2007年04月

2007年04月30日

続 IMP の flatcar

UP Flat Car flatcarというものは、外力および自重に耐える構造が全て床下にある。単純で軽そうに見えても意外に重いものである。そうしないと実用に耐えない。却って、両側面に板状の構造を持つゴンドラカー(日本で言う無蓋車)の方が軽い。その板状の構造物により曲がり難い構造を作れるからである。
 しかし、日本の無蓋車は側面があおり戸となっているので、無蓋車でありながら、下廻りは頑丈に作ってあり重い。これは荷役を人の手で行っていた時代を引きずっているのであろう。最初からクレインを使うのが前提であるなら、無蓋車の側壁は動かなくても良く、設計は楽で軽いものが出来る。

IMP Flat Car Under Frame これはこの貨車の裏側である。一応それらしく骨が入っているが、ハンダ付けの場所が正しいとは言えない。構造的に必要とされるところがハンダ付けしてなかった。手で押してみると、簡単に撓んだ。仕方なくハンダ付けをやり直した。こういうところにも工学の知識が欠如しているのが露呈している。同じ量のハンダを使うのなら、少しぐらい考えればよかったのに。

PRR Flat Car これは筆者が所有する貨車の中でもっとも古い物で数ドルで中古を購入したものである。多少の手直しをして使っている。

2007年04月29日

IMP の Stock Car

UP Cattle Car これはIMPのStock Car(家畜車)である。Cattle Carとも言う。StockとはLive Stock(商品としての家畜)のことである。

 明らかにUPの貨車を模しているが、実感のない車輌である。何が間違っているのかは言い難い。全体のバランスがおかしいのだ。羽目板の幅が微妙におかしく、台車のキングピンの位置が中に寄っている。要するに台車が車体の端から遠いところにあるので、台枠が疲労して壊れてしまうはずだ。いずれ後者だけでも修理しようと思いつつ、30年経ってしまった。扉は一応開くようにはなっている。

 一時期から、本物の屋根はアルミ色になり、日光を反射させて、車内の温度上昇を抑えるようになった。側面は1950年頃からのある期間、黄色のUPカラーになった。

 しかしそのあとは家畜車はほとんど姿を消した。生きたまま運ぶのはトラックの仕事になったからだ。

 馬とか牛はこのような一段式だが、豚や羊用は二段式である。IMPは一段の物しか出していない。

 馬はオークションで手に入れたもので、これはよく出来ている。座っている馬はなかなか探せないものだ。

2007年04月28日

IMP の製品

IMP Vanderbuilt Tender IMPは'50年代に日本の安い労働力に眼を付けたアメリカの輸入業者である。もともとはブリキ製の玩具の輸入をしていたらしい。のちのPFMの取引先の三成氏が輸出業者である。

 家内工業であった玩具製作業者にブラスの板を買い与え、かんたんなプレスと挽き物で出来た製品をアメリカに輸出した。当時のアメリカで鉄道模型を作っていたのは、工業製品を作る能力のある会社であった。経営者の余力で模型製作をしていたのだ。したがって、その製品は、工業製品と呼んでも恥ずかしくないものが多かった。

 その典型がLobaughである。Thomasもその一つであろうことは製品を見れば分かる。したがって、比較的高価で、機関車は仕方ないとしても、テンダ(炭水車)は少しでも安くてそこそこの出来のものを求める傾向があった。自作する人も多かったそうである。

 そんなとき、日本製の安価なテンダがもたらされたのでそれはよく売れたらしい。この写真はIMPSP用テンダである。

 IMPは、全てこのようなポンチ絵風の箱絵で売られていた。貨車もかなりの種類が輸入されたようである。筆者の鉄道にもかなりのIMP製品がある。

 筆者はブラス模型の蒐集に拘っている訳ではないが、長年の間に集まってきたものである。今の模型の細密さのレベルからは程遠いが、編成として組み込まれてしまえば何の不自然さもないものである。ただ、板が薄すぎる。しかも焼きなまされた板が主だから始末に負えない。軟らかくて持つと歪む物がある。

2007年04月27日

続々  IMP のTank Car

IMP Tank Car Sinclair これも同系統であるが、やや時期的に早い物らしい。ラニングボードが平板で構造がより単純である。これもまた、気密栓が付いていたが、改装時に気密部分は切り捨て、ディーテイルを追加した。



Sinclair Refinery Sinclairはワイオミング州に油田がある石油会社である。緑色の首長恐竜の看板のガソリンスタンドがある。この会社は元々ニューヨークの会社であったが、ワイオミングの油田に主力が移り、現在はSalt Lake Cityに本社がある。この写真は'07年3月にワイオミング州シンクレアで撮影したものである。

IMP Tank Car TEXACO これはSinclairと全く同じ製品である。この時期のものは、出来が良いとは言えないので、かなり安く手に入る。それに手を加えるだけで、十分に現在でも通用する車輌になる。TEXACOの実物のタンク車は70年代によく見たが、最近はあまり見ない。しばらく前にChevronに合併されたからだ。筆者の鉄道にはTEXACOのタンク車は多数ある。銀色のタンクは筆者の好みであるからだ。

 IMPの製品は、あちこちのスワップ・ミートでよくお目にかかるので、値切って買ってしまう。100%自作するよりずっと楽に出来るので、材料のつもりで買っている。

 一体、IMPは何台のタンク車を輸入したのであろう。

2007年04月26日

続 IMP の Tank car

 筆者はIMPのタンク車を複数保有している。久しぶりに出して並べてみたら、まだウェザリングしてないものが多いことに気が付いた。

IMP Tank Car DX Gasoline これはD-X Gasolineのタンクカーである。この貨車はどういうわけか、実際に液体を入れることが出来るようになっていた。タンクはこれまた薄いブラスの板であるが、念入りにハンダを流して気密性をよくしてある。ドームには1/4インチのネジで、ガスケットを介して栓をする様になっていた。

 水を入れてみると、漏れることはなかった。どうやらそれが、「売り」であったようだ。しかしながら、液体を出すべき場所はなく、貨車をひっくり返して液体を出すということをしなければならないアイデア倒れの製品である。底に排出栓をつけるべきであった。
 
 D-X GasolineSunocoに買収されたオクラホマの石油会社である。1950年代にはよく見られたはずである。筆者はこの貨車の現物は見たことがない。しかし、古いアメリカ映画を見ているとよくお目にかかるブランドではある。

 IMPの製品は薄いブラスを器用に曲げてハンダ付けした製品で、人件費の安かった頃の日本の玩具産業の延長上にある。工学的な素養のある人が設計に関っていた形跡は、全くと言ってもよいほど無い。

 この貨車は壊れかけたものを友人から安く手に入れたものであるが、改装後に見せたらあまりの違いに驚嘆して、売るのではなかったと後悔していた。その後、彼もまた手に入れて、作り直した。

2007年04月25日

IMP の Tank Car

IMP 3-domeTank Car この写真をご覧になって先日のロボゥのタンク車と同一だと思われた方もいらっしゃるだろう。

 この製品はIMP(International Model Products社)の製品である。IMPは1950年頃から55年にかけて、日本製の模型をアメリカに輸入していた。日本からの輸出黎明期で、比較的出来のよくない製品が多い。この頃の動力車は、今では眼を覆いたくなるような出来の物ばかりであるが、貨車の中には出来の良いものもあった。いくつかある製品の中ではタンク車がよく出来ている。

 材料がとても薄く、手で持っただけでも凹みそうなものもある。ブラスの厚みは1/100インチ(0.25ミリ)である。薄いだけに、リヴェットの押し出し具合は良い。

 これも下廻りが怪しく、我慢できないので新製している。ドームにはロストワックス製のディーテイルを付けているので、ほとんど原型を留めていない。

 これはスワップ・ミートで入手したものである。事故車らしく、タンクに凹みがあった。そのせいもあって下廻りが駄目で、価格は信じられないくらい安かった。

 適当に凹みを直して、短時間で作った。タンクの上面と側面にやや目立つ凹みがあるが、伊藤 剛氏は、"Authentic!"と褒めてくれた。実物みたいだというわけである。(オーセンティックという言葉は、「真正な」、「由緒正しい」という意味であり、このような場合に使うのはジョークである。)

 板が薄いので、とても軽いから、台枠の隙間に補重している。

2007年04月24日

Williams の Tank Car

Williams tank car tobe converted ウィリアムズという会社はティンプレート(玩具的鉄道模型)の貨車をプラスティックでいくつか作っていた。

 その中のタンク車はそこそこの出来で、上廻りは十分使える。下廻りはお世辞にもよく出来ているとは言えない。そこで下廻りを新製する事になった。

Tydol Veedle Tank Car じっと眺めていると、Tydol Veedolの非対称2ドームのタンカーができそうだと思った。

 昔から、このタンク車には興味があった。どうして非対称でなければならないのか?
 理由があるなら知りたいものである。ディカールは入手してある。大方出来てしまったも同然なので、近いうちに発表したい。
 
 ちなみに、Veedol社はかなり古い石油会社で、太平洋横断の初飛行をした飛行機のスポンサーだったはずである。青森県の淋代海岸から飛び立った。 Tydolは東部のガソリンスタンドのブランドであったように記憶している。
 出発時に地元民から貰ったリンゴが美味しくなかったので、アメリカから甘いリンゴの苗木を贈ったという話があるが、真偽は不明だ。

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2007年04月23日

続々  Lobaugh のTank Car

 このタンク車の下廻りは適当な部品を組み合わせて作った。それらしく作っただけなので実物にあるかどうかは知らない。タンクの板が厚いせいか、大きさの割にはずしりと重い車輌である。 
 塗ったばかりでまだ塗料が軟らかい状態で静岡の運転会場に持って行った。ある方が、「ウェザリングしてない貨車なんてありえない!」と仰った。「まだ塗り立てですから…。」と言い訳した。しかしその後10年も経ったが、まだウェザリングしてない。列車の中に1台だけぴかぴかの車輌があるのも良いものではある。その方は最近故人となられた。


Tank car under construction タンク車は自作するのが容易である。ドームの形を作るのは面倒であり、正確に作るのは困難であるが、それさえ手に入れば出来てしまう。

 筆者はオークション・サイトで、ブラス製ドームパーツを、鵜の目鷹の目で探している。スワップ・ミート(swap meet)などで見つけようものなら、箱ごと買ってしまう。

building tank cars タンクのエンドはブラスのバー材をのこぎりで切り、旋盤で挽き落して丸く削る。たくさん作って、丸みの合うのを組にして使う程度のことである。写真は円筒状の材料があったのでその中心につかみ代をハンダ付けして挽いたものである。

 あまり厚いと重くなりすぎるので、厚みは5ミリ程度にして、内側にチャックでつかむ部分をつける。これは銀ハンダで付けておかないと旋盤に掛からない。タンクの材料は薄い板を3本ローラで巻いて作る。巻き始めと巻き終わりだけは、丸棒上でゴムハンマーで叩いて丸みをつけておけば、均一な丸みになる。

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2007年04月22日

続 Lobaugh のTank Car

Lobaugh Tank これは、Lobaughのタンクである。タンクだけはロボゥの製品であるが、下廻り、ドームは日本製である。

 ロボゥのタンクはとても分厚い。厚さが1/32インチ (0.8 mm)もある。落としても凹まないくらいである。ブラスのパイプを焼きなまして雌型の中に中に入れ、内部に圧力をかけて膨らませて作ってある。多分プランジャーを油圧で押し込んで作るのであろう。ちらりと見えるリベットは、この方法で作られているのだ。

 中を覗いても、雄型で押した痕はなく、つるりとしている。板全体が塑性変形して、リヴェットその他のディーテイルを構成している。そのパイプを旋盤で削って長さを出し、タンクの妻板を嵌める部分を削っている。

 日本製の模型にはありえない構造で、これもまた、組立て時に設計者の腕を賞味することが出来る素晴らしいキットであった。
 
 このようなつくりなので、硬ロウで組立てれば圧力容器にもなる。実際にガスライターを作った人もいる。一体何年分のガスが入ることやら。

 ウイスキーを入れるようにしていた人はよく見た。レイアウト上に注ぎ出す場所を作って、来客に飲ませて遊ぶのだ。

 このタンク車を手に入れたのはもう30年も前のことである。下廻りも組み立てたが満足のいく様には組めなかった。プレスが甘いからである。

 その後、一念発起して下廻りを新製した。ドームも新しくして、ロストワックス部品をつけた。本体より、ロストワックスのほうが高くなってしまった。

2007年04月21日

Lobaugh の Tank Car

Lobaugh Crude Oil Tank Car Lobaughは、名前の通りフランス系アメリカ人でサンフランシスコの人である。1930年代からブラス製キットを多種売り出していた。

 その中で蒸気機関車の模型は全て、機械工学が応用された『正しい模型』とでも言うべきものであった。Challengerについては以前書いた。

 貨車は面白い形のものをいくつか出していたが、どれもこれもプレスの角が甘く、作り直す必要があった。

 最近オークションでこれを手に入れた。SPのCrude Oil Tank Carなるもので、要するに未精製の石油を運ぶ貨車らしい。大きな安全弁が反対向きに付いたロストワックス一体鋳造のドームが載っている。

 フレイムは込み入ったつくりである。これもプレスの曲げが甘く、普通には組み立てられない。これを組み立てた人はなかなかの腕であると思う。

 自分で組むとしたら、下廻りは新製になりそうである。

 E-bayのオークションで塗装済みのものを格安で手に入れた。塗装はやや傷んでいるが、塗り替えるほどではない。このままのほうが風格があってよいかも知れない。多少のタッチアップをする予定である。
 
 カプラだけはKadeeに換装してあった。台車はLobaugh社オリジナルのものである。当時としてはよく出来ているが、如何せん摩擦が大きい。いずれ取り替えねばならない。

2007年04月20日

続々 Thomas の Tank Car

Thomas Tank Car Painted これは別のトーマスのタンク車である。完成見本として出したが、昨日のものとは微妙に異なる。

 ドームの蓋をロストワックス製の高級品に取り替えてあるのと、安全弁の向きが異なる。

 手すりは継ぎ目がどこにあるか分からない位、うまく継いである。左手大きなMの字の少し左あたりが継ぎ目であるが、どなたも気づかれないであろう。

 昨日の写真の右のドーム下をご覧いただければすぐお分かりいただけると思う。極めて薄いパイプを用いて、ブラスの線を繋いである。この方法により、手すりは一体となり、継ぎ目で折れることはない。

 マックスグレイで始まる日本製ブラスモデルも、このようなところを真似るべきであった。いくら細かく出来ていても折れてしまうのでは意味がない。

 筆者はタンク車だけでも数十輌を保有している。何台かはアメリカ製である。どれも原型ではなく、台車、連結器を取替え、多少のディーテイルを追加している。


 明日からはLobaughについてお話したい。


2007年04月19日

続 Thomas の Tank Car

Under construction 90%組み立てが終わったところである。
 手すりは、割りピンをダイキャストの小さな足に通して裏で広げる。そのままでも良いが、ハンダを流せば安心である。タンク上のラ二ング・ボードも穴に差込み、裏で広げる。これもそのままでも良いがハンダ付けする。

 ドームは中に小さなバネ状の板を入れて下からネジで締めると、そのバネが広がってドームに噛み、締め込まれれば隙間なく密着する。

 ドームの蓋は、簡単な蝶番になり開閉できるが、接着剤で固着する。塗装がはげるのが好きではないからだ。安全弁は、筆者の好みで側面に突き出た形のものを付けた。ドーム上面の穴は、焼きなました銅線を差込み、カシメて平らにする。少しやすりを掛ければ全く見えなくなる。

under frame フレームはいくつかの部品を差し込んで構成し、組立て用のボスをカシメて固着させる。多少の接着剤を併用すると、ガタがなくなる。ラニング・ボードはピンを差し込んでカシメる。そのあとで少しハンダを流してヤスリで余分を削り取る。

 連結器は前後方向に緩衝作用を持たせた優れものではあるが、Kadeeに換装した。縦フライスで削り落としてはめ込む。

 タンクの球面エンドはダイキャスト部品で、これを嵌めてフレームにネジ留めすると全てが完全に固定される。
 

2007年04月18日

Thomas の Tank Car

Thomas Tank Car Exploded View しばらく模型車輌の話がなかったので、一部の方から御不満のメイルを戴いている。メイルアドレスを御存じない方は、コメントに<私信>とでも書いて投稿して戴くと筆者に間違いなく届くので、これを利用されたい。公表することはない。

 この組立説明図はいわゆるEXPLODED VIEWというもので、これは「爆発させてばらばらにした図」という意味である。

 このトーマスという会社がどういう会社なのかは全く分からない。1950年代にニュー・ジャージー州に存在した会社であることは分かるが、他に何を作っていたのかはよくわからない。ベッテンドルフ台車が作られたことは確かである。4-4-0も作っていたらしい。それは3-Railらしい。

 筆者は、アメリカの模型製作業者の中でこのトーマスを最高ランクに置いている。ブラスとダイキャストを組み合わせた実に巧妙な設計で、かなり細密な模型を作っている。組み立てていても、その全てのステップで設計者の頭の良さに感動してしまう。

 今ではほとんど見かけることがなくなったが、たまにe-bayのオークションに出てくるので必ず応札する。うまく行けば30ドル台で落とすことが出来る。

 慣れれば、組み立ては数時間でできる。その数時間で、これほどの幸福感を与えてくれる模型も珍しい。金属のピンを挿してカシメて留めたり、ネジを締めると部品が開いて固着させたりする。多少、接着剤を使うところもあるが、カシメと僅かのハンダ付けで作業が進行する。その全てのステップが、実に心地よく進むのだ。

2007年04月17日

Layout Tour    Bobを訪ねて その6

Bob's Layout 5 これは昨日の撮影位置から後ろを振り向いたところである。

 右下の橋の下は階段で、それを登ってレイアウトの部屋に入る。レイアウトは二段になっていて48インチ(122センチ)のレベルと36インチのレベルとから出来ている。下段は隠しヤードになっていて、貨車を収容している。

 そろそろ完成するので、いずれMRなどに発表したいと言っていた。「でも、MRなどに載るのは、細密レイアウトばかりだからな…」と言う。

 このレイアウトは、緑が多い地域の新緑の季節を表現している。したがって、緑の彩度がやや高い。意図的にそうしたのだそうだ。

 最近、雑誌に発表されるレイアウトの草木の色が抑え過ぎで気になっていたそうである。
 

 

2007年04月16日

Layout Tour    Bobを訪ねて その5

75000Gallon Water Tank この写真を撮っていたら、「ハハハ。それはピーナッツの缶だ。35000ガロンのタンクにぴったりだからとって置いたのさ。」と言う。「一日で作った。簡単なものさ。誰でも出来る。」

 なかなかよく出来ていて感心した。紙に筋を付けておいて巻きつけたのだそうだ。継ぎ目は後ろにすれば誰も気が付かない。樽のタガに相当するところは、下の方がより密に巻いてある。下の方ほど水圧がたくさん掛かるからだ。

 Bobのストラクチュアの工作を見ていると、目立つところには手を掛けて、見えないところは手を抜くと言う方針があることが分かる。

 レイアウトは固定されているのだから、それで良いのだ。

 下のポンプ小屋にはストーブがあって、冬季はタンクの中の水が凍らないようにしているはずである。その煙突の位置がよくわからない。タンクの中を通っているとう説もあるが、それでは煙が冷えすぎて火がよく燃えないはずである。煙は熱くないと煙突内を上昇しない。

 また、暖炉とか、ストーブの煙突はかなり熱くならないと、内部にタールが溜まり、すすが固まってしまう。アメリカの住宅の暖炉も、煙突はかなり工夫されていて、断熱煙突になっている。昔、日本のストーブはトタン板で出来ていて外気に直接当たっていた。そうすると、タールが垂れていたのをご覧になった方はいらっしゃらないだろうか。石炭のストーブを見たことがある人は、すでに50歳以上だろうか…。

2007年04月15日

Layout Tour    Bobを訪ねて その4

Bob's Layout 4 この写真は、一昨日のカメラの向きを保って平行に左に数メートルずらしたものである。

 細い黄色の線は昔の屋根の線である。この場所は積雪地の車庫の屋根裏であったのでこのような傾斜の強い状態であった。車庫の裏を大きくして屋根を高くし、屋根裏の面積を増やしたのだ。息子二人に手伝わせて自分でやったという。

 以前は、いかにも狭くどうしようもなかった。レイアウトの線路面を高くしたいのだが、高くすればますます狭くなったからだ。

 当時、レイアウトの線路面を上げることが主流になり始めた。線路は高いほうが良いことになったのだ。30年前はレイアウトの高さは30インチ(762mm)が普通であった。そのうち36インチになり、48インチ(1220ミリ)になった。この高さは椅子に座ったときの眼の高さである。

 ウォークアラウンドが主流になると、60インチ(1524mm)も出てきた。背の高いアメリカ人向けの高さである。60インチになると、その下にもう一段作って、ヤードなどをそこに収めたり、全く別の場面を作ることがはやった。

 最近はまた少し下がり始めたように思う。ちなみに、ボブのところも筆者のレイアウトも48インチにした。椅子に座ることを重視しているからだ。
 

 


2007年04月14日

Layout Tour    Bobを訪ねて その3

Bob's layout 2 ターンテイブルをやや遠くから見た写真である。

 線路がまっすぐ敷いてあるのがすばらしい。糸を張って線路を敷いたのだ。給炭台の大きさもちょうどよい。線路に砂利が敷いてないが、もう買ってあった。既に敷かれている頃であろう。

 置いてあるラップトップ・PCは筆者の物で、自宅のレイアウト工事の進捗状況を見せていたときのものである。

 ポイントの切り替えは、小さなつまみを押し引きするもので、引くと反位になり赤いリングが現れる単純なものである。定位は緑になっている。つまみの先はワイヤーでつながっている。自動車のアクセルペダルのワイヤーを使っているという。それが一番安上がりだそうだ。

 通路を通るときに過って押したりしないように、狭いところは保護の枠をつけている。

 貨車はほとんどがプラスチック製で、とても軽い。筆者のようにブラス製にこだわることはない。

 ここで筆者のレイアウト上で86輌編成の貨物列車が起動して停車するまでの様子を見せたところ、"Fantastic!"と叫んだ。

 普段プラスチック製の貨車を走らせているので、総重量30kg以上の列車をスリップしながらも引き出す様を見て、「すばらしい!」と叫んだのである。

 「やはり、お前の模型に対する考え方は正しい。鉄道は重いのだ。軽い貨車は面白くない。走っている貨物列車にブレーキを掛けないと止まれないのが正しいのだ。お前のギヤをつけていれば、自然にそうなる。DCCならブレーキも掛けられる。」とまくし立てた。筆者の主張しようとしていることを全て言われてしまった。

2007年04月13日

Layout Tour    Bobを訪ねて その2

Bob's layout この写真は、昨日の写真のちょうど真後ろの部分である。機関庫をどこに置くかをずいぶん迷っていたが結局ここに決まった。本線がその後ろを通るので、本線の半径が小さくなった。しかし、カーヴの内側から見るので、連結部が開いて見えるということはなく、気にならない。

 機関庫、ターンテイブルは自作である。機関庫は実物の図面を手に入れ、それらしく作った。なかを覗きにくい方向に置いたので、内部はかなり省略したという。内側を暗く塗ったのでほとんど誰も気がつかないという。

 給炭台はSWAP MEETで買ったという。スワップ・ミートは交換会であり、アメリカ各地で頻繁に開かれている。テイブル一つを20ドルくらいで買い、売りたいものを並べておけばよい。筆者も時々参加する。

 手に入れた給炭台は一部作り変えて、再塗装したそうだ。そこそこの大きさでよく出来ている。

 サンドタワァは「適当なパイプを切って作った」そうだが、存在感がある。このような小物は細かく作る必要はなく、そこにあればよいという考えである。

 通過中の列車は40輌編成で。このサイズのレイアウトでは適切な長さである。

 DCCはMRC社の製品である。最近DCCの価格がかなり安くなったので、普及率は50%くらいになったように思う。レイアウトを持っている人はほとんど乗り換えたような気がする。

2007年04月12日

Layout Tour   Bobを訪ねて その1

Bob Jarvis and his layout Bobは建設業を営んでいた。腕の良い左官であり、息子たちと会社を作り建設工事一般を請け負っていた。

 初め車庫の上の屋根裏があまりにも寒く、また狭いので地下室を作ると言っていたが、結局それはラドンの問題でやめになった。屋根裏を半分取り壊して、2倍に増築し、断熱をうんと良くして、新規撒き直しということになった。

 増築したのは5年くらい前で、一度見に行った。昨年、「もう退職したから、レイアウトに専心できる。見に来いよ。」という連絡を貰った。

 行ってみて驚いたことに、ほとんど完成していた。商売柄、仕事は速いし的確である。線路の敷き方が正確であるのには感銘を受けた。

 彼とは長い付き合いである。彼は、20代の頃、Western Pacific 鉄道で働いていたことがあり、WPSPUPの実物の知識はすばらしい。

 UPの旅客列車の全盛期を間近で見ているので、その時代の列車を再現することが目標である。

 このレイアウトもDCC化されている。側線のポイント操作は側面のつまみを押したり引いたりして行う。本線のポイントはDCCによるルート・コントロールが出来る。 

2007年04月11日

Layout Tour    Ralphを訪ねて その5

DDA40X #1 ラルフは金属工作の名人である。ビル・メリスはそれを職業としていたが、ラルフは趣味である。


 ラルフのところにはビルや筆者がよく集まり、自慢の品を見せあったりしていた。
DDA40X #2 これらの写真はそのとき撮ったものである。やや黒くなっているほうはビルのもので、きれいな方はラルフが組んだものである。どちらも90%の完成で、その後の方針を探っているときの写真である。この写真が撮られたのは1976年のはずであるから、もう30年も経過している。


DDA40X #3 その後、筆者はこのキットを2台手に入れ、完成させた。日本製のブラス・モデルとは全く異なる発想で作られている。エッチングをほとんど使わず、板の厚みで表現するところが興味深い。


 
DDA40X #4 台車の中には動力機構が組み込んでない。とりあえず普通の伝動装置を組み込むことになった。彼らの機関車は、その後改良することなく現在に至ってしまったのは残念だ。

2007年04月10日

Layout Tour    Ralphを訪ねて その4

Ralph's dispatcher console これは20年前の写真である。既に完成している。このように全ての路線図が示されたディスパッチング・ボードは当時の主流であった。

 現在では、ウォーク・アラウンド方式が主流なので、線路に沿って部分的にしか路線図が描かれてない。また、DCCになると、路線を決定すれば、プログラムされたとおりに本線が開通するので、このようなボードは不要となる。ポイントの開通方向は、実物のように信号機によって指示されることになる。

Ralph's operating console これは運転台(キャブ)のコンソールである。左から出ているコイル状電線の先の小さい箱に御注目戴きたい。これはSWACと呼ばれる方式で、加速ボタン(A) と減速ボタン(B)しかない。A を押せば走り出す。放せばその速度を維持する。Bを押せば減速して止まる。そのまま押し続けると逆転したまま加速を続ける。放せばその速度のまま逆行を続ける。A,Bを同時に押せば急停止である。これは1976年頃、Railroad Model Craftsman誌に連載された物で、筆者も作った。電気屋の友人I氏はさらに進歩させたものを作った。

 Ralphとはこのような点でも気が合った。貨車の中に組み込んだ速度表示も同じ物を作っていた。これは列車の中に入れておくと、リアルタイムで速度を表示するものである。70年代にMRに発表されたものを進歩させたものである。

Ralph and Bob この写真はRalphとBobである。20年前の写真であり、後ろにはまだロストワックスの機器類が並んでいる。Bobについては項を改めて紹介する。

2007年04月09日

Layout Tour    Ralphを訪ねて その3

Ralph's Live Steam Engine 20年前にレイアウトが完全に完成してから、ラルフはライヴ・スティームを始めた。本当の蒸気で動く機関車を作り始めたのである。

 好調であったユタ・パシフィックのロストワックスの権利を売って、ライヴの世界に没頭したのである。

 一台目はLittle Enginesの4-4-0を作った。2台目は全くの自作で2-6-0を作り、シェイを…というわけで、20年間に4輌を作った。

 自宅の庭で多少は動かすようだが、オレゴン州まで出掛けてそこで動かしている。そのライヴの鉄道公園は線路の総延長が25マイルもあるそうで、想像するのが難しい規模である。

Live Steam Shay シェイは空いている寝室に置いてあった。ギヤを含めて全てを自作したという。平岡氏の図書を参考にしたそうである。





Live Steam engine in the car 帰り際に、「そうそう、これを見せなくては・・・」と嬉しそうにに見せてくれたのは、ライヴの車輌運搬専用の自動車であった。ちょうど良い大きさの車を改装して運搬用に使っているという。

2007年04月08日

Layout Tour    Ralphを訪ねて その2

Ralph's Layout; Round House ウォーク・アラウンドではない場合はこのように周回する本線の内側あるいは外側にオペレータ(操縦者)あるいは観客が居る。 

 列車が走る場合は、オペレータの周りを走ることが多い。線路配置に工夫が凝らされていて、列車がトンネルを通ってあちこちから姿を現すようにしてある場合が多い。このレイアウトもその典型的なパターンを踏襲している。一巡りに2分くらい掛かるように出来ている。あまり時間が掛かるので、脱線したのではないかと思うくらいトンネルから出てこない。

 ラルフはフルート奏者であり、昼間は模型の方に専心できた。ロストワックスの原型を作り、それを量産する。そのビジネスで十分に潤い、模型を楽しむことが出来た。

 ラルフはTenshodoブランドのコレクターでもある。かなり古い物まで持っていて、全てメカニズムを改良してよく走るようにしている。PFMのライアン氏とも親しく、彼の相談に乗っていたようである。「日本に行こうと思っているうちに、日本の模型製作業が壊滅に近い状態になった。」と言う。実にその通りである。
 
 ラルフは日本の模型製作業者のためにいくつかパイロットモデルを作ったことがあるとも言っていた。実物の歴史、構造ともに詳しく、驚くべき知識の持ち主である。


2007年04月07日

Layout Tour    Ralphを訪ねて その1

Ralph's Layout ラルフ・ゴクナー氏についてはロストワックスの話で一度出ている。ユタ・パシフィックの経営者であり、ユタ・シンフォニーの主席フルート奏者でもあった。筆者の自宅から数ブロックしか離れていなかった。

 大変器用な方で、どんなものでも自作してしまう。このレイアウトには何度も遊びに行ったが、既に30年前に完成していた。
 
 レイアウトを完成させるのは大変な労力が要り、難しいことである。その後多少の変化はあるが、ほとんど20年前と変化がない。

 このレイアウトは、「何でも動く」というのが特徴である。クレーンは動くし、くい打ち機は実際に作動する。鉱山ではバケット・コンベヤが動き、あちこちから擬音が聞こえ、どの機関車も実に滑らかに走る。

 ここまで完成度の高いレイアウトはあまり見ない。30年前のレイアウト・デザインと現代のそれを比べてみると、かなり変化している。この時代はレイアウトを部屋の隅に置き、ある方向から観察するようになっているものが大半である。

 現代のアメリカのレイアウトは列車の走行にあわせて、操縦者が体を移動させながら、すなわち歩きながら観察するものが多くなっている。これをWalk-Aroundと言う。
 
 ウォーク・アラウンド方式のレイアウトは日本には少ない。 

2007年04月06日

続 3-unit Turbine 

UP14  この写真は24mmレンズで撮ってある。f11まで絞ってあるので、周辺光量も十分だ。隅々まで高い解像度を持つすばらしいレンズであった。

 露出計は入射光型を使うので、このような近距離の被写体では完璧な露出ができる。筆者はTTL(レンズを通った光を測定する方式、現在は全てこの方式である)露出計に対して妙な嫌悪感を持ち、未だに信用していない。NikonF4あたりからTTLの精度は確実に上がったが、それに入射光型の方のデータを加味して撮影する。

 もっとも、最近のフィルムはラチチュード(露出の過多、過少に対する許容度)が大きくなったので、TTL プラス モータドライヴで適当に撮っても何とかなるようだ。

 コダクロームの時代は1/3絞りの過多で全く駄目になったものだ。1970年頃、終戦直後にアメリカ軍の将校が撮ったコダクロームを見て、その鮮やかさに驚いたものだ。ネガフィルムはほとんど退色していくが、陽画はほとんどそのまま残すことができる。

 それ以来、重要な写真は全てコダクロームのスライドにしてある。

B unit Ladder さて、これは現在のオグデンの博物館のUP26である。B-unitのハシゴの内1本は台車の回転の邪魔にならぬよう、かなり外にぶら下げてある。模型化するとき、ここの処理が重要なポイントになる。ほとんどの模型は、ハシゴを車体と同一面に取り付けているので、台車の回転を妨げている。           

2007年04月05日

3-unit Turbine

3-unit Turbine Engine この写真は本邦初公開である。1977年の8月、ソルトレーク市の機関区のはずれで撮ったものである。これもコダクロームである。

 友人のフランクが、突然やってきて、「タービンがいる!」と言うのである。廃車になって10年以上経つから、ありえない話だと思ったが、彼の車に飛び乗って駆けつけた。

 確かに居た。どう考えても理屈に合わない。どこかから回送されて来て、たまたまそこに居たのだろうか。一週間後には消えていた。

 その前につながっているのはGP-9やSD-7である。あちこちの機関区から廃車予定の機関車を集めていたのであろう。このとき以来GP-9は見かけない。

 Aユニットだけが2台つながれていた。これは厳密にはタービン機関車ではない。正確にはコントロール・ユニットと呼ばれて、補助機関の850馬力ディーゼルエンジンを積んでいる。これでブレーキ用の空気圧縮、励磁などを行う。

 タービンの発音であるが、最近"ターバイン"という人をよく見かける。"タービン"と発音しないと、野卑な感じがする。

 携帯電話でインターネットなどをするとき"モーバイル"というのも、筆者にはとても気になる。教養ある人はモービルと言う。

2007年04月04日

アスベスト騒動

0-6-0 switcher at Ogden Station   日本の騒動にさかのぼること約20年、アメリカではアスベスト騒動があった。たくさんの建物の内装にアスベストが使われていた。

 ある建物が突然プラスチックのフィルムで覆われ、立ち入り禁止になる。話を聞けば、「アスベストの断熱材を除去する工事をする。近寄るな。」である。

 先週までその建物に行っていたのに、突然の決定で、面食らう。しばらくすると内装が完全に一新されて、何事もなかったように使用が再開される。あるいは、古い建物は壊される。

 アスベストは読者の皆さんも小中学校の理科の実験で石綿付き金網なるものを触ったことがおありだと思う。風呂場の煙突もアスベストであったし、自動車のブレーキ・シュウもアスベスト製であった。

 多かれ少なかれ、人間の生活には関係があるものであった。肺に異常をきたす人が多いことが分かったのは、随分前からであるが、日本では長く放置されてきた。実のところ、筆者はそれが放置されているとは思っていなかった。理科器具屋さんのカタログからは、かなり前からこのアスベストつき金網はなくなっていた。厚生労働省の不作為の罪は重い。

 アメリカでは、蒸気機関車のボイラー、シリンダの保温材からは追放されている。その結果、あちこちの保存されている機関車が裸にされ、醜い姿を晒している。
この機関車は、以前はオグデンの公園においてあったが、駅の前に運び込まれている。


2007年04月03日

Gandy Dancers

Gandy Dancers Ogdenの博物館の中にはGandy Dancersがあった。ギャンディ・ダンサーズとは写真のような手漕ぎ作業車である。これをミッキーマウスが漕ぐ場面がディズニーの漫画の中によく出てくる。

 普通のアメリカ人に"Gandy Dancers”と言うと、「作業の時に歌う労働歌」そのものか、ジャズに取り入れられているその「節回し」のことをさすものだと思うらしい。

 この手押し車そのものであるとは思わないようだ。

 語源は諸説あって、線路工夫が使う道具のことをGandyと言っていたからだというのもある。歌にあわせてつるはしを振るっている様子が踊っているようにも見えたという説もある。

 また、そのような工具を作っていた会社の名前がシカゴにあったGandy Manufacturing社であったからという説もある。この2説は,どちらが時間的に早いのかは知らない。

 ホチキス社の製品のステープラ(紙綴じ機)をホチキスと呼ぶようになったのと同じなのか、それとも工具を作る会社の名前が工具名をとったのかは分からない。

 この手押車は完全に修復されて、美しい塗装も再現されていた。時々、これを実際に押して運転させてくれる日もあるようだ。

2007年04月02日

続 FEF-3を追いかけて

UP8444 at Salt Lake City Depot 多分速く走ることはできないだろうと思っていたのはとんでもない間違いで、どんどん加速して80マイル以上も出ているではないか。筆者のポンティアック84年型V8エンジンのステーションワゴンはあっという間に取り残されてしまった。

 ようやくオグデンで追いつき、写真を撮った。発車の瞬間、数十台の車が同時に発進した。高速道路上で猛烈な追い駆けっこ(これをtrain chasingという)を始めた。

 機関車は、最初こそは多少写真を撮る暇を与えたが、そのうち猛烈な加速をして、ほとんど全ての車を抜き去った。筆者も90マイルまでは出したが、ハイウェイパトロールに捕まりそうであったのと、車の能力の限界を感じ、あきらめた。

 それでも筆者の友人は最後までくっついて行った。最高100マイル/時は出ていたと言う。蒸気機関車の威力、恐るべしと実感した瞬間である。

 日本では蒸気機関車というものは、遅い物の代名詞であるが、アメリカでは速い物の代表である。このマイティ800が現役で走っていたときのフィルムを見るたびにその能力には驚かされる。5000馬力以上を連続して出すことができた機関車は極めて少ないのだ。しかもその大動輪で100マイル/時以上を継続させることができた。日本のC62やC59の能力とは比較する方が間違いではあるが、すごいものである。

 TomがFlying Machineと呼んでいた理由がよく分かる。

2007年04月01日

FEF-3を追いかけて

DDA40Xの模型を持つ筆者  この博物館は1989年に開設された。その開館の日にも行っている。そのときはタービンとDDA40Xしか目玉がなくて少々寂しい出発であった。

 写真はその当日に持参したDDA40Xの模型を掲げて写したもの。周りの連中は「どうかしている」と言う眼で見ていた。当時は筆者もまだ若かった。

 開館の景気付けにマイティ800の8444(当時の番号)がファン・トリップでこのあたりを走り回った。

 この8444は、もともとFEF-3シリーズの最終機番であったが、ディーゼル電気機関車にその番号を割り当てる必要が生じ、末尾に4を付けて4桁とした。現在は844あたりの番号を欠番にして、3桁に戻している。

 最近はボイラーの損傷により工場入りしてしまい、しばらくそのニュースを聞くことができない。


 その日、ソルトレーク駅を出発し、オグデン経由でポカテロまで行くファン・トリップ列車は、8444一輌だけの運行で、のちに見られたような後ろにディーゼルの補機をつけたものではなかった。



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