2026年09月09日

シカゴの高架鉄道

Clarence_A_train_on_the_Lake_Street_Elevated,_1893 480891238_532928189830702_680144221026843732_nシカゴの高架鉄道を ’L’ と言う。エルとはループではなく、高架鉄道 elevated railroad のことだ。昔は EL という表現もあったが、最近は大文字の一文字で表す。
 
 1890年頃の完成で、当初は 2-4-4 の蒸気機関車(Forney)が客車を牽いていた。この機関車は従台車キングピン位置が固定で第2動輪にはフランジがなかった。このウェブサイトにはフランジの無い写真とその説明がある。写真はそこからお借りしているが、メインロッドが外されているのは不思議である。

 フォーニィが開発された当初は先輪がなく 0-4-4であったが、急曲線に対応するためには先輪があると良いということになったらしい。メイン州にある保存鉄道のフォーニィには全車輪にフランジがあるが、これはむしろ珍しいものである。炭水庫の真下に従輪があるので、積空にかかわらず動輪の軸重が変化しないというのが売りであった。

 この環状高架鉄道の中が、シカゴの中心である。52年前、バスでここに到着した時、その場所がどこかわからず係員に聞いたところ、「’L’ の中だよ」としか教えてくれず面食らったことを覚えている。このウェブサイトには参考になる写真がある。

Chicago L 2 15年前、土屋氏を案内して行った時は、高架が陥没して運行できなくなり、歩いた部分もあった。正直なところ既に耐用年数は過ぎていて、いずれ大規模な崩落が起こる予感が筆者にはある。曲線部では遠心力が無視できないので、超低速で走る。速度を出すと橋が壊れそうだ。地震のない国だからこその細い柱である。車がぶつかったらと心配する人は居ないのだろうか。

Wilson station DC 600 V の第3軌条からの集電で、ガラガラゴロゴロ走る。車輪踏面が荒れているのだ。
 運転は on, off を3秒ごとに繰り返すので、気分が悪い。要するに慣性を利用した運転をしていない。走行抵抗が大きいということなのだろう。

 今回行って驚いたのは、シカゴの中心部の高層ビルのうち、古いものがすべて取り壊され、新しく建て直されていたことだ。また、鉄道のヤードが無くなっていた。そこは掘割になっていたので地下駐車場となり、その延長線上には高層ビルが沢山建っていた。このリンク先の3枚目以降の写真のヤードである。

 20年程前に行った時は、1920年代に建てられた高層ビルの外壁が崩れ始めていた。強風時に煉瓦が落ちて車がつぶれ、けが人が出る状態であった。危険な区域の道路には鉄骨で骨組みを作り、厚さ10 cmほどもある木板を張って安全を担保していた。しかしそれでも煉瓦が落ちて一部が下に顔を出すという例も見た。また、古いビルの土台が沈下し、隣のビルに接触している例もあった。
 それらは全て取り壊されて、新しいビルになっている。筆者の知っているシカゴはもう無くなって、近代的な街並みになっているが、高架鉄道だけは昔のままだ。 

2026年09月07日

バーボンの蒸留所見学

Maker's Mark Kentucky 州を通るので何か面白い物がないか調べたところ、バーボン・ウィスキィの工場があった。ツアがあって工場の中まで見せてくれるという。50年前は、即売所の横にある工場を、窓から覗き見る程度のものであった。


IMG_5875IMG_5881 樽を作る工場から始まって、蒸留装置、瓶詰装置を順に見せて貰った。どのウィスキィ工場も殆ど同じで特筆することはないが、とにかくよい香りである。



IMG_5884 この Maker's Mark の製品は、赤いロウを瓶の口に塗り付けてあるのが特徴である。これは一本ずつ手でひっくり返して融かしたロウの中に浸けている。 



IMG_5877 樽は低温倉庫で1年程寝かす。その間に樽の white oak材の焦げた香りが抽出されて溶け込む。その間にウィスキィは蒸発して減る。それを angel’s share 天使の分け前と言うのはどこも同じだ。
 樽の作りはやや荒っぽく、漏れた跡が分かるものもある。日本のウィスキィ工場での緻密さとはかなり違う。樽材で作ったアクセサリィを売っている。よい香りだが何年くらいその香りが持続するものだろう。 

IMG_5886 試飲もあったが、酒酔い運転になるので舐めただけで遠慮し、そのあと1時間ほど歩いた。捕まるとただでは済まないからだ。この国ではアルコールも薬物とみなされるので、事故を起こすと罪が重くなる可能性が高い。


O scale boxcar これはその近くの別の蒸留所のショウルームにあったものだ。O scale の建物は良く出来ていた。
 この模型の貨車はおそらく3線式の台車を付けている。タイヤが異常に厚い。単なるディスプレイであって走らなくても良いのだから、こういうものこそ Proto48 の29.9 mmゲージにすべきであった。レイルも太くて残念だ。

 この地域には蒸留所が点在し、樽を寝かして置く巨大な倉庫がそこかしこにある。 

2026年09月05日

続々 Kitty Hawk に行く

5th flight 5回の飛行でのそれぞれの到達地点には大理石の石碑がある。この距離を 59 秒で飛んだわけで、おおよそ時速 15 km 強である。その速度は自転車程度ではあるが、かなり強い向かい風であることを加算すると対気速度はその3倍程度であろう。
 無風であれば、実験場はかなり広くなければならず、機体を回収して戻すには多大な労力が必要である。そういう意味でもこの場所の選定は理に適ったものである。気象台に問合わせて、一定の強さの風が吹くところという条件でこの地に行きついたそうだ。

Wright Flier「操向するには羽根を捩じる」というのは知っていたが、その捩じりがどの程度のものなのかは想像するのが難しかった。この施設では学芸員が捩じって見せてくれた。翼端を持ち、捩じると実に簡単に 1.5 m ほどが動いた。と同時にワイヤで反対側の翼端に動きが伝わり、バシャバシャとひねられた。その途中に操縦桿があり、当然それも動いた。すなわち、操縦桿の微妙な動きに俊敏に応答する設計であった。良く出来た設計だ。長さ方向の剛性はかなりあるが翼端は捩じりに対してしなやかなのだ。 

 極めて初期のプロペラの実物があった。ピッチが中心部に近付くと大きくなっている。彼ら以前のプロペラはそういう工夫がなかった。彼らは理論的追及と実験とを同時に行っている。これは実にプラグマティックである。
 エンジンは自作のアルミニウム合金製ガソリンエンジンである。自転車屋であったので、チェイン駆動はお手のものだが、このチェインは自動車用の太いものである。日本では自転車のチェインと書いてある伝記が多いが、それは間違いだ。6馬力の動力伝達はとてもできないことは分かりそうなものだが。

Wright Brothers 初飛行には成功していたが、その後の特許論争ではかなり苦労したようだ。ともかく、彼らは空気より重い機械を用いて制御された飛行に成功した最初の人たちであることは間違いない。 

2026年09月03日

続 Kitty Hawk に行く

 ライト兄弟は、居住地 Ohio州 Dayton から Norfork まで資材を荷造りし、汽車で行った。その先は小さな船を雇って行ったとある。
 Kitty Hawk を選んだ理由は、定常的に穏やかな風が吹くこと、木が生えていない砂地であること、人がいないことであったらしい。地元では野次馬が多く、訳の分からぬことを書く新聞記者を嫌ったのだ。

letters to Wright Brothers 気象台に問い合わせた手紙が保存されている。それには、この地では秋には北、北西の風が吹くと記されている。
 彼らは実用的な飛行機を作ることを目的としていたので、何度も実験をしたかった。すなわち、飛行実験が短距離で終わる条件を探していたのだ。極端な言い方をすると、巨大な風洞の中で飛べば、飛行距離はゼロにできる。それに近い均一な向かい風のある所を求めていたわけだ。これに言及している資料には筆者は出会っていなかったので、これを見ることができたのは嬉しかった。

rail for takeoff 離陸時に使用するレイルもあった。木材の上に鉄板がネジ留めしてある。これは複製品であろう。




Wright Brothers Monument (1)Wright Brothers Monument (1)Wright Brothers Monument (2) 飛び立った丘の上には巨大な石碑がある。そこに書いてある文面は凄い。天才、偉業、不屈の精神、努力その他あらん限りの賛辞をこれでもか、と書いてある。こういう石碑も珍しい。しかし、彼らはアメリカが世界に誇る偉人であることは間違いない。
 筆者は小学生の頃より彼らの姿勢に憧れていたが、日本語で読む様々な伝記は極めて怪しいものばかりだった。今回いろいろな点で合点が行き、嬉しい体験だった。  

2026年09月01日

Kitty Hawk に行く

 この場所には50年程前一度行ったことがある。寂れた場所で、大きな石碑があっただけであった。アメリカの代表的な偉人としては寂し過ぎる。もう少しましな顕彰の方法があるはずだと思った。今回 Norfolk という港町に行ったので、そう遠くないキティホークに寄ることにした。そこには立派な施設が出来ていた。(動画の27分あたりから)
  
 ここに行くには細い砂州を通って行く。途中にはたくさんの長い橋があり、120年前はどれほどの僻地であったのか想像することもできないほどの田舎である。船でしか行けなかったのである。

 昔読んだライト兄弟の伝記には、飛行は海の方に向かって行われたとあった。大西洋側では東風は少ないから、それは怪しいと思っていた。
 実際の飛行は真北に向けて(要するに海岸にほぼ平行に)行われた。その出発点から5回の飛行のそれぞれの到達点に石碑がある。

 飛行機を収納した小屋が残っている。1つはオリジナル、もう一つは複製品のようだ。

 博物館の建屋には飛行機の原型を再現したものが置いてあり、curator が上手に説明してくれる。方向舵の代わりに主翼を捩じって操向するのを、実際に動かして説明した。実に簡単に捩じれるのは驚いた。この一瞬を見られただけでも、来た甲斐があったと感じた。

 その場の観客は100人くらいで、最初にどこから来たのかと前方の数グループに聞いた。一番遠いのは南米から来た人のようだったが、順に聞いてきて筆者が日本だと答えるとどよめきが起きた。何時間のフライトだったかと聞くのでシカゴまで12時間だと答えると、全員が驚いた。学芸員は、「人類最初の飛行時間は59秒です。その何倍になるでしょうね。」と言った。「そのあとはどの飛行機で来たのか」と聞くので「車で3日掛かった」と言うと大笑いであった。 
 スミソニアンデイトンに行く人は多いだろうが、こんなところまで来る日本人は珍しいようだ。 

2026年08月30日

駐車場探しの手段

spot hero (3) いかに大都市に住んでいても、アメリカでは自動車の無い生活は考えられない。そうすると車をどこに駐めるかということは大きな問題だ。友人はこれを使えと言う。smartphone から即時予約出来てしかもを利便性と価格を見て決められると言う。ネットで予約できる駐車場は他にもあるが、インターナショナルのクレジットカードを受け付けないところもある。Spot Heroならそれも回避できる。しかし車の license plate が決まっていないと予約できないので、到着して直ぐレンタカーで行くというのは難しいことはありうる。

 予約が画面上で出来るのは便利だ。昔は全ての予約は電話であった。つまり、英語で電話ができないと何もできなかったのだ。現在は英単語をいくつか知っていれば画面上で何とかなる。

spot hero (1) この画面を出して、その地区のどの駐車場にするか決める。この時、写真は重要である。近くまで行っても、所定の駐車場に駐められないとトラブルが起こる。その場所に行って、写真と照らし合わせて間違いないことを確認する。


spot hero (2) 例えばこの駐車場入り口であるが、これは新しいもので筆者が知っていた状況とは全く違う。番地で指定されてはいるが現場に行かないと全く分からない。これは昔のイリノイ・セントラル鉄道のヤード跡に作られた巨大な地下駐車場の入り口である。シカゴのダウンタウンのど真ん中に比較的廉価で駐められる。あの大きな掘割の操車場が駐車場に変化したのだ。収容車は数千台規模である。 


2026年08月28日

駐車場

 筆者の知っているアメリカは、どこへでも車で行けて、そこに無料で駐車できた時代のアメリカである。空いている道なら、路上駐車も全く問題はなかった。また、公設の博物館は全て無料で、毎日ハシゴができた。 

 最近は全ての施設で駐車料金が発生する。それもとんでもない金額だ。最低 25ドルほどで、場所によっては60ドルも取る。ホテルでさえも 12ドル〜35ドルほど請求される。これには参った。
 博物館に行こうと思うと、日時を予約して高額の入場料を前払いせねばならない。それに合わせて駐車場も他所を探すか、併設の高価なところに駐めねばならない。これはかなり面倒で気分が悪い。

Boston Museum of Fine Arts (3) ボストン美術館は53年前に行った。その頃は貧乏学生で無料は有難かった。路面電車が地下を走る風変わりな地下鉄で行った。電車賃は 50セント ほどであったような気がする。これは形が変わったが、今でも存続している。近畿車輌製を使っているようだ。


Boston Museum of Fine Arts (1) 前回見損ねたコレクションが展示されているので行った。以前に比べてかなり拡張され、床面積は2倍ほどにもなっている。配置されている学芸員の数が非常に多い。以前は警備員ばかりで、学芸員に遭遇することがなかったが、今回は地図を見て立ち止まっていると、必ず話し掛けて来る。どの人も博士号を持っているのには驚く。話し掛けに応じ、少し意地悪な質問をしてみても、正確な答を用意しているので驚く。さすがである。
  元皇族が NY のメトロポリタン美術館に就職しようとしたが排除されてしまったというニュースがあったが、納得が行く。勉強したフリでは通用しない何かがあるのだ。

Boston Museum of Fine Arts (2) 拡張部分をつなぐ部分が、高い天井の立派なダイニング・スペイスになっていた。せっかくだからここで食べてみようと、当地の名物の クラムチャウダ を注文した。期待通りの美味しいもので、懐かしい思い出が甦った。価格は高くはなかった。
 愛想の良い中年のウェイターに
「53年ぶりに来た」と言うと、「何が違っているか」と聞かれた。「広くなったし、この食事する場所は良いアイデアだ。昔は腹が減って、外に行って食べて来た 」と答えると、 
嬉しそうに「このダイニング・スペイスは素晴らしいと思いますよ。」と笑った。 

2026年08月26日

Rutland

Rutland douwtown (4)Rutland douwtown (2)Rutland douwtown (5) Rutland の中心部市街地は南欧の古い街のようだ。大理石の鉱脈が見つかるとイタリアから鉱夫を入れ、彼らは家族を呼び寄せてこの街を作ったのだ。建物の白い部分は全て大理石である。このリンクの9分30秒あたりから、街並みが写っている。

Rutland douwtown (6) すべての建物の土台石は大理石で出来ている。当然、二級品以下を使っているのだろうが、そんな例は他ではまず見ない。




Rutland douwtown (3) 中心部で写真を撮っていると、地元の人が話し掛けて来た。
「ヴァーモントにようこそ!Vermont の意味を知っているか?」と言う。
「緑の山という意味ですね。」と言うとかなり驚いた。「そうだ。フランス語から来ている。そんな事を知っている人には会ったことがない。お前はフランス人か。」と言うのには呆れた。

 最初の鉱脈はすぐ尽きて、隣に大きな露頭が見つかったのでそこで掘っていた。現在は掘り尽くしたのだろう。鉱山跡見学も出来そうであったが、時間がなかった。

Rutland douwtown (1) 適当にばら撒いてある石も大理石である。ここの石は白いのが売りで、少しでも黒いとこのように砕石になる。

2026年08月24日

久しぶりのアメリカ行き

 休載中、健康上の問題かとの問い合わせも戴いたが、無事である。

 もうアメリカには行くこともないだろうと思っていたが、お誘いがあり行ってしまった。古い友人から、今会わないともう会えないかも知れないから…と招かれ、思い切って出かけた。その友人は、もう52年の付き合いである。歳を取ったものだ。彼は鉄道模型人ではないが、筆者Youtube見てくれている

 シカゴに着陸し、そのあとはレンタカーで移動して 7000キロ以上走った。何人かの友人を訪ねながら東部、南部を一巡りした。レンタカーは安いのを狙ったので韓国製のハイブリッド・カーであった。性能はまずまずで問題なかったが、座席の設計が良くなく、尻が痛くなったのは迷惑な話だ。今までこんな経験はない。

Rutland NY 最近のブログで取り扱った Rutland に行ってみたかった。最初 New York 州だと思い込んでいたので、GPS にそれを打ち込んで出かけたところ、とんでもない場所に連れて行かれた。そこで会った人に「大理石の石切り場があるはずだが…」と聞いても全く要領を得ない。そこは人口がたった 120 人の小集落であった。 

Rutland VT ひどい間違いをしてしまった。目的地は Vermont 州にあった。翌日かなり走って行ってみた。そこはきれいな街だった。初期は大理石の産地であったが、鉱脈が小さくあらかた掘り尽くしてしまった。近所に巨大な鉱脈が見つかり、New York の建築に使われた。昔、筆者は New York の大理石がほとんどすべて同じ石目を持っているのを見て、その産地が知りたかったのだ。


2026年08月03日

続々 光硬化樹脂

Filled UV resin 樹脂注入後の様子はこんな状態である。隙間はほとんど埋まり、連結部の幌で完全に隠れることになる。残った隙間も、もう一度やれば完全に埋まるだろう。

 この部分は他の妻板とは全く形が異なるので、うっかりして少し切り込み過ぎたのだ。
 ほとんど形が整ったので再度の下塗り後、磨いて塗装する。

 この樹脂は固まった時、表面がわずかにべたつく。完全には反応しない部分があり、それが表面に浮き上がるようだ。シンナを綿棒などに沁み込ませて拭き取るとすっきりする。それによって固体になった部分が溶けたり凹んでしまうということはない

 固まったものはカリカリしていて、ヤスリ性が良い。また、母材の木材との接着性も極めて良い。これは3次元網目構造を持つので、経年変化も少ないはずだ。
  
 直射日光に当てると2分ほどで硬化完了であるが、手元にあったLEDの近UV光では10分以上掛かるようだ。強力な光源を用意せねば夜間の工作は難しい。100均ショップで300円程度でも売っているらしい。それはネイルアート用のものらしい。出力が足りるのだろうか。

2026年08月01日

続 光硬化樹脂

 屋根は妻板に合わせて削るのだが、どういうわけか削り過ぎている。大きな隙間を埋めるにはちょっとしたテクニックがある。clingfilm を使うのだ。いわゆるサラン・ラップの類のフィルムだ。
 この言葉には思い出がある。イギリスに行った時、この言葉が出て来た。cling film と2語に分けていたが、全く意味が分からなかった。
 ”cling”という動詞は「しがみつく」という意味で、ラップが相手によくへばり付くことを表している。ここまでは分かるが意味がつかめなかった。
 これは学術論文などで商品名を出せない時に使う言葉であった。アメリカではあまり聞かない。あとで聞いたところアメリカでは clingfilm で、1語であった。しかし商品名のサラン・ラップしか使わないように思う。

covered with cling film さて、妻板にこのラップを押し付けてから屋根板を載せる。多少隙間があるから、そこにチューブから直接パテを押し込めば良い。



how to fill photo-curable resin 簡単に入るから、へらで撫でてさらに押し込み、日光を当てると固まる。ラップのフィルムは圧力で密着するから、屋根板の厚みの延長は限度まで進む。ちょうどフィルムの厚さ分の隙間以外が満たされるわけだ。
 
cured UV resin 開くとこうなっている。余分な部分はナイフで切り落とせばよい。簡単に外形が整うから、ヤスリで軽く修正して出来上がりだ。足らないところは別途へらで均して補い、再度組合わせて押し付ける。そうして光を当てれば良い。
 この方法は、「着脱せねばならない大きな部分」の隣に生じた隙間を埋める時に便利である。要するに組む相手を鋳型とするので、必ず合うものができる訳だ。便利な方法である。 

2026年07月30日

光硬化樹脂 

Oscar door 孫に手伝わせて製作を続行した。糸鋸、ヤスリ仕事はかなりうまくなったようだ。solarium の妻板にある大きなガラスのあるドアを作らせた。糸鋸を折らずに切り抜き、ヤスリがけは指導した通りにできたようで大満足であった。
 油目ヤスリの感触が気に入ったようだ。数本の油目ヤスリを出して順に使わせた。出来たものが、つるつるぴかぴかになるのが嬉しいらしい。

 屋根の上面の継ぎ目が気になるようだ。ダクトの継ぎ目が見えるのは嫌だから埋めたいと言うので、光硬化パテを取り出した。少しずつ押し出して溝に入れ、へらで押し込む。
 直射日光に5分ほど当てて固めると「すごく硬い」と興奮した。ヤスリの safe edge を使って際まで削り、サンドペーパの小片で磨いた。これを3回繰り返すと継ぎ目が見えなくなった。

 銀色に塗ると木製とは思えない仕上がりとなって大満足であった。最近の小学生は紫外線が化学反応を起こさせるので、生物には害があることを知っていた。こういうことは最近は学校でも教えるらしい。

 妻板と屋根の隙間は予想外に大きかったので、これも光硬化パテで埋める。塗装して持って帰らせるつもりであったが、突然の夕立で予定が狂い、次回のお楽しみとなった。次は旋盤の作業を教えてくれと言う。また、ヤスリ粉やスクラップを融かしてインゴットにするのを見たいと言う。これは危ないのでどうするべきか考えねばならない。

2026年07月28日

Piker の車内

Oscar & Piker interior Piker は heavyweight のPullman observation の短縮型である。したがって、内容的にはそれほど珍しい物があるわけでもない。
 
 単に展望室だけではなく、寝台室部分を持つ展望車も存在する。この Piker はそれである。先回のOscar では開放型 Pullman寝台4名分であったが、Piker にはコンパートメントの個室と開放型寝台があり、定員は4名である。もちろん個室にはトイレがあり、開放型寝台の客のための共用トイレとシャワが付いている。そのシャワには”美女”が付属しているのには笑ってしまう。50年経っても歳を取らないが、これは不採用とした。

 展望室の乗客のための kitchenもある。これも1/4に切り詰められてはいるが、実物の構造をよく知っている人が設計したと感じる。お遊びではあるが、大したものである。

 台車は3軸台車を使っているが、あり得ない話である。このままでは前あるいは後に転んでしまう。イコライザが2本あって、片方を外さないと安定化しない筈であるが、そこは目をつぶることにした。

 この Lobaugh の3軸台車の造形は素晴らしい。何もせずに取り付けたが、前後に傾かないように支えを入れておいた。
 

2026年07月26日

Oscar の車内

 Oscar を単にsleeper (寝台車)と紹介してあるウェブサイトが多い。日本にもそういうサイトはあるが、それは間違いだ。
 これはsolarium car である。この発音については以前にも書いたが、ソラリウムからは縁遠い音である。

solarium car interior 妻の方にも大きな窓がついて、日射を十分に入れることができる。日光浴室には、簡易なリクライニングができる軽量椅子が置いてある場合が多い。この写真では、ガラス仕切りの向こう側が話題の場所である。

 車体は長いので、寝台室部分もあるし、食堂、キッチンも付いている。それを無理やり1/4の長さに詰め込んだのがこの模型である。

 日本では電車、客車の中で日差しに当たるのを極端に避けるように感じる。東海道新幹線の海側の窓はカーテンが開いているのを殆ど見ない。
 ところが、アメリカの北部(と言ってもボストン、ニューヨーク、シカゴを結ぶ地域)の人たちは、冬になるとフロリダ方面に避寒に行くのがステイタスであったようだ。そういう時にはこの種の窓の大きな車輌は奪い合いになる。
 普通の何倍かの金を払ってマイアミ行きの列車を押えるという場面が何かの映画にあった。

 亡くなった友人のハーマンの一家も、冬はいつもマイアミに行くと言っていた。そうすると模型ができないので、家族を行かせて1人で模型作りを楽しんでいたようだ。その結果コンテストで1位になったわけで、家族に申し訳が立ったと喜んでいた。
 彼は広大な農地を持つトウモロコシ農家で、飛行機を4機も持つ事業(農薬散布など)も経営していた。そのうちの1機は乗用専用で、フロリダにはそれで行っていたという。
 自宅の裏から飛び立てるという環境を想像するのは、なかなか難しい。


 ともかく、これは普通の寝台車ではないということを強調しておきたい。キッチン部分の扉を作ってハンダ付けした。以前作った車両はドアが内側に控えてあったが、今回それをやるとキッチンの設備に影響が出るのでやめた。


2026年07月24日

observation deck

observation fencel この種の模型は実感味を出すことを前提としていない。レイアウトの上に置いてあるのを見て、「これ、面白いね」と話題を提供するだけのものなのだ。したがって、細かく作っても仕方が無い。

 本物であれば、側面のフェンスは蝶番があって開閉できる。乗降するのに必要な機能だ。また、連結器の上の部分も開閉できる。次の車輌がつなげられたときに必要だからだ。今回は、そういうものは全て無視することにした。

 唐草模様の板を半分の幅に切り出して当ててみると、その模様の2周期が車体幅であることが分かり、直角に曲げて置いてみた。角の部分は角棒をフライスで削り出してアングルとし、後ろ正面の縦部材と厚みが揃うようにした。水平の手摺は縦部材と密着させてハンダ付けすると意外に丈夫な部品となった。

 この種の仕事はなるべく長い部材を使って、掴み代や基準面とするべきだ。これは伊藤剛氏に習った方法である。
小さい物を付けようと思ってはいけません大きなものを付けておいて、それを小さくするのです。」
 有難い教えであった。
 この部品製作では2本の縦材を最初から大きな台に固定し、それに細かいものを付けた。万力ではなく煉瓦を重しにした。
 煉瓦は便利である。ガスで焙っても焦げない。今回はハンダゴテだが、実に気楽に作業できる。表面があまりざらざらでないものを3つほど用意しておくと具合が良い。

 ハンダ付けは外で行った。暑くて参った。昔から「ハンダが融けやすいからありがたいと思え。」とは言われてきたが、この暑さは尋常ではない。40 ℃以上もあった。氷水を飲みながらの作業だった。

2026年07月22日

Oscar & Piker

Walthers O scale Piker (1)Walthers O scale Oscar (1) これらの模型は O scale のみで始まった。戦後すぐからあったようだ。のちにHO version も発売されたが、筆者は現物を見たことがない。

 これらの O scale の模型 をどうするか迷っているうちに、孫がやって来ることになった。見せて、もし「作りたい」と言えば、手伝って完成させたい。ドールハウスに似たものだから、女の子も車内作りに参加するだろうと期待する。

 その子たちは、以前の客車の内部を見てかなり興奮した。いつもはあまり興味がなさそうだったが、それを見せると窓に目をくっつけて中を見ていた側板が外れるのはとても喜んだ。自分たちも作りたいと言っていたから期待したい。

Walthers O scale Piker (2)Walthers O scale Oscar (2) 内部はこんな具合である。磁石を埋め込んだ。下塗りがしてあるから、あとは水性塗料を調色して塗らせる。細かい造作も任せてみよう。


foliage scroll 展望デッキをどう作るかが一番大きな問題である。針金細工では面白くない。少々凝った作りにしてみようと思っている。友人から、唐草模様のブラスの材料を貰ったのだ。少々線が太いのでヤスリで削って細くすれば使えそうである。それは錺(かざり)職人が使ったものらしい。多少緑青がふいていたが問題なく使えそうだ。 

 外装に迷っている。Pullman Greenにするのが一番無難だが、面白くない。もっと楽しそうな色にしてみたい。台車は、走行を考えないので Lobaugh の重厚な砲金鋳物製にする。

2026年07月20日

Oscar と Piker を再発見

 古い箱を開けるとこの2輌が見つかった。購入したのは1974年だから、もう50年以上も経つ。古い記事にある通りの状態で見つかった。なんという怠慢!このウェブサイトに当時のWalthersのカタログがある。
 余りにも古く、捨ててしまおうかとも考えた。買った頃のいろいろなことを思い出し、完成させることにした。 
 
Walthers Oscar Kit (3)Walthers Oscar Kit (2)Walthers Oscar Kit (1) これを買ったのはシカゴの模型屋だった。金のない時代で、ずいぶん迷った結果買ったのだ。
 東部の友達を訪ねてシカゴまでグレイハウンドに乗った。2日かかった。シカゴでYMCAに泊まり(確か4.25ドルだった)、市内を散策中に見つけた店だ。古いキットで少し値引きしてあった。この3枚の写真はweb上で見つけたもので、色調は補正してある。
 当時のYMCAはホモの巣窟であった。多少の問題はあったが、無事生還した。

 そのまま組まずに日本まで持ち帰った。組み始めたのは1977年頃だろう。サーフェサを塗り、ざらつきを落として滑らかにした。 説明書の室内配置と側板とは矛盾があり、窓を少し小さくして解決した。

 そのうちに完成させようと思って50年の放置である。これほど長く放置したのは珍しい。側板を磁石で留める方式にした。小さなネオジム磁石を埋め込んで、吸い付かせた。こういう場合には便利な方法である。 

2026年07月18日

railway post office 

 意外にも多くの方から連絡を受けた。今から数十年前のアメリカの鉄道郵便の事情を初めて知ったという話が多かった。もっと面白い動画を紹介して欲しいとのことだった。

 日本でも鉄道郵便局はあった。1970年ころに北海道旅行に行った友人からの手紙には釧路―旭川間の郵便車の消印が押してあった。鉄道郵便局の職員は「鉄郵一家」と呼ばれ、結束の固い人たちであった。現金の入った郵便物を扱うからには互いを信頼できなければならないからだ。ところが1980年代になるととんでもない事件が起こった。東京に到着した書留の郵袋が紛失していて、被害額は1千万円以上であった。それが複数回あったらしい。
  鉄道郵便は1983年あたりから縮小に向かい、86年の国鉄民営化で消滅した。その事件の影響もあったかもしれない。

 さて、どんな動画があるか調べたところ、この動画が見つかった。15分あたりに出て来る。この動画では機関士が郵便物の投下ポイントに近付くと、汽笛を鳴らして知らせているのが興味深い
 イギリスの郵便車の走行中回収、投下の様子を再現する動画もなかなか面白い。大きなネットを使っている。5分あたりで回収する袋に何かを当てて外しているように見える。

  "on the fly"という言葉が時々出て来るが、これは飛行中という意味ではない。「列車を止めずに仕事をする」という意味である。最近は別の場所でよく聞く言葉でもある。

2026年07月16日

railway post office を作る

Union Pacific Postal car Council Bluff  (3) 長年温めて来たプロジェクトがある。ステンレス・ボディの郵便車を作るのだ。この郵便車はアイオワ州のカウンスル・ブラフに置いてあった。UPはせっかくの新車を導入したものの、間もなく鉄道郵便というものが消滅したので新車同様のものが置き去りになったのだ。どういうわけか、米語のrailroad とは言わずに railway という。R.P.O.と略され、英語圏の模型誌などでの読者通信欄の名前になっていることが多い。

 筆者の友人の父君が郵便車に乗務していたので、当時のことを聞いたことがある。走行中の郵便物の受取、放出の話はスリルに満ちたものであった。速度は通常の走行速度であって徐行などしなかったそうだ。乗務員は強盗の襲撃に備えて拳銃を常時携行していたし、その射撃訓練もあったそうだ。この動画にもそれが見える。UPでは1967年あたりでやめてしまったが、東部のニューヨーク・ワシントンDCの区間ではその後10年近く運用されていたという。

Extruded Aluminum body この模型のコルゲートの材料はアルミニウム合金の押出しである。屋根上には例のリブが2本出ている。屋根と床板を35年程前に手に入れた。断面が異なる部分はラウタで削り落として、Union Pacific 仕様にしてある。窓の部分はステンレス板をレーザで切り抜いて作る。接着剤が進歩したので壊れることはないと思う。
 以前はエポキシを使ったが、硬化後は脆くなり衝撃を受けると思わぬ外れ方をしたものだ。スーパーXはそういうことが全くない。

 ラウタで削り取った部分は構成刃先でガタガタなので、油を付けてヤスリで削り取った。あまりきれいにはならないが、塗装する部分であるから、下塗りをして研げばかなり改善されるはずだ。

 ドアはかなりオフセットされている。その部分を表現せねばならないので、ステンレス板を重ねる必要があるし、周りのアルミニウム材も削る必要があるから、そう簡単には出来ない。設計には工夫が要る。

2026年07月14日

続 How to fasten the observation roof

Slide-Snap-fit バネは土手(nipple)を乗り越えてその向こう側に行く。これがあれば安定化する。図は再掲した。
 厳密に言うと土手を乗り越えた向こう側の斜面の上で止まると良いと習った。より安定化するのだ。

Slide-Snap-fit (2) リン青銅のバネはネジで屋根板に留められているが、ネジの頭を使って前後の位置決めをしている。孔に嵌まり込むようにしたのだ。外す時は持ち上げて引っ張るとスパンと抜ける。
 バネの幅はテーパになっているので、所定の深さまで嵌まると左右動は無くなる。この設計は意外と面倒だったが、修正なしで作動した。他の丸孔は照明用だ。天井板に彫り込んだLEDから光が落ちるようにする。 

Slide-Snap-fit (1) 押し込むとカチンと嵌まりこむ。前方(流線型でない方)を持ち上げてやると外れるが、そうしない限り外れることがない。バネの力で引き込まれているので隙間は無くなる。
 もう一つの Ardenは四角の展望室なので左右2箇所で引っ掛かるようにした。この工作は極めて簡単である。

eliminating slack 庇(ひさし)の部分に隙間が開かないようにするのは少々姑息な方法を用いる。側板からの続き部分を眼に見えない程度、わずかに上反りにしておくのだ。屋根がバネでグイと押し付けるので隙間は無くなる。光が通らなければ気にならないので、屋根側には細い角材を貼ってあればさらに確実な筈だ。


2026年07月12日

How to fasten the observation roof

 展望室の窓は大きい。そこに屋根を留めるボルトがあれば、かなりみっともない。以前購入したアメリカ人の組んだ展望車は大きな木片で天井を支えていた。それが目立つの避けるため黒く塗ってあった。実にグロテスクで参った。結局、天井板と床板以外は全て捨てた。
 現在製作中の展望車は都合3輌あり、どれも内部がよく見えるから屋根を留める工夫が必要だ。細いボルトを壁に沿わせる手もあるが、やはり見えてしまう。

 材料置き場でリン青銅の 0.6 mm厚の材料をを探し出した。これでバネを作って屋根を喰い込ませる。もちろん展望室には頑丈な天井を作り、それに引っ掛けるのだ。

 以前ブラス板でこれと同様のバネを作ったが、どうしても疲労して堅くなり、バネが利かなくなって来る。リン青銅は金属疲労しにくい材料であるという知識は大切である。昔からTMSにはブラス線や板でバネを作る例がよく紹介されていたように思う。その後どうなってしまったのか、心配だ。殆どの模型は耐久性が考えられていない。何年経っても製造時のような確実な作動を求める人など、いないのだろうか。

 ある科学博物館に興味深い展示があった。色々な種類のバネ材を用意し、同じ寸法に切り出してある。それにモータで負荷を掛けて曲げ、カウンタでその回数を表示している。鋼材各種、ブラス、銅、アルミ合金、ガラス繊維補強のプラスティックなど15種くらいが並んでいる。どれも数百、数千回以内でほとんど折れてしまっているがリン青銅だけは数万回でも生き残って、さらに実験は続いている。結果は本で読んだ通りだが、それを目の前で見ると衝撃的だ。

Slide-Snap-fit この展望車の屋根は、リン青銅のバネが丈夫な天井板の穴に嵌められ、後方に押し込まれるとグイと押し付けられ、左右のガタも無くなる。車体前部のトイレと物置の中に長いネジを付けて、それを締めるとどうやって固定したか分からなくなる。  

2026年07月10日

stretching a Walthers' passenger car

 ブラス製 18-roomette の改修作業を終え、一群の客車の製作に区切りを付けるつもりだった。ひとつだけ Walthers のとても軽い箱が見つかった。中身は空に近いと思っていたが、それはブリキ板と木の板によるキットであった。ブラス製は 1.6 kg位もあるが、これは 250 g もなかったのだ。
 気楽に組んで補重し、 PRR の編成に紛れ込ませればよいと思ったが、その見込みは見事に外れた。側板はブリキ製で窓はプレスで抜かれていたが、長さが 19 mm も短い。図面集をひっくり返してみたが、そんな寸法の客車は見つからない。伸ばさざるを得ない。

 仕方が無いので、ブラス製と見比べてどうするか考えた。一番楽なのは寸法を測ってステンレス板をレーザで抜くことだ。それを貼り付ければ完成だ。
Brass vs. Tinplate しかし窓寸法と間隔はほとんど合っている。ドアの付近と洗面所あたりの寸法が少し足らないだけだ。そこを切り離してブラス板を嵌め込み、長さを伸ばせば出来そうに思った。問題は厚さである。ブリキは 12/1000 インチ厚で 0.3 mmしかないがそこそこに丈夫である。ブラスでは、その厚さではとても持たない。0.5 mmを貼り足すのだ。厚みの差が裏に出るようにして僅かに湾曲させた裏打ちを貼り付けた。こういう仕事は50%ハンダが適する。表を研ぐとほとんど分からなくなった。 

Walthers passenger car roof 屋根は面白い構造だ。木製の厚い屋根にブリキの曲がった板が載せてある。それは 0.3 mm 板だから軽い。木部は虫食い部分があったので、エポキシパテを押し込んで削った。
 Walthersという会社はこのようなキットを1975年あたりまで売っていたのだ。2010年頃、かなり買い集めて完成させた。しかしその後20年程見ることがなかった。最近は接着剤が進歩しているので、このような金属と木のキットも十分に丈夫に組める。そうなると価値が出て来るような気がする。 

2026年07月08日

inspection car

 Arden は社用車である。社長専用車というわけではない。何かの重大な仕事で、指揮を執る人が常駐せねばならない時に用いる。また、顧客の接待などで必要な時に使用するものである。  

 40年ほど前、日本の自動車会社が Union Pacific 鉄道を近代化し、日本とアメリカ中部の工場を結んで正確な時間で走らせようと計画した。自動車会社の役員が視察に行ってこの種の車輌に乗ったという証言を得ている。もちろんこの車輌以外に食堂車があったそうだ。寝台車もあったかもしれない。

UP Fox Valley (4) 視察を目的とするなら、視界が広い方が良い。そこで後部を切り開き、座席を階段状に並べた stadium-style seating の車輌を作り始めた。最初は後部の防護用に太いH鋼を2本立てたタイプ(IDAHOと名付けられた)が作られたが、視界が狭く評判が悪かった。これは1990年代に廃車になってしまったようだ。この写真の出所は不明である。

UP Fox River(1) 後に妻に最大級のガラス窓を付けたものが登場した。この写真はTen Bears Imaging氏の撮影したものをお借りしている。元はC&NW鉄道のものだったが、UPと合併してUP塗装になった。 
 後ろを照らすライトはたくさん付いているし、巨大なワイパもある。座席の並びから theater car と呼ばれている。確かに座席に座れば映画館のスクリーンのように外部が見えるのだ。追突されると危ないが、そこはどうしているか知りたい。内装には木目が見えている。右側通行だが、左側に移行して走っている。そこでは右側は側線のようにも見える。

 この模型を作りたい。材料は切り出してあるので、窓を抜けば簡単だ。また妻板の工作は極めて単純であるが、座席は丸見えなので心して作らねばならない。ケガキを始めたが、さてどうなるだろうか。 

2026年07月06日

続 Arden

 Arden の内部についてはかなり資料が集まったが、どれもかなりの違いがある。かなり頻繁に改装を受けているからだ。

Arden from scratch 後部デッキの壁には追突時に安全を図るための太い鉄骨が縦に入っている。どう考えても奥行き 300 mmほどもある角柱が縦に2本あり、その隙間を通って出入りする。壁との組み方がどうなっているのか、よく分からない。少ない写真とにらめっこしている。  
 これも屋根が浮き上がるのを防ぐ工夫を施すことにした。展望室に締め付けネジが見えるのは避けたいからだ。

 台車は3軸台車である。オリジナル車輌は coach(座席車)で、改装後しばらくはそのまま2軸台車であったが、装備が重くなって3軸台車になった。田舎の弱い線路にも入る必要があったからだという説もある。それが1958年らしい。 

 デッキのスカートは丸味を持つ。ややこしい曲面である。パテを盛って削り出した。この車の手摺はそれほど難しい形ではない。機番によっては芸術的な形でとても作れそうもないものもあった。これは針金細工で出来そうな範囲にある。

 床下機器の情報はある程度集めたが、横から見える範囲しか細かくは作らない。いつの状態を再現するかによって外見も大きく変化している。1990年代は衛星電話が実用化されたので、パラボラ・アンテナを上向きに付けている時期があった。

 何か事故があると、クレーン車、作業員用宿泊車、食堂車、電源車、水タンク車、燃料タンク車、資材運搬用の貨車と共にこれが出動して行く。大規模な工事だと半年以上現場に留まって指揮をしていた。

2026年07月04日

Arden

UP Arden (6) 70年代のある日、駅にこの車輌が居た。”Arden”という名前の車輌であった。日本では見ることのない business car であった。巨大な無線アンテナ(cubical quad antenna)が横に置いてあった。そこに居た人が「触らなければ近づいて写真を撮っても良い」と言ってくれたので、たくさん撮った。地面から生えている電源箱には、240 V 3-phaseと書いてあり、太い電線のプラグが差し込んであった。また、上水道も繋いであり、下水は太いホーズで下水管に突っ込んであった。

Arden 1975-09-26 その後いろいろな場所でこの車輌とはよく遭遇し、職員ともある程度仲良くなったが、中には入れてはもらえなかった。そういう規則があるのだ。カメラを渡して最後尾の部屋の内部写真を撮ってもらえないかと頼んだが、それも断られたが当然だろう。他にも102号というのがよく来ていたが、形が好きではなかった。

Arden from scratch この模型を作りたくなり、かれこれ30年ほど取り組んできた。しばらく前の仮組み状態を示す。最初ブラス製の側板を作ったが満足できず、ステンレスで作り替えた。これも northerns484氏の助けがなければ放置状態であった。窓抜きはレーザに敵うものはない。屋根と床は木製で、ポプラ材から削り出したものだ。
 ポプラ材はアメリカで家の内装によく使う。天井と壁のつなぎ目に45度の角度で板を張る、いわゆる廻り縁(まわりぶち)の材料である。日本のシナ材に近い。木目が目立たず軟らかい。そういう工房に建材を注文することがあったので、ついでに安く作ってもらったものだ。その職人は多少模型のことが分かる人だったので助かった。10本ほど持って帰った。材料さえあれば自分でもラウタで作れる。

 Ardenはデッキの造作に特徴がある。後端は下が絞られている。屋根の端も特徴ある形状だ。この形が気に入っている。
 柵はジグを用意して作る予定だ。


2026年07月02日

続 slumbercoach

slumbercoach この寝台車の一階部分の床は低い。垂れ下がっているという表現が適当だ。建築限界があって車体を高くできないから、下げるしか方法がなかった。もっともUPのような田舎を走る鉄道では建築限界などあってないようなもので上に伸ばせば良かったが、Pullman は他の鉄道への販売を考えたのだ。

PRR slumbercoachPRR slumbercoach これは PRRで使用されたものである。床は斜面(ramp)で下っている。上の階の天井高さはあまり高くはない。切符を販売するときにはそれを承知させたのだろう。


UP 49er from scratch 筆者の模型も設計図通りに床を下げた。ちょうど良い合板があったのでそれを貼り足したら、かなり重くなりちょうど良くなった。写真を撮ったのは仮の線路上であり、心皿高さも調整してない。互い違いの窓が印象的だ。台車は新設計である。 
 この写真では展望室の屋根が浮いて隙間が見える。展望室の中にネジなどを貫通させて留めるというのは、あまりにも無様で許せない。それを回避する奇策を施したので後ほど紹介する。 

 アメリカでは”slumber” という言葉は特定の場所でよく使われる。それは高校や大学の寮である。パジャマで集まって夜通しいろいろな話をして楽しく過ごす。それを slumber party という。


2026年06月30日

slumbercoach

 この客車の slumberというのは「まどろむ」という言葉で、本格的な睡眠とは少し違う。要するにコウチ(座席車)であるけど寝られる簡易個室寝台車である。便器が各室に付いているのは大したものである。一日中籠っていられるわけだ。最近の寝台電車にもあるらしいが便器は付いていないようだ。 

UP 49er 半二階建てとなっていて、2つの客室が互い違いに組合わされている。車体長さに対する収容人員が飛躍的に増え、低廉な料金でプライヴァシィを確保できる画期的な構造だ。1935年頃に登場した。車体の片面には窓が2段に並び、特異な形状である。区画の天井は低く、今で言うカプセルホテルとそう変わらない。
 
steps lead to upper rooms Union Pacific鉄道はこのデザインを採用した。それはUP の”49er”という大陸横断特急である。シカゴからサンフランシスコへ2日強で走り抜けた。「フォティナイナ」とは、1849年にサクラメント郊外で金が発見されて、それを目がけて押し寄せた人たちのことである。この事件でカリフォルニアの人口は一挙に十倍以上になったらしい。現在はサンフランシスコにあるフットボール・チームの名前だ。
 最後尾の流線形テイルを持つ展望車と連接になったこの簡易寝台車は、世界中で有名になった。

 その後その列車は形も名前も変わったが、最後尾の2輌だけはそのまま使われた。すなわち、ヘヴィウェイトのプルマン寝台列車の最後尾にこの流線形の2輌が繋がれたのである。既存の列車の最後尾を取り替えるだけで新しい編成の気分を味わえるから、模型の場合は好都合だ。

 この模型を作り始めて30年になる。かなりのところまで行っていたが、窓の切り抜きが気に入らず、放置されていた。数年前、northerns484氏のご助力でステンレス板をレーザで切り抜いたものを作って、やる気になった。 


2026年06月28日

ハンダ付け部の疲労

 最近ハンダ付けに関する質問や助言をかなり戴くようになった。一言で言えば、「どうすれば丈夫で壊れない接合ができるのだろうか」である。

 このブログでは、スズ 63%ハンダを推奨している。それは接合面に薄く沁み込み、「合金層だけでの接合」を形成しやすいからである。突き合わせの接合はするべきではない。よく見るのはHO車体の妻板接合部の外れである。これは筆者は絶対にやらない。

 前回のコルゲートの客車にはハンダが大量に使われていた。ハンダの塊でブラス板が接合されている部分さえあった。ガス火で焙り、融かして回収した。色から判断するとスズ60%ハンダだ。アングル材を作って貼り付けたらとても丈夫になった。窓部分をすべて切り取り、ステンレス板をレーザで切り抜いた部材に総取替する。全体の剛性を大きくして狂いを防ぐのだ。

 イモ付けであれば、車体を握った瞬間にハンダに応力が集中し疲労する。ブラスよりも弱い材料に応力が集中するのは当然である。毎回接合部を折り曲げようとする力が掛かるのだ。もし妻板がコの字の断面を持ち、ある程度の幅で側板と接合されているなら、ハンダ接合部には力はほとんどかからない。あるいは角線を貼ってあったらどうなるかである。これは大した手間ではない。筆者はその目的のアングル材、角線を各種用意している。

 ハンダという合金はブラスに比べればはるかに弱い。単なる接着剤と考えて、面での接合をするべきである。厚く付けた接着剤そのものに応力が掛かるような構造は間違っている。これが理解できていれば、ハンダ接合は意外と強いものである。

2026年06月26日

続 プロのハンダ付け

Budd corrugated passenger cars この客車は日本で安価に入手した。エッチングで表現されたコルゲートを持つ。0.7 mm のブラス板に 0.2 mm と深いエッチングである。半分壊れていたので、素材として入手したのだ。一体誰が作ったのだろう。極めて怪しい設計で、窓配置、ドアなど全て修正が必要だ。コルゲートのピッチもかなり怪しい。ハンダ付けは極めて稚拙であった。元は CB&Q の車輌だと思われるが、自由形と言うべきだろう。これを大改造してAmtrakに作り替えるつもりだ。

soldering onto roof 先回に引き続き、プロの腕の話をしよう。ステンレス・コルゲートの屋根にある2本のリブを見て驚いた。コルゲートはエッチングで彫って作ってあるが、そこに2本の膨らみがまっすぐに隙間なく付いているのである。すなわち屋根に1x1の角線を直線状に正しく貼るにはどうしたら良いだろうか、というのが今回の話題だ。写真の右は上記の怪しい客車の屋根にハンダ付けが完了している。完全な直線で付いているのがお分かりだろう。左の屋根に今から付けるわけだ。 

コルゲート付き屋根に洋白角線を隙間なく貼る そのプロの手法を図示してみた。
 屋根板に Φ 0.8 の孔を30 mmごとにあける。角線はその上に貼られるから孔は見えなくなる。マスキングテープで角線を仮固定する。所定の位置にあることを確認して裏に塩酸を含む塩化亜鉛水溶液を多めに付ける。水滴が盛り上がる位にするのだ。63%ハンダの小片を置き、150 Wのコテを垂直に強く押し付ける。平たいコテの先が、上からは見えない角線の上を完全に押えるようにする。コテからの熱は薄い屋根板(t0.7)を貫通し下の角線に到達する。ハンダは石鹸水のように沁み込み、屋根板と密着する。この時、耐熱性のある堅い板の上であれば、コテを押す圧力がそのまま角線に伝わり、隙間の無いハンダ付けが可能である。こうして小さな孔の前後 10 mm程度にハンダが瞬時に廻る。順時このようにすると、角線の全長の半分以上が屋根板にハンダ付けされる。孔は小さくてもハンダが急速に吸い込まれるのが分かる。たとえ腕が良くなかったとしてもスズ63%ハンダを使うと、とてもうまく行くのだ。塩化水素が少し放散されるので、屋外で行うべきである。

 この時、ブラス線ではなく洋白の角線を使うのが筆者の工夫である。熱膨張定数が小さく、伸びる量が相対的に無視できるから、貼った線がくねくねにならない。ハンダは急速に隙間に沁み込み、ほとんど見えない。塩酸が含まれていない塩化亜鉛液では、これほどうまくは出来ない。角線はねじれていると失敗する。事前によく調べてねじれを取っておくことが肝要である。

 テープはなるべくハンダが来ない位置に貼ると、熱で変質しにくい。直接熱が加わる位置では糊が融けてへばり付いてしまう。

 小さな孔を介してのハンダ付けをしている訳だが、極めてうまく行く。お試しあれ。


2026年06月24日

プロのハンダ付け

車体に床板を留めるアングルをハンダ付けする 今回の客車には、床板を取付けるアングル材が側面にハンダ付けしてあるものがあった。その手法は、なるほどと納得するものであった。

 側板にアングルを取付けるときは、高さを決めるジグで押し付けて、ハンダ付けする。この大きさであると 150 Wのコテを使うべきだ。今まで筆者は全面的にハンダを付けていたので、側面が微妙に反った。床板に締め付けると真っ直ぐになるので何の問題もないが、面白くはなかった。今回のジャンクの中にはアングルが取付けてあるものがいくつかあったので、その様子を見て驚いた。

 車体と床板は 8本の M2ネジで取付けられている。すなわち、車長を 3 で割れば、大まかに言えば 15 cm ごとにネジ孔がある。側面とのハンダ付けはそのネジ孔の前後10 mm程度にハンダを沁み込ませた状態である。
 力が掛かるのはネジの部分だけなので、他の部分はハンダ付けしなくても問題は起きない。全面的にハンダ付けをすると反りが出ることを見越した判断だ。これはプロの腕である
 商品は見かけが大切である。いかに「丈夫に作りました。」と言っても波打っていれば商品価値はないし、「ネジを締めれば反りは無くなります。」と言ってみても説得力はない。

 そのネジ部分のハンダは実に丈夫に付けられていて驚いた。ハンダの量は多くはないが完全に沁み込み、アングルは側板から外れることはない。大したものである。

2026年06月22日

Burlington refrigerator express

Burlington Route express reefer ほぼ完成である。まだ番号が貼ってない。
 大きな文字の Everywhere West は、とても古いディカールを貼ったので文字が一部流れている。いずれ貼り直すべきだろう。

 ヘラルドのディカールはもう余分がないので慎重に貼った。膜の強化液を塗って始めたが、その強化液がディカールの紙の断面に付いてしまった。するとその部分から液が紙の内部に沁み込み、水の中で剥がれなくなった。すぐに引張り上げてカミソリで切り落とし、難を逃れた。これは注意すべきことである。大きな台紙のままで強化液を塗って、乾いたのちに余白を切るべきであった。

Burlington express reefer on the track (2) この塗装はたった一枚の写真を見たことから始まって資料を集めたが、どれもすべて異なる塗装スキ−ムであった。黄色帯の太さ、文字の大きさ、書いてある内容がすべて異なった。したがってこの塗装は自由形で、手持ちのディカールの文字が貼れるような帯の太さにしている。そういうわけで、これを参考に塗るのはおやめになった方が良い。

Burlington express reefer on the track (1) そもそもこの側面のドアが観音開きというのは、この時代にしてはおかしいのである。これはプラグドアにすべきであったが、手持ちの部品を早く使ってしまいたかったので、その仕様にした。

 調色した緑の塗料はまだかなりあり、早く使ってしまいたい。何か塗れるものがないか、資料をめくっている。 

2026年06月20日

続々 reefer を塗る

 ディカールを点検していて重大なミスに気が付いた。手元のBurlington のディカールの四角の枠には赤の帯がなかった。ということはそのまま貼ると下地が透けて見えるわけだ。赤の下地を作らねばならない。

Brlington green reefer ディカールは水に漬けると多少伸びるだろう。許される誤差は黒枠の太さの範囲である。ディカールの寸法を正確に測定してマスキングした。小さな四角の枠を作り、大きな紙で全体を覆ったが赤を塗るのは一瞬であった。

Burlington もう一つ、このディカールの四角の枠中の Burlington Route の文字部分は白なのか、それとも素抜けているのかを確認する必要があった。このディカールは白い紙の上に印刷されていたので、文字が白いかどうかはそう簡単には分からない。

 顕微鏡で覗いても今一つよく分からなかった。そこで横から紫外光を当てると白文字のところだけ緑っぽく光った。これでインクがあることが判明した。最近は光硬化接着剤があるのでそのLED光源を使えばよいのだ。

 結局5色を使った塗り分けになり、貨車ごときにこんな手間を掛けたのは初めてだった。普通は多くても3色で、細かいマスキングは必要ないものばかりだった。

2026年06月18日

続 reefer を塗る

removing masking マスクした部分を剥がす瞬間はいつも興奮する。このように平面であれば心配ないが、ハシゴの下などは多少の漏れもある。塗って15分も経てばテープをはがしても問題はない。それ以上経つと、固まった塗料が引き裂かれるので境目がすっきりしない。
 ナイフで削って少し塗料を塗る必要がある。当鉄道では珍しいストライプ入りであってよく目立つ。
 屋根は銀色にしたくなったので、最後に側面、妻面をマスクして吹いた。これは簡単な作業である。

 ディカールはごく一般的な貼り方である。 封を切って一部を使ったディカールはなるべく早く使い切り、袋を捨てたい。最近はかなりたくさん消費したので、残りはスーツケース半分になった。分類して、たくさん抽斗のあるレターケースに入れ始めた。この分類作業はかなり頻繁に行っている。そうすると思わぬものも見つかって、次の工作への指針となる。 

 今回の塗装で使うディカールを選んで並べ、間違いなく貼れるか予行演習をする。古いもの、一つしかないものには強化液を塗る。そうしておかないと心配である。 

2026年06月16日

reefer を塗る

 先日調色したラッカを早く使ってしまいたい。それを考えながら、塗らねばならない貨車の塗色を調べていた。もちろん持っているディカールの使える範囲内である。

Burlington express reefer 先回の冷蔵車は黄色のBurlington にするつもりであった。黄色の塗料はないわけでもない。ディカールは使い掛けのを早く使って始末したい。それを並べて考えていたところ、この緑に黄帯の塗り分けを見付けた。いささか荒い写真ではあるが、インターネットあればこその結果で、切り取って保存した。こういう写真は本を見ていても見つからない。個体によって多少違うから、こちらにとっては有難い。ディカールは完璧には揃っていないからだ。
 
fully masked 問題は塗り分け線上の黒のストライプである。そんなディカールはないからマスキングでやらねばならない。
 まず黄色を塗ってマスキングテープを貼り、黒を吹く。固まったら、それにかぶせて再度マスキングし、緑を吹く。ラッカだから15分も経てば剥がせる。ハシゴは面倒なので、下地だけ塗り分けてあとは筆塗りをすることにした。そこそこにうまく行ったが、マスキングテープを重ねて貼ったところに糊が残っている。うまく拭き取らねばならない。
 最終的に側面、妻面を完全に覆って裏側を黒く塗った。これは気楽である。

 金属製であるから、失敗したらブレーキフルードに浸けておけば剥がせる。そういう点では心配せずにできる。

2026年06月14日

gimmick の価値

 鉄道模型の趣味がある人のうち、ドアが開いたりするのが好きな人はどれくらいの比率なのだろう。現在、筆者はそういうのは嫌いであるが、中学生のころまではとても好きでドアが開くのを友人に見せて得意になっていた。ドールハウスに使う小さな蝶番を探して買ったこともある。

 その後何年も経ちレイアウトで運転するようになると、ドアが開いてトンネル側面に引掛かる事故を経験した。対向列車にぶつかったこともある。壊れるとある程度塗装を剥がしてハンダ付けをやり直さねばならない。また部品も散乱する。それが嫌になって可動させることはやめた。以降、扉は接着して開かなくするのが当鉄道の仕様である。

 さて、この冷蔵貨車はギミック満載である。20年ほど前 e-bay で買った。どういうわけか売手はオーストラリアの人で、日本への送料は安かったが、距離のあるアメリカへは送料が2倍ほど高かった。アメリカからの入札者は無く、筆者だけしか入札者がいない状態でとても安く買えた。   
reefer gimmick2 側面の扉は断熱材を再現して厚く作ってあった。扉は観音開きで、ロックが掛かる。鎖錠装置は良く出来ていた。本物のように偏心していて、回転させて死点を越えると開かなくなる。軸の弾力を利用したうまい方法であった。こう書くと素晴らしそうに感じるかもしれない。到着時は見事な作動だったが、徐々におかしくなって来た(この写真は鎖錠装置を壊している最中に思い付いて撮ったので、下半分しか残っていない)。
 
 ブラスで作ってあるから何百回も力が掛かると徐々に金属疲労が進み、硬くなって
来てロックが甘くなったのだ。すなわち閉めたつもりでも、走っていると開いてしまうことがあった。折れるまでには長い年月がかかるかも知れないが、実用に耐えなくなったということである。
reefer gimmick 屋根の氷を入れるハッチ周りの裏側も白い断熱材が張られているのを再現している。ここでそのハッチが開いたまま走れるように、ラッチが掛かって閉まらないようになっている。これは本物の構造の通りだ。氷室の構造もよく再現されていた。良く出来ていたが 3/4 が壊れていた。

 作られてから数十年は経っていただろう。片面のドアが壊れた状態で届いた。直そうかとも思ったが走行中に開く可能性があるので、別部品で作り直して開かないようにした。非常にすっきりして良くなった。氷を投入する蓋も留めた。

 20年前、これを見せた時「凄いね!」と称賛する人も居たが、走らせるものはギミックを無くした方が良い。また、動かすのなら確実な鎖錠装置が必要だ。あるいはドアは内側にしか開かないものが良い。

 この件に関してご意見を戴けると嬉しい。

2026年06月12日

続 4-4-2 Pullman

PRR 4-4-2 Pullman 1938 この略図で、C,F,G,H に覗き窓がある筈である。A,B,I,J は一人用個室である。上のベッドを降ろせば二人用となるが、どちらかと言うと補助的扱いである。 
 Pullman の公式写真、図面を編集して50巻ほど販売している出版社がある。筆者は UP や NYC のシリーズは持っているが PRR のものはない。持っている人に調べて貰ったが、覗き窓の写真は見つからなかった。それで、「PRR には覗き窓がない」という作り話が生まれたようだ。しかし考えてみれば、覗き窓がなければ上の段に寝た人は今どこを走っているのかは知る方法がない。ということは1段しかベッドがないのか?そんな筈はなかろう。内部の細かい図面(平面図しかないが)を見ても他の車輌と同じである。ということは覗き窓が無いのは不合理だ。
 今回友人からその資料の当該ページの提供があったので再度精読したところ、思わぬ記述に出くわした。

 1937年7月、"Broadway Limited"と"General"(どちらも特急の名前 筆者註)用に6輌の 4-4-2 寝台車が注文された。注文番号は6450、図面番号は4069Bだ。同時にNew York Central 鉄道も注文した。Pullman の写真技師はそれらの写真を撮るとき、同一のものを全部撮る必要はないと考え、2種の塗り分けを示す写真を撮った。
 1968年までにこれらの6輌は全てスクラップになった。
(引用終わり)

 それがこの2枚の写真である。
PRR 4-4-2 Pullman ImperialNYC 4-4-2 Pullman Imperial

 

 要するに、2社とも全く同一仕様で塗装スキームだけが異なる。すなわちPRRにも覗き窓があったと言っているわけだ。PRRの車輌の写真は通路側しか撮っていないので、向こう側の覗き窓の存在を否定する動きがあったわけだ。 模型化されたものを丹念に検索すると、覗き窓のない製品もあった。これは早とちりである。窓配置も奇妙である。

Walthers UP 4-4-2Walthers 4-4-2  PennsyWalthers 4-4-2 NYC


 Walthersは覗き窓付きを出した。これは何も考えずにUP、NYCと同時に発売したようだが、それが正解だった。不思議なことはどれもスカートが無いのである。UP には無いが Pennsy にはあったのだ。NYCはどちらの写真もある。筆者のUP車輌のスカートは切った。UPは新車を手に入れたのではなく、1952年に C&NW と SP からの中古車を導入したらしい。UP のスカート無しはその辺りに理由があるような気がする。


 模型人は写真がないと想像を巡らせて思わぬ結果を出すようである。筆者もその影響を受けそうになった。早とちりで窓を塞がなくて助かった。

 覗き窓のある部分は車体の端に近い部分で、乗り心地が良くはない。中央部は乗り心地が良いので、続き部屋で上等な部屋である。ひとつの車輌の中で良い部分を優等な部屋として提供しているところが興味深い。 

2026年06月10日

4-4-2 Pullman

 4-4-2 と聞くとAtlantic を思い浮かべる人がほとんどである。しかし客車ファンには別の解釈がある。
 これは4-bedroom 4-compartment 2-drawing room の意味で、4つの廉価版個室、4つの2人用個室、2つの続き部屋を持つ車輌を表す。中央付近の乗り心地の良い部分には優等個室がある。Pullman の社内で付けられた呼称は ”Imperial” シリーズである。

 2人用個室の上の段に寝ると、今どこを走っているかが全く判らない。下の段なら、窓を塞いでいるロール・ブラインドの隙間から覗ける。
 この目的の小窓が付いた車輌がある。国鉄のオロネ10にもついていたが、アメリカには早くからある。この 4-4-2 は1938年製であるが1930年製造のものにもある。

thumbnail_IMG_7568NYC 4-4-2 Pullman Imperial UPやNYCの寝台車にはこの覗き窓が付いていることがよく判る写真が多くあるのだが、PRR ペンシルヴェイニア鉄道用の客室側の写真が見つからない。それで一部のHO模型にはその覗き窓を無くしたものもあった。そうなると、内部の構成は全く異なるものになる。そんな筈はなかろう。
 左の写真はUPの現役引退後の改造車輌だ。作業員の移動式宿舎として使われていたものだ。

 実はこの 4-4-2 のジャンクは2輌分あったので、一つは UP仕様としてスカートを切り落とした。もう一つはそのまま PRR用としたが、覗き窓の有無が確定するまで、かなりの期間放置されていた。
 今回客車を研究している友人から興味深い情報を戴いたので、PRR用にも覗き窓があることがわかった。 

2026年06月08日

窓を小さくする

shrink window size 窓を小さくするのは比較的簡単だ。
 まず丸い隅を削って四角にする。こうすると新しい窓の付いた板を作るのがかなり楽になる。

 最初に全体よりも少し大きな板を用意し、孔をあけて角に丸味を付けた角孔を作る。孔の寸法を確認し間違いがなければ4つの辺を切り落として嵌め込む。ガタがないように正確に削り、出来た窓が傾いていないことも確認する。

to shrink window size 外側を面一(つらいち)にしたいので、外に耐熱性のある板を当て、内側からブラスの当て板を置き、何かで強く押し付ける。当て板は窓の左右2箇所だけで良い。厚目の板の小片で十分だ。
 反対側の窓があれば、それを通して当て板を棒で押して密着させる。塩化亜鉛水溶液を塗り、50%のハンダの粒を置く。200 Wのコテを当てれば 2秒で全体にハンダが廻り、外側が一体になる。溝は出来ない。ほとんど何も仕上げをしなくてもよいくらいだ。 

shrinked window 今回はハンダ付けが終わってから窓の内側を少し削って仕上げた。窓枠が完全に直角に仕上がっているのを確認する。


 より完全な処理をしたいなら光硬化パテを塗って削り落とせば全く痕跡が無くなる。

2026年06月06日

PRR の coffee shop car

PRR coffee-shop car Budd (2) 1986年に筆者が目黒の店頭で1つだけ買えたものは、そのまま保存していた。積み上げられたジャンクの中で唯一ニッケルめっきが施されていて、目立ったのだ。不思議なことにどこも壊れていなかった。壊れたところがないのにジャンクだったのはメッキにむらがあり、一割くらい茶色のところがあったからだろう。必要以上にキラキラしていたが、ステンレスの色をニッケルめっきで表現するのは無理がある。ニッケルめっきでは玩具にしか見えなかったが、40年経つとくすんでステンレスっぽく見えないこともない。
  
PRR coffee-shop car Budd (1) 最近市販されているステンレス調色塗料の色は素晴らしい。これも塗装でステンレス色を再現するつもりだ。窓配置は間違っていなかったから助かった。台車は仮のもので心皿高さも未調整である。

PRR coffee shop 1154 budd 左の写真はこの車輌の実物だ。こんな塗分けになる。幕板と帯板のみが塗ってあった。全体はステンレスの銀色で、tuscan(イタリアのトスカナ地方の茶色顔料、屋根などの色 )を塗れば良い。この客車群を塗るためのタスカン色塗料は十分に確保してある。 この写真では屋根が黒っぽいのが不思議だ。

PRR coffee-shop car Budd Pullman この車輌の室内を調べると、UP の lunch counter diner
と似た配置の部分がある。また、キッチンにはかなり大きなオヴンがある。RADAR RANGE とあるからmicrowave oven(日本で言う電子レンジのこと)である。アメリカでの発売当初はそう言っていたのだ。今この言葉を使うと全く異なる軍事用語になる。レーダで索敵できる範囲のことを指す筈だ。
 この客車では軽食を中心に出す。旅客の出入りは隣の車輌からだ。これは現在の法律では許されない。すべての車輛に2箇所以上の脱出用ドア設置が義務になっている。
 側面には小さなドアが2つある。食料、食器の出し入れをするものである。

<筆者註> 読者の方がご親切にも実物の写真を提供下さったので差し替えた。ありがたいことである。

2026年06月04日

Roomette

PRR 18-roomette Pullman この客車は定員18人の個室寝台である。ただしそれはやや狭い部屋である。この小さな個室は roomette と呼ばれ、1937年に導入された廉価版の個室寝台だ。いかにもフランス語風の言葉だが、アメリカで使われ始めた造語である。アクセントは後ろにある。アメリカ人の中には、フランス文化に憧れを持つ人は今でも多い。

Pullman compartment interior いわゆる「通常型の Pullman の個室」にはベッド、椅子、テーブル、トイレが備わっている。ベッドは枕木方向にあるのが普通だ。すなわち通路は車体幅の片方にある。トイレは部屋の隅にあって上にクッションが載っている。ベッドは昼間は畳まれてソファになり、ゆったりとしている。これは旧国鉄時代のA個室寝台と同等である。それには45年ほど前乗ったが内部は殺風景で、かなりの料金を支払って乗ったことを後悔した。
 一方、アメリカの個室は木目調の塗装で落ち着きがあった。これは車内に可燃物をできる限り少なくするという目的で採用された。手描きでクルミの木目が再現してあった。これはプルマンの統一された仕様である。そういう職人を擁していたのである。

 ルーメットでは、トイレは昼間は露出(上にクッションがあり、蝶番で開くようになっている)しているが夜間はベッドの下になり、用を足すことが出来ない。ベッドを畳むと使用できるが面倒であるから、車端にある general toilet 一般用便所を使用せざるを得ない。

Budd_Company_Budgette_car_1945 このポスターは「開放寝台は古い。ルーメットの時代ですよ」と宣伝している。プライヴァシィが保たれる個室への移行を表しているのだ。1945年に始まった広告だそうだ。Budd社の広告でプルマンの仕様とは少し異なるが、二段式の上の寝台に登るのが嫌だという人はある程度居るということを強調している。 

 日本の寝台車には何回か乗ったことがある。ベッドがレイル方向と枕木方向にあるのと二種あった。確か前者がA寝台であった。ベッドが少し広かった。
 この方式を「プルマン式」と表現したのを見たことがある。これは正確には開放型プルマン寝台と言うべきであろう。厚手のカーテンに囲まれた2段寝台で寝るのは悪くはなかった。寝台電車は3段式であった。客車時代の3段式は乗ったことがない。
 その後新幹線があちこちに開業し、寝台車というものをほとんど見ることがなくなってしまった。

 アメリカではチャンスがあると乗ってみた。寝台、洗面所、ラウンジ、食堂車を順にくまなく見て体験するのは楽しかった。ラウンジにはピアノが置いてある場合が多かったが、調律がしてなかった。
 どれも大きな車輌であった。新幹線は十分大きいが、天井が低いのは残念と感じる。 


2026年06月02日

窓配置

5 bdrm bar-lounge Pullman この車輌は 5-bedroom bar-lounge Pullman という種類だ。 個室寝台と酒を飲む場所とが併設されている。酒飲みの人には具合が良い車輌であろうが、この個室寝台がそうでない人に割り当てられると寝られないであろう。その個室は2つをつなげて使用ということも可能のようだ。
 この種の車輌内の売り上げはすさまじく大きかった。当時は、酒は cash でなければ飲めない時代であった。札束がたくさんできたそうだ。

 この模型には窓の違いが3箇所あった。1つは塞いだ。反対側に拡げなければならない窓が一つと、小さくせねばならない窓が一つある。

PRR 5 bedroom bar-lounge Pullman HOwrong window arrangementunnecessary window 資料を探していて思わぬ写真を見付けた。これは Kumata が輸出したHO車輌だ。なんと手元のOスケールと相似形である。これらの写真はアメリカの模型店 Brasstrains のサイトからお借りしている。

 当時 Kumata は凄まじい勢いでこの種のHO客車群を生産し、輸出していた。Oスケールも同時に輸出することにしたのだろう。それで 目黒の模型屋 と組んだらしい。手元に一つだけある箱にはKMT-KTMという紛らわしい名前のロゴマークが見える。さすがに当時の目黒のハンダ付けの職人は上手である。プロのテクニックが見える。それ以前のKMTの製品(P社が製作?)とは一線を画している。
 床は無かったので作った。連結器に掛かる力が次の車輌に直接伝わるようにした。スカートがあるので床下機器はかなり簡略化できるのは助かる。

<追記> 1938年の落成時の写真を友人から提供戴いた。驚いたことにこの製品の窓配置である。説明を詳しく見るとこのような説明があった。
Harbor Springs 1938 1938年5月に就役当初は、ダブルベッドルームが2つとラウンジ、理髪室、シャワー室、秘書室が付いていた。1943年に改装され、理髪室と秘書室は外されて5寝室になった。1954年に引退し売却された。1輌はメキシコに行った。
 すなわち製品の窓は間違ってはいなかったが、旧塗装の時に限られる。筆者は戦後塗装車を作っているので窓を改造して良かったことになる。上の図面は戦後のものである。

dda40x at 06:02コメント(4)客車 この記事をクリップ!

2026年05月31日

窓の修正

 ジャンク品なので文句は言えないが、窓配置が派手に間違っているものがある。設計者は何を見て窓配置を決めたのだろう。資料不足だけでは解決しない「何か」がそこにある。

 実物の構造をある程度知っていれば、そんなところには窓がない筈だと気付く筈だ。寝台車であれば、シーツ、枕など資材を置くところがある。当然、窓は作れない。ところが大きな窓がそこにある。また、客室なのに便所用の小さな明かり取り窓しかない。

PRR cars 手持ちの写真集、図面集を見て大まかなところが間違っていなければ合格とするが、あり得ないミスは修正せざるを得ない。この写真では、上から3つ目の右端の窓を塞ぎたい。


fixing wrong window 窓を塞ぐのは簡単である。厚目の板を少し大きく切って裏に貼り付ける。塩化亜鉛を塗って50%ハンダで付ける。この時は炭素棒で完全に密着させる。表から見てハンダがにじむ程度にしておく。厚板を下に貼るのは熱容量を大きくして次の作業で剥がれないようにするためである。
 車体は 0.5 mm板であるから、同じ厚さの板を切って穴に嵌め込む。塩化亜鉛水溶液を塗って 63%ハンダを置き、200 Wのコテで触ると一瞬で裏側に廻って密着する。

 周りは溝状の隙間が多少あるが、無理して埋める必要はない。表面が完全に面一(つらいち)になっていることを確認して終わる。凹んでいるところは光硬化パテで解決できる時代になった。埋めた面が同一平面になっていれば良いのだ。楽な時代になったものだ。 

2026年05月29日

Pennsylvania 鉄道の客車群

 ブラス製のジャンクがかなりある。1986年に目黒の模型店でこの種のジャンクがかなり売りに出ていた。それを買おうと翌週に現金を用意して行ったところ、すべて片付けられていた。代替わりした社長が「うちはそんなクズを売るような店ではない。捨てろ!」と怒鳴り、片付けさせられたと店員が言っていた。

 30年も経つと天の配剤により思わぬことが起こるものである。巡り巡ってそのときの客車がほとんど筆者のところに来たのである。かなり壊れているものもあって 1/3 は処分したが、残りは修復が可能であった。ただし、筆者はこの鉄道に対する知識が少なく、友人の助けを得て少しずつ作って来た
 GG1 か T-1 に牽かせるのが妥当なのだろう。どちらも用意してある。

PRR diner 食堂車は比較的原型を保っていた。台車はいずれ取り替えるが6輪の仮台車を付けた。食堂車にはテイブルを付け、皿と銀器を並べると壮観である。キッチンの中もステンレス色で作りたいが、見えにくいところなので概略だけにする。 


18 roomet Pullman これは個室が18ある廉価版の個室寝台車である。Roometteと呼ばれた。ベッドがレイル方向にあるタイプだ。これには窓が1つ多かったのには参った。連結器取付け部は補強してある。台車はUP用が仮に付けてある。

2026年05月27日

PRR の horse express car

horse express car (2) ジャンクから完成させた後、1年以上放置されていた。PRR  Pennsylvania 鉄道の車輌であったが、それをUP仕様に作り替えられないかと可能性を探っていたのだ。

 テキサスのデニスから貰った資料の中に UP の horse express car があった。この写真の Pennsylvania 鉄道の車輌と非常によく似ていた。小さな窓をつければ、作り替えることが出来そうに思えた。窓は高いところにあり、外が見えるような窓ではなかった。それを12個あけるのである。窓枠を作って裏から貼るだけだから簡単そうであったが、扉の形がずいぶん異なっていた。off-set(ドアが車内側に凹んでいること)の量も違うから、全部作り直さねばならない。それを作るのなら、スクラッチから作るべきであろう。

horse express car (1) そういうわけでこれはそのまま PRR 仕様にした。プライマは例によってミッチャクロンで、それにフロクイルの Tuscan を塗った。良い色である。隠蔽力が強く、薄く仕上がる。車輪はまだ塗ってない。 

 台車は S師に 3Dプリントで作ってもらったものである。連結器は当然 Monarch である。カプラ・ポケットの復原がよく利いているから、突き合わせて連結するのは容易である。客車の連結にはこのカプラでないと気分が悪い。  
 ディカールはあり合わせを貼った。多分貼り替えることになるので仕上げがしてない。 

2026年05月25日

Monarch coupler の準備

onarch couplers Monarch 連結器を取り出して整備している。客車を仕上げ始めたので事前に連結器座と組み合わせて動作を確認している。



 世の中は Kadee 全盛で、モナークという名前を聞いたことがない人が大半になった。筆者がOスケールを本格的に始めた1970年頃はケイディが売り出された頃で、モナークの需要がかなりあった。つなぐときはセンタを合わせて軽く突き合わせると、「プチッ」という小さな音がして連結される。決して外れることはない。キィは弱いバネで下向きに力を掛けているから、振動しても外れないところが賢い。外す時はカプラの下を指でなぞると外れる。キィを軽く押し上げるわけだ。開放テコと連動させている場合はそれを引き上げるのだ。

 当時の Oスケールは「連結開放は手でやるもの」という意識があった。ケイディの登場は「触らないもの」という思想を Oスケールに持ち込んだような気がする。その結果、客車列車までも発車時にガチャガチャガチャと連結器遊間を拡げながら動き出すが、オモチャっぽい。これは非常に腹立たしく、許せない。

 日本では寝台特急の青い客車以外は普通の連結器で。ガタを感じさせないように緩やかに発車するのが機関士の腕の見せ所だった。アメリカの客車はガタの無い連結器を用いている。一本のしなやかな棒のようになっているから発車時は静かに出る。これは肘を開かなくするキィがテーパになっている。自重で落ち込むようになっていて、ガタを無くする。日本でも一部の電鉄会社はこのガタの無い自動連結器を使っていたが、一般的ではない。 

 Pennsylvania 鉄道の客車を何輌か仕上げたので、それに取り付けるために連結器座を整備した。これは自動センタリングで引張りの方だけバネが利く。必要量しか作らないのは面白くないので、あるだけ全部組んだ。かなり面倒な作業であった。

 写真の手前にある長いシャンクは、連結器の付け根を台車キングピンに近くにしたい時に使う。モナークは絶縁されていないので、台車がナイロン製の物にしか使わない。それでも金属製台車にも使わざるを得ない時もあるので、絶縁された車体ボルスタを使う。車体は電気的に浮かせてあるが何かの間違いで短絡することもあるので、機関車の連結器は必ず絶縁している。 

 モナークは70年代後半に廃業した。2000年頃、シカゴの男が製造設備を買い取って再生産を始めたので、筆者がかなり買い占めた。その後どうなってしまったのかよく分からない。手元の在庫も僅少となった。 

 テキサスの友人宅のレイアウトでは、全ての連結器がMonarchであった。どれもよく整備されていたので、機関車の動きで確実に連結され、目的地で下からの動きで自動解放された。 

2026年05月23日

AAR boxcar

Pullman Standard PS1Rutland boxcar    仕掛品があったので完成させて塗った。筆者の好きでない Intermountain のキットだ。必要以上に細く出来ているが、全体の構成が良くない。好きな人は居るのだろうが、走らせることを考えていない。

 亡くなった友人のコレクションをお世話戴いたが、引取り手のないものもあった。 この貨車のキットは半分組んであったが、状態が良くなく部品も足らなかった。世話人のN氏が「どうぞお持ちください」とおっしゃるので戴いて来た。中途半端に付いている部品を一掃し、自作の部品等と取り替えた。このキットはプラスティック製であって側板、床板に剛性が無い。あまりにも軽いので鉛を入れるのだが、持つと車体が歪んで接着が外れる。
 このキットは非常に脆弱で持つことが出来ない。勢いよく連結すると壊れる。細い手摺などはたちまち折れてしまう。こういうものは筆者の手法で作り替える。

 車体の内部を削り、突起物を一掃してよく洗う。そこにぴったりはまる t 1 の鉄板を貼り付ける。片面は錆止め塗料を塗り、他面にはスーパーXを全面に塗って当て板をし、クランプで締める。一晩経つと極端に剛性の大きな車体になっている。床板も同様に鉄板を貼り付ける。これだけで車体は 440gになり適正質量だ。鷲掴みにしても堅いから安心だ。連結器が鉄板に直結されているから衝突にも耐える。上下はスーパーXで完全に接着されているのでそう簡単には壊れない。

 写真を見て適当な部品を探して付け、足らない部分は自作する。どこの塗装にするか決めねばならなかった。たまたまニューヨーク方面につながる Rutland 鉄道のディカールをF氏に戴いたので、その塗装にする。フロクイルの塗料が不足していたので珍しくラッカで塗った。乾燥が速く、1日で3色塗れた。隠蔽力が足らない訳でもないのだが、元の車体に描いてあった絵を消すのに苦労した。
 わずかに残った絵の塗料がラッカのシンナで膨潤するのだ。事前にサンドペーパで磨って大半を消してあるのに、膨れてそれが見えてしまう。黄色を塗ってさらにサンドぺ−パで磨るということを3回繰り返した。こういうことはエナメル塗料であれば考慮しなくて良い。  

 緑はディカールと合わせねばならない。調色には苦労した。黒は缶スプレイである。これは簡単だ。車輪はフロクイルのグライミィ・ブラックである。この色も残り少ない。

 Rutland は NY 市内から 300 km ほどの小都市で大理石の産地である。この緑はこの地方の山にある松の木の色だそうだ。それを念頭に調色した。黄色の上に貼ったディカールと色が揃わねばならないので地色が透けて見えることを読み込んで調色せねばならず、少々難しかった。

2 Rutland boxcars かなりの手間が掛かったが、ある程度見栄えのする貨車になった。以前作った物と比べるとかなり異なる。前回はディカールの色が薄く、それに合わせて緑色を調色した。塗分け線の高さも良くなかったかもしれない。

2026年05月21日

PS2

 PSとは Pullman Standard である。貨車の巨大メーカとして君臨した。元々は寝台車を鉄道会社に貸し、その運営をする会社だ。すなわち動くホテルの経営会社だったのだが、間もなく鉄道による旅客輸送は終焉を迎えてしまった。
 その後Standardと名の付く会社等と合併してこの名前になり、貨車を製造するのだが、製品の標準化を目標とした。PS1 はベストセラーになった boxcar の形式名で、PS2 は共通設計の covered hopper の一群を指す。

PS2 variation 当博物館にはかなりの数の PS2 が存在する。殆どが安達製作所から来たジャンクから完成させたものである。2-bay が多いが 3-bay もいくつかある。そこに突然 4-bay が2輌やってきてしまった。これはアメリカ製で、Jan Lorenzen 怪しいキットである。内部に確実な補強を入れて完成させた。何色に塗装すべきか、この1年以上迷っている。実物の写真がほとんど見つからない。読者諸賢のお力でその由来が分かればありがたい。

Conrail 4-bay hopper 今のところ見つかっているのはこの1枚である。実物の数は極端に少ないようだ。
 この写真の右側の大きなカヴァド・ホッパは Big John である。これほど大きさが違うのだ。それは建築限界の大きな線路でないと通れない。 

2026年05月19日

続 lunch counter diner

lunch counter diner (4) この車輌の資料は極めて少ない。ずいぶん調べたがほとんど役に立つ情報は見つからなかったので、長年放置されていたのである。 
 2年前、テキサスのデニスのところに行った時に「本・雑誌類を減らしたい。君の博物館に寄贈するよ。」と 20 kg近い資料を貰ってしまった。ありがたいことに、その中に目指す資料が見つかったのだ。それは UP の歴史協会発行の機関誌で、軽食堂車の特集であった。欲しいものが全て載っていたのでスケッチを作り、作り始めた。

lunch counter diner (2) それまではこの程度の資料しか手に入らなかったのだ。これはいろいろな本に出ているが、図面とは言えない。




 この車輌は 1950年頃のいわゆる戦後好景気の時代に合わせて作られた。ラスベガスに行く比較的短距離(一晩で着く程度)の旅客用の列車に組込まれた。しかし寿命は短かった。道路網が整備され、自家用車で行く人が増えたのである。このリンクの映画の時代である。この頃は日本には高速道路が無かったし、無線による捜査指揮も珍しかった。このTVドラマは我々の世代には懐かしいものだ。ハイウェイ(=高速道路)という言葉が日本に輸入されたきっかけである。後にアメリカに行ってみたら、この言葉は単なる「街道」という意味で、高速道路を意味するものではなかったのは驚きであった。

lunch counter diner (1) さて、この食堂車ではとにかく多くの客に早く食べさせるのが目的である。カウンタに 21人分の stool(座面の高い椅子)を並べ、サンドウィッチ、アイスクリーム、飲料などを素早く出すのが目的だ。乗員の数も通常型に比べて少なくて済んだ。 
 16人分の普通のテイブル、椅子席もある。厨房は比較的狭いが凝った料理を出すわけではないから、問題ない広さだ。食器洗い機も付いている。
 食品等の出し入れの扉が多い。屋根にあるコンロの煙突は興味深い形だ。
 
 カウンタ席の後ろは通路になっているがそれほど広くもない。こちら側を外から眺めると、なかなか面白そうな景色である。乗客をかなりの座らせなければならない。人件費がかさむ。

lunch counter diner (3) この車輌はその5年後に増備された車輌でテーブル席が増え、カウンタが減った。後に Amtrak に売却されて運行され、それには乗ったことがある。  

2026年05月17日

lunch counter diner

lunch counter diner この車輌には窓が少ない。片面の窓がほとんど無い。

 現在は UP の黄色の客車は10輌近く完成している。昔はキットが高価で取引され手に入らなかったので、自作せねばならなかった。すると窓抜きが大変であるから窓の少ないものは有難い。というわけで、これを作り始めたのは40年ほど前である。

 最初は糸鋸で窓抜きをした。工場でブラスの板を所定の寸法に切ってもらい、それを抜く。窓の上下のベルトも薄板から切り出してもらった。
 ケガキだけでも大変で、窓の隅のRを出すためにドリル刃の丸味を利用する。それを切り抜いてヤスリで仕上げる。専用のヤスリを作った。角の丸味に傷を付けないように、その丸味を逃げたヤスリを必要としたのだ。

 そんなことを繰り返しているうちにキットを一式買うことができた。確か8輌分で350ドルだった。1ドルが80円台だったから、大安売であった。そのころになると、キットを板から組める人が大幅に減ったのだ。これも窓は大まかにプレスで抜いてあり残りはヤスリだが、角の丸味の問題があり、フライスで抜く方が楽だ。その専用のジグを作った。

 大まかに言えば当鉄道の黄色の客車蒐集はこのような経緯だ。この客車は自作の最初の方の作品だ。邪魔なので完成させたかったが、資料が見つからず長年放置されていたのだ。 

2026年05月15日

BN 塗装

Burlington  Northern ブラス地肌のままの放置はしたくないので塗装した。下地はミッチャクロンである。よく付いて剥げないのは感心する。撮影時、車輪と台車は仕上げてない。
 この貨車は使われた地域が限られている。北部の森林地帯に限られているのだ。南部を走る鉄道のディカールは潤沢にあるが使えない。

 塗色を何にするか随分考えた。手持ちのディカールで済ませたい。先回は UP塗装であったから別のものにしたいが、使えそうなものは BN しかない。その塗料は戴いたものがまだたくさんある。
 この Burlington Northernのディカールはジャンク・セールで間違ってたくさん買ってしまった物で、少しでも消費したい。大きなロゴは使えないが、会社名の文字はちょうど良い大きさである。

 この会社の文字数はかなり多く、どのように貼るかを調査しないと貼り切れないこともある。また、場合によって2文字ではなく1文字しか貼らない区間があって奇妙な間隔になっている場合もあるのだ。

 床板の側面に白い四角があるが、これは側面衝突を防ぐもので本当は光を反射する素材で出来ている。夜間、田舎の踏切などで長時間止まっているときに、やって来た自動車がぶつかるということがよくあったのだ。当然、警報器の無い踏切だろう。日本では考えられない種類の事故である。

 質量は 590 gで適正な範囲にある。先回は板が厚く、1 kg 近くもあって、ボールベアリングを入れざるを得なかった。英国製キットは板が薄いので、この種の模型には適する。


73' centerbeam flatcar この貨車は 63 ft(19 m強)である。現在は 73 ft(22 m強)が標準になった。その寸法は内法である。すでに楕円の窓の機種は見ることがほとんどなくなり、骨組みだけの構造が主流である。まさに機能最優先の設計である。作るのは簡単そうだが、鉄骨のちょうど良い材料を入手するのは困難だ。 
 薄い鉄板をレーザで抜いて、細い角材を貼り付けるのが一番簡単そうな気もするが、実際に現物を間近で見ないと分からないところが多い。 縦の柱は上の方に行くと細くなっているのだ。この種の模型はプラスティックのインジェクション成型に適する。


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