伊藤 剛

2021年09月01日

クハ サハ

 国鉄の電車のクとサという記号の解釈は、諸説あるようだ。クはくっついているとか、サは差し込まれて走るからだとか、もっともらしい解説がある。それではモは何を元に作られた言葉なのだろう。
 もっともらしいからモなのか?そんなことを言う人は居まい。しかし、クとサの説明から考えるとそれでも良いではないかということになってしまう。すなわち、上記の説明は怪しい。出典を書いてあるが、それも実に怪しい。

 伊藤 剛氏は、20年ほど前、
「その種の説明をする人がいるから、ますます誤解が大きくなるのですよ。」
と、以下のような説明をしてくれた。

「最初に言わなければならないのは、これらはすべて英語から来ているということです。モーター・カーの、これは簡単ですね。はコントロール・カーのクです。なになに?コですって。発音はクォントロールだったのですよ。最近はコントロールですが、昔はクァ、クィ、ク、クェ、クォと発音する人はたくさんいました。汽罐車の漢字のルビ(ふりがな)にも、きくわんしゃ”と書いてあったくらいなんですからね。
 日本語のカ行の外国語表記には ”Q” の文字を使って、qua, qui, qu,  que, quo としたほうが良いと言った人も居たのです。最近の本に書いてあるような、『くっついて走る』は、当然間違いです。

 は難しいでしょうね。これはsubordinate carです。意味は追随する人、家来のことです。英語の辞書には、a person under the authority or control of another within an organization とあります。ほら、コントロールと対になっているでしょう。
 この言葉は、昔の教育勅語の英訳にありましたよ。”汝臣民は、父母に孝行を尽くし・・・” の英語訳の最初には、”Thou subordinate shall ‥‥”とありました。お前達付随車は、・・・という意味ではないですけど、まあそういう意味です。」

 英語に堪能な方だったので、様々な例を引き合いにして説明戴いた。ともかく、この分野の言葉は英語から来ていることは、間違いない。それを日本語の怪しい言葉で満足しているのは、明らかにおかしい。インターネットによって、その怪しい解釈を撒き散らすのは、やめるべきだ。


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2021年07月01日

「二人の模型人」を読んで

 先に発表した伊藤 剛氏の「二人の模型人」について、コメントやメイルで多くの方から、様々な感想をお寄せ戴いた。

 筆者としては、外観重視主義者と、筆者のような走行性能第一主義者との対比を考えていたのだが、殆どの意見が、16.5 mmと12 mmの対比に絡む内容であったのは、意外であった。筆者にとってはその問題はすでに過去のことで、意味がない。
 ゲージ(線路幅)よりもスケール(縮尺)が早く決まったなどという荒唐無稽な話を、根拠なしで流布する人たちとは対話できない。サイエンティフィックではないからだ。語学力の欠如の問題ではなさそうだ。

 それはさておき、ある友人から興味深い手紙を戴いた。部分的に公開の許可を貰ったので、紹介しよう。


 今回の「二人の模型人」を、興味深く拝読しております。一部の人々はHO/ 1:80をガニマタなどと誹謗し、12ミリ 1:87の需要を喚起しようとされているようですが、反発を買うばかりで、ますます12ミリ 1:87の未来を閉ざしていると聞いております。そもそも人様の財産にケチを付けること自体、品性や徳性といったものが疑われるわけですが、人体の欠陥になぞらえてあげつらうというのも、昨今はやかましくなった「コンプラ」的に、いかがなものかと思います。

 日本各地で問題になっている限界集落・その原因のひとつは、移入者に対する住人の偏狭な攻撃性だと聞いておりますが、どこの鉄道模型運転会の写真を見ても、OやHOの場合、参加者の方々の年齢構成から、限界集落ならぬ限界道楽という、つたない造語が脳裏をよぎります。

 今回「二人の模型人」を拝読し、70年以上も前に伊藤 剛氏が偏狭な価値観の押し付け合いに警鐘を鳴らされていたことを知りましたが、この言葉を我々が真摯に受け止めていたならば、現今の限界道楽的な状況はなかったかもしれませんね。


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2021年06月15日

二人の模型人

 古いTRAIN誌(1948年2月号)に伊藤剛氏が興味深い一文を載せている。この号には軌楽会の栗山 弘氏や椙山氏も記事を書いている。



 二人の模型人が居ます。二人とも私の友人です。二人とも私は尊敬しています。その名前を挙げることに私は意義を認めないから、假に一人をA君とし、一人をB君としませう。
(この書き出しをどこかで見たことがあるって?ーーそうです。これは昨年末新聞の文化評論にあった「二人の書家」のそのままですが、私は全く同じに感じてゐるのです。)
 A君はいわゆるマスプロ屋です。彼に30時間を與えればボギー貨車10輛から成る急行貨物列車をまたたく間に作り上げます。木の角材、セメダイン、ラッカー、ダイカストの台車と連結器、サンドぺーパーは彼が必要とするもの全部です。
 A君の車には細かな器具類はほとんどついていません。しかし奇妙に実物のそのままの感じが出ます。A君はいつも新しい形式を求めて、イヤあそこにある窓が小さい。すみにドアがあった方が好いとっています。A君は常に自からの夢を 最大速度でレールの上に乗せてみたいらしいです。彼は造形美術家の一人と云えませう。展覧会あたりにると、ボール箱に三杯ほども車をつめ込んでレイアウト上に一杯になる程出品します。しかも今も尚6輛編成の急行旅客列車の図面を一晩で書き上げて「君ィどんな色が好いだらう。一週間ばかり色の事を考えてゐるので、頭が痛くなった。」とやってきます。
 彼は”Oゲージ”で1/45ですが、アメリカの16m/mレイアウトを見てやって見たいなあと嘆息しています。
 B君は物凄い腕を持っています。その精密な工作はちょっと類を見ないほどで、ED16の1/40台車に全部スケール通りのブレーキシューをつけたと云ふことから推して知るべしです。B君の客車はフランス人形と云ふあだ名がついてゐますが、窓のカーテンの具合、テーブルクロース展望車の本棚の上に飾られた油絵の額まで、本当に1/40でよくこれまで出来るものだと思はれる程のデリケートな手法で作られています。
 一輛に數ヶ月或いは數年の年月を費やしても決して惜しいとは思いません。気に入らぬ部品はすべて気に入るまで作り直し、非常に高級な材料を選んで製作にかゝります。もちろん現代の日本のダイカスト既成部品は気に入る筈もありません。彼の作品には一種の香りがあります。それは出来上がった品物の美しさより、その工作方法の深く新しい考察によるものでありませう。
”O"ゲージ1/40では充分に工作の腕が振えないのか最近では96m/mか64m/mでライブスチームロコをやって見たいな等と云ってゐます。
 A君とB君もお互いの作品を感心して見てゐます。もっといいことには二人とも自分のサイドのほうが好いとは一言も云わないことです。
「模型はその人の趣味だから」と二人は口を揃えて云っています。しかも二人とも、”Oゲージ”のレールに関する諸規定だけはきちんと守ってゐます。
 二人の模型人があります。二人とも私の友人です。
 二人とも、私は尊敬しています。  この部分不鮮明】

 なるべく原文のまま再現するように努力したが、判読不能部分もあることはご了承戴きたい。 

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2021年06月07日

続々 昭和20年代初頭の同人誌

 他にもいくつかある。

Kyuden これは京都の奥野利夫氏が主宰していた京都鉄道趣味同好会による発行の「急電」である。副題は”EXPRESS"とある。
 関西圏(富山、和歌山あたりまで)の電車関係の情報がぎっしりである。乗務員室ドアの開く方向とか、パンタグラフの形の差、車内の照明器具の形を詳細な絵で示してある。謄写版であるから、図を描くのは大変であったはずだ。富山地鉄の新線開通を知らせる記事もある。

Extra 臨急電というのも発行されている。当時はカメラは貴重品であったから、スケッチが多い。その分細かいことまで気がついて、まとめてある印象を受けた。編集者は、「電車の記事が圧倒的に多いが、蒸気機関車、客車、貨車何でも結構ですから、ご紹介ください。」と書いている。


Tokai これはインクが薄く、ほとんど見えなくなってしまっているが、東海鉄道同好会が発行していた”TRAIN"である。岡崎の大嶽十四男氏が編集していたとある。伊藤 剛氏、椙山氏も投稿している。



 まだあるが、主要なものはこれぐらいである。細かく読んでいくと、投稿者には著名人がたくさんいたことがわかる。その中でも、竹島紀元(鉄道ジャーナル創刊者)という名前を見て驚いた。九州からの投稿である。その他、多彩な人々がこれらの同人誌に登場している。竹島氏は初期のTMSにも投稿している。

 発行部数がどれくらいだったのかはよくわからないが、欲している人には行き渡るくらいの数であったろう。

 その他、いわゆる「三号雑誌」と呼ばれた、発行して三号で倒産消滅したものも来ている。これはいずれ紹介しよう。


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2020年12月31日

長浦軌道の動画 公開さる

 修復成った長浦軌道はクラブで公開され、その時の動画が公開された。

 運転者側から見た様子
 伝導部構造

 

NMRC Jan.1966 この機関車の動力装置を作った時の、実験に基づくギヤ比の決定手順の記事が見つかった。クラブの会報である。発行は昭和41年だ。
 モータ軸と同軸に出力軸があるのは珍しい。のちにSG氏が増速フライホィールを付けた例とは、裏返しにすれば似ている。歯車は時計部品屋で買ったというところが面白い。現在はそういう店はまずないだろう。 時計の歯車はインボリュート曲線を使っていないので、音は大きい。

NMRC Jan.1966(2) モータの回転数を測定する手順が面白い。実際に無負荷でエンドレスを走らせて、1周2.81 mのラップタイムを調べている。実験を基に考察しているのだ。簡単に出来ても、こういう基礎実験をする人は稀である。実験もしないで分かったようなことを言う人は多い。剛氏の姿勢に学ばねばならない。測定ということは、すべての基本である。当時はセレン整流器の時代である。電圧降下は大きい。

 最近はマグネットモータしかないので、分捲特性と言っても誰もピンと来ないだろう。ギヤ比が適切なので、走りは素晴らしい。低速でトロッコをぐいぐいと押す。ゴムタイヤを使っているところも、考慮に入れているはずだ。


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2020年12月27日

続 自動操縦自動車 

TMS #6 この車は小菅製作所というおもちゃメーカの”ダンディ”という製品らしい。だいたい1/42サイズくらいだとある。1947年型キャデラックである、と01175氏からお知らせ戴いた。

 ブリキ板をプレスしたものだったそうだが、モータの界磁が近いので、磁気回路が外に出来てしまい、モータの力が出なかったそうだ。界磁に近いところを切り取って捨て、その部分をブラス板から叩き出してハンダ付けしたそうである。その継ぎ目が全く分からないので、磁石を近づけて境界を判定した。この工作は素晴らしい。

 70年以上経ってもその価値が減じない模型というものには、なかなかお目に掛かれない。どんなに細かく出来ていても、塗装が美しくても、工学的な裏打ちがあり、模型人の心を揺さぶる模型というものは稀である。

 博物館が開業すると、伊藤剛氏の作品を間近で見るチャンスがある。手に取ってという訳には行かないが、目の前で動きをご覧に入れることができるだろう。

 肺炎禍のせいで、何もかもが遅れているが、なんとか来年には開館できるめどが付いた。維持費は安いので、開業が遅れたからといって赤字がかさむわけでもない。筆者も、開業していないほうが工作に時間が取れてありがたいと言えば嘘ではない。
 信号機の完成実用化のめどが立ち、後は転車台を取り付けて、防護ガラスを付けるだけとなった。 

(TMSの旧い号は傷んでいるものが多いが、この椙山氏からお預かりしたものは全く傷んでいない。左上にサインが見える。椙山氏のご子息の意向で、蔵書をかなりお預かりした。)


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2020年12月25日

自動操縦自動車

 伊藤剛氏の作品で、鉄道車輛でないものは、これら以外にもいくつかある。

TMS6 これはTMSの6号の記事である。自動操縦とは何だろう?と思う人は多かろう。今でいうスロット・レーシングカーである。ただし、極めて高級なものである。ステアリングは本物のように動く。アッカーマン機構のステアリングで誘導する模型は、当時なかった。これは実用新案を取得している。図はすべて剛氏作成のものである。
 記事を読んで少々驚いたことがある。その中に松田恒久氏の名前が出て来る。TMS 3号に自動クラッチの記事を書いた人だ。今まで何回もこの模型を触っていたが、自動クラッチ付きであることを失念していた。ウォーム駆動だから動かないはずの車輪が軽く廻るのにそれに気づかなかったのだ。また、ディファレンシャル・ギヤも搭載されているし、3点支持で極めて滑らかに作動する。伊藤剛氏は車庫で手押しで動かせなければいけないと思ったらしい。

Dandymechanism この自動クラッチは、1978年に祖父江氏によって改良されたものが出来、筆者の模型にも4輌搭載されている。1983年に筆者の運転の車に井上豊氏を乗せて祖父江氏宅に行き、それを見て記事を書いたのだ。本当は祖父江氏の名前を出したかったのだが、
「松田さんのを改良しただけだよぉ、俺のアイデアではねぇからさー。」と辞退されたので、井上氏が作ったように紹介されている。祖父江氏は松田氏を知っているような口ぶりだった。井上氏の作例は小さいので、作動の確実性はやや劣った。祖父江氏のは2倍の大きさで、円周の外側に摺動子があって確実に作動するが、Oスケールの長大貨物列車を起動する時のショックに耐えるようにするには数度の改良が必要だった。最終的には、爪をS45Cで作り熱処理をしたが、滑らかな運転が出来る3条ウォームには、到底、敵わなかった。惰力が利くのは面白いが、快適な運転はできない。
 下り坂で、重い荷物を積んだブレーキ無しの自転車に乗るようなものである。逆転すると瞬時に噛み合って急ブレーキが掛かるが、列車は脱線する。またその瞬間に、爪が噛む相手がヘタる。松田氏のように電車に付けて手押しを楽しむのは良い利用法とは思うが、機関車には向かない物である。
 という訳で7輌ほどの試作で、双方向クラッチは廃案となった。摩擦の少ない車輛からなる列車を牽いて、勾配での運転をしない人には分からないのだろうが、実用性は無いと言うべきだろう。

 この件は以前にも書いたが、この双方向クラッチは珍しいものではない。陸軍の手廻し発電機にも、これが搭載されていたと、亡父が言っていた。よくある工夫で、特許にもなっていないようである。これを高く評価するのは間違いだそうだ。

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2020年12月23日

side dump car

side dump car パワーショべルの近くにあったサイド・ダンプ・カーである。1輌しかないが、実によく出来ていて驚く。幅は広く、O scale の建築限界一杯である。工事用の車輛だから、そういう点では制約がなかったのであろう。

side dump carside dump car パワーショべルで掬って、この貨車に積むのだろう。台車が一つしかなかったので、仮台車を付けて撮影した。数字から判断するに昭和27年製である。DLというのはDream Land Centralという鉄道名から来ている。面白いことに、このあたりのTMSには模型鉄道の会社名が毎号2ページほど載っている。その中に剛氏の鉄道も掲載されているわけだ。高校生が沢山登録しているのは、ほほえましい。

side dump car このサイド・ダンプには床下に巨大な空圧シリンダがある。油圧ではないから、かなり大きな面積で押さないと持ち上げられなかったのだろう。実際には、どのように空気を入れたのかは興味深い。急に最大圧を掛ければ、荷台は折れるかもしれない。また土砂は飛び跳ねるだろうし、貨車の下半分は反作用でめり込み、その反動で脱線するかもしれない。何らかのガバナーでゆっくりと入れる筈だ。

 この貨車は左右どちらにも傾けることが出来るが、細いエナメル線で、動かないように縛ってあった。おそらく正立させた状態でないと、荷台を起こしたときに、ばらばらになってしまうのだろう。

 友人が来たので、パワーショベルとこの貨車を見せたところ、驚嘆していた。板金加工で肉厚の鋳鋼製を模しているところや、巧妙なリミット・スウィッチの工夫、薄型ソレノイドによる底蓋開放装置には恐れ入ったようだ。
 彼もDCC化には賛成である。多重制御化は剛氏の意思であり、事情が許せばやっていたことなので、いわゆる復元ではなく、発展的な再構成となるであろう。これについては、異論はないと信ずる。

 これらの模型に関する資料を探さねばならない。NMRC名古屋模型鉄道クラブの会報を丹念に見ている。きっと剛氏が細かく書いているはずだ。あるいは日本車輛の資料の中にあるかもしれない。 

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2020年12月21日

続 伊藤 剛氏の Power Shovel

 TMS の何号に載っていたかを探すのは大変な手間であった。ようやく見つけたところ、railtruck氏からコメントでお知らせ戴いていて、悄然とした。1959年の伊勢湾台風のころである。

 この時期のTMSはとても面白い。様々な工夫の発表が多く、現在のように「綺麗に作ってある」ということを強調する記事は少ない。自作記事が多く、しかもそれらの中で高校生の作が目立つ。この時期の高校生は既に80歳近い。ご存命であれば、いかがされているのだろうか。


 当博物館に現存する作品は、発表当時とはかなり異なる。セレンはシリコン・ダイオードに更新され、下廻りのモータは鉄道模型用のモータに取り換えられている。その他、内容は発表された写真とは大いに異なる。

 当初は1/30で設計されたようだが、Oスケールでも通用する(大型の機械を1/45にしたと考える)と書いている。1/48でも似たようなものだ。このショベルは、自分よりも高いところを削るのが目的だとある。崖を崩すようなシーンだ。海外の露天掘りは、そのような方法を採る場合が多い。
 昔アラバマ州で見た鉄鉱石の採取はまさにそれで、土砂の層10 m 程を取り除き、その下の5 mの鉱石の層 を掘ってトラックに積んでいた。剥がした土砂は、鉱石を取り除いたところに積み上げる。見渡す限りの荒野を剥がし取るのである。
  TMSの記事には”ジッパー”とあるが英語は”dipper"のはずだ。ひしゃくのことで、掬い取るものである。こんなことを伊藤剛氏が間違う訳はなく、元原稿には”ヂッパー”とあったのではないかと推察する。 


 動作部分の行程はリミッタを付けてあるので自然に止まり、極性反転すると戻って来る。ロープのたるみ止めの装置は床下にある。様々な工夫があり、とても書ききれない。

 この制御回路には、いかにも剛氏らしい工夫が沢山ある。電線の数を減らすことを考えていたのだ。剛氏はこれを貨車に積んで、動かしたかったようだ。最終的には2本の線で動かしたかったとある。多重制御については、大変興味をお持ちで、筆者のアイデアをよく聞いて下さった。DCCの前の段階の時期のことである。
 筆者がDCCをお見せすると、「これが使えるならクレーンを自由に動かせますねー。」とおっしゃったので、何の事だろうと、思ったことを記憶している。
 2本の線による多重制御の可能性をずっと考えていらしたのだ。

 現在の技術なら、ギヤード・モータを用いて、コンパクトにまとめることができる。工作は難しいことではないが、実物の作動原理が理解できていないと、設計は難しそうだ。

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2020年12月19日

伊藤 剛氏の Power Shovel

 所属クラブで伊藤剛氏の鉱山鉄道の復元のお披露目があったが、その席上パワー・ショべルの話題が出た。それは当博物館に来ていたので、探し出して写真を撮った。一部をお見せする。ボディは見つからなかった。

loading shovel Power Shovelはコマツの商品名だそうだ。本来は loading shovel と呼ぶらしい。掘って貨車やダンプトラックに積み込むのが仕事である。最近は油圧式の機械が増えて来たので、ワイヤ・ロープ式のものはわざわざ rope shovel と言うらしい。巨大な、ひと掬い数十トンのタイプは、すべてロープ式である。ショベルの底が開く様になっている。油圧式は、ロープ式に比べると寿命が短いそうだ。ロープ式は何十年も使える。  

crawler 剛氏の話によると、職場で顧客に説明する時、
「模型があったほうがいいね、ということになったので、作っちゃった」そうだが、とてもそんな程度の模型ではない。6モータで非常に複雑な動きをする。ショベル部分は伸縮する。本物は、ここの裏がラックになっていて、ピニオンの回転で伸縮する物が多い。これはロープで出し入れする。 

chasis これは剛氏のその他の模型に比べると、かなり保存が良くない。履帯も、片方が行くえ不明だ。履帯は蝶番をたくさんつないで構成されている。履帯内側の脱線防止爪が細かく出来ていて驚く。駆動輪、転輪は鉄道模型車輪を貼り合わせて出来ている。ロータリィ接点もある。現在ならDCCで2本の線でコントロールできるし、無線操縦も簡単だ。
 床板は劣化して割れている。作り直すなら、床板を分厚い金属板から作る必要がある。クラブ員の中で、これを作り直す、という意思を持つ方が出て来ないかと楽しみにしている。

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2020年12月03日

伊藤 剛氏の長浦軌道の修復成る

Nagaura kidorotary tippler box N氏の尽力で剛氏のロータリィ・ダンパの修復が完成した。原則として、オリジナルに戻すという方針であるので、55年前の状態を見ることが出来る。
 車輪は現在のものを用い、ピヴォット軸受にはモリブデン・グリースを少量入れてある。滑走性能は良く、”飛び出さないかと思わず手を出した” という状況が再現された。 

 今回手直しをしたところは、スピードが出過ぎるのでリターダを付けたことだけだそうだ。長いリボン状のバネによって車輪の内側を擦り、減速する。

 機関車のタイヤはゴム製であったので劣化していた。それを現代の材料で再生した。集電はレイルを直接擦るスプーン状ブラシが4個付いている。集電は完璧で、いかなる場所でも起動不良になることがない。5輌のトロッコを軽々と押して登る。

 ロータリィ・ダンパの回転する枠は缶詰の蓋部分を切り取ったもののようだ。鉄の色が出ているところが実感的である。丸みはもともと完全であるし、作りやすい。元はビールの缶ではないかと思われる。当時はビールは薄鉄板の缶で売っていた。三角の孔を開ける道具も酒屋でくれた。2箇所に孔を開けて中身を出したのだ。直接口に付けて飲むと、妙な味がすると不評であった。

 おそらく、剛氏はその缶詰を手に取った瞬間に閃いて、全体の構想が出来たのではないだろうか。図面無しで、あっという間に作られたような気がする。

 全体を1800 mmに収めたかったようで、最終端は少し曲げて長さを短くしている。

 組立式なので、滑りの良い机の上では徐々に位置関係がずれてきて、脱線してしまう。大きな板の上に固定するのが良いだろう。クラブでのお披露目のあと、当博物館で永久保存の予定である。もちろん動態で公開する。その場所も確保した。

 クラブで動画を撮影したので、編集後、公開される予定だ。

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2020年09月14日

続 伊藤 剛氏の長浦軌道

nagaura kido3 機関車は4輪ともゴムタイヤである。そうしないと勾配を押し上げることができない。集電はレイルを直接擦るシュウによる。ロータリィ・ダンパの丸い枠は、鉄の色で実感的である。その材料は空き缶の縁である可能性が高い。真円度と色の両方を取ったのであろう。
 既に52年前の作品であり、駆動、電気方式等はかなり旧式である。NG氏は意欲満々であるから、最新式の制御方式、駆動方式になると思う。ひょっとすると、DCCになるかもしれない。

 貨車はピヴォット軸受で、摩擦がかなり少ない。斜面を転がり落ちて行く時の速度はかなり大きく、先端のところで飛び出すのではないかと思ったのは、納得できる。

 これは1/45の16.5 mmゲージである。このサイズでは斜面での慣性は大したことがなく、加速度も大きいので、動きはおもちゃ的である。小さい模型では何らかの方策で慣性増大を図る必要があるが、これについては難しそうだ。積み荷を降ろすわけだから、トロッコの中は空になっていないとまずいのだ。車軸を太くしてみても角速度が小さいので効果は薄い。

 これを2倍の大きさで作って、Oゲージの線路にすると、かなり実感的な動きになるだろうと思う。45 mmゲージの線路で762 mmの線路なら1/17のサイズとなる。610 mmなら1/13.6、508 mmなら1/11.3だ。大きくなれば、動きはかなりリアルになる。
 線路と車輪はいくらでもあるので、暇になったらやってみたいものだ。

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2020年09月12日

伊藤 剛氏の長浦軌道

nagaura kido1 この模型のことがクラブで話題になってから久しい。会員のNG氏が高校生だった1968年、クラブの例会で剛氏が持って来て披露したそうだ。その後、いろいろな場で語り合われたのだが、現物がなかなか出てこなかった。しばらく前筆者が剛氏宅を訪ねて見せてもらったのが、ほとんど唯一のチャンスであった。

 トロッコが解放され、重力に従って坂を下り降りる時、nagaura kido2あまりにも速く、飛び出すのではないかと、手を出して受けようとした、という話を聞いた。この写真は、切り離されたトロッコが滑って行き、逆戻りしてスプリングポイントで 下に降りていく部分である。


 この公開運転はおそらく一度限りで、それを見たことがある人は大半が他界してしまった。NG氏は、その存命する唯一の目撃者かも知れない。 この長浦軌道が走るところを見たいという希望を受け、お預かりしている箱を順次開けて確認してきたが、3年ほど探しても見つからなかった。NG氏はその修復を任せてくれと申し出ていたので、見つからない旨伝えると、落胆していた。
 先月、それを思わぬところで発見した。ガラス棚の陳列品の下に、台として置いてあった箱を開けると出て来たのだ。もっと大きな箱だと思い込んでいたが、意外に小さな箱で見落としていた。

 レイルはブラス製であった。木橋は合成樹脂のニスを厚く塗ってあり、ガタはない。ポイントは電動とスプリング式の二つである。


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2020年01月02日

伊藤 剛氏の折畳み貨車

剛氏の折畳み貨車  (1) 昨年折り畳み貨車を友人のF氏に見せた所、「僕にレストアさせてほしい。」と申し出て下さったので、早速お願いした。
 年末に届いたので、封を開けてびっくりした。素晴らしく綺麗だ。最近の画像複製技術の進歩で、本当に木で出来ているのかと思うような仕上がりである。
 ドアヒンジは各扉2箇所の時代があったのだ。小型ドアは2枚、大型ドアは3枚であった。

 2016年に、剛氏のところからお引き取りしたものを順次開被して、確認していた。そこで出て来た時には、修復は難しいと思っていた。塗装を全部剥がしてハンダ付けをやり直し、側面を新製すると、もうそれではレストアではなくなってしまう。

剛氏の折畳み貨車  (3)剛氏の折畳み貨車(2) F氏は塗装を温存しながら、綺麗に洗い、完璧なレストアをしてくれた。裏表で異なるサイドを持つ。ありがたいことである。この貨車はあと4輌ある。いずれ修復して戴けるもしれない。今後様々な点で、お世話になることが多くなるだろう。

 問題は台車である。オリジナルのダイキャスト台車枠は劣化が進み、使えないものがある。さりとて、それを現行品にして、しかもLow-Dにしてしまうのは気が引ける。台車を複製するという手もあるが、それは気が進まない。

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2019年11月14日

再度 Four's a Crowd

619_1417Mixt TMS501模型鐵道 No.16 例の映画の話だ。伊藤剛氏から来た図書の整理をしている。”模型鐵道”は大半揃っているが、その中の16号に、”Four's a Crowd” を紹介する酒井喜房氏の解説があった。この映画については、以前ここで you tubeによるダイジェスト版を採り上げた。
 戦前の検閲の厳しい折に、裕福で自由なアメリカの生活を賛美するような映画が封切られたことには、驚きを禁じ得ない。部分的にカットされた状態での公開だったのかもしれない。 当時の字幕スーパーが見てみたいものだ。

 再度検索すると、驚いたことに全編を見られるウェブサイトが見つかった。しかも再生速度を遅くできるので、あの早口が聞き取り易い。

 この映画については400号あたりのミキストだったかで山崎氏が何か書いていたように記憶する。まだ探し出せていないが、手放しの褒めようであった。当時はこれを戦前に見た人が生き残っていた時代であるし、またそのような人が限られていたから、紹介記事を書けることが自慢であったのだろう。

 Four's Crowdの意味であるが、これは英語のことわざ(成句)にこんなのがあることから来ている。これは16世紀から使われている言い廻しだという。”Four’s” は ”Four is” の短縮形である。

 Two is a company. Three is a crowd.

 (恋仲の)二人はうまく行く。しかしそこに三人目が居ると、 意見が分かれてうまく行かない、という意味だ。似たような意味で、fifth wheel というのがある。車輪は四つで良いのに五つ目を付けると、とんでもないことになるわけだ。そういう意味では、大型トレーラのトラクタ後部に付いている回転部分を fifth wheel と言うが、それはこの言葉を知っている人が、わざと付けたのだろう。 


 そこでこの題名だが、四人だったら・・・という、茶化した題名である。
 日本での公開時に付けられた題は ”結婚スクラム” だったらしい。これまたわからない題名だ。本来なら “四人でしっちゃかめっちゃか” くらいが良いだろう。


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2018年12月05日

続々 ユニヴァーサル・ジョイントの問題

 もう一つ気になるのは「軸の曲がりの角度」で2軸が一直線なら不等速伝達は起こらない。(当たり前だが、それなら自在継手は要らない)。速度の変動率は軸の曲がり角度でも変化する。もしかするとオーバー修正などしないか?(図3)モータ軸より台車側の角度が大きいですね。そこで”ゴー式”珍案。モータも床板に載せず、反対側の台車に載せたらどうでしょうね。これなら両方の継手がほぼ同一角度に曲がりますよ(図4)。何、「床下器具がなぎ払われる?」私なら当たるほうの床下ユニットを、曲線外側にスライドさせて押し出してしまうんですけどねぇ。
universal joint 2
 

 そういえば、トラック(台車ではなく貨物自動車)の推進軸はスプラインで伸縮しているので、事故で外れたのを、よく知らぬ人が位相を考えずにはめ戻したところ、猛烈な振動で、二次事故を起こしてしまったなんて、戦時中よく聞きましたよ。
 ともかく、「中間軸のフォークエンドは、『同じ位相』でなければならない」というのを覚えていただいただけでも、性能が上がると思います。お試し下さい。

                              (2009.1.23)
 コメントを戴いている。二つのジョイントは完全に等角にならなくても、不等速は十分に打ち消されて、調子が良くなる。曲線の入り口に緩和曲線が使われている時は効果が顕著である。
 伊藤 剛氏のアイデアは筆者も使おうと思ったが、軸箱の上にモータが直接載ってしまうと、バネ下質量が大きくなる。さりとてモータを浮かせると、その部分が等速でなくなるので、諦めたことがある。
 天賞堂の模型には使われていたというのは、指摘されて思い出した。確かにそうである。1960年ころ”子供の科学”、”模型とラジオ”で見た覚えがある。当時としては、高級な伝導装置として紹介されていた。バネはない。お知らせ戴いたように、位相は見事に間違っている。大人になってから見て、こりゃ駄目だと思ったのは、そこだ。平ギヤが無潤滑でむき出しというのもアウトである。平ギヤはウォームの後に使うべきものであろうが、この場合は応用不可だ。


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2018年12月03日

続 ユニヴァーサル・ジョイントの問題

 この模型大学の記事は発表前に筆者のところにも送られてきた。
「dda40x君も登場するからね。」
ということであった。一部を紹介する。

UV joint by GO Ito
 Aのモーター軸からBの中間軸を廻し、さらにこの軸で動力を伝えるとしましょう(図1)。A軸は当然等速で廻ります。ところがB軸はこれを受け取って「不等速」で廻る。いわゆるビリビリ振動のようなことになります。それがさらに次の自在継手で同じ事をされて、C軸はビリビリがさらに増幅された形で廻りますから、大変に大きな音まですることになります。困りますね。どうしましょう。 
 簡単なことです。自在継手の付いた中間軸では、中間軸の両側にあるヨーク(二股)は、必ず同じ位相に揃えること(図2)。そうすれば、2つ目の継手は「不等速」運動を受け取って、不等速が発生した時の逆順で回転を伝達するから、C軸はモーターと同じ等速運動に戻るのです。中間軸は不等速のままですが、質量が小さいので振動してもほとんど気にならないでしょう。
 
 NMRC(名古屋模型鉄道クラブ)例会でD君
(dda40x) が、友人が「私の電車はカーブに入ると凄い音がするのだが・・・」というのを聞いて、「中間軸の位相を変えてごらん」とアドバイスしたところ、「まったく静かになった」と喜ばれたそうです。それ以来、私も大いに気にしています。
(引用続く) 

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2017年06月05日

続々々 Old Black Joe

OBJ's 年次総会には、完成した何台かが持ち寄られた。沢山つないで走ったが、モータ、ギヤが同じなので完全な協調運転ができる。
 各人が様々なサスペンション(懸架装置)を付けている。コイルバネにした人もいれば、硬い線バネで支えた人もいる。走らせるとそれぞれのバネの特性が出る。コイルバネで浮かせた構造にすると、ポイントのフログで電車のような軽やかな音がする。
  
 会場では負荷をかけての走行はしなかったが、博物館レイアウトの勾配上での負荷試験では、モータの唸りが聞こえた。おそらく、チェインの伸びがその音の一部を作り出しているのだろう。
 チェイン駆動ではスプロケットの角速度とチェイン速度とが、完全には一致しない。それがうなりのように聞こえるようだ。悪い音ではない。以前書いたように、位相をずらした二本掛けにすると変わって来るだろう。

 筆者の機関車が一番重かった。他の皆さんは重くするとモータが焼けると思われたようだ。実は提供したモータは、大変強力な高級モータで、軸重500 g程度でスリップ限界である。鉛をそんなに積み込むことはできないので、どんな補重でも問題のない範囲に収まる訳である。
 事前に計算しておいたのだが、それを他の方に伝えるのを忘れていたのだ。申し訳なかった。

 側面のディカールは、Union Pacificにした。余っているディカールがたくさんあったからだ。他に理由はない。

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2017年06月03日

続々 Old Black Joe 

Old Black Joe 伊藤剛氏のオリジナルはこんな形である。 外側三線式だ。その集電シュウが実によく出来ていて驚いた。適度な接触圧を持ち、垂れ下がらない。パンタグラフは戦前の朝日屋製を改造したような構造だ。

 フリーデザインの車輛であるから、これを縮小して線路に載せると奇妙なものである。今回のOスケール化のポイントはそこである。本物を設計するつもりで、各部の寸法を決め、それを縮小した。基準となるのは車体幅である。幅が広くなると急にトイ・ライクになる。扉の大きさも大切な部分である。要するに、乗る人間の寸法を基準に設計することが、実感のある模型を作る最短の道である。
 扉は開くようにもできる。筆者は開けないつもりだったが、簡便な方法を思いついたので、開閉可能にした。戻りバネを付けて、普段は閉じている。塗装時に気を付けないと、塗り残しが見えてしまうから、開けたままで塗って、その後外を塗った。

 小型機関車では、うっかり手を伸ばして感電ということが多いそうなので、パンタ台で持ち上げ、エアタンクでガードした。
 Sacramento Northernの本を読んでいると、庫内でパンタを上げる時の話が出ていて、それをやるつもりでポールを増設した。本物のポールは先端がT字の形をしていて、本当に接触させるだけの機能しか持たない。数十秒間補助コンプレッサが働くだけの集電機能である。HO用のポールがあったので使った。

 塗装は黒で、それにオレンジのトラ縞模様を付けた。塗装するつもりだったが、Dr.Yがディカールを印刷して下さったので、省力化できた。これをマスキングでやろうと思うと、かなり大変だ。 

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2017年05月30日

Old Black Joe

OBJ しばらくチラ見せしていたのは、これである。軸配置がまさか2軸とは思わなかった方が多いだろう。今月のTMSに載っているそうだ。筆者はまだ見ていないが、写真が一枚掲載されているとのこと。以前は写真を貸しただけでも掲載誌を送ってきたが、最近はそれもしないのだろうか。

 伊藤剛氏の1946年製の機関車である。元は35mmゲージだったらしい。それを32mmゲージにしたので、少々バランスが良くない、当時はそんなことを言う人はいなかった。
 戦争中、外地でイギリスの凸型機関車の写真からスケッチを起こし、それを日本に持ち帰ったらしい。その機関車はこんな形をしていたようだ。

 今年は名古屋模型鉄道クラブ結成70周年で、本来は伊藤剛氏の存命中にということで、75周年を5年早めて大規模な集会をするつもりだった。伊藤剛氏が、不慮の事故で他界され、少々淋しい年次総会ではあった。

OBJ on track 今年の競作は伊藤剛氏の記念作 ”Old Black Joe" を各ゲージで作るというもので、Oゲージ部会では、ステンレス板をレーザで切り抜いて頒布し、動力は筆者が提供した「3条ウォーム」 + 「コアレスモータ」で、すべて押して動くようにした。1台で数輌の機関車を牽引することができる。

 切り抜いた板を頒布できたのが少々遅くなり、実質2箇月で製作せねばならなかった。原作の雰囲気を残しつつ、スケール感を出している。設計は土橋和雄氏である。 

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2016年07月17日

続 TMS195号 

 筆者が高効率模型開発の実践をしていることを、山崎喜陽氏は井上豊氏から聞いていたらしく、
「TMSで発表させてあげるから・・・」
と話し掛けてきた。物の言い方が気になったが、数分間話をした。彼は筆者の話に非常に興味を持ち、実際に80坪の部屋の床で大規模な線路を敷いて実験をしている写真を見て、愕然としていた。
「日本で模型の効率を測定している人はあなただけだ。」
と言った。実際にはもう一人いて、それは吉岡精一氏であった。しかし、当時はまだ、吉岡氏とは連絡が付いていなかった。それを妨害した張本人は山崎氏その人であったのだが。
 極めて初期のTMSに、歯車の効率の話がある。山崎氏は、鉄道模型はよく走らねばならないという信念は持っていたようだ。

 話の内容を横で聞いていた荒井友光氏は上機嫌で、
「山崎クン、名古屋にはこういう人もいるんだよ、大したもんだろ。『尾張名古屋はO(オウ)で持つ』って昔から言ってたじゃないか。」
と嬉しそうだった。その前の年のNMRAの新年会で、アメリカのNMRAのコンヴェンションのスライドを100枚以上見せた。カツミの栗山氏がそれを見ていて、筆者は請われて東京で二回再演した。そのことも聞いていたらしく、見せてくれと頼まれた。当時アメリカでも、
"O gauge is back" というキャッチ・フレイズでOゲージの復権が始まっていると言うと、非常に興味深そうだった。彼はアメリカの話には心を動かされるようだった。

その席で、筆者は山崎氏が「Model Railroader に投稿するならウチを通さなければ載らない・・・・」と、また言ったものだから、呆れてしまった。筆者は若いとは言え、アメリカに居たことのある人間だから、そんなことを言えばバレることぐらいわかりそうなものだ。
 筆者は井上氏に連れられて、山崎氏とは過去に複数回会っている。いつもそれを言う人であった。本人はそう信じていたのだろう。お気の毒ではある。
 
 例の3条ウォームの記事はぜひともTMSで扱いたかったものだったと、発表直後に荒井氏から聞いた。

 一方ミキストで、実名を挙げて攻撃された副会長の加藤 清氏の怒りは収まらず、553号まで投稿しなかった。漁夫の利を得たのが「とれいん」誌で、かなりの原稿がそちらで発表された。


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2016年07月15日

TMS195号

TMS195 もう50年以上も経ったのだ。TMS195号(1964年)のミキスト欄にはかなりすごいことが書いてある。筆者の持っている一番古いTMSが186号であるが、それ以前のTMSで、NMRC(名古屋模型鉄道クラブ)の記事はよく見ていた。だからクラブに入会しようと思っていたのだが、突然TMSでのNMRCの記事が全く無くなってしまった。解散したのではないかと思ったぐらいだ。
 しばらく経って、椙山氏のお宅でNMRCの会長だった荒井友光氏を紹介され、直ちに誌友となり、正会員になった。NMRCが無事に存続していたことは、筆者には驚きであった。
 
mixt195 そのミキストにはNMRCの悪口が40行くらい書いてある。今だったら、名誉棄損で直ちに裁判沙汰になるような内容である。個人名も明記するなど、とても信じられない記事だ。剛氏と山崎氏は「ケンカ友達」だったのだが、副会長の加藤氏はそうではなかった。TMS憎し、でそれは加藤氏が編集長だったYard誌に表れている。
 これがきっかけで、NMRCはTMSと絶縁した。剛氏はそれまで極めて頻繁に紙面に登場していたが、全く影を潜めた状態が、400号まで続いた。ざっと16年間の冷戦状態であった。剛氏は東京勤務の時代もあったのだが、TMSとは接触しなかった。
 剛氏は仲直りが必要だと考えたのだが、副会長氏は強硬で実現しなかったようだ。
 この状態に心を痛めたのは井上豊氏で、東京方面に引っ越されたこともあって、頻繁にTMSとは接触し、仲裁を試みた。360号(’78年)あたりから、かなり頻繁にアメリカ型蒸気機関車の記事を発表している。古橋正三氏はギヤード・ロコの記事をかなりの数投稿したし、また、荒井友光氏も395号でトラス橋の記事を書いた。荒井氏は上京の際山崎氏に会い、400号までに関係の修復をすることを約束させた。
 その年のNMRC新年会で、山崎氏は来名し、「また仲良くやろう」と全会員を前に、伊藤 剛氏と握手をした。その後名古屋特集が出たのは、筆者の解釈では、いわゆる手打ちではないかと思っている。あの内容を訂正もせず放置したのは良くなかったからだ。


2016年07月11日

Walker氏のこと その10

Walker 名古屋模型鉄道クラブで長老方にこの話を詳しく聞こうと思っても、ほとんどの方が言葉を濁されてしまう。
 井上 豊氏のお宅にお邪魔して話を伺った時、食料を持ってきてくれたということを仰ったが、同席されていた奥様は突然話を逸らされた。
 話してはいけない、という気持ちがどなたにもあったのだろう。

 伊藤 剛氏は、
「アメリカは時効が長いからね。場合によっては無いかもしれない。突然、軍法会議に掛けられても・・・という気持ちもありましたね。」
「会社のためとは言え、我々もこれが賄賂性があるということは、百も承知していましたよ。ウォーカー氏が帰った時、関係者はほっとしたけど、口外してはいけないという気持ちがありました。」
と仰った。

 椙山 満氏のお宅でこの話が出て、当時のNMRCの会長の荒井友光氏が、いろいろなことを教えてくれたが、写真の件となると、見せてはもらえなかった。
 井上氏のお宅に、伺って見せてもらった時、機関車のことは嬉しそうに話され、試運転の写真を見せてもらったが、その背景については話されることはなかった。

 3年ほど前伊藤 剛氏宅に伺った時、剛氏はこれらの写真を筆者に渡して全てを話され、近い将来の公開を委ねられたのだ。

 多くの模型人の心に傷を残して、それらの模型はアメリカに向かった。


2016年07月09日

Walker氏のこと その9

 Walker氏の模型は、すべて完成後、大同製鋼の集会室で運転をしたのだそうだ。戦災で焼け残った大きな建物は少なかったようだ。おそらく旅客列車が写っている場面がそれなのだろう。
 詳しくはわからないが、中央三線式交流18 V 程度であったろう。HOが12 V になったのは比較的古いが、大規模なOゲージ、1番ゲージは電圧を高くしておく必要があったと思われる。

 ウォーカー氏は帰国時に、
「これらは日本の模型人のレベルの高さをアメリカに知らせる良い見本だ。アメリカ中でこれを見せるツアをする。」と言ったそうだが、それをしたという話はどこからも聞こえてこなかった。彼自身もこれが賄賂性があることを認識していたはずだから、そんなことはできなかっただろう。

 1980年代の終わり頃、名古屋模型鉄道クラブに一通の手紙が舞い込んだ。それはウォーカー氏の子息からのもので、
「里帰りさせたい。」
とあったが、よく読むと、要するに買い取ってくれないか、というものだったそうだ。
 当時筆者はアメリカに居たので、間接的にしか知らないが、乗用車1台分くらいの価格であったそうだ。

 後で土屋氏にその話をすると、
「買っていたかも知れんな。」
と仰った。

 その後、その話は全く消えてしまったので、どうなったのかは分からない。一度見てみたいものだが、手掛かりを探すだけでもかなり時間が掛かりそうだ。

2016年06月25日

Walker氏のこと その2

flat car 会社のための模型作りだから、勤務中に会社で作る。
「私の人生の中で、あれが唯一の経験でしたね。仕事で模型を作ったのは。」と、剛氏は仰った。剛氏が図面を描き、一部はカツミ模型店で作ったものもある。

reefer 模型とはいうものの、実物通りに扉は開き、ロックも掛かるようにした。実物の図面があるのだから、やればできてしまう。材料は会社が購入し、塗料は塗料会社に注文した。白眉はレイルで、製鋼会社が、わざわざその断面を作って挽き出した。ポイントも熟練工が実物同様に削り出したものを用いた。クロッシングは一体鋳造である

NYC J-1e and streamliner 蒸気機関車はライヴ・スティームだから、ボイラを作らねばならない。井上 豊氏は銅板を丸く曲げてリヴェット留めし、銀鑞付けするつもりであった。ところが、日本碍子の旋盤工が、「ワンピースで作ってやる」と言い出し、薄いボイラを肉厚銅菅から挽き出してしまった。その話を何度も井上 豊氏から聞いてはいるが、いまだに信じられない。銅のような粘っこい材料を旋盤に掛けると、喰い込んでお釈迦になるはずだ。

「彼はね、今で言えば技能オリンピックで金メダルを取れるような人なんだ。出来ないことなんか無いんだよ。」と井上氏は強調した。
 ピカピカの薄いボイラで、素晴らしい出来だったそうだ。 

 1967年、井上氏は C&Oの2-6-6-6 アレゲニィのHOモデルをTMS誌(233号)に発表した。当時はそのような機関車の存在すら、ほとんどの日本人は知らなかったが、彼は本物の図面を持っていたので、わけなく作ってしまったのだ。
 また、井上氏はAlleghenyの発音を正確に覚えていらした。日本の模型人はこの地名をよく知っているのだが、筆者が出会った人の中で、正しい発音をされたのは井上氏と剛氏だけだ。
 参考までに書くと、最初のA強く言うラゲィニ と言えば通じるが、それ以外の発音では不思議そうな顔をされるだろう。しかし、TMSの表記はやや異なってアレゲーニーとなっている。この表記だと第三母音にアクセントが来ると思ってしまうだろう。筆者もそう思った。

2016年06月23日

Walker氏のこと その1

剛氏のアルバム 連合軍が日本を占領していた頃の事情を細かくつづった本を読んでいるときに、筆者はある名前を見てどきりとした。ウォーカー中将という名が出てきたのだ。
 もちろん別人なのだが、名古屋には別のウォーカー氏が居た。剛氏の遺品の中にそのアルバムがある。

 アメリカから派遣されて、当時の中部地方の工業地帯を統括していた人の名である。軍属ではなく民間人であろう。
Mr.Walker ハロルド・ウォーカー氏はこの地方のすべての産業を押え、アメリカの国益を守る経営をさせるために派遣されていた。あまりにも厳しい人で、どの会社も、どうしたら少しでも目こぼししてくれるかを考えていた。ある時、彼は鉄道模型が好きだということが分かった。そこで日本車輛の伊藤剛氏が抜擢されて、話をしに行ったのだそうだ。剛氏は模型人であるし、英語が堪能であったからだ。ウォーカー氏は、Missouri Pacific鉄道に勤めていたことが分かったのだ。

 そこで日本車輛が車輛を、大同製鋼がレイルを作り、彼の好きな列車を進呈することになった。はっきり言えば、賄賂である。鉄道模型を用いて懐柔しようというわけだ。蒸気機関車は井上 豊氏が作ることになった。三菱や日本碍子、国鉄まで巻き込んだ大作戦である。

 車種は先方の指定で、NYCハドソンとC&Oアレゲニィ、FMのディーゼル機関車、流線形客車5輌、貨車7輌であった。すべてアメリカから本物の図面と写真を取り寄せ、その1/32、1番ゲージ模型を作ることになった。(写真は完成した模型を手にするウォーカー氏)

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2016年06月01日

室内は室外である

caboose by Go Itoh これは伊藤 剛氏の作られたカブースである。かなり傷んでいるが、原型を保っている。これも折り畳み式の筈だと思ったが、そうではなかった。他にもあるのかもしれない。

 このカブースはいわゆる”NE type”である。米国北東部の鉄道で共通に使われたタイプだ。Reading RRで最初に採用したので、Reading cabooseとして売っていた。インポータは複数あったような気がする。ブラス製で、製造は安達製作所である。
 剛氏は安達庄之助氏を訪ねて、板の状態の部品を入手し、それをもとに工作をした。

broken NMRA X2E coupler NMRA型のカプラが付けられている。 X2Eである。この板金製のカプラーは弱い。強くぶつけると、上下に泣き別れになるのである。合わせ目に薄い板を貼れば壊れにくいが、下の押し合う部分が曲がるだろう。砂鋳物製の製品も持っているが、やや分厚い。
 その後ケイディが普及して、誰もこのカプラを使う人は居なくなった。 

caboose interior このカブースには剛氏によって内装が付けられている。剛氏は、「室内は室外である」という名言を残されている。「外から見えるものは、付けるべきだ。」という意見だ。
 このカブースも、見えるところだけは工作してある。キュポラの部分の椅子が付けられているし、洗面台もある。
 経年変化で接着剤が変質して、あちこち壊れているが、直せばすばらしくなる筈だ。また、ガラス窓は上に抜けるようになっている。反対側(この写真では左)の窓はポジフィルムの透明な部分を使っている。 いずれ修理して、デヴュウさせたい。

2016年05月30日

続 collapsible freight cars

cigarette carcigarette car 2 これがその側面である。MDFの板に紙巻タバコの包み紙が貼ってある。さすがに、50年以上経つので、劣化している。ブラス製の側板を持っているので取り替えたい。
 原作を生かしてばらばらにできるようにする。

 台車は大きめのホックで留めてある。すなわち外すのはとても簡単で、たくさんの貨車から台車を外して車体を畳めば、体積が極めて小さくなる。コートのポケットに何台か入るのだそうだ。当時はOゲージ全盛で、運転会には乳母車に満載して出かけた、と椙山 満氏は語っていた。

 台車にはプラスティック製の車輪がついている。台車を車体に嵌める時に、向きを一切考えなくても良いから、好都合だ。

 このような折り畳み方式を考えたのは、当時HOが台頭してきて、小さいから便利だということを見せつけられたからだそうだ。誰かがスーツのポケットから機関車を出して見せたことがあり、それで対抗意識を出した、とお聞きした。

2016年05月28日

collapsible freight cars

collapsible 折り畳み傘を英語でcollapsible umbrella と云う。たぶんアメリカ語だと思う。イギリスでは別の言い方をしていたように思う。collapse という語は、くしゃくしゃとつぶれる様子を表す動詞で、パタンパタンと畳まれるときはfoldingと言ったような気がするが、辞書を引いても今一つよくわからない。言語学者に聞けば良いのだが、なかなか難しい。
 
 さて、この写真をご覧になって、「分かった」という方は多分75歳以上だ。1950年代に伊藤 剛氏が発表された折り畳みができる貨車だ。
 お預かりしている箱を順次開けていくと、このようなものに行き当たる。

 妻板はぱたんとこちらに倒れる。すると体積が1/3になるというものだ。屋根と側板は輪ゴムで束ねる。台車は例によってホックでパチンと嵌まっているだけだから、抜けば体積を減らせる。妻板裏のバネをつかんで縮めれば外すこともできる。残念ながら側板が劣化して壊れているので、すぐにはできないが、修復したい。

 見つかっているだけで5台分ある。驚いたことに(当然なのだろうが)妻板のヒンジ部分は互換性があり、どの部品とも合う。組立時にジグを使っていらしたのだ。この辺のことは、なかなか実現できないものだ。

伊藤剛氏の工作 妻のクロースアップである。このブレーキホィールは既製品ではない。実に見事な造形である。中心部は小さなホックである。それに細いブラスのワイヤを花びら状に作ってある。繊細で美しい。この写真は拡大しているが、実際は直径が10 mm程度のものだ。小さいから見過ごしてしまいそうなのだが、細かくできていて、美しい。


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2016年04月12日

伊藤 剛氏の資料整理

 路盤敷きは体力の要る仕事である。合板でできた路盤を何度となく上げ下げして、当たり具合を調べ、水平面中でのアラインメントが出ているかどうかを調べる。
 午前中にその作業をすると体力を消費してしまい、午後は力の要らない作業しかできない。
 
岡歯科内科 伊藤 剛氏の作品に関連する資料を整理していると、こういうものが出てくる。例の瀬戸電の線路を敷くとき 後ろに置く小道具だ。
 「おかしかないか」である。
 医師名は「おかしかろう」、歯科医師は「おかしなこ」
 住所は「いたいし、たかくつく、やめてちょう」
 ここだけ名古屋弁だ。番地は何と読むのだろう。「よしなよ」だろうか。

 伊藤 剛氏はこの手の言葉遊びが大好きであった。

 もう一つ思わぬものを発見した。剛氏の小学校の同窓会名簿である。愛知第一師範学校付属小学校というエリート校の名簿である。1ページ目に吉田 剛(改姓前)の名前がある。それをめくって思わず声が出るほど驚いた。
 盛田昭夫とあるではないか。その続きを見ると、ソニー会長とある。
 なんと伊藤剛氏と盛田会長は竹馬の友であったのだ。
 剛氏は「ソニーのマイクロトレーンの開発には全く関係ありませんよ。」と完全否定されていた。
 しかし何かあったかもしれないと思い、ご子息に連絡してみた。
 その御返答は残念ながら筆者の推測を完全否定するものであった。剛氏と盛田氏は長らく会うことがなかったそうだ。マイクロトレーンのことが終わってしばらくして、盛田氏が初めて同窓会で名古屋に来た。その時初めてマイクロトレーンの話が出て驚いた、ということであった。

 その後剛氏はマイクロトレーン一式を手に入れられたので、これは博物館で展示するが、直接の関係がないことが分かったので、どのような展示をするべきか、迷っている。

2015年11月29日

直捲電動機

 模型のモータは全てマグネット・モータになってしまったと言ってよい時代になった。筆者がボールベアリング、三条ウォームにのめり込み始めた頃、伊藤 剛氏とモータについて論議したことがあった。文中、dは筆者のことである。

剛 最近は直捲電動機の模型はなくなりましたね。
d  実は今一つ作っているのですよ。
剛 ほう、それは珍しい。どんなモータを手に入れたのだい。
d  Braunの髭剃りを分解して出てきた交流用のモータです。直流なら20Vくらいで回ります。それをさらに改良して12Vで動かないか、調べようと思っています。
剛 それは面白いね。直捲電動機はその中にオートマティック・トランスミッションが内蔵されているようなものだから、出来の悪い模型に搭載しても、よく走るんだね。直流モータの時代になったら、途端に走りが悪くなっちゃったんですよ。
d 今開発中の摩擦の少ない機関車に直捲モータを搭載すれば、グワーンと走ってぴゅーっと滑って行かないかと思っています。
剛 そりゃ面白い。重い列車を牽かせると実感的だろうね。

 その後、筆者の直捲モータの改良は頓挫し、コアレスモータを採用することになった。

d コアレスモータにしましたら、調子が良いのですよ。電源を電圧制御にしたのですが、それが良かったみたいです。以前は電流制御でしたから、このような低電流では速度調節がむずかしかったのですよ。
剛 おお、それは素晴らしい。マグネットモータは分捲特性だから、本来は模型には向かないものだと思っていたけどね。
d いや、本物と同じ動作をさせることが可能ですよ。『下手な工夫より電圧制御』かな。
剛 あなたは電気も強いから、あなたがそう言うならその言葉には重みがあるね。

 その後クラブの会報にはこの話が引用された記事が載った。剛氏の瀬戸電の記事が出たのは、その直前である。あれが日本の模型雑誌に直捲モータの記事が載った最後の号である。瀬戸電には自作の巨大な直捲電動機が装着され、ピヴォット軸受で慣性モーメントが損なわれないようになっていた。12 Vを印加して電流を止めても、「山口さんちのつとむくん」を歌い終わるまで廻っていた。剛氏は、「モータというものは慣性モーメントを最小にするように設計されるものです。これはとんでもない天の邪鬼(あまのじゃく)だね。」と言っていた。 

 ちなみに筆者はそれほど電気に強いわけではない。父親から聞いた話を覚えているだけである。

2015年11月19日

四拾八分之壱

 伊藤剛氏の遺品の整理をしている。あまりの量と質に、かなり参っている。おそらく、博物館開館後に毎日取り組まねばならないのだが、取り敢えず何があるかを調べている。

四拾八分之壱 たくさんの写真、図面が出てくる。日本車輛の様々な資料をお持ちだったのだが、この古い図面集には驚いた。7年8月23日という日付が読めるが、これは大正時代だ。驚いたのはこの図面がOスケールであったことだ。今まで見てきた日本の図面は全て 1/50 であったが、これは 1/48 であった。すなわち本物の1フット(304.8 mm)を1/4 インチ(6.35 mm)にしている。12 インチが1 フットだから、1/(12 × 4)= 1/48である。
 模型の縮尺の1/24 とか1/32、1/72などは全てこのように、実物の1フットを何インチにするかで決まっている。アメリカでは、住宅などの図面は1/48なので、それでOスケールがその縮尺を取るようになった。ヨーロッパでは線路幅がスケールになるように1/45.2 (公称1/45)であったり、1フットを 7 mmにして、1/43.54の模型を作ったりしている。

 この図面集を見つけたので、すぐにクラーケン氏に連絡して保存編集をお願いした。氏は様々な古文書を整理し、まとめられている。すぐに返事が来た。

五拾分之壱 1/48は大正10年のメートル法採用までで、それ以降は1/50が標準となっている、との事である。かなり珍しいもののようで、連絡した甲斐があった。
 確かに、同じファイルの中の別の図面は、五拾分之壱であった。 


 

2014年12月15日

シザーズ・クロッシング

scissors crossing この分岐はOJゲージである。相対する分岐がイコライズされていて、リンク機構で見事に切り替わる。
 リンクは実物を縮小したもので、ややこしい形をしているが、実に手際よく作られている。

links 拡大するとこんな形である。この形は最近はあまり見なくなった。昔は主要駅の構内には必ずあった。


 このシザーズ・クロッシングが何のために作られたのかは、はっきりしない。これほど精魂込めて作られたものなのに、クラブ員の誰も、その存在を知らなかった。
 博物館に来た時は埃だらけだったので、よほど古いもので、Sゲージではないかとさえ思われていた。丁寧に埃を取ると、プラスティック枕木を使用してあることが分かり、シノハラのSゲージ用フレクシブル・トラックから作られていることが判明した。

 剛氏の細密工作が施された瀬戸電の一群を運転するためだろうか。それにしては分岐の番手が大き過ぎる。開館後に、訪問者による解明がなされることを期待する。

 
  



2014年11月29日

TMSの誤記

TMS Mistake 少しだけ図書の整理をした。あまりにもたくさんあるので、全体が完了するのは1年以上掛かるだろう。雑誌の整理をしてあげるという方もいらっしゃるので、その方にお任せすることになりそうだ。

 土屋氏から来たTMSを並べているうちに、1994年の12月号が無いことに気が付いた。10月号は2つある。中身は違う。疲れていたので、頭がおかしくなったのではないかとさえ思ったが、何度か見て、12月号を10月号と誤記したのだと気が付いた。

 この頃は、筆者は自宅の建設に勤しんでいて、模型工作を全くしていなかった。要するに1:1のストラクチュアを作っていた。アメリカからキットを買って、大工を呼び、住めるところまで作ってもらった。内装、外構、地下室は自分でやったのだ。約二年かかって一応の完成と言えるようになった時期が95年の春である。
 このあたりの号には、伊藤剛氏の”平田町(へいでんちょう)界隈”という面白い随筆調の連載記事が載っていて、後でコピィは戴いたが、表紙は全く見てなかった。

 誤記のすぐ次の号で、編集者の手帳に誤記を詫びる文が載っている。他にも写真の日付の間違い等、些細なミスを詫びて訂正している。山崎氏には意外と律儀なところもある。
 誤記訂正の載っている雑誌は信頼性が高いということを認識していたのであろう。

 それに引き換え、最近のTMSはひどい。例の”パイクは卑称”というとんでもない話は、訂正された気配はない。その筆者は、まさにこのころ入社していると編集者の手帖に紹介がある。

 訂正のない雑誌は、それが自分の首を絞めていることに気が付くべきだ。

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2014年11月23日

博物館工事進行状況 2

 博物館の箱に相当する部分は、ほぼ完成した。いま外装を少し手直ししているが、さほど変化はないだろう。
 古い建物なので多少の雨漏りもあったが、雨の日に探りを入れて少しずつ直していった。現在のところ完璧に直り、じめじめした部分はなくなった。電気配線を変更し、子メータを付けて、母屋の電気回路から分岐させた。
 新しい省エネ型エアコンの性能は凄まじく良い。母屋のエアコンも同時に取り替えたのだが、今まで小さいのが1台しかなかったところを3台にした。出力で言うと6倍になったのだが、実測した電力量は1.4倍であった。効率は3倍程度に上がったのだろう。もっとも、古いのは40年前のものであるから、比較の対象にはなりにくいが。

古い雑誌 (2) 少しずつ、伊藤剛氏の蔵書整理に手を付け始めた。当然のことながらTMSは初号からある。それ以前の科学と模型模型鉄道などの雑誌はバラけてしまったものもあり、うかつに手を付けると後で苦労することになる。そのままの状態でポリ袋に入れて整理棚に入れた。
 このようなものは箱に入れると訳が分からなくなるので、引出しのたくさんついた棚が適する。すでに48の引出しの付いた整理棚が一杯になった。
 ただし、このTMSの初号は本物ではない。のちに発行された”総集編”のようなものである。本物はどこかにあるはずだ。

古い雑誌 剛氏の筆跡で「てもしゅ」とある。これはつどうけいしゅみのことである。一時期のNMRCの機関誌「ヤード」上では、「てもしゅ」と「なもてく」がよく出てきた。もちろん、なもてくとは、名古屋模型鉄道クラブのことである。情報としては知っていたが、モノを見たのは初めてで、驚いた。
 中央の表紙の人は若き頃の酒井喜房氏である。

shelves 書棚の棚板は、暗いグレイである。床が完成しているので、養生シートを敷いて塗った時の様子である。この塗料は油性である。水性塗料は書棚には適さない。昔と比べて多少の進歩はあるが、本を置くと、時間が経てば粘り付く恐れがある。
 今回は塗料屋と相談して、もっとも塗膜が硬くなるタイプを選び、さらにつや消し剤を添加したので、まず絶対に粘りつくことはない。

2014年10月28日

「模型鉄道」か「鉄道模型」か

 先日、横浜でKKCの会合があり、友人と懇談した。館名についてはたくさんの質問があり、模型鉄道鉄道模型の違いについての話題は尽きなかった。

 30年ほど前、伊藤剛氏はこのようなことを言われた。
「『模型船舶』は動力で走るのでしょう。でも『船舶模型』は博物館にあるような動かない模型でしょうな。『模型飛行機』と聞けば、飛ぶだろうなと思う。でも『飛行機模型』と言えば、それは多分ソリッドモデルです。」
 大変説得力のある言葉で、反論できなかった。

 『鉄道模型』は戦後の言葉で、戦前は『模型鉄道』と云う言葉が主流だったようである。小さくても鉄道としての機能が見えることが重要視されたのである。
 戦後すぐ発足した名古屋模型鉄道クラブの名にも、それがうかがえる*。
「とにかく走らなければ認めてもらえないので、大変でしたよ。」と言うのは、元会員の言葉である。すでに故人となられた方だが、剛氏たちに叱咤激励されて、ポイントをひっ掛からずに渡るようにするのが大変であったという話を聞いたことがある。
 
 そういう意味では、戦後発刊された「鉄道模型趣味」と云う名の雑誌は、斬新な感じがしたという。

 我々は戦後生まれなので、鉄道模型と云う言葉に対する違和感はない。しかし今回、剛氏の書かれた文章を繙くうちに、模型鉄道と云う言葉を使わなければ、氏の哲学が伝わらないと判断した。

 KKCの会合で、平岡氏による講演があって、大変勉強になった。Model Engineerの心構えから始まって、ネジの立て方の「常識」も伝授して戴いたが、その内容は意外なものであった。 

 *名古屋鉄道模型クラブであると、名古屋鉄道社内の模型クラブであると思われるからだ、と云う説も昔のTMSに載っていたが、真偽のほどはわからぬ。 

2014年10月26日

館名

 博物館の名前について、議論百出で、大量のコメントとメイルを戴いている。発表不可とあるものは、公表していないが、皆さんの期待が高まっていることを感じる。

 館名には模型鉄道という言葉を入れたい。この言葉は伊藤剛氏のこだわりである。
「『鉄道模型』はただ小さくしただけですけど、『模型鉄道』は少し違うのですよ。小さくすると本物の理屈が通用しなくなってきますから、工夫がいるのです。その工夫によって小さな模型が、本物のように走るようにするわけです。
 慣性を大きくしないと動きがぎこちないですし、堅い線路を堅い車輌が通るので、実物のような構造では脱線してしまいます。急カーヴも通さねばなりませんしね。模型と実物は違うのですよ。」
 お会いするたびに、『模型鉄道』という言葉への思いを、語られた。
 
 小さいけれど本物のような動きをする模型を作るというのが剛氏の主張である。ただ細かくできているというのでは意味がないということを仰るのである。剛氏の本物の知識は凄まじい。本職だから当たり前なのだが、その奥にある根本原理の追求は常人の及ぶところではない。

 幸い筆者は剛氏と親しくお付き合い戴き、等角逆捻り機構については、考えうるすべてのパターンを製作するチャンスに恵まれた。その結果、剛氏から、これがベストとのお墨付きを戴いている。

 この博物館の売りは、剛氏の作品コレクションと祖父江氏の改造による、類稀なる静粛性を持ち、高効率の走行を誇る機関車である。耐久性を持つから、走らせてもへたらない。普通の模型を30分連続で走らせると、ギヤが擦り減ってしまうそうだ。重負荷であれば、もっと早く壊れてしまうだろう。この博物館では毎日、連続運転をする予定である。その点だけでも、見る価値はあると思う。

 場所は完成までは非公表である。というのは、セキュリティの問題が解決していないからである。完全な防犯装置が稼働するまでは、発表できない。大切な模型をお預かりしているので、その点だけは失敗しないようにしたい。

2014年10月24日

続 レイルジープ

 レイルジープがTMSに載ったのは、1953年11月号である。
 その記事は、名古屋で開かれた作品展示会の様子を伝えるもので、6ページ中の1枚の写真である。詳しいことは発表されていない。
 再録すると、

レールジープ    伊藤剛
 カメと云う名のゲテモノ。模型のパーツは車輪くらいのもの、あとはガラクタを利用した。

 写真の照明は横からしか当たっておらず、陰影が強く、不気味な雰囲気である。

 記事中に触れられている部分を書き出すと、
「俗称カメと云う人気者。ケッタイなと云うか、イタズラ車輛の一つ。教材用みたいなブリキの自作モーターが中央にデンと収まり、車の外に付いた画鋲製プーリーに包装用の輪ゴムをひっかけて伝動する。屋根はキャンバス張りと書けば体裁がいいけれど、南京袋のテントみたいなもの。やたらにライトが並んでいて、タイフォンに見えるがこれがみんなボタン、バッファーはターミナルから削り、孔にシューを差し込んでバッファーの先を廻せば、中央式でも外側式でも好みのシューが取付く。恐れ入った代物である。」


 その後、伊藤剛氏がパキスタンに出張されていたころ、「パキスタン便り」という記事が2回連載され(1955年11月号、1956年1月号)、その中にもレールジープが出てくる。ただしそれは、インスペクション・カーである。6人乗りの車輌で、車庫にあったのを名刺の裏にスケッチし、ホテルで拡大模写したものである。
 そのいきさつが面白い。スケッチブックを広げると、周りの人が興味を持って覗きこむので描きにくいのだ。だから何をしているかわからぬように、名刺の裏に描きこむのだそうだ。

 名古屋模型鉄道クラブでは、この車輌のことを「カメノコ」と呼ぶ。なんとなく「亀の子だわし」に似ているからだろう。

 レールジープというのはTMS側の命名であろうという意見が多い。ご本人は名前は付けなかったそうである。 


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2014年10月22日

レイルジープ

rail jeep レイルジープに関する質問が多いので、より細かい写真を見てみよう。

 モータは、自作である。界磁は2 mm厚ほどの鉄板で、屋根裏を通っている。界磁コイルは二つである。電機子は3極でベルト駆動だ。2軸のうち、片方しか伝動していない。床板は木製である。

rail jeep 3 バッファが付いているということは、アメリカ型ではない。ホーンらしきものは両端にある。パキスタンに出張されていた時の、その辺りで見た何かをモチーフにしたものでもない。
 生前、このレイルジープについてお聞きしたことがあるが、
「いや単なる遊びで深い意味はないです。」
とのことであった。

rail jeep 2 運転席には何かの運転装置らしきものも見える。輪ゴムが融けていて、それを削り落した跡がある。おそらく何十年も放置されていて、それを動かすためにこのような応急措置のベルトを掛けたのであろう。
 意味がよくわからぬが、造形が面白い。集電は良かったようだ。

 Hand Car 手漕ぎ車もあった。これは車輪がゴムで、電気はレイルからコレクタ・シュウで取る。

Gandy DancersCollector Shoes 単純なつくりだが、設計時にリンク機構に工夫をされたことが分かる。また、最終的にリンクの長さを微調整している。再度、その部分は作り替える予定であったろうと推測する。
 

2014年10月18日

続 伊藤剛氏の作品

 先回の写真では写りが悪すぎるので、多少は良い写真を探した。
 例のコンピュータ動作不良事件で、どこかに入ってしまったものを探し出した。

2 これはシンデレラのカボチャの馬車である。何もかも自作である。馬はとても重い。ハンダの塊である。馬の脚の形は原形を留めているかどうかは不明である。銅線なので曲がり易い。
 カボチャの馬車の先端のとがった部品は注射針の根元の部分である。車輪はアニメイションにあったような一本スポークである。これをスポークというのかどうかはわからないが…。

3 レイルジープというのはこの二段目の左から二つ目の車輌である。天井は本当に布製で、当時の姿のままである。ただ、ゴムベルトは切れていて、応急のベルトでつないである。三点支持になっている。
 三点支持は剛氏によるTMS記事があり、走る方向によって、車体に与える影響が異なることが明記されている。その号以来、幾多の三点支持の記事が載ったが、ロンビック・イコライザが発表されるまで、等方性についての記述を見たことがないのは悲しい。編集者自身が工作をせず、また、工学的な解析能力に欠けていたのは残念であった。

 その他いくつかの作品があるが、棚板の数が確定していないので、作品をいくつ並べられるかが不明である。あまり出すと次の仕事に差し支えるので、梱包をほどくのはこれぐらいにしている。

 ガラス棚の棚受けの数を増やせば、棚が増える。厚いガラス板はかなり余分にあるので、それを切って有効利用したい。
 知り合いのガラス屋に切断と研磨を頼もうとしたら、
「もうその道具を始末してしまった。外注に出すと、新しいガラスを買うのと価格は変わらない。」
と言うので、自分で切断と研磨をすることにした。
 学生時代にやったことがあるから、少しやれば勘が取り戻せると思う。

 壁に付ける薄い棚の設計をしている。スパンが大きく、撓みを小さくしようと思うと鉄骨を熔接して作ることになる。目の高さに編成を並べられるようにしたい。


2014年10月16日

伊藤剛氏の作品

伊藤 剛氏の作品 伊藤剛氏の作品を取り出しても、そのまま箱に戻すと擦れて傷んでしまう。せっかくガラス製のショウケースが使えるようになったので、仮にではあるが入れてみた。

 有名な作品がズラリと並ぶと圧巻である。中でも有名なSnow White とかCinderella, Old Black Joe などは、すでに車齢60年を超え、風格以上の何かがある。神々しいという言葉が適するのかわからないが、このような模型を板から作りだされた能力には驚きを禁じ得ない。
 
 70年前のNMRC発足時に製作された片渡りのポイントは外側三線式で、二つの尖端レイルの組が、イコライザを用いたリンクで連動する。片方が所定の位置に来ると、他方が動いて完全に密着する。本物では当たり前であるが、模型でこれを実現している人は少ない。

 写真でしか見たことがなかったが、レイルジープという車輌は、実に面白い造形である。2軸車であるから、集電を良くするために懸架装置を工夫してある。

 1948年に製作された自動操縦自動車の現物もある。おもちゃの自動車に入るモータを自作されたのだが、屋根の鉄板が界磁の磁気回路を短絡してしまうので、屋根、ドアをブラス板で作り直したという力作である。
 懸架装置、操舵装置、駆動装置の滑らかな動きにはうっとりしてしまう。これはガイドレイルで誘導されるが、自在に誘導できる方式も編み出されて、それは特許を取得されたはずである。その書類が出てこないか、楽しみにしている。

 折り畳み式貨車の編成もある。簡単な工夫でスケール車輌が1/3の体積に畳める。これは塗料がぼろぼろで、1輌だけオリジナルを残し、残りは塗り替えて走行させたいと思っている。

 ところで、博物館の名前については、ずいぶん頭を悩ましている。当初は土屋記念模型鉄道博物館のつもりであったが、土屋氏は反対であった。
「地名を付けてはどうか。」
ということであったが、あまり有名でない地名では、却って混乱を招くような気がしていた。

 土屋氏も賛同された伊藤剛模型鉄道博物館の方が、良いのかもしれないと思い始めた。
 まだ正式決定していないので、ご意見を頂けると嬉しい。匿名希望の方は、コメントにその旨お書き下されば、公表しない。

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2007年09月18日

Kadeeの紹介記事

Kadee紹介記事 ケイディの紹介記事としては最初の記事がこれである。伊藤剛氏による1953年1月16日発行の"Yard"誌69号に載せられた解説記事である。

 ナックルの開閉中心が中心軸上にあるので、引っ張っても外れない理屈を示している。また開放時には、ダイヤモンド型ランプを持ち上げる方式であったことと、ナックル(肘という専門語を用いている)を閉めるバネが現在のものとは全く違う方式をとっていることが分かる。

 カプラの根元にあるバネは左右の首振りに対する復元力を与える。テストでは左右に1/8"の振れがあっても確実に連結し、今までにテストしたものの中で最良のものという褒められ方をしている、とある。

 この記事の最後には、「Kadeeの成功した理由は、バネ入りナックルを使い、全ての操作を積極的に力を使用した点にある」とまとめてある。


 伊藤剛氏のお話では、「現物を見たわけではなく、MRの記事を見て解説を付け加えただけのこと」とおっしゃるが、素晴らしい解説である。力学的考察も加えられていて分かりやすい。

 このころのTMSに、どのくらい伊藤剛氏のお名前が出てくるか数えられた方がいるらしい。二位以下を引き離してダントツの一位であったそうだ。

 昭和20年代はマグネット・モータがほとんどなく、交流による直巻電動機の自動逆転方式の改良記事が目白押しである。そのような時代に、DU(ディレイド・アンカプリング)を含めた運転本位の記事が目立つのはさすがである。

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