2011年05月
2011年05月30日
続々 Coucil Bluffsの鉄道公園


当初はシカゴのラサール駅とその町を結んでいた。しかし次々の新路線を開拓し、名前をChicago, Rock Island and Pacificと名前を変えなければならないほど大きくなった。SPと結んで大陸横断鉄道の一部となり、メキシコ湾にも通じ、さらにデンヴァまで到達した。このあたりの歴史は椙山満氏に詳しく教えて戴いたので、大体そらんじている。






この博物館の近くにはたくさんのクロッシングがある。日本には少ないのでその写真を撮りたい。現物を見ると恐ろしい状態であった。これはHard Centerと言って、硬質で靭性のあるマンガン鋼の鋳物でできている。そう簡単に擦り減らないはずなのであるが、見事に減って、タイヤ全体が当たるどころか、フランジも当たっている。低速で走る区間といえども、これでは脱線する可能性がある。走るのを見ていると台車が大きくねじれて、このひどい線路によく追随している。その点、アメリカの貨車の台車は非常にフレクシブルである。
2011年05月28日
続 Council Bluffsの鉄道公園

この郵便車は塗装が不要なステンレスなのだが、幕板だけは黄色を塗っている。1967年に全ての長距離郵便が航空便になったので廃車されたのだ。当時の車齢はわずか4年だった。さすがにこの車種は他への転用ができないので、そのまま放置されてしまった。




さて、もう少し近くに寄ればより細かい写真も撮れたのだが、遠くからでも実物を観察できたのは幸せであった。扉部分の深さとか窓枠の形状等、図面と写真だけではわからないところがあるからだ。数十枚の写真を望遠レンズで撮った。地面から立つ白い柱は、郵便を引っ掛けて置くメイル・クレインと呼ばれるものである。高速走行中にそのメイルを引っ掛けるメイル・キャッチャ、その狙いを付ける風防ガラスなどがよくわかる。この作業は暴風雨・雪の中でも行われた。引っ掛かったメイルバッグは車体側面に叩きつけられるから、その部分にはスポンジ入りパッドが当ててある。白い長方形部分がそれである。機種によってはそれが外にはみ出しているが、これは外装が平面になるようにしてあるようだ。
筆者のUPのストリームライナ16輌編成は少しずつ完成に向けて進んでいるが、歩みは鈍い。しかし、このような実物を観察する機会があるとやる気が出る。
全金属製なので、全部で30 kgほどになる。自宅のレイアウトで走らせる分には問題ないのだが、よそで見せるときはどうやって運ぶかが問題だ。その機関車も3セット用意している。各セット平均8 kgもある。
2011年05月26日
Council Bluffs の鉄道公園
Omaha はUnion Pacific鉄道の起点である。
カウンスル・ブラフスまではC&NW シカゴ・ノースウェスタン鉄道が伸びてきた。そこからミシシッピ川の支流のミズーリ川を船で渡して、世界最初の大陸横断鉄道工事が始まったのだ。オマハは渡河地点である。
第二次世界大戦でノルマンディ上陸作戦が行われた時、最初の橋頭堡を作った地点は暗号名でオマハビーチと呼ばれた。それはこの歴史的な事実と無関係ではない。この話は椙山満氏にお聞きしたので、アメリカで色々な人に聞いてみた。正しいそうだ。
カウンスル・ブラフスにはUP814(4-8-4)が置いてあった。その場所(Dodge Park内)は、現在は高速道路の新しいインターチェンジになってしまって見ることができない。2002年にそこを訪ねたが、ゴルフ場のはずれの実にさびしい場所であった。




Big Boyを移動させると同時に、このUP814も移動させられた。移動先はRock Island鉄道の駅の跡である。もう50年も雨晒しでかなり惨めな状態ではあるが、日本の気候とは違うので錆びは少ない。囲いの中にあり、冬季は中に入れないので外からかなり無理して写真を撮った。
現役時代の写真はここにある。この機関車はかなり初期にセンティピード・テンダに振り替えられている。このテンダがどこから来たのかということははっきりしていない。
カウンスル・ブラフスまではC&NW シカゴ・ノースウェスタン鉄道が伸びてきた。そこからミシシッピ川の支流のミズーリ川を船で渡して、世界最初の大陸横断鉄道工事が始まったのだ。オマハは渡河地点である。
第二次世界大戦でノルマンディ上陸作戦が行われた時、最初の橋頭堡を作った地点は暗号名でオマハビーチと呼ばれた。それはこの歴史的な事実と無関係ではない。この話は椙山満氏にお聞きしたので、アメリカで色々な人に聞いてみた。正しいそうだ。





Big Boyを移動させると同時に、このUP814も移動させられた。移動先はRock Island鉄道の駅の跡である。もう50年も雨晒しでかなり惨めな状態ではあるが、日本の気候とは違うので錆びは少ない。囲いの中にあり、冬季は中に入れないので外からかなり無理して写真を撮った。
現役時代の写真はここにある。この機関車はかなり初期にセンティピード・テンダに振り替えられている。このテンダがどこから来たのかということははっきりしていない。
2011年05月24日
続 Omaha の鉄道公園



行った日は日差しがない、とても寒い日であった。14mmレンズを用いて、引きのない場所でも十分に全体を収めることができた。画角114度の超広角レンズである。


のちにオマハの旧Kenefick公園に移動して、10年ほどが経った。その公園は新しいコンヴェンション・センタとなるので新たな移動先を作らねばならなかった。I-80を見降ろす丘が適地ということになり、それを超大型トレーラに載せて、運んできた。よくもこんな足もとの悪い丘の上で吊り上げられたものだと感心する。この機関車は将来走行することがあっても良いように、全般検査を終えてから保存されたので整備状態は良い。タイヤも減っていない。しかしもう二度と走ることはないだろう。
オイルポンプの駆動チェインが外れているのは残念だ。このチェインは意外に太い。一部の本には自転車用と書いてあるが、それは間違いである。


2011年05月22日
Omaha の鉄道公園

朝起きたら気温は−25℃であった。雪だらけで何も写真を撮れなかったが、貨物列車が頻繁に行き来していた。
この小さな町には駅が二つある。NP駅とGN駅である。後者は今でもAmtrakの駅として機能している。
この町の東にNPとGNが交差するところがある。写真を撮りたいものだと思ったが、寒さと雪で不可能であった。
筆者のNorth Dakotaの体験はそれだけである。シカゴの友達に、「ノースダコタに行ったのだ。あそこに行ったことがなかったから、行って良かった。」と言うと、「アメリカ人でノースダコタに行った奴などほとんどいないよ。」 ということであった。
そのあと雪晴れのサウスダコタを抜けて、一路ネブラスカ州オマハに向かった。この町には何度も行っているが、新しい鉄道公園が出来たという情報を得て、どうしても行ってみたくなったのだ。そこにはBig Boy と DDA40Xが置いてある。
近くのモーテルに泊まり、朝一番にその場所を探り当てた。GPSの威力には感服する。新しい場所なので、内蔵の地図には載っていないし、道も表示されない。しかし住所を入れるとその場所が表示される。行ってみると新しい道ができて真っ直ぐ行けることが分かった。
2011年05月20日
閑話休題 新しいカッタ


試しに買ってみた。確かに良く切れるがそれが大きな差を生むような場面には遭遇しなかった。筆者は紙工作はしないので窓抜きなどに使ってその差を実感するということもなかった。
先日アメリカに行った際、スポンジで作られた車体点検用の台を購入した。友人がそれを必要としているのでそれは譲り、自分の分をなんとか調達しなければならなかった。もちろん買えばよいのだが、体積は大きく、しかも重量など無きが如きもので、そんなものを送らせると箱代とその送料がかなり掛かる。行ったときに買えばよいが、どこでもすぐに手に入るとは限らない。作るにしても、ほどほどの硬さのスポンジが手に入るとは限らないので困っていた。

素晴らしい切れ味である。サクサクと切れてあっという間に出来上がった。
定性的な感想だが、鋼製の刃は刃先に目に見えないささくれがあるように感じる。微妙にひっかかるのである。
これはカミソリも同じである。ところがこのセラミック刃はひっかかリを感じない。スッ、スッと切れる。
ゴムも切ってみた。ゴムほど切りにくいものはないが、これはよく切れる。摩擦が少ないからであろう。
面白くなって、カレンダの紙を切ってみた。この種の艶のある紙は繊維の隙間に Filler という鉱物の粉末が充填(じゅうてん)してある。フィラは紙の繊維よりはるかに硬いので刃が傷みやすい。延べ数十メートル切ってみたが、切れ味は衰えない。素晴らしい!。
同時に鋼刃物も並べて使ってみたが、約3メートルで切れ味が劣るようになった。今まで折りながら使ってきたのだが、この刃物は折る必要がほとんどなくなったと言える。
大型の方にはダイヤモンドの研ぎ器が付属しているから、それを使えば半永久的に使えるかもしれない。
科学技術の進歩はこのようなところにもある。
[後記] 閑話休題の意味であるが、「話を元に戻して」という意味である。 このブログは鉄道模型工作を中心に進めてきた。「最近は実物の話ばかりでつまらない」というお話をよく伺う。たまには工作ネタを入れようということになって、「本筋に戻す」の意味で使ったのである。複数の方からこの使い方はおかしいのではないかという問い合わせがあったが、そのような経緯があったのである。
2011年05月18日
Proctor のM3

シカゴの友人が「Duluth に行ったら、ちゃんと3台見て来いよ。全部見なければ意味がない。」とアドヴァイスしてくれ、Google Earth で確認していった。「プロクタの機関車が一番写真を撮りやすいから、これを最優先で行け。」とも言ってくれた。
高校の時読んだ徒然草に 、「仁和寺にある法師」という話があった。だから、どんなことでも地元の人の意見は聞いておくべきだ、と思ったのである。今回は彼の意見を100%受け容れて、その通りにした。ただし見た順は逆になった。

また、ラニングボードも少々変わったスノコ状になっているが、それもきちんと作られていた。




本当に大きな機関車である。動輪径は63インチ(1600 mm )で重量貨物用である。大きな引張力を必要とする低速使用が目的である。Big Boyのように本線上を高速で走ることができる機関車ではない。
例のアスベスト騒ぎでボイラ・ジャケットが無くなってしまったのは寂しいが配管の様子はよくわかる。
厳冬期、すべてが凍りつく期間だけ、Denver Rio Grande & Western 鉄道が借り受けていたことがある。3000mの峠越えの機関車としてである。粘着力が大きくその威力を遺憾なく発揮したそうである。
2011年05月16日
Proctor の扇形庫



上述のように、プロクタの町は鉄道の町であり、住民の鉄道に対する思い入れは強い。DM&IR鉄道が蒸気機関車を全廃したとき、住民の強い要望で一台の機関車が街道沿いの丘の上に展示されることになった。
2011年05月14日
メサビ鉄山

メサビ鉄山は第二次世界大戦のときに多量の鉄をアメリカに供給したが、その時良質の鉄鉱石は大半運び出された。その後見学に行ったときにはタコナイトに切り替えが始まったところであった。
タコナイトは磁鉄鉱という鉱物を20%ほどしか含まぬ貧鉱石で、粉砕して磁力選鉱しなければならない。この操作には多少のエネルギは必要だが、割合簡単な工程である。こうして純度を上げた磁鉄鉱は微粉であり、直接高炉(熔鉱炉)に入れるわけにはいかない。高炉の中には通気性が必要で、鉱石はある程度の粗粒でなければならない。その隙間を還元性ガスが通過しなければならないからだ。細かい粉を入れるとそれが詰まってしまい、機能しなくなる。
したがって、その磁性を持つ粉状鉱物にバインダと呼ばれる接着剤になる物質を入れ、焼結して直径半インチ(12 mm)ほどに形成する。これを五大湖の南岸にある製鉄所に送って冶金(やきん)する。


この貨車の上には囲いが増設されている。タコナイトに切り替えられて、密度が以前より下がったため、同じ許容荷重でもより多くの嵩(かさ)があるためだ。これらの貨車の寿命が尽きて新車になれば、容積が変更された貨車が用意されるであろう。
2011年05月12日
Live Steam の M3


全ての部品が実物を完全に縮小して作られている。気になるいくつかの部品を実物と照らしあわせて見たが、間違いなくできている。


素晴らしくきれいで、走らせた形跡がないように見えたが、タイヤには走らせた痕跡があった。
発電機も2つ付いて、たくさんの電球を光らせるようになっている。アメリカの近代機は走行中にラニング・ボード下とかキャブ下に点検燈があるが、それらは常時点灯である。
この機関車の実物は現存している。それについては後述する。
2011年05月10日
続 Duluth の鉄道博物館




鉄鉱石は重いのでこのような小さな貨車でも十分に重い。速度を出すことは禁止され、30マイル/時(約50 km/時)程度に制限されていた。





2011年05月08日
Duluth の鉄道博物館






ここにはDMIR 2-8-8-4のM-3が在る。屋内でとてもきれいだと聞いて行ってみた。残念ながら何らかの修復工事中で、シートがかぶされていた。機関車をたくさん配置しているので隙間が狭く、あまり良い写真はとれない。14mmレンズを持って行ったのは正解であったが、照明が直接入り込んでしまいフレアが出る。画像が不鮮明であるのはご容赦願いたい。中にはフラッシュが光ったものもあって、余計に反射が入り、良くない。




2011年05月06日
Ore Docks



とにかく大きい。航空母艦より長さも高さも大きい。貨車は24ft程度の短いものを用いているから50台くらいは載る。長い貨物列車を切り離してその程度の長さにしてドックに移動する。ドックの設置場所は地形を選んであって、仕事量が少なくなるように設計されている。
貨車の底板を外して鉱石を落とし込む。鉱石を受ける部分はHopper と呼ばれる。それにある程度貯めておいて、船を横付にする。そしてシュートを下げて鉱石を積む。合理的な方法として過去100年以上採用されてきた方法だ。これも昔は木造だったそうだ。
写真を撮っていたら鹿が居た。近寄ると逃げるが、人を恐れるようでもない。

ドゥルースの郊外にはもう鉄道では押し上げていないオアドックがいくつかある。このごろはベルトコンベアを使っている。


2011年05月04日
Two Harbors の DMIR M-4








一応屋根が掛けてあるので傷みは少ないが、あまり良い条件ではない。内陸で、海から塩が飛んでこないのでさびは少ない。



2011年05月02日
Minneapolis の鉄道博物館






LRTもあり、かなり利用客が多い。正直なところ、ミネアポリスがこんなに大きな街だとは知らなかった。全米で13番目の大都市圏だそうだ。