鉱山鉄道

2013年11月30日

続 Salt Lake City の電車

Bingham UTA 南西の方に行くとBinghamがある。このあたりは昔はじゃがいも畑であった。何も無いので、ロケットを打ち上げに行ったことがある。固形燃料を使う三段式のもので、1000mも上がる。パラシュートで回収するのだが、ブースターはそのまま落下する。3人以上で行って、各段を回収する係を決めておかないと、いくえ不明になる。リンクは現在の小型の製品で、昔は大型の多段式があった。
 ちょうどその場所に電車の線路が敷かれ、分譲住宅が並んだ。背景に鉱山のズリの堆積が見える。
Bingham UTA2 この写真は東を見ている。ワサッチ山脈が見える。谷ごとにスキー場がたくさんある。こんな田舎まで都市化するとは、誰も思わなかったに違いない。
 昔のビンガムの町は既に消滅している。谷間にあって、雪崩や火事の心配がある街であった。1972年に町を解散し、麓の方にCoppertonとして再出発した。

 ビンガムの街並みが写っている映画を、arx氏から紹介戴いた。この10’30”あたりから、旧ビンガムの街の様子が映る。筆者は見たことがないが、話に聞いたとおりだ。
 鉱山にはズリ捨て列車が高いトレッスルを走り、穴はまだ浅い様子が見て取れる。電気機関車が横に張り出したビューゲル風の集電装置から、パンタグラフに切り替える瞬間など、珍しい場面の多い動画である。
 穴を深くするために、広げる様子もある。たくさんの穴を開けて、炸薬を仕掛け、一挙に崩している。当時はパワーショベルもまだ小さかった。6,7トンしか掬(すく)えなかったようだ。現在は一掬い150トンである。
 ズリを捨てる場所としてビンガムの谷は埋められてしまった。もちろんトレッスルは外された。

 7’16”にマウント・ティンパノガスが映る。インディアン語で、眠れるプリンセスだそうだ。ずいぶん体格の良いお姫様だ。谷を分け入ると、かなり大きな鍾乳洞がある。この山はワークスK氏のサイトにも写っている。

2013年08月08日

続々 Bingham Copper Mine

Kennecott この写真は数マイル離れて撮ったものである。矢印のあたりに穴がある。人類の掘った穴で世界最大と言う触れ込みである。左の明るい色の山は昔はなかった。この20年くらいの内に積み上げたものだろう。
 地形はどんどん変化する。この写真の鉄橋も70年代には、すでに無かった。この谷は埋められてしまったのだ。筆者が最初に行った40年前はこの谷を埋めてから間がないころで、「ここに橋があったんだ。」という説明を聞いて、なるほどと実感できる状況であった。
 25年前に行ったときはそんなことを考えることもできないほど積み上げられていた。谷全体が別の山に埋められたという状態であった。Visitor Centerに行く道も全く別のルートになっていた。

 掘り出される岩石の量たるや凄まじいものである。鉄道で積み出していた頃はおとなしいものであったが、ダンプ・トラックに変わると、そのスピードが格段に上がったように感じる。積み上げ方も雑に感じる。地山の勾配と、積み上げた岩石の勾配が同じというのはおかしい。積み上げたものが崩れない角度を「安息角」と言うらしいが、そんなに大きいわけないのだ。
 いくら地震が無く、雨の降らない地域とは言え、油断したのではないかと思う。

Tram from Airport S Binghamという地域は街の中心部から離れていて、やや異なる文化を持っていた。言葉も多少違い、いわゆる流れ者の末裔である。鉱山街特有の雰囲気であった。
 今回の訪問で気が付いたのは、街の中心まで一気に行ける電車の開通である。空港にも直接行ける線が開通したのである。
 
 ビンガムのあたりは鉱山以外には何もなく、延々と続くジャガイモ畑のみであった。そこによくロケットの打ち上げに行った。ロケットは最近日本にも輸入されている本物のような火薬式である。二段式であると1000m近く上がるので、市街地ではとても無理であった。懐かしい思い出であるが、現在はそのあたりは大きな住宅地になっていた。市内への通勤が出来るので、若い人たちが家を買うのである。

2013年08月06日

続 Bingham Copper Mine

Section Bingham鉱山はもともと山頂付近にあった小さな露頭の発見から始まった。その露頭部はせいぜい直径が100 m ほどでそれが斜めに山の中にめり込んでいた。その鉱脈を掘るためにはすり鉢状に山を削るしかなく、その削った土砂は近くの谷を埋めて処理をしていた。 左の図は、筆者の聞いた話を再現した図で、現実の様子を表しているわけではない。
 筆者が最初に見た1970年代は地山の縁(へり)がまだ存在していた。その後40年も経つと、すでにズリを捨てる場所が無くなり、手近の山の上に積み始めたのである。

 当時は穴の深さはせいぜい1000mであった。現在は周りに積んであるので最大1600mほどになる。
 鉱山の遠景は、この40年でずいぶん変わった。昔はあのあたりに穴があると言うことが分かった。現在はそこかしこに積んであって、遠くからは全く様子が分からない。
 今回の崩落はこの積んである部分が崩れたのだ。地山は崩れているようには見えない。

 地山は昔の鉄道線路のあとがまだ判る。固い岩を崩して階段にしているのでそう簡単には崩れない。積んだ部分が弱いのは自明である。積み上げた部分をよその移動する必要があり、その捨て場をどこにするのかはかなり難しい。おそらく巨大なベルトコンベアを作るのだろう。

 今回の事故で死傷者はいなかったそうだ。事故が起きたのは夜で、操業中ではなかったからだ。昔は深夜でも列車の運行は行われていた。そうしないと500 km もある線路を登り切れなかったからだ。3日も掛かって登って来たのだ。

 今回の事故での損失は計り知れない。場合によってはこのまま閉山になると言う噂もあった。この鉱山は低品位鉱山であって、銅の価格が低迷すると、利益が出ない。ベトナム戦争のころは銅が不足したので、大変な好景気であった。現在では派生する金、銀、モリブデンなどで食いつないでいた。


2013年08月04日

Bingham Copper Mine

Kennecot Mine 久し振りにBingham 鉱山に行ってみようと思った。Salt Lake City中心から車で40分、約 50 km である。道端に剥がれかかった掲示が見えた。
”Visitor Center Closed" 要するに、見学できないというのだ。しかし剥がれかかっているのだから、誤表記だろうと気楽に考えてゲートまで行った。すると、また ”Visitor Center is Closed."と言う。
「今日が日曜日だからか?」と聞くと、「あと二年は駄目だろう。」と言う。「どうしてだ?」と聞いても、「会社の方針である。」としか言わなかった。

 近くの友人の家を訪ね、その話を持ち出した。なんと、巨大な地滑りが起きて、穴が埋まってしまったと言う。とんでもない話だ。インターネットで探してみるとその話はいくらでも書いてある。守衛がいくらごまかしても無駄だ。

Landslide in Bingham Mine この写真が一番はっきりしているので掲出する。積み上げたズリ(鉱石でない岩石)が崩れて、すり鉢状の壁を崩落させた。穴の深さの1/3位が埋まっている。これを掘り出して新たな捨て場を探し、操業開始するのに二年というのは決して大げさではない。
 昔のように鉄道でズリを運び出していたのとは違い、大型ダンプで仕事をしている。仕事が早くなったので、積み上げ方が変わったように感じている。

power shovel これは崩落直前の画像をグーグルアースで作成したものである。 これを見るといかに崩落した体積が大きいか分かる。一説によると、ニューヨークのセントラル・パークの総面積に19mの高さまで積み上げた体積だそうだ。

power shovel ダンプトラックや巨大なパワ・ショベルが何台も埋没している。仕事ができないので、とりあえず250人を馘首したらしい。地域に与える経済的なショックは大きい。
 


 動画もあるのでご興味のある方はご覧戴きたい。ソルトレーク市の州会議事堂を見降ろす山の上からの眺望が見られる。そこから市の中心部までの距離の地滑りだと言いたいのだ。もちろん落差は3倍以上である。 



2013年06月07日

続々 伊藤剛氏を訪ねて 

伊藤 剛 5 工作はほとんど手工具に依るのだが、たまには旋盤も使うということである。この旋盤はEMCOのUNIMATである。60年代の発売だ。当時はずいぶん高価に感じた。剛性がないベッドであるから、長いものを作ると径がでたらめになる。ベッド代わりの丸棒の下に何か挟まないと使えない代物だ。剛氏は車輪や車軸を仕上げるだけだから、問題ないそうである。

 ほとんどの作品は見せて戴いているが、一つだけ見せて戴いてなかったものがある。それはロータリィ・ダンパである。話は色々な方から聞いたが、現物を拝見するのはこれが初めてだ。剛氏自身も、箱を開けるのは30年振りだそうで、記憶をたどりながら説明して戴いた。これは雑誌に発表されていない。
伊藤 剛 6 これはHOの線路の上を走るOスケールのナロゥ・ゲージである。1輌ずつ押しこんで連結器を切り離し、回転する。砂利は落ちて下のホッパに集まる。空車はそのまま押し出されて斜面を下る。スイッチバックして下の線路に留置されるというわけだ。
 機関車は背の低い鉱山用で、日本車輌で作った物である。収納してあった箱には、仕舞い方が描いてあって、その通りにするときちんと納まる。 


伊藤 剛 7 機関車には運転手が乗り、後ろを見ている様子がリアルである。貨車には、お住まいになっていた長浦という地名が書かれているが、その横の丸いマークは何だろうか。
 漢数字の七ではない。片仮名の”ナ”を左右逆に描いてある。”ナ”が裏になっている。すなわち、”ながうら”だそうだ。

 剛氏の模型には、この手の言葉遊びがたくさんある。レイアウト・モヂュールでは線路際の看板に「岡歯科・内科」と書いてあって、続けて読むと、「おかしかないか」となるわけだ。ありとあらゆるところに、吹き出してしまいそうになる表現がある。

2011年10月10日

続々々 Powder Riverへ 

238123832388 Bill周辺で何十枚も写真を撮り、疲れてしまった。とても炭鉱まで行く勇気がなくなり、今回はこれで帰ることにした。
23872393 それにしても、この写真のヤードはどのような方針で作られたのか見当がつかない。何か合理的な説明を思いつかれた方はお知らせ願いたい。

 どうしてこんなにくねくねと曲がっているのだろう。何か外したあとなのだろうか。

2390 これは積雪防止装置である。長いダクトでまんべんなく熱風がトング・レイルにあたるようになっている。左上に見えるのは燃料のプロパン・ボンベである。



 ロータリィ・ダンプ装置はOゲージにもあった。ライオネルが出していたのだ。現在は販売中止になって販売店の在庫しかない。 最近この貨車とダンプ装置が頭から離れない。夢にまで見る。導入するとしたら最低50輌はつなぎたいから結構な量である。おもしろそうではあるが。

2011年10月08日

続々 Powder River へ

Logan Hill237723812380




 とにかく次々来るのでうかうかしていられない。前からも後ろからも来る。

Hopper Car2375 この二つのホッパ車の構造を考えてみよう。左は普通の底が開くタイプである。下を開放して石炭を放出するには大変な手間がかかる。作業後は蓋を元に戻さねばならない。現在はそのような荷扱いはしていないはずだ。ロータリィ・ダンパでひっくり返す。連結器を外すのが面倒なので、そのまま廻す。連結器が捩じ切れるといけないので、連結器の軸を中心に回転するようになっている。この手の貨車の塗色は前後の片方が特別の色となっている。黄色の帯がある方は、回転する連結器側である。小さくて見えにくいが、赤いラベルには”Rotary End"と書いてある。両方回転すると収拾が付かなくなるので、片方だけである。
 右の写真はその荷降ろし方法専用の貨車で、底は全く開かない。バスタブ型と呼ばれる。これも片Endに色が付けてあるから、編成を遠くから見れば、間違っている時は一目遼然である。
 凍結時に融かす方法が書いてある。”アルミニウム製だから、輻射熱を使え”とある。叩いたりするとベコベコになるだろうし、ガスバーナで炙るとなまったり熔けてしまうからだろう。しかし、アルミはほとんどすべての波長を反射するので、外からでは輻射熱はほとんど効果は無いはずだ。
 貨車の設計の方針としては、軽くてたくさん積めるというのが最大の目的であるから、このような形に落ち着いたのであろう。

2011年10月06日

続 Powder River へ 

2363 「鉄道写真を撮りたいのだけど、どの辺がよいだろうか。」と聞くと、「それなら Bill に行くと良いわね。州道59号沿いで、そこには巨大なヤードがあるわよ。列車が5本くらい並んで順番を待っているわ。」と言う。
 炭鉱より面白そうだと、まずそこに行くことにした。
 単調な道を走るとBillに到着する。そこはDinerが一軒道路沿いにあるだけの町である。腹が減ったのでまずそこで腹ごしらえすることにした。
 ダイナとは軽食堂で、もともとは鉄道の廃車になった食堂車を道路わきに置いたものであった。それが軽食堂として適したビジネス形態であったので、今度はそのような形をした食堂を建設するようになった。たいていは食堂車の風情を残すような建て方で、長い建物であるが、床面積の大きなものもある。

23722374 食事をしているとウェイトレスのおばちゃんが、「どこから来たのか?」と聞く。「日本からです。」と言うと、さらに「ワイオミングで何か見ることがあるかしら。」と聞く。
「実は汽車を見に来ました。このあたりの鉄道は日本でも有名なのです。」と言うと、「そうそう、この間スイスの人が汽車を見に来たのよ。何でそんなに有名なの?」
「こんなにたくさんの列車が走る路線は珍しいのですよ。一列車1万トン以上もある列車が一日に100本以上通るところなんて、世界中でおそらくここだけです。」
「そうなの。道理でカメラを持った連中がたくさん居るのね。気が付かなかったけど、汽車の写真を撮るために来てるのね。」
「ところでこの辺で汽車の写真を撮るとしたらどの辺が面白そうかな?」
「そこのLogan Hillはいいわよ。私は素人だけど眺めがいいから好き。それともう少し南の方に跨線橋があるから、そこから撮ってみたら。」 

2398 この食堂で情報を仕入れて、あちこちでロケハンした。Logan Hillは道路が複々線の上を跨いでいる。列車はいくらでも来るから、少々うんざりする。南に下って跨線橋で待つと同時に3列車来て面食らった。そのうちの1本はヤードに入った。くねくねと曲がって行く様はなかなか面白い。

 筆者が写真を撮っていると、望遠レンズを持った男が車を停め、何枚か撮ってウインクして去った。 

2011年10月04日

Powder River へ

 高いところは避けることにして、残った時間でどこに行くかである。北に向かえばDevils Towerもあるし、もう少し足を延ばせばMt.Rushmoreもある。

 Gilletteという町に行こうと、走り始めて気が付いた。この道路はパウダ・リヴァ盆地を走っている。ということは鉄道と並行するはずである。GPSで探すとすぐ横を走っている。

 この鉄道はあまり勾配がない。UPの機関士Tom Harvey によると、「つまらないところだ。腕は要らない。誰でも運転できる区間だ。」とのことであった。しかし、炭鉱からの列車の本数は多いから、写真を撮るには楽しい。

 走っていると、筆者の車とどんどんすれ違い、また、たくさん追い越した。一編成120輌ほどで、100トン積みであるから、12000トンである。機関車は前補機一輌、後補機一輌で、12000から15000馬力ということになる。機関車は最大出力を出している様には見えない。

2355 途中に巨大な170トン積みダンプが置いてあった。近づくと、それは観光案内所で、ヴォランティアのおばちゃんがワイオミングの見どころを説明してくれる。「炭鉱に興味がある。」というと、「このあたりにはたくさん炭鉱がある。私の亭主も炭鉱で働いているの。ワイオミングの石炭はこの国のエネルギの45%を賄っているのだからすごいのよ。」と言う。「次の筋を左に曲がって40分くらい行くと Open Pit(露天掘り)があって、外からも見えるわ。」というのでそこに行くことにした。

2359 しばらく行くと石炭列車に遭遇した。どんどん来るので撮っているうちに時間はかなり経ってしまった。ここでの列車の頻度は、大船駅で見る東海道線の列車のような感じである。さすがに速度は遅いので実際の間隔は東海道線のそれの1/3くらいであろう。しかし、一部複複線、ほとんどが三線で、列車が重複して来るので大変な迫力である。1方向に1時間で7列車ほど来たから、1日に軽く100列車以上通ることになる。1日120万トンが通過するのだ。

2011年09月20日

続々々 Caboose Hobbies

219121942193 正解はPlymouthの2ftガソリン機関車である。タイプCL Friction Driveである。railtruck氏は何でもよくご存じで驚く。
 この摩擦駆動の現物を見るのは初めてで、じっくり見てきた。20分も身動き一つしないで中を覗き込んでいたら、「大丈夫か」と声を掛けられたほどだ。動作する様子の動画は何度か見たことがある。 

21982200 この円盤はエンジンの軸に付けられていて、こちら側にある被駆動軸の円盤に接触すると動き始める。起動時は中心近くに押し付けると減速比が大きく、大きな駆動力を出すことができる。走り始めたら、徐々に円周近くに接触点をずらしていくと速度が大きくなる。もちろん駆動力は小さくなる。前後の軸の連動はチェインである。中心に近いと接触部の円周差が大きくなるので多少効率が下がるだろう。

2202 無段変速であって、この被駆動軸を左の方に動かせば、それは逆転することになる。単純明快な構造である。被駆動軸を圧着する力の掛け具合で半クラッチ状態になり、滑らかな起動になる。
 回転部分が露出しているので巻き込まれないかが心配だが、それはこのめっきされたカヴァで克服してきたのだろう。被駆動軸の材質は綿のような感じであるが、石綿かも知れない。駆動側は鋳鉄のような感じである。

 プリマスという発音だが、日本では「プリムス」という綴りをよく見る。これはたぶん自動車の名前からきているはずだ。戦前に輸入されたとき「プリムス」という呼び方が定着したのだ。
 筆者はこの車にはあまり良い印象がない。1970年代のpolice carはほとんどPlymouthだった。大きなエンジン(7.2L)を付けていて、すごい加速で追いかけてきた。

2011年05月18日

Proctor のM3

DM&IR M3 Duluth方面からProctorに向かう途中、左手に突然この機関車は現れる。近所ではだれでも知っている有名な場所らしい。しかしここにあることを筆者は知らなかった。
 シカゴの友人が「Duluth に行ったら、ちゃんと3台見て来いよ。全部見なければ意味がない。」とアドヴァイスしてくれ、Google Earth で確認していった。「プロクタの機関車が一番写真を撮りやすいから、これを最優先で行け。」とも言ってくれた。
 
 高校の時読んだ徒然草に 、「仁和寺にある法師」という話があった。だから、どんなことでも地元の人の意見は聞いておくべきだ、と思ったのである。今回は彼の意見を100%受け容れて、その通りにした。ただし見た順は逆になった。

0585 ドゥルースの博物館のライヴスティームを見て気になるところがいくつかあったので、写真を撮り、ここで照らし合わせてみた。作者はこの機関車を完璧に縮小したことが分かった。何もかも実物通りになっていた。このような目的には現代のディジタルカメラは役に立つ。LCD画面に映し出して拡大すればよいのだ。この写真の煙室脇に4つ付いた斜めにたくさんの線が入った箱状のものがある。これはコンプレッサから排出された高温の空気を空気溜に送る前に冷やすためのもので、いわゆるアフタ・クーラである。近代機には蛇のようにうねった管ではなく、このようなものが付けられるようになった。これは鋳物製で表面積を大きく作ってある。現物を見るのは初めてだ。例の模型も全く同じ形に作ってあった。
 また、ラニングボードも少々変わったスノコ状になっているが、それもきちんと作られていた。

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 本当に大きな機関車である。動輪径は63インチ(1600 mm )で重量貨物用である。大きな引張力を必要とする低速使用が目的である。Big Boyのように本線上を高速で走ることができる機関車ではない。
 例のアスベスト騒ぎでボイラ・ジャケットが無くなってしまったのは寂しいが配管の様子はよくわかる。

 厳冬期、すべてが凍りつく期間だけ、Denver Rio Grande & Western 鉄道が借り受けていたことがある。3000mの峠越えの機関車としてである。粘着力が大きくその威力を遺憾なく発揮したそうである。 

2011年05月14日

メサビ鉄山

Mesabi Iron Range メサビという綴りはいくつかある。原住民の言葉を移し替えたので、最初にローマ字で表記した人の母国語が何かということも大きなファクタである。少なくとも、Mesabi, Missabe, Mesabaの三種があり、他にもある。昔、とれいん誌で松本謙一氏がミッサべと書いたが、現地の発音からは程遠い。三種ともメサビに近い音である。

 メサビ鉄山は第二次世界大戦のときに多量の鉄をアメリカに供給したが、その時良質の鉄鉱石は大半運び出された。その後見学に行ったときにはタコナイトに切り替えが始まったところであった。
 タコナイトは磁鉄鉱という鉱物を20%ほどしか含まぬ貧鉱石で、粉砕して磁力選鉱しなければならない。この操作には多少のエネルギは必要だが、割合簡単な工程である。こうして純度を上げた磁鉄鉱は微粉であり、直接高炉(熔鉱炉)に入れるわけにはいかない。高炉の中には通気性が必要で、鉱石はある程度の粗粒でなければない。その隙間を還元性ガスが通過しなければならないからだ。細かい粉を入れるとそれが詰まってしまい、機能しなくなる。

 したがって、その磁性を持つ粉状鉱物にバインダと呼ばれる接着剤になる物質を入れ、焼結して直径半インチ(12 mm)ほどに形成する。これを五大湖の南岸にある製鉄所に送って冶金(やきん)する。

05990604 この鉱石列車を写した。数は数えきれなかったが、150両以上あったことは確かだ。望遠レンズで撮ると湯気が見える。鉱石は熱いのだ。一次精錬所から出荷されるときにはかなり熱いものだということははっきりした。

 この貨車の上には囲いが増設されている。タコナイトに切り替えられて、密度が以前より下がったため、より多くの嵩(かさ)があるためだ。これらの貨車の寿命が尽きて新車になれば、容積が変更された貨車が用意されるであろう。

2011年05月06日

Ore Docks

Two Harbors05290525 このOre Dock なるものの写真はよく見るし構造も理解している。しかし現物を見ると、凄い!の一語に尽きる。長さは1300ftである。それはデッキの部分だけの長さを表す。
とにかく大きい。航空母艦より長さも高さも大きい。貨車は24ft程度の短いものを用いているから50台くらいは載る。長い貨物列車を切り離してその程度の長さにしてドックに移動する。ドックの設置場所は地形を選んであって、仕事量が少なくなるように設計されている。
 貨車の底板を外して鉱石を落とし込む。鉱石を受ける部分はHopper と呼ばれる。それにある程度貯めておいて、船を横付にする。そしてシュートを下げて鉱石を積む。合理的な方法として過去100年以上採用されてきた方法だ。これも昔は木造だったそうだ。
 写真を撮っていたら鹿が居た。近寄ると逃げるが、人を恐れるようでもない。

Duluth Harbor 中学校で習ったメサビ鉄山の話を思い出す。ダルースから船で運ぶとあったが、このあたりには、オアドックがたくさんある。Duluthの他にこのTwo Harborsも大きな積み出し港である。ダルースという音は間違いである。地元で聞いてみるとドゥルースである。
 ドゥルースの郊外にはもう鉄道では押し上げていないオアドックがいくつかある。このごろはベルトコンベアを使っている。

0477 これはその郊外にあるものである。もう使っていないのかもしれない。木造のように見える。



0479 この船はその近くに停泊して内部の修理をしていた。いわゆるLakerである。巨大な船だ。7万トンクラスである。かなり古いが塩水ではないので船は長持ちする。また、大嵐に見舞われることもないので、船自体の強度は小さくてよく、長寿命となる。これは穀物運搬船のようだ。長さは1000ft(300m)である。



2011年05月04日

Two Harbors の DMIR M-4

0483 Minneapolisの次は鉄鉱石の積み出し港Duluthを越えてさらに30kmほど行ったTwo Harborsという町にDMIRの主力機2-8-8-4 M-4 を見に行った。これはGoogle Earthのおかげで場所を割り出せた。港の正面の旧機関庫の延長上にある。昔はここが駅になっていた。駅の建物は残っている。
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 一応屋根が掛けてあるので傷みは少ないが、あまり良い条件ではない。内陸で、海から塩が飛んでこないのでさびは少ない。

05210523 望遠レンズで遠くから撮るとこんな具合だ。大きな機関車である。この機関車が鉱山から160輌もの重い鉱石列車を牽いて港まで来たのだ。

0514 港には巨大なOre Dockが3本ある。この長さは450mほどだ。

2009年12月27日

岩塩鉱山

岩塩 近くに岩塩の鉱山もある。

 巨大な穴を掘り、そこから横に縦5m横10mくらいの坑道を数百メートル掘って大型ダンプカーに積み込んでいる。その塩は無色透明でガラスのようである。
 一般的な岩塩は着色している。黄色であったり、赤色であったりするのが普通だ。

 面白いことに、これらの着色した岩塩を水に溶かすと塩化ナトリウム以外何も検出されない。再結晶すると、無色の結晶が析出する。
 この理由は少々ややこしい。岩塩が地面に埋もれている間に、放射線を浴びたためである。放射線のエネルギにより、中のイオンの相対位置がずれたのである。すると、特定の波長の光を吸収しやすいので色がつくが、溶ければ全く普通の食塩である。

 岩塩は近くの牧場で消費されるので、その鉱山には鉄道が敷いてなかった。大型のトレーラで出荷される。
 家畜には塩が必要である。牧場の片隅には30cm角くらいの岩塩が1トンくらいずつ山にしてある。牛たちはそこに来て、舐めている。
 雨が少ないので溶けてしまう心配はないそうだ。馬の牧場にも塩が盛ってある。

 この岩塩鉱山の成分は海水に似ている。マグネシウムが入っていて、動物たちにも都合のよいものと言っていたが、よくわからぬ。海水を飲むとマグネシウムイオンを摂取するので下痢をすることがあると、昔習ったように記憶しているのだが。


2009年12月25日

Mining Railroad

 ユタ州の南の方にはカリウム鉱山がある。炭酸カリウムは英語でpotashという。元素名としてはpotassium である。pot(壺)の ash(灰)から得られたのでこの名がある。
 砂漠の中を走っていると切り通しがある。その切り取られた崖から白いものが垂れてかたまっているのに出くわす。舐めてみると塩化カリウムの味である。

 カリウム資源はすべて水溶性なので、ドリルで穴をあけて高圧で水を注入する。流れ出した泥水を沈殿させ、上澄み液を乾燥すると得られる。砂漠の中の乾燥した空気の中では、乾燥は速い。
 このような水溶性の地下資源は、日本にはない。雨が多くて流れてしまうからだ。

 砂漠の中に大きな屋根を架けた工場は、大抵カリ鉱山である。カリウムは肥料として用いられるのと、ガラスの材料になる。

 もうひとつ水溶性の地下資源として、トロナ鉱がある。これは炭酸ナトリウムと炭酸水素ナトリウムの化合物で、ガラスの材料として重要である。昔はソルヴェイ法で作られていたが、現在では天然物を使う方が安い。
 ワイオミングの砂漠の中にある。これは掘って水を掛けて精製するだけなので、いくらでも採れる。埋蔵量が人類の消費量の5万年分という話もあるくらい大きな鉱山だ。

 所々で見かけるウラン鉱山は興味深い。ウラン鉱は色が独特で、露頭しているのが見つかりやすい。大抵のウラン鉱山は埋蔵量が少なくすぐに資源が枯渇する。
 西部の砂漠の中には打ち捨てられた鉱山が沢山あって、どれも筆者の興味の対象である。

2009年12月23日

続々々 Bingham

Bingham Copper mineShay ビンガムには大型の蒸気機関車がいた。0-8-8-02-8-8-2などのマレーもいた。これらは東部の鉄道から譲り受けられたものである。
他に何台かのシェイもいた。

 2-8-8-2などはN&Wから来た。詳しい方は元の機種がお判りであろう。 

Don Strack 1988 このウェブサイトを開設しているDon は、筆者の古い友達で、時々連絡を取っている。以前は大きなHOレイアウトを持ち、UPの長大編成を楽しんでいたが、趣味の中心がこのウェブサイトになって、ついにレイアウトは壊してしまった。

 彼の鉄道研究はすさまじく深く、到底一般人の及ぶところではない。どんな情報も必ず自分で出かけていってウラを取る。
 今ではかなりの有名人で、ありとあらゆる情報が集まってくるそうだ。写真のコレクションも凄い。本も何冊か出している。

 以前紹介したラルフの趣味の部屋には、この2-8-8-2の巨大なヘッドライトが置いてある。つややかな黒に塗られて、明かりが灯った。

2009年12月21日

続々 Bingham

KennecottKennecott bingham Canyon 70年代の写真もウェブ上に多少あるので、お借りした。左の写真では穴の底の方は電柱がないから、ディーゼル電気機関車を使用していたのだろう。線路を頻繁に敷き替えるので電柱がない方が便利なのかもしれない。

 現在は底の方に縦坑を掘り、そこに鉱石その他を落とし込み、ベルトコンベアで水平に外に運び出している。すなわちダンプカーが、上まで土砂を積んで登っているわけではなさそうだ。

 右の写真は鉱山から選鉱した鉱石を運び出す鉄道である。20キロほど離れた精錬所に運ぶ。
 この鉱山は低品位鉱であるので、一時は閉山の可能性も取りざたされた。隣のネヴァダ州のElyという町にもKennecottが経営する銅鉱山があったがそれは90年代に閉山された。
 イリィの市街の西にこれまた巨大な穴があり、ここと同じ手法で鉄道を敷いていた。現在は精錬所も壊され、穴だけが残っている。
 操業中に中を見せてもらったことがある。穴の深さは300mくらいであった。

 自分で撮った写真をお見せできるとよいのだが、どこかに紛れ込んでしまって出てこない。いずれ機会を改めてお見せしたいと思う。
 


2009年12月19日

続 Bingham

電気鉄道による鉱石運搬 Bingham鉱山はKennecottという会社が経営している。ケネコットはソルトレーク市の中心に事務所を構える巨大企業である。一時は、鉱山列車に乗りたいからという非常に不純な動機で、この会社へ就職しようかと考えていたこともあった。

 新しい画像が公表されているのでそれをご覧戴くことにする。これは2003年撮影とある。

 こちらの方は2009年撮影とある。これらの写真を見ると、昔の鉄道は痕跡すらない。ユタ州南部のモエーブには別会社のカリウム鉱山やウラン鉱山があり、そのあたりにかなりの車両が移動したらしい。鉱石の比重が違うので、ホッパ車の容積を変更しなければならないだろう。

 300トン以上積める大きなダンプトラックとか、120トンをひとすくいするシャヴェルが沢山ある。タイヤのモニュメントは昔から変わっていない。

 砂漠の中に精錬所があり、煙を出していたが、最近はその煙の色がほとんど見えなくなった。公害防止設備が強化されたのであろう。硫酸製造設備があって93%と98%の濃硫酸を出荷している。

 銅鉱の中の金、銀、モリブデンを分離するとこれが大きな収入源になる。最近は特に儲かっていることであろう。 


2009年12月17日

Bingham 

Bingham Cupper mine全景 鉄道撤去後の斜面 Binghamはソルトレーク・シティの西方約50kmにある。初めて訪れたのは1972年である。巨大な穴の中までらせん状に張り付いた長大な鉄道があった。GEのsteeple cab(凸型)の電気機関車に牽かれて長い鉱石列車が登り降りしていた。砂漠の中で、ここだけが完全電化されていた。
 1940年頃までは蒸気機関車によって鉱石列車を牽引していた。巨大な2-8-8-2の関節型蒸気機関車が走っている写真を見たことがある。穴の中では煙が出て行かなかったらしく、穴が深くなると電化を決意せざるを得なかった。

 天候によっては、穴の中に雲がある。不思議な丸い雲で動かない。

 穴を深くするためには全ての斜面を広げなければならないので、線路を年二回横にずらすと言っていた。その労力たるやすさまじいもので、その土砂を捨てるために新たな鉄道を敷き、それを捨てに行った。

 時を置いて見に行くと、明らかに鉱山の形は変化している。しばらく前に、鉄道を撤去すると言っていた。新しい写真を見るとトラックの通る斜面が作られて、鉄道のあったところは壊されている。どうやら本当に鉄道は無くなったようだ。

 この鉱山は山頂付近での露頭(鉱石が顔を出している状態)が見つかったことに始まる。鉱脈はほとんど垂直に数千メートルあるらしく、現在では2000mほど掘ったことになる。昔の山は完全になくなり、付近の平地よりも1000mほど低くなった。ズリ(鉱石以外の土砂)は周りに積み上げたので、差し引き2000mほどの高低差がある。
人工のグランドキャニヨンと言われるのも、うなづける。

2009年12月13日

足尾のフォード

Ashio FordFord Engine 足尾には市内の交通として路面軌道があった。初めは馬車軌道であったが、ガソリン機関車による客車牽引が始まった。
 A型フォードの動力部分を使った簡易な機関車である。そのエンジンが見つかったのでそれをもとに修復したのである。
 須永氏はじめ、けいてつ協会の岡本憲之氏らの多大な努力で復元を成し遂げた。

 当日は、その復元作業を直接担当された市内の自動車修理業の町田洋氏にお話を伺うことが出来た。

 A型フォードの部品はまだ通信販売で手に入れることが出来るそうで、ラジエータ、エンジンフードは本物を使ってある。

 主台枠、キャブ、車輪は、全く新しく作られたのだそうだ。自動車修理業の方は、過去にA型フォードを整備したことがあるそうで、非常に正確な知識をお持ちの方だ。
 さすがにジェネレ―タはやめにして、オルタネ―タにした。すると低速時のトルクが必要で駆動ベルトが滑りそうであったとおっしゃった。
 キャブレタのガソリンはガソリンタンクからの落差で供給されるので、タンクはエンジンより高いところにある。

 その他本物を再生利用されたので、現代の自動車用エンジンとは全く異なる構造であった。点火進角装置も調整しなければならない。

 排気マフラがないので、バラバラバラと軽快な音を立てて走る様子は興味深い。  


2009年12月11日

足尾のIngersoll Rand

Ingersoll-Rand compressors 所用で日光方面に行ったついでに足尾に寄った。目的は精錬所跡の探索とFordの機関車の見学である。

 国内外の鉱山見学は筆者の趣味の一つである。ほとんどは廃坑で、立ち入りが禁止されているが、精錬所跡の探索は楽しい。思わぬものにも遭遇する。

 今回は、須永秀夫氏のご案内でかなりの部分を見せて戴いた。以前はお仕着せの見学コースしか見ることが出来なかったが、今回は自動車で見て回ることが出来、氏の詳しい解説を聞くことが出来たのはありがたかった。

 足尾銅山は古河グループの銅山で、明治大正時代に外国の最新設備を導入している。その中で巨大なコンプレッサが2台収められた建物を見学した。
 中にはIngersoll Rand社のコンプレッサがある。まぎれもなくIRの文字が読める本物である。

この会社名は日本語ではインガソール・ランドとつづる。アクセントは最初の爛ぁ匹砲△襪里猫爛宗次匹鮨ばす必要もないように思う。

 IRはもともとは鉱山用の機械を作る会社であった。コンプレッサはこの会社の主要な商品の一つである。
 一時期、機関車の製造もしていた。HOのボックスキャブの機関車は、鉱山用であった。今でも生き延びている。

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