2012年11月
2012年11月30日
Leo の仕事

それらを大きな木の板から切り出して仕上げる。その木工機械も全てある。広い地下室の1/3はその種の機械と残った木材で占められている。その木材も今となっては貴重なブラジリアン・ローズ等の硬木である。



低い方の盆などを収納する棚の仕切りの丸穴に注目したい。
これはよいアイデアである。普通はつまみをどうつけようかと通うのだが、被収納物の全てがそんなに背が高くないのであるから、これで良いのだ。


スパイスや缶詰めのラベルが一覧できるので、Leoの奥さんも「これは便利」と言っていた。
2012年11月28日
続々 Leoを訪ねて






とにかく腕の立つ人である。大したものだと感心した。
2012年11月26日
続 Leo を訪ねて



先月作ったと言うGreat Northernの電気機関車である。これは完全なるスクラッチビルトだそうだ。窓を実物どおりに開くようにしてあると言う。走行中に開けると建築限界に当たりそうである。日本では考えられない構造だ。


食堂車そのものはKemtronのキットを組んだものだ。一階の厨房の床が見えている。


2012年11月24日
Leo を訪ねて

この工作室で一番驚いたのは、工作機械の数だ。ボール盤は7台、旋盤5台、フライス盤は縦横合わせて4台ある。 あとはシァとかプレス機である。




どうしてこんなにたくさんの機械があるのかと聞いてみると、
「私はアマチュアではなかった。プロフェッショナルであったからだ。」という答えが返ってきた。詳しい話を聞くと、彼は超高級オーディオ装置の少量生産をしていたのだそうだ。アルミのシャーシに穴を開けるときには、一つずつやっていては大変なのでドリル毎にセッティングをして、次から次へと仕事をしていたのだそうだ。旋盤も同様で、刃物のセッティングを動かしたくなかったので、旋盤を増やした。フライスも同じことで、横フライスも必要になってしまったと言う。その理屈はよく分かる。しかし、この工作室の面積はせいぜい12畳ほどである。

筆者のように12個以上の生産をしないと決めている人の工作室は単純であるが、量産をする人の仕事場は複雑怪奇で面白い。
2012年11月22日
続々々 Vic's Hobby Supply



隠しヤードには貴重な車輌などを置いておく。壁向こうの公開部分から列車が進入し、ひと巡りして出て行くが、一般の人はそこにさらなるヤードがあることには気が付かない。昔ある人のレイアウトの隠しヤードを見せてもらった。高価な機関車以外に分厚い鉄板を熔接して作った現金輸送車まであった。鍵がついていて、もちろん中身が詰まっていた。
ある程度のシーナリィを付けるつもりらしく、青い発泡スチロールを積み上げて加工し、色を付けて黒褐色にしてある。

全ての部分を見せてもらって、これを作っているLeoという人に興味を持った。話を聞くと、もともとエンジニアで工作機械をたくさん持っているそうだ。類稀なるクラフツマンらしいので会ってみたくなった。
店主である息子も、「あなたとは気が合いそうだ。」と言うので、紹介してもらうことにした。
「行く道は簡単で、この道をずっと10キロくらい行って、右に曲がって左に曲がれば行ける。」と言う。しかし、それでは分かるはずがなく、詳しい住所をメモし、Google EarthでStreet Viewを見せてもらって大体の感じを掴んだ。あとはGPS頼みだ。
電話して、居ることを確かめて貰って出発した。住居番号が表示されていない茂みの中の家で、先にStreet Viewを見ていなかったら、とても分からなかった。あとで分かったが、住居番号は、通りの反対側に郵便ポストが立てられていて、そこに書いてあった。
2012年11月20日
続々 Vic's Hobby Supply



その昔天賞堂が出していた木製道床は、材質は異なるがほとんどこれのコピィである。天賞堂製は合板を用い、枕木部分の木目が活かされていた。本家は木目のほとんどないポプラ材を用いている。
レイルをはめる部分が飛び出していて、現在の細密度の水準からは少し外れているが確実に直線性を保つ。もちろんレイルの底の部分の幅が大切で、細いレイルは使えない。
アメリカではこの種の木工品が大量に作られていた。日本のような手作業ではなく、大きな工場で大量生産されていた。この種の工作をする職種をmouldingという。

2012年11月18日
続 Vic's Hobby Supply




次はUPの郵便車である。メイルキャッチャが付いていて、なかなか良い気分を出している。これもスクラッチビルトである。




最後の車輌はM10000である。UPファンは必ず持っている車輌であるが時代的にはCity Seriesと同時代ではありえない。
2012年11月16日
Vic's Hobby Supply



あまり精密ではないが、そこそこの出来で、線路の整備が行き届いていなければならない。ポイントなどに手が届きやすくしてあるのが分かる。



全体のバランスが取れている。この全体とは車輌を含めた話である。車輌はUPが多い。お父さんの好みであったからだ。
二週に一回くらいの割でお客さんを集めて楽しんでいたらしい。最近はあまりそういうことはしていない。
2012年11月14日
Portland OR へ
Portlandは東の果て、Maine州にもある。以前乗った飛行機が、Portland OR発、Salt Lake City、Cincinnati経由Portland ME行きで面食らったことがある。Oregon州の方は、当然ながら後で出来た町で、名前を決めるときにコインを投げて土地の所有者二人の主張にケリを付けた。Maine 州出身者が勝って自分の出身の町の名を付けたのだそうだ。もう片方が勝っていれば、ペンシルヴェィニア州の地名ボストンが付いたはずだという。(ご指摘感謝)

シアトルから3時間弱南下するとPortlandである。例の弁護士の友人Larryの招きがあったのだが、運悪く父君が91歳で亡くなって、その葬儀で会えなくなった。せっかく行ったのだから、行くべきところはないか聞いてみるとVic'sという模型屋に行けと言う。素晴らしいレイアウトがあるそうだ。
どこにあるか分からないので、教えてもらった電話番号に掛け、住所を聞き出しGPSに打ち込んで辿り着いた。かなりの場末で、いったいどこにそんなレイアウトがあるのだというような店であった。店に入ると愛想よく出迎えてくれたが、店は閑散としていて、試運転用の長円レイルしかない。しかもライオネル用だ。




すると、「こっちだよ。」と手招きする。暗く細い階段を下りるとそこは別世界であった。店主のお父さんが作ったのだそうだ。非常に大規模で驚いた。長編成の列車がたくさん停まっている。貨車、客車は手際よく作られ、適度なウェザリングがして施してある。手の込んだウェザリングを施した車輌もある。
この模型屋は、店主のお父さんの趣味が昂じて誰かから受け継いだ模型屋を、その息子がやっているというわけだ。不思議なことにOスケールが多い。完成品が塗装済みで並んでいるが、価格が書いてない。
「非売品だけど、注文を受け付けても良いよ。」と言う。お父さんはスクラッチビルダでカスタムビルダでもある。Larryはたくさん注文しているそうだ。
UPの客車群があるが、初めて見る車種が多い。手作りにしては手際が良過ぎて、大量生産品ではないかと思うような仕上がりだ。
追記 この模型店は2013年1月を持って閉店した。


どこにあるか分からないので、教えてもらった電話番号に掛け、住所を聞き出しGPSに打ち込んで辿り着いた。かなりの場末で、いったいどこにそんなレイアウトがあるのだというような店であった。店に入ると愛想よく出迎えてくれたが、店は閑散としていて、試運転用の長円レイルしかない。しかもライオネル用だ。




すると、「こっちだよ。」と手招きする。暗く細い階段を下りるとそこは別世界であった。店主のお父さんが作ったのだそうだ。非常に大規模で驚いた。長編成の列車がたくさん停まっている。貨車、客車は手際よく作られ、適度なウェザリングがして施してある。手の込んだウェザリングを施した車輌もある。

「非売品だけど、注文を受け付けても良いよ。」と言う。お父さんはスクラッチビルダでカスタムビルダでもある。Larryはたくさん注文しているそうだ。
UPの客車群があるが、初めて見る車種が多い。手作りにしては手際が良過ぎて、大量生産品ではないかと思うような仕上がりだ。
追記 この模型店は2013年1月を持って閉店した。
2012年11月12日
Redhook Brewery

アメリカのビールにはMiller, Coors、Olympiaなどに代表される淡色系のものと、最近急速に勢力を拡大してきたDark系のものがある。後者はこの会社のようなやや小規模な醸造所が出している。


筆者はアメリカに行くとSam Adamsかこれを好んで飲む。
工場見学が一人5ドルで可能である。このお兄ちゃんが案内してくれて、面白おかしく説明してくれる。各種のビールを試飲することができる。


2012年11月10日
Boeing Everett Factory

かねてより行きたいところがあった。シアトルにはボーイング社のエヴァレット工場がある。 この工場見学に参加した。参加費は予約すると18ドル。飛び込みで20ドルである。






バスに乗るときは身体検査があり、携帯電話、カメラ、バッグ、パウチなど全て没収されるので、横のロッカあるいは車のトランクに入れる。
バスが工場に近づくと、その工場の大きさが分かる。世界で一番大きい建物で、ディズニィ・ランド全体よりも大きいそうだ。尾翼の高さがあるので高さも大きい。
階段を下りて地下道に入る。その地下道が広くて長い。体力のない人はこのツアには参加すべきではない。エレヴェータに乗って5階に上がると、全体が見下ろせる。と言っても全床面積の1割も見えない。写真が撮れないのは残念だった。
意外なことにまだ747を作っている。聞けば燃費を向上させたタイプだそうだが、もはや旧型機に見える。思い起こせば1970年代にパンナムの初代747に乗ったのが最初だ。あれから40年も経つ。
787、777、


工場の外には、ロールアウトした完成機体がたくさん並んでいた。発注者の検査を経て、Ferry(回航)される。ANAの機体がたくさんあった。おそらく、アメリカ中でANAの機体を一番たくさん見ることができる場所だろう。
2012年11月08日
続々 Snoqualmie Station


展望デッキの柵の作りが素晴らしい。いわゆるWrought Ironである。鍛冶屋が煉鉄の棒を焼いては捩って作ったものだ。これをエッチングで表現した模型が大半だが、実感はない。ロストワックス鋳物にすると太すぎる。さりとて手で作るのは大変だ。
煉鉄とは、20世紀にはほとんど作られなくなった方法で得た低炭素鋼である。平炉の時代の産物である。融けた銑鉄に空気を送ると、表面の一部が脱炭素され、多少純鉄に近づく。すると、融点が上昇するのでその温度(1300℃ほど)では融けなくなる。それを棒でからめて炉の外に取りだす。牛乳を沸かして生じる膜を引っかけて取るようなものである。煉鉄は柔らかく、粘りがあって細工に適する。しかも錆びにくい。
新橋−横浜の鉄道開通のころのレイルとか橋梁は煉鉄製と言う話だが、橋は重いし、レイルはつぶれてしまいそうだ。鋼が大量生産される時代が来ないと、鉄道は進歩できなかった。日本語では「鉄」と「鋼」はほとんど同義に使われているが、英語では明確に区別される。ほんの130年ほど前までは鋼は貴金属であった。得るのが難しく、大量には出来なかったのだ。日本刀を作る時の材料の歩留まりは1割以下だそうだ。叩いているうちにほとんどが飛び散ってしまう。しかも大変な労力を掛けて作り出したものだ。


2012年11月06日
続 Snoqualmie Station





この客車は野戦病院から発達したタイプの厨房車である。製作は戦後である。朝鮮戦争で戦前のTroop Carはたくさん消耗したので、戦後作り直したものらしい。その後Military Logistics(兵站)のあり方が変化して、お払い箱になった。行った先が奇遇にもユタ州のKennecott鉱山であった。


この機関車は現在2輌製作中で、床下のタンクの奥行きが分からず、製作が止まっていた。たくさん写真を撮れたのでありがたかった。





説明文を読むとCritterという言葉の由来が書いてある。この解釈は筆者にとっても初めてで少々驚いた。ふつうは栗生氏のご解説のように言われてきた。しかし東京ディズニィ・ランドにはCRITTER COUNTRYというエリアがあって、ビーヴァやアライグマなどの小動物の足跡がたくさんついていたように思う。これかもしれない。
2012年11月04日
Snoqualmie Station
テキサスから戻って2週間後、避けられない用事があってSeattleに行った。そのついでに周辺を見て廻った。成田からシアトルまでは7時間半ほどで到着する。季節によるが、ジェット気流が強いと追い風300 km/hという凄い後押しで、あっという間に着く。今回は最悪で、欠航により、代替便がシカゴ行きであった。長いフライトで、しかも入国審査に3時間以上も掛かり、さらにシアトルに戻る便が遅れた。当初午前中に着くはずが夜中に着き、ホテルに着いたのは2時半であった。

用が済んで、シアトルの東約30kmにある
Snoqualmieに行ってみた。10年ほど前、内野日出男夫妻を案内してそこに行ったことがある。Sam F氏のお招きがあったからだ。
その時、シェイ、その他のギヤードロコの廃車を並べた、博物館とは言えないが、それに近いものを見たのだ。それを再訪してみた。やはり保存状態は極めて悪く、木部は腐り、鋼はぼろぼろに錆びている。雨が良く降る地域では屋外保存はできない。今後どうするつもりであろうか。
場所はスノクォルミィ滝の南東約800mからさらに南に数百mの間の道路沿いである。午前中でないと逆光になる。多少の期待があっただけに、その保存状態を見て、かなり失望した。この十年でさらにひどくなっている。


スノクォルミィの町には昔のNPの駅があり、その周りに色々な機関車や客車が保存してある。これは一応博物館の体をなしている。
そこにTank Mallet Engineがあった。いわゆるマレィはほとんどがテンダ付きだが、これはタンク機関車であった。それを改造してテンダを付けてある。 軸配置は2-6-6-2で、かなり大きな機関車である。




反対側の写真を撮ったが、日差しが強く影の部分は写りにくい。


Snoqualmieに行ってみた。10年ほど前、内野日出男夫妻を案内してそこに行ったことがある。Sam F氏のお招きがあったからだ。
その時、シェイ、その他のギヤードロコの廃車を並べた、博物館とは言えないが、それに近いものを見たのだ。それを再訪してみた。やはり保存状態は極めて悪く、木部は腐り、鋼はぼろぼろに錆びている。雨が良く降る地域では屋外保存はできない。今後どうするつもりであろうか。
場所はスノクォルミィ滝の南東約800mからさらに南に数百mの間の道路沿いである。午前中でないと逆光になる。多少の期待があっただけに、その保存状態を見て、かなり失望した。この十年でさらにひどくなっている。



そこにTank Mallet Engineがあった。いわゆるマレィはほとんどがテンダ付きだが、これはタンク機関車であった。それを改造してテンダを付けてある。 軸配置は2-6-6-2で、かなり大きな機関車である。




反対側の写真を撮ったが、日差しが強く影の部分は写りにくい。
2012年11月02日
再び Fort Worth Stationへ

また列車でフォート・ワースに戻った。鉄道全盛時代、ダラスの駅には列車の本数が多かったので、このような地下道がつくられた。現在はエレベータが無いと違法であるので、向こう側にそれが設けられた。






その先500mも行かないうちに、クロッシングがある。複線の線路がほぼ直交していてそこには、有名なTower 55がある。それは鉄道写真によく表れる、著名な信号所である。すでに高速道路の下になってしまった。近くには扇形庫の跡が複数見える。このクロッシングの西600mにはTexas and Pacific駅がある。この駅は荘麗なアールデコの高層ビルである。