2012年10月
2012年10月31日
School Book Depository

そこまで登ろうかと思ったが、待ち時間が2時間近いと聞いて退散した。東隣のビルの1階が資料館と売店になっている。

資料館では当時のニュースフィルムの上映がある。有名な動画ばかりだ。一部を写してきた。


実際に現場に行くとかなりの距離があるし、ボルトアクションの単発銃で連続して3発命中させるのは超人的な腕前と言わざるをえない。デニスは元軍人でそのあたりのことはとても詳しい。手を動かして弾を込めるのだから、最初から狙い直さねばならない。その間に標的は動いている。しかも遠ざかる方向だから余計難しい。

2012年10月29日
Dallasへ








1963年にケネディ大統領が射殺された場所である。通称、教科書ビルである。事件当日、史上初の衛星中継を見るために、筆者は早起きしてテレビを見ていた。大統領の自動車が写ったと思う間もなく撃たれたので、びっくりしてしまった。
それ以来、この事件には興味があったのだが、事件の現場には来たことがなかった。その話をデニスにすると、「実は俺も行ったことがない。」と言ったのだ。それで、皆でダラスまでやって来たというわけだ。
2012年10月27日
Fort Worth Station


フォートワースの駅は昔の駅を補強して使っている。壁にはRosa Parksの写真が飾ってあった。公民権運動のきっかけとなったバス・ボイコット運動は、この人の行動から始まったのだ。この女性がこの駅とどのような関係にあったのかは、不明である。
ダラスは大きな商業都市である。その隣のフォートワースは家畜の集散地であった。空港はこの二つの街の中間に建設されているが、ダラスの方がずっと大きな街である。




プラットフォームの横にこのような木造の路面電車が保存してあった。なかなか良い形の電車である。アーチ型のステンドグラスが美しい。
車内の広告まで当時のままに保存されている。





2012年10月25日
Oil Business



「なーに、ディーゼル・トラックのオイルフィルタを切って、梯子を貼りつけただけさ。梯子はPlastructの製品をたくさん持っているからそれをクランプで挟んで、オヴンの中で一日温めれば曲がるんだ。それを接着剤で付ければ、おしまいさ。簡単だろ?」というわけである。彼はこういう工夫が得意である。




向かいには井戸掘り機の付いたトラックとか、ポンプを売っている。中古品を整備して売る商売だ。テキサスならではの商売だろう。
柵にへばりついて写真を撮っていたら、社長が通りかかって、「中に入って好きなだけ写真を撮れ、宣伝してもらいたいから。」と言う。遠慮なく中で写した写真がこれである。


2012年10月23日
続 再度 騎兵隊フリーク






2012年10月21日
再度 騎兵隊フリーク
デニスの友人ガーランドは騎兵隊博物館を建てた。その新博物館がつい最近出来たそうなので、見に行った。
荒れ地の中に巨大な500坪位の建物があり、エアコンが良く効いている。聞けば、Geo-Thermal(地熱)を利用しているので、電気代は1/4以下だという。深い井戸を掘る必要があり、設備に多少の金が掛かったが、10年で元が取れるそうだ。夏も冬も効果がある。30mほどの地下の温度はほとんど一定なので、そこまで行って帰って来るパイプを埋め込むだけである。11本の井戸を掘ったそうだ。

入口に大砲が据え付けてある。これは年1回の催しで、実際に射撃する。弾はこんな形をしていて、火薬の爆発によって後ろのブラスの傘が開き、それがライフル線条に密着して、回転が与えられる。砲身内部にグリースを塗って摩擦を減らすのだそうだ。「良く当たるぜ」と、ご自慢の大砲である。

当時のライフルのコレクションである。かなり無造作に棚に並べてある。一応ガラス戸の向こう側だが、取ろうと思えば取れそうだ。日本ではまず考えられない展示である。刀類もかなり置いてある。
日本刀の話になると夢中で、「欲しい」と言う。筆者の実家で見つかった刀の話をすると、涎を垂らさんばかりであった。それはすでにデニスに渡してしまった。
Stage Coach(駅馬車)の実物である。革ベルトで吊ってある、文字通りのSuspension(吊ったものという意味)で、バネと革の伸縮で
車体を浮かせている。車輪は車軸のテーパ軸に嵌まり、ガタが無いようになっている。日本の大八車とは違い、高速走行を前提としている。
天井の大きな扇風機の羽根の先端には、Wingtipがある。効果があるのかないのか知らないが、最新のテクノロジィの応用だというカタログを見せてもらった。
荒れ地の中に巨大な500坪位の建物があり、エアコンが良く効いている。聞けば、Geo-Thermal(地熱)を利用しているので、電気代は1/4以下だという。深い井戸を掘る必要があり、設備に多少の金が掛かったが、10年で元が取れるそうだ。夏も冬も効果がある。30mほどの地下の温度はほとんど一定なので、そこまで行って帰って来るパイプを埋め込むだけである。11本の井戸を掘ったそうだ。




日本刀の話になると夢中で、「欲しい」と言う。筆者の実家で見つかった刀の話をすると、涎を垂らさんばかりであった。それはすでにデニスに渡してしまった。

車体を浮かせている。車輪は車軸のテーパ軸に嵌まり、ガタが無いようになっている。日本の大八車とは違い、高速走行を前提としている。
天井の大きな扇風機の羽根の先端には、Wingtipがある。効果があるのかないのか知らないが、最新のテクノロジィの応用だというカタログを見せてもらった。
2012年10月19日
続 FEF3

デニスの説明によるとJerry White氏はLobaugh社に居た職人らしく、造形力に優れた人であった。ありとあらゆる改造を引き受け、カスタムビルドもしていた。
1960年代はOゲージの全盛期で、牽引力コンテストというのがあったそうだ。要するに、重い機関車を作り、大きなモータを積む。それだけの話である。そこには効率という概念は入っていない。
Oゲージ車輌は重い。HOでは補重することを念頭に動力車を作るが、筆者のOゲージの場合は、どうすれば軽くなるかをいつも考えている。被牽引車の摩擦が少ないので、粘着力を稼ぐ必要が無いからである。筆者の4-8-4は4kg以下である。これは8kg以上あった。こんなに軸重があると、フログがすぐに潰れてしまう。
さて、重くするにはボイラ全体に鉛を詰め込むに限る。融けた鉛を入れる場合もあるが、彼のようにボイラにきっちり入る錘を作る方法もある。シリンダの中にも入れることがある。
慣性質量が大きいと、事故時の被害は甚大である。今回の機関車のようにパイロットは壊れ、線路も壊れる。ストラクチュアに突っ込めば、それは全損である。


2012年10月17日
FEF3

レイアウトを持つようになると、ある時代のある地域に走っていた機関車以外、興味が薄れて行く。レイアウトの設定から縁遠い車輌は段々と出番が少なくなり、陳列ケースの中に入ったまま出て来ない。
4-6-6-4チャレンジャも好きで5輌持っている。Big Boyは2輌しかない。あと同時代のマウンテン、パシフィックやミカドなどを何輌かずつ持っている。
思えば安くなったものだ。筆者の最初の4-8-4は800ドルほどもした。308円/$の時代だからかなり高価なものだ。収入の少ない時代に、生活費を節約して購入した。それを完全にばらして何度も作り替えた。その後祖父江氏と知り合って、その機関車は彼の工場へ何往復かしている。アメリカにも数往復したように思う。
その後、この機種を見かけるたびに、適価だと思えば、迷わず購入した。


キャブの屋根の曲がり、ショックで分解したパイロット、そして多少凹んだ砂箱の所為で、こんな価格でも誰も応札しなかった。最低価格での落札である。
もうすでにアメリカ人は、ハンダ付けをしなければならない修理品には手を出さなくなったのだ。パイロットを留めていたネジは、剪断力を受けて切れる寸前だった。
筆者はパイロットの予備を持っていたし、キャブのスペアもある。砂箱も多分持っているが、うまく下から叩き出せば、やすって直せる範囲にある。こういうときは板が厚いと削り代があって助かる。祖父江製作所製だから、板が厚い。
テキサスに滞在中、この機関車が届いた。デニスは、「妥当な値段だ。」と言う。「値切ればもう少し負けたかも知れないな。日本製の機関車の真価を知るものが減ってきたからね。」
この機関車は異常に重かった。そのせいでパイロットが壊れたのかもしれない。錘を鉛で鋳造して、ボイラの中にきっちり詰まるように旋盤で挽いてある。それを取り出している時に、デニスは「オッ、これは当たりだぜ。Jerry Whiteのドライヴが入っている。」と言った。この件については、いずれ項を改めて紹介する予定だ。

2012年10月15日
GSC台車を作る

台車枠の形が良くないのである。色々な写真を見たが、同じ形のものはみつからなかった。すなわち造形上の問題であって、作り替える以外ない。厚い板から切り出して原型を作るつもりであったが、少し縦方向に厚みを足せばなんとかなりそうである。鋳縮みの分を見越して軸距離を足し、上下に貼り足した。車体キットがあまりよくないので、台車を精密に作る気はなく、遠くから見た時のシルエットが違わない程度の工作である。
作業を始めて気が付いたが、この種の仕事はかなり面倒であった。全体をジグの中に入れて押さえ込み、ハンダを流して固め、それを削り出す。あとで少しだけと思ってハンダ付けを修正するとばらばらになる。
水の中に半分沈めて炭素棒ハンダ付けをした。大変面倒で、やはり全面的に作り直すべきであった。
出来た台車枠にSprue(湯道)を付ける。1台分だから4枚で良いのだが、どうせ手間は大して変らないので、2台分作った。いつか使う時が来るだろう。

台車キットのボルスタは奇妙な形をしていて薄いので、厚板から削り出すことにした。
これで懸案のU30Cが一歩完成に近づいた。
2012年10月13日
Turkeyを焼く



スーパーマーケットで買うと16ポンド(7キロ)で12ドル位である。それを半日塩水に付けて胡椒を振り、専用のロースタで焼く。
以前はオヴンで焼いていたのだが、このロースタを最近買ったので、放っておいてもうまく焼けるという。ガスで二重の釜を加熱する。肉汁はうまく集まって下に溜まるようになっている。それはソースを作る時に使う。
買ったターキィには肝臓と頭が付いて来る。これらはソースの出汁にする。それと肉汁を合わせて煮詰めるだけで出来上がりである。見栄えのする料理であるが、わりあい簡単にできるので、人の集まる行事の主たる料理として用いられて来た。クランベリィ・ソースは自分で作ると面倒なので、缶詰を使う。
「何を食べたいか?」と聞くので、「もちろんターキィだ。」と答えると「そう言うだろうと思って、買ってあるんだ。」と言う。早速焼いた。
温度計を差すが、赤いボタンも付いている。これは内部が適温(85℃位)になると、ぽちっと飛び出して来る。それを見てガスの火を絞るわけだ。

そういうこともあって、人気が出ない芝居のことをTurkeyと呼ぶ。まだ終わらないのか、という皮肉な言葉である。
懲りずに滞在中に2回焼いた。一部はドライアイスで冷凍して持ち帰った。
こんなおいしいものがどうして日本で人気が無いのかが分からない。
野生の七面鳥は郊外に行けばいくらでも居て、撃ちに行くことも可能だ。首を狙って撃つのだそうだ。大事な体に傷をつけないようにするためだ。爪が一本だけ上を向いているのでそれを使って枝に引っ掛けて血抜きすると言う。
2012年10月11日
F3A を作る


3月にシカゴに行った時に、旧AtlasのF9AをF3Aにする変換キットを見つけたのがきっかけで、倉庫の中を探して古いF9Aを探し出した。これはプラスティック車体を切り欠いて、サイドをはめ込むようになっている。それでは壊れやすいだろうし、何よりも作りにくい。異種の材料を継ぐと熱膨張係数が異なるので、よほど工夫しないと壊れてしまうだろう。現実にそれを加工して完成したという事例にはほとんどお目にかかっていない。このキットも手に負えなくなって手放したのだろうと推測する。
このF9Aは1975年ごろ購入した。当時定価は30ドルで、それを22.5ドルで購入した。今でもあるStandard Hobby Supplyという通販会社から4台購入したうちの一つである。

栗生弘太郎氏の御指摘で、Armstrong 氏の記事であることが判明した。訂正させて戴く。

この種の「高い心皿問題」は、最近のKATOのEF510でも問題になっている。力学の素養が少々あれば、この種の問題は起きなかったはずだ。
都合3台からUPのABセットを作り、1台はAmtrak塗装にした。しばらく走っていたが、金属製には敵わないので、お蔵入りとなった。そのAmtrak塗装をはがしているのがこの写真である。後ろのUPは最近新たに12ドルで購入したものである。これもいずれ金属に置き換える。機関車が金属製でないのは、当鉄道の社是に反するからである。
機関車は丈夫でなければならない。慣性を持たねばならず、重重しく走り、Sprungであって、しかも押して動かねばならないのだ。


[追記] ボルスタの写真が見つかった。これはe-bayで売っていた商品である。このような商品があったということは、この心皿問題はかなり根深いものであったということである。
Nov 5, 2012記
2012年10月09日
鋳造 型ばらし 清掃

湯が多いと型から溢れてしまう。その解決は容易である。箒で掃いてしまえば良い。湯が固まるまでに15秒ほど時間があるのでその間にやる。あとは圧縮空気で押して引けを無くす。しかしそれまでに末端部分は固まっているだろう。圧搾空気は、Sprue(湯口)付近が固まる時に引けるのを防ぐだけだ。


ある程度落ちたところで、水の中に浸漬(しんし)する。それをエンジン付きの高圧洗浄機で清掃する。このような籠に入れ、丁寧に石膏を洗い落とす。ものすごい勢いで白い泥水が飛ぶので、ぼろ着を身に付けて行うのだ。4軸台車も見える。


2012年10月07日
プラスティック型によるロストワックス




今回新しい型が入っていた。これはCentral Locomotive Worksのプラスティック型である。これをワックスでインジェクションしてそれをブラスで置き換えようというわけである。
この型は本来ポリスチレンでインジェクションしたものを接着剤で組んで金属置換するのだが、ワックスは思うように接着出来ない。ワックス用の接着剤もあるのだが、付きが悪い。仕方が無いので細い縫い針を加熱して、接合部に刺す。するとその部分だけ融け合うので、接着剤で付けたようになる。非常に手間が掛かるがそれをやった。
この型はピン角(直角の角)が出るようにいくつもの型を積層して組み合わせたものだ。非常に丁寧な仕事をしてある。注型後、固まったプラスティックを外すためのピンがたくさん埋め込んである。それを避けてクランプで締めてロウを入れる。この型は金属製なので冷えやすく、仕事は速い。固まったら型を二つに分け、ピンを押す板を押さえつけると、プラスティックがむっくりと起き上がる。ワックスは型の金属に粘りつくので、離型剤をスプレイしておくと無理が無い。型の設計のコツはつかめたので、何かの型を作ってみたくなった。
左二枚の写真の部品はブロンバーグ二軸台車の揺れ枕バネである。二つを組み合わせて使う。良く出来ている。
中の写真はエンドビームとブレーキハンガーである。小さな部品を組立ててから鋳造する。
右の写真は台車枠である。台車は軸距離が大切なので、プラスティック成型は望ましい。
これらの型を保管していた人が居るのだが、毎回注文を出すとき送って来なければならないので、だんだん面倒になり、ここに置きっ放しとなった。そのような型が、ここにはごろごろある。
2012年10月05日
続 DRO

一所懸命に電卓で計算しても、間違って泣きを見ることもあった。ダイヤルゲージのミリ単位のものを買って刃物台に付けたけれども、決して楽しい作業ではなかった。そうこうしているうちに、DROが安くなる気配があり、試しに買ってみると、なかなか具合が良い。3軸のディスプレイの価格もそれほど高くなくなった。
思い切ってフライスに付けてみると、今までのあの苦労は一体何だったのかと思うほど効率が上がった。と同時に、頭の中は劣化した。もうインチの分数計算は出来なくなったような気がする。
コレットや刃物が全てインチサイズなので、事前の計算には多少の注意は必要だ。しかし、先回お見せしたような起点を決めた数値による切削は容易で、一回も間違えたことはない。たとえミリ単位のダイヤルのついた機械を使っていたとしても、DROを使うほど容易な切削は考えられない。
軸距離が大切なギヤボックスも一発で孔開けが完了し、ギヤの噛み合いは極めて正確だ。このような時は二枚刃のエンドミルを用いる。四枚刃のエンドミルではドリル代わりに切り込めないからだ。
フライスは、使いこなせれば極めて安い工具であると思う。最近は糸鋸代わりに細いエンドミルで切り離しをすることもある。ワークを見ることもなく、DROの数字だけを見ている。
起点を決めるのはいつもこの工具である。安くて正確なのでお勧めしたい。最初に打ったポンチ穴をゼロゼロ点にする。この画面の下の方のChris' Tipsに動画があるので、ご覧戴きたい。
2012年10月03日
DRO





この機種はディスプレイが個別になっている簡易型である。もちろん棹を買うと付属してくるのだ。しばらく休んでいると、電源は自然に切れる。1/2を出す機能は無いので、旋盤のY軸には使い難いが、それにしても安い。
2012年10月01日
続 Dennis の工夫

ダイヤルゲージの先端に小さなプローブを付けている。それがクランクピンに当たる位置を調べている。もちろんクランクピンの太さが完全に同じであることを調べなければならない。動軸をセンタで押さえてクランクピンを水平なゲージにこつんと当て、もう片方をプローブで押さえる。いくつかの動輪を調べて見ると、大体2〜5/1000インチの誤差がある。ミリで言うと0.051mmから0.13mmくらいの振れである。
日本製のKTM製品はまず問題ない。韓国製、中国製は問題がある。後者は壊滅的に駄目である。試運転すればすぐ分かるはずなのに、ずさんにも検査を通してしまうのだろう。
調整して、2/1000インチ以下の振れに留めるようにする。
振れを調整して、プレスで押し込む。一度は嵌っていた軸なので問題なく垂直に押し込める。この時精度の良いアーバ・プレスを用いないと振れが出る。もちろん限界まで押し込んで完了するように、Back to Back(バックゲージ)のブロックを挟んで行う。

アーバの先端にはネジ穴があり、色々な工具を取り付けられる。抜き型を付ければプレス抜きもできる。ボール盤で代用すると、軸が回ってしまい、プレス加工は困難だ。達人はベルトをシャコ万で締めて回らなくしたりするようだが、筆者は自信が無い。この工具はかなり前に仕入れたアメリカ製である。e-bayを丹念に見ているとたまに見かける。それほど重いものでもないので運賃も心配するほどのことはない。