2025年12月

2025年12月31日

続 唐竹割り

3-unit GTEL (3) どうやって B unit を縦割りにするかはかなりの時間を掛けて考えた。妻板は使えなくなるから捨てる。すなわち妻板を外すところから始めた。新しい妻板は 2 mm厚の板から作っておいた。この板の色が赤いのは丹銅を使っているからだ。丹銅とは普通のブラス(黄銅)が銅80%以下であるのに対し、銅90%以上を含んでいる。焼きなまして叩き出しによりフライパンなどを作る。絞って急須を作る達人も居る。これはいわゆる難削材であって、糸鋸で切る時は油を注しながらでないと切りにくい。この写真は製作途上のもので、その後あちこち修正している。タービンの排気口は少し大きくした。
 この材料は沢山あるので、希望者には頒布可能だ。四角の卵焼き用フライパンを作った人が居る。ご希望の方はコメントを通じてお知らせ戴きたい。連絡先は必ず本文中にお書き願いたい。
 

 細いガス火で内側から焙り、ハンダを融かす。その時燃焼ガスが他に影響を与えないように車体を傾けて熱を逃がす。妻板が変色し始めたところでプライヤで引っ張って外した。妻板上の部品も焙って外した。驚いたことに全ての部品がブラスのピンで留められた上でハンダ付けしてある。要するに位置決めをしてから全体を加熱してハンダを融かしている。完全密着しているのは素晴らしい。今回もその方法を踏襲した。ハンダが広がっているのは63%ハンダの特質だ。ハンダを足したわけでもないが、部品についていたものが薄くなって広がった。フラックスは、塩化亜鉛 + 塩酸である。

 車体にケガキ線を入れ、Dremelの cutting disk で丁寧に切れ目を入れていく。屋根板は最低2枚、場合によってはその上に箱状のものが載っているので 11 mmほど切り込まねばならない。回転砥石で切り込めないことはないが大変なので糸鋸を使う。
 糸鋸の刃をねじって斜めに切り込むのだ。全長を切るには 30分ほどかかり、糸鋸刃は3本折った。

split in half 切り口はこんな具合だ。意外なことに板が何枚も重ねてある。糸鋸が進みにくいわけだ。板が重なっているということは、ハンダ付けの時に塩化亜鉛を使うと間に入ってしまい洗うのは困難になる。Bill はこの部分だけはペーストを使った。ピンで留めてそのピンを表面だけハンダ付けしてある。うまい工夫だ。
 筆者は塩化亜鉛でやりたい。裏の板には沢山の穴をあけて洗えるようにする。水に漬けておけば拡散する筈だ。材質は極めて快削性が高い材料なので孔をあけるのは容易である。 

2025年12月29日

唐竹割り

 GTELの車体を半分に割っている。B unit の車体幅を少し拡げなければならないのだ。
 これはBill Melisの初代の作品である。20年程前、アメリカの某中古屋で手に入れた。まさかBillの作品がそんな価格で手に入るとは思えなかった。Ajinの怪しげなGTELの半分以下であった。その理由は2つあった。

 1つ目は Ajin は当時有名ブランドになっていたということがある。出来が悪くてもそんなことは末端ユーザは気が付かない。ろくに走らないことなど問題外なのだ。殆どの人はカスタム・ぺインタに塗らせてガラス棚に入れておしまいだ。そのピカピカの模型の隣に置いてあったから見劣りがしたのだ。

  2つ目は2輌目の車体の幅が少し狭かったのだ。その狭くなった理由は本人から聞いたことがある。GTELが就役した当時、その模型が作りたくなり、カメラと巻尺を持って駅まで行ったのだそうだ。

3-unit GTEL (2) そこで1輌目(control unit, A unit ) の幅を測った。後ろの方に行くとテンダがあり、その幅が2輌目(power unit, B unit ) より片側で8インチほど広いことに気が付いた。逆に言うとB unit はテンダより片側で 20 cm ほど狭いのである。この写真では A unit とテンダを比べている。これほど違うのである。

3-unit GTEL (1) そこでテンダが広いのに、テンダを A unit と同じ幅と勘違いし、B unit を狭くしてしまった。思い込みというものは恐ろしい。その時機関車は曲線上にあったので、1輌目と2輌目が同じ幅だということに気が付かなかったのだ。(この写真はBill Melisから聞いた話を再現している。実際には B unit はA unit と同じ幅だがとりあえず現在の細いB unitを置いて示している。)
 

BM's UP GTEL UP30 結局のところ、2輌目のB unit を狭くしてしまった。間違いに気が付いたのは完成後で、「しまった」とは思ったが、横から見ている分には問題なかった。棚に置いて鑑賞していた。B unit を作ってから、テンダの寸法を再測定してテンダだけは作り直している。友人が来て「NMRAのコンテストに出したらどうか」というので出したら、間違って1等になってしまった。その時の作品はまさにこれである。この写真は Bill に貰ったもので、MRスタッフの撮影のようだ。手摺のブラスの線がとても堅いのには驚く。材質もあるが、加工硬化させているのだ。

 のちにGTELを20輌ほど作ったので、最初の1輌のことは忘れていたようだ。そして彼の死後、娘さんが遺品を整理してその最初の1輌が売りに出ていたというわけだ。商品としては幅が狭いのはよくないので安くなったようだ。この商品のテンダは正しい幅のものであった。すなわち、テンダの幅はB unitと比べ極端に広かった。それもあって低価格であったということも考えられる。 

BM GTEL UP30 この写真では B unit の置き方を工夫して失敗を隠している。この写真の撮影者は不詳だ。
 素晴らしい工作技術の塊である。


2025年12月27日

3条ウォームに関する不可解な記事

 突然のコメントで面食らった。意味がよく分からなかったが、その後あるウェブサイトで筆者を名指しで意味不明なことを書いている人が居るという通報がかなりあった。
 簡単にまとめると、こういうことである。

 筆者の3条ウォームが発表されたのは1984年であるが、その前に「押して動く」ウォームギヤがあった。それは1952年であり、筆者のは『初出ではなさそうです』

 不思議な話だ。初出であるわけはない。ライオネルの三条ウォームは戦前からあるし、オルゴールは19世紀からある。自分の知識不足であることがお分かりにならないようだ。

MORIKO's gear set 開発時にそのTMSの記事は確認済みであり、祖父江氏の保管していた現物(モリコー製)も見ている。その性能は比較するべくもない情けないものであった。(写真は筆者所蔵のもの)
 2条であり、ボールベアリングは自転車のような開放式だった。ウィームホィールは板であって転動面の精度は怪しく、廻すとゴリゴリと音がした。また分解するとベアリング球がばらばらと散ってしまい、再組立てはかなり難しかった。潤滑はごく普通のグリースで粘りけが大きく、逆駆動は重かった。

 一方、新開発の物はその耐久性、効率などすべての点で旧製品をはるかに凌いで実用に供すことが出来るものであった。その時祖父江氏は、こう言った。
「こいつぁ歯車の性能も大きいけど、コアレスモータを使うというところに意味があるんだよねぇ。」
 まったくその通りである。

 20年後に PFM の Longnecker氏と会った時に現物を見せたところ、「貴方の発明の最大のポイントは3条ウォームギヤとコアレスモータを結び付けたところだ」と看破した。さすがによく分かっている方は違う。
「その通りです。公知の事実を組み合わせただけですから特許にはならないので、公開しています。」と答えた。
 それに対して、
「それにしても、この動きは凄い。鉄道模型の概念を変えてしまった。」と大絶賛を戴いた。その時に二硫化モリブデン・グリースのことを付け加えると、
「そうなんだよ。そこに気付いたのも素晴らしい。普通の人は思い付かない。」と言って下さったのは嬉しかった。  


 結論として、その意味不明な記事の趣旨は根本的に間違っていて、取るに足らない。工学をきちんと理解している人ならこういうことは書かない。非難しているようにとられないように書いてはあるが、ブ−メランを投げるのがお好きな方のようである。

2025年12月25日

壊れた点検扉を直す

 先の U50C や C855 の点検扉は上に向かって開くようになっていた。手に入れた時はその半数以上が壊れていたから、落ちていた部品を直して取り付け、無い部分は板を切って曲げてそれらしく作った。

 この種の扉は側面から見た時に隙間なく付いているべきである。上から見る人は少ないので優先順位としては側面の見かけが大切だ。直す方法を考えた。薄い板を裏に張っても平面を出すのは難しい。

How to fix broken maintenance door クランプで締めても大丈夫な構造にしておけば、あとが楽である。大量にある1.2 mmx3.5 mmの角棒をある程度長く切ってその両端をハンダ付けし、次に中央付近を押さえて付ける。これはかなり剛性があり、点検扉を外からここに押し付ければ自然に面一(つらいち)になる。
 その時に扉をハンダ付けすることに拘ると、正確に押し付けるのは難しい。

 そこで接着剤を使う。その基礎部分は頑丈だから、強い力で押さえつけても狂わない。スーパーX を塗って側面の合致を優先して押え付け、仮止めテープを貼る。そうしておいて締めればよいのだ。
 固まってからテープを剥がし、上の方のアラインメントを修正する必要があればする。上の面は支えがないから、多少力を入れれば曲がる。ヒンジを表現するには適当な板を切って貼り付ければ良い。

 正しく作る能力が無いのに製品化してしまうとユーザが困る典型的な例である。この件もあって、当時の Ajin 製品の評価は低かった。それはアメリカの Importer の能力が低いということであった。Ajinの社長は筆者と会ってそれを痛感したと言う。筆者と付き合うことによって彼らはノウハウの吸収に努め、その後の製品はある程度改善されたが、アメリカ向けのものは出来が悪いのは仕方が無かった。 

 ネジが粗悪なのにも参った。フィリップス・ヘッドいわゆる十字頭のネジが規格通りでないので、ネジ廻しにくっつかない。磁力でくっつかせると思っていたのには驚いた。正しいネジを用いるように忠告したが、アメリカ向けのはそれを採用していなかったように感じる。 

2025年12月23日

続 UP ALCO Century 855

ALCO Century 855B 1960年代の終わりころはGTELが引退した時期だ。燃料のバンカーCオイルの価格が急上昇したのだ。それまではこの低質重油はタダの次の価格で買えた。それを燃料として使っている限りは、維持費が掛かる上に熱効率も悪いガスタービンを使っても利益が出たわけだ。
 しかし高価格の軽油を使う条件で勝とうと思えば、高効率で低メンテナンスのディーゼルエンジンを採用するしかないことになったわけである。UPは1輌が5000馬力以上で、多重連が可能な機関車を求めていたので、GE、EMD、ALCO は競ってGTELの代わりになる機関車を開発して売り込んで来た。
 GEのU50C(6軸)、U50(8軸)、ALCO の C855 はいずれも失敗作で数年以内に廃車となった。この時期の勝者はEMDであった。DD35DD35ADDA40Xなどを次から次へと出し、その耐久性、燃費の良さでUPの主力機を務めるようになった。

 このブログのタイトル ”Giants of the West” はまさにこの時代の機関車群を指している。筆者の東部の友人達は筆者に向かってこの言葉を放った。「お前は『西部の巨人機関車』にしか興味がないんだな。」とよく言われたものだ。

 しかしその後、UPは方針転換をした。2台のエンジンを搭載した5000超馬力級の巨人機関車の片方のエンジンが故障した時、工場入りで2台分を失うことになる。それより、3000馬力級の中型機をたくさん持った方が運用上有利であるという結論を出したのである。  
 筆者が沿線に住んでいたころはUPの貨物量が急速に増え、100輌以上の貨物列車が頻繁に運行されていた。Tom Harveyは「俺たちはTOYOTAの下請けになってしまった」と首をすくめた。トヨタは例のカンバン方式で到着時間にうるさく、「2500キロを30分以下の誤差で運べって言うんだぞ。」と呆れた。そういう事情だったので、故障時にも柔軟に対応できる中型機に切り替えるという話はすんなり受け容れられたのだ。


2025年12月21日

UP ALCO Century 855

ALCO Century 855A 実は懸案の機関車はまだある。このALCO Century 855は欲しかったわけではないのだが、Ajin に頼まれて引き取ったものだ。お世辞にも格好が良い機関車ではなかった。A-B-Aの3輌一組を安く買い取った。それを神戸の震災で亡くなったU氏とジャンケンをして負けた筆者が2輌持つことになった。彼のAユニットは地震で潰れてしまったのだろうか。

 これは廃車になった第一世代のGTELの下廻りを利用して新型エンジンを搭載したもので、5500馬力を誇る。GTEL時代は4500馬力だったから、かなりの進歩である。しかし、電気配線にアルミニウム製ブスバァを使ったところ接続部で発火したそうで、エンジンの不調もあって短命であった。筆者は実物を見たことがない。Cはエンジンの名前のCentury、8は8軸、55は5500馬力を意味する。

 この模型は1980年頃の製造で、きわめてハンダ付けが稚拙である。お話にならない水準でとても困った。あちこちの扉が開くのだが、全て壊れている。結局ほとんど全部のハンダ付けを直している。下廻りは祖父江氏が引き受けたので素晴らしくなってはいる。

16-cylinder engine headcylinder heads 上廻りが異常に重い。中を見るとくだらないシリンダヘッドが分厚い材料で作られている。上面の点検蓋を開けると見えるのだが、そんなもの見たくもないのだ。蓋はことごとく壊れている。仕方がないので別に作ってハンダ付けした。この見せかけのエンジンだけで250 gもあるのだ。しかもシリンダ・ヘッドは車端の方に向けて傾いているではないか。こういうのは勘弁してほしい。
 ファンを廻すようにウォームギヤとベルト2段が付いている。走行モータから動力を取っていた。そのためか、この機関車は5 cm 程度しか走らなかった。Ajin の社長は面目なさそうだった。走るようになるだろうかと心配していたので、動力を改装してVideoを送ると感動していた。

ALCOC855A 色を塗らねばならない。腰の部分の赤帯が他車に比べると太い。これは塗り分けにする方が良いかもしれない。この写真はWikipediaからお借りしている。

2025年12月19日

続 UP U50C 

 主台枠は自作した。写真で見る限り、既製品の主台枠は極めて弱そうなコの字断面で、それに薄い床板が付いていた。ちょっとした衝突で修理不能になる可能性があった。

U50C Main Frame とりあえず 1 mm 板を切り抜いてそれに幅の広いチャネルを2本縦に貼り付けた。そうするとモータが入る分は切り捨てねばならない。切り取って弱くなったのを補強するために太い角パイプを床上に貼り付けた。これは廃金属商で手に入れたものだ。
ハンダコテ側 19 mm角で厚さは 1 mm である。密着させるとハンダが廻らないので深い傷を付け、めくれ”を作ってから軽くネジ留めした。フラックスを十分沁み込ませ、ガスバーナで予熱したのち 200 Wのコテで片方から加熱する
向こう側 これは祖父江氏に習った手法で、両側から加熱すると中心にハンダの廻らない部分ができる可能性があるわけだ。
「必ず片側から加熱して向こう側に出るのを待て」とのことであった。出来たものは完全に密着し、極端に剛性が高い。ある程度の正面衝突にも堪えるだろう。 

 台車はガスタービン機関車を分解したものを有効利用する。強力な両軸モータを持っているのでそれを床下に置き、直接駆動する。燃料タンクが大きいので、モータは余裕を持って収められる。この方式は伝達効率が良いので強力な機関車になる予定だ。  

 まだ問題点がある。中央部のラジエータ部分の下は金網で透けて向こうが見えている。そこにはファン・モータとダイナミック・ブレーキの抵抗器が置いてあるが、横から丸見えなのである。ある程度は作りたいが、その写真が見つからない。他機種の写真から類推するしかないのだろう。
 実はそれがこの機種を完成させるに当たっての最大の障壁となっていたのだが、上記の角パイプに何か付ければできそうな気がしてきた。 

UP U50C めちゃくちゃに壊れた残骸2輌分からなんとか1輌をひねり出した。金額的には安いものだが、その労力、時間を考えるとスクラッチから作った方が安かったような気がする。 

2025年12月17日

UP U50C

Diesel Era 2010 次の課題はこの C-C ディーゼル電気機関車である。30編成の3ユニットガスタービン電気機関車が燃料高騰により廃車になった時、GEがその台車と電動機を使って再生したものだ。これは軸重が33トン超もあり、6軸機関車としては最も重い機関車であった。そのため台車枠に亀裂が入ったという話を聞かされた。

UP U50C UPには1970年ごろから1978年まで在籍した。この写真は上記のリンクからお借りしている。筆者は走っているのをよく見たが、写真はほとんど撮れていない。カンザス州で廃車?になって並んでいるのを高速道路から見たこともある。

 形は好きなので模型が欲しかったが、1981年 Ajin製の「20 cmしか走らない」と言われた粗悪品しかなく、いつか自作しようと思っていた。それから40年も経ってから、友人が情報をくれた。
 アメリカのインポータの関係者がジャンクを捨て値で売っているという。よほど出来が悪かったと見えて、アメリカに着いた時には壊れていてどうしようもなかったクズを保管していたが、諦めてebayに出品したのだろう。誰も買い手がつかず、極めて安く上廻りだけを買ってそれを修正した。

U50C 正直なところ直せるとは思わなかったが、図面があったので何とかここまで来た。あちこちの蓋が開いて、中が見えるようになっていた。見えるものはエンジンの怪しいシリンダ・ヘッドである。そのエンジンは捨てて蓋を固定した。   
 この種のドアを開ける工作が好きな人が居ることは知っている。すぐ壊れるので走らせられないということに気付くべきだ。それこそ箱庭に置くべきものである。そういうことを承知した上で、完璧なものを作った祖父江氏の腕には驚いた。


2025年12月15日

Veranda GTEL

Veranda GTEL この GTEL は、1985年に筆者のところに来た。Jan の作ったキットで、造形は良いが、極めて珍しい構造だった。下廻りについては何も考えていなかったようだ。NMRAのコンヴェンションで手に入れた。その後下廻りの駆動装置を作って、あとは組み立てるだけのところまで来ている。この写真撮影時は車輪等は外した状態だった。床板は t 1 板に 13 mmのアングルを2本ハンダ付けしてある。2台車を結ぶスパン・ボルスタは 3 mm 板を組み合わせたもので極端に丈夫である。
 上廻りはもう少し手を入れたくなったが、砂箱蓋を6個付けて終わりとしたい。重い機関車をぐいと掴む人が居るので、潰されないように補強を入れてある。このタイプのGTELは第2世代と云われる。
 第1世代(先回紹介したもの)の車体の中を点検に歩くと熱くて死にそうになったそうで、どうせなら外を歩いて点検扉を設けた方が良いということになったとTom Harvey に聞いた。

 テンダはある程度完成していたが、最近手に入れた写真を見て急に作り直したくなってバラしてしまった。前後の球面になっている部分の丸味が、気に入らないのだ。銅板を焼き鈍して叩き出したものだったが、全然良くない。台所で使うステンレスのボウルの球面が近いような気がする。安いものだから買って来よう。ハンダはよく付くはずだ。テンダ台車は用意してある。

 結局 GTEL は5輌ある。Bill Melis のおかげである。  

2025年12月13日

主台枠の補強

 GTELの主台枠が弱かったので補強した話を書いたところ、いくつか問い合わせがあった。詳しく手順を教えて欲しいとのことだったが、何も難しいことはしていない。

GTEL main frame reinforcement 元の台枠の断面はこんなものだ。t 1の板を高さ6 mm、幅40 mmのコの字に曲げたものである。一本ものではなく、曲げた三つの部材を継いである。ハンダは完全には廻っていない。ということは何かの間違いで外れることもありそうだ。

 そこでこのように側面に貼り足すわけだ。コテは先を斜めに少し削って、コテ幅 25 mm 全体が接触するようにする。
 ワークを組み立て、木製の洗濯バサミで 3 cmごとに挟む。塩酸を含む塩化亜鉛を沁み込ませ、よく焼けたコテを移動させながら63%ハンダを当てる。

 ハンダは融けて沁み込み、向こう側まで出る。それを確認しなければ意味がない。毎秒 5 mm程度の速度で移動し、糸ハンダを供給し続ける。ハンダを付ける部分はクランプを順次外す。これで1分少々で片側のハンダ付けが終わる。隙間なく完全に付いている。

 コツは、
・200 W のコテを使うこと
・コテ先を削って幅 3 mm程度の平面を作っておくこと
・スズ63%ハンダを使うこと
向こう側(この図では下側)からハンダが見えるようになること
・ハンダ付けするところをクランプで正しく締めること
・塩化亜鉛を使うこと(できれば塩酸入りのものが良い)
・終わったら直ちに流水で洗い落とすこと

 である。くたくたでいかにも弱そうな主台枠がガツンとした剛性を持ち、5 kgを載せても殆ど曲がらない。
 丈夫な台枠を持っていると安心して運転できる。連結時に100輌の貨車にガシャンとつないでも壊れることはない。韓国製のオリジナルは開口部のあたりで座屈する気配があった。台枠が潰れるとそれにネジ留めしてあるボディは悲惨な変形を受けるだろう。

 塩酸入りのフラックスを使う場合は屋外でやるべきである。また、このような熱容量の大きいものを付ける時にスズ50%ハンダを使うと熱量不足で温度が上がらないため、失敗する可能性が高い。
 使用後のハンダゴテの先は水洗して塩化亜鉛を完全に取っておくことが寿命を延ばすことにつながる。塩化亜鉛は潮解性なので、いつまでも先が湿り、腐食が進行するのだ。

2025年12月11日

LPG専焼 GTEL

LPG GTEL2 UP57は、LPGを燃料とした試験機だ。テンダは12,500ガロン(約47立方メートル)の鋼製タンク車である。当時はこの種の鉄道車輌用大型LPGタンクの製造経験が少なかったらしく、t 22と異常に厚い鋼板製であり、コルクの保温ジャケットを巻いている。台枠は当然のことながら鋼製である。
 全体はアルミニウム・ペイントが塗ってあり銀色である。Ajinからの出荷時にはこのテンダは艶のあるニッケルめっきが施してあった。インポータの知識不足でステンレス製だと思い込んだのだろう。

 連絡用のホース群(大2本、小3本)には適当な材料を探しているが、なかなか難しい。しかも解結の時は面倒である。太いホースの片方は蒸気ヒータの配管である。ガスの消費量が大きく、多量の気化熱を与えないと走れなかったのだ。タンク底部には蒸気ヒータがあり、蒸気圧を上げて液体を上に押し上げる。さらにタンク上部の四角い部分には蒸気による気化器が設けられ、そこで気化させた燃料のみを送り出していた。

 この実験機はロスアンジェルスとラスベガスの間を走った。LPGの容量が少なく、ワイオミングの本線上を走らせるには航続距離が足らなかった。燃料には不純物がなかったので、タービンの羽根に汚れが付かなくて具合が良かったそうだ。
 というのは重油はバナジウム化合物を含むので、海風が吹くところでは、海塩に由来するバナジン酸ナトリウムのガラス状膜がタービンブレードに着く。だからロスアンジェルスのような海浜都市には重油焚きのタービン機関車を近寄せたくなかったというのも、この実験の目的の一つである。
 しかし騒音の問題が解決できなかったので、結局のところガスタービン機関車は、主として砂漠地帯のユタ、ワイオミング州でしか使われなかった。

2025年12月09日

Chain Drive

IMG_5390 この2輌の機関車はチェイン駆動である。筆者は1984年ごろから、採用している。Bill Wolferが勧めてくれたのだ。簡単で効率が良く、しかも安かった。

 祖父江氏に見せると彼は目を輝かしていろいろなアイデアを出したので、早速大量に購入した。当時買ったチェインがまだ残っているほど、大量であった。祖父江氏は蒸気機関車の駆動にも使った。ウォーム軸を低く水平にできるので見えにくい、というところが優れていた。 

 軸重の大きな1番ゲージの機関車の場合はチェインの耐張力に限りがあったので、二重、三重にした。その時、位相を半ピッチ、1/3ピッチずらすと静かになる筈だと言ったところ、当初祖父江氏は「そんなバカな」と信じなかったが、やってみると確かに静かになったので感心して採用してくれた。本物では許されないが、このプラスティック・チェインは微妙に伸びるので、その効果が得られたのだ。

 機関車の牽引力を高めるには、この貫通軸による全軸駆動方式が一番優れている。複数のモータを使って、それらが独立に動輪群を駆動しているようでは駄目なのである。理由を過去にも説明しているが無関心の人は多い。 


2025年12月07日

Sofue Drive

Sofue Drive この機関車のモータにはフライホィールが付いている。なくても良いが、重い機関車の動きを演出するには具合の良いものだ。
 そのフライホィールにはピンが植えてあり、相手の円盤の孔に差してある。これだけのことで「祖父江ジョイント」が出来る。多少のずれがあっても問題ないが、なるべく中心を合わせるべきである。
 フライホィールを旋盤で挽いて継ぎ手の分だけ飛び出させるのは簡単だが、材料がたくさん要る。ところがこの穴をあけてピンを植える方法はとても楽な仕事であると同時に経済的である。
 チェインは1条でも強度の問題はなかった。台車へは短いユニヴァ―サル ジョイント でつながり、台車間にはSofue Joint がある。これらは分解が容易であることを特筆すべきだ。

frames reinforced 主台枠が折れそうに弱かったので、祖父江氏は補強に6 mm x3 mmの角棒を2本貼り付けた(写真上)。オリジナルの主台枠は t 1.0の板をコの字に曲げたものを下手なハンダ付けで継いであった。またその曲げた縁が浅過ぎる。軽衝突があったら、壊れそうであった。この補強工事できわめて丈夫になったわけだ。
 台枠の中心部に大きな穴があるのだから、補強が必要であるのは論を待たない。

 もう一つの機関車(写真下)には、6 mm x 1.5 mmの平角材があったのでそれを貼った。大きなコテで一気に付けた。コテに熱が溜まれば簡単である。クランプし塩酸を含む塩化亜鉛水溶液を沁み込ませ、200 Wのコテを使ってハンダ付けした。こういう時は63%を使うに限る。実に滑らかに沁み込んで行き、あっという間に完成した。
 できた主台枠はとても堅く、安心できる。これでなければならないのだ。

2025年12月05日

GTEL の動力伝達装置

GTEL drive I 第一世代のGTELは2輌ある。最初の1輌は8軸中6軸しか駆動していない。モータからチェインで駆動軸に下ろしているが、2本使っているので駆動軸長が伸び、台車との距離が短くなり過ぎたからだ。
 1軸捨てれば長いドライヴ・シャフトを使えるわけだが、反トルクの処理に困って簡単な方法を採用した。軸が遠いので接触圧は小さく、損失は小さい。モリブデン・グリスを少し塗るだけで解決だ。
 台車間の結合は6角ジョイントを短くして押し込んである。あまり大きな食い違いは生じないのでこれで十分だった。
 この方法は無理がないのでとても静かである。

GTEL drive II その後、チェインを1本にするとユニヴァーサル・ジョイントを押し込めるので、より単純な方法となった。これは全軸駆動になる。
 この時、台車間の接続が祖父江ジョイントとなったのだ。モータとの接続部も同様である。すなわちこの機関車には祖父江ジョイントは4個使ってある。とても静かで調子が良い。
 初めて見た時は、偏心しているから問題が起きそうであったが、全くそのようなことはなかった。 

2025年12月03日

続 GTEL を仕上げる

 この模型は Ajin 製である。1987年あたりの製作だ。筆者の助言を取り入れてハンダ付けが少し上手になって来ている。冷暖房による伸び縮みでハンダが外れるということがないところまで向上した頃だ。1985年までの製品はエアコンの風が当たると部品が落ちる音がした。これは決して大げさに言っているのではない。実際によく経験した。

wide tender GTEL(gas turbine electric locomotive)のテンダは太い。この模型に正しい太さのテンダが付いているのは嬉しい。HOの模型は大半が間違っている。テンダは既存の蒸気機関車用テンダを一部改装して重油タンクとし、保温している。寒冷期には外気は−50℃にもなるから保温ジャケットを巻いてあり、その分だけ太いわけだ。片側だけで8インチ(20 cm)広がっているので、両側で16インチも太い。Oスケールで9 mm近く幅が大きい ので、持つとぎょっとするくらい太く感じるわけだ。 それにしても、UPの建築限界は広い。


2025年12月01日

GTEL を仕上げる

UP standard turbine 58 近々あるクラブの集会に何を持ってくるかと問われた。何も考えていなかったのだが、部屋の整理をしていたら塗装済みのGTELが出て来たのでこれを仕上げて持って行こうということになった。

 ディカールを貼るだけであったが、これが大変に難しく3日ほど掛かった。ディカールが古くて劣化しているので、水に漬けると割れて来るものがある。事前にディカールの表面に保護剤を大きな筆でさっと塗って乾かす。これで良い筈なのだが、それでも割れるものがある。

 手持ちのディカールは古いものから新しいものまで数通りあるので、1つづつ調べて何とか貼れそうなものを選び出さねばならない。Solvaset(柔軟剤)を塗って馴染ませると密着する。

 窓枠はアルミ色に塗り、ガラスを入れねばならない。運転席には適当な色を塗り機関士を座らせるが、手持ちの人形に良いものがない。しばらく前の客車の乗客としてかなり使ってしまったのだ。Tom Harveyに似た体格の人を募集中だ。

 この機関車の動力機構は35年前に祖父江氏に改造をお願いしたものであった。久しぶりに見るとその手際の良さに驚く。台車は2つづつ繋がっているのでその間隔は狭く、普通のジョイントは入りにくい。そこに使われているのは祖父江ジョイントである。


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