博物館

2017年09月30日

Platform を作る

 Dennis は、「お前のところは、まだ駅が作ってないな。」と言う。彼は筆者のブログを克明に見ているようだ。
「この支柱を持って帰れ。」と言う。13本貰って、12スパンの上屋を作ることにした。ロストワックス鋳物のかなり頑丈なものである。一つ 130 gもある。

umbrella この種の支柱を英語でUmbrella と言う。傘である。台風でひっくり返った傘の形だが、そう言う。また「辞書に載ってない。」と、文句を付けられそうだが、しょうがない。3/16インチ(約4.7 mm)径の基礎に挿す棒も付いている。”umbra”は影という意味のラテン語である。ヘンデルの有名な歌に「オンブラ・マイ・フ」というのがある。「(気持ちの良い)木陰で」という意味だ。
 
 Raton の駅でプラットフォームを見てきた。レイル面から 10 cm 程度高いだけだ。列車が来ると、高さ 20 cmほどの台を置いて、客車のステップに上るのだ。
 プラットフォーム自体は箱型にするつもりだったが、作るのが面倒だったので、15 mm のシナ合板を幅を揃えて切って、貼り重ねた。色はコンクリート色を調色して手塗りした。わざと刷毛目を付けてそれらしくしたが、目立たない。地下道らしきものを作る予定だ。出入り口の階段を数段付ければ、それらしく見えるだろう。
 この厚さの合板は、長い端材をたくさんもらってある。ご希望の方には差上げている。

 アンブレラの色はずいぶん考えた。ロス・アンジェルス駅のアンブレラはオレンジ色であった。かなり目立つから使えない。昔オグデン駅で見たのは濃い緑(クロム・グリーン)であった。その色を調色して、塗った。かなりの艶消しだ。屋根は1 mmのアルミ板に溝を切って、押し曲げた。アルミ材は軟らかいので薄い板では平面が出ない。当初0.5 mmの板で作ったが、すべて作り直す羽目になった。


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2017年09月16日

San Diego Model Railroad Club

 予定より早く西海岸に戻れたので、車で二時間余のサン・ディエゴに行った。Balboa Park にある模型鉄道博物館に行くことにした。30年ほど前にも行ったことがあるが、その後どうなったかが知りたかった。

San Diego Model RR Club 4San Diego Model RR Club 5 ここには、N、HO、Oのレイアウトがある。地元のクラブが運営に参加している。今回はHOを重点的に見た。主題はテハチャピ・ループである。実物を正確に縮小した線路配置を実現している。余談だが、筆者の博物館のレイアウトでは、Oスケールのテハチャピ半径を実現している。HOだと半径1600 mm程度だ。

San Diego Model RR Club 7San Diego Model RR Club 2San Diego Model RR Club ループの隣にいくつかある180度カーヴも作ってある。これは
Caliente だろう。
 現代のレイアウトにしては高さが低い。そうしないとテハチャピ・ループを見下ろせないからだろう。要するにaerial view (上空から見た様子)を見せたいのだ。

 色調はとても良い。初夏のテハチャピである。彩度を抑えたほどほどの緑で気持ちが良い。日本のレイアウトを見ると、彩度の高い緑があってがっかりすることがある。

San Diego Model RR Club 6 構成はこのようになっている。写真を見ながらの作業のようだ。航空写真だから、位置関係はよく把握できる。現場に行って取材もしてあるようだ。


San Diego Model RR Club 3 多額の寄付をするとこのようなプレートを床に埋め込んでくれる。これは良いアイデアだ。当博物館でも考えてみたい。

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2017年06月13日

本日、ブログ2000号

 表記の通知を受けた。思えばこの1000号は早かった。祖父江氏、土屋氏、吉岡氏の死去に伴う博物館の建設作業、伊藤剛氏の遺品の収蔵、雑誌への対応などで目が回るほど忙しかったので、「おや、また1000号?」という感じだ。

 以前は全く気にも留めなかった読者数を、毎月の集計でみている。毎日、正確に決まった数の人が読みに来て下さっていることが分かる。読者数の波がここ1年、全く同じである。決まった数のフォロワーがいるということは、評価が確立されたということであろう。筆者の提唱することにご興味のある方が、一定数存在するということであると解釈している。

 筆者のポリシィは一貫している。
摩擦の少ない車輛を、高効率の機関車でたくさん牽き、重量感のある動きを再現させる。」
 それだけである。それを実現するためなら、何でもする。つまらぬ(と言っては失礼か)ディテールには凝らない。ただ、見えるところはそれなりに処理する。見えないところはすべて無視する

 博物館を見せてくれという要望はかなりあるが、今のところ、ほとんどの場合お断りしている。セキュリティがまだ不完全で、大切な収蔵物に事故があってはならないということもあるが、それよりも、見学者に割く時間が惜しい。その時間を製作に振り向けたい。
 それとターンテイブルが未完成で、お見せできる状態ではない。早く完成させねばならない。


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2017年06月05日

続々々 Old Black Joe

OBJ's 年次総会には、完成した何台かが持ち寄られた。沢山つないで走ったが、モータ、ギヤが同じなので完全な協調運転ができる。
 各人が様々なサスペンション(懸架装置)を付けている。コイルバネにした人もいれば、硬い線バネで支えた人もいる。走らせるとそれぞれのバネの特性が出る。コイルバネで浮かせた構造にすると、ポイントのフログで電車のような軽やかな音がする。
  
 会場では負荷をかけての走行はしなかったが、博物館レイアウトの勾配上での負荷試験では、モータの唸りが聞こえた。おそらく、チェーンの伸びがその音の一部を作り出しているのだろう。
 チェーン駆動ではスプロケットの角速度とチェーン速度とが、完全には一致しない。それがうなりのように聞こえるようだ。悪い音ではない。以前書いたように、位相をずらした二本掛けにすると変わって来るだろう。

 筆者の機関車が一番重かった。他の皆さんは重くするとモータが焼けると思われたようだ。実は提供したモータは、大変強力な高級モータで、軸重500 g程度でスリップ限界である。鉛をそんなに積み込むことはできないので、どんな補重でも問題のない範囲に収まる訳である。
 事前に計算しておいたのだが、それを他の方に伝えるのを忘れていたのだ。申し訳なかった。

 側面のデカルは、Union Pacificにした。余っているデカルがたくさんあったからだ。他に理由はない。

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2017年06月03日

続々 Old Black Joe 

Old Black Joe 伊藤剛氏のオリジナルはこんな形である。 外側三線式だ。その集電シュウが実によく出来ていて驚いた。適度な接触圧を持ち、垂れ下がらない。パンタグラフは戦前の朝日屋製を改造したような構造だ。

 フリーランスであるから、これを縮小して線路に載せると奇妙なものである。今回のOスケール化のポイントはそこである。本物を設計するつもりで、各部の寸法を決め、それを縮小した。基準となるのは車体幅である。幅が広くなると急にトイ・ライクになる。扉の大きさも大切な部分である。
 扉は開くようにもできる。筆者は開けないつもりだったが、簡便な方法を思いついたので、開閉可能にした。戻りバネを付けて、普段は閉じている。塗装時に気を付けないと、塗り残しが見えてしまうから、開けたままで塗って、その後外を塗った。

 小型機関車では、うっかり手を伸ばして感電ということが多いそうなので、パンタ台で持ち上げ、エアタンクでガードした。
 Sacramento Northernの本を読んでいると、庫内でパンタを上げる時の話が出ていて、それをやるつもりでポールを増設した。本物のポールは先端がT字の形をしていて、本当に接触させるだけの機能しか持たない。数十秒間補助コンプレッサが働くだけの集電機能である。HO用のポールがあったので使った。

 塗装は黒で、それにオレンジのトラ縞模様を付けた。塗装するつもりだったが、Dr.Yがデカルを印刷して下さったので、省力化できた。これをマスキングでやろうと思うと、かなり大変だ。 

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2017年05月30日

Old Black Joe

OBJ しばらくチラ見せしていたのは、これである。軸配置がまさか2軸とは思わなかった方が多いだろう。今月のTMSに載っているそうだ。筆者はまだ見ていないが、写真が一枚掲載されているとのこと。以前は写真を貸しただけでも掲載誌を送ってきたが、最近はそれもしないのだろうか。

 伊藤剛氏の1946年製の機関車である。元は35mmゲージだったらしい。それを32mmゲージにしたので、少々バランスが良くない、当時はそんなことを言う人はいなかった。
 戦争中、外地でイギリスの凸型機関車の写真からスケッチを起こし、それを日本に持ち帰ったらしい。その機関車はこんな形をしていたようだ。

 今年は名古屋模型鉄道クラブ結成70周年で、本来は伊藤剛氏の存命中にということで、75周年を5年早めて大規模な集会をするつもりだった。伊藤剛氏が、不慮の事故で他界され、少々淋しい年次総会ではあった。

OBJ on track 今年の競作は伊藤剛氏の記念作 ”Old Black Joe" を各ゲージで作るというもので、Oゲージ部会では、ステンレス板をレーザで切り抜いて頒布し、動力は筆者が提供した「3条ウォーム」 + 「コアレスモータ」で、すべて押して動くようにした。1台で数輌の機関車を牽引することができる。

 切り抜いた板を頒布できたのが少々遅くなり、実質2箇月で製作せねばならなかった。原作の雰囲気を残しつつ、スケール感を出している。設計は土橋和雄氏である。 

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2017年02月01日

客車ヤードの延長

passenger car yard2passenger car yard 我が家の地下室倉庫の発掘調査もほぼ終わり、客貨車の在庫を把握できた。あと70輌くらいだという確証を得た。客車の数が意外と多かった。客車ヤードは今の長さではとても足らないので延長工事をしている。一本当たりの長さが増えれば、本数が少なくても、やって行けるとみた。

passenger car yard3 25 mm厚合板を切って作るのだが、また無駄になる部分が最小になるように切り方を工夫し、ほとんど捨てることが無いようにした。ただ、900 mm幅の板から、500 mm幅の曲線を切り出し、その残材を回収して有効利用するわけだから、幅300 mmがせいぜいだ。
 つまり、延長分は5線の途中で狭くなって3線になるが十分だろう。14輌、16輌編成1本ずつと20輌編成3本が入る。これ以上客車が増えないと有難い。
road bed support 路盤取り付けは、既に物がたくさん置いてあるので、熔接は避けたい。鉄骨を熔接したものを、タッピング・スクリュウで留める。
 下穴なしでもできるのだが、細い穴があけてあれば、すんなり入ってずれることもない。


 すじかい付きの梁を鉄工所で作って貰ったので、工事は簡単だ。ただ、レーザの水準器をお返ししてしまったあとなので、またもトランシットを持ってきて、覗いて水平を出した。上下方向、傾きを調べるので、大変な手間である。4人がかりの仕事であった。
 幸い、助っ人がいる時にお願いしたので、比較的短時間で取り付けることができた。レーザ水準器があれば、一人でもできただろう。


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2016年11月29日

ヤードの容量

 ヤードが二箇所完成したので、かなりの収容輌数が確保された。貨車ヤードはきっちり詰めれば、230輌は入ると見ている。
passenger car yard 問題は客車ヤードだ。客車編成が5本しか置けない。しかも12輌編成がぎりぎりだ。
 もうないと思っていたのに、貨車客車のキットが見つかる。物置、押し入れの整理をすると、どさっと見つかる。組み掛けのまま20年以上昼寝しているものばかりだ。
 こうなったら組むしかないので、博物館に持って行って、作業台に拡げておく。そうすると何が足らないかが見えるので、一覧表を作って書きこむ。ある程度目星が付いたところで、材料を切り、孔を開けたり曲げて部品を作る。時間があるときに一気にハンダ付けして組んでしまう。
 たくさんあったLow-D車輪が見る間に減っていく。アメリカからの問い合わせが多くなったので、再生産せざるを得ない。

 数がまとまっていれば、一挙に10輌以上組むと、一輌当たりの時間は少なくなる。塗装もいっぺんに済ませれば溶剤の使用量も少なくて済む。デカル貼りは大変だがそれも楽しい。客車はあと35輌は完成させねばならない。貨車は60輌ほどもある。

 もうこの時点でヤードはあふれてしまう。ヤードの増設を考えねばならない。

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2016年11月25日

隠しヤード完成

Hidden Yard 隠しヤードの工事が終了した。貨車を少しずつ整備して、自宅から持って行った。土屋氏から来たものも、当鉄道仕様に改造して入線させている。
 その数、ざっと150輌。奥まできっちり詰め込んで留置した。平面は出ているので、動き出すことはなかった。

Hidden Yard bird's eye view 上から見るとこんな感じだ。Kansas Cityのヤードはこの幅の2倍だが、それを彷彿とさせる。曲げたのは成功であった。
 ポイントの整備は済み、どの線にも抵抗なく入線させられる。路盤の一部の塗装がしてないので、近日中に完了させる。

 この部分のポイントは全部で9つあり、DCCで動かす。本線ではないので、手元から遠隔操作で動かす必要はないだろう。NCEではMini-Panelという商品を売っているので、それを採用する。まもなく到着する。
 文字通り、小さな線路配置図にスウィッチを付けるもので、目的の線のボタンを押せば、自動的にポイントが作動してルートを形成し、目的を達する。1つで8台の制御が可能だ。リレィによる制御のことを思えば、あまりにも簡単であり、また安価である。DCのレイアウトにも採用できる。そうすれば、膨大な量の電線からも解放される。
 もちろん、手元のスロットルからの指令も出せるが面倒だ。入れ替え作業は目の前で行うので、パネルに手を触れたほうが楽である。

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2016年09月16日

続 隠しヤード敷設

escape track 隠しヤードの中の機廻り線である。長い機関車も一旦突っ込んで、切り離せるような寸法になっている。12輌の客車を留め置くことが出来る。ポイントマシンは、後付けは難しいので、予め付けておいた。切り離し用のアンカプラはまだ付けてない。電磁石方式にしようと思う。この工作は裏からできる。

 この部分は天井が低く、140 mmしかない。首を突っ込むこともできないので、横から手を入れて線路を敷く。ポイント部は、コルク板の上に貼ったものをハーマンのところで貰ったので、それを使っている。車輛が通ると騒がしい。通過速度がかなり小さいので問題にはならないが、貨車を手で押してその騒音を調べた動画を作った。かなりひどいものである。コルク道床は、何の役にも立っていない。


hidden yard その他の通常ヤード部分は7線あって、まだ工事中である。 照明は十二分だ。工事の時や、脱線復旧の時には必要なので、やや多目の照明を付けたのだ。捨ててある蛍光灯器具を有効利用した。使用時間が短いのでこれでよい。ゴムシートを敷いたが、5 mm厚ではなく、2 mm厚のシートを使った。エラストマの効果もあるので、十分静かだ。
 敷設は大変難しい仕事で、釘を打つ手を、横から入れることしかできない。この部分は25 mm合板上に建設し、一気に持ち上げて吊ボルトで留める方法も考えたが、重量がかなりあるので諦めた。長さは6 m以上あるから、同時に8人ほど居ないと持ち上げられないからだ。

 工事は、線路の通りを見る人と釘を打つ人が必要で、T氏にお願いして手伝ってもらった。あまり丁寧な仕事はしていない。速度が遅く、行き止まりで誰も見る人などいないから、完全な直線にはできてないが良しとした。ただし騒音対策は完璧である。 

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2016年09月14日

隠しヤード敷設

 亡くなったハーマンのところには、お悔やみを伝えるために、寄るつもりだった。ちょうど線路が不足していたので、荷物を現地で受け取るための送付先に指定してもよいかと聞いたところ、快諾を得た。2日のうちに荷物が届いたと連絡があったが、
「これは線路か?うちにもいっぱいある。持って行ってもいいよ。」
ということになり、博物館への寄贈という形で貰ってしまった。全部で数十本あり、かなりの体積だった。しかし、業者が商品を入れて来た箱が大きめだったので、それにぎっしり詰めることができた。
 空港に持ち込んだ時、検査で引っかかると思ったが、箱に
”Model Railroad Tracks”
と大書しておいたので、X線で検査しただけで通った。開けられると、もう一度きっちり詰めるのは難しいほどのすし詰め状態だったから助かった。透視するとレイルだけしか見えなかったのだろう。

 沢山の線路が揃ったので、隠しヤードの線路を敷き詰めた。「8線」+「機廻り線」で9本あると、線路がかなりの量必要だ。
 5 mmゴム板の上にエラストマを置いて、線路を留めた。ゴムは25 mm合板の上に置いてあるだけで、ところどころ、ずれ留めで釘が打ってある。この方法は、デッドニングがよく効いて、とても静かである。
 貰ってきた線路の中には、コルク道床に木の枕木を接着したものにスパイクしたポイントがあった。分岐の向きがちょうど良かったので、機廻り線用にフレクシブル線路の間に挟んで使った。
 その部分はとてもやかましい。ビデオに撮ったので、いずれYoutube にupする。 

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2016年09月12日

続 Allegheny

the Henry Ford (14)the Henry Ford (29)the Henry Ford (28) 1973年にこの博物館を初めて訪れた時、持っていた情報は、
「とてつもなく大きな機関車がある。世界一大きい。」だけであった。
the Henry Ford (25)the Henry Ford (23)the Henry Ford (24) それはBig Boyに違いないと思っていたのだが、行って見たら外れであった。
 当時はどこにどんな機関車があるかという情報はあまりなく、現物を見て驚くことが多かった。幸い、アレゲニィは井上氏の模型を知っていたので、なるほどという感じである。

 世界一大きいというのは間違っているとは言えない。機関車の「大きさ」はいくつかの次元で語られる。
 質量、長さ、出力、引張力などである。その前に「機関車+テンダ」が、100万ポンド(454トン)以上なければ比較の対象にはならないらしい。1980年代のNMRAの会報にいろいろな諸元から考える記事が載っていた。整理が悪くてその記事が見つからない。
 確か、アレゲニィは引張力と機関車の質量とが最大ではなかっただろうか。長さはPenssyのS1だ。出力にはいろいろな測定条件があり、Big Boyは連続した出力の点で1位だったような気がする。短時間の出力ではPenssyのQ2が凄い。それと速度の問題もある。Big Boyは大動輪で高速運行ができた。特に下り坂ではその違いは大きい。また稼働していた輌数、期間、運行距離も大きなファクタである。
 様々な点で、Big Boyを最大、最強、最速、とする意見が支配的であると感じている。

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2016年09月10日

Allegheny

the Henry Ford (26)the Henry Ford (27) 多くのコメントを戴いた。すべて正解で、Alleghenyである。ビデオが繰り返し放映されていて、その発音はやはり第一音節にアクセントであった。

 この機関車は整備し終わった状態で放置されたので、それをそのまま博物館に収蔵した。タイヤが削りたてである。デンヴァに置いてあるBig Boyのタイヤが磨り減っているのとは大違いである。塗装も当時のままだろう。ベルの外が黄色であるのは興味深い。
 
 ベルの内側を赤く塗るのは、大半の鉄道会社で行われている。40年ほど前、筆者は自分の機関車のベルを赤く塗って椙山氏のところに持って行って披露した。椙山氏はそれを目ざとく見付けられて、褒めて下さった。懐かしい思い出である。

the Henry Ford (21)the Henry Ford (30) この機関車の大きさは、尋常ではない。よくぞこんなものを作り上げたものだと感心する。
 この博物館がなければ、屋外に放置されて朽ちていったのだろう。

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2016年09月08日

続々 Greenfield Village

Greenfield Village (15)Greenfield Village (16)Greenfield Village (17) この工場はフォードの工場の一角をそのまま移設したものだ。動力は蒸気機関である。非常に懐かしい。筆者の子供の頃は、日本にはまだこのようなシャフトのある工場がたくさんあった。もちろん電気モータ駆動であったが。天井のシャフトから動力を取るから、ベルトに巻き込まれると大事故である。3枚目の写真の機械は、売店で売る小さなブラス製の商品の部品を作るために作動させるが、作業中にベルトに巻き込まれる事故を防ぐために金網でその部分を囲ってある。

 シャフトには丸いドーナツ状のフェルトが通してあり、シャフトの回転により、自然にあっちへ行ったりこっちへ来たりする。即ちシャフトの錆び止めである。
各種の工作機械が並び、これで自動車を作っていたと思うと隔世の感がある。

the Henry Ford (7) 前後するが、Henry Ford博物館の中の最も人気のある展示物はこの貨車の前にある。
冷蔵車は保存状態が良く、あちこちの飛び出し具合がよくわかる。ちょうど製作中のと同型だから助かる。しかしここまで細かく作っても、他が同水準でないと変なものだ。
the Henry Ford (11) 冷蔵車の扉に手前に黒い札が差してある。板の厚みには驚いた。こんなに厚いのである。

 さて、その前方にあるのは何だろう?この博物館の中で最も写真に撮られる頻度が高いのだそうだ。大き過ぎて、運び込む時に入り口を少し壊して入れたそうである。  

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2016年09月04日

Greenfield Village

 このグリーンフィールド・ヴィレジには1991年から鉄道が整備された。もちろんヘンリィ・フォード自身の意思によって線路敷設は予定されていたのだそうだが、時間が掛かった。
Greenfield Village (9)Greenfield Village (7) 機関庫は1884年に建てられたものを移設した。転車台は手動である。
 稼働可能な蒸気機関車は3輌あって、先の4-4-2、4-4-0とこのメイソンボギーがある。 
  
Greenfield Village (30) かなり大型である。訪問時には機関庫に入っていたが、走っている動画はかなり見つかる。


Greenfield Village (31) 機関庫の中にはピットも切ってあり、動輪の嵌め替えもできるようになっている。工具類の並べ方は参考になる。


Greenfield Village (34) 煙突は上下できるようになっていて、煙を庫内に充満させることがない。見学スペイスは高く、作業の邪魔にはならない。原則として機関車を奥に突っ込む。そうすれば作業スペイスが確保できる。
 テンダは後ろに尻を出しているときもある。昔、テンダばかり買う男がいたので、何をするのだと聞いたら、こう言った。
「機関庫に並べるのだ。」

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2016年08月27日

gas engine

Greenfield Village (26) これがそのガス・エンジンである。gas motorとも言う。「〇×モータース」という言葉はここから来ている。アメリカではいまだによく聞く。diesel motorという言葉もある。

Greenfield Village (29) さて、エンジンはこの配置であったのだ。排気ガスは観客のほうに出て行ったらしく、途中で切れている。軸受は二つで、クランクケースはない。コンロッドやピストンの潤滑はどうしたのだろう。シリンダの中頃にパイプがある。そこから潤滑油を滴下したのであろう。油は飛び散り、ブロゥ・バイ・ガスはすさまじいものだったろう。点火プラグが見えないから、焼玉エンジンのようなものであったのかもしれない。窓を開けないと、とても運転できないだろう。
 当時は電気モータは非常に高価だったようだ。また直流送電の区域では大電流が取れず、使えなかったらしい。

Greenfield Village (25)  翼の組み立てはここで行われたのだ。堅い木を接続して作られ、ワイヤで引張って羽を捩じる工夫がある。細かい細工は自転車の技法を駆使してあり、自転車屋ならではである。

Greenfield Village (28) この一角にはボーリング中のガス・エンジンがある。4気筒だ。既存のものでは役に立たなかったので自作し、出力を上げている。この大きさでもせいぜい12馬力であるが、他の熱機関に比べると、対質量比で大きく勝っている。

 風洞では、揚力を羽の断面を変えながら測定していた様子が分かる。彼らは職人であると同時に科学者であった。考えながら作るというところが、他の挑戦者と大きく異なるところであったことを実感した。理屈だけではだめなのだ。

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2016年08月25日

Curator

 Henry Ford博物館の隣にあるGreenfield Villageは、古き良き時代のアメリカを再現している博物館である。明治村は、これの劣化コピィである。

 Edisonの研究所とか、Wright Brothersの自転車店もそのまま本物を移築して、内部も再現してある。エジソンの研究所には電池の開発のための、ありとあらゆる試作品があった。試薬瓶もかなりたくさん当時のものを置いてある。錫箔に録音した当時の機械を実際に作動させて、音声の再現を見せてくれる。ただしアルミ箔であった。

Greenfield Village (18)Greenfield Village (19) ライト兄弟は自転車屋を開いていて、その利益で飛行機の開発をした。当時の自転車はとても高く、現在の3000ドルほどもしたそうだ。だからこそ、開発資金が賄えたのだ。
 裏には自転車を加工する工場があり、その一角で飛行の原理を研究した。風洞なども当時の本物がある。研究ノートも再現してある。

Greenfield Village (23)Greenfield Village (22) 1989年に行ったとき、筆者はその工場の動力がないのに気が付いた。天井にはベルト駆動で旋盤、ボール盤を動かすシャフトがあるのに、どこにも動力がない。
 たまたまやって来たキュレイタに、
「この工場の動力は何を使っていたのですか。ないのはおかしい。」と聞いてみた。
 彼女は博士号を持つキュレイタで、
Greenfield Village (29)「確かにおかしいですね。蒸気機関はこの工場にはあまりにも大きすぎて維持が大変ですし、水車というのも考えられない場所です。小型の
gas engineかもしれない。」と言う。
ちなみにガスエンジンというのはガソリンエンジンのことである。
「とても素晴らしい質問です。早速調査して、今度お越しになるときには、納得のいく形にしておきます。」ということであった。
 今回はその確認もあって、楽しみにしていた。 

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2016年08月15日

the Henry Ford

 アメリカに行っていた。友人に案内を頼まれて、シカゴ、デトロイト方面に行ったのだ。降って湧いた話で、何の準備もなく出発した。 向こうに着いてから、会うべき人と連絡した。
 最近はこの手の話がよくあって、今後この種の通訳・ガイド・ビジネスができるかもしれない。

 表題のヘンリー・フォード博物館はこれで5回目だと思う。最初は1973年で、
まだ隣のGreenfield Villageがそれほど充実していなかった。76年もさほど変わりがなく、89年はかなり建物が増えていたと感じた。
 名古屋に、トヨタの作った産業技術記念館という博物館がある。明らかにこのヘンリー・フォード博物館の劣化コピィである。真似をするなら、完全な真似をすべきであった。

 周辺の道路にある行先表示は、最近は表題のような表現になった。固有名詞にtheが付くようになったのだ。「あなたの行きたいヘンリー・フォード博物館はここです。」という意味になったわけだ。
 
 2009年に鉄道施設の拡充があり、扇形機関庫、転車台が整備された。収蔵されているのはかなり大型の4-4-2などで、非常に美しい。塗装でなく、鋼の表面を緻密な酸化被膜で保護した、いわゆるRussian Ironである。

 この色については様々な場所で論議されているが、あまり正しいことは示されていない。塗装による再現の話題もあるが、それを見ても正しいとは思えない。反射光であるから、塗膜の中での反射では解決するわけにはいかないのだ。 

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2016年07月27日

隠しヤード

image (19) 隠しヤードが大半完成した。あとは終点まで延長するだけなのだが、フレクシブル線路が無くなった。昔のブラス製のレールが沢山あるので、それをめっきして枕木を付けようかと思っていたが、めっき代が意外と高く、買った方が時間も金も節約できる。線路を買いに行かねばならない。


image (18) ヤードは8線で、9 m強ある。実物で言えば、400 m強だ。障害物を避けるために、微妙に曲がっている。実はそれがやってみたいから、支柱の位置を決めた。真っ直ぐにしようと思えば、できたのだ。ここでも、分岐の整列はレーザ光で行った。
 Kansas Cityの巨大なヤードは川沿いにうねり、実に素晴らしかった。曲がったヤードは美しい。土屋氏とそこに行ったのだが、かなり感動的な景色で、
「これをやりたいものだ。」
と話し合ったことを思い出したのだ。
 
 直線部分の線路間隔は90 mmだが、途中の曲線では少し拡げて95 mmにした。だから、微妙な曲線を描いている。さらに奥に進むと細い柱があるので、もう一度曲がって2線と6線に分岐する。

 少し離れた1本は、 機廻り線である。突き当り部にポイントを付けるのだが、切り離しを確認するために、TVカメラが必要だ。剛氏なら、光電式の検知装置を付けるのだろうが、カメラの方が簡単で安そうである。


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2016年07月25日

客車ヤードの配置

IMG_0608 客車ヤードは入り口のダブルスリップ以外が完成している。型紙は作ったが、まだ取り掛かっていない。DSは機運が熟さないと出来ない。すべての部品を作った上、体力があって気分の良い時に、1日で一気に作るに限る。何日も掛けるとろくなことはない。


image (19) 曲線部に同じ番手の分岐を並べたので、こんな形になった。10番分岐の型紙を何度も並べ替えて、S字カーヴにならない配置を割り出した。これ以外の配置では不可能だ。

 順に7番、8番、9番、10番と急なものから緩やかなものへと使えば、もう少し機能的だったろう。そんな話を鉄道関係者としていたら、
「そんなことはありません。ヤードなんかは手持ちのもので作るのです。余っている分岐で現物合わせですよ。速度が遅いので、線形なんか気にする必要はありませんから。」
とのことであった。

 確かに、港の近くのヤードの線形はかなり無茶だ。ありえない形をしているものがある。

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2016年07月17日

続 TMS195号 

 筆者が高効率模型開発の実践をしていることを、山崎喜陽氏は井上豊氏から聞いていたらしく、
「TMSで発表させてあげるから・・・」
と話し掛けてきた。物の言い方が気になったが、数分間話をした。彼は筆者の話に非常に興味を持ち、実際に80坪の部屋の床で大規模な線路を敷いて実験をしている写真を見て、愕然としていた。
「日本で模型の効率を測定している人はあなただけだ。」
と言った。実際にはもう一人いて、それは吉岡精一氏であった。しかし、当時はまだ、吉岡氏とは連絡が付いていなかった。それを妨害した張本人は山崎氏その人であったのだが。
 極めて初期のTMSに、歯車の効率の話がある。山崎氏は、鉄道模型はよく走らねばならないという信念は持っていたようだ。

 話の内容を横で聞いていた荒井友光氏は上機嫌で、
「山崎君、名古屋にはこういう人もいるんだよ、大したもんだろ。『尾張名古屋はO(オウ)で持つ』って昔から言ってたじゃないか。」
と嬉しそうだった。その前の年のNMRAの新年会で、アメリカのNMRAのコンヴェンションのスライドを100枚以上見せた。カツミの栗山氏がそれを見ていて、筆者は請われて東京で二回再演した。そのことも聞いていたらしく、見せてくれと頼まれた。当時アメリカでも、
"O gauge is back" というキャッチ・フレイズでOゲージの復権が始まっていると言うと、非常に興味深そうだった。彼はアメリカの話には心を動かされるようだった。

その席で、筆者は山崎氏が「Model Railroader に投稿するならウチを通さなければ載らない・・・・」と、また言ったものだから、呆れてしまった。筆者は若いとは言え、アメリカに居たことのある人間だから、そんなことを言えばバレることぐらいわかりそうなものだ。
 筆者は井上に連れられて、山崎氏とは過去に複数回会っている。いつもそれを言う人であった。本人はそう信じていたのだろう。お気の毒ではある。
 
 例の3条ウォームの記事はぜひともTMSで扱いたかったものだったと、発表直後に荒井氏から聞いた。

 一方ミキストで、実名を挙げて攻撃された副会長の加藤 清氏の怒りは収まらず、553号まで投稿しなかった。漁夫の利を得たのが「とれいん」誌で、かなりの原稿がそちらで発表された。


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2016年07月15日

TMS195号

TMS195 もう50年以上も経ったのだ。TMS195号(1964年)のミキスト欄にはかなりすごいことが書いてある。筆者の持っている一番古いTMSが186号であるが、それ以前のTMSで、NMRC(名古屋模型鉄道クラブ)の記事はよく見ていた。だからクラブに入会しようと思っていたのだが、突然TMSでのNMRCの記事が全く無くなってしまった。解散したのではないかと思ったぐらいだ。
 しばらく経って、椙山氏のお宅でNMRCの会長だった荒井友光氏を紹介され、直ちに誌友となり、正会員になった。NMRCが無事に存続していたことは、筆者には驚きであった。
 
mixt195 そのミキストにはNMRCの悪口が40行くらい書いてある。今だったら、名誉棄損で直ちに裁判沙汰になるような内容である。個人名も明記するなど、とても信じられない記事だ。剛氏と山崎氏は「ケンカ友達」だったのだが、副会長の加藤氏はそうではなかった。TMS憎し、でそれは加藤氏が編集長だったYard誌に表れている。
 これがきっかけで、NMRCはTMSと絶縁した。剛氏はそれまで極めて頻繁に紙面に登場していたが、全く影を潜めた状態が、400号まで続いた。ざっと16年間の冷戦状態であった。剛氏は東京勤務の時代もあったのだが、TMSとは接触しなかった。
 剛氏は仲直りが必要だと考えたのだが、副会長氏は強硬で実現しなかったようだ。
 この状態に心を痛めたのは井上豊氏で、東京方面に引っ越されたこともあって、頻繁にTMSとは接触し、仲裁を試みた。360号(’78年)あたりから、かなり頻繁にアメリカ型蒸気機関車の記事を発表している。古橋正三氏はギヤード・ロコの記事をかなりの数投稿したし、また、荒井友光氏も395号でトラス橋の記事を書いた。荒井氏は上京の際山崎氏に会い、400号までに関係の修復をすることを約束させた。
 その年のNMRC新年会で、山崎氏は来名し、「また仲良くやろう」と全会員を前に、伊藤 剛氏と握手をした。その後名古屋特集が出たのは、筆者の解釈では、いわゆる手打ちではないかと思っている。あの内容を訂正もせず放置したのは良くなかったからだ。


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2016年07月13日

C&O 2-6-6-6 Allegheny

 井上 豊氏のHOモデルが掲載されたのはTMSの1967年11月号である。表紙のうすい黄色を覚えていたので探すのは容易だった。実は自宅の書庫のどこにあるのかはすぐには分からないのだが、博物館の棚には全て並んでいるので、探すのは非常に楽である。
 当時は高校生で、ずいぶん興奮して読んだ覚えがある。井上氏はどうしてこの機関車の図面を手に入れたのだろう、という疑問を我々の世代の人は持ち続けていたようだ。
 TMSの569号にはウォーカー氏の記事があり、疑問が氷解した方が多かった。 

 このHOモデルはのちに改良された。テンダのリヴェット打ち出しをやめ、酒井喜房氏の紹介で、エッチング図面を描いて外注したのだ。出来上がったテンダは素晴らしく綺麗で、メーカ完成品かと思うぐらいだった。デカールは椙山 満氏が貼った。テンダの改良は、1983年のTMS436号に載っているが、やはり不満で、すぐそのあとに根本的に作り替えられたのだ。 
 その試運転に来られて、拙宅に泊まられた。その2日間は非常に濃密な時間であった。あらゆる常識、テクニック、機構的アイデアを伝授して戴いた。
 押して動くウォームのアイデアはまだ出ていなかったが、すでに筆者は摩擦の少ない模型鉄道の実現に向けて動き出していた。ミニチュア・ボールベアリングには大変興味を示され、しばらくするとTMSにその記事が出た。筆者が半径3mの線路を敷いて、60輌運転をしていた時代だ。
 ウォーカー氏の件も多少は話題になり、569号の記事にある「お代官様」という表現も、その時出てきたことを覚えている。

 そのTMS569号1993年4月号には、NMRCの新年例会の記事が載っている。このころはすでにTMSとNMRCとの和解の時期であり、その以前の20年弱の「反目の時代」が終わったのだ。だからこそ井上氏の記事が取り上げられたのだ。「名古屋特集」もこの後出版されている。

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2016年07月11日

Walker氏のこと その10

Walker 名古屋模型鉄道クラブで長老方にこの話を詳しく聞こうと思っても、ほとんどの方が言葉を濁されてしまう。
 井上 豊氏のお宅にお邪魔して話を伺った時、食料を持ってきてくれたということを仰ったが、同席されていた奥様は突然話を逸らされた。
 話してはいけない、という気持ちがどなたにもあったのだろう。

 伊藤 剛氏は、
「アメリカは時効が長いからね。場合によっては無いかもしれない。突然、軍法会議に掛けられても・・・という気持ちもありましたね。」
「会社のためとは言え、我々もこれが賄賂性があるということは、百も承知していましたよ。ウォーカー氏が帰った時、関係者はほっとしたけど、口外してはいけないという気持ちがありました。」
と仰った。

 椙山 満氏のお宅でこの話が出て、当時のNMRCの会長の荒井友光氏が、いろいろなことを教えてくれたが、写真の件となると、見せてはもらえなかった。
 井上氏のお宅に、伺って見せてもらった時、機関車のことは嬉しそうに話され、試運転の写真を見せてもらったが、その背景については話されることはなかった。

 3年ほど前伊藤 剛氏宅に伺った時、剛氏はこれらの写真を筆者に渡して全てを話され、近い将来の公開を委ねられたのだ。

 多くの模型人の心に傷を残して、それらの模型はアメリカに向かった。


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2016年07月09日

Walker氏のこと その9

 Walker氏の模型は、すべて完成後、大同製鋼の集会室で運転をしたのだそうだ。戦災で焼け残った大きな建物は少なかったようだ。おそらく旅客列車が写っている場面がそれなのだろう。
 詳しくはわからないが、中央三線式交流18 V 程度であったろう。HOが12 V になったのは比較的古いが、大規模なOゲージ、1番ゲージは電圧を高くしておく必要があったと思われる。

 ウォーカー氏は帰国時に、
「これらは日本の模型人のレベルの高さをアメリカに知らせる良い見本だ。アメリカ中でこれを見せるツアをする。」と言ったそうだが、それをしたという話はどこからも聞こえてこなかった。彼自身もこれが賄賂性があることを認識していたはずだから、そんなことはできなかっただろう。

 1980年代の終わり頃、名古屋模型鉄道クラブに一通の手紙が舞い込んだ。それはウォーカー氏の子息からのもので、
「里帰りさせたい。」
とあったが、よく読むと、要するに買い取ってくれないか、というものだったそうだ。
 当時筆者はアメリカに居たので、間接的にしか知らないが、乗用車1台分くらいの価格であったそうだ。

 後で土屋氏にその話をすると、
「買っていたかも知れんな。」
と仰った。

 その後、その話は全く消えてしまったので、どうなったのかは分からない。一度見てみたいものだが、手掛かりを探すだけでもかなり時間が掛かりそうだ。

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2016年06月25日

Walker氏のこと その2

flat car 会社のための模型作りだから、勤務中に会社で作る。
「私の人生の中で、あれが唯一の経験でしたね。仕事で模型を作ったのは。」と、剛氏は仰った。剛氏が図面を描き、一部はカツミ模型店で作ったものもある。

reefer 模型とはいうものの、実物通りに扉は開き、ロックも掛かるようにした。実物の図面があるのだから、やればできてしまう。材料は会社が購入し、塗料は塗料会社に注文した。白眉はレイルで、製鋼会社が、わざわざその断面を作って挽き出した。ポイントも熟練工が実物同様に削り出したものを用いた。クロッシングは一体鋳造である

NYC J-1e and streamliner 蒸気機関車はライヴ・スティームだから、ボイラを作らねばならない。井上 豊氏は銅板を丸く曲げてリヴェット留めし、銀鑞付けするつもりであった。ところが、日本碍子の旋盤工が、「ワンピースで作ってやる」と言い出し、薄いボイラを肉厚銅菅から挽き出してしまった。その話を何度も井上 豊氏から聞いてはいるが、いまだに信じられない。銅のような粘っこい材料を旋盤に掛けると、喰い込んでお釈迦になるはずだ。

「彼はね、今で言えば技能オリンピックで金メダルを取れるような人なんだ。出来ないことなんか無いんだよ。」と井上氏は強調した。
 ピカピカの薄いボイラで、素晴らしい出来だったそうだ。 

 1967年、井上氏は C&Oの2-6-6-6 アレゲニィのHOモデルをTMS誌(233号)に発表した。当時はそのような機関車の存在すら、ほとんどの日本人は知らなかったが、彼は本物の図面を持っていたので、わけなく作ってしまったのだ。
 また、井上氏はAlleghenyの発音を正確に覚えていらした。日本の模型人はこの地名をよく知っているのだが、筆者が出会った人の中で、正しい発音をされたのは井上氏と剛氏だけだ。
 参考までに書くと、最初のA強く言うラゲィニ と言えば通じるが、それ以外の発音では不思議そうな顔をされるだろう。しかし、TMSの表記はやや異なってアレゲーニーとなっている。この表記だと第三母音にアクセントが来ると思ってしまうだろう。筆者もそう思った。

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2016年06月23日

Walker氏のこと その1

剛氏のアルバム 連合軍が日本を占領していた頃の事情を細かくつづった本を読んでいるときに、筆者はある名前を見てどきりとした。ウォーカー中将という名が出てきたのだ。
 もちろん別人なのだが、名古屋には別のウォーカー氏が居た。剛氏の遺品の中にそのアルバムがある。

 アメリカから派遣されて、当時の中部地方の工業地帯を統括していた人の名である。軍属ではなく民間人であろう。
Mr.Walker ハロルド・ウォーカー氏はこの地方のすべての産業を押え、アメリカの国益を守る経営をさせるために派遣されていた。あまりにも厳しい人で、どの会社も、どうしたら少しでも目こぼししてくれるかを考えていた。ある時、彼は鉄道模型が好きだということが分かった。そこで日本車輛の伊藤剛氏が抜擢されて、話をしに行ったのだそうだ。剛氏は模型人であるし、英語が堪能であったからだ。ウォーカー氏は、Missouri Pacific鉄道に勤めていたことが分かったのだ。

 そこで日本車輛が車輛を、大同製鋼がレイルを作り、彼の好きな列車を進呈することになった。はっきり言えば、賄賂である。鉄道模型を用いて懐柔しようというわけだ。蒸気機関車は井上 豊氏が作ることになった。三菱や日本碍子、国鉄まで巻き込んだ大作戦である。

 車種は先方の指定で、NYCハドソンとC&Oアレゲニィ、FMのディーゼル機関車、流線形客車5両、貨車7両であった。すべてアメリカから本物の図面と写真を取り寄せ、その1/32、1番ゲージ模型を作ることになった。(写真は完成した模型を手にするウォーカー氏)

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2016年06月17日

カント付き線路

hand laid superelevated track カント付きの曲線はこのように出来上がった。曲率が一定であるので、なかなか壮観である。枕木裏も削ったので、平面に完全に密着する。スパイクは緩いものをすべて抜き、接着剤を塗って押し込んだので、二度と抜けることはないはずだ。

underside of the superelevated track 裏はベルトサンダの平面で軽く削ると、このようになった。枕木の多少厚いところは削られている。フライスで斜めに削いだ部分は刃型が出ている。目で見ても分からないが、このようにするとオイル・ステインの浸込み具合が浅かったので、その凹凸が強調されているのだ。
 釘の切り口が平面になって光っている。何かの間違いで短絡を起こすといけないので、絶縁材を貼る予定だ。
 
 ここまでの工事で延べ6日掛かっている。もちろん仕事をしている時間は3時間くらいだが、ステインの固まる時間、接着剤が硬化するまでの時間を取らねばならないので、その程度の時間が必要だ。重しを載せて保持する平面も必要で、生産性は極めて低いと言わねばならない。あまりやりたくない仕事だ。
 この部分はトラス橋の上で、さらにガーダ橋の部分も連続して作る。ジグを加工して延長できるようにするのだ。ジグは2.6 mmの鉄板だから、糸鋸で切るのは大変だ。

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2016年06月03日

鉄橋内の線路

 カントの付いた枕木を整列ジグに入れて、レイルを取り付けた。

 レイルを曲げて所定の半径にする。枕木に罫書きを入れて、位置を確定した。仮留めの位置に、外側レイルを取り付けるためのスパイクの下穴を細いドリルであける。枕木に少量のスーパーXを塗り、レイルを固定する。その時、半径2900 mmのジグを押し当て、全く隙間が無いようにする。

 レイルを圧迫し、枕木と密着するようにせねばならない。枕木はいかに精密に作られたとは言え、多少の厚さの違いはありうる。それでも密着させねばならないので、柔らかなバルサの厚板の上で作業する。その厚さは10mmである。

 レイルの上にあらん限りの重いものを並べる。合板を置いて、その上に定盤、スライダック、金床、電線、ネジ釘、工具、重そうな雑誌を山のように積み上げると、バルサは多少凹み、すべての枕木とレイルが密着して、接着される。
 次の日、重しを取り除くと、バルサには枕木の凹みがあるのが分かる。重しがよく効いた証拠だ。レイル10 cm当たり、6 kgほど載っていたことになる。

M1040001 そこにスパイクを打つ。もちろんバルサまで貫通する。再度2900 mmのジグを置き、内側レイルを接着し、また重しを載せる。固まるまで一昼夜を要する。
 錘を外しても位置関係が正しくできているので、スパイクをすべての枕木に4本ずつ打つのは容易だ。もちろん下穴を開ける。
 裏返してバルサ板を取り除くとこんな具合だ。


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2016年06月01日

室内は室外である

caboose by Go Itoh これは伊藤 剛氏の作られたカブースである。かなり傷んでいるが、原型を保っている。これも折り畳み式の筈だと思ったが、そうではなかった。他にもあるのかもしれない。

 このカブースはいわゆる”NE type”である。米国北東部の鉄道で共通に使われたタイプだ。Reading RRで最初に採用したので、Reading cabooseとして売っていた。インポータは複数あったような気がする。ブラス製で、製造は安達製作所である。
 剛氏は安達庄之助氏を訪ねて、板の状態の部品を入手し、それをもとに工作をした。

broken NMRA X2E coupler NMRA型のカプラが付けられている。 X2Eである。この板金製のカプラーは弱い。強くぶつけると、上下に泣き別れになるのである。合わせ目に薄い板を貼れば壊れにくいが、下の押し合う部分が曲がるだろう。砂鋳物製の製品も持っているが、やや分厚い。
 その後ケイディが普及して、誰もこのカプラを使う人は居なくなった。 

caboose interior このカブースには剛氏によって内装が付けられている。剛氏は、「室内は室外である」という名言を残されている。「外から見えるものは、付けるべきだ。」という意見だ。
 このカブースも、見えるところだけは工作してある。キュポラの部分の椅子が付けられているし、洗面台もある。
 経年変化で接着剤が変質して、あちこち壊れているが、直せばすばらしくなる筈だ。また、ガラス窓は上に抜けるようになっている。反対側(この写真では左)の窓はポジフィルムの透明な部分を使っている。 いずれ修理して、デヴュウさせたい。

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2016年05月30日

続 collapsible freight cars

cigarette carcigarette car 2 これがその側面である。MDFの板に紙巻タバコの包み紙が貼ってある。さすがに、50年以上経つので、劣化している。ブラス製の側板を持っているので取り替えたい。
 原作を生かしてばらばらにできるようにする。

 台車は大きめのホックで留めてある。すなわち外すのはとても簡単で、たくさんの貨車から台車を外して車体を畳めば、体積が極めて小さくなる。コートのポケットに何台か入るのだそうだ。当時はOゲージ全盛で、運転会には乳母車に満載して出かけた、と椙山 満氏は語っていた。

 台車にはプラスティック製の車輪がついている。台車を車体に嵌める時に、向きを一切考えなくても良いから、好都合だ。

 このような折り畳み方式を考えたのは、当時HOが台頭してきて、小さいから便利だということを見せつけられたからだそうだ。誰かがスーツのポケットから機関車を出して見せたことがあり、それで対抗意識を出した、とお聞きした。

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2016年05月28日

collapsible freight cars

collapsible 折り畳み傘を英語でcollapsible umbrella と云う。たぶんアメリカ語だと思う。イギリスでは別の言い方をしていたように思う。collapse という語は、くしゃくしゃとつぶれる様子を表す動詞で、パタンパタンと畳まれるときはfoldingと言ったような気がするが、辞書を引いても今一つよくわからない。言語学者に聞けば良いのだが、なかなか難しい。
 
 さて、この写真をご覧になって、「分かった」という方は多分75歳以上だ。1950年代に伊藤 剛氏が発表された折り畳みができる貨車だ。
 お預かりしている箱を順次開けていくと、このようなものに行き当たる。

 妻板はぱたんとこちらに倒れる。すると体積が1/3になるというものだ。屋根と側板は輪ゴムで束ねる。台車は例によってホックでパチンと嵌まっているだけだから、抜けば体積を減らせる。妻板裏のバネをつかんで縮めれば外すこともできる。残念ながら側板が劣化して壊れているので、すぐにはできないが、修復しようと思う。

 見つかっているだけで5台分ある。驚いたことに(当然なのだろうが)妻板のヒンジ部分は互換性があり、どの部品とも合う。組立時にジグを使っていらしたのだ。この辺のことは、なかなか実現できないものだ。

伊藤剛氏の工作 妻のクロースアップである。このブレーキホィールは既製品ではない。実に見事な造形である。中心部は小さなホックである。それに細いブラスのワイヤを花びら状に作ってある。繊細で美しい。この写真は拡大しているが、実際は直径が10mm程度のものだ。小さいから見過ごしてしまいそうなのだが、細かくできていて、美しい。



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2016年04月28日

続々 客車ヤード

passenger car yard 4 しばらく来客が多く滞っていたが、作業を再開した。

 線路有効長はプルマン客車の12輌分が2本と11輌分が1本、10輌分が2本である。これで良しとしておかないと収拾がつかなくなる。隠しヤードへ行く線路には、枕木を茶色のものを用いた。色分けをしておかないと、何かの間違いを犯す可能性があるからである。
 線路は仮に置いただけであるから、多少のずれはご容赦願いたい。

 こうして見ると、ずいぶんたくさんの線路が並んでいて、壮観である。曲線の半径は左から順に、3100、3000、2900、2800R、そして空白があって、2600Rの隠しヤード行の線路がある。その内側の5線は2500、 2400、 2300、 2200、 2100Rである。これだけで10線である。

 考えてみれば、この写真の向こうの方(入り口に近いところ)にも、8線のヤードがあり、本線と合わせて10線ある。すなわち、このカメラの位置から15 m弱は10線が並んでいるということだ。それだけでFlex-Trackを10カートンほど消費している。山のように有った線路の箱がついに一つもなくなったのである。そして、エラストマの道床も400kgほどあったが、半分以上使用した。

 エラストマは製品の表面に何かの油(離型剤)がついているらしく、強力な洗剤で洗って落とした。そうしないと接着剤が付かない。接着剤は水性のものを用いた。

 各ヤードごとに分けて、DCCは全部で4つの饋電区間とする。そうしないと何かの事故が起きたときにどこで問題が起きたか、解明が困難だからである。4つの短絡検出回路を付けるべきであろうが、一つだけ根元に付け、各セクションごとの遮断スウィッチを付ければ、短絡時に一つずつ確かめることができる。この方法は、自宅のレイアウトで検証済みである。

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2016年04月24日

来訪者

 博物館に連れていって中に入った瞬間に、同じ言葉を発した。
”Huge(巨大だ)!"
 まさかアメリカ人の趣味人が、そういう感想を持つとは思わなかった。すでにYoutubeで動画を見た上での来訪であるから、 その点でも意外であった。もっと狭いところをくねくねと線路を引き回していると思ったそうである。 

 サウンド装置を最大限に働かせた後で、音を消して走行させた。
”音がしない!あまりにも静かだ!”と驚いた。参考に、ごく普通のめっきをした車輪を付けた車輛を1輌、斜面を滑らせた。シャーッという音がして、これが普通なんだよと言うと、納得した。
 Low-Dの威力が分かったのだ。 

 何台つないでいるのか数え始めた。実は数えやすいように、10輌ごとに少し変わった塗装の車輛をつないである。それでもどういうわけか10輌間違えた人がいた。正解は123輌である。貨車を手で押してみて、動力車が入っていないことを確認した。
”間違いなく、1輌の機関車で牽いている。これはすごいことだ。ギネスブックに申請しよう。”と言った。この程度のことではさほど感心することもないのだが。

 図書のコーナではかなり驚いていた。
”よくもこんなに集めたね。”
”大半は故人のコレクションなんだ。一応、日本で発行された趣味誌はほとんどある。”
と言うと、感心していた。

 線路の整列具合も彼らの興味のあるところだ。「レーザでこうやってアラインメントを出している」と見せると、非常に興味深そうであった。
”この方法は使うべきだが、この機械は高いのだろうか?”
 大まかな価格を知らせると、納得していた。  

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2016年04月12日

伊藤 剛氏の資料整理

 路盤敷きは体力の要る仕事である。合板でできた路盤を何度となく上げ下げして、当たり具合を調べ、水平面中でのアラインメントが出ているかどうかを調べる。
 午前中にその作業をすると体力を消費してしまい、午後は力の要らない作業しかできない。
 
岡歯科内科 伊藤 剛氏の作品に関連する資料を整理していると、こういうものが出てくる。例の瀬戸電の線路を敷くとき 後ろに置く小道具だ。
 「おかしかないか」である。
 医師名は「おかしかろう」、歯科医師は「おかしなこ」
 住所は「いたいし、たかくつく、やめてちょう」
 ここだけ名古屋弁だ。番地は何と読むのだろう。「よしなよ」だろうか。

 伊藤 剛氏はこの手の言葉遊びが大好きであった。

 もう一つ思わぬものを発見した。剛氏の小学校の同窓会名簿である。愛知第一師範学校付属小学校というエリート校の名簿である。1ページ目に吉田 剛(改姓前)の名前がある。それをめくって思わず声が出るほど驚いた。
 盛田昭夫とあるではないか。その続きを見ると、ソニー会長とある。
 なんと伊藤剛氏と盛田会長は竹馬の友であったのだ。
 剛氏は「ソニーのマイクロトレーンの開発には全く関係ありませんよ。」と完全否定されていた。
 しかし何かあったかもしれないと思い、ご子息に連絡してみた。
 その御返答は残念ながら筆者の推測を完全否定するものであった。剛氏と盛田氏は長らく会うことがなかったそうだ。マイクロトレーンのことが終わってしばらくして、盛田氏が初めて同窓会で名古屋に来た。その時初めてマイクロトレーンの話が出て驚いた、ということであった。

 その後剛氏はマイクロトレーン一式を手に入れられたので、これは博物館で展示するが、直接の関係がないことが分かったので、どのような展示をするべきか、迷っている。

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2016年03月05日

信号機

114_4518 信号機の製作に掛かっている。分岐製作のメドがついたので、それに付随する分岐用の信号機を作っているのだ。仙台の今野氏にお願いして横フライスで土台部分を作って戴いた。自宅の縦フライスで作るつもりだったが、手順を考えると膨大な手間が掛かることがわかり、より簡便な横フライスによる方法をお願いした。

 確かに金のチョコレイト風である。卦書いてオプティカル・センタ・ポンチで中心にポンチ穴を打ち、ボール盤で穴あけをする。パイプを差し込んで、既製品の信号燈を付ける。配線をパイプに通さねばならないから、極細の被覆線を用意せねばならない。この既製品は協同ライト社製のものだ。

 長い方の台は、本線の閉塞信号機用だ。挽き物の土台とキャップを嵌めて、柱は出来上がりだ。信号燈の部分は腕で持ち出し、メンテナンス用の足場を付ければ出来上がりだ。細かくは作らないので簡単にできる。塗装は筆塗りで十分だ。

 助けて戴かなければ当分先延ばしになっていたと思う。ありがたいことに、このような助力の申し出がかなりある。ストラクチュアを塗ってあげようという方もいらして、本当に感謝している。

ladder with 3-way switch 側線は半分ほど出来た。三枝分岐は2回作り直したので、もうアゴが出ている。最初はひっかけて壊し、直したと思ったら、UP9000(6軸固定の機関車)が通らないことが分かった。仕方がないので、リード部分を伸ばし、右方分岐(この写真では左)に緩和曲線を付けた。
 さっさと諦めて、捨てて作り直した方がずっと早かっただろう。この写真では並べてみてアラインメントを見ている。すでに4つの分岐は完成していて、固定されている。レーザのおかげで、真っ直ぐであるから気持ちが良い。

 このような側線(ladderという)に信号を付ける時の規則がよくわからない。鉄道によってかなりの差があるようだ。要するに、運転時にどのポイントが開いているかがわかればよいので、勝手な規則を作ろうかとも思っている。 

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2016年02月27日

貨車の移籍

 貨車の自宅からの移籍が進んでいる。不良な貨車を修理に回して排除しつつ、新たに移した貨車を試運転している。輌数は徐々に増え、123輌編成が走っている。この辺りが当鉄道の事実上の限界だ。引張力が最大級のAC9が少しスリップするのだから、もうこれで十分だ。
 坂の途中で止まってから再起動するのは、なかなかの見物である。難しくはない。スロットルを加減して、サウンド装置を調節すると、本物と同じ音がする。友人が来た時にやって見せると喜ぶ。

alignment by laserred laser まだ取り掛かっていないが、次は1970年代の貨車を100輌ほど持ってくる。長い89 ftのT/T(トレーラ・トレイン)がたくさんあるので、意外な長さになるだろうと思う。それが始まる前に、側線を付けねばならない。
 レーザを使ってアラインメントを出す。正確に作っておかないと、後で後悔することになる。分岐は10年ほど前につくったのだが、保存中に曲がってしまったものもあって、修正に手間が掛かる。
 7本の分岐がつながっているので、真っ直ぐ見通せる。直線側がそろっていると気分が良い。

 この側線には40-ft車が都合100輌入ることになっている。とても足らない。客車ヤードは10輌編成が5本置けるはずである。やはり、隠しヤードの建設を急がねばならない。
 フレクシブル線路の数が足らなくなってきた。場合によっては自作する必要がある。隠しヤードであるから事実上見えないので、昔のKTM製ブラスレイルをガラスエポキシ基盤にハンダ付けして作ることになる。単線を作らなくても、複線あるいは3線で作ってもよい。敷設が楽である。
 ガラスエポキシ板は超硬の丸鋸でいくらでも切れるし、急いでいるときは金属板を切るシァでも切れる。ブラスレイルは450本以上ある。価格によってはニッケルめっきを掛けてもよいが、見えなければその必要もなさそうだ。また、ヤードの奥まで、動力車が行くことは稀であるし、電池動力で無線操縦の入替用機関車を使えば、何の問題もない。

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2016年02月19日

続々 視察団の来訪 

 レイアウトで117輌を牽引するのを目の当たりに見た時、ある方がぼそっとつぶやいた。
「ブログでいろいろな意見があると書いていたけど、この車輪でなければこれは牽けないよ。論より証拠だ。」 

 後で皆さんにお一人ずつ、坂の頂上で機関車から切り離された列車を手で引張って戴いた。大体5.5 Nの引張力だ。約 550 gをぶら下げたとき、手にかかる力だ。
「おっ、重い。重いけど軽いね。」
 変な表現だが、これを物理学用語に翻訳すると、
「慣性質量は大きいが、摩擦が少ないからゆっくりと加速する分には大きな力は要らない。」
である。坂を引き上げる力は当然必要だが、摩擦が少ないから、損失は少ない。

 下り坂では機関車は貨車に押されて降りていく。どんどん加速するのがわかる。日本の機関車は絶気するが、アメリカの機関車は絶気運転をしない。うんとカットオフを早めてパラパラという音をさせながら下る。バイパス弁がない物が大半だからだ。

 貨車は大半がバネを介して支えられている。たかが貨車と侮ってはいけない。たくさんあるから、ポイントのフログに与える衝撃力の総和は大きい。バネがないと傷みやすい。ポイントはすべて非対称フランジウェイを持つので、かなり落ち込みは少ないが、そうでない場合は顕著にフログが傷む。

 線路面が床から120 cm強あるのは、評判が良い。
「確かにこれは列車を見ている高さだね。これが80 cmだったら高いビルから見下ろすことになるね。」
 高架部分は145 cmあるので、背が足らない人もいるかもしれない。実はそれを狙っている。そこには古いレイルを使っている。そうせざるを得ない状況であったので、目立たない位置に使ったわけだ。

 レイアウトを作ろうとしている方は、架台の構造を調べて、写真を撮って帰られた。 金属製の梁を使うのが流行るかもしれない。

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2016年02月17日

続 視察団の来訪

 走行音は極めて静かという評価を戴いた。それは車輪によるところが大きい。めっきした車輪はすべて排除した。この編成の中に1輌入っていると、走行中に指を指せるほどその音は大きい。高級な精密旋盤で旋削した車輪は、素晴らしく静かだ。めっきしてあると光っているので平滑だと思うが、それは大きな間違いである。

 カメラを搭載した車輛は単なる flat car だが、バネ付きの台車で実に滑らかに走る。継ぎ目の音が軽いというコメントを戴いたが、それが良いのか、良くないのかは文面からは不明である。 
 イコライジングだけの台車は1割程度含まれている。追い越す時に音を聞いて、多少コツコツという音がすれば、それはバネが非可動の車輛だ。 

 コメントでレイルの音が大きいということを書かれているが、カメラのマイクロホンの位置もあって、そういう音を拾い易いのであろう。現実にはこの程度の速度では音は小さい。しかし、場所によってレイルの材質が異なるので、高架のループ上では多少音がするはずだ。その部分のレイルは古く、細かい傷がついている。2分54秒あたりはバラストを撒いた部分であり、腹立たしいことにその部分の音は大きい。バラストを固着してあるからだ。他の部分はエラストマーが中をへこませた形に成型してあるので、枕木がそこに嵌まり込んでいる。釘穴を緩くして、自由に動ける程度の留め方をすると良い結果が得られることは明白だ。 
 同じカメラで、通常の線路上で通常の車輪を付けた車輛を走らせて対照実験をすると面白いだろう。腰を抜かすほど凄まじい音がするはずだ。  

 今野氏が先輪が動かないと述べられているが、それは曲率が一定であるからだ。高架部分を除き、外周の複線は新しく敷いた部分で、長いジグを用いて線路を固定した。完全な円弧であるから、先輪位置はピクリとも動かない。 敷設時に、そのジグを線路に嵌めて押してやると、数メートルなめらかに滑って行く。

DCC meter DCCの電圧、電流を測定するメータを取り付けた。Tonyの店で数年前に手に入れたもので、重宝している。この電流は客車の室内灯で、無視できない電流である。直流走行では、8Vくらいで電流は0.30 Aほどである。DCCでは、常にフル電圧が掛かっているので、損失が大きくなる。天井が熱くなっているものもある。これは回路設計が賢明でないからだ。分解して取替えることにした。
 この写真の上はDCCの分岐用のラグ板で、たまたま作って置いてあったものである。メータとは関係ない。
  

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2016年02月15日

視察団の来訪

KKC Commission 2月11日にKKCの代表の今野氏をはじめとする8人からなる視察団が来訪された。この集団は、おそらく日本で最もスクラッチビルディングの腕のある方たちによって構成されている。機械工作の達人ばかりだ。筆者もその末席を涜している。
 かねてより、「開通したらみんなで行きたい」ということで、年末の開通直後に連絡を差し上げた。

 各会員とも、Oスケールの本格的なレイアウトは見たことがないということだったので、ドアを開けて中に入った瞬間の反応に興味があった。どなたも、「おお」とか「わあ」という声を出された。
 まずは主要機関車に牽かれる貨物列車と旅客列車を走らせ、次にSL-1によるサウンド実演を行った。音が大きくて、迫力がある。関節型機関車の前後のエンジンの位相が、スリップで少しずつ、ずれて行く。音が変化するのが面白い。登り坂では速度が落ちるので、カットオフを遅らせ、下りでは逆転器を引き上げた様子を再現した。

 一段落して、博物館の収蔵品を順にお見せするツアを行った。伊藤剛氏の作品には皆興味がおありで、一巡りには時間が掛かった。その後一休みして、今野監督によるビデオ撮影を行った。複線であるから、追い越し追い抜きで素晴らしい動画を撮ることに成功した。
 Youtubeにupされたので、それをご覧戴きたい。

 始めの方に、高架線上を行く貨物列車が写るが、それは今追い掛けている列車の先頭近くの部分である。ループを一周して230 mm持ち上がっているのだ。
 

 撮影後、機関車交換のために約10 m後退させた。ほとんどが平坦線に掛かっていたので負荷は小さく、全く脱線はなかった。それが意外だったらしく、「脱線しないな」という声が聞こえた。脱線しないのである。 

追記
 より鮮明な動画がUPされたので、上記のリンクを更新した。ぜひご覧戴きたい。 


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2016年01月02日

謹賀新年


         あけましておめでとうございます

fan triptrial run 複線の本線が開通して、展望が開けた。あとはターンテイブル、側線の整備をすれば、開業できる。年末には友人が何人か来てくれて、開通を祝ってくれた。新年には親族にお披露目もした。
 感想を聞くと、皆異口同音に、「よくぞここまで。」と言ってくれた。
「伊達(だて)や酔狂ではないレベルで、人生を賭けたプロジェクトであるのがよく分かった。」ということであった。

 さて最近所属クラブの集まりで、今後の模型界の話題がよく出る。U氏の文章の一部を紹介する。

 最近よく話題となるのが没後の模型をどうするかという問題である。インターネット・オークションなどで昔の著名モデラーの作品が売りに出されていたりすると、すでに人ごとではないし、せっかくの名作が散逸してしまうのは何としても惜しい。最悪の場合、理解のない家族にゴミ扱いされるケースも考えられる。これはあまりにも残念だ。とにかく何とかしなければ、という危機感は皆さんお持ちだが、具体的な計画となるとなかなか良い案が無いのが実状である。
 しかし具体例はある。dda40xさんがライフワークとして建設を進めている模型博物館だ。これは一つの理想形だと思われるが、同時に恵まれた条件と、何にも増して不退転の意志が必要である。そして何よりも重要なのが後を託せる後継者の育成というこ とになる。 


 確かに筆者の場合はかなり恵まれている。定年の無い商売だが、道楽に打ち込もうと仕事量を制限した途端に、土屋氏から呼び出され、後を託された。経済的にも、ある程度の資金をお預かりして走り出し、不動産も親戚の空き店舗を、シャッター商店街ということで、格安で譲渡してもらえた。登記も終わり、必要な学芸員の資格も、取れる条件を満たしていることがわかった。これで、名実とも博物館と名乗れる準備は整った。
 上記の「不退転の意思」も持っている。もう退くことはできない。健康である限り、館長を務めることができそうだ。

 一番大きな課題は、後継者の育成である。最近の若い模型人は、ブラス製の模型というものを知らない人が多い。彼らは旋盤やフライス盤を使ったことがないから、走行性能を抜本的に良くするということができない。筆者が編み出して、祖父江氏が完成させた手法を再現する準備をしている。それさえあれば、かなりの模型を改良することができる。博物館のレイアウトを走る車輛は、そのレヴェルでないと通用しないはずだ。既製品そのままでは、上り坂でモータから煙を吹く可能性が高い。また、sprungでなく、equalizedでもない車輛はレイアウトを走るとやかましいし、線路も傷む。そういうことに無頓着な人もいるが、車検制度を用いて排除する予定である。

 若い人の中から、これらの能力を身につけた人を育て、後継を託したい。このようなことを書くと、ブラス工作に偏っている、というご批判も戴くが、それは承知の上である。ブラス工作のできる人を育てなければ、この博物館は維持できない。 


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2015年12月31日

仮開通

 線路を敷き始めてから3か月以上掛ったが、ようやく仮開通した。仮橋付近の工作に手間取り、予定より3日遅れであった。まだまだ保線が不完全であるが、全線にわたって通電しても、異常は認められなかった。

trial trip 仮開通には、友人が二人立ち会ってくれた。プルマン8輌の優等列車と、70輌の貨物列車である。機関車は土屋氏のコレクションを整備して用いた。祖父江氏の精魂込めた工作で、注油のみで素晴らしい走りを示した。左の写真は貨物列車が上部ループを周回する様である。矢印が機関車である。
 貨車は70%がブラス製である。25kg以上ある。連結器が伸びて発進し、勾配では機関車が微妙にスリップするが、難なく登り切る。スリップは前後の動輪の位相が少しずつ変化するからわかる。関節型機関車articulatedsはすべて2個モータである。排気音を出すとその変化がわかる。
 勾配に掛かるのは約55輌でその他は平坦線にある。ということは、まだ30輌ほどつなぐつもりだが、負荷はそれほど増えないから楽勝である。平坦線を走るときの電流と、勾配を登っているときの電流は2.5倍ほど違う。単機では100 mA以下で、メータがほとんど振れない。ボールベアリングの効果で、ほとんど無負荷なのである。実測で効率は50%を超える。

 下り勾配では、適度のエンジンブレーキを効かせて降りる。電流を遮断しても貨車が押してくるが、3条ウォームの効果がそこにもある。筆者が採用した3条ウォームの効率は70%強である。すなわち、30%弱は損失になり、熱として放散されるが、その程度の効率が安全運転には必要なのである。もしこれがべヴェル・ギヤ、スパー・ギヤのみでの駆動であったりすると、抵抗が少なく暴走する可能性があるそれらの効率は90%以上だからだ。
 また、自動クラッチで開放すると大変な事故が起こるだろう
 3条ウォームはかなりの高効率と完璧な静粛性を持つ。蒸気機関車には最適である。筆者は、通常型蒸気機関車が歯車の音をさせて走るのは許せない
 伝統的に採用されている通常のウォームギヤの効率は普通15%内外である。しかもそれは良く潤滑されているときの話である。機関車全体の効率は数%程度である。

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2015年12月21日

踏固め試験

114_4283 遠方から友人が来訪したので、車輛を持って行って走らせてみることにした。レイルは磨いてないし、線路の通りはまだ不完全だ。
 機関車は今まで無事故を誇るものを持って行った。それに合わせて、客車はプルマンの5輌だ。客車の台車連結器は当社の仕様に交換してあり、調子が良いはずだ。

 電流を通じると、そろそろと動き始めて、全て順調かと思われたが、数箇所でショートが発生した。線路が浮いているのだ。二次元平面上への正射影はそこそこ良いのだが、フレクシブル線路が一部で浮いていたりする、高さ方向の不整合がある。路盤の不陸もたまにはあり、シムを挟んで釘で留めた。
114_4286 機関車はUP7000で、カウ・キャッチャが低くて恰好が良いのだが、このような未整備の線路では立ち往生してしまう。カウ・キャッチャが擦るのだ。そこでショートが起きる。すべての線路を正確に固定すれば、問題は解決するだろう。今までは全く問題が起きなかったのだから、機関車自身の性能には問題がない。
 
 あと何台か機関車を置いてみて、具合を見たが、どれも線路の浮き上がり箇所でショートした。これはまさに踏固め試験である。
 このUP7000は、線路の不具合検出用として、能力を発揮しそうだ。

 レイアウトが全通するまで、今しばらく時間が掛かるので、その間に問題解決をしたい。




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2015年12月19日

電化工事

 今電化工事の真っ最中だ。ほとんどの線路はつながったが、レイルボンドが未施工であり、また饋電線につないでない。この工事はかなり面倒だ。全体をいくつかのセクションに区切り、レイル1本分ずつ施工する。そのたびにテスターで絶縁を確認する。一度につなぐと何かの間違いがあった時に、その場所を特定できない。
 先日のダブルスリップも、つないだ瞬間にショートしたので、それに異常があることがわかった。

 セクションごとに完成を確認して、隣のセクションにつなぐ。セクション長さは7 mと決めている。それが一日分の仕事量の限界である。一日5時間労働で、それ以上働くと、次の日に影響がある。ワークカーは平行する隣の線路に置く。そうしないとショートする。あの台車は三線式の時代のものだからだ。実は、最初にそれを忘れていて、ショートの原因追及に手間取った。

electrification 電化工事は工具と材料がたくさん必要で、それを移動させるだけでも大変な手間だ。この写真をご覧戴くと、その様子がお分かりになるはずだ。
 電線リール、圧着端子、三種の圧着レンチ、各種ペンチ、ハンダごて、金づち、ドリル、ナイフ、ワイヤ・ストリッパ、回路試験器、絶縁計、レイルボンドの材料の銅撚り線、掃除機、ガスバーナなどが必要だ。
 熱収縮チューブは便利だ。先に電線を通しておき、圧着レンチでつないで収縮チューブをずらし、少し温めるだけで絶縁被覆が完了だ。

 この種の工事は一人でせざるを得ない。よくわかっている人が手伝ってくれるとはかどるが、なかなかそのようなチャンスは巡ってこない。しかし、先日T氏が手伝ってくれた時の工事スピードは素晴らしかった。普段の5倍の速度で進んだ。彼は本物の鉄道の電気屋さんだから、当然ではある。 
 

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2015年12月13日

Low-D wheelset の効果

 先回の動画を、別の角度で写したものがある。三脚にカメラを付けて写したのだが、少々パンする速度にムラがあり、見苦しいところはご容赦を願いたい。
 レイアウトの全貌がお分かり戴けるだろう。今、配線作業に掛かりきりだ。たまにショ−トするので、そのたびに大騒動だ。経験上、ポイントの隙間に何らかの導体が嵌まり込んで起きるのが普通だ。撚り線の一本が落ちていたりする。丹念に掃除機で吸いながら、隙間を刷毛で掃除する。今回もダブルスリップがショートしていることがわかり、何人かで見たが、原因がわからなかった。2時間くらい努力して、ようやく解決した。原因不明であった。こういう時は、荒っぽいがショートさせるという方法がある。
 大電流を流すと、その部分が融けたり、燃えたりして解決する。鉛蓄電池(内部抵抗が小さい)をつないで、スイッチ代わりの金属棒を一瞬接触させると、バチッと音がして、赤熱したものが飛び上がる。一瞬で解決だが、火事に気を付けねばならない。霧吹きで水を吹いておく。

 現場にやってきた友人にこの滑走を見せると、みな感動する。車体を裏返して、動力が付いていないことを確認する人もいる。模型としてあり得ない滑らかさであるからだ。台車はAthearnのデルリン台車で、sprungである。だから、ポイントを通過してもほとんど揺れない。これがイコライジングだけだと、高速では多少飛び跳ねて、脱線するかもしれない。

 実物の1/48の滑走距離なのだが、かなりインパクトがある。フランジが全く触っていないところには、みな驚く。この車輌も長年走っているが、フランジには多少の汚れが付いている。要するに接触したことがないわけだ。全てフィレットの範囲で解決し、フランジは走行時には機能していない
 摩擦係数の小さな材料であるステンレスを使用した効果がはっきりと出ている。実物の理論は全く通用しない。 

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2015年12月11日

線路を敷く

 しばらく博物館のことに触れなかったが、着実に工事は進んでいる。

 現在は本線の電気配線をしている。友人たちが手伝いをしてくれるのは、本当にありがたい。一人で作業するのに比べて3倍以上の速さで仕事が進む。勾配線が完成したので、貨車を置いてみたら、40 m近く滑走した。勾配の上の平坦線が本当に平坦であるかは重要な問題で、この貨車が転がって行かないことを確かめねばならない。

 Youtubeに動画をアップロードしたのでご覧戴きたい。この撮影は先週行った。現在は複線がほとんど完成している。始めは平坦線なので少し押してやる。右手に黄色の家が見えてきた辺りから、下り勾配である。そこからぐんぐん加速して、最高160 km/hほど出ている。ポイントを渡る手前から平坦線である。

work car 工事に当たっては、必要な道具をひとまとめにして、作業が終われば2 mほど移動する。工具を箱に入れて動かしていたが、T氏が、「貨車に積もう。ワークトレインにしよう。」と言い始めた。なるほどと思った。しかし、
「斜面では滑って行ってしまうから、車止めを置かねばならず面倒だ。」と言うと、
「性能の悪い台車を使えば良い。」と言う。それはそうだ。
 古い台車を持ってきて、箱の下に付けた。油も切れているので、ブレーキがかかった状態だ。押せば動くが斜面でも安定している。思えば、昔はこんな車輛しかなかったのだ。10輌牽いても機関車がスリップした。現在の車輛は斜面には止まれない。


 一つまずいことが起こった。地盤沈下である。鉄骨の台のオウヴァ・ハングの大きいところに、二人が立ってしまったのだ。さすがに150 kg近く載るとまずい。アングルが微妙に曲がったらしく、5 mmほど下がったところがある。たまたま梁を継ぎ足して飛び出し量を200 mmほど増やした場所であって、要注意箇所であった。
 来週はそこの修理をする。自動車用の油圧ジャッキで持ち上げておいて、ブレイスを熔接する。おそらくそれで解決だ。
 その地盤沈下に気が付いたのも、この貨車のおかげだ。いつもそこで止まってしまうからだ。低抵抗車輪付き車輛は十分に水準器として機能する。 

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2015年11月29日

直捲電動機

 模型のモータは全てマグネット・モータになってしまったと言ってよい時代になった。筆者がボールベアリング、三条ウォームにのめり込み始めた頃、伊藤 剛氏とモータについて論議したことがあった。文中、dは筆者のことである。

剛 最近は直捲電動機の模型はなくなりましたね。
d  実は今一つ作っているのですよ。
剛 ほう、それは珍しい。どんなモータを手に入れたのだい。
d  Braunの髭剃りを分解して出てきた交流用のモータです。直流なら20Vくらいで回ります。それをさらに改良して12Vで動かないか、調べようと思っています。
剛 それは面白いね。直捲電動機はその中にオートマティック・トランスミッションが内蔵されているようなものだから、出来の悪い模型に搭載しても、よく走るんだね。直流モータの時代になったら、途端に走りが悪くなっちゃったんですよ。
d 今開発中の摩擦の少ない機関車に直捲モータを搭載すれば、グワーンと走ってぴゅーっと滑って行かないかと思っています。
剛 そりゃ面白い。重い列車を牽かせると実感的だろうね。

 その後、筆者の直捲モータの改良は頓挫し、コアレスモータを採用することになった。

d コアレスモータにしましたら、調子が良いのですよ。電源を電圧制御にしたのですが、それが良かったみたいです。以前は電流制御でしたから、このような低電流では速度調節がむずかしかったのですよ。
剛 おお、それは素晴らしい。マグネットモータは分捲特性だから、本来は模型には向かないものだと思っていたけどね。
d いや、本物と同じ動作をさせることが可能ですよ。『下手な工夫より電圧制御』かな。
剛 あなたは電気も強いから、あなたがそう言うならその言葉には重みがあるね。

 その後クラブの会報にはこの話が引用された記事が載った。剛氏の瀬戸電の記事が出たのは、その直前である。あれが日本の模型雑誌に直捲モータの記事が載った最後の号である。瀬戸電には自作の巨大な直捲電動機が装着され、ピヴォット軸受で慣性モーメントが損なわれないようになっていた。12 Vを印加して電流を止めても、「山口さんちのつとむくん」を歌い終わるまで廻っていた。剛氏は、「モータというものは慣性モーメントを最小にするように設計されるものです。これはとんでもない天の邪鬼(あまのじゃく)だね。」と言っていた。 

 ちなみに筆者はそれほど電気に強いわけではない。父親から聞いた話を覚えているだけである。

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2015年11月19日

四拾八分之壱

 伊藤剛氏の遺品の整理をしている。あまりの量と質に、かなり参っている。おそらく、博物館開館後に毎日取り組まねばならないのだが、取り敢えず何があるかを調べている。

四拾八分之壱 たくさんの写真、図面が出てくる。日本車輛の様々な資料をお持ちだったのだが、この古い図面集には驚いた。7年8月23日という日付が読めるが、これは大正時代だ。驚いたのはこの図面がOスケールであったことだ。今まで見てきた日本の図面は全て 1/50 であったが、これは 1/48 であった。すなわち本物の1フット(304.8 mm)を1/4 インチ(6.35 mm)にしている。12 インチが1 フットだから、1/(12 × 4)= 1/48である。
 模型の縮尺の1/24 とか1/32、1/72などは全てこのように、実物の1フットを何インチにするかで決まっている。アメリカでは、住宅などの図面は1/48なので、それでOスケールがその縮尺を取るようになった。ヨーロッパでは線路幅がスケールになるように1/45.2 (公称1/45)であったり、1フットを 7 mmにして、1/43.54の模型を作ったりしている。

 この図面集を見つけたので、すぐにクラーケン氏に連絡して保存編集をお願いした。氏は様々な古文書を整理し、まとめられている。すぐに返事が来た。

五拾分之壱 1/48は大正10年のメートル法採用までで、それ以降は1/50が標準となっている、との事である。かなり珍しいもののようで、連絡した甲斐があった。
 確かに、同じファイルの中の別の図面は、五拾分之壱であった。 


 

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2015年11月15日

椙山氏の図書

 先日、残りの本を取りに行った。助っ人を買って出てくれた友人がいて、とても助かった。一人ではとても積めない。軽トラックを貸してくれる友達がいて、お世話になった。本のように重い物は、荷台が三方開きになっていると助かる。しかも、軽は荷台高さが低いので有難い。量販店で段ボールの空き箱を20個ほどもらい、それを組んで詰め込んだ。ぎっしりと荷台一杯であった。シートを掛け、紐で縛った。博物館まで高速道路を使って急いで行った。

Sugiyama's books せっかく今までの努力で、雑誌等を整理してすっきりしていた場所に、段ボール箱を並べた。箱が一部壊れ、はみ出してしまったものもある。早速整理しなければならない。

 意外なことに、雑誌類がない。どなたかが持って行かれたのだろう。その点は助かる。伊藤剛氏、土屋氏のコレクションには、ほとんどすべての雑誌がそろっているからだ。
 懐かしい書籍が並んでいる。その中にメモが挟まっていることがある。はらりと落ちた紙を見て驚いた。見覚えのある字である。

 よく見ると筆者の字で、椙山氏に頼まれて、ある器械の説明書を和訳したものだった。数ページにわたる説明書で、器具名の発音まで書いてあった。アクセントの位置まで指定してあるのには驚いた。多分椙山氏の指示で、「正しい発音を知らせよ」と言われたのだろう。 
 ワープロの無い時代だから、何度も清書したのであろう。誤字があまりなかった。今とは大違いだ。 

 午前中に出発し、1時に積込みを開始して5時に帰着したが、疲労困憊でそのまま寝てしまった。
 

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2015年11月07日

さらに図書が到着

 突然、それは始まった。
 親しい友人が、故椙山満氏の蔵書を預かっている人に博物館の話をした。そうしたら、「ぜひ椙山氏の本を保管してほしい。」と言っていたという。

 椙山氏の蔵書がどうなったのかは、知らなかった。筆者もよく知っているK氏が預かっていたのだが、「この先のことを考えると然るべきところに移動させたい。」ということであった。
 早速伺うと約400 kgほどある。懐かしい本がいっぱいだ。高校生の時、土曜日にお邪魔してたくさんの本を見せて戴いた。中には特別にお借りして、書き写したりしたものもある。当時はコピィの機械は特別な場所にしかなかったので、写真に撮ってコントラストを強く、焼き付けてもらったりした。

 本棚を整理して、新たなスペイスを確保しなければならない。本を並べるだけでも2日はかかるとみている。

 とりあえず100kgほど、乗用車に積み込んで帰った。来週、軽トラックを借りて残りを運び出すつもりだ。書籍以外に、さまざまなカタログもあり、当時のことがよくわかる。 

 驚いたことに、16 mm映画フィルムもたくさんあった。映写機も4台あり、とりあえず2台持ち帰った。試運転してみる。これで、博物館で映画会を開ける。
 日時を決めて、アメリカの鉄道映画をお見せすることができる。

 現在ではDVDで公開されているものもあるが、未公開のものもあると思う。昔は映画はとても高価であった。ましてやアメリカからフィルムを買うとなると、おいそれとは行かなかった。もちろん、16 mm映写機は極めて高価であった。大切に保管したい。

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