2026年07月20日

Oscar と Piker を再発見

 古い箱を開けるとこの2輌が見つかった。購入したのは1974年だから、もう50年以上も経つ。古い記事にある通りの状態で見つかった。なんという怠慢!このウェブサイトに当時のWalthersのカタログがある。
 余りにも古く、捨ててしまおうかとも考えた。買った頃のいろいろなことを思い出し、完成させることにした。 
 
Walthers Oscar Kit (3)Walthers Oscar Kit (2)Walthers Oscar Kit (1) これを買ったのはシカゴの模型屋だった。金のない時代で、ずいぶん迷った結果買ったのだ。
 東部の友達を訪ねてシカゴまでグレイハウンドに乗った。2日かかった。シカゴでWMCAに泊まり(確か4.25ドルだった)、市内を散策中に見つけた店だ。古いキットで少し値引きしてあった。この3枚の写真はweb上で見つけたもので、色調は補正してある。
 当時のYMCAはホモの巣窟であった。多少の問題はあったが、無事生還した。

 そのまま組まずに日本まで持ち帰った。組み始めたのは1977年頃だろう。サーフェサを塗り、ざらつきを落として滑らかにした。 説明書の室内配置と側板とは矛盾があり、窓を少し小さくして解決した。

 そのうちに完成させようと思って50年の放置である。これほど長く放置したのは珍しい。側板を磁石で留める方式にした。小さなネオジム磁石を埋め込んで、吸い付かせた。こういう場合には便利な方法である。 

2026年07月18日

railway post office 

 意外にも多くの方から連絡を受けた。今から数十年前のアメリカの鉄道郵便の事情を初めて知ったという話が多かった。もっと面白い動画を紹介して欲しいとのことだった。

 日本でも鉄道郵便局はあった。1970年ころに北海道旅行に行った友人からの手紙には釧路―旭川間の郵便車の消印が押してあった。鉄道郵便局の職員は「鉄郵一家」と呼ばれ、結束の固い人たちであった。現金の入った郵便物を扱うからには互いを信頼できなければならないからだ。ところが1980年代になるととんでもない事件が起こった。東京に到着した書留の郵袋が紛失していて、被害額は1千万円以上であった。それが複数回あったらしい。
  鉄道郵便は1983年あたりから縮小に向かい、86年の国鉄民営化で消滅した。その事件の影響もあったかもしれない。

 さて、どんな動画があるか調べたところ、この動画が見つかった。15分あたりに出て来る。この動画では機関士が郵便物の投下ポイントに近付くと、汽笛を鳴らして知らせているのが興味深い
 イギリスの郵便車の走行中回収、投下の様子を再現する動画もなかなか面白い。大きなネットを使っている。5分あたりで回収する袋に何かを当てて外しているように見える。

  "on the fly"という言葉が時々出て来るが、これは飛行中という意味ではない。「列車を止めずに仕事をする」という意味である。最近は別の場所でよく聞く言葉でもある。

2026年07月16日

railway post office を作る

Union Pacific Postal car Council Bluff  (3) 長年温めて来たプロジェクトがある。ステンレス・ボディの郵便車を作るのだ。この郵便車はアイオワ州のカウンスル・ブラフに置いてあった。UPはせっかくの新車を導入したものの、間もなく鉄道郵便というものが消滅したので新車同様のものが置き去りになったのだ。どういうわけか、米語のrailroad とは言わずに railway という。R.P.O.と略され、英語圏の模型誌などでの読者通信欄の名前になっていることが多い。

 筆者の友人の父君が郵便車に乗務していたので、当時のことを聞いたことがある。走行中の郵便物の受取、放出の話はスリルに満ちたものであった。速度は通常の走行速度であって徐行などしなかったそうだ。乗務員は強盗の襲撃に備えて拳銃を常時携行していたし、その射撃訓練もあったそうだ。この動画にもそれが見える。UPでは1967年あたりでやめてしまったが、東部のニューヨーク・ワシントンDCの区間ではその後10年近く運用されていたという。

Extruded Aluminum body この模型のコルゲートの材料はアルミニウム合金の押出しである。屋根上には例のリブが2本出ている。屋根と床板を35年程前に手に入れた。断面が異なる部分はラウタで削り落として、Union Pacific 仕様にしてある。窓の部分はステンレス板をレーザで切り抜いて作る。接着剤が進歩したので壊れることはないと思う。
 以前はエポキシを使ったが、硬化後は脆くなり衝撃を受けると思わぬ外れ方をしたものだ。スーパーXはそういうことが全くない。

 ラウタで削り取った部分は構成刃先でガタガタなので、油を付けてヤスリで削り取った。あまりきれいにはならないが、塗装する部分であるから、下塗りをして研げばかなり改善されるはずだ。

 ドアはかなりオフセットされている。その部分を表現せねばならないので、ステンレス板を重ねる必要があるし、周りのアルミニウム材も削る必要があるから、そう簡単には出来ない。設計には工夫が要る。

2026年07月14日

続 How to fasten the observation roof

Slide-Snap-fit バネは土手(nipple)を乗り越えてその向こう側に行く。これがあれば安定化する。図は再掲した。
 厳密に言うと土手を乗り越えた向こう側の斜面の上で止まると良いと習った。より安定化するのだ。

Slide-Snap-fit (2) リン青銅のバネはネジで屋根板に留められているが、ネジの頭を使って前後の位置決めをしている。孔に嵌まり込むようにしたのだ。外す時は持ち上げて引っ張るとスパンと抜ける。
 バネの幅はテーパになっているので、所定の深さまで嵌まると左右動は無くなる。この設計は意外と面倒だったが、修正なしで作動した。他の丸孔は照明用だ。天井板に彫り込んだLEDから光が落ちるようにする。 

Slide-Snap-fit (1) 押し込むとカチンと嵌まりこむ。前方(流線型でない方)を持ち上げてやると外れるが、そうしない限り外れることがない。バネの力で引き込まれているので隙間は無くなる。
 もう一つの Ardenは四角の展望室なので左右2箇所で引っ掛かるようにした。この工作は極めて簡単である。

eliminating slack 庇(ひさし)の部分に隙間が開かないようにするのは少々姑息な方法を用いる。側板からの続き部分を眼に見えない程度、わずかに上反りにしておくのだ。屋根がバネでグイと押し付けるので隙間は無くなる。光が通らなければ気にならないので、屋根側には細い角材を貼ってあればさらに確実な筈だ。


2026年07月12日

How to fasten the observation roof

 展望室の窓は大きい。そこに屋根を留めるボルトがあれば、かなりみっともない。以前購入したアメリカ人の組んだ展望車は大きな木片で天井を支えていた。それが目立つの避けるため黒く塗ってあった。実にグロテスクで参った。結局、天井板と床板以外は全て捨てた。
 現在製作中の展望車は都合3輌あり、どれも内部がよく見えるから屋根を留める工夫が必要だ。細いボルトを壁に沿わせる手もあるが、やはり見えてしまう。

 材料置き場でリン青銅の 0.6 mm厚の材料をを探し出した。これでバネを作って屋根を喰い込ませる。もちろん展望室には頑丈な天井を作り、それに引っ掛けるのだ。

 以前ブラス板でこれと同様のバネを作ったが、どうしても疲労して堅くなり、バネが利かなくなって来る。リン青銅は金属疲労しにくい材料であるという知識は大切である。昔からTMSにはブラス線や板でバネを作る例がよく紹介されていたように思う。その後どうなってしまったのか、心配だ。殆どの模型は耐久性が考えられていない。何年経っても製造時のような確実な作動を求める人など、いないのだろうか。

 ある科学博物館に興味深い展示があった。色々な種類のバネ材を用意し、同じ寸法に切り出してある。それにモータで負荷を掛けて曲げ、カウンタでその回数を表示している。鋼材各種、ブラス、銅、アルミ合金、ガラス繊維補強のプラスティックなど15種くらいが並んでいる。どれも数百、数千回以内でほとんど折れてしまっているがリン青銅だけは数万回でも生き残って、さらに実験は続いている。結果は本で読んだ通りだが、それを目の前で見ると衝撃的だ。

Slide-Snap-fit この展望車の屋根は、リン青銅のバネが丈夫な天井板の穴に嵌められ、後方に押し込まれるとグイと押し付けられ、左右のガタも無くなる。車体前部のトイレと物置の中に長いネジを付けて、それを締めるとどうやって固定したか分からなくなる。  

2026年07月10日

stretching a Walthers' passenger car

 ブラス製 18-roomette の改修作業を終え、一群の客車の製作に区切りを付けるつもりだった。ひとつだけ Walthers のとても軽い箱が見つかった。中身は空に近いと思っていたが、それはブリキ板と木の板によるキットであった。ブラス製は 1.6 kg位もあるが、これは 250 g もなかったのだ。
 気楽に組んで補重し、 PRR の編成に紛れ込ませればよいと思ったが、その見込みは見事に外れた。側板はブリキ製で窓はプレスで抜かれていたが、長さが 19 mm も短い。図面集をひっくり返してみたが、そんな寸法の客車は見つからない。伸ばさざるを得ない。

 仕方が無いので、ブラス製と見比べてどうするか考えた。一番楽なのは寸法を測ってステンレス板をレーザで抜くことだ。それを貼り付ければ完成だ。
Brass vs. Tinplate しかし窓寸法と間隔はほとんど合っている。ドアの付近と洗面所あたりの寸法が少し足らないだけだ。そこを切り離してブラス板を嵌め込み、長さを伸ばせば出来そうに思った。問題は厚さである。ブリキは 12/1000 インチ厚で 0.3 mmしかないがそこそこに丈夫である。ブラスでは、その厚さではとても持たない。0.5 mmを貼り足すのだ。厚みの差が裏に出るようにして僅かに湾曲させた裏打ちを貼り付けた。こういう仕事は50%ハンダが適する。表を研ぐとほとんど分からなくなった。 

Walthers passenger car roof 屋根は面白い構造だ。木製の厚い屋根にブリキの曲がった板が載せてある。それは 0.3 mm 板だから軽い。木部は虫食い部分があったので、エポキシパテを押し込んで削った。
 Walthersという会社はこのようなキットを1975年あたりまで売っていたのだ。2010年頃、かなり買い集めて完成させた。しかしその後20年程見ることがなかった。最近は接着剤が進歩しているので、このような金属と木のキットも十分に丈夫に組める。そうなると価値が出て来るような気がする。 

2026年07月08日

inspection car

 Arden は社用車である。社長専用車というわけではない。何かの重大な仕事で、指揮を執る人が常駐せねばならない時に用いる。また、顧客の接待などで必要な時に使用するものである。  

 40年ほど前、日本の自動車会社が Union Pacific 鉄道を近代化し、日本とアメリカ中部の工場を結んで正確な時間で走らせようと計画した。自動車会社の役員が視察に行ってこの種の車輌に乗ったという証言を得ている。もちろんこの車輌以外に食堂車があったそうだ。寝台車もあったかもしれない。

UP Fox Valley (4) 視察を目的とするなら、視界が広い方が良い。そこで後部を切り開き、座席を階段状に並べた stadium-style seating の車輌を作り始めた。最初は後部の防護用に太いH鋼を2本立てたタイプ(IDAHOと名付けられた)が作られたが、視界が狭く評判が悪かった。これは1990年代に廃車になってしまったようだ。この写真の出所は不明である。

UP Fox River(1) 後に妻に最大級のガラス窓を付けたものが登場した。この写真はTen Bears Imaging氏の撮影したものをお借りしている。元はC&NW鉄道のものだったが、UPと合併してUP塗装になった。 
 後ろを照らすライトはたくさん付いているし、巨大なワイパもある。座席の並びから theater car と呼ばれている。確かに座席に座れば映画館のスクリーンのように外部が見えるのだ。追突されると危ないが、そこはどうしているか知りたい。内装には木目が見えている。右側通行だが、左側に移行して走っている。そこでは右側は側線のようにも見える。

 この模型を作りたい。材料は切り出してあるので、窓を抜けば簡単だ。また妻板の工作は極めて単純であるが、座席は丸見えなので心して作らねばならない。ケガキを始めたが、さてどうなるだろうか。 

2026年07月06日

続 Arden

 Arden の内部についてはかなり資料が集まったが、どれもかなりの違いがある。かなり頻繁に改装を受けているからだ。

Arden from scratch 後部デッキの壁には追突時に安全を図るための太い鉄骨が縦に入っている。どう考えても奥行き 300 mmほどもある角柱が縦に2本あり、その隙間を通って出入りする。壁との組み方がどうなっているのか、よく分からない。少ない写真とにらめっこしている。  
 これも屋根が浮き上がるのを防ぐ工夫を施すことにした。展望室に締め付けネジが見えるのは避けたいからだ。

 台車は3軸台車である。オリジナル車輌は coach(座席車)で、改装後しばらくはそのまま2軸台車であったが、装備が重くなって3軸台車になった。田舎の弱い線路にも入る必要があったからだという説もある。それが1958年らしい。 

 デッキのスカートは丸味を持つ。ややこしい曲面である。パテを盛って削り出した。この車の手摺はそれほど難しい形ではない。機番によっては芸術的な形でとても作れそうもないものもあった。これは針金細工で出来そうな範囲にある。

 床下機器の情報はある程度集めたが、横から見える範囲しか細かくは作らない。いつの状態を再現するかによって外見も大きく変化している。1990年代は衛星電話が実用化されたので、パラボラ・アンテナを上向きに付けている時期があった。

 何か事故があると、クレーン車、作業員用宿泊車、食堂車、電源車、水タンク車、燃料タンク車、資材運搬用の貨車と共にこれが出動して行く。大規模な工事だと半年以上現場に留まって指揮をしていた。

2026年07月04日

Arden

UP Arden (6) 70年代のある日、駅にこの車輌が居た。”Arden”という名前の車輌であった。日本では見ることのない business car であった。巨大な無線アンテナ(cubical quad antenna)が横に置いてあった。そこに居た人が「触らなければ近づいて写真を撮っても良い」と言ってくれたので、たくさん撮った。地面から生えている電源箱には、240 V 3-phaseと書いてあり、太い電線のプラグが差し込んであった。また、上水道も繋いであり、下水は太いホーズで下水管に突っ込んであった。

Arden 1975-09-26 その後いろいろな場所でこの車輌とはよく遭遇し、職員ともある程度仲良くなったが、中には入れてはもらえなかった。そういう規則があるのだ。カメラを渡して最後尾の部屋の内部写真を撮ってもらえないかと頼んだが、それも断られたが当然だろう。他にも102号というのがよく来ていたが、形が好きではなかった。

Arden from scratch この模型を作りたくなり、かれこれ30年ほど取り組んできた。しばらく前の仮組み状態を示す。最初ブラス製の側板を作ったが満足できず、ステンレスで作り替えた。これも northerns484氏の助けがなければ放置状態であった。窓抜きはレーザに敵うものはない。屋根と床は木製で、ポプラ材から削り出したものだ。
 ポプラ材はアメリカで家の内装によく使う。天井と壁のつなぎ目に45度の角度で板を張る、いわゆる廻り縁(まわりぶち)の材料である。日本のシナ材に近い。木目が目立たず軟らかい。そういう工房に建材を注文することがあったので、ついでに安く作ってもらったものだ。その職人は多少模型のことが分かる人だったので助かった。10本ほど持って帰った。材料さえあれば自分でもラウタで作れる。

 Ardenはデッキの造作に特徴がある。後端は下が絞られている。屋根の端も特徴ある形状だ。この形が気に入っている。
 柵はジグを用意して作る予定だ。


2026年07月02日

続 slumbercoach

slumbercoach この寝台車の一階部分の床は低い。垂れ下がっているという表現が適当だ。建築限界があって車体を高くできないから、下げるしか方法がなかった。もっともUPのような田舎を走る鉄道では建築限界などあってないようなもので上に伸ばせば良かったが、Pullman は他の鉄道への販売を考えたのだ。

PRR slumbercoachPRR slumbercoach これは PRRで使用されたものである。床は斜面(ramp)で下っている。上の階の天井高さはあまり高くはない。切符を販売するときにはそれを承知させたのだろう。


UP 49er from scratch 筆者の模型も設計図通りに床を下げた。ちょうど良い合板があったのでそれを貼り足したら、かなり重くなりちょうど良くなった。写真を撮ったのは仮の線路上であり、心皿高さも調整してない。互い違いの窓が印象的だ。台車は新設計である。 
 この写真では展望室の屋根が浮いて隙間が見える。展望室の中にネジなどを貫通させて留めるというのは、あまりにも無様で許せない。それを回避する奇策を施したので後ほど紹介する。 

 アメリカでは”slumber” という言葉は特定の場所でよく使われる。それは高校や大学の寮である。パジャマで集まって夜通しいろいろな話をして楽しく過ごす。それを slumber party という。


2026年06月30日

slumbercoach

 この客車の slumberというのは「まどろむ」という言葉で、本格的な睡眠とは少し違う。要するにコウチ(座席車)であるけど寝られる簡易個室寝台車である。便器が各室に付いているのは大したものである。一日中籠っていられるわけだ。最近の寝台電車にもあるらしいが便器は付いていないようだ。 

UP 49er 半二階建てとなっていて、2つの客室が互い違いに組合わされている。車体長さに対する収容人員が飛躍的に増え、低廉な料金でプライヴァシィを確保できる画期的な構造だ。1935年頃に登場した。車体の片面には窓が2段に並び、特異な形状である。区画の天井は低く、今で言うカプセルホテルとそう変わらない。
 
steps lead to upper rooms Union Pacific鉄道はこのデザインを採用した。それはUP の”49er”という大陸横断特急である。シカゴからサンフランシスコへ2日強で走り抜けた。「フォティナイナ」とは、1849年にサクラメント郊外で金が発見されて、それを目がけて押し寄せた人たちのことである。この事件でカリフォルニアの人口は一挙に十倍以上になったらしい。現在はサンフランシスコにあるフットボール・チームの名前だ。
 最後尾の流線形テイルを持つ展望車と連接になったこの簡易寝台車は、世界中で有名になった。

 その後その列車は形も名前も変わったが、最後尾の2輌だけはそのまま使われた。すなわち、ヘヴィウェイトのプルマン寝台列車の最後尾にこの流線形の2輌が繋がれたのである。既存の列車の最後尾を取り替えるだけで新しい編成の気分を味わえるから、模型の場合は好都合だ。

 この模型を作り始めて30年になる。かなりのところまで行っていたが、窓の切り抜きが気に入らず、放置されていた。数年前、northerns484氏のご助力でステンレス板をレーザで切り抜いたものを作って、やる気になった。 


2026年06月28日

ハンダ付け部の疲労

 最近ハンダ付けに関する質問や助言をかなり戴くようになった。一言で言えば、「どうすれば丈夫で壊れない接合ができるのだろうか」である。

 このブログでは、スズ 63%ハンダを推奨している。それは接合面に薄く沁み込み、「合金層だけでの接合」を形成しやすいからである。突き合わせの接合はするべきではない。よく見るのはHO車体の妻板接合部の外れである。これは筆者は絶対にやらない。

 前回のコルゲートの客車にはハンダが大量に使われていた。ハンダの塊でブラス板が接合されている部分さえあった。ガス火で焙り、融かして回収した。色から判断するとスズ60%ハンダだ。アングル材を作って貼り付けたらとても丈夫になった。窓部分をすべて切り取り、ステンレス板をレーザで切り抜いた部材に総取替する。全体の剛性を大きくして狂いを防ぐのだ。

 イモ付けであれば、車体を握った瞬間にハンダに応力が集中し疲労する。ブラスよりも弱い材料に応力が集中するのは当然である。毎回接合部を折り曲げようとする力が掛かるのだ。もし妻板がコの字の断面を持ち、ある程度の幅で側板と接合されているなら、ハンダ接合部には力はほとんどかからない。あるいは角線を貼ってあったらどうなるかである。これは大した手間ではない。筆者はその目的のアングル材、角線を各種用意している。

 ハンダという合金はブラスに比べればはるかに弱い。単なる接着剤と考えて、面での接合をするべきである。厚く付けた接着剤そのものに応力が掛かるような構造は間違っている。これが理解できていれば、ハンダ接合は意外と強いものである。

2026年06月26日

続 プロのハンダ付け

Budd corrugated passenger cars この客車は日本で安価に入手した。エッチングで表現されたコルゲートを持つ。0.7 mm のブラス板に 0.2 mm と深いエッチングである。半分壊れていたので、素材として入手したのだ。一体誰が作ったのだろう。極めて怪しい設計で、窓配置、ドアなど全て修正が必要だ。コルゲートのピッチもかなり怪しい。ハンダ付けは極めて稚拙であった。元は CB&Q の車輌だと思われるが、自由形と言うべきだろう。これを大改造してAmtrakに作り替えるつもりだ。

soldering onto roof 先回に引き続き、プロの腕の話をしよう。ステンレス・コルゲートの屋根にある2本のリブを見て驚いた。コルゲートはエッチングで彫って作ってあるが、そこに2本の膨らみがまっすぐに隙間なく付いているのである。すなわち屋根に1x1の角線を直線状に正しく貼るにはどうしたら良いだろうか、というのが今回の話題だ。写真の右は上記の怪しい客車の屋根にハンダ付けが完了している。完全な直線で付いているのがお分かりだろう。左の屋根に今から付けるわけだ。 

コルゲート付き屋根に洋白角線を隙間なく貼る そのプロの手法を図示してみた。
 屋根板に Φ 0.8 の孔を30 mmごとにあける。角線はその上に貼られるから孔は見えなくなる。マスキングテープで角線を仮固定する。所定の位置にあることを確認して裏に塩酸を含む塩化亜鉛水溶液を多めに付ける。水滴が盛り上がる位にするのだ。63%ハンダの小片を置き、150 Wのコテを垂直に強く押し付ける。平たいコテの先が、上からは見えない角線の上を完全に押えるようにする。コテからの熱は薄い屋根板(t0.7)を貫通し下の角線に到達する。ハンダは石鹸水のように沁み込み、屋根板と密着する。この時、耐熱性のある堅い板の上であれば、コテを押す圧力がそのまま角線に伝わり、隙間の無いハンダ付けが可能である。こうして小さな孔の前後 10 mm程度にハンダが瞬時に廻る。順時このようにすると、角線の全長の半分以上が屋根板にハンダ付けされる。孔は小さくてもハンダが急速に吸い込まれるのが分かる。たとえ腕が良くなかったとしてもスズ63%ハンダを使うと、とてもうまく行くのだ。塩化水素が少し放散されるので、屋外で行うべきである。

 この時、ブラス線ではなく洋白の角線を使うのが筆者の工夫である。熱膨張定数が小さく、伸びる量が相対的に無視できるから、貼った線がくねくねにならない。ハンダは急速に隙間に沁み込み、ほとんど見えない。塩酸が含まれていない塩化亜鉛液では、これほどうまくは出来ない。角線はねじれていると失敗する。事前によく調べてねじれを取っておくことが肝要である。

 テープはなるべくハンダが来ない位置に貼ると、熱で変質しにくい。直接熱が加わる位置では糊が融けてへばり付いてしまう。

 小さな孔を介してのハンダ付けをしている訳だが、極めてうまく行く。お試しあれ。


2026年06月24日

プロのハンダ付け

車体に床板を留めるアングルをハンダ付けする 今回の客車には、床板を取付けるアングル材が側面にハンダ付けしてあるものがあった。その手法は、なるほどと納得するものであった。

 側板にアングルを取付けるときは、高さを決めるジグで押し付けて、ハンダ付けする。この大きさであると 150 Wのコテを使うべきだ。今まで筆者は全面的にハンダを付けていたので、側面が微妙に反った。床板に締め付けると真っ直ぐになるので何の問題もないが、面白くはなかった。今回のジャンクの中にはアングルが取付けてあるものがいくつかあったので、その様子を見て驚いた。

 車体と床板は 8本の M2ネジで取付けられている。すなわち、車長を 3 で割れば、大まかに言えば 15 cm ごとにネジ孔がある。側面とのハンダ付けはそのネジ孔の前後10 mm程度にハンダを沁み込ませた状態である。
 力が掛かるのはネジの部分だけなので、他の部分はハンダ付けしなくても問題は起きない。全面的にハンダ付けをすると反りが出ることを見越した判断だ。これはプロの腕である
 商品は見かけが大切である。いかに「丈夫に作りました。」と言っても波打っていれば商品価値はないし、「ネジを締めれば反りは無くなります。」と言ってみても説得力はない。

 そのネジ部分のハンダは実に丈夫に付けられていて驚いた。ハンダの量は多くはないが完全に沁み込み、アングルは側板から外れることはない。大したものである。

2026年06月22日

Burlington refrigerator express

Burlington Route express reefer ほぼ完成である。まだ番号が貼ってない。
 大きな文字の Everywhere West は、とても古いディカールを貼ったので文字が一部流れている。いずれ貼り直すべきだろう。

 ヘラルドのディカールはもう余分がないので慎重に貼った。膜の強化液を塗って始めたが、その強化液がディカールの紙の断面に付いてしまった。するとその部分から液が紙の内部に沁み込み、水の中で剥がれなくなった。すぐに引張り上げてカミソリで切り落とし、難を逃れた。これは注意すべきことである。大きな台紙のままで強化液を塗って、乾いたのちに余白を切るべきであった。

Burlington express reefer on the track (2) この塗装はたった一枚の写真を見たことから始まって資料を集めたが、どれもすべて異なる塗装スキ−ムであった。黄色帯の太さ、文字の大きさ、書いてある内容がすべて異なった。したがってこの塗装は自由形で、手持ちのディカールの文字が貼れるような帯の太さにしている。そういうわけで、これを参考に塗るのはおやめになった方が良い。

Burlington express reefer on the track (1) そもそもこの側面のドアが観音開きというのは、この時代にしてはおかしいのである。これはプラグドアにすべきであったが、手持ちの部品を早く使ってしまいたかったので、その仕様にした。

 調色した緑の塗料はまだかなりあり、早く使ってしまいたい。何か塗れるものがないか、資料をめくっている。 

2026年06月20日

続々 reefer を塗る

 ディカールを点検していて重大なミスに気が付いた。手元のBurlington のディカールの四角の枠には赤の帯がなかった。ということはそのまま貼ると下地が透けて見えるわけだ。赤の下地を作らねばならない。

Brlington green reefer ディカールは水に漬けると多少伸びるだろう。許される誤差は黒枠の太さの範囲である。ディカールの寸法を正確に測定してマスキングした。小さな四角の枠を作り、大きな紙で全体を覆ったが赤を塗るのは一瞬であった。

Burlington もう一つ、このディカールの四角の枠中の Burlington Route の文字部分は白なのか、それとも素抜けているのかを確認する必要があった。このディカールは白い紙の上に印刷されていたので、文字が白いかどうかはそう簡単には分からない。

 顕微鏡で覗いても今一つよく分からなかった。そこで横から紫外光を当てると白文字のところだけ緑っぽく光った。これでインクがあることが判明した。最近は光硬化接着剤があるのでそのLED光源を使えばよいのだ。

 結局5色を使った塗り分けになり、貨車ごときにこんな手間を掛けたのは初めてだった。普通は多くても3色で、細かいマスキングは必要ないものばかりだった。

2026年06月18日

続 reefer を塗る

removing masking マスクした部分を剥がす瞬間はいつも興奮する。このように平面であれば心配ないが、ハシゴの下などは多少の漏れもある。塗って15分も経てばテープをはがしても問題はない。それ以上経つと、固まった塗料が引き裂かれるので境目がすっきりしない。
 ナイフで削って少し塗料を塗る必要がある。当鉄道では珍しいストライプ入りであってよく目立つ。
 屋根は銀色にしたくなったので、最後に側面、妻面をマスクして吹いた。これは簡単な作業である。

 ディカールはごく一般的な貼り方である。 封を切って一部を使ったディカールはなるべく早く使い切り、袋を捨てたい。最近はかなりたくさん消費したので、残りはスーツケース半分になった。分類して、たくさん抽斗のあるレターケースに入れ始めた。この分類作業はかなり頻繁に行っている。そうすると思わぬものも見つかって、次の工作への指針となる。 

 今回の塗装で使うディカールを選んで並べ、間違いなく貼れるか予行演習をする。古いもの、一つしかないものには強化液を塗る。そうしておかないと心配である。 

2026年06月16日

reefer を塗る

 先日調色したラッカを早く使ってしまいたい。それを考えながら、塗らねばならない貨車の塗色を調べていた。もちろん持っているディカールの使える範囲内である。

Burlington express reefer 先回の冷蔵車は黄色のBurlington にするつもりであった。黄色の塗料はないわけでもない。ディカールは使い掛けのを早く使って始末したい。それを並べて考えていたところ、この緑に黄帯の塗り分けを見付けた。いささか荒い写真ではあるが、インターネットあればこその結果で、切り取って保存した。こういう写真は本を見ていても見つからない。個体によって多少違うから、こちらにとっては有難い。ディカールは完璧には揃っていないからだ。
 
fully masked 問題は塗り分け線上の黒のストライプである。そんなディカールはないからマスキングでやらねばならない。
 まず黄色を塗ってマスキングテープを貼り、黒を吹く。固まったら、それにかぶせて再度マスキングし、緑を吹く。ラッカだから15分も経てば剥がせる。ハシゴは面倒なので、下地だけ塗り分けてあとは筆塗りをすることにした。そこそこにうまく行ったが、マスキングテープを重ねて貼ったところに糊が残っている。うまく拭き取らねばならない。
 最終的に側面、妻面を完全に覆って裏側を黒く塗った。これは気楽である。

 金属製であるから、失敗したらブレーキフルードに浸けておけば剥がせる。そういう点では心配せずにできる。

2026年06月14日

gimmick の価値

 鉄道模型の趣味がある人のうち、ドアが開いたりするのが好きな人はどれくらいの比率なのだろう。現在、筆者はそういうのは嫌いであるが、中学生のころまではとても好きでドアが開くのを友人に見せて得意になっていた。ドールハウスに使う小さな蝶番を探して買ったこともある。

 その後何年も経ちレイアウトで運転するようになると、ドアが開いてトンネル側面に引掛かる事故を経験した。対向列車にぶつかったこともある。壊れるとある程度塗装を剥がしてハンダ付けをやり直さねばならない。また部品も散乱する。それが嫌になって可動させることはやめた。以降、扉は接着して開かなくするのが当鉄道の仕様である。

 さて、この冷蔵貨車はギミック満載である。20年ほど前 e-bay で買った。どういうわけか売手はオーストラリアの人で、日本への送料は安かったが、距離のあるアメリカへは送料が2倍ほど高かった。アメリカからの入札者は無く、筆者だけしか入札者がいない状態でとても安く買えた。   
reefer gimmick2 側面の扉は断熱材を再現して厚く作ってあった。扉は観音開きで、ロックが掛かる。鎖錠装置は良く出来ていた。本物のように偏心していて、回転させて死点を越えると開かなくなる。軸の弾力を利用したうまい方法であった。こう書くと素晴らしそうに感じるかもしれない。到着時は見事な作動だったが、徐々におかしくなって来た(この写真は鎖錠装置を壊している最中に思い付いて撮ったので、下半分しか残っていない)。
 
 ブラスで作ってあるから何百回も力が掛かると徐々に金属疲労が進み、硬くなって
来てロックが甘くなったのだ。すなわち閉めたつもりでも、走っていると開いてしまうことがあった。折れるまでには長い年月がかかるかも知れないが、実用に耐えなくなったということである。
reefer gimmick 屋根の氷を入れるハッチ周りの裏側も白い断熱材が張られているのを再現している。ここでそのハッチが開いたまま走れるように、ラッチが掛かって閉まらないようになっている。これは本物の構造の通りだ。氷室の構造もよく再現されていた。良く出来ていたが 3/4 が壊れていた。

 作られてから数十年は経っていただろう。片面のドアが壊れた状態で届いた。直そうかとも思ったが走行中に開く可能性があるので、別部品で作り直して開かないようにした。非常にすっきりして良くなった。氷を投入する蓋も留めた。

 20年前、これを見せた時「凄いね!」と称賛する人も居たが、走らせるものはギミックを無くした方が良い。また、動かすのなら確実な鎖錠装置が必要だ。あるいはドアは内側にしか開かないものが良い。

 この件に関してご意見を戴けると嬉しい。

2026年06月12日

続 4-4-2 Pullman

PRR 4-4-2 Pullman 1938 この略図で、C,F,G,H に覗き窓がある筈である。A,B,I,J は一人用個室である。上のベッドを降ろせば二人用となるが、どちらかと言うと補助的扱いである。 
 Pullman の公式写真、図面を編集して50巻ほど販売している出版社がある。筆者は UP や NYC のシリーズは持っているが PRR のものはない。持っている人に調べて貰ったが、覗き窓の写真は見つからなかった。それで、「PRR には覗き窓がない」という作り話が生まれたようだ。しかし考えてみれば、覗き窓がなければ上の段に寝た人は今どこを走っているのかは知る方法がない。ということは1段しかベッドがないのか?そんな筈はなかろう。内部の細かい図面(平面図しかないが)を見ても他の車輌と同じである。ということは覗き窓が無いのは不合理だ。
 今回友人からその資料の当該ページの提供があったので再度精読したところ、思わぬ記述に出くわした。

 1937年7月、"Broadway Limited"と"General"(どちらも特急の名前 筆者註)用に6輌の 4-4-2 寝台車が注文された。注文番号は6450、図面番号は4069Bだ。同時にNew York Central 鉄道も注文した。Pullman の写真技師はそれらの写真を撮るとき、同一のものを全部撮る必要はないと考え、2種の塗り分けを示す写真を撮った。
 1968年までにこれらの6輌は全てスクラップになった。
(引用終わり)

 それがこの2枚の写真である。
PRR 4-4-2 Pullman ImperialNYC 4-4-2 Pullman Imperial

 

 要するに、2社とも全く同一仕様で塗装スキームだけが異なる。すなわちPRRにも覗き窓があったと言っているわけだ。PRRの車輌の写真は通路側しか撮っていないので、向こう側の覗き窓の存在を否定する動きがあったわけだ。 模型化されたものを丹念に検索すると、覗き窓のない製品もあった。これは早とちりである。窓配置も奇妙である。

Walthers UP 4-4-2Walthers 4-4-2  PennsyWalthers 4-4-2 NYC


 Walthersは覗き窓付きを出した。これは何も考えずにUP、NYCと同時に発売したようだが、それが正解だった。不思議なことはどれもスカートが無いのである。UP には無いが Pennsy にはあったのだ。NYCはどちらの写真もある。筆者のUP車輌のスカートは切った。UPは新車を手に入れたのではなく、1952年に C&NW と SP からの中古車を導入したらしい。UP のスカート無しはその辺りに理由があるような気がする。


 模型人は写真がないと想像を巡らせて思わぬ結果を出すようである。筆者もその影響を受けそうになった。早とちりで窓を塞がなくて助かった。

 覗き窓のある部分は車体の端に近い部分で、乗り心地が良くはない。中央部は乗り心地が良いので、続き部屋で上等な部屋である。ひとつの車輌の中で良い部分を優等な部屋として提供しているところが興味深い。 

2026年06月10日

4-4-2 Pullman

 4-4-2 と聞くとAtlantic を思い浮かべる人がほとんどである。しかし客車ファンには別の解釈がある。
 これは4-bedroom 4-compartment 2-drawing room の意味で、4つの廉価版個室、4つの2人用個室、2つの続き部屋を持つ車輌を表す。中央付近の乗り心地の良い部分には優等個室がある。Pullman の社内で付けられた呼称は ”Imperial” シリーズである。

 2人用個室の上の段に寝ると、今どこを走っているかが全く判らない。下の段なら、窓を塞いでいるロール・ブラインドの隙間から覗ける。
 この目的の小窓が付いた車輌がある。国鉄のオロネ10にもついていたが、アメリカには早くからある。この 4-4-2 は1938年製であるが1930年製造のものにもある。

thumbnail_IMG_7568NYC 4-4-2 Pullman Imperial UPやNYCの寝台車にはこの覗き窓が付いていることがよく判る写真が多くあるのだが、PRR ペンシルヴェイニア鉄道用の客室側の写真が見つからない。それで一部のHO模型にはその覗き窓を無くしたものもあった。そうなると、内部の構成は全く異なるものになる。そんな筈はなかろう。
 左の写真はUPの現役引退後の改造車輌だ。作業員の移動式宿舎として使われていたものだ。

 実はこの 4-4-2 のジャンクは2輌分あったので、一つは UP仕様としてスカートを切り落とした。もう一つはそのまま PRR用としたが、覗き窓の有無が確定するまで、かなりの期間放置されていた。
 今回客車を研究している友人から興味深い情報を戴いたので、PRR用にも覗き窓があることがわかった。 

2026年06月08日

窓を小さくする

shrink window size 窓を小さくするのは比較的簡単だ。
 まず丸い隅を削って四角にする。こうすると新しい窓の付いた板を作るのがかなり楽になる。

 最初に全体よりも少し大きな板を用意し、孔をあけて角に丸味を付けた角孔を作る。孔の寸法を確認し間違いがなければ4つの辺を切り落として嵌め込む。ガタがないように正確に削り、出来た窓が傾いていないことも確認する。

to shrink window size 外側を面一(つらいち)にしたいので、外に耐熱性のある板を当て、内側からブラスの当て板を置き、何かで強く押し付ける。当て板は窓の左右2箇所だけで良い。厚目の板の小片で十分だ。
 反対側の窓があれば、それを通して当て板を棒で押して密着させる。塩化亜鉛水溶液を塗り、50%のハンダの粒を置く。200 Wのコテを当てれば 2秒で全体にハンダが廻り、外側が一体になる。溝は出来ない。ほとんど何も仕上げをしなくてもよいくらいだ。 

shrinked window 今回はハンダ付けが終わってから窓の内側を少し削って仕上げた。窓枠が完全に直角に仕上がっているのを確認する。


 より完全な処理をしたいなら光硬化パテを塗って削り落とせば全く痕跡が無くなる。

2026年06月06日

PRR の coffee shop car

PRR coffee-shop car Budd (2) 1986年に筆者が目黒の店頭で1つだけ買えたものは、そのまま保存していた。積み上げられたジャンクの中で唯一ニッケルめっきが施されていて、目立ったのだ。不思議なことにどこも壊れていなかった。壊れたところがないのにジャンクだったのはメッキにむらがあり、一割くらい茶色のところがあったからだろう。必要以上にキラキラしていたが、ステンレスの色をニッケルめっきで表現するのは無理がある。ニッケルめっきでは玩具にしか見えなかったが、40年経つとくすんでステンレスっぽく見えないこともない。
  
PRR coffee-shop car Budd (1) 最近市販されているステンレス調色塗料の色は素晴らしい。これも塗装でステンレス色を再現するつもりだ。窓配置は間違っていなかったから助かった。台車は仮のもので心皿高さも未調整である。

PRR coffee shop 1154 budd 左の写真はこの車輌の実物だ。こんな塗分けになる。幕板と帯板のみが塗ってあった。全体はステンレスの銀色で、tuscan(イタリアのトスカナ地方の茶色顔料、屋根などの色 )を塗れば良い。この客車群を塗るためのタスカン色塗料は十分に確保してある。 この写真では屋根が黒っぽいのが不思議だ。

PRR coffee-shop car Budd Pullman この車輌の室内を調べると、UP の lunch counter diner
と似た配置の部分がある。また、キッチンにはかなり大きなオヴンがある。RADAR RANGE とあるからmicrowave oven(日本で言う電子レンジのこと)である。アメリカでの発売当初はそう言っていたのだ。今この言葉を使うと全く異なる軍事用語になる。レーダで索敵できる範囲のことを指す筈だ。
 この客車では軽食を中心に出す。旅客の出入りは隣の車輌からだ。これは現在の法律では許されない。すべての車輛に2箇所以上の脱出用ドア設置が義務になっている。
 側面には小さなドアが2つある。食料、食器の出し入れをするものである。

<筆者註> 読者の方がご親切にも実物の写真を提供下さったので差し替えた。ありがたいことである。

2026年06月04日

Roomette

PRR 18-roomette Pullman この客車は定員18人の個室寝台である。ただしそれはやや狭い部屋である。この小さな個室は roomette と呼ばれ、1937年に導入された廉価版の個室寝台だ。いかにもフランス語風の言葉だが、アメリカで使われ始めた造語である。アクセントは後ろにある。アメリカ人の中には、フランス文化に憧れを持つ人は今でも多い。

Pullman compartment interior いわゆる「通常型の Pullman の個室」にはベッド、椅子、テーブル、トイレが備わっている。ベッドは枕木方向にあるのが普通だ。すなわち通路は車体幅の片方にある。トイレは部屋の隅にあって上にクッションが載っている。ベッドは昼間は畳まれてソファになり、ゆったりとしている。これは旧国鉄時代のA個室寝台と同等である。それには45年ほど前乗ったが内部は殺風景で、かなりの料金を支払って乗ったことを後悔した。
 一方、アメリカの個室は木目調の塗装で落ち着きがあった。これは車内に可燃物をできる限り少なくするという目的で採用された。手描きでクルミの木目が再現してあった。これはプルマンの統一された仕様である。そういう職人を擁していたのである。

 ルーメットでは、トイレは昼間は露出(上にクッションがあり、蝶番で開くようになっている)しているが夜間はベッドの下になり、用を足すことが出来ない。ベッドを畳むと使用できるが面倒であるから、車端にある general toilet 一般用便所を使用せざるを得ない。

Budd_Company_Budgette_car_1945 このポスターは「開放寝台は古い。ルーメットの時代ですよ」と宣伝している。プライヴァシィが保たれる個室への移行を表しているのだ。1945年に始まった広告だそうだ。Budd社の広告でプルマンの仕様とは少し異なるが、二段式の上の寝台に登るのが嫌だという人はある程度居るということを強調している。 

 日本の寝台車には何回か乗ったことがある。ベッドがレイル方向と枕木方向にあるのと二種あった。確か前者がA寝台であった。ベッドが少し広かった。
 この方式を「プルマン式」と表現したのを見たことがある。これは正確には開放型プルマン寝台と言うべきであろう。厚手のカーテンに囲まれた2段寝台で寝るのは悪くはなかった。寝台電車は3段式であった。客車時代の3段式は乗ったことがない。
 その後新幹線があちこちに開業し、寝台車というものをほとんど見ることがなくなってしまった。

 アメリカではチャンスがあると乗ってみた。寝台、洗面所、ラウンジ、食堂車を順にくまなく見て体験するのは楽しかった。ラウンジにはピアノが置いてある場合が多かったが、調律がしてなかった。
 どれも大きな車輌であった。新幹線は十分大きいが、天井が低いのは残念と感じる。 


2026年06月02日

窓配置

5 bdrm bar-lounge Pullman この車輌は 5-bedroom bar-lounge Pullman という種類だ。 個室寝台と酒を飲む場所とが併設されている。酒飲みの人には具合が良い車輌であろうが、この個室寝台がそうでない人に割り当てられると寝られないであろう。その個室は2つをつなげて使用ということも可能のようだ。
 この種の車輌内の売り上げはすさまじく大きかった。当時は、酒は cash でなければ飲めない時代であった。札束がたくさんできたそうだ。

 この模型には窓の違いが3箇所あった。1つは塞いだ。反対側に拡げなければならない窓が一つと、小さくせねばならない窓が一つある。

PRR 5 bedroom bar-lounge Pullman HOwrong window arrangementunnecessary window 資料を探していて思わぬ写真を見付けた。これは Kumata が輸出したHO車輌だ。なんと手元のOスケールと相似形である。これらの写真はアメリカの模型店 Brasstrains のサイトからお借りしている。

 当時 Kumata は凄まじい勢いでこの種のHO客車群を生産し、輸出していた。Oスケールも同時に輸出することにしたのだろう。それで 目黒の模型屋 と組んだらしい。手元に一つだけある箱にはKMT-KTMという紛らわしい名前のロゴマークが見える。さすがに当時の目黒のハンダ付けの職人は上手である。プロのテクニックが見える。それ以前のKMTの製品(P社が製作?)とは一線を画している。
 床は無かったので作った。連結器に掛かる力が次の車輌に直接伝わるようにした。スカートがあるので床下機器はかなり簡略化できるのは助かる。

<追記> 1938年の落成時の写真を友人から提供戴いた。驚いたことにこの製品の窓配置である。説明を詳しく見るとこのような説明があった。
Harbor Springs 1938 1938年5月に就役当初は、ダブルベッドルームが2つとラウンジ、理髪室、シャワー室、秘書室が付いていた。1943年に改装され、理髪室と秘書室は外されて5寝室になった。1954年に引退し売却された。1輌はメキシコに行った。
 すなわち製品の窓は間違ってはいなかったが、旧塗装の時に限られる。筆者は戦後塗装車を作っているので窓を改造して良かったことになる。上の図面は戦後のものである。

dda40x at 06:02コメント(4)客車 この記事をクリップ!

2026年05月31日

窓の修正

 ジャンク品なので文句は言えないが、窓配置が派手に間違っているものがある。設計者は何を見て窓配置を決めたのだろう。資料不足だけでは解決しない「何か」がそこにある。

 実物の構造をある程度知っていれば、そんなところには窓がない筈だと気付く筈だ。寝台車であれば、シーツ、枕など資材を置くところがある。当然、窓は作れない。ところが大きな窓がそこにある。また、客室なのに便所用の小さな明かり取り窓しかない。

PRR cars 手持ちの写真集、図面集を見て大まかなところが間違っていなければ合格とするが、あり得ないミスは修正せざるを得ない。この写真では、上から3つ目の右端の窓を塞ぎたい。


fixing wrong window 窓を塞ぐのは簡単である。厚目の板を少し大きく切って裏に貼り付ける。塩化亜鉛を塗って50%ハンダで付ける。この時は炭素棒で完全に密着させる。表から見てハンダがにじむ程度にしておく。厚板を下に貼るのは熱容量を大きくして次の作業で剥がれないようにするためである。
 車体は 0.5 mm板であるから、同じ厚さの板を切って穴に嵌め込む。塩化亜鉛水溶液を塗って 63%ハンダを置き、200 Wのコテで触ると一瞬で裏側に廻って密着する。

 周りは溝状の隙間が多少あるが、無理して埋める必要はない。表面が完全に面一(つらいち)になっていることを確認して終わる。凹んでいるところは光硬化パテで解決できる時代になった。埋めた面が同一平面になっていれば良いのだ。楽な時代になったものだ。 

2026年05月29日

Pennsylvania 鉄道の客車群

 ブラス製のジャンクがかなりある。1986年に目黒の模型店でこの種のジャンクがかなり売りに出ていた。それを買おうと翌週に現金を用意して行ったところ、すべて片付けられていた。代替わりした社長が「うちはそんなクズを売るような店ではない。捨てろ!」と怒鳴り、片付けさせられたと店員が言っていた。

 30年も経つと天の配剤により思わぬことが起こるものである。巡り巡ってそのときの客車がほとんど筆者のところに来たのである。かなり壊れているものもあって 1/3 は処分したが、残りは修復が可能であった。ただし、筆者はこの鉄道に対する知識が少なく、友人の助けを得て少しずつ作って来た
 GG1 か T-1 に牽かせるのが妥当なのだろう。どちらも用意してある。

PRR diner 食堂車は比較的原型を保っていた。台車はいずれ取り替えるが6輪の仮台車を付けた。食堂車にはテイブルを付け、皿と銀器を並べると壮観である。キッチンの中もステンレス色で作りたいが、見えにくいところなので概略だけにする。 


18 roomet Pullman これは個室が18ある廉価版の個室寝台車である。Roometteと呼ばれた。ベッドがレイル方向にあるタイプだ。これには窓が1つ多かったのには参った。連結器取付け部は補強してある。台車はUP用が仮に付けてある。

2026年05月27日

PRR の horse express car

horse express car (2) ジャンクから完成させた後、1年以上放置されていた。PRR  Pennsylvania 鉄道の車輌であったが、それをUP仕様に作り替えられないかと可能性を探っていたのだ。

 テキサスのデニスから貰った資料の中に UP の horse express car があった。この写真の Pennsylvania 鉄道の車輌と非常によく似ていた。小さな窓をつければ、作り替えることが出来そうに思えた。窓は高いところにあり、外が見えるような窓ではなかった。それを12個あけるのである。窓枠を作って裏から貼るだけだから簡単そうであったが、扉の形がずいぶん異なっていた。off-set(ドアが車内側に凹んでいること)の量も違うから、全部作り直さねばならない。それを作るのなら、スクラッチから作るべきであろう。

horse express car (1) そういうわけでこれはそのまま PRR 仕様にした。プライマは例によってミッチャクロンで、それにフロクイルの Tuscan を塗った。良い色である。隠蔽力が強く、薄く仕上がる。車輪はまだ塗ってない。 

 台車は S師に 3Dプリントで作ってもらったものである。連結器は当然 Monarch である。カプラ・ポケットの復原がよく利いているから、突き合わせて連結するのは容易である。客車の連結にはこのカプラでないと気分が悪い。  
 ディカールはあり合わせを貼った。多分貼り替えることになるので仕上げがしてない。 

2026年05月25日

Monarch coupler の準備

onarch couplers Monarch 連結器を取り出して整備している。客車を仕上げ始めたので事前に連結器座と組み合わせて動作を確認している。



 世の中は Kadee 全盛で、モナークという名前を聞いたことがない人が大半になった。筆者がOスケールを本格的に始めた1970年頃はケイディが売り出された頃で、モナークの需要がかなりあった。つなぐときはセンタを合わせて軽く突き合わせると、「プチッ」という小さな音がして連結される。決して外れることはない。キィは弱いバネで下向きに力を掛けているから、振動しても外れないところが賢い。外す時はカプラの下を指でなぞると外れる。キィを軽く押し上げるわけだ。開放テコと連動させている場合はそれを引き上げるのだ。

 当時の Oスケールは「連結開放は手でやるもの」という意識があった。ケイディの登場は「触らないもの」という思想を Oスケールに持ち込んだような気がする。その結果、客車列車までも発車時にガチャガチャガチャと連結器遊間を拡げながら動き出すが、オモチャっぽい。これは非常に腹立たしく、許せない。

 日本では寝台特急の青い客車以外は普通の連結器で。ガタを感じさせないように緩やかに発車するのが機関士の腕の見せ所だった。アメリカの客車はガタの無い連結器を用いている。一本のしなやかな棒のようになっているから発車時は静かに出る。これは肘を開かなくするキィがテーパになっている。自重で落ち込むようになっていて、ガタを無くする。日本でも一部の電鉄会社はこのガタの無い自動連結器を使っていたが、一般的ではない。 

 Pennsylvania 鉄道の客車を何輌か仕上げたので、それに取り付けるために連結器座を整備した。これは自動センタリングで引張りの方だけバネが利く。必要量しか作らないのは面白くないので、あるだけ全部組んだ。かなり面倒な作業であった。

 写真の手前にある長いシャンクは、連結器の付け根を台車キングピンに近くにしたい時に使う。モナークは絶縁されていないので、台車がナイロン製の物にしか使わない。それでも金属製台車にも使わざるを得ない時もあるので、絶縁された車体ボルスタを使う。車体は電気的に浮かせてあるが何かの間違いで短絡することもあるので、機関車の連結器は必ず絶縁している。 

 モナークは70年代後半に廃業した。2000年頃、シカゴの男が製造設備を買い取って再生産を始めたので、筆者がかなり買い占めた。その後どうなってしまったのかよく分からない。手元の在庫も僅少となった。 

 テキサスの友人宅のレイアウトでは、全ての連結器がMonarchであった。どれもよく整備されていたので、機関車の動きで確実に連結され、目的地で下からの動きで自動解放された。 

2026年05月23日

AAR boxcar

Pullman Standard PS1Rutland boxcar    仕掛品があったので完成させて塗った。筆者の好きでないIntermountainのキットだ。必要以上に細く出来ていて、全体の構成が良くない。好きな人は居るのだろうが、走らせることを考えていない。

 亡くなった友人のコレクションをお世話戴いたが、引取り手のないものもあった。 この貨車のキットは半分組んであったが、状態が良くなく部品も足らなかった。世話人のN氏が「どうぞお持ちください」とおっしゃるので戴いて来た。中途半端に付いている部品を一掃し、自作の部品等と取り替えた。このキットはプラスティック製であって側板、床板に剛性が無い。あまりにも軽いので鉛を入れるのだが、持つと車体が歪んで接着が外れる。
 このキットは非常に脆弱で持つことが出来ない。勢いよく連結すると壊れる。細い手摺などはたちまち折れてしまう。こういうものは筆者の手法で作り替える。

 車体の内部を削り、突起物を一掃してよく洗う。そこにぴったりはまる t 1の鉄板を貼り付ける。片面は錆止め塗料を塗り、他面にはスーパーXを全面に塗り、当て板をしてクランプで締める。一晩経つと極端に剛性の大きな車体になっている。床板も同様に鉄板を貼り付ける。これだけで車体は 440gになり適正質量だ。鷲掴みにしても堅いから安心だ。連結器が鉄板に直結されているから衝突にも耐える。上下はスーパーXで完全に接着されているのでそう簡単には壊れない。

 写真を見て適当な部品を探して付け、足らない部分は自作する。どこの塗装にするか決めねばならなかった。たまたまニューヨーク州の Rutland 鉄道のディカールをF氏に戴いたので、その塗装にする。フロクイルの塗料が不足していたので珍しくラッカで塗った。乾燥が速く、1日で3色塗れた。隠蔽力が足らない訳でもないのだが、元の車体に描いてあった絵を消すのに苦労した。
 わずかに残った絵の塗料がラッカのシンナで膨潤するのだ。事前にサンドペーパで磨って大半を消してあるのに、膨れてそれが見えてしまう。黄色を塗ってさらにサンドぺ−パで磨るということを3回繰り返した。こういうことはエナメル塗料であれば考慮しなくて良い。  

 緑はディカールと合わせねばならない。調色には苦労した。黒は缶スプレイである。これは簡単だ。車輪はフロクイルのグライミィ・ブラックである。この色も残り少ない。

 Rutland は NY 市内から 300 km ほどの小都市で大理石の産地である。この緑はこの地方の山にある松の木の色だそうだ。それを念頭に調色した。黄色の上に貼ったディカールと色が揃わねばならないので地色が透けて見えることを読み込んで調色せねばならず、少々難しかった。

2 Rutland boxcars かなりの手間が掛かったが、ある程度見栄えのする貨車になった。以前作った物と比べるとかなり異なる。前回はディカールの色が薄く、それに合わせて緑色を調色した。塗分け線の高さも良くなかったかもしれない。

2026年05月21日

PS2

 PSとは Pullman Standard である。貨車の巨大メーカとして君臨した。元々は寝台車を鉄道会社に貸し、その運営をする会社だ。すなわち動くホテルの経営会社だったのだが、間もなく鉄道による旅客輸送は終焉を迎えてしまった。
 その後Standardと名の付く会社等と合併してこの名前になり、貨車を製造するのだが、製品の標準化を目標とした。PS1 はベストセラーになった boxcar の形式名で、PS2 は共通設計の covered hopper の一群を指す。

PS2 variation 当博物館にはかなりの数の PS2 が存在する。殆どが安達製作所から来たジャンクから完成させたものである。2-bay が多いが 3-bay もいくつかある。そこに突然 4-bay が2輌やってきてしまった。これはアメリカ製で、Jan Lorenzen 怪しいキットである。内部に確実な補強を入れて完成させた。何色に塗装すべきか、この1年以上迷っている。実物の写真がほとんど見つからない。読者諸賢のお力でその由来が分かればありがたい。

Conrail 4-bay hopper 今のところ見つかっているのはこの1枚である。実物の数は極端に少ないようだ。
 この写真の右側の大きなカヴァド・ホッパは Big John である。これほど大きさが違うのだ。それは建築限界の大きな線路でないと通れない。 

2026年05月19日

続 lunch counter diner

lunch counter diner (4) この車輌の資料は極めて少ない。ずいぶん調べたがほとんど役に立つ情報は見つからなかったので、長年放置されていたのである。 
 2年前、テキサスのデニスのところに行った時に「本・雑誌類を減らしたい。君の博物館に寄贈するよ。」と 20 kg近い資料を貰ってしまった。ありがたいことに、その中に目指す資料が見つかったのだ。それは UP の歴史協会発行の機関誌で、軽食堂車の特集であった。欲しいものが全て載っていたのでスケッチを作り、作り始めた。

lunch counter diner (2) それまではこの程度の資料しか手に入らなかったのだ。これはいろいろな本に出ているが、図面とは言えない。




 この車輌は 1950年頃のいわゆる戦後好景気の時代に合わせて作られた。ラスベガスに行く比較的短距離(一晩で着く程度)の旅客用の列車に組込まれた。しかし寿命は短かった。道路網が整備され、自家用車で行く人が増えたのである。このリンクの映画の時代である。この頃は日本には高速道路が無かったし、無線による捜査指揮も珍しかった。このTVドラマは我々の世代には懐かしいものだ。ハイウェイ(=高速道路)という言葉が日本に輸入されたきっかけである。後にアメリカに行ってみたら、この言葉は単なる「街道」という意味で、高速道路を意味するものではなかったのは驚きであった。

lunch counter diner (1) さて、この食堂車ではとにかく多くの客に早く食べさせるのが目的である。カウンタに 21人分の stool(座面の高い椅子)を並べ、サンドウィッチ、アイスクリーム、飲料などを素早く出すのが目的だ。乗員の数も通常型に比べて少なくて済んだ。 
 16人分の普通のテイブル、椅子席もある。厨房は比較的狭いが凝った料理を出すわけではないから、問題ない広さだ。食器洗い機も付いている。
 食品等の出し入れの扉が多い。屋根にあるコンロの煙突は興味深い形だ。
 
 カウンタ席の後ろは通路になっているがそれほど広くもない。こちら側を外から眺めると、なかなか面白そうな景色である。乗客をかなりの座らせなければならない。人件費がかさむ。

lunch counter diner (3) この車輌はその5年後に増備された車輌でテーブル席が増え、カウンタが減った。後に Amtrak に売却されて運行され、それには乗ったことがある。  

2026年05月17日

lunch counter diner

lunch counter diner この車輌には窓が少ない。片面の窓がほとんど無い。

 現在は UP の黄色の客車は10輌近く完成している。昔はキットが高価で取引され手に入らなかったので、自作せねばならなかった。すると窓抜きが大変であるから窓の少ないものは有難い。というわけで、これを作り始めたのは40年ほど前である。

 最初は糸鋸で窓抜きをした。工場でブラスの板を所定の寸法に切ってもらい、それを抜く。窓の上下のベルトも薄板から切り出してもらった。
 ケガキだけでも大変で、窓の隅のRを出すためにドリル刃の丸味を利用する。それを切り抜いてヤスリで仕上げる。専用のヤスリを作った。角の丸味に傷を付けないように、その丸味を逃げたヤスリを必要としたのだ。

 そんなことを繰り返しているうちにキットを一式買うことができた。確か8輌分で350ドルだった。1ドルが80円台だったから、大安売であった。そのころになると、キットを板から組める人が大幅に減ったのだ。これも窓は大まかにプレスで抜いてあり残りはヤスリだが、角の丸味の問題があり、フライスで抜く方が楽だ。その専用のジグを作った。

 大まかに言えば当鉄道の黄色の客車蒐集はこのような経緯だ。この客車は自作の最初の方の作品だ。邪魔なので完成させたかったが、資料が見つからず長年放置されていたのだ。 

2026年05月15日

BN 塗装

Burlington  Northern ブラス地肌のままの放置はしたくないので塗装した。下地はミッチャクロンである。よく付いて剥げないのは感心する。撮影時、車輪と台車は仕上げてない。
 この貨車は使われた地域が限られている。北部の森林地帯に限られているのだ。南部を走る鉄道のディカールは潤沢にあるが使えない。

 塗色を何にするか随分考えた。手持ちのディカールで済ませたい。先回は UP塗装であったから別のものにしたいが、使えそうなものは BN しかない。その塗料は戴いたものがまだたくさんある。
 この Burlington Northernのディカールはジャンク・セールで間違ってたくさん買ってしまった物で、少しでも消費したい。大きなロゴは使えないが、会社名の文字はちょうど良い大きさである。

 この会社の文字数はかなり多く、どのように貼るかを調査しないと貼り切れないこともある。また、場合によって2文字ではなく1文字しか貼らない区間があって奇妙な間隔になっている場合もあるのだ。

 床板の側面に白い四角があるが、これは側面衝突を防ぐもので本当は光を反射する素材で出来ている。夜間、田舎の踏切などで長時間止まっているときに、やって来た自動車がぶつかるということがよくあったのだ。当然、警報器の無い踏切だろう。日本では考えられない種類の事故である。

 質量は 590 gで適正な範囲にある。先回は板が厚く、1 kg 近くもあって、ボールベアリングを入れざるを得なかった。英国製キットは板が薄いので、この種の模型には適する。


73' centerbeam flatcar この貨車は 63 ft(19 m強)である。現在は 73 ft(22 m強)が標準になった。その寸法は内法である。すでに楕円の窓の機種は見ることがほとんどなくなり、骨組みだけの構造が主流である。まさに機能最優先の設計である。作るのは簡単そうだが、鉄骨のちょうど良い材料を入手するのは困難だ。 
 薄い鉄板をレーザで抜いて、細い角材を貼り付けるのが一番簡単そうな気もするが、実際に現物を間近で見ないと分からないところが多い。 縦の柱は上の方に行くと細くなっているのだ。この種の模型はプラスティックのインジェクション成型に適する。


2026年05月13日

U50Cの駆動装置

 U50Cの上廻り工作はかなり面倒ではあったが終了し、塗装できるところまで来た。ありとあらゆる細かい部品が取れて来た。韓国製模型の駄目なところがすべて凝縮している。ハンダ付けが極端に下手である。’86年からAjin の社長乞われてかなりの技術指導をしたので、90年代に入るとこの種のバラバラと壊れる例は減った。
 
 一部は作り直した上でハンダ付けをやり直している。エンジンフッドの方の部分の点検扉はいくつか作り直した。肩の曲線が合うように切ったり削ったりして時間が掛かった。蝶番は似たものを修正して取り付けた。こういうものを動かそうとするのが間違いだ。 

 エンジン冷却装置は概略の形を作ったのみである。透かして見た時、何かあると感じる程度で十分である。しかし冷却ファンの2本の軸の位置は大切で、その座標を決めるのには苦労した。 
 ラジエータはファンの上にあるので、ファンは上から見えるわけはないのだが、既製品の写真を見ると逆に付けている。ダイナミック・ブレーキの抵抗器は一番上の外側にあるはずだ。実物の構造を知ろうとしないからだ。写真を見て外見だけを作っているのだ。最近のどこかの雑誌と同じような気がする。
 
Alco C trucks 台車はBill Melisの作品を改造して3軸伝動とし、モータは大型の両軸モータを用意した。大きなコアレスモータの片方の軸にロータリィ・エンコーダが付いていたのでそれを引抜いて軸を露出させただけである。この機関車は床下部が長いので、伝動軸は長くなる。すなわち偏角は小さくなるので具合が良い。

Alco C trucks2 Bill の台車ボルスタは薄い板だったので荷重により撓んで開き気味になる。中央軸のギヤボックスを避けるための角孔をあけたその上に隙間をあけて1.5 mm板を貼り足した。要するに箱状の台車ボルスタになり、剛性がある。
 しかし困ったことに床板の高さが上がってしまったので、せっかく作った床板を大改造している。車内側(床上)に骨を貼ることにした。
そうすると上廻り内部の補強等にこの骨が当たってしまうので、それを避けるために大工事をしている。 

2026年05月11日

またまたハンダゴテの先について

 先日ハンダ付けについてのコメントがあった。コメントを読んだ方からの電話もあった。
「ハンダゴテの先にハンダめっきが出来ないと言う人が居て驚きました。どうやってもできないというので…。」と嘆く。

 コテの先をハンダでぬらすことをハンダめっきと言う。熱くなったハンダゴテの先をヤスリで削る人が多いようだが、これは完全に間違っている。削った瞬間に酸素が結び付いてしまい何の意味も無くなる。削るのは冷えた時にやるのである。好きな形、角度に削って通電し、温まって来たらヤニ入り糸ハンダを押し付けて融かすだけのことである。削った部分全体にハンダの膜ができる。
 筆者はヤニ入り糸ハンダを使わない。塩化亜鉛水溶液を塗って温める。63%ハンダに当てれば一瞬で全体にハンダの膜ができる。 

 
 ワークにハンダが余分に付いてしまったときはワークを高く持ち、ハンダでよくぬれたコテを下から当てるだけでハンダを95%以上取り除くことが出来る。ハンダゴテの方につるりと移動して来る。そのハンダは振り落として再利用するのは当然である。この時回収したハンダ粒は並べておいて、次回のハンダ付けの時に置きハンダとして利用する。 

 100 W 以上のハンダゴテを持つときは、スリコギのように持って肘を付けて作業すべきである。こうすれば力が入り、間違って先を滑らせても被害は少ない。歯科に行ったときに先生がどんな持ち方をしているかじっくり観察すべきである。包丁のような持ち方では力が入らないし、滑らせたときに大失敗する可能性が高い。
 力を入れるのは熱がよく伝わるように接触面積を稼ぐためである。そのためには先端を垂直に切ったコテ先を付けたものを用意すべきである。

 ハンダ付けについておかしな講釈をする人が居て、それで惑わされている人が多いように感じている。ぜひともこの方法を試されたい。そして他の方にもお伝え戴きたい。 
 小さなコテだから包丁持ちで良いのですと言う人は居るが、先が安定しない。小さなコテは鉛筆持ちする方が具合が良いはずだ。その時、手首の下に高さ 5 cm程度の台があると安定化する。小さいとは言え、鉛筆より長いからだ。
 いずれにせよワークが空中にあるようなハンダ付け(空中戦と言う人が居る)は、ハンダが固まるまでに動いてガサガサのハンダになり易い。63%を使うか、完全にワークを固定すべきである。

 ハンダ付けしたものを見せて貰うと、その人がどんな環境でハンダ付けしているかがよく分かる。ハンダの表面が白く濁っている場合はたいてい失敗している。上手にハンダ付けしたものは表面が光っているのだ。


2026年05月09日

続 これも英国製キット

gilmaur centerbeam flatcar  この貨車は十二分な積載能力を持つが、自重は小さい。貨車としての本分を発揮する最も機能的な設計である。
 以前にも書いたが、一般の flatcar というものは意外と重いものなのである。上に何もないということは撓み易い訳で、床下には補強材が多く入れてある。下廻りが分厚い鋳鋼で出来ているものもあるのだ。
 必要な強度部材を薄い材料で作って上の方に付けてしまえば、下廻りは軽く作れる。荷積み、荷降ろしはフォークリフトで行い、崩れないようにワイヤを掛けるだけである。そのワイヤは側面のリールに巻き取ってある。締めるときはハンドルを差し込んで廻す。
 非常に賢い設計で、2x4材、合板などの輸送はほとんどこの方法になってしまった。 もう少し数が欲しかったが、意外と高価なものなので我慢せねばならなかった。 

 今回の組立は 200 W のコテを中心に使った。部品を付けておいたセンタビームを台枠に嵌め、一気に付ける。孫が来たので手伝わせた。体重を掛けて押さえ込ませて、多めのハンダを付けて流し込む。全く隙間なく接合できた。バルクヘッドも同様に押さえ込み、最後に上の部分も押込んで付けた。助手が居ると押さえ込むジグを作らなくても良いので助かる。ハンダがするすると流れ込むのは見ていて気分が良いらしい。途中で嵌まらないところができたのでヤスリを掛けたが、そのヤスリかけをやらせろとうるさい。ワークをクランプして両手でヤスリ全長を使って削らせた。そのコツがわかると妙に納得してしまった。ここでは全長を使うというところがミソである。

 余分のハンダは付いているが極めて薄く、ほとんど剥がす必要はない。膨れ上がったところだけ削り取ってそのまま塗装する。Winch(巻取り器)はホワイトメタルの鋳物である。これがよく出来ていて驚いた。ラチェットやラッチが再現されている。スーパーXで接着した。

 現実の世界では、この機種が大量に導入されたのでall-door boxcarはたちまち駆逐されて無くなってしまった。筆者はその貨車が好きだったので残念ではある。今その5輌が製作中である。F氏のおかげでディカールのアートワークも出来た。大好きな Weyerhaeuser 塗装 になる予定だ。これは拙宅の材料を購入したボストン郊外の住宅会社の引込線にいくつか入っていた。色も文字も気に入ったので、その組立キットをかなりの数購入してしまったのだ。いずれお見せできる。

2026年05月07日

これも英国製キット

centerbeam flatcar Mike Calvert 氏はなかなかの商売人でこういうものも作って見せに来た。この貨車は筆者の好みで思わず買ってしまった。貨車なのに先回の機関車より高かった。部品数は250くらいもある。説明書の作りは良くない。何度読んでも分からない部分がある。実物の写真をよく見てそれらしく作らねばならない。 


centerbeam flatcar 本体部分は堅い薄板を使った構成でとても良いのだが、寸法が微妙に合わない。合っているはずなのだが、スロットにタブを差し込むと苦しい。微妙にタブを削るのだが、その削る向きが一定でないと全体のバランスが崩れる。
 タブは合計350ほどもあり、部品の向きを揃えてダイヤモンドヤスリで削り、その向きを揃えて保管する。ハンダ付けするときは注意して押さえ込んで付ける。そうしないと部品の高さが揃わない。

 正直なところ、こんなことやってられるかと思うほど調整が微妙だ。そうしてできた部材を床板に立てると微妙な狂いがあって、もう一度削って付けねばならない。神経衰弱になりそうで、かれこれ15年以上未完成のまま、放置してあった。

 アメリカの友人に聞くと、「なーに、多めに削ってガタガタにして順に下から組めば何とかなったよ。」と言う。見せてもらうとそれなりの出来で、あちこちに隙間がある。

 こういう模型はタブの片面を基準として、そのタブの反対側はガタを作っておくべきなのだ。そうすれば楽に組める。マイクにそのように伝えると、”Good idea! " とは言ったがそれが反映されたかどうかは分からない。 

2026年05月05日

続々 英国製キット

soldering sub-floor この種の大物のハンダ付けはなかなか楽しい。大きなクランプを用意し、貼り付ける部材を締める。左右2本を同時に締めるのでクランプは6本で足りた。
 シャシ床板に、部材を2本並べ、その上に厚くて丈夫な板やチャンネルの小片をかませてクランプで締める。もちろんハンダ付けする面は粗目のヤスリで擦ってざらつかせておく。僅かな隙間が要るからだ。この状態で煉瓦の上に置き、ガス火で焙る。 

 塩酸を含む塩化亜鉛液をたっぷり塗り、ハンダの粒をいくつか置いた。裏から、ガスバーナで全体を少しずつ温めていく。床板は厚いのでよく熱が拡散し、全体がほとんど同じ温度になる。そのうちにどこかが融け始め、あっという間に隙間に吸い込まれる。見る間に全体がハンダを吸い込み、均一なハンダ付けが完成する。塩化水素のガスが出るので、作業は外でやる。

 固まったらクランプごと水で洗う。クランプは、外したら水を切って乾かし、油を注しておく。

 この骨付きの床板は 400 g ほどある。これに頑丈な連結器座を取り付けるので、衝突時は上廻りには力は掛からず、破損を免れるはずだ。オリジナルの連結器座は、たったの 0.45 mmしか厚みがない板1枚だけでできていたので、普通に連結しただけで壊れてしまいそうだった。 

2026年05月03日

続 英国製キット

cooling opening 側面後部の通風孔部分に格子模様のエッチング板を貼るように指定されていたが全て廃棄した。角孔をあけて別部品を付け、裏から金網を張った。要するにここは向こうが透けなければ面白くない。そしてその中に冷却ファンのシャフトがちらりと見えると嬉しい。

white-metal parts 英国製の模型によくあるように、white-metalの部品が入っている。薄板を曲げたノーズ部分の天板がそれである。これをハンダ付けせねばならない。この合金の融点は 230 ℃ 近辺なので融かさないようにハンダ付けすることは可能である。
 63%ハンダを大きなコテ先に付けて短時間で付ける。隙間に完全に沁み込むようにしないと、削ると継ぎ目が見えてしまう。小さなコテではとても熱が足らない。塩化亜鉛は不可欠である。筆者はホワイトメタルのハンダ付けは得意である。
 この写真の右の方に、唐竹割りした時の跡が見える。まだ帯で埋めていないところが写ってしまった。

 このキットはエッチング板で出来てはいるが、その板は堅い。車体を作る板は焼きなまされていない。快削であってドリルで簡単に穴が開き、ヤスリも良くかかる。日本製のエッチング板とは全く異なる感触である。日本のメーカはこのあたりのことを調査すべきであろう。

chassis 上廻りの床板(1 mm厚で補強)に主台枠の床板をネジ留めするようにした。この機関車は腰が高いので 主台枠の床板には1.5 mmの板を用意し、それにT字型断面の部材(高さ8 mm)を全長に亘って全面ハンダ付けをした。この部材は廃金属商で手に入れたもので、出所は分からない。便利な大きさでたくさん欲しいものだ。

<註> white-metalというのはBritish(イギリス英語)である。アメリカではハイフンを入れない人が多い。Babbitt metal と言う人も居る。このBabbitt は人名であるが、diesel engine のように普通名詞化してしまい、babbitt と小文字で書かれることが多い。優秀な軸受合金として200年近く使用されてきた。最後の ”t” がひとつ抜けていることも間々ある。  


2026年05月01日

英国製キット

Gilmaur catalogueAlco-GE U30C これはアメリカの機関車であるが、英国製のキットである。西海岸の模型ショウに行くようになって、そこで会う英国人 Mike Calvert 氏がアメリカ市場向けのキットを持って来ていた。Gilmaur というメーカで、この Alco-GE U30C のエッチングキットを見せてもらった。
 薄い15 mil (0.38 mm)と 18 mil (0.45 mm) しかない薄板をハンダ付けする、いかにも英国的なキットであった。組んだものも見せてもらったが、想像以上に軽く、衝突したら原型は留めていないだろうことは想像に難くなかった。下廻りに大きな剛性を持たせる以外方法はない。

  寸法は出ているから、厚板で裏打ちして直せそうな気がした。安価なキットであったから注文した。次の年に受け取ったがひどい出来で、寸法が合わない。高さは良いが、U の字に曲げてあったエンジンフッドの屋根部分がどう考えても幅が足らない。途中まで組んだが放置し、そのまま15年以上経った。他の人はどうしたのだろう。

cut to widen the bodyshell 先日の博物館の整理で発見し、しばらく眺めていた。捨てるべきかとも考えたが、また唐竹割りをすれば組立て可能と判断した。細かい修復作業は光硬化パテで出来る。
 エンジンフッドの部分をカッティング・ディスクで縦割りにし、4 mm 幅の帯を貼れば出来る。持って帰った日のうちに真っ二つに切った。所定の幅に切ったブラス板の小片を裏に載せ、力を掛けると角の丸味で横向きの力が生まれ、幅が正しくなる。そうしておいて塩化亜鉛水溶液を垂らして63%ハンダの粒を置き、200 Wのコテを当てると簡単に直った。しかも板が張り重ねられたので堅く丈夫になった。

 キャットウォーク部分もヘロヘロだったので、1 mm 板を貼り重ねて全面的にハンダ付けした。突き合わせただけのイモ付けではなく、2 mm角の棒をすべての接続部に貼った。こうするとボディシェルの質量は2倍以上の 800 g となり、格段に剛性が増した。 
 裏打ちを貼るときは、Bill Melis の手法を踏襲した。孔をあけておいてそこにハンダを流し込むのだ。ハンダは裏で広がって完全密着する。 

2026年04月29日

6軸ディーゼル電機を塗装する

SD45 paintedUP SD7 painted SD45 と SD7 を塗った。
 このところ黄砂が降る日が多いので、天気予報をよく見て好天の日を選んだ。例によってマスキングで数時間を費やした。SD45 は祖父江方式で塗り分けは比較的簡単であるが、SD7 は設計が古いので(1957年あたりか)キャットウォーク部分が大変であった。

 この種の機関車はハンドレイル・スタンションがあるのでその部分の塗装が面倒である。経験上、縦の部分は吹付で塗装すべきであるが、横向きの手摺は刷毛塗りで十分である。SD7の場合は縦の裏側に塗料の霧が届かないので、予めそこにも刷毛で塗っておく。

 SD45のキャブの左前部分は分解時に下のデッキ側に付けるべきなのだが、嵌める時に傷が付くので別部品とした。塗装したものを組んでから、塗装した短い手摺を差し込んで接着剤で留める。こういう時にスーパーXは実に役に立つ。決して取れることがない。

 SD7のダイナミックブレーキのグリル部分は塗装しにくい。斜めの方向から細い霧を何度も吹き付け、塗り残しがないように努力した。

 この最中に Badger のairbrushが故障した。その理屈は分かっていたので分解してラッカ・シンナに2時間ほど浸けたところ、中から塗料の塊がいくつか出て来た。針でほじくって超音波洗浄機で洗うと、30年分の垢が取れた。再度組立てたところ、新品同様の調子に戻ったのは有難かった。
 いつも使用後は洗浄スプレイを先端から3秒ほど通すので、それで洗えたと信じていたが、実際は溶け切らない部分があったのだ。これからは年に一度のオーヴァホールをすることにした。 

 すぐディカールを貼る予定だったが、字体が微妙に異なるので足踏みしている。SD45は無線操縦仕様(屋根上のアンテナ取付)への改装後は角ばったロゴになっている。そのディカールが見つからない。たくさんあったが、このところ急速に消費したようだ。 

2026年04月27日

連結器を付ける

 古いディーゼル電気機関車に連結器を付けるのはなかなか難しい。発売時に Kadee が発売されていず、ダミィの連結器を付ければよいという発想だったからだ。周りを削るかなりの加工が必要だ。
 Oゲージ用 Kadee は1974年頃発売されている。当時筆者はアメリカでその製品を手に入れた。日本人として最初の使用者かも知れない。カプラ・ポケットの幅が 1/2インチ(12.7 mm)ある。既存のブラス製品の孔の幅を2倍に拡げなければならない。高さも 5.5 mm ある。拡げられる余地があれば良いが場合によってはその周りが消滅してしまうほど削ることになる。

how to cut Kadee coupler pocket Kadee の説明書に「幅をある程度まで削ってもよい」とか「長さはここまで削っても良い」と図示してある。実際には削ると構成が怪しくなり、ネジで締めても不安定だ。今回は長さ、幅とも削ってしまったので強度的には不安がある。

M2 screw, 2-56 screw その取付けネジだが、日本製、韓国製その他を通じて、アメリカ製以外は M2ネジを用いて締めている。このネジは本来はインチ規格のユニファイ 2-56 ネジを使うべきなのだ。 ”2” は 2番 を表す。ネジには番手があって寸法を言わなくてもその太さが決まっている。Oゲージ用は 2.3 mm 程度の2番ネジを使うのだ。それに 2 mmネジを使ってしまうと剪断力が発揮される前に曲がり始め、結局は弱い結合になる。特にこの機種のようにネジが一本しか締まらない時は深刻だ。こういう目的があるのにほとんどのメーカは無頓着だ。
 筆者は 2-56 ネジをタップを立てて取り付ける。ガタなくきちんと収まり、極めて丈夫である。軽衝突に耐える。2 mm と 2.3 mm の違いは大きい。比べるとその違いに愕然とする。3本も締めるようになっている模型ではなく、このディーゼル電気機関車のように1本だけで締めざるを得ない時には、これは極めて大きな違いを生む。

 これは HO の世界も同じことのはずだ。設計者の意図を汲んだ仕様にすべきである。

註 2-56 はユニファイネジの規格で、56は 1 インチあたりのネジ山数である。この数字の下2桁は原則として8の倍数になっている。すなわち1/8インチに何山あるかを表していることになる。



2026年04月25日

Challengers

 Big Boys の記事はかなり反響があったようだ。実は他に Challenger が数輌ある。博物館で展示走行できるのは2輌で、他に動力改装済みがいくつかある。これらはまだ塗ってない。

 以前にも述べたように KTM の Challenger はかなり太い。高橋淑氏の話によると、Max Grey氏は Big Boy の売れ行きが良いのに味を占め、「次は Challengerを作ろう。短くするだけだから安く出来るはずだ。」 と言ったそうだ。
 祖父江氏は、「ボイラも台枠も違うから価格は変わらない。」と主張したそうだが、高橋氏は「動輪2軸分とロッド4本分しか安くならない」と答えたのだそうだ。Max Grey氏はかなりがっかりしたようだったが、発注があった。しかしそのさなかにMax Grey氏は他界し、その後継者のKemalyan氏(Kemtron の経営者)が US Hobbiesとして発売した。
 このChallengerは、祖父江氏の設計の Big Boy がKTM社内で短くされて作られた。したがってボイラは Big Boy のものを切り縮めただけである。火室部が太い。立派過ぎるのである。天賞堂のBig Boyと同じで大き過ぎる。天賞堂のはモータの収容ができなくて大きくなったようだが、HO scale と言っている。実際は1/83だそうだ。昔はこのようなことがいくつかあった。しかし HO scale と言い張っているのは滑稽だ。

 US Hobbies の Challenger は、砂箱の形が Big Boyのものを流用していて異なるし、ターレットの幅が広過ぎる。祖父江氏は発売後にそれを見て非常に不満だった。
「いつか俺に作らせてくれよ。」と言っていたので、資料をかなり買い集めて差し上げた。Lobaughのボイラを見せた時、「よくやってはあるが、金を払って買うものでもないな。俺が作るまで待ってくれよ。」という感想だった。火室後部のまとめ方がまずいと言っていた。
 
 以前 Lobaugh の Challenger をこのブログで紹介した。これはボイラの形が良い。先回の写真の奥に置いてあるのがそれで、手前のKTMとはかなり違う。もっともこのKTMのは砂箱その他をLobaughのものに取り換えてある。

 Lobaugh の Challenger は4輌ある。1輌は完成し、3輌は未組だが動力は換装してある。テンダはKTM製のを買い集めてあるので一応は足りる。 

2026年04月23日

またまたハンダ付け

 Kemtron のキットを組んでいて気が付いたことがある。RSの床板(キャットウォーク部分)の厚さが約4mmあり、床板だけで400 g以上ある。そこにstanchion (手摺の柱)を差し込んでハンダ付けせねばならない。大きなハンダゴテを用いてもかなり難しいだろう。200 W級を用意し、十分に予熱して押し付ければできるかもしれない。しかし炭素棒なら簡単である。

 ここをハンダ付けする前に、添付の説明書を熟読した。その部分には興味深い方法が書かれていた。
 スタンションには、予め tinning ハンダメッキを施して置けとある。孔のサイズはそのハンダメッキしたものがかろうじて嵌まる大きさを指定している。要するにほとんど隙間なく嵌まるのだ。

 塩化亜鉛液を塗り、僅かのハンダ小片を置いて加熱する。ハンダは融けて隙間に吸い込まれる。孔とスタンションの足との間を埋め、一体となって抜けなくなる。

 理屈が通っているので納得する。この手法は、日本製キットの組立説明書中に書いてあったことはあるのだろうか。読者の皆さんの経験をお知らせ願いたい。


 しばらく前のハンドレイル・ナブで切れ目のあるタイプでは、その溝に金属線を入れてハンダ付けするわけだが、ハンダを形良く盛りたい。筆者は車体を左手で持って、ハンダを付けたコテを当てる。ハンダが移ったら、当該のハンドレイル・ナブを下に向けて少し持ち上げる。 そうして下からコテを当て、余分のハンダをコテに移す。こうすると自然に丸いハンダ球ができる。

2026年04月21日

コメント到来

 昨日非常に面白い動画をコメントで報せて戴いたので改めて紹介する。

 Youtube にウォームギヤを逆駆動させた応用例として手廻し遠心分離機を廻している動画がある。

 最初の話は外国の短編らしい。
 2番目の話は日本の人が紹介しているが、内容は上とほとんど変わらない。これにはコメントがたくさん寄せられているが、大半はウォームは逆駆動できないという固定観念から逃れられていない。自動車のステアリング機構にはかなりの確率で搭載されているが、逆駆動できないと感じるのだろうか。路面の状況によってかなりの力をステアリング・ホィールで感じることが出来る。

 オルゴールのガヴァナを見てもウォームだとは思わないらしい。進み角という言葉で説明している人も居るので捨てたものでもなさそうだ。2条だと動き易く、3条であればさらに動き易いものができるとあるのは正しいコメントだ。
 中には鉄道模型に使ってあるものもあると言及されている。これは嬉しい。

 歯数を互いに素にすると具合が良くなることが多いという話、モリブデングリースを塗るとさらに良くなる話をコメントして戴くと良いだろう。さらにI田氏の模型の動きなどを紹介して戴くと面白いかも知れない。

 進み角を大きくしていくとある角度以上では歯形を修正すべきであることも大事なファクタだ。そういうことは歯車の本を読むとちゃんと書いてある。できればそれを計算して確認しておくことが大切だ。最近はコンピュータがあるので楽なはずだ。40年以上前、筆者はそれを3箇月も掛けて手で計算した。
 そういう手順を経た歯車でないと、音がして効率は低いのだが、それを理解していない人は多い。

<追記> I田氏のブログに実例の動画が紹介されている。

2026年04月19日

タンクを丸める

tanker frames Tydol-Veedol のタンク車正確な模型を作ろうということになった。このブログによく登場するF氏が資料を集めてくれ、ディカールも用意してくれたので動き始めた。写真の右上に写っている太いのは製作中の巨大なヘリウムタンク車である。アルミニウム製タンクなので鋼製台枠が必要なのだ。今回の話には関係ない。

 筆者のところにあるタンク車の部品をかき集めたら、2輌は出来ることが分かった。早速台枠を組んだ。タンク支えも作りにくい部品なので探した。何とか8個は見つかったので助かった。

 タンク体は 0.4 mm板を丸めるのだが、リヴェットをどうするかで意見が分かれた。筆者は単純にディカールでごまかすつもりだった。しかしF氏は「押出し」でやろうと言う。
 筆者はリヴェットを押出したブラス板を巻く自信が無かったのだ。F氏は「薄いゴム板を重ねて巻けば良いのですよ」とは言うが、やったことはないそうだ。それなら実験をしてみようということになった。先週F氏が訪問してくれたのでやってみた。

 たまたま 0.8 mm厚の薄いゴムシートがあったので、それをテープで仮留めして3本ローラで巻いてみた。結果は実に良い感じで、いくらでもできそうだということになった。押し出されたリヴェットは全く潰れず、丸いタンクの上に並んでいた。

 このタンク車は前後非対称で、大タンク部と小タンク部に分かれ、そこに千鳥でリヴェットが2列ある。ケガキが大変だがやってみる価値がある。リヴェッティング・マシンも引っ張り出して工法を考えている。
 X-Y 座標で打つ器械もあるが、かえって間違いそうで心配だ。その器械は、既存のリヴェットのある部分を切り取って嵌め替える時にはありがたい。どんなリヴェット間隔にもできるからだ。しかし今回のような新規の材料に打つときは荷が重い。手でケガいて交点にポンチを落とすのが楽であろうとは考える。しかしそのポンチは凸のものだと交点から外れやすい。外しにくいのはこの方法だ。    

2026年04月17日

Big Boys

 最近は貨車とディーゼルの話ばかりである。たまには蒸気機関車の話も書いて欲しい、という意見がいくつか来ている。

Big Boys + Challengers 水面下で進行していることを紹介しよう。
 筆者は Big Boy を数輌持っている。土屋氏からお預かりしたものは博物館で展示してあるが、個人的に収集したものの中で、塗るばかりのものは4輌ある。 動力機構をまだ改装していないものが他にいくつかあり、その準備を整えている。この種の仕事は全ての準備が整った時に一気にやるべきもので、徐々に始めるものではないのだ。この写真は正月に撮ったものだ。

 この種の作業は複数を同時にやると仕事が速い。友人のも同時にやることにした。ついでに新参のKTM Challengerの動力機構も作り直すことにして、現在動輪を全部抜いて並べてある。動輪が30軸も並ぶと壮観である。間違いの起こらないように、それぞれ専用の箱の中に番号を付けて並べてある。

 直角を出すジグは注油して整備した。今取り掛かっている仕事が解決したら、一気にやるべく計画している。

 軸箱はいわゆるキャノンボックスを発注し、軸は高精度の硬いステンレス製で、シャフト屋にはマイナス17ミクロンと指定した。このシャフト屋とは30年の付き合いで、腕は確かだ。納品の時は「マイクロメータを持って来てくれ」と言う。自信の表れだ。

 モータは出力の大きいモータを探し、2台づつ積む。ボールベアリングも発注した。これはかなりの金額だった。怪しいものを避けて日本製を選んだ。  

 ギヤボックスもOゲージ蒸機用の物を発注した。ギヤはすでに作ってある。この種の走行装置の改装は100輌分くらいの材料を発注しないと取り掛かれない。資本がかなり要るのだ。

 祖父江氏亡きあと、色々な人から動力改装の相談を受ける。アメリカからも相談があるのだ。そろそろ受注できるようにしないと後が続かないだろう。後継者の育成も考えねばならない。 

2026年04月15日

GP30

GP30 brass これも途中までで放置されていた。どうしても欲しかったので、e-bay で競り落としたものだ。キャブ、エンジンフッドよりも上の部分だけである。この上廻りは韓国製で、キャブ下の床板部分はカツミ製のジャンクから作った。寸法には微妙な差があるので、韓国製に合わせざるを得なかった。塗り分けがしやすいように下半分と噛み合うように改造した。これは軽い模型で床板から上が 550 g しかない。弱いので、あちこちに補強を入れてある。エンジンフッドの部分は握る可能性があるので骨が必要である。キャブ周辺も補強した。
 パイロット部分は修正してそれらしく作り直し、多少の衝突に耐えるように斜めのブレイスを入れた。この部分は実物でも非常に気になるところであった。丸パイプが熔接してある。この斜めの部材が付けられている模型はまず見ない。実物では汚れているので殆ど目立たないが、これはブラス地肌であるから目立つ。筆者の模型にはほとんど付けてある。軽衝突で生き残るためにも必要な部材である。韓国製の模型はパイロットが薄い材料なので潰れる可能性がある。 

 このGP30は1970年代に筆者が最初に見た時、そのスタイリッシュな姿に愕然とした。当時はGP35の時代であったので、その前にこのような形のものがあったということを知って驚いたのだ。しかし、このデザインの陳腐化は早かったようだ。これ以降の機関車にはこの種の装飾的デザインは全く無くなり、より機能的なデザインが主流となった。
 
 台車はKTM製の物をアメリカで入手した。アメリカ製の CLW 社製の物や韓国製のものより手堅く、加工が簡単だったからだ。また当時はすでに韓国製の方が見かけ上は細かく出来ていて高価だった。しかしそれはあまりにも弱く、補強の手間も大変だった。
 床板の下に小さなモータを付けてチェインを使わず直接駆動とする。安価で効率の良い方法である。 

2026年04月13日

続 Alco RS2 by Kemtron

 これらの機関車は80%組んで忘れていたのだが、先日来ユニヴァーサル・ジョイントの整備で過去に手掛けたものを再点検していて見付けた。

Sept.'54 MRSept.'54 MR (1) 古い Model Railroader のコピィを紹介する。この頃はまだ Lobaugh の広告も出ていた。
 発売当初はAll-nation の動力を付けるようになっていたようだ。それも複数持っていたが、全て手放した。これは今でも人気のある駆動装置であり、欲しがる人が多い

Kemtron RS2 second (2) 2輌目は駆動装置が異なっている。捨てたAjin 製のギヤボックスをジャンク箱から拾い出して、ギヤを一段少なくしたものである。加工して整備したら意外なことに押して動いたのである。興味が湧いて付けたままになっていた。ヘリカル・ギヤにモリブデン・グリースを塗ると逆駆動できたのだ。伝達効率はかなり良い。片方は上の方の不要部分を切り落としてある。

 角パイプで自作した伸縮ジョイントを使ってユニヴァーサル・ジョイントで駆動している。導通するので前後台車を同極とし、絶縁車輪からブラシで集電している。引掛かって壊れやすいので、絶縁ジョイントに作り変える予定。連結器は絶縁型である。

 この車体は10年ほど前、シカゴでジャンクを格安で手に入れたものだ。ハンダ付けが下手だったので焙ってバラし、作り直した。ガスバーナで焙らないと完全なハンダ付けは出来ないほど分厚い材料が使ってある。

Kemtron RS2 second (1) この時代(1954年)は室内が作られていない。窓が開いているので、床が無いと大きなオリジナルの駆動装置が見えてしまった。現在は駆動装置が低いので見えない。それでも奇妙な感じなので、床を作り椅子と簡単な制御盤を置きたい。


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