伊藤 剛

2017年06月05日

続々々 Old Black Joe

OBJ's 年次総会には、完成した何台かが持ち寄られた。沢山つないで走ったが、モータ、ギヤが同じなので完全な協調運転ができる。
 各人が様々なサスペンション(懸架装置)を付けている。コイルバネにした人もいれば、硬い線バネで支えた人もいる。走らせるとそれぞれのバネの特性が出る。コイルバネで浮かせた構造にすると、ポイントのフログで電車のような軽やかな音がする。
  
 会場では負荷をかけての走行はしなかったが、博物館レイアウトの勾配上での負荷試験では、モータの唸りが聞こえた。おそらく、チェーンの伸びがその音の一部を作り出しているのだろう。
 チェーン駆動ではスプロケットの角速度とチェーン速度とが、完全には一致しない。それがうなりのように聞こえるようだ。悪い音ではない。以前書いたように、位相をずらした二本掛けにすると変わって来るだろう。

 筆者の機関車が一番重かった。他の皆さんは重くするとモータが焼けると思われたようだ。実は提供したモータは、大変強力な高級モータで、軸重650 g程度でスリップ限界である。鉛をそんなに積み込むことはできないので、どんな補重でも問題のない範囲に収まる訳である。
 事前に計算しておいたのだが、それを他の方に伝えるのを忘れていたのだ。申し訳なかった。

 側面のデカルは、Union Pacificにした。余っているデカルがたくさんあったからだ。他に理由はない。

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2017年06月03日

続々 Old Black Joe 

Old Black Joe 伊藤剛氏のオリジナルはこんな形である。 外側三線式だ。その集電シュウが実によく出来ていて驚いた。適度な接触圧を持ち、垂れ下がらない。パンタグラフは戦前の朝日屋製を改造したような構造だ。

 フリーランスであるから、これを縮小して線路に載せると奇妙なものである。今回のOスケール化のポイントはそこである。本物を設計するつもりで、各部の寸法を決め、それを縮小した。基準となるのは車体幅である。幅が広くなると急にトイ・ライクになる。扉の大きさも大切な部分である。
 扉は開くようにもできる。筆者は開けないつもりだったが、簡便な方法を思いついたので、開閉可能にした。戻りバネを付けて、普段は閉じている。塗装時に気を付けないと、塗り残しが見えてしまうから、開けたままで塗って、その後外を塗った。

 小型機関車では、うっかり手を伸ばして感電ということが多いそうなので、パンタ台で持ち上げ、エアタンクでガードした。
 Sacramento Northernの本を読んでいると、庫内でパンタを上げる時の話が出ていて、それをやるつもりでポールを増設した。本物のポールは先端がT字の形をしていて、本当に接触させるだけの機能しか持たない。数十秒間補助コンプレッサが働くだけの集電機能である。HO用のポールがあったので使った。

 塗装は黒で、それにオレンジのトラ縞模様を付けた。塗装するつもりだったが、Dr.Yがデカルを印刷して下さったので、省力化できた。これをマスキングでやろうと思うと、かなり大変だ。 

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2017年05月30日

Old Black Joe

OBJ しばらくチラ見せしていたのは、これである。軸配置がまさか2軸とは思わなかった方が多いだろう。今月のTMSに載っているそうだ。筆者はまだ見ていないが、写真が一枚掲載されているとのこと。以前は写真を貸しただけでも掲載誌を送ってきたが、最近はそれもしないのだろうか。

 伊藤剛氏の1946年製の機関車である。元は35mmゲージだったらしい。それを32mmゲージにしたので、少々バランスが良くない、当時はそんなことを言う人はいなかった。
 戦争中、外地でイギリスの凸型機関車の写真からスケッチを起こし、それを日本に持ち帰ったらしい。その機関車はこんな形をしていたようだ。

 今年は名古屋模型鉄道クラブ結成70周年で、本来は伊藤剛氏の存命中にということで、75周年を5年早めて大規模な集会をするつもりだった。伊藤剛氏が、不慮の事故で他界され、少々淋しい年次総会ではあった。

OBJ on track 今年の競作は伊藤剛氏の記念作 ”Old Black Joe" を各ゲージで作るというもので、Oゲージ部会では、ステンレス板をレーザで切り抜いて頒布し、動力は筆者が提供した「3条ウォーム」 + 「コアレスモータ」で、すべて押して動くようにした。1台で数輌の機関車を牽引することができる。

 切り抜いた板を頒布できたのが少々遅くなり、実質2箇月で製作せねばならなかった。原作の雰囲気を残しつつ、スケール感を出している。設計は土橋和雄氏である。 

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2016年07月17日

続 TMS195号 

 筆者が高効率模型開発の実践をしていることを、山崎喜陽氏は井上豊氏から聞いていたらしく、
「TMSで発表させてあげるから・・・」
と話し掛けてきた。物の言い方が気になったが、数分間話をした。彼は筆者の話に非常に興味を持ち、実際に80坪の部屋の床で大規模な線路を敷いて実験をしている写真を見て、愕然としていた。
「日本で模型の効率を測定している人はあなただけだ。」
と言った。実際にはもう一人いて、それは吉岡精一氏であった。しかし、当時はまだ、吉岡氏とは連絡が付いていなかった。それを妨害した張本人は山崎氏その人であったのだが。
 極めて初期のTMSに、歯車の効率の話がある。山崎氏は、鉄道模型はよく走らねばならないという信念は持っていたようだ。

 話の内容を横で聞いていた荒井友光氏は上機嫌で、
「山崎君、名古屋にはこういう人もいるんだよ、大したもんだろ。『尾張名古屋はO(オウ)で持つ』って昔から言ってたじゃないか。」
と嬉しそうだった。その前の年のNMRAの新年会で、アメリカのNMRAのコンヴェンションのスライドを100枚以上見せた。カツミの栗山氏がそれを見ていて、筆者は請われて東京で二回再演した。そのことも聞いていたらしく、見せてくれと頼まれた。当時アメリカでも、
"O gauge is back" というキャッチ・フレイズでOゲージの復権が始まっていると言うと、非常に興味深そうだった。彼はアメリカの話には心を動かされるようだった。

その席で、筆者は山崎氏が「Model Railroader に投稿するならウチを通さなければ載らない・・・・」と、また言ったものだから、呆れてしまった。筆者は若いとは言え、アメリカに居たことのある人間だから、そんなことを言えばバレることぐらいわかりそうなものだ。
 筆者は井上に連れられて、山崎氏とは過去に複数回会っている。いつもそれを言う人であった。本人はそう信じていたのだろう。お気の毒ではある。
 
 例の3条ウォームの記事はぜひともTMSで扱いたかったものだったと、発表直後に荒井氏から聞いた。

 一方ミキストで、実名を挙げて攻撃された副会長の加藤 清氏の怒りは収まらず、553号まで投稿しなかった。漁夫の利を得たのが「とれいん」誌で、かなりの原稿がそちらで発表された。


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2016年07月15日

TMS195号

TMS195 もう50年以上も経ったのだ。TMS195号(1964年)のミキスト欄にはかなりすごいことが書いてある。筆者の持っている一番古いTMSが186号であるが、それ以前のTMSで、NMRC(名古屋模型鉄道クラブ)の記事はよく見ていた。だからクラブに入会しようと思っていたのだが、突然TMSでのNMRCの記事が全く無くなってしまった。解散したのではないかと思ったぐらいだ。
 しばらく経って、椙山氏のお宅でNMRCの会長だった荒井友光氏を紹介され、直ちに誌友となり、正会員になった。NMRCが無事に存続していたことは、筆者には驚きであった。
 
mixt195 そのミキストにはNMRCの悪口が40行くらい書いてある。今だったら、名誉棄損で直ちに裁判沙汰になるような内容である。個人名も明記するなど、とても信じられない記事だ。剛氏と山崎氏は「ケンカ友達」だったのだが、副会長の加藤氏はそうではなかった。TMS憎し、でそれは加藤氏が編集長だったYard誌に表れている。
 これがきっかけで、NMRCはTMSと絶縁した。剛氏はそれまで極めて頻繁に紙面に登場していたが、全く影を潜めた状態が、400号まで続いた。ざっと16年間の冷戦状態であった。剛氏は東京勤務の時代もあったのだが、TMSとは接触しなかった。
 剛氏は仲直りが必要だと考えたのだが、副会長氏は強硬で実現しなかったようだ。
 この状態に心を痛めたのは井上豊氏で、東京方面に引っ越されたこともあって、頻繁にTMSとは接触し、仲裁を試みた。360号(’78年)あたりから、かなり頻繁にアメリカ型蒸気機関車の記事を発表している。古橋正三氏はギヤード・ロコの記事をかなりの数投稿したし、また、荒井友光氏も395号でトラス橋の記事を書いた。荒井氏は上京の際山崎氏に会い、400号までに関係の修復をすることを約束させた。
 その年のNMRC新年会で、山崎氏は来名し、「また仲良くやろう」と全会員を前に、伊藤 剛氏と握手をした。その後名古屋特集が出たのは、筆者の解釈では、いわゆる手打ちではないかと思っている。あの内容を訂正もせず放置したのは良くなかったからだ。


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2016年07月11日

Walker氏のこと その10

Walker 名古屋模型鉄道クラブで長老方にこの話を詳しく聞こうと思っても、ほとんどの方が言葉を濁されてしまう。
 井上 豊氏のお宅にお邪魔して話を伺った時、食料を持ってきてくれたということを仰ったが、同席されていた奥様は突然話を逸らされた。
 話してはいけない、という気持ちがどなたにもあったのだろう。

 伊藤 剛氏は、
「アメリカは時効が長いからね。場合によっては無いかもしれない。突然、軍法会議に掛けられても・・・という気持ちもありましたね。」
「会社のためとは言え、我々もこれが賄賂性があるということは、百も承知していましたよ。ウォーカー氏が帰った時、関係者はほっとしたけど、口外してはいけないという気持ちがありました。」
と仰った。

 椙山 満氏のお宅でこの話が出て、当時のNMRCの会長の荒井友光氏が、いろいろなことを教えてくれたが、写真の件となると、見せてはもらえなかった。
 井上氏のお宅に、伺って見せてもらった時、機関車のことは嬉しそうに話され、試運転の写真を見せてもらったが、その背景については話されることはなかった。

 3年ほど前伊藤 剛氏宅に伺った時、剛氏はこれらの写真を筆者に渡して全てを話され、近い将来の公開を委ねられたのだ。

 多くの模型人の心に傷を残して、それらの模型はアメリカに向かった。


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2016年07月09日

Walker氏のこと その9

 Walker氏の模型は、すべて完成後、大同製鋼の集会室で運転をしたのだそうだ。戦災で焼け残った大きな建物は少なかったようだ。おそらく旅客列車が写っている場面がそれなのだろう。
 詳しくはわからないが、中央三線式交流18 V 程度であったろう。HOが12 V になったのは比較的古いが、大規模なOゲージ、1番ゲージは電圧を高くしておく必要があったと思われる。

 ウォーカー氏は帰国時に、
「これらは日本の模型人のレベルの高さをアメリカに知らせる良い見本だ。アメリカ中でこれを見せるツアをする。」と言ったそうだが、それをしたという話はどこからも聞こえてこなかった。彼自身もこれが賄賂性があることを認識していたはずだから、そんなことはできなかっただろう。

 1980年代の終わり頃、名古屋模型鉄道クラブに一通の手紙が舞い込んだ。それはウォーカー氏の子息からのもので、
「里帰りさせたい。」
とあったが、よく読むと、要するに買い取ってくれないか、というものだったそうだ。
 当時筆者はアメリカに居たので、間接的にしか知らないが、乗用車1台分くらいの価格であったそうだ。

 後で土屋氏にその話をすると、
「買っていたかも知れんな。」
と仰った。

 その後、その話は全く消えてしまったので、どうなったのかは分からない。一度見てみたいものだが、手掛かりを探すだけでもかなり時間が掛かりそうだ。

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2016年06月25日

Walker氏のこと その2

flat car 会社のための模型作りだから、勤務中に会社で作る。
「私の人生の中で、あれが唯一の経験でしたね。仕事で模型を作ったのは。」と、剛氏は仰った。剛氏が図面を描き、一部はカツミ模型店で作ったものもある。

reefer 模型とはいうものの、実物通りに扉は開き、ロックも掛かるようにした。実物の図面があるのだから、やればできてしまう。材料は会社が購入し、塗料は塗料会社に注文した。白眉はレイルで、製鋼会社が、わざわざその断面を作って挽き出した。ポイントも熟練工が実物同様に削り出したものを用いた。クロッシングは一体鋳造である

NYC J-1e and streamliner 蒸気機関車はライヴ・スティームだから、ボイラを作らねばならない。井上 豊氏は銅板を丸く曲げてリヴェット留めし、銀鑞付けするつもりであった。ところが、日本碍子の旋盤工が、「ワンピースで作ってやる」と言い出し、薄いボイラを肉厚銅菅から挽き出してしまった。その話を何度も井上 豊氏から聞いてはいるが、いまだに信じられない。銅のような粘っこい材料を旋盤に掛けると、喰い込んでお釈迦になるはずだ。

「彼はね、今で言えば技能オリンピックで金メダルを取れるような人なんだ。出来ないことなんか無いんだよ。」と井上氏は強調した。
 ピカピカの薄いボイラで、素晴らしい出来だったそうだ。 

 1967年、井上氏は C&Oの2-6-6-6 アレゲニィのHOモデルをTMS誌(233号)に発表した。当時はそのような機関車の存在すら、ほとんどの日本人は知らなかったが、彼は本物の図面を持っていたので、わけなく作ってしまったのだ。
 また、井上氏はAlleghenyの発音を正確に覚えていらした。日本の模型人はこの地名をよく知っているのだが、筆者が出会った人の中で、正しい発音をされたのは井上氏と剛氏だけだ。
 参考までに書くと、最初のA強く言うラゲィニ と言えば通じるが、それ以外の発音では不思議そうな顔をされるだろう。しかし、TMSの表記はやや異なってアレゲーニーとなっている。この表記だと第三母音にアクセントが来ると思ってしまうだろう。筆者もそう思った。

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2016年06月23日

Walker氏のこと その1

剛氏のアルバム 連合軍が日本を占領していた頃の事情を細かくつづった本を読んでいるときに、筆者はある名前を見てどきりとした。ウォーカー中将という名が出てきたのだ。
 もちろん別人なのだが、名古屋には別のウォーカー氏が居た。剛氏の遺品の中にそのアルバムがある。

 アメリカから派遣されて、当時の中部地方の工業地帯を統括していた人の名である。軍属ではなく民間人であろう。
Mr.Walker ハロルド・ウォーカー氏はこの地方のすべての産業を押え、アメリカの国益を守る経営をさせるために派遣されていた。あまりにも厳しい人で、どの会社も、どうしたら少しでも目こぼししてくれるかを考えていた。ある時、彼は鉄道模型が好きだということが分かった。そこで日本車輛の伊藤剛氏が抜擢されて、話をしに行ったのだそうだ。剛氏は模型人であるし、英語が堪能であったからだ。ウォーカー氏は、Missouri Pacific鉄道に勤めていたことが分かったのだ。

 そこで日本車輛が車輛を、大同製鋼がレイルを作り、彼の好きな列車を進呈することになった。はっきり言えば、賄賂である。鉄道模型を用いて懐柔しようというわけだ。蒸気機関車は井上 豊氏が作ることになった。三菱や日本碍子、国鉄まで巻き込んだ大作戦である。

 車種は先方の指定で、NYCハドソンとC&Oアレゲニィ、FMのディーゼル機関車、流線形客車5両、貨車7両であった。すべてアメリカから本物の図面と写真を取り寄せ、その1/32、1番ゲージ模型を作ることになった。(写真は完成した模型を手にするウォーカー氏)

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2016年06月01日

室内は室外である

caboose by Go Itoh これは伊藤 剛氏の作られたカブースである。かなり傷んでいるが、原型を保っている。これも折り畳み式の筈だと思ったが、そうではなかった。他にもあるのかもしれない。

 このカブースはいわゆる”NE type”である。米国北東部の鉄道で共通に使われたタイプだ。Reading RRで最初に採用したので、Reading cabooseとして売っていた。インポータは複数あったような気がする。ブラス製で、製造は安達製作所である。
 剛氏は安達庄之助氏を訪ねて、板の状態の部品を入手し、それをもとに工作をした。

broken NMRA X2E coupler NMRA型のカプラが付けられている。 X2Eである。この板金製のカプラーは弱い。強くぶつけると、上下に泣き別れになるのである。合わせ目に薄い板を貼れば壊れにくいが、下の押し合う部分が曲がるだろう。砂鋳物製の製品も持っているが、やや分厚い。
 その後ケイディが普及して、誰もこのカプラを使う人は居なくなった。 

caboose interior このカブースには剛氏によって内装が付けられている。剛氏は、「室内は室外である」という名言を残されている。「外から見えるものは、付けるべきだ。」という意見だ。
 このカブースも、見えるところだけは工作してある。キュポラの部分の椅子が付けられているし、洗面台もある。
 経年変化で接着剤が変質して、あちこち壊れているが、直せばすばらしくなる筈だ。また、ガラス窓は上に抜けるようになっている。反対側(この写真では左)の窓はポジフィルムの透明な部分を使っている。 いずれ修理して、デヴュウさせたい。

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2016年05月30日

続 collapsible freight cars

cigarette carcigarette car 2 これがその側面である。MDFの板に紙巻タバコの包み紙が貼ってある。さすがに、50年以上経つので、劣化している。ブラス製の側板を持っているので取り替えたい。
 原作を生かしてばらばらにできるようにする。

 台車は大きめのホックで留めてある。すなわち外すのはとても簡単で、たくさんの貨車から台車を外して車体を畳めば、体積が極めて小さくなる。コートのポケットに何台か入るのだそうだ。当時はOゲージ全盛で、運転会には乳母車に満載して出かけた、と椙山 満氏は語っていた。

 台車にはプラスティック製の車輪がついている。台車を車体に嵌める時に、向きを一切考えなくても良いから、好都合だ。

 このような折り畳み方式を考えたのは、当時HOが台頭してきて、小さいから便利だということを見せつけられたからだそうだ。誰かがスーツのポケットから機関車を出して見せたことがあり、それで対抗意識を出した、とお聞きした。

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2016年05月28日

collapsible freight cars

collapsible 折り畳み傘を英語でcollapsible umbrella と云う。たぶんアメリカ語だと思う。イギリスでは別の言い方をしていたように思う。collapse という語は、くしゃくしゃとつぶれる様子を表す動詞で、パタンパタンと畳まれるときはfoldingと言ったような気がするが、辞書を引いても今一つよくわからない。言語学者に聞けば良いのだが、なかなか難しい。
 
 さて、この写真をご覧になって、「分かった」という方は多分75歳以上だ。1950年代に伊藤 剛氏が発表された折り畳みができる貨車だ。
 お預かりしている箱を順次開けていくと、このようなものに行き当たる。

 妻板はぱたんとこちらに倒れる。すると体積が1/3になるというものだ。屋根と側板は輪ゴムで束ねる。台車は例によってホックでパチンと嵌まっているだけだから、抜けば体積を減らせる。妻板裏のバネをつかんで縮めれば外すこともできる。残念ながら側板が劣化して壊れているので、すぐにはできないが、修復しようと思う。

 見つかっているだけで5台分ある。驚いたことに(当然なのだろうが)妻板のヒンジ部分は互換性があり、どの部品とも合う。組立時にジグを使っていらしたのだ。この辺のことは、なかなか実現できないものだ。

伊藤剛氏の工作 妻のクロースアップである。このブレーキホィールは既製品ではない。実に見事な造形である。中心部は小さなホックである。それに細いブラスのワイヤを花びら状に作ってある。繊細で美しい。この写真は拡大しているが、実際は直径が10mm程度のものだ。小さいから見過ごしてしまいそうなのだが、細かくできていて、美しい。



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2016年04月12日

伊藤 剛氏の資料整理

 路盤敷きは体力の要る仕事である。合板でできた路盤を何度となく上げ下げして、当たり具合を調べ、水平面中でのアラインメントが出ているかどうかを調べる。
 午前中にその作業をすると体力を消費してしまい、午後は力の要らない作業しかできない。
 
岡歯科内科 伊藤 剛氏の作品に関連する資料を整理していると、こういうものが出てくる。例の瀬戸電の線路を敷くとき 後ろに置く小道具だ。
 「おかしかないか」である。
 医師名は「おかしかろう」、歯科医師は「おかしなこ」
 住所は「いたいし、たかくつく、やめてちょう」
 ここだけ名古屋弁だ。番地は何と読むのだろう。「よしなよ」だろうか。

 伊藤 剛氏はこの手の言葉遊びが大好きであった。

 もう一つ思わぬものを発見した。剛氏の小学校の同窓会名簿である。愛知第一師範学校付属小学校というエリート校の名簿である。1ページ目に吉田 剛(改姓前)の名前がある。それをめくって思わず声が出るほど驚いた。
 盛田昭夫とあるではないか。その続きを見ると、ソニー会長とある。
 なんと伊藤剛氏と盛田会長は竹馬の友であったのだ。
 剛氏は「ソニーのマイクロトレーンの開発には全く関係ありませんよ。」と完全否定されていた。
 しかし何かあったかもしれないと思い、ご子息に連絡してみた。
 その御返答は残念ながら筆者の推測を完全否定するものであった。剛氏と盛田氏は長らく会うことがなかったそうだ。マイクロトレーンのことが終わってしばらくして、盛田氏が初めて同窓会で名古屋に来た。その時初めてマイクロトレーンの話が出て驚いた、ということであった。

 その後剛氏はマイクロトレーン一式を手に入れられたので、これは博物館で展示するが、直接の関係がないことが分かったので、どのような展示をするべきか、迷っている。

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2015年11月29日

直捲電動機

 模型のモータは全てマグネット・モータになってしまったと言ってよい時代になった。筆者がボールベアリング、三条ウォームにのめり込み始めた頃、伊藤 剛氏とモータについて論議したことがあった。文中、dは筆者のことである。

剛 最近は直捲電動機の模型はなくなりましたね。
d  実は今一つ作っているのですよ。
剛 ほう、それは珍しい。どんなモータを手に入れたのだい。
d  Braunの髭剃りを分解して出てきた交流用のモータです。直流なら20Vくらいで回ります。それをさらに改良して12Vで動かないか、調べようと思っています。
剛 それは面白いね。直捲電動機はその中にオートマティック・トランスミッションが内蔵されているようなものだから、出来の悪い模型に搭載しても、よく走るんだね。直流モータの時代になったら、途端に走りが悪くなっちゃったんですよ。
d 今開発中の摩擦の少ない機関車に直捲モータを搭載すれば、グワーンと走ってぴゅーっと滑って行かないかと思っています。
剛 そりゃ面白い。重い列車を牽かせると実感的だろうね。

 その後、筆者の直捲モータの改良は頓挫し、コアレスモータを採用することになった。

d コアレスモータにしましたら、調子が良いのですよ。電源を電圧制御にしたのですが、それが良かったみたいです。以前は電流制御でしたから、このような低電流では速度調節がむずかしかったのですよ。
剛 おお、それは素晴らしい。マグネットモータは分捲特性だから、本来は模型には向かないものだと思っていたけどね。
d いや、本物と同じ動作をさせることが可能ですよ。『下手な工夫より電圧制御』かな。
剛 あなたは電気も強いから、あなたがそう言うならその言葉には重みがあるね。

 その後クラブの会報にはこの話が引用された記事が載った。剛氏の瀬戸電の記事が出たのは、その直前である。あれが日本の模型雑誌に直捲モータの記事が載った最後の号である。瀬戸電には自作の巨大な直捲電動機が装着され、ピヴォット軸受で慣性モーメントが損なわれないようになっていた。12 Vを印加して電流を止めても、「山口さんちのつとむくん」を歌い終わるまで廻っていた。剛氏は、「モータというものは慣性モーメントを最小にするように設計されるものです。これはとんでもない天の邪鬼(あまのじゃく)だね。」と言っていた。 

 ちなみに筆者はそれほど電気に強いわけではない。父親から聞いた話を覚えているだけである。

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2015年11月19日

四拾八分之壱

 伊藤剛氏の遺品の整理をしている。あまりの量と質に、かなり参っている。おそらく、博物館開館後に毎日取り組まねばならないのだが、取り敢えず何があるかを調べている。

四拾八分之壱 たくさんの写真、図面が出てくる。日本車輛の様々な資料をお持ちだったのだが、この古い図面集には驚いた。7年8月23日という日付が読めるが、これは大正時代だ。驚いたのはこの図面がOスケールであったことだ。今まで見てきた日本の図面は全て 1/50 であったが、これは 1/48 であった。すなわち本物の1フット(304.8 mm)を1/4 インチ(6.35 mm)にしている。12 インチが1 フットだから、1/(12 × 4)= 1/48である。
 模型の縮尺の1/24 とか1/32、1/72などは全てこのように、実物の1フットを何インチにするかで決まっている。アメリカでは、住宅などの図面は1/48なので、それでOスケールがその縮尺を取るようになった。ヨーロッパでは線路幅がスケールになるように1/45.2 (公称1/45)であったり、1フットを 7 mmにして、1/43.54の模型を作ったりしている。

 この図面集を見つけたので、すぐにクラーケン氏に連絡して保存編集をお願いした。氏は様々な古文書を整理し、まとめられている。すぐに返事が来た。

五拾分之壱 1/48は大正10年のメートル法採用までで、それ以降は1/50が標準となっている、との事である。かなり珍しいもののようで、連絡した甲斐があった。
 確かに、同じファイルの中の別の図面は、五拾分之壱であった。 


 

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2014年12月15日

シザーズ・クロッシング

scissors crossing この分岐はOJゲージである。相対する分岐がイコライズされていて、リンク機構で見事に切り替わる。
 リンクは実物を縮小したもので、ややこしい形をしているが、実に手際よく作られている。

links 拡大するとこんな形である。この形は最近はあまり見なくなった。昔は主要駅の構内には必ずあった。


 このシザーズ・クロッシングが何のために作られたのかは、はっきりしない。これほど精魂込めて作られたものなのに、クラブ員の誰も、その存在を知らなかった。
 博物館に来た時は埃だらけだったので、よほど古いもので、Sゲージではないかとさえ思われていた。丁寧に埃を取ると、プラスティック枕木を使用してあることが分かり、シノハラのSゲージ用フレクシブル・トラックから作られていることが判明した。

 剛氏の細密工作が施された瀬戸電の一群を運転するためだろうか。それにしては分岐の番手が大き過ぎる。開館後に、訪問者による解明がなされることを期待する。

 
  



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2014年11月29日

TMSの誤記

TMS Mistake 少しだけ図書の整理をした。あまりにもたくさんあるので、全体が完了するのは1年以上掛かるだろう。雑誌の整理をしてあげるという方もいらっしゃるので、その方にお任せすることになりそうだ。

 土屋氏から来たTMSを並べているうちに、1994年の12月号が無いことに気が付いた。10月号は2つある。中身は違う。疲れていたので、頭がおかしくなったのではないかとさえ思ったが、何度か見て、12月号を10月号と誤記したのだと気が付いた。

 この頃は、筆者は自宅の建設に勤しんでいて、模型工作を全くしていなかった。要するに1:1のストラクチュアを作っていた。アメリカからキットを買って、大工を呼び、住めるところまで作ってもらった。内装、外構、地下室は自分でやったのだ。約二年かかって一応の完成と言えるようになった時期が95年の春である。
 このあたりの号には、伊藤剛氏の”平田町(へいでんちょう)界隈”という面白い随筆調の連載記事が載っていて、後でコピィは戴いたが、表紙は全く見てなかった。

 誤記のすぐ次の号で、編集者の手帳に誤記を詫びる文が載っている。他にも写真の日付の間違い等、些細なミスを詫びて訂正している。山崎氏には意外と律儀なところもある。
 誤記訂正の載っている雑誌は信頼性が高いということを認識していたのであろう。

 それに引き換え、最近のTMSはひどい。例の”パイクは卑称”というとんでもない話は、訂正された気配はない。その筆者は、まさにこのころの入社していると編集者の手帖に紹介がある。

 訂正のない雑誌は、それが自分の首を絞めていることに気が付くべきだ。

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2014年11月23日

博物館工事進行状況 2

 博物館の箱に相当する部分は、ほぼ完成した。いま外装を少し手直ししているが、さほど変化はないだろう。
 古い建物なので多少の雨漏りもあったが、雨の日に探りを入れて少しずつ直していった。現在のところ完璧に直り、じめじめした部分はなくなった。電気配線を変更し、子メータを付けて、母屋の電気回路から分岐させた。
 新しい省エネ型エアコンの性能は凄まじく良い。母屋のエアコンも同時に取り替えたのだが、今まで小さいのが1台しかなかったところを3台にした。出力で言うと6倍になったのだが、実測した電力量は1.4倍であった。効率は3倍程度に上がったのだろう。もっとも、古いのは40年前のものであるから、比較の対象にはなりにくいが。

古い雑誌 (2) 少しずつ、伊藤剛氏の蔵書整理に手を付け始めた。当然のことながらTMSは初号からある。それ以前の科学と模型模型鉄道などの雑誌はバラけてしまったものもあり、うかつに手を付けると後で苦労することになる。そのままの状態でポリ袋に入れて整理棚に入れた。
 このようなものは箱に入れると訳が分からなくなるので、引出しのたくさんついた棚が適する。すでに48の引出しの付いた整理棚が一杯になった。
 ただし、このTMSの初号は本物ではない。のちに発行された”総集編”のようなものである。本物はどこかにあるはずだ。

古い雑誌 剛氏の筆跡で「てもしゅ」とある。これはつどうけいしゅみのことである。一時期のNMRCの機関誌「ヤード」上では、「てもしゅ」と「なもてく」がよく出てきた。もちろん、なもてくとは、名古屋模型鉄道クラブのことである。情報としては知っていたが、モノを見たのは初めてで、驚いた。
 中央の表紙の人は若き頃の酒井喜房氏である。

shelves 書棚の棚板は、暗いグレイである。床が完成しているので、養生シートを敷いて塗った時の様子である。この塗料は油性である。水性塗料は書棚には適さない。昔と比べて多少の進歩はあるが、本を置くと、時間が経てば粘り付く恐れがある。
 今回は塗料屋と相談して、もっとも塗膜が硬くなるタイプを選び、さらにつや消し剤を添加したので、まず絶対に粘りつくことはない。

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2014年10月28日

「模型鉄道」か「鉄道模型」か

 先日、横浜でKKCの会合があり、友人と懇談した。館名についてはたくさんの質問があり、模型鉄道鉄道模型の違いについての話題は尽きなかった。

 30年ほど前、伊藤剛氏はこのようなことを言われた。
「『模型船舶』は動力で走るのでしょう。でも『船舶模型』は博物館にあるような動かない模型でしょうな。『模型飛行機』と聞けば、飛ぶだろうなと思う。でも『飛行機模型』と言えば、それは多分ソリッドモデルです。」
 大変説得力のある言葉で、反論できなかった。

 『鉄道模型』は戦後の言葉で、戦前は『模型鉄道』と云う言葉が主流だったようである。小さくても鉄道としての機能が見えることが重要視されたのである。
 戦後すぐ発足した名古屋模型鉄道クラブの名にも、それがうかがえる*。
「とにかく走らなければ認めてもらえないので、大変でしたよ。」と言うのは、元会員の言葉である。すでに故人となられた方だが、剛氏たちに叱咤激励されて、ポイントをひっ掛からずに渡るようにするのが大変であったという話を聞いたことがある。
 
 そういう意味では、戦後発刊された「鉄道模型趣味」と云う名の雑誌は、斬新な感じがしたという。

 我々は戦後生まれなので、鉄道模型と云う言葉に対する違和感はない。しかし今回、剛氏の書かれた文章を繙くうちに、模型鉄道と云う言葉を使わなければ、氏の哲学が伝わらないと判断した。

 KKCの会合で、平岡氏による講演があって、大変勉強になった。Model Engineerの心構えから始まって、ネジの立て方の「常識」も伝授して戴いたが、その内容は意外なものであった。 

 *名古屋鉄道模型クラブであると、名古屋鉄道社内の模型クラブであると思われるからだ、と云う説も昔のTMSに載っていたが、真偽のほどはわからぬ。 

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2014年10月26日

館名

 博物館の名前について、議論百出で、大量のコメントとメイルを戴いている。発表不可とあるものは、公表していないが、皆さんの期待が高まっていることを感じる。

 館名には模型鉄道という言葉を入れたい。この言葉は伊藤剛氏のこだわりである。
「『鉄道模型』はただ小さくしただけですけど、『模型鉄道』は少し違うのですよ。小さくすると本物の理屈が通用しなくなってきますから、工夫がいるのです。その工夫によって小さな模型が、本物のように走るようにするわけです。
 慣性を大きくしないと動きがぎこちないですし、堅い線路を堅い車輌が通るので、実物のような構造では脱線してしまいます。急カーヴも通さねばなりませんしね。模型と実物は違うのですよ。」
 お会いするたびに、『模型鉄道』という言葉への思いを、語られた。
 
 小さいけれど本物のような動きをする模型を作るというのが剛氏の主張である。ただ細かくできているというのでは意味がないということを仰るのである。剛氏の本物の知識は凄まじい。本職だから当たり前なのだが、その奥にある根本原理の追求は常人の及ぶところではない。

 幸い筆者は剛氏と親しくお付き合い戴き、等角逆捻り機構については、考えうるすべてのパターンを製作するチャンスに恵まれた。その結果、剛氏から、これがベストとのお墨付きを戴いている。

 この博物館の売りは、剛氏の作品コレクションと祖父江氏の改造による、類稀なる静粛性を持ち、高効率の走行を誇る機関車である。耐久性を持つから、走らせてもへたらない。普通の模型を30分連続で走らせると、ギヤが擦り減ってしまうそうだ。重負荷であれば、もっと早く壊れてしまうだろう。この博物館では毎日、連続運転をする予定である。その点だけでも、見る価値はあると思う。

 場所は完成までは非公表である。というのは、セキュリティの問題が解決していないからである。完全な防犯装置が稼働するまでは、発表できない。大切な模型をお預かりしているので、その点だけは失敗しないようにしたい。

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2014年10月24日

続 レイルジープ

 レイルジープがTMSに載ったのは、1953年11月号である。
 その記事は、名古屋で開かれた作品展示会の様子を伝えるもので、6ページ中の1枚の写真である。詳しいことは発表されていない。
 再録すると、

レールジープ    伊藤剛
 カメと云う名のゲテモノ。模型のパーツは車輪くらいのもの、あとはガラクタを利用した。

 写真の照明は横からしか当たっておらず、陰影が強く、不気味な雰囲気である。

 記事中に触れられている部分を書き出すと、
「俗称カメと云う人気者。ケッタイなと云うか、イタズラ車輛の一つ。教材用みたいなブリキの自作モーターが中央にデンと収まり、車の外に付いた画鋲製プーリーに包装用の輪ゴムをひっかけて伝動する。屋根はキャンバス張りと書けば体裁がいいけれど、南京袋のテントみたいなもの。やたらにライトが並んでいて、タイフォンに見えるがこれがみんなボタン、バッファーはターミナルから削り、孔にシューを差し込んでバッファーの先を廻せば、中央式でも外側式でも好みのシューが取付く。恐れ入った代物である。」


 その後、伊藤剛氏がパキスタンに出張されていたころ、「パキスタン便り」という記事が2回連載され(1955年11月号、1956年1月号)、その中にもレールジープが出てくる。ただしそれは、インスペクション・カーである。6人乗りの車輌で、車庫にあったのを名刺の裏にスケッチし、ホテルで拡大模写したものである。
 そのいきさつが面白い。スケッチブックを広げると、周りの人が興味を持って覗きこむので描きにくいのだ。だから何をしているかわからぬように、名刺の裏に描きこむのだそうだ。

 名古屋模型鉄道クラブでは、この車輌のことを「カメノコ」と呼ぶ。なんとなく「亀の子だわし」に似ているからだろう。

 レールジープというのはTMS側の命名であろうという意見が多い。ご本人は名前は付けなかったそうである。
 


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2014年10月22日

レイルジープ

rail jeep レイルジープに関する質問が多いので、より細かい写真を見てみよう。

 モータは、自作である。界磁は2 mm厚ほどの鉄板で、屋根裏を通っている。界磁コイルは二つである。電機子は3極でベルト駆動だ。2軸のうち、片方しか伝動していない。床板は木製である。

rail jeep 3 バッファが付いているということは、アメリカ型ではない。ホーンらしきものは両端にある。パキスタンに出張されていた時の、その辺りで見た何かをモチーフにしたものでもない。
 生前、このレイルジープについてお聞きしたことがあるが、
「いや単なる遊びで深い意味はないです。」
とのことであった。

rail jeep 2 運転席には何かの運転装置らしきものも見える。輪ゴムが融けていて、それを削り落した跡がある。おそらく何十年も放置されていて、それを動かすためにこのような応急措置のベルトを掛けたのであろう。
 意味がよくわからぬが、造形が面白い。集電は良かったようだ。

 Hand Car 手漕ぎ車もあった。これは車輪がゴムで、電気はレイルからコレクタ・シュウで取る。

Gandy DancersCollector Shoes 単純なつくりだが、設計時にリンク機構に工夫をされたことが分かる。また、最終的にリンクの長さを微調整している。再度、その部分は作り替える予定であったろうと推測する。
 

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2014年10月18日

続 伊藤剛氏の作品

 先回の写真では写りが悪すぎるので、多少は良い写真を探した。
 例のコンピュータ動作不良事件で、どこかに入ってしまったものを探し出した。

2 これはシンデレラのカボチャの馬車である。何もかも自作である。馬はとても重い。ハンダの塊である。馬の脚の形は原形を留めているかどうかは不明である。銅線なので曲がり易い。
 カボチャの馬車の先端のとがった部品は注射針の根元の部分である。車輪はアニメイションにあったような一本スポークである。これをスポークというのかどうかはわからないが…。

3 レイルジープというのはこの二段目の左から二つ目の車輌である。天井は本当に布製で、当時の姿のままである。ただ、ゴムベルトは切れていて、応急のベルトでつないである。三点支持になっている。
 三点支持は剛氏によるTMS記事があり、走る方向によって、車体に与える影響が異なることが明記されている。その号以来、幾多の三点支持の記事が載ったが、ロンビック・イコライザが発表されるまで、等方性についての記述を見たことがないのは悲しい。編集者自身が工作をせず、また、工学的な解析能力に欠けていたのは残念であった。

 その他いくつかの作品があるが、棚板の数が確定していないので、作品をいくつ並べられるかが不明である。あまり出すと次の仕事に差し支えるので、梱包をほどくのはこれぐらいにしている。

 ガラス棚の棚受けの数を増やせば、棚が増える。厚いガラス板はかなり余分にあるので、それを切って有効利用したい。
 知り合いのガラス屋に切断と研磨を頼もうとしたら、
「もうその道具を始末してしまった。外注に出すと、新しいガラスを買うのと価格は変わらない。」
と言うので、自分で切断と研磨をすることにした。
 学生時代にやったことがあるから、少しやれば勘が取り戻せると思う。

 壁に付ける薄い棚の設計をしている。スパンが大きく、撓みを小さくしようと思うと鉄骨を熔接して作ることになる。目の高さに編成を並べられるようにしたい。


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2014年10月16日

伊藤剛氏の作品

伊藤 剛氏の作品 伊藤剛氏の作品を取り出しても、そのまま箱に戻すと擦れて傷んでしまう。せっかくガラス製のショウケースが使えるようになったので、仮にではあるが入れてみた。

 有名な作品がズラリと並ぶと圧巻である。中でも有名なSnow White とかCinderella, Old Black Joe などは、すでに車齢60年を超え、風格以上の何かがある。神々しいという言葉が適するのかわからないが、このような模型を板から作りだされた能力には驚きを禁じ得ない。
 
 70年前のNMRC発足時に製作された片渡りのポイントは外側三線式で、二つの尖端レイルの組が、イコライザを用いたリンクで連動する。片方が所定の位置に来ると、他方が動いて完全に密着する。本物では当たり前であるが、模型でこれを実現している人は少ない。

 写真でしか見たことがなかったが、レイルジープという車輌は、実に面白い造形である。2軸車であるから、集電を良くするために懸架装置を工夫してある。

 1948年に製作された自動操縦自動車の現物もある。おもちゃの自動車に入るモータを自作されたのだが、屋根の鉄板が界磁の磁気回路を短絡してしまうので、屋根、ドアをブラス板で作り直したという力作である。
 懸架装置、操舵装置、駆動装置の滑らかな動きにはうっとりしてしまう。これはガイドレイルで誘導されるが、自在に誘導できる方式も編み出されて、それは特許を取得されたはずである。その書類が出てこないか、楽しみにしている。

 折り畳み式貨車の編成もある。簡単な工夫でスケール車両が1/3の体積に畳める。これは塗料がぼろぼろで、1輌だけオリジナルを残し、残りは塗り替えて走行させたいと思っている。

 ところで、博物館の名前については、ずいぶん頭を悩ましている。当初は土屋記念模型鉄道博物館のつもりであったが、土屋氏は反対であった。
「地名を付けてはどうか。」
ということであったが、あまり有名でない地名では、却って混乱を招くような気がしていた。

 土屋氏も賛同された伊藤剛模型鉄道博物館の方が、良いのかもしれないと思い始めた。
 まだ正式決定していないので、ご意見を頂けると嬉しい。匿名希望の方は、コメントにその旨お書き下されば、公表しない。

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2007年09月18日

Kadeeの紹介記事

Kadee紹介記事 ケイディの紹介記事としては最初の記事がこれである。伊藤剛氏による1953年1月16日発行の"Yard"誌69号に載せられた解説記事である。

 ナックルの開閉中心が中心軸上にあるので、引っ張っても外れない理屈を示している。また開放時には、ダイヤモンド型ランプを持ち上げる方式であったことと、ナックル(肘という専門語を用いている)を閉めるバネが現在のものとは全く違う方式をとっていることが分かる。

 カプラの根元にあるバネは左右の首振りに対する復元力を与える。テストでは左右に1/8"の振れがあっても確実に連結し、今までにテストしたものの中で最良のものという褒められ方をしている、とある。

 この記事の最後には、「Kadeeの成功した理由は、バネ入りナックルを使い、全ての操作を積極的に力を使用した点にある」とまとめてある。


 伊藤剛氏のお話では、「現物を見たわけではなく、MRの記事を見て解説を付け加えただけのこと」とおっしゃるが、素晴らしい解説である。力学的考察も加えられていて分かりやすい。

 このころのTMSに、どのくらい伊藤剛氏のお名前が出てくるか数えられた方がいるらしい。二位以下を引き離してダントツの一位であったそうだ。

 昭和20年代はマグネット・モータがほとんどなく、交流による直巻電動機の自動逆転方式の改良記事が目白押しである。そのような時代に、DU(ディレイド・アンカプリング)を含めた運転本位の記事が目立つのはさすがである。

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