2009年03月

2009年03月30日

Southern Pacific RR Train 98-99

Daylight TRAIN 98-99  この本を購入して30年経つ。78年に購入している。650ページの大部で、とにかく高い本であった。1ドル200円の時代に60ドルで、物価が今の1/3だとしても、信じられない程の価格だ。
 当時はよく調べてある本だな、としか思わなかったが、最近は読む方の知識が増えたため、そこにある図表などの意味がよくわかって、益々面白味が増してきた。
 最近この本がe-bayで250ドルで落札されていた。相対的には安いと思う。

 Ralph Brownは、この本を参考にしてキットを作ったので、キットを売りつけるときに、「これを買え。」と指定してきた。「持っている。」と答えると、「それなら、きっと素晴らしいものができる。期待しているぞ。」と連絡があった。

 それから20年、埃が積もった状態で倉庫からひき出された。接着の失敗でくねくねと曲った車輌が2台と、未組みの状態で9輌出てきた。ブラス製とブリキ製を急いで組んで並べてみると、全体像が浮かび上がる。リモネンを使えば間違いなく組めるし、過去の失敗作も修復可能であると思った。

 台車さえあれば、即完成できるという自信が湧いてきた。全ブラス製に比べてはるかに軽く、14輌でざっと20 kg以内という試算も出た。収納して運搬する容器も作らねばならない。すでに、「運転会に持ってこい」というリクエストも戴いている。DCC運転には、DCC装置も必要だ。

 ディカールを注文した。値段を聞いてびっくりだが、仕方がない。問題は室内である。すべて手作りすることになる。材質を検討中であるが、以前アメリカで買い求めた木製キットを参考に作ることになるだろう。室内橙を点けなければならないので、その回路も必要だ。客車は軽いので、集電が悪い。電源車を作ってそこから給電する必要があるだろう。ジャンパ回路をどうするかが問題だ。

2009年03月28日

Daylight Consist

Daylight Consist デイライトの編成は当初の12輌編成から徐々に長くなり、最盛期には23輌編成まであった。蒸気機関車が牽くもっとも長い編成は、1952年から54年にかけての22輌であった。途中で補機をつけなければ越えられない坂もあった。

 この編成は14輌で、コンビネイション3と呼ばれた組合せである。これにAC(連接客車)を足していくと長い編成が可能である。模型としての当鉄道での編成はこれが限度で、これ以上長いと収拾がつかない。これだけでも長さが6 mある。筆者のレイアウトの一番長い側線に何とか入る。

 この表を見て気が付くことはデッキ部分の集約化である。色をつけたところがデッキ部である。客車の連接化の効果で、Porterの数を減らすことができる。連接ではない普通のコウチが1輌あるのは、デッキを片方に寄せるためである。したがって、これは編成中、特定の位置にしか来ない。模型を走らせているのを時々見るが、このあたりのことに無頓着な人は多い。すべて合理的に考えられているのに。

 全行程を乗務するポータは二等車3人、一等車2人である。ほかにSwing Porterというのが2人必要であるが、これは駅に居ればよい。デッキ部は階段があるので、荷物の出し入れにポータが必要である。日本のような高いプラットフォームがないので、手間がかかる。

 食堂車にはコック4人とWaiterが6人乗務し、Tavernには2人、さらに責任者1人という具合である。タヴァーンは"Money Making Car"と呼ばれるほど大きな収益を上げていたようだ。
 車掌は3人、機関士、罐焚きというわけで、かなりの人数が乗務していた。

 朝8時15分にサンフランシスコを出発し、夕方6時にロスアンジェルスに到着する。

2009年03月26日

Parlor Observation Car

79' parlor observation car Parlor Observation Car は、いわゆる展望車である。初期型の長さは77ftで、後部に貫通ドアがない。のちに79ft型が生産され、旧型にも貫通ドアが設置された。貫通ドアは二重に開くようになっているようだ。

 展望部分は椅子が内向きに置いてあり、過ぎ行く景色を眺めるようになっている。最後部は、当初密閉構造であったが、安全基準の変更で、非常時に出口が二つ以上なければならなくなり、ドアが設置された。

 最後部の天井には大きな電灯が付いている。これは後退時に点灯するものらしいが、どのような場面で使用したかは、不明である。赤くはない。赤色燈は幕板についている流線型のランプである。

 手荷物を収納するためのエレベータが設置されている。カードゲームなどをするための向かいあわせの席も用意されている。

 模型は丸い屋根部分は木製の削り出しである。押し出し成型の屋根材とカーヴを合わせるのはかなり難しそうだ。最後尾のスカートはソフトメタルの一体鋳造で、とても重い。

2009年03月24日

Parlor Car と Tavern

Parlor Car Parlor Carは一等車である。日本のグリーン車とは違って、座席が2列である。2列というのは、本当に2列である。進行方向に向かって斜めに置かれた椅子がある。この椅子は、ある程度は自由に向きを変えることができる。Websterの辞書には、「Parlor Carとは座席が一人用の特別車輌」と説明してある。

 定員は少ない。展望車 Parlor Observationは、2列の座席部分と、展望部分に分かれる。展望部分は定員に含まれていない。

 手荷物を三段に収納するエレベータが付いている。Waiter(給仕)が控えている席もある。これらの2輌は最後部に連結され、蒸気機関車からの煙の影響が最も少ない様になっている。一等車の直前にはTavern(酒場という訳は良くないが、それしかない。)が連結されている。

Tavern タヴァーンの中は、想像を絶するつくりである。半径5mくらいの円弧を描くバーと、丸いソファがたくさんある。この車輌にはピアノがないが、他社のTavernにはピアノ付のもあった。
 酒のみならず、ソフトドリンクも飲めた。コーラなどのタップ(引くと吹き出してくる蛇口)もある。この写真は車輌の中央付近から妻の方を見ている。タヴァーンは定員には含まれていず、デッキもない。 

 この車輌の前が食堂車となっていて、座席車(2等車)はその前につながれる。要するに一等車の客のプライヴァシィを守るようになっている。

2009年03月22日

Articulated Cars

American Standard Car Co.Articulated Coach Daylightという特急列車には連接車が多数連結されている。2輌一組の座席車Articulated Chair Cars、3輌一組の食堂車Articulated Dinersがある。

Daylight 3-unit Diner なぜこのような車輌が採用されたのかはいろいろ理由がある。1つには連結部分のスペースが無駄なので、集約したかったのだ。列車長を短くして、効率化を図りたかった。次に、列車の軽量化が目的である。台車の数が減るとそれだけ軽くなるし、急曲線にも対応できる。(模型化するときも、台車が少ないから多少は安上がりである。)

 食堂車は中央の車輌を厨房とし、前後の車輌をCoffee ShopとDining Carとしている。厨房は巨大な水タンクをぶら下げており、3軸台車を採用している。よほど重かったのであろう。まだ作ってないが、屋根上には大きな羽根をつけた排気扇が三つ付いている。風を受けて排気されやすい方向に向きを変える。
 窓は、厨房機器を避けた細い窓である。食材搬入用のドアもある。

 連接部は食い違いがないので幅の広い幌で結ばれている。5 ft(1.5 m)もの幅がある。料理を運び易い。

 大きな空調装置が床下についていて、これらはLPガスを燃料とするエンジンによって駆動される。ボンベは床下に6本入れられる。途中での入れ替えも考慮して、すぐに差し替えられるようになっている。

 このような車輌を1937年に完成させたことは驚異的である。

 仮台車に載せて撮影したので、ちぐはぐなところはお許し願いたい。

2009年03月20日

Evergreen のポリスチレン板

 Evergreen Scale Models は30年ほど前、この業界に参入してきた。それまではPlastructしかなかった。後者の材質はやや硬い。

 最近わかったことであるが、American Standard Car Co.のキットに入っているコルゲート板はエヴァグリーン社の製品である。すなわち、窓枠さえ手に入ればデイライトは増産可能である。


 リモネンによる接着は予想以上の仕上がりをもたらした。確かに蒸発速度が小さい分、固まりかたが遅い。初期粘着力が小さいような気もするが、それは使い方で克服できると思う。
 隙間に流し込んで30秒ほど経ってから圧迫すると粘りつく。適当なクランプで挟んでおくか、錘を載せておけば30分ではがれなくなる。後は風通しのよいところに放置すれば固着する。

 Obsevation(展望車)の後尾(Fan Tailという)の丸みにあわせて接着するのは難しい。あらかじめコルゲート板をジグの中に押し込んで曲げ癖をつけておく。
 この材料は可塑剤がやや多めであると思う。リヴェット押し出しも可能である。だから、所定のカーヴより小さく曲げて1週間ほど保持すると、クリープが起きて曲がってしまうのだ。

 それをテープ状のクランプで押さえ込んでおいて、隙間にリモネンを流す。この道具は、近くのホーム・センタで980円で売っていた。

 薄い板をリモネンで貼り合わせて厚い板を作ることは容易である。今までの溶剤では後で反ったりするが、そのような心配はまったく無用になった。

2009年03月18日

反りを直す

反りを直す 20年以上前にこれらの客車を組みかけてやめてしまったのは、ポリスチレンの接着部が反り始めたからである。反りが落ち着くまで待とうと、箱に入れて倉庫に押し込んだまま日時が経った。
 先日、金属製のデイライト客車を組みかけたとき、ついでに組んでしまおうと箱から出したところ、反ったまま出てきた。これ以上反ることは考えられない。

 OLFAのプラスティック用カッタで2/3程度の深さまで細かく溝を掘り、そこにこれまた細くかみそりで切ったポリスチレン小片を押し込んで、リモネンを滲み込ませた。しばらく待つと、小片は溶け始める。ころあいを見計らって、反った板を厚いガラス板の上に置き、上から錘を載せておくと、数時間でまっすぐのまま、固まる。

反りを直す2 全体が波打っているようなときは、厚い木の板の上に置き、石鹸水を流しながら耐水ペーパで研ぐ。最近ホームセンタで見つけたこの商品はとても使いやすい。
 でこぼこしている凸部が削り落とされると、見かけ上平面になる。艶あり塗装をしたときに不自然でない程度の平面が出ていればよいわけで、気楽な作業である。

sanding block 今までこのような水研ぎは手ごろな大きさの木片に、耐水ペーパを巻きつけて行っていたが、こする方向によりペーパが緩むので具合が悪かった。
 この商品はそのようなことは一切無視してよい。面白いことにパイプの内側だけに砥粒が付いている丸棒削り用とか、その正反対に丸棒の外側だけに砥粒が付いているタイプがある。

2009年03月16日

続 American Standard Car Co. の客車

American Standard Pullman Car このように作られたウレタン鋳造の側板は、木製の床板の上にジグを用いて接着剤で取り付けられる。妻板は断面が台形のソフトメタルである。大変優れた造形で屋根板の凹みにぴったりはまる形状になっている。これもエポキシ接着剤で取り付ける。

American Standard Heavy Weight passenger car 床下器具はソフトメタルで出来ていて適度の質量を与える。台車はデルリン(ポリアセタール樹脂)のインジェクション・モールドで摩擦が少ない。それにステンレスのLow-D車輪が取り付けられる。



 ヘヴィ・ウェイトの客車はこのように構成されているが、軽量客車はまったく別の方法を採用している。ポリスチレンの板を接着して作る。

American Standard Daylight passenger car 窓の位置を正確に打ち抜くのは、高度な技術を要求される。窓を抜くとき、水平方向(X軸)、縦方向(Y軸)を決めて抜くのは、機械の設定上も面倒である。そこでうまい方法が考えられた。窓穴はX軸だけしか精度がない、やや大きめの穴である。
 窓枠等の寸法が一定のものはインジェクション・モールドで作る。腰板の寸法は一定なので、側板下部を基点として、腰板、窓枠、幕板という順番に積み上げていけば窓の高さ(Y軸)は自然にそろう。窓枠の入る開口部は上下に隙間があるので、窓枠のバリもその中に納まり、削る必要も感じなかった。
 幕板は上にはみ出した状態で接着され、硬化後余分を切り落とす。こうして出来た側板は十分な強度と精度を持ち、床板に接着される。
 窓と窓の間の板は、所定の幅に切ってはめ込んで、接着剤を滲み込ませればよい。

 この方法が賢いのは、X軸、Y軸の精度を別々の部材に分散したことである。また、精度の要る窓枠部品のみをインジェクション・モールドにしたので、初期費用が抑えられている。板を正確な幅に切るのは簡単なことであるから、それを使えば簡単に位置決めが出来る。
 
 窓枠は内側がガラスがはまる様に凹んでいるので、窓ガラスがかなり外側に取り付けられ、よくある模型的な側板の厚みが感じられない。このあたりの造形の妙はラルフの感性そのものである。

2009年03月14日

American Standard Car Co. の客車

American Standard's construction Heavy Weight Passenger Cars American Standard Car Companyは、Ralph Brownの会社である。ラルフは信じられないほど器用な男であった。
1975年当時カスタムビルダを始めたばかりで、イリノイ州Crystal Lakeに住んでいた。

シカゴで行われたNMRAコンヴェンションの会場で知り合った。"同郷"ということで仲良くなった。若いときにユタ州南部のセント・ジョージに住んでいたそうである。

 当時のカスタムビルダは客車を紙で作るのが主流であった。0.5mm位の厚手の滑らかな硬い紙にラッカ・サーフェサを吹いて固め、接着剤で積層した。

 彼の手法は、ストラスモアに薄手の両面テープを貼り、それに上の層を貼る方法であった。窓は両面テープを貼った状態でプレスで抜いた。上の層の部品(シルとかヘッダ)はプラスティック部品を貼り重ねる方法である。ストラスモアはリヴェットを押し出せるので、そのように作った層を一番上に貼る。これも両面テープである。彼は、窓枠がガラスに密着していないような客車は価値がないと力説した。

 このようにして作った側板を塗装した後、両面テープの裏紙をはがして有機ガラスに貼る。こうすると窓枠がガラスに完全密着して実感的である。

 この手で作った客車を完成品または半製品として売っていた。筆者は数輛持っている。30年以上経ってもまだはがれる気配はない。両面テープは3M社製である。

American Standard Heavy Weight passenger carAmerican Standard Heavy Weight passenger car2 そのうち、発泡硬質ウレタン鋳造の側板を作り始めた。これは精度高く作られた側板からシリコーンゴムで型取りして複製し、その裏を機械加工して、窓枠の厚みまでラウタ加工して削り取ったものである。これをエポキシ接着剤で組み立てる。すばらしいディテールである。
 あらかじめメス型にラッカ塗装してから鋳造するので、表面は滑らかな塗料で覆われている。その結果、塗料がよく乗る。 

2009年03月12日

続 Boxcar Ken's Daylight Passenger Car

Boxcar Ken Daylight Coach これは79ftのCoachである。まだ、ディカールが貼ってないのと仮台車なので、見苦しいのはご容赦願いたい。
 ドアの横の小さい四角は荷物用のエレベータのドアである。このドアから入れたスーツケースなどは、電動で巻き上げられ、上に上がって、3段の棚になる。

 1930年代後半の製造であるが、エアコンがついている。動力はプロパンガスを燃料とするガスエンジンである。コウチ(普通車)といえども空調がついて固定窓であり、男性用、女性用の化粧室がある。

Boxcar Ken Dayliht Articulated Coach これは64ftの車体をつないだArticulated Coachである。アメリカで連接車が特急列車に使われた例は、多くはない。
 片方の車体はラジオアンテナがついている。車内にはスピーカが付いて、走行中、放送を流していた。今の感覚では、うるさいのではないかと思うが、当時は画期的なアイデアだったらしい。

 車体の床下にぶら下がるのは水タンクで、その大きさには驚く。2トン以上入るようだ。走行時間は10時間程度である。大きな化粧室(各四畳半間程度)が2つもあるからであろう。
 
 連接車を模型化するとき、連結部の剛性確保には悩む。この模型の連結部は鋼板で出来ていて、片方を台車の付いた部分に上からはめ込むようにしている。ねじりについてはまったく考慮していない。穴のわずかのガタだけで逃げている。本物は球面継手を使用している。

2009年03月10日

Boxcar Ken's Daylight Passenger Cars

Boxcar Ken Daylight Passenger Car exploded view Boxcar Kenは1950年代から20年ほど存続した会社である。ロスアンジェルスの模型屋で、主としてデイライトの客車、SPの夜行のLarkの客車を作っていた。これらは人気車輌であるから、かなりの数が売れたと推測される。今でも未組のキットはオークションでよく出る。ほかにUPなどの平坦な側面を持つ車輌も多数用意していた。
 木製の屋根、床と0.010インチ(0.25mm)のブリキ板の打ち抜きとダイキャストの屋根上の小物部品という構成である。
 ブリキはハンダ付けが容易である。熱が伝わりにくいので、比較的小さいハンダコテでも良くつくだろう。筆者は直角ジグに押し当てておいて、小さいガスバーナであぶった。細いステップもハンダ付けなのではがれることはない。ブラスより硬いのでこのような細いパーツは折れにくくて良い。

Boxcar Ken Dayliht Passenger Car 当時としてはかなりの細密キットという感じがする。このキットがあったので、デイライト用の塗料がFloquilでかなり古くから出ていた。

 木製天井をネジで締め付けることにより、側板が屋根に密着するようになっている。簡単な工夫だが、意外にうまく締まって隙間がなくなる。
 台車はゴロンとした砲金鋳物製品があったが、摩擦が大きく、良いとは言えない。長い列車は、摩擦を減らすと走りがすばらしい。

2009年03月08日

Daylight

Plastic Daylight 20年越しでDaylightの客車を作っている。American Standard Car Company製のプラ板キットが11輌と、この金属製キットが3輌ある。機関車は30年前に完成している。
 プラ板キットは溶剤を滲み込ませて作るのだが、そりくり返ったので途中で組み立てを中止して、早くも20年経つ。最近リモネンが使えることがわかったので、少しずつ組んでいる。プラスティック・キットは不得手である。組み立てにジグをたくさん用意しなければならない。要するに固まるのに時間がかかりすぎる。気が短い筆者には耐えられない。

 その点、金属製はハンダが固まるまでの数秒間保持すればよいだけなので、簡単なジグだけで組める。ハンダ付けは瞬間接着剤より速いし強い。

Boxcar Ken's Daylight このキットはBoxcar Kenの製品で、発売後50年は経っているだろう。いくつか入手してあった。プラスティックと金属製を並べると、当然易しい金属製から取り掛かりたくなる。この製品はブリキ(tin plate)製である。

Low's Daylight ブラスのは、Lou Crossの製品をもらってきたものである。床と屋根は木製であり、そこそこの重さで具合がよい。
 台車がないので、今設計中である。誰もやったことのない方法で作ってみるつもりだ。

 連接車が4組、9輌もある(2+2+2+3)。流線型の最後尾をプラ板で作らねばならないのが頭痛の種だ。自信がない。さりとてコルゲートの板を自作するのはかなりむずかしい。しかし、リモネンのおかげで何とか、さまになりそうな気がしてきた。
 以前、作りかけて失敗した部分も切り離してリモネンで再接着すると、熔接した様にきれいに直る。

2009年03月06日

続 パターナリズム

 TMSは日本を代表する鉄道模型雑誌であると、読者は信じてきた。「Model Railroaderに投稿するときは、必ず連絡せよ。うちが窓口だから。」という話は、ヤマ氏の口から直接、複数回聞いた。
 
 1985年に、ミルウォーキィでNMRAのコンヴェンションがあり、例の3条ウォームを取り付けた機関車2輌を持って出かけたMRには事前に連絡しておいたので、Andy Sperandeo氏が待ち構えていた。

 当時のMRの本社は、会場のわずか数ブロック先であったので、アンディが自ら社内ツアをしてくれた。書庫を見せてもらうと、古今東西の模型、実物の資料がぎっしりであった。撮影スペース、レイアウト建設スペース、編集部どれも立派であった。
 書庫に「模型とラジオ」、「模型と工作」、古い「子供の科学」があったのには驚いた。
TMSとは提携関係があるのでしょう」と持ちかけると、言下に否定した。「それはなにかの勘違いだと思う。」 これには少々驚いた。
「日本には面白い雑誌がいくつかある。」という表現であった。
 椙山満氏MRに投稿したときも、ヤマ氏はご立腹であった。しかし、椙山氏は、「そんなことを言われる筋合いはありません。」と仰った。結局椙山氏は2回投稿されている。

 明らかにパターナリズムが行き過ぎた状態であった。所詮、原稿は書いた人が自由に投稿するものであり、それに干渉しようというのはおかど違いであることは、若かった筆者にもよくわかった。
 MRと交渉できる人間が、自分以外に居ては困るという風にしか聞こえなかった。その交渉も、人を介してであったことは後に知った。

 時代は進み、外国で暮らした人がたくさん居る現在の日本では、もうそんなことは言っていられない。最近は日本人の投稿者をよく見る。

2009年03月04日

パターナリズム

 読者の皆さんは「パターナリズム」という言葉を聞かれたことがないだろうか。これはもともとは哲学用語で、日本語訳は「父権主義」などとされている。筆者は一時期哲学に興味があり、この概念を知ってこれがまさしくTMSの山崎氏のあり方であると気がついた。

 パターナリズムは、家長主義とも呼ばれ、力があるものが弱いものを守り育てるため、ある程度の強制力を以って統制する。大きなお世話だと感じる場合もあるが、上から見れば、こうしてやることが、結果として日本の模型界に役に立つと言う強い信念があったのだろう。

 今回のTMS問題に関する投稿中、「日本には9mmゲージ」論があったが、それはまさにこのパターナリズムの典型的な表れである。当時の日本の経済力では、特に大都市圏ではHOのレイアウトを持つということは大変なことであったろうと推測する。だから、鉄道模型の楽しみとしてレイアウト上で走らせるにはNゲージしかないということになったのだろう。

 それに対してより大きなゲージを楽しんできた人たちは、大きなお世話だと思い、反発した。特に、外国に太いパイプを持つ人たちは、別の楽しみ方を知っているので、より反発した。

 TMSに対抗する立派な雑誌があれば、それが一番よい解決法であった。より学術的に正しく、技術論が戦わせられるような場所が提供されるべきであった。
 実は、昭和30年代の月刊誌「模型とラジオ」「模型と工作」には、TMSと比肩する記事が多数載っていた。しかしそれが水泡のように消えてしまったのは誠に残念だ。
 
 その時期に誠文堂新光社あたりが鉄道模型誌を発刊して、TMSと競えば、現在とはまったく違った展開になったであろうと思う。
 正しい競争こそが物事をよくする方向に導く。しかし、その正しい競争がなかったのではないかと懸念する。利権問題が常に絡まっている。雑誌社はメディアであるから、モノを売ることにタッチすべきではなかった。しかもその価格が妙に高い。
 外国から直接取り寄せれば、送料込みでもまだ安い。この時代になってもそれが続いているのは、時代錯誤であると思う。 

2009年03月02日

続 余裕について

 イコライザの記事が始まってから読者数が急に増えて、驚いている。コメントも過去最高の頻度で戴いている。掲載分以外にも多数戴いているが、私信であり掲載は控えている。
 
 雑誌の存在価値についての記事については、多くの方から「同感だ」というご意見を頂戴した。中には現行のままで十分で満足しているというご意見も頂戴している。
 全てを紹介したいが、これまた私信でありそれも叶わぬ。

「余裕」のある人の作品はなぜ良いのか。一言で言えば、他者の批評が取り入れられているからである。
 伊藤剛氏が「クラブに入っていない人の作品には偏りがあります。」と50年も前に仰っている。その通りなのだ。自分はこうだと思っても、思わぬ間違いもあるし、より良いアイデアもありうるからである。
 人に軽微な間違いを指摘されて逆上するようではいけない。感謝せねばならないはずだ。

 栗生氏のブログのコメントを読み、考えさせられた。確かに紙の雑誌は、見るつもりのない記事も一応は目に入る。Web では全く目に入らない。いわゆる一覧が出来ないのである。
 基礎知識を正しく解説したものが必要という発言もその下にあった。これも確かに必要だ。

 実は手元に吉岡精一、内野日出男両氏の手によるイコライザの解説書がある。実物の知識から模型的工夫までの実用的な解説書である。両氏にはすでに許諾を得てあるので、いずれ発表したい。

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