2024年07月

2024年07月31日

PFE の塗装完了

PFE 63-ft mechanical reefer 48年前に製作した木製キットの修理が完了した。基本部分は壊れていなかったが、細かい造作はかなり折れたりしていた。新たに部品を作ってエポキシ接着剤で取付けた。
 元の塗装を全部は剥がさず、スクレイパ(キサゲみたいなもの)で浮いているところを剥がし取りスティール・ウルで磨ると、褐色の自動車用プライマの色が出て来た。その状態を見た友人が、
「このままでも行けるよ!」
と言ったほど、がたがたに錆びた風情がそこには出ていた。

 筆者はそういう状態のまま、荒っぽく上塗りをした車輛を見たことがあるので、そのまま塗り重ねた。表面がざらざらではディカールは載らないから、全体に艶出し塗料を塗ってから貼った。泡を押し出すのに一苦労だ。

 ディカールはとっておきの新型車用(とは言っても35年前の話)である。白抜きのPFEの文字が眩しい。以前の黒文字とは全く異なる雰囲気だ。

 この貨車に装着してあるショックアブソーバの実演をすると、皆驚く。かなりの高速でぶつけても、ぐわっとめり込み、じわっと離れる。 
 誰かが動画を撮ったので、そのうちUPされるだろう。

diesel exhoustdiesel exhoust2 排気管を細い角パイプから作った。こういう部分には意外に大きな力が掛かるので、脆い材料では持たない。ブラスパイプを銀ハンダで付けたものを深く穴をあけた本体にエポキシ接着剤で付けてある。既に塗料が剥げて地肌が出ている。間もなく軽くウェザリングを掛ける。
 この貨車があと2輌ある。黄色と白にする予定だったが、オレンジが好きだ。本当はあと20輌ほど欲しいのだが、おそらく無理だろう。  

2024年07月29日

brake handle

 Tom の娘 Paula から依頼のあった Big Boy のブレーキハンドルが戻って来た。

 このブレーキハンドルは、株式会社エリエイに、出版の御礼として送られてきたものであった。その本の裏表紙にその写真がある。

 それ以降、このブレーキハンドルは全くメディアには取り上げられなかった。JAM などで展示されることもなく、雑誌の記事になることもなかった。会社の人もどこにあるかわからなかったのだそうだから、彼女の請求が無ければそのまま埋没して消えてしまった可能性があった。

 Paula は、
「どこかに展示してあるなら、返せとは言わない。しかし、その存在がインターネット上のどこにもないということは死蔵されているわけでしょう。何とか持ち主に連絡してその後の消息を知り、できれば返還請求をしてもらえないだろうか。貴重なものだから、こちらでしかるべき場所で展示するのが筋であると思う。」
と言って来たのである。
 確かにその通りあるので、社長の平井憲太郎氏に手紙を送ったのだ。
 
Big Boy brake handle 2 先日連絡があった。かなりの時間を掛けて探し出して下さったようだ。その翌日宅急便で無事届いたのがこれである。多少は表面が酸化被膜で覆われているが緑青がふいているわけではない。油を付けて磨けば元通りになるだろう。床のタイルは30 cm角であるから大きさはお分かりかと思う。日本のものと比べるとかなり大きい。

 Paula には直ちに連絡した。大喜びで連絡があり、平井氏には礼状をしたためるとあった。  
 おそらくDenver の博物館に展示されることになるだろうと推測する。

 思わぬことで平井氏には大変なご苦労を掛けたが、良い方向に向かって良かった。

2024年07月27日

続 automated rail way

automated rail way automated の意味だが、これは1962年にUPが本線の運行表示の自動化を完成したことを表す。日本の新幹線で言うところのCTCだ。それまでは電信、電話による通信で列車の位置を人間が認識し、ポイントを切り替えていた。それをコンピュータによる遠隔操作に置き換えたのだ。真空管とリレィの巨大な装置で、何十トンもあったそうだ。Cheyene駅の2階に置くつもりだったが、重過ぎて断念したらしい。 

 この黄色と銀の塗装は、各種の boxcar に応用された。短い 40 ftから長大な 86 ftまである。ヘラルドや地図の大きさは同じであるので、86 ftでは空白(黄色部分)が多くて奇妙なものである。rail に下線があるのが面白い。さらにwayとの間にスペイスがあるのも興味深い。 

 この塗装が始まった頃は、まだ屋根の上にラニングボードがあった。1970年の少し前に新しい法律が出来て、ラニングボードが廃止された。ブレーキホィールも低いところに移された。要するに危険な作業を許さないことになったのだ。
 それまでは走行中の貨車の屋根の上を、係員が歩くことは許容されていたのだ。

 また、当初はヘラルドの文字が UNION PACIFIC RAILROAD で3行だったが、1969年からRAILROADを消し、2行となった。

applying decals さて、これらのヘラルドとか地図はプラスティック膜に耐光性のある顔料で印刷したものだ。粘着性があり、押さえるだけで粘り付く。と書けば大した話ではなさそうに見えるが、実際の貼り付けにはかなり苦労していた。現在のような伸縮性のある材料ではなかったのだ。小さなリヴェットでもその部分はテントのようになってしまい、密着しない。仕方がないのですべてのリヴェット部分を手作業で丸く切り抜き、接着後塗料を塗っていた。これは現物を見た時に気が付いた。最近読んだ記事にその写真があるので、お見せする。これらはUPの鉄道資料保存会の会報からお借りしている。 

2024年07月25日

automated rail way

automated railway ようやく塗装が完了した。夏は湿度が高く、このような平面が多い艶あり塗装は難しい。金属製であれば、予熱しておいて塗るという手もあるが、これはプラスティック製である。下手に加熱すると歪んでしまう。  

 黄色も銀もラッカ・スプレイを用いた。この貨車も連結器には大きなバネが付いてはいるが、ダンパ機能は無いので押し込まれると蓄積されたエネルギィは瞬時に放出される。すなわち壁にぶち当てると、元の速度で正反対の方向にはね返ってくる。やはりショック・アブソーバの威力は凄い。

 細かい部品は全て捨て、金属製の部品に取り替えてある。しばらくは走るだろうが、いずれあちこちにひびが入って壊れてしまうのだろう。

 automated rail way の意味については今まで日本の本で解説を見たことがない。この文字の色分けも独特だ。このディカールはDr.Yに作って戴いたものだ。市販のものより鮮明で、白がきれいだ。あらためてここで感謝の意を表したい。

2024年07月23日

光硬化型接着剤

 最近光硬化型の接着剤をよく使う。これは近紫外光を放出するLEDによって数秒以内に固まるもので、とても便利である。

 瞬間接着剤のように思わぬ時に固まってしまって、再度はがして付け直すということが全く無くなった。じっくり位置を確認したのち押さえ込んで光を当てればよいのだ。固まった後はヤスリで削ると快削性があることが分かる。エポキシのようにヤスリに粘り付くことはない。

 ホームセンタでも売っているが高い。それはたぶん日本製だろう。通販で安いものは中国製のようだ。うんと安いものがあったので注文したらアフリカのどこかの国からの発送だった。電池は放電しているし、接着剤は容器から出て来なかった。全くダメで、返金を要求すると直ちに返金があったから良いが、釈然としない。

 電池の能力が落ちていると、近紫外光が出ない。すなわち固まりが悪い。こういう時は直射日光にしばらく当てると完全に固まる。 
 
 分子構造は三次元網目状になるので、時間が経つと流れるというわけではない。ただ、長時間光に当たると何が起こるかは不明であるので、塗装するのが良いだろう。

 接着以外に、使い方を工夫すると様々な用途に使える。

1.穴を埋める。 爪楊枝を切って差し込み、それに沁み込ませる。光を当てて固めてまだ多少でも凹んでいたらそこに接着剤を落として再度光を当てる。ヤスリで削ってやれば完了だ。

2.リヴェットを足すことができる。うっかり削ってしまった時には、細い針の先に接着剤を付けて、少量を板の上に盛る。大きさを確認して光を当てると丸いリヴェットができる。大きさや曲率が気に入らない時は、拭き取れば何度でも作り直せる。形が決まったところで硬化させればよい。  

2024年07月21日

バナナの熟成

 読者の方が興味深い感想を送って下さったので、紹介させて戴く。コメントも合わせて御読み戴きたい。

私が子供の頃(昭和30年中〜末頃)は、バナナは輸入果物ゆえにかなりの高級品で、一般には「病気の時の滋養」としてしか口にできないものであったと聞いております。ところが、我が家では結構な頻度で食卓に上がり、特別なものという感覚はありませんでした。

これは我が家が裕福だったというわけではありません。父親が神戸港の港湾職員で小型船の運転をしていた関係で、熟れて食べ頃のものをタダでもらって来ていたからです。

当時は、船でも冷蔵設備が整っていなかったので、バナナは完熟前の青い物を収穫して船積みし、船倉内で蒸らして成を行っていました。このため船倉内で食べ頃になったバナナは、店頭に並ぶ頃には変色して商品価値が無くなる(実は、このタイミングのバナナが一番うまいのですが)ので大量に船上から神戸港内に廃棄しておりました。この廃棄するバナナをもらって来て(もちろん海に捨てる前のものです)お相伴に与かっていたというわけです。現在は、温度管理の向上や食品ロスの観点からこのような事は行われていない筈ですが、貴ブログの記事を拝読して、ふと懐かしく思い出した次第です。

 この投稿によると、船の中でむらしていたそうであるが、筆者が見たのは青くて固いバナナが運ばれて来て、それを地下の室(むろ)にぶら下げていたのである。間違って船の倉庫で熟成してしまったのを廃棄していたのかもしれない。そこのところが不明だが、興味深い調査の題材を与えて下さったと感謝している。

 また、青いバナナについては、「轟沈」という軍歌にもあるそうだ。

 
かわいい魚雷と一緒に積んだ青いバナナも黄色く熟れた。男所帯はきままなものよ。髭も生えます。無精髭。




2024年07月19日

waffle-sided boxcar

CEI-364756-MPHS-Obermayer-coll-Moloco-waffle-boxcar-web waffleというのは、あの食べるワッフルである。この貨車の表面にはワッフルのようなでこぼこ模様が付いているのでこのような名前が付いた。
  
 この貨車の内面には、ある装置を簡単に付けることができる。Less Damage 荷物を傷めないこと、すなわち衝撃による貨物の損傷を防ぐ装置である。それは一種のつっかい棒のようなもので、左右の壁の凹みに取り付けるものである。こうすれば荷崩れを簡単に阻止できる。

 アメリカの鉄道では1970年以降大きな変革があった。列車の規模が急速に大きくなったことと、熟練した機関士が極端に減ったことだ。
 Tom Harveyは終戦時に20歳ほどで、それから25年で円熟した時期である。彼の世代は人数が少なかった。彼より年上の機関士達は終戦時に40歳台だったからすでに退職していたし、若い人は何も考えていなかった。ディーゼル電気機関車を動かすには大した技量は要らず、ただスウィッチを On,Off するだけであって、滑らかに運転するためのテクニックなど考える人が少なくなった時期なのだ。
 ちょうどこのころ、巨大なショック・アブソーバを付けた貨車が開発されると同時に、様々な車内用の装置が採用され始めた時期でもあった。

 木製模型の場合は薄い木片を外側に貼るのだ。切り口は斜めに削ってそれらしい形にせねばならない。たくさんの木片を作り、加工して整列させるのはなかなか大変な作業だ。
 貼ってからサーフェサを塗り、スティール・ウルで磨る。これを繰り返すと滑らかな表面になる。

2024年07月17日

Fruit Growers Express

Fruit Growers Express insulated boscar Fruit Growers Expressは、ワシントンDCに本社を置く企業であった。フロリダの果物を東部の大都市、中西部に運ぶのが目的の会社だった。

 先回扱ったPFEは西部の山脈を越えて3日以上も掛かって運んでくるので、途中で氷を足さねばならなかった。山間部には天然氷を取り込む備蓄設備も持っていたし、大きな製氷装置を約20箇所稼働させていた。季節によっては車端の氷室の天蓋を開けて通風させた。のちには機械式冷蔵車を大量に発注した。

Railroad_Museum_of_Pennsylvania FGEの運行は上手くいけば一日半で到着できる範囲なので、この会社の冷蔵車はやや異なる方向に発達したようだ。断熱性の良い貨車を作り、予め良く冷やした貨物を入れると2日は十分に冷たさを保つのだそうだ。
 のちに機械式冷蔵車も導入されたが、断熱を主流としたようだ。

 さらにはGreat Northern鉄道と組んで、ワシントン州から、リンゴ列車を仕立てて、東部に運んでいた。山間部を通るときには凍結から守るために、ヒータを装備したものもある。

 PFEは冬季に商品が凍結するのを守るために、当初は木炭を使った。のちに石油ヒータによる保温を行っていた。はじめは気が付かなかったが、青いオレンジを積んで目的地に到着すると、程よく熟成し食べごろになっていたのでそれが当然だと思っていた。ところがそれを電熱保温に切り替えたとたんに、オレンジが青いまま目的地に到着することが判明した。

 科学者による詳しい調査の結果、燃焼時にわずかに生じるエチレンのガスが、果実の完熟を促進することが解明されたのだ。以後、この技術は出荷調整の方法として広く行われるようになった。このガスは腐った果実からも出るので、リンゴ箱の中に一つでも傷んだものがあると、全体が傷んでしまうことはよく遭遇する事故である。

2024年07月15日

40-ft Hi-cube boxcar

coupled 40ft Hicubes 筆者が最初にこの40-ftの貨車の実物を見た時、非常に不思議な感じを持った。
 連結器は30 cmほど縮んでショックを小さくするようになっている。だから横から見ると相対的に車輌の隙間が広い。すなわち、列車の長さに対して空間が異常に大きく感じるのだ。一方、86-ftは長いので連結面が多少開いていても、特に不思議な感じは無かった。

up 40ft hicubeATLAS 40_hi-cube_boxcar 黄色に塗った貨車は、大陸横断鉄道開通100周年を記念したキャンペーンの時に使われたはずである。学生時代世話になっていた銀行家から貰ったポスターやカレンダにあったが、現物はほとんど見ることが無かった。

 背が高く、一部の線路では建築限界が低くてぶつかる可能性があるから、妻板の上の方を白く塗って気が付き易くしてある。

 側面の熔接でつないである部分 weld line は細い鉄線(0.3 mm径)を、ぴんとさせて貼り付ける。その時の方法はラッカ・サーフェサの粘着力を使うことになっている。木材の上に塗り重ねたサーフェサにナイフで切れ目を入れ、そこに細い鉄線を載せる。そしてラッカ・シンナを筆で塗ると、軟らかくなって埋没するのだ。そんなことで、くっつくのだろうかと心配したが、意外によく着く。はがれて来ない。もちろん、その上に塗装を掛ける。錆びるといけないのですぐに塗るべきだ。すぐには信じ難い方法であったが、うまい方法であると思うようになった。

2024年07月13日

86-ft Hi-cube boxcar 

UP 86ft Hi-cube 86-ft は 26.3 mである。こんなに長い貨車が半径 140 mほどの急カーヴを通っていた。模型で言えば半径 2.9 mで当博物館の最小半径とほぼ同じだ。アメリカにはそういう線路配置を持つジャンクションがかなりある。特に本線が直交している場所ではよく見る。その線路を、この車輌群が凄まじい音を立てて通過しているの見たことがある。
 
UP86ft Hi-cubeHi-cube wheels この写真は74年版の  Car and Locomotive Cyclepediaからお借りしている。連結器はかなり振れるようになっていて、開放テコは大きな変位に追随するように伸び縮みする。エアホースは連結器のシャンク下で一周巻いていて、伸縮、振れに対応する。
 車輌の幅は狭い。中央部が障害物に当たらないようにしているのだ。また、車端部のハシゴも少し削った部分にある。

 何を積んでいるのかということに興味があった。主として電化製品であった。洗濯機とか冷蔵庫である。これらは体積の割に質量が小さい。すなわち、体積が大きくないとたくさん積めないわけだ。だから appliance car(電化製品をelectric appliancesという)と呼ぶ人までいた。

safety-for-plug-door-boxcar 30年前キットを2輌手に入れたが、作り掛けたまま10年ほど放置してしまった。その間にあちこち壊れて来たので早く完成させたい。プラグドアの下部のローラ台車が無かったのが放置の原因である。それを3Dで作ってもらっているので、楽しみだ。この写真の下の4つの囲みがその台車である。

Penn Central Hi-cube 塗色は UP と Penn Central である。前者は珍しくもないが、後者は東部で現物を見たことがあり、脳裏に焼き付いた。ディカールを手に入れるのに苦労した。このHO模型の色は濃過ぎるし、色調が異なるように思う。PCは1976年に完全に破産した。 互いを敵視していた二つの会社を合併させたので、全くと言って良いほど融合せず悲惨な結果になった。

centering 手元の模型の裏側を見ると、色々な試行をしたことを思い出す。結局ショックアブソーバは外したが、復元装置付きの連結器は付いている。

2024年07月11日

63-ft mechancal reefer

63ft mech.reefer157ft mech.reefer これも Lykens Valley の木製キットで、63 ft(19.2 m)である。これは連結器までの寸法で、実際の車体は57 ftなのだ。連結器に緩衝器が付いているので飛び出しているからだ。  

 筆者の大陸横断鉄道の貨車の印象は、この機械式冷蔵車に集約される。砂漠の中に停車して轟音を発する冷蔵車群。めったにないがその中で燃料切れ予報の警報音が鳴ると、機関士はすぐに無線で連絡して次の駅での給油を手配する。そういう様子を懐かしく思い出す。だから最初にこの車輛のキットを手に入れ、組み立てたのだ。車齢48年になる。

 市販されている既製品の冷蔵車にはエンジン音が出るものがある。DCC仕様で電力はいくらでもあるから、かなりの音量である。正直なところ、やかましい。音量を絞りたい。仮にスピーカを厚紙でふさいでいる。

 この修理中の貨車には連結器には本当に作動するショックアブソーバが取り付けられている
   
 材料はかなり粗悪で、側面と床の板が反っていた。それは捨てて、10 mm のアガチス材を正確に挽き下ろして箱を作り、屋根板を貼った。妻板のドレッドノートは鉛合金で重い。エポキシで箱に貼り付けた。

63ft mech.reefer263ft mech.reefer3 何度もサーフェサを塗り、研ぎ上げた。かなりきれいな表面だ。それに角棒を貼り、屋根のハット・セクション(帽子のような断面であって、屋根板をはぎ合わせる金物)を付ければあとはリブを付ける工作だけである。
plug door truck (3) (1) このドアはプラグドアで、ロックを兼ねたクランク付きのバーでドアを押し込む。それがレール上を滑っていくための台車が必要だ。手で作っても揃わないので、これまた3D-プリントで作ることになる。写真はそのドア下部の台車であり、右はドアを押し込むテコである。

PFE mechanical reefer 以前作ったものが事故で入庫しているので、その修理と同時に作っている。塗装はPFEになる予定だ。ディカールはたくさん用意してある。色はこのオレンジと、黄色、白になる予定だ。

〈 63-ftという表記は連結器までの長さであり、57-ftは車体長であることが判明したので以前の記事を訂正した。〉
                     July 31、2024
 

2024年07月09日

50ft PS-61 double door boxcar

1692228124.1280.1280__43758 この50ft-6in の貨車は懐かしい。1965年頃にこの塗装スキムが決まり、1969年の大陸横断鉄道開通100年祭に合わせて大量導入された。しかし70年代半ばにはこの車輌はかなり少なくなっていた。殆どが他社に売却されたようだ。

 この図は Intermountain のサイトからお借りしている。ドアはスライディングドアとプラグドアの両方が付いている。この貨車が欲しかったが、ブラス製は無く、自作するしかないと諦めていた。

UP 50ft boxcar 数年前、ジャンク同然の古いプラスティック・キット(50年前発売)を偶然入手した。最近組み始めたが、材質が変化していてとても脆い。ハシゴ類は、取り付けようとランナから外す瞬間に粉々に折れてしまう。仕方がないから細いものは全て捨て、大きな部品だけを使って組み、細部は金属製の部品を取り付けた。ABS製とは謳ってはいるが、やはり50年も経つと駄目である。可塑剤が蒸発したり、酸化されるのだろう。US Hobbies の製品であったから信用していたが、プラスティックという材料の限界を示しているようである。

 模型はブラス製か木製に限る。木材はバカにできない。これは伊藤 剛氏も指摘している。50年前の日本製ダイキャストはことごとく膨張している。その度合いは形によって異なるが、1%弱である。割れてはいないので気が付きにくいが、孔が大きくなって、ブッシュが抜け落ちるものが多い。
 アメリカ製であっても膨らんでいるものがたまにある。これは中国製のようだ。かなり悲惨である。

 ディカールは30年以上前に複数用意してある。当時もらったUPのポスターに、この貨車の60輌編成が曲線を描いて走る写真があった。本当はこの長い編成を作りたかったのだ。

50ft boxcar 塗装は黄色を先にしてしまったのは失敗だった。下地が黒なので、厚く塗らないと色が出なかった。下地が銀なら、薄く仕上がっただろう。艶が出ているので、反射で明るい部分が白く見える。Oスケールだから厚みはごまかせるが、HO以下では悲惨な結果だったと思われる。

 説明書に「この模型はABSで成形されているので、どんな塗料を塗っても問題ない。」とあったのには驚いた。思い切って、ホームセンタで安売りしていたラッカ・スプレイを使ってみたのだが、隠蔽力不足でやや厚い塗膜になってしまった。     

2024年07月07日

cushion coil car

cushion coil car (2) この木製貨車は車齢45年ほどである。今回塗装して、ディカールを貼った。車輪はまだ塗っていない。後ろにあるのは以前紹介したプラスティック製真空成型の模型だ。
 木製キットはLykens Valley という会社の製品で、珍しく正確な図面と材料が入っていた。

cushion coil car (1)cushion coil car inside 内側はこのようになっている。木製模型は内部が平滑で面白くないが、プラスティックの方は本物をよく見て作っている。木製の方は hood(覆い)を取らず、かぶさったままが良さそうだ。車端のスノコ状のところはうまく出来た気がする。

 この車輌の実物はよく見た。いかにも丈夫そうなH鋼を組み合わせた構造で、かぶさっていた hood は薄い材料で出来ていた。クレインで外した hood には重ねて置けるように角が生えていた。しかし、後ろのプラスティック製の hood の角は短い。これでは重ねて置けない。捨てて作り直すしかない。

 模型は棒材と板材で、それらを組み合わせてH鋼状の梁を作り、全体を構成する。透けた歩み板が手に入ったので本物のようにした。上からレイルが見えるのはなかなか良い。接着剤は全てエポキシを用いた。木材には沁み込むので非常に丈夫である。

 hoodはブラスで作るつもりである。角のあるタイプと、丸いカマボコ状のタイプがある。積み荷として鋼板コイルに見えるロール紙を各種用意してある。うまく塗装すれば鋼板に見えるはずだ。

 連結器には油圧のシリンダがあり、衝撃を吸収する。とにかく重いものを載せる貨車である。

2024年07月05日

またまた C&O coal hopper

C&O peak-end hopper これも C&O の peaked end hopper である。前回紹介のものとは微妙に異なる。


 前回紹介したものは、間違いなくUS Hobbies(Levon Kemalyan氏がインポータ)の製品である。板は 0.4 mm で、ある程度の丈夫さが担保されている。ボルスタは黒いフェノ−ル樹脂で、台車から絶縁されていた。

old and new 今回のものは板が薄く、また寸法も微妙に違う。やや細いのだ。しかし製作手法はほぼ同じだ。おそらく、Max Gray以前の輸入品International 製)だろう。もちろん製造は安達製作所のはずだ。1957年頃だろう。この写真で手前は少し上部の幅が狭いのが分かる。側板上の部分の傾斜が急だからだ。

 ボルスタは t 0.6 ブラス板で、それに殆ど効かない M3 のJISネジが立ててあった。ピッチが荒いので、ほとんど効き目がない。めくり取って 1 mmの板で作り直し、その中心部にさらに t 1.5 のブラス板を貼り重ねて ISO ネジの穴を作った。台車が絶縁材料だから、金属製で良いのだ。ブレーキシリンダ、エアタンクなども無かったから、それらしいものを探して付けた。。
 連結器付近は弱いので、例によって t 1.5で作り直し、衝突に耐えるようにした。ホッパ下部は何も付いていず、寂しいのでアングルで小部品を付けた。

 ミッチャクロンで下塗りして、艶を出す塗装をした。ディカールを貼り易くするためだ。石炭を積まねばならない。夕張炭を10 kgほど持っているので、砕いて積む予定だ。

C&O peak-end hoppers このホッパ車の寸法が他と異なるということは、並べるまで全く気が付かなかった。見かけ上は同じものに見えたのだ。入手した時に妙に安いな、と思ったことは覚えている。アメリカの市場価格は、意外と実情をよく反映していることが分かった。ブローカの知識が豊富なのだろう。  


2024年07月03日

6-dome tankcar

6-dome tankcar 中学生の頃から、ドームがたくさんあるこの種のタンク車に興味があった。アメリカ製のキットでワイン用の貨車があるが、他にも大型の機種があることに気付いた。

 テキサスには大きな硫黄鉱山があった。硫黄が地下に埋まっているところに高温高圧の水蒸気を注入し、融解したものを圧力で押し上げて取り出す(Frash法)のだ。その融けた硫黄(115 ℃以上で融解)を入れるタンク車があった。ネット上ではあまり良い写真が無いが、現物を見たことがある。ドームが意外に太いと感じた。その写真が見つからないので、いくつかの参考資料と記憶とを照らし合わせての設計である。
 既に、このフラッシュ法での硫黄採取は今世紀に入ってからは行われていない(フラッシュは人名である)。現在硫黄は原油の脱硫から得られるものが大半で、鉱山で採掘することが無くなったのである。

 タンクボディのエンド部分の2枚以外はスクラッチ・ビルトだ。そういう意味ではタンク車の製作は簡単である。気を付けなければならないのは、ハンドレイルが直線でなければならないことだ。仮に線を入れて確認しながら作る。 

 HOの模型と比べると、ドームの雰囲気が異なる。このドームは3Dの師のS氏に作図をお願いした。高精度のアクリル製である。うっかり1週間ほど明るいところに置いてあったら、部分的に色が変わってしまった。直射日光は当てていない。 
 成型は最低厚みがあってそれが薄いとは言えない厚みなので、製品の底を大きな丸ヤスリで削った。その手間が大変だったが、タンク本体は簡単である。3本ロールで丸めて、端は丸金床で合わせた。タンクエンドは既製品である。実はこのエンドを2つ持っていたので作ってみようと思い立ったのだ。旋盤を持っていれば作るのは簡単そうに思うが、径が大きいので、これを作るのはいろいろな点で疲れる作業である。

 塗装は黄色を主としたものになる予定。 

2024年07月01日

bulkhead flatcars

TT bulkhead flatcar 未塗装の木製貨車を一掃するプロジェクトはかなり進捗し、あと13輌となった。
 この貨車を完成させるのにはかなりの困難があった。側面に
 stakepocket というものがある。鋳鋼で出来た部品で、空洞に角棒を突っ込んで荷物の崩れ留めにするのだ。それをどのように表現するかは、角材を貼り付けてごまかすくらいしか説明書には書かれていなかった。

bulkhead flatcars mad of wood この木製キットを安価で購入し全部で5輌組んだが、最初の2輌にはインチサイズのブラスの角パイプを正確に切って貼り付けた。決して簡単な作業ではなかったが、形態上には不満が残った。上から見れば四角孔があいているが、それだけでなく横から見てもある程度納得のいくものを作りたかったのだ。写真の手前の2輌は前回塗装したものである。

stakepocket 3Dの師のS氏に相談するとうまい形のものを設計してくれたので発注した。片側面に11個で3輌だから66個なのだが、予備を含めて77個作ってくれたのは有難かった。すぐ失くしそうな部品であるし、アクリルだから、とても脆い。細い棒で押さえつけると簡単に割れてしまう。

 接着は光硬化接着剤を用いた。塗布して部品を押さえてLEDで近紫外線を当てるとたちまち硬化する。実際には電池が弱っていたらしく、やや固まりが悪かった。そこで快晴時に30分程度日光浴させると完全に固まった。ヤスリでサクサク削れるほど硬くなる。 

 裏側に活字を接着し、455gとした。重いが、空車回送時の脱線を防ぐためである。Low-D車輪のおかげできわめて走行抵抗が小さい。目で見えない程度の傾きでも転がり出す。

  半年ほど前、所属クラブの展示会にいらした平岡幸三氏はLow-Dの性能に興味を持たれた。余剰貨車を1輌進呈したところ、すぐに連絡があった。
「テーブルの上に置いたら自然にするすると走り出すではありませんか。水平だと思っていた私のテーブルがきわめてわずか傾いているということです。感度の良い水準器で見ないとわからないくらいの傾斜でしょう。初めての経験です。いうまでもなく、ピボット軸受けの摩擦抵抗がいかに少ないかということを示しています。あらためて驚きました。」
と感想をお伝え戴いた。
 平岡氏は高名な技術者であって、そのような方から客観的な感想をお知らせ戴いたのは嬉しい。

 以前完成させた2輌と合わせてrolloutさせた。ロールアウトは新車の実戦投入時などによく用いられる表現である。

 積み荷を考えねばならない。コンクリート・パイプを積んだのをよく見た。記憶をたどって製作してみよう。


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