電車

2015年09月18日

Salt Lake City から西へ

Trolley Square ソルト・レーク・シティでは友人を訪ねた。Trolly Squareの景気が良くないという話を聞いた。このショッピング・モールは30年ほど前に開業し、栄華を極めたのだが、ここ数年は撤退する店が続出している。半分も埋まっていない。最近、Whole Foods Marketという大きく、やや高級なスーパ・マーケットが入って多少は持ち直したが、まだ寂しい。
 元は市電の車庫であった。バスの車庫になっていたのに手を加えてショッピング・モールにしたのだ。ミッション・スタイル風の古風な建物だ。
 113_3430その一角にこのような模型があった。本当はすべての線路がつながっている筈なのだが、面倒でやめてしまったのだろう。
 当時はここからオグデンまでの電車があった。市内には架空線の鉄塔が所々に残っている。現在は新しいライトレイルが市内から郊外へと走っている。


UP6699up6699 3 I-80を西に向かうと、元のウェスタンパシフィック線と並行する。現在はUPである。平坦線なので150輌もつないでいるが、機関車は少なく4輌だ。
 写真を撮って抜かれた後、また走って抜き返す。これを繰返した。機関士も、ホーンを鳴らしてくれるが、だんだん面倒になったらしく、短くしか鳴らさなくなった。
up6699 2 これはボンネヴィルのソルト・フラット辺りだ。この近くに例の平らな塩砂漠がある。
 


 


 

2013年11月30日

続 Salt Lake City の電車

Bingham UTA 南西の方に行くとBinghamがある。このあたりは昔はじゃがいも畑であった。何も無いので、ロケットを打ち上げに行ったことがある。固形燃料を使う三段式のもので、1000mも上がる。パラシュートで回収するのだが、ブースターはそのまま落下する。3人以上で行って、各段を回収する係を決めておかないと、いくえ不明になる。リンクは現在の小型の製品で、昔は大型の多段式があった。
 ちょうどその場所に電車の線路が敷かれ、分譲住宅が並んだ。背景に鉱山のズリの堆積が見える。
Bingham UTA2 この写真は東を見ている。ワサッチ山脈が見える。谷ごとにスキー場がたくさんある。こんな田舎まで都市化するとは、誰も思わなかったに違いない。
 昔のビンガムの町は既に消滅している。谷間にあって、雪崩や火事の心配がある街であった。1972年に町を解散し、麓の方にCoppertonとして再出発した。

 ビンガムの街並みが写っている映画を、arx氏から紹介戴いた。この10’30”あたりから、旧ビンガムの街の様子が映る。筆者は見たことがないが、話に聞いたとおりだ。
 鉱山にはズリ捨て列車が高いトレッスルを走り、穴はまだ浅い様子が見て取れる。電気機関車が横に張り出したビューゲル風の集電装置から、パンタグラフに切り替える瞬間など、珍しい場面の多い動画である。
 穴を深くするために、広げる様子もある。たくさんの穴を開けて、炸薬を仕掛け、一挙に崩している。当時はパワーショベルもまだ小さかった。6,7トンしか掬(すく)えなかったようだ。現在は一掬い150トンである。
 ズリを捨てる場所としてビンガムの谷は埋められてしまった。もちろんトレッスルは外された。

 7’16”にマウント・ティンパノガスが映る。インディアン語で、眠れるプリンセスだそうだ。ずいぶん体格の良いお姫様だ。谷を分け入ると、かなり大きな鍾乳洞がある。この山はワークスK氏のサイトにも写っている。

2013年11月28日

Salt Lake City の電車

salt-lake-trax-map ソルトレイク市に電車ができたのはここ15年ほどの間である。冬季オリンピックが開催されることになって、郊外と市内を結ぶ路線が出来た。この路線図はその時のものである。その後どんどん伸びて、最初の数倍の規模になった。ここここに2008年にワークスK氏と訪問した時の様子が紹介されている。ライトレイルの車両はドイツのジーメンス製である。

Salt-Lake-City-TRAX-MAX DRG&WがUPに吸収されたので、その線路を使うことができるようになった。最近はどんどん延長され、南はProvo、北はOgdenの先まで行けるようだ。南西にはBinghamまで行っている。たくさんの新興住宅地が沿線にできた。
 それにしてもこんなに路面電車が発達するとは、夢にも思わなかった。

 一番遅く完成したのは空港線である。今回はレンタカーが無い日があったので、市内にいるときは電車を利用し、レンタカーを借りに行く時に空港まで乗った。
 この地図のCentral Pointeというところから分岐するSugar House線が、あと数日で開通すると友人が知らせてきた。この線は昔の貨物線である。Sugar Houseというのは戦前にあったサトウキビからの製糖工場の跡地だ。ひなびた商店街があったが見事に一掃されて再開発された。そこの家具屋に週一回程度、貨車が配送されていた。全く保線されていないぐにゃぐにゃの線路を、UPのGP9が3両程度の貨車を牽いて、ゆっくり走るのを見た。凄まじい揺れ方で、脱線するのではないかと思ったほどだ。それが、筆者の等角逆ひねり機構の原点である。
 Salt Lake City International Airportへの乗り入れが完成したので、羽田空港の様に空港コンコースのど真ん中まで行っていると思ったら、ターミナルビルの一番端に乗り場があった。荷物が多い時は、かなり面倒だ。電車は2輌ひと組が2,3連つながって走っている。一度だけ4連を見たが、その後見ない。回送だったのかもしれない。

UTA1UTA3UTA2 昔はソルトレーク市内には網の目の様に電車が走っていた。その車庫を利用したショッピングモールが40年前に出来た。20年程は、とても繁盛していたが、先日行ったらかなり閑散としていた。空家も多く、知っている店が消えていたのは残念だった。

2013年08月08日

続々 Bingham Copper Mine

Kennecott この写真は数マイル離れて撮ったものである。矢印のあたりに穴がある。人類の掘った穴で世界最大と言う触れ込みである。左の明るい色の山は昔はなかった。この20年くらいの内に積み上げたものだろう。
 地形はどんどん変化する。この写真の鉄橋も70年代には、すでに無かった。この谷は埋められてしまったのだ。筆者が最初に行った40年前はこの谷を埋めてから間がないころで、「ここに橋があったんだ。」という説明を聞いて、なるほどと実感できる状況であった。
 25年前に行ったときはそんなことを考えることもできないほど積み上げられていた。谷全体が別の山に埋められたという状態であった。Visitor Centerに行く道も全く別のルートになっていた。

 掘り出される岩石の量たるや凄まじいものである。鉄道で積み出していた頃はおとなしいものであったが、ダンプ・トラックに変わると、そのスピードが格段に上がったように感じる。積み上げ方も雑に感じる。地山の勾配と、積み上げた岩石の勾配が同じというのはおかしい。積み上げたものが崩れない角度を「安息角」と言うらしいが、そんなに大きいわけないのだ。
 いくら地震が無く、雨の降らない地域とは言え、油断したのではないかと思う。

Tram from Airport S Binghamという地域は街の中心部から離れていて、やや異なる文化を持っていた。言葉も多少違い、いわゆる流れ者の末裔である。鉱山街特有の雰囲気であった。
 今回の訪問で気が付いたのは、街の中心まで一気に行ける電車の開通である。空港にも直接行ける線が開通したのである。
 
 ビンガムのあたりは鉱山以外には何もなく、延々と続くジャガイモ畑のみであった。そこによくロケットの打ち上げに行った。ロケットは最近日本にも輸入されている本物のような火薬式である。二段式であると1000m近く上がるので、市街地ではとても無理であった。懐かしい思い出であるが、現在はそのあたりは大きな住宅地になっていた。市内への通勤が出来るので、若い人たちが家を買うのである。

2013年02月26日

続 New Orleans へ

Street car in New Orleans4Street car in New Orleans5 どの写真も台車がはっきり写っていない。道路工事中で渋滞に引っ掛かって、イライラしながら窓から撮った写真である。軌間が広いので内側台車である。モータを収容するスペースは十分であろう。

Street car in New Orleans6 線路はこの通りにも入っていく。このあたりはこの町の一番の繁華街である。鋳鉄製の装飾の付いたバルコニィがある。きれいな通りなのだが、水害がしょっちゅう起こるので、一階にはあまりめぼしいものがない。

New Orleans この通りにはジャズの生演奏を聴かせる店がたくさんある。どの家も装飾付きバルコニィが飛び出しているのが特徴である。泥棒に入られやすいのではないかと心配した。


Hustler Shop その道では有名な男性誌の”Hustler"はこの州で生まれた。この町には直営の店がある。売っているものはきわどいものばかりであるが、女性客がたくさん入って品定めしているのには、少々驚いた。

2013年02月24日

New Orleans へ

113_6927 GM&O駅の裏はヤードになっている。昔は客車列車が進入してきたのだが、現在では廃車置き場になっている。この荷物車がちらりと見えた。Southern 鉄道の色だ。本物を見るのは初めてだ。かなり悲惨な状態だが、ありし日の様子を留めている。

 これを見て、一路西に向かった。New Orleansの発音が知りたかったのだ。昔読んだヒルヤーという人の「世界をまわろう」という本には、ニューオーリーンズという発音とニューオーリヤンズという二つの発音があると書いてあった。50年以上前のことであるがはっきり覚えていて、確かめたかった。
 聞いたところでは後者が圧倒的に多い。ラジオでは前者もある。早口ではヌリャンズとも聞こえる。文字通り「新しいオルレアン」で、フランスの地名である。
Street Car in New Orleans この町には市電がある。その軌間はこれまた広く1588 mm もある。5ft 2-1/2インチである。車体の幅に近いので、とても転びそうもない感じがする。この軌間をPennsylvania Trolley Gaugeという。この写真はWikipediaからお借りしている。


Street car in New Orleans2Street car in New Orleans3 これらは筆者が撮ったが、暗くてうまく撮れなかった。感度を6400まで上げている。軌間が広いので台車は内側台車である。
 この地は水害が多いので、地下鉄は作れないから市電が健在なのである。一般家屋も地下室の建設は禁止されている。
Desireジャンバラヤ 昔一世を風靡したマーロンブランドの「欲望という名の電車」”A Srteetcar named Desire”で有名になったDesire通りに行くまでもなく、たまたま腹が減って入った店がDesireというレストランだった。
 ジャンバラヤを食べた。トマト風味のリゾットである。シーフードが入っていて、タバスコが効いているという感じだ。安くない。家で自分で作ろう。この緑のソースはハラペイニャという香りの高いトウガラシ抽出物で、タバスコより辛い。たくさん掛けて、口から火を噴いたら、冷たいビールを飲む。

2013年02月18日

等角逆捻り機構 総括

 長くなったので、このあたりで総括する。やや表現が硬いが、ご容赦願いたい。

ロンビックは等角逆捻(ひね)り機構の一つに過ぎない
 1996年に出羽文行氏により発表された時点においては、その理論的解明がなされていなかったので、これが唯一の解であると信じられていた。
 2009年に伊藤 剛氏により、交差フカひれ型イコライザが、等角逆捻り機構の他の解であることが示され、他にも解があることが示唆された。その一案として、歯車による方法も示されたが、バックラッシの大きさが、無視できないので、それは採用できなかった。
 他の方法はリンク機構によるもので、ガタを極力少なくすることで目的を達することが出来た。交差フカひれ型はそのリンク機構の一つの例である。

等角逆捻り機構は制御された2点支持である
 2軸台車を見れば分かるように、台車ボルスタは自由回転し、安定しない。それを台車の捻りに因っても動かない車軸中点に掛かる支えで固定すれば、転ばない。電車などはその2軸台車を2組持ち、互いに相手に乗り掛かっているので転ばない。

模型の車体は剛性が大きいので捩(ねじ)れない。すなわち等角逆捻(ひね)り機構が無いと、大きな捻りを逃がすことができない
セミトレーラのサスペンション この図に示すように、セミトレーラのトラクタ部分を外すとトレーラは傾く。これが傾かないようにするには同じ高さの台車が必要である。 しかしそれでは二つの台車は捩(ねじ)れないから不整地に置いた場合には、各車輪に掛かる重さが異なるはずだ。
 ところが現実にはトレーラは容易に捩られ、安定化する。一方模型は捩られにくいので、何らかの機構で捩りを逃がし、しかも車体は台車の捩られた量の半分まで回転することが望ましい。
 実物の車輌は捩れやすい。先日近所で電車の脱線事故があった。砂利に乗り上げた車体は見事に捩れ、ドアが開かなかった。

イコライザは仕事をしてはならない
 台車の捻りに因って車体が所定の角度捻られても、その結果車体の重心が上下することがあってはならない。また、イコライザ自身が上下することに因って仕事をすることがあってはならない。
 ある程度の質量を持つイコライザの上下による仕事をキャンセルするためには、カウンタ・バランスあるいはバネによる補償機構が必要である。(ここで述べる「仕事」とは、物理的な仕事のことである。)
 

2012年08月04日

Washington DC の地下鉄

 ワシントンDCの市内に行くのも24年ぶりである。筆者はNYの空港のあの混雑が嫌いなので、Washinton Dulles 空港に着陸した。スミソニアンを見学してからNYに行こうというわけだ。
 70年代後半に地下鉄の建設が始まった。今回は中心部から少し離れたところで、地下鉄のすぐ近くのホテルに滞在した。安い部屋で、しかも駐車場が無料であった。東部の大都市ではアメリカといえどもホテルで駐車料金を請求されることが普通だ。その料金も一泊で20ドルから35ドルもするから驚く。

712_5187-2 ワシントンの地下鉄は深い。核攻撃を受けた時にはシェルタとしても機能するようになっているという説がある。このエスカレータの角度と長さには驚いた。この写真は1/3程度降りたところから撮っているが、この程度だ。例に依ってガタガタうるさい機械であるが、故障しにく構造になっているのだろう。止まっているのをまず見ない。

712_5188-2712_5189 このプラットフォームのアレンジメントには驚いた。
上下線の高さを変えて、利用者の進入路の高さを片方にそろえてある。このような配置は日本では見たことが無い。もしあればお知らせ願いたい。
 地下鉄は線路の高さは自由に選べるのでこのような形にしても、何ら問題はない。駅は全てこのような大断面であるが、シールド工法で掘ったようにも見えない。各セグメント(四角のコンクリートブロック)には組み立てネジが無いからだ。照明は間接光を用いていて、照度はかなり低い。
712_5221 隣の駅も同じ構造であったが、日本でごく普通にある対面式のプラットフォームの構造の駅もある。 
 夏休みなので、家族連れでワシントン見学に来た人たちが多い。
 駅で記念撮影している。車内でも同様である。降りるとき、ドアのところで嬉しそうに写している人たちが多い。この人たちの住んでいる街には電車が無いのだ。人生で最初の体験なのだろう。
 日本に来て初めて電車に乗ったという友人も多い。アメリカ人は、自動車と飛行機以外乗ったことが無い人たちがほとんどなのである。

2012年03月30日

続々々々 San Jose の電車

Unimog このような軌陸車になっているUNIMOGもいる。これも連結器が付けられていて、ある程度の牽引もこなせるが、先回のような高出力タイプではない。
ウニモグはダイムラ・ベンツの多機能作業車で、無車軸懸架装置を持っている。コイルスプリングの有効長が極端に長く、不整地を乗り越える能力の高い、最低地上高が極端に高い車である。日本にもかなりの数が輸入されている。
San Jose LRT車庫の中で撮った三連接車である。これが標準ユニットで、平日は2ユニットがつながる。中央の短い部分が無車軸台車である。
 この部分には自転車を載せるようになっている。片側面に自転車を吊り、反対側に座れるようになっているのだ。

San Jose LRT Crossingホテルの窓から見た景色である。この日は珍しく雨であった。





Express これは一部の急行区間専用の塗り分けである。おそらく塗装ではなく、フィルムを貼っているのではないかと思われる。 

2012年03月28日

続々々 San Jose の電車

OSW_3685 sOSW_3687 sOSW_3689 s ちょうどこの電車の修理が始まったところで、うまく写真が撮れた。今回はトラックとぶつかったそうである。年に数回この種の事故があり、昨年は2人死んだそうだ。もちろん自動車側である。
「どちらに非があったか?」と聞くと、「100%自動車の方である。」と答えた。今まで電車の方に非があったことはないそうだ。原因は携帯電話らしい。こんな大きな電車が目に入らないはずはないのにぶつかって来ると言う。

 脱線したらどうするのかと聞くと、車庫の裏に止めてある復旧用トラックを見せてくれた。ウィンチと小さなクレーンが付いていて、どんな状態においても復線し、牽引して帰ることができるそうだ。
OSW_3707 sOSW_3706 sOSW_3709 s 





 この大型トラックには軌陸車になっていて線路上も走れる。連結器が付いているから押すのも引くのも簡単である。
 
OSW_3717 s ブレーキは車輪横のディスクブレーキ以外に、このレイルを直接こするブレーキもあり、これは非常用ではない。普段の走行時にも軽く作動しているそうだ。もちろん非常時には強く作動し、急停車できる。

2012年03月26日

続々 San Joseの電車

OSW_3673 sOSW_3691 s ごろごろと転がされてきた台車はここで向きを変え、切削機の方に向かう。
 切削機はセンタで押している。センタ穴はゴミが付いていると心が狂うので、普段はプラスティックのキャップをはめてある。

OSW_3675 sCIMG3140 sCIMG3113 タイヤを外すとこのようになっている。タイヤの内側には溝があり、これらのゴム片が支えている。ゴムは電気を通さないからタイヤと輪心の間には撓んだ導線が複数あり、それらが電流を通じる。ゴムが一体型だと体積の変動が無いので効果は少ないだろうから、この設計が唯一の方法なのだろう。

OSW_3676 s 整備の終わった動力台車はここに保管する。この後ブレーキの整備に廻す。緑の札は車輪の切削が終わった印である。



OSW_3679 sOSW_3681 s これは低床型の中間台車である。車軸はなく、その部分に通路を作ることができる。これは標準軌だからこそできることであり、1067mmではおそらく狭すぎるであろう。軸の緩衝はいわゆる
Chevron Rubberである。鉄板を挟んで加硫した緩衝材で、ここでは剪断力を利用している。ブレーキは車輪の外にある。

OSW_3678 s この軸とは言えない部分であるが車輪を切削するときはこうする。箱型のジグの中に入れて削っている。そうしないとセンタで押せない。いわゆるセンタレスの切削機だとこの手間が要らなくなる。

2012年03月24日

続 San Jose の電車

OSW_3656 sOSW_3665 sOSW_3663 s これらの写真は屋根の高さの作業通路から撮っている。架線には通電中(Hot)であるから、身を乗り出すことは禁止だ。全て手摺の内側からの撮影を申し渡された。連接部の中間車輌にはパンタグラフが載っている。そのわきにあるロッドは、中間車輌が曲線上で接線方向を向くように誘導するためのものだ。
 この部分には、走行中間断なく、かなり強い力が掛かる。そのため、屋根板に亀裂が入り、切りとって厚い板を張り付けたと言っていた。よく見ると補修跡が見える。

OSW_3694 sOSW_3667 sOSW_3669 sOSW_3670 s




 台車を外して、車輪切削盤に廻すための通路である。小さなターンテイブルがあって、手で押していく。直角フログ部分のレイルは45度に切断して溶接してある。このような部分は速度が小さいので、そこまで拘る必要が無いのであるが、細かい細工がしてあって驚いた。

2012年03月10日

San Jose の電車

OSW_3589OSW_3653 現在San JoseはSilicon Valleyの中心都市である。このヴァリィという言葉であるが、峡谷と訳す人が多い。決して谷には見えない。要するに山脈と山脈の間のことであり、その距離が50 kmあってもValley なのだ。シリコンヴァリィの面積は関東平野と同等だ。そこにVTAという鉄道システムがある。

Santa Clara Valley Transportation Authorityの略である。これを渓谷鉄道と訳した本に良くお目に掛かるが、とんでもない誤訳である。Santa Claraは、もともとこの地方の郡の名前であった。San Jose が急速に成長してそちらが有名になり、お株を奪われた形である。 この郡の中にはいくつかの都市がある。現在サンタクララ市は、高級住宅地である。

 さてこれらの街を市電が結び、それは郊外では高速電車となる。その車輌はLRV(Light Rail Vehecle)と呼ばれて、重軌条の上を走る貨物列車や旅客列車とは規格が違う。もちろん線路規格も違う。
 LRTというのはLight Rail Transitであって、鉄道システムを指す言葉である。

OSW_3655 今回この街を訪れたのは、近畿車両が100両ほど納品したので、そのコネクションをたどって車両基地を見せてもらうことにしたのだ。部外者に交通機関の中枢部を見せるということは、例のテロ以降、極めてまれなことであり、ありがたく見せてもらった。
 入口の守衛は我々が行くことを良く知っていたので、支障なく入れた。この車庫は空港のすぐ脇にある。

2012年03月04日

San Francisco へ

Portland LRTPortland LRT 2Portland LRT 3 Larryの事務所を出て、車を持ってくるまでの間に電車がやってきた。専用軌道と自動車の一方通行が重なっていて、慣れていないと車の運転は難しそうだ。
 低床車と高床車とが組み合わさってくる。これは連接車である。タイヤと車輪の間にゴムがはさんであって、音はとても静かである。低床車の連接台車は無動力であって車軸もない。左右の車輪が別回転するようになっている。要するに車輪の間を人が歩くようになっている。標準軌だからこそできる設計である。この写真はいずれお見せする。

OSW_3502 空港で飛行機を待っていると、隣のゲートで放送があった。
「ただ今到着の飛行機には退役軍人が乗っています。皆さんこぞって御迎えをお願いします!」
この放送を聞くのは久しぶりだ。筆者の世代はベトナム戦争の時代にアメリカに居たので、当時はよくこのような場面に遭遇した。反戦運動のリーダ達が来て、「人殺し!」などと叫ぶものだから、警察とよく小競り合いがあった。
危ない目に遭い負傷して帰国したのに、罵声を浴びせられて精神状態がおかしくなった友人もいた。

 今回は、そのあたりに集まった人が温かい拍手を浴びせ、穏やかな帰国であった。兵士にはマイノリティが多いということを改めて知った。貧困層からの兵役志願者が多くなるのである。ベトナム戦争のときは徴兵もあったので、知り合いも何人か行った。

OSW_3509 水平飛行が終わり、降下を開始するとGolden Gate Bridgeが見えた。この角度の俯瞰は初めてである。手前のとがった岬の頂上には1942年に作られた巨大な砲台がある。真珠湾攻撃の後、ヤマモトの艦隊がサンフランシスコを強襲する可能性があるということで急遽作られた砲台である。弾薬庫とか、観的哨も当時のままにある。12インチ艦砲を据えた砲台が二つあった。もちろん既に砲は外されている。
 ここに内野日出男氏をご案内したとき、ずいぶん興奮されていたのを思い出す。対岸には6インチの砲座がまだ何箇所かある。このように湾の入口に向かい合って存在する砲台をBattery という。この言葉はのちに、電解液に差し込まれた二つの電極を意味するようになり、電池という言葉になった。ニューヨークにもバッテリィ・パークがあるが、地図を見ればその語源を知ることができる。そう言えば、野球の投手と捕手の組もバッテリィという。

 ともあれ冷静に考えてみれば、大日本帝国海軍の艦隊にはそれほどの航続距離もなかった。石油もなかったのだ。油槽船すら、ろくになかった。
 しかし40年前、筆者はサンフランシスコの人達に聞いたことを思い出す。
「本当に怖かった。燈火管制が敷かれて、町が真っ暗だった。ヤマモトは絶対やってくると思った。」と言ったのだ。

OSW_3510 二機同時着陸をした。このような場面はよくあるのだが、写真を撮ったのは初めてだ。
 冬に雨の多いオレゴン州から、乾いたカリフォルニアに来た。西岸海洋性気候からステップ気候への変化である。

2012年02月29日

続 PortlandのLRT 

OSW_3415 Portlandには、人口比でアメリカ最多のストリップ劇場があるそうだ。この町は表現の自由を最大限に保障することで有名な街だからだ。Larryはそんなことは当たり前だと言う。「よそが間違っている。」
 今回は忙しくて見学するチャンスが無かったが、興味深い話であった。新聞の中にもこの種の広告が多い。
 春先には裸で自転車に乗る催しがあるそうだ。この街では、下らないことに公権力が介入すべきではないという考え方が強いのだ。

OSW_3468OSW_3464 ポートランドは大陸横断鉄道の起点の一つである。ここからUPに乗ればオマハを経由してシカゴ、ニューヨークに行けた。
 中央駅にはAmtrakが停まっていた。この駅は大きい。また、とてもきれいである。電車はこの駅の前にも来ている。この駅とSteel Bridgeとの距離は600 mほどである。

OSW_3477OSW_3476 電車はアメリカ製であった。低床車と高床車が組み合わさっている。低床でなければ乗れない人は比率としては少ないので、全部を低床にする必要はない。健常者は段を上って座ればよいという考え方だ。
 我々が興味があったのは自転車の処理だ。自転車を持ち込んだ後どうするかだが、非常に単純明快な解決法であった。吊り下げればよいのである。後ろのタイヤはこの黒い溝に入れる。

OSW_3479 車椅子の人が介助犬を連れて乗ってきた。みな慣れたものである。車椅子で乗るときにはステップがせり出し、緩やかなスロープになる。



OSW_3462 歩道と車道の境目には盲人用の凸凹のタイルがある。その色は黄色ではない。日本の黄色はおかしいと同行の友人はかねてからそれを主張している。見えない人が黄色を認識できるわけはないのだから、黄色にして都市景観を損なうのはばかげているというのだ。

追記 黄色は弱視者のためのものであるということを複数の方から指摘されています。その件について検討後、当該個所を削除するか訂正します。
 反射率の高い白か、逆に反射率の低い物が良いのか、黄色以外の色に適するものが無いのか、客観的な資料を探しています。アメリカには黄色はほとんどなく、韓国、台湾には黄色が多いというのも不思議な話です。


2012年02月27日

Portland のLRT

OSW_3428 オレゴン州ポートランドは車が無くても生活できる街として知られる。そういう街はアメリカ中探しても数少ない。ボストン、ニューヨークそれとシアトルくらいしかない。しかしそのような大都市は地価が異常に高い。
 ポートランドはそれほどでもなく、市電が市街地を網の目のように走っていて、なおかつ町なかから空港まで、電車で行ける数少ない町である。この区間は片道2ドル40セントである。

 この街を見たいという政治家の友人の求めに応じて行ってみた。空港を出ると高速道路の中を走り、市街地まで20分である。大きな川を渡る橋は築101年のSteel Bridgeである。
 この川はWillamette川である。ウィラメットと言えばシェイのパテント切れを狙って参入してきたギヤード・ロコ製造会社の名前でもある。この街の川岸にあったはずである。
 今はあまり見ないが、昔はこのあたりには無数の製材会社があったのだ。

OSW_3440OSW_3448OSW_3450 この可動橋は上下二段で下はUPの本線、上はLRT
(Light Rail Transit)と自動車用である。下を船が通る時は20mほど持ち上がる。

 その部分で架線は当然切れている。多少剛性のある構造で重なるように飛び出しているのだ。
 橋の北には2万トンクラスの貨物船が穀物の積み込みをしている。たくさんこぼすので、水鳥たちがやってきてそれをついばむ。毎日食べきれないほどの餌を食っているのだから、みな丸々と太って飛べそうにない。

OSW_3456 この橋のたもとから、市内方面は電車の無料区間である。市中心部の駐車場を取り壊して電車をタダにするという思い切った施策で、自動車に依らない生活を実現した。中心部には駐車場を持たない高密度な集合住宅もある。

 ポートランドに行くことになったので、旧知の友人であるLarryに連絡を取った。彼は市内随一のLaw Firmを持ち、医療訴訟を専門としている。

Recent Comments
Archives
Recent TrackBacks
Categories
  • ライブドアブログ