2025年01月
2025年01月31日
SP の Southern Pacific(Max Gray)
軸配置 4-10-2 を ”Southern Pacific” と呼ぶ。SPの注文で作られたのが最初だからだ。この模型はMax Gray向けで、製造は祖父江氏だった。
「こいつにゃあ、苦労したぜ。」と言う。サンドドームを貫通しているスロットルの引き棒の孔を前後で合わせるのが大変だったそうだ。ガタの無い孔で、なおかつ引き棒が曲がってはいけない。正確なジグを作り、ケガキを入れたという。これは難しそうだ。
この SP はアメリカの中古市場で破損品を入手したものだ。徹底的に修理して先輪の復元機構を作り、動力機構を取り替えた。祖父江氏が「あんたもよくやるよねぇ」と呆れるほど手を加えた。3気筒だから先輪の復元機構の厚さがほとんど取れない部分であったが、V字の斜面で正しくセンタリングする機能を持たせるように設計し、作り直した。
3気筒機であるから、中央クランクを作動するように改造した。しかしそれは祖父江氏の目には適わず、さらに2回も改良工事を受けている。この件については以前にも述べた。
外観は完成しているが、キャブ内が作ってなかった。そのまま30年近く放置してあったのだ。極めてよく走り、どんな線路状況でも脱線したことがないので、救出用の機関車として重宝していた。自宅のレイアウトで手が届きにくい場所で脱線した貨車があっても、連結さえできれば牽き出せる。牽引力は大変大きく、信頼性があった。
これもキャブ内を適当に作って塗ることにする。重油専焼型の焚口戸はたくさん用意してある。後はメータ類とブレーキだけだ。その程度の部品が付いていれば、文句はない。
32年前この機関車がほぼ完成した時、神戸の震災で亡くなった魚田真一郎氏に見せた。彼はその構成と走りに驚嘆した。
「こんなに実感的であって強力で、滑らかに走る機関車は世界中のどこにもない。」と褒めちぎった。
それでこのレヴェルの機関車を祖父江氏に作って貰い、世に残すべきだと、祖父江プロジェクトを立ち上げたのだ。
全軸イコライジングで、模型としての完成形を作ろうというものである。祖父江氏という類稀なる能力を持つ人に、正しい資料を適切に提供し、物理的、工学的な監修を施した世界最高の模型を作って貰おうということになった。日米の模型人と交渉して、販売先を確保しつつ、資料と部品の入手に尽力した。晩年の祖父江氏はこれらのプロジェクトで忙しかったが、きっと幸せであったと思う。
Sofue Projectとして8機種の製品が誕生し、それらはOゲージ鉄道模型の最高傑作とされている。
この機関車は動輪径が63インチ(1600 mm)であって、固定軸距離がそれほど大きくはないので急曲線の続くSPの山岳路線では重宝されたのだ。
「こいつにゃあ、苦労したぜ。」と言う。サンドドームを貫通しているスロットルの引き棒の孔を前後で合わせるのが大変だったそうだ。ガタの無い孔で、なおかつ引き棒が曲がってはいけない。正確なジグを作り、ケガキを入れたという。これは難しそうだ。


外観は完成しているが、キャブ内が作ってなかった。そのまま30年近く放置してあったのだ。極めてよく走り、どんな線路状況でも脱線したことがないので、救出用の機関車として重宝していた。自宅のレイアウトで手が届きにくい場所で脱線した貨車があっても、連結さえできれば牽き出せる。牽引力は大変大きく、信頼性があった。
これもキャブ内を適当に作って塗ることにする。重油専焼型の焚口戸はたくさん用意してある。後はメータ類とブレーキだけだ。その程度の部品が付いていれば、文句はない。
32年前この機関車がほぼ完成した時、神戸の震災で亡くなった魚田真一郎氏に見せた。彼はその構成と走りに驚嘆した。
「こんなに実感的であって強力で、滑らかに走る機関車は世界中のどこにもない。」と褒めちぎった。
それでこのレヴェルの機関車を祖父江氏に作って貰い、世に残すべきだと、祖父江プロジェクトを立ち上げたのだ。
全軸イコライジングで、模型としての完成形を作ろうというものである。祖父江氏という類稀なる能力を持つ人に、正しい資料を適切に提供し、物理的、工学的な監修を施した世界最高の模型を作って貰おうということになった。日米の模型人と交渉して、販売先を確保しつつ、資料と部品の入手に尽力した。晩年の祖父江氏はこれらのプロジェクトで忙しかったが、きっと幸せであったと思う。
Sofue Projectとして8機種の製品が誕生し、それらはOゲージ鉄道模型の最高傑作とされている。
この機関車は動輪径が63インチ(1600 mm)であって、固定軸距離がそれほど大きくはないので急曲線の続くSPの山岳路線では重宝されたのだ。
2025年01月29日
今月号のTMS
表紙の写真を見て、中で解説されている写真はどんなものかと期待して開いた。驚いたことにすべて俯瞰写真だ。何が言いたいのだろう。せっかくの勾配線を使った運転を楽しむ様子が見られると思ったのにこれでは意味がない。レイアウトの高さはどの程度なのだろう。せめて 1 m以上の高さに基準面があると勾配を上り下りする様子が良くわかるはずだ。
次の雪原のレイアウトも俯瞰写真ばかりだ。いったいこれはどうしたものか。線路脇に立った時の視点の写真が無いと面白くないだろうと感じるのは筆者だけだろうか。
「私の読んだTMS」という追想記事は今一つだ。「ロンビックのところはよく分かっていないということがよく分かる。」と電話を掛けてきたのが2人も居た。もっとよく理解している人を指名すべきだろう。次のD51の記事は訳アリ記事で、出すべきではなかったかもしれない。このメカニズムの発案者が誰かということは、このブログを昔から読んでいる方はお分かりだろう。
一方、Model Railroader誌の記事はどれを読んでも破綻が無い。この会社では様々な分野の査読に専門家を登用している。昔話になるが、電子工学の分野ではDon Hansen氏が居た。彼のアイデアが面白いのでそれに派生して思い付いたことを投書したことがある。1985年にミルウォーキィで開かれたNMRA convention で待ち構えていた。筆者のアイデアを面白がり、その後長くお付き合い戴いた。彼はMR誌の電気分野の顧問をしていた。非常に優秀な方であるが、筆者のような素人のアイデアをバカにしない懐の深い方だった。
ハンセン氏は15年ほど前から病気になって手紙が来なくなり、2年ほど前亡くなったと知った。残念だった。
TMS誌が1000号を超えて発展するには、彼のような査読者が必要なのである。読者が「分かってない」と見破るような記事では心もとない。
次の雪原のレイアウトも俯瞰写真ばかりだ。いったいこれはどうしたものか。線路脇に立った時の視点の写真が無いと面白くないだろうと感じるのは筆者だけだろうか。
「私の読んだTMS」という追想記事は今一つだ。「ロンビックのところはよく分かっていないということがよく分かる。」と電話を掛けてきたのが2人も居た。もっとよく理解している人を指名すべきだろう。次のD51の記事は訳アリ記事で、出すべきではなかったかもしれない。このメカニズムの発案者が誰かということは、このブログを昔から読んでいる方はお分かりだろう。
一方、Model Railroader誌の記事はどれを読んでも破綻が無い。この会社では様々な分野の査読に専門家を登用している。昔話になるが、電子工学の分野ではDon Hansen氏が居た。彼のアイデアが面白いのでそれに派生して思い付いたことを投書したことがある。1985年にミルウォーキィで開かれたNMRA convention で待ち構えていた。筆者のアイデアを面白がり、その後長くお付き合い戴いた。彼はMR誌の電気分野の顧問をしていた。非常に優秀な方であるが、筆者のような素人のアイデアをバカにしない懐の深い方だった。
ハンセン氏は15年ほど前から病気になって手紙が来なくなり、2年ほど前亡くなったと知った。残念だった。
TMS誌が1000号を超えて発展するには、彼のような査読者が必要なのである。読者が「分かってない」と見破るような記事では心もとない。
2025年01月27日
続 ディカールを貼る

この製品群は、1984年ごろアメリカでSunnyside というブランドで発売された。日本側の代表者は池田氏であった。彼は某防衛産業に勤務し、テキサスに10年以上いたのでアメリカでかなりの人脈があったのだ。Sunnyside とはペンシルヴェィニア鉄道がニューヨーク東方に作った客車基地の名前である。現在は Amtrak の車庫になっている。
Pennsylvania鉄道に特化した模型群を発売した。T1 Duplexを50輌、P85 Coachを200輌、このカブースを200輌作ったのだ。
最初、T1の製作依頼は祖父江氏に持ち込まれた。アメリカの指定要件(駆動装置、懸架装置他)がおかしいので断ったが、いくつかの部分は作った。この Duplex の機関車は日本の Kodama で作ったが、動力機構はアメリカ製でよく走るとは言えなかった。その設計者は高速回転部の軸を細くすべきだということが理解できない人で、モータ出力の大部分が、グリースの攪拌抵抗で消えてしまうようなまずい設計であった。
その一部のロストワックス部品の製作には筆者も少し関与した。先日原型が出てきて懐かしく思った。
池田氏はその直後に急死され、遠大な計画は雲散霧消した。土屋氏は T1 を購入すると祖父江氏に送り、走行装置を取り替えたので極めてよく走る。
客車は細かく出来ているが、これも板が薄く剛性が無い。脱線すると凹みそうだ。

台車は全体を塗り、タイヤ部分だけを剥がしたのち、ウェザリングを施した。
2025年01月25日
ディカールを貼る
昨年はかなりの数の貨車を完成させた。組掛けのものを無くそうと、計画を立てて処理したのだ。問題はディカールで、買おうと思ったがアメリカにもない場合が多く、頓挫していた。
このブログによく登場する Dr.Y はディカール製作に熟達された方で、時々お願いする。以前お見せしたUP850 は彼のディカールが無ければ完成しなかった。いつも素晴らしい鮮鋭度のディカールを作ってくださる。ただ、仕事が大変忙しい方なので納期は指定せず、時間のある時に作って戴く。
今回はPennsylvania鉄道のカブース群とその他のカブース、貨車である。以前はキュポラを黒くしていたが、brass-solder氏のご指摘で赤く塗り替えた。これらは塗装して箱に入れて仕舞ってあった。 まずは文字を貼っただけで、これから手摺などの各部に色を付け、軽くウェザリングして完成である。
このカブースは目の覚めるような色にした。参考にした写真が現役時のものだったが、本当に綺麗なのである。車端部の補強鉄板が目立つ。
これらは例のH21である。連結器付近の造作を引き剝がして作り直してある。もともとはMax Grayの時代の商品で、カリフォルニア住民の彼には遠い東部の貨車の知識は無かったわけで、仕方ない。以前から持っていたものも同時に改造して4輌が揃った。
端梁の太さは尋常ではない。果たしてこれが正しい設計だったのかは大いに疑問だ。
台車、車輪には色が塗ってない。あちこちタッチアップして埃をかぶせる。石炭は満載する予定で、夕張炭を砕いて準備してある。最近は本物の石炭を入手しにくくなった。
このブログによく登場する Dr.Y はディカール製作に熟達された方で、時々お願いする。以前お見せしたUP850 は彼のディカールが無ければ完成しなかった。いつも素晴らしい鮮鋭度のディカールを作ってくださる。ただ、仕事が大変忙しい方なので納期は指定せず、時間のある時に作って戴く。



端梁の太さは尋常ではない。果たしてこれが正しい設計だったのかは大いに疑問だ。
台車、車輪には色が塗ってない。あちこちタッチアップして埃をかぶせる。石炭は満載する予定で、夕張炭を砕いて準備してある。最近は本物の石炭を入手しにくくなった。
2025年01月23日
Texas and Pacific の Texas


サンドボックスは増設した。裾の丸味はハンダを盛ったものである。これは上手く出来なかったので、祖父江氏にやってもらった。
祖父江氏は大きな銅の焼き鏝を加熱して、サンドボックスをボイラに付けたままで、ひょいひょいと廻して盛ってしまった。その間約2分である。達人の技を近くで見られて幸運であった。50%ハンダを使ったのを確認した。
この機関車は Lima 社の自信作で、主台枠が途中で切れている珍しい一群である。Super Powerというシリーズだ。従台車は無く、曲がる主台枠の後半が、従台車の代わりをする構成であった。Articulated Locomotive という本では、この機関車を関節式の中に入れているほどである。

模型もその構造を再現し、ドロー・バァ(機炭間の連結棒)は後部台枠から出ている。祖父江氏は、「主台枠はここで切れちまって後ろはねぇんだよ。でもねぇ、模型じゃ、モータを入れにゃならねえんでね。」と言った。そのための薄い台枠が火室の途中まで伸びていたのだ。しかしコアレスモータが付いていれば、それは不要であるから切ってしまうつもりだ。
この機関車には祖父江氏の双方向クラッチが付いている。うっかりして箱の中に転動止めの詰め物をするのを忘れて、工作室から撮影のため動かした途端に機関車が動いてカウキャッチャがつぶれた。また作らねばならない。
双方向クラッチはどうも都合が悪いものだ。動輪軸を外して、新規に製作した高効率ギヤ付の動輪軸に取り替える必要がある。これで壊したのは2回目だ。やる気が失せる。
2025年01月21日
Lobaugh の 2-8-4(CNW)

他にも彼が組んだものはあったが、仕掛品はこれだけだった。驚くべきことにディカールが付属していた。1950年代のかなり印刷の甘いものではあったが、使えるかもしれない。早速、膜の補強剤を塗っておいた。駄目なら買い替える。
Lobaugh はその当時からロストワックス鋳物の部品を付属させていた。惜しむらくは、従台車、テンダ台車が軸箱が非可動で、走らせるとオモチャっぽい音がすることだ。すべての軸箱を可動にした。ウェイトは全く付けていないのだが、とても重い。構成材料が分厚いものばかりだからだ。
ボイラは厚肉ブラスパイプを焼き鈍して外型の中に入れ、その内部にプランジャを油圧で押し込み膨らませて作っている。金属バットと同じ製法であり、外型に彫り込んであるディテールが転写されつつ、テーパのあるボイラが出来る。リヴェットなどは完全に表現されているし、各種の補機などの取付穴も同時成型である。それをフライス盤で削ってラニングボードの嵌まり込む溝を付けている。外型は2つないし、3つに分かれるようになっているようだ。火室部分だけが 0.8 mm 程度の厚さの板金工作である。


当時は機関車だけを売っていた場合もあり、テンダは好きなように自作するのが普通だった。木製のテンダもよくあったのだ。
日本製の模型が輸入されるようになり、テンダだけ欲しがる顧客がたくさんいた時代だ。様々な日本製テンダが売りに出ていた。多少形が違っていても文句は言わない人が多かった。あるいは自分で改造する人も居た。
2025年01月19日
Lobaugh の姿勢


地下室の整理をして発掘した機関車の修理・整備・塗装を始めたのだが、あまりにも表面が汚いとやる気が失せる。筆者の処方で酸洗いした。
2種のブラスの色に注目されたい。写真ではその違いが分かりにくいが、肉眼では全く異なって見える。ロボゥのブラスは黄色いのである。どちらかと言うと黄緑色に見えるほどだ。
対するKTM 製は赤い。洗い立てはピンクに近い。銅の含有率を調べると、日本製は80%だ。アメリカ製は75%ほどである。快削性が異なり、日本製には粘りがある。曲げやすく、曲げたものを伸ばしてもう一度曲げても割れない。アメリカ製はそういうことをすると割れてしまうが、糸鋸、ヤスリ掛けは容易だ。
1960年当時、Max Gray は日本のブラスをred brass と呼んで持ち上げた。yellow brass より高級だとしたのである。
筆者はアメリカ製のブラス板を各種持ち帰って、祖父江氏に比べてもらった。両方使ってみて、「あたしゃぁ、やっぱ日本製だね。絞り出せねぇと困るんだよぉ。」と言った。

単純な話だからすぐお分かりになる話だが、進み角を大きくするには、径を小さくせねばならない。実は40年ほど前、最初の3条ウォームを作った時にこの方法で 5 mm軸そのものに歯切りすることも考えた。そうするとボールベアリングの大きなものを採用せねばならなくなり、周速度が大きくなって軸受の中での損失が増えると考え、軸を細くしたのだ。このロボゥの時代はモータがオープン・フレイムの時代だから、その効率は低く、問題にならなかった。当然のことながら、”Free to Roll” とは謳っていなかった。マグネットモータが廻りにくくて、押しても殆ど動かなかったのだ。
歯数は 2/35 で、互いに素になっていることは言うまでもない。良く出来ている。どこかのお間抜けな3条ウォームと比べるのも空しいが、機械工学の分かっている人の製品は大したものである。

ロボゥという会社は、精密機械工作(特殊ネジの製作)を稼業としていた。模型部門は社長の趣味を副業として発展したが、社長の死と共に消滅した。筆者はかなりの数の製品を持っているが、どれも正しい理論に基づいて作られ、当時としては世界最先端の模型を作っていたはずだ。動力部はモータを取り替えるだけで、素晴らしい動きをする。
筆者の高効率ギヤ装置には最適の大きさのボールベアリングが使用されているので、半径比による損失が最小となっていて、それが高効率の実現に貢献している。また、歯車の材質を吟味し、仕上げ精度をさらに上げているので、ロボゥより良くなっている。ギヤを設計するというのは寸法を算数で決めることではなく、歯形をかなり面倒な計算で求めねばならない。歯車屋に行って「これと同じものを作れ」と言ってもできない。そういうことをした人は居るようだが、出来て来たものは動きが渋いのは仕方ない。
2025年01月17日
続 UP7000(Lobaugh製)

通電すると起動に 3 A も喰ったが、12 V で適正速度であった。モータを外し、動輪はフランジの形の良いKTM製と取り替えた。軸が1/4インチ(6.35 mm)であるのは太過ぎるので、5 mm軸にした。軸箱は3/8インチ(9.52 mm)角である。これを10 mm角にした。ボ−ルベアリングは内径 5 mm、外径 8 mm で統一している。
このボイラはとても重い。厚さが 3 mm弱のブラスパイプでできていて、内外の型の中で押し出されて作られている(後述する)。
直接のハンダ付けは難しいので、あちこちに孔をあけ、2-56(約 2.2 mm のネジ)のタップを立てている。相手が厚いのでネジはよく利いている。
この機関車には、形だけは正しいYoung 式ヴァルヴギヤが付いていたが、理屈を理解しているようには見えなかった。
モーション・プレートがヤング式用のものなので、丁寧に作り替える予定だ。構造は難しくないので、壊れにくく作って動きを楽しみたい。
このヤング式は祖父江氏が作ってみたいとは言っていたが、実現されなかった。おそらく実物通りに作動する模型は日本にはないのではなかろうか。
テンダは異常に重い。1.7 kgもある。普通は 500 g程度であるはずだ。床板は鋳物である。タンク部はエンドも一体の構造で、厚肉パイプである。前方の四角の炭庫部分は鋳物を削り出してある。踏んでも壊れないだろう。側面に付いている工具箱はムクの角棒を削ったもので、厚板を組み合わせてテンダ台枠にネジ留めである。
台車は捨ててバネの利くKTM製に取替え、ボールベアリングを仕込んで Low-D 車輪を付けたので、実に滑らかに走る。バネがつぶれているので、硬いバネに取り替えざるを得ない。
2025年01月15日
UP7000(Lobaugh製)
当時はこの UP7000 (4-8-2) とUP5000(2-10-2)とを補機として使用するような勾配のあるレイアウトを考えていたので、複数欲しかった。この機関車の形が気に入っていたこともある。いかにもUPらしい形だ。
もう1輌のロボゥの機関車の主台枠は鋳物で新製した。細かい細工をしているときに少し捻じれてしまい、戻すと折れそうになったからだ。太いネジ貫通孔を沢山あけ過ぎである。これはロボゥの欠点だ。主台枠は作り替えることにした。
祖父江氏は中に補強を入れれば捻りに耐えるようになるので、実用になるとは言う。預けていた別の台枠が帰って来たものを見たら、なんと厚さ 5 mmの板を切ったものを3枚もはめ込んでハンダ付けしてあった。さらに軸箱護りが実物のように噛み合うようにしてあったのだ。これくらいやれば壊れないよ、ということであったが、もっと単純な解決がしたかった。
その頃偶然に高岡の鋳物屋さんと知り合い、発泡スチロールで原型を作る鋳造法の話を聞いたので、お願いした。砲金で作って欲しいと言うと、配合を聞かれた。単に快削の砲金としか考えていなかったので、水道の止水栓をばらして送り、それで鋳造してもらった。
この原型は鋳縮みを計算して作る。砂に埋めて固めたのち、熔湯を注ぐと発泡スチロールは蒸発して空洞になり、その空間が金属で置き換わるという手法だ。発生するガスは負圧にして吸い出すのだ。
鋳物が出来上がったが、一部失敗して欠損したと言う。新たにやり直すにはもう一つ原型が必要なので、そのまま発送して貰った。台枠の後ろを切り離して削り、ブラスの塊を嵌め込んでハンダ付けしてから、縦フライスで切り出した。難しい仕事ではなかった。
軸箱護りもフライスで削り出し、パイロットをガス火で焙ってハンダ付けした。シリンダはロボゥの製品だ。上廻りを載せ、高さを調整してネジで締めた。製品よりかなり重くなった。台枠が厚い鋳物になったからだ。しかもネジは細い M2 の止まり穴だから折れることはない。しかしタップは#3まで使って奥までネジを切る必要がある。ガラはこういう仕事では威力を発揮する。
テンダはロボゥのオリジナルだ。かなり重厚な感じであるが、好きな形ではない。台車は非可動の砲金鋳物なので、捨ててバネの利くKTM製に取替える。
もう1輌のロボゥの機関車の主台枠は鋳物で新製した。細かい細工をしているときに少し捻じれてしまい、戻すと折れそうになったからだ。太いネジ貫通孔を沢山あけ過ぎである。これはロボゥの欠点だ。主台枠は作り替えることにした。
祖父江氏は中に補強を入れれば捻りに耐えるようになるので、実用になるとは言う。預けていた別の台枠が帰って来たものを見たら、なんと厚さ 5 mmの板を切ったものを3枚もはめ込んでハンダ付けしてあった。さらに軸箱護りが実物のように噛み合うようにしてあったのだ。これくらいやれば壊れないよ、ということであったが、もっと単純な解決がしたかった。

この原型は鋳縮みを計算して作る。砂に埋めて固めたのち、熔湯を注ぐと発泡スチロールは蒸発して空洞になり、その空間が金属で置き換わるという手法だ。発生するガスは負圧にして吸い出すのだ。
鋳物が出来上がったが、一部失敗して欠損したと言う。新たにやり直すにはもう一つ原型が必要なので、そのまま発送して貰った。台枠の後ろを切り離して削り、ブラスの塊を嵌め込んでハンダ付けしてから、縦フライスで切り出した。難しい仕事ではなかった。
軸箱護りもフライスで削り出し、パイロットをガス火で焙ってハンダ付けした。シリンダはロボゥの製品だ。上廻りを載せ、高さを調整してネジで締めた。製品よりかなり重くなった。台枠が厚い鋳物になったからだ。しかもネジは細い M2 の止まり穴だから折れることはない。しかしタップは#3まで使って奥までネジを切る必要がある。ガラはこういう仕事では威力を発揮する。
テンダはロボゥのオリジナルだ。かなり重厚な感じであるが、好きな形ではない。台車は非可動の砲金鋳物なので、捨ててバネの利くKTM製に取替える。
2025年01月13日
UP7000
以前完成させたのはこの機関車だ。細密度はこの程度に抑えたもので十分としている。
あと、これと同型の KTM製2輌と、Lobaugh製1輌 がある。図面を調査すると、Southern Pacific のマウンテン MT は、UP の7000型の同型機であることが分かる。動輪は73インチ(1854 mm)で、パシフィックよりも小さい。これらは当時世界最大のマウンテンであって、最強力機でもあった。当時はSPとUPは同じ機種を採用していたことが多い。Max Gray がこの二社の機関車の模型を相次いで発売したのは当然である。
祖父江氏が MT を作り、それを KTM の別の下請け工場でコピィしてUP7000を作った。そのコピィの方をジャンクで手に入れた。テンダが無かったのでスクラッチから作った。UPの9000 (4−12−2) のテンダと同形のものを設計した。材料が厚過ぎて重くなったが、ボールベアリングを付けてよく走るようにした。それを別の機関車に流用したので、この写真のテンダはSP5000用を仮に置いてある。
1977年、ボールベアリングの装着を始めた頃だった。重いテンダの走りを改良するためにはボールベアリングを入れるしか方法がなかった。機関車の改良はその後である。
祖父江氏に見せると、「こいつぁ参ったね。こんなによく走るたぁ思わなかったよねぇ。よぉし、機関車に付けてやらぁ。」と言って、機関車にボールベアリングを装着した。
驚いたことに、その改装が終わった機関車には双方向クラッチが付いていた。工場の試運転線のSカーヴを端から端まで惰力で走った。当時は逆駆動できるギヤが無かったし、コアレスモータも手に入らなかった時代だったからだ。
「素晴らしいですね!」と褒めると、祖父江氏は自虐的に言った。
「おいおい、勘ちげぇしちゃあいけねぇよ。こいつぁオモチャだぜ。本線上でこんな走りじゃあ、事故を起こしちまわぁ。」
その通りである。合葉氏も同じことを言われた。筆者は祖父江氏が作ってくれた双方向クラッチを装備したパシフィックを持っているが、本線上で走らせたことはない。試運転線でも完全に平坦であることを確認していないと、怖くて運転できない。摩擦の多い車輌を牽けばそれなりの走りを示すだろうが、単機では危ない。そういうことを知ってか知らずか、この機構をほめそやす人が居るが、危ない話である。ボールベアリングを装備した客車を牽かせるのは怖くてできない。
あと、これと同型の KTM製2輌と、Lobaugh製1輌 がある。図面を調査すると、Southern Pacific のマウンテン MT は、UP の7000型の同型機であることが分かる。動輪は73インチ(1854 mm)で、パシフィックよりも小さい。これらは当時世界最大のマウンテンであって、最強力機でもあった。当時はSPとUPは同じ機種を採用していたことが多い。Max Gray がこの二社の機関車の模型を相次いで発売したのは当然である。
祖父江氏が MT を作り、それを KTM の別の下請け工場でコピィしてUP7000を作った。そのコピィの方をジャンクで手に入れた。テンダが無かったのでスクラッチから作った。UPの9000 (4−12−2) のテンダと同形のものを設計した。材料が厚過ぎて重くなったが、ボールベアリングを付けてよく走るようにした。それを別の機関車に流用したので、この写真のテンダはSP5000用を仮に置いてある。
1977年、ボールベアリングの装着を始めた頃だった。重いテンダの走りを改良するためにはボールベアリングを入れるしか方法がなかった。機関車の改良はその後である。
祖父江氏に見せると、「こいつぁ参ったね。こんなによく走るたぁ思わなかったよねぇ。よぉし、機関車に付けてやらぁ。」と言って、機関車にボールベアリングを装着した。
驚いたことに、その改装が終わった機関車には双方向クラッチが付いていた。工場の試運転線のSカーヴを端から端まで惰力で走った。当時は逆駆動できるギヤが無かったし、コアレスモータも手に入らなかった時代だったからだ。
「素晴らしいですね!」と褒めると、祖父江氏は自虐的に言った。
「おいおい、勘ちげぇしちゃあいけねぇよ。こいつぁオモチャだぜ。本線上でこんな走りじゃあ、事故を起こしちまわぁ。」
その通りである。合葉氏も同じことを言われた。筆者は祖父江氏が作ってくれた双方向クラッチを装備したパシフィックを持っているが、本線上で走らせたことはない。試運転線でも完全に平坦であることを確認していないと、怖くて運転できない。摩擦の多い車輌を牽けばそれなりの走りを示すだろうが、単機では危ない。そういうことを知ってか知らずか、この機構をほめそやす人が居るが、危ない話である。ボールベアリングを装備した客車を牽かせるのは怖くてできない。
2025年01月11日
Southern Pacific の Mountain


キャブの中は見えにくいので、いつものようにごく適当に仕上げた。美しい塗装ができれば、誰も文句は言うまい。
配管はある程度正しく、綺麗に仕上げなければならない。給水温め器は日本にはないタイプだ。
数輌の客車を牽いて走ればよいので、走りは静かであれば合格点を与えられる。
この調子で行けば、毎月1輌完成させられるかもしれない。ディーゼル電気機関車と異なり、全て異なる細工なので気が滅入ることがない。塗装も楽しい。ディカールは全て用意してある。
2025年01月09日
続 UP Mikado

煙室の真下にはリヴェットのついた補強板を当てる。その場所を用意しておいた。それを付けるとボイラ中心が少し上がるから、キャブも持ち上がる。そうするとテンダの炭庫の肩の曲がり具合との整合性がよくなる。この部分の整合性が無い模型はたまに見るが、変なものである。Rivarossi のUP FEF3はそれだ。Big Boyのテンダを流用しているので、肩の曲線が全く合っていない。 これは椙山氏ものちに同じことを仰っていたのを記憶している。アメリカの雑誌の記事で、それを修正したテンダを作った話があった。
カウ・キャッチャは硬い材料のものに取り替えたい。ラニングボードは短くして段を付け、その下にエア・コンプレッサを2台付ける。
また、シリンダ部上の排気管(左右で2本)は少し長さが足らなくなりそうで、継ぎ足す方法を考えねばならない。 設計してから作っているのではないので、あちこちを補正しながらの作業である。1輌しか作らないものであるから、気楽である。
キャブはハンダが剥がれて分解してしまった。焼き鈍された板をエッチングしてハンダ付けしてあるが、彼らにはその技量がない。
持つと多少歪む。それが累積するとハンダが割れ、壊れてしまったのだ。硬い板で裏打ちをして、角には角棒を入れて作り直す。
このように補強していくと、完成時には元の製品とは全く異なる剛性のある機関車になる。
2025年01月07日
UP Mikado

砂箱は1つのタイプにする。もう一つ載せたいのだが、そうするとベルを付ける場所に悩む。先回の写真のように煙室前の上に付けると、引っ掛けて壊し易い。

このアジン製の製品はハンダ付けが稚拙で、様々な部品がぽろぽろ落ちる。すべて外してやすりを掛け、63%ハンダで付け直す。接合面に完全に沁み込ませるのだ。
蒸気機関車の製作は、走行装置さえ正しくできれば、上廻りはごく適当に作っている。気に入った写真があって、それらしく見えればOKだ。もちろん各種の機器の機能を理解して、文句を付けられない程度の仕上がりにする。人間が歩く部分は、実際に人形を当ててみて、手摺に手が届くか調べる。これは大事なことだ。
2025年01月05日
等速ジョイント
先日の質問に答えるには図を用意せねばならず、多少の時間が掛かった。
まず、一組のユニヴァ―サル・ジョイントはどのような角度で使うと等速になるか、という常識から始めねばならない。その結論は簡単で、全体が面対称あるいは点対称に配置された場合だけである。
この2つの図は伊藤 剛 氏の解説の図から切り出したものを切り貼りして作った。ジョイントの全体がこの形になればよい。
台車キングピンの真下にあれば、いかなる時でもこの形になる。条件としては主台枠に取り付けられた軸受があって、中間のドライヴ・シャフトがいつも車体中心に平行であることだ。
もしの中間軸が浮動していると、面倒なことが起こる。浮動させると、前後でジョイントをひとつずつにせねば不安定になる。すなわち全体でこの一組のユニヴァーサル・ジョイントと同じ構成になる。その場合は台車の水平面での回転が独立に起これば、等速とは言えない条件も起こりうる。
一般的には2軸台車にはギヤボックスが2つずつあり、ユニヴァーサル・ジョイントは台車の外にある。そうすると折れ角は大きく、不等速性は無視できなくなってくる。ディーゼル機関車などでは推進力はドライヴ・シャフトの中央から供給される。今回の設計では回転は片方の台車の端から上に取り出されている。角速度が等しくない設定で大きなトルクを二回も経由させていれば、そこで不具合が起きる。慣性増大装置ではフライホィールの慣性モーメントは巨大で、それを駆動する回転に速度変動、それに伴うトルク変動があれば、悲惨な結果になる可能性が大きいわけだ。
筆者が作った時もその点に十分注意して、不等速になることを避けている。
先日台湾に行った友人の話によると、例の間違ったシェイは、相も変わらず間違ったままだそうだ。困ったものである。実は白井 昭氏が台湾の鉄道に影響力が大きいことを知っていたので、ある人を介してお願いしていたのだが、効き目がないようだ。

この2つの図は伊藤 剛 氏の解説の図から切り出したものを切り貼りして作った。ジョイントの全体がこの形になればよい。

もしの中間軸が浮動していると、面倒なことが起こる。浮動させると、前後でジョイントをひとつずつにせねば不安定になる。すなわち全体でこの一組のユニヴァーサル・ジョイントと同じ構成になる。その場合は台車の水平面での回転が独立に起これば、等速とは言えない条件も起こりうる。
一般的には2軸台車にはギヤボックスが2つずつあり、ユニヴァーサル・ジョイントは台車の外にある。そうすると折れ角は大きく、不等速性は無視できなくなってくる。ディーゼル機関車などでは推進力はドライヴ・シャフトの中央から供給される。今回の設計では回転は片方の台車の端から上に取り出されている。角速度が等しくない設定で大きなトルクを二回も経由させていれば、そこで不具合が起きる。慣性増大装置ではフライホィールの慣性モーメントは巨大で、それを駆動する回転に速度変動、それに伴うトルク変動があれば、悲惨な結果になる可能性が大きいわけだ。
筆者が作った時もその点に十分注意して、不等速になることを避けている。
先日台湾に行った友人の話によると、例の間違ったシェイは、相も変わらず間違ったままだそうだ。困ったものである。実は白井 昭氏が台湾の鉄道に影響力が大きいことを知っていたので、ある人を介してお願いしていたのだが、効き目がないようだ。
2025年01月03日
続 新設レイアウト
レイアウトの骨組は鉄骨を使う。棚の廃棄品を大量に貰って来たので、それをある程度組んで高さが決まれば熔接してしまう。そうすればそう簡単には壊れない路盤ができる。
その部屋は正方形に近く、長さが取れないので、対角線方向に長さを取る。13 m 程度はある。しかし、階段室があってそれが邪魔になる。階段室の角の二つの壁を貫通させて斜めに通す必要がある。
階段室の一部を壊すことも考えたが、線路の高さで壁に孔をあけ、中空を走るようにする。もちろん空気の流通を無くすようにトンネル状になるが、長さが 2 m 近いので、事故時にも取り出し易いように内部の高さを300 mm程度にする。要するに合板で300 mm角の筒を作り、補強材を入れて撓まないようにして、階段室の壁にあけた孔に突っ込むというわけだ。階段室の中ではかなり高いところにあるので、支障はない。見かけは多少なりとも考えて、みっともないことは避けたい。
エンドレスの内側はデッド・スペイスであるから、有効利用する。ロストワックスの工房を置くのだ。床がコンクリートだから、熔湯が落ちても良い。贅沢にグレーチング(すのこ)で浮かしてやることができれば、熔湯はこぼし放題だ。
遠心鋳造機と真空鋳造機がある。
その部屋は正方形に近く、長さが取れないので、対角線方向に長さを取る。13 m 程度はある。しかし、階段室があってそれが邪魔になる。階段室の角の二つの壁を貫通させて斜めに通す必要がある。
階段室の一部を壊すことも考えたが、線路の高さで壁に孔をあけ、中空を走るようにする。もちろん空気の流通を無くすようにトンネル状になるが、長さが 2 m 近いので、事故時にも取り出し易いように内部の高さを300 mm程度にする。要するに合板で300 mm角の筒を作り、補強材を入れて撓まないようにして、階段室の壁にあけた孔に突っ込むというわけだ。階段室の中ではかなり高いところにあるので、支障はない。見かけは多少なりとも考えて、みっともないことは避けたい。
エンドレスの内側はデッド・スペイスであるから、有効利用する。ロストワックスの工房を置くのだ。床がコンクリートだから、熔湯が落ちても良い。贅沢にグレーチング(すのこ)で浮かしてやることができれば、熔湯はこぼし放題だ。
遠心鋳造機と真空鋳造機がある。
2025年01月01日
新設レイアウト
かねてからクラブ員に頼まれていたのは、試験走行ができる簡易レイアウトが欲しいというものであった。Oゲージだけでなく、OJの線路も必要であった。作った作品がどの程度の実力を持つのかを確認するにはある程度の広さのレイアウトで、勾配がなければならない。最急半径は 1400 mm程度にしておくと、曲線通過試験にもなる。ギヤボックスを付けていない車輛も入線が可能なやや緩い入線規格を持つレイアウトである。しかしこのような非常識なことをする人は入場を断る。
資材はかなり集めてある。各種の厚さの合板の端材(と言っても幅 300 mm、長さ2400 mmもある)が300 kg以上ある。その下の骨組みは、鉄骨の棚(奥行 600 mm、幅1800 mm)を約250 kgほど貰って来たので、それを運び上げた。
路盤は吉岡氏設計のモジュールを 200 kg程度保管しているのでそれを有効利用する。その他の資材100 kgも含めて一気に運び込んだ。
さすがに手で持ち上げるとどうかなりそうだったので、高所作業車を借りてきて一回100 kg程度を持ち上げた。この作業をF氏が手伝って下さったのだ。
フレクシブル線路は O, OJとも 100 mほどあり、ハンドスパイクをして補う。
このレイアウト建設は、場所、資材は筆者が提供できるが、建設にはクラブ員の労力提供を前提としている。やる気のある人たちが居るので、仕事は進み易いとみている。

路盤は吉岡氏設計のモジュールを 200 kg程度保管しているのでそれを有効利用する。その他の資材100 kgも含めて一気に運び込んだ。
さすがに手で持ち上げるとどうかなりそうだったので、高所作業車を借りてきて一回100 kg程度を持ち上げた。この作業をF氏が手伝って下さったのだ。
フレクシブル線路は O, OJとも 100 mほどあり、ハンドスパイクをして補う。
このレイアウト建設は、場所、資材は筆者が提供できるが、建設にはクラブ員の労力提供を前提としている。やる気のある人たちが居るので、仕事は進み易いとみている。