2025年04月19日
TMS 1000号

記事としては、振動試験車が面白い。数年前に携帯電話を使ってできそうだと思い、筆者も手を付けたがそのままになっていたことを思い出した。この方はかなり本格的に作られている。しかし、どうでも良い車体の工作の説明が長い。
岸本剛一氏の昔話は面白い。伊藤剛氏の影響が大きい。安井酉次郎が実在の人物だと思っておられるようだ。以前にも書いたが、これは「ヤスリ、ドリル、作ろう」から来た造語で、伊藤剛氏らが書いていたのだ。 491号の例の作者の件は知らせたが、訂正が間に合わなかったようだ。
岸本氏は「こういう部品を付けました…みたいな話は面白いとは思わない」とおっしゃっているが、そういう記事は今月号にも載っている。その中でボイラの下半分を台枠に付ける話があるが、HO以下では初めて見たような気がする。筆者の周りでは例は多い。
久保田富弘氏の記事ではペーストの話があるが、誤解されやすい話だ。ペースト信者が増えるのだろうか。
さて、今回の目玉は創刊号から 100号までのDVDである。これは有難い。実は博物館には全ての号があるのだが、 最初の20号くらいは紙が劣化していて、開くと砕けてしまいそうなのである。
開架しているのは 51号以降にしている。しかし、初期の号を見たい人も居るので、それは写真を撮ってDVDに焼くつもりであった。そして博物館内のプリンタで印刷して持ち帰ってもらうことになり、面倒であった。そこには著作権の問題もあり、困っていた。
機芸出版社にお願いして、「著作権については開放する」との許諾を貰わねば、とてもできない話だった。さらに、そういうことにはかなり難しい点があることも分かっていた。そこに今回のDVDが付録に付くことになり、数年間呻吟してきたことから解放されて万々歳!である。
閲覧するだけなら操作は極めて簡単である。PDFで入っているのでプリントするのも速い。
一桁号の記事には祖父江氏の執筆もある。記事が無くて、酒井喜房氏を通して頼まれたとのことだ。その機関車のことを聞くと、
「えぇっ、そんなもなぁ、アメちゃんに売っちまったよ。食い物が無かったからねぇ。」とのことで、アメリカのどこかにあるはずである。
今でも eBay を丹念に見て探しているが、見つからない。しかしそろそろ出て来る頃だと思う。30年ほど前、その機関車を探していることを伝えると、「下らねぇことをするんじゃあねぇよ。あんなもなぁ、今のあんたが作った方がよっぽど上手く出来るぜ。」とのことだったが、やはり見てみたいし、博物館に収蔵したい。
2025年04月17日
来訪者の感想
まず121輌の貨物列車を起動した。汽笛の音、蒸気の音に感動したようだ。連結器の遊間が伸びる音が、ガチャガチャとレイアウトを一周して動き始める様子が面白いそうだ。
最初から登り坂で、機関車はややスリップする。そうすると関節機関車の前後のエンジンの回転差が音で感じられるというのが面白いという。
貨車を一生懸命数えるが数え間違いそうになる。「10輌ごとに少し毛色の変わった貨車が入れてあるから、それを目安にすると良い」と言うと
「なるほど」ということになった。
「車輪の音がほとんどしないのはなぜだろう。普通はシャーとかゴーっていうよ。」と聞く。
「車輪は市販されている模型の精度をはるかに超えるもので、高精度の旋盤を持っている工場を説得して作って貰ったんだ。」と言うと随分感心したようだ。
「それだけではないんだよ。剛性のある台枠、重い緩衝材、レイルを固着させない締結方式とか、レイルそのものの材質も絡んでいるんだ。」と説明すると、
「さすがだね」と納得したようだ。
次に FEF3 の牽くプルマンの急行列車を走らせた。一定出力で手放し運転すると、登り坂はあえいでいたが平坦線に来ると加速し、下り坂では100マイル/時で滑り降りると、皆興奮した。運転室から覗く白い帽子の Tom Harvey 機関士は人気がある。
「この滑らかな走行はいったい何だろう。模型の動きとは思えない。」と言う。
土屋氏が驚いた時の話をした。あれから40年近く過ぎたのだ。
モータやギヤの音が全く聞こえないのも不思議だという。そこで歯車の歯数比の話をした。「互いに素」の話を出したら、大いに盛り上がった。こういう話が出来るのは嬉しい。
2025年04月15日
続 トルクチューブ式ギヤボックス
「この軸にいくつのボールベアリングが入っているの?」

「3つなんだ。良くないよね。」
「そうだね、2つにすべきだよ。作った時は心が通っていても、何が起こるかわからないからね。」
その通りなのである。祖父江氏は、この構造をブラスの機械加工のブロックと丸棒を組合わせて作ったので、極めて剛性が高い物が出来た。完全に心が出た状態を保てるだろう。ところがこれはナイロンの 3D プリント製で、力が掛かれば多少は撓む可能性がある。
飛び出している部分の先端の軸受は無くても問題はなさそうだ。駆動軸に六角ジョイントを付けるから、そこが多少ズレても駆動力伝達には何ら影響はないだろう。
とりあえず2種の試作をしてみて実際の運用に投入し、様子を見て方針を決めたい。
2025年04月13日
トルクチューブ式ギヤボックス

この絵を見ればお分かりのように、トルクチューブが飛び出している。このチューブは外径 6 mm、内径 5 mmのブラスパイプで、たまたまあったものを利用したが、その精度には驚いた。内外ともぴったりの寸法である。
今でもトルクチューブの意味をよく聞かれる。一言で言うと、設計、施工が極端に楽になるということである。
もし、モータとギヤボックスを一体にして吊り掛けにしようと思うと、ギヤボックスからモータへの取り付けネジの位置を考えてその組立、分解の方法を考えねばならない。さらに、それを台枠に可動で取付ける手法も簡単ではない。軸重も均一になりにくい。大きな重いモータを使わざるを得ない時は、かなり困る。もっとも、このリンクの方法はあまりにも古い。現在はもう少し賢い設計だろうが、それでもモータをどのように取り付けるか、は少々考える必要がある。
トルクアームは多少楽ではあるが、機関車ごとに支持点を設計し直さねばならない。

「こいつぁ面白ぇ方法じゃねぇか。楽だよねぇ。みんな同じ設計でいけるぜ。」と賛同を得た。それ以降祖父江氏の工房で完成される機関車にはすべてこの方法が採用された。いわゆる Sofue Drive はこれを指すのだ。この写真の後部エンジンの駆動がそれである。前部エンジンのギヤボックスは、裏側からトルクアームで支えてある。これは関節式機関車であるから避けられない構造であった。
2025年04月11日
続々 塗装剥がし

アセトンを入れる理由を質問された。アセトンはいわゆる極性溶媒で、分子に電気的な偏り(δ+、δ−)がある。水分子が電気的な偏りを持つことは誰でも知っていることで、かなりの種類の物質を溶かす力がある。しかし水を弾く物質に対してはそれを溶かすことは無理である。例えば油を塗った物質では水は弾かれてしまい、その物質を溶かすことは出来ない。

ラッカ・シンナには各種のエステル(酢酸エチル等)が入っている。エステルは極性があり、なおかつこれらはガソリンなどの炭化水素によく溶ける。
ガソリンのように揮発性が大きいものだと引火して火事になりやすいので、適当な沸点範囲の炭化水素と混ぜるのが普通だ。ベース材としてはトルエン、o-キシレンなどが選ばれる。これらは分子の形が完全に対称ではなく、多少の極性がある。
そこに極性が非常に大きなアセトンを足すと、固まった塗料の表面の電気的に偏った極性のある部分にくっつく。そしてそれをトルエンが取り囲んで引き離すというわけだ。シンナの中の極性分子を増やしてやるとエポキシなどの高分子も溶けやすくなるのだ。ただ、アセトンは蒸発しやすく、100%のアセトンでは使いにくい。

2025年04月09日
続 塗装剥がし


サンドブラストを持っているがこういう仕事には使えない。薄板に当てると、極端に反りが出る。片面の加工硬化した部分がなくなると反対側の残留応力の影響が出るからである。
アメリカならではの塗料の使い方であった。この彩度の高い黄色は農業機械のJohn Deere社の黄色のような気がしている。
2025年04月07日
塗装剥がし

窓配置がおかしな、例のUS Hobbies時代の製品である。これを入手したのは25年ほど前で、カリフォルニアで開かれたコンヴェンションで見付けた。極めて安かった。その理由は、まず色調が実感的でなかったことと、台車、連結器が壊れていたこと、片方のデッキが壊れていたことである。それらは簡単に修復できた。一般的に、アメリカでは塗装に対する評価の比重が大きい。本体が良いものであっても塗装に失敗していると、価値が極端に下がるのだ。このカブースを見た人は「これは駄目だ、」と言って誰も手を出さない。3日間放置されていたので、閉会するときに行って安く買った。
塗装は見るからに厚く、0.4 mm程度はあった。艶などを考えると、自動車用の塗料を塗ったに違いない。この黄色は極めて彩度が高く、鉄道車輌には見えなかった。全体に埃をかぶせるように薄い灰色と褐色の混合物を塗った。多少落ち着いて見えるようになったのがこれである。窓ガラスを入れ、台車を作って本線を走っていたが、他の車輌とは見かけに格段の差があり、徐々に休車に追い込まれてしまった。あまりにも塗膜が厚く、ボテっとしていたのだ。
一念発起し、上下をばらしてブレーキフルードに漬け込んだ。3日後に出してみると、あとでタッチアップした部分は剥がれていたが、その他は多少柔らかくなった程度で剥がれていない。
やはり、これは一般の塗料ではないということだ。わずかに膨潤するが、溶解するようには見えない。おそらくエポキシ系の自動車用プライマを塗ってから、ウレタン系塗料を塗ってあるに違いない。
しょうがないから、ラッカシンナとアセトンの混合物を入れた大型ポリ袋に入れ、数時間ごとにごろごろと各面を浸すように転がした。普通ならば、この処方に耐える塗料はない筈だった。
2025年04月05日
再度 饋電について
一言で言うと「とても良い記事」だそうだ。箇条書きにすると、
・この国の模型人は、ほとんど誰もそんなことを考えていなかった。
・指摘されたことは全て事実で、饋電の理屈と方法を知らねば克服できない。
・大きなレイアウトだけの問題ではない。小さなレイアウトでも正しく饋電されていなければ問題が起こるはずだ。
・レイルの素材について再考する時期に来た。
洋白材をレイルに使ったのは日本が最初らしい。カツミにいた高橋 淑氏が、伸銅屋の店先に山になっていた注文流れのギターのフレットを見て閃き、その再利用法としてレイルを作ってみた。篠原模型店に使うように勧めたところ大ヒットしたらしい。それまではブラスレイルを使うのが世界の主流であったのだ。
今となっては取り返しがつかないが、その余剰材料が白銅であったなら、もう少し電気抵抗が少なかったであろう。
2025年04月03日
続々 PRR のカブース群


屋根を外せるはずなのだが、その方法が分かるまで多少時間が掛かった。車内を虫眼鏡で覗き込むと、屋根上からネジが締めてあるのが見つかった。その頭がどうやって隠されているのかを理解するのに手間取ったのだ。
屋根上のラニングボードがバネで喰い付くようになっている。それを引っ張るとスポンと抜け、ネジ頭が露出する。それだけのことなのだが、バネが利いているので隙間が無く、すぐには見抜けなかった。
そのバネは細いリン青銅線を曲げたフープ状のもので、良い考えではあるがハンダ付けが上手ではなく外れてしまった。塗装後に壊れたので修復せず、接着剤をわずか付けて押さえ込んだ。面白い工夫ではあるが、塗装後につけ外しをすると、塗装が剥がれる可能性が無きにしも非ずだったからだ。
窓ガラスをはめたので、二度と外す人は居ないだろうから、これで良いのだ。
この模型はエンドウ製である。遠藤稔氏が社長であった時代だ。招待されて訪ねて行くと喜ばれた。筆者の駆動装置をお褒め戴き、その応用について語り合った。そして筆者を自ら工場の中を案内してくださったのだ。あれから37年経つ。
台車のバネは太いものに取り替える予定であったが、塗装したところ微妙に太く見えるようになった。これで良いことにする。
2025年04月01日
続 PRR のカブース群


以前お見せしたときにキュポラを黒く塗っていたが、brass-solder氏からご指摘を戴いた。その塗装スキームは無いらしく、あわてて塗り替えた。
ディカールはDr.Yによるお手製で、素晴らしい出来である。キュポラの屋根を外せば、車内に指が入り、窓ガラスが貼れる。
窓ガラスを入れてないと完成した気分にならない。これは椙山 満氏の影響である。氏は、「窓ガラスが入ってない車輌は戦災に遭った様だ。」と評された。必ず窓ガラスを入れるようにしている。
屋根は薄いブラス板で作り、鉄板を貼り付ける。キュポラの壁に梁を掛け、小さな磁石を嵌め込むと屋根が取り付けられる。ネオジム磁石の威力は素晴らしく、取るのに苦労するぐらいよく付く。
いずれも Low-D 車輪をはめたナイロン台車であるので、素晴らしい転がりを示す。
2025年03月30日
PRR のカブース群

これは元は2軸車だったもので、2軸台車を履かせて4軸になった。好ましい形だが、いささか小さい。筆者の持っている機関車の時代には、そぐわないかも知れない。
構成は例によって木製の枠に溝を切った板を張る方法だ。普通の塗装だけではカビが生える可能性がある。不思議なことに日本の木にはカビが生えないが、アメリカから来たBass Wood(ポプラの一種)の材はカビだらけになる。ラッカー系の塗料では防ぎきれない。表面の皮膜だけでは駄目なのだ。
必ずオイルステイン(溶剤系のものではなく、樹脂がたくさん入っているもの)の中に漬け込んで気泡が出なくなるまで放置し、それを引き揚げて3日ほど乾燥すると、内部まで固まる。
この方法を採ればカビに悩まされることは無くなる。
手摺に色を入れれば完成である。
2025年03月28日
続 今野氏の意見
その昔、もう35年ほど前だが、吉岡精一氏はこう述べた。
「本物の図面通りに作りました、って得意そうに言う人は多いが、それが出来るかどうかということは置いといても、そんなに難しいことではない。頭を使わなくても良いのだからね。
模型は小さいから、縮尺通りに作っても挙動が異なるんだ。そこを考えられるかどうかというのはその模型人の力量そのものなんだよ。
ヤング率は一定だから小さなバネは相対的に硬くなり、ものは壊れなくなる。しかし模型をひっくり返したりして保持する仕方が本物とは異なるから、逆に壊れやすくなることもある。機関車のキャブなんて本物の通りに作ったら 0.05 mm厚以下になるだろう。でも手で持つのだからある程度の剛性は必要だよね。」
要するに、軽々しく「本物通りに作ったと言うなよ。」ということなのである。
しかし今回の記事を見ると、「本物通り」という言葉が聞こえてくるような気がする。そんな筈はないのだけども・・・。
2025年03月26日
今野氏の意見
筆者は機関車のディテールはあまり気にしない。全体を見た時のシルエット、補機類の配管がおかしくないこと、窓や手摺、車輌限界やステップの相対的な位置(掴めない握り棒は意味がない)に問題が無ければ十分だ。
しかしメカニズムは最深の注意を払って見る。いわゆるイコライザ付きの機関車も、根本的に間違っているものがままある。機関車全体が2点支持になっていて、前後に揺れるものが多い。理解していないことを理解していない人(ややこしい表現だがこれ以外の表現が見つからない)が作るとこうなる。
ギヤボックスが浮動していても反トルク承けがなく、前後進で調子が異なるもの、吊り掛けてあっても駆動軸が一直線上になく、ゴムチューブでズレをごまかしてあるものに遭遇することがある。これでは走らない。
いずれにせよ、筆者はジャンクしか買わないし、下廻りを全部ばらして作り直すので全く構わないが、こういう製品を大枚をはたいて買わされる人はたまったものではない。
ろくに走らない模型でも我慢してしまうのだろう。
2025年03月24日
饋電
垂直に饋電線をハンダ付けする方法では、レイルの匐進を確実に止める効果もある。レイルの寒暖の差による伸縮は継目板の中で解決されるから保線も楽である。

二つのレイルをレイルボンドでつなぐと同時に饋電線としているのだ。これで饋電線の数は半減する。

レイル・ジョイナによる接続部の接触抵抗は無視できないのだ。
とにかく饋電線から来た電流はレイル一本の長さ以下しか流さないという原則を守ると通電不良は起こらない。
2025年03月22日
来訪者
何人かの譲渡希望者がいらした。どなたもLow-D車輪の威力を目のあたりにして愕然とした。と同時にレイアウトの平面の部分の線路が本当に完全な平面であることにも驚いたようだ。
レーザを使って平面を出しているから、Low-Dであっても、どこでも止まっていられる。ある方が家に持ち帰ってテイブルの上に置いたら、あわや転落させるところだったそうだ。目に見えない傾きでもLow-Dは動き出すのだ。あわてて床に置いたら、そこでも走り出したそうだ。並の水準器より高精度で傾きを検出できたと驚いたようだ。これは平岡幸三氏も同じことをおっしゃった。
曲線上での抵抗の小ささにも驚かれたようだ。FEF3 の牽くプルマンの急行列車が上り坂はあえぎあえぎ登るが、下り坂では位置エネルギィが運動エネルギィに変化して 100 マイル/時以上を出すと、興奮した。
感想を聞かせてもらった。彼は模型づくりはお父上から受け継いでいるので、経験が深い。しかし、効率とか低摩擦を前面に打ち出している模型というものは見たことがなく、ブログで知って興味を持ったそうだ。静岡の催しで慣性増大装置の実演を見て感動されたようで、車輌を購入するのを兼ねて博物館への来訪を希望されたのだ。どれを見ても感動されていたようで、こちらとしても嬉しい来訪者であった。
今後の模型作りの指針を得たとおっしゃる。まず良い工具を揃えてスクラッチ・ビルディングをより高い次元で取り組みたいとおっしゃる。筆者の工作機械、ハンダ付け装置、組立ジグなどを細かく見て行かれた。期待できる。金属材料は潤沢に持っているので提供することになりそうだ。
2025年03月20日
HOギヤボックスの問題点

要するに、設計の段階でガタを無くするということを全く考えていなかったということである(図はゆうえん氏による)。
ウォームギヤの特質として、バックラッシをゼロにすることが出来るということがある。ゼロにすると、ギヤの精度のばらつきによって引っ掛かって廻らないことがありうるので、ほんの少し隙間が必要かもしれない。潤滑油が通るだけの隙間という表現が当たっていると思う。
この図では黒い部分が隙間で、動軸は上下するから、ウォームホィールの歯のどこにウォームの歯が当たるかは全く見当もつかない。その結果ガリガリゴリゴリという音が出るのだ。
図の赤線部分を削り取って動軸を寄せるとかなり良くなるそうである。しかし、それが設計時の位置なのかは不明だろう。また、反トルクをどこで承けるかを考慮してない場合も多いように見受けられる。トルクアームなどの簡単な装置を付けるネジ孔すらないというのは設計の不備であろう。
高効率ギヤは静かであるという定評を戴いているが、それはこの嚙み合わせ距離が正確に再現されているということなのである。まともなボールベアリングと支給された軸、正しい工具(リーマ)、ロックタイトを使えばだれでも所定の性能が出る。ここまで書いても、言うことを聞きたくない人がいるそうだ。本当に不思議だ。
2025年03月18日
続々々 走行音を小さくする
レイルは鉄に限らず錆びやすいものだ。目に見えない錆はどこにでも発生しうる。鉄(鋼)レイルは洋白レイルに比べて錆びやすいと考えられているようだ。しかし、この博物館の中では実際にはほとんど錆びていない。
鉄合金の表面の錆は2つの要因で発生する。
・ 空気中に浮遊する塩化物、硫酸が鉄の表面に吸着される。
・ それが水蒸気を呼び寄せて水滴を作り、その下の不働態膜を壊して酸素の働きにより酸化を進行させる。
これらの片方、出来れば両方をなくすれば、鉄は錆びない。
重化学工業地帯では鉄は極めて錆びやすかった時代がある。硫酸、亜硫酸のミストが浮遊していたからだ。海の近くであったこともファクタの一つだ。ということは塩化亜鉛によるハンダ付けは、同室での作業は避けねばならない。工作室がレイアウトと同室であれば、強力な排気装置あるいは空気清浄機が必要であり、ハンダ付け時のミストは全て吸着させなければならない。
窓も開けてはならない。特に海からの風が吹く天気の時は厳禁である。これは意外と誰も気が付いていないことであるようだ。空気清浄機は年中無休で働かせている。
湿度を下げるべきである。湿度を55%以下にすると錆びないという文献がある。本四架橋のケーブルはそのような条件に保ってあるそうだ。もちろん塩の粒子を取り除いた上の処置である。
2025年03月16日
続々 走行音を小さくする
ニッケル合金というのはその種類を問わず電気伝導度が低い。細くなっても鉄合金の方がはるかに低抵抗なのだ。抜いたレイルは貨車の積み荷にした。残りは融かしてインゴットにし、機械部品を作る材料になった。
4. については、ここで繰り返し書いたことだが、メッキ面はあばた面で全く平滑性に欠ける。#1200以上のサンドペイパで研ぐとかなり良くなるが、快削ステンレスを高精度の旋盤で挽いたものには、まったく敵わない。最近Low-D車輪付きの車輌を譲渡したところ、音についての感想を聞かせて戴いたのは嬉しい。
2025年03月14日
続 走行音を小さくする

梁を木製にすると経年変化で撓む。筆者の実験では最初の1年半で大幅に撓み、以下の変化は少ない。しかし不思議なことにその種のレイアウトの所有者は撓んでいることに気が付いていないのが大半だ。その理由は二つあって、路盤面が60 cm程度と低く、上からしか見ることがないのと、車輌の転がりが悪く、走行速度にむらが出ることがないからだ。この角スタッドを使う工法では撓みは無視できる。
2. についてはここで何度も扱ったことだが、いまだに効果を信じない人が居るようだ。サンプルを進呈するとその効果に驚いてすぐに採用するが、Youtubeなどの怪しい”実験”と称するでたらめな情報に踊らされている人は多いとみている。フレクシブル線路を路盤に打ち付ける人が大半だろうが、その釘穴を大きくしたり、バラストを固着するのをやめれば極めて静かになるはずだ。せっかく固定レイアウトを作るのだから、バラストはばら撒くだけにすると良いのに、と思う。気に入らなければ何度でも掃除機で吸って撒き直しができる。
軟質ポリ塩化ビニルまたはゴムのシートは、厚くないものでも効果はある。薄いのを二枚重ねた人からは、「驚異的な効果」とお知らせ戴いた。
2025年03月12日
走行音を小さくする
当博物館の来訪者は、ゲージには無関係に「静かだ」と驚いて質問する。
「何が違うのですか?」と聞かれるのだが、それには答えにくい。あえて言えば、「すべてが違うのです。」である。
1. 路盤とそれを載せている骨組みとテイブルトップの剛性が大きいこと
2. 線路を載せる道床にゴムまたは軟質ポリ塩化ビニルの遮音材を貼ってあること
3. フレクシブル線路のレイルを抜いて少し細いレイルに入れ替えてあること
4. 車輪は市販のめっきした車輪ではなく、ステンレス鋼を高精度の旋盤で削ったものであること
5. レイル面が滑面であるように、錆びさせないこと。それには空調で湿度を下げると同時に、外気に含まれる海塩を遮断せねばならない。
これらをすべて実行するときわめて静かな運転ができることは確かめられている。
2025年03月10日
ポイントを作る
市販品のポイントのフログで落ち込むのが嫌だという話も聞く。どうすれば良いかと聞かれる。答えは単純でフランジウェイを狭くすることである。ウィングレイルを太くするのが簡単だ。ノーズレイルを伸ばすのも忘れずにやるべきだ。筆者の非対称フランジウェイの記事を見せると、意外にも興奮する人が多い。すぐやってみて、うまく行ったと聞く。
その人に「ポイントを自作すれば良いのに」と言うと、ご機嫌が悪くなる。
「そんな難しいことは出来ない」のだそうである。
筆者は中学生のころから線路は自分で敷き、ポイントを作っていた。難しい仕事ではない。NMRA規格は決まっているので、そこだけ気を付けるべきだが、あとはごく適当に作っても脱線はしない。


2025年03月08日
歯車の無い蒸気機関車
前後進ができるようにしようと思うと、その通電シークェンスを逆にせねばならず、それをどうやって切り替えるかを議論した。中に制御用のモータを入れ、シークェンサを廻すことにした。そのモータを逆転すればよいわけだ。出力は電流値で決まる。コイルの抵抗は決まっているので、電圧に応じてトルクが変化する。友人とそれで盛り上がったが、それ以上の進展はなかった。残念ながら、その友人Y君は若くして他界した。
それから25年後、UP9000 のジャンクを手に入れた時、またもその夢が想い起された。3気筒だから、動きはより滑らかになるはずだ。当時話題になったリニアモータの小さいものを3つ入れて、コンピュータによるシークェンス制御で順にサインカーヴに似た曲線で動かせばよいはずだ。中央シリンダの持ち上がっている角度も計算に入れなければならない。リニアモータの専門家に聞いてみると、当時はシリンダに入るほど小さなものはまだ開発されていないとのことだった。
仕方が無いのでボイラの中に3つの大型リニアモータを入れ、ロッドでピストン・ロッドを動かすということを、当時は大真面目で考えていた。
今はかなり小さいものがあるようだ。こういうことを考えるのは楽しい。3気筒の機関車はもう1輌あるので、まだあきらめてはいない。
2025年03月06日
Mr.James Tangney

歯車、モータは自分で作り、自家鋳造で細かいものを作るのが趣味だったという。

例の機構で、日本型でなく米国型の機関車のシリンダの内部から駆動したものと同様のものである。こちらの方が時期的に早い。山崎喜陽氏が、それよりも早い時期にD51の記事が出ているので、「D51の記事を送ってみる」と勢い込んで書いていたが、その後それに関する記事はないようだ。ということは不発に終わったと思われる。もしTMSの記事の方が早かったのであれば、意気揚々と何か書いたに違いない。ということはどんなやり取りがあったのだろう。
筆者の疑問点はもう一つある。これが Tangney 氏自身の発想なのか、ある日本人の発想が彼の友人の NMRA の有力会員を経て伝えられ、本来の開発者の偉業を称える形で発表されたのか、である。
筆者はその開発者から日本での理不尽な発表のされ方を聞いていたので、Tangney 氏に直接会って経緯を聞きたかったが、残念ながらそれは叶わなかった。
その頃のBulletinを順に見ているのだが、なかなかそれに関する記述が見つからない。この件に関して何か情報があればありがたい。
筆者もギヤが見えない機関車を作ったことがある。
2025年03月04日
PRR M1

KTMのK4の火室部が太いという話題は過去に出した。その点では、このM1はまずまずである。
40年前、吉岡精一氏がもう一輌のM1を徹底的に作り替え、フル・イコライジングとした。素晴らしい工作であったが、レイルの継ぎ目音がカツカツと響いた。その音が良いということだったが、筆者は好きではない。重ね板バネを付ければ一挙に解決なのだが、OJの人たちはバネをハンダで固めるのが習わしである。
もう20年以上昔、筆者が重ね板バネを装荷してイコライズされた機関車を持ってOJの集まりに行ったところ、
「アイツは分かっていない。」と言われたことがある。それ以降OJの集まりには行かないことにしている。これは宗教の一種であって、話合いでは解決しないのだ。
筆者の機関車はポイントのフログでドスドスという軽い音をさせて通過する。ハンダで固めたものはコツコツ、カチャカチャという感じである。どちらが長持ちするかは自明である。彼らは長距離を重負荷で走らせていないのだろう。

2025年03月02日
折込んだタップの処理

タッピング用の潤滑剤を塗っているので、極めて簡単にネジが切れる。この潤滑剤を使わない人が居るというのは理解できない。クラブの会合で、小容器に入れたものを50円で販売するが、飛ぶように売れる。実はその容器が50円なので、実質的にタダで頒布しているわけだ。
折れた断片が入ったまま放置してあったが、今回思い立ってステンレス・食塩水による除去作業をした。

作業後、ステンレス容器に錆が付いたのを洗うのはかなり面倒であるが、このような牛乳パックならそのまま捨ててしまっても良い。

油は完全に取れていたようで、1週間でタップは見事にサビの粉になっていた。歯ブラシでよく擦って砲金の面を清掃した。
2025年02月28日
Santa Fe の Northern

実物は客貨両用の高速機で動輪径が80インチ(2032 mm)の巨人機である。砂漠の中を無停車で走るために長大な16輪テンダを付けていて、重油を27トン、水を92トンも積んでいる。
初期型は動輪径がやや小さい73インチ(1853 mm)であったが、進化して最終型は大きな80インチ動輪を付けた。圧力も 300ポンド(約21気圧)となり、極めて高性能な機関車となった。この模型の動力を改装してから、もう25年も放置してしまった。各種の部品をロストワックス鋳物に取り替えてあるが、動力逆転機が外れている。

「こんなのあり得ないよ。」しかし、ほとんどの線区でこの状態で走っていた。トンネルがひとつしかない鉄道であったからだ。
テンダはあまりに汚いので、洗った。 塗色が単色で簡単であるので、すぐ塗れるのだが、これも運転室が作ってないのだ。簡単に作って塗ってしまうことにした。
動力はUPのFEFと同等であり、高効率で静粛な動力伝達ができる。貨車100輌を牽いて、当レイアウトを周回できる。
2025年02月26日
Santa Fe の Texas

この機関車は祖父江氏のお気に入りで、「上手く出来た。」と自負していた。
「このでけぇ機関車が、どういうわけか知らねぇが急カーヴを曲がるんだよねぇ。1200Rでも通っちまうんだよ。面白ぇもんだよねぇ。」と言った。
テンダを作り直している最中に代わりのテンダをアメリカのジャンク市で見付けて購入した。この機種のテンダはかなり大量に輸入されていたらしく、あちこちで見たし価格も安かった。買ったと祖父江氏に伝えると、
「テンダなんて箱だよぉ、いっくらでも簡単にできらぁ。でもねぇ、ボイラはそうはいかねぇよ。苦労するぜ。」とのことであった。

この機関車の先台車は1軸であり、その復元力を強くしておかないと曲線から直線に入っても機関車がまっすぐ向かない。
強力モータを付けてあるので、単機で100輌牽いて坂を登れる。現物の写真もたくさん撮ってあるので、塗装が楽しみだ。
2025年02月24日
C62の動輪
手元に C62 用の動輪があった。それが昔の 1/43 用だと信じていたが、測定すると 39 mm であった。これは OJ用 であって、使えない。いくら磨り減ったタイヤでもここまでは小さくならないだろう。
動輪を沢山持っているが、その殆どがアメリカ型の動輪セットで、日本型に使えるものは少ない。41 mm 径はほとんどなく、42 mm径は沢山ある。80インチの機関車用だ。
80x25.4 ÷ 48=42.3という計算である。
タイヤはスティール製だ。磁石に付く。快削鋼でニッケルメッキが施してある。これは賢い方法で、見た目が綺麗で、走らせればタイヤ踏面が削れてスティールが出る。牽引力は大きい。相手がスティール製レイルであるということも大きなファクタだ。集電は良い。
さて、この 1/42 の C62 をどのように料理しようかと考えている。動輪を3Dプリントして、それをブラス鋳物にしてもらうという手がある。タイヤは快削鋼だ。ついでにクロスヘッドなども発注して磨き、メッキを掛ければ簡単だろう。
2025年02月22日
C62
カツミ製でボイラ、キャブが 0.3 mmの板なので、下手に持つとめり込んでしまう。さらに、台枠は 1 mm厚でへなへなである。台枠の下に線路ぎりぎりまで鉛のブロックをぶら下げてあり、それで牽引力を稼いだのだろう。当時の客車の抵抗は大きく、12輌編成を牽くには仕方が無かったのだろうが、これから鉛を外すだけでも大変な作業だ。ボイラ中には融けた鉛を注ぎ込んであるようにも見える。軸もクランクピンもガタガタに減っていて、修理するのはほとんど不可能である。

その上廻りを持ち帰って手元のカツミ製C62と比べると、ほとんど同じ大きさであった。公称 1/42 のダイキャスト製と 1/43とされている板金製とは同寸と言っても差し支えないほどであったのには驚いた。ひょっとすると、カツミ製を採寸して作った時に計算して1/42だと思ったのかもしれない。寸法は0.5 mm刻みに丸めてあるようだ。
このカツミ製は祖父江氏の設計であった。1/43にした理由は酒井喜房氏の計算による。Oゲージでは、クロスヘッドがクランクピンに当たらないようにするにはここまで大きくせねばならなかったのだ。このことは戦前に模型鉄道という雑誌に書いてあるから、いずれコピィをお見せしよう。
OJではそういうことは考えなくても良く、1/45になった。40年ほど前カツミから売り出された OJゲージC62も祖父江氏の設計である。筆者が名古屋の東山植物園に保存されていたC6217号を隅から隅まで撮影した写真から作られた。当時の園長氏にコネクションがあり、特別の許可を得て、上に跨って撮った写真だ。
それ以降のカツミ製 OJ模型は全て内野日出男氏の設計である。
動輪、従台車、テンダ台車などは持っているので、意外に簡単に組み替えられるような気がしてきた。ロッド類は3Dプリントで作って金属に置き換えれば簡単かもしれない。あまり手を掛けるつもりはない。ただ、改修を終えた「はと編成」を動かす機関車が必要なだけなのである。
2025年02月20日
cab interior

その昔、アメリカの輸入業者 Max Gray はこのような怪しいバックヘッドを付属させていた。大型機も小型機も同じで、軟らかい鉛合金製だった。いくら何でも、これではまずいと思い、自分で作ることにしたのだ。
しかしここに拘ると永久に出来ないので、前回の 2-8-0 では大幅に譲歩してそれらしく作っただけである。その前の ATSF 4-6-2 でもかなり手を抜いた。
覗き込む人は居る。しかし多分知らないだろうとは思いつつ、 分かっている人が見るとどう思われるかと考えると、手を抜けなかった。それで30年ほど呻吟していたのだ。
最近はあちこちで保存機の蒸気機関車を動かしている。その様子の動画などを見るとキャブ内が写るが、外から写しているので、ほとんど分からない。それを見て少し勇気が湧き、簡単に作ることにした。

左の図はUPのFEFの cab interior である。この通り作ったので大変な手間が掛かった。これは図面が手に入ったので、その意味では楽であった。、無いとかなり困る。
塗装してはめ込むと気分が良い。ハンドル部には例の赤い塗料を塗るのがミソである。これが塗ってあると、殆どの人の眼はそれに注意を奪われ、部品や配置については注意力が向かないようだ。
2025年02月18日
貨車の飽和
自宅にもかなり持ち帰った。博物館の収蔵方針としては、ブラス製または木製キット完成品以外を置かないことにしているが、現実にはプラスティック製数十輌が昼寝している。殆ど Weaver の 50 ft boxcar と40 ft covered hopper, ballast car である。
運営委員と相談の結果、これらは売却すべしという結論になった。読者の皆さんの中で、これらの貨車の譲渡を希望される方がいらっしゃれば、適価でお譲りしたい。車体の質量は当鉄道の基準に合わせてあるから、走行性能は極めて良い。車輪はステンレス製Low-Dのピヴォット軸受けが標準である。
とりあえず40輌ほど処分することになる。
ご希望の方は連絡されたい。写真等をお見せする予定だ。連絡先はコメント本文中に書いて戴きたい。「私信」としてお送り戴ければ、公表することはない。
2025年02月16日
設計力
ほとんどの模型人は外見の良し悪ししか興味がないのだ。そこにこの素晴らしい動きの可能な模型が登場したので、このような会話があったのだ。全くの無音で作動する。歯車の性能がものを言う。組立マニュアル通りであれば完璧に動作する。
Z 氏のようなことを言う人は意外にも多い。理屈なんてどうでもよいと思っているようだ。物体が止まっているのも、動いているのも理由がある。止まっているものを動かすのは力が要る。この加速度という概念が分からないと理解ができない。生活の中で車が動いたり止まったりするのは見ているはずなのだが、模型を正しく動かすにはどうしたらよいかとは考えたくないらしい。買ってきた歯車とモータをゴムチューブで繋げば出来上がり、ということにはならない。それを実現する力の伝達方法もそう簡単ではない。
大きなものは壊れやすく、小さなものは壊れにくいということも分からない人が多い。このあたりのことはこの記事にまとめてあるが、読んでいる人は少ない。読んでも理解しようとしない人も多い。
コンピュータが発達して来て、数式を入れるとグラフが出るようになった。なぜそういう式になるのかを考えられなくても、やった気になるらしい。20年ほど前、キィボードの一つを押しただけなのに「僕が計算しました。」と言う人が現れた時は愕然としたものだ。
歯車を発注すると「私の設計です。」と言った人が居るのにも驚いた。測定器のスウィッチを入れて出力のグラフを得ると「測定しました。」と言う人が居るが、それにはもう驚かなくなった。
ものを言う前に考えるということを人生の中で学ばなかったのだろうか。
ものづくりは難しいものだ。日本が国際社会でそれなりの地位を占めるようになれたのは、このものづくりの哲学が正しかったからだ。某隣国製品がどれをとっても駄目なのはその辺に大きな違いがあるからである。しかし、模型の分野ではそれと大差ないことを臆面もなくやる人が居る。しかも「私は正しい」と思っているというから驚く。
2025年02月14日
続 石炭を積む

わずかに中心部が膨らむことを確認する。スプレイの黒を十分に吹き、乾燥させる。大きさの変化は少ない。




夕張炭という名前を出したら、敏感に反応した人が居た。石炭を使ったことがある世代の人たちである。昔、東京に行くと妙に石炭の煙が臭かった。おそらく常盤炭のせいだろうと思う。夕張炭は火力の強い高級品であり、ストーヴには安物の石炭を使っていた。それで良かったのだが、蒸気機関車用の石炭を燃やしたら、鋳物のストーヴが白熱して融けてしまったという話を聞いたことがある。鋳鉄は 1200 ℃で融けてしまうのだ。
2025年02月12日
石炭を積む
石炭をぎっしり積むと重過ぎるし、石炭がもったいない。黒い厚紙で作ったハリボテを用意し、そこに厚さ 5 mm程度を積む。


アメリカの石炭は細かくしたものを積んでいる場合がほとんどだ。イギリスでは塊が積んである場合がある。
今回の仕事のために石炭の塊を崩した。なかなか面倒な仕事である。目に沿って楔を入れて割り、袋の中で割る。篩(フルイ)で振って大きさ順に分け、さらに砕く。一度やると半年はやりたくない。
以前やったように、スポンジを薄く切って黒く塗るという手もある。どちらが良いかは微妙な問題もある。



2025年02月10日
視力の回復

道路の交差点で信号機の上に表示されている地名が読めなくなった、検診を受けに行ったら、即手術すべしと宣告されてしまった。また車の運転は控えていた。よく知っている道しか走らず、逆光時はほとんど見えなくなるので日中しか運転しないようにしていたのだ。

塗装したものを直射日光下で確認した。おかしな点はなかったが、多少はみ出したものがいくつかあった。刷毛で補正塗りをした部分がはみ出していたり、塗りむらがある。そういう失敗に気が付かなかったのである。ナイフの先で削り落とし、細い筆で修正した。
眼が良くなると、今まで全く気が付かなかったものが見えてしまう。廊下の隅に落ちているゴミが気になって仕方が無い。家じゅうに掃除機を掛け、ぞうきんに洗剤を付けて拭いて廻った。鏡を見るとそこに写っている人が自分自身であるという現実を突き付けられ、愕然とした。
慣れるまで、時間が掛かる。費用は保険で賄われたので、出費がほとんどなかったのには驚いた。
2025年02月08日
素晴らしい動きの模型を作る能力
それとは別に、線路が敷かれ、動きの素晴らしい模型群がその動きを披露する。以下はA氏の模型の動きを見て交わされた会話である。
X すごいですね。こんな動きをするとは思わなかった。起動して動輪がシュルってスリップしますね。
Y こんな模型は普通の人にはできないよ。本当にすごい。
Z 工作機械を持っているからできるんだよ。
W それは聞き捨てならない表現だな。
Y そうだよ。機械を持っているだけではできないさ。設計する能力が無きゃね。
Z 工作機械を持っていなきゃできないよ。
Y 違うんだよ。工作を出来るか出来ないかの前に、そういうものを設計できるかどうかが大きな問題だよ。
Z でも理屈は単純だから機械があれば出来るんじゃないの。
要するにZ氏は機械を持っている人は誰でも出来ることだと言っている。
Y Zさんは勘違いしているよ。この素晴らしい工夫を凝らした機関車をどのように作るか、その事前の性能策定が必要なのだ。これは作者の能力そのものなんだ。誰でも出来ると思ったら大間違いだよ。
W ほらこの継手の位置を見てごらん。台車の回転中心の上にある。dda40xさんのブログに書いてあった角速度を一定にする工夫だ。分かっている人が作っているという証拠だ。世の中には間違った作例は無数にあるが、これは完璧だ。
X そういう基本的なことを押さえた上で、設計されているのだね。重いものを力を入れて廻すのだから、角速度が一定というのは大事だ。
Z氏は間違いを認めざるを得なかった。この後、Y,W氏に詳しく話を聞いて、この模型の凄さを再認識した筈だ。
クラブはこのような教育の場でもある。
2025年02月06日
俯瞰記事について
表紙を飾るレイアウト写真は、平野和幸氏製作の第1次千曲鉄道からインスパイアされたものと分
私は海外の鉄道雑誌を眺めることが好きで、
要因の一つは、記事の画像は全て製作者が撮影、
と申しますのは、日本のレイアウト紹介記事のスタイルが「
ここから言える事は、レイアウトの製作過程を説明する事が主眼となっており、
いつまでも旧態然とした考え方に囚われるのではなく、
2025年02月04日
Overland (UP の 4-10-2) を作る

HOの模型は KTM-WSM で出ているが、あまり正確でない。SP5000のテンダを替えただけであり、砂箱などはやや不思議な形である。また、8800と謳っているがこれは就役当初の8000型である。
この機関車を知っている人は極めて少なく、作ってみたかった。図面は手に入れてあるから、ボイラは自作することにした。テンダは SP のものに長さは近いが、後半の断面形状が異なる。就役当初は石炭焚きであったが、すでに戦前に重油焚きに改造されていた。すなわちテンダはオイルタンクを積んでいる。


祖父江氏はギヤボックスが横から見えるのは避けたかった。なるべく目立たないようにするには縦に細長くして、エアタンク部で隠すのが良い。アイドラ・ギヤを挟んで伸ばしている。当初はアイドラ・ギヤなしでトルクチューブが斜めに伸びているものが多かったが、横から見ると見えてしまう機種があった。ギヤを挟むと効率が低下するが、祖父江氏は互いに素でしかも正しい歯数のギヤを使ってそれを解決している。きわめて静かで逆駆動しても抵抗を殆ど感じない。
潤滑はモリブデン・グリースである。祖父江氏はこのグリースを使うとあまりにも摩擦が減るので驚いた。ウォーム・ギヤには不可欠である。

当初は90度クランクで行こうということになっていた。両側を同時に見る人は居ないので、中央クランクを135度にすれば、模型の走行としてはまず見破られることはないと考えた。しかし、アメリカサイドからは「120度にしないと買わない」と言って来たので、方針を変更した。120度クランクで絶対に躓かないような加工精度を確保するのは難しいと祖父江氏は言っていたが、出来たものはみな素晴らしい走りを見せた。その点でもこの模型は特筆すべきものである。
ボイラとキャブは 90% 出来ているが、テンダは ほとんどできていない。SPのテンダを切り縮めて、継ぎ足すのだ。ここまで来て放置されているので、早く決着を付けたい。毎日やれば100時間くらいで出来そうだ。その種の工作は得意だが、祖父江氏が見たらきっとこう言うだろう。
「そんなまどろっこしいこたぁやめて、捨てっちめぇ。一から作っちまった方がよっぽど早えぜ。」
2025年02月02日
UP の Southern Pacific

運用区間はロスアンジェルス東方のカホン峠である。3気筒機は、2気筒機に比べ、動軸1回転のうちのトルク変動が少なく、勾配での牽き出し能力が勝っていた。SP は50輌以上保有していたが、UP は10輌ほどだった。番号は 8000 と付けられたが、後に8800 と改められた。
しかし、UP はこの3気筒の機関車の出力と速度に不満であった。この動輪径は 63インチ(1600 mm)であったが、少し大きくして 67インチ(1702 mm)とし、さらに1軸足して UP9000 4-12-2 を発注した。これは速度、牽引力とも十分に満足できるものであって、UPは 88輌も購入し、シャーマン・ヒルの勾配線で使われた。しかし、急曲線に強い単式関節機のチャレンジャが登場すると、それらは勾配線ではなくシャイアンより東側の区間で貨物用として用いられた。そういうわけで UP8800 はカホン峠だけで使われた。
3気筒の機関車は田舎では数が少ないので保守コストがかさんだ。1942年にこれを2気筒に改造したものが UP5090 で、カホン峠で蒸気機関車の終焉まで使われた。カホン峠は急曲線が続くので、固定軸距離が長い UP9000 には向かなかったのだ。第二次世界大戦末期にはこの区間にBig Boyを入線させる計画もあった。関節機は曲線でも無理なく使えたからだ。良い水が無いので、テンダを延長し、8軸としたものを採用する計画であったそうだ。
祖父江氏と筆者が改良に取り組んだ SP5000 を Sofue Project として生産することになった。筆者はそれを改造すれば UP8800 になるはず、とその工程を調べ始めた。
2025年01月31日
SP の Southern Pacific(Max Gray)
「こいつにゃあ、苦労したぜ。」と言う。サンドドームを貫通しているスロットルの引き棒の孔を前後で合わせるのが大変だったそうだ。ガタの無い孔で、なおかつ引き棒が曲がってはいけない。正確なジグを作り、ケガキを入れたという。これは難しそうだ。


外観は完成しているが、キャブ内が作ってなかった。そのまま30年近く放置してあったのだ。極めてよく走り、どんな線路状況でも脱線したことがないので、救出用の機関車として重宝していた。自宅のレイアウトで手が届きにくい場所で脱線した貨車があっても、連結さえできれば牽き出せる。牽引力は大変大きく、信頼性があった。
これもキャブ内を適当に作って塗ることにする。重油専焼型の焚口戸はたくさん用意してある。後はメータ類とブレーキだけだ。その程度の部品が付いていれば、文句はない。
32年前この機関車がほぼ完成した時、神戸の震災で亡くなった魚田真一郎氏に見せた。彼はその構成と走りに驚嘆した。
「こんなに実感的であって強力で、滑らかに走る機関車は世界中のどこにもない。」と褒めちぎった。
それでこのレヴェルの機関車を祖父江氏に作って貰い、世に残すべきだと、祖父江プロジェクトを立ち上げたのだ。
全軸イコライジングで、模型としての完成形を作ろうというものである。祖父江氏という類稀なる能力を持つ人に、正しい資料を適切に提供し、物理的、工学的な監修を施した世界最高の模型を作って貰おうということになった。日米の模型人と交渉して、販売先を確保しつつ、資料と部品の入手に尽力した。晩年の祖父江氏はこれらのプロジェクトで忙しかったが、きっと幸せであったと思う。
Sofue Projectとして8機種の製品が誕生し、それらはOゲージ鉄道模型の最高傑作とされている。
この機関車は動輪径が63インチ(1600 mm)であって、固定軸距離がそれほど大きくはないので急曲線の続くSPの山岳路線では重宝されたのだ。
2025年01月29日
今月号のTMS
次の雪原のレイアウトも俯瞰写真ばかりだ。いったいこれはどうしたものか。線路脇に立った時の視点の写真が無いと面白くないだろうと感じるのは筆者だけだろうか。
「私の読んだTMS」という追想記事は今一つだ。「ロンビックのところはよく分かっていないということがよく分かる。」と電話を掛けてきたのが2人も居た。もっとよく理解している人を指名すべきだろう。次のD51の記事は訳アリ記事で、出すべきではなかったかもしれない。このメカニズムの発案者が誰かということは、このブログを昔から読んでいる方はお分かりだろう。
一方、Model Railroader誌の記事はどれを読んでも破綻が無い。この会社では様々な分野の査読に専門家を登用している。昔話になるが、電子工学の分野ではDon Hansen氏が居た。彼のアイデアが面白いのでそれに派生して思い付いたことを投書したことがある。1985年にミルウォーキィで開かれたNMRA convention で待ち構えていた。筆者のアイデアを面白がり、その後長くお付き合い戴いた。彼はMR誌の電気分野の顧問をしていた。非常に優秀な方であるが、筆者のような素人のアイデアをバカにしない懐の深い方だった。
ハンセン氏は15年ほど前から病気になって手紙が来なくなり、2年ほど前亡くなったと知った。残念だった。
TMS誌が1000号を超えて発展するには、彼のような査読者が必要なのである。読者が「分かってない」と見破るような記事では心もとない。
2025年01月27日
続 ディカールを貼る

この製品群は、1984年ごろアメリカでSunnyside というブランドで発売された。日本側の代表者は池田氏であった。彼は某防衛産業に勤務し、テキサスに10年以上いたのでアメリカでかなりの人脈があったのだ。Sunnyside とはペンシルヴェィニア鉄道がニューヨーク東方に作った客車基地の名前である。現在は Amtrak の車庫になっている。
Pennsylvania鉄道に特化した模型群を発売した。T1 Duplexを50輌、P85 Coachを200輌、このカブースを200輌作ったのだ。
最初、T1の製作依頼は祖父江氏に持ち込まれた。アメリカの指定要件(駆動装置、懸架装置他)がおかしいので断ったが、いくつかの部分は作った。この Duplex の機関車は日本の Kodama で作ったが、動力機構はアメリカ製でよく走るとは言えなかった。その設計者は高速回転部の軸を細くすべきだということが理解できない人で、モータ出力の大部分が、グリースの攪拌抵抗で消えてしまうようなまずい設計であった。
その一部のロストワックス部品の製作には筆者も少し関与した。先日原型が出てきて懐かしく思った。
池田氏はその直後に急死され、遠大な計画は雲散霧消した。土屋氏は T1 を購入すると祖父江氏に送り、走行装置を取り替えたので極めてよく走る。
客車は細かく出来ているが、これも板が薄く剛性が無い。脱線すると凹みそうだ。

台車は全体を塗り、タイヤ部分だけを剥がしたのち、ウェザリングを施した。
2025年01月25日
ディカールを貼る
このブログによく登場する Dr.Y はディカール製作に熟達された方で、時々お願いする。以前お見せしたUP850 は彼のディカールが無ければ完成しなかった。いつも素晴らしい鮮鋭度のディカールを作ってくださる。ただ、仕事が大変忙しい方なので納期は指定せず、時間のある時に作って戴く。



端梁の太さは尋常ではない。果たしてこれが正しい設計だったのかは大いに疑問だ。
台車、車輪には色が塗ってない。あちこちタッチアップして埃をかぶせる。石炭は満載する予定で、夕張炭を砕いて準備してある。最近は本物の石炭を入手しにくくなった。
2025年01月23日
Texas and Pacific の Texas


サンドボックスは増設した。裾の丸味はハンダを盛ったものである。これは上手く出来なかったので、祖父江氏にやってもらった。
祖父江氏は大きな銅の焼き鏝を加熱して、サンドボックスをボイラに付けたままで、ひょいひょいと廻して盛ってしまった。その間約2分である。達人の技を近くで見られて幸運であった。50%ハンダを使ったのを確認した。
この機関車は Lima 社の自信作で、主台枠が途中で切れている珍しい一群である。Super Powerというシリーズだ。従台車は無く、曲がる主台枠の後半が、従台車の代わりをする構成であった。Articulated Locomotive という本では、この機関車を関節式の中に入れているほどである。

模型もその構造を再現し、ドロー・バァ(機炭間の連結棒)は後部台枠から出ている。祖父江氏は、「主台枠はここで切れちまって後ろはねぇんだよ。でもねぇ、模型じゃ、モータを入れにゃならねえんでね。」と言った。そのための薄い台枠が火室の途中まで伸びていたのだ。しかしコアレスモータが付いていれば、それは不要であるから切ってしまうつもりだ。
この機関車には祖父江氏の双方向クラッチが付いている。うっかりして箱の中に転動止めの詰め物をするのを忘れて、工作室から撮影のため動かした途端に機関車が動いてカウキャッチャがつぶれた。また作らねばならない。
双方向クラッチはどうも都合が悪いものだ。動輪軸を外して、新規に製作した高効率ギヤ付の動輪軸に取り替える必要がある。これで壊したのは2回目だ。やる気が失せる。
2025年01月21日
Lobaugh の 2-8-4(CNW)

他にも彼が組んだものはあったが、仕掛品はこれだけだった。驚くべきことにディカールが付属していた。1950年代のかなり印刷の甘いものではあったが、使えるかもしれない。早速、膜の補強剤を塗っておいた。駄目なら買い替える。
Lobaugh はその当時からロストワックス鋳物の部品を付属させていた。惜しむらくは、従台車、テンダ台車が軸箱が非可動で、走らせるとオモチャっぽい音がすることだ。すべての軸箱を可動にした。ウェイトは全く付けていないのだが、とても重い。構成材料が分厚いものばかりだからだ。
ボイラは厚肉ブラスパイプを焼き鈍して外型の中に入れ、その内部にプランジャを油圧で押し込み膨らませて作っている。金属バットと同じ製法であり、外型に彫り込んであるディテールが転写されつつ、テーパのあるボイラが出来る。リヴェットなどは完全に表現されているし、各種の補機などの取付穴も同時成型である。それをフライス盤で削ってラニングボードの嵌まり込む溝を付けている。外型は2つないし、3つに分かれるようになっているようだ。火室部分だけが 0.8 mm 程度の厚さの板金工作である。


当時は機関車だけを売っていた場合もあり、テンダは好きなように自作するのが普通だった。木製のテンダもよくあったのだ。
日本製の模型が輸入されるようになり、テンダだけ欲しがる顧客がたくさんいた時代だ。様々な日本製テンダが売りに出ていた。多少形が違っていても文句は言わない人が多かった。あるいは自分で改造する人も居た。
2025年01月19日
Lobaugh の姿勢


地下室の整理をして発掘した機関車の修理・整備・塗装を始めたのだが、あまりにも表面が汚いとやる気が失せる。筆者の処方で酸洗いした。
2種のブラスの色に注目されたい。写真ではその違いが分かりにくいが、肉眼では全く異なって見える。ロボゥのブラスは黄色いのである。どちらかと言うと黄緑色に見えるほどだ。
対するKTM 製は赤い。洗い立てはピンクに近い。銅の含有率を調べると、日本製は80%だ。アメリカ製は75%ほどである。快削性が異なり、日本製には粘りがある。曲げやすく、曲げたものを伸ばしてもう一度曲げても割れない。アメリカ製はそういうことをすると割れてしまうが、糸鋸、ヤスリ掛けは容易だ。
1960年当時、Max Gray は日本のブラスをred brass と呼んで持ち上げた。yellow brass より高級だとしたのである。
筆者はアメリカ製のブラス板を各種持ち帰って、祖父江氏に比べてもらった。両方使ってみて、「あたしゃぁ、やっぱ日本製だね。絞り出せねぇと困るんだよぉ。」と言った。

単純な話だからすぐお分かりになる話だが、進み角を大きくするには、径を小さくせねばならない。実は40年ほど前、最初の3条ウォームを作った時にこの方法で 5 mm軸そのものに歯切りすることも考えた。そうするとボールベアリングの大きなものを採用せねばならなくなり、周速度が大きくなって軸受の中での損失が増えると考え、軸を細くしたのだ。このロボゥの時代はモータがオープン・フレイムの時代だから、その効率は低く、問題にならなかった。当然のことながら、”Free to Roll” とは謳っていなかった。マグネットモータが廻りにくくて、押しても殆ど動かなかったのだ。
歯数は 2/35 で、互いに素になっていることは言うまでもない。良く出来ている。どこかのお間抜けな3条ウォームと比べるのも空しいが、機械工学の分かっている人の製品は大したものである。

ロボゥという会社は、精密機械工作(特殊ネジの製作)を稼業としていた。模型部門は社長の趣味を副業として発展したが、社長の死と共に消滅した。筆者はかなりの数の製品を持っているが、どれも正しい理論に基づいて作られ、当時としては世界最先端の模型を作っていたはずだ。動力部はモータを取り替えるだけで、素晴らしい動きをする。
筆者の高効率ギヤ装置には最適の大きさのボールベアリングが使用されているので、半径比による損失が最小となっていて、それが高効率の実現に貢献している。また、歯車の材質を吟味し、仕上げ精度をさらに上げているので、ロボゥより良くなっている。ギヤを設計するというのは寸法を算数で決めることではなく、歯形をかなり面倒な計算で求めねばならない。歯車屋に行って「これと同じものを作れ」と言ってもできない。そういうことをした人は居るようだが、出来て来たものは動きが渋いのは仕方ない。
2025年01月17日
続 UP7000(Lobaugh製)

通電すると起動に 3 A も喰ったが、12 V で適正速度であった。モータを外し、動輪はフランジの形の良いKTM製と取り替えた。軸が1/4インチ(6.35 mm)であるのは太過ぎるので、5 mm軸にした。軸箱は3/8インチ(9.52 mm)角である。これを10 mm角にした。ボ−ルベアリングは内径 5 mm、外径 8 mm で統一している。
このボイラはとても重い。厚さが 3 mm弱のブラスパイプでできていて、内外の型の中で押し出されて作られている(後述する)。
直接のハンダ付けは難しいので、あちこちに孔をあけ、2-56(約 2.2 mm のネジ)のタップを立てている。相手が厚いのでネジはよく利いている。
この機関車には、形だけは正しいYoung 式ヴァルヴギヤが付いていたが、理屈を理解しているようには見えなかった。
モーション・プレートがヤング式用のものなので、丁寧に作り替える予定だ。構造は難しくないので、壊れにくく作って動きを楽しみたい。
このヤング式は祖父江氏が作ってみたいとは言っていたが、実現されなかった。おそらく実物通りに作動する模型は日本にはないのではなかろうか。
テンダは異常に重い。1.7 kgもある。普通は 500 g程度であるはずだ。床板は鋳物である。タンク部はエンドも一体の構造で、厚肉パイプである。前方の四角の炭庫部分は鋳物を削り出してある。踏んでも壊れないだろう。側面に付いている工具箱はムクの角棒を削ったもので、厚板を組み合わせてテンダ台枠にネジ留めである。
台車は捨ててバネの利くKTM製に取替え、ボールベアリングを仕込んで Low-D 車輪を付けたので、実に滑らかに走る。バネがつぶれているので、硬いバネに取り替えざるを得ない。
2025年01月15日
UP7000(Lobaugh製)
もう1輌のロボゥの機関車の主台枠は鋳物で新製した。細かい細工をしているときに少し捻じれてしまい、戻すと折れそうになったからだ。太いネジ貫通孔を沢山あけ過ぎである。これはロボゥの欠点だ。主台枠は作り替えることにした。
祖父江氏は中に補強を入れれば捻りに耐えるようになるので、実用になるとは言う。預けていた別の台枠が帰って来たものを見たら、なんと厚さ 5 mmの板を切ったものを3枚もはめ込んでハンダ付けしてあった。さらに軸箱護りが実物のように噛み合うようにしてあったのだ。これくらいやれば壊れないよ、ということであったが、もっと単純な解決がしたかった。

この原型は鋳縮みを計算して作る。砂に埋めて固めたのち、熔湯を注ぐと発泡スチロールは蒸発して空洞になり、その空間が金属で置き換わるという手法だ。発生するガスは負圧にして吸い出すのだ。
鋳物が出来上がったが、一部失敗して欠損したと言う。新たにやり直すにはもう一つ原型が必要なので、そのまま発送して貰った。台枠の後ろを切り離して削り、ブラスの塊を嵌め込んでハンダ付けしてから、縦フライスで切り出した。難しい仕事ではなかった。
軸箱護りもフライスで削り出し、パイロットをガス火で焙ってハンダ付けした。シリンダはロボゥの製品だ。上廻りを載せ、高さを調整してネジで締めた。製品よりかなり重くなった。台枠が厚い鋳物になったからだ。しかもネジは細い M2 の止まり穴だから折れることはない。しかしタップは#3まで使って奥までネジを切る必要がある。ガラはこういう仕事では威力を発揮する。
テンダはロボゥのオリジナルだ。かなり重厚な感じであるが、好きな形ではない。台車は非可動の砲金鋳物なので、捨ててバネの利くKTM製に取替える。
2025年01月13日
UP7000
あと、これと同型の KTM製2輌と、Lobaugh製1輌 がある。図面を調査すると、Southern Pacific のマウンテン MT は、UP の7000型の同型機であることが分かる。動輪は73インチ(1854 mm)で、パシフィックよりも小さい。これらは当時世界最大のマウンテンであって、最強力機でもあった。当時はSPとUPは同じ機種を採用していたことが多い。Max Gray がこの二社の機関車の模型を相次いで発売したのは当然である。
祖父江氏が MT を作り、それを KTM の別の下請け工場でコピィしてUP7000を作った。そのコピィの方をジャンクで手に入れた。テンダが無かったのでスクラッチから作った。UPの9000 (4−12−2) のテンダと同形のものを設計した。材料が厚過ぎて重くなったが、ボールベアリングを付けてよく走るようにした。それを別の機関車に流用したので、この写真のテンダはSP5000用を仮に置いてある。
1977年、ボールベアリングの装着を始めた頃だった。重いテンダの走りを改良するためにはボールベアリングを入れるしか方法がなかった。機関車の改良はその後である。
祖父江氏に見せると、「こいつぁ参ったね。こんなによく走るたぁ思わなかったよねぇ。よぉし、機関車に付けてやらぁ。」と言って、機関車にボールベアリングを装着した。
驚いたことに、その改装が終わった機関車には双方向クラッチが付いていた。工場の試運転線のSカーヴを端から端まで惰力で走った。当時は逆駆動できるギヤが無かったし、コアレスモータも手に入らなかった時代だったからだ。
「素晴らしいですね!」と褒めると、祖父江氏は自虐的に言った。
「おいおい、勘ちげぇしちゃあいけねぇよ。こいつぁオモチャだぜ。本線上でこんな走りじゃあ、事故を起こしちまわぁ。」
その通りである。合葉氏も同じことを言われた。筆者は祖父江氏が作ってくれた双方向クラッチを装備したパシフィックを持っているが、本線上で走らせたことはない。試運転線でも完全に平坦であることを確認していないと、怖くて運転できない。摩擦の多い車輌を牽けばそれなりの走りを示すだろうが、単機では危ない。そういうことを知ってか知らずか、この機構をほめそやす人が居るが、危ない話である。ボールベアリングを装備した客車を牽かせるのは怖くてできない。
2025年01月11日
Southern Pacific の Mountain


キャブの中は見えにくいので、いつものようにごく適当に仕上げた。美しい塗装ができれば、誰も文句は言うまい。
配管はある程度正しく、綺麗に仕上げなければならない。給水温め器は日本にはないタイプだ。
数輌の客車を牽いて走ればよいので、走りは静かであれば合格点を与えられる。
この調子で行けば、毎月1輌完成させられるかもしれない。ディーゼル電気機関車と異なり、全て異なる細工なので気が滅入ることがない。塗装も楽しい。ディカールは全て用意してある。