2024年07月21日

バナナの熟成

 読者の方が興味深い感想を送って下さったので、紹介させて戴く。コメントも合わせて御読み戴きたい。

私が子供の頃(昭和30年中〜末頃)は、バナナは輸入果物ゆえにかなりの高級品で、一般には「病気の時の滋養」としてしか口にできないものであったと聞いております。ところが、我が家では結構な頻度で食卓に上がり、特別なものという感覚はありませんでした。

これは我が家が裕福だったというわけではありません。父親が神戸港の港湾職員で小型船の運転をしていた関係で、熟れて食べ頃のものをタダでもらって来ていたからです。

当時は、船でも冷蔵設備が整っていなかったので、バナナは完熟前の青い物を収穫して船積みし、船倉内で蒸らして成を行っていました。このため船倉内で食べ頃になったバナナは、店頭に並ぶ頃には変色して商品価値が無くなる(実は、このタイミングのバナナが一番うまいのですが)ので大量に船上から神戸港内に廃棄しておりました。この廃棄するバナナをもらって来て(もちろん海に捨てる前のものです)お相伴に与かっていたというわけです。現在は、温度管理の向上や食品ロスの観点からこのような事は行われていない筈ですが、貴ブログの記事を拝読して、ふと懐かしく思い出した次第です。

 この投稿によると、船の中でむらしていたそうであるが、筆者が見たのは青くて固いバナナが運ばれて来て、それを地下の室(むろ)にぶら下げていたのである。間違って船の倉庫で熟成してしまったのを廃棄していたのかもしれない。そこのところが不明だが、興味深い調査の題材を与えて下さったと感謝している。

 また、青いバナナについては、「轟沈」という軍歌にもあるそうだ。

 
かわいい魚雷と一緒に積んだ青いバナナも黄色く熟れた。男所帯はきままなものよ。髭も生えます。無精髭。




2024年07月19日

waffle-sided boxcar

CEI-364756-MPHS-Obermayer-coll-Moloco-waffle-boxcar-web waffleというのは、あの食べるワッフルである。この貨車の表面にはワッフルのようなでこぼこ模様が付いているのでこのような名前が付いた。
  
 この貨車の内面には、ある装置を簡単に付けることができる。Less Damage 荷物を傷めないこと、すなわち衝撃による貨物の損傷を防ぐ装置である。それは一種のつっかい棒のようなもので、左右の壁の凹みに取り付けるものである。こうすれば荷崩れを簡単に阻止できる。

 アメリカの鉄道では1970年以降大きな変革があった。列車の規模が急速に大きくなったことと、熟練した機関士が極端に減ったことだ。
 Tom Harveyは終戦時に20歳ほどで、それから25年で円熟した時期である。彼の世代は人数が少なかった。彼より年上の機関士達は終戦時に40歳台だったからすでに退職していたし、若い人は何も考えていなかった。ディーゼル電気機関車を動かすには大した技量は要らず、ただスウィッチを On,Off するだけであって、滑らかに運転するためのテクニックなど考える人が少なくなった時期なのだ。
 ちょうどこのころ、巨大なショック・アブソーバを付けた貨車が開発されると同時に、様々な車内用の装置が採用され始めた時期でもあった。

 木製模型の場合は薄い木片を外側に貼るのだ。切り口は斜めに削ってそれらしい形にせねばならない。たくさんの木片を作り、加工して整列させるのはなかなか大変な作業だ。
 貼ってからサーフェサを塗り、スティール・ウルで磨る。これを繰り返すと滑らかな表面になる。

2024年07月17日

Fruit Growers Express

Fruit Growers Express insulated boscar Fruit Growers Expressは、ワシントンDCに本社を置く企業であった。フロリダの果物を東部の大都市、中西部に運ぶのが目的の会社だった。

 先回扱ったPFEは西部の山脈を越えて3日以上も掛かって運んでくるので、途中で氷を足さねばならなかった。山間部には天然氷を取り込む備蓄設備も持っていたし、大きな製氷装置を約20箇所稼働させていた。季節によっては車端の氷室の天蓋を開けて通風させた。のちには機械式冷蔵車を大量に発注した。

Railroad_Museum_of_Pennsylvania FGEの運行は上手くいけば一日半で到着できる範囲なので、この会社の冷蔵車はやや異なる方向に発達したようだ。断熱性の良い貨車を作り、予め良く冷やした貨物を入れると2日は十分に冷たさを保つのだそうだ。
 のちに機械式冷蔵車も導入されたが、断熱を主流としたようだ。

 さらにはGreat Northern鉄道と組んで、ワシントン州から、リンゴ列車を仕立てて、東部に運んでいた。山間部を通るときには凍結から守るために、ヒータを装備したものもある。

 PFEは冬季に商品が凍結するのを守るために、当初は木炭を使った。のちに石油ヒータによる保温を行っていた。はじめは気が付かなかったが、青いオレンジを積んで目的地に到着すると、程よく熟成し食べごろになっていたのでそれが当然だと思っていた。ところがそれを電熱保温に切り替えたとたんに、オレンジが青いまま目的地に到着することが判明した。

 科学者による詳しい調査の結果、燃焼時にわずかに生じるエチレンのガスが、果実の完熟を促進することが解明されたのだ。以後、この技術は出荷調整の方法として広く行われるようになった。このガスは腐った果実からも出るので、リンゴ箱の中に一つでも傷んだものがあると、全体が傷んでしまうことはよく遭遇する事故である。

2024年07月15日

40-ft Hi-cube boxcar

coupled 40ft Hicubes 筆者が最初にこの40-ftの貨車の実物を見た時、非常に不思議な感じを持った。
 連結器は30 cmほど縮んでショックを小さくするようになっている。だから横から見ると相対的に車輌の隙間が広い。すなわち、列車の長さに対して空間が異常に大きく感じるのだ。一方、86-ftは長いので連結面が多少開いていても、特に不思議な感じは無かった。

up 40ft hicubeATLAS 40_hi-cube_boxcar 黄色に塗った貨車は、大陸横断鉄道開通100周年を記念したキャンペーンの時に使われたはずである。学生時代世話になっていた銀行家から貰ったポスターやカレンダにあったが、現物はほとんど見ることが無かった。

 背が高く、一部の線路では建築限界が低くてぶつかる可能性があるから、妻板の上の方を白く塗って気が付き易くしてある。

 側面の熔接でつないである部分 weld line は細い鉄線(0.3 mm径)を、ぴんとさせて貼り付ける。その時の方法はラッカ・サーフェサの粘着力を使うことになっている。木材の上に塗り重ねたサーフェサにナイフで切れ目を入れ、そこに細い鉄線を載せる。そしてラッカ・シンナを筆で塗ると、軟らかくなって埋没するのだ。そんなことで、くっつくのだろうかと心配したが、意外によく着く。はがれて来ない。もちろん、その上に塗装を掛ける。錆びるといけないのですぐに塗るべきだ。すぐには信じ難い方法であったが、うまい方法であると思うようになった。

2024年07月13日

86-ft Hi-cube boxcar 

UP 86ft Hi-cube 86-ft は 26.3 mである。こんなに長い貨車が半径 140 mほどの急カーヴを通っていた。模型で言えば半径 2.9 mで当博物館の最小半径とほぼ同じだ。アメリカにはそういう線路配置を持つジャンクションがかなりある。特に本線が直交している場所ではよく見る。その線路を、この車輌群が凄まじい音を立てて通過しているの見たことがある。
 
UP86ft Hi-cubeHi-cube wheels この写真は74年版の  Car and Locomotive Cyclepediaからお借りしている。連結器はかなり振れるようになっていて、開放テコは大きな変位に追随するように伸び縮みする。エアホースは連結器のシャンク下で一周巻いていて、伸縮、振れに対応する。
 車輌の幅は狭い。中央部が障害物に当たらないようにしているのだ。また、車端部のハシゴも少し削った部分にある。

 何を積んでいるのかということに興味があった。主として電化製品であった。洗濯機とか冷蔵庫である。これらは体積の割に質量が小さい。すなわち、体積が大きくないとたくさん積めないわけだ。だから appliance car(電化製品をelectric appliancesという)と呼ぶ人までいた。

safety-for-plug-door-boxcar 30年前キットを2輌手に入れたが、作り掛けたまま10年ほど放置してしまった。その間にあちこち壊れて来たので早く完成させたい。プラグドアの下部のローラ台車が無かったのが放置の原因である。それを3Dで作ってもらっているので、楽しみだ。この写真の下の4つの囲みがその台車である。

Penn Central Hi-cube 塗色は UP と Penn Central である。前者は珍しくもないが、後者は東部で現物を見たことがあり、脳裏に焼き付いた。ディカールを手に入れるのに苦労した。このHO模型の色は濃過ぎるし、色調が異なるように思う。PCは1976年に完全に破産した。 互いを敵視していた二つの会社を合併させたので、全くと言って良いほど融合せず悲惨な結果になった。

centering 手元の模型の裏側を見ると、色々な試行をしたことを思い出す。結局ショックアブソーバは外したが、復元装置付きの連結器は付いている。

2024年07月11日

63-ft mechancal reefer

63ft mech.reefer157ft mech.reefer これも Lykens Valley の木製キットである。不思議なことに63 ft(19.2 m)である。これは珍しい寸法で、実際の車輌のほとんどは57 ftなのだ。右の写真も57ftである。  

 筆者の大陸横断鉄道の貨車の印象は、この機械式冷蔵車に集約される。砂漠の中に停車して轟音を発する冷蔵車群。めったにないがその中で燃料切れ予報の警報音が鳴ると、機関士はすぐに無線で連絡して次の駅での給油を手配する。そういう様子を懐かしく思い出す。だから最初にこの車輛のキットを手に入れ、組み立てたのだ。車齢48年になる。

 市販されている既製品の冷蔵車にはエンジン音が出るものがある。DCC仕様で電力はいくらでもあるから、かなりの音量である。正直なところ、やかましい。音量を絞りたい。仮にスピーカを厚紙でふさいでいる。

 この修理中の貨車には連結器には本当に作動するショックアブソーバが取り付けられている
   
 材料はかなり粗悪で、側面と床の板が反っていた。それは捨てて、10 mm のアガチス材を正確に挽き下ろして箱を作り、屋根板を貼った。妻板のドレッドノートは鉛合金で重い。エポキシで箱に貼り付けた。

63ft mech.reefer263ft mech.reefer3 何度もサーフェサを塗り、研ぎ上げた。かなりきれいな表面だ。それに角棒を貼り、屋根のハット・セクション(帽子のような断面であって、屋根板をはぎ合わせる金物)を付ければあとはリブを付ける工作だけである。
plug door truck (3) (1) このドアはプラグドアで、ロックを兼ねたクランク付きのバーでドアを押し込む。それがレール上を滑っていくための台車が必要だ。手で作っても揃わないので、これまた3D-プリントで作ることになる。写真はそのドア下部の台車であり、右はドアを押し込むテコである。

PFE mechanical reefer 以前作ったものが事故で入庫しているので、その修理と同時に作っている。塗装はPFEになる予定だ。ディカールはたくさん用意してある。色はこのオレンジと、黄色、白になる予定だ。

2024年07月09日

50ft PS-61 double door boxcar

1692228124.1280.1280__43758 この50ft-6in の貨車は懐かしい。1969年の大陸横断鉄道開通100年祭に導入されてこの色に塗られたが、70年代半ばにはこの塗りはかなり少なくなっていた。

 この図は Intermountain のサイトからお借りしている。ドアはスライディングドアとプラグドアの両方が付いている。この貨車が欲しかったが、ブラス製は無く、自作するしかないと諦めていた。

UP 50ft boxcar 数年前、ジャンク同然の古いプラスティック・キット(50年前発売)を偶然入手した。最近組み始めたが、材質が変化していてとても脆い。ハシゴ類は、取り付けようとランナから外す瞬間に粉々に折れてしまう。仕方がないから細いものは全て捨て、大きな部品だけを使って組み、細部は金属製の部品を取り付けた。ABS製とは謳ってはいるが、やはり50年も経つと駄目である。可塑剤が蒸発したり、酸化されるのだろう。US Hobbies の製品であったから信用していたが、プラスティックという材料の限界を示しているようである。

 模型はブラス製か木製に限る。木材はバカにできない。これは伊藤 剛氏も指摘している。50年前の日本製ダイキャストはことごとく膨張している。その度合いは形によって異なるが、1%弱である。割れてはいないので気が付きにくいが、孔が大きくなって、ブッシュが抜け落ちるものが多い。
 アメリカ製であっても膨らんでいるものがたまにある。

 ディカールは30年以上前に複数用意してある。当時もらったUPのポスターに、この貨車の60輌編成が曲線を描いて走る写真があった。本当はこの長い編成を作りたかったのだ。

50ft boxcar 塗装は黄色を先にしてしまったのは失敗だった。下地が黒なので、厚く塗らないと色が出なかった。下地が銀なら、薄く仕上がっただろう。艶が出ているので、反射で明るい部分が白く見える。Oスケールだから厚みはごまかせるが、HO以下では悲惨な結果だったと思われる。

 説明書に「この模型はABSで成形されているので、どんな塗料を塗っても問題ない。」とあったのには驚いた。思い切って、ホームセンタで安売りしていたラッカ・スプレイを使ってみたのだが、隠蔽力不足でやや厚い塗膜になってしまった。     

2024年07月07日

cushion coil car

cushion coil car (2) この木製貨車は車齢45年ほどである。今回塗装して、ディカールを貼った。車輪はまだ塗っていない。後ろにあるのは以前紹介したプラスティック製真空成型の模型だ。
 木製キットはLykens Valley という会社の製品で、珍しく正確な図面と材料が入っていた。

cushion coil car (1)cushion coil car inside 内側はこのようになっている。木製模型は内部が平滑で面白くないが、プラスティックの方は本物をよく見て作っている。木製の方は hood(覆い)を取らず、かぶさったままが良さそうだ。車端のスノコ状のところはうまく出来た気がする。

 この車輌の実物はよく見た。いかにも丈夫そうなH鋼を組み合わせた構造で、かぶさっていた hood は薄い材料で出来ていた。クレインで外した hood には重ねて置けるように角が生えていた。しかし、後ろのプラスティック製の hood の角は短い。これでは重ねて置けない。捨てて作り直すしかない。

 模型は棒材と板材で、それらを組み合わせてH鋼状の梁を作り、全体を構成する。透けた歩み板が手に入ったので本物のようにした。上からレイルが見えるのはなかなか良い。接着剤は全てエポキシを用いた。木材には沁み込むので非常に丈夫である。

 hoodはブラスで作るつもりである。角のあるタイプと、丸いカマボコ状のタイプがある。積み荷として鋼板コイルに見えるロール紙を各種用意してある。うまく塗装すれば鋼板に見えるはずだ。

 連結器には油圧のシリンダがあり、衝撃を吸収する。とにかく重いものを載せる貨車である。

2024年07月05日

またまた C&O coal hopper

C&O peak-end hopper これも C&O の peaked end hopper である。前回紹介のものとは微妙に異なる。


 前回紹介したものは、間違いなくUS Hobbies(Levon Kemalyan氏がインポータ)の製品である。板は 0.4 mm で、ある程度の丈夫さが担保されている。ボルスタは黒いフェノ−ル樹脂で、台車から絶縁されていた。

old and new 今回のものは板が薄く、また寸法も微妙に違う。やや細いのだ。しかし製作手法はほぼ同じだ。おそらく、Max Gray以前の輸入品International 製)だろう。もちろん製造は安達製作所のはずだ。1957年頃だろう。この写真で手前は少し上部の幅が狭いのが分かる。側板上の部分の傾斜が急だからだ。

 ボルスタは t 0.6 ブラス板で、それに殆ど効かない M3 のJISネジが立ててあった。ピッチが荒いので、ほとんど効き目がない。めくり取って 1 mmの板で作り直し、その中心部にさらに t 1.5 のブラス板を貼り重ねて ISO ネジの穴を作った。台車が絶縁材料だから、金属製で良いのだ。ブレーキシリンダ、エアタンクなども無かったから、それらしいものを探して付けた。。
 連結器付近は弱いので、例によって t 1.5で作り直し、衝突に耐えるようにした。ホッパ下部は何も付いていず、寂しいのでアングルで小部品を付けた。

 ミッチャクロンで下塗りして、艶を出す塗装をした。ディカールを貼り易くするためだ。石炭を積まねばならない。夕張炭を10 kgほど持っているので、砕いて積む予定だ。

C&O peak-end hoppers このホッパ車の寸法が他と異なるということは、並べるまで全く気が付かなかった。見かけ上は同じものに見えたのだ。入手した時に妙に安いな、と思ったことは覚えている。アメリカの市場価格は、意外と実情をよく反映していることが分かった。ブローカの知識が豊富なのだろう。  


2024年07月03日

6-dome tankcar

6-dome tankcar 中学生の頃から、ドームがたくさんあるこの種のタンク車に興味があった。アメリカ製のキットでワイン用の貨車があるが、他にも大型の機種があることに気付いた。

 テキサスには大きな硫黄鉱山があった。硫黄が地下に埋まっているところに高温高圧の水蒸気を注入し、融解したものを圧力で押し上げて取り出す(Frash法)のだ。その融けた硫黄(115 ℃以上で融解)を入れるタンク車があった。ネット上ではあまり良い写真が無いが、現物を見たことがある。ドームが意外に太いと感じた。その写真が見つからないので、いくつかの参考資料と記憶とを照らし合わせての設計である。
 既に、このフラッシュ法での硫黄採取は今世紀に入ってからは行われていない(フラッシュは人名である)。現在硫黄は原油の脱硫から得られるものが大半で、鉱山で採掘することが無くなったのである。

 タンクボディのエンド部分の2枚以外はスクラッチ・ビルトだ。そういう意味ではタンク車の製作は簡単である。気を付けなければならないのは、ハンドレイルが直線でなければならないことだ。仮に線を入れて確認しながら作る。 

 HOの模型と比べると、ドームの雰囲気が異なる。このドームは3Dの師のS氏に作図をお願いした。高精度のアクリル製である。うっかり1週間ほど明るいところに置いてあったら、部分的に色が変わってしまった。直射日光は当てていない。 
 成型は最低厚みがあってそれが薄いとは言えない厚みなので、製品の底を大きな丸ヤスリで削った。その手間が大変だったが、タンク本体は簡単である。3本ロールで丸めて、端は丸金床で合わせた。タンクエンドは既製品である。実はこのエンドを2つ持っていたので作ってみようと思い立ったのだ。旋盤を持っていれば作るのは簡単そうに思うが、径が大きいので、これを作るのはいろいろな点で疲れる作業である。

 塗装は黄色を主としたものになる予定。 

2024年07月01日

bulkhead flatcars

TT bulkhead flatcar 未塗装の木製貨車を一掃するプロジェクトはかなり進捗し、あと13輌となった。
 この貨車を完成させるのにはかなりの困難があった。側面に
 stakepocket というものがある。鋳鋼で出来た部品で、空洞に角棒を突っ込んで荷物の崩れ留めにするのだ。それをどのように表現するかは、角材を貼り付けてごまかすくらいしか説明書には書かれていなかった。

bulkhead flatcars mad of wood この木製キットを安価で購入し全部で5輌組んだが、最初の2輌にはインチサイズのブラスの角パイプを正確に切って貼り付けた。決して簡単な作業ではなかったが、形態上には不満が残った。上から見れば四角孔があいているが、それだけでなく横から見てもある程度納得のいくものを作りたかったのだ。写真の手前の2輌は前回塗装したものである。

stakepocket 3Dの師のS氏に相談するとうまい形のものを設計してくれたので発注した。片側面に11個で3輌だから66個なのだが、予備を含めて77個作ってくれたのは有難かった。すぐ失くしそうな部品であるし、アクリルだから、とても脆い。細い棒で押さえつけると簡単に割れてしまう。

 接着は光硬化接着剤を用いた。塗布して部品を押さえてLEDで近紫外線を当てるとたちまち硬化する。実際には電池が弱っていたらしく、やや固まりが悪かった。そこで快晴時に30分程度日光浴させると完全に固まった。ヤスリでサクサク削れるほど硬くなる。 

 裏側に活字を接着し、455gとした。重いが、空車回送時の脱線を防ぐためである。Low-D車輪のおかげできわめて走行抵抗が小さい。目で見えない程度の傾きでも転がり出す。

  半年ほど前、所属クラブの展示会にいらした平岡幸三氏はLow-Dの性能に興味を持たれた。余剰貨車を1輌進呈したところ、すぐに連絡があった。
「テーブルの上に置いたら自然にするすると走り出すではありませんか。水平だと思っていた私のテーブルがきわめてわずか傾いているということです。感度の良い水準器で見ないとわからないくらいの傾斜でしょう。初めての経験です。いうまでもなく、ピボット軸受けの摩擦抵抗がいかに少ないかということを示しています。あらためて驚きました。」
と感想をお伝え戴いた。
 平岡氏は高名な技術者であって、そのような方から客観的な感想をお知らせ戴いたのは嬉しい。

 以前完成させた2輌と合わせてrolloutさせた。ロールアウトは新車の実戦投入時などによく用いられる表現である。

 積み荷を考えねばならない。コンクリート・パイプを積んだのをよく見た。記憶をたどって製作してみよう。


2024年06月29日

PRR H21 hopperの改良

PRR H21 hopper ブレイスの向きが不可思議なホッパを修正した。3Dプリントで作った枕梁をかぶせるようにしたのだ。新しい枕梁は太いので既存の枕梁を完全に覆い尽くす。ヤスリでその部分の塗装をはがしてから、接着剤を塗って被せた。実に簡単である。この種の仕事にはスーパーXが適する。
 固まってから、エポキシ樹脂を流し込んで隙間に充填した。これできわめて丈夫になった。

 次はブレイスの撤去である。ハサミでチョキンと切り、あとはハンダをネジ切って出来上がりだ。ハンダはほんの少ししか効いていないから、簡単だ。

 新しいブレイスは木材に同色で塗装したものである。長さを合わせて切り、接着剤を塗ってはめ込んだら出来上がりだ。後はGrab Iron 掴み棒を付けるべきだろうが見えないところなのでサボってもばれないだろう。

 修正したものを見ると、実に太い。これならポーリング・ポケットを押しても座屈しないだろうから、反対側の引張りで十分に持つであろう。しかし重そうだ。 

2024年06月27日

続 焙り付け

「あれは違うんだ。あれは『ぬれ』を良くしただけなんだよ。」と言うと不思議そうだ。これは4年生には難しいようなので、簡単な実験を見せた。

 洗面器に水を汲み、多少の油気がある手の平(CRCを吹いた)に垂らした。水は弾かれて、指の隙間が透けて見えていても落ちない。これは「ザルで水をすくうことができるか」という問題と同じだ。次に石鹸で手を良く洗ってから、水を垂らした。水は指の隙間をすり抜けた
「石鹸は油を取り除いて手をぬれやすくしただけなんだ。さっき塗ったペーストも同じ働きをしたのだよ。金属の表面の錆とか邪魔になるものを溶かしてしまう力があるんだ。でもペーストはハンダには何もしていないんだよ。
 ハンダの中のスズという金属はどんな金属とも簡単に融け合おうとするんだ。たとえ常温であってもなんだ。こういう金属は珍しい。」と言うと、納得したような顔をした。後で純粋なスズの塊を触らせた。
 ここで石鹸水を用いてしまうと、それは表面張力の小さな液体であることも同時に説明せざるを得ないので、水を使ったのだ。ハンダにはフラックスが溶けないが、水には石鹸が溶けるということを理解させればよいのだが、4年生にはかなり難しいだろう。

 4輌のハンダ付けが終わってから居間に戻った。彼がいつも遊ぶレゴブロックには手垢がついているから、水を掛けると水は弾かれる。それを確認してから、洗剤を吹き掛けてブラシでこすった。するとブロックは水でよくぬれるようになり、隙間に沁み込んだ。次にそのブロックを2個、皿の上に置き、わずかの隙間を空けた。その上に水を垂らすと、2つのブロックは動いて密着した
 孫は「さっきとおんなじだ。」と妙に感動していた。水によくぬれるようになったブロックの間の水は、表面積を減らす方向に作用したのが分かったのだ。もしここで石鹸水を垂らしても、ブロックは動きにくい。石鹸水の表面張力は小さいからだ。

 小4では本質的な理解は難しいだろうが、「ぬれ」というものに興味を向かせることはできた。「何か他の例を探して教えてね。」と言うと「うん、調べてみる。」と言ったので多少は期待できる。

 その後糸鋸作業をやりたがったので、万力のところに行った。2 mmの板を切り抜いて、その後彼にも実際に切らせたら、かなり興奮していた。
 彼は、次回から汽車の作り方を習いたいと言う。社交辞令でないことを祈りたい。 

2024年06月25日

焙り付け

 客車の妻板をハンダ付けしようとしていた時に、たまたま9歳の孫が来た。興味を示したので手伝わせてみることにした。

 庭のデッキの上での作業だ。妻板に側板、屋根が一体になったものをかぶせ、隙間なく接するようにジグを設定する。塩化亜鉛の入ったペースト(これは35年前にアメリカで入手した銅配管用)を塗り付ける。彼はこれを塗らせてくれとせがむ。この作業は面倒なので助かった。ガスバーナの炎を細くして加熱を始める。
 ペーストが融け始めると特有の臭いがする。ハンダを細かく(2 mm角)に切ったものを10 mmおきに並べて、さらに加熱する。ハンダが融けて玉になるのを見て彼は興奮した。「これは表面張力が大きいからだよ。」と説明すると「水玉みたいだね。」と言う。
「うーん、水より力がうんと強いからまん丸だろう?」と言うと、「そうだね。水玉はつぶれている。」と言う。なかなか良い観察眼だ。

inside「ちっとも付かないね。」と言うので、もう少しガスの炎を近付けた瞬間、ハンダの粒は一斉に隙間に沁み込んだ
 彼は「あっ、ハンダが消えた!」と叫んだ。
「消えたわけじゃないよ。よく見てごらん。沁み込んでいるから。」と見せるとずいぶん驚いた。そこに磨いた角線を、ペーストを塗って置いた。再度加熱すると、角線は角の部分に吸い寄せられ一体になった。写真はその後にもう2粒ハンダを足した状態である。この写真は分かりにくい角度で申し訳ないが、車体の内側から妻板の方を見ている。2箇所ハンダが飛び出しているところに追加のハンダ粒を置いて再加熱したのだ。   
「どうして吸い付けられるの?」と聞くので「これも表面張力だよ。なるべく表面の面積を小さくしたいのだ。」と答えると、「さっき、ハンダが吸い込まれたのも、表面張力なの?」と聞く。残念ながらそれは違う。


2024年06月23日

エポキシ鋳物の貨車を塗る

IMG_4279IMG_4280 エポキシ鋳物の表面には離型剤のシリコーンが付いている可能性がある。組み終わったら、洗剤を吹き付けて歯ブラシで全面をこすっておく。水でゆすいで乾燥させる。穴をあけた部分から水が入る可能性があるので、洗い方には気を付ける。もちろん組む前に予洗いしておくことが最も大切である。これらの部品は大きな板状で、注型時の上面が内側となる。その面が平でないと内箱に密着しない。組む前に、ベルトサンダで一様な厚みになるように削っておかねばならない。

 ミッチャクロンを吹き、生乾きのうちに仕上げ塗料を塗る。虎の子のフロクイルのPullman Green および Boxcar RedにそれぞれGlazeを混ぜて吹き付けた。もちろん床下など塗料が入りにくいところは、予め筆で塗っておく。ラッカ塗装ではそういうことをすると悲惨な結果になることが多いが、エナメル系の塗料は即乾性が無いので具合が良い。周りに吹き付けると溶け合って筆の跡も消えてしまうのだ。 

 乾燥硬化時間は24時間である。埃には気を付け、日陰の風通しの良い所に置いた。台車の裏側にも塗り、車輪の踏面を拭き取る。 

 ディカールは古かったので心配であったが、うまく貼れた。木材の継ぎ目を表す溝にナイフの刃を当ててすべて切り離し、柔軟化剤を沁み込ませると、完全に密着した。

everywhere-west-parked-in-AC8C6N 右の写真の ”Way of the Zephyr” とは、ゼファ(西風)という特急列車の通り道という意味である。反対側には ”Everywhere West”とある。西部のどこへでも行けますよ、という意味だ。

2024年06月21日

続 エポキシ鋳物の貨車を完成させる

50-ft express reefer こちらは 50-ft の express reefer である。これは製造元がここまで組んだようだ。おそらく、組めないという顧客からの苦情の多さに耐えかねて、半完成品を出したものと思われる。叩くと中に骨があるのが分かる。穴をあけると木のクズが出る。誰でも考えることは同じようだ。これは持ち主がそれでも組めないと言うので、安価で譲り受けたものだ。

 これも外装の細かな部品製作には時間が掛かった。ラニングボードは木製、床下の部品は金属製とした。客車用の制動弁を付け、エアタンクも2個付けた。ブレーキシリンダは大きい。
 細いハシゴは実感的である。この種の車両は妻板の低いところにブレーキ・ホィールが付いている。そこまで辿り着くための grab iron(握り棒)の位置関係は興味深い。

 台車はGSC製である。これもLobaughの砲金製のものから削り出したものだ。細くなるとなかなか良い形である。バネの部分が透けて見えると、動くような感じがするのである。
 車重は 630 g とかなり大きいので、ボールベアリングを入れた。

Soo Line 50-ft express reefer どの会社の塗装にするべきかはかなり悩んだ。どんぴしゃりの写真が見つからなかったが、3年越しの調査でSoo Line に決まった。ディカールも入手でき、ようやく塗装できるところまで来た。


2024年06月19日

エポキシ鋳物の貨車を完成させる

40-ft double shiethed wood boxcar この貨車はエポキシ樹脂の鋳物を組んだものである。以前にも一回組んだことがある。もういやだと思っていたのに到来したので、組まざるを得なかった。

 今回も木の直方体を作って部品を貼り付けた。多少肉抜きをしてあるが、重い。金属製よりも掛けた労力・時間とも格段に多い。
 このように木製の構造が中にあるということは頑丈であるということである。30年ほど前、全体が透明なエポキシ樹脂の flat car 大物車を購入し組立てた。驚いたことに、列車の中に組み込んで出発した瞬間にその貨車は長さの1/3くらいのところで二つにちぎれた。その原因を考えると、透明樹脂だからだということになる。微粒子を入れたものはちぎれない。コンクリートに骨材を入れる理由と同じで、力の伝達経路が分散するからであろう。その壊れた貨車には針金を入れて補強したが、何回も割れて、結局は廃棄した。

 今回はハシゴを付けた。針金を曲げたグラブアイアン(手摺類)を付けるべきなのだろうが、あまりにも面倒でやめた。実物の写真を見ると、のちに改装されて板金製の梯子を付けているものもあるからだ。ハシゴはデニスが鋳造したものである。細いものを鋳造するのは難しいが、よくできている。

 この貨車は純木造ではない。妻板はドレッドノートという勇ましい名前のブランドのプレスされた鉄板である。要するに骨組は鋼製でパネルは木製という混成構造である。1930年頃の製造で、戦後にブレーキホィールを垂直に付け直したもの、という想定である。

2024年06月17日

続 古い木製貨車を完成させる

50-ft express reefer (1)50-ft express reefer (2) これらの express reefer の着手はさらに古く45年ほど前である。キットの製造所は前回の会社と同じであり、側板と妻板は塗装済みであった。しかし説明書が不完全で、枕梁の高さが分からずに放置されていたのだ。
 他の車種が見本となって謎が解決したので、徐々に完成へと歩みを進めて来た。床下は客車と同等であるので、エアタンクは大小2個あり、制動弁も客車用である。ブレーキ・シリンダも大きい。台車はプルマンの客車用である。 

 これらの貨車は旅客列車に組み入れられて、牛乳などの配送に用いられた。すなわち、大都市圏周辺の運用であり、大陸横断鉄道の本線上では回送以外、見ることはまず無い。

 細かな手摺、ハシゴ等を取り付ける作業はきわめて面倒で、塗装に持ち込むまで、2週間もかかった。接着剤を使う仕事は時間が掛かるから好きではない。取り付けた部品は手塗りであるので、艶の具合が異なる。後で何らかの方策を採る。

 厚い板を使った内箱があるので、かなり重く、軸箱にはボールベアリングが必要であった。台車は Lobaugh の砲金鋳物である。鋳物の抜き勾配を無くすように削り、すっきりさせた。ぼてっとした感じを無くすために糸鋸でバネを切り外し、見かけだけのコイルバネを入れてある。こうするだけで本当にバネ可動のように見える。イコライズだけで追随性が良く脱線しないが、緩衝性が無いとレイルの継ぎ目の音がかなり響く。枕梁を承けている部分に薄いゴムの板を貼ると静かになる。厚さが 1 mmでも効き目が大きい。 

2024年06月15日

古い木製貨車を完成させる

36-ft wood reefers (1)36-ft wood reefers (2) この2輌の冷蔵車は当鉄道での車齢は約40年である。木製キットで、側板と妻板だけが出荷時に塗装してあった。文字も印刷してある。塗料はFloquilであると書いてあった。合う色を探すと Tuscan すなわちトスカーナ地方の屋根の色である赤褐色である。これを90%完成の状態で放置していた。
 オリジナルは薄い板だけで構成されているので軽く、また壊れやすかった。厚さ10 mm程度の木板を正確に切って箱を作り、それに側板等を張り付けた。屋根には鉛合金のハッチ等を付けて塗装したが、細かい部品が未装着であった。手摺、ブレーキホィールなどを付けて完成に持ち込んだ。

 細い部品に塗装してもすぐはがれるので、ミッチャクロンを塗り、はがれないようにした。この下塗剤は非常に優秀であって、愛用している。

 扉の蝶番は印刷されただけであって寂しかった。3D-プリントで作った部品を貼り付け、それに黒い塗料を沁み込ませた。こうすると粗粒面の隙間はかなり埋まって鋳物然とした感じになる。本物はごてごての鋳物である。

 追加した部品は筆で手塗りしたが、他の部分との差ができてしまったところもある。全体に艶消し剤を塗ると目立たなくなるだろう。

 Yakima Valleyのリンゴはとても美味しい。しばらく前に博物館に来訪したアメリカ人は Washington州出身で、この文字を見るとホームシックになると言っていた。  

2024年06月13日

ある構想

 友人が真顔で言う。
「鉄道模型のある養老院を作ってくれよ。あなたは人望があるから、声を上げれば手を挙げる人が居るはずだ。」

 世の中には面白いアイデアを詰め込んだ老人施設がある。ギャンブルを楽しむ施設などがあるのだから、鉄道模型のある施設でも何ら問題ない。
 当博物館の隣は銀行だったのだが、過疎化が進んで店を畳み撤収してしまった。建物は立派なものが残っている。駐車場も広い。その向こうは大きな呉服店であったがこれも店を畳んで安く売りに出ている。向かいの大きな医院も廃業して久しい。この町にはそういう空家がたくさんあって、売りに出ているものがたくさんある。

 工作室を完備した老人ホームというのは楽しそうだ。建物は沢山あるから、ゲージ別に分けるのが良いだろう。医院の駐車場は建物1階部分に屋根付きの大きな面積のものがあるから、ライヴ・スティームも可能だろう。

 先日地元の有力者にその話をしたら、「面白い。町興しの一つの材料になるかも知れない。」と言った。 

 筆者には人望もないし、運営のノウハウもないから、すぐにできるわけでもないが、話としては面白い。家族に死に別れて一人住まいするよりも、汽車に囲まれた人生の方が楽しいと感じる人には良さそうだ。
 この話は50年近く前、椙山満氏からも聞いたことがある。椙山氏は医師であったから、そのようなニーズを感じていたのかもしれない。

 ある人は茶化してこう言った。「制御系の経年劣化が予想されるので、レイアウト上の事故が心配だな。」 

2024年06月11日

客車の屋根を曲げる

 仕掛かりで6年も放置されていたものだ。邪魔になるし、せっかく切った材料を紛失することにもなりかねないので、組んでしまうことにした 。  
 窓の少ない機種で、あっという間に切り抜きは終わりだ。ドアをオフセットして取り付ける。例によって十二分にハンダ付けし、耐衝撃性を持たせる。

 屋根は例の丸金床で曲げる。この金床は仲間に頒けたが、皆さん使っているのだろうかと心配になる。友人宅で見かけたのには錆が出ていた。使われていないのだろう。上部以外はさびどめ塗料を塗っておくべきだ。

IMG_4234 屋根材は厚い方が細工はしやすいので t 0.7 を用いた。まず端の部分を小さい半径の金床で曲げる。ゴムハンマで順に送りながら叩く。



IMG_4235 両端を強く曲げてから、大きな半径の金床で少し戻すと、所定の半径になる。




IMG_4236 失敗しても再度強く丸めて戻せばよい。中間部分の大Rはごく適当に手で握って丸める。本物も曲げているのは両端の小R部分だけで、中間は自重で骨に合わせて曲がる。模型はそうはいかないので、手で握って曲げるわけだ。曲がりが足らない程度にしておき、大半径の金床の上でゴムハンマで軽く叩くと少しずつ丸味が付く。

 筆者はこの方法で客車を10輌ほど作っている。実に簡単であり、気楽な製法である。厚い材料を使えるので、丈夫で安心して扱える。しかも多少加工硬化しているので丈夫である。

 金床の跡が見えるようなら叩き過ぎである。最終的には表面を800番程度のサンドペーパで仕上げると凸凹はなくなる。板が厚いので、木片に巻いたサンドペーパで凸部だけを落とすことになる。屋根は艶消し塗装なので、全く問題ない仕上がりとなる。本物もかなり凸凹しているものなのだ。
 総型をつくって押すのは高くつく。ほんの15分くらいで簡単に曲がるので、お勧めしたい。

2024年06月09日

続々々 分岐を3D‐プリントで作った⁉

 もう一つ大きな問題がある。フログが全金属製でないところだ。彼は「これでも走る」と言うが、いつまで走るのかは不明である。欠線部を正しく作れば、良い音を立てて滑らかに走るが、欠線部が大きく、さらにそれが樹脂製ではボコボコという音を立てて、そのうち脱線するようになる。最近はDCCでの結線自動切替が主流になって来たので、全金属製にしても何も考えることがなくなってしまった。
 また、その分岐の枕木の長さは正しいとは言えなかった。さらに言えばフログ近傍の枕木の間隔は狭いはずだ。

 彼らはレイルを削ったことが無いと言う。大きなヤスリを買ってみようかと言っているので驚いた。良い万力も持っていないようだ。この際小さなフライスを買うように勧めたがどうなるだろう。
 トング・レイルをどうするかはまだ全く考えていないらしい。板金を曲げて作るなどと恐ろしいことを言う。加工硬化させていない材料ではたちまちヘタってしまう。そういう経験がないのだ。

 Nゲージから参入した人たちで、鉄道工学の本を読んだことも無く、ハンダ付けの経験も少なそうだ。放置すれば必ず失敗することが見えているので、つい口を出してしまったが、余分なことであったような気もする。
 模型を作る前に実物、他の模型の調査をして、どうすれば良いものができるかを考えるべきだ。作ってみて自己満足に陥っているようにしか見えない。世の中のものがどのように出来てきて、どんな進歩があったのかを知ろうとしないようでは、ろくな物が出来ない。
 せっかくLow-D車輪を使っているのに、消化不良で悲しい。

 緩和曲線が無いのも気になった。大したことではないのだから設置すれば走りが格段に滑らかになるのだが、分からないようだ。カクカクと曲がるので、気分が良くない。大半径の曲線を一本挟むだけなのだが、スペイスが足らないと言う。不思議な言い訳である。

 Low-D車輪の話題が出たついでに広告をさせて戴く。OJ用 Φ19長軸車輪(バックゲージ28.5 mm)の在庫がある。
 ご希望の方はコメントを通じて申し込んで戴きたい。メイルアドレスを書き込む部分があるが、どういうわけか動作しないのでこちらからは読めない。本文に連絡先を書かれたい


2024年06月07日

続々 分岐を3D‐プリントで作った⁉

 3D-プリントなら自分でスパイクする必要が無いので、レイルが嵌まる部分を少しずらすことは訳ない。ガードレイル側を 0.5 mm程度寄せるぐらい一瞬でできる。おそらく人間の目では検出できない程度のズレである。車輌はフログの護輪軌条上の誘導でまっすぐ走るので、ますます気付かない。

 その会場では両渡りが展示してあったのだが、そのクロシングがこれまた奇妙なのだ。フランジウェイが広いので間が抜けている。こういう場合はゲージをわずかに狭めると同時に、護輪軌条を拡げる。全車輌が通過できるバックゲージ+0.2 mm程度の余裕を与えれば極めて滑らかに走るようになる。
 走行性能を確保しながら、ファイン化が実現できるのだ。

 そのポイント、クロシングでは、すべてのガードレイルが完全な直線であったのには驚いた。フログ部分で所定の寸法になるようにわずかの弓型にすべきである。本物を見てごらん、と言っておいた。この模型の作者は、実物の観察が足らないと感じた。分岐を渡る時の車輪とレイルヘッドの当たり具合をじっくり見るべきだ。通れば良いわけではない。

 Nゲージのポイントは、ただ通ればよく、落ち込みとか音に関しては考えているようには見えない。

 また、フログの材質には大きな問題があった。


2024年06月05日

続 分岐を3D‐プリントで作った⁉

 数年前、ファイン化という言葉をよく聞いたが、最近は下火になった。「線路ゲージが実物と同じものがファインスケール」などと、おかしなことを言い立てる人は明らかに減って来たので安心している。

 模型の車輪がファイン化するとどうなるかということを、厳密に考える人はきわめて少ない。フランジを低くするとか、踏面を細くするなどという奇妙な結論に走る人が多かったが、それも少し減って来たように思う。

 正解は、ファイン化するとフランジが薄くなる」のである。これについては30年以上前に吉岡精一氏と意見が一致し、互いに「日本で初めて気が付いている人に出会った」と意気投合した。フランジ角度がある程度決まっているから、フランジ高さは自然に決まるのだ。すなわち、フランジの高さを先に決めているのではないのだが、ここを勘違いする人は相変わらず多いと感じている。

  Low-D では線路規格の許す限りフランジを薄くしている。一方、フログのフランジウェイは規格の最小限度まで狭くする。
 バックゲージ(back to back)は決まっているので、フログの反対側のガードレイルは少し軌道中心に寄ることになる。
 PECOはそうしている。ネジで動かせるようになっているのだ。これは、線路ゲージを動かさない(すなわち、既存の製品を使う時の方便である。)とした時の話だ。分岐全体を作るのなら線路ゲージをその部分だけ僅かに狭めれば良いことだ。そうしても、誰も気が付かない。これは直線側だけにする方が良い。曲線は軌間が狭いと通らないものもあるかも知れないからだ。もちろん、フログが直線を交差させた形のものなら問題ない。

2024年06月03日

分岐を3D‐プリントで作った⁉

 最近気になることがある。3D‐プリントが進歩して、それで分岐を作る人が出てきたのだ。サイズは1/45である。それを見せられて大きな違和感を抱いた。一言で言うと、Nゲージを大きくした様なものだ。フログが樹脂なのである。これはまずい。あっという間に凹んで脱線するようになるだろう。大きなものは壊れやすいということが分かっていないのだ。

 材質もそうだが、フランジウェイが広い。ここが広いと欠線部が長くなり、落ち込みが大きいから、より早く消耗する。
 見せてくれたものは、あまりにもおかしな設計で驚いた。これでは駄目である。経験のない人が作ったものであることがすぐわかった。


 分岐の製作には、経験が必要だ。どうすると壊れないか、どうすると静かに通過するか、をいくつか作ってテストする必要がある。それをすっ飛ばして作り、「すごいだろー」と見せられても眩暈がする。

 バックゲージを合わせましたとは言うけれども、それでは足らない。最近はよりファイン化が進んできたのでフランジが薄い。すなわちフランジウェイを狭くできるのだが、やっていない。

 このあたりのことが全く分かっていないようで、左右均等の広いフランジウェイの奇妙な分岐ができたのだ。


2024年06月01日

DU を実演

 静岡で催されたトレイン・フェスタに行った。所属するクラブが参加したからだ。たくさんのクラブが出展していた。その中で目を引いたものが一つあった。

 Kadeeの特長の一つであるDelayed Uncoupling を実演していた。看板にそれを掲げての実演は初めて見た。HOなので、狭い机の上の一角で展示できる。一階のメインホールの中央東付近であった。
 機関車は1輌、貨車は10輌ほどだ。線路には磁石が8個ほど埋めてあった。写真がうまく撮れなかったのは残念だが、日本での展示は初めて見た。もっと多くの場所でやるべきである。それには連結器の整備が大切なのだ。

 車輪はそれほど軽く回転しないので、好都合のようだ。機関車の片方の連結器だけの操作であるのは、不満だ。連結器は前後にあるのだから、両方につないで二か所に振り分け、それを仕立て直すという場面が見たかった。実物でもそのような方法は日本ではやっていなかったので、思いつかなかったのだろう。反対側のヤードに機廻り線があれば簡単に実現できる。

 機関車の低速性能はかなり改善してあったようだが、筆者の目から見るとまだ足りない、と言うのは贅沢なリクエストだろうか。

2024年05月30日

アメリカの道を走る

 今回もかなりの距離をレンタカーで走った。ガソリンはテキサスが一番安く、1ガロンが3ドル弱であった。すなわち 1 L が110円程度だ。ところがロスアンジェルスでは異常に高く、1ガロンが5ドル強であった。つまり、1 L が200円以上である。日本より高い。こんな経験は初めてだ。大排気量の車に乗っている人は困るだろう。

 テキサスの田舎道を走ると、その制限速度に驚く。2車線の分離帯のない道でも 70マイル/時である。これは時速110 km以上である。車線の幅は 5 mほどで、路側帯はそれと同程度の幅があるが、舗装されていない。その外側は砂漠のような畑である。このごろの車は車線をキープする装置がついているので安心であるが、対向車にもついている保証はない。大型トラックとすれ違う時は、さすがに怖い。

GPS speed 今回はNISSANのROGUEという車に乗った。滑らかに走る良い車だった。速度計がきわめて正確である。この写真で分かるようにGPSの速度とパネルの速度とは一致している。70マイル制限のところを65マイル/時で走っているところである。すなわち速度計は誤差がないものを作れる時代なのだ。前回乗ったTOYOTAも誤差がまったく無かった。
 ところが日本で走っている車は全ておかしい。速度が7%多めに表示されるように作ってある。昔からある誤差の計算式によって許される最大の誤差をあらかじめ設定してあるのだ。107 km/時が表示されているとそれは100 km/時で走っていることになる。スピード違反しにくくなるからありがたく思え、ということでもなさそうだが、実に不愉快だ。高速道路の容量が7%減ってしまう。そのような権限は国土交通省にはない。

 同じ車を日米で同時に走らせて日本の方が7%遅く走るように作られているというのは、どう考えてもおかしい。

2024年05月28日

またまた Original Whistle Stop

Original Whistle Stop 帰路、ロスアンジェルス郊外の友人を訪ねた。その時に思い付いてパサディナの模型店を訪ねた。店主の Fred とは、1985年からの付合いだ。祖父江氏を伴って訪ねた。その2週間後ミルウォーキのNMRAコンヴェンションの会場で再度会い、筆者のFEF2,3を見て仰天したのだ。祖父江氏の3条ウォーム改造の代理店契約を結びたかったらしいが、それほどの数もなさそうなのでそれは立ち消えとなった。しかし、その後さまざまな局面で助けてもらった。

 今回は1時間弱の訪問であったので、模型は見せずもっぱら動画を見せ合って話した。この動画はYoutubeで見たが鮮明さと滑らかさに欠けると言う。そこでオリジナルの動画を差し上げた。

 慣性増大装置の動作を見て驚嘆し、仲間を呼んで見せた。
「凄い!お前はいつも世界の最先端に居る。」と言ってくれた。お世辞であっても嬉しい。
 パシフィックが単機で、ゆっくり前後進し、その度にスリップして止まる場面を見せた。極端な低速であるが、それでもスリップするのが面白いそうだ。
「一体、このテンダはどれくらいの質量があることになるのだ。」と聞くので、「約430ポンド相当だ。」と答えた。
「ワォ、それはすごい。まさか本当にその質量を持つと思う奴はいないだろうな。」
「それが居たんだよね。」と、かいつまんで話した。
 彼は爆笑してこう答えた。
「アッハハハ。簡単にできると言うなら、どうして今までそれを誰も見たことが無いのか教えて欲しいね。」


2024年05月26日

続々々々々 Tomの娘

Tom Harvey 1941 Paulaは筆者と祖父江氏が訪問した時のことを何回も聞かされていたらしく、「素晴らしい機関車を持ってきたのだそうですね。」と言う。

 祖父江氏についても十分に知識があるようで、類稀なる模型作りの達人であったことは認識していた。1985年に3泊ほど居候させてもらった。   
 Tom と近くの公園に置いてある機関車を見に行ったとき、Tomは祖父江氏の実物の知識には舌を巻いた。どうしてそんなに知っているのだと怪訝な顔をした。戦前、機関車の部品を作る工場に居たと知り、合点が行ったようだった。
 その時Paulaが帰ってくる予定だったけれども、何かの不都合で会えなかった。

 それ以来、彼女は模型には多少の興味を持ったらしい。Oゲージの模型は HO や N に比べて少ないことは気付いていた。最近知り合った模型人は、庭に線路を敷いてBig Boyを走らせているとのことで行ってみたら、1番ゲージだったそうだ。写真を見せて貰ったが、大きなレイアウトで線路は腰の高さ(90cmほど)であった。

 筆者のYoutubeを見てもらっていたが、機関士が Tom Harvey の風体を表していることにとても感動していた。
 白い帽子、白いシャツ、赤いバンダナ、青いオゥヴァオールがまさにそれであった。少なくとも 4輌はTomが乗っている機関車であることを伝えた。彼女はそれを聞いてとても喜び、全部の写真を撮って送るように頼まれた。

 手袋の汚れが服に付かないように、立つ時は手袋の内側を外に向ける仕草をして笑い転げた。彼女は父親の蒸気機関車乗務時代を知らない世代だ。話だけはたくさん聞かされているのだろう。 

2024年05月24日

続々々々 Tomの娘

B17 crew この種の恩人探し時々見るようになった。戦後80年近くになり、すでに存命者はほとんどいなくなったが、その子孫同士の交流はまだある。希望を捨てずに探し続けるようにと伝えた。
 この件に関しては、多くの方から積極的なご意見を戴いているので先方に伝えた。

 Paulaは、父親の一生について別の本を書きたいらしい。その中の一つに、”Tad and Tom” があるのだそうだ。彼女曰く、「貴方は父の人生の中の非常に大きな部分を占めている。出会わなければ、Big Boyとの人生について書き残すこともしなかっただろうし、私がそれに興味を示すこともなかったかもしれない。」

 新たに共著で本を書こうと言う。
「もう私の英語力はかなり衰えているから難しいかもしれない。」と言うと、「私の会った外国人の中で、貴方の文章能力はNo.1である。信じられないほどの語彙力がある。」と褒めちぎる。かなり社交辞令が入っているが、それを聞いてこのプロジェクトには多少興味が出てきた。
 Tomから来た手紙、録音は全て保存している。まずこれを彼女に送り届けることから始めなければならない。 

2024年05月22日

続々々 Tomの娘

B17 crew 2 Paulaは、Tomの軍隊生活についての情報を集めていた。知っていることは全て話した。その中で、B17が不時着した時の話を聞きたがった。ベルギィのどこかに降りて、レジスタンスの助けでイギリスに逃れることができたと聞いていた。それは今度の本にも書いてある。

 それ以上のことを知らないかと問われたが、残念ながらそこまでしか知らない。彼女はそのレジスタンスの人たちにお礼がしたいのだそうだ。
 その子孫でも良いから見つけ出して、自分が現在あるのはその人のおかげだと伝えたいと言う。きわめて困難であるが、そのようなことを考えているということを知って感動した。

 写真は白黒であったが、コンピュータの助けを借りて色を付けたものだという。右奥の背の高い人が Tom である。

2024年05月20日

続々 Tomの娘

 Paula は昨年出版した本の評判が良いそうで、嬉しそうだった。写真があまり鮮明ではないことを指摘すると、原版を出版社が水に濡らしてしまい、使えなかったと言う。仕方なく、筆者がプリントしたものを複写したそうだ。

 父親のことを詳しく聞きたがり、細かく話すと、筆者の記憶力が良いことに驚いた。実の娘でも知らないことを筆者が知っていることもあり、感銘を受けたようだ。

Big Boy brake handle ビッグボーイのブレーキハンドルを筆者の博物館に飾ってある写真は送ってあった。博物館への来訪者には必ず触ってもらう。日本のものと比べるとかなり大きく、皆さん驚かれる。

 Tom が出版の記念に2本送ってくれたのだ。Paulaは、1本はここにあることは知っていたが、もう1本のブレーキハンドルの消息を知りたがった。それはプレスアイゼンバーンという会社にあると伝えると、取り戻せないかと聞いてきた。

「その会社は、それを持っていることを全く公表していない。貴重なものだが、博物館に置いて来訪者が見ることができるようになっているなら、返せとは言わない。でも、誰も見ていないところに死蔵されているのなら、返してもらえないか聞いて欲しい。」と言う。確かにそうだと思ったので、やってみようと答えた。

 Paulaはデンヴァの鉄道博物館と緊密に連絡を取っているようだ。 

2024年05月18日

続 Tom の娘

 TomとはGreen Riverの駅で偶然会い、その後複数回訪ねたが、不思議なことにPaulaとは一度も会っていない。次女の Linda には何度も会っている。

 Tomは筆者のことを非常に気に入って、”very much intelligent" と褒めちぎり、Paulaに会うように仕向けたが、タイミングが合わず会えなかった。彼女は化学を専攻していたこともあって、会わせたかったのだ。 
 筆者に向かって、「日本に帰るな。アメリカにいてくれ。」と言った。最終的には「息子になって欲しい。Paula と結婚しろ。あの子はいい子だから。」と来た。
 会ってもいない娘と結婚の約束などできるわけもなく、そのままになったが、彼とは20年ほど文通していた。

 日本からの手紙は赤と青の縁取りの付いた航空便の封筒であった。Tomはその手紙が待ち遠しく、来るといろいろな人に見せびらかしていたようだ。外国人が英語で手紙を書けることに驚いたそうだ。当時あの地方 Wyoming では外国人は珍しく、ほとんどの人は地元から動いたこともなかった時代だった。”Howdy、palses!”で始まる会話しかなかったのだ。

 すべての手紙が保存してあるそうで、今思えば少々恥ずかしい。当時はタイプライタで手紙を打っていた。手動の機械で、指が痛くなった。インクテープがすぐ駄目になり、何度も替えた。
 当時の日本では英文タイプを打つ人は少なく、筆者が猛烈な速度で打つのを見た人が、とても驚いたことを思い出す。今はほとんどの人がパソコンを使うので、キーボードを打てない人の方が少ないだろう。 

2024年05月16日

Tom の娘

 Tomの長女 Paula(発音はパーラ)とは一度も会ったことが無かった。最初にTomと出会ったのは1976年で、彼女はまだ中学生だったはずだ。たまたま外出していて会えなかった。その後祖父江氏と訪問した時も、彼女は大学生で学生寮に入っていたので会えなかった。今回の訪米で、彼女には会う必要を感じていた。テキサスに住んでいると勘違いしていたが、最近コロラドに引っ越したのだそうだ。

 片道1300 kmを飛行機で行くか、車で行くか迷った。飛行機だと2回乗り換えで7時間掛かる。車だと15時間だが、途中で一泊すれば大したことはない。金額的には車の方がかなり安く、迷うところだ。
 飛行機で行けば、空港からは車を借りねばならない。会ったことのない人に迎えに来てもらうのは、出会い損ねることもあり、なかなか難しい。迎えに来るとは言ったが、片道1時間半も掛かるところを来てもらうのは気が退けた。

Paula H.Conger and her husbund Jeremy Paula の亭主 Jeremy は石油掘削の技師とのことだ。現在の仕事がコロラドにあるので、しばらくはそこにいるようだ。以前はヒューストンの近くに住んでいたのだ。 

2024年05月14日

ヤスリの柄

IMG_4173 ヤスリをたくさん持っている。最近大きなものが増えた。それらに付ける柄を購入した。こういうものを扱う店は少ないので、見つけ次第大量に購入する。


 ヤスリに柄を付けないと、狙いが決まらない。すなわち平面が出しにくい。このことを友人に話したところ、
「そんなことはないですよ。」
という話だったが、彼は試しに一つ購入して使ってみたようだ。

「使いやすくなりました。力も入りますし、必要なものですね。」
ということだった。10個ほど購入したようだ。

 ヤスリ掛けは奥が深い。柄の付いていないものではどちらに傾いているのか分からない。すなわち丸く削れてしまう。
 このあたりのことは友人の仕上げ工経験者から詳しく聞いている。祖父江氏 Bill Melisからも厳しく仕込まれた。

 金属工作では、糸鋸、ヤスリ、孔あけ、ハンダ付けは大切な単元である。先回のプレスもそうだが、このような技能をきちんと習得するチャンスの無いまま模型作りをしている人はとても多いと思う。誰からも指導が無いと、それで良いのだと思い込んでしまうから進歩はない。菅原氏の「技法」の本を読んでも、残念ながらプロの目から見た記述はほとんどない。

 例の真ん中を凹ませる話も、「そんなこと、できるわけがない。」と鼻で笑う人が居る。こういう人は進歩しない。
 そういう意味でも基礎単元の習得を狙った講座を開く意味は大きいはずだ。


2024年05月12日

resistance soldering

 Dennis の工房には工夫が満ち溢れている。炭素棒の保持具は面白い。筆者の作例では、握りの軸の延長上に炭素棒がある。それでも良いのだが、曲がっていると楽だろうな、とたまに感じることがある。

carbon rod soldering (2) これを見て戴きたい。厚いブラスの板に貫通孔をあけ、それをスリ割フライスで切ってある。炭素棒を差し込み、ネジを締めるのだ。下の板はアースとなるブラス板だ。


carbon rod soldering (1) 簡単にして確実な保持方式であり、力も入れやすい。握りは熱くなるので、熱絶縁が必要である。ベークライトの板と管で作った握りである。電流は20 A程度で、スライダックで一次側を調節している。

IMG_4168 Dennisはこの種の工夫をする能力に長けている。ありとあらゆる工具を使いやすい形に改良している。 これを見習って作ってみたい。握りは木製にするのが簡単そうだ。ヤスリの握りで大きなものがあるがそれを少し加工すればできそうだ。

2024年05月10日

続 Dennis' workshop

IMG_4045 (1) このように広い工作室を持つことは、わが国ではかなり難しい点もあるが、その中に置いてあるいくつかの工具は日本でも買えるので、それについて説明していきたい。


IMG_4010 まずこのプレスである。何度も紹介しているが、プレスを持っている模型人は少ない。相も変わらずコンコン改軌をしているらしい。この大きさ程度のプレスを持つだけで、精度の高い車輛ができるということを認識してほしい。プレスは高価なものではない。


IMG_4011 これはシァ、ベンダ、3本ローラが一つになったものである。中国製で使い心地は今一つであるが、整備次第でもう少し良くなるであろう。本当は単能機3つある方が、はるかに使い心地は良い。


IMG_4014 これはハンダ付け専用のテイブルである。各種のジグがあり、押さえ付けて炭素棒でハンダを融かす。直角ジグはいくつか作ってある。フレキシブル・シャフトの回転工具もある。


IMG_4022 (1) クランクピンを作っているところである。快削鋼で作るので、つるつるに仕上がる。M2のネジを切るタップが必要となり、持って行った。彼の地ではメートルネジの工具は手に入れにくい。 

2024年05月08日

Dennis' workshop

 Dennisは長らくロストワックス鋳物の工房を経営していたが、体調の問題があって、設備一式を友人に譲って廃業した。

Workshop (1)Workshop (3)Workshop (2) その後工房を整理し、広い日当たりの良い工作室に作り替えた。車庫にあった大きな2トン近くある旋盤、フライス盤を処分し、小型のものに買い替えた。寒い冬にも座ったままで作業できるというのは有難いと言う。テキサスでも西部の高地にあるので、寒い時期の車庫での作業は辛かったそうだ。

Workshop (4) 床のモルタルをつるつるに仕上げ、樹脂を浸み込ませてあるので埃も立たない。小さな部品を落とした時は掃除機の袋を新しいものに替え、全体を掃除すると必ず見つかるという。これは見習いたい。

 蒸気機関車の整備はお手のもので、クランクピンを新製し、クランクを植え替えることなど朝飯前だ。すべての工作を3/100 mm以下の誤差に収めている。韓国製の全くダメな機関車を捨て値で手に入れ、下廻りを全て作り替えて最高の走りを作り出す。これは筆者の方針と完全に一致するので、長く付き合っているのだ。  

2024年05月06日

dead rail の課題

 アメリカには屋外レイアウトも多くなってきた。45 mmゲージが主流である。通電の確保には苦労しているようだ。LGBは集電シュウを付けているとは言え、通年で外に敷いてある線路から集電するのはかなり難しい。その結果、dead rail に移行する人が増えている。

 このサイズであるとバッテリィはかなり大きなものを積めるのであろうが、動力車の効率がよくない。どう考えても伝達効率は10%ほどである。これが30%になればかなり航続距離が稼げて楽になる。
 聞くところによると、機関車のみならず客車、貨車の中を電池で満たしている場合が多いという。ところがその客車、貨車の車輪はプラスティック製で摩擦が大きく、車軸も太いものが多いようだ。すなわち電池を増してもその重さで負荷を増やし、結局のところ、航続距離の増大に寄与しているようには見えない。

 軽い機関車でたくさん牽くというのが鉄道の本質である。問題解決の最初のところで間違っているような気がするのは筆者だけだろうか。そういう意味では高効率ギヤの価値が増すような気がしている。

 dead rail はこれからも進歩するだろうが、航続距離の問題だけは大きな部分を占め続けるだろう。突き詰めればそれは伝達効率の問題以外の何物でもない。高効率ギヤを採用された方はこの問題の半分は乗り越えているわけだから、ぜひ残りの部分に挑戦して戴きたいと思う。筆者のヤードのような特殊な事例でなく、普遍的な課題解決にもなるはずである。

 以前紹介したこのデヴァイスは約 5 Vで作動させることができるので、高効率ギヤには相性が良いのではないだろうか。 

2024年05月04日

続 最近のDCC

 Dennisは筆者のYoutubeを見て、関節式機関車の前後のエンジンが微妙にスリップしているのを感じ取った。その機関車には2個のモータが付いて、前後を独立に駆動しているからだ。きわめて自然である。

 ところが見せて貰った Bluenami には、あたかも "スリップしているかのような音" が出るモードがあるのだ。
 まず、一般の機関車は左右で2気筒であるが、3気筒を選ぶことができる。これはコンタクト・ホィールを付けているわけではないから、モータの回転から読み取るタイミングの間隔を狭くするだけであって簡単な話だ。しかし、そのタイミングは完全な三等分になっていないところがミソである。

 問題はその次で、スリップ・モードである。加速率を少し上げると、動輪が滑っているわけではないのに、スリップ音がするのである。その機関車の動輪を近くでじっと観察していると、奇妙なものである。
 関節機の場合は1回転で4回音がするのが2つあるわけだから、合計8回のドラフト音がするはずだ。その4つのタイミングを微妙にずらして坂道でのスリップを模擬する。片方だけ派手にスリップする様子も再現できる。しかしここまで来ると、何か詐欺にあっているような感じである。でも、売れているのだそうだ。HOのサイズで 5 mも離れていれば動輪の回転など見えはしないのだろうか。もちろん単機でも派手にスリップする音が出る。それはないよと思うのは、筆者だけなのだろうか。

2024年05月02日

最近のDCC

DCC (1) Dennisのレイアウトは1990年代から DCCである。はじめはLenzであったが、徐々にいろいろな機種を経てNCEになった。筆者は最初からNCEである。彼に2年ほど遅れて参入したが、かれこれ25年以上の経験があることになる。当時日本では、誰もと言っても良いほど仲間が居なかった。今でもDCCを採用している人は、2%以下だろう。  
 
DCC (2) 最近はかなりいろいろなところが進歩している。無線のcommander(手元の発令機)はいくつも市販されているし、車上に載せる子機の機能も異常なほどの発展を遂げた。写真はタブレットから操作するものである。これは類似品がいくつかある。

 Dennis のところで最新型の Blunami を見せてもらった。これは例の Tsunami の発展型である。こういうものに日本語を使うのも不思議だ。Tsunami が出てすぐに東日本大震災が起き、"Tsunami" が国際的に認知される言葉になった。彼らはその名前を使い続けるのかどうかを気にしていたが、結果として変化はなかった。今までのサウンド装置と比べてはるかに高性能で、大音量で明確な音がすることは間違いない。これは高価であったので、Econami というラインも発売している。 

 今度の Blunami には不可思議な機能が付いている。不可思議というのは筆者の主観的な感想である。一般には”大したものだ”と受け入れられているのだそうだ。 

2024年04月30日

続 dead rail engine

DCC dead rail 2日間の奮闘の甲斐あって、機能は回復したので試運転を披露した。



exhoust エンジンを始動する音がしてスタンバイである。2本の排気管から煙が出るとDennisの顔がほころんだ。汽笛を吹き、ベルを鳴らしながらゆっくり前後進して調子を見る。側線の奥にある貨車を連結して持ってきた。目の前で連結を開放するのだ。

 彼は開放用のマグネットの無いところでは解放できないと思っていた。連結器のナックルが開いて開放すると、目を見開いて驚いた。今まではソレノイドのようなバシャンという音がするものしか見たことが無かったので、今回の音もなく開き、閉じる工夫にはとても驚いたのだ。
 「Kadeeの下にぶら下がっている解放用の鉄線は必要無くなった。」と言うと「凄い!」の一言であった。その場で切り落とした。

 線路上では dead rail が実感できないので、テーブルの上でもやって見せた。レイルが無いところで走らせるのは、刺激的だ。抑速ブレーキは働かせる場所が無いので、話だけしかできなかったが、ぜひ見てみたいと言う。動画を撮る必要があるが、分かるように撮るのは難しそうだ。

2024年04月28日

dead rail engine  

 DCCの dead rail の機関車を持って行った。Dennisの感想を聞きたかったのだ。これは開発者のA氏の意向でもある。
 リチウムイオン電池を外し、それは手荷物で持って行った。スーツケース内に入れておくと、検査で見つかった時に多大な罰金が科せられる可能性があるからだ。

 到着後点検すると、ひどいことになっていた。空港でスーツケースを投げたようだ。上廻りは一部つぶれ、接着がはがれていた。堅い箱に入れ、何重にも緩衝材で巻いてあったのに、かなりひどい状態であった。

 この機関車は実験機で、電波の通りが良いプラスティック車体である。下廻りも激しく圧力を受け、台車がゆがんだのでショートする。
 電源は自分で持っているからショートしていても走るが、通電区間に入るとそちらの回路が飛んでしまう。

Workshop (5) 最初の2日は工作台を借りてオーヴァ・ホールをした。下廻りは全て分解し、調整をし直したのだ。Dennis の工作室にはありとあらゆるサイズのワッシャがあり、こういう時は助かる。 

  ブレーキ・シュウが微妙に当たるので、削った上で曲げて付けた。いよいよ試運転である。Dennisは興奮した。 

2024年04月26日

続 Low-D wheelsets 

IMG_4037IMG_4038IMG_4040 大きなレイアウトを持っていない限り、長大編成の運転はできない。アメリカといえども、そういうレイアウトは少ない。
 大きなレイアウトでは抵抗の大きな車輌を多重連の機関車でゴリゴリと牽いている。機関車1輌で貨車20輌が限度である。Low-Dならその5倍だ。

 曲線も半径72インチ(1800 mm)が普通で、筆者のように110インチ(2800 mm)以上というのは稀だ。急曲線で連接機関車の前部エンジンが横に大きくはみ出すのは興覚めだ。

 こういう話になると、理想と現実の違いである。既存の建物の中に作ると、小半径になる。別棟に作れば大きなものができる。大きな部屋を手に入れることが出来なければ仕方がないわけだ。そういう点では、筆者は運が良かった。均一な長い勾配を作ったので、牽引力の無いものは直ちに排除されてしまう。 

 Low-Dの応用例として、ハンプによる突放入替の話題が出た。
「すべての連結器にダンパを入れなければ、連結器座が壊れるな。」と彼は言う。筆者が、
「ヤードの仕分け線の下に空気を噴出するノズルを仕掛け、圧搾空気を送ってリターダとするのだ。」と言うと、笑い転げて「やってみたい。」と言う。実はこのアイデアは50年代のModel Railroaderに載っていると伝えた。
「当時は単なる思い付きのアイデアだったが、Low-Dなら可能だ。」と唸った。 

2024年04月24日

Low-D wheelsets

Dennis' layout このレイアウト上にはLow-D車輪がかなりたくさんあるが、その使い方は筆者の場合とは異なる。筆者は、とにかくたくさん牽かせたいから、抵抗を最小にした。それだけである。

「Low-Dの車輪は素晴らしい。音がしないのだ。」とDennisは言う。確かにレイアウトで列車を動かしても、とても静かである。一部の未改装の貨車はガラガラとうるさい。踏面の仕上精度が一桁以上違うからだ。それはDennisも気が付いている。

 彼のレイアウトではたくさん牽かせることは必要ではない。客車は5輌程度、貨物でも20輌程度である。「曲線上の抵抗が小さくてありがたい。」とは言うが、それはここでは大きな問題ではないのだ。

 ピヴォット軸受けの中には多めにグリースが入っている。抵抗を作り出しているのだ。これによって入替時に貨車を目的の場所に停めることができる。
「Low-Dは軽く動くので、貨車が思うところで停まっていない。」と言う。場合によっては細いリン青銅の針金を軸に当ててブレーキを掛けている。

 なるほどそういうこともあるのかと納得した。いずれにせよ日本ではお目に掛かれない話である。 

2024年04月22日

gusset plates

091851ab ガセットの作り方の説明をした。コンピュータで紙に打ち出したものを持って行った。それをスプレイ糊でブラスの薄板に貼り、リヴェットを押し出す。Dennisも筆者と同じ上向きの押出し装置を持っているので話は簡単だ。この道具はテキサス州のSan Antonio製だ。

 簡単に押し出してそれをハサミで切り出し、丸く反っているのを金床の上でゴムハンマでぶっ叩くとピンとなる。うまい工夫だと感心しきりである。それをハンダ付けするのが筋だが、接着で良いと伝えた。フラックスが良くないので無理はしないことにした。接着剤はスーパーXを持って行ってある。

 ハシゴはブラスのワイヤを嵌め込んでハンダ付けし、側面をヤスリで削った。ステンレスの硬さには驚いたようだ。ハンダだけが削れて、側面はつるつるになった。

 大体完成したので、レイアウトに置いてみた。例の三角の補強板は見える方向の片方しか付けないというと、「それは賢明な方法だ。」という。見えないものを苦労して作り、厚みが出て失敗するのは賢くないという筆者の意見に賛同した。
 信号橋というものは片方からしか見えないものなのだと言うと、「そりゃそうだな。」と笑った。 

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2024年04月20日

signal bridges

 持って行ったのは例の信号機のキットである。4線用と2線用の予備を作ってあったのでそれらを進呈した。体積は小さいので、スーツケースに簡単に入り、土産としては最適であった。

soldering on stainless steel is hard without acid flux Dennisはその設計の妙に非常に感動した。すべてがぱちぱちと収まり、ヤットコでつまむだけで形ができる。それをハンダ付けするだけなのだが、それには大変手こずった。ステンレスをハンダ付けしたことが無いのである。要はフラックスなのだが、塩酸の入ったタイプが無い。ロジン系のものは全てダメで、どんなに磨いてあっても全く流れない。ハンダは玉になっていた。
(この写真のハシゴの上部の不要な凹みはすでにプログラムを改良し、滑らかになっている。)  
  
 棚を探し廻り、ようやく酸性タイプを見つけたが、それはリン酸系のもので、これまた機能しない。街の工具屋で銅配管用のフラックスを探したが、最近は酸性のものが無い。というよりも、銅配管でハンダ付けをしなくなったようだ。ワンタッチで抜けなくなる巧妙な接手があり、それで100年以上持つという話だ。

 Dennisの知り合いの工場で塩酸を持っているところがあるというので、それを貰いに行ったが、どうも薄いようだ。臭いがほとんどない。筆者が塩化亜鉛と塩酸を少し持って行くべきであった。

 大変な苦労をして多少は流れるようにはなったが、筆者が参考用に持って行った写真のようにはならない。その写真では、すべての接合面に石鹸水のように沁み込んでいる様子が写っていた。Dennisは「これはうまいなあ」と感嘆していた。ステンレスは熱伝導率が極端に小さいので、小さなコテで付き、素手でワークを持っていられることを示すと、感心した。
 写真のハンダゴテはピストルタイプで、出力は150 Wである。引金を引くと、3秒くらいでかなり熱くなる。ハンダはボテッと付いている。こうしておいて、あとで塩酸を塗って炭素棒で加熱すると沁み込む。

 先回、筆者は1本あたり40分程度でハンダ付けが完了したが、フラックスが無いというだけで、2日もかかった。この写真を見せて同等品を探すように伝えた。おそらく水道屋の友人を訪ねて探してもらうだろう。 

2024年04月18日

visiting Texas

 5年ぶりにアメリカに行った。いくつかの用事が溜まっていたのと、「ちょうど日食もあるので来ないか」とDennis が誘ってくれたのだ。
 今回は天気が良くなく、日食は薄雲の隙間から見えただけで、星が輝くのは見られなかった。前回快晴であったのは、運が良かったとしか言いようがない。

a swicher works Dennisはレイアウトでの運転を完全にするために努力している。すべての機関車、貨車の連結器を整備し、全く手を触れないで列車の解結作業を行えるようにした。また、DCCサウンドを更新し、実感的な運転ができるようにしている。

IMG_4006 ストラクチュアは整然と並び、街路を構成しているのは素晴らしい。大きなレイアウトではないが、運転を楽しむ(operation first) ことに注力している。こういう楽しみ方は日本ではまず見ることができない。

 いつもなら、DFW ダラス・フォートワースまで300 kmを迎えに来てもらうが、彼は体調が良くなく運転を避けているようなので、近くまで飛行機を乗り継いで行った。この頃は国際線とは異なる路線に乗り継ぐと手荷物料金を取る。スーツケース1個で30ドルも取るのには参った。ドルが高いのでさらに驚く。

 持って行ったお土産を開くと、彼は歓声を上げた。彼が一番気に入っているものであったようだ。彼は筆者のブログを丹念に見ている。最近の表題が英語表示になったのは、彼の識別を助けるためである。彼は気に入った記事を自動翻訳で読んでいるのだ。

2024年04月01日

DCC dead rail engine

DCC dead rail A氏に改装をお願いしていた試作機関車が到来した。DCCによる無線操縦機関車である。これは今までのものとは根本的に違う。dead railでありながら、DCCのコマンドが100%使えるのだ連結器の開放もできる。こういう機能を持ったものは、まだ市場にない。すなわち世界最先端の機能を持つ。
 ご質問はあろうが、雑誌に載るまでは詳しくお答えすることができない。
 
 博物館の隠しヤードから貨車を25輌ほど(約10 kg)を牽き出して1.9%の坂を登っている。非常に低速が効き、毎秒3.5 mm程度でも滑らかに登る。実物ではモータが焼けてしまう速度だからあり得ない。毎秒20 mm(時速 3.5 辧膨度にしているが、これでも遅過ぎるくらいだ。サウンドが最大限に働いてエンジンの轟音が反響する。排気管からは煙(水滴)を吹き出させることができるが、消費電流が大きいので、観客があるときだけにする。重い貨車30輌を牽いて最高速(50マイル/h)で1.56%の下り坂を降りる途中で、dynamic brakeを利かせるボタン(F4)を押す。グワーンという音がして抑速され、抵抗器が熱くなる。これは本物と同じ動作である。実に面白い。

 まだ単機だが、2輌の固定編成で長大編成を引き出せるようにする。大きな負荷だが、おそらく100往復ぐらいはできそうだ。駐泊所に充電装置を置く。電池は大型のリチウム電池3本で11 Volts近辺だ。3本の直列充電は危険なことがあるので、2つの端子で充電ということは避けたい。枕木から4つの端子(場合によっては6つ)を出して個別に充電するようにしたい。

 ヤードでの入替中、案の定、奥の方で脱線があり、線路でショートが起こっていることが確認できたが、この機関車は全く影響を受けずに牽き出せた。1,2輌程度なら脱線していても、無理やり牽き出すことができる。 

2024年03月30日

続 lesser thickness gearboxes

 懸案の薄型ギヤボックスが出来上がり、貫名氏から供給が開始された。今までの形よりもかなり薄くできるので、台枠内側にイコライザがあっても取り付けられる。I田氏が早速換装されているのでぜひご覧戴きたい。改装マニュアルも補筆されているはずなので、よりHOの人たちにとっても分かりやすいようになっている。リーマを通すことも強調してある。ヤスリでゴリゴリということは禁物である。 
 歯車を1 mm薄くしている。また中心部の形状を少し変えて、より全体を薄くできる工夫をした。
 動きを動画で見ると、今までのものと全く同等である。

「普通のギヤと何が違うのか」と、いつも同じことを聞かれるが、すべてが異なるのである。よくあるウォームギヤ・セットとは歯形が異なり、仕上げ精度も2桁近く違う。材質も違う。高性能を得ようとすれば、それなりの工夫が必要である。このギヤの歯面を見て、ある専門家は、「これは凄いね、高そうだな。」と言ったが、全くその通りなのである。
 
 歯車屋で歯数を指定して注文しただけのギヤとは違って当然なのだ。当初はコースティング・ギヤなどと呼ばれていたようだが、高効率ギヤという名前が定着したようで嬉しい。これはどなたが言い始めたのかは定かではないが、非常に良い名前であると思う。

 実は、筆者は ”coasting” という言葉は好きではない。これは定年退職者が年金で無気力に暮らしていることを表す時にも使う言葉だ。Bill Wolfer が眉をひそめてそれを言ったのを覚えている。「俺は違うぞ。」と言いたかったのだろう。  

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