2026年06月
2026年06月16日
reefer を塗る
先日調色したラッカを早く使ってしまいたい。それを考えながら、塗らねばならない貨車の塗色を調べていた。もちろん持っているディカールの使える範囲内である。
先回の冷蔵車は黄色のBurlington にするつもりであった。黄色の塗料はないわけでもない。ディカールは使い掛けのを早く使って始末したい。それを並べて考えていたところ、この緑に黄帯の塗り分けを見付けた。いささか荒い写真ではあるが、インターネットあればこその結果で、切り取って保存した。こういう写真は本を見ていても見つからない。個体によって多少違うから、こちらにとっては有難い。ディカールは完璧には揃っていないからだ。
問題は塗り分け線上の黒のストライプである。そんなディカールはないからマスキングでやらねばならない。
まず黄色を塗ってマスキングテープを貼り、黒を吹く。固まったら、それにかぶせて再度マスキングし、緑を吹く。ラッカだから15分も経てば剥がせる。ハシゴは面倒なので、下地だけ塗り分けてあとは筆塗りをすることにした。そこそこにうまく行ったが、マスキングテープを重ねて貼ったところに糊が残っている。うまく拭き取らねばならない。
最終的に側面、妻面を完全に覆って裏側を黒く塗った。これは気楽である。
金属製であるから、失敗したらブレーキフルードに浸けておけば剥がせる。そういう点では心配せずにできる。
先回の冷蔵車は黄色のBurlington にするつもりであった。黄色の塗料はないわけでもない。ディカールは使い掛けのを早く使って始末したい。それを並べて考えていたところ、この緑に黄帯の塗り分けを見付けた。いささか荒い写真ではあるが、インターネットあればこその結果で、切り取って保存した。こういう写真は本を見ていても見つからない。個体によって多少違うから、こちらにとっては有難い。ディカールは完璧には揃っていないからだ。
問題は塗り分け線上の黒のストライプである。そんなディカールはないからマスキングでやらねばならない。まず黄色を塗ってマスキングテープを貼り、黒を吹く。固まったら、それにかぶせて再度マスキングし、緑を吹く。ラッカだから15分も経てば剥がせる。ハシゴは面倒なので、下地だけ塗り分けてあとは筆塗りをすることにした。そこそこにうまく行ったが、マスキングテープを重ねて貼ったところに糊が残っている。うまく拭き取らねばならない。
最終的に側面、妻面を完全に覆って裏側を黒く塗った。これは気楽である。
金属製であるから、失敗したらブレーキフルードに浸けておけば剥がせる。そういう点では心配せずにできる。
2026年06月14日
gimmick の価値
鉄道模型の趣味がある人のうち、ドアが開いたりするのが好きな人はどれくらいの比率なのだろう。現在、筆者はそういうのは嫌いであるが、中学生のころまではとても好きでドアが開くのを友人に見せて得意になっていた。ドールハウスに使う小さな蝶番を探して買ったこともある。
その後何年も経ちレイアウトで運転するようになると、ドアが開いてトンネル側面に引掛かる事故を経験した。対向列車にぶつかったこともある。壊れるとある程度塗装を剥がしてハンダ付けをやり直さねばならない。また部品も散乱する。それが嫌になって可動させることはやめた。以降、扉は接着して開かなくするのが当鉄道の仕様である。
さて、この冷蔵貨車はギミック満載である。20年ほど前 e-bay で買った。どういうわけか売手はオーストラリアの人で、日本への送料は安かったが、距離のあるアメリカへは送料が2倍ほど高かった。アメリカからの入札者は無く、筆者だけしか入札者がいない状態でとても安く買えた。
側面の扉は断熱材を再現して厚く作ってあった。扉は観音開きで、ロックが掛かる。鎖錠装置は良く出来ていた。本物のように偏心していて、回転させて死点を越えると開かなくなる。軸の弾力を利用したうまい方法であった。こう書くと素晴らしそうに感じるかもしれない。到着時は見事な作動だったが、徐々におかしくなって来た(この写真は鎖錠装置を壊している最中に思い付いて撮ったので、下半分しか残っていない)。
ブラスで作ってあるから何百回も力が掛かると徐々に金属疲労が進み、硬くなって来てロックが甘くなったのだ。すなわち閉めたつもりでも、走っていると開いてしまうことがあった。折れるまでには長い年月がかかるかも知れないが、実用に耐えなくなったということである。
屋根の氷を入れるハッチ周りの裏側も白い断熱材が張られているのを再現している。ここでそのハッチが開いたまま走れるように、ラッチが掛かって閉まらないようになっている。これは本物の構造の通りだ。氷室の構造もよく再現されていた。良く出来ていたが 3/4 が壊れていた。
作られてから数十年は経っていただろう。片面のドアが壊れた状態で届いた。直そうかとも思ったが走行中に開く可能性があるので、別部品で作り直して開かないようにした。非常にすっきりして良くなった。氷を投入する蓋も留めた。
20年前、これを見せた時「凄いね!」と称賛する人も居たが、走らせるものはギミックを無くした方が良い。また、動かすのなら確実な鎖錠装置が必要だ。あるいはドアは内側にしか開かないものが良い。
この件に関してご意見を戴けると嬉しい。
その後何年も経ちレイアウトで運転するようになると、ドアが開いてトンネル側面に引掛かる事故を経験した。対向列車にぶつかったこともある。壊れるとある程度塗装を剥がしてハンダ付けをやり直さねばならない。また部品も散乱する。それが嫌になって可動させることはやめた。以降、扉は接着して開かなくするのが当鉄道の仕様である。
さて、この冷蔵貨車はギミック満載である。20年ほど前 e-bay で買った。どういうわけか売手はオーストラリアの人で、日本への送料は安かったが、距離のあるアメリカへは送料が2倍ほど高かった。アメリカからの入札者は無く、筆者だけしか入札者がいない状態でとても安く買えた。
側面の扉は断熱材を再現して厚く作ってあった。扉は観音開きで、ロックが掛かる。鎖錠装置は良く出来ていた。本物のように偏心していて、回転させて死点を越えると開かなくなる。軸の弾力を利用したうまい方法であった。こう書くと素晴らしそうに感じるかもしれない。到着時は見事な作動だったが、徐々におかしくなって来た(この写真は鎖錠装置を壊している最中に思い付いて撮ったので、下半分しか残っていない)。ブラスで作ってあるから何百回も力が掛かると徐々に金属疲労が進み、硬くなって来てロックが甘くなったのだ。すなわち閉めたつもりでも、走っていると開いてしまうことがあった。折れるまでには長い年月がかかるかも知れないが、実用に耐えなくなったということである。
屋根の氷を入れるハッチ周りの裏側も白い断熱材が張られているのを再現している。ここでそのハッチが開いたまま走れるように、ラッチが掛かって閉まらないようになっている。これは本物の構造の通りだ。氷室の構造もよく再現されていた。良く出来ていたが 3/4 が壊れていた。作られてから数十年は経っていただろう。片面のドアが壊れた状態で届いた。直そうかとも思ったが走行中に開く可能性があるので、別部品で作り直して開かないようにした。非常にすっきりして良くなった。氷を投入する蓋も留めた。
20年前、これを見せた時「凄いね!」と称賛する人も居たが、走らせるものはギミックを無くした方が良い。また、動かすのなら確実な鎖錠装置が必要だ。あるいはドアは内側にしか開かないものが良い。
この件に関してご意見を戴けると嬉しい。
2026年06月12日
続 4-4-2 Pullman
この略図で、C,F,G,H に覗き窓がある筈である。A,B,I,J は一人用個室である。上のベッドを降ろせば二人用となるが、どちらかと言うと補助的扱いである。 Pullman の公式写真、図面を編集して50巻ほど販売している出版社がある。筆者は UP や NYC のシリーズは持っているが PRR のものはない。持っている人に調べて貰ったが、覗き窓の写真は見つからなかった。それで、「PRR には覗き窓がない」という作り話が生まれたようだ。しかし考えてみれば、覗き窓がなければ上の段に寝た人は今どこを走っているのかは知る方法がない。ということは1段しかベッドがないのか?そんな筈はなかろう。内部の細かい図面(平面図しかないが)を見ても他の車輌と同じである。ということは覗き窓が無いのは不合理だ。
今回友人からその資料の当該ページの提供があったので再度精読したところ、思わぬ記述に出くわした。
1937年7月、"Broadway Limited"と"General"(どちらも特急の名前 筆者註)用に6輌の 4-4-2 寝台車が注文された。注文番号は6450、図面番号は4069Bだ。同時にNew York Central 鉄道も注文した。Pullman の写真技師はそれらの写真を撮るとき、同一のものを全部撮る必要はないと考え、2種の塗り分けを示す写真を撮った。
1968年までにこれらの6輌は全てスクラップになった。(引用終わり)
それがこの2枚の写真である。
要するに、2社とも全く同一仕様で塗装スキームだけが異なる。すなわちPRRにも覗き窓があったと言っているわけだ。PRRの車輌の写真は通路側しか撮っていないので、向こう側の覗き窓の存在を否定する動きがあったわけだ。 模型化されたものを丹念に検索すると、覗き窓のない製品もあった。これは早とちりである。窓配置も奇妙である。
Walthersは覗き窓付きを出した。これは何も考えずにUP、NYCと同時に発売したようだが、それが正解だった。不思議なことはどれもスカートが無いのである。UP には無いが Pennsy にはあったのだ。NYCはどちらの写真もある。筆者のUP車輌のスカートは切った。UPは新車を手に入れたのではなく、1952年に C&NW と SP からの中古車を導入したらしい。UP のスカート無しはその辺りに理由があるような気がする。
模型人は写真がないと想像を巡らせて思わぬ結果を出すようである。筆者もその影響を受けそうになった。早とちりで窓を塞がなくて助かった。
覗き窓のある部分は車体の端に近い部分で、乗り心地が良くはない。中央部は乗り心地が良いので、続き部屋で上等な部屋である。ひとつの車輌の中で良い部分を優等な部屋として提供しているところが興味深い。
2026年06月10日
4-4-2 Pullman
4-4-2 と聞くとAtlantic を思い浮かべる人がほとんどである。しかし客車ファンには別の解釈がある。
これは4-bedroom 4-compartment 2-drawing room の意味で、4つの2人用個室、4つの2人用個室、2つの続き部屋を持つ車輌を表す。Pullman の社内で付けられた呼称は ”Imperial” シリーズである。
2人用個室の上の段に寝ると、今どこを走っているかが全く判らない。下の段なら、窓を塞いでいるロール・ブラインドの隙間から覗ける。
この目的の小窓が付いた車輌がある。国鉄のオロネ10にもついていたが、アメリカには早くからある。この 4-4-2 は1938年製であるが1930年製造のものにもある。

UPやNYCの寝台車にはこの覗き窓が付いていることがよく判る写真が多くあるのだが、PRR ペンシルヴェイニア鉄道用の客室側の写真が見つからない。それで一部のHO模型にはその覗き窓を無くしたものもあった。そうなると、内部の構成は全く異なるものになる。そんな筈はなかろう。
左の写真はUPの現役引退後の改造車輌だ。作業員の移動式宿舎として使われていたものだ。
実はこの 4-4-2 のジャンクは2輌分あったので、一つは UP仕様としてスカートを切り落とした。もう一つはそのまま PRR用としたが、覗き窓の有無が確定するまで、かなりの期間放置されていた。
今回客車を研究している友人から興味深い情報を戴いたので、PRR用にも覗き窓があることがわかった。
これは4-bedroom 4-compartment 2-drawing room の意味で、4つの2人用個室、4つの2人用個室、2つの続き部屋を持つ車輌を表す。Pullman の社内で付けられた呼称は ”Imperial” シリーズである。
2人用個室の上の段に寝ると、今どこを走っているかが全く判らない。下の段なら、窓を塞いでいるロール・ブラインドの隙間から覗ける。
この目的の小窓が付いた車輌がある。国鉄のオロネ10にもついていたが、アメリカには早くからある。この 4-4-2 は1938年製であるが1930年製造のものにもある。

左の写真はUPの現役引退後の改造車輌だ。作業員の移動式宿舎として使われていたものだ。
実はこの 4-4-2 のジャンクは2輌分あったので、一つは UP仕様としてスカートを切り落とした。もう一つはそのまま PRR用としたが、覗き窓の有無が確定するまで、かなりの期間放置されていた。
今回客車を研究している友人から興味深い情報を戴いたので、PRR用にも覗き窓があることがわかった。
2026年06月08日
窓を小さくする
窓を小さくするのは比較的簡単だ。まず丸い隅を削って四角にする。こうすると新しい窓の付いた板を作るのがかなり楽になる。
最初に全体よりも少し大きな板を用意し、孔をあけて角に丸味を付けた角孔を作る。孔の寸法を確認し間違いがなければ4つの辺を切り落として嵌め込む。ガタがないように正確に削り、出来た窓が傾いていないことも確認する。
外側を面一(つらいち)にしたいので、外に耐熱性のある板を当て、内側からブラスの当て板を置き、何かで強く押し付ける。当て板は窓の左右2箇所だけで良い。厚目の板の小片で十分だ。反対側の窓があれば、それを通して当て板を棒で押して密着させる。塩化亜鉛水溶液を塗り、50%のハンダの粒を置く。200 Wのコテを当てれば 2秒で全体にハンダが廻り、外側が一体になる。溝は出来ない。ほとんど何も仕上げをしなくてもよいくらいだ。
今回はハンダ付けが終わってから窓の内側を少し削って仕上げた。窓枠が完全に直角に仕上がっているのを確認する。より完全な処理をしたいなら光硬化パテを塗って削り落とせば全く痕跡が無くなる。
2026年06月06日
PRR の coffee shop car
この車輌の室内を調べると、UP の lunch counter diner と似た配置の部分がある。また、キッチンにはかなり大きなオヴンがある。RADAR RANGE とあるからmicrowave oven(日本で言う電子レンジのこと)である。アメリカでの発売当初はそう言っていたのだ。今この言葉を使うと全く異なる軍事用語になる。レーダで索敵できる範囲のことを指す筈だ。
この客車では軽食を中心に出す。旅客の出入りは隣の車輌からだ。これは現在の法律では許されない。すべての車輛に2箇所以上の脱出用ドア設置が義務になっている。
側面には小さなドアが2つある。食料、食器の出し入れをするものである。
<筆者註> 読者の方がご親切にも実物の写真を提供下さったので差し替えた。ありがたいことである。
2026年06月04日
Roomette
この客車は定員18人の個室寝台である。ただしそれはやや狭い部屋である。この小さな個室は roomette と呼ばれ、1937年に導入された廉価版の個室寝台だ。いかにもフランス語風の言葉だが、アメリカで使われ始めた造語である。アクセントは後ろにある。アメリカ人の中には、フランス文化に憧れを持つ人は今でも多い。
いわゆる「通常型の Pullman の個室」にはベッド、椅子、テーブル、トイレが備わっている。ベッドは枕木方向にあるのが普通だ。すなわち通路は車体幅の片方にある。トイレは部屋の隅にあって上にクッションが載っている。ベッドは昼間は畳まれてソファになり、ゆったりとしている。これは旧国鉄時代のA個室寝台と同等である。それには45年ほど前乗ったが内部は殺風景で、かなりの料金を支払って乗ったことを後悔した。 一方、アメリカの個室は木目調の塗装で落ち着きがあった。これは車内に可燃物をできる限り少なくするという目的で採用された。手描きでクルミの木目が再現してあった。これはプルマンの統一された仕様である。そういう職人を擁していたのである。
ルーメットでは、トイレは昼間は露出(上にクッションがあり、蝶番で開くようになっている)しているが夜間はベッドの下になり、用を足すことが出来ない。ベッドを畳むと使用できるが面倒であるから、車端にある general toilet 一般用便所を使用せざるを得ない。
このポスターは「開放寝台は古い。ルーメットの時代ですよ」と宣伝している。プライヴァシィが保たれる個室への移行を表しているのだ。1945年に始まった広告だそうだ。Budd社の広告でプルマンの仕様とは少し異なるが、二段式の上の寝台に登るのが嫌だという人はある程度居るということを強調している。
日本の寝台車には何回か乗ったことがある。ベッドがレイル方向と枕木方向にあるのと二種あった。確か前者がA寝台であった。ベッドが少し広かった。
この方式を「プルマン式」と表現したのを見たことがある。これは正確には開放型プルマン寝台と言うべきであろう。厚手のカーテンに囲まれた2段寝台で寝るのは悪くはなかった。寝台電車は3段式であった。客車時代の3段式は乗ったことがない。
その後新幹線があちこちに開業し、寝台車というものをほとんど見ることがなくなってしまった。
ルーメットでは、トイレは昼間は露出(上にクッションがあり、蝶番で開くようになっている)しているが夜間はベッドの下になり、用を足すことが出来ない。ベッドを畳むと使用できるが面倒であるから、車端にある general toilet 一般用便所を使用せざるを得ない。
このポスターは「開放寝台は古い。ルーメットの時代ですよ」と宣伝している。プライヴァシィが保たれる個室への移行を表しているのだ。1945年に始まった広告だそうだ。Budd社の広告でプルマンの仕様とは少し異なるが、二段式の上の寝台に登るのが嫌だという人はある程度居るということを強調している。 日本の寝台車には何回か乗ったことがある。ベッドがレイル方向と枕木方向にあるのと二種あった。確か前者がA寝台であった。ベッドが少し広かった。
この方式を「プルマン式」と表現したのを見たことがある。これは正確には開放型プルマン寝台と言うべきであろう。厚手のカーテンに囲まれた2段寝台で寝るのは悪くはなかった。寝台電車は3段式であった。客車時代の3段式は乗ったことがない。
その後新幹線があちこちに開業し、寝台車というものをほとんど見ることがなくなってしまった。
アメリカではチャンスがあると乗ってみた。寝台、洗面所、ラウンジ、食堂車を順にくまなく見て体験するのは楽しかった。ラウンジにはピアノが置いてある場合が多かったが、調律がしてなかった。
どれも大きな車輌であった。新幹線は十分大きいが、天井が低いのは残念と感じる。
どれも大きな車輌であった。新幹線は十分大きいが、天井が低いのは残念と感じる。
2026年06月02日
窓配置
この車輌は 5-bedroom bar-lounge Pullman という種類だ。 個室寝台と酒を飲む場所とが併設されている。酒飲みの人には具合が良い車輌であろうが、この個室寝台がそうでない人に割り当てられると寝られないであろう。その個室は2つをつなげて使用ということも可能のようだ。この種の車輌内の売り上げはすさまじく大きかった。当時は、酒は cash でなければ飲めない時代であった。札束がたくさんできたそうだ。
この模型には窓の違いが3箇所あった。1つは塞いだ。反対側に拡げなければならない窓が一つと、小さくせねばならない窓が一つある。

資料を探していて思わぬ写真を見付けた。これは Kumata が輸出したHO車輌だ。なんと手元のOスケールと相似形である。これらの写真はアメリカの模型店 Brasstrains のサイトからお借りしている。当時 Kumata は凄まじい勢いでこの種のHO客車群を生産し、輸出していた。Oスケールも同時に輸出することにしたのだろう。それで 目黒の模型屋 と組んだらしい。手元に一つだけある箱にはKMT-KTMという紛らわしい名前のロゴマークが見える。さすがに当時の目黒のハンダ付けの職人は上手である。プロのテクニックが見える。それ以前のKMTの製品(P社が製作?)とは一線を画している。
床は無かったので作った。連結器に掛かる力が次の車輌に直接伝わるようにした。スカートがあるので床下機器はかなり簡略化できるのは助かる。
<追記> 1938年の落成時の写真を友人から提供戴いた。驚いたことにこの製品の窓配置である。説明を詳しく見るとこのような説明があった。
すなわち製品の窓は間違ってはいなかったが、旧塗装の時に限られる。筆者は戦後塗装車を作っているので窓を改造して良かったことになる。上の図面は戦後のものである。