アメリカの鉄道

2017年04月24日

再度 teasing

the engine しばらくここに停まっている。架線がないので動けない、というのは大ウソである。
 パンタグラフをひっかけたので、少しゆがんでいる。パンタグラフの最大上昇時の高さは 25 ftもある。アメリカの鉄道の架線高さの最大値は 24 ftなので、これでは高すぎる。少し工夫して、上がらないようにせねばならない。
 すでに信号橋には当たっている。相手が軽いプラスティックだから良かったものの、金属製を導入する予定だから、とても危険だ。 

 信号橋は複線用をつないで接着し、4線をまたぐようにしてあるが、非常に弱い。接着部がぽろぽろ剥がれて来る。副木(そえぎ)を当てているが、いずれ壊れることは見えている。
 新しく、スティール製にする予定だ。これはそう簡単には壊れないので、5線をまたぐようにするつもりだ。プロトタイプを物色している。
 4面トラスのタイプが良い。内部にはXブレイスがところどころ入る。信号機はすべて上に突き出させる。上面は人が歩けるようにし、手摺りもつける。

 倒れると重大な事故が発生するので、路盤に固定する。



 
 

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2017年04月04日

Ford open top hopper

Ford open hoppers 以前デカルがだめになって困っていた、あのデカルが手に入った。northerns484氏のご努力で字体を復元でき、Y氏がデカルを印刷してくれたのだ。しかも3輌分作って戴いたので、予定を変更して、3輌作った。

 安達製作所製の新品のホッパがハーマン宅から来ていたので、まずそれを仕上げた。次にキット組みが2輌あったので、大至急仕上げて塗った。このキットは最近は組む人がいないので、捨て値で取引されている。筆者は延べ20輌ほど組んだ。一部はアメリカの友人のところに行った。同じ作りのものを同時に複数台作るのは、本当に楽だ。
 アメリカ仕様では感心しない部分があるので、そこは新しい材料を切って作る。材料と工具がふんだんにあるというのは非常に幸せなことである。

 この貨車は、デトロイトのフォードの工場の主原動機である6000馬力の蒸気機関を動かすのに必要であった。そういう意味では1輌ではおかしなものだ。本当は10輌ほどの一群が居たはずだ。この車両については、資料となる写真が少ない。筆者も何かの本で1枚しか見ていない。カーサイクロは確認したが載っていないから、他の本だ。

 これらのオープン・ホッパは側板の外に骨が出ている。この改良型がオフセット・ホッパだ。それは骨を内側に持ってきて、外板を平坦にしている。すなわち、骨の厚さ分だけ断面積が増す。
 その二つを並べると、容量が同じだが、高さがかなり低くなっている。より重心が低くなるわけだ。 

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2017年02月17日

Athearn の貨車を作る

UP boxcarMP boxcar 作りかけで放置されていたアサンの貨車群に細かい部品を付け、当鉄道仕様の造作を付けた。これらの貨車は、木製の骨組(箱状)にブラス板を貼り付ける工法で出来ている。1輌当たり100 gほど補重して、完成だ。先日の会合に新車をたくさん持って行くと約束したので、先月から毎日1時間をそれに振り向けていた。13輌出来た。これでようやく、作りかけのアサンは一掃された。延べ、50輌以上あるだろう。完全な金属製ではないが、耐久性があり、好きな車輛群である。持った時、全金属製のように冷たいのが良い。

 塗装が問題である。この貨車群のキットでは、側板は塗装済みで文字が印刷されている。それを生かさねばならないので、組み立てたら文字の部分だけマスクして塗装する。フロクイル塗料が指定されているので色が合うはずだが、実際には合わないし、艶が異なる。近い色であれば、ウェザリングすればごまかせるのかもしれない。昔聞いた話では、取り付ける部品をすべて塗装しておいてから、組み立てるという。やってみると、それはできないことに気が付く。部品の穴が全く合わないのだ。すべてハンダ付けするか、接着剤で取付けておいてからマスキングするしかない。先日のEJ&Eも同じである。 
 上の2輌の色は合っていると言える。同じ番号を避けるため、一文字消してデカールを貼る。

ATSF boxcarEL boxcarSCL boxcar 新しいboxcar red の瓶を開け、少し塗って色の合うものを先に塗る。合わない物には少しずつ他の色を足して色調を見る。合えば大したものである。これら3輌は運良く調色が成功したものだ。tuscan red と engine blackを僅かに足している。 

NKP BoxcarCB&Q boxcar everywhere west 努力の甲斐なく、合わないものもある。しかし実物もこれと同じような色調違いのものもある。文字部分だけをマスクして再塗装した場合だ。気にしない人はそれでも良いだろう。

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2017年02月13日

Western Pacific鉄道の貨車

WP boxcar これはウェスタン・パシフィックの貨車である。当鉄道にはWPの貨車は比較的多い。どれも羽根のマークが付いている。走っている谷がFeather Riverであるから、それを売りにしているが、「羽根のような乗り心地」というのは誇大広告であろう。差はないはずだ。
 DF; damage freeを売り物にしている。この貨車には熱絶縁がしてあり、冷たいビールなどをぎっしり入れると3日程は冷たいそうだ。積荷が崩れないように、荷室内部にbulkhead 隔壁を取り付けられる。そうすればハンプで突放しても被害がないという。
 この貨車はアサンではない。旧アトラスの色なしのプラスティック・キットから作った。すべての部品を外し、今様の作りにした。かなりの手間を掛けている。元のキットのダメなところはすべて更新した。床下と屋根を作り替え、側面、妻も手を加えている。一度に複数を仕上げた。WPのデカルは各種持っていたが、この際すべて使ってしまった。もうWPを作ることはないだろう。

 こういう仕事はレイアウトの工事で疲れたときに、帰宅前の1時間をそれに振り向けている。この作業をしながら、レイアウトの工事を反省し、次の日の予定を立てる。 

 転車台の設計を少し変更した。より確実なインデックスができるようになる。時間を掛ければいくつか思いつくことがある。焦らずやりたい。 

追記
 奇しくも、この沿線であるOroville のダム が決壊の危機にあるというニュースが入っている。もし決壊すればこの鉄道は流されてしまうであろう位置にある。

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2017年02月11日

続 express

 高速台車を付けたboxcarは各種ある。中にはとんでもないデザインの台車もあるのだ。Mainline Modeler誌の1989年5月号にこんな写真がある。

Rock Island espress boxcar  これは内側台車だ。どういうわけでこのような台車を採用したのかがわからない。作るのは簡単だが、もう少し細かいところがわからないと間が抜けてしまう。ブレーキ装置があるはずだが、リンク機構が不明だ。

 Amtrakの客車に似たようなものがある。地下鉄の車輛にも同様のものがあるが、これははたしてどうなっているのであろうか。
 内側台車は軸の太いところを支持するので、模型の場合は抵抗が大きい。ボールベアリングを使ったとしても損失が大きく、惰行が少ないだろう。
 細い軸を使った構造にしなければならず、苦労しても得られるものは少なそうだ。

 Allied Fullcushion Truckの採用例の写真が載っている。
Rock Island espress boxcars おそらく、落成時の写真であろう。汚れていない。台車の色が明るい。どんな色だったのだろう。1945年のことである。
 この台車は数年もすると、様々な問題が起き、脱線の原因を作ったと言われている。急速に廃れてしまった。個人的には好きな台車であるが、模型を見ることも少ない。

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2017年02月09日

express

RI express boxcar 少々難し過ぎたようだ。これはRock Island鉄道の express boxcar である。椙山 満氏が、
「ロックアイランドには、蒸気暖房配管のない小荷物車があるんですよ。」
と仰って、この写真を見せてくれた。
「色はプルマングリーンです。列車の最後に付けるから、蒸気の管がないのです。」
とのことであった。その写真はMainline Modeler誌にも載っているのを見つけた。
 椙山氏はロックアイランド鉄道がお好きで、研究していらした。
「ロックアイランドには大きな兵器工場があるのですよ。シカゴから数時間で行けるところに、そういう重要な工場があるのですね。」
と解説してくださった。

”Express”という言葉は、単に「急行」と訳してしまう場合が多いが、本来の意味は手小荷物を急送するシステムのことである。日本語に置き換えると、飛脚便のようなものである。列車に急行の意味でつかわれたのは、ずっと後であるはずだ。 

 それが為替業務も行うようになり、電信の開通と共に米大陸横断の金融業になってしまったものもある。ウェルズ・ファーゴ銀行やアメリカン・エキスプレスがそれである。荷物運送会社にFedexがある。フェデラル・エクスプレスであり、これは元の意味が生きているが、創業は1970年代である。いつも思うことであるが、Federalという言葉は、南北戦争の北軍を表す言葉だ。Fedexの会社はTennesee州Menphisにある。これは南軍の地域である。

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2017年01月30日

続々 tank cars

Roma Wine このタンク車は別の銘柄の塗装だ。友人から譲り受けた。少々ウェザリングが効きすぎている。この種の貨車は短距離を往復するだけであり、また、会社の看板でもあるので少しは綺麗にしているはずだ。 

 ワインタンカーは圧力が掛かるものではないので、隔壁は平板であるはずだ。骨くらいはあるかもしれない。内側は glass lining してある。グラス・ライニングとは低融点ガラス膜をタンク内に付けたものだ。いわゆる琺瑯引きである。鉄板と内容物が直接接触しないから、ワインなどには適する。

 中身を出す時は空気抜き弁を開く。空気抜き弁はドームの横にある。ドームおよびタンクボディは熱絶縁してある。そうでないと輸送途中にワインが煮えてしまうだろう。 

 博物館で貨物列車を友人に見せたところ、この貨車を目ざとく見つけ、
「石油と同じで、貨車で運ぶのか!」 
 と驚いていた。実際はワイン専用列車があったらしい。それほど長くないとはいえども20輌くらいはあったろう。
 

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2017年01月28日

続 tank cars

wine tank car この貨車はワイン専用である。当鉄道では2輌目の導入だ。 ミズーリ州カンザス・シティのワイン工場の専用貨車である。
 当時はトラック輸送よりも鉄道輸送の方が多かったようだ。

 このタンク車はThomasのキットで、随分古いものだ。おそらく1950年代の物だろう。 手を加えて、今様に改造してある。

 この貨車を見て、中身も入っていなければ面白くないという人は多い。ガラス細工でタンク車を作ってみたいものだ。実は筆者はガラス細工は得意である。最近やっていないから腕が落ちたかもしれないが、昔は実験装置はすべて自作した。頼むと高いし、思うものがなかったからだ。

 このタンク車は6槽になっている。どうしてこのような小分けになっているのだろう。6種も運ぶのだろうか。
 ある人が、「それは量によるからだ。なるべく、上の方の空気が少なくなるようにして運びたいので、細かく分けたほうが得なんだよ。」
と教えてくれた。納得のいく説明である。  

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2017年01月26日

tank cars

 しばらく前に完成していたタンク車を紹介する。

Tydol Veedol (1) Tydol Veedol (2)非対称なタンク車である。 常識的にはありえない構成で、興味があった。デカールを入手したのは、もう35年も前のことだ。いつか作ろうと思っていた。
 30年ほど前、プラステイック製のおもちゃのようなタンク車のキットを手に入れた。おそらく、ライオネルの台車と連結器を買って完成させるものだろうと思われる。非常に大味な作りで、あまり面白くない。タンクボディ以外をすべて削り取り、ドームをもう一つ付けた。なんの事はない。タンクボディを丸めて作ればよかったのだ。そうすればスクラッチ・ビルトになった。

 ドームの接着はスーパーXによる。これがなければできなかった。エポキシでは剥がれてしまう。下廻りはキットの構成を大改造した。でたらめな作りで、話にならなかった。
 未塗装で15年ほど寝ていたが、年末に塗装した。

 どうして二槽になっているのかは分からない。諸説あり、潤滑油とガソリンなどとあるが、どれも怪しい。多分潤滑油を二種類だろう。
 Tydol Veedol は、初のTranspacific Flight (太平洋横断飛行)が、1931年に青森県の淋代から行われたときのスポンサであった。機体にMiss Veedolと名前が書いてある。
 今の三沢基地の近くである。どうしてそこになったのかは、単に地理的な問題である。大圏航路で本州としては一番アメリカに近いからである。出発時にもらったリンゴがあまり美味しくなかったので、アメリカからデリシャス系のリンゴの木を贈ったという話がある。それが青森りんごに接ぎ木されて広まったと聞いたが、本当のことはよくわからぬ。

 日本人にはなじみの薄いブランドであるが、アメリカではたまに見る。 この非対称のタンク車は珍しく、どうしても作りたかったものである。

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2016年11月23日

緑の貨車

 当鉄道には緑色の貨車は1輌しかなかった時代が長い。数年前から、かなりの数が発生している。塗料を戴いたので、特に目的の無い車輛は緑に塗っている。デカルも見かけたら買っているので、いつも在庫がある。というわけで、徐々に増え続け、今では12輌ほどある。

BN Gon デカルの整理をしていたら、BN gondola(無蓋車)用のデカルが見つかった。いつ手に入れたのかわからないが、ごく一部を切り抜いた跡があった。おそらくジャンク・デカルを買ったのだろう。
 こういうのは、12袋で$5、などという売り方をしている。貼り方のガイドはちゃんと付属していたので、その通りに貼った。
 例によって劣化していて、テストで水に漬けるとひびが入った。すぐに補強剤を塗ったが、あまり芳しくなく、細かく分かれてしまう。貼るのに一苦労で、普通なら15分で終わる作業に2時間も費やした。ロゴはひびが入ったので、塗料を塗った。濃くウェザリングしてごまかすしかない。

CelotexUnderframe detail この貨車はどういうわけか緑色である。本当は空色のはずだ。実は筆者の塗装ではない。中古を1台$15で買ったものだ。色が違うので、塗り直す予定だったが、あまりにもよく出来ている。それを味わいたいので、破損個所を直し、タッチアップした。BNの色とも多少違う。
 床下のブレーキ装置が素晴らしい出来だ。作者はおそらく、鉄道で働いていた人であろう。こんなところまで、というところが細かくできている。実車に緑のものがあったのかもしれない。
 筆者はこの木製キットを沢山組んだが、床下は見えないので、すべて省略している。これを参考にして、作り足したくなってきた。

Thrall All-door Boxcar この写真は筆者の作例である。何度もサーフェイサを塗って水研ぎしてあるので、金属製と間違える人が多い。 

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2016年11月05日

またまたcoon-skin

115_4917 当鉄道にはアライグマの皮がまだある。これが2輌あるのだが、番号が同じなのが腹立たしい。遠くに置いて同時に見なければよいのだが、色が目立つので、どうしても気になる。番号を剥がして貼り直したい。♯800程度の耐水研磨紙で水を付けて丁寧に擦ると、文字だけ消すことができる。一文字消せばよいので 、出来ないことではない。合う黒文字デカルがあればよい。

SLSF 700083 ドアの形が異なるが、塗色が同じ写真を見つけた。随分色褪せている。この種のweatheringはなかなか難しい。



 アライグマの皮についてはいろいろな問い合わせがあるが、それほど詳しいわけではないので、こちらのサイトをご覧戴きたい。
 Friscoという語はSan Franciscoの短略形だと思っていたがそうではなく、San Francisco と St.Louis および Companyの複合語だと書いてある。この見解は初めて見た。

 筆者はこの会社については、椙山満氏からお聞きしたこと以外ほとんど知識がない。大陸横断鉄道を作るためにいくつもの会社を統合し、挑戦したが力尽きた会社という感じだ。この鉄道に限らず、Texas & Pacific, Missouri Pacificなど太平洋を目指した会社は多い。大陸横断鉄道というものに対する意欲は、当時は今では考えられないほど強かったのだ。  

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2016年10月28日

塗装済みの貨車


sulfuric acid tank car
 完成したとは言えないが、90%完成したものを見て行こう。

 このタンク車もスクラッチ・ビルトである。かなり重い。太いブラスのパイプを切断し、それに合う蓋を鏡板としてハンダ付けした。蓋は何かの部品だったが、余っていたので削って付けた。 ドームもパイプから作った。丸く欠きとって、炭素棒でハンダ付けした。台枠はムクの角棒だ。

 何かの図面集で、見つけた細いタンク車だ。 硫酸のような密度の大きな液体を運ぶものである。タンク車の諸元のみのデカルセットがあったので、sulphuric acid 硫酸専用とした。
 ドームの上方の細かい部品はロストワックスで、硫酸用なら要らないものもある。どこの会社にしようかと迷っている。実はちょうど良いデカルがないのだ。デカルのジャンクを入れた箱から、切れ端を拾い出して貼ろうと思っている。

 実はもう一台同じタンク車がある。材料が余っていたので作ってしまった。それは青いDow Chemicalになるはずだ。デカルが用意してある。

UP cattle car UPの家畜車である。ずいぶん古い製品だ。1952年製だと思う。ひどい作りで、ハンダがぽろぽろと取れてくる。あちこち引っ張って、外れるものはすべて外し、付け直した。
 台車を取り付けるボルスタが薄板で、ネジがバカになった。厚板から作り直し、ネジを切った。当初のはJISネジで、新しいのはISOネジだ。
 車輪の内外の色が違うのがウリである。外は油でまみれ、内側は錆びている。最近はそういう塗り分けをしている。内側は塗ってないと目立つので、全て塗装し直している。 
 デカルはY氏に作って戴く手筈になっている。

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2016年10月26日

続々 完成した貨車

LV covered hopper この貨車もMax Grayが輸入した時代のものだ。安達製作所が作った。少ない資料でよくぞここまでできたものだ、という感じの製品だ。少し手を加えると良いのだが、きりがないので色を塗った。デカルはたまたま特注品を譲ってもらったのがあった。それによると、black underframe とあったので、フレイムだけ筆で黒く塗った。デカルはもう少し密着させてから艶消剤を塗る予定だ。

SLSF offset hopper 先日紹介したアライグマの皮のヘラルドである。coon-skinという。帽子にも使う。デイヴィ・クロケットがかぶっているものだ。日本ではアニメイションのせいで、アライグマはかわいいという先入観があるらしいが、アメリカでは単なる害獣である。ライフルでよく射殺する。皮を剝ぐ人も減った。単に撃ち殺すだけで放置する場合が多い。鳶や鷹が来て持っていく。この種の鳥をscavenger(ゴミあさり)という。
 デカルの密着がよくない。再度修正が必要だ。写真を見てから気が付くのは、目が悪くなったのだ。写真のピントが浅いのも困ったものだ。いずれ撮り直すので勘弁戴きたい。

IC offset hopper Illinois Central の off-set hopper car である。黒色のものもある。これらは内容量を少しでも増やすために、縦骨の外に外被をかぶせた。全体を少し大きく作ればよさそうだが、積込み設備での位置決めや、機械で回転して荷下ろしをすることがあるので、その当たるところの位置関係を変更したくなかったのだろう。これもデカルの仕上げがしてない状態だ。

EJ&E この boxcar を塗らなければならないが、色合わせに苦労している。参考のために直写日光下で撮影した。この色はどこの電車の色だろう。南海の濃い緑だという意見は戴いている。 

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2016年10月24日

Pacemaker

Pacemaker Pacemaker というのはNYCの hotshot(地域間高速貨物列車)である。第二次世界大戦後の20年ほど定時運行で活躍した。

 Atlas製の貨車の未塗装ををいくつかの会社が買って、それに正しい色を塗り、商品化していた。その一つが、このペースメーカである。
 土屋氏のところから来た6輌とChicagoから来た2輌ではとても正規の編成は組めないが、一応、手を加えて補重し台車・連結器を取り替えて完成させた。

 困ったことに塗り分けが2種類ある。ドアが半分赤いのと全部のとがあるのだ。どちらが正しいのかはっきりしない。様々な昔の写真を見ると、全部赤いのが多い。たまに半分だけのもあるという程度だ。赤の色はヴァーミリオンである。いわゆる朱で、水銀の硫化物の色だ。 
 赤を塗り足そうとも思ったが、合う色ができるかが問題だ。それを考えると現状でも良いような気がする。
 
 台車はこの時代にしては滑り軸受である。軸受合金が特殊で、メンテナンスがほとんどいらないという。しかしその後急速に転がり軸受に変化していった。

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2016年10月22日

続 完成した貨車

ASARCON&WNP これらの boxcar は Atlas の古い製品を改良して塗ったものだ。アトラスは1970年代に、当時としてはずいぶん進歩的なプラスティックの機関車、貨車、線路を発売した。オーストリアの Roco に発注した製品をアメリカ国内で売った。上廻りはとても良い出来だが、台車が3線式対応で、あまり良くなかった。車輪を取り替えても抵抗が大きいので、台車ごとAthearnのデルリン製に替え、車輪はLow-Dだ。連結器は高さ調節用のスペーサを入れて固定した。ラニングボードの支えは薄く切り取り見栄えを良くしている。様々な改良工事でかなり良くなっているが、塗装がまずい。
 
 薄い塗装で、しかも文字がタンポ印刷のようだ。くっきりと出ていないので眠い感じがする。磨き砂でこすると文字が消えるから、それに新たに上塗りして別のものにする。当鉄道にはアトラス製品はいくつかあるが、オリジナルの色のまま、走っているものは一つもない。 
 
 車体の基本的なディテールは間違ってはいないので、小修正で良くなる。床下のブレーキシリンダも挽物に取り替え、妻のディテールも修正している。
 
 左の写真のASARCOは鉱山会社のものだ。デカルを一山いくらかで買った時に入っていた。そういう意味ではとても珍しい。N&WとかNPもあったものを貼っただけである。

 これでアトラスの未改造の貨車は無くなった。 

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2016年10月18日

完成した貨車

 塗った貨車を紹介していこう。
SP Tanker このタンク車はスクラッチ・ビルトである。かれこれ15年以上掛かっている。安達製作所から譲ってもらったジャンクの中のドーム部分が一つ余っていたので、それを有効利用するために作った。タンクの円筒は丸めて作り、鏡板は大きなブラスの丸棒を旋盤で挽いて作った。厚みが10mm以上あって、ずいぶん重い。ガスバーナで炙って付けたので、ハンダがたっぷりついていた。
 組立てが完了してから、余分のハンダを削る作業が面倒で10年ほど放置してあったが、先日一念発起して丹念に削り、塗装した。どこの鉄道の車輛の図面を見たのか思い出せないので、余っていたデカルを貼った。

SP GS Gon このdrop bottom gondola は床が固定のを間違って買ったものだ。ずいぶん安くて喜んでいたら、床の開かない方であった。安達製作所も、開くタイプはあまりにもコストが掛かりすぎるので、簡略ヴァージョンを出したのだ。ともかく余っているSPのデカルを貼った。レポーティング・マークは T&NO (Texas & New Orleans) にしたが、他意はない。

BN Boxcar このboxcarは、プラスティック製である。黄色系統の気に入らない色に塗ってあったので、文字等を磨き砂で削り落とし、塗り替えた。戴いたスプレィを吹き付け、たくさん買ってあったデカルを貼った。それなりによく仕上がった。

 筆者は貨車については詳しく考証はしていない。ありえない設定はしないが、それらしく見えれば良しとしている。以前番号等の問い合わせを戴いているが、こういうわけで、全く参考にはならないことを承知されたい。

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2016年10月04日

decalの補強剤

Decal 苦労して古いデカルを手に入れ、貼ろうと思った瞬間に、水の中で四散してしまうことがある。古いものはデカルの膜が劣化して、ヒビが入っているからだ。
 そういうときのために、この液体がある。Microscaleから出ている。膜の強度が怪しいデカルにこれを塗ると、表面に新たな膜ができ、水に浮かせばその膜を拾い上げることができる。

 Fordのホッパ車のデカルは極めて貴重で、オークションで苦労して落札したものだ。貨車を塗装して貼るつもりだったが、膜が怪しいので、この液をさっと塗った。
 塗った瞬間に不思議な感触があった。なんと、膜がほとんど流れてしまった。擦ったわけでもないのに、白い模様が全体に広がってアウトだ。
 薄く吹き付けると良さそうにも思えたが、粘度の高い液体で、それも難しそうだ。溶剤はメタノールのようだ。薄めると、デカルの印刷部分がますます溶けやすくなる可能性もある。

 顔料を結びつけているもの(binder)が、塗った液の溶剤に溶けたらしい。 このデカルは、おそらくもう二度と手に入れることができないであろう。がっくりきた。
 Fordの工場の動力源であった蒸気機関の燃料を運んでいたのだ。のちには、暖房用燃料を運んだ。 

 古いデカルは最初からあきらめた方が無難だということだろう。この液を塗らずに水に入れれば、ばらばらになっておしまいだ。しばらく前、大きなヘラルドを貼ろうとした時にも、それが起こった。なんとか拾い集めようと思ったが、とても無理で、あきらめた。
 それもずいぶん高価なものだったが、一瞬で消滅した。腹立たしい限りだ。

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2016年09月24日

続 ベルの内側

 色は赤か黒だ。赤は警戒色ではあるが、黒い機関車の前面にあったとしても、明度の差が小さく、視認性に欠ける。内側が黄色や白だったりすると、かなり目立つだろう。
 たぶん、視覚に訴えるという話ではないと思われる。

 材質については、書き出すときりがない。金属の専門家に話を聞くと、やはりヤング率に大いに関係がある。硬い材料は高い音が出せる。銅合金であれば、青銅系のものがよく、ブラス(黄銅)系のものはダメだ。青銅系でもスズの割合を多くすると良いらしい。その代わり割れやすい。
 歴史上有名な割れた鐘は、いくつかある。フィラデルフィアの独立記念館に行くと、その割れた鐘が展示してある。嬉しくて鳴らしまくったのだろう。色はかなり白い。ということはスズの比率が高いということだ。

 アルミニウム青銅も極端に硬い。その専門家の話によると、船に付ける鐘の注文があったが、普通の青銅製を示しても納得しなかったそうで、鋳造屋が聞きに来たのだそうだ。

 アルミニウムを1割弱含む銅合金で、恐ろしく硬い。スクリューなどに用いる例が多かったが、それを鐘に転用したのだ。
 素晴らしく良く響く音で、発注者は納得したそうだ。

 日本の話なので、多くの鐘がそれで鋳造されていると思うが、意外に出くわさない。消防車の鐘は今までどおりの音である。

 戦争中はアメリカでも各種の物資が不足した。有名なのはBig Boyなどのパイロット先端のゴムである。日本がマレー半島を押えたので、すぐに木製に取り換えられたらしい。 

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2016年09月22日

ベルの内側

 機関車のベルの内側はどうして赤く塗ってあるのかという質問を複数の方から戴いている。これは極めて難しい質問で、筆者にはとても答えられそうにない。

 実は40年以上前に椙山 満氏のところで、それについて論議したことがある。当時カラー写真は少なかったが、明らかに赤のものが多く、たまに黒いものが見つかったのだ。

 アメリカに居た時、いろいろな場所で鉄道関係者に当たってみた。赤が基本のようだが、黒い時もあった。戦争中は黒かったというのが、答えとして多かった。

 赤は目立つから、という話もあるが、それはほとんど意味はなさそうだ。たまたまどこかの機関車メーカが赤く塗って出荷したのが、定番になったというのが信じられる話だ。

 もっと意外な証言も出てきた。東部で聞いた話だ。戦争中は物資が不足し、ベルの材料の銅合金は供出させられた。代わりに鉄のベルが来た。変な音だった。戦後すぐに新しいベルが支給され、音が良くなった。

 確かにその音の問題は深刻だ。鋳鉄で作ったベルの音など、聞けたものではない。ボコボコという音がする。焼きの入った鋼製ならばかなりいい音がするが作りにくい。
 日本のベルは、砲金(青銅)を使っているものが大半だ。専門家の話では、
「音が良くない。もっと硬い材料を使うべきだ。アルミニウム青銅はいいよ。試作したら、皆驚いた。」
 この話を聞いたのは20年以上前のことだ。今ではどうなっているのだろう。

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2016年08月19日

続 Russian Iron

 ラシアン・アイアンの表現は塗装による再現もあるだろうが、筆者の興味のある方法は化成処理である。これは顔料を含む電荷をもった粒子の懸濁液(suspension)であろう。電圧を掛けると電気泳動を起こし、被着物の表面で析出する。自動車の車体を防錆加工する時の電着塗装と同じ原理を用いている。 
 この製品はある程度の厚さに着いたところで、加熱処理をして定着させている。見たところ、メッキ面のような光沢と適度な色を持っている。

 残念ながら、筆者のコレクションにはこれを施すべきものがない。どなたか試されたら、報告をお願いしたい。


henryford1 さて、Greenfield Villageの鉄道には素晴らしい4-4-2がある。この色をご覧戴きたい。塗装ではない。表面処理でこの色を出している。
 文字では表現できない色だが、黒みがかった銀色である。30年ほど前、木曾森林の0-4-2のGゲージ程度の大きさの置物が売り出されたが、その色と似ている。上廻りのみならず、下廻りにもかなり施されている。

Greenfield Village (33) この角度から見るとよくわかるが、ボイラーバンドも同じ処理である。とても立派な機関車である。キャブは木製だ。この機関車はヘンリィ・フォ−ド本人がとても気に入っていて、早い段階から購入して保存していたものだそうだ。

 この種の表面処理は機関車ではあまり見ないが、古い大型のキッチン・ストーヴ(調理用のかまど)や、暖炉に施されているのを見たことがある。

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2016年07月11日

Walker氏のこと その10

Walker 名古屋模型鉄道クラブで長老方にこの話を詳しく聞こうと思っても、ほとんどの方が言葉を濁されてしまう。
 井上 豊氏のお宅にお邪魔して話を伺った時、食料を持ってきてくれたということを仰ったが、同席されていた奥様は突然話を逸らされた。
 話してはいけない、という気持ちがどなたにもあったのだろう。

 伊藤 剛氏は、
「アメリカは時効が長いからね。場合によっては無いかもしれない。突然、軍法会議に掛けられても・・・という気持ちもありましたね。」
「会社のためとは言え、我々もこれが賄賂性があるということは、百も承知していましたよ。ウォーカー氏が帰った時、関係者はほっとしたけど、口外してはいけないという気持ちがありました。」
と仰った。

 椙山 満氏のお宅でこの話が出て、当時のNMRCの会長の荒井友光氏が、いろいろなことを教えてくれたが、写真の件となると、見せてはもらえなかった。
 井上氏のお宅に、伺って見せてもらった時、機関車のことは嬉しそうに話され、試運転の写真を見せてもらったが、その背景については話されることはなかった。

 3年ほど前伊藤 剛氏宅に伺った時、剛氏はこれらの写真を筆者に渡して全てを話され、近い将来の公開を委ねられたのだ。

 多くの模型人の心に傷を残して、それらの模型はアメリカに向かった。


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2016年07月05日

Walker氏のこと その7  

NYC Hudson  and L&N streamliner 客車は5輌編成だ。荷物車、コーチ(座席車)2輌、食堂車、展望車である。


coach interior 屋根の外せる範囲が、今日ある模型とは異なる。コルゲート部のつなぎ目を利用して、別れるようになっている。屋根板はネジ留めである。車体が大きいので、ネジは相対的に十分小さい。
 車内の椅子は専門の職場で作ったらしい。クッションこそ入っていないが、実物並みの仕上げを施したそうだ。この写真では洗面所の内部が付けてない。作ったはずである。内装は伊藤 剛氏が中心になって作成した。
 連結部分の幌を吊る装置がいかにも動きそうである。

dinerdiner interior 食堂車にはキッチンキャビネットも付いているが、食堂部分のみ、屋根が外れる。厨房部分の屋根には通風装置が付いている。


parlor observationparlor interior 展望車はいわゆるパーラーカーである。
 parlor carとは、一人掛けの座席を持つ特等車のことである。「こだま」号の一等車は、これらのアメリカの車輛を参考に作ったはずだ。ガラスの仕切りは職人が削った。
 灰皿はホックでできているように見えるが、いかがだろうか。 

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2016年06月29日

Walker氏のこと その4

covered hopper Alleghenyの発音の件は先に書いたが、この言葉の複数形はアクセントが後ろに来る

 アメリカにいた頃、この機関車の走った線路に沿ってドライブした。急峻な地形ではなく、老年期山脈である。Appalachian Mountains(アパラチア山脈) Blue RidgeとかSmoky Mountains のあたりである。そこでアレゲニィの音は頭に叩き込まれたが、テキサスの友人宅に行った時は混乱した。アレゲニィがたくさんあったのだ。彼は説明する時にアレゲィニィズと発音したのだ。

 聞き直すと、複数形はそうだと言う。理由はわからないが、いくつか例があるらしい。しかし、Alligator も最初にアクセントが来るが、複数形であっても同じ位置だ。

 

 さて、完成したアレゲニィの写真がまだ見つかっていないが、そのうち出てくるだろう。スロットルを引くと、前後が別々に回転し、スリップした。当たり前だが、妙に感動したそうだ。筆者はその話を聞いていたので、関節機にはモータとギヤを二組入れるようにした。すると祖父江氏も同じことを言っていた。

dda40xさんがさぁ、『二個モータにするといいよ。』って言ってたんだけど、大したことはねぇだろうと思ってたんだ。でもやってみたら、それがいいんだよね。ゾクゾクっとするね。」

 それから、関節機には二個モータというのが、祖父江氏のところの標準になった。 当然、井上 豊氏もそうした。もともと彼は自動車の差動装置を使うつもりだったが、こちらのほうがずっと簡単だった。

 のちに伊藤 剛氏にお見せすると、「やはり、これはいいね、ウォーカー氏の模型を思い出しますね。」とのことであった。



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2016年05月14日

カント

 アメリカの炭鉱地帯(ウェスト・ヴァージニア州辺り)には、満載の貨車を引き上げる線路が無数にあった。それらは逆カントを付けていた、とPaul Malleryの著書にある。極めて低速であるから、遠心力は考慮する必要はない。急曲線なら、逆カントのほうがはるかに安定である。アメリカは合理主義の国であるから、実験の結果、それが良いということになったのだろう。
 このような例は日本にもあるのだろうか。電車線での曲線上の渡りではたまに見るが、それは本論から外れる。

 下りは空車であるから、速度さえ出さなければ危険ではない。あるいは複線ならば、自由にカントを付けられる。

 隠しヤードへの進入路は、かなりの急勾配であるが、80輌ほどを引き上げる必要がある。機関車は専用のスイッチャを用いる予定だ。GP9の重連を考えている。
 電流は 3 A ほど流れるだろう。饋電線は 3.5 mmsq を用いる。レイル一本ごとの饋電だ。半径が小さいので走行抵抗は大きい。Low-Dであっても、かなり抵抗が増える。線路が完成したら、要求される引張力を測定してみる。
 入替作業用であるから、曲線部で停止した状態から引き出さねばならない。かなり苦しい条件だが、3条ウォームの特質が活かされるはずだ。

 ヤード部分のラダァを並べてみた。正直なところ、正確な作図をしたわけではないので、無理のないように並べるだけのことである。その先の枝線部分は適当に曲げて障害物を避ける。これは実物と同様である。

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2015年09月18日

Salt Lake City から西へ

Trolley Square ソルト・レーク・シティでは友人を訪ねた。Trolly Squareの景気が良くないという話を聞いた。このショッピング・モールは30年ほど前に開業し、栄華を極めたのだが、ここ数年は撤退する店が続出している。半分も埋まっていない。最近、Whole Foods Marketという大きく、やや高級なスーパ・マーケットが入って多少は持ち直したが、まだ寂しい。
 元は市電の車庫であった。バスの車庫になっていたのに手を加えてショッピング・モールにしたのだ。ミッション・スタイル風の古風な建物だ。
 113_3430その一角にこのような模型があった。本当はすべての線路がつながっている筈なのだが、面倒でやめてしまったのだろう。
 当時はここからオグデンまでの電車があった。市内には架空線の鉄塔が所々に残っている。現在は新しいライトレイルが市内から郊外へと走っている。


UP6699up6699 3 I-80を西に向かうと、元のウェスタンパシフィック線と並行する。現在はUPである。平坦線なので150輌もつないでいるが、機関車は少なく4輌だ。
 写真を撮って抜かれた後、また走って抜き返す。これを繰返した。機関士も、ホーンを鳴らしてくれるが、だんだん面倒になったらしく、短くしか鳴らさなくなった。
up6699 2 これはボンネヴィルのソルト・フラット辺りだ。この近くに例の平らな塩砂漠がある。
 


 


 

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2015年09月12日

またまた Echo Canyon へ

Echo CanyonEcho Canyon 2 帰り路、Echo Canyonを通る。何度も来た道だ。西行きの時には、このお立ち台に行ける。登って様子を見た。今日は先ほど追い抜いた貨物列車を撮ることができる。ただし下りだから、ブレーキを掛けている。
 ダイナミック・ブレーキを唸らせながら、降りて来るのだ。しかし、あまり面白くない。やはり、蒸気機関車でなくても、登り坂で頑張っている姿が見たい。
 ジャンクションで曲がってオグデン方面に行った。Weber川に沿って走るといくつか橋があるからだ。特に詳しく知りたい橋はないのだが、参考になる写真を撮ることができる。

girder bridge 2girder bridge まずガーダ・ブリッジを下から見る。暗いので補正を掛けたら、ざらついてしまった。
 構造はお決まりのものだが、橋台が怪しいのには驚いた。崩れた跡がある。それをちょいちょいと手直しして、おしまいだ。地震のない国はうらやましい。
timber trestletimber trestle 2 横には使われていないティンバ・トレッスルがある。40年ほど前に廃線になった炭鉱に行く線路だ。



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2015年09月10日

abandoned cars

 UP dinerUP diner 2UPの食堂車が放置されていた。これは軽食を提供する車輌だ。窓ガラスに破損防止の合板が張ってあるから、久しくこのままなのだろう。
 保線用の食堂車と書いてあるから、厨房設備を利用して、飯場としての利用があったのだろうと解釈する。

UP diner 3  床下にはLPGシリンダ(いわゆるボンベ)を入れるケースがある。ふたが開いている部分がそうだ。冷房機駆動のエンジン用である。天井の排気筒が興味深い。走行中の風が当たって吸い出されるようになっている。
 連結幌を吊るリンクの付け根が見える。長いリンクで引張っているのだ。

Evanston WYUP crane もう使っていないと思しき、Brownhoistがある。この線は半分土に埋もれているのだ。



Evanston StationEvanston Station 2 Evanston駅のほうに行ってみた。オグデンからは意外と近いのだ。ソルトレークまでは車で1時間半である。



dancing この建物も結婚式などに貸し出されている。このカップルは結婚したばかりだ。新婚旅行に出かける前にダンスを披露している。珍しく、スリムである。
   
 
 

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2015年09月02日

power house

roundhouse01roundhouse02 扇形庫の裏に廻ってみた。これが完全に修復されるのには、かなりの資金が必要だ。10年後に来てみようと思った。


power house 2
 扇形庫から、power house (発電所)を見ている。 この発電所は蒸気エンジンで発電していたらしい。のちにディーゼル発電機になったのだろうが、いずれにせよ、外部からの電力供給がなされた後は用済みとなった。
 格調高い建物である。その昔には高い煙突があったのだろう。蒸気機関車の時代にはボイラで蒸気を作り、機関車のブロワを効かせていた。着火時とか、煙室の掃除の時には蒸気が必要なのである。
power housemachine shop 5 側面から見るとこのような具合である。中身が空っぽなので面白くないが、いずれ何らかの施設になるのだろう。
 途中にこのような鉄骨があった。ホイストを取り付けて、何かの重量物を持ち上げたのだろう。詳しいことはわからない。






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2015年08月29日

続 roundhouse

 扇形機関庫の外側を見てみよう。

round house 4 この扇形庫はかなり大きい。明り取りの窓ガラスは、既にことごとく割られて窓枠も折れている。現役時代はなかなか優雅な雰囲気であったに違いない。  
 この部分のパラペット部分には変更がない。すなわち、木製の梁に屋根を載せてあったのだろう。

round house 5 この写真を見ると、パラペット部に四角の座金がたくさん見える。この裏には鉄骨の梁があるのだろう。煉瓦壁に穴をあけ、ボルトを通して梁を抱かせている。
 この煉瓦はとても脆く、強度はない。日本ではまずできない工法である。地震が来るとばらばらになってしまうだろう。
 結婚式場の辺りだけは、完璧に修復されている。窓枠が美しい。

acetylene storage この倉庫は日本の油庫に似ている。東海道本線の木曽川駅に保存されているものを思い出した。
 説明によると、アセチレンガスのシリンダ(いわゆるボンベ)を仕舞っておくところだそうだ。アセチレンの密度は空気より小さいので、換気窓は上にある。



 

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2015年08月27日

roundhouse

round house beam 扇形庫のつくりは、どの例を見てもだいたい同じである。煉瓦づくりの前壁、後壁の間には木造の屋根が掛けてある。Beam(梁)は木造が多い。hemlock(ツガ)やoak(樫)の巨木を挽いて作った柱に、brace(すじかい)をボルトで留めただけの荒っぽい作りだ。屋根は簡単で、ほとんど載せてあるだけだ。
 
round house doorsround houseround house 2 扉は大きな機関車が出入りするので巨大であり、明かり取りも兼ねている。このドアは新しく作ったもので、当時のプラクティスを踏襲している。材質は松のようだ。節があるのが良い材である。この辺りの感覚は日本とは異なる。knotty pine という言葉があり、「生き節」を賞味する。生き節とは周りの材と結合していて、強度のある節のことである。逆に「死に節」とは板を押すと節穴ができるような節である。我が家の天井はこれと同じ材である。 
 斜めのワイヤでドアの重さを支えている。こうすれば、垂れてくるのを防ぐことができる。ターンバックルの締め方で直角を保つことができる。
round house window 改装された部分から、未改装の部分を見ている。蒸気機関車の時代が終わってからは、扇形庫の使い方はかなり変わったはずだ。
 ディーゼル機関車は、各部のユニット化が進み、修理はユニットの交換で終わりである。それは隣接する machine shop で行われた。線形庫は単なる機関車置き場になり、そのうちに倉庫になってしまった。

round house 3Master Plan 外に出ていって、残りの部分を見た。すべてを改装するには、まだかなりの資金と時間が必要だ。この飛び出している建物が何だったのかはよくわからない。

 このマスター・プランを見ると、かなり大規模な計画のようだ。

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2015年08月25日

Evanston機関区

 今回の最大の目的の一つはこのエヴァンストンの機関区跡を訪ねることであった。昨年友人が近況を知らせてくれ、40年ぶりに行ってみたくなったのだ。

 Evanstonは、ワイオミングの西の端だ。良い水が流れる川があって、機関車の給水には適した。当然のように、そこには機関車の停泊所が作られ、それが機関区になった。

 40年前に行ったときはUPのディーゼル電機機関車の整備工場があり、一般人は立ち入りが制限されていたので、外から見ただけであった。大きなラウンドハウスがあり、ターンテイブルが稼働していた。
 その後、検査・整備の設備はシャイアンの機関区に吸収され、空き家になってしまったのだ。

weddingwedding 5wedding 3 数年前、エヴァンストン市は、この残された建物を歴史的建造物と認定し、税金を投入して保護することにした。一部を改装し、空調設備を取り付け、多目的な会場として貸出している。今回も結婚式をしていたので、中には入れないかと心配したが、「日本からこれを見に来た。」と言うと、「構わんから入れ。」と招き入れられた。式が始まる直前であったが、中を一巡りさせて戴いた。ふくよかなお二人であった。

wedding 7wedding 4 この機関庫は大きい。柱の太さは16インチ(約45 cm)角である。Big Boyは来なかったが、チャレンジャは来ていた。機関庫の奥行きはところにより、増築して長くなっている。扉のデザインも新製時期が違うので、場所によって変化している。

 

 

  

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2015年08月23日

またまた Cajon Pass

Cajon Pass 4 話が多少前後するが、またカホン峠に行った。通り道だから、よく来るのだ。おそらく30回は行っているだろう。
 何度来てもすごいところだと思う。5000馬力の機関車が5両で120輌の貨車を牽く。1万トン以上の列車だ。

Cajon Pass 3Cajon Pass 2 排気が熱い。腹の皮が共振してぶるぶると振動する。スリップもせずに楽々と引き上げるのは素晴らしい眺めだ。蒸気機関車の時代は、これまた素晴らしい光景だったに違いない。ただし列車規模は現在の1/5程度だった。

Cajon Pass 数年前に線路が更新されたので、UPの1線とBNSFの3線がある。この写真にはUP線は写っていない。10 mほどの標高差があるところを通っている。ATSFが先に鞍部を押さえたので、後発のUPは少し高いところを通らざるを得なかった。
 相変わらず列車の密度は高く、30分で5本通過した。

 22.5パーミルという勾配はとてつもなく急で、とても長大列車が走る線区ではないと思えるのだが、次から次へとやってくる。
 今回は例の丘に行かずに旧国道脇で観察していた。暑くて例の丘では熱射病になりそうだったからだ。この場所からは、昔はCajon駅が見通せた。現在は信号所になっている。

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2015年07月05日

Bucyrus-Erie

 日本人には発音が難しい会社名である。カタカナで一番近そうな音はビューサイラス・イャゥリである。前半はオハイオ州ビューサイラスにあったクレイン製造会社名から、後者はErie Steam Shovel社から来ている。後半は「エリー」ではない。耳のイャにRiの音をつなげばよいのだ。"R”の音を出すコツは、小さく「ゥ」を付けてゥリーと言うのである。writeのつづりを見れば、”w”がついているので、その通り発音すれば、それらしく聞こえる。
 スティーム・シャヴルで有名なMarionも昔に吸収合併されている。

 この会社は、世界中のほとんどすべての鉱山会社に製品を納めている。浚渫、坑道採掘、露天掘りなどの大半の用途を満たす掘削機、運搬機械を作っている。だから鉄道用クレインは、ほんのわずかな生産額であるそうだ。

Bucyrus-Erie 筆者がアメリカに居た頃に、UPにこのクレインが導入された。どういうわけか、今までの銀色あるいは黒ではなくて、緑色であった。その色がなかなか良くて、たくさん写真を撮ったのだが、見つからない。いずれ出てくるはずだが、とりあえずWeb上からお借りしている。
 模型も買ってしまったので、色を塗れば完成できる。ところが、少し欲を出してしまい、DCCですべてのファンクションを動かしたくなり、結局挫折して止まっている。諦めて手動にすれば良いのだが、なかなか思い切れない。アウトリガを張り出さないと倒れてしまうのも、挫折の一因だ。模型はKTM製なのだが、台車のバネが柔らかく、上が重いので走らせると非常に不安定である。バネを硬くした。

Hiltonshower and toilet car ついでに、このクレインにつながっている車輛を順に紹介することにしよう。これは作業員の宿舎で、10人収容と書いてある。出動した先の地名を付けて、○× Hiltonと呼ばれていた。中を見せてもらったことがあるが、外見からの判断より、意外と快適そうであった。シャワールームとトイレの付いた車輌も用意してある。上に飛び出したのはエアコンである。いわゆる冷凍機がついていず、水を流してそれを蒸発させ、その気化熱で直接冷やすタイプである。砂漠地帯ならではの工夫だ。evaporative coolerと呼ぶ。水の中のカルシウム分が析出して、内部はがりがりである。木の繊維でできた綿状のものに水を滴下させているので、その替えをたくさん用意している。

snap track 枕木を載せた車輌である。こういう状態でたくさん運んでいく。壊れた線路を横に放り出して敷き、とりあえずの開通である。新たに砂利を持ってきて、タイ・タンパで突き固めるのは、しばらく先である。
 軌框の状態で運ぶこともある。
 
 脱線の現場で作業が長引きそうなときはbusiness carが置かれる。これは現場監督が乗っている。かなり豪華な設備で、衛星電話を持っていた。



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2015年07月03日

脱線の復線作業

 たまたま見つけた動画であるが、新しい工夫があって驚いた。



 この場面に出てくる車輌(非鉄道車輌)はすべてゴムタイヤかゴムで保護した履帯(いわゆるキャタピラ)を付けている。レイルの上を走ってもレイルを損傷させないようになっている。
 車体を持ち上げる機械がある。大きなカウンタ・ウェイトを反対側に張り出して釣り合いをとっている。脱線しただけで転覆していなければ、この機械が2台あれば、復線できそうだ。このタイプの機械は初めて見た。(1分55秒あたり)
 クレインはそれ自身が鉄道車輌である場合と、ゴムタイヤが付いたトラッククレインがある。後者は現場ではラバータイヤとしか言わない。はじめ、何のことかわからなかったが、現場ではそう言う。線路に乗り上げたりしてかなりいろいろな使い方ができる。

 この脱線ではレイルが横倒しになっているので、車体の前方だけ持ち上げて、引きずっている場面がある。レイルがまともに立っているところまで行かないと、復線できないからだ。枕木の上を走る台車が、かなり無茶苦茶な動きをする。倒れたレイルを引っ張って、少しでも起こそうという様子も見える。(15分01秒あたり)

 
 昔、UPの沿線に居たので、脱線情報があるとすぐに見に行った。ラバータイヤが大活躍だった。いつも友人から電話がかかってきて、脱線場所を教えてくれた。彼は無線を聞いているのだ。

 鉄車輪のクレインもよく出動するらしく、車輪はぴかぴかだった。日本の操重車が錆びついているのとは対照的である。控車の次は軌框を積んでいた。替えの枕木や、仮台車、照明装置、燃料、作業者の休憩施設を積んだワークカーがつながっていた。
  見に行くたびに止まっている位置が異なっていたので、よく出動していたらしい。

 一度まったく帰ってこない時期があり、どうしたのかと思ったら、ハイウェイ(街道であって高速道路ではない)をくぐる部分で脱線転覆があり、高架の道路をすべて吹き飛ばして、貨車50輌ほどが横転していた。幸いにも自動車の方は怪我人はなかった。仮の踏切を作ったので、半年ほどそれを利用した。

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2015年06月21日

続々 Promontory Point を訪ねて

 Compact Flashは壊れたが、バックアップしてあったのが見つかったので、続きを紹介する。先回の記事にも画像を追加したので、ご覧戴きたい。

Promontory Point 4Promontory Point 10 岬の先端の丘の上から東を見ている。遠くから貨物列車が走って来たのが見えた。慌てて丘の上に車を進めて写真を撮った。まったくの平坦線なので、機関車は少なく、前2輌、後1輌であった。



Promontory Point 12Promontory Point 9Promontory Point 7 眼下を走り去っていく。低い位置にあるNゲージのレイアウトを、立って見ているようだった。この辺りは塩が析出して、塩砂漠となっている。

 ずっと先の方に行くとS字のカーヴを描いて元に戻っているはずなのだが、よく見えない。

 岬の先端部分だけ複線になってすれ違いができるようになっているが、Lucin Cutoff その物は単線である。

 大変な苦労をして見に行ったのだが、さしたる成果もなく引き揚げた。

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2015年06月09日

続 wheel counter

 先日、ホィール・カウンタによる課金システムについて書いた。十分客観的な話のはずであるが、それでも第三者が検証できる資料を示せ、との課題を突きつけられてしまった。当然のことながら、それはイリノイ鉄道博物館に直接お聞きになれば済むことで、筆者は関知しないことにしていた。

 ところが最近、レイアウト建設で助けて戴いているnortherns484氏が大変興味深い事例をお知らせくださったので、それを紹介する。

 これは、O Scale Meet 2010でご一緒させていただいたときに見たものですね。懐かしく思い出したので、ちょっと調べてみました。
  次の
掲示板のアーカイブの中に、Rock IslandのCouncil Bluffsで働いていた人の1956年12月当時の思い出が書かれています。この中に、1)Wheelage Charge(要するに橋の通行料金)を決めるために、Axle Counterを使っていた、2)UP、RI、C&NW、CGW、Wabash、MILW、IC、たぶんCB&Qのそれぞれの鉄道に別々のカウンターがあった、とあります。 この投稿に対して、もっと詳しく教えてくれという返信があるのですが、その後が続いていないのが残念です。

  もう一つ、
Popular Scienceという雑誌の1926年6月号  の55ページに面白い記述があります。Council Bluffs在住のMichael O’Connorという人が、それまでの17年の間(つまり、1910年ごろから?)、Wheelage Chargeを決めるために、件の橋を通過する列車の車輪を数えていて、その数は一日3200にもなった、とのことです。当時は信頼性のある数字を自動的に算出する手段がなかったからでしょうが、来る日も来る日も通過する列車の車輪の数を正確に数え続けるには、相当の集中力が必要だったことは間違いありません。

 
もうこれで決着がつくものと思う。他にもいくつかの項目についての問い合わせもあるのだが、足で稼いできた情報よりも、雑誌で見つけることができないから怪しいというのはいかがなものか。その雑誌が模型雑誌や趣味誌では話にならない。
 まず製造元のカタログとか特許を調べるのが筋であろう。

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2015年06月07日

続 Promontory Point を訪ねて

Promontory Point 7 西を見ても単線のcauseway(築堤)が湖面を走っているだけで、面白くもなんともない。まっすぐではなく、曲がっているのだが、遠くてそれも見えない。

 

Promontory Point 8 昔は複線のようだったが、列車本数が少ないせいか、単線である。半島の西北の方に行ってみたかった。西側には砕石を採取した穴があるはずで、その写真を撮ろうと思ったのだ。ところが鉄条網が張り巡らされて、半島西側には行く方法がない。
 25年前には何の問題もなく入ることができ、岩石の見本を持って帰ることができたが、時間の経過とともに、徐々に制限がかかってきたのだ。

Promontory Point 4 東の方はcausewayという感じがしない。線路の左は陸地になり、さらに北側には塩田が広がる。

 

Promontory PointPromontory Point 3 岬の突端には例の家具屋の作業場があり、材木を加工して並べてあった。広げて置けば、雨にあたって塩が抜けるという期待であろう。切れ端は山になっていたので、記念に少しもらって帰った。

 なめると塩辛い。これで家具を作ると、現地ではよいだろうが、日本では塩の中に含まれるマグネシウムの影響で多少潮解性があるかもしれない。すなわち夏は、じとっと湿る可能性がある。

 小一時間そこにいて、何本か列車の写真を撮り、また同じ道を通って帰った。帰り道、大きな鹿が道路を悠然と渡った。当たれば大事故であろう。途中には農家が3軒ほどあった。そこに住んでいると、町まで出るには2時間近くかかる。それでもそこから離れたくない人がいるわけだ。一応電力は電線がつながっているから供給されている。しかし、雪などで停電することはありうるだろう。大変な生活だ。

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2015年06月05日

Promontory Point を訪ねて

Lucin cut off 一昨年の夏に、所用で Utah州に行った。時間があったので、ちょっと足を延ばしてLucin cut offを見に行った。かなりひどい道を2時間ほど走る必要がある。冬は行く方法がない。
 途中、休憩所があるわけでもないので、水を持っていかねばならない。道は一応舗装されてはいるが、草が舗装を蝕んでいる。野生動物がちょろちょろ出てくる危ない道である。大きな動物もいるので、よく見ていないとぶつかりそうになる。この写真は東を見ている。

Promontory プロモントリィ半島の根元には、旧セントラルパシフィックの線路があるが、ほとんど砂漠と区別がつかないところが多い。



Lucin cut off 2 半島の先端には湖を渡ってきた線路がある。たまたまやって来た貨物列車を写した。平坦線なので機関車が少ない。東の方を見ている。 



Lucin cut off 4 最先端の波止場まで行ってみる。たくさんの資材が置いてあり、数人の人が働いている。彼らはエビの箱詰めをしている。エビと言ってもshrimp(小エビ)であって、長さ5〜8 cm
ほどである。中華料理に使うらしい。すべて東南アジア方面に輸出される。


Lucin cut off 3 半島の方を振り返る。北東の方を見ていることになる。たくさんある杭は工事用の船着き場の址である。湖面には虫がたくさんいる。その死骸のせいか、とても臭い。



Lucin cut off 5 これがエビの箱である。1つが1㎥ほどもある大きな箱である。



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2015年03月17日

続 Barstow へ

Old Days at Harvey House Santa Fe鉄道は拠点駅に食堂、宿泊が出来る施設を持っていた。Fred Harveyと云う人が経営していたので、Harvey Houseと呼ばれた。列車内で食事の注文を取り、到着前に機関車の汽笛で連絡して、すぐに食事が出るようにするサーヴィスもしていた時期がある。駅のウェイトレスとの恋を描いたThe Harvey Girlsという映画もあった。
 
Route 66 KingmanKingman AZ 2Kingman AZUsed be Harvey House



 
 しばらく前、Kingmanという町に行った。グランドキャニヨン方面に行く宿場である。そこにはHarvey Houseがあるという話を聞いたので行ってみたのだが、敷地の址があるだけで 、全くの外れであった。その駅はMission Styleのなかなかきれいな建物であった。


Platforms バーストウのハーヴィ・ハウスの話に戻る。ここではプラットフォームの址も良く見え、昔は大きな駅であったことが分かる。最盛期には30分ごとに旅客列車が来たそうである。



SuiteSuite 2Banquet Room 二階にはホテルの部屋があり、豪華なスイートもある。
 厨房のあった部分も保存されていて、かなりの規模であったことが分かる。大きなホールは二つあり、結婚式などに使われている。

Steam Locomotive 入口のホールの受付の上に飾ってある写真には、不可思議なものが写っている。どうしてこの写真が飾ってあるのだと聞いたら、
「良くわからない。これについて質問する人は日本人であることがすぐ分かる。」
という変な答であった。


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2015年03月15日

Barstow へ

 O Scale Westが終わると参加者は、みな別れを惜しみながら自宅へと帰っていく。気のあった友達は、帰りに寄っていけと招待してくれることが多い。今年はその方面の友達の誘いを断って行くところがあった。

Harvey House in Barstow Barstowに行きたかった。バーストウは昔からの宿場町である。ルート66の拠点でもあるし、Santa Fe鉄道の大きな駅がある。
 そこには、Harvey Houseが保存されていると友達が教えてくれた。大きいと言っていたのだが、どれくらい大きいか見当が付かなかった。
 街の中にはあちこちに「ハーヴィ・ハウスはこちら」と云う看板が立っている。行ってみると線路に当たる。それを乗り越えて向こうに行くと、壮麗な建物がある。まさかこんなに立派なものだとは思わなかった。

 入場料は取らず、今のところヴォランティアの人たちが運営しているようだ。金は市が出したらしい。建物にはスペイン語で Casa del Desierto とある。「砂漠の家」と云う意味だ。
 このヴィデオにはほとんど余すことなくその魅力が現れている。エアコンがなかった時代だから、夏の昼間の暑さは凄まじかっただろうと思う。

Harvey House gets a face liftHarvey HOuse 1911年に完成し70年頃に使用をやめた。その後廃墟となっていたのだが、市の商工会議所が動いたようだ。現在はパーティ会場として結婚式の披露宴などに使われている。

 ハーヴィ・ハウスは他にもいくつか残っているようだが、ここが一番立派だと言う。
 
 


 

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2015年01月31日

PRR T1

PRR T-1 Konno氏が目ざとく見つけられたPRR(ペンシルヴェイニア鉄道)のDuplex(双子という意味)である。ショウケース内の位置を変える時に外に出したので、写真を撮ってみた。
  素晴らしい機関車である。日本製であるから、ハンダ付けが確実で外れないのが良い。当初、この機関車の動力装置はアメリカ製で、アルミブロックをフライスで切り出したボールベアリング入りのギヤボックスが付いていた。動きはいま一つだった。どういうわけか、固いのだ。多分グリスが粘いのである。モータの出力の半分が失われてしまう。祖父江氏に2モータ、三条ウォームに改造してもらったのだ。押すと電灯が点く。

Tsuchiya  遠くに土屋氏の写真が置いてある。土屋氏のお気に入りの機関車であった。
 図面等はアメリカから提供されているので、正確であるが、メカニズムには理解できない点がある。どういうわけか、テンダ台車は2軸ずつイコライズされていて、バネがない。4点支持なのである。機関車も動軸2軸づつがイコライズされているが、バネが入っている。それはよいが、先台車、従台車はバネで軽く押さえてあるだけで、先輪としての役割を果たしているかは疑問である。

 筆者がアメリカに居たときに、購入して日本に送った。日本製の刻印が打ってあるのに、税関で高い税率を掛けられた事を思い出す。結局は安くなったが、その時のやり取りが面倒で、思い出すと気分が悪くなる。

 思えばたくさん購入して送ったものだ。当時はアメリカが不況で、このような嗜好品の価格は相対的に安かった。調子に乗ってたくさん購入して送ったら、「アメリカの中古市場の相場が上がった」と、ある友人から文句が来た。値切らずに買ったので、「日本人は物の買い方を知らない。迷惑がかかるから値段交渉をせよ。」と言って来たのだ。
 バブルの絶頂期のことである。


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2014年08月26日

近所のHOレイアウト

Layout Room above garage 近所のHOレイアウトを見学に行った。ここへは何度か来ている。

 車庫を増築するとき、思い切って二階を付け足したのだ。裏の外階段でしか行けない造りだが、ご本人は大満足だ。非常に普遍的な構成のレイアウトである。
 フレクシブル・トラックを張り巡らし、シノハラのポイントをつないだもので、Walthersのカタログを見れば、大半のものは揃う。

HO layoutHO layout 2HO layout 3 彼はDennis の空軍時代の友人で、イリノイ州出身だ。居間に大きな生家の航空写真がある。「アメリカの地面が全て赤褐色だと思ったら大間違いだよ。」と言う。緑一面の草原の中にその農家があった。
 父親が亡くなった時売却して、今は半分くらい取り壊されたそうだ。テキサスの航空基地に勤務したので、ここに住み着いたという。以前はOkinawa にも居たことがあるそうだ。

 レイアウトルームの上空には1/48サイズの空軍機がたくさん吊り下げてある。同じ縮尺なので大きさの対比ができて面白い。一番のお気に入りはKyushu Shinden(震電)である。「あの時代にこんな飛行機を作るなんてすごい。2年早く出来ていたら、日本を占領するのは危うかったな。」と言う。

HO layout 4 西部の有名な地形を模した名所巡りのような鉄道だが、運転はなかなか面白い。隠しヤードがあって、いろいろな列車を牽き出して運転できる。運転本位のかなり気楽に作られたレイアウトである。このようなレイアウトが日本にたくさんあるとは、とても思えない。彼自身、Dennisのような非常に深いところまで掘り下げるタイプの鉄道マニアではないので、気楽に楽しんでいるのだ。

HO engines 機関車は90%以上がプラスティック製である。ブラス製はケースに入れて大切にしまってある。
 
 


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2014年08月14日

Idaho Forest

Idaho ForestCenter Beam Flat Car センタ・ビーム・フラットカーの積荷に、よくこの材木会社の製品がカヴァを掛けられて載っている。材質は厚手の紙の表にプラスティック・コーティングしたものである。

 筆者の家のデッキが築22年でかなり傷んできた。補修を繰り返したが、デッキ材が既に腐りかけているので、新品の材料に置き換えることにしたのだ。
 日本にないサイズの木材であるので、色々なところに打診していたが話が折り合わなかった。結局のところ、原木を輸入している会社と接触して、日本でその寸法に挽いてもらったのだ。1 cmほど大きめに挽いて、人工乾燥した。カンナ、ルータを掛けて、オリジナルと寸分たがわぬ材を1トンほど用意してもらった。Canadian Yellow Cederという材で日本では米ヒバという怪しい名前で売られている。素晴らしい芳香を持った木である。長さは2 m から 6mの乱尺で、厚さは60 mmである。 
 本来は1月に納品の予定であったが、担当者が怪我をしたらしく、7月の納品となった。

 デッキ材を専門に扱っている会社の価格の約半額で用意できた。それを4トン車で運んで来た時に掛けてあった包装材がこれで、しばらく手を付けられないので包んでおいた。

 庭にこのシートを掛けた材料が置いてあるというのはなかなか良い景色である。

 お盆休みは人手があるので、近日中に交換をする予定だ。するとこのシートは捨てることになる。もし、読者の方で、欲しいと仰る奇特な方があれば喜んでお譲りする。大きなものなので、マークやロゴだけを切り取ってくれ、という要望にも応じる。

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2014年02月14日

続々 Dynamometer Car

 速度を計測するのは車軸の回転数からである。ところが車輪は少しづつ摩耗するので、その径をいつも測定しなければならない。

 この写真はイギリスのDynamometer Carである。測定用の車輪を軽く押し付けているのが分かる。その車輪は接触圧がとても小さいので自転車の車輪ほど華奢である。普段の走行時には持ち上げていて、試験のときだけ、接触させている。

SH821 この記事はPopular Scienceの特集記事などをまとめたこのサイトからお借りしている。 NYCの車輌を図解している。これは油圧式で、連結器の伸びは非常に少ないが、模型化は無理である。
 キュポラに座っている人は、マイルポストを監視している。車輪の回転のみならず、実際の距離も読んでいるのだ。あとで突き合わせて補正をするのだろう。
  

 キッチンがついていて食事が出来るし、ベッドもあって休むこともできる。ディレクタの席もあるし、なかなかの豪華版である。日本の国鉄のヤとか、いわゆる”ドクター・イエロー”などの中はどうなっているのであろうか。日本では比較的短時間であろうから、このような設備は必要ないのだろう。

 今回作るのは機能第一主義であって、その外見は「変でない程度」にしか作らない。もちろん実物のスケールモデルではなく、こんなのがあったらいいなという程度である。

 台車は4輪台車でも良いのだが、より重厚な6輪台車にする。イコライズしていない台車に改造を加え、3軸がいかなる線路にも追随する工夫をした。牽引力計も、カーヴ上での作動を確保する構造にした。
 
 ある程度形が出来たら、報告する予定だ。
 



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2014年02月12日

続 Dynamometer Car

 牽引力は、バネを押し縮めたり、あるいは伸ばしたりしてその変位を測定することによって算出される。連結器は引っ張られると伸びるわけだ。その量をある程度の範囲にしておかないと、連結器がうんと伸びて、外見的にもおかしいし、曲線上ではその引っ張る向きが車輌の軸から大きく外れてしまって脱線のもとになる。

1997-7059_HOR_F_1012 本物の構造はどうなっていたか、テコ式のは資料が集まらないので分からない。模型はサーボモータなどで変位の分だけ、バネ秤を軸方向に移動して、見かけ上、連結器が伸びないようにするのが望ましいと思われた。すなわち、車体を押さえて連結器を引っ張ると、連結器が伸びないで牽引力が測られるのがベストである。
 この機構は以前作ってみたのだが、追随性を上げると、その時に加速度が測定されてしまい、見かけの牽引力増加が測定されて、とても具合が悪い。追随性を下げると何の意味もないし、正直なところ良い結果は出なかった。追随するときの変位補償の加速度をコントロールすることが必要なのだが、とても難しい制御である。
 バネを強くすると変位量が小さくなるが、その分測定誤差が増える。

 実物は曲線半径がはるかに大きいので、連結器の伸びは問題がなさそうだ。

chicst38 ダイナモメータの牽引力曲線を見たことがあるが、蒸気機関車の場合はトルク変動が大きく、波打っている。3気筒機関車の場合はトルク変動が小さいので、波打ちが小さい。
 電気機関車の場合はほとんど平坦である。その出力用紙には時間軸も印刷されるので、特定の時刻の速度の出力用紙からの読みと照らし合わせて、仕事率を計算するようだ。かなり面倒な作業だ。

bo-2002-48images 当時の写真を見ると、機関車のキャブとの通話用の電話線が見られる。またテンダ上を経由して、キャブまで行くことができるように、キャットウォークも付けられている。詳しい様子は分からないが、キュポラの前妻が開いて、屋根上に出られるものもあった。蒸気機関車の時代の出力測定は多人数でやる大掛かりなもののようだ。


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2013年12月22日

Bear Lake

Bear Lake ABear Lake B Bear Riverの上流にはかなり大きな湖がある。Bear Lakeは琵琶湖の半分位の大きさで、最深部は60 m ほどだそうだ。青い水が美しい。この湖を見てからEvanston方面に抜けてGreen River方面に行った。

 
Logan そこに到達するまでにLoganという街を通る。Loganはユタ州の中で一番寒い町である。いつも最低気温が−40 °C以下である。天気予報で「あすはローガンでは −40 °Fになるでしょう。」という言い回しをよく聞いた。

 日本人には華氏温度は縁がないが、これだけは覚えていた。−40 °F は−40 °Cである。

 華氏というのは英語でファーレンハイトというから、その最初のファを中国語の華(ホァ)で置き換えたのだ。
 しかしそんな温度になるはずがないと思っていたら、この地ではよくあるのだ。高地で盆地であるから、よく冷えるのだ。筆者がソルトレークで経験した最低気温は、−37 °Cである。大して違わないが、ローガンはとにかく信じられないほど寒いところだ。
 ちなみに筆者が体験した最も低い温度は−57 °Cである。スキー場の山のてっぺんで標高3800mである。新雪の中を滑りながら、ここで転ぶと、春先まで見つからないのだろうなと、ヒヤヒヤした。

 オグデンから北に伸びる支線は、峡谷を登り、ローガンの近くをかすめてポカテッロの方に行く。ローガンには支線は通っていない。分岐した枝線が街を一巡りしているが、果たして現在も使っているかどうかは怪しい。おそらく、収穫期にカヴァード・ホッパをつないで、短い貨物列車が通る程度であろう。踏切は警報器も設置してある。
 支線の開通当初は街の中を通る線ができたのだろうが、そのうち短絡線ができて、そちらを列車が通過するようになったのだと思う。
 
 久しぶりのユタ州訪問で、あちこち友人を訪ねて走り回った。その書き溜めてあった訪問記もこれで終わりである。年末は、しばらく休刊とさせて戴く。

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2013年12月20日

Bear River

Bear River map Great Salt Lakeに注ぐ川の中で最大の川がBear Riverである。  ワイオミング州の方から大回りをして来る。Evanstonの街の中を通っている。エヴァンストンには扇形庫が残っている。

 Bear Riverの河口には、淡水域を設けて、野鳥の楽園が作られている。渡り鳥の休息のための池である。かなり広い。数十平方キロぐらいある。渡り鳥が、塩湖に間違えてたどり着いても、ここまで来れば安心だ。

bear-river-migratory-bird-refugeBird Refuge 友人が勧めてくれたので見に行った。のどかな風景である。博物館もあり、楽しめる。川の水は細かく枝分かれし、ゆっくり流れている。それに沿って、道路がある。自転車で走っている人も多い。

 河口付近の町にBrigham Cityがある。Promontoryを通る旧線の跡を探してここに来たのだが、既に宅地化していて分からなかった。もう一度詳しく下調べしてから来たいと思った。

 ユニオンパシフィック鉄道の支線は、ここから北上してPocatelloを経て、Portland方面に行く。Snake Riverに沿っていく風光明媚な路線だ。ただ、勾配がかなり急なので、あまり長い編成ではない。
 1989年にFEF3(4-8-4)が走ったときに、ここに来て写真を撮った。自動車があまり高性能ではなかったので、振り切られた場所だ。90マイル/時(144km/時)以上出ていた。友人たちはポカテッロまで追い掛けていった。

 日本では蒸気機関車は遅いものの代表であったが、アメリカでは速い物の代表である。轟音を発して筆者の車を抜き去って行った。 

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2013年12月14日

続々々々 Lucin Cutoff

 湖の深さはせいぜい 10 m 足らずであるから、埋め立て用の岩石を運ぶ箱船が通れるように、canal(水路と訳すのだろうか、要するに多少深く掘った掘割)を作って、積出の岸壁と現場を結んだ。この水路と波止場は衛星写真でもはっきりわかる。

 箱船はカリフォルニアの工場で組み立てられ、いくつもの部分に分割され、鉄道で現場に運んで再組立てされた。箱船の底は開いて岩石が投下されされるようになっていた。

 岩石を採る場所はプロモントリィ半島の先端より西岸を2マイルほど行ったところにある。運び出すベルトコンベアは、 Hewitt-Reynoldsによって作られた。少々高いところにあるので、重力で自力で動き、付いているモーターが発電機となって24時間操業の電力の大半を供給した。掘削するパワー・ショベルの動力もまかなえた。

6850880642_413c7d750d_b from Flickr このようにして作られた築堤は標高4218 ft (1285 m)まで積み上げられた。1905年の木橋建設の時の築堤は 4213 ftに作られたのだが、長年のうちに沈下し4205 ftにまで下がっていた。新しい築堤も少しずつ沈下し、4212 ftになってしまった。

 1982年、突然湖の水位が上昇し始め、1985年には最終的に4212 ftにまでなった。築堤は水没の危機に見舞われ、築堤の積み増し工事が急ピッチで行われた。築堤の北側部分の水位上昇が早かったので、そちらの手当が急がれた。古いboxcarやhopperが大量に集められ、線路際にぎっしりと並べられた。天井は外してある。それらに土砂を詰め込み、防波堤としたのだ。しかし、南側も高くなり始めた。

 嵐がやってくると、波は線路を洗い、線路は曲げられて無茶苦茶になった。保線作業で数日間は不通となってしまう。その間、列車は南岸沿いのWestern Pacific経由とせざるを得なかった。

 

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2013年12月12日

続々々 Lucin Cutoff

Lucin Cutoff library 1869年4月28日の大陸横断鉄道開通から35年以上使われたPromontoryを通過する本線は、かなり長期間、木橋の不通時に備えて温存された。
 しかし、橋の信頼性が確立された1933年には、放棄された。そこにあった駅、補給設備、保線のための設備は全て撤去され、砂漠に戻った。ただ、沿線の牧畜業者のために、水を運ぶ列車が月に2回程度運行されたのだそうだ。そこでは羊を飼っていた。保線されていない線路だから、かなりの悪路であったことが想像される。
 勾配は急で、貨車を6輌しか牽けなかったという。

 鉄道会社は完全に廃線にしたかったのだが、建設当時に国との契約で得た沿線の権利を失う可能性があって、なかなかそれもできなかったが、1942年に戦争が激しくなり、鉄を供出する必要もあって、完全に線路がめくり取られた。大陸横断鉄道敷設時には、建設促進のため、敷いた線路の両側10マイル(16 km)が鉄道会社のものになるという、今では信じられないような条件が提示されていた。

edu 戦後、橋はメンテナンス費用がかさみ、それでも橋の安定性が失われつつあった。より安全なcauseway(築堤)方式、またはコンクリート橋への移行が望まれた。
 湖の底には泥が10mほど堆積しているので、ただ岩石を投げ込んだだけでは意味がない。浚渫作業が必要であって、それを請け負ったのがMorrison-Knudsenであった。この会社は現在では機関車を作っているが、創業からしばらくはアイダホ州を中心に土木建築を請け負っていた。モリソン氏はコンクリートの専門家だったらしい。
 
 築堤が建設され始めた頃、木橋が火事になって、180mほど焼失した。その復旧工事をしたのもこの会社である。水面下の燃え残った部分に継ぎ足して、仮の鉄橋を掛けて復旧した。それを短期間にやってのけたので、名を挙げた。Pentrexから、その時の動画が発売されている。

 火事の原因はhot box(軸箱の過熱)であった。油切れで焼けたぼろきれが軸箱から落下したのだ。

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2013年12月10日

続々 Lucin Cutoff

Redwood 木橋はモミの木の杭と、レッドウッドの床板からなる。杭は60 cmから90 cmほどの直径、床板は7.5 cmの厚さである。中にはクルミ材も使ってあったそうだ。それらはボルトで留められていた。
 レッドウッドは雨ざらしにしてもあまり傷まない赤身の部分のみを使っている。この写真は我が家の破風を飾っているレッドウッドの切れ端である。日光の当たるところに10年ほど置いてあったのを持ってきて、写真を撮るために、さっと払っただけである。さほど傷んでいるわけではない。上の木片が載っていたところの色が少し違う。多少の雨が当たったようだが腐らずによく持っている。
 レッドウッドは巨大な木で、直径 5 m, 高さ 70〜80 m 位が普通である。山火事になっても生き残るので、レッドウッドの森ができると聞いた。

Lucin Cutoff 3 Trestlewood社は橋を解体し、陸揚げして製材する会社である。 この動画はそれを手短かに紹介している。引き揚げた木材はプロモントリー半島の先端に寝かせて風雨に当て塩抜きをするボルト類を機械で抜き取り、金属探知機で鉄片が入ってないのを確認して鋸で挽く。
 これは手斧で仕上げた暖炉の上の横木である。この再生レッドウッドを使って立てた家や、仕上げた床などが映っている。筆者はこの種の素朴な仕上げが好きである。英語ではrusticという表現をする。このような家を建てたかった。

Lucin Cutoff drawing 00005r 杭は30mの木材を打ち込むのだが、場所によっては杭をぶら下げただけで、ずぶずぶと入ってしまうこともあったようだ。そのような時はもう一本継ぎ足して打ち込んだそうだ。50 mも入ったところがあったという。

 杭が打たれると、上を揃えて切り、横木を渡して梁を掛ける。床板を張ったらアスファルトを塗って、砂利を30cm以上の厚さで敷く。
 
 湖の真ん中には信号所(Midlake)ができ、要員が寝泊りできる設備もあった。汽車が止まるので、そこまでの遠足も企画された。

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