2024年06月15日

古い木製貨車を完成させる

36-ft wood reefers (1)36-ft wood reefers (2) この2輌の冷蔵車は当鉄道での車齢は約40年である。木製キットで、側板と妻板だけが出荷時に塗装してあった。文字も印刷してある。塗料はFloquilであると書いてあった。合う色を探すと Tuscan すなわちトスカーナ地方の屋根の色である赤褐色である。これを90%完成の状態で放置していた。
 オリジナルは薄い板だけで構成されているので軽く、また壊れやすかった。厚さ10 mm程度の木板を正確に切って箱を作り、それに側板等を張り付けた。屋根には鉛合金のハッチ等を付けて塗装したが、細かい部品が未装着であった。手摺、ブレーキホィールなどを付けて完成に持ち込んだ。

 細い部品に塗装してもすぐはがれるので、ミッチャクロンを塗り、はがれないようにした。この下塗剤は非常に優秀であって、愛用している。

 扉の蝶番は印刷されただけであって寂しかった。3D-プリントで作った部品を貼り付け、それに黒い塗料を沁み込ませた。こうすると粗粒面の隙間はかなり埋まって鋳物然とした感じになる。本物はごてごての鋳物である。

 追加した部品は筆で手塗りしたが、他の部分との差ができてしまったところもある。全体に艶消し剤を塗ると目立たなくなるだろう。

 Yakima Valleyのリンゴはとても美味しい。しばらく前に博物館に来訪したアメリカ人は Washington州出身で、この文字を見るとホームシックになると言っていた。  

2024年06月13日

ある構想

 友人が真顔で言う。
「鉄道模型のある養老院を作ってくれよ。あなたは人望があるから、声を上げれば手を挙げる人が居るはずだ。」

 世の中には面白いアイデアを詰め込んだ老人施設がある。ギャンブルを楽しむ施設などがあるのだから、鉄道模型のある施設でも何ら問題ない。
 当博物館の隣は銀行だったのだが、過疎化が進んで店を畳み撤収してしまった。建物は立派なものが残っている。駐車場も広い。その向こうは大きな呉服店であったがこれも店を畳んで安く売りに出ている。向かいの大きな医院も廃業して久しい。この町にはそういう空家がたくさんあって、売りに出ているものがたくさんある。

 工作室を完備した老人ホームというのは楽しそうだ。建物は沢山あるから、ゲージ別に分けるのが良いだろう。医院の駐車場は建物1階部分に屋根付きの大きな面積のものがあるから、ライヴ・スティームも可能だろう。

 先日地元の有力者にその話をしたら、「面白い。町興しの一つの材料になるかも知れない。」と言った。 

 筆者には人望もないし、運営のノウハウもないから、すぐにできるわけでもないが、話としては面白い。家族に死に別れて一人住まいするよりも、汽車に囲まれた人生の方が楽しいと感じる人には良さそうだ。
 この話は50年近く前、椙山満氏からも聞いたことがある。椙山氏は医師であったから、そのようなニーズを感じていたのかもしれない。

 ある人は茶化してこう言った。「制御系の経年劣化が予想されるので、レイアウト上の事故が心配だな。」 

2024年06月11日

客車の屋根を曲げる

 仕掛かりで6年も放置されていたものだ。邪魔になるし、せっかく切った材料を紛失することにもなりかねないので、組んでしまうことにした 。  
 窓の少ない機種で、あっという間に切り抜きは終わりだ。ドアをオフセットして取り付ける。例によって十二分にハンダ付けし、耐衝撃性を持たせる。

 屋根は例の丸金床で曲げる。この金床は仲間に頒けたが、皆さん使っているのだろうかと心配になる。友人宅で見かけたのには錆が出ていた。使われていないのだろう。上部以外はさびどめ塗料を塗っておくべきだ。

IMG_4234 屋根材は厚い方が細工はしやすいので t 0.7 を用いた。まず端の部分を小さい半径の金床で曲げる。ゴムハンマで順に送りながら叩く。



IMG_4235 両端を強く曲げてから、大きな半径の金床で少し戻すと、所定の半径になる。




IMG_4236 失敗しても再度強く丸めて戻せばよい。中間部分の大Rはごく適当に手で握って丸める。本物も曲げているのは両端の小R部分だけで、中間は自重で骨に合わせて曲がる。模型はそうはいかないので、手で握って曲げるわけだ。曲がりが足らない程度にしておき、大半径の金床の上でゴムハンマで軽く叩くと少しずつ丸味が付く。

 筆者はこの方法で客車を10輌ほど作っている。実に簡単であり、気楽な製法である。厚い材料を使えるので、丈夫で安心して扱える。しかも多少加工硬化しているので丈夫である。

 金床の跡が見えるようなら叩き過ぎである。最終的には表面を800番程度のサンドペーパで仕上げると凸凹はなくなる。板が厚いので、木片に巻いたサンドペーパで凸部だけを落とすことになる。屋根は艶消し塗装なので、全く問題ない仕上がりとなる。本物もかなり凸凹しているものなのだ。
 総型をつくって押すのは高くつく。ほんの15分くらいで簡単に曲がるので、お勧めしたい。

2024年06月09日

続々々 分岐を3D‐プリントで作った⁉

 もう一つ大きな問題がある。フログが全金属製でないところだ。彼は「これでも走る」と言うが、いつまで走るのかは不明である。欠線部を正しく作れば、良い音を立てて滑らかに走るが、欠線部が大きく、さらにそれが樹脂製ではボコボコという音を立てて、そのうち脱線するようになる。最近はDCCでの結線自動切替が主流になって来たので、全金属製にしても何も考えることがなくなってしまった。
 また、その分岐の枕木の長さは正しいとは言えなかった。さらに言えばフログ近傍の枕木の間隔は狭いはずだ。

 彼らはレイルを削ったことが無いと言う。大きなヤスリを買ってみようかと言っているので驚いた。良い万力も持っていないようだ。この際小さなフライスを買うように勧めたがどうなるだろう。
 トング・レイルをどうするかはまだ全く考えていないらしい。板金を曲げて作るなどと恐ろしいことを言う。加工硬化させていない材料ではたちまちヘタってしまう。そういう経験がないのだ。

 Nゲージから参入した人たちで、鉄道工学の本を読んだことも無く、ハンダ付けの経験も少なそうだ。放置すれば必ず失敗することが見えているので、つい口を出してしまったが、余分なことであったような気もする。
 模型を作る前に実物、他の模型の調査をして、どうすれば良いものができるかを考えるべきだ。作ってみて自己満足に陥っているようにしか見えない。世の中のものがどのように出来てきて、どんな進歩があったのかを知ろうとしないようでは、ろくな物が出来ない。
 せっかくLow-D車輪を使っているのに、消化不良で悲しい。

 緩和曲線が無いのも気になった。大したことではないのだから設置すれば走りが格段に滑らかになるのだが、分からないようだ。カクカクと曲がるので、気分が良くない。大半径の曲線を一本挟むだけなのだが、スペイスが足らないと言う。不思議な言い訳である。

 Low-D車輪の話題が出たついでに広告をさせて戴く。OJ用 Φ19長軸車輪(バックゲージ28.5 mm)の在庫がある。
 ご希望の方はコメントを通じて申し込んで戴きたい。メイルアドレスを書き込む部分があるが、どういうわけか動作しないのでこちらからは読めない。本文に連絡先を書かれたい


2024年06月07日

続々 分岐を3D‐プリントで作った⁉

 3D-プリントなら自分でスパイクする必要が無いので、レイルが嵌まる部分を少しずらすことは訳ない。ガードレイル側を 0.5 mm程度寄せるぐらい一瞬でできる。おそらく人間の目では検出できない程度のズレである。車輌はフログの護輪軌条上の誘導でまっすぐ走るので、ますます気付かない。

 その会場では両渡りが展示してあったのだが、そのクロシングがこれまた奇妙なのだ。フランジウェイが広いので間が抜けている。こういう場合はゲージをわずかに狭めると同時に、護輪軌条を拡げる。全車輌が通過できるバックゲージ+0.2 mm程度の余裕を与えれば極めて滑らかに走るようになる。
 走行性能を確保しながら、ファイン化が実現できるのだ。

 そのポイント、クロシングでは、すべてのガードレイルが完全な直線であったのには驚いた。フログ部分で所定の寸法になるようにわずかの弓型にすべきである。本物を見てごらん、と言っておいた。この模型の作者は、実物の観察が足らないと感じた。分岐を渡る時の車輪とレイルヘッドの当たり具合をじっくり見るべきだ。通れば良いわけではない。

 Nゲージのポイントは、ただ通ればよく、落ち込みとか音に関しては考えているようには見えない。

 また、フログの材質には大きな問題があった。


2024年06月05日

続 分岐を3D‐プリントで作った⁉

 数年前、ファイン化という言葉をよく聞いたが、最近は下火になった。「線路ゲージが実物と同じものがファインスケール」などと、おかしなことを言い立てる人は明らかに減って来たので安心している。

 模型の車輪がファイン化するとどうなるかということを、厳密に考える人はきわめて少ない。フランジを低くするとか、踏面を細くするなどという奇妙な結論に走る人が多かったが、それも少し減って来たように思う。

 正解は、ファイン化するとフランジが薄くなる」のである。これについては30年以上前に吉岡精一氏と意見が一致し、互いに「日本で初めて気が付いている人に出会った」と意気投合した。フランジ角度がある程度決まっているから、フランジ高さは自然に決まるのだ。すなわち、フランジの高さを先に決めているのではないのだが、ここを勘違いする人は相変わらず多いと感じている。

  Low-D では線路規格の許す限りフランジを薄くしている。一方、フログのフランジウェイは規格の最小限度まで狭くする。
 バックゲージ(back to back)は決まっているので、フログの反対側のガードレイルは少し軌道中心に寄ることになる。
 PECOはそうしている。ネジで動かせるようになっているのだ。これは、線路ゲージを動かさない(すなわち、既存の製品を使う時の方便である。)とした時の話だ。分岐全体を作るのなら線路ゲージをその部分だけ僅かに狭めれば良いことだ。そうしても、誰も気が付かない。これは直線側だけにする方が良い。曲線は軌間が狭いと通らないものもあるかも知れないからだ。もちろん、フログが直線を交差させた形のものなら問題ない。

2024年06月03日

分岐を3D‐プリントで作った⁉

 最近気になることがある。3D‐プリントが進歩して、それで分岐を作る人が出てきたのだ。サイズは1/45である。それを見せられて大きな違和感を抱いた。一言で言うと、Nゲージを大きくした様なものだ。フログが樹脂なのである。これはまずい。あっという間に凹んで脱線するようになるだろう。大きなものは壊れやすいということが分かっていないのだ。

 材質もそうだが、フランジウェイが広い。ここが広いと欠線部が長くなり、落ち込みが大きいから、より早く消耗する。
 見せてくれたものは、あまりにもおかしな設計で驚いた。これでは駄目である。経験のない人が作ったものであることがすぐわかった。


 分岐の製作には、経験が必要だ。どうすると壊れないか、どうすると静かに通過するか、をいくつか作ってテストする必要がある。それをすっ飛ばして作り、「すごいだろー」と見せられても眩暈がする。

 バックゲージを合わせましたとは言うけれども、それでは足らない。最近はよりファイン化が進んできたのでフランジが薄い。すなわちフランジウェイを狭くできるのだが、やっていない。

 このあたりのことが全く分かっていないようで、左右均等の広いフランジウェイの奇妙な分岐ができたのだ。


2024年06月01日

DU を実演

 静岡で催されたトレイン・フェスタに行った。所属するクラブが参加したからだ。たくさんのクラブが出展していた。その中で目を引いたものが一つあった。

 Kadeeの特長の一つであるDelayed Uncoupling を実演していた。看板にそれを掲げての実演は初めて見た。HOなので、狭い机の上の一角で展示できる。一階のメインホールの中央東付近であった。
 機関車は1輌、貨車は10輌ほどだ。線路には磁石が8個ほど埋めてあった。写真がうまく撮れなかったのは残念だが、日本での展示は初めて見た。もっと多くの場所でやるべきである。それには連結器の整備が大切なのだ。

 車輪はそれほど軽く回転しないので、好都合のようだ。機関車の片方の連結器だけの操作であるのは、不満だ。連結器は前後にあるのだから、両方につないで二か所に振り分け、それを仕立て直すという場面が見たかった。実物でもそのような方法は日本ではやっていなかったので、思いつかなかったのだろう。反対側のヤードに機廻り線があれば簡単に実現できる。

 機関車の低速性能はかなり改善してあったようだが、筆者の目から見るとまだ足りない、と言うのは贅沢なリクエストだろうか。

2024年05月30日

アメリカの道を走る

 今回もかなりの距離をレンタカーで走った。ガソリンはテキサスが一番安く、1ガロンが3ドル弱であった。すなわち 1 L が110円程度だ。ところがロスアンジェルスでは異常に高く、1ガロンが5ドル強であった。つまり、1 L が200円以上である。日本より高い。こんな経験は初めてだ。大排気量の車に乗っている人は困るだろう。

 テキサスの田舎道を走ると、その制限速度に驚く。2車線の分離帯のない道でも 70マイル/時である。これは時速110 km以上である。車線の幅は 5 mほどで、路側帯はそれと同程度の幅があるが、舗装されていない。その外側は砂漠のような畑である。このごろの車は車線をキープする装置がついているので安心であるが、対向車にもついている保証はない。大型トラックとすれ違う時は、さすがに怖い。

GPS speed 今回はNISSANのROGUEという車に乗った。滑らかに走る良い車だった。速度計がきわめて正確である。この写真で分かるようにGPSの速度とパネルの速度とは一致している。70マイル制限のところを65マイル/時で走っているところである。すなわち速度計は誤差がないものを作れる時代なのだ。前回乗ったTOYOTAも誤差がまったく無かった。
 ところが日本で走っている車は全ておかしい。速度が7%多めに表示されるように作ってある。昔からある誤差の計算式によって許される最大の誤差をあらかじめ設定してあるのだ。107 km/時が表示されているとそれは100 km/時で走っていることになる。スピード違反しにくくなるからありがたく思え、ということでもなさそうだが、実に不愉快だ。高速道路の容量が7%減ってしまう。そのような権限は国土交通省にはない。

 同じ車を日米で同時に走らせて日本の方が7%遅く走るように作られているというのは、どう考えてもおかしい。

2024年05月28日

またまた Original Whistle Stop

Original Whistle Stop 帰路、ロスアンジェルス郊外の友人を訪ねた。その時に思い付いてパサディナの模型店を訪ねた。店主の Fred とは、1985年からの付合いだ。祖父江氏を伴って訪ねた。その2週間後ミルウォーキのNMRAコンヴェンションの会場で再度会い、筆者のFEF2,3を見て仰天したのだ。祖父江氏の3条ウォーム改造の代理店契約を結びたかったらしいが、それほどの数もなさそうなのでそれは立ち消えとなった。しかし、その後さまざまな局面で助けてもらった。

 今回は1時間弱の訪問であったので、模型は見せずもっぱら動画を見せ合って話した。この動画はYoutubeで見たが鮮明さと滑らかさに欠けると言う。そこでオリジナルの動画を差し上げた。

 慣性増大装置の動作を見て驚嘆し、仲間を呼んで見せた。
「凄い!お前はいつも世界の最先端に居る。」と言ってくれた。お世辞であっても嬉しい。
 パシフィックが単機で、ゆっくり前後進し、その度にスリップして止まる場面を見せた。極端な低速であるが、それでもスリップするのが面白いそうだ。
「一体、このテンダはどれくらいの質量があることになるのだ。」と聞くので、「約430ポンド相当だ。」と答えた。
「ワォ、それはすごい。まさか本当にその質量を持つと思う奴はいないだろうな。」
「それが居たんだよね。」と、かいつまんで話した。
 彼は爆笑してこう答えた。
「アッハハハ。簡単にできると言うなら、どうして今までそれを誰も見たことが無いのか教えて欲しいね。」


2024年05月26日

続々々々々 Tomの娘

Tom Harvey 1941 Paulaは筆者と祖父江氏が訪問した時のことを何回も聞かされていたらしく、「素晴らしい機関車を持ってきたのだそうですね。」と言う。

 祖父江氏についても十分に知識があるようで、類稀なる模型作りの達人であったことは認識していた。1985年に3泊ほど居候させてもらった。   
 Tom と近くの公園に置いてある機関車を見に行ったとき、Tomは祖父江氏の実物の知識には舌を巻いた。どうしてそんなに知っているのだと怪訝な顔をした。戦前、機関車の部品を作る工場に居たと知り、合点が行ったようだった。
 その時Paulaが帰ってくる予定だったけれども、何かの不都合で会えなかった。

 それ以来、彼女は模型には多少の興味を持ったらしい。Oゲージの模型は HO や N に比べて少ないことは気付いていた。最近知り合った模型人は、庭に線路を敷いてBig Boyを走らせているとのことで行ってみたら、1番ゲージだったそうだ。写真を見せて貰ったが、大きなレイアウトで線路は腰の高さ(90cmほど)であった。

 筆者のYoutubeを見てもらっていたが、機関士が Tom Harvey の風体を表していることにとても感動していた。
 白い帽子、白いシャツ、赤いバンダナ、青いオゥヴァオールがまさにそれであった。少なくとも 4輌はTomが乗っている機関車であることを伝えた。彼女はそれを聞いてとても喜び、全部の写真を撮って送るように頼まれた。

 手袋の汚れが服に付かないように、立つ時は手袋の内側を外に向ける仕草をして笑い転げた。彼女は父親の蒸気機関車乗務時代を知らない世代だ。話だけはたくさん聞かされているのだろう。 

2024年05月24日

続々々々 Tomの娘

B17 crew この種の恩人探し時々見るようになった。戦後80年近くになり、すでに存命者はほとんどいなくなったが、その子孫同士の交流はまだある。希望を捨てずに探し続けるようにと伝えた。
 この件に関しては、多くの方から積極的なご意見を戴いているので先方に伝えた。

 Paulaは、父親の一生について別の本を書きたいらしい。その中の一つに、”Tad and Tom” があるのだそうだ。彼女曰く、「貴方は父の人生の中の非常に大きな部分を占めている。出会わなければ、Big Boyとの人生について書き残すこともしなかっただろうし、私がそれに興味を示すこともなかったかもしれない。」

 新たに共著で本を書こうと言う。
「もう私の英語力はかなり衰えているから難しいかもしれない。」と言うと、「私の会った外国人の中で、貴方の文章能力はNo.1である。信じられないほどの語彙力がある。」と褒めちぎる。かなり社交辞令が入っているが、それを聞いてこのプロジェクトには多少興味が出てきた。
 Tomから来た手紙、録音は全て保存している。まずこれを彼女に送り届けることから始めなければならない。 

2024年05月22日

続々々 Tomの娘

B17 crew 2 Paulaは、Tomの軍隊生活についての情報を集めていた。知っていることは全て話した。その中で、B17が不時着した時の話を聞きたがった。ベルギィのどこかに降りて、レジスタンスの助けでイギリスに逃れることができたと聞いていた。それは今度の本にも書いてある。

 それ以上のことを知らないかと問われたが、残念ながらそこまでしか知らない。彼女はそのレジスタンスの人たちにお礼がしたいのだそうだ。
 その子孫でも良いから見つけ出して、自分が現在あるのはその人のおかげだと伝えたいと言う。きわめて困難であるが、そのようなことを考えているということを知って感動した。

 写真は白黒であったが、コンピュータの助けを借りて色を付けたものだという。右奥の背の高い人が Tom である。

2024年05月20日

続々 Tomの娘

 Paula は昨年出版した本の評判が良いそうで、嬉しそうだった。写真があまり鮮明ではないことを指摘すると、原版を出版社が水に濡らしてしまい、使えなかったと言う。仕方なく、筆者がプリントしたものを複写したそうだ。

 父親のことを詳しく聞きたがり、細かく話すと、筆者の記憶力が良いことに驚いた。実の娘でも知らないことを筆者が知っていることもあり、感銘を受けたようだ。

Big Boy brake handle ビッグボーイのブレーキハンドルを筆者の博物館に飾ってある写真は送ってあった。博物館への来訪者には必ず触ってもらう。日本のものと比べるとかなり大きく、皆さん驚かれる。

 Tom が出版の記念に2本送ってくれたのだ。Paulaは、1本はここにあることは知っていたが、もう1本のブレーキハンドルの消息を知りたがった。それはプレスアイゼンバーンという会社にあると伝えると、取り戻せないかと聞いてきた。

「その会社は、それを持っていることを全く公表していない。貴重なものだが、博物館に置いて来訪者が見ることができるようになっているなら、返せとは言わない。でも、誰も見ていないところに死蔵されているのなら、返してもらえないか聞いて欲しい。」と言う。確かにそうだと思ったので、やってみようと答えた。

 Paulaはデンヴァの鉄道博物館と緊密に連絡を取っているようだ。 

2024年05月18日

続 Tom の娘

 TomとはGreen Riverの駅で偶然会い、その後複数回訪ねたが、不思議なことにPaulaとは一度も会っていない。次女の Linda には何度も会っている。

 Tomは筆者のことを非常に気に入って、”very much intelligent" と褒めちぎり、Paulaに会うように仕向けたが、タイミングが合わず会えなかった。彼女は化学を専攻していたこともあって、会わせたかったのだ。 
 筆者に向かって、「日本に帰るな。アメリカにいてくれ。」と言った。最終的には「息子になって欲しい。Paula と結婚しろ。あの子はいい子だから。」と来た。
 会ってもいない娘と結婚の約束などできるわけもなく、そのままになったが、彼とは20年ほど文通していた。

 日本からの手紙は赤と青の縁取りの付いた航空便の封筒であった。Tomはその手紙が待ち遠しく、来るといろいろな人に見せびらかしていたようだ。外国人が英語で手紙を書けることに驚いたそうだ。当時あの地方 Wyoming では外国人は珍しく、ほとんどの人は地元から動いたこともなかった時代だった。”Howdy、palses!”で始まる会話しかなかったのだ。

 すべての手紙が保存してあるそうで、今思えば少々恥ずかしい。当時はタイプライタで手紙を打っていた。手動の機械で、指が痛くなった。インクテープがすぐ駄目になり、何度も替えた。
 当時の日本では英文タイプを打つ人は少なく、筆者が猛烈な速度で打つのを見た人が、とても驚いたことを思い出す。今はほとんどの人がパソコンを使うので、キーボードを打てない人の方が少ないだろう。 

2024年05月16日

Tom の娘

 Tomの長女 Paula(発音はパーラ)とは一度も会ったことが無かった。最初にTomと出会ったのは1976年で、彼女はまだ中学生だったはずだ。たまたま外出していて会えなかった。その後祖父江氏と訪問した時も、彼女は大学生で学生寮に入っていたので会えなかった。今回の訪米で、彼女には会う必要を感じていた。テキサスに住んでいると勘違いしていたが、最近コロラドに引っ越したのだそうだ。

 片道1300 kmを飛行機で行くか、車で行くか迷った。飛行機だと2回乗り換えで7時間掛かる。車だと15時間だが、途中で一泊すれば大したことはない。金額的には車の方がかなり安く、迷うところだ。
 飛行機で行けば、空港からは車を借りねばならない。会ったことのない人に迎えに来てもらうのは、出会い損ねることもあり、なかなか難しい。迎えに来るとは言ったが、片道1時間半も掛かるところを来てもらうのは気が退けた。

Paula H.Conger and her husbund Jeremy Paula の亭主 Jeremy は石油掘削の技師とのことだ。現在の仕事がコロラドにあるので、しばらくはそこにいるようだ。以前はヒューストンの近くに住んでいたのだ。 

2024年05月14日

ヤスリの柄

IMG_4173 ヤスリをたくさん持っている。最近大きなものが増えた。それらに付ける柄を購入した。こういうものを扱う店は少ないので、見つけ次第大量に購入する。


 ヤスリに柄を付けないと、狙いが決まらない。すなわち平面が出しにくい。このことを友人に話したところ、
「そんなことはないですよ。」
という話だったが、彼は試しに一つ購入して使ってみたようだ。

「使いやすくなりました。力も入りますし、必要なものですね。」
ということだった。10個ほど購入したようだ。

 ヤスリ掛けは奥が深い。柄の付いていないものではどちらに傾いているのか分からない。すなわち丸く削れてしまう。
 このあたりのことは友人の仕上げ工経験者から詳しく聞いている。祖父江氏 Bill Melisからも厳しく仕込まれた。

 金属工作では、糸鋸、ヤスリ、孔あけ、ハンダ付けは大切な単元である。先回のプレスもそうだが、このような技能をきちんと習得するチャンスの無いまま模型作りをしている人はとても多いと思う。誰からも指導が無いと、それで良いのだと思い込んでしまうから進歩はない。菅原氏の「技法」の本を読んでも、残念ながらプロの目から見た記述はほとんどない。

 例の真ん中を凹ませる話も、「そんなこと、できるわけがない。」と鼻で笑う人が居る。こういう人は進歩しない。
 そういう意味でも基礎単元の習得を狙った講座を開く意味は大きいはずだ。


2024年05月12日

resistance soldering

 Dennis の工房には工夫が満ち溢れている。炭素棒の保持具は面白い。筆者の作例では、握りの軸の延長上に炭素棒がある。それでも良いのだが、曲がっていると楽だろうな、とたまに感じることがある。

carbon rod soldering (2) これを見て戴きたい。厚いブラスの板に貫通孔をあけ、それをスリ割フライスで切ってある。炭素棒を差し込み、ネジを締めるのだ。下の板はアースとなるブラス板だ。


carbon rod soldering (1) 簡単にして確実な保持方式であり、力も入れやすい。握りは熱くなるので、熱絶縁が必要である。ベークライトの板と管で作った握りである。電流は20 A程度で、スライダックで一次側を調節している。

IMG_4168 Dennisはこの種の工夫をする能力に長けている。ありとあらゆる工具を使いやすい形に改良している。 これを見習って作ってみたい。握りは木製にするのが簡単そうだ。ヤスリの握りで大きなものがあるがそれを少し加工すればできそうだ。

2024年05月10日

続 Dennis' workshop

IMG_4045 (1) このように広い工作室を持つことは、わが国ではかなり難しい点もあるが、その中に置いてあるいくつかの工具は日本でも買えるので、それについて説明していきたい。


IMG_4010 まずこのプレスである。何度も紹介しているが、プレスを持っている模型人は少ない。相も変わらずコンコン改軌をしているらしい。この大きさ程度のプレスを持つだけで、精度の高い車輛ができるということを認識してほしい。プレスは高価なものではない。


IMG_4011 これはシァ、ベンダ、3本ローラが一つになったものである。中国製で使い心地は今一つであるが、整備次第でもう少し良くなるであろう。本当は単能機3つある方が、はるかに使い心地は良い。


IMG_4014 これはハンダ付け専用のテイブルである。各種のジグがあり、押さえ付けて炭素棒でハンダを融かす。直角ジグはいくつか作ってある。フレキシブル・シャフトの回転工具もある。


IMG_4022 (1) クランクピンを作っているところである。快削鋼で作るので、つるつるに仕上がる。M2のネジを切るタップが必要となり、持って行った。彼の地ではメートルネジの工具は手に入れにくい。 

2024年05月08日

Dennis' workshop

 Dennisは長らくロストワックス鋳物の工房を経営していたが、体調の問題があって、設備一式を友人に譲って廃業した。

Workshop (1)Workshop (3)Workshop (2) その後工房を整理し、広い日当たりの良い工作室に作り替えた。車庫にあった大きな2トン近くある旋盤、フライス盤を処分し、小型のものに買い替えた。寒い冬にも座ったままで作業できるというのは有難いと言う。テキサスでも西部の高地にあるので、寒い時期の車庫での作業は辛かったそうだ。

Workshop (4) 床のモルタルをつるつるに仕上げ、樹脂を浸み込ませてあるので埃も立たない。小さな部品を落とした時は掃除機の袋を新しいものに替え、全体を掃除すると必ず見つかるという。これは見習いたい。

 蒸気機関車の整備はお手のもので、クランクピンを新製し、クランクを植え替えることなど朝飯前だ。すべての工作を3/100 mm以下の誤差に収めている。韓国製の全くダメな機関車を捨て値で手に入れ、下廻りを全て作り替えて最高の走りを作り出す。これは筆者の方針と完全に一致するので、長く付き合っているのだ。  

2024年05月06日

dead rail の課題

 アメリカには屋外レイアウトも多くなってきた。45 mmゲージが主流である。通電の確保には苦労しているようだ。LGBは集電シュウを付けているとは言え、通年で外に敷いてある線路から集電するのはかなり難しい。その結果、dead rail に移行する人が増えている。

 このサイズであるとバッテリィはかなり大きなものを積めるのであろうが、動力車の効率がよくない。どう考えても伝達効率は10%ほどである。これが30%になればかなり航続距離が稼げて楽になる。
 聞くところによると、機関車のみならず客車、貨車の中を電池で満たしている場合が多いという。ところがその客車、貨車の車輪はプラスティック製で摩擦が大きく、車軸も太いものが多いようだ。すなわち電池を増してもその重さで負荷を増やし、結局のところ、航続距離の増大に寄与しているようには見えない。

 軽い機関車でたくさん牽くというのが鉄道の本質である。問題解決の最初のところで間違っているような気がするのは筆者だけだろうか。そういう意味では高効率ギヤの価値が増すような気がしている。

 dead rail はこれからも進歩するだろうが、航続距離の問題だけは大きな部分を占め続けるだろう。突き詰めればそれは伝達効率の問題以外の何物でもない。高効率ギヤを採用された方はこの問題の半分は乗り越えているわけだから、ぜひ残りの部分に挑戦して戴きたいと思う。筆者のヤードのような特殊な事例でなく、普遍的な課題解決にもなるはずである。

 以前紹介したこのデヴァイスは約 5 Vで作動させることができるので、高効率ギヤには相性が良いのではないだろうか。 

2024年05月04日

続 最近のDCC

 Dennisは筆者のYoutubeを見て、関節式機関車の前後のエンジンが微妙にスリップしているのを感じ取った。その機関車には2個のモータが付いて、前後を独立に駆動しているからだ。きわめて自然である。

 ところが見せて貰った Bluenami には、あたかも "スリップしているかのような音" が出るモードがあるのだ。
 まず、一般の機関車は左右で2気筒であるが、3気筒を選ぶことができる。これはコンタクト・ホィールを付けているわけではないから、モータの回転から読み取るタイミングの間隔を狭くするだけであって簡単な話だ。しかし、そのタイミングは完全な三等分になっていないところがミソである。

 問題はその次で、スリップ・モードである。加速率を少し上げると、動輪が滑っているわけではないのに、スリップ音がするのである。その機関車の動輪を近くでじっと観察していると、奇妙なものである。
 関節機の場合は1回転で4回音がするのが2つあるわけだから、合計8回のドラフト音がするはずだ。その4つのタイミングを微妙にずらして坂道でのスリップを模擬する。片方だけ派手にスリップする様子も再現できる。しかしここまで来ると、何か詐欺にあっているような感じである。でも、売れているのだそうだ。HOのサイズで 5 mも離れていれば動輪の回転など見えはしないのだろうか。もちろん単機でも派手にスリップする音が出る。それはないよと思うのは、筆者だけなのだろうか。

2024年05月02日

最近のDCC

DCC (1) Dennisのレイアウトは1990年代から DCCである。はじめはLenzであったが、徐々にいろいろな機種を経てNCEになった。筆者は最初からNCEである。彼に2年ほど遅れて参入したが、かれこれ25年以上の経験があることになる。当時日本では、誰もと言っても良いほど仲間が居なかった。今でもDCCを採用している人は、2%以下だろう。  
 
DCC (2) 最近はかなりいろいろなところが進歩している。無線のcommander(手元の発令機)はいくつも市販されているし、車上に載せる子機の機能も異常なほどの発展を遂げた。写真はタブレットから操作するものである。これは類似品がいくつかある。

 Dennis のところで最新型の Blunami を見せてもらった。これは例の Tsunami の発展型である。こういうものに日本語を使うのも不思議だ。Tsunami が出てすぐに東日本大震災が起き、"Tsunami" が国際的に認知される言葉になった。彼らはその名前を使い続けるのかどうかを気にしていたが、結果として変化はなかった。今までのサウンド装置と比べてはるかに高性能で、大音量で明確な音がすることは間違いない。これは高価であったので、Econami というラインも発売している。 

 今度の Blunami には不可思議な機能が付いている。不可思議というのは筆者の主観的な感想である。一般には”大したものだ”と受け入れられているのだそうだ。 

2024年04月30日

続 dead rail engine

DCC dead rail 2日間の奮闘の甲斐あって、機能は回復したので試運転を披露した。



exhoust エンジンを始動する音がしてスタンバイである。2本の排気管から煙が出るとDennisの顔がほころんだ。汽笛を吹き、ベルを鳴らしながらゆっくり前後進して調子を見る。側線の奥にある貨車を連結して持ってきた。目の前で連結を開放するのだ。

 彼は開放用のマグネットの無いところでは解放できないと思っていた。連結器のナックルが開いて開放すると、目を見開いて驚いた。今まではソレノイドのようなバシャンという音がするものしか見たことが無かったので、今回の音もなく開き、閉じる工夫にはとても驚いたのだ。
 「Kadeeの下にぶら下がっている解放用の鉄線は必要無くなった。」と言うと「凄い!」の一言であった。その場で切り落とした。

 線路上では dead rail が実感できないので、テーブルの上でもやって見せた。レイルが無いところで走らせるのは、刺激的だ。抑速ブレーキは働かせる場所が無いので、話だけしかできなかったが、ぜひ見てみたいと言う。動画を撮る必要があるが、分かるように撮るのは難しそうだ。

2024年04月28日

dead rail engine  

 DCCの dead rail の機関車を持って行った。Dennisの感想を聞きたかったのだ。これは開発者のA氏の意向でもある。
 リチウムイオン電池を外し、それは手荷物で持って行った。スーツケース内に入れておくと、検査で見つかった時に多大な罰金が科せられる可能性があるからだ。

 到着後点検すると、ひどいことになっていた。空港でスーツケースを投げたようだ。上廻りは一部つぶれ、接着がはがれていた。堅い箱に入れ、何重にも緩衝材で巻いてあったのに、かなりひどい状態であった。

 この機関車は実験機で、電波の通りが良いプラスティック車体である。下廻りも激しく圧力を受け、台車がゆがんだのでショートする。
 電源は自分で持っているからショートしていても走るが、通電区間に入るとそちらの回路が飛んでしまう。

Workshop (5) 最初の2日は工作台を借りてオーヴァ・ホールをした。下廻りは全て分解し、調整をし直したのだ。Dennis の工作室にはありとあらゆるサイズのワッシャがあり、こういう時は助かる。 

  ブレーキ・シュウが微妙に当たるので、削った上で曲げて付けた。いよいよ試運転である。Dennisは興奮した。 

2024年04月26日

続 Low-D wheelsets 

IMG_4037IMG_4038IMG_4040 大きなレイアウトを持っていない限り、長大編成の運転はできない。アメリカといえども、そういうレイアウトは少ない。
 大きなレイアウトでは抵抗の大きな車輌を多重連の機関車でゴリゴリと牽いている。機関車1輌で貨車20輌が限度である。Low-Dならその5倍だ。

 曲線も半径72インチ(1800 mm)が普通で、筆者のように110インチ(2800 mm)以上というのは稀だ。急曲線で連接機関車の前部エンジンが横に大きくはみ出すのは興覚めだ。

 こういう話になると、理想と現実の違いである。既存の建物の中に作ると、小半径になる。別棟に作れば大きなものができる。大きな部屋を手に入れることが出来なければ仕方がないわけだ。そういう点では、筆者は運が良かった。均一な長い勾配を作ったので、牽引力の無いものは直ちに排除されてしまう。 

 Low-Dの応用例として、ハンプによる突放入替の話題が出た。
「すべての連結器にダンパを入れなければ、連結器座が壊れるな。」と彼は言う。筆者が、
「ヤードの仕分け線の下に空気を噴出するノズルを仕掛け、圧搾空気を送ってリターダとするのだ。」と言うと、笑い転げて「やってみたい。」と言う。実はこのアイデアは50年代のModel Railroaderに載っていると伝えた。
「当時は単なる思い付きのアイデアだったが、Low-Dなら可能だ。」と唸った。 

2024年04月24日

Low-D wheelsets

Dennis' layout このレイアウト上にはLow-D車輪がかなりたくさんあるが、その使い方は筆者の場合とは異なる。筆者は、とにかくたくさん牽かせたいから、抵抗を最小にした。それだけである。

「Low-Dの車輪は素晴らしい。音がしないのだ。」とDennisは言う。確かにレイアウトで列車を動かしても、とても静かである。一部の未改装の貨車はガラガラとうるさい。踏面の仕上精度が一桁以上違うからだ。それはDennisも気が付いている。

 彼のレイアウトではたくさん牽かせることは必要ではない。客車は5輌程度、貨物でも20輌程度である。「曲線上の抵抗が小さくてありがたい。」とは言うが、それはここでは大きな問題ではないのだ。

 ピヴォット軸受けの中には多めにグリースが入っている。抵抗を作り出しているのだ。これによって入替時に貨車を目的の場所に停めることができる。
「Low-Dは軽く動くので、貨車が思うところで停まっていない。」と言う。場合によっては細いリン青銅の針金を軸に当ててブレーキを掛けている。

 なるほどそういうこともあるのかと納得した。いずれにせよ日本ではお目に掛かれない話である。 

2024年04月22日

gusset plates

091851ab ガセットの作り方の説明をした。コンピュータで紙に打ち出したものを持って行った。それをスプレイ糊でブラスの薄板に貼り、リヴェットを押し出す。Dennisも筆者と同じ上向きの押出し装置を持っているので話は簡単だ。この道具はテキサス州のSan Antonio製だ。

 簡単に押し出してそれをハサミで切り出し、丸く反っているのを金床の上でゴムハンマでぶっ叩くとピンとなる。うまい工夫だと感心しきりである。それをハンダ付けするのが筋だが、接着で良いと伝えた。フラックスが良くないので無理はしないことにした。接着剤はスーパーXを持って行ってある。

 ハシゴはブラスのワイヤを嵌め込んでハンダ付けし、側面をヤスリで削った。ステンレスの硬さには驚いたようだ。ハンダだけが削れて、側面はつるつるになった。

 大体完成したので、レイアウトに置いてみた。例の三角の補強板は見える方向の片方しか付けないというと、「それは賢明な方法だ。」という。見えないものを苦労して作り、厚みが出て失敗するのは賢くないという筆者の意見に賛同した。
 信号橋というものは片方からしか見えないものなのだと言うと、「そりゃそうだな。」と笑った。 

dda40x at 04:22コメント(0) この記事をクリップ!

2024年04月20日

signal bridges

 持って行ったのは例の信号機のキットである。4線用と2線用の予備を作ってあったのでそれらを進呈した。体積は小さいので、スーツケースに簡単に入り、土産としては最適であった。

soldering on stainless steel is hard without acid flux Dennisはその設計の妙に非常に感動した。すべてがぱちぱちと収まり、ヤットコでつまむだけで形ができる。それをハンダ付けするだけなのだが、それには大変手こずった。ステンレスをハンダ付けしたことが無いのである。要はフラックスなのだが、塩酸の入ったタイプが無い。ロジン系のものは全てダメで、どんなに磨いてあっても全く流れない。ハンダは玉になっていた。
(この写真のハシゴの上部の不要な凹みはすでにプログラムを改良し、滑らかになっている。)  
  
 棚を探し廻り、ようやく酸性タイプを見つけたが、それはリン酸系のもので、これまた機能しない。街の工具屋で銅配管用のフラックスを探したが、最近は酸性のものが無い。というよりも、銅配管でハンダ付けをしなくなったようだ。ワンタッチで抜けなくなる巧妙な接手があり、それで100年以上持つという話だ。

 Dennisの知り合いの工場で塩酸を持っているところがあるというので、それを貰いに行ったが、どうも薄いようだ。臭いがほとんどない。筆者が塩化亜鉛と塩酸を少し持って行くべきであった。

 大変な苦労をして多少は流れるようにはなったが、筆者が参考用に持って行った写真のようにはならない。その写真では、すべての接合面に石鹸水のように沁み込んでいる様子が写っていた。Dennisは「これはうまいなあ」と感嘆していた。ステンレスは熱伝導率が極端に小さいので、小さなコテで付き、素手でワークを持っていられることを示すと、感心した。
 写真のハンダゴテはピストルタイプで、出力は150 Wである。引金を引くと、3秒くらいでかなり熱くなる。ハンダはボテッと付いている。こうしておいて、あとで塩酸を塗って炭素棒で加熱すると沁み込む。

 先回、筆者は1本あたり40分程度でハンダ付けが完了したが、フラックスが無いというだけで、2日もかかった。この写真を見せて同等品を探すように伝えた。おそらく水道屋の友人を訪ねて探してもらうだろう。 

2024年04月18日

visiting Texas

 5年ぶりにアメリカに行った。いくつかの用事が溜まっていたのと、「ちょうど日食もあるので来ないか」とDennis が誘ってくれたのだ。
 今回は天気が良くなく、日食は薄雲の隙間から見えただけで、星が輝くのは見られなかった。前回快晴であったのは、運が良かったとしか言いようがない。

a swicher works Dennisはレイアウトでの運転を完全にするために努力している。すべての機関車、貨車の連結器を整備し、全く手を触れないで列車の解結作業を行えるようにした。また、DCCサウンドを更新し、実感的な運転ができるようにしている。

IMG_4006 ストラクチュアは整然と並び、街路を構成しているのは素晴らしい。大きなレイアウトではないが、運転を楽しむ(operation first) ことに注力している。こういう楽しみ方は日本ではまず見ることができない。

 いつもなら、DFW ダラス・フォートワースまで300 kmを迎えに来てもらうが、彼は体調が良くなく運転を避けているようなので、近くまで飛行機を乗り継いで行った。この頃は国際線とは異なる路線に乗り継ぐと手荷物料金を取る。スーツケース1個で30ドルも取るのには参った。ドルが高いのでさらに驚く。

 持って行ったお土産を開くと、彼は歓声を上げた。彼が一番気に入っているものであったようだ。彼は筆者のブログを丹念に見ている。最近の表題が英語表示になったのは、彼の識別を助けるためである。彼は気に入った記事を自動翻訳で読んでいるのだ。

2024年04月01日

DCC dead rail engine

DCC dead rail A氏に改装をお願いしていた試作機関車が到来した。DCCによる無線操縦機関車である。これは今までのものとは根本的に違う。dead railでありながら、DCCのコマンドが100%使えるのだ連結器の開放もできる。こういう機能を持ったものは、まだ市場にない。すなわち世界最先端の機能を持つ。
 ご質問はあろうが、雑誌に載るまでは詳しくお答えすることができない。
 
 博物館の隠しヤードから貨車を25輌ほど(約10 kg)を牽き出して1.9%の坂を登っている。非常に低速が効き、毎秒3.5 mm程度でも滑らかに登る。実物ではモータが焼けてしまう速度だからあり得ない。毎秒20 mm(時速 3.5 辧膨度にしているが、これでも遅過ぎるくらいだ。サウンドが最大限に働いてエンジンの轟音が反響する。排気管からは煙(水滴)を吹き出させることができるが、消費電流が大きいので、観客があるときだけにする。重い貨車30輌を牽いて最高速(50マイル/h)で1.56%の下り坂を降りる途中で、dynamic brakeを利かせるボタン(F4)を押す。グワーンという音がして抑速され、抵抗器が熱くなる。これは本物と同じ動作である。実に面白い。

 まだ単機だが、2輌の固定編成で長大編成を引き出せるようにする。大きな負荷だが、おそらく100往復ぐらいはできそうだ。駐泊所に充電装置を置く。電池は大型のリチウム電池3本で11 Volts近辺だ。3本の直列充電は危険なことがあるので、2つの端子で充電ということは避けたい。枕木から4つの端子(場合によっては6つ)を出して個別に充電するようにしたい。

 ヤードでの入替中、案の定、奥の方で脱線があり、線路でショートが起こっていることが確認できたが、この機関車は全く影響を受けずに牽き出せた。1,2輌程度なら脱線していても、無理やり牽き出すことができる。 

2024年03月30日

続 lesser thickness gearboxes

 懸案の薄型ギヤボックスが出来上がり、貫名氏から供給が開始された。今までの形よりもかなり薄くできるので、台枠内側にイコライザがあっても取り付けられる。I田氏が早速換装されているのでぜひご覧戴きたい。改装マニュアルも補筆されているはずなので、よりHOの人たちにとっても分かりやすいようになっている。リーマを通すことも強調してある。ヤスリでゴリゴリということは禁物である。 
 歯車を1 mm薄くしている。また中心部の形状を少し変えて、より全体を薄くできる工夫をした。
 動きを動画で見ると、今までのものと全く同等である。

「普通のギヤと何が違うのか」と、いつも同じことを聞かれるが、すべてが異なるのである。よくあるウォームギヤ・セットとは歯形が異なり、仕上げ精度も2桁近く違う。材質も違う。高性能を得ようとすれば、それなりの工夫が必要である。このギヤの歯面を見て、ある専門家は、「これは凄いね、高そうだな。」と言ったが、全くその通りなのである。
 
 歯車屋で歯数を指定して注文しただけのギヤとは違って当然なのだ。当初はコースティング・ギヤなどと呼ばれていたようだが、高効率ギヤという名前が定着したようで嬉しい。これはどなたが言い始めたのかは定かではないが、非常に良い名前であると思う。

 実は、筆者は ”coasting” という言葉は好きではない。これは定年退職者が年金で無気力に暮らしていることを表す時にも使う言葉だ。Bill Wolfer が眉をひそめてそれを言ったのを覚えている。「俺は違うぞ。」と言いたかったのだろう。  

2024年03月28日

surface tension

 先日の記事で、Tavata氏がコメントを投稿された。それには「微小パーツがコテに吸い付けられて動いてしまう」とあった。これはまさしく表面張力の影響である。
 この趣味をやっていて初めて、正しい表面張力に関する意見を戴いたことになる。 今までは例によって、ハンダが融けて沁み込む時に「表面張力が小さくなっている」などの間違った表現を書いているのが普通であったのだ。

 それに対する筆者のコメントをお読み戴けただろうか。コメントにしては珍しく、「いいね」のような印がたくさんついている。
 この動画はいつも見ているイチケン氏のエレクトロニクス講座で、筆者の好きな動画だ。練りハンダを置いて、そこに微小部品を並べる。下からヒータでハンダの融点付近までゆっくり加熱すると、ハンダが融けて上に載っている部品は吸い付けられる。多少ずれていても、所定の方向に整列してハンダ付けが完了する。これが表面張力の威力である。融けた金属の表面張力はきわめて大きいということを実感できる。

 中学校までの理科で大まかな知識は得られる。観察は大事だ。持っている知識と照らし合わせて、どの理論が適用されるとこの現象が説明できるかということを考えねばならない。
 最初から考えるのを放棄して、人の言うことを鵜呑みにする人があまりにも多い。また、「理屈はそれが好きな人が考えれば良いことで自分は関係ない」と公言する人も居る。しかし間違った理論を広めて良いはずはない。

2024年03月26日

installing triple-thread worm gears

 貫名氏らの改造の経験者に話を伺うと、市場にはおかしな模型がかなりあるとのことだ。

 まず韓国製の機関車は鬼門だそうだ。車軸断面が真円でないことがあるという。精密に仕上げてあるボールベアリングが入らないということがあるらしい。丸くない車軸の存在というのは考えにくいことである。動輪ごと取り替えてしまうのが良いそうだ。 
 
 日本製の機関車について言えば、天賞堂のは良いという。カツミも問題はない。
 S店のはきわどいらしい。軸が太いのがあるそうだ。一般論で言えば、軸はマイナス方向の公差で作られているはずだ。太くては軸受けに通らない。また、動輪との篏合部にテーパが付いているものがあり、嵌めるときに苦労する。機械工学の基本から外れているようだ。

 1970年代の輸出用の機関車を作っていたメーカのものは、なかなか大したものだったらしい。部品の精度が良いそうだ。
 
 改装した機関車はどれもよく走る。何が違うのかと聞かれるが、答は単純だ。
「すべてが違うのです。」 

2024年03月24日

push-to-roll drive for steam engines

 来訪者に機関車のメカニズムを見せたのち、駆動装置本体を手渡して、車軸を廻してもらう。駆動軸が高速回転するが、あまりの滑らかさに愕然とする。全く抵抗を感じないのだそうだ。
 これほど軽く廻るなら、テンダに付けて巨大なフライホィールを廻すのも問題がないことに気が付く。

 HOの機関車の見本も1輌置いてある。短い線路だが、機関車を押すと発電してヘッドライトが点く。これは優れたディスプレイである。いかに高効率か、がよく分かるからだ。
 これを見ると誰しも欲しがる。貫名氏が在庫を持っているはずだと言うと、すぐに注文すると言う。
 このギヤを採用すれば、今までの駆動装置はいったい何なのかということになるだろう。その魔力にはまってしまった人は何人もいる。

 高効率ギヤを採用した人が運転会に持って行くと、注目を浴びるそうだ。欲しがる人は多いが、動輪を抜いて元に戻さねばならないと知ると尻込みしてしまう人が多いという。
 90度ジグを作るのは難しいことではないし、それを作れば他の人の機関車の改造を引受けてアルバイトもできるはずだ。

 以前も書いたが、この国の模型界で一番不足しているのが、この種の仕事を引き受けるカスタムビルダの存在である。だれでもができるわけはないので、できる人が適価で引き受ければ良いのだ。その種の特技を持つ人は少なくない。小遣いを稼ぎながら、模型界の進歩に貢献できる楽しい仕事のはずだ。

 今月からとれいん誌に貫名氏がHOの高効率ギヤに関する連載を始めた。 

2024年03月22日

続 visitors to the museum

 見学者は路盤が完全な平面であることに驚く。
 多くの事例では路盤が波を打っている。それは筆者自身があちこちで実例を見ている。支柱のスパン(径間)が短くても、それをつなぐ梁自体が撓むのだ。アメリカではLガーダという名前のアングル状の木製部材を作って支えている。それの一辺は3インチ半(89 mm)で、高さがある。それを使って荷重を支えるのだが、剛性はそれでも十分ではない。年月の経過とともにこの梁のクリープが起こり、路盤は波打つ。もちろんスパンを小さくするとクリープは小さくなるが、クリープがなくなるわけではない。日本では角材を使っている場合が多いようだ。梁の高さが不足している場合が多いという。

 当鉄道では薄鋼板製の角パイプを梁に使っている。価格は木材の数分の一であり、クリ−プは無視できるほど小さい。これを使うことを発表して十年近く経つが、採用したという話は聞かないのが不思議だ。

 甲板の下を覗き込んで写真を撮る人は多い。支柱と熔接することもできるし、ネジ留めも難しくない。作るのは簡単で、安価で、性能が良いのだから使ってほしい。甲板を張るのもタッピング・ネジを使う必要はなく、普通のコース・スレッドが簡単にねじ込める。 

 来訪者は線路に目を近付け、平面度を確かめる。「完璧ですね。すごいですね。」とは言ってくれるが、採用する人が居ないのは寂しい。また曲線で1.56‰の勾配が均一であることも「素晴らしい」とは言ってくれるが、やり方のノウハウについての話題は出たことが無い。 
 道床のエラストマは、指で押して「意外と硬い。」という意見が多い。エラストマはその質量が効いていることに気付いて欲しい。走行音が静かなのは車輪の精度が特別に高いということもあるが、この道床の上にフレクシブル線路をルースに置いてあることの寄与が大きい。1.5 mほど、ゴムの細片を撒いて接着剤で固めた部分があるが、その部分の音は大きいのだ。

2024年03月20日

visitors to the museum

 最近は来訪者が多い。一般公開はしていないが、古い友人や、紹介者を介して来る人が増えてきた。

 来訪希望者には写真を含めすべての個人情報を提出戴き、入場料を銀行振込してもらう。こうすれば身元は確定だ。一回に2人までという原則でお見せしている。写真撮影は自由だが、GPSは切るのが約束だ。写真から場所が特定されて、予測せぬ突然の来訪者の出現がありうるからである。無審査での車輌の持ち込みは遠慮願っている。線路が傷む可能性があるからだ。車検の条件に合格したものでなければ走らせられない。また、車輪踏面は清拭してあることが条件だ。
 
 来られた方は路盤の高さに驚くが、列車が走るのを見ると「この高さで良いのだ。」と納得する。 走行音がしないのには驚く。ほとんど無音で走る。耳を近づけると継目の音が聞こえる。
 連接式の機関車が120輌を牽いて坂を登る時、前後のエンジンが独立しているので、微妙なスリップが起こり、排気音がずれるのが感動的だそうだ。当たり前なのだけれども、こういうのを見たことがないと言う。

 また、停車中の貨物列車の最後尾のカブースを手で動かすと、120輌先の機関車が連結器の遊間が詰まった瞬間に動く。それを見て歓声が上がる。ありえないのだそうだ。
 信号機が順次色が変わって行くのも楽しいと言う。一般によく見るのはタイマー式信号で、それでは列車が止まっていても色が変わってしまうらしい。

 ダブルスリップを渡る音が静かなのは不思議だそうだ。その手前に勾配が変化している部分があるが、実感的だと言う。実物は縦曲線に円曲線を用いているらしいが、ここでは3次曲線を用いている。そうすると、より滑らかに感じるのだろう。 

2024年03月18日

TV camera

 クラブの長老H氏からTVカメラを付けて欲しいと依頼があった。レイアウトの車庫の奥には目が届かないが、安心して最奥まで列車を収めたいのだ。H氏は片手が不自由なので、高いところにカメラを付けたり細い穴にケーブルを通したりするのは難しい。工具一式を積んで喜んで出かけた。30分のドライヴである。

 どんなカメラなのかと聞くと、しばらく前に購入した防犯カメラで中国製であった。マニュアルはあるが、マニュアル通りには作動させられない。あると書いてあるボタンがなかったり、無茶苦茶である。
 8心のLANケーブルが要る。これはバッタ屋でお値打ちに調達したものだが、ちょうど良い長さであった。

TV camera 接続して調子を見るが、ちっとも言うことを聞かない。壊れているのか、機種が違うのか、ヴァージョンが違うのか分からない。30分くらい格闘して偶然にもよく写った瞬間に写真を撮った。設定の再現性を確認して操作手順書を作った。こういう仕事は楽しくない。中国製のものは買うべきではないことを再確認した。

 ともかく、カメラはヤードの全体を俯瞰している。H氏はとても喜び、早速運転を開始した。走らせて楽しむ模型人である。自宅にレイアウトを持っていない人は、つまらぬ(失礼!)ディテール付けの競争に向かうのだろう。我々はよく走る模型の製作に勤しんでいる。

2024年03月16日

soldering technic

 最近はあちこちでハンダ付けの作品を見せてもらうチャンスが多くなった。どういうわけか、筆者に意見を求める人が増えてきたのだ。筆者は、長年ハンダ付けについて「世の中の常識」とは異なることを言って来たのだが、ようやくその「常識」がおかしいことに気づき始めた人が居るということなのかもしれない。

 先日見た作品(HOではない)は悲惨であった。外見はそこそこに良いのだが、すべてのハンダ付けが点付けである。強く握るとその部分は良いのだが他の部分は浮いているから変形する。元に戻ればよいがそうは行かないだろう。

 先日博物館に来訪したHOの方達は、機関車が重いのには驚いた。持ち上げるのは特定の場所を掴まないと壊れるということを実感した。脱線するだけでも壊れることがあると言うと、そうかも知れないという顔をした。連結時に壊れることもあると言うと、貨車や客車の車体の中心を貫く骨の太さを確認して驚いた。

 ハンダ付けでハンダが外に出ていないのを称賛したのは山崎氏である。昭和40年代の作品だったと思う。あの頃から模型界が変な方向に向かって行った。筆者は幸いにも達人の指導を受けたので、丈夫で長持ちする模型を作ることが出来た。今回のペースト事件で、またおかしな方向に行かねばよいがと思う。 

 要するに、自分でものを作れない(作らない)人が、そのテクニックについて書くべきではないのだ。口先だけでものを作れると思っている人は多いと感じている。 旋盤も「持っているから自分はできる」と思っている人は多い。やってみれば「そんな筈ではなかった」ということが多いのだそうだ。筆者のところに指南を受けに来る人が増えてきた。やって見せると「なるほど」と思うことがあるようだ。
  筆者は中学生の頃にプロの指導を受けた。今となっては得難い経験であった。教科書を読むだけでは決して得られぬノウハウがたくさんあった。

2024年03月14日

amalgamation

 再度アマルガメイションについて説明せねばならない。元々は金属学用語なのだが、現在では社会科学的な話題や金融機関でよく用いられるようになった。もちろん英語圏での話である。
 日本語では混汞法(こんこうほう)と言っていたが、もはや誰もそんな言葉を知らない時代になった。水銀は常温でほとんどの金属との合金を作る。例えば銅線に水銀を付けると水銀は流動しにくくなる。生じる合金中の銅が多いからである。それにもう一滴水銀を足すと流動するようになる。

 融けたハンダが清浄な銅板またはブラス板に接触すると、驚くべき速さで合金化が進む。酸素の無い環境(真空が良いのだが、装置を作るのがが面倒なので、アルゴンを満たしたテントの中)で物理的に磨いて、ハンダ付けをするとよく付く。まさに石鹸水をこぼしたような感じで隙間に沁み込む。
 その昔、伊藤剛氏が名古屋のクラブの会報のマンガで紹介していた。宇宙服を着て、月面でハンダ付けしている誰かさんに、後ろから「こんな所まで来てやることはないのに。」と言う場面だ。

 フラックスは塩化亜鉛に限らず、ある程度の高温で蒸発せず、金属酸化物を溶かすものが効果を持つ。そういう点では松ヤニの効果を見つけた人は偉いと思う。日本では梅酢を用いていた。果実から得られた酸は蒸発せず、ある程度の酸性を示すので効果があったのだ。筆者は文献に書いてあるすべての物質で、効果があることを確かめている。

 日本では工業的には昔から塩酸を用いてきた。塩化亜鉛はそれほど昔から使われているわけではない。おそらく昭和の時代からであろう。昭和40年代までの自動車工場ではボディのリア・クォータの継ぎ目を塞ぐのに塩酸をフラックスとして鉛ハンダを流していた。その後は当然ヤスリで削り取るのである。

 酸で金属面を洗うと新しい金属面が露出し、ハンダのスズがそれと合金を作る。この速さは驚くほど早い。それを見て、表面張力が小さくなったと勘違いするわけだ。繰り返すが、表面張力は関係ない。単に、母材がハンダと馴染みが良く、急速に合金化するからである。これはまさに磨いた銅板に水銀を一滴落としたときと同じである。

 ハンダ付けの後でハンダが見えないようにするために、キサゲで削って銀色部分をなくすのは賢明とは言い難い。母材との合金が出来ているわけだから、ブラス色が見えるようになるとすでに母材はかなり削られている。すなわち平面性は失われる。 このことはかなり前からここで述べているが、理解している人は少ないと感じる。
 日本でも、そろそろハンダが滲んだ模型を美しいと感じる時代になるべきだ。 

2024年03月12日

soldering paste

 昨夏に久保田富広氏による講演があった。著名な模型人であり、その講演を聞くためだけにJAMに行ったという人もいる。
 その後、何人かの人から質問を受けた。久保田氏は塩化亜鉛を使わずにペーストを使ったそうで、それが残留していても錆を生じないというのは本当か、というものであった。

 まずこの話は、ペーストとは何かというところから始めねばならない。ペーストはワセリン(半固形の炭化水素の混合物)あるいは獣脂に松脂などを練り込んだものだ。茶褐色である。現在市販されているペーストと称するものの組成とは、かなり異なる。松脂は熱分解して各種の有機酸を生じ、それが金属表面の酸化被膜を溶かしてスズによるぬれを助ける。これだけで終わるのなら、ペーストが残っていてもまず錆びたりしない。しかし模型は空気中にあるから、酸素の影響を受けていることを忘れてはいけない。ここで問題になっているペーストであっても反応速度は遅いが錆を生じる。
 ペーストを使ってハンダ付けするときは、接合面をよく磨いて酸化被膜を取り除いておくことが不可欠である。塩化亜鉛なら、多少の被膜は溶けてしまうから、とても楽である。

 現在市販されている塩化亜鉛入りペーストは全く別問題であって、同列に論じることは出来ない。これを洗わずに放置すると、一週間で酷い錆を生じる。拭けば取れると思っている人が居るようだが、それほど簡単な話ではない。
 
 筆者のところにはBill Melisの作品がある。彼はペーストをよく使った。場合によって、作品の車体裏にはべっとりとペーストが付いていることがある。錆びないだろうと思って放置したものの、40年も経つと裏側に緑色の錆がびっしり付いている。酸素が働くのである。酸素から逃れることは出来ないから、反応しそこないの有機酸はブラスを侵す。
 このプロセスを厳密に説明すると、
1. 酸素が金属を酸化し酸化物を作る。
2. その錆が有機酸と結合して色の付いた塩を生じる。
3. 有機酸は酸化物を消費することになるので平衡がずれる。
4. その結果、酸化は起こり易くなり、結果として錆を生じる。
 ただし、この錆の発生は塩化亜鉛を用いた時と比べると極めて遅く、10年以上掛かって目に見えるようになるだろう。面白いことに薄くついている部分は錆びやすく、こってりついているとその部分の中心部は錆びにくい。これは酸素透過の起こりやすさと関係があることを示している。

 筆者は他の作者のペーストを用いてハンダ付けしたブラス製品をいくつか持っていたがどれもかなり錆びて緑色になっていた。
 錆びないわけはないのだ。錆びる速度がかなり小さいというだけである。熱湯を掛け、洗剤を付けて歯ブラシでこするべきだ。場合によっては熱湯で煮ると良い。
 我々は塩化亜鉛を使うことに慣れている。水洗いで済むというのはとてもありがたいことなのだ。この講演を聞いて、ペーストは素晴らしいものだと勘違いする人が増えねばよいがと思う。 

2024年03月10日

surface tension??

 その種の違いがわからない人の文章に、必ずと言って良いほど登場するのが、この表面張力という言葉であるという。最近はその種の文章を読むことに拒否反応が出るようになってしまったので、伝聞の情報ではあるが、複数の人が同じことを言っているので確実なのだろう。それをまとめて言うと、表面張力という言葉が出てくるハンダ付けの記事は怪しいものが多いということだ。

「塩化亜鉛を使うと融けたハンダの表面張力が小さくなるので沁み込む」とあるらしい。これはとんでもない間違いである。
 融けた金属の表面張力はとても大きい。水銀の玉を見れば分かる。液体の銅(約1100 ℃)で水の20倍というデータがある。常温の水銀で18倍だそうだ。ハンダもその程度であろう。
 表面張力を測る物理実験を学生の時にしたことがあるが、純水の値を求めてから界面活性剤を一滴落とすとその値は二桁ほど小さくなった。これは界面活性剤が水に溶けるからである。

 塩化亜鉛は融けたハンダの液体に溶ける、とでも言い張るつもりなのだろうか。塩化亜鉛はハンダには溶けない。塩化亜鉛は金属表面の酸化物を溶かして新しい金属面を出しているだけである。そこにハンダの有効成分であるスズが接触するとアマルガメイションが起きて「ぬれ」を生じるのである。ここでは表面張力は全く小さくなっていない。塩化亜鉛水溶液に界面活性剤を足してあるものもあるが、それは多少の油気がある金属面であっても、塩化亜鉛水溶液がその表面をよくぬらすようにする工夫である。これは筆者も時々やる。サンポールなどを一滴足せば良いだけである。これでハンダ融液の表面張力が小さくなるわけではない。ここで起こっていることは、塩化亜鉛水溶液がワークをぬらし易くなり、その結果、露出された金属面をハンダがぬらすのである。

 この種の間違った情報を面白半分に流されると、この趣味の発展には害があるような気がする。見つけたら削除を求めたほうが良いかもしれない。しかしそういう人はそれが間違いだとは認識しない可能性が高いと見ている。

2024年03月08日

続 Sn 63% - Pb37% solder

 今でも 63% ハンダは60%ハンダと使い心地が違うのですか、という質問が多い。ウェブ上では、「違いがない」とわざわざ書いている人まで居るそうだから、救いがない。

 これは実際に使ってみればすぐ分かることである。使った上でも分からない人は、付けるものが小さくてコテからの熱が全体に行き渡る様な条件だろう。要するに「違いが分からない条件」を作っているのだ。ある程度の大きさのものを小型のガストーチあるいは炭素棒などで加熱してハンダを廻さねばならないときは、その違いを顕著に感じることができる。
 
 63%ハンダはどこに行けば買えるのですか、という質問も多い。専門店に行かなくても、近くのホームセンタで買えるはずである。
 ステンレス用と書いてあるものはどういうわけか63%である。その理由はよく分からない。昔、板金屋のおじいさんはごく普通の50%ハンダで上手に付けていた。もちろんコテは焼ゴテである。ステンレスは熱伝導が良くないので、付き易い。

2024年03月06日

Sn 63% - Pb37% solder

 63%ハンダの使用量が多く、余分な60%ハンダから作っておくことにした。母体となる60%ハンダには、どういうわけか70という番号が打ってある。
 
 これが 210 gある。それにスズを何 g 足すと63%ハンダになるか…という中学1年生の数学である。
 スズはかなり前に手に入れたものだ。たまたま東急ハンズで見かけて買ったような気がする。昔はこんなものまで売っていたのだ。

63% solder 棒状のスズを大きなハサミで切って、所定の質量を量り取る。それをるつぼの中で融かしたハンダに足せば良い。針金で掻き回して均一にする。温度が高くないので、ダンボール箱を傾けた溝に流して三角の断面にすれば良い。あっという間に固まって出来上がりだ。これが鉛であると、300 ℃以上でダンボールは燃え上がってしまうことがある。燃えなくても焦げてしまうだろう。屋外のデッキの上でやっているが、こぼれたとしても火事になる心配はない。

 加熱すると瞬時に必要な範囲が完全に融け、加熱をやめて息を吹きかけると、瞬時に固まる。
 50% や 60% のハンダとは全く異なる世界である。63%ハンダは白い。固まるときにはこしあん状態にはならないので、失敗することもない。このこしあんの状態で少しでも動かすとハンダにヒビが入って失敗である。

2024年03月04日

dead rail

 これら20の話題の中で、筆者が一番注目しているのは dead rail である。線路に通電しなくても走る動力車制御方式だ。当然電池駆動になる。
 博物館の隠しヤードには240輌ほど入る。分岐は10台あるが、おそらく、ありとあらゆる故障が生じると予想する。その度に車輌をすべてどかして点検し、故障を直すというのは考えただけでも気が滅入る。半分以上が手の届きにくい隙間にあり、そこになにかの導電性のかけらでも落ちようものなら、完全にアウトとなる。
 実物の鉄道の貨車ヤードに架線は張ってない。張るべきではないのだ。全く同様に、隠しヤードには通電したくない。脱線はまずないから、機関車が電池動力で無線操縦で動けば、すべて解決だ。分岐はすべて露出させてあるから、メンテナンスは簡単だ。ポイントの切替は、ギヤード・モータの常時通電式である。その駆動はDCCで行う。そうするとルート・コントロールが自然にできる。連結器開放ランプは設置しない。遠隔操作でカプラの開放ができるからだ。

 A氏が新たに開発された無線方式は極めて合理的で、信頼性が高く、なおかつ広範な応用が効く方式だ。これは無線方式のDCCであって、多数の機関車を個別に呼び出せる。サウンド装置発煙装置も連動する。神戸の会場でも披露して戴いた。連結器の開放も訳なく出来、入換機としては願ったり叶ったりだ。もし商品化されれば、よく売れるだろうと思うが、モータと動力伝達機構の効率が悪いと、すぐ電池がなくなって立ち往生するはずだ。すなわち、dead rail には高効率の動力装置が不可欠なのである。

2024年03月02日

続々々々々 20 innovations that changed the hobby

17. 木製のキットは、割り箸キットと呼ばれた時代がある。細かく指定寸法に切り、穴あけもせねばならなかった。1989年に薄い木の板をレーザ光で切り抜いたキットが現れ、現在ではそれが主流になってしまった。硬い紙を切ったものでもエポキシ樹脂を含浸させれば十分な強度を持たせることができる。
 金属板を切り抜くのはエッチングによるのが普通であったが、現在ではかなりの厚板もレーザで切り抜ける。単価も下がり、使い捨てのジグにも使える時代になった。

18. DCCはNMRAの規格に入れられ、世界中どこでも同じ動作をさせることができる(メルクリンとアーノルトは独自規格を持っている)。DC運転に比べ、はるかに高機能であり、多くの列車を同時に運転できる。日本では走らせている人が少なく、DCCの普及率が極めて低いのは残念だ。難しいと考えている人が多いようだが、誰でもできる。特にプラスティック車輌はショートの可能性がまずないので、極めて簡単である。 

19. 3Dプリントは小ロットの部品のみならず車輌全体を作ることが出来、それを販売する人もいる。誰もがこの業界人になれる日が来たのだ。しかし、材質に関する知識が不足すると、時間が経つとぐにゃりと曲がってしまったり、溶けたりする可能性があるが、まだそこまで時間が経過していないので、気がついた人は少ない。

20. 通電していない線路(dead rail) の上を無線操縦で走らせることができる方式である。当初は屋外の汚れた線路で走らせるための方便であったが、屋内でも用いられることが多くなった。DC本線とDCC本線をまたいで貨物列車の入替をしようと思うと、この方式を採用すると便利だ。当鉄道ではすでにWifi伝達方式の試作品を採用して、貨車ヤードの入替に使っているが、今回A氏が開発したDCC信号を無線伝送する方式は、双方向ではないがDCCのフルスペックを活用できる。この方法ならば、音声も各種のギミックも、多チャネルで送れる。本線を走るのでなければ電池容量は十分で、ヤードの隅の停泊所に充電装置を置けば良いだけである。   

2024年02月29日

続々々々 20 innovations that changed the hobby

13. 昔はストラクチュアを作るのは大変だった。特にレンガ造りの建物は至難の技であった。1952年にPlasticvilleというキット群が売り出されてから、各社が追随し、大量のキットが市場に飽和している。

14. 昔は米粒球とか麦粒球などという白熱電球があった。これをいかにうまく使って小さな機関車の前照灯に入れるか苦労していたのだ。MRのLEDを紹介した最初の記事は1971年の踏切警報器の赤灯である。これは筆者も数年後に作った。現在のLEDはリード線のない表面実装型で、小さなZゲージでも使え、白熱灯よりはるかに長寿命である。 

15. 我々が最初に手にした鉄道模型の線路はおそらく居間のカーペットの上に敷かれたものであったろう。それが独立した部屋になり、合板の平面に様々な素材…おが屑とか篩(ふるい)を掛けた砂とか、アスベストまでばらまいて作ったのだ。そのうちにスポンジ粉やライケンが主流になり、1970年頃から静電気で直立させられる短い繊維を使うようになった。もうアスベストを使う人はいないだろう。この装置は専用のも売っているが、テニス・ラケット風の電撃捕虫器から外して作ることができる。

16. インターネットは鉄道模型向けの製品ではないが、これは我々の世界を大きく変えた。1989年にTim Berners-Lee がWWWを作るまでは、ある機関車を作ろうと思うと、それを持っているかどうかもわからない図書館に行って資料を探す必要があった。現在では絶版になった本でも、そのページだけを見ることができる。スワップ・ミートに行かなくても参加できるし、各鉄道の歴史保存協会に問い合わせて質問することができる。距離という概念がなくなったのだ。すでに、インターネットを使わずに鉄道模型を楽しんでいる人はほとんど居ないだろう。
(スワップ・ミートとはジャンク市のことである。様々な中古品、仕掛品、中には新品を格安で売ることもある。筆者のコレクションは、ほとんどここで入手したものばかりである。)

2024年02月27日

続々々 20 innovations that changed the hobby

9. Kadeeカプラは、双子の兄弟 Keithと Daleによって作られた。彼らの名前がK、Dであって社名の由来となっている。delayed uncoupling 切り離して押して行くことによりヤード内の入替運転が楽しくなるが、日本でこれをやっている人は稀だ。レイアウトを持たない人が大半だから、この機能を知っている人は少ない。Low-D車輪を採用していると、わずかの勾配がヤードにあれば思わぬ方向に転がってしまい、解放して置き去りにすることができないこともありうる。Nゲージのカブースには台車の軸受にわずかのブレーキが掛かるようにコイル・スプリングが入っている
 HO用も最近は大きさがやや小さくなり、スケール感が増している。すでに特許が切れているので、他社によって同等のものがたくさん出ているが、ケイディ社の製品が高品質である。

10. MRでは、いわゆるプラ板は1959年から紹介されている。簡単に切れ、木目もなく、穴あけ、ネジ立てが可能である。日本では1970年くらいからタミヤが板を売り出したので、一般化された。
 米国で市販されている板のほうが柔らかく、パキンと割れたりしない。接着剤は合成化学系の有機溶剤が長らく使われてきたが、最近は天然物のリモネンがよく用いられる。これを使うと、接合面が脆くなってパリンと割れるのを避ける事ができる。

11. Shake-the-Box car kit は、箱を振るだけできる訳ではないが、それほど簡単な組立てキットである。アサンに代表されるプラスティック車体を持つ製品である。パチパチと組めてそれなりの性能を持つ塗装済車輌ができる。長い編成も数時間で形になる。
 その昔、貨車は手作りであってキットがあっても組むのに数日もかかった。日本にはこの種の塗装済簡単キットはあるのだろうか。

12. 瞬間接着剤は1958年に、イーストマン・コダックで開発された。1973年に急速に世の中に浸透し、それまでの接着剤が長い硬化時間を要するので、工場での組立ジグの数が多く必要であったが、それを減らすことが出来るので極めて効率的であった。金属にもよく付き、エポキシ接着剤を駆逐した。固まった状態のものは熱可塑性であるから、加熱すると剥がれる。 
 硬化促進剤もあるので、さらに早く固まらせることもできる。固まるのは発熱反応であるから、多量を瞬時に固まらせると火傷をするほど熱くなる事がある。 


2024年02月25日

続々 20 innovations that changed the hobby

5. エアブラシは19世紀からあるが、MRの記事で最初に扱われたのは1959年と遅い。TMSで吹付塗装の話が出たのはいつ頃だろう。それまでは刷毛塗りが普通である。ウェザリングには不可欠の技法であるが、その話題が日本で扱われたのは1970年代である。

6. チョークの粉を塗ってウェザリングするのは、日本の鉄道模型ではまだ普遍化されているとは言えないだろう。米国では刷毛を使って擦り込むのが普通になっている。タミヤなどが顔料粉のセットを売り出したので、ようやく用いる人が増えて来た。

7. 米国ではフレキ線路は1938年からあるそうだ。1945年の記事でウェスコット編集長はアトラスの線路が堅過ぎて曲がらないと書いている。その後篠原が優れた製品を出し世界中に売れた。これがなければレイアウト作りは大変な手間が掛かる。

8. X2Fカプラーは日本では馴染みがない。1955年に導入されたが、日本ではベーカー式が主流であった時代だ。アサンのHO貨車には付いているが、連結に多少の力が必要だったり、推進運転で脱線しやすかったりしたので人気はなかった。ただ、米国ではカプラーの統一に大きな働きをしたことになっている。Oゲージ用のブラス製の製品もあったがほとんど浸透しなかったのは、その形の異様さだったという。

2024年02月23日

続 20 innovations that changed the hobby

1. ディカールがないと、文字表記等は手書きか、写真を切って貼ることになる。1970年頃までは皆そうしていた。絵の具に中性洗剤を一滴落とし、細い筆で書き、剥がれないようにクリアラッカで押さえたのだ。
 椙山 満氏がディカールを米国から輸入し、貼って下さったことを思い出す。米国では、ライオネルは1937年から「製品に使用している」と広告に表記していたそうだ。

2. これは日本では使っている人が稀である。HOに限らず各ゲージで使うべきである。以前話題になったゲージのグループでは頒布したのだろうか。怪しい車輪、分岐を使っていても、その間違いに気付けないのはまずい。ノギスで測れば分かると言う人もいるが、決してそういうものではない。

3. 以前はPFM方式、最近はDCCである。本物の音から作ってあるのできわめて実感的である。大昔は機械的な雑音を発生させるものがあった。イギリスの製品であったが、車輪が回転すると小さな太鼓の表面を擦って、シュッシュッという音を出すものを小栗氏から見せてもらった。音の出る模型は実感を与える。ただし、動力源からそれ以上の音が出ている様な機関車も見ることがあるのは残念だ。最近は煙の表現を超音波加湿器のモジュールで行うようになった。この20の発明の中には入っていないが、これも大きな進歩である。

4. 調色済みの模型用塗料は1946年にフロクイルが14色出したのが最初らしい。模型用塗料は、汎用の塗料より細かい顔料を用いて、滑らかな表現を可能にした。フロクイルはその品質で模型界を席巻したが、顔料に重金属元素化合物を使用していたので、数年前に廃業してしまった。舐めるものではないので問題はないのだが、理解が足らないのに攻撃する人がたくさんいて、批判に耐えかねたのだ。現在の米国では、フロクイルの小瓶が高値で取引されている。

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