2013年08月
2013年08月30日
「等角逆捻り機構の工夫」

今野さん、本当にお疲れ様。
そのあと、筆者の等角逆捻り機構の講演だ。何人かの方から、「タイトルの意味が分かりにくい。」とお叱りを受けていた。現にグーグルでこの言葉を検索されて、当ブログに来訪された方が数十人いらっしゃる。それらの方は、「予習」を済まされてのご参加であるから、さほどの困難は無かったものと推察する。問題は、「何だろう」と思っていらした方たちだ。きっとよく分からないままではなかったか、と冷や汗が出た。
このようなメカニズム主体の分野は、ご自分でブラス板を切って穴空け、ヤスリがけ、ハンダ付けをしたことがない人には分かりにくいかもしれない。
出席者は少なくて5人、多くても30人と踏んでいたのであるが、100人弱ほどいらして、後の方の方は見えなかったのではないかと、申し訳ない気持ちで一杯である。
今回は、
1 三点支持の性能が、前後進で異なること。
2 ロンビック・イコライザが、非常に特殊な場合にのみ成り立つ「特殊解」であること。
3 ロンビック・イコライザの効果を得るには、他にも無数の解があること。
4 フカひれイコライザ ≠ ロンビック・イコライザであること。
5 ロンビック、フカひれは、等角逆捻り機構という概念に統一されること。
6 等角逆捻り機構は伊藤剛氏の命名で、根本的には二点支持であること。
7 「制御された二点支持」という概念を理解すると、様々な応用例があること。
8 いかなる線路にも追随するような懸架装置を採用することによって生じる利点。
についてお話しした。
作例も3種用意して行った。それと二軸台車のボルスタが倒れないようにした事例も用意した。これは現場で箱を開いて見たら、ネジが抜け落ちていた。それを嵌めるのに大わらわで、結局のところ、講演中に浮津信一朗氏のお手を煩わせて、締めて戴いた。この場を借りて御礼申し上げる。今野氏のお手製のロンビック・イコライザの見本をお借りしていたので、それもお見せした。
2013年08月28日
JAM 2013 鉄道模型功労者表彰



剛氏の8 mm列車”Sunbeam”號は展示されていたが、今一つ注目が集まる場所ではなく、残念だった。あとで、「知らなかった」と見られなかったことを悔やむ話はいくつか聞かれた。
拙ブログで伊藤 剛氏の話題を出したすぐ後に、JAMの理事の方からの接触があり、「我が意を得たりとの思いです。」とのことであった。受賞はすぐ内定したが、発表までは他言できない。これもなかなか辛いものであったが、幸いにも外国に複数回行っていたので、模型関係者と会うことが無く、助かった。
拙ブログも微力ながらお役に立てたようで、嬉しい。
平野氏のお話では、レイアウトは何度も作り直しをされたようで、シザース・クロッシングの信頼性が低くて困ったとのお話は興味深かった。既製品は精度が低く、完全に平面には仕上がっていないからだろう。(よそで筆者の聞いた話では、大きな油目ヤスリでレイル面全体を丹念に削って平面を出すと良いそうである。)
河田氏の、レイアウトにはアート(絵心)が必要という話には感銘を受けた。
山本氏は小型車輌の専門家で、筆者にはあまり縁の無い方であったが、エピソードは面白かった。熊延(ゆうえん)鉄道で蒸気動車が走る様を一回だけ直近で見たことがあるそうで、その起動時、スリップしたという話は興味深い。それほどのトルクがあったのだ。調べたが、この蒸気動車の記録は見つからない。
このようなトークショウは、非常に興味深い。もっと大きな会場でたくさんの聴衆に聴かせて差し上げたい。
2013年08月26日
続々々々々々々Heber Creeper


フリクション・タイプの軸箱をそのまま使うこともあるし、内部にローラーベアリングをはめることもできる。多少の出費で補守が不要になるから、長い目で見れば得である。
ブレーキビームもあるが、先回も書いたように、切れた時に危険である。現在の路線には特に急勾配もなく、問題はない。





ゆっくりではあるが、着実に進んでいる。ヴォランティアの人たちも来ていて、作業をしている。ペンキ塗りも楽しそうである。この鉄骨は信号機を取りつけるSignal Bridgeである。駅の入り口に付ける。Rio Grandeから貰って来たそうだ。

2013年08月24日
続々々々々々 Heber Creeper

分かりやすく説明すると、現在のUPとかNS等の一級鉄道は台車にローラ・べアリングが完備されていないと列車の中につないでくれないのだそうだ。また、ブレーキも床下にロッドが見えているタイプは駄目らしい。切れるとブレーキが効かなくなるからだ。 この基準に満たない車輌はトレーラで運ぶ他ないのだ。





エンジンフッドを横に開いている。この部分はもともと外に飛び出しているので、形が分かりにくい。閉めて撮ろうと思ったのだが、自然に開いてしまうので、諦めた。

2013年08月22日
続々々々々 Heber Creeper




UPの木造カブースがあった。かなり古いが、よく補修してある。戦前の色である。キュポラを支えるストラップはこんな形である。ロッドタイプもある。煙突の支えの形が面白い。
デッキのステップの奥行きが意外と浅い。足を滑らせて落ちそうである。
台車は多少乗り心地の良い板バネ仕様である。ダンピングが効く。コイルバネでは飛び跳ねるであろう。




この写真の左上に斜めに走っている明るい部分はガラスの反射である。反射光が入らないよう、手で覆っていたのだが、指の隙間から入ってしまった。
2013年08月20日
続々々々 Heber Creeper
このディーゼル・クレインは比較的新しい。多分70年頃の製品だろう。
台車は、フリクション軸受であり、ブレーキロッドが外に付いている。すなわち、内部にはブレーキ機構を入れられない理由がある。
下を覗き込むと、電動機が見えた。二軸を駆動して自走するのだ。それほど大きなモータではないが25kw位はありそうであった。歯車箱を持ち、開放式では無い。どの程度の速度で走るのだろう。場合によっては2,3輌の貨車をつないで移動することもあったのかもしれない。
これはいわゆるMateである。クレインの相棒になる貨車で、ブームを載せたり、様々な資材を積んでおく。今回は空に近い状態であった。
床は真ん中が凹んでいる。理由を色々考えるに、無造作に積んでも崩れにくいことを期待しているのではないかと思った。
実際のところは不明である。
2013年08月16日
続々々 Heber Creeper
この保存鉄道の利益を生み出す客車の更新が進んでいた。 座席を全て取り外し、内装を完全に新装する。この客車はLackawanna鉄道から来たのだ。床はコンクリートを流し、リノリウムが塗ってあった。典型的なへヴィウェイト客車である。
座席は転換式である。その機構部分は鋳物製だ。 外装の錆びた鉄板は切り取り、新しい板を熔接して補修する。この部分はトイレがある。客が用を足すには、昔風のトイレではもう許されない。
トイレの床下には大きな汚水タンクがある。ボールコックで中味を出すようになっている。連結器のドラフトギヤを避けた位置についている。
ほろはドイツ風のゴムパイプである。最近これをアメリカでもよく見る。 昇降台辺りである。かなりひどく錆びていたので、大きく切り取って補修してある。階段はスノコである。雪が降る地方ではこれが良い。
17、18日はJAMに行くことになった。17日12時から鉄道模型功労者の表彰が行われる。伊藤 剛氏が表彰される。このブログも微力ながら、お役に立てたようだ。 というわけで18日は休載させて戴く。
2013年08月14日
続々 Heber Creeper
Machine Shopの中を案内してもらった。大体8割以上進んでいると思えた。火室を組み立てればボイラはすぐ載せられる状態だ。軸箱は完全に新製して砲金のライナが鋳込まれている。それを研削していた。
この機械は横フライスである。フルバックの刃物を使う巨大な機械で、フレイムの切削をする。ここではちょうど動輪の軸箱の加工をしていた。
刃物は大きい。これで削る所を見たかった。赤く焼けた切り粉がびゅんびゅん飛ぶのだろう。以前別のところで見た時は、切削油を流しながらの作業だが、油の霧を吹きながら飛び出す切り粉が壮観だった。 動輪は新しい軸とタイヤとが嵌められ、保護用の木片が当ててある。スティーヴンソン式のヴァルブ・ギヤだ。保存されている0-6-0では比較的珍しい。
この動輪もこの工場で作ったのだ。 この曲がった板はテンダの側板である。3/8インチの板で、すぐ組み立てられるようになっている。テンダのフレイムは組み立て式で、底板が必要である。鋳鋼製なら不要である。
キャブは完成し、塗装のために外に置いてあった。完全な新製品である。
2013年08月12日
続 Heber Creeper




この蒸気機関車がここ数年走っていたものだ。
いかにもBaldwin風である。州内のどこかの公園にあったディスプレィの機関車を運んで来て、修復したのである。ところがこれも使い過ぎてボイラの厚さが減ってしまった。爆発するといけないので、ボイラを載せ換えることにした。ところが工場の中には、現在修復中の0-6-0がある。それを完成させないことには、場所がない。


長さ別に整理され、ボール部は保護されている。
ボイラを本当に作っているのには驚いた。職人を二人持っているそうだ。ここまで来ればもう後は早いはずだ。この工場の中には鋼板を曲げるローラや、車輪を削る縦旋盤がある。
2013年08月10日
Heber Creeper

70年代にはここに連れてきてもらって、ピクニックを楽しみ、汽車の煙を吸った。当時は0-6-0とか2‐8‐0などがいた。客車は木造で、貨車はリヴェットが一杯のものが多かった。
80年代に再訪したが、景気は悪そうであった。客が減ってきたのである。ところが2002年のオリンピックで息を吹き返した。観光客がこれに乗りたがったので、かなりの高密度運転をしたようだ。
その後、機関車の酷使と景気の後退で、事実上の休止状態に陥り、破産したようだ。現在の経営母体は以前のような個人経営ではなく、州政府が土地と蒸気機関車を提供し、ヴォランティアを中心に動いているようだ。経営を任されているのは、企業の経営者だった人で、ヴォランティアで来ている。なかなかの人物で、きっとうまくいくであろうと思った。
機関車はユタ州のどこかの公園にでも放置されていたものであろう。それをここに持ってきて、完全にリビルトする。「ここの工場は全米で5本の指に入る蒸気機関車再生工場である。」と誇らしげに語った。 確かにそうだろう。どう考えても、そのような工場がたくさんあるわけではない。
以前の機関車は倒産時に売り払われ、オレゴン州の方に行ったそうである。
蒸気機関車の運転をしていると思って行ってみたところ、ディーゼル電気機関車であった。客車をつないで、全行程3時間の往復運転をする。実質的に走っているのは1時間強である。
2013年08月08日
続々 Bingham Copper Mine

地形はどんどん変化する。この写真の鉄橋も70年代には、すでに無かった。この谷は埋められてしまったのだ。筆者が最初に行った40年前はこの谷を埋めてから間がないころで、「ここに橋があったんだ。」という説明を聞いて、なるほどと実感できる状況であった。
25年前に行ったときはそんなことを考えることもできないほど積み上げられていた。谷全体が別の山に埋められたという状態であった。Visitor Centerに行く道も全く別のルートになっていた。
掘り出される岩石の量たるや凄まじいものである。鉄道で積み出していた頃はおとなしいものであったが、ダンプ・トラックに変わると、そのスピードが格段に上がったように感じる。積み上げ方も雑に感じる。地山の勾配と、積み上げた岩石の勾配が同じというのはおかしい。積み上げたものが崩れない角度を「安息角」と言うが、そんなに大きいわけないのだ。
いくら地震が無く、雨の降らない地域とは言え、油断したのではないかと思う。

今回の訪問で気が付いたのは、街の中心まで一気に行ける電車の開通である。空港にも直接行ける線が開通したのである。
ビンガムのあたりは鉱山以外には何もなく、延々と続くジャガイモ畑のみであった。そこによくロケットの打ち上げに行った。ロケットは最近日本にも輸入されている本物のような火薬式である。二段式であると1000m近く上がるので、市街地ではとても無理であった。懐かしい思い出であるが、現在はそのあたりは大きな住宅地になっていた。市内への通勤が出来るので、若い人たちが家を買うのである。
2013年08月06日
続 Bingham Copper Mine

筆者が最初に見た1970年代は地山の縁(へり)がまだ存在していた。その後40年も経つと、すでにズリを捨てる場所が無くなり、手近の山の上に積み始めたのである。
当時は穴の深さはせいぜい1000mであった。現在は周りに積んであるので最大1600mほどになる。
鉱山の遠景は、この40年でずいぶん変わった。昔はあのあたりに穴があると言うことが分かった。現在はそこかしこに積んであって、遠くからは全く様子が分からない。
今回の崩落はこの積んである部分が崩れたのだ。地山は崩れているようには見えない。
地山は昔の鉄道線路のあとがまだ判る。固い岩を崩して階段にしているのでそう簡単には崩れない。積んだ部分が弱いのは自明である。積み上げた部分をよその移動する必要があり、その捨て場をどこにするのかはかなり難しい。おそらく巨大なベルトコンベアを作るのだろう。
今回の事故で死傷者はいなかったそうだ。事故が起きたのは夜で、操業中ではなかったからだ。昔は深夜でも列車の運行は行われていた。そうしないと500 km もある線路を登り切れなかったからだ。3日も掛かって登って来たのだ。
今回の事故での損失は計り知れない。場合によってはこのまま閉山になると言う噂もあった。この鉱山は低品位鉱山であって、銅の価格が低迷すると、利益が出ない。ベトナム戦争のころは銅が不足したので、大変な好景気であった。現在では派生する金、銀、モリブデンなどで食いつないでいた。
2013年08月04日
Bingham Copper Mine
久し振りにBingham 鉱山に行ってみようと思った。Salt Lake City中心から車で40分、約 50 km である。道端に剥がれかかった掲示が見えた。
”Visitor Center Closed" 要するに、見学できないというのだ。しかし剥がれかかっているのだから、誤表記だろうと気楽に考えてゲートまで行った。すると、また ”Visitor Center is Closed."と言う。
「今日が日曜日だからか?」と聞くと、「あと二年は駄目だろう。」と言う。「どうしてだ?」と聞いても、「会社の方針である。」としか言わなかった。
近くの友人の家を訪ね、その話を持ち出した。なんと、巨大な地滑りが起きて、穴が埋まってしまったと言う。とんでもない話だ。インターネットで探してみるとその話はいくらでも書いてある。守衛がいくらごまかしても無駄だ。 この写真が一番はっきりしているので掲出する。積み上げたズリ(鉱石でない岩石)が崩れて、すり鉢状の壁を崩落させた。穴の深さの1/3位が埋まっている。これを掘り出して新たな捨て場を探し、操業開始するのに二年というのは決して大げさではない。
昔のように鉄道でズリを運び出していたのとは違い、大型ダンプで仕事をしている。仕事が早くなったので、積み上げ方が変わったように感じている。 これは崩落直前の画像をグーグルアースで作成したものである。 これを見るといかに崩落した体積が大きいか分かる。一説によると、ニューヨークのセントラル・パークの総面積に19mの高さまで積み上げた体積だそうだ。
ダンプトラックや巨大なパワ・ショベルが何台も埋没している。仕事ができないので、とりあえず250人を馘首したらしい。地域に与える経済的なショックは大きい。
動画もあるのでご興味のある方はご覧戴きたい。ソルトレーク市の州会議事堂を見降ろす山の上からの眺望が見られる。そこから市の中心部までの距離の地滑りだと言いたいのだ。もちろん落差は3倍以上である。
2013年08月02日
続 持ち帰った工具

前者は評判が良い。日本国内で売られている中国製のノギスの中には、誤差が大きいものがあるそうである。しかし、筆者はシカゴの親しい店から購入しているので、精度は保証付きである。店に行くと、1インチ、1.5インチ、2インチの精密ゲージ・ブロックがあって、それで調べてくれるのだ。中には微妙なハズレもあるそうだが、ほとんど間違いない。1/100 mm まできちんと測れて、再現性が完璧である。しかも安い。米国内送料を入れても2000円ほどである。必ず欲しがる人が居るので、いつも多めに手配しておくと喜ばれる。

この2台の行き先が、決まっていなかったが、拙ブログで紹介したら、あっという間に無くなった。 電池の持続時間は、全速で使用して6分間位である。緩速使用なら、12分間ほど使える。電池は継ぎ足し充電が可能であるので、充電しながら使うことができる。公称1時間で充電可能である。