2012年09月
2012年09月29日
Dennis の工夫

今回はデニスの工具を見せてもらった。デニスは蒸気機関車の製作、整備の達人である。どんな機関車もばらばらにして完全に組み立て、全くひっ掛からないように調整する腕がある。


センタで軸の両端を受けて、片方のクランクを水平台に当て、反対側のクランクをダイヤルゲージの一種で押さえてずれを測る。
クランク角は90度でなくても、すべてそろっていれば良い。これで一つづつ測定してずれているのものは抜きとって再度嵌める。簡単なように見えても結構面倒な仕事だ。
たまたまUP9000の調整依頼が来ていたので、それに付き合った。1時間足らずで調整は終わり、シルクのように滑らかな動きを確認できた。


ラックの噛み合い位置を変えると、高さを変えることができるので便利な道具である。
2012年09月27日
続々々 2012 O Scale National Convention


もちろんDCCで一つの線路に複数の車輌が走っている。動力機構はスパーギヤを使っているので、動きが実に滑らかだ。





2012年09月25日
続々 2012 O Scale National Convention


前にも書いたような気がするが、年に何回かある同窓会のような感じだ。互いに身の周りに起きた色々な話をして楽しく時間を過ごす。
今回筆者がテーブルを持ったのは、いくつかの部品を売りたかったからだ。それはディーゼル電気機関車の動力機構である。自分で制作したものでなく、既製品の動力機構である。KTM製とかAll Nation製、あるいはCentral Locomotive Works製の動力である。筆者は動力付きの中古を手に入れることが多い。上廻りが欲しいからである。下廻りは全く新しく作る場合が大半だ。 ロストワックスで台車を一から作れば、文句の付けようのない物になる。上廻りは皆ある程度は図面と写真でそこそこのものができている。多少手を入れるだけで良いからだ。下廻りは全体の価格の半分以上の価格で売れることがあるので、結局上廻りを安く手に入れることができることになる。
下廻りをごっそり外してそのまま売却する。どうやらその価格設定が低かったらしく、筆者のテーブル前にはたくさんの人だかりがある。皆、目的のものを指で押さえてこちらと交渉が始まる。
”Do you have any flexibility of the price?”(少し負ける気はないかね。)
すると隣の男が、”No need to discount! I'll buy it."(負けなくても良い、俺が買う。)と言う。最初の男は仕方ないという顔をする。すると二番目の男は、「おれがもう少し払っても良いから俺に売れ。」と来る。
最初の男は、「おれの買い物にケチをつけるな。」と言うと3番目の男が「俺はもう少し払いたいから、こっちに売れよ。」と言う。
ついに喧嘩になり、「あっちで喧嘩してくれ。誰が買うか決まったら来てくれ。取っておくから。」ということになった。彼らは廊下に出て長い間揉めていたが、結局最初の男がこちらの決めた価格で買った。
この種の話はいくらでもある。いずれ書くこともあるだろう。
2012年09月23日
続 2012 O Scale National Convention

1960年代に、MRの編集長Linn Westcott氏と日本に来たことがあると言った。「Mr.Yamazakiを知っている。鉄道模型の雑誌を発行している。彼は元気か?」
「10年以上前に亡くなりましたが。」
「そうか、みんな死んでしまったな。次は俺だ。名古屋に行ったのだ。名古屋には大きな模型クラブがある。Mr.Itoは素晴らしいクラフツマンだ。」
「彼は健在です。今92歳です。時々会いますよ。」と言うと、「よろしく伝えてくれ。」とのことであった。


最近はTSA(アメリカ交通安全局)による手荷物検査は厳重を極め、この種のいかにも怪しい物は全て開封検査される。元のように完璧に箱に収めてくれればよいが、適当に押し込まれるとばらばらになる。
手に持って機内に持ち込めば多少は安全だが、搭乗前の検査で引っ掛かって別室で取り調べということになるだろう。鉛合金でできていてX線を通さないから、かなり疑われる。しかも重いから、「振り廻すと凶器になる」と宣言されて没収されてしまいそうだ。 熟慮の結果、買わなかったが欲しかった。
2012年09月21日
2012 O Scale National Convention
正直なところ、すでに筆者自身のコレクションは終了しているし、欲しいものがあるわけでもない。しかし、コンヴェンションには顔を出したい。そこで出会う人々との交友を楽しみたいからだ。今回も思わぬ出会いがあり、驚いた。
このRichは、筆者のブースに来て、じっと顔と名札を見ていた。通り過ぎてまたやって来て、じっと眺めている。変な人だと思っていたら、
「Model Railroaderに載っていただろう?。そうだ、きっとあなただ。こんな名前だった。」
と言い始めた。MRに名前が載ったことは複数回あるので、何のことだろうと思ったが、それは例の押して動くウォームギヤのことであった。
「あの記事は素晴らしかった。世界中の鉄道模型のスタンダードがあの記事でひっくり返った。MRの75年間で最高の記事だ。その著者が日本人であることが分かったので、会うチャンスが無いと思っていた。ここで会えるとは!!」と握手を求めてきた。
「あなたの記事を読んで、如何に自分たちが機械工学に無知であるか分かった。頭を金槌で殴られたような衝撃だった。あなたは素晴らしい能力を持っている。」と、ほめちぎられた。
大きな声であったので、周りに聞こえてしまい、色々な人が「そうか、あの記事はあなたの記事か!」と握手を求めに来た。その後、何人かの友人を引き連れて来訪し、紹介してもらった。このようなことは現場に行かないと起こりえないことで、時間を割いて来た価値があった。
祖父江氏が亡くなったので、もう3条ウォーム改造をする人が居なくなったと言うと、「あなたがやるべきだ。」とけし掛けられた。それが使命なのかもしれない。
この人は見た瞬間に誰か分かった。しかし、亡くなってしばらく経つ。人違いだと思ったら、向こうから、
「Jan の息子です」と自己紹介があった。思わず ”No wonder!" と言ってしまった。お父さんにそっくりである。あまりにも似ていて、色々な人に勘違いされることに慣れているのだろう。
彼の父親のJan Lorenzen氏とは一度しか会っていないが、強烈な個性の持ち主であった。Locomotive Workshopという名で、かなりの数のキットを世に送り出していた。Janの製品は10輌以上持っている。全て当鉄道のスペックに合うように作り替えられていて、オリジナルのものはない。鉛合金のパーツはすべて、ブラスあるいはブロンズ、べリリウム銅に置き換えられている。

今回は父親の遺したものを、山のように積み上げて売っていた。面白いものもあったが、東部の機関車は範囲外なので残念であった。このカヴァードホッパだけ購入した。キットを持っているのでその組み立ての参考にしたかったのだ。
例によって鉛合金のエンドビームを持っている。これは衝突時にめり込むので全長を貫くビームを入れなければならない。

「Model Railroaderに載っていただろう?。そうだ、きっとあなただ。こんな名前だった。」
と言い始めた。MRに名前が載ったことは複数回あるので、何のことだろうと思ったが、それは例の押して動くウォームギヤのことであった。
「あの記事は素晴らしかった。世界中の鉄道模型のスタンダードがあの記事でひっくり返った。MRの75年間で最高の記事だ。その著者が日本人であることが分かったので、会うチャンスが無いと思っていた。ここで会えるとは!!」と握手を求めてきた。
「あなたの記事を読んで、如何に自分たちが機械工学に無知であるか分かった。頭を金槌で殴られたような衝撃だった。あなたは素晴らしい能力を持っている。」と、ほめちぎられた。
大きな声であったので、周りに聞こえてしまい、色々な人が「そうか、あの記事はあなたの記事か!」と握手を求めに来た。その後、何人かの友人を引き連れて来訪し、紹介してもらった。このようなことは現場に行かないと起こりえないことで、時間を割いて来た価値があった。
祖父江氏が亡くなったので、もう3条ウォーム改造をする人が居なくなったと言うと、「あなたがやるべきだ。」とけし掛けられた。それが使命なのかもしれない。

「Jan の息子です」と自己紹介があった。思わず ”No wonder!" と言ってしまった。お父さんにそっくりである。あまりにも似ていて、色々な人に勘違いされることに慣れているのだろう。
彼の父親のJan Lorenzen氏とは一度しか会っていないが、強烈な個性の持ち主であった。Locomotive Workshopという名で、かなりの数のキットを世に送り出していた。Janの製品は10輌以上持っている。全て当鉄道のスペックに合うように作り替えられていて、オリジナルのものはない。鉛合金のパーツはすべて、ブラスあるいはブロンズ、べリリウム銅に置き換えられている。


例によって鉛合金のエンドビームを持っている。これは衝突時にめり込むので全長を貫くビームを入れなければならない。
2012年09月19日
続 Ron のハイレイル・レイアウト




このレイアウトには、あっと驚くギミックが満載である。まず定番のサーカスである。空中オートバイ乗りが動き、ライオンが柵のなかで動く。隣の遊園地では小さい機関車が子供たちを乗せて走り、メリーゴーラウンドが廻る。
回転遊具がゆったりと動き、大きな振り子の乗り物も実に実感的な速度で動く。






RonのレイアウトはYoutubeの動画の一部で見られる。
2012年09月17日
Ron のハイレイル・レイアウト

「あなたはOスケールだろうが、たまにはこういうものも見てはどうか。素晴らしいよ。」と勧められたので出掛けた。車で片道20分の住宅地にある。地下に入るとそこは別天地であった。


今までに見てきたハイレイル・レイアウトは、正直なところ、うんざりするものが多かった。色々なものを詰め込み過ぎて破綻しているのだ。玩具箱をぶちまけたようなレイアウトが大半だった。
これは違う。あちこちに見せ場があり、建設者の感性あふれる工夫があった。




2012年09月15日
続 小さな鉄道博物館








客車は美しい。これらは休日には営業車となるからである。タイミングが合えば内部を見たかった。13ドルほど払えば隣の駅までの往復に乗れるのである。
たいした時間ではないが、実際に内部を見ると発見もあるであろう。

45mmゲージの線路も敷いてあって、その運転もするようだ。
2012年09月13日
小さな鉄道博物館




さぞかしよく汚れたことだろう。まだ、蒸気機関車がたくさん居た時代だ。




2012年09月11日
続々 久し振りのNew York
一般的なコンヴェンションは前日を含めて3日である。つまり実際のショウは2日である。ところがNational Convention になると5日ある。主催者によるレセプション、実物の鉄道施設へのツア、同行してきた奥様方への観劇ツア、その他いくつかの興味深いツアがいくつか用意してあった。
めったにないことなので、ブロードウェイのMatinee(観劇ツア)を申し込んでおいた。よくは分からなかったが、最近人気の”Jersey Boys"という出し物を見るのだそうだ。不勉強で見るまでよく分からなかった。
貸切バス、途中での食事、観劇代をふくめ、一人170ドルと格安であった。参加者は筆者と同年代の人が多く、ほとんどが夫婦で参加していた。
バスはリンカーントンネルを通ってマンハッタンに入る。そのトンネルは混み合い、事故が起こりそうで緊張する。このトンネルを通過するだけで30分以上かかった。



トンネルの入り口には各種の大きなレッカー車が置いてあって、事故に備えている。いつも臨戦状態で、事故があったら直ちに事故車を牽き出せるように待ち構えている。フェリーで来るのとは違うニューヨークの街並みを見て、目的地に着いた。

”Jersey Boys”は60年代に大ヒットした4人組”Four Seasons"の伝記である。当時、ファルセットという裏声ではない高い声で「Sherry」を歌うのを聞いたときはぞくぞくしたものだ。他に「Big Girl Don’t Cry」「Walk Like A Men」などのヒット曲がある。
今回のミュージカルの配役は素晴らしく、体格も顔立ちも似た歌手を選んでいる。しかし、歌は本物よりはるかにうまい。客層は、若いときに歌を聞いた年代ばかりで、歌に合わせて体を動かしている。また、一緒に歌い始める人もいる。最後のクライマックスでは全員が立ち上がって拍手と共に合唱である。舞台と客席とが完全に一体化している。
うまい演目を探し当てたものだ。あと10年はロングランするであろう。もう一度見たいと思う。映画もできるという話だ。

舞台がハネた後、外に出ると激しい雷雨であった。時間を見計らって、威勢のよい輪タクのお兄ちゃんたちがたくさん並んでいた。威勢よくラッパを鳴らして客寄せをする。帰りのバスを待つ10分の内にかなり濡れてしまった。
帰路のバスではFour SeasonsのCDが掛かり、みんなで合唱した。楽しい観劇を企画してくれた幹事に、感謝した。
めったにないことなので、ブロードウェイのMatinee(観劇ツア)を申し込んでおいた。よくは分からなかったが、最近人気の”Jersey Boys"という出し物を見るのだそうだ。不勉強で見るまでよく分からなかった。
貸切バス、途中での食事、観劇代をふくめ、一人170ドルと格安であった。参加者は筆者と同年代の人が多く、ほとんどが夫婦で参加していた。
バスはリンカーントンネルを通ってマンハッタンに入る。そのトンネルは混み合い、事故が起こりそうで緊張する。このトンネルを通過するだけで30分以上かかった。



トンネルの入り口には各種の大きなレッカー車が置いてあって、事故に備えている。いつも臨戦状態で、事故があったら直ちに事故車を牽き出せるように待ち構えている。フェリーで来るのとは違うニューヨークの街並みを見て、目的地に着いた。


今回のミュージカルの配役は素晴らしく、体格も顔立ちも似た歌手を選んでいる。しかし、歌は本物よりはるかにうまい。客層は、若いときに歌を聞いた年代ばかりで、歌に合わせて体を動かしている。また、一緒に歌い始める人もいる。最後のクライマックスでは全員が立ち上がって拍手と共に合唱である。舞台と客席とが完全に一体化している。
うまい演目を探し当てたものだ。あと10年はロングランするであろう。もう一度見たいと思う。映画もできるという話だ。


帰路のバスではFour SeasonsのCDが掛かり、みんなで合唱した。楽しい観劇を企画してくれた幹事に、感謝した。
2012年09月09日
続 久し振りのNew York

Google Earthで見ると駅は少し西に移動して大規模になったように思う。当時はかなりしょぼくれた駅であった。
ホテルの裏にはSt.John's Churchがあり、レイアウト・ツアがあるからそこに行けと指示された。どうして模型ショウで教会に行かねばならないのか訳が分からなかったのだが、行ってみると立て札を持った人が居て、「ここから地下に入れ。」と言う。
入るとそこは巨大なO scaleのレイアウトが広がっていた。架線集電の電車線もあるかなり細密なレイアウトであった。このウェブサイトをご覧になればその全貌がお分かり戴けるだろう。 ここはStamford Model Rail Road Clubの本拠地であって、その地方随一の規模を誇っていた。開催期間の夕方には何度も行って楽しんだ。

参加者の顔ぶれを見ると、遠くカリフォルニアからきている人も数人いた。「なんだあなたも来ていたのか、西海岸からだと時差もあって大変だよね。」と話しかけられた。その人は筆者がカリフォルニア在住だと信じているのだ。「いや日本からだ。」と言うと、大変驚いて、「2月にはサンホゼで会ったろう?シカゴでも会ったよな。それでここにもいると言うことは3往復しているということか?」
「安い切符で来たり、タダでも来られるから大したことはないのさ。」と言うと大げさに驚いてみせた。
2012年09月07日
久し振りのNew York




自由の女神像には40年前に登っている。夏だったので内部は酷暑で、どうかなりそうだった。髪飾りからは外を覗くことができた。そこだけ小さい通気口があって僅かに涼しい風が入った。今は多少なりとも冷房があるのだろうか。



地下鉄で行って駅のコンコースに出た。昔とはうって変わって、明るいベージュを基調とした内装になっていた。天井の星座も鮮やかである。昔は薄暗く、何か犯罪に巻き込まれそうな感じであった。
この天井の星座は間違って反転画像を描いてしまったらしい。Davidがそう言っていた。上空から見た状態が正しいのだそうだ。「気が付いている人はほとんどいないけどね。」

2012年09月05日
Annapolis
アナポリスはアメリカの黎明期よりの商業港であり、一時期は首都までここに置かれた歴史ある街である。ワシントンDCから車で1時間ほどで行ける。第二音節の「ナ」を強く発音しないと通じない。
アナポリスは Navy Academy 海軍兵学校の町である。30年ほど前の映画に「愛と青春の旅立ち」というのがあった。まさにこの学校が舞台である。リチャード・ギアの出世作であった。

筆者は以前からこの学校に興味があり、通り道なので寄ってみた。正門の横に駐車場があるので当然駐車できると思い、守衛所に横付けして聞いてみた。すると、"You can come in, but you can't come by your car."と言われて、遠くの駐車場を指定された。パーキングメータに小銭を入れ、歩いて中に入った。
パスポートを見せれば外国人でも入ることができる。入場は無料で、建物には入れないがかなりの部分を見て歩くことができる。体育館もいくつかあり、設備は素晴らしい。

波打ち際からの景色である。左が昔の商業地域、右が現在の学校敷地である。校内にはホテルもある。在校生の親などが来た時のための施設であろう。


町並みは古く、ヨーロッパの匂いのする町である。ボストンのような感じである。この建物はPaca Houseである。庭が素晴らしい。
アナポリスは Navy Academy 海軍兵学校の町である。30年ほど前の映画に「愛と青春の旅立ち」というのがあった。まさにこの学校が舞台である。リチャード・ギアの出世作であった。







