔からTMSにはブラス線や板でバネを作る例がよく紹介されていたように思う。その後どうなってしまったのか、心配だ。殆どの模型は耐久性が考えられていない。何年経っても製造時のような確実な作動を求める人など、いないのだろうか。
ある科学博物館に興味深い展示があった。色々な種類のバネ材を用意し、同じ寸法に切り出してある。それにモータで負荷を掛けて曲げ、カウンタでその回数を表示している。鋼材各種、ブラス、銅、アルミ合金、ガラス繊維補強のプラスティックなど15種くらいが並んでいる。どれも数百、数千回以内でほとんど折れてしまっているがリン青銅だけは数万回でも生き残って、さらに実験は続いている。結果は本で読んだ通りだが、それを目の前で見ると衝撃的だ。
この展望車の屋根は、リン青銅のバネが丈夫な天井板の穴に嵌められ、後方に押し込まれるとグイと押し付けられ、左右のガタも無くなる。車体前部のトイレと物置の中に長いネジを付けて、それを締めるとどうやって固定したか分からなくなる。 2026年07月10日
stretching a Walthers' passenger car
ブラス製 18-roomette の改修作業を終え、一群の客車の製作に区切りを付けるつもりだった。ひとつだけ Walthers のとても軽い箱が見つかった。中身は空に近いと思っていたが、それはブリキ板と木の板によるキットであった。ブラス製は 1.6 kg位もあるが、これは 250 g もなかったのだ。
気楽に組んで補重し、 PRR の編成に紛れ込ませればよいと思ったが、その見込みは見事に外れた。側板はブリキ製で窓はプレスで抜かれていたが、長さが 19 mm も短い。図面集をひっくり返してみたが、そんな寸法の客車は見つからない。伸ばさざるを得ない。
仕方が無いので、ブラス製と見比べてどうするか考えた。一番楽なのは寸法を測ってステンレス板をレーザで抜くことだ。それを貼り付ければ完成だ。
しかし窓寸法と間隔はほとんど合っている。ドアの付近と洗面所あたりの寸法が少し足らないだけだ。そこを切り離してブラス板を嵌め込み、長さを伸ばせば出来そうに思った。問題は厚さである。ブリキは 12/1000 インチ厚で 0.3 mmしかないがそこそこに丈夫である。ブラスでは、その厚さではとても持たない。0.5 mmを貼り足すのだ。厚みの差が裏に出るようにして僅かに湾曲させた裏打ちを貼り付けた。こういう仕事は50%ハンダが適する。表を研ぐとほとんど分からなくなった。
屋根は面白い構造だ。木製の厚い屋根にブリキの曲がった板が載せてある。それは 0.3 mm 板だから軽い。木部は虫食い部分があったので、エポキシパテを押し込んで削った。
Walthersという会社はこのようなキットを1975年あたりまで売っていたのだ。2010年頃、かなり買い集めて完成させた。しかしその後20年程見ることがなかった。最近は接着剤が進歩しているので、このような金属と木のキットも十分に丈夫に組める。そうなると価値が出て来るような気がする。
気楽に組んで補重し、 PRR の編成に紛れ込ませればよいと思ったが、その見込みは見事に外れた。側板はブリキ製で窓はプレスで抜かれていたが、長さが 19 mm も短い。図面集をひっくり返してみたが、そんな寸法の客車は見つからない。伸ばさざるを得ない。
仕方が無いので、ブラス製と見比べてどうするか考えた。一番楽なのは寸法を測ってステンレス板をレーザで抜くことだ。それを貼り付ければ完成だ。
屋根は面白い構造だ。木製の厚い屋根にブリキの曲がった板が載せてある。それは 0.3 mm 板だから軽い。木部は虫食い部分があったので、エポキシパテを押し込んで削った。Walthersという会社はこのようなキットを1975年あたりまで売っていたのだ。2010年頃、かなり買い集めて完成させた。しかしその後20年程見ることがなかった。最近は接着剤が進歩しているので、このような金属と木のキットも十分に丈夫に組める。そうなると価値が出て来るような気がする。
2026年07月08日
inspection car
Arden は社用車である。社長専用車というわけではない。何かの重大な仕事で、指揮を執る人が常駐せねばならない時に用いる。また、顧客の接待などで必要な時に使用するものである。
40年ほど前、日本の自動車会社が Union Pacific 鉄道を近代化し、日本とアメリカ中部の工場を結んで正確な時間で走らせようと計画した。自動車会社の役員が視察に行ってこの種の車輌に乗ったという証言を得ている。もちろんこの車輌以外に食堂車があったそうだ。寝台車もあったかもしれない。
視察を目的とするなら、視界が広い方が良い。そこで後部を切り開き、座席を階段状に並べた stadium-style seating の車輌を作り始めた。最初は後部の防護用に太いH鋼を2本立てたタイプ(IDAHOと名付けられた)が作られたが、視界が狭く評判が悪かった。これは1990年代に廃車になってしまったようだ。この写真の出所は不明である。
後に妻に最大級のガラス窓を付けたものが登場した。この写真はTen Bears Imaging氏の撮影したものをお借りしている。元はC&NW鉄道のものだったが、UPと合併してUP塗装になった。
後ろを照らすライトはたくさん付いているし、巨大なワイパもある。座席の並びから theater car と呼ばれている。確かに座席に座れば映画館のスクリーンのように外部が見えるのだ。追突されると危ないが、そこはどうしているか知りたい。内装には木目が見えている。右側通行だが、左側に移行して走っている。そこでは右側は側線のようにも見える。
この模型を作りたい。材料は切り出してあるので、窓を抜けば簡単だ。また妻板の工作は極めて単純であるが、座席は丸見えなので心して作らねばならない。ケガキを始めたが、さてどうなるだろうか。
40年ほど前、日本の自動車会社が Union Pacific 鉄道を近代化し、日本とアメリカ中部の工場を結んで正確な時間で走らせようと計画した。自動車会社の役員が視察に行ってこの種の車輌に乗ったという証言を得ている。もちろんこの車輌以外に食堂車があったそうだ。寝台車もあったかもしれない。
視察を目的とするなら、視界が広い方が良い。そこで後部を切り開き、座席を階段状に並べた stadium-style seating の車輌を作り始めた。最初は後部の防護用に太いH鋼を2本立てたタイプ(IDAHOと名付けられた)が作られたが、視界が狭く評判が悪かった。これは1990年代に廃車になってしまったようだ。この写真の出所は不明である。
後に妻に最大級のガラス窓を付けたものが登場した。この写真はTen Bears Imaging氏の撮影したものをお借りしている。元はC&NW鉄道のものだったが、UPと合併してUP塗装になった。 後ろを照らすライトはたくさん付いているし、巨大なワイパもある。座席の並びから theater car と呼ばれている。確かに座席に座れば映画館のスクリーンのように外部が見えるのだ。追突されると危ないが、そこはどうしているか知りたい。内装には木目が見えている。右側通行だが、左側に移行して走っている。そこでは右側は側線のようにも見える。
この模型を作りたい。材料は切り出してあるので、窓を抜けば簡単だ。また妻板の工作は極めて単純であるが、座席は丸見えなので心して作らねばならない。ケガキを始めたが、さてどうなるだろうか。
2026年07月06日
続 Arden
Arden の内部についてはかなり資料が集まったが、どれもかなりの違いがある。かなり頻繁に改装を受けているからだ。
後部デッキの壁には追突時に安全を図るための太い鉄骨が縦に入っている。どう考えても奥行き 300 mmほどもある角柱が縦に2本あり、その隙間を通って出入りする。壁との組み方がどうなっているのか、よく分からない。少ない写真とにらめっこしている。
これも屋根が浮き上がるのを防ぐ工夫を施すことにした。展望室に締め付けネジが見えるのは避けたいからだ。
台車は3軸台車である。オリジナル車輌は coach(座席車)で、改装後しばらくはそのまま2軸台車であったが、装備が重くなって3軸台車になった。田舎の弱い線路にも入る必要があったからだという説もある。それが1958年らしい。
デッキのスカートは丸味を持つ。ややこしい曲面である。パテを盛って削り出した。この車の手摺はそれほど難しい形ではない。機番によっては芸術的な形でとても作れそうもないものもあった。これは針金細工で出来そうな範囲にある。
床下機器の情報はある程度集めたが、横から見える範囲しか細かくは作らない。いつの状態を再現するかによって外見も大きく変化している。1990年代は衛星電話が実用化されたので、パラボラ・アンテナを上向きに付けている時期があった。
何か事故があると、クレーン車、作業員用宿泊車、食堂車、電源車、水タンク車、燃料タンク車、資材運搬用の貨車と共にこれが出動して行く。大規模な工事だと半年以上現場に留まって指揮をしていた。
後部デッキの壁には追突時に安全を図るための太い鉄骨が縦に入っている。どう考えても奥行き 300 mmほどもある角柱が縦に2本あり、その隙間を通って出入りする。壁との組み方がどうなっているのか、よく分からない。少ない写真とにらめっこしている。 これも屋根が浮き上がるのを防ぐ工夫を施すことにした。展望室に締め付けネジが見えるのは避けたいからだ。
台車は3軸台車である。オリジナル車輌は coach(座席車)で、改装後しばらくはそのまま2軸台車であったが、装備が重くなって3軸台車になった。田舎の弱い線路にも入る必要があったからだという説もある。それが1958年らしい。
デッキのスカートは丸味を持つ。ややこしい曲面である。パテを盛って削り出した。この車の手摺はそれほど難しい形ではない。機番によっては芸術的な形でとても作れそうもないものもあった。これは針金細工で出来そうな範囲にある。
床下機器の情報はある程度集めたが、横から見える範囲しか細かくは作らない。いつの状態を再現するかによって外見も大きく変化している。1990年代は衛星電話が実用化されたので、パラボラ・アンテナを上向きに付けている時期があった。
何か事故があると、クレーン車、作業員用宿泊車、食堂車、電源車、水タンク車、燃料タンク車、資材運搬用の貨車と共にこれが出動して行く。大規模な工事だと半年以上現場に留まって指揮をしていた。
2026年07月04日
Arden
70年代のある日、駅にこの車輌が居た。”Arden”という名前の車輌であった。日本では見ることのない business car であった。巨大な無線アンテナ(cubical quad antenna)が横に置いてあった。そこに居た人が「触らなければ近づいて写真を撮っても良い」と言ってくれたので、たくさん撮った。地面から生えている電源箱には、240 V 3-phaseと書いてあり、太い電線のプラグが差し込んであった。また、上水道も繋いであり、下水は太いホーズで下水管に突っ込んであった。
その後いろいろな場所でこの車輌とはよく遭遇し、職員ともある程度仲良くなったが、中には入れてはもらえなかった。そういう規則があるのだ。カメラを渡して最後尾の部屋の内部写真を撮ってもらえないかと頼んだが、それも断られたが当然だろう。他にも102号というのがよく来ていたが、形が好きではなかった。ポプラ材はアメリカで家の内装によく使う。天井と壁のつなぎ目に45度の角度で板を張る、いわゆる廻り縁(まわりぶち)の材料である。日本のシナ材に近い。木目が目立たず軟らかい。そういう工房に建材を注文することがあったので、ついでに安く作ってもらったものだ。その職人は多少模型のことが分かる人だったので助かった。10本ほど持って帰った。材料さえあれば自分でもラウタで作れる。
Ardenはデッキの造作に特徴がある。後端は下が絞られている。屋根の端も特徴ある形状だ。この形が気に入っている。
柵はジグを用意して作る予定だ。
2026年07月02日
続 slumbercoach
この寝台車の一階部分の床は低い。垂れ下がっているという表現が適当だ。建築限界があって車体を高くできないから、下げるしか方法がなかった。もっともUPのような田舎を走る鉄道では建築限界などあってないようなもので上に伸ばせば良かったが、Pullman は他の鉄道への販売を考えたのだ。
これは PRRで使用されたものである。床は斜面(ramp)で下っている。上の階の天井高さはあまり高くはない。切符を販売するときにはそれを承知させたのだろう。この写真では展望室の屋根が浮いて隙間が見える。展望室の中にネジなどを貫通させて留めるというのは、あまりにも無様で許せない。それを回避する奇策を施したので後ほど紹介する。
アメリカでは”slumber” という言葉は特定の場所でよく使われる。それは高校や大学の寮である。パジャマで集まって夜通しいろいろな話をして楽しく過ごす。それを slumber party という。