2014年06月
2014年06月30日
続 伊藤剛氏の死去
拙ブログでは、氏の功績を順次再録してきた。若い方も、剛氏のアイデアを再認識されたと思う。剛氏はアイデアを出すだけでなく、それが模型界に浸透する様に、様々な努力をされた。また、筆者に部品を売るように強く勧められた。おかげさまで、Low-D 車輪は 3万軸弱が市場に出ていった。
今回の博物館には剛氏の業績を伝える展示も用意するところであった。
剛氏は階段で足を滑らせたのが原因で亡くなった、とお聞きした。杖をつくのを嫌がられたのだそうだ。もう少し長生きして戴きたかった。
86歳を記念して8620が牽く列車を完成されたので、96歳では9600を、101歳では101系をという冗談もあった。決して不可能ではない範囲にあったと思う。とても残念だ。
2014年06月28日
伊藤 剛氏の死去

昨年、鉄道模型功労賞が授与され、筆者も立ち会ったが、お疲れのようで心配していた。しかし、その後の会合では元気にやって来られて、楽しいお話を皆さんに聞かせて戴いた。
今回の博物館構想をお話しして、賛同を戴き、「うちのも頼むよ」と言われたのが、つい先日のことであった。そのとき、オーストラリアの吉岡利隆氏が急死された件で、とても残念そうであった。線路工夫のギミックを全コンピュータ制御することを頼みたかったのである。その後、機械式シーケンス制御を苦労して直された。
まだまだ教えて戴きたいことがたくさんあったのに、あっと言う間に旅立たれてしまった。
剛サン、ありがとうございました。貴方から教えられたことは、多くの人に伝えますよ。
2014年06月26日
博物館進捗状況




雑誌も年度別に平積みすることができる。上の方には汽車を置く。それぞれの棚にはLED照明を点ける。最近はテープ型の電球色LEDが安い。5mで送料とも800円台である。12 V で約 1 A である。とりあえず50 m 分用意した。手前のやや低い棚は高架部分を支える。下に物が置けるので、捨てずに活用する。

全ての写真は14 mmレンズで撮っているので遠近感が誇張されていることに留意されたい。
2014年06月24日
乗越しフログ
近所の駅の退避線の出発信号機の下には、乗越しフログの付いた脱線ポイントがあった。銅レイルのレイアウトには、直線部分があり、そこですれ違いができるようになっていた。そこに脱線ポイントを作った。当時のOゲージはフランジが高めであったので、ドリルレースで少し削って1.5 mmにした。全ての車輪を削るのは大変だったので、機関車と一輌目だけである。脱線側に行って突っ込むのは、それぐらいだからだ。
ただ、実物がやっているのだから作ってみたくなったわけである。レイルの上にかぶさるポイント・レイルには、均一な斜面を付けないと飛び上がって脱線する。フランジ分の1.5 mmを持ち上げると、車輌はかなり傾く。しかし、フログの辺りに行くと、持ち上がって同じ高さになる。
遊びに来た友人がそれを見て、わざわざ脱線させて遊んだ。彼はよほど気に入ったらしく、後々までその時の話をする。そのポイントでは、正しく本線に行った回数と、脱線させた回数が同じくらいだろう。本線のポイントとはリンクで連動させた。
台車にバネが入っているのでそれほどショックはなかったが、たまに固定軸の機関車を走らせると、ゴンというショックがあった。
引越しの時に破損して、修理することなくそのまま分解してしまった。昨年、整理していたら、かぶさるレイルが見つかったのだが、うっかり廃品回収に出してしまった。既に熔かされているだろう。
模型の写真を探しているのだが、なかなか見つからない。
どなたか、乗越しフログを作られた方はいらっしゃらないだろうか。
追記 土橋和雄氏から写真を送って戴いた。関西本線井田川駅構内である。(8/30/2014)


2014年06月22日
銅レイル

受け取ったとき、銅線による第三軌条が付いていた。枕木数本おきに木ネジを立てて、それに1 mm径ほどの銅線がハンダ付けしてあった。つなぎ目は二つ折りにして斜めに曲げてあって、弾力で接触するようになっていた。接触抵抗は大きそうだったが、特に問題なく走った。
四畳半にぴったり納まるように出来ているから、半径は1300 mm程度である。注目すべきはそのレイルである。当時は電圧降下が問題であった。モータの性能が悪いから、5 Aとか、10 Aを流していたのだ。電圧降下は電流に依るので、少しでも小さくしようと思うと、レイルの材質を銅にする以外ない。銀が最も良いだろうが、さすがにそれは売っていなかった。銅レイルが市販されていたのは非常に短い期間であったはずだ。筆者もこれ以外見たことがない。

ゴムの威力は絶大で、速度を上げても決して脱線することが無かった。
銅のレイルではすぐ擦り減ってしまいそうだが、意外と長持ちしていた。やはり色が良くないので、人気が無かったようだ。
これは博物館で展示する。
2014年06月20日
続 懐かしい線路
「昔譲って戴いた例の線路が、半分くらい余ってます。あれを剥がせば簡単ですよ。」と仰ったので、残りを買い戻した。
結局8本残っていて、程度の良いもの1本を記念に残し、あとは引き剥がした。大半の合板の接着剤は剥がれ始めていて、寿命が尽きた感じであった。耐水合板でない時代のタイプ3という合板である。
外したレイルはよく磨いて、ポイント作成用とした。フライスで削ってニッケルめっきを掛ければ出来上がりだ。
当時の犬釘の形状が良く出来ていて、感心する。

下孔に入れて、釘締めポンチでコンコンと打つと締まる。
ブラスレイルだから、饋電線なしでもよく走った。レイル・ジョイナの接触抵抗は無視できないはずなのだが、3Aほどの電流を流してもさほど問題はなかった。後に引っ掛け部分を通して通電するようにしたので、性能はぐんと良くなった。
ポイントのフログで車輪が上下するのを眺めて楽しんだ。当時から、Oゲージの台車はバネ可動であったのだ。モータは台車内に入れ、2軸を連動した。平歯車であったから、押して動く電車であった。モータはHO用のモータを使用した。
これが筆者の日本型を走らせた最後の機会であった。
2014年06月18日
懐かしい線路

あるとき、模型屋で出会った人(多分当時20代)が、
「うちの線路を譲ってあげる。ポイントも2つ付いている。真鍮レイルだから立派だよ。」
と、言う。その人はHOに移行したので不要となったものだ。
早速荷台の大きな自転車に乗って取りに行った。価格は忘れもしない五千円であった。当時の五千円は高校生には大金で、青い五百円札10枚を持って行ったことを覚えている。真鍮ムクのレイルが、1本85円の時代で、合板、枕木、ジョイナ、犬釘、塗料の材料費程度で売ってくれたことになる。

電車は近鉄の2200である。これもある人が車体キットを1500円で譲ってくれたものである。ひどいキットで、大半を捨てて作り直した。おかげで糸鋸工作がうまくなった。その2200は関西のN氏に譲り渡し、最近のTMSに紹介されていた。
具合が悪かった原因は軌間である。31 mmしかない。ひどい話で、作った人は線路ゲージが32 mmであることを知らなかったのだ。手持ちの車輌をゲージにして車輪ゲージにぴったりの線路を作ったのだ。おそらく、うまく走らなかったはずだ。それで嫌になって筆者に売ったのだろう。
レイルはほとんど新品で、カーヴ・ポイントは美しく作られていた。早速、片方のレイルを外して、ジグで押えながら 1 mm ほど外にずらした。それから数年、その線路は頻繁に使用したが、20年以上倉庫に仕舞われたままになっていた。

H氏は、カントを付けるために、片側のレイルの下に1 mmゴム板を貼って、持ち上げた。ポイント部は本線側だけを持ち上げたようだ。その後、H氏はフレクシブル・トラックを使った線路に移行し、半分くらいの線路は合板だけ利用したりして、残りは放置されていた。
2014年06月16日
続々 鉄道模型博物館
その後のことがよく分からないうちに、そのOゲージレイアウトは取り壊され、HOの巨大レイアウトになった。Oゲージの機関車は廃車になり、e-bayで売られた。今度の HOの模型は市販品を使っているので、どんどん更新していくようだ。
新レイアウトで走る車輌は、全て3条ウォーム駆動、ボールベアリング装荷であって、Low-D車輪を採用している。耐久力は問題ない。問題はポイントのフログである。硬質ニッケルめっきが施してあるので、そう簡単には減らないと思うが、予備部品を作っておくことにする。尖端レイルも心配である。
蒸気機関車の動輪は、快削鋼製で、薄いニッケルめっきが掛けてあるが、すでに擦り減って地金が出ている。それ以上は減らないであろうと推測する。今回のレイアウトは洋白製のレイルが多いので、カーヴでの摩耗に気をつけねばならない。椙山氏の実験のようにレイルヘッドが無くなるかも知れない。
気になるのは、来訪者が持参する動力車だ。ギヤがむき出しで、油を撒き散らして走る車輌は遠慮願いたい。摩擦係数が小さくなって牽けないのと、埃が固まって車輪が汚れるからだ。自宅のレイアウトが油でべたべたで、そのまま車輌を持ってくる人が居たが、そういうのは車検で排除せねばならない。掃除用の台と綿棒を用意しておくことにする。清拭液も必要だ。
それよりも、事前のPRが大切だろう。他人に迷惑を掛けないのが基本的な姿勢であるべきだ。
2014年06月14日
続 鉄道模型博物館
この博物館には15パーミルの勾配があるから、それを乗り越えて走る様子をご覧になると、きっと感動されると思う。押して動く機関車の挙動は、実に実感的である。カーヴにはカントが付いている。見上げれば、それは実物のようである。
博物館を開く目的はもう一つある。若い人たちへの勧誘である。Oゲージに魅力を感じれば、きっと参入者が現れるはずだ。20代の人たちが何人か、仲間に入ってくれれば嬉しい。材料を提供するのでそれを組んで貰う。テクニックは公開するし、機材も貸して差し上げれば、敷居も低くなるはずだ。
車輌は最初、300輌程度で始めたい。ヤードの延長工事が完成すればもっと多くの車輌を移転させる。エンドレスは一巡りが80 m 以上あるので、100輌牽いても不自然ではない。
外部の車輌は車検を通過したものだけ受け容れるが、おそらくこのような長距離を重負荷で走らせると、不具合を生じる場合が多いと思う。ほとんどの模型は連続運転を前提にしていないからだ。祖父江氏による改造車輌は、耐久性が抜群である。全ての車軸がボールベアリングで受けてあることが大きく効いている。
また、どの軸もバネ付きであるから音も軽やかだ。
2014年06月12日
鉄道模型博物館
「絶対に散逸させない。」という目的を持って、お引き受けすることになった。この話をすると、身を乗り出してくる人が多い。それだけ、皆さんも先行きが不安なのだ。
あちらこちらの著名人が亡くなると、そのコレクションを目当てに模型仲間が群がり、故人の哲学を無視して車輌が散逸する。それをどうしても防ぎたい。収納し、陳列するべき場所を探すのは、かなり苦労した。偶然にもこの場所を借りることができたのは、本当に運が良かった。下手をすると、この建物は壊されて更地になるところであった。いずれ買い取って法人化する。そうすれば遺産相続とは無縁になる。
この話が具体化したとき、息子たちを呼んで計画を話した。
「うちのコレクションも大半はそちらに行く。自宅には少数しか置かない。」
息子たちは、
「それは素晴らしい計画だ。僕たちも助かる。どうやって捨てようかと思っていたからね。」
と茶化したが、多分、それは本音だろう。
線路は、吉岡氏が設計し、筆者や故魚田真一郎氏、話題の友人らで発注した木製組立レイアウトである。半径 2800、2900 mm の複線が2セット、直線が150本揃った。また、ヤード構成用の分岐はすでに必要数、作ってある。曲線には緩和曲線が付けられ、bus wireも裏側に付いている。饋電線の断面積が大きいので、大レイアウトでも電圧降下は無視できるはずである。 レイアウトの台枠を作れば、殆ど完成である。
間もなく間仕切り(先回の画像に処理した部分)の工事が始まり、トイレと非常口が付く。大型の本棚は、既存の陳列棚を塗り替えて転用する。古い鉄道雑誌、模型雑誌が全て揃う予定である。
2014年06月10日
新レイアウト
新しいレイアウトは約60坪の大きさだ。日本最大級の O scale layout であろう。比較的大きな商店の跡に作る。この店は18年前に廃業してそのままになっていた。それを借り受けることで、町興しの一環になれば良いと判断した。店ごとに各スケールのレイアウトができると面白いだろう。
鉄骨発泡コンクリート製の建物で、断熱はすこぶる良い。以前は10馬力のエアコンが付いていたが、真夏でも半分以下しか作動しなかったという。博物館であるから負荷が小さく、なおかつ高効率の機械であるから、4馬力で十分だろうということになった。

「うちのも捨てて欲しいんだが、いくらで請け負うか?」
丁寧にお断りしたが、体力のある方はそれを請け負うと、良い商売になると思う。この通りだけで20軒ほどの空き店舗がある。
ガラスケースが8本ある。それだけでもかなり助かる。商品陳列棚のうち、特注らしい天井までの4本は残し、本棚とする。130 cmの高さの木製棚は築提部分の支えにする。下は陳列棚になるから都合が良い。
照明はLED化した。これだけで発熱量が半分以下になる。紫外線がほとんど出ないので、汽車のためにも良い。照明は電球色とした。人間の眼はよく出来ていて、その下で見ても、正しい色に見えるから大したものだ。
2014年06月08日
benchwork
我が国のレイアウトのベンチワーク(台枠)は殆どの場合、堅固だ。たぶん過剰品質であろう。
アメリカのレイアウトは意外に軽量である。垂直荷重だけしか考えない。足の位置を合理的に考えていて、スパンを短くし、撓みを少なくする工夫がある。
新レイアウトの台枠の設計をした。なるべく簡単に組めるということが大切である。そのためにはモヂュール化を試みることになった。過去の事例を調べると、モヂュールの四隅に脚がある場合が多いが、中央部が撓み易い。吊り橋のように足を1:2:1の位置に置けば、スパンは半分だ。これをネジでつなぐとすべてのスパンは統一される。
脚は垂直荷重に耐えることだけを考え、ブレイスを入れてふらつきを抑える。高さは 1200 mm である。立体交差部分は 1350 mm になる。 パイロット・モデルを作ってみた。簡単な工作である。12 mm 合板を載せただけで十分な強度があった。インパクト・レンチがあるので、仕事は早い。合板は骨組みに接着すると剛性が増す。
これを30台ほど作り、曲線部は中間に台形を8箇所入れて16角形にする。その寸法は計算せねばならない。 組立て済みのモヂュールを載せて見た。ヤードの一部である。もう殆どのポイントは完成している。
<追記> 工法の変更により、この木製の足は不採用となったが、高さを示す見本として、多くの方から御意見を戴く良いきっかけとなった。スパンを短くすることについては多くの方からお褒め戴いた。
2014年06月06日
rail bond
レイル・ボンドとは何か、という質問を戴いた。接着剤ではない。英語でも rail bond と言う。
本物の線路をよく見ると、レイルを結び付ける導線がロウ付けされていることに気が付く。信号電流を流すのに必要だからだ。電化線の場合は、太い線を使って、走行用の電流を流している。その種の接続のことを言う。
昔はそのロウ付けをアセチレン・トーチで行っていた。高温になるとレイルが焼き戻されて、ろくでもないことになる。最近は低温で融けるロウを使うらしい。ハンダほど低温ではないが、焼き戻しが起こらない温度なのだろう。専門家の解説をお願いしたい。
模型の場合、昔はブラスレイルを使っていたのでレイル・ボンドが推奨されてきた。現在は、レイル自体の電気抵抗が問題になるので、あまり重要視されていない。一本ごとの饋電の方が大事だ。
饋電線(きでんせん)のことを英語では feeder あるいは bus wire という。たくさんの電車に向かう電流が乗り合わせているという発想なのだろう。配電箱の中の銅の棒を bus bar と言うはずなのだが、電気屋さんは必ず「ブスバァ」と言う。近所に女性が居ると大変な事態になりかねない。このブスはドイツ語であって、オムニブスのことである。乗合自動車のことを意味する語だ。 フィーダには裸銅線を使う場合がある。12 V 程度では漏電の心配がないからだ。写真はあまり良くない例だが、こんな具合だ。線路の下の構造材に孔をあけ、裸銅線を通す。目的の場所に給電できるから便利である。抵抗を最小にするために細い電線を巻き付けて、ハンダ付けする。この写真では部分的に被覆が剥いであるが、全て裸銅線を使うことがあった。最近はスーツケース型の分岐を用いるので、あまり見なくなった。
2014年06月04日
フィーダの設置
最近のMRの記事を見ると、裸の太い銅線を線路の下の台枠に孔を空けて通し、そこに巻き付けてハンダ付けした銅線をレイル1本1本にハンダ付けしている。レイル・ジョイナはレイルをまっすぐ誘導しているだけで、通電には関与していない。レイルへのハンダ付けの方法が凝っている。側面に付けるのではなく、底面にドリルで穴をあけて差し込み、ハンダ付けしている。手間はかかるが、見かけは良い。これは非常に細かく作られたレイアウトの話である。今回の新レイアウトでは、側面に付けるつもりだ。
レイルごとに饋電(きでん)をすると、電気抵抗が大きくても、殆ど影響がない。せいぜい50 cmの通電であるから、電圧降下が無視できる。
電圧降下は電流と、線路の長さに正比例するから、とにかく小電流で走る列車を用意するべきである。筆者のところでは、最大負荷で1.0 A 以上喰う機関車は存在しない。しかし問題点は他にもあるのだ。客車列車の照明が大きな電流を喰らう。電球の場合は4 A くらい喰う列車があった。LEDに改装しても1 A 弱喰うから、困ったものである。
饋電が完全なら、大電流でも影響を受けないし、逆にレイアウトが小さければ、不完全な饋電でも支障が少ない。HO以下の場合はレイアウトが小さいであろうから、電気抵抗が顕著な障碍とはなり得なかった。しかし、HOサイズ以下でも、雑誌は個別フィーダを紹介すべきであった。
O scale では、大問題である。我国にはO scale レイアウト製作の記事など殆ど無いから、電気抵抗についての分析記事が無かったのだ。JORC関西の可搬線路は、合板製の路盤の裏には饋電線が貼りつけてあり、電気接続は側面の金具をネジ留めするようになっている。かなりつないでも問題はない。
ともかく、販売元は抵抗値を示しておくべきではないか。
2014年06月02日
続々 レイルの電気抵抗
含タングステン洋白は、接点用として用いられる材料である。価格はそれほど高いわけでもない。スパークに強く、減りにくい。また錆びにくい。
模型鉄道のレイル用としては、ある程度の機能を期待できる。レイルの車輪は常に小さなスパークを発している可能性が高いからだ。しかし、摩擦係数は小さいはずだ。耐摩耗性については、別の事例を思い出した。
もう40年も前の話だが、椙山満氏がご自宅3階にレイアウト(MR, TMSで紹介された)を建設されたときに、どのレイルが最も耐久性があるかを調べられた。一度敷くと、そう簡単には取り換えられないので、最も耐久性があるものが求められたのである。
氏は既存のレイアウトの本線のカーヴを各種の線路を使って構成して、そこで耐久試験を行ったのである。毎日、12時間以上、2月ほど走らせたそうだ。
その結果は、断トツにPECOの勝ちであったそうだ。他社のレイルは、レイルヘッドが摩耗してしまった。ウェブと差が無くなったのを見せて戴いた。PECOだけは原型を留め、集電が最も良かったとのことであった。
最近、N氏のレイアウト建設で、ポイント作りをした。その時に材料として提供されたのがPECO製であった。最近の製品のようだが、レイルが意外と軟らかい。糸鋸でサクっと切れ、ヤスリの掛かりが良い。快削性がある。これは何を意味しているのかは分からない。このレイルの電気抵抗を測定してみたいが、予備の線路の量が少なく、方法を考えねばならない。また、成分の分析も、再度鎮目氏にお願いしてみたい。