博物館

2019年11月14日

再度 Four's a Crowd

619_1417619_1416 例の映画の話だ。伊藤剛氏から来た図書の整理をしている。”模型鐵道”は大半揃っているが、その中の16号に、”Four's a Crowd” を紹介する酒井喜房氏の解説があった。この映画については、以前ここで you tubeによるダイジェスト版を採り上げた。
 戦前の検閲の厳しい折に、裕福で自由なアメリカの生活を賛美するような映画が封切られたことには、驚きを禁じ得ない。部分的にカットされた状態での公開だったのかもしれない。 当時の字幕スーパーが見てみたいものだ。

 再度検索すると、驚いたことに全編を見られるウェブサイトが見つかった。しかも再生速度を遅くできるので、あの早口が聞き取り易い。

 この映画については400号あたりのミキストだったかで山崎氏が何か書いていたように記憶する。まだ探し出せていないが、手放しの褒めようであった。当時はこれを戦前に見た人が生き残っていた時代であるし、またそのような人が限られていたから、紹介記事を書けることが自慢であったのだろう。

 Four's Crowdの意味であるが、これは英語のことわざ(成句)にこんなのがあることから来ている。これは16世紀から使われている言い廻しだという。”Four’s” は ”Four is” の短縮形である。

 Two is a company. Three is a crowd.

 (恋仲の)二人はうまく行く。しかしそこに三人目が居ると、 意見が分かれてうまく行かない、という意味だ。似たような意味で、fifth wheel というのがある。車輪は四つで良いのに五つ目を付けると、とんでもないことになるわけだ。そういう意味では、大型トレーラのトラクタ後部に付いている回転部分を fifth wheel と言うが、それはこの言葉を知っている人が、わざと付けたのだろう。 


 そこでこの題名だが、四人だったら・・・という、茶化した題名である。
 日本での公開時に付けられた題は ”結婚スクラム” だったらしい。これまたわからない題名だ。本来なら “四人でしっちゃかめっちゃか” くらいが良いだろう。


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2019年11月02日

display layout

 このブログでは過去に何回かディスプレイ・レイアウト話題を出している。

 景色が付いているレイアウトのことをscenery layout 、走行を見せるレイアウトをdisplay layout と呼ぶ。わが国には前者をレイアウトと呼ぶことだけが紹介されてきた。後者の好例がペンシルヴェイニア州の友人宅にある。色は薄い白に近いグレイであった。

 そのレイアウトは 30 mx15 mほどあり、高架でのベント・ドッグボーンと平坦線の同様の線路があり、渡り線で行き来できた。一周10分弱掛かった。景色がないのは物足りないようにも思えたが、長い列車の走行を見ると満足できる。渡り線の操作で、上下を自由に走らせられるのも面白かった。
 
 シーナリィがないとは言え、築堤部分はそれなりの形をしている。トンネルもあるが、ストラクチュアがない。彼のレイアウトはよく整備されていて、いろいろな人が列車を持ち込んできて楽しむ。勾配があるので、動力機構を改良したものでないとモータが焼ける。

 貨車の車輪はLow-Dになったので、さらに長大な列車を牽けるようになった。土屋氏と訪ねたことがある。土屋氏はとても気に入ったようだ。そこでレイアウト高さの考察もした。
 彼らは背が高いので、テイブルの面は、52インチ(約1320 mm)もあった。高架部の最高地点は、64インチ(約1620mm)であった。15‰の長い勾配を
登って行く様子は、実に素晴らしかった。もちろんDCCでサウンド付きである。
 観客はストラクチュアのないことなど忘れている。 

 勾配、サウンド、長編成が、ここでの大切なポイントである。
 
 博物館の崖の完成した様子をお見せする。岩山に沿って線路を敷き、一部を崩してヤードを作ったという感じがするだろうか。
rock wall (2)rock wall (1)rock wall





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2019年10月27日

崖を塗る

trimmed rock wall 崖をグレイの油性塗料で塗る。毛の長い刷毛に塗料を含ませ、溝の中に入れる。多少の塗り残しはそのままにして、次の部分を塗る。細い刷毛に替えて、もう一度塗り直す。塗り残しを探して刷毛を奥まで入れる。時間が掛かった。這った姿勢であるから、かなり大変だ。

  ”ドリルと発破で修整した部分”は、縦にも刷毛を動かす必要がある。ドリルで掘ったように見えねばならない。
 塗料がかなり飛び散る。周りは、半径1.5 mほど古新聞で完全に覆ったので、飛散は完全に防げた。グレイに塗ると、全体が落ち着いて見える。

rock 次の区間は水平な地層で、仕事は単純である。あっという間に完成だ。この左の部分は擁壁になる。脆い岩山を崩し、擁壁で抑えて線路を通した想定になっている。そのように見えるようにしたつもりである。

retaining wall 擁壁はT氏に頼んで枠を厚紙からレーザで切り出して貰い、プラスティック板をレンガ風にエンボス(押出加工)したものを裏から貼った。曲線に馴染ませる必要がある。円錐台側面に貼る部分と直線部分、そしてその緩和部分があるから、かなり面倒である。この写真は仮置きの状態を写したものである。整列させてから写真を撮るべきであった。 
 色は、全体を今までと同じグレイにする。これは土屋氏からの指定事項だ。車輛以外には色があってはいけないということなのだ。


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2019年10月25日

続 崖を作る

 ただ天井材を積んだだけでは、隙間がたくさんある。そこに天井材のかけらを自然に見えるように詰め、ワイヤブラシでこすってなめらかにつなぐ。パテも少し詰めた。助っ人が来てくれたので、お手伝い戴いた。遠くから見て、修正箇所を教えて貰ったので、ほとんどの穴が塞がった。

Rock (1) 新聞紙、マスキングテープ、マスキングフィルムを使って、周りを養生し、ペンキが飛んでも問題ないようにする。そうして、天井に塗った白い水性塗料を塗る。毛の長いブラシを左右に刷毛を動かし、たっぷりと浸み込ませる。
 要するに、この塗料はプライマとして使っている。そうでないと、油性塗料がいくらでも浸み込んで仕舞う。また、水性塗料を浸み込ませるときに、刷毛の動きで、天井材のちくちくした断面が多少丸くなるので、風化したように見えて具合が良い。

 次の日の油性塗料を塗るための準備をした。他にもある塗らねばならないものを全て並べ、段取りを良くしておく。油性塗料は、缶の蓋を開けている時間をできる限り短くするべきである。酸素が入って反応すると、少々粘くなると同時に、固まりにくくなるからである。これは、部分的に重合し、硬化するのに必要な腕の数が減るからであろう。


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2019年10月23日

崖を作る

 崖を完成させることにした。天井材を割って貼り重ねた状態で、1年ほど放置してあった。残りの部分を完成させ、塗装する。岩は重なっているが、ある程度の傾斜を持っている。全体を通じて、その傾斜の辻妻が合わなければならない。

 要するに、大きな岩山があって、その岩を避けて線路が敷かれたことになっていなければならない。必要があってどうしても崩さなければならなかった部分は、それなりの形に修整する必要がある。そうすれば、全体を見た時に歴史的な変化が分かる。

 以前写真をお見せしたものは「背斜」の部分で、その続きが必要であった。傾斜は少しずつ緩やかになり、水平に近くなる。こうすれば、全体を見た時、自然な感じがするはずだ。

trimmed rock wall この部分はドリルで深く掘って、小規模な発破をかけ、崖の傾斜を垂直に近くしたものを模している。岩が堅ければ良いのだが、脆い場合は擁壁を作らねばならない。これは下塗りの状態である。 
 土木の専門家に聞くと、擁壁は垂直でも何ら問題ないのだが、少し角度を付けたほうが安定感があるとのことであった。80° 程度にした。

 擁壁のデザインはあちこち見たが、昔 New York州 Albany付近で見たものが気に入っていたので、それらしきものを作った。


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2019年06月16日

見学者

 先日、親戚の土木工学の専門家から、元同僚2人を連れて見に来たいという連絡を受けた。彼らは、定年まで海外でインフラ工事の監督をしていた人たちだ。
 3人とも鉄道模型にはあまり縁がないが、路盤の設計方針を確認したいという、非常に珍しい申し出であった。筆者にとっては、まさに卒業に当っての口頭試問であって、合格点をとれないと恥ずかしい。

 彼らの興味の対象は、縦曲線、緩和曲線、カントの緩和、曲線上の複線間隔などであった。曲線上で均一な勾配を作る方法も興味があった。

 現場を見せて、質問に答えた。ある程度は説明の図を用意していたので、それを見せれば、なるほどと納得してくれた。
 緩和曲線については直ぐ合格したが、縦曲線は引っ掛かった。筆者は二つの勾配が接するところの縦曲線は3次曲線になると信じていた。作図するとそうなるのでそれで良いと思っていたが、現実には円曲線を嵌め込むだけだそうだ。
 人間は縦方向の加速度変化に鈍感なのかと考えた。現実にはバネも入っているし、加速度の変化率は大きくないだろう。コメントに拠れば、大半径の円弧を入れれば問題ないらしい。

 彼らが1970年に就職した当時は、いつも7桁対数表を持って仕事をしていたが、いつの間にかコンピュータで処理するようになって、もう手計算は出来ないと言っていた。

 カントのある曲線の勾配部分の計算の話は、楽しそうに聞いてくれた。彼らは現場で物を作っているので、工場で作ったものをはめ込む作業とは異なる。だから面白がった。直線で構成された骨に路盤を張って均一な勾配にするのは、なかなか難しいという評価であった。シムを挟む計算法には驚いたようだ。

 レーザで水平を確保し、アラインメントを出す方法は、そりゃそうだろうという感じであった。この辺は本物の仕事をしている人の感覚だ。路盤の強度は、筆者が載った時に変位量3 mm以内という基準で作ったことを話すと、剛性が高いねとのことだった。

 結論としては「高得点で合格」だそうだ。こういう異業種の人と話すと面白い。博物館を開くと、時々こういう人が来てくれるのだろう。断片的につまみ食いした知識ではなく、中身まで詰まった議論は本当に面白いと感じた。

 最後に123輌を1輌の蒸気機関車で牽き出して、勾配を登って下った。まさかそんなことが出来るとは思わなかったらしく、彼らは非常に驚いた。坂の途中で電流を遮断すると、貨物列車がズルズルと滑り落ちていくのを面白がった。
 直ちに列車を引っ張り上げるのに必要な力を測定し、速度を掛けて、機関車に要求される出力を計算した。電流値を調べると効率が分かる。こういうことをあっという間に処理するのは凄い。
 機関車本体を手で押してほとんど抵抗なく動くのには、全員が非常に驚いた。押してやると、発電して前照灯がともるところを見せると仰天した。
 歯車について説明すると、現物を見せてくれという。組み掛けのギヤボックスを見せたら、これがウォームギヤとは信じがたいとのことであった。貨車のほとんどが金属製であることも意外だったようだ。

 摩擦の少ない被牽引車、効率の良い駆動装置、高トルクモータの組合せがこのような運転を可能にする。彼らはかなり満足して帰った。 

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2019年06月12日

筆者を取り巻く環境

 多くの友人、知人から、忠告、諫言を戴いている。
 どうしてこんな論争を始めるのか、いい加減にしないとブログの読者が減るぞとか、博物館の来訪者が減るぞ、というようなものが多い。

 このブログにはアフィリエイト広告は付けていない。読者が減っても全く構わないのだ。むしろ、こういう論争で読まなくなる方は、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いという客観性のない方だろうから、構わない。他所にない記事なら、読み続ける。評価が下がるぞ、とも言われたが、このブログはそういう評価とは無縁のところにあるはずだ。むしろアクセス数は以前より3倍ほどに増えているのが、興味深い。

 博物館についても、様々なご心配を戴いている。ただでさえ、手の故障で遅れていて、金利がかさむだろうなどと言われているが、建物、底地は現金で購入したから、僅かな固定資産税と電気代を払えば、運営できる。最近のLED化と高性能エアコンで、維持費は極端に安い。エアコンは除湿目的で24時間稼働だが、建物の断熱性が高いので助かる。当博物館は営利目的でないので、たとえ入場者ゼロでも問題ない。
 仕事はやめても、所得税を少し払うくらいの収入はあるので、もし赤字になれば納税額が減るだけのことだ。もともと国内の見学者は、あまりあてにしていない。アメリカからの見学希望者は多い。彼らを連れて、国内ツアを企画せねばならない。

 さて、筆者の方針として、「旗幟(きし)を鮮明にする」というのがある。ほとんどの日本人が不得意とするところだろう。筆者にとってはどうでも良いHO関連のゲージ論に顔を突っ込んだのは、黙っていられないところがあったからだ。
 この趣味を健全なものにしたい。不当な公報活動によって、物を知らない若年者層が洗脳されるのを防ぎたいという気持ちの表れだ。そうしないと、ただでさえ先細りなのに、ますます衰退してしまう。
 よくぞ言ってくれた、という激励をたくさん戴いている。筆者は知らなかったが、例の文はかねてより腹に据えかねた、という人が多かったらしい。

 2月にこのブログで規格に関する記事が始まってから、アクセスが極端に増えた。皆さんの興味が高まったのだ。
 規格制定についてのチャンスかも知れない。これについて、あるブログで重要な提言があった。お読みになると良い。

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2019年01月02日

謹賀新年

 また正月になってしまった。今年こそは開業するぞと張り切っても、何年もかかっている。先日来た友人は、
「ゼロから始めたにしては早いね。普通、レイアウト建設はもっと時間が掛るものだ。」
と言う。確かに最初のうちはとても進行速度が大きかった。だんだんと速度が低下している。やらねばならないことを一部先送りしてきたが、もうそういうわけにはいかない。

 あと、せねばならないことは、
 /号機
◆‥昭崑罎離灰鵐肇蹇璽
 レイアウト周囲に取り付ける有機ガラスのシールド
である。これらが完成すれば開業できる。

  については、現在鋭意工事中である。光検知システムのセンサの保護をする必要がある。ブラスのパイプを斜めに切って、赤外ビームの送受装置ホルダを作った。軽微な脱線で衝突しても何とか持つ程度の強度にしている。あまり頑丈にすると、二次被害が大きくなるからだ。
  はディジタルのコントロールの完成待ちである。もうすぐできるだろう。
  はかなり大変な作業である。アクリル板を取り付ける土台はようやく完成した。取り付け作業は3人がかりである。水平部分から勾配に差し掛かるところは微妙な調整が要り、その下準備だけでも大変だ。計算はしてあるが、大きなもので、さらに柔らかいものだから、どうやって保持して切り落とすかを考えねばならない。


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2018年12月05日

続々 ユニヴァーサル・ジョイントの問題

 もう一つ気になるのは「軸の曲がりの角度」で2軸が一直線なら不等速伝達は起こらない。(当たり前だが、それなら自在継手は要らない)。速度の変動率は軸の曲がり角度でも変化する。もしかするとオーバー修正などしないか?(図3)モーター軸より台車側の角度が大きいですね。そこで”ゴー式”珍案。モータも床板に載せず、反対側の台車に載せたらどうでしょうね。これなら両方の継手がほぼ同一角度に曲がりますよ(図4)。何、「床下器具がなぎ払われる?」私なら当たるほうの床下ユニットを、曲線外側にスライドさせて押し出してしまうんですけどねぇ。
universal joint 2
 

 そういえば、トラック(台車ではなく貨物自動車)の推進軸はスプラインで伸縮しているので、事故で外れたのを、よく知らぬ人が位相を考えずにはめ戻したところ、猛烈な振動で、2次事故を起こしてしまったなんて、戦時中よく聞きましたよ。
 ともかく、「中間軸のフォークエンドは、『同じ位相』でなければならない」というのを覚えていただいただけでも、性能が上がると思います。お試し下さい。

                              (2009.1.23)
 コメントを戴いている。二つのジョイントは完全に等角にならなくても、不等速は十分に打ち消されて、調子が良くなる。曲線の入り口に緩和曲線が使われている時は効果が顕著である。
 伊藤 剛氏のアイデアは筆者も使おうと思ったが、軸箱の上にモータが直接載ってしまうと、バネ下質量が大きくなる。さりとてモータを浮かせると、その部分が等速でなくなるので、諦めたことがある。
 天賞堂の模型には使われていたというのは、指摘されて思い出した。確かにそうである。1960年ころ”子供の科学”、”模型とラジオ”で見た覚えがある。当時としては、高級な伝導装置として紹介されていた。バネはない。お知らせ戴いたように、位相は見事に間違っている。大人になってから見て、こりゃ駄目だと思ったのは、そこだ。平ギヤが無潤滑でむき出しというのもアウトである。平ギヤはウォームの後に使うべきものであろうが、この場合は応用不可だ。


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2018年12月03日

続 ユニヴァーサル・ジョイントの問題

 この模型大学の記事は発表前に筆者のところにも送られてきた。
「dda40x君も登場するからね。」
ということであった。一部を紹介する。

UV joint by GO Ito
 Aのモーター軸からBの中間軸を廻し、さらにこの軸で動力を伝えるとしましょう(図1)。A軸は当然等速で廻ります。ところがB軸はこれを受け取って「不等速」で廻る。いわゆるビリビリ振動のようなことになります。それがさらに次の自在継手で同じ事をされて、C軸はビリビリがさらに増幅された形で廻りますから、大変に大きな音まですることになります。困りますね。どうしましょう。 
 簡単なことです。自在継手の付いた中間軸では、中間軸の両側にあるヨーク(二股)は、必ず同じ位相に揃えること(図2)。そうすれば、2つ目の継手は「不等速」運動を受け取って、不等速が発生した時の逆順で回転を伝達するから、C軸はモーターと同じ等速運動に戻るのです。中間軸は不等速のままですが、質量が小さいので振動してもほとんど気にならないでしょう。
 
 NMRC(名古屋模型鉄道クラブ)例会でD君
(dda40x) が、友人が「私の電車はカーブに入ると凄い音がするのだが・・・」というのを聞いて、「中間軸の位相を変えてごらん」とアドバイスしたところ、「まったく静かになった」と喜ばれたそうです。それ以来、私も大いに気にしています。
(引用続く) 

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2018年11月23日

線路を敷き替える

new track 線路の一部に古いものが使ってあった。それらは40年前に買ったもので、ブラスにニッケルめっきが掛けてある。滑面ではないので、走行音がひどい。ゴロゴロという感じであった。

 故ハーマンのところからもらった洋白のフレクシブル線路が潤沢にあったので、思い切って敷き替えることにした。外した線路はガラスケースの中の陳列用となる。

 フィーダ線を外し、枕木の下にナイフを挿して外す。長年の間には固着しているものもあったが、軽く振動を与えると取れた。新しい線路は曲線ゲージを嵌めて固定し、ゲージを抜き取る。完全に一定の曲率で敷けた。今までは先輪が左右に動くのが見えたが、全く動かなくなった。

 とても静かで気分が良い。レイルは ”weathered" と表記したものである。表面が化学処理をしてあって、黒褐色の被膜で覆われている。敷いたのちに軽く油目ヤスリを滑らせると上面が白く光る。掃除機をかけてから、列車を走らせると滑らかになる。あとでぼろ切れで磨いた。

 このレイルはハンダ付けをしようと思うと、そこだけヤスリで金属面を出す必要がある。面倒なようだが、大して変わりはない。普通のレイルであっても、磨いてからハンダ付けをするわけだから一緒である。

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2018年11月21日

路盤に縁を付ける

clamping edge 博物館の工事は少しずつ進行している。木工をしているが、接着剤が固まるのに丸一日掛かるので、進み方が遅くてやりきれない。

 線路が一応完成したので、観客が手を出せないように、透明で丈夫な囲いを付ける。プラスティックの業者と大体の話はつけてあるので、注文すれば所定の幅に切って届けてくれる。長さが 2 mもあるので、乗用車で運ぶのはやや難しい。

clamping edge2 そのプラスティック板を取り付けるには、甲板の合板の断面に穴をあけて付けるわけにはいかない。甲板の下に 30 mm角ほどの木材を付け、それにネジ留めするのが筋だ。角材を曲げるのは難しい。それならばと、15 mm合板を曲げてみたが、かなり大変だ。合板の構造を調べると 7-ply すなわち 7層でできている。上の1枚を切っただけでは難しいが2層まで切れ目を入れるとかなり楽に曲がる。半径 3,000 mmだから、何とかなることが分かった。

clamping 真下から見た様子である。手持ちのクランプ数十個を総動員して接着している。15 mm板を裏表貼り重ねて、30mmにする。外の板は榀(シナ)合板である。切れ目を互いに内側にして、接着した。クランプしておいて、接着剤が固まる前に、ある程度の数の木ネジを締めた。ズレ留めには必要である。おそらく接着剤の方がはるかによく効いて、ネジの意味はあまりないだろう。

 この作業を一人でやると、なかなか大変である。最適な手順を得るまでに、かなりの本数の作業を経験した。もう後 10 mくらいでできあがりだ。慣れた頃には終わりである。

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2018年07月14日

技術者T氏の来訪

 先日、技術者のT氏が見学に来て下さった。以前、等角逆捻り機構のまとめをして下さった工学エキスパートのT氏とは異なる別のT氏である。こちらのT氏は、貨物船のクレーン、冷凍機などの専門家であり、歴戦練磨の技術者で、いくつかのbreakthruを実現された方である。かねてより見学を希望されていた。プラグマティズムに満ちた方で、名うてのクラフツマンである。様々な点で尋常ではない方だ。筆者も来訪を心待ちにしていた。どのような視点でご覧になるかが、知りたかったのだ。

 転車台駆動モータを押し付ける機構のピニオンの歯数が17枚であることに気が付かれた。模型用の歯車は14枚とか12枚、ひどいものは8枚などがあるが、皆インチキな歯型で、音がするし、効率が悪く、寿命が短い。これは静かで良いそうだ。
 T氏は粘性継手に感銘を受けられたようで、実現したいことがあるとのこと。

 車輪のフランジの形、踏面の滑らかさ、ピヴォットの潤滑を一つずつ確かめ、列車全体を手で押し、確認された。機関車単独で押したときの感触も確かめられ、旅客機の動輪が大きいことによって、軽く押せることを確認された。小動輪の関節型機関車は、モ−タを2台積んでいるので、押したときやや重く感じる。小動輪は回転数が多いので、効率もやや低くなることを見抜かれた。

  レイアウトの下にも潜って、構造を調べ、鋼板製角パイプの強度について具体的に教えて戴いた。下にはふんだんに照明があるのは良いそうだ。また、潜って入る部分に、簡単な線路と台車があってそれに乗って辷り込むのは、真似したいとのことであった。

 路盤に敷くPVCの道床の消音効果には驚かれた。車輪の踏面が滑らかなのと相まって、音が殆どしないのには興味津々であった。また、転車台の作動状況には興味深そうだった。 

2018年06月22日

O Scale West での講演 7

 最後に博物館の目標の「摩擦の少ない世界」(Free from Friction) について話した。Oゲージ以上の大きさでなければ実現できない事であることを強調した。
「故土屋氏から引受けた祖父江ドライヴの機関車群数十輌と、私の数十輌を維持し、Low-D車輪をつけた長編成を走らせることは、模型鉄道の真髄 (essense) を受け継ぐものである。私はあと20年くらいは無事に生きられるであろうが、その後は不明である。しかし、公に博物館としての登録ができれば、遺産相続からは切り離され、切り売りの危険からは逃れられる。この博物館には祖父江ドライヴの機関車約1000輌のうち、1割以上が揃っている。これは世界的に見ても貴重なものである。客車は100輌、貨車は400輌ほどあり、すべてLow-D化されている。これまた、世界的に見て稀なことである。

 また、「博物館を開いていれば、有能な人を探し出して後継者にすることができる。」
と言ったところで、
「有能な人 (man of ability) とは何か?」という質問があった。

「まず第一に工学的素養があること。サイエンティストであること。歴史、地理に興味があること、ある程度語学ができること。経済的に余裕がある人。切り売りされてはいけないからね。」と答えた。
「そうだ、語学は必要だ。ここにきて話をしてもらわねばならないからな。」と言う人に続いて、ある人が、
「あなたはbilingualだ。便利だね。」と言った。

 それを聞いて、少々気分転換がしたかったので冗談を言った。
「ここでクイズです。二か国語を喋る人をバイリンガルと言います。それでは3か国語以上を喋る人は何というのでしょうか。」
 正解は polyglot (たくさんの舌という意味)だが、誰も知らず、trilingual という誤った言葉を使った者が多かった。それを修正したのち、
「 それでは1か国語しか喋れない人はなんと言うのでしょうか?」
この質問に対して、皆は、
「idiot(ばか)」とか様々な言葉を出した。筆者が、
「とても近いですね、惜しいな。正解は American です。」
と言ったら、皆椅子から転げ落ちそうになって笑った。
 毒のある冗談だが、実際にそうなのである。アメリカは大国なので、相手の方が合わせてくれる事に慣れている。だから、外国語を勉強しようとする人が非常に少ない。 英語圏でも、イギリス人もオーストラリア人もアメリカ英語に合わせていく傾向がある。

 ビジネスマンで本当に有能な人は、相手の国の言葉を理解しようとし、会話を勉強する。通訳を付けている人で、能力のある人は見たことがない。そういう意味でも、1960年代から1980年代にかけて日本に来た鉄道模型インポータで、能力のある人は居なかったと筆者は思っている。


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2018年06月20日

O Scale West での講演 6

 現在建設中の博物館の概要を紹介した。

 最小半径が 110インチ(2800 mm)で、一周が約 300 ft(約 90 m)のbent dog bone であって、高低差は 11インチ(約230mm)勾配は1.55%でUPのシャーマンヒルと同じ勾配であると言うと、
「wow!」という声が上がった。
「Big Boyに100輌牽かせたかったのだな?」
「その通り!現実には勾配の長さが足らないので、半分しか斜面に載らない。残念だ。」と言うと、
「動画から判断するに、行けるだろう。」
という声が上がった。引張力と抵抗から計算するとぎりぎりである。
 この博物館の奥行があと数メートル長ければ、そういうことも可能であったが、
展示物としてはこの程度が適当であろう。

 レイアウトに勾配を付けない人は多いが、均一な長い勾配があると、機関車の実力がよく分かる効率の良くない機関車は煙を吹くであろう。ギヤ、軸受の寿命も短くなりうるので、設計時に十分配慮せざるを得ない。保油機構の必要性もわかるはずだ。

 アメリカにはかなりの数の、勾配線を持つレイアウトがあるが、どれもディーゼル電気機関車の多重連で運転している。単機の蒸気機関車が牽く場面では、貨車の輌数は少ない。筆者の動画を見て、皆非常に驚いたと言ってくれた。特に、このビデオで勾配を登るとき、
「スリップによって位相が時々ずれるのが素晴らしい。こんな場面は見たことが無い。」と称讃された。前後のエンジンを独立させるのは、効果があったことが証明された。

2018年06月14日

O Scale West での講演 3 

ladder with 3-way switchalignment by laser レイアウトのベンチワークの紹介をした。鉄骨を採用して、レーザで高さを揃えているのには、驚いたようだが、木質のベンチワークよりはるかに耐久性があると、納得した。すべての線路は曲率ゲージで正確な曲線を描いていることも紹介した。曲線通行中に先輪の向きが微動だにしないことを話すと、驚いた。ポイントが正確に一直線上にあるのも称賛を得た事の一つである。

 後半が勾配に掛かっている状態で、50輌の貨車を止めている手歯止めを外すと、徐々に加速して、然るべきのちに停止するのを動画で見せると、ため息が漏れた。

turntable drive with momentum 転車台の話を15分ほどした。世の中の大半の自動割出の転車台の動きが toy-like(おもちゃっぽい)であることを話した。剛性の大きな太いシャフトを使わないと、ぷるぷると震える回転橋になってしまうこと、本物は行き過ぎたのを戻したりする、と話した。即ち、回転モータ、インデックス・モータ、アラインメント・モータが独立していなければならないことを力説した。

centering device 次に話したのは駆動モータとインデックスの関係である。Vの字の溝のある金属板を使ってアラインメントを確保する動画を見せると、どよめいた。ずれて止まったのちに、すっと動いて揃うところは面白いらしい。粘性による結合方式も人気があった。押し付けられた状態でモータが回転しているのが面白いのだ。回転して所定の位置に停める様子を短い動画で示すと、”Oh, wonderful!" と声が上がった。 
 明らかに慣性が大きなものを動かしているという感じがするからである。おもちゃの動きではないのだ。

moving bridge 回転橋を3時間で作った話は受けた。質問は何箇所ヤケドしたか?であった。単純なものは速く作れるということには同意してもらった。急がないと自分の寿命が尽きてしまうと言うと、「そりゃそうだ。」ということになった。
 簡単なジグを用意して、正確に素早く作り、すべての隙間をハンダで埋めて錆びにくくするということを強調した。

2018年06月10日

O Scale West での講演 1

 今回の公演の演題は勝手に決められていて、
”Museum of Sofue Drive" であった。
「ちょっと待ってくれよ。祖父江ドライヴの発明者は僕なんだ。」
と伝えると、Rod の答は、
「確かにそうなのは知っているが、”Tad Drive" と言っても理解する人は居ないだろう。一言付け加えるから我慢してくれ。」ということになった。
 結局のところ、”Museum of Sofue Drive, by the inventor Takashi Daito”ということになった。これは非常にうまい言い方だと、感心した。

 今回の講演は60分から75分で頼むと言われていた。自宅でやってみると90分掛かるので、いくつかを削った。長すぎるといやになる人もいるので、面白い話題を10分ごとに入れて、気分転換をするようにした。動画はなるべく感動的なものを、と考えて撮った。

 3条ウォームの話から入った。3条ウォームはライオネルが採用しているから珍しいものではないということを最初に言った。そうでないと論点がずれる可能性があった。3条を採ったのは、工作の容易さ、効率の高さを考えたからである。
 1980年当時パソコンは普及しておらず、三角関数表と計算尺と電卓のみで3か月ほど掛かってグラフを作って検討した話は受けた。ウォームの進み角を増やすと多少効率が上がるが、18度以上は tooling cost(異なる形状の刃物が別に必要になり、金が掛かること)の点で採用できなかったが、17度と効率が1%も違わなかったことを話すと、どよめいた。最高のものを求めたかったが、そんなに金を掛けないでやりたかったことを理解してくれたのだ。

 Model Railroaderに発表したら、世界中から手紙が来た話で、
「そのすべての手紙で、『歯車だけを欲しい』と言って来たのは、おかしな話だ。」と言うと皆笑った。いちばん必要な物は、精度の高いギヤボックスとスラストベアリング、潤滑剤、コアレスモータなのだ。そのことを書いて送ったら、誰も返事が来なかったと言うと、また大笑いだ。皆よく分かってくれている。
 実は日本でその3条ウォームをギヤボックス無しで付けた人もいて、動かないと大騒ぎであった。物の理屈を考えられない人に売るべきではなかったのだが、なかなか難しいことである。

  祖父江氏はアメリカからの受注がなくなって困っていたが、3条ウォーム化の改造を引き受けて生活を支えるというビジネスモデルは、非常にうまくいった。そして祖父江ブランドが確立されて、アメリカに浸透したのだ。この場面ではみな立ち上がって拍手をしてくれた。
「人を助けるために努力するというのは、大切なことだ。よくやった。」
 自己犠牲というのは、キリスト教の精神で、最も大切なものとされているらしい。
「祖父江氏は天才であったので、彼を潰すと世界的な損失だと思ったからだ。」
と言うと、
「あなたがいなければ、我々は19世紀のドライヴで我慢しなければならなかった。それをアメリカに紹介してくれて、我々は感謝している。Sofue Engines が紹介されたのも、模型界に大きなインパクトを与えた。」
と言ってくれた。これには筆者も感動した。 

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2018年06月08日

O Scale West

 久し振りの O Scale West 参加 である。代表幹事の Rod は今年限りで降りるそうだ。20年ほど代表幹事を務めたのだ。
「よくやってくれた」
とねぎらいの言葉を掛けたら、
「みんなの助けがあったからだ。特に講演をよく引き受けてくれる貴君には感謝する。」と言ってくれた。
 確かに良い講演者を見つけるのは、なかなか難しいことのようだ。

 今回の飛行はSan Jose直行便を押さえたので、空港からタクシィで10分である。18ドルであった。タクシィの運ちゃんは、こちらが道をよく知っているのでとても驚いた。
 サン・ホゼ空港は小さく、旅客はIT関係者ばかりなので、入国審査は非常に楽である。ホテルに着いてスーツケースを部屋に置き、荷物を持って会場に行った。
 Rod を探しているうちに、講演でコンピュータを操作する助手を務めてくれるTim に会うことができた。入場証とテイブルを貰ったので、次の日への準備をした。

 亡くなったAlf
の娘さんが、遺品を売りに来ていたのでしばらく話をした。
 Alfは例のH1を 筆者の博物館に寄贈するつもりだったが、奥さんがもう少し待ってくれと言っている。その奥さんは病床にあるそうだ。
 こちらも急がないので、どうぞ気になさらないでくれと伝えた。博物館の展示スペースだけは用意しておかねばならない。

 最近のPowerPointは昔とは様変わりして、極めて多機能になった。それを動かすソフトを搭載したコンピュータがなかなか見つからなかったので、Rodに頼んでそれを持っている人を探してもらったのだ。
 ダメな場合を想定して、PDFも作り、動画を別に持って行ったのだが、PowerPointがうまく作動してくれて助かった。 

 その日のうちに、彼とすべてのスライドを見て確認した。一つだけ綴りのミスが見つかったので修正した。見終わると彼は、
「これは素晴らしい講演だ。友達を呼ばねば。」と言ってくれた。

 その他親しい友人たちと話が弾んだ。日本まで博物館を見に行くぞと言ってくれたのは有難い。思えば昔は、彼らは筆者がカリフォルニアのどこかに住んでいると信じていたのだ。日本在住であることを知ったのは10年ほど前だった。そうしたら、いろいろな注文があって、機械部品、工具などを送ってあげた。

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2018年05月02日

上横構

portalbridge copleted うえよここうと読む。英語ではtop lateral という。橋の入り口は門構 portal で、中間にあるのが横構だ。天井部分の横構は上横構、床の横構は下横構、上横構を斜めに結んでいるのは lateral bracing である。右の写真では、デッキ材の上に置いてあるが、このデッキ材の厚さは61mmである。大体の大きさがお分かりであろう。

bridge to be finishedtop laterals 今回貼り足したのは、横構のガセットである。裏表に貼った。これを付けると、かなり細密度が増した。同時にトラスの座屈を防ぐフランジも付けた。これはハンダ付けしたかったが、錆を防ぐのが難しかったので思い切って接着した。例によって、スーパーXを用いた。力が掛かる部材ではないので、十分持つだろう。

 家まで持ち帰り、1時間かけてさび落としをした。細いところには便利な道具である。99%のさびが取れた。直ちにプライマを塗り、塗装を開始した。
 ひっくり返して回転させながら、下から見える部分すべてに塗装した。次に横に倒して内側を塗装し、両側を塗る。 
 最後に上から見る部分を全て塗る。たっぷり30分かけて塗装した。これでも後で塗り忘れが見つかるだろう。それは筆で塗ることにする。
 重い橋を回転させながら塗るのは、かなりの重労働である。明日は肩と腕が痛いだろう。

 それに引き換え、ガーダ橋は楽である。あっという間に完成した。乾燥を待って取り付け工事に掛かる。


2018年04月26日

回転橋

fit in the pit 軌框とキャブをピットに置いてみた。この写真では上から見ているので、枕木の色しか目に入らない。色が薄すぎたかもしれない。濃くすることは簡単にできる。

 今デッキガーダを設計している。リヴェットは省略する。作っても見えないからだ。一番の難物は回転橋の上に立つ三相交流受電ロータである。振れが無いように作るのは難しい。細いふにゃふにゃしたものは、正確には作りにくいのだ。たとえ正確にできていても、回転橋に正しく取り付ける工夫が要る。
 電線を接続しなければ問題ないが、つないだ時回転によって、線が伸びたり弛んだりするのは癪だ。

bridge これは以前自宅用に作ったものの写真だ。ゴンドラ(無蓋車)のサイドが余っていたのでそれを活用した。斜めに切って、リヴェットを打ち足した。自宅のレイアウトの転車台は、すぐ間近にあってよく見えるからだ。 バックリング防止のリブは、これまた貨車の部品である。

 簡単なモックアップを作ってテストしたが、0.4 mm厚程度の薄板が良さそうである。もちろん補強は入れる。全体が捩じれなければならない。全ての支持車輪が密着して4点支持で、中心も含めて5点支持にする。要するに3点支持を二つ、つないだ形である。こうすることによって、各枝線との高さが揃う。

 今まで様々な実例を見てきたが、枝線との高さが、必ず合う作例は、まず見たことがないのだ。

2018年04月22日

続々 operator's cab

operator's cab 壁はどういう構造なのだろう。波板であったり、相杓り(あいじゃくり)の羽目板だったりする。冬は寒いだろうし、夏はとても暑いはずだ。せいぜい1分間のことだから我慢するのだろうか。窓は横に動くタイプだ。出入り口とその反対の妻の窓は、はめ殺しである。
 吊り戸は、上2点と下2点で押さえているのだろう。上はレイルにはまっている。下は浮いてこないように引っ掛かっているのだろう。

operator's cab 屋根をどうするか、迷っている。磁石などで半固定できるようにするべきか、固着してしまうべきかだ。キャブの中は電車のマスコンのようなものが一つあるだけで、極めて殺風景である。
 写真のソフトメタル鋳物が見つかった。ちょうど良い大きさなので室内に取り付ける。室内にあるものは、あとは電灯のスウィッチだけだ。椅子は小さいものがあることもある。 
 
 回転橋位置決めのロック・レヴァをそれらしく付ける。動くと良いが、そのメカニズムを付けると、人形まで動かさねばならないのでやめる。その付近のプラットフォームには人形を配置する。

 回転速度は、円周レイル上の速度で毎分 200 ft 即ち約 60 mであることが判明した。時速約 3.6 km である。ということは、2分強で1回転である。重い機関車を載せて、静々と廻るのだ。当博物館の見せ場である。決して躓かず、グワーンと廻るはずである。

 この転車台はプロトタイプがあるわけではないので、あまり難しいことは考えないことにする。

2018年01月24日

終活

 就活かと思っていたら、終活という言葉があるそうで、少々驚いた。人生の終わりに近づくと、様々なものを整理する人もいるらしい。

 最近何人かの模型人が、工事中の博物館にいらして、
「うちに置いておくと、僕が死んだら捨てられてしまうから、事前にこちらに持ってきてよいか。」
とお聞きになる。お預かりするのは良いが、展示できるかどうかはやや難しい。ショウケースが足らない。3階が空いているので、それを展示スペイスにすれば何とかなるが、まだ先の話だ。内装工事やエアコン設置が必要である。場合によってはエレベータも必要だ。資金が要る。

 伊藤 剛氏は15年ほど前、面白いことをおっしゃった。
「そのうちに、鉄道模型は持ち主が死んだらどういう風に保存するかを考えねばならない日が来ます。宗教法人にするという手もありますよ。お寺が良いですな。
哲藻院 應迎寺 というのはどうですか。読み方?テツモイン オウゲイジですよ。
そういう宗教法人にして、お布施を戴いて永代供養するというのはどうでしょうな。」

 もちろん剛氏一流の冗談ではあるが、時が経つと現実味を増す。
 この博物館の建設が始まるときに、土屋巖氏は、
「いろいろな人が模型を持ってきて預かってくれという日が来るが、タダで受け取ってはいけないぞ。相応の保管料を貰って運営するのだ。」
とおっしゃった。その日が近づいてきたような気がする。

2017年09月30日

Platform を作る

 Dennis は、「お前のところは、まだ駅が作ってないな。」と言う。彼は筆者のブログを克明に見ているようだ。
「この支柱を持って帰れ。」と言う。13本貰って、12スパンの上屋を作ることにした。ロストワックス鋳物のかなり頑丈なものである。一つ 130 gもある。

umbrella この種の支柱を英語でUmbrella と言う。傘である。台風でひっくり返った傘の形だが、そう言う。また「辞書に載ってない。」と、文句を付けられそうだが、しょうがない。3/16インチ(約4.7 mm)径の基礎に挿す棒も付いている。”umbra”は影という意味のラテン語である。ヘンデルの有名な歌に「オンブラ・マイ・フ」というのがある。「(気持ちの良い)木陰で」という意味だ。
 
 Raton の駅でプラットフォームを見てきた。レイル面から 10 cm 程度高いだけだ。列車が来ると、高さ 20 cmほどの台を置いて、客車のステップに上るのだ。
 プラットフォーム自体は箱型にするつもりだったが、作るのが面倒だったので、15 mm のシナ合板を幅を揃えて切って、貼り重ねた。色はコンクリート色を調色して手塗りした。わざと刷毛目を付けてそれらしくしたが、目立たない。地下道らしきものを作る予定だ。出入り口の階段を数段付ければ、それらしく見えるだろう。
 この厚さの合板は、長い端材をたくさんもらってある。ご希望の方には差上げている。

 アンブレラの色はずいぶん考えた。ロス・アンジェルス駅のアンブレラはオレンジ色であった。かなり目立つから使えない。昔オグデン駅で見たのは濃い緑(クロム・グリーン)であった。その色を調色して、塗った。かなりの艶消しだ。屋根は1 mmのアルミ板に溝を切って、押し曲げた。アルミ材は軟らかいので薄い板では平面が出ない。当初0.5 mmの板で作ったが、すべて作り直す羽目になった。


2017年09月16日

San Diego Model Railroad Club

 予定より早く西海岸に戻れたので、車で二時間余のサン・ディエゴに行った。Balboa Park にある模型鉄道博物館に行くことにした。30年ほど前にも行ったことがあるが、その後どうなったかが知りたかった。

San Diego Model RR Club 4San Diego Model RR Club 5 ここには、N、HO、Oのレイアウトがある。地元のクラブが運営に参加している。今回はHOを重点的に見た。主題はテハチャピ・ループである。実物を正確に縮小した線路配置を実現している。余談だが、筆者の博物館のレイアウトでは、Oスケールのテハチャピ半径を実現している。HOだと半径1600 mm程度だ。

San Diego Model RR Club 7San Diego Model RR Club 2San Diego Model RR Club ループの隣にいくつかある180度カーヴも作ってある。これは
Caliente だろう。
 現代のレイアウトにしては高さが低い。そうしないとテハチャピ・ループを見下ろせないからだろう。要するにaerial view (上空から見た様子)を見せたいのだ。

 色調はとても良い。初夏のテハチャピである。彩度を抑えたほどほどの緑で気持ちが良い。日本のレイアウトを見ると、彩度の高い緑があってがっかりすることがある。

San Diego Model RR Club 6 構成はこのようになっている。写真を見ながらの作業のようだ。航空写真だから、位置関係はよく把握できる。現場に行って取材もしてあるようだ。


San Diego Model RR Club 3 多額の寄付をするとこのようなプレートを床に埋め込んでくれる。これは良いアイデアだ。当博物館でも考えてみたい。

2017年06月13日

本日、ブログ2000号

 表記の通知を受けた。思えばこの1000号は早かった。祖父江氏、土屋氏、吉岡氏の死去に伴う博物館の建設作業、伊藤剛氏の遺品の収蔵、雑誌への対応などで目が回るほど忙しかったので、「おや、また1000号?」という感じだ。

 以前は全く気にも留めなかった読者数を、毎月の集計でみている。毎日、正確に決まった数の人が読みに来て下さっていることが分かる。読者数の波がここ1年、全く同じである。決まった数のフォロワーがいるということは、評価が確立されたということであろう。筆者の提唱することにご興味のある方が、一定数存在するということであると解釈している。

 筆者のポリシィは一貫している。
摩擦の少ない車輛を、高効率の機関車でたくさん牽き、重量感のある動きを再現させる。」
 それだけである。それを実現するためなら、何でもする。つまらぬ(と言っては失礼か)ディテールには凝らない。ただ、見えるところはそれなりに処理する。見えないところはすべて無視する

 博物館を見せてくれという要望はかなりあるが、今のところ、ほとんどの場合お断りしている。セキュリティがまだ不完全で、大切な収蔵物に事故があってはならないということもあるが、それよりも、見学者に割く時間が惜しい。その時間を製作に振り向けたい。
 それとターンテイブルが未完成で、お見せできる状態ではない。早く完成させねばならない。


2017年06月05日

続々々 Old Black Joe

OBJ's 年次総会には、完成した何台かが持ち寄られた。沢山つないで走ったが、モータ、ギヤが同じなので完全な協調運転ができる。
 各人が様々なサスペンション(懸架装置)を付けている。コイルバネにした人もいれば、硬い線バネで支えた人もいる。走らせるとそれぞれのバネの特性が出る。コイルバネで浮かせた構造にすると、ポイントのフログで電車のような軽やかな音がする。
  
 会場では負荷をかけての走行はしなかったが、博物館レイアウトの勾配上での負荷試験では、モータの唸りが聞こえた。おそらく、チェインの伸びがその音の一部を作り出しているのだろう。
 チェイン駆動ではスプロケットの角速度とチェイン速度とが、完全には一致しない。それがうなりのように聞こえるようだ。悪い音ではない。以前書いたように、位相をずらした二本掛けにすると変わって来るだろう。

 筆者の機関車が一番重かった。他の皆さんは重くするとモータが焼けると思われたようだ。実は提供したモータは、大変強力な高級モータで、軸重500 g程度でスリップ限界である。鉛をそんなに積み込むことはできないので、どんな補重でも問題のない範囲に収まる訳である。
 事前に計算しておいたのだが、それを他の方に伝えるのを忘れていたのだ。申し訳なかった。

 側面のディカルは、Union Pacificにした。余っているディカルがたくさんあったからだ。他に理由はない。

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2017年06月03日

続々 Old Black Joe 

Old Black Joe 伊藤剛氏のオリジナルはこんな形である。 外側三線式だ。その集電シュウが実によく出来ていて驚いた。適度な接触圧を持ち、垂れ下がらない。パンタグラフは戦前の朝日屋製を改造したような構造だ。

 フリーランスであるから、これを縮小して線路に載せると奇妙なものである。今回のOスケール化のポイントはそこである。本物を設計するつもりで、各部の寸法を決め、それを縮小した。基準となるのは車体幅である。幅が広くなると急にトイ・ライクになる。扉の大きさも大切な部分である。
 扉は開くようにもできる。筆者は開けないつもりだったが、簡便な方法を思いついたので、開閉可能にした。戻りバネを付けて、普段は閉じている。塗装時に気を付けないと、塗り残しが見えてしまうから、開けたままで塗って、その後外を塗った。

 小型機関車では、うっかり手を伸ばして感電ということが多いそうなので、パンタ台で持ち上げ、エアタンクでガードした。
 Sacramento Northernの本を読んでいると、庫内でパンタを上げる時の話が出ていて、それをやるつもりでポールを増設した。本物のポールは先端がT字の形をしていて、本当に接触させるだけの機能しか持たない。数十秒間補助コンプレッサが働くだけの集電機能である。HO用のポールがあったので使った。

 塗装は黒で、それにオレンジのトラ縞模様を付けた。塗装するつもりだったが、Dr.Yがディカルを印刷して下さったので、省力化できた。これをマスキングでやろうと思うと、かなり大変だ。 

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2017年05月30日

Old Black Joe

OBJ しばらくチラ見せしていたのは、これである。軸配置がまさか2軸とは思わなかった方が多いだろう。今月のTMSに載っているそうだ。筆者はまだ見ていないが、写真が一枚掲載されているとのこと。以前は写真を貸しただけでも掲載誌を送ってきたが、最近はそれもしないのだろうか。

 伊藤剛氏の1946年製の機関車である。元は35mmゲージだったらしい。それを32mmゲージにしたので、少々バランスが良くない、当時はそんなことを言う人はいなかった。
 戦争中、外地でイギリスの凸型機関車の写真からスケッチを起こし、それを日本に持ち帰ったらしい。その機関車はこんな形をしていたようだ。

 今年は名古屋模型鉄道クラブ結成70周年で、本来は伊藤剛氏の存命中にということで、75周年を5年早めて大規模な集会をするつもりだった。伊藤剛氏が、不慮の事故で他界され、少々淋しい年次総会ではあった。

OBJ on track 今年の競作は伊藤剛氏の記念作 ”Old Black Joe" を各ゲージで作るというもので、Oゲージ部会では、ステンレス板をレーザで切り抜いて頒布し、動力は筆者が提供した「3条ウォーム」 + 「コアレスモータ」で、すべて押して動くようにした。1台で数輌の機関車を牽引することができる。

 切り抜いた板を頒布できたのが少々遅くなり、実質2箇月で製作せねばならなかった。原作の雰囲気を残しつつ、スケール感を出している。設計は土橋和雄氏である。 

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2017年02月01日

客車ヤードの延長

passenger car yard2passenger car yard 我が家の地下室倉庫の発掘調査もほぼ終わり、客貨車の在庫を把握できた。あと70輌くらいだという確証を得た。客車の数が意外と多かった。客車ヤードは今の長さではとても足らないので延長工事をしている。一本当たりの長さが増えれば、本数が少なくても、やって行けるとみた。

passenger car yard3 30 mm厚合板を切って作るのだが、また無駄になる部分が最小になるように切り方を工夫し、ほとんど捨てることが無いようにした。ただ、900 mm幅の板から、500 mm幅の曲線を切り出し、その残材を回収して有効利用するわけだから、幅300 mmがせいぜいだ。
 つまり、延長分は5線の途中で狭くなって3線になるが十分だろう。14輌、16輌編成1本ずつと20輌編成3本が入る。これ以上客車が増えないと有難い。
road bed support 路盤取り付けは、既に物がたくさん置いてあるので、熔接は避けたい。鉄骨を熔接したものを、タッピング・スクリュウで留める。
 下穴なしでもできるのだが、細い穴があけてあれば、すんなり入ってずれることもない。


 すじかい付きの梁を鉄工所で作って貰ったので、工事は簡単だ。ただ、レーザの水準器をお返ししてしまったあとなので、またもトランシットを持ってきて、覗いて水平を出した。上下方向、傾きを調べるので、大変な手間である。4人がかりの仕事であった。
 幸い、助っ人がいる時にお願いしたので、比較的短時間で取り付けることができた。レーザ水準器があれば、一人でもできただろう。


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2016年11月29日

ヤードの容量

 ヤードが二箇所完成したので、かなりの収容輌数が確保された。貨車ヤードはきっちり詰めれば、230輌は入ると見ている。
passenger car yard 問題は客車ヤードだ。客車編成が5本しか置けない。しかも12輌編成がぎりぎりだ。
 もうないと思っていたのに、貨車客車のキットが見つかる。物置、押し入れの整理をすると、どさっと見つかる。組み掛けのまま20年以上昼寝しているものばかりだ。
 こうなったら組むしかないので、博物館に持って行って、作業台に拡げておく。そうすると何が足らないかが見えるので、一覧表を作って書きこむ。ある程度目星が付いたところで、材料を切り、孔を開けたり曲げて部品を作る。時間があるときに一気にハンダ付けして組んでしまう。
 たくさんあったLow-D車輪が見る間に減っていく。アメリカからの問い合わせが多くなったので、再生産せざるを得ない。

 数がまとまっていれば、一挙に10輌以上組むと、一輌当たりの時間は少なくなる。塗装もいっぺんに済ませれば溶剤の使用量も少なくて済む。ディカル貼りは大変だがそれも楽しい。客車はあと35輌は完成させねばならない。貨車は60輌ほどもある。

 もうこの時点でヤードはあふれてしまう。ヤードの増設を考えねばならない。

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2016年11月25日

隠しヤード完成

Hidden Yard 隠しヤードの工事が終了した。貨車を少しずつ整備して、自宅から持って行った。土屋氏から来たものも、当鉄道仕様に改造して入線させている。
 その数、ざっと150輌。奥まできっちり詰め込んで留置した。平面は出ているので、動き出すことはなかった。

Hidden Yard bird's eye view 上から見るとこんな感じだ。Kansas Cityのヤードはこの幅の2倍だが、それを彷彿とさせる。曲げたのは成功であった。
 ポイントの整備は済み、どの線にも抵抗なく入線させられる。路盤の一部の塗装がしてないので、近日中に完了させる。

 この部分のポイントは全部で9つあり、DCCで動かす。本線ではないので、手元から遠隔操作で動かす必要はないだろう。NCEではMini-Panelという商品を売っているので、それを採用する。まもなく到着する。
 文字通り、小さな線路配置図にスウィッチを付けるもので、目的の線のボタンを押せば、自動的にポイントが作動してルートを形成し、目的を達する。1つで8台の制御が可能だ。リレィによる制御のことを思えば、あまりにも簡単であり、また安価である。DCのレイアウトにも採用できる。そうすれば、膨大な量の電線からも解放される。
 もちろん、手元のスロットルからの指令も出せるが面倒だ。入れ替え作業は目の前で行うので、パネルに手を触れたほうが楽である。

2016年09月16日

続 隠しヤード敷設

escape track 隠しヤードの中の機廻り線である。長い機関車も一旦突っ込んで、切り離せるような寸法になっている。12輌の客車を留め置くことが出来る。ポイントマシンは、後付けは難しいので、予め付けておいた。切り離し用のアンカプラはまだ付けてない。電磁石方式にしようと思う。この工作は裏からできる。

 この部分は天井が低く、140 mmしかない。首を突っ込むこともできないので、横から手を入れて線路を敷く。ポイント部は、コルク板の上に貼ったものをハーマンのところで貰ったので、それを使っている。車輛が通ると騒がしい。通過速度がかなり小さいので問題にはならないが、貨車を手で押してその騒音を調べた動画を作った。かなりひどいものである。コルク道床は、何の役にも立っていない。


hidden yard その他の通常ヤード部分は7線あって、まだ工事中である。 照明は十二分だ。工事の時や、脱線復旧の時には必要なので、やや多目の照明を付けたのだ。捨ててある蛍光灯器具を有効利用した。使用時間が短いのでこれでよい。ゴムシートを敷いたが、5 mm厚ではなく、2 mm厚のシートを使った。エラストマの効果もあるので、十分静かだ。
 敷設は大変難しい仕事で、釘を打つ手を、横から入れることしかできない。この部分は25 mm合板上に建設し、一気に持ち上げて吊ボルトで留める方法も考えたが、重量がかなりあるので諦めた。長さは6 m以上あるから、同時に8人ほど居ないと持ち上げられないからだ。

 工事は、線路の通りを見る人と釘を打つ人が必要で、T氏にお願いして手伝ってもらった。あまり丁寧な仕事はしていない。速度が遅く、行き止まりで誰も見る人などいないから、完全な直線にはできてないが良しとした。ただし騒音対策は完璧である。 

2016年09月14日

隠しヤード敷設

 亡くなったハーマンのところには、お悔やみを伝えるために、寄るつもりだった。ちょうど線路が不足していたので、荷物を現地で受け取るための送付先に指定してもよいかと聞いたところ、快諾を得た。2日のうちに荷物が届いたと連絡があったが、
「これは線路か?うちにもいっぱいある。持って行ってもいいよ。」
ということになり、博物館への寄贈という形で貰ってしまった。全部で数十本あり、かなりの体積だった。しかし、業者が商品を入れて来た箱が大きめだったので、それにぎっしり詰めることができた。
 空港に持ち込んだ時、検査で引っかかると思ったが、箱に
”Model Railroad Tracks”
と大書しておいたので、X線で検査しただけで通った。開けられると、もう一度きっちり詰めるのは難しいほどのすし詰め状態だったから助かった。透視するとレイルだけしか見えなかったのだろう。

 沢山の線路が揃ったので、隠しヤードの線路を敷き詰めた。「8線」+「機廻り線」で9本あると、線路がかなりの量必要だ。
 5 mmゴム板の上にエラストマを置いて、線路を留めた。ゴムは25 mm合板の上に置いてあるだけで、ところどころ、ずれ留めで釘が打ってある。この方法は、デッドニングがよく効いて、とても静かである。
 貰ってきた線路の中には、コルク道床に木の枕木を接着したものにスパイクしたポイントがあった。分岐の向きがちょうど良かったので、機廻り線用にフレクシブル線路の間に挟んで使った。
 その部分はとてもやかましい。ビデオに撮ったので、いずれYoutube にupする。 

2016年09月12日

続 Allegheny

the Henry Ford (14)the Henry Ford (29)the Henry Ford (28) 1973年にこの博物館を初めて訪れた時、持っていた情報は、
「とてつもなく大きな機関車がある。世界一大きい。」だけであった。
the Henry Ford (25)the Henry Ford (23)the Henry Ford (24) それはBig Boyに違いないと思っていたのだが、行って見たら外れであった。
 当時はどこにどんな機関車があるかという情報はあまりなく、現物を見て驚くことが多かった。幸い、アレゲニィは井上氏の模型を知っていたので、なるほどという感じである。

 世界一大きいというのは間違っているとは言えない。機関車の「大きさ」はいくつかの次元で語られる。
 質量、長さ、出力、引張力などである。その前に「機関車+テンダ」が、100万ポンド(454トン)以上なければ比較の対象にはならないらしい。1980年代のNMRAの会報にいろいろな諸元から考える記事が載っていた。整理が悪くてその記事が見つからない。
 確か、アレゲニィは引張力と機関車の質量とが最大ではなかっただろうか。長さはPenssyのS1だ。出力にはいろいろな測定条件があり、Big Boyは連続した出力の点で1位だったような気がする。短時間の出力ではPenssyのQ2が凄い。それと速度の問題もある。Big Boyは大動輪で高速運行ができた。特に下り坂ではその違いは大きい。また稼働していた輌数、期間、運行距離も大きなファクタである。
 様々な点で、Big Boyを最大、最強、最速、とする意見が支配的であると感じている。

2016年09月10日

Allegheny

the Henry Ford (26)the Henry Ford (27) 多くのコメントを戴いた。すべて正解で、Alleghenyである。ビデオが繰り返し放映されていて、その発音はやはり第一音節にアクセントであった。

 この機関車は整備し終わった状態で放置されたので、それをそのまま博物館に収蔵した。タイヤが削りたてである。デンヴァに置いてあるBig Boyのタイヤが磨り減っているのとは大違いである。塗装も当時のままだろう。ベルの外が黄色であるのは興味深い。
 
 ベルの内側を赤く塗るのは、大半の鉄道会社で行われている。40年ほど前、筆者は自分の機関車のベルを赤く塗って椙山氏のところに持って行って披露した。椙山氏はそれを目ざとく見付けられて、褒めて下さった。懐かしい思い出である。

the Henry Ford (21)the Henry Ford (30) この機関車の大きさは、尋常ではない。よくぞこんなものを作り上げたものだと感心する。
 この博物館がなければ、屋外に放置されて朽ちていったのだろう。

2016年09月08日

続々 Greenfield Village

Greenfield Village (15)Greenfield Village (16)Greenfield Village (17) この工場はフォードの工場の一角をそのまま移設したものだ。動力は蒸気機関である。非常に懐かしい。筆者の子供の頃は、日本にはまだこのようなシャフトのある工場がたくさんあった。もちろん電気モータ駆動であったが。天井のシャフトから動力を取るから、ベルトに巻き込まれると大事故である。3枚目の写真の機械は、売店で売る小さなブラス製の商品の部品を作るために作動させるが、作業中にベルトに巻き込まれる事故を防ぐために金網でその部分を囲ってある。

 シャフトには丸いドーナツ状のフェルトが通してあり、シャフトの回転により、自然にあっちへ行ったりこっちへ来たりする。即ちシャフトの錆び止めである。
各種の工作機械が並び、これで自動車を作っていたと思うと隔世の感がある。

the Henry Ford (7) 前後するが、Henry Ford博物館の中の最も人気のある展示物はこの貨車の前にある。
冷蔵車は保存状態が良く、あちこちの飛び出し具合がよくわかる。ちょうど製作中のと同型だから助かる。しかしここまで細かく作っても、他が同水準でないと変なものだ。
the Henry Ford (11) 冷蔵車の扉に手前に黒い札が差してある。板の厚みには驚いた。こんなに厚いのである。

 さて、その前方にあるのは何だろう?この博物館の中で最も写真に撮られる頻度が高いのだそうだ。大き過ぎて、運び込む時に入り口を少し壊して入れたそうである。  

2016年09月04日

Greenfield Village

 このグリーンフィールド・ヴィレジには1991年から鉄道が整備された。もちろんヘンリィ・フォード自身の意思によって線路敷設は予定されていたのだそうだが、時間が掛かった。
Greenfield Village (9)Greenfield Village (7) 機関庫は1884年に建てられたものを移設した。転車台は手動である。
 稼働可能な蒸気機関車は3輌あって、先の4-4-2、4-4-0とこのメイソンボギーがある。 
  
Greenfield Village (30) かなり大型である。訪問時には機関庫に入っていたが、走っている動画はかなり見つかる。


Greenfield Village (31) 機関庫の中にはピットも切ってあり、動輪の嵌め替えもできるようになっている。工具類の並べ方は参考になる。


Greenfield Village (34) 煙突は上下できるようになっていて、煙を庫内に充満させることがない。見学スペイスは高く、作業の邪魔にはならない。原則として機関車を奥に突っ込む。そうすれば作業スペイスが確保できる。
 テンダは後ろに尻を出しているときもある。昔、テンダばかり買う男がいたので、何をするのだと聞いたら、こう言った。
「機関庫に並べるのだ。」

2016年08月27日

gas engine

Greenfield Village (26) これがそのガス・エンジンである。gas motorとも言う。「〇×モータース」という言葉はここから来ている。アメリカではいまだによく聞く。diesel motorという言葉もある。

Greenfield Village (29) さて、エンジンはこの配置であったのだ。排気ガスは観客のほうに出て行ったらしく、途中で切れている。軸受は二つで、クランクケースはない。コンロッドやピストンの潤滑はどうしたのだろう。シリンダの中頃にパイプがある。そこから潤滑油を滴下したのであろう。油は飛び散り、ブロゥ・バイ・ガスはすさまじいものだったろう。点火プラグが見えないから、焼玉エンジンのようなものであったのかもしれない。窓を開けないと、とても運転できないだろう。
 当時は電気モータは非常に高価だったようだ。また直流送電の区域では大電流が取れず、使えなかったらしい。

Greenfield Village (25)  翼の組み立てはここで行われたのだ。堅い木を接続して作られ、ワイヤで引張って羽を捩じる工夫がある。細かい細工は自転車の技法を駆使してあり、自転車屋ならではである。

Greenfield Village (28) この一角にはボーリング中のガス・エンジンがある。4気筒だ。既存のものでは役に立たなかったので自作し、出力を上げている。この大きさでもせいぜい12馬力であるが、他の熱機関に比べると、対質量比で大きく勝っている。

 風洞では、揚力を羽の断面を変えながら測定していた様子が分かる。彼らは職人であると同時に科学者であった。考えながら作るというところが、他の挑戦者と大きく異なるところであったことを実感した。理屈だけではだめなのだ。

2016年08月25日

Curator

 Henry Ford博物館の隣にあるGreenfield Villageは、古き良き時代のアメリカを再現している博物館である。明治村は、これの劣化コピィである。

 Edisonの研究所とか、Wright Brothersの自転車店もそのまま本物を移築して、内部も再現してある。エジソンの研究所には電池の開発のための、ありとあらゆる試作品があった。試薬瓶もかなりたくさん当時のものを置いてある。錫箔に録音した当時の機械を実際に作動させて、音声の再現を見せてくれる。ただしアルミ箔であった。

Greenfield Village (18)Greenfield Village (19) ライト兄弟は自転車屋を開いていて、その利益で飛行機の開発をした。当時の自転車はとても高く、現在の3000ドルほどもしたそうだ。だからこそ、開発資金が賄えたのだ。
 裏には自転車を加工する工場があり、その一角で飛行の原理を研究した。風洞なども当時の本物がある。研究ノートも再現してある。

Greenfield Village (23)Greenfield Village (22) 1989年に行ったとき、筆者はその工場の動力がないのに気が付いた。天井にはベルト駆動で旋盤、ボール盤を動かすシャフトがあるのに、どこにも動力がない。
 たまたまやって来たキュレイタに、
「この工場の動力は何を使っていたのですか。ないのはおかしい。」と聞いてみた。
 彼女は博士号を持つキュレイタで、
Greenfield Village (29)「確かにおかしいですね。蒸気機関はこの工場にはあまりにも大きすぎて維持が大変ですし、水車というのも考えられない場所です。小型の
gas engineかもしれない。」と言う。
ちなみにガスエンジンというのはガソリンエンジンのことである。
「とても素晴らしい質問です。早速調査して、今度お越しになるときには、納得のいく形にしておきます。」ということであった。
 今回はその確認もあって、楽しみにしていた。 

2016年08月15日

the Henry Ford

 アメリカに行っていた。友人に案内を頼まれて、シカゴ、デトロイト方面に行ったのだ。降って湧いた話で、何の準備もなく出発した。 向こうに着いてから、会うべき人と連絡した。
 最近はこの手の話がよくあって、今後この種の通訳・ガイド・ビジネスができるかもしれない。

 表題のヘンリー・フォード博物館はこれで5回目だと思う。最初は1973年で、
まだ隣のGreenfield Villageがそれほど充実していなかった。76年もさほど変わりがなく、89年はかなり建物が増えていたと感じた。
 名古屋に、トヨタの作った産業技術記念館という博物館がある。明らかにこのヘンリー・フォード博物館の劣化コピィである。真似をするなら、完全な真似をすべきであった。

 周辺の道路にある行先表示は、最近は表題のような表現になった。固有名詞にtheが付くようになったのだ。「あなたの行きたいヘンリー・フォード博物館はここです。」という意味になったわけだ。
 
 2009年に鉄道施設の拡充があり、扇形機関庫、転車台が整備された。収蔵されているのはかなり大型の4-4-2などで、非常に美しい。塗装でなく、鋼の表面を緻密な酸化被膜で保護した、いわゆるRussian Ironである。

 この色については様々な場所で論議されているが、あまり正しいことは示されていない。塗装による再現の話題もあるが、それを見ても正しいとは思えない。反射光であるから、塗膜の中での反射では解決するわけにはいかないのだ。 

2016年07月27日

隠しヤード

image (19) 隠しヤードが大半完成した。あとは終点まで延長するだけなのだが、フレクシブル線路が無くなった。昔のブラス製のレールが沢山あるので、それをめっきして枕木を付けようかと思っていたが、めっき代が意外と高く、買った方が時間も金も節約できる。線路を買いに行かねばならない。


image (18) ヤードは8線で、9 m強ある。実物で言えば、400 m強だ。障害物を避けるために、微妙に曲がっている。実はそれがやってみたいから、支柱の位置を決めた。真っ直ぐにしようと思えば、できたのだ。ここでも、分岐の整列はレーザ光で行った。
 Kansas Cityの巨大なヤードは川沿いにうねり、実に素晴らしかった。曲がったヤードは美しい。土屋氏とそこに行ったのだが、かなり感動的な景色で、
「これをやりたいものだ。」
と話し合ったことを思い出したのだ。
 
 直線部分の線路間隔は90 mmだが、途中の曲線では少し拡げて95 mmにした。だから、微妙な曲線を描いている。さらに奥に進むと細い柱があるので、もう一度曲がって2線と6線に分岐する。

 少し離れた1本は、 機廻り線である。突き当り部にポイントを付けるのだが、切り離しを確認するために、TVカメラが必要だ。剛氏なら、光電式の検知装置を付けるのだろうが、カメラの方が簡単で安そうである。


2016年07月25日

客車ヤードの配置

IMG_0608 客車ヤードは入り口のダブルスリップ以外が完成している。型紙は作ったが、まだ取り掛かっていない。DSは機運が熟さないと出来ない。すべての部品を作った上、体力があって気分の良い時に、1日で一気に作るに限る。何日も掛けるとろくなことはない。


image (19) 曲線部に同じ番手の分岐を並べたので、こんな形になった。10番分岐の型紙を何度も並べ替えて、S字カーヴにならない配置を割り出した。これ以外の配置では不可能だ。

 順に7番、8番、9番、10番と急なものから緩やかなものへと使えば、もう少し機能的だったろう。そんな話を鉄道関係者としていたら、
「そんなことはありません。ヤードなんかは手持ちのもので作るのです。余っている分岐で現物合わせですよ。速度が遅いので、線形なんか気にする必要はありませんから。」
とのことであった。

 確かに、港の近くのヤードの線形はかなり無茶だ。ありえない形をしているものがある。

2016年07月17日

続 TMS195号 

 筆者が高効率模型開発の実践をしていることを、山崎喜陽氏は井上豊氏から聞いていたらしく、
「TMSで発表させてあげるから・・・」
と話し掛けてきた。物の言い方が気になったが、数分間話をした。彼は筆者の話に非常に興味を持ち、実際に80坪の部屋の床で大規模な線路を敷いて実験をしている写真を見て、愕然としていた。
「日本で模型の効率を測定している人はあなただけだ。」
と言った。実際にはもう一人いて、それは吉岡精一氏であった。しかし、当時はまだ、吉岡氏とは連絡が付いていなかった。それを妨害した張本人は山崎氏その人であったのだが。
 極めて初期のTMSに、歯車の効率の話がある。山崎氏は、鉄道模型はよく走らねばならないという信念は持っていたようだ。

 話の内容を横で聞いていた荒井友光氏は上機嫌で、
「山崎君、名古屋にはこういう人もいるんだよ、大したもんだろ。『尾張名古屋はO(オウ)で持つ』って昔から言ってたじゃないか。」
と嬉しそうだった。その前の年のNMRAの新年会で、アメリカのNMRAのコンヴェンションのスライドを100枚以上見せた。カツミの栗山氏がそれを見ていて、筆者は請われて東京で二回再演した。そのことも聞いていたらしく、見せてくれと頼まれた。当時アメリカでも、
"O gauge is back" というキャッチ・フレイズでOゲージの復権が始まっていると言うと、非常に興味深そうだった。彼はアメリカの話には心を動かされるようだった。

その席で、筆者は山崎氏が「Model Railroader に投稿するならウチを通さなければ載らない・・・・」と、また言ったものだから、呆れてしまった。筆者は若いとは言え、アメリカに居たことのある人間だから、そんなことを言えばバレることぐらいわかりそうなものだ。
 筆者は井上に連れられて、山崎氏とは過去に複数回会っている。いつもそれを言う人であった。本人はそう信じていたのだろう。お気の毒ではある。
 
 例の3条ウォームの記事はぜひともTMSで扱いたかったものだったと、発表直後に荒井氏から聞いた。

 一方ミキストで、実名を挙げて攻撃された副会長の加藤 清氏の怒りは収まらず、553号まで投稿しなかった。漁夫の利を得たのが「とれいん」誌で、かなりの原稿がそちらで発表された。


2016年07月15日

TMS195号

TMS195 もう50年以上も経ったのだ。TMS195号(1964年)のミキスト欄にはかなりすごいことが書いてある。筆者の持っている一番古いTMSが186号であるが、それ以前のTMSで、NMRC(名古屋模型鉄道クラブ)の記事はよく見ていた。だからクラブに入会しようと思っていたのだが、突然TMSでのNMRCの記事が全く無くなってしまった。解散したのではないかと思ったぐらいだ。
 しばらく経って、椙山氏のお宅でNMRCの会長だった荒井友光氏を紹介され、直ちに誌友となり、正会員になった。NMRCが無事に存続していたことは、筆者には驚きであった。
 
mixt195 そのミキストにはNMRCの悪口が40行くらい書いてある。今だったら、名誉棄損で直ちに裁判沙汰になるような内容である。個人名も明記するなど、とても信じられない記事だ。剛氏と山崎氏は「ケンカ友達」だったのだが、副会長の加藤氏はそうではなかった。TMS憎し、でそれは加藤氏が編集長だったYard誌に表れている。
 これがきっかけで、NMRCはTMSと絶縁した。剛氏はそれまで極めて頻繁に紙面に登場していたが、全く影を潜めた状態が、400号まで続いた。ざっと16年間の冷戦状態であった。剛氏は東京勤務の時代もあったのだが、TMSとは接触しなかった。
 剛氏は仲直りが必要だと考えたのだが、副会長氏は強硬で実現しなかったようだ。
 この状態に心を痛めたのは井上豊氏で、東京方面に引っ越されたこともあって、頻繁にTMSとは接触し、仲裁を試みた。360号(’78年)あたりから、かなり頻繁にアメリカ型蒸気機関車の記事を発表している。古橋正三氏はギヤード・ロコの記事をかなりの数投稿したし、また、荒井友光氏も395号でトラス橋の記事を書いた。荒井氏は上京の際山崎氏に会い、400号までに関係の修復をすることを約束させた。
 その年のNMRC新年会で、山崎氏は来名し、「また仲良くやろう」と全会員を前に、伊藤 剛氏と握手をした。その後名古屋特集が出たのは、筆者の解釈では、いわゆる手打ちではないかと思っている。あの内容を訂正もせず放置したのは良くなかったからだ。


2016年07月13日

C&O 2-6-6-6 Allegheny

 井上 豊氏のHOモデルが掲載されたのはTMSの1967年11月号である。表紙のうすい黄色を覚えていたので探すのは容易だった。実は自宅の書庫のどこにあるのかはすぐには分からないのだが、博物館の棚には全て並んでいるので、探すのは非常に楽である。
 当時は高校生で、ずいぶん興奮して読んだ覚えがある。井上氏はどうしてこの機関車の図面を手に入れたのだろう、という疑問を我々の世代の人は持ち続けていたようだ。
 TMSの569号にはウォーカー氏の記事があり、疑問が氷解した方が多かった。 

 このHOモデルはのちに改良された。テンダのリヴェット打ち出しをやめ、酒井喜房氏の紹介で、エッチング図面を描いて外注したのだ。出来上がったテンダは素晴らしく綺麗で、メーカ完成品かと思うぐらいだった。ディカルは椙山 満氏が貼った。テンダの改良は、1983年のTMS436号に載っているが、やはり不満で、すぐそのあとに根本的に作り替えられたのだ。 
 その試運転に来られて、拙宅に泊まられた。その2日間は非常に濃密な時間であった。あらゆる常識、テクニック、機構的アイデアを伝授して戴いた。
 押して動くウォームのアイデアはまだ出ていなかったが、すでに筆者は摩擦の少ない模型鉄道の実現に向けて動き出していた。ミニチュア・ボールベアリングには大変興味を示され、しばらくするとTMSにその記事が出た。筆者が半径3mの線路を敷いて、60輌運転をしていた時代だ。
 ウォーカー氏の件も多少は話題になり、569号の記事にある「お代官様」という表現も、その時出てきたことを覚えている。

 そのTMS569号1993年4月号には、NMRCの新年例会の記事が載っている。このころはすでにTMSとNMRCとの和解の時期であり、その以前の20年弱の「反目の時代」が終わったのだ。だからこそ井上氏の記事が取り上げられたのだ。「名古屋特集」もこの後出版されている。

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2016年07月11日

Walker氏のこと その10

Walker 名古屋模型鉄道クラブで長老方にこの話を詳しく聞こうと思っても、ほとんどの方が言葉を濁されてしまう。
 井上 豊氏のお宅にお邪魔して話を伺った時、食料を持ってきてくれたということを仰ったが、同席されていた奥様は突然話を逸らされた。
 話してはいけない、という気持ちがどなたにもあったのだろう。

 伊藤 剛氏は、
「アメリカは時効が長いからね。場合によっては無いかもしれない。突然、軍法会議に掛けられても・・・という気持ちもありましたね。」
「会社のためとは言え、我々もこれが賄賂性があるということは、百も承知していましたよ。ウォーカー氏が帰った時、関係者はほっとしたけど、口外してはいけないという気持ちがありました。」
と仰った。

 椙山 満氏のお宅でこの話が出て、当時のNMRCの会長の荒井友光氏が、いろいろなことを教えてくれたが、写真の件となると、見せてはもらえなかった。
 井上氏のお宅に、伺って見せてもらった時、機関車のことは嬉しそうに話され、試運転の写真を見せてもらったが、その背景については話されることはなかった。

 3年ほど前伊藤 剛氏宅に伺った時、剛氏はこれらの写真を筆者に渡して全てを話され、近い将来の公開を委ねられたのだ。

 多くの模型人の心に傷を残して、それらの模型はアメリカに向かった。


2016年07月09日

Walker氏のこと その9

 Walker氏の模型は、すべて完成後、大同製鋼の集会室で運転をしたのだそうだ。戦災で焼け残った大きな建物は少なかったようだ。おそらく旅客列車が写っている場面がそれなのだろう。
 詳しくはわからないが、中央三線式交流18 V 程度であったろう。HOが12 V になったのは比較的古いが、大規模なOゲージ、1番ゲージは電圧を高くしておく必要があったと思われる。

 ウォーカー氏は帰国時に、
「これらは日本の模型人のレベルの高さをアメリカに知らせる良い見本だ。アメリカ中でこれを見せるツアをする。」と言ったそうだが、それをしたという話はどこからも聞こえてこなかった。彼自身もこれが賄賂性があることを認識していたはずだから、そんなことはできなかっただろう。

 1980年代の終わり頃、名古屋模型鉄道クラブに一通の手紙が舞い込んだ。それはウォーカー氏の子息からのもので、
「里帰りさせたい。」
とあったが、よく読むと、要するに買い取ってくれないか、というものだったそうだ。
 当時筆者はアメリカに居たので、間接的にしか知らないが、乗用車1台分くらいの価格であったそうだ。

 後で土屋氏にその話をすると、
「買っていたかも知れんな。」
と仰った。

 その後、その話は全く消えてしまったので、どうなったのかは分からない。一度見てみたいものだが、手掛かりを探すだけでもかなり時間が掛かりそうだ。

2016年06月25日

Walker氏のこと その2

flat car 会社のための模型作りだから、勤務中に会社で作る。
「私の人生の中で、あれが唯一の経験でしたね。仕事で模型を作ったのは。」と、剛氏は仰った。剛氏が図面を描き、一部はカツミ模型店で作ったものもある。

reefer 模型とはいうものの、実物通りに扉は開き、ロックも掛かるようにした。実物の図面があるのだから、やればできてしまう。材料は会社が購入し、塗料は塗料会社に注文した。白眉はレイルで、製鋼会社が、わざわざその断面を作って挽き出した。ポイントも熟練工が実物同様に削り出したものを用いた。クロッシングは一体鋳造である

NYC J-1e and streamliner 蒸気機関車はライヴ・スティームだから、ボイラを作らねばならない。井上 豊氏は銅板を丸く曲げてリヴェット留めし、銀鑞付けするつもりであった。ところが、日本碍子の旋盤工が、「ワンピースで作ってやる」と言い出し、薄いボイラを肉厚銅菅から挽き出してしまった。その話を何度も井上 豊氏から聞いてはいるが、いまだに信じられない。銅のような粘っこい材料を旋盤に掛けると、喰い込んでお釈迦になるはずだ。

「彼はね、今で言えば技能オリンピックで金メダルを取れるような人なんだ。出来ないことなんか無いんだよ。」と井上氏は強調した。
 ピカピカの薄いボイラで、素晴らしい出来だったそうだ。 

 1967年、井上氏は C&Oの2-6-6-6 アレゲニィのHOモデルをTMS誌(233号)に発表した。当時はそのような機関車の存在すら、ほとんどの日本人は知らなかったが、彼は本物の図面を持っていたので、わけなく作ってしまったのだ。
 また、井上氏はAlleghenyの発音を正確に覚えていらした。日本の模型人はこの地名をよく知っているのだが、筆者が出会った人の中で、正しい発音をされたのは井上氏と剛氏だけだ。
 参考までに書くと、最初のA強く言うラゲィニ と言えば通じるが、それ以外の発音では不思議そうな顔をされるだろう。しかし、TMSの表記はやや異なってアレゲーニーとなっている。この表記だと第三母音にアクセントが来ると思ってしまうだろう。筆者もそう思った。

2016年06月23日

Walker氏のこと その1

剛氏のアルバム 連合軍が日本を占領していた頃の事情を細かくつづった本を読んでいるときに、筆者はある名前を見てどきりとした。ウォーカー中将という名が出てきたのだ。
 もちろん別人なのだが、名古屋には別のウォーカー氏が居た。剛氏の遺品の中にそのアルバムがある。

 アメリカから派遣されて、当時の中部地方の工業地帯を統括していた人の名である。軍属ではなく民間人であろう。
Mr.Walker ハロルド・ウォーカー氏はこの地方のすべての産業を押え、アメリカの国益を守る経営をさせるために派遣されていた。あまりにも厳しい人で、どの会社も、どうしたら少しでも目こぼししてくれるかを考えていた。ある時、彼は鉄道模型が好きだということが分かった。そこで日本車輛の伊藤剛氏が抜擢されて、話をしに行ったのだそうだ。剛氏は模型人であるし、英語が堪能であったからだ。ウォーカー氏は、Missouri Pacific鉄道に勤めていたことが分かったのだ。

 そこで日本車輛が車輛を、大同製鋼がレイルを作り、彼の好きな列車を進呈することになった。はっきり言えば、賄賂である。鉄道模型を用いて懐柔しようというわけだ。蒸気機関車は井上 豊氏が作ることになった。三菱や日本碍子、国鉄まで巻き込んだ大作戦である。

 車種は先方の指定で、NYCハドソンとC&Oアレゲニィ、FMのディーゼル機関車、流線形客車5両、貨車7両であった。すべてアメリカから本物の図面と写真を取り寄せ、その1/32、1番ゲージ模型を作ることになった。(写真は完成した模型を手にするウォーカー氏)

2016年06月17日

カント付き線路

hand laid superelevated track カント付きの曲線はこのように出来上がった。曲率が一定であるので、なかなか壮観である。枕木裏も削ったので、平面に完全に密着する。スパイクは緩いものをすべて抜き、接着剤を塗って押し込んだので、二度と抜けることはないはずだ。

underside of the superelevated track 裏はベルトサンダの平面で軽く削ると、このようになった。枕木の多少厚いところは削られている。フライスで斜めに削いだ部分は刃型が出ている。目で見ても分からないが、このようにするとオイル・ステインの浸込み具合が浅かったので、その凹凸が強調されているのだ。
 釘の切り口が平面になって光っている。何かの間違いで短絡を起こすといけないので、絶縁材を貼る予定だ。
 
 ここまでの工事で延べ6日掛かっている。もちろん仕事をしている時間は3時間くらいだが、ステインの固まる時間、接着剤が硬化するまでの時間を取らねばならないので、その程度の時間が必要だ。重しを載せて保持する平面も必要で、生産性は極めて低いと言わねばならない。あまりやりたくない仕事だ。
 この部分はトラス橋の上で、さらにガーダ橋の部分も連続して作る。ジグを加工して延長できるようにするのだ。ジグは2.6 mmの鉄板だから、糸鋸で切るのは大変だ。

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