2011年04月
2011年04月30日
続 Minneapolis の模型鉄道博物館


ミネアポリスはその中心都市で、鉄道の要衝である。シカゴあるいはその北80マイルにあるミルウォーキィから太平洋岸を目指す大陸横断鉄道の重要な接続点であった。Northern Pacific, Great Northern が隆盛を競った。


この博物館は、古い建物を取り壊すよりも再開発により有効利用しようということになって開設された。同じ建物の中にはホテル(Best Western)とか病院などもある。天井が高いので途中に床を増設して二階にしている。柱や天井の梁などは昔のままだ。煤で汚れていたのを、高圧空気で砂を吹き付けて取るサンドブラストという方法できれいにしている。古い木も腐っていなければそのまま使える。部分的に新しい木材を継いでいるところもある。
2011年04月28日
Minneapolis の模型鉄道博物館






今回は14mm超広角レンズを持っていったので対角線の画角は114度もある。したがって、妙に広く見えるかもしれないが、それほどでもない。
2011年04月27日
「1000記事達成!」 の通知を受ける
気にも留めていなかったが、昨日表記の通知が届いた。思い起こせば2006年8月末から始めて、当初は毎日更新であった。ある方から、ペースが速すぎてついていけないと言われ、2日に一回とした。
このブログを始めたきっかけは既存のメディアに対する不満からだ。とにかく勉強が足りない。金を取って売る雑誌なら、少しは努力せよと言いたかったのである。筆者は職業柄、物事を客観的に見ている。鉄道模型は情緒的な面もあるが、本質はメカニズムである。
幼少のころより、技術者であった父の指導の下、理屈に合った模型を楽しんできた。ところが雑誌に書いてあることはそれとは異なり、大きな誤りも多々あった。それを正す人が居ないのは、この趣味を楽しむ人たちのためにならない。それなら書いてみようということになったのだ。もっとも筆者が楽しむのはO Scale であり、日本ではやや異端である。あまり影響力を及ぼすことはできないとは思っていたが、読者の方々の賛同を得ることができた記事も多かった。
「快削ブラス板の採用」、「炭素棒ハンダ付け」、「バネの効いたイコライジング」、「ステンレス容器中での折れ込んだタップの溶解」、「曲がった橋」、「パイクは卑称と言う新説」、など、今でも読み返してみて感慨深い記事もある。一方、興味深いがとても手が届かないという御意見をたくさん戴いた記事もあった。ロストワックス関係の記事がそうである。
日本ではどういうわけか、ロストワックスのプロセスが模型雑誌には久しく載らなかった。ある人は、「秘匿している。」という表現をされたほどである。
アメリカではごく当たり前の鋳造法で、電話帳で Casting の項を調べればいくつかは簡単に見つかる。この方法のテクニックを公開することは、当然必要なことであり、多くの人がその恩恵に浴することができればよいと思う。
最近はブラス工作をする人が減っているが、やってみればこれほど簡単な工作はない。接着という時間のかかる難しいプロセスがないのである。やけどさえ気を付ければよいのである。
工具をそろえると速くできる。おそらく投資金額分を時間の節約ですぐ回収できるはずである。また、プロの工房でのテクニックを皆さんに披露したい。本当はそのような記事こそ、雑誌に載せるべきなのである。
もうひとつこのブログでやりたかったことは、中間に人を介さない直接の海外の情報提供である。過去の雑誌の記事を読むと、記事を書いている人が、だれか(通訳?)を介して情報を集めているのが明白なものが見つかる。とんでもない勘違い記事があるのだ。このブログではすべて筆者が自分で集めた情報しか書かない。伝聞はウラを取り、間違いがあればすぐ訂正する。しかし、雑誌は誤りを指摘しても、まず訂正しない。困ったものだ。
幸い、筆者は伊藤 剛氏、井上 豊氏、祖父江欣平氏、椙山 満氏ら、綺羅星のごとく輝く先輩模型人に直接の御指導を戴いたので、その一部でも御紹介したいと考えたのである。彼らの助言なしにはとても現在の自分があるとは思えないのである。感謝している。
また、読者の方々からは有用な助言をたくさん戴いて励みとなった。あらためて御礼を申し上げる。
このブログを始めたきっかけは既存のメディアに対する不満からだ。とにかく勉強が足りない。金を取って売る雑誌なら、少しは努力せよと言いたかったのである。筆者は職業柄、物事を客観的に見ている。鉄道模型は情緒的な面もあるが、本質はメカニズムである。
幼少のころより、技術者であった父の指導の下、理屈に合った模型を楽しんできた。ところが雑誌に書いてあることはそれとは異なり、大きな誤りも多々あった。それを正す人が居ないのは、この趣味を楽しむ人たちのためにならない。それなら書いてみようということになったのだ。もっとも筆者が楽しむのはO Scale であり、日本ではやや異端である。あまり影響力を及ぼすことはできないとは思っていたが、読者の方々の賛同を得ることができた記事も多かった。
「快削ブラス板の採用」、「炭素棒ハンダ付け」、「バネの効いたイコライジング」、「ステンレス容器中での折れ込んだタップの溶解」、「曲がった橋」、「パイクは卑称と言う新説」、など、今でも読み返してみて感慨深い記事もある。一方、興味深いがとても手が届かないという御意見をたくさん戴いた記事もあった。ロストワックス関係の記事がそうである。
日本ではどういうわけか、ロストワックスのプロセスが模型雑誌には久しく載らなかった。ある人は、「秘匿している。」という表現をされたほどである。
アメリカではごく当たり前の鋳造法で、電話帳で Casting の項を調べればいくつかは簡単に見つかる。この方法のテクニックを公開することは、当然必要なことであり、多くの人がその恩恵に浴することができればよいと思う。
最近はブラス工作をする人が減っているが、やってみればこれほど簡単な工作はない。接着という時間のかかる難しいプロセスがないのである。やけどさえ気を付ければよいのである。
工具をそろえると速くできる。おそらく投資金額分を時間の節約ですぐ回収できるはずである。また、プロの工房でのテクニックを皆さんに披露したい。本当はそのような記事こそ、雑誌に載せるべきなのである。
もうひとつこのブログでやりたかったことは、中間に人を介さない直接の海外の情報提供である。過去の雑誌の記事を読むと、記事を書いている人が、だれか(通訳?)を介して情報を集めているのが明白なものが見つかる。とんでもない勘違い記事があるのだ。このブログではすべて筆者が自分で集めた情報しか書かない。伝聞はウラを取り、間違いがあればすぐ訂正する。しかし、雑誌は誤りを指摘しても、まず訂正しない。困ったものだ。
幸い、筆者は伊藤 剛氏、井上 豊氏、祖父江欣平氏、椙山 満氏ら、綺羅星のごとく輝く先輩模型人に直接の御指導を戴いたので、その一部でも御紹介したいと考えたのである。彼らの助言なしにはとても現在の自分があるとは思えないのである。感謝している。
また、読者の方々からは有用な助言をたくさん戴いて励みとなった。あらためて御礼を申し上げる。
2011年04月26日
モータの界磁磁石を交換する
Chicagoの O Scale Meet で Low-D 車輪の講演をした。その時、古いOpen Frameモータの界磁をネオジム磁石にするアイデアを披露した。親しい友人がそれを雑誌に発表すべきだと勧めたが、誰でも思いつくことだし、実際にやっている人もいる、と同意しなかった。
第一アメリカでそんな磁石もあまり売っていないし、日本から飛行機で送ることができないから難しいと考えていた。
先日送られてきたMicromarkのE-mailによる広告によると、同社はいわゆるPittman型モータ(TMSでは棒形モータと呼んでいた)のアルニコ磁石を取り替える磁石セットを売り出している。どの程度の磁石なのかはよく分からないが、大きさと吸着力から推測するとネオジム磁石のようだ。
先日の記事にも書いたように、HOサイズの模型には大きな磁束密度を与えるとあまり効果はない。果たしてどの程度の効果があるのか知りたいものだ。 この広告を見ると、飛行機には載せられないので陸続きの48州しか配達できないとある。そのようなことを情報として明示しておくことは大切である。磁石を飛行機に持ち込むことができないということは意外と知られていないからだ。
やはり鉄心の大きなOサイズの模型モータに採用すべきものであるように思う。 アメリカの友人にはLobaughの古いモータの入手を依頼しておいた。いずれいくつか集まるから、それらを再生しようと思う。回転数がかなり低下するから、歯車の減速比が小さくなる。すると必然的に”Free-Rolling”になる。このアイデアには彼らはかなり驚いたようだ。
第一アメリカでそんな磁石もあまり売っていないし、日本から飛行機で送ることができないから難しいと考えていた。
先日送られてきたMicromarkのE-mailによる広告によると、同社はいわゆるPittman型モータ(TMSでは棒形モータと呼んでいた)のアルニコ磁石を取り替える磁石セットを売り出している。どの程度の磁石なのかはよく分からないが、大きさと吸着力から推測するとネオジム磁石のようだ。
先日の記事にも書いたように、HOサイズの模型には大きな磁束密度を与えるとあまり効果はない。果たしてどの程度の効果があるのか知りたいものだ。 この広告を見ると、飛行機には載せられないので陸続きの48州しか配達できないとある。そのようなことを情報として明示しておくことは大切である。磁石を飛行機に持ち込むことができないということは意外と知られていないからだ。
やはり鉄心の大きなOサイズの模型モータに採用すべきものであるように思う。 アメリカの友人にはLobaughの古いモータの入手を依頼しておいた。いずれいくつか集まるから、それらを再生しようと思う。回転数がかなり低下するから、歯車の減速比が小さくなる。すると必然的に”Free-Rolling”になる。このアイデアには彼らはかなり驚いたようだ。
2011年04月24日
高速ボール盤

筆者の興味を引いたのはこのボール盤である。Deep Throatと言う名前だ。文字通り懐が深く(20 cm)、大きな板に穴を開けることができる。回転数は9500,17,000,30,000 RPMとなっているが、速度調整器を付ければ低回転も可能である。チャックのつかみ能力は0.002インチから5/32インチ( 0.05 mm から 4mm まで)である。ただし、注文時に他のサイズを頼めばそれを付けて出荷する。チャックはアメリカ製のJacob、ドイツ製のAlbrecht, 日本製のYukiwa から選べる。後二者はキィレス・チャックである。
「ユキワがいいけど高いね。」とのことである。
この時代には珍しいアメリカ製で、カリフォルニア州Sonomaで作っている。その会社の社長が売りに来たのだ。質量は36ポンド( 16 kg 強)だから持って帰れる範囲にあった。
筆者が今使っているボール盤は細かい作業には向かないのでいずれ購入することになるだろうと思う。同時に何台か買えば価格の交渉の余地が生まれる。どなたかご希望の方はお知らせ願いたい。
オプションとしてXYテーブル等もあるが、インチ目盛である。「それをメトリックにしてくれたら欲しい人が何人か居る。」と言うと、「考えてみる。」とのことであった。要は数である。
価格はチャックにもよるが1000ドル近辺で、速度調整器が110ドル、チャック抜きのくさびが10ドルである。XYテーブルは390ドルである。これらの価格は、2009年の資料に基づく。
2011年04月22日
続々 O Scale West 2011





「本当はどちらも直線なんだが、スペースがないから仕方ないね。」と笑う。
Class H とElectrolinerが交差するのは壮観だ。架線が張ってあるのも素晴らしい。実に調子よく走る。集電が良いのでその秘密を聞くと、レイルをよく磨くだけだと言う。

「これを使えばロッドの穴がぴたりと合う。当たり前だけどな。」と言う。その通りなのだ。それにしても 動力車はすべて自作と言うのは凄い。
2011年04月20日
続 O Scale West 2011



機関庫の周りの地面に黒っぽい砂が均一に撒かれた。いずれ不均一な色合いになるのだろう。

車輪はNWSLのコード145に取り換えたと言う。車輪が薄いので、フログではまりやすいのが難点だ。フログをもっと狭くすればよいのだが、その件には気が無いように見える。


以前筆者も持っていたが、修正しようとすると下廻りを捨てざるを得なかったので手放した。その代わりに祖父江氏のカスタムビルトの1輌がやってきた。これは彼が1輌しか作らなかったもので、フレームが実物どおりの形をしている。
このレイアウトの見学者は多い。噂が噂を呼んで、色々な人が見に来る。みなため息を吐いて帰る。常人には到達できないレベルの作品である。
2011年04月18日
O Scale West 2011




売っているものも、名前を知っている人のコレクションが多い。まとめて10000ドルと言う売り方もある。図書もたくさん出ていた。
おそらく来年もこの調子であろう。読者の中で、O Scaleに参入したい方は今がチャンスである。ある程度の現金を用意して行けば、かなりお買い得であろう。スーツケースはたくさん用意しなければならないだろう。
筆者はもうすでにコレクションは終了しているので、ほとんど買うものはない。レイアウトを仕上げるための材料、ストラクチュアなどを購入した。ある航空会社の優待会員になっているので、スーツケースは3個持てる。しかも一つ当たり32kgであるから、かなり持ち帰れる。今回は友人たちのための工具類を25kgほど買って、あとはE-bayで落として友人に預かってもらっていた古いキットなどを受け取ってきた。昔のキットは重いものが多く、航空便で送ると送料がかさむ。アメリカの国内なら安く配達されるので、この方法をとっている。
もちろん、友人には迷惑をかけるので、多めにお土産を持っていく。彼も、中身を見たがるので、受け取ったら梱包を開けてもらう。
中を見て、すぐに注文したりしているので、これはこれでお互いにメリットがあるようだ。
2011年04月16日
続々 Yuba City の模型屋
この模型屋で驚いたことの一つが修理を引き受けることである。
実はLionel, MTH などの制御方式が微妙に変化するのだ。ヴァージョンが進化すると、制御方式のちがいにより、何か不調が起きるらしい。
見ているとある顧客が持ち込んできた機関車を運転してみて、「これはLSIを交換すると治る。」と言うのである。「新しいLSIが20ドル弱で手に入るから取り替えてはどうか。」ということになった。
客はそんなもので治るものかと不満げであったが、交換して内部の電池に充電されるまで3分ほど待った。
何と治ったのである。客は大喜びで店主と握手し、スキップして帰っていった。聞いてみると、「故障のパターンは限られているから、大体は見当がつく。」という。
この店が繁盛しているのはこのあたりが大きなファクタであろう。店の奥のほうには大きな工作台があり、各種電源、測定機、工具がぎっしりであった。預かってから1週間で直すそうだ。パーツの棚は天井まであった。
おもちゃといえどもこのようなサーヴィスを低価格でするのは、顧客にとってはありがたい。最近の製品は電子機器が満載なので、一般人には手を出せないのだから。
それと迅速な出荷である。外国の客からたくさん注文があるそうだ。スイスから、Lionelの線路を20kg以上も注文があったそうだ。価格は知れているが、それを「Nextday Deliveryで送ってくれ。」と言って来たそうだ。送料が品物の価格の3倍もかかるので、「普通の航空便にしたらどうか。」と言ったところ、「待ちきれない。早く送れ。」と念を押されたそうだ。
世の中には色々な人がいるものだ。
実はLionel, MTH などの制御方式が微妙に変化するのだ。ヴァージョンが進化すると、制御方式のちがいにより、何か不調が起きるらしい。
見ているとある顧客が持ち込んできた機関車を運転してみて、「これはLSIを交換すると治る。」と言うのである。「新しいLSIが20ドル弱で手に入るから取り替えてはどうか。」ということになった。
客はそんなもので治るものかと不満げであったが、交換して内部の電池に充電されるまで3分ほど待った。
何と治ったのである。客は大喜びで店主と握手し、スキップして帰っていった。聞いてみると、「故障のパターンは限られているから、大体は見当がつく。」という。
この店が繁盛しているのはこのあたりが大きなファクタであろう。店の奥のほうには大きな工作台があり、各種電源、測定機、工具がぎっしりであった。預かってから1週間で直すそうだ。パーツの棚は天井まであった。
おもちゃといえどもこのようなサーヴィスを低価格でするのは、顧客にとってはありがたい。最近の製品は電子機器が満載なので、一般人には手を出せないのだから。
それと迅速な出荷である。外国の客からたくさん注文があるそうだ。スイスから、Lionelの線路を20kg以上も注文があったそうだ。価格は知れているが、それを「Nextday Deliveryで送ってくれ。」と言って来たそうだ。送料が品物の価格の3倍もかかるので、「普通の航空便にしたらどうか。」と言ったところ、「待ちきれない。早く送れ。」と念を押されたそうだ。
世の中には色々な人がいるものだ。
2011年04月14日
続 Yuba City の模型屋





このディーゼル電気機関車はGen-Setと呼ばれ、発電ユニットを3台積んでいて、負荷によってそれらを部分的に稼働させることができる。すなわち、省エネルギー機関車である。これがよくできていて、思わず買いそうになった。最初の写真はブレてしまったのはお許し戴きたい。走行条件によって、煙突の蓋が次々と開いて煙が出るのには参った。
このような機関車が直ちに製品化されて販売されるのは、信じがたい。実物がロールアウトする瞬間に発売予告がなされ、4ヶ月後くらいには販売される。
音もそれらしく出て、実感満点である。キャブ下にはスイッチが並び、モードを選ぶことができる。
走りは満点を付けられる。低速から最高速まで極めて滑らかである。
O gaugeの製品はオモチャ的で、O scaleは精密模型という分類はもう通用しない。
2011年04月12日
Yuba City の模型屋



このO scale と O gauge との言葉の使い分けは微妙である。もちろん二線式も O gauge であるが、O scale はより小さい集合を指すということになる。この使い分けをする人はある程度の歳(60歳以上)である。若い人は、どちらかというと、Scale と Tin Plate、あるいは Hi―rail と言う。また、直接にメーカの名前であるLionel, MTH, Atlasと言う人が多い。
さてこの店は The Western Depot という。オーナは元アメリカ空軍の将校である。朝鮮戦争の頃日本に居たという。
今はほとんど引退して息子夫婦に任せているが、たまたま店に居た。話をしていると打ち解けて、社長室に引っ張り込まれた。たくさんの空軍関係の資料と模型があり、面白い話も聞かせてくれた。






2011年04月10日
続々々々々 またまたFeather River Route




夏にまた来たいと思う。


なにか面白いことでもあるかと思い、わざわざ足を伸ばした。行ってみれば何のこともない草ぼうぼうの荒れ地で、別荘地として地元の不動産屋が売り出しているだけのことであった。
中を一巡りしたが、汽車が好きな人が住んでいるような気配は全くない。
2011年04月08日
続々々々 またまたFeather River Route
Western Pacific鉄道は、Reno の町にも連絡路線を持っていた。
道筋は栗生氏の御紹介のこの地図を御覧になればよくお分かりであろう。
ウェスタンパシフィックの本線は、リノの街の北方約30kmほどのところを通過しているので、何とかしてリノへの道筋をつける必要があった。距離は近いが標高差がかなりあり、それをつなぐのは結構難しいことであった。というのはリノから約10kmほどのところに峠があり、その標高差は250mほどである単純に考えて2.5%であるから、そのままでは困る。Google Earthでリノを探し出して北に向かう線路を探し出されると良い。半径160m位の急カーヴで右に左にとうねる線路が見つかるだろう。180度カーヴどころではなく210度を超えるものもある。このようにしてかなりの距離を稼ぎ、峠を越える。
途中の工場まではリノから貨物列車が走っている。
こうしてReno Junctionまでつながっている。この線は現在は使われていないようだ。枕木の間に背の高い雑草がたくさん生えていた。このジャンクションはデルタ線になっているが現在は東西方向の本線だけしか機能していない。この写真はグーグルアースの中にあるのをリンクしている。東を向いて撮っている。
Reno Junctionの西にはPortolaの町がある。この町はWestern Pacific鉄道とともに生まれた町で、西部によくあるMagic Cityと呼ばれるもののひとつである。もとはゴールド・ラッシュの時の宿場とは言えない程度の集落であったが、水があったので鉄道開通により機関区ができ、町を形成した。雨後の筍のように急速に形成された町をこのように呼ぶ。
ポ−トラの街には鉄道博物館があり、それを見たかったが、冬季は閉鎖中であった。金網にへばりついて内部の写真を撮っていたら、たまたま通りかかったポリスカーにつかまって、「ここは鉄道用地だ、ただちに退去せよ。」と警告を受けた。
「日本からこの博物館を見に来たのだ。中に入れないからここから写真を撮っている。」と言い訳をしたが、「直ちに出ないと逮捕する。」と脅されて渋々その場を去ることにした。
道筋は栗生氏の御紹介のこの地図を御覧になればよくお分かりであろう。
ウェスタンパシフィックの本線は、リノの街の北方約30kmほどのところを通過しているので、何とかしてリノへの道筋をつける必要があった。距離は近いが標高差がかなりあり、それをつなぐのは結構難しいことであった。というのはリノから約10kmほどのところに峠があり、その標高差は250mほどである単純に考えて2.5%であるから、そのままでは困る。Google Earthでリノを探し出して北に向かう線路を探し出されると良い。半径160m位の急カーヴで右に左にとうねる線路が見つかるだろう。180度カーヴどころではなく210度を超えるものもある。このようにしてかなりの距離を稼ぎ、峠を越える。
途中の工場まではリノから貨物列車が走っている。
こうしてReno Junctionまでつながっている。この線は現在は使われていないようだ。枕木の間に背の高い雑草がたくさん生えていた。このジャンクションはデルタ線になっているが現在は東西方向の本線だけしか機能していない。この写真はグーグルアースの中にあるのをリンクしている。東を向いて撮っている。
Reno Junctionの西にはPortolaの町がある。この町はWestern Pacific鉄道とともに生まれた町で、西部によくあるMagic Cityと呼ばれるもののひとつである。もとはゴールド・ラッシュの時の宿場とは言えない程度の集落であったが、水があったので鉄道開通により機関区ができ、町を形成した。雨後の筍のように急速に形成された町をこのように呼ぶ。

「日本からこの博物館を見に来たのだ。中に入れないからここから写真を撮っている。」と言い訳をしたが、「直ちに出ないと逮捕する。」と脅されて渋々その場を去ることにした。
2011年04月06日
続々々 またまたFeather River Route


トンネルの向こうには州道70号線が見える。
Google EarthのStreet View表示でも、このトンネルポータルは一瞬見える。この新しい道ができる前の旧道時代の未舗装道路は、勾配は極端に急で、天気が悪ければ通るには苦労したであろうと思う。
今回は冬でクマに出会う可能性は少なかったが、夏は注意された方がよい。

UPのほうは列車密度が高く、1時間に2本は通る。旧GN線方面はあまり通らぬようだ。
この鉄橋の下にはリゾート地になっていたらしく、たくさんのコテージがある。現在は廃屋になっているものが多い。鉄道ファンにはたまらない場所である。これを再開発すれば面白いと考えたが、それほど甘いものではなさそうだ。



2011年04月04日
続々 またまたFeather River Route

ループは直径があまり大きくない。せいぜい350mくらいだ。勾配も小さいから一巡りでの高低差も大きくない。トンネルをまたぐときの高低差は10m弱程度だ。つまり、勾配は1%ほどである。この鉄道はSPとの競合で低標高、緩勾配にこだわったのだ。
トンネルのポータルのコンクリートはかなり風化している。余り強度がありそうには見えない。




念願のループ内に到達して周りを眺めるが、線路は1/2周しか見えない。これが全周見えれば面白いだろう。列車は一めぐり以上あるので、同時に上下の線路を走る。不思議な感覚だ。

2011年04月02日
続 またまた Feather River Route

遠くのほうから列車の響きが聞こえてくる。勾配はSPのDonner Pass よりも緩く、1%台である。鉄橋の直下にいるとその響きは凄まじく、雷鳴のようだ。しかも貨車の車輪が真円でないものがかなりの確率で含まれているらしく、ダンダンダンと大きな音をたてる。
いわゆるフラットである。車輪の研削などほとんどしていないのだろう。ときどき、線路端にフランジの一部(角度にして)20度分くらいが落ちていることがある。それでは脱線してしまう。もちろんこういう不良車輪を見つけ出す装置は本線上にある。フランジの当たる部分に小さなセンサを3mくらいの長さにぎっしり並べ、すべてのセンサがフランジを検出していればOKだが、部分的に欠けると異常として通報する。
アメリカの貨物列車と比べると日本の鉄道は本当に静かである。


