2025年02月

2025年02月28日

Santa Fe の Northern

ATSF 4-8-4 low hat この機関車も大きい。ウェイトが入っていなくてもずしりと重い。これもジャンクから完成させた。テンダはあまり壊れていなかった。煙突を縮めた状態である。あまり良いとは言えない格好だ。
 
 実物は客貨両用の高速機で動輪径が80インチ(2032 mm)の巨人機である。砂漠の中を無停車で走るために長大な16輪テンダを付けていて、重油を27トン、水を92トンも積んでいる。 
 初期型は動輪径がやや小さい73インチ(1853 mm)であったが、進化して最終型は大きな80インチ動輪を付けた。圧力も 300ポンド(約21気圧)となり、極めて高性能な機関車となった。この模型の動力を改装してから、もう25年も放置してしまった。各種の部品をロストワックス鋳物に取り替えてあるが、動力逆転機が外れている。

ATSF 4-8-4 high hat 本物は煙突が伸縮できるようになっているが、模型は長短の2種の煙突が付属している。これが伸ばした状態である。これを見ると日本の友人は非常に驚く。
「こんなのあり得ないよ。」しかし、ほとんどの線区でこの状態で走っていた。トンネルがひとつしかない鉄道であったからだ。

 テンダはあまりに汚いので、洗った。 塗色が単色で簡単であるので、すぐ塗れるのだが、これも運転室が作ってないのだ。簡単に作って塗ってしまうことにした。 

 動力はUPのFEFと同等であり、高効率で静粛な動力伝達ができる。貨車100輌を牽いて、当レイアウトを周回できる。

2025年02月26日

Santa Fe の Texas 

ATSF 2-10-4 (2) この機関車は大きい。ボイラの大きさは煙室部分を除けば Big Boy とそれほど違わない。片手で持ち上げるのは難しい。これは祖父江氏の設計・製造である。このジャンク品をアメリカで極端に安く手に入れた。キャブとテンダがつぶれたものを手に入れたのだ。修理は難しくなく、よく走るようになったが、キャブ内が作ってないのでそのまま20年経過した。  
 この機関車は祖父江氏のお気に入りで、「上手く出来た。」と自負していた。
「このでけぇ機関車が、どういうわけか知らねぇが急カーヴを曲がるんだよねぇ。1200Rでも通っちまうんだよ。面白ぇもんだよねぇ。」と言った。
 テンダを作り直している最中に代わりのテンダをアメリカのジャンク市で見付けて購入した。この機種のテンダはかなり大量に輸入されていたらしく、あちこちで見たし価格も安かった。買ったと祖父江氏に伝えると、 
「テンダなんて箱だよぉ、いっくらでも簡単にできらぁ。でもねぇ、ボイラはそうはいかねぇよ。苦労するぜ。」とのことであった。 

ATSF 2-10-4 煙突を伸ばした状態である。後ろに畳まれているのをひょいと廻して上にかぶせる。これぐらいの高さの方がバランスが良いと感じる。これもどういうわけか、動力逆転機がない。形が気に入らないから新たに作って取り替えようとしたような気がする。

 この機関車の先台車は1軸であり、その復元力を強くしておかないと曲線から直線に入っても機関車がまっすぐ向かない。 
 強力モータを付けてあるので、単機で100輌牽いて坂を登れる。現物の写真もたくさん撮ってあるので、塗装が楽しみだ。 

2025年02月24日

C62の動輪

 C62 の動輪径は 1750 mm だ。1/42 にすると 40.7 mm である。1/45 ならば 38.8 mm だ。この差は無視できない。
 手元に C62 用の動輪があった。それが昔の 1/43 用だと信じていたが、測定すると 39 mm であった。これは OJ用 であって、使えない。いくら磨り減ったタイヤでもここまでは小さくならないだろう。

 動輪を沢山持っているが、その殆どがアメリカ型の動輪セットで、日本型に使えるものは少ない。41 mm 径はほとんどなく、42 mm径は沢山ある。80インチの機関車用だ。
 80x25.4 ÷ 48=42.3という計算である。

 タイヤはスティール製だ。磁石に付く。快削鋼でニッケルメッキが施してある。これは賢い方法で、見た目が綺麗で、走らせればタイヤ踏面が削れてスティールが出る。牽引力は大きい。相手がスティール製レイルであるということも大きなファクタだ。集電は良い。

 さて、この 1/42 の C62 をどのように料理しようかと考えている。動輪を3Dプリントして、それをブラス鋳物にしてもらうという手がある。タイヤは快削鋼だ。ついでにクロスヘッドなども発注して磨き、メッキを掛ければ簡単だろう。   

2025年02月22日

C62

 稲葉元孝氏の遺品のC62がある。機関車だけで 5.5 kgもある。高いところにあるのを左手で持ったら捻挫を起こしそうになったほど、重い機関車である。
 カツミ製でボイラ、キャブが 0.3 mmの板なので、下手に持つとめり込んでしまう。さらに、台枠は 1 mm厚でへなへなである。台枠の下に線路ぎりぎりまで鉛のブロックをぶら下げてあり、それで牽引力を稼いだのだろう。当時の客車の抵抗は大きく、12輌編成を牽くには仕方が無かったのだろうが、これから鉛を外すだけでも大変な作業だ。ボイラ中には融けた鉛を注ぎ込んであるようにも見える。軸もクランクピンもガタガタに減っていて、修理するのはほとんど不可能である。

Mitsui C62 先日のクラブの年次総会でOZ氏が、三井金属が作ったダイキャスト製のC62を3輌分持って来た。それを改造してOゲージの線路を走らせようという相談だ。下廻りは筆者がブラスの平角棒からフライスで切り出す代わりに、上廻りを1輌分貰うことにした。
 その上廻りを持ち帰って手元のカツミ製C62と比べると、ほとんど同じ大きさであった。公称 1/42 のダイキャスト製と 1/43とされている板金製とは同寸と言っても差し支えないほどであったのには驚いた。ひょっとすると、カツミ製を採寸して作った時に計算して1/42だと思ったのかもしれない。寸法は0.5 mm刻みに丸めてあるようだ。

 このカツミ製は祖父江氏の設計であった。1/43にした理由は酒井喜房氏の計算による。Oゲージでは、クロスヘッドがクランクピンに当たらないようにするにはここまで大きくせねばならなかったのだ。このことは戦前に模型鉄道という雑誌に書いてあるから、いずれコピィをお見せしよう。
 OJではそういうことは考えなくても良く、1/45になった。40年ほど前カツミから売り出された OJゲージC62も祖父江氏の設計である。筆者が名古屋の東山植物園に保存されていたC6217号を隅から隅まで撮影した写真から作られた。当時の園長氏にコネクションがあり、特別の許可を得て、上に跨って撮った写真だ。
 それ以降のカツミ製 OJ模型は全て内野日出男氏の設計である。

 動輪、従台車、テンダ台車などは持っているので、意外に簡単に組み替えられるような気がしてきた。ロッド類は3Dプリントで作って金属に置き換えれば簡単かもしれない。あまり手を掛けるつもりはない。ただ、改修を終えた「はと編成」を動かす機関車が必要なだけなのである。 

2025年02月20日

cab interior

Max Gray backhead いくつかの未完成の機関車を紹介してきた。未完成の理由は全てキャブの中、すなわち backhead が作ってないということである。伊藤 剛氏は「室内は室外である。」とおっしゃった。筆者も見えるものは付けたいのだ。
 その昔、アメリカの輸入業者 Max Gray はこのような怪しいバックヘッドを付属させていた。大型機も小型機も同じで、軟らかい鉛合金製だった。いくら何でも、これではまずいと思い、自分で作ることにしたのだ。 

 しかしここに拘ると永久に出来ないので、前回の 2-8-0 では大幅に譲歩してそれらしく作っただけである。その前の ATSF 4-6-2 でもかなり手を抜いた。

 覗き込む人は居る。しかし多分知らないだろうとは思いつつ、 分かっている人が見るとどう思われるかと考えると、手を抜けなかった。それで30年ほど呻吟していたのだ。

 最近はあちこちで保存機の蒸気機関車を動かしている。その様子の動画などを見るとキャブ内が写るが、外から写しているので、ほとんど分からない。それを見て少し勇気が湧き、簡単に作ることにした。

cab interior 4-8-4 ロコ・サイクロペディアを見て、焚口戸の位置を知り、スロットルの形式、ストーカの形式、洗口栓の位置、メータの位置さえわかれば、あとは適当である。その思い切りが出来てから、急に工作が進んだ。
 左の図はUPのFEFの cab interior である。この通り作ったので大変な手間が掛かった。これは図面が手に入ったので、その意味では楽であった。、無いとかなり困る。

 塗装してはめ込むと気分が良い。ハンドル部には例の赤い塗料を塗るのがミソである。これが塗ってあると、殆どの人の眼はそれに注意を奪われ、部品や配置については注意力が向かないようだ。 

2025年02月18日

貨車の飽和

 未完成の貨車を一掃すべく、過去数年努力してきた。その結果百輌ほどあった未組、未塗装の貨車がほとんど無くなった。完成した貨車は本線上、ヤード内に並べてあるが、もう置くところがない。ヤードには240輌入っていて満杯である。

 自宅にもかなり持ち帰った。博物館の収蔵方針としては、ブラス製または木製キット完成品以外を置かないことにしているが、現実にはプラスティック製数十輌が昼寝している。殆ど Weaver の 50 ft boxcar と40 ft covered hopper, ballast car である。

 運営委員と相談の結果、これらは売却すべしという結論になった。読者の皆さんの中で、これらの貨車の譲渡を希望される方がいらっしゃれば、適価でお譲りしたい。車体の質量は当鉄道の基準に合わせてあるから、走行性能は極めて良い。車輪はステンレス製Low-Dのピヴォット軸受けが標準である。 
 とりあえず40輌ほど処分することになる。 

 ご希望の方は連絡されたい。写真等をお見せする予定だ。連絡先はコメント本文中に書いて戴きたい。「私信」としてお送り戴ければ、公表することはない。 

2025年02月16日

設計力

 先日の記事の評判が良かったのには驚いた。様々な方から「最近の記事で最高に面白い。」という言葉を戴いている。
 ほとんどの模型人は外見の良し悪ししか興味がないのだ。そこにこの素晴らしい動きの可能な模型が登場したので、このような会話があったのだ。全くの無音で作動する。歯車の性能がものを言う。組立マニュアル通りであれば完璧に動作する。


 Z 氏のようなことを言う人は意外にも多い。理屈なんてどうでもよいと思っているようだ。物体が止まっているのも、動いているのも理由がある。止まっているものを動かすのは力が要る。この加速度という概念が分からないと理解ができない。生活の中で車が動いたり止まったりするのは見ているはずなのだが、模型を正しく動かすにはどうしたらよいかとは考えたくないらしい。買ってきた歯車とモータをゴムチューブで繋げば出来上がり、ということにはならない。それを実現する力の伝達方法もそう簡単ではない
 大きなものは壊れやすく、小さなものは壊れにくいということも分からない人が多い。このあたりのことはこの記事にまとめてあるが、読んでいる人は少ない。読んでも理解しようとしない人も多い。


 コンピュータが発達して来て、数式を入れるとグラフが出るようになった。なぜそういう式になるのかを考えられなくても、やった気になるらしい。20年ほど前、キィボードの一つを押しただけなのに「僕が計算しました。」と言う人が現れた時は愕然としたものだ。
 歯車を発注すると「私の設計です。」と言った人が居るのにも驚いた。測定器のスウィッチを入れて出力のグラフを得ると「測定しました。」と言う人が居るが、それにはもう驚かなくなった。
 ものを言う前に考えるということを人生の中で学ばなかったのだろうか。

 ものづくりは難しいものだ。日本が国際社会でそれなりの地位を占めるようになれたのは、このものづくりの哲学が正しかったからだ。某隣国製品がどれをとっても駄目なのはその辺に大きな違いがあるからである。しかし、模型の分野ではそれと大差ないことを臆面もなくやる人が居る。しかも「私は正しい」と思っているというから驚く。


2025年02月14日

続 石炭を積む

coal load (3) スポンジの石炭はこんな具合だ。撓ませた状態で大きさを決め、押し込んで収まり具合を見る。軽く押して嵌まるようならOKだ。右側はやや低い。何かを詰めて持ち上げねばならない。
 わずかに中心部が膨らむことを確認する。スプレイの黒を十分に吹き、乾燥させる。大きさの変化は少ない。

coal load (5) スポンジの目はスケールの石炭に近くなければならない。すなわち、HO ではかなり細かいスポンジが必要だ。中心部が低くなるのを避けるために何かの支えを入れることも必要になるだろう。    

coal load (4) この作例では右の方がやや浮き上がっている。裏を斜めに削ぐと落ち着くだろう。



coal load (1) この作例では全体に押さえが足らず、妙な曲面で落ち着いている。右の方は長さが足らなかったようだ。


coal load (2) スポンジの表面をカミソリで落として新しい面を出しても良い。この写真の一番奥の石炭がそれである。一番手前は落ち着きがない状態だ。スポンジであってもかなりの手間が必要である。本物の石炭とどちらが良いだろうか。

 夕張炭という名前を出したら、敏感に反応した人が居た。石炭を使ったことがある世代の人たちである。昔、東京に行くと妙に石炭の煙が臭かった。おそらく常盤炭のせいだろうと思う。夕張炭は火力の強い高級品であり、ストーヴには安物の石炭を使っていた。それで良かったのだが、蒸気機関車用の石炭を燃やしたら、鋳物のストーヴが白熱して融けてしまったという話を聞いたことがある。鋳鉄は 1200 ℃で融けてしまうのだ。 

2025年02月12日

石炭を積む

 open top hopperが空で走っているのは避けたい。空でも良いという人もいるが、筆者の作ったホッパは中が汚い。ハンダ付けで複数の板をつなぎ合わせたものもあるから、楽屋裏を見せたくないのだ。今回、クラブの会合に持って行かねばならないので、急いで仕上げる必要があった。

 石炭をぎっしり積むと重過ぎるし、石炭がもったいない。黒い厚紙で作ったハリボテを用意し、そこに厚さ 5 mm程度を積む。

coal mockup 側板内側に角材をスーパーXで貼り付ける。そこにハリボテを載せる。これもスーパーXで付けると取れない。酢酸ビニルエマルション・セメント(通称白ボンド)を刷毛で塗って石炭をばらまく。


coal load 隙間にさらに接着剤を付けて石炭クズを押し込み、全体が不自然な形にならないようにする。大事なのは安息角を保つようにすることだ。
 アメリカの石炭は細かくしたものを積んでいる場合がほとんどだ。イギリスでは塊が積んである場合がある。 

 今回の仕事のために石炭の塊を崩した。なかなか面倒な仕事である。目に沿って楔を入れて割り、袋の中で割る。篩(フルイ)で振って大きさ順に分け、さらに砕く。一度やると半年はやりたくない。

 以前やったように、スポンジを薄く切って黒く塗るという手もある。どちらが良いかは微妙な問題もある。 

newly paintedcabooses in Kobe (1)cabooses in Kobe (2) その他最近塗った車輌群である。

2025年02月10日

視力の回復

白内障 10月に白内障の手術を受けた。右は手術前に水晶体を横から見た状態、左は手術後である。黄緑色に濁っていたのが、完全に無色透明になって透けている。水晶体の横から撮っているので誇張されてはいるが、かなりひどい状態だったそうだ。 

 道路の交差点で信号機の上に表示されている地名が読めなくなった、検診を受けに行ったら、即手術すべしと宣告されてしまった。また車の運転は控えていた。よく知っている道しか走らず、逆光時はほとんど見えなくなるので日中しか運転しないようにしていたのだ。

cataract_01 眼帯を外した日の光景は忘れられない。空が抜けるように青く、道路のセンタラインが純白であった。雑誌が裸眼で読め、糸鋸の刃の向きが見えた。それは有難いのだが、見えるものの色調に変化があったので(要するに彩度が極端に上がった)最近塗った車輌の色調が間違ってはいなかったかと気になった。

 塗装したものを直射日光下で確認した。おかしな点はなかったが、多少はみ出したものがいくつかあった。刷毛で補正塗りをした部分がはみ出していたり、塗りむらがある。そういう失敗に気が付かなかったのである。ナイフの先で削り落とし、細い筆で修正した。

 眼が良くなると、今まで全く気が付かなかったものが見えてしまう。廊下の隅に落ちているゴミが気になって仕方が無い。家じゅうに掃除機を掛け、ぞうきんに洗剤を付けて拭いて廻った。鏡を見るとそこに写っている人が自分自身であるという現実を突き付けられ、愕然とした。

 慣れるまで、時間が掛かる。費用は保険で賄われたので、出費がほとんどなかったのには驚いた。


2025年02月08日

素晴らしい動きの模型を作る能力

 所属クラブの新年会があった。会員は自慢の模型を持って集合する。ひな壇に並べられ、皆が鑑賞して意見を言い合う。
 それとは別に、線路が敷かれ、動きの素晴らしい模型群がその動きを披露する。以下はA氏の模型の動きを見て交わされた会話である。

X すごいですね。こんな動きをするとは思わなかった。起動して動輪がシュルってスリップしますね。
Y こんな模型は普通の人にはできないよ。本当にすごい。
Z 工作機械を持っているからできるんだよ。
W それは聞き捨てならない表現だな。
Y そうだよ。機械を持っているだけではできないさ。設計する能力が無きゃね。
Z 工作機械を持っていなきゃできないよ。
Y 違うんだよ。工作を出来るか出来ないかの前に、そういうものを設計できるかどうかが大きな問題だよ。
Z でも理屈は単純だから機械があれば出来るんじゃないの。

 要するにZ氏は機械を持っている人は誰でも出来ることだと言っている。

Y Zさんは勘違いしているよ。この素晴らしい工夫を凝らした機関車をどのように作るか、その事前の性能策定が必要なのだ。これは作者の能力そのものなんだ。誰でも出来ると思ったら大間違いだよ。
W ほらこの継手の位置を見てごらん。台車の回転中心の上にある。dda40xさんのブログに書いてあった角速度を一定にする工夫だ。分かっている人が作っているという証拠だ。世の中には間違った作例は無数にあるが、これは完璧だ。
X そういう基本的なことを押さえた上で、設計されているのだね。重いものを力を入れて廻すのだから、角速度が一定というのは大事だ。

 Z氏は間違いを認めざるを得なかった。この後、Y,W氏に詳しく話を聞いて、この模型の凄さを再認識した筈だ。

 クラブはこのような教育の場でもある。 


2025年02月06日

俯瞰記事について

 先日のTMS 997号の記事について長文の意見を戴いた。転載の許可を得たので発表する。 

表紙を飾るレイアウト写真は、平野和幸氏製作の第1次千曲鉄道からインスパイアされたものと分かりますが、ご指摘の通り俯瞰による画像ばかりでは、山岳線の雄大さを感じる事ができません。次の雪原のモジュールレイアウトもしかりで、空間的な広がり感はありません 次の雪原のモジュールレイアウトも、空間的な広がり感は皆無です。

私は海外の鉄道雑誌を眺めることが好きで、欧米のレイアウト紹介記事を目にする機会も多いのですが、そこではレイアウトの平面図上に撮影ポイントと方向を示した「寄せ」の画像が基本で、俯瞰画像はあっても冒頭の全体紹介文の所にある位です。今までは、漠然と眺めていただけですが、今回ご指摘のTMSとの違いは何なのかを改めて考えてみました。 

 要因の一つは、記事の画像は全て製作者が撮影、投稿したもので、編集者の取材や意図が盛り込まれたものではないからだと考えられます。プロの編集者が介在すれば、少し良くなる可能性はあります。ただ、それだけで本当に改善されるのか?という疑問もあります。 

 と申しますのは、日本のレイアウト紹介記事のスタイルが「レイアウト製作入門書」の域を脱していないと思うからです。TMSのこの記事は、海外の初心者向けレイアウト製作ガイドブックと同様の構成だと感じます。同じガイドブックでも、中級以上、または、目的別(森林鉄道など)に特化したものでは、俯瞰ではなく見せる画像の割合が多くなっています。

ここから言える事は、レイアウトの製作過程を説明する事が主眼となっており、出来栄えをどう見せるか、どう楽しむかというところまで到達できていないからだと考えられます。過去の日本では「レイアウトを持つこと」がステイタスで、どうやって場所を確保したかとか、こうやって作った、の説明がもてはやされています。過去のTMSレイアウト記事もその趣旨で綴られており、他の雑誌も概ねこれに追随する形となっていました。 

いつまでも旧態然とした考え方に囚われるのではなく、新しい視点で(海外では既に常識ですが)レイアウトと向き合う事が必要だと思います。その意味では、これもdda40xさんのブログに連載された「レイアウトの分類学」は、何を目的に製作し、出来上がった後をどう楽しむかが具体的に提言されており、今後のレイアウト製作、発表の指標になると思います。



2025年02月04日

Overland (UP の 4-10-2) を作る 

UP8802 1940 この機関車 UP8800 は SP の機関車に比べ、煙室の手摺がやや武骨であるのと、テンダの形が異なる。この写真の TFF は、FTT の誤植である。
 HOの模型は KTM-WSM で出ているが、あまり正確でない。SP5000のテンダを替えただけであり、砂箱などはやや不思議な形である。また、8800と謳っているがこれは就役当初の8000型である。

 この機関車を知っている人は極めて少なく、作ってみたかった。図面は手に入れてあるから、ボイラは自作することにした。テンダは SP のものに長さは近いが、後半の断面形状が異なる。就役当初は石炭焚きであったが、すでに戦前に重油焚きに改造されていた。すなわちテンダはオイルタンクを積んでいる。

Sofue SP5000 (2)Sofue SP5000 (3) 機関車の下廻りは、ブースタが無いだけで、SP も UP も実質的に同じである。模型のドライヴ方式はトルクチューブである。この方式は祖父江氏の改造方式の定番になり、開発者としては嬉しい限りだ。

 祖父江氏はギヤボックスが横から見えるのは避けたかった。なるべく目立たないようにするには縦に細長くして、エアタンク部で隠すのが良い。アイドラ・ギヤを挟んで伸ばしている。当初はアイドラ・ギヤなしでトルクチューブが斜めに伸びているものが多かったが、横から見ると見えてしまう機種があった。ギヤを挟むと効率が低下するが、祖父江氏は互いに素でしかも正しい歯数のギヤを使ってそれを解決している。きわめて静かで逆駆動しても抵抗を殆ど感じない。
 潤滑はモリブデン・グリースである。祖父江氏はこのグリースを使うとあまりにも摩擦が減るので驚いた。ウォーム・ギヤには不可欠である。

Sofue SP5000 (1) 120度クランクで、第一軸はメインロッドから逃げて曲げてある。熱間鍛造で作り、それを鋼製ブロックに嵌め込んで、旋盤で削ってある。動輪を圧入してからブロックを外して磨いてあるのだ。畏るべき技量である。完全に心が出ている。

 当初は90度クランクで行こうということになっていた。両側を同時に見る人は居ないので、中央クランクを135度にすれば、模型の走行としてはまず見破られることはないと考えた。しかし、アメリカサイドからは「120度にしないと買わない」と言って来たので、方針を変更した。120度クランクで絶対に躓かないような加工精度を確保するのは難しいと祖父江氏は言っていたが、出来たものはみな素晴らしい走りを見せた。その点でもこの模型は特筆すべきものである。

 ボイラとキャブは 90% 出来ているが、テンダは ほとんどできていない。SPのテンダを切り縮めて、継ぎ足すのだ。ここまで来て放置されているので、早く決着を付けたい。毎日やれば100時間くらいで出来そうだ。その種の工作は得意だが、祖父江氏が見たらきっとこう言うだろう。
「そんなまどろっこしいこたぁやめて、捨てっちめぇ。一から作っちまった方がよっぽど早えぜ。」


2025年02月02日

UP の Southern Pacific

UP 8809 SP の成功を見て、UP も Alco に 4-10-2 を発注した。受領したが、この軸配置名の ”Southern Pacific” を使うことにはためらいがあり、UP 内では ”Overland” という名前を付けて運用を開始した。Four-Ten-Two の頭文字を取って FTT とも呼んでいた。

 運用区間はロスアンジェルス東方のカホン峠である。3気筒機は、2気筒機に比べ、動軸1回転のうちのトルク変動が少なく、勾配での牽き出し能力が勝っていた。SP は50輌以上保有していたが、UP は10輌ほどだった。番号は 8000 と付けられたが、後に8800 と改められた。

 しかし、UP はこの3気筒の機関車の出力と速度に不満であった。この動輪径は 63インチ(1600 mm)であったが、少し大きくして 67インチ(1702 mm)とし、さらに1軸足して UP9000 4-12-2 を発注した。これは速度、牽引力とも十分に満足できるものであって、UPは 88輌も購入し、シャーマン・ヒルの勾配線で使われた。しかし、急曲線に強い単式関節機のチャレンジャが登場すると、それらは勾配線ではなくシャイアンより東側の区間で貨物用として用いられた。そういうわけで UP8800 はカホン峠だけで使われた。

 3気筒の機関車は田舎では数が少ないので保守コストがかさんだ。1942年にこれを2気筒に改造したものが UP5090 で、カホン峠で蒸気機関車の終焉まで使われた。カホン峠は急曲線が続くので、固定軸距離が長い UP9000 には向かなかったのだ。第二次世界大戦末期にはこの区間にBig Boyを入線させる計画もあった。関節機は曲線でも無理なく使えたからだ。良い水が無いので、テンダを延長し、8軸としたものを採用する計画であったそうだ。

 祖父江氏と筆者が改良に取り組んだ SP5000 を Sofue Project として生産することになった。筆者はそれを改造すれば UP8800 になるはず、とその工程を調べ始めた。

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