2012年07月
2012年07月16日
続々々々々 Kleinschmidt氏のコレクション










作った男を知っているとのことだ。行き先が無くなりそうで買い取ったそうだ。この模型は鋼ではなくブラスで出来ている。

奥様にも強く誘われたので、残念であった。
2012年07月14日
続々々々 Kleinschmidt氏のコレクション

3軸側も、回転力は自由に伝わるが、軸の上下を妨げることは避けねばならない。このバイポーラでは、3軸台車と4軸台車は直列につながっている。その継ぎ目は軸のずれを許す継手であった。
このドライブは筆者が8動軸ディーゼル電気機関車DDA40Xに搭載したものである。もう25年以上前の作品である。中間の2軸は共通のドライヴ軸を持つが、末端の1軸ずつはドライヴ軸がユニヴァーサル・ジョイントで曲がるようになっている。なおかつ、そのトルク承けはユニヴァーサル・ジョイントのスパイダが受け持っている。
実物では、決して採用されないだろうが、模型の強度であれば十分実用的である。精度のよいユニヴァーサル・ジョイントなら音もしない。これを思いついた時は、誰もこんな方法でドライヴする人はいないだろうと思っていたが、Stuが全く独立に同じ方法を採用していた。
頭の中を覗かれた様な気がした。その話をしたら、「私もあなたの話を聞いていると、考えていたことが次々と出てきて、頭の中を覗かれた様な気がしたよ。」と言った。
「お互い、もう少し早く親しくなっていれば良かったな。」と抱き合った。
2012年07月12日
続々々 Kleinschmidt氏のコレクション

その時期の 4-4-0 も第一動輪のフランジが無い。曲線上では少しはみ出し気味に通過したはずである。粘着力が大幅に小さくなるから、その頃の機関車は牽引力が足らなかった。その後、先台車の左右動ができるようになって、それが特許だというから恐れ入る。同時に復元装置が付いて、走行安定性は大幅に向上した。この模型はOスケールではなく、もう少し大きなサイズである。多分1番ゲージであろう。とても良く出来ている。



生前、Bill Wolfer氏は、「話にならない模型で、自分自身が動かない。少し高い電圧を掛けたら、メリメリと音を立ててばらばらになった。あれでも日本製か。」と憤慨していた。
Stuも同じことを言った。彼は何もかも分解し、鋳物だけを活かして下廻りを100%作り直した。もちろん上廻りもかなり修正している。でもパンタグラフは駄目だと言っている。作り直さねばならないらしい。
これがその下廻りである。素晴らしい工作である。12軸駆動であって素晴らしい牽引力を示した。
2012年07月10日
続々 Kleinschmidt氏のコレクション

ハドソンは有名なライオネルのスケール・ハドソンである。1937年に精密ダイキャストで1/48の模型を発売している。走行を見せる動画がある。自動逆転機を内蔵しているせいか、通電音がひどい。

その上のNYCハドソンも祖父江氏の製品である。何度もリ・ランしていてこれも1000輌以上作ったと祖父江氏は言っていた。グレイ塗装が実物にあるかは疑問であるが、なかなか良いと感じた。
2012年07月08日
続 Kleinschmidt氏のコレクション



第一次世界大戦後の鉄道国有化 USRA の時代に基本設計がなされた Heavy Pacific であるが、この1機種しかない。Light Pacific はたくさんある。この太いボイラ、いかにも大きそうな軸重が力強さの源である。
この模型の従台車は少し傾いている。前を少し持ち上げるべきである。
筆者も持っているが、このようなボックスポックではない。スポーク動輪である。それは筆者が最初に買ったブラスエンジンで、事故車であった。キャブがめり込み、動輪が凹んで軸が曲がっていた。それを安く買って、完璧に修理したのである。ボックスポックが手に入らず、スポークにしたら、見た人はみな同じことを言う。
「これは珍しい機関車だ。売ってくれないか?」
上に見える GP-9 も Max Gray の時代の祖父江氏の製品である。

二段下にはナイアガラがある。祖父江氏は、これを延べ1000輌は作ったそうだ。彼自身もとても好きな機関車であった。
その上の段に8軸ディーゼルが見える。多分これはBill Melis氏の製造の DD35A であるが、後ろの妻板にナンバーボードがあるのは何かの間違いだろう。誰かが蛇足を付けてしまったようだ。
2012年07月06日
Kleinschmidt氏のコレクション



縮尺は1/32位だろうか。妙に大きかった。30年くらい前に手に入れたそうだ。実物が狭軌なので、それをOゲージにするために全体を大きくしたのだろう。この手法は佐野衡太郎氏のガーラットでも採用されている。誰が作ったのかは分からないが、よく出来ていた。大きいので、Oスケール・レイアウトで走らせると、あっちこっちでひっかかりそうな感じである。要するにシーナリィが無い線路上を走らせていたのだ。



従台車の構造はオリジナルとは異なる。実物を摸した構造である。当初のデザインは側枠が独立していて、回転中心は無かった。これはその構造が気に入らなくて造り替えたものであろう。
主台枠も後ろが絞られ、良く出来ている。テンダの床板が日本製のようにも見える。祖父江欣平氏の手法が見えるのである。
一つの推測として、ロボゥのキットを祖父江氏が組み直したものではないか、と思った。1950年頃にはそういう仕事をしたことがあると祖父江氏から聞いている。その時のノウハウ吸収が、大きな転機となったそうだ。
2012年07月04日
Kleinshmidt氏の仕事

今回訪問した時に時計旋盤の写真を取るのを忘れたが、それを駆使して時計の部品を作る。たまたま完成したばかりだと言って見せてくれたのが、1934年型デューセンバーグの時計であった。この種のヴィンテージ・カーの時計などを修理できる人は少なくなってきて、ニューヨークに一人と彼だけだそうである。アメリカ中から修理依頼がくるそうだ。
その他、真空管の時代の無線機器や電気器具の修理も引受けている。
3年ほど前、筆者の家にあったアメリカ製の電気オヴンが故障してしまったことがあった、制御部分を外して様子を見たが分からなかった。2か月ほど回路図とにらめっこしたが、結局直らず廃棄した。製造元はすでに部品が無いと言うし、インターネット上では、「クロック部分の修理が出来る人を探さねばならない」という抽象的な表現しか見付からなかった。
その話を彼にすると、「なーんだ、送ってくれたら直してやったぞ。」と言われた。
その後そのオヴンを外した穴に適合する同サイズの新しいオヴンを購入した。期待していなかったが、珍しくアメリカ製で、価格もそこそこであった。運賃を入れても、日本製の同程度の物の1/4位の価格であった。この種の台所用の大型電気器具は、まだまだアメリカ本国で作っている場合が多い。ドルの価値が下がったので相対的に安くなっている。
筆者の家では洗濯機、乾燥機、食器洗い器、冷蔵庫はアメリカ製を使っている。多少やかましいが、機械部分は壊れにくい。回転部分のボールベアリングに、常識的に考えられる大きさの二倍程度の大きさのものを使っている。すなわち消耗が少なく、極端に長もちする。その会社の製品は故障が少ないのが売りであった。
しかしオヴンは機械部分などほとんどなく、制御部分が壊れると火事になってしまうので、故障すると打つ手が無い。18年使ったので良しとせねばならない。
2012年07月02日
続々々々 Kleinschmidt Drive

色々なサイズの鋳型があり、熔かした鉛を注ぎ込む。当初は木の型を使ったらしい。焦げて用をなさなくなるので、アルミ製にしたのだそうだ。角がシャープで気持ちが良い。鉛はインゴットで買う。
穴を開けたりしたときの切り粉は捨てずに再利用するそうだ。

材料は潤沢に持っていないと、仕事に差し障るので多めに持っているという。材料が安く出ることもあるので、その時は買ってしまうということである。
最近はインターネットでそのような出物を探すのが容易になったので、助かっていると言う。その通りで筆者も、その方法で材料を買うことがある。しかし、快削ブラスかどうかは分からない場合が多く、使いにくい材料のこともある。そういうのは叩き出しの材料として分けてある。アメリカで流通しているブラスは板材も含めて快削ブラスが普通である。