アメリカの鉄道

2015年09月12日

またまた Echo Canyon へ

Echo CanyonEcho Canyon 2 帰り路、Echo Canyonを通る。何度も来た道だ。西行きの時には、このお立ち台に行ける。登って様子を見た。今日は先ほど追い抜いた貨物列車を撮ることができる。ただし下りだから、ブレーキを掛けている。
 ダイナミック・ブレーキを唸らせながら、降りて来るのだ。しかし、あまり面白くない。やはり、蒸気機関車でなくても、登り坂で頑張っている姿が見たい。
 ジャンクションで曲がってオグデン方面に行った。Weber川に沿って走るといくつか橋があるからだ。特に詳しく知りたい橋はないのだが、参考になる写真を撮ることができる。

girder bridge 2girder bridge まずガーダ・ブリッジを下から見る。暗いので補正を掛けたら、ざらついてしまった。
 構造はお決まりのものだが、橋台が怪しいのには驚いた。崩れた跡がある。それをちょいちょいと手直しして、おしまいだ。地震のない国はうらやましい。
timber trestletimber trestle 2 横には使われていないティンバ・トレッスルがある。40年ほど前に廃線になった炭鉱に行く線路だ。



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2015年09月10日

abandoned cars

 UP dinerUP diner 2UPの食堂車が放置されていた。これは軽食を提供する車輌だ。窓ガラスに破損防止の合板が張ってあるから、久しくこのままなのだろう。
 保線用の食堂車と書いてあるから、厨房設備を利用して、飯場としての利用があったのだろうと解釈する。

UP diner 3  床下にはLPGシリンダ(いわゆるボンベ)を入れるケースがある。ふたが開いている部分がそうだ。冷房機駆動のエンジン用である。天井の排気筒が興味深い。走行中の風が当たって吸い出されるようになっている。
 連結幌を吊るリンクの付け根が見える。長いリンクで引張っているのだ。

Evanston WYUP crane もう使っていないと思しき、Brownhoistがある。この線は半分土に埋もれているのだ。



Evanston StationEvanston Station 2 Evanston駅のほうに行ってみた。オグデンからは意外と近いのだ。ソルトレークまでは車で1時間半である。



dancing この建物も結婚式などに貸し出されている。このカップルは結婚したばかりだ。新婚旅行に出かける前にダンスを披露している。珍しく、スリムである。
   
 
 

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2015年09月02日

power house

roundhouse01roundhouse02 扇形庫の裏に廻ってみた。これが完全に修復されるのには、かなりの資金が必要だ。10年後に来てみようと思った。


power house 2
 扇形庫から、power house (発電所)を見ている。 この発電所は蒸気エンジンで発電していたらしい。のちにディーゼル発電機になったのだろうが、いずれにせよ、外部からの電力供給がなされた後は用済みとなった。
 格調高い建物である。その昔には高い煙突があったのだろう。蒸気機関車の時代にはボイラで蒸気を作り、機関車のブロワを効かせていた。着火時とか、煙室の掃除の時には蒸気が必要なのである。
power housemachine shop 5 側面から見るとこのような具合である。中身が空っぽなので面白くないが、いずれ何らかの施設になるのだろう。
 途中にこのような鉄骨があった。ホイストを取り付けて、何かの重量物を持ち上げたのだろう。詳しいことはわからない。






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2015年08月29日

続 roundhouse

 扇形機関庫の外側を見てみよう。

round house 4 この扇形庫はかなり大きい。明り取りの窓ガラスは、既にことごとく割られて窓枠も折れている。現役時代はなかなか優雅な雰囲気であったに違いない。  
 この部分のパラペット部分には変更がない。すなわち、木製の梁に屋根を載せてあったのだろう。

round house 5 この写真を見ると、パラペット部に四角の座金がたくさん見える。この裏には鉄骨の梁があるのだろう。煉瓦壁に穴をあけ、ボルトを通して梁を抱かせている。
 この煉瓦はとても脆く、強度はない。日本ではまずできない工法である。地震が来るとばらばらになってしまうだろう。
 結婚式場の辺りだけは、完璧に修復されている。窓枠が美しい。

acetylene storage この倉庫は日本の油庫に似ている。東海道本線の木曽川駅に保存されているものを思い出した。
 説明によると、アセチレンガスのシリンダ(いわゆるボンベ)を仕舞っておくところだそうだ。アセチレンの密度は空気より小さいので、換気窓は上にある。



 

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2015年08月27日

roundhouse

round house beam 扇形庫のつくりは、どの例を見てもだいたい同じである。煉瓦づくりの前壁、後壁の間には木造の屋根が掛けてある。Beam(梁)は木造が多い。hemlock(ツガ)やoak(樫)の巨木を挽いて作った柱に、brace(すじかい)をボルトで留めただけの荒っぽい作りだ。屋根は簡単で、ほとんど載せてあるだけだ。
 
round house doorsround houseround house 2 扉は大きな機関車が出入りするので巨大であり、明かり取りも兼ねている。このドアは新しく作ったもので、当時のプラクティスを踏襲している。材質は松のようだ。節があるのが良い材である。この辺りの感覚は日本とは異なる。knotty pine という言葉があり、「生き節」を賞味する。生き節とは周りの材と結合していて、強度のある節のことである。逆に「死に節」とは板を押すと節穴ができるような節である。我が家の天井はこれと同じ材である。 
 斜めのワイヤでドアの重さを支えている。こうすれば、垂れてくるのを防ぐことができる。ターンバックルの締め方で直角を保つことができる。
round house window 改装された部分から、未改装の部分を見ている。蒸気機関車の時代が終わってからは、扇形庫の使い方はかなり変わったはずだ。
 ディーゼル機関車は、各部のユニット化が進み、修理はユニットの交換で終わりである。それは隣接する machine shop で行われた。線形庫は単なる機関車置き場になり、そのうちに倉庫になってしまった。

round house 3Master Plan 外に出ていって、残りの部分を見た。すべてを改装するには、まだかなりの資金と時間が必要だ。この飛び出している建物が何だったのかはよくわからない。

 このマスター・プランを見ると、かなり大規模な計画のようだ。

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2015年08月25日

Evanston機関区

 今回の最大の目的の一つはこのエヴァンストンの機関区跡を訪ねることであった。昨年友人が近況を知らせてくれ、40年ぶりに行ってみたくなったのだ。

 Evanstonは、ワイオミングの西の端だ。良い水が流れる川があって、機関車の給水には適した。当然のように、そこには機関車の停泊所が作られ、それが機関区になった。

 40年前に行ったときはUPのディーゼル電機機関車の整備工場があり、一般人は立ち入りが制限されていたので、外から見ただけであった。大きなラウンドハウスがあり、ターンテイブルが稼働していた。
 その後、検査・整備の設備はシャイアンの機関区に吸収され、空き家になってしまったのだ。

weddingwedding 5wedding 3 数年前、エヴァンストン市は、この残された建物を歴史的建造物と認定し、税金を投入して保護することにした。一部を改装し、空調設備を取り付け、多目的な会場として貸出している。今回も結婚式をしていたので、中には入れないかと心配したが、「日本からこれを見に来た。」と言うと、「構わんから入れ。」と招き入れられた。式が始まる直前であったが、中を一巡りさせて戴いた。ふくよかなお二人であった。

wedding 7wedding 4 この機関庫は大きい。柱の太さは16インチ(約45 cm)角である。Big Boyは来なかったが、チャレンジャは来ていた。機関庫の奥行きはところにより、増築して長くなっている。扉のデザインも新製時期が違うので、場所によって変化している。

 

 

  

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2015年08月23日

またまた Cajon Pass

Cajon Pass 4 話が多少前後するが、またカホン峠に行った。通り道だから、よく来るのだ。おそらく30回は行っているだろう。
 何度来てもすごいところだと思う。5000馬力の機関車が5両で120輌の貨車を牽く。1万トン以上の列車だ。

Cajon Pass 3Cajon Pass 2 排気が熱い。腹の皮が共振してぶるぶると振動する。スリップもせずに楽々と引き上げるのは素晴らしい眺めだ。蒸気機関車の時代は、これまた素晴らしい光景だったに違いない。ただし列車規模は現在の1/5程度だった。

Cajon Pass 数年前に線路が更新されたので、UPの1線とBNSFの3線がある。この写真にはUP線は写っていない。10 mほどの標高差があるところを通っている。ATSFが先に鞍部を押さえたので、後発のUPは少し高いところを通らざるを得なかった。
 相変わらず列車の密度は高く、30分で5本通過した。

 22.5パーミルという勾配はとてつもなく急で、とても長大列車が走る線区ではないと思えるのだが、次から次へとやってくる。
 今回は例の丘に行かずに旧国道脇で観察していた。暑くて例の丘では熱射病になりそうだったからだ。この場所からは、昔はCajon駅が見通せた。現在は信号所になっている。

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2015年07月05日

Bucyrus-Erie

 日本人には発音が難しい会社名である。カタカナで一番近そうな音はビューサイラス・イャゥリである。前半はオハイオ州ビューサイラスにあったクレイン製造会社名から、後者はErie Steam Shovel社から来ている。後半は「エリー」ではない。耳のイャにRiの音をつなげばよいのだ。"R”の音を出すコツは、小さく「ゥ」を付けてゥリーと言うのである。writeのつづりを見れば、”w”がついているので、その通り発音すれば、それらしく聞こえる。
 スティーム・シャヴルで有名なMarionも昔に吸収合併されている。

 この会社は、世界中のほとんどすべての鉱山会社に製品を納めている。浚渫、坑道採掘、露天掘りなどの大半の用途を満たす掘削機、運搬機械を作っている。だから鉄道用クレインは、ほんのわずかな生産額であるそうだ。

Bucyrus-Erie 筆者がアメリカに居た頃に、UPにこのクレインが導入された。どういうわけか、今までの銀色あるいは黒ではなくて、緑色であった。その色がなかなか良くて、たくさん写真を撮ったのだが、見つからない。いずれ出てくるはずだが、とりあえずWeb上からお借りしている。
 模型も買ってしまったので、色を塗れば完成できる。ところが、少し欲を出してしまい、DCCですべてのファンクションを動かしたくなり、結局挫折して止まっている。諦めて手動にすれば良いのだが、なかなか思い切れない。アウトリガを張り出さないと倒れてしまうのも、挫折の一因だ。模型はKTM製なのだが、台車のバネが柔らかく、上が重いので走らせると非常に不安定である。バネを硬くした。

Hiltonshower and toilet car ついでに、このクレインにつながっている車輛を順に紹介することにしよう。これは作業員の宿舎で、10人収容と書いてある。出動した先の地名を付けて、○× Hiltonと呼ばれていた。中を見せてもらったことがあるが、外見からの判断より、意外と快適そうであった。シャワールームとトイレの付いた車輌も用意してある。上に飛び出したのはエアコンである。いわゆる冷凍機がついていず、水を流してそれを蒸発させ、その気化熱で直接冷やすタイプである。砂漠地帯ならではの工夫だ。evaporative coolerと呼ぶ。水の中のカルシウム分が析出して、内部はがりがりである。木の繊維でできた綿状のものに水を滴下させているので、その替えをたくさん用意している。

snap track 枕木を載せた車輌である。こういう状態でたくさん運んでいく。壊れた線路を横に放り出して敷き、とりあえずの開通である。新たに砂利を持ってきて、タイ・タンパで突き固めるのは、しばらく先である。
 軌框の状態で運ぶこともある。
 
 脱線の現場で作業が長引きそうなときはbusiness carが置かれる。これは現場監督が乗っている。かなり豪華な設備で、衛星電話を持っていた。



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2015年07月03日

脱線の復線作業

 たまたま見つけた動画であるが、新しい工夫があって驚いた。



 この場面に出てくる車輌(非鉄道車輌)はすべてゴムタイヤかゴムで保護した履帯(いわゆるキャタピラ)を付けている。レイルの上を走ってもレイルを損傷させないようになっている。
 車体を持ち上げる機械がある。大きなカウンタ・ウェイトを反対側に張り出して釣り合いをとっている。脱線しただけで転覆していなければ、この機械が2台あれば、復線できそうだ。このタイプの機械は初めて見た。(1分55秒あたり)
 クレインはそれ自身が鉄道車輌である場合と、ゴムタイヤが付いたトラッククレインがある。後者は現場ではラバータイヤとしか言わない。はじめ、何のことかわからなかったが、現場ではそう言う。線路に乗り上げたりしてかなりいろいろな使い方ができる。

 この脱線ではレイルが横倒しになっているので、車体の前方だけ持ち上げて、引きずっている場面がある。レイルがまともに立っているところまで行かないと、復線できないからだ。枕木の上を走る台車が、かなり無茶苦茶な動きをする。倒れたレイルを引っ張って、少しでも起こそうという様子も見える。(15分01秒あたり)

 
 昔、UPの沿線に居たので、脱線情報があるとすぐに見に行った。ラバータイヤが大活躍だった。いつも友人から電話がかかってきて、脱線場所を教えてくれた。彼は無線を聞いているのだ。

 鉄車輪のクレインもよく出動するらしく、車輪はぴかぴかだった。日本の操重車が錆びついているのとは対照的である。控車の次は軌框を積んでいた。替えの枕木や、仮台車、照明装置、燃料、作業者の休憩施設を積んだワークカーがつながっていた。
  見に行くたびに止まっている位置が異なっていたので、よく出動していたらしい。

 一度まったく帰ってこない時期があり、どうしたのかと思ったら、ハイウェイ(街道であって高速道路ではない)をくぐる部分で脱線転覆があり、高架の道路をすべて吹き飛ばして、貨車50輌ほどが横転していた。幸いにも自動車の方は怪我人はなかった。仮の踏切を作ったので、半年ほどそれを利用した。

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2015年06月21日

続々 Promontory Point を訪ねて

 Compact Flashは壊れたが、バックアップしてあったのが見つかったので、続きを紹介する。先回の記事にも画像を追加したので、ご覧戴きたい。

Promontory Point 4Promontory Point 10 岬の先端の丘の上から東を見ている。遠くから貨物列車が走って来たのが見えた。慌てて丘の上に車を進めて写真を撮った。まったくの平坦線なので、機関車は少なく、前2輌、後1輌であった。



Promontory Point 12Promontory Point 9Promontory Point 7 眼下を走り去っていく。低い位置にあるNゲージのレイアウトを、立って見ているようだった。この辺りは塩が析出して、塩砂漠となっている。

 ずっと先の方に行くとS字のカーヴを描いて元に戻っているはずなのだが、よく見えない。

 岬の先端部分だけ複線になってすれ違いができるようになっているが、Lucin Cutoff その物は単線である。

 大変な苦労をして見に行ったのだが、さしたる成果もなく引き揚げた。

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2015年06月09日

続 wheel counter

 先日、ホィール・カウンタによる課金システムについて書いた。十分客観的な話のはずであるが、それでも第三者が検証できる資料を示せ、との課題を突きつけられてしまった。当然のことながら、それはイリノイ鉄道博物館に直接お聞きになれば済むことで、筆者は関知しないことにしていた。

 ところが最近、レイアウト建設で助けて戴いているnortherns484氏が大変興味深い事例をお知らせくださったので、それを紹介する。

 これは、O Scale Meet 2010でご一緒させていただいたときに見たものですね。懐かしく思い出したので、ちょっと調べてみました。
  次の
掲示板のアーカイブの中に、Rock IslandのCouncil Bluffsで働いていた人の1956年12月当時の思い出が書かれています。この中に、1)Wheelage Charge(要するに橋の通行料金)を決めるために、Axle Counterを使っていた、2)UP、RI、C&NW、CGW、Wabash、MILW、IC、たぶんCB&Qのそれぞれの鉄道に別々のカウンターがあった、とあります。 この投稿に対して、もっと詳しく教えてくれという返信があるのですが、その後が続いていないのが残念です。

  もう一つ、
Popular Scienceという雑誌の1926年6月号  の55ページに面白い記述があります。Council Bluffs在住のMichael O’Connorという人が、それまでの17年の間(つまり、1910年ごろから?)、Wheelage Chargeを決めるために、件の橋を通過する列車の車輪を数えていて、その数は一日3200にもなった、とのことです。当時は信頼性のある数字を自動的に算出する手段がなかったからでしょうが、来る日も来る日も通過する列車の車輪の数を正確に数え続けるには、相当の集中力が必要だったことは間違いありません。

 
もうこれで決着がつくものと思う。他にもいくつかの項目についての問い合わせもあるのだが、足で稼いできた情報よりも、雑誌で見つけることができないから怪しいというのはいかがなものか。その雑誌が模型雑誌や趣味誌では話にならない。
 まず製造元のカタログとか特許を調べるのが筋であろう。

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2015年06月07日

続 Promontory Point を訪ねて

Promontory Point 7 西を見ても単線のcauseway(築堤)が湖面を走っているだけで、面白くもなんともない。まっすぐではなく、曲がっているのだが、遠くてそれも見えない。

 

Promontory Point 8 昔は複線のようだったが、列車本数が少ないせいか、単線である。半島の西北の方に行ってみたかった。西側には砕石を採取した穴があるはずで、その写真を撮ろうと思ったのだ。ところが鉄条網が張り巡らされて、半島西側には行く方法がない。
 25年前には何の問題もなく入ることができ、岩石の見本を持って帰ることができたが、時間の経過とともに、徐々に制限がかかってきたのだ。

Promontory Point 4 東の方はcausewayという感じがしない。線路の左は陸地になり、さらに北側には塩田が広がる。

 

Promontory PointPromontory Point 3 岬の突端には例の家具屋の作業場があり、材木を加工して並べてあった。広げて置けば、雨にあたって塩が抜けるという期待であろう。切れ端は山になっていたので、記念に少しもらって帰った。

 なめると塩辛い。これで家具を作ると、現地ではよいだろうが、日本では塩の中に含まれるマグネシウムの影響で多少潮解性があるかもしれない。すなわち夏は、じとっと湿る可能性がある。

 小一時間そこにいて、何本か列車の写真を撮り、また同じ道を通って帰った。帰り道、大きな鹿が道路を悠然と渡った。当たれば大事故であろう。途中には農家が3軒ほどあった。そこに住んでいると、町まで出るには2時間近くかかる。それでもそこから離れたくない人がいるわけだ。一応電力は電線がつながっているから供給されている。しかし、雪などで停電することはありうるだろう。大変な生活だ。

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2015年06月05日

Promontory Point を訪ねて

Lucin cut off 一昨年の夏に、所用で Utah州に行った。時間があったので、ちょっと足を延ばしてLucin cut offを見に行った。かなりひどい道を2時間ほど走る必要がある。冬は行く方法がない。
 途中、休憩所があるわけでもないので、水を持っていかねばならない。道は一応舗装されてはいるが、草が舗装を蝕んでいる。野生動物がちょろちょろ出てくる危ない道である。大きな動物もいるので、よく見ていないとぶつかりそうになる。この写真は東を見ている。

Promontory プロモントリィ半島の根元には、旧セントラルパシフィックの線路があるが、ほとんど砂漠と区別がつかないところが多い。



Lucin cut off 2 半島の先端には湖を渡ってきた線路がある。たまたまやって来た貨物列車を写した。平坦線なので機関車が少ない。東の方を見ている。 



Lucin cut off 4 最先端の波止場まで行ってみる。たくさんの資材が置いてあり、数人の人が働いている。彼らはエビの箱詰めをしている。エビと言ってもshrimp(小エビ)であって、長さ5〜8 cm
ほどである。中華料理に使うらしい。すべて東南アジア方面に輸出される。


Lucin cut off 3 半島の方を振り返る。北東の方を見ていることになる。たくさんある杭は工事用の船着き場の址である。湖面には虫がたくさんいる。その死骸のせいか、とても臭い。



Lucin cut off 5 これがエビの箱である。1つが1㎥ほどもある大きな箱である。



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2015年03月17日

続 Barstow へ

Old Days at Harvey House Santa Fe鉄道は拠点駅に食堂、宿泊が出来る施設を持っていた。Fred Harveyと云う人が経営していたので、Harvey Houseと呼ばれた。列車内で食事の注文を取り、到着前に機関車の汽笛で連絡して、すぐに食事が出るようにするサーヴィスもしていた時期がある。駅のウェイトレスとの恋を描いたThe Harvey Girlsという映画もあった。
 
Route 66 KingmanKingman AZ 2Kingman AZUsed be Harvey House



 
 しばらく前、Kingmanという町に行った。グランドキャニヨン方面に行く宿場である。そこにはHarvey Houseがあるという話を聞いたので行ってみたのだが、敷地の址があるだけで 、全くの外れであった。その駅はMission Styleのなかなかきれいな建物であった。


Platforms バーストウのハーヴィ・ハウスの話に戻る。ここではプラットフォームの址も良く見え、昔は大きな駅であったことが分かる。最盛期には30分ごとに旅客列車が来たそうである。



SuiteSuite 2Banquet Room 二階にはホテルの部屋があり、豪華なスイートもある。
 厨房のあった部分も保存されていて、かなりの規模であったことが分かる。大きなホールは二つあり、結婚式などに使われている。

Steam Locomotive 入口のホールの受付の上に飾ってある写真には、不可思議なものが写っている。どうしてこの写真が飾ってあるのだと聞いたら、
「良くわからない。これについて質問する人は日本人であることがすぐ分かる。」
という変な答であった。


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2015年03月15日

Barstow へ

 O Scale Westが終わると参加者は、みな別れを惜しみながら自宅へと帰っていく。気のあった友達は、帰りに寄っていけと招待してくれることが多い。今年はその方面の友達の誘いを断って行くところがあった。

Harvey House in Barstow Barstowに行きたかった。バーストウは昔からの宿場町である。ルート66の拠点でもあるし、Santa Fe鉄道の大きな駅がある。
 そこには、Harvey Houseが保存されていると友達が教えてくれた。大きいと言っていたのだが、どれくらい大きいか見当が付かなかった。
 街の中にはあちこちに「ハーヴィ・ハウスはこちら」と云う看板が立っている。行ってみると線路に当たる。それを乗り越えて向こうに行くと、壮麗な建物がある。まさかこんなに立派なものだとは思わなかった。

 入場料は取らず、今のところヴォランティアの人たちが運営しているようだ。金は市が出したらしい。建物にはスペイン語で Casa del Desierto とある。「砂漠の家」と云う意味だ。
 このヴィデオにはほとんど余すことなくその魅力が現れている。エアコンがなかった時代だから、夏の昼間の暑さは凄まじかっただろうと思う。

Harvey House gets a face liftHarvey HOuse 1911年に完成し70年頃に使用をやめた。その後廃墟となっていたのだが、市の商工会議所が動いたようだ。現在はパーティ会場として結婚式の披露宴などに使われている。

 ハーヴィ・ハウスは他にもいくつか残っているようだが、ここが一番立派だと言う。
 
 


 

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2015年01月31日

PRR T1

PRR T-1 Konno氏が目ざとく見つけられたPRR(ペンシルヴェイニア鉄道)のDuplex(双子という意味)である。ショウケース内の位置を変える時に外に出したので、写真を撮ってみた。
  素晴らしい機関車である。日本製であるから、ハンダ付けが確実で外れないのが良い。当初、この機関車の動力装置はアメリカ製で、アルミブロックをフライスで切り出したボールベアリング入りのギヤボックスが付いていた。動きはいま一つだった。どういうわけか、固いのだ。多分グリスが粘いのである。モータの出力の半分が失われてしまう。祖父江氏に2モータ、三条ウォームに改造してもらったのだ。押すと電灯が点く。

Tsuchiya  遠くに土屋氏の写真が置いてある。土屋氏のお気に入りの機関車であった。
 図面等はアメリカから提供されているので、正確であるが、メカニズムには理解できない点がある。どういうわけか、テンダ台車は2軸ずつイコライズされていて、バネがない。4点支持なのである。機関車も動軸2軸づつがイコライズされているが、バネが入っている。それはよいが、先台車、従台車はバネで軽く押さえてあるだけで、先輪としての役割を果たしているかは疑問である。

 筆者がアメリカに居たときに、購入して日本に送った。日本製の刻印が打ってあるのに、税関で高い税率を掛けられた事を思い出す。結局は安くなったが、その時のやり取りが面倒で、思い出すと気分が悪くなる。

 思えばたくさん購入して送ったものだ。当時はアメリカが不況で、このような嗜好品の価格は相対的に安かった。調子に乗ってたくさん購入して送ったら、「アメリカの中古市場の相場が上がった」と、ある友人から文句が来た。値切らずに買ったので、「日本人は物の買い方を知らない。迷惑がかかるから値段交渉をせよ。」と言って来たのだ。
 バブルの絶頂期のことである。


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2014年08月26日

近所のHOレイアウト

Layout Room above garage 近所のHOレイアウトを見学に行った。ここへは何度か来ている。

 車庫を増築するとき、思い切って二階を付け足したのだ。裏の外階段でしか行けない造りだが、ご本人は大満足だ。非常に普遍的な構成のレイアウトである。
 フレクシブル・トラックを張り巡らし、シノハラのポイントをつないだもので、Walthersのカタログを見れば、大半のものは揃う。

HO layoutHO layout 2HO layout 3 彼はDennis の空軍時代の友人で、イリノイ州出身だ。居間に大きな生家の航空写真がある。「アメリカの地面が全て赤褐色だと思ったら大間違いだよ。」と言う。緑一面の草原の中にその農家があった。
 父親が亡くなった時売却して、今は半分くらい取り壊されたそうだ。テキサスの航空基地に勤務したので、ここに住み着いたという。以前はOkinawa にも居たことがあるそうだ。

 レイアウトルームの上空には1/48サイズの空軍機がたくさん吊り下げてある。同じ縮尺なので大きさの対比ができて面白い。一番のお気に入りはKyushu Shinden(震電)である。「あの時代にこんな飛行機を作るなんてすごい。2年早く出来ていたら、日本を占領するのは危うかったな。」と言う。

HO layout 4 西部の有名な地形を模した名所巡りのような鉄道だが、運転はなかなか面白い。隠しヤードがあって、いろいろな列車を牽き出して運転できる。運転本位のかなり気楽に作られたレイアウトである。このようなレイアウトが日本にたくさんあるとは、とても思えない。彼自身、Dennisのような非常に深いところまで掘り下げるタイプの鉄道マニアではないので、気楽に楽しんでいるのだ。

HO engines 機関車は90%以上がプラスティック製である。ブラス製はケースに入れて大切にしまってある。
 
 


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2014年08月14日

Idaho Forest

Idaho ForestCenter Beam Flat Car センタ・ビーム・フラットカーの積荷に、よくこの材木会社の製品がカヴァを掛けられて載っている。材質は厚手の紙の表にプラスティック・コーティングしたものである。

 筆者の家のデッキが築22年でかなり傷んできた。補修を繰り返したが、デッキ材が既に腐りかけているので、新品の材料に置き換えることにしたのだ。
 日本にないサイズの木材であるので、色々なところに打診していたが話が折り合わなかった。結局のところ、原木を輸入している会社と接触して、日本でその寸法に挽いてもらったのだ。1 cmほど大きめに挽いて、人工乾燥した。カンナ、ルータを掛けて、オリジナルと寸分たがわぬ材を1トンほど用意してもらった。Canadian Yellow Cederという材で日本では米ヒバという怪しい名前で売られている。素晴らしい芳香を持った木である。長さは2 m から 6mの乱尺で、厚さは60 mmである。 
 本来は1月に納品の予定であったが、担当者が怪我をしたらしく、7月の納品となった。

 デッキ材を専門に扱っている会社の価格の約半額で用意できた。それを4トン車で運んで来た時に掛けてあった包装材がこれで、しばらく手を付けられないので包んでおいた。

 庭にこのシートを掛けた材料が置いてあるというのはなかなか良い景色である。

 お盆休みは人手があるので、近日中に交換をする予定だ。するとこのシートは捨てることになる。もし、読者の方で、欲しいと仰る奇特な方があれば喜んでお譲りする。大きなものなので、マークやロゴだけを切り取ってくれ、という要望にも応じる。

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2014年02月14日

続々 Dynamometer Car

 速度を計測するのは車軸の回転数からである。ところが車輪は少しづつ摩耗するので、その径をいつも測定しなければならない。

 この写真はイギリスのDynamometer Carである。測定用の車輪を軽く押し付けているのが分かる。その車輪は接触圧がとても小さいので自転車の車輪ほど華奢である。普段の走行時には持ち上げていて、試験のときだけ、接触させている。

SH821 この記事はPopular Scienceの特集記事などをまとめたこのサイトからお借りしている。 NYCの車輌を図解している。これは油圧式で、連結器の伸びは非常に少ないが、模型化は無理である。
 キュポラに座っている人は、マイルポストを監視している。車輪の回転のみならず、実際の距離も読んでいるのだ。あとで突き合わせて補正をするのだろう。
  

 キッチンがついていて食事が出来るし、ベッドもあって休むこともできる。ディレクタの席もあるし、なかなかの豪華版である。日本の国鉄のヤとか、いわゆる”ドクター・イエロー”などの中はどうなっているのであろうか。日本では比較的短時間であろうから、このような設備は必要ないのだろう。

 今回作るのは機能第一主義であって、その外見は「変でない程度」にしか作らない。もちろん実物のスケールモデルではなく、こんなのがあったらいいなという程度である。

 台車は4輪台車でも良いのだが、より重厚な6輪台車にする。イコライズしていない台車に改造を加え、3軸がいかなる線路にも追随する工夫をした。牽引力計も、カーヴ上での作動を確保する構造にした。
 
 ある程度形が出来たら、報告する予定だ。
 



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2014年02月12日

続 Dynamometer Car

 牽引力は、バネを押し縮めたり、あるいは伸ばしたりしてその変位を測定することによって算出される。連結器は引っ張られると伸びるわけだ。その量をある程度の範囲にしておかないと、連結器がうんと伸びて、外見的にもおかしいし、曲線上ではその引っ張る向きが車輌の軸から大きく外れてしまって脱線のもとになる。

1997-7059_HOR_F_1012 本物の構造はどうなっていたか、テコ式のは資料が集まらないので分からない。模型はサーボモータなどで変位の分だけ、バネ秤を軸方向に移動して、見かけ上、連結器が伸びないようにするのが望ましいと思われた。すなわち、車体を押さえて連結器を引っ張ると、連結器が伸びないで牽引力が測られるのがベストである。
 この機構は以前作ってみたのだが、追随性を上げると、その時に加速度が測定されてしまい、見かけの牽引力増加が測定されて、とても具合が悪い。追随性を下げると何の意味もないし、正直なところ良い結果は出なかった。追随するときの変位補償の加速度をコントロールすることが必要なのだが、とても難しい制御である。
 バネを強くすると変位量が小さくなるが、その分測定誤差が増える。

 実物は曲線半径がはるかに大きいので、連結器の伸びは問題がなさそうだ。

chicst38 ダイナモメータの牽引力曲線を見たことがあるが、蒸気機関車の場合はトルク変動が大きく、波打っている。3気筒機関車の場合はトルク変動が小さいので、波打ちが小さい。
 電気機関車の場合はほとんど平坦である。その出力用紙には時間軸も印刷されるので、特定の時刻の速度の出力用紙からの読みと照らし合わせて、仕事率を計算するようだ。かなり面倒な作業だ。

bo-2002-48images 当時の写真を見ると、機関車のキャブとの通話用の電話線が見られる。またテンダ上を経由して、キャブまで行くことができるように、キャットウォークも付けられている。詳しい様子は分からないが、キュポラの前妻が開いて、屋根上に出られるものもあった。蒸気機関車の時代の出力測定は多人数でやる大掛かりなもののようだ。


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2013年12月22日

Bear Lake

Bear Lake ABear Lake B Bear Riverの上流にはかなり大きな湖がある。Bear Lakeは琵琶湖の半分位の大きさで、最深部は60 m ほどだそうだ。青い水が美しい。この湖を見てからEvanston方面に抜けてGreen River方面に行った。

 
Logan そこに到達するまでにLoganという街を通る。Loganはユタ州の中で一番寒い町である。いつも最低気温が−40 °C以下である。天気予報で「あすはローガンでは −40 °Fになるでしょう。」という言い回しをよく聞いた。

 日本人には華氏温度は縁がないが、これだけは覚えていた。−40 °F は−40 °Cである。

 華氏というのは英語でファーレンハイトというから、その最初のファを中国語の華(ホァ)で置き換えたのだ。
 しかしそんな温度になるはずがないと思っていたら、この地ではよくあるのだ。高地で盆地であるから、よく冷えるのだ。筆者がソルトレークで経験した最低気温は、−37 °Cである。大して違わないが、ローガンはとにかく信じられないほど寒いところだ。
 ちなみに筆者が体験した最も低い温度は−57 °Cである。スキー場の山のてっぺんで標高3800mである。新雪の中を滑りながら、ここで転ぶと、春先まで見つからないのだろうなと、ヒヤヒヤした。

 オグデンから北に伸びる支線は、峡谷を登り、ローガンの近くをかすめてポカテッロの方に行く。ローガンには支線は通っていない。分岐した枝線が街を一巡りしているが、果たして現在も使っているかどうかは怪しい。おそらく、収穫期にカヴァード・ホッパをつないで、短い貨物列車が通る程度であろう。踏切は警報器も設置してある。
 支線の開通当初は街の中を通る線ができたのだろうが、そのうち短絡線ができて、そちらを列車が通過するようになったのだと思う。
 
 久しぶりのユタ州訪問で、あちこち友人を訪ねて走り回った。その書き溜めてあった訪問記もこれで終わりである。年末は、しばらく休刊とさせて戴く。

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2013年12月20日

Bear River

Bear River map Great Salt Lakeに注ぐ川の中で最大の川がBear Riverである。  ワイオミング州の方から大回りをして来る。Evanstonの街の中を通っている。エヴァンストンには扇形庫が残っている。

 Bear Riverの河口には、淡水域を設けて、野鳥の楽園が作られている。渡り鳥の休息のための池である。かなり広い。数十平方キロぐらいある。渡り鳥が、塩湖に間違えてたどり着いても、ここまで来れば安心だ。

bear-river-migratory-bird-refugeBird Refuge 友人が勧めてくれたので見に行った。のどかな風景である。博物館もあり、楽しめる。川の水は細かく枝分かれし、ゆっくり流れている。それに沿って、道路がある。自転車で走っている人も多い。

 河口付近の町にBrigham Cityがある。Promontoryを通る旧線の跡を探してここに来たのだが、既に宅地化していて分からなかった。もう一度詳しく下調べしてから来たいと思った。

 ユニオンパシフィック鉄道の支線は、ここから北上してPocatelloを経て、Portland方面に行く。Snake Riverに沿っていく風光明媚な路線だ。ただ、勾配がかなり急なので、あまり長い編成ではない。
 1989年にFEF3(4-8-4)が走ったときに、ここに来て写真を撮った。自動車があまり高性能ではなかったので、振り切られた場所だ。90マイル/時(144km/時)以上出ていた。友人たちはポカテッロまで追い掛けていった。

 日本では蒸気機関車は遅いものの代表であったが、アメリカでは速い物の代表である。轟音を発して筆者の車を抜き去って行った。 

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2013年12月14日

続々々々 Lucin Cutoff

 湖の深さはせいぜい 10 m 足らずであるから、埋め立て用の岩石を運ぶ箱船が通れるように、canal(水路と訳すのだろうか、要するに多少深く掘った掘割)を作って、積出の岸壁と現場を結んだ。この水路と波止場は衛星写真でもはっきりわかる。

 箱船はカリフォルニアの工場で組み立てられ、いくつもの部分に分割され、鉄道で現場に運んで再組立てされた。箱船の底は開いて岩石が投下されされるようになっていた。

 岩石を採る場所はプロモントリィ半島の先端より西岸を2マイルほど行ったところにある。運び出すベルトコンベアは、 Hewitt-Reynoldsによって作られた。少々高いところにあるので、重力で自力で動き、付いているモーターが発電機となって24時間操業の電力の大半を供給した。掘削するパワー・ショベルの動力もまかなえた。

6850880642_413c7d750d_b from Flickr このようにして作られた築堤は標高4218 ft (1285 m)まで積み上げられた。1905年の木橋建設の時の築堤は 4213 ftに作られたのだが、長年のうちに沈下し4205 ftにまで下がっていた。新しい築堤も少しずつ沈下し、4212 ftになってしまった。

 1982年、突然湖の水位が上昇し始め、1985年には最終的に4212 ftにまでなった。築堤は水没の危機に見舞われ、築堤の積み増し工事が急ピッチで行われた。築堤の北側部分の水位上昇が早かったので、そちらの手当が急がれた。古いboxcarやhopperが大量に集められ、線路際にぎっしりと並べられた。天井は外してある。それらに土砂を詰め込み、防波堤としたのだ。しかし、南側も高くなり始めた。

 嵐がやってくると、波は線路を洗い、線路は曲げられて無茶苦茶になった。保線作業で数日間は不通となってしまう。その間、列車は南岸沿いのWestern Pacific経由とせざるを得なかった。

 

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2013年12月12日

続々々 Lucin Cutoff

Lucin Cutoff library 1869年4月28日の大陸横断鉄道開通から35年以上使われたPromontoryを通過する本線は、かなり長期間、木橋の不通時に備えて温存された。
 しかし、橋の信頼性が確立された1933年には、放棄された。そこにあった駅、補給設備、保線のための設備は全て撤去され、砂漠に戻った。ただ、沿線の牧畜業者のために、水を運ぶ列車が月に2回程度運行されたのだそうだ。そこでは羊を飼っていた。保線されていない線路だから、かなりの悪路であったことが想像される。
 勾配は急で、貨車を6輌しか牽けなかったという。

 鉄道会社は完全に廃線にしたかったのだが、建設当時に国との契約で得た沿線の権利を失う可能性があって、なかなかそれもできなかったが、1942年に戦争が激しくなり、鉄を供出する必要もあって、完全に線路がめくり取られた。大陸横断鉄道敷設時には、建設促進のため、敷いた線路の両側10マイル(16 km)が鉄道会社のものになるという、今では信じられないような条件が提示されていた。

edu 戦後、橋はメンテナンス費用がかさみ、それでも橋の安定性が失われつつあった。より安全なcauseway(築堤)方式、またはコンクリート橋への移行が望まれた。
 湖の底には泥が10mほど堆積しているので、ただ岩石を投げ込んだだけでは意味がない。浚渫作業が必要であって、それを請け負ったのがMorrison-Knudsenであった。この会社は現在では機関車を作っているが、創業からしばらくはアイダホ州を中心に土木建築を請け負っていた。モリソン氏はコンクリートの専門家だったらしい。
 
 築堤が建設され始めた頃、木橋が火事になって、180mほど焼失した。その復旧工事をしたのもこの会社である。水面下の燃え残った部分に継ぎ足して、仮の鉄橋を掛けて復旧した。それを短期間にやってのけたので、名を挙げた。Pentrexから、その時の動画が発売されている。

 火事の原因はhot box(軸箱の過熱)であった。油切れで焼けたぼろきれが軸箱から落下したのだ。

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2013年12月10日

続々 Lucin Cutoff

Redwood 木橋はモミの木の杭と、レッドウッドの床板からなる。杭は60 cmから90 cmほどの直径、床板は7.5 cmの厚さである。中にはクルミ材も使ってあったそうだ。それらはボルトで留められていた。
 レッドウッドは雨ざらしにしてもあまり傷まない赤身の部分のみを使っている。この写真は我が家の破風を飾っているレッドウッドの切れ端である。日光の当たるところに10年ほど置いてあったのを持ってきて、写真を撮るために、さっと払っただけである。さほど傷んでいるわけではない。上の木片が載っていたところの色が少し違う。多少の雨が当たったようだが腐らずによく持っている。
 レッドウッドは巨大な木で、直径 5 m, 高さ 70〜80 m 位が普通である。山火事になっても生き残るので、レッドウッドの森ができると聞いた。

Lucin Cutoff 3 Trestlewood社は橋を解体し、陸揚げして製材する会社である。 この動画はそれを手短かに紹介している。引き揚げた木材はプロモントリー半島の先端に寝かせて風雨に当て塩抜きをするボルト類を機械で抜き取り、金属探知機で鉄片が入ってないのを確認して鋸で挽く。
 これは手斧で仕上げた暖炉の上の横木である。この再生レッドウッドを使って立てた家や、仕上げた床などが映っている。筆者はこの種の素朴な仕上げが好きである。英語ではrusticという表現をする。このような家を建てたかった。

Lucin Cutoff drawing 00005r 杭は30mの木材を打ち込むのだが、場所によっては杭をぶら下げただけで、ずぶずぶと入ってしまうこともあったようだ。そのような時はもう一本継ぎ足して打ち込んだそうだ。50 mも入ったところがあったという。

 杭が打たれると、上を揃えて切り、横木を渡して梁を掛ける。床板を張ったらアスファルトを塗って、砂利を30cm以上の厚さで敷く。
 
 湖の真ん中には信号所(Midlake)ができ、要員が寝泊りできる設備もあった。汽車が止まるので、そこまでの遠足も企画された。

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2013年12月08日

続 Lucin Cutoff 

「大陸横断鉄道がどうして塩湖の北の経路を取ったか?」ということはよく質問される。それは南岸ルートは塩の上にあるからである。水が入り込んでやや緩い部分が何箇所かあり、そのぬかるみを避けたのである。
 いわゆるオーヴァーランド・トレイルは南側の山の中を通るが、、湖岸の平坦な近道はタイヤの細い馬車にはなかなか大変な道だったらしい。だからほとんどの人は、地盤がしっかりしていて、勾配の緩いオレゴン・トレイルを通りたがったのだ。

 湖岸は現在はI-80やWestern Pacificのルートになっている。土木技術の進歩で、そのぬかるみを排除して堅い岩で基礎を作ったのだ。

Lucin Cutoff 2 さて、木橋は徐々に傷んで、永久的な構築物に作り変える必要が出てきた。causewayで出来ている部分はそれを補強し、橋は放棄して新たなcausewayを築く必要があった。その莫大な量の岩石を調達したのは、Promontory半島の西側である。80年代にそこに行ってみた。山を崩して岩を取った跡がありありと見える。岩石は、薄く割ることができる頁岩shaleである。それを運んで埋め立てたのだ。幅は20mもある。一体何台のダンプでやったのかは知らないが、世紀の大工事の一つである。 この写真はこのサイトからお借りしている。
from the quarryfrom the quarry 2 石は1988年に筆者が採取したもの。




 
 もともとのcausewayから、橋に切り替わる部分で、500mほど北に離れて並行する線路を作った。地図で見ると急に見えるが、ゆるやかな曲線である。廃止された橋はそのまま橋脚が残っていた。友人とその利用法について話したことがある。

Lucin Cutoff 4「昔は無尽蔵にあると思っていたレッドウッドも最近は国立公園に指定された森林が増えて手に入りにくくなってきた。どうだろう、あの木橋を払い下げて貰って、それを製材すればきっと売れるよ。」
「そりゃそうだけど、そんなことに銀行が金を貸してくれるだろうか。」

 その場ではそれ以上話が進まなかったが、その後同じアイデアを実行した人達がいる。この写真はここからお借りしている。

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2013年12月06日

Lucin Cutoff

Lucin Cutoff 1869年、Central Pacific 鉄道が東進し、Union Pacific鉄道と激しい建設競争の結果、ユタ州Promontoryで大陸横断鉄道締結式典が執り行われた。その場所は現在はかなり立派な博物館になっている。何度か行ったことがある。当時の鉄道線路は既に取り外されてないが、その敷地は車で走って体験することができる。意外と急勾配で、重量列車は通れそうもなかった。22パーミルもあるのだ。
 最近は、辺り一帯はNational Historical Siteになっていて、犬釘一本拾っても検挙されるそうだ。70年代は犬釘がゴロゴロ落ちていて、来た人たちは、拾って帰った。友人の家にはそのコレクションがあったほどだ。筆者も何本か貰い受け、椙山満氏に差し上げた。椙山氏は立派な額を作ってそれらを飾られた。

 この線路が放棄されたのはもっと短く平坦な線路が開通したからだ。それが Lucin Cutoff である。Cutoffというのは短絡路のことである。塩砂漠の中を何10キロも線路を敷き、その先に広がる塩湖にこれまた何10キロも伸びる橋を架け始めたのだ。それが1902年のことである。ちょうど土木機械が発達し始めた頃の話である。Licinはその西の分岐点の地名で、今はゴーストタウンになっている。ルシンは女性の名前である。
 工事は休みなく行われ、1905年1月1日を以て、すべての列車が湖面を見ながら走ることになった。

Lucin Cutoff 5Lucin Cutoff drawing 00003v 橋はTimber Trestleでパイル・ドライヴァで湖底に打ち込まれた。その杭はモミの木で、それを何万本も運んで来て打ち込んだ。デッキ部分のほとんどがレッドウッドという木で、今でこそ高級品であるが、当時はカリフォルニアの山のどこにでも生えていた木である。橋が廃止されたのは1959年である。60年近い使用で、ガタが来ていたのだ。列車を高速で走らせられなかった。場所によっては、制限速度が15マイル/時 24 km/時にまで制限されたそうだ。
 上記のリンクで 写真を見ると、ロケットの噴射実験の場面がたくさんある。近くに、ロケット・エンジンの工場があるからである。その名前はThiokol社で、スペースシャトルの爆発のときによく出てきた。

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2013年11月28日

Salt Lake City の電車

salt-lake-trax-map ソルトレイク市に電車ができたのはここ15年ほどの間である。冬季オリンピックが開催されることになって、郊外と市内を結ぶ路線が出来た。この路線図はその時のものである。その後どんどん伸びて、最初の数倍の規模になった。ここここに2008年にワークスK氏と訪問した時の様子が紹介されている。ライトレイルの車両はドイツのジーメンス製である。

Salt-Lake-City-TRAX-MAX DRG&WがUPに吸収されたので、その線路を使うことができるようになった。最近はどんどん延長され、南はProvo、北はOgdenの先まで行けるようだ。南西にはBinghamまで行っている。たくさんの新興住宅地が沿線にできた。
 それにしてもこんなに路面電車が発達するとは、夢にも思わなかった。

 一番遅く完成したのは空港線である。今回はレンタカーが無い日があったので、市内にいるときは電車を利用し、レンタカーを借りに行く時に空港まで乗った。
 この地図のCentral Pointeというところから分岐するSugar House線が、あと数日で開通すると友人が知らせてきた。この線は昔の貨物線である。Sugar Houseというのは戦前にあったサトウキビからの製糖工場の跡地だ。ひなびた商店街があったが見事に一掃されて再開発された。そこの家具屋に週一回程度、貨車が配送されていた。全く保線されていないぐにゃぐにゃの線路を、UPのGP9が3両程度の貨車を牽いて、ゆっくり走るのを見た。凄まじい揺れ方で、脱線するのではないかと思ったほどだ。それが、筆者の等角逆ひねり機構の原点である。
 Salt Lake City International Airportへの乗り入れが完成したので、羽田空港の様に空港コンコースのど真ん中まで行っていると思ったら、ターミナルビルの一番端に乗り場があった。荷物が多い時は、かなり面倒だ。電車は2輌ひと組が2,3連つながって走っている。一度だけ4連を見たが、その後見ない。回送だったのかもしれない。

UTA1UTA3UTA2 昔はソルトレーク市内には網の目の様に電車が走っていた。その車庫を利用したショッピングモールが40年前に出来た。20年程は、とても繁盛していたが、先日行ったらかなり閑散としていた。空家も多く、知っている店が消えていたのは残念だった。

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2013年11月26日

続々々 Echo へ

BlogPaint 次の日に東から近づくとEchoのRest Areaがある。そこで降りて坂を登ると、丘の上に出る。それがお立ち台である。
 写真の矢印のところの丘がそれである。


Echo Canyon PEcho Canyon S 丘の上からレストエリアを俯瞰する。30mくらいの標高差だ。ここからの景色は素晴らしく良く、いつまでも居たかったほどだ。
 色々な人が来て様々なポーズで写真を撮る。この勇ましいお嬢さんは、高校のチアリーダをしているのだそうだ。嬉しそうに最大限に脚を挙げて何枚も写真を撮っていた。
Echo Canyon U 真向かいの崖である。このグラデーションのある色が素晴らしい。うまく塗れるか、心配している。今、様子を見るためにレンガ色の単色を塗ってある。
 スプレィで調色すればよいと思っていたが、かなり複雑な色である。
 植生はかなり研究した。どうすればこのブッシュが再現できるかも見当をつけてある。

Echo Canyon R 東(シャイアン方面)を見る。この谷は本当に隘路である。この谷以外に通るべきルートは見つからない。
 列車を待っているうちに雲行きが怪しくなって来て、遠くの方で雷鳴も聞こえる。この丘の上は危険だ。避けるところはひとつもない。列車の写真は一枚も撮れずに退散することにした。
Echo Canyon Q 車に乗ってソルトレーク方面に逃げ帰った。途中、バケツをひっくり返したような大雨が降り、雷が頭の上で光った。




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2013年11月24日

続々 Echo へ

Echo Canyon GEcho Canyon H 岩を曲がると、そこはもう影で暗い。夕方は撮影には適さない。後ろを振り返ると岩が鋭角に突き出していることがわかる。
 砂利は厚く、よく保線が行き届いている。レイルは高い。High Ironという言葉の意味を噛み締める。

Echo Canyon OEcho Canyon LEcho Canyon M 線路脇には石炭の細かくなったものが堆積している。厚さは10cm以上ある。ここを通った蒸気機関車から吐き出されたものだ。Big BoyやChallenger、Mighty 800の煙管を通過したシンダが堆積したのだ。その量たるや凄まじいもので、ここに来て掘り返せば、家庭で石炭ストーブがタダで焚ける。
 以前ペンシルヴェィニア州のホース・シュウ・カーヴでもこれと同じものを見た。ストーカをつけているので不完全燃焼して放り出される石炭の量はかなりのものだ。
Echo Canyon N 坂を下ってくる列車はほとんど無音で、とても危険である。線路内には入らない方が良い。またこの区間は左右が逆の区間で、進行方向を勘違いしやすく、余計危ない。



Echo Canyon K 過去にここには20回くらい来ている。岩の様子を見、植物採集もしている。この区間をレイアウトに再現するためである。あまりにも雄大でとても収まりきらないが、縮小し、デフォルメしてある。岩壁は天井まであり、発泡ポリスチレンのブロックを用いて、電熱線で彫刻した。しばらく工事をしていないので、再度取り組む予定だ。

Echo Canyon J こんな勇ましい格好のお姉さんがいた。列車の写真を撮っている間に通り過ぎていった。
 

 



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2013年11月22日

続 Echo へ

Echo Canyon AEcho Canyon D Echoの町はここである。この岩のところで、線路がほぼ直角に曲がっている。半径は300 m弱だ。
 
 オグデン方面から東に向かう。のどかな景色を見ながらやってくると、突然峡谷の中に入る。
 高速道路もI-80からI-84が分岐する。I-84はオグデンを通って、北の方に行く道だ。この分かれ道では、UPの線路も分岐していた。現在は廃線になっているが、昔はCoalvilleという町を通って、Park Cityに行く線路があった。このあたりにも炭鉱があったのだ。

Echo Canyon CEcho Canyon B 平地から谷間に入ると、右側(南側)にDevil's Slide悪魔の滑り台という奇岩が見える。大陸横断鉄道開通時からの名勝で、ここで当時の旅客列車は徐行したという。高速道路にもRest Areaがあって、そこで止まって写真を撮った。


Echo Canyon EEcho Canyon F この岩を回るとEcho Canyonである。Echoの町は本当に小さい。間口3mほどの小さな郵便局がある。横にアメリカで一番小さい郵便局といういたずら書きがあった。Echoには側線があり、積雪時には除雪基地になる。

線路沿いは昔の国道である。1960年代にI-80ができる前は、こんな道が西部と東部を結んでいたのだ。

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2013年11月20日

Echo へ

Castle Rock (1) さらに西に進むと、周りの山が高くなり、突然峡谷になる。これがEcho Canyonである。要するにWahsatchはエコォ・キャニヨンの東の出口なのである。
 この写真を撮ったのは1977年だ。撮った場所を探してウロウロしていた。多分この辺という写真がこれである。
 このCastle Rockのインタチェンジの近くである。このあたりはトンネルで上下線が交差し、左右入れ替わっているので、写真を撮るとき注意しないと、後ろから列車が来る。

Echo Cyanon rest area 何回もここに来ていながら、こんな良い場所があることに気が付かなかった。西向きの高速道路のRest Areaである。30mほどの丘のてっぺんまで歩いて行ける。そこからエコォ・キャニヨンのほぼ7割が俯瞰できる。


Echo Cyanon overlook 2Echo Cyanon overlook 左の写真は東を見ている。シャイアン方面である。向こうの標高が高い。右の写真はオグデン方面である。
 いつもは下の道を行ったり来たりしていて、崖を仰ぎ見る写真しか撮っていなかった。

 この場所は鉄道マニアにとって、有名なお立ち台のようだ。ここから撮った写真がたくさん見つかる。



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2013年11月18日

Wahsatch

Wasatch I-80 ワサッチの場所はここである。ユタ州に入ってすぐのところだ。 発音は文字通りである。にもかかわらず、昔、筆者が出版した本には編集者の無知でワサックとカタカナに置き換えてあった。ひどい話である。固有名詞はローマ字にしておくのが良いか、カタカナに置き換えるのが良いか迷った末、ローマ字にして裏目に出た。電話一本で解決した話なのに、それをしない出版社など存在価値がない。

Wasatch B  Ogdenを出発した列車は川沿いに登り、ここで一息つく。要するにオグデンから最初の給水場である。ワサッチ山脈の中にある珍しい平地であって、鉄道施設以外何もないところであった。側線と給水タンクだけである。周りには人家は全くない。

 Big Boyの試運転の時にも、貨車を引っ張ってオグデンからここまでの通し運転をしている。

Wasatch CWasatch DWasatch E

 足は意外に細い。地震のない国だから、自重と風くらいしか考えなくても良いのだろう。ポンプ小屋もなく、保温装置も見つからなかった。ドアを開けてもがらんどうであった。
 鉄骨は実に簡単に組んであるが、底が抜けないようにはなっている。一部は四角の穴があいていて、そこから出入りできるようになっている。組立時の逃げ道だろうか。最終的には熔接してしまったのであろう。

Wasatch A 30輌ほどの貨車が放置してあった。側線をこのように塞いでいても支障がないということは最近の機関車、貨車の信頼性は高いということだ。
 以前は、側線には故障した車輌を押し込めるようにいつもクリアにしていた。


Wasatch F ワサッチの東にはこのような丘陵地が広がっている。


 

 




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2013年11月16日

続 Rock Springs へ

 大陸横断鉄道開通時には、このトンネルの脇の山地を喘ぎながら列車が登っていたのだが、あまりにも非効率であるので、短絡トンネルを掘った。その結果、二つの小さい街がゴーストタウンになった。
 数十年の間単線であったが、戦後、線増せざるを得なくなったのだ。しかし、第二次世界大戦中の膨大な貨物輸送を単線で行っていたというのは、信じ難い話だ。 

 ロックスプリングズは水場である。Sweet Water と呼ばれる町である。
 大陸横断鉄道が出来た時に西の方からやってきた中国人工夫が、この街にも住み着いた。後に炭鉱が見つかり、鉱夫として働いた。そしてそこの争議でかなりひどい殺し合いがあった、とアメリカ史の本に書いてあったことを思い出す。今は平和な町である。

Rock Springs FRock Springs GRock Springs H この街は鉄道とともに発達したので、駅前はそれなりに繁華街であった気配はある。この銀行は1890年に創業したのだ。

 
Rock Springs J UPが90年代に旅客営業をしないことに決定したので、駅は単なるモニュメントになってしまった。UP自身による旅客営業は1971年に廃業して、そのあとAmtrakが受け継いでいた。しかし、80年代にAmtrakもデンヴァ経由になってUPの本線を経由しなくなった。その後しばらくの間、駅は原型を保っていたが、高速で貨物列車が通過すると危険なので、柵で仕切ってしまった。この機関車の塗り分けは珍しい。
Rock Springs I このモニュメントは石炭を掘り出す様子である。馬が力を込めてそりを引っ張っている様子だ。天井の坑木が半分しかないので、とてもわかりにくい。写真を撮った本人もわからなかったが、brass_solder様に教えて戴いた。土台には、寄付した人の名前を彫り込んだプレートが貼ってある。
 現在は、炭鉱に発電所が建ち、掘り出した石炭をその場で電力にしている。
Rock Springs K 横にはお定まりのカブースが置いてある。大抵の町には置いてあるが、ここは程度が良い。ほとんど場合は廃墟と化している。


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2013年11月12日

Wamsutter

Wamsutter (2) これが、そのモーテルである。築40年くらいの感じだ。全くメンテナンスされていず、ガラスもガタガタしている。おそらく冬に泊まれば、とても耐え切れまい。風呂だけは熱湯がふんだんに出たので、助かった。 客は一人だけであった。クレジットカードの認証で引っかかったので、時間がかかりそうだった。早く休みたかったので、現金で払うと言ったら、すごく嬉しそうな顔をした。おそらくポケットにねじ込んでしまったのだろう。値切るべきであった。

Wamsutter (4) 朝起きてみれば快晴で、水タンクがあった。自治体が使っているのかどうかはわからない。
 大きなタンクである。Big Boyに給水していたのだ。ここから東は、Rawlinsの手前の峠まではひたすら登りだ。
 Big Boyのテンダは小さいので水が足らない。もちろん石炭も足らない。途中の炭鉱で掘ったものを本線上で給炭している。
 Wamsutter (14)Wamsutter (14)
 汽笛の響きで振り返ると、もうそこに貨物列車が来ていた。下りだから音がしない。スピードがかなり出ているから危ない。

 最後尾には補機がついていた。


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2013年11月10日

続 Granger

Granger 2 駅のあった付近から東を見る。Signal Bridgeが印象的である。レイルは太く、またぐ時ひっ掛かりそうになる。信号機の向こう側で既に分岐している。



Granger 3 西を見るとこんな具合だ。右に行けばポートランド方面である。一応工事用の短絡線があって、三角線を形成しているようだ。
 左の黒い山は枕木である。ずいぶんたくさん積み上げたものである。


Granger 6Granger 5 信号の東側に国道の高架がある。そこから東を見ると原野が広がっている。本当に何もない。
 西を見ると、駅の構内が俯瞰できる。信号橋はほとんど見えない。相対的に距離を知る物がないので、距離がわかりにくいが、ここから信号橋まで1.5 km弱である。
Granger 7 帰り道、また貨物列車が来た。貨車は100%カヴァードホッパであった。120輌つないでいた。ソーダ灰を約1万トン、運んでいるのだ。
 宿がみつからないので、かなり東に走って、Wamsutterで安いモーテルに泊まった。過去に泊まったホテル中、下から2番目のぼろホテルだったが、ほかに選択の余地がなかった。夏なのにかなり寒くて、熱いシャワーが有難かった。標高は2100m弱であった。
 もう少し行けばRawlinsで、そこそこの町であるから、まともなホテルがあったはずであるが、既に体力がなかった。



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2013年11月08日

Granger

Granger Green Riverの西約25マイルに分岐駅がある。グレインジャという駅である。


 もう40年も前、四日市の椙山氏が、「ここに分岐駅があって、ポートランドに行く線が分かれています。川沿いだから、比較的勾配が緩いんでしょうな。ここはOverland RouteとOregon Trailの分岐なのですよ。駅馬車の時代からの宿場です。」とおっしゃった。
 アメリカにいる時、このグレインジャの駅を見てきてくれ、と連絡があったが、行く暇がないままになっていた。
 今回、思い切って行ってみた。I-80から国道30号を北上すれば行ける。信じられないほど小さな町だ。人口は100人程度らしい。このウェブサイトに街の中の写真が掲載されている。地図上のボタンを押すと好きな場所が見られる。Signal Bridgeが見える写真があるから、線路の位置はわかる。標高は2000 mに近い。

Granger 4 筆者は駅があって、給水施設の跡でもあるかと思って行ったのだが、何も無かった。すべてCTCで遠隔操作されている。30分ほどあちこちをほっつき歩いたのだが、誰にも会わなかった。旅客営業していた頃は、ここは一応、急行停車駅でもあったので、ある程度の設備があったはずである。その痕跡を求めて行ったのだが、本当に何もない。枕木が積み上げてあっただけである。あるいは当時から、乗り換えはGreen Riverですることになっていたのかもしれない。 

 このあたりの川は水量が少ないが、いつも流れている。だから蛇行し、三日月湖が無数にできる。時々大水が出ると全部流れてしまう、ということを繰り返している。水は本当に緑色である。藻や水草の色だろう。

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2013年11月02日

続々々 Green River

Green River railroad nuts 跨線橋の上を行ったり来たりして写真を撮っているうちに、汽車見物の人が来たのに気が付いた。じいちゃんばあちゃんに連れられた4歳の男の子である。毎日1時間ほど来ているそうだ。
 この子は機関車にはなかなか詳しい。おじいちゃんは鉄道員ではなかったが、鉄道関係の仕事をしていたらしい。蒸気機関車の時代から、地元に住んでいて、Big Boyの汽笛の音がすごかった話で盛り上がった。 近くに当時の機関士が住んでいて、親しいという話だった。紹介してもらえば良かったと後悔した。
 おばあちゃんは亭主の汽車好きに付き合っているうちに、自分も好きになったと言う。この孫は間違いなく鉄道趣味者になるだろう。家にはライオネルのレイアウトを持っているそうだ。
 我々を含めて、汽車キチガイを英語で railroad nutsという。nutsというのは不思議なことに形容詞で、It is beautiful.のbeautifulと同じ使い方をする。正確な使い方はI am railroad nuts.である。複数形ではないのである。形容詞のみならず、狂っている人も指す。

Green River Castle Rock 2Green River I-80 西部劇に出てくるCastle Rockはこんなに近くにある。ふもとに国道が通っている。平地の大部分を鉄道が占拠していることになる。
 高速道路を通す場所には苦労したようだ。結局山の下をトンネルでくぐることにした。本当は町はずれを通過して、町には連絡路を付ける方が安かったに違いない。
 右の写真を見て欲しい。トンネルの位置が分かるはずだ。ちょうどトレーラーが出てきたところだ。

 昨日のポイントの写真で一つ奥のポイントにガードレイルが付いていないというご指摘があった。筆者も気が付かなかった。これはセルフ・ガード・フログである。現役のものを見るのは初めてだ。この写真をご覧戴くと、その原理がお分かりと思う。タイヤの厚みが一定なら、フログでの割り込みが防げるはずだ。

Green River self guard frog この写真を拡大してみた。セルフ・ガードの様子がわかる。たくさんの貨車が通ると中には怪しいのがあるかもしれないが、機関車だけしか通らないので安全と考えたのかもしれない。


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2013年10月29日

続 Green River

Green River Castle Rock 跨線橋に登って見物していたら、突然汽笛が鳴り響き、東行きの列車が到着した。この駅で乗務員が交代するので、全列車が停車する。

 キャッスル・ロックはすぐ近くにある。この岩の下を国道30号が通っている。70年代はまだ高速道路が無く、全ての交通がその30号という二車線の道路に懸かっていた。天気が悪くなると渋滞が発生し、宿場町であるこの町は賑やかだった。高速道路I-80は町を素通りするが、この町のすぐ西に世界最大のナトリウム鉱山があるので、その技術者の滞在のためにホテルは全て貸切り状態である。
 機関車の手前にあるダクトは耐雪設備で、ポイント保温機である。

 Green River derailerGreen River derailer 2
 Derailerの作動を見ることが出来た。手動である。機関車の補修設備に機関車を入れると、ブレーキを開放したりするので、流れ止めとしての脱線器である。右の写真は脱線器を解除したところである。本当に脱線すると、レイルはねじ曲げられて、大変なことになる。
 アメリカは土地に余裕があるせいか、この種の脱線器が多い。脱線して地面を走っても構わないのだろう。この例でも、隣の線路との距離がある。

 
Green River remote control 先回の無線操縦機関車が戻ってきた。誰が操縦しているのかなかなか分からなかったが、歩いている男が、腰に何か付けていたので、それが操縦装置であろう。
 待機している機関車群は全て燃料満載で、いつでも出て行けるようになっている。

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2013年10月27日

Green River

Station in the cageGreen River 2 2日ほど空き時間があったので、少し足を延ばしてグリーンリヴァに行った。ここは1976年にTom Harveyに出会った場所だ。  Castle Rockは昔のままにあるが、この下を高速道路のトンネルが貫くようになるとは、当時の人は誰も思わなかっただろう。駅の建物は立派であるが、中味はすでに倉庫と化していた。建物は鉄格子で囲われている。旅客駅の風情はなくなった。屋根の上の control tower が載せられたのは戦後まもない頃である。

Green River 3 町の中はまだ古い建物がかなり残っている。ホテルは昔のように、ボロい建物で営業している。この町に泊まりたかったが、ある理由で、どのホテルも満室であった。結局、70マイルも離れた町まで行かねばならなかった。そういう意味ではこの町はとても景気が良いのだ。


Green River 4Green River 5 駅で写真を撮ろうと思って車を降りた。線路に近づこうと思ったら、こんな大きな看板があった。
「注意。遠隔操作の機関車が走っています。運転席には誰も乗っていません。」

 要するに誰もいないと思って油断して近づくと、突然走りだして轢かれてしまうぞ、というわけである。右の写真の機関車がそれである。かつての本務機SD40-2が入れ替え機に格下げされている。屋根の上の黄色のランプが無線操縦を意味している。 

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2013年05月26日

続々 コロンビア川に沿って

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 この天井の高さはどういうことなのだろう。施工する大工もおかしいと思ったに違いない。どう考えてもおかしい。天井を凹ませて機関車を収納している。
 素晴らしい形の機関車なのに、ちょっとしたミスで展示物の価値を損なっている。

4-8-2 74-8-2 24-8-2 6 このような下回りの写真をいくつか撮ったが、不満である。
 全景を見たい。



 
GN2507GN2507 2 いくつかのサイトを見るとこのような写真が見つかる。雨曝しでは壊れてしまうが、その優美な形は鑑賞できる。
 残念な話だ。屋根をジャッキで1m弱上げることができれば良いのだが、望み薄である。


追記> 奇しくも本日芦屋で行われたJORC関西の会合でこの機関車を持っていらした方があった。

IMG_8571IMG_8595 もう店を閉めてしまったTexasのPecos Riverの製品だった。実在の機関車を調査した上で商品化している。
 撮影は土橋和雄氏による。



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2013年05月22日

コロンビア川に沿って

 シカゴを発って、シアトルに向かった。好天で景色がよく見えた。

Great Falls MT この写真は、モンタナ州Great Falls だ。一度行ってみたいと思うのだが、チャンスが無い。この町はミシシッピ川の上流にあり、ここまでは汽船で登って来られるのだ。
 落差の小さな滝が5つあるそうで、水力発電が出来て電気代が極端に安い地域である。


up trestleup trestle 2 シアトルから東に行き、先回写し損ねた橋を見に行った。スネーク川を跨ぐ大規模なトレッスルである。待っても貨物列車は来そうもなかった。風が強く、早々に諦めた。並んでいる道路橋はCantilever(片持ち)式である。
 
Along Columbia River コロンビア川を下るときに、今回は高速道路でなく一般道を通って見た。右岸を走るのである。BNSFに沿っている。
 しばらく行くと貨物列車に追いついた。速度は70マイル/時ほどである。うっかりすると引き離されてしまう。微妙な下り坂であるから、鉄道にとっては楽な運転だ。

Along Columbia River 3Along Columbia River 2Along Columbia River 6 ようやく追いついて先回りして待ち構えるが、あっという間にやって来てしまう。走りながら撮りまくるが、ろくな写真がない。
 Wishrumには有名な二股の橋があり、それを撮りたかった。地形のせいで右岸からは無理であることが分かった。次回は左岸の丘から望遠で狙ってみよう。

Along Columbia River 4Along Columbia River 5Along Columbia River 7 ダムのあたりは、線路から遠い山の上しか道がない。短い玉ではどうしようもないが、川の様子を撮っておいた。水量は莫大である。ダムには閘門があり、一万トンクラスの船を持ち上げることが出来る。
 このダムは John Day Dam と言い、アメリカでは最大の発電量を誇る。 

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2013年05月14日

続々々々々々 Monticello 鉄道博物館

IC7 この台車はプルマン6輪台車のロ−ラ・ベアリングタイプである。これを模型化したものがほとんどない。自分で作るしかないのだ。この手の軸箱はとても作りにくい。
 文字を浮き出させる必要があり、エッチングしたものを貼るしか方法がない。

IC8 他にもこのようなPullmanらしきものもある。筆者はイリノイ・セントラルには詳しくないので、これ以上のことは書けない。
 これらの客車は蒸気機関車に牽かせて、excursion train とするのだろう。楽しそうだ。


Steam generator car この車輌は珍しい。CPの暖房車だ。ボイラを載せているのだが、燃料タンクが床下にない。そうすると、燃料タンクは車内か、あるいは外部の燃料テンダを持っているはずだ。
 走行中の写真を見るとテンダは写っていない。詳しいことは不明である。


Jordan SpreaderJordan Spreader 2Jordan Spreader 3 Jordan Spreader があった。かなり古いタイプである。ドアが開いていたので、梯子を登って中に入った。素手で登ったら、指先がグラブアイアンに凍り付きそうであった。指が温かいと表面から水蒸気が出ているので、それが凍るのである。

 きれいに塗り直してある。エア・シリンダを作動させるヴァルヴがたくさん並んでいる。2列に並んでいるとは思わなかった。目的の動作をさせるのにどれを触れば良いのかを覚えるのは大変そうだ。とにかく寒いのには参った。
 現役時はストーブがあった。天井には煙突の穴があり、床には耐熱材料が使ってある部分があった。

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2013年05月12日

続々々々々 Monticello 鉄道博物館

N&W cabooseN&W caboose 2N&W caboose 3 N&Wのスティール・カブースである。現物を見るのは初めてで、参考になった。

 Y6bを持っているのでいつか作らなければならないからだ。比較的作りやすい形をしている。

ICIC2 外に出るとIllinois Central の客車があった。窓が少ないから郵便車かもしれない。
 よくわからぬが、旅客を乗せる車輌ではなさそうだ。


IC3IC4IC5IC6




 Observation(展望車)である。比較的新しい設計で、デッキの手摺がフラット・バァで出来ている。だから繊細な感じを与える。客車であるから、連結器の上に大きなStriker Plate がある。いわゆる緩衝器であって、連結器の遊間を、これで詰める。実際の走行時にはグリスをたっぷり塗る。デッキ側につなぐことは比較的少ないが、podunk sleeperの時には必要なのであろう。 


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2013年03月06日

続々 Key West へ 

 Empirebuilder 氏のご指摘で思い違いが訂正されたので、予定を変更して鉄道の話を書くことにする。

Concrete Arch BridgesConcrete Arch Bridges2Concrete Arch Bridges3 この動画をご覧戴くと、全貌が分かる。椙山氏のところで見せて戴いた本の写真が多数使われている。コンクリート製アーチ橋は、マイアミで木製の型を作り台船で運んで来て設置している。土台は杭を数本打ち込んだだけだ。
 ガーダ・ブリッジは道路橋に造り替えるときに幅を広くする改造を施されている。トラス橋は先回のように上に載せる以外、拡げる方法は無い。

Key West 11 1910年ごろ完成だから、明治時代の末である。アメリカにはこのようなレジャー目的の鉄道を建設する余裕があったのだ。マリリン・モンロゥ主演の”Some Like It Hot” (お熱いのがお好き)という映画があった。舞台は1929年である。楽団がフロリダに汽車で出掛ける場面がある。プルマン寝台車を借り切っての移動である。フロリダ(多分マイアミ)に着くと、リゾートホテルがたくさんあって、富豪が遊んでいる。当時から、冬のフロリダはそのような場所であった。成功した人たちはフロリダに別荘を持ち、豪華な列車で移動していた。椙山氏のところで読ませて戴いた本にはフロリダ行きの話がたくさんあった。氏のレイアウトにもフロリダの景色がある。まさに海の上を走る場面もあった。

 しかし、夏は暑くてとても住めたものではない。
 今回車で気が付いたのは、湿地帯を突き抜ける道はかならず細かい金網で囲われていて、外に出ることができない。この網はワニ除けである。周りには体長 5m以上のがごろごろいるそうで、危ないことこの上ない。

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2013年02月22日

続 Mobile の GM&O 駅

Segregation lines 現在は2階以上が事務所として使われている。1階も貸したいらしいが、例の浸水以降、誰も借りる人が居なくて困っている。
 実のところ、筆者はこの建物が博物館であると信じていたので、入って見ると守衛が居て、「何の用か」と聞く。
「実は私は日本からこの建物が博物館だと信じて来たのですが、差し支えなければ中を少しだけでも見せてくれないか。」と頼み込んだ。
 

Wing for whitessegregation lines 2 守衛は、「日本から来たのか、そりゃ残念だったね。この建物は博物館ではない。単なるオフィス・ビルディングだけども、1階は空き家だ。構わんから、見たければ見て行け。」と言ってくれた。
 喜んで中に入れてもらい、あちこち写真を撮っていた。すると、いつの間にか守衛は背後から話しかけてきた。
「この2本の線を見てご覧よ。これが何か分かるかい。Segregation Linesだよ。」
 セグリゲイション・ラインとは人種隔離政策による境界線のことである。駅の玄関は二つあり、向かって左は白人用、右は黒人用である。中に入ると、大広間の大理石床の中央に2本の線があり、白人用と黒人用と仕切られていたのだ。柵があったわけではないそうだ。広間を中心として、右の黒人用の領域にはなかったが、左の白人用の部分にはかなり立派な食堂が併設されていた。

waiting room for blacks 列車は黒人用の車輌と白人用の車輌が連結されていた。そして特急列車には黒人は乗れなかったのである。だから最初に紹介したGM&Oの特急の航空撮影で、黒人の刑事が乗っているのを望遠レンズで捉えたのは印象的であった。一部の鉄道は黒人の特急乗車を認めていたが、荷物室に併設した座席車のみに限るなど、厳しい付帯条件を付けていたらしい。だから必要もないのに Combineをつないでいたりする。 コンバインとは荷物室と座席との合造車のことである。

 公民権運動の高まりと、鉄道の斜陽が同時代であったため、その種の差別は急速に姿を消してしまった。しかし、この駅の線だけは消されることなく、差別の歴史を訴え続けている。

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2013年02月20日

Mobile の GM&O 駅

GulfMobileOhioRR もうずいぶん古い映画になってしまった。Sidney Poitier シドニィ・ポワティエ 主演の「夜の大捜査線」"In the Heat of the Night"を1968年に見た。黒人差別のひどい南部にフィラデルフィアから黒人の敏腕警部がやって来るが、たちまちよそ者の黒人は逮捕されてしまう。しかしその能力に驚く南部の警察署長は捜査に協力せざるを得ず、難事件を解決していく。そして最後はGulf, Mobile & Ohio の赤い特急列車に乗って去って行く、という話なのだが、このGM&Oの赤い特急が走る場面を空撮している。その場面が目に焼き付いて、ビデオを借りて何度も見た。

 GM&Oは1972年には Illinois Central Railroad に吸収され、現在ではCanadian National Railwayになってしまったらしい。 筆者とは全く縁のない地域の鉄道であったが、この映画を見たために、かなり深く印象が残った。それで、一度その場所に行ってみたいと思っていたのだ。
 しかし、Alabamaは遠く、25年前に北のはずれをかすめた程度で、深南部には行ったことがなかった。今回フロリダに行ったので、少し足を延ばしてMobileの町に行ってみた。 
 ここには1907年建設のGM&O駅がある。北の方から真っ直ぐ南に向けての終着駅である。Mobile湾に面していて、昔はここが実質的にアメリカの最南端であった。

Slave Market 3Slave Market 2Slave Market Mobileの町にはアメリカで最後の奴隷市場があった。1859年に最後のセリが行われたらしい。その場所がそのまま残っている。この町ではたびたび浸水騒ぎが起きている。数年前の台風の時は、この駅のあたりで1m半程度の浸水があったという。

GM&O TermnalGM&O Termnal 2GM&O Termnal 3 GM&O Terminal はすでに博物館でも何でもない建物であるので、GPSのリストにも載っていなかった。仕方なく、線路がたくさん表示されている方向に車を走らせて、見つけ出した。壮麗な石造りの建物である。

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2013年02月02日

続 Boeing 787 の不調

Calmod-banner-500px-9-21-12 ホテルから空港まですぐ行けるので、そのバスに乗ればよかったのだが、電車でも行けるはずであった。経路を調べるとLight Railの終点のMountain Viewの駅で隣のプラットフォームまで 20 m ほど平行移動すれば、Caltrainという通勤電車に乗れることが分かった。Millbraeという名の空港の脇の駅まで2+5ドルで行ける。さらに、そこから隣のプラットフォームまで 10 m でBARTという広軌の電車に乗ると数分で空港の国際線乗り場に行けることが判明した。この電車は高く、ほんのちょっとの距離なのに4.05ドルもする。

 楽しい電車乗車のはずだったが、Caltrainには高い階段があり、それを大きなスーツケース2個を持って上るのは大変であった。また、車内には荷物を置くスペースは全くなく、他の客に迷惑をかけつつデッキに居るしかなかった。後で分かったが列車の後部には自転車その他を置く荷物車が一両付いていることが分かった。しかし階段を上らねばならないことには変わりがない。少し後悔したが、良い体験だった。

BART BARTは、Bay Area Rapid Transitの略である。海底トンネルでサンフランシスコ湾の対岸のオークランド方面と結ぶ。広軌であって、1676mm(5’6”)もあり、車内は異常に広い。乗り心地は良いはずなのだが、かなり硬いバネで、振動が伝わってくる。
 ミルブレイの駅の隣が空港なのだが、直行便は少なく、夜7時以降と週末だけという変なスケジュールだ。San Brunoの駅で乗り換える。この時も同じプラットフォームの反対側に移動するだけだから簡単だ。空港駅では、進行方向に歩けば、国際線コンコースであって、手続きがすぐ出来る。このあたりは良く出来ている。国内線には空港内を走る無人電車に乗り換えるだけである。これも容易である。
BART 2BART 3 BARTの車内には自転車置き場もあるが、車幅が広いのでどこに置いても良さそうである。列車は8両編成のと9両編成があり、停車位置を間違えて一輌分移動したりしている。かなりいい加減だ。

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2013年01月07日

続々々 Boxcarを作る 

812_6768 All door Boxcar という 車種がある。同時にではないが側面の全てのドアが開く。濡らしてはいけない製材乾燥した木材、合板などを積む。この手の貨車にはいろいろな工夫があり、この貨車のようにプラグドア(平行移動してテコで押し込む構造の戸)のもの以外に、シャッタが上下して、しかもその間柱も取り去ることが出来るタイプ、中にドーリィ(小さい車を付けて動くようにした床板状の荷台)を仕込んで、真ん中の二枚だけ全開して、両端は引き出すタイプなどがある。

 この機種は1970年代によく見掛けた、非常に機能的で、構造に興味が湧いた。全てのドアが開くようにすると、天井の強度が必要で、屋根裏にはトラスがあった。また、妻板はかなりごつい鋼材で補強してあり、全体としてはかなり重くなっただろうと思われる。
 80年代末にはほとんど見かけなくなったので、廃車されていったのだろうと推察する。その理由としては構造が複雑で、教育程度の低い労働者に扱わせると壊れやすいのであろう。ドアを締めつけるテコは意外と細く、無理をすると曲がったり折れたりしそうだ。

IMG_0534IMG_0535 この貨車の現物は、Illinois 鉄道博物館にある。錆びてはいるが現物を見られてよかった。
5台同時に作り始めた。全て同じでもおもしろくないので、1台だけ改造した。
端の二枚のドアを開いて荷役しているところを模型化した人もいるので、それを作り始めたのだ。

 この種の貨車は存在していない。その代わりの貨車がCenter Beam Flat Carである。これは、ある程度の水濡れは覚悟で防水シートをかぶせた木材を運んでいる。

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2013年01月05日

続々 Boxcar を作る 

812_6779Roller Freight 何度も出て来るこの貨車は、e-bayで数ドルで買った中古貨車からのre-builtである。もともとはこんなものであった。何をどうすればこうなるのか、というほどひどい状態であった。刷毛でニスを塗ったような感じで表面が褐色になっていた。溶剤を工夫して、表面だけはがそうと思ったが、それもなかなか難しく、結局全部はがした。木部は組み直して側板はSuper Xで貼り付けた。この貨車の色はGlaciar Greenといって、氷河の色なのだそうだ。NYCのJade(翡翠の色)と何が違うのかはよく分からない。こちらの方が多少青いような気がしたので、そのように調色した。デカールは、30年前から買ってあったのをようやく貼れた。

TRB Red CarsTRB Red Cars 2TRB Yellow CarsTRB Yellow Car original slide 
元のRoller Freightというのは、Timkenの宣伝文句であって、戦後その普及に努めていた時のデモンストレイタ車輌群である。BoxcarとかHopper Car などを同じ色に塗って、全米を廻ったらしい。1949年のこのアニメイションは面白い。1959年版は多少改訂されているが同様である。起動時の摩擦が4%しかなく、油切れによるHotboxも無いから、列車の遅れが無くなることを強調している。
 パンフレットでは人間一人で押せるほど摩擦が少ないということを宣伝している。最終的にはGNがこれらの車を買い取ったという話もあるので、この塗り替えは意味があることにした。

TRB Red CarRoller Freight (2)Roller Freight (3) TRB(Timken Roller Bearing)の車輌群は3色あって、当時のAthearnはその全てを模型化している。e-bayを丹念に探すとこの種の車輌はたまに出るが、意外と高値で買えそうもない。数が少ないのであろう。この一番左の赤いものが、上の茶色の車輌と同一品であるとは、誰も思わないであろう。
 HO以下ではよく見かけるようだ。

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