Oゲージ

2021年07月23日

続 直角カルダン駆動

 最近、電車の動力をすべて入れ替えたいという要望が、友人からある。
「今までは外見を素晴らしくすることには拘ってきたが、走りは今ひとつだ。このまま終わるのは癪に障る。」ということなのだ。

 友人たちは、筆者の車輛が音もなく走り、押して動き、なおかつ滑走するのを見ると心を動かされるようだ。
 博物館の線路には、ギヤボックスがない車輛の進入は禁止であるから、その本線上を走らせてみたいというのもある(油を撒き散らされては困るから、未整備車はお断りしている)。


D-21 by Mr.H この台車を見せられた。外見は素晴らしい出来である。作者のH氏はもともと本物の電車を作る会社に居た。押さえどころがしっかりしているので、シャープで実感的である。もちろんイコライザは可動である。センタピン位置が高いので、軸重移動はかなりある。

 モータ軸を延長して2軸に吊り掛けている。この模型では、油が飛ぶので、ウォームの寿命は短い。頻繁に取り替えねばならない。これを3条ウォームでやりたいそうだが、スペイスが足らない。
 1軸駆動なら出来るが、それでは面白くないと言う。乗越カルダンで2軸駆動でも嫌なのだそうだ。実物にもこの種の配置のカルダン駆動はある。さりとて、先回の動力を付けると、床下器具をなぎ倒すことになる。

「全軸ボールベアリング装荷にすれば、動軸が少なくても十分走りますよ。」と言うと、やる気が出たようだ。おそらく合葉式直角カルダンになるだろう。その方式ならば、駆動軸がおとなしいので、床下の改造は最小限で済む筈だ。

 New O gauge, New OJ gauge の時代は来るだろうか。 

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2021年07月09日

”New O gauge”

 最近、遠方からの見学者が2組あった。どちらも2線式Oゲージを見るのは初めてということだった。彼らは、列車が走るのを見て、愕然とした。もっとつまらないものだと考えていたらしい。ガーと走ってギッと止まるものだと思っていたと言う。

 サウンド装置の音が消されると、全く無音で蒸気機関車が走るというのは、かなりの衝撃だったようだ。また電源を切っても、貨物列車が慣性で走り、下り坂ではそのまま下って行くのには、かなり驚いた。また、列車全体の走行音が静かなのは、信じられないとのことだった。
「何が違うのですか?」
という質問を受けた。
 答は、
「すべてが異なるのです。」
である。見ているのはOゲージには違いないが、昔のOゲージとは根本的に異なるものであることを、昔の部品と比較しながら現在の部品を見せた。輪軸、軸受、歯車、モータ、レイル、道床、連結器のすべてが、60年前とは根本的に異なることを納得して戴いた。

「今のHOとも違いますね。」と聞く。
「もちろんです。精度の高い機械で作られた部品のみを用いて構成するとこうなります。歯車は無調整で所定の性能が出ます。音がしないというのが、その高性能の証明です。下廻りは精密機械と言えますが、忘れてはいけないのが、大きさの効果ですね。」と説明した。

「HOでは、これと同じことは出来ませんか。」と聞く。
「大きさの効果は如何ともし難いので、頑張っても同じ結果は出せないでしょう。」と言うと、理解した。
 やってみたいと仰るので、車輪と歯車、ボールベアリング、モータをいくつかお世話し、専用工具も渡した。線路も新規に購入するように勧めた。また、ゴム板の上に線路を敷くことも念を押した。一つでも手を抜くと失敗することは、強調しておいた。

 合葉氏の仰ったNew O gauge" が、60年遅れでやってきたのだ。鉄道の持つ特性が模型にも現れると、その素晴らしさがより感じられるようになる。本物を縮小しようとすることしか考えない人たちには、到達できない目標である。 
 筆者自身は、合葉氏のこの記事は読んだことがなかったので、全く独立に同じ結論を出していたことになる。吉岡精一氏もその結論を模索していたので、筆者と意気投合したのだ。

 既存の3条ウォームとコアレスモータ、ボールベアリングを組み合わせて高性能を得たのは筆者だが、合葉氏によれば、それは模型観を塗り替える程の世界的大発明だったそうだ。その割には普及率は低いのは知らない人が多いからだと思ったが、合葉氏の判断では「走らせている人が少ない」という、単一の原因なのだそうだ。
 だからこそ、走らせて見せるということを主眼に置くべきだと言ったのだ。博物館の建設の最初のきっかけはそこにある。

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2021年07月07日

続々 合葉博治氏の記事

 合葉氏はOゲージを再興するつもりだった。その呼び水に筆者のメカニズムを使うことにしたようだ。二回目にお会いした時は、京王プラザホテルの会議室に呼び出され、ご馳走になりながら、その構想を聞かされた。その時、開発中のステンレス製 Low-D車輪、高性能な動力台車の見本などを渡した。合葉氏は一つ一つ確認して、たいへん驚いた。その時、慣性増大装置についても話した。
「貴方はすごい。どこまで先の事を考えているんだ。すぐには実現できなくても、その構想を書くだけでも、模型界は進歩する。」
と言われたが、実現するまで30年以上掛かった。

「10年前に出会っていれば、世の中は大きく変わっただろうね。でも今からでも遅くない。やってみよう。」
と言う。
「京王百貨店の中の特設会場で、60輛編成の列車がゆっくり動いて止まる、ということを見せれば、分かる人は分かる。山崎氏に見せつけてやるんだ。」
と言った。合葉氏は山崎氏に、「Oゲージの時代は終わった」と言われて癪にさわったようだ。
「精密機械としてのOゲージを見せれば、彼はきっと動く。」と言って、ニヤリとした。 

 その後、筆者は再度渡米し、滞米中何度か手紙を差し上げたが、返事が全く無く、帰国後大変な病気であることを知った。ご本人にもお会いしたが、大変お気の毒な状態だった。

 今回は、合葉氏の”New O gauge”という記事に触発されて、30年以上前の事を思い出した。当時の合葉氏の記事には正しいことが書いてある。他の外見だけの模型とは、一線を画した記事ばかりである。
「模型と工作」という雑誌にもたくさん図解入りの記事を書かれている。子供向けだが、真理を書いているのはすごい、と今でも思う。
 伊藤剛氏と双璧をなしていた。この二人が居なかったら、かなりあやしい状態になっていたのではないかとも思う。 

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2021年07月05日

続 合葉博治氏の記事

 筆者は、自分の経験を話した。5歳のときから、3線式Oゲージを楽しんだが、中学生の頃、こんなのでは駄目だと思った。車輪の形、線路の構成、バネが利かないこと、モータの設計がおかしいこと、軸受の構成が間違っていることなどである。
 品揃えの良い模型屋に行ってバネ付き台車を手に入れたが、軸受はどうしようもないほどひどかった。全部自作する以外ない、と覚悟を決め、旋盤を買った。と筆者の模型歴をかいつまんで話した。

 父親から聞いたことを基に少しずつ実現していったが、それは決して平坦な道ではなかった。70年代初頭にアメリカの模型を見て、日本との違いを考えたのが大きな転機になった。車輪が鋼製の物が多かった。黒染めし、塗装してあるので錆は少ない。形が良かった。また踏面の錆は走らせれば落ちる。軸は鋼製で細かった。日本の半分の太さだ。 
 動力は、All-nationのは秀逸だが、その他はあまり感心しなかった。日本製の輸出品はよく出来ているが、走りは今ひとつだった。「モータが良くない」と、アメリカ製のモータに取り替える人が多く、歯車装置ごと取り替える人も居た。それらはとても良く走った。
 帰国後、祖父江氏と知り合って、動力改造で協力することが出来た。アイデアが形になるのは楽しく、様々な工夫を実現したが、3条ウォームに敵うものは無かった。Model Railroaderに発表したら、世界中から問い合わせが来た、という話をしたら、
「そりゃ当然だ。大発明だからね。しかも、貴方のには反トルク承けが簡単な方法で付けてあるが、こういうものも付けてない模型が大半なのだよ。有名な模型人が作ったものでも、合格点が与えられないんだ。力学の基礎なんだが、模型には関係ないと思っているのだろうね。そんな模型を雑誌に載せてしまうというのが、根本的に間違っている正しい鉄道模型というものを広めるべきだったのだよ。」
と述べた。

 モータを開放するクラッチの話題も出た。
「あれは駄目。1輛しかなくて、手で押すなら良いけどね。編成では事故の元以外の何物でもない。だいたいね、下り坂でどうするの?レイアウトで走らせたことのない人の発想だね。」
ということだった。当時は軸受にボールベアリングを入れる人は居ず、摩擦が多い時代だったが、さすがは電鉄会社の技術屋であって、見抜いていた。
「3条ウォームは押せばモータが廻るし、それで発電してもう1輛が動くところが素晴らしい。」
と、奥さんを呼びに行って見せていた。 

 筆者の電流制御のコントローラも持って行ったので、それを使った運転は、合葉氏の知的好奇心をいたく刺激したようだ。
「貴方の発想は素晴しい。鉄道模型界のノーベル賞だ。」と激賞された。 

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2021年07月03日

合葉博治氏の記事

 TMSの100号あたりの記事を見ると、様々な試行錯誤が載っていて楽しい。あまり良いモータが無かった時代で、歯車も良くない。車輪はブラスの地肌で、車軸も軸受も同じ材料を使っている。フランジの先端は曲線でレイルに当たっている。車軸も太い。これではろくな走りは期待できない。

 合葉氏と初めて会ったのは1985年である。筆者の3条ウォームの開発記事を見て、興奮して電話を掛けていらした。呼び出されてお宅に伺った。機関車 2輛と線路10メートルほどとポイント1台を持って行った。廊下に敷いた線路を機関車が往復した。その時の合葉氏の興奮状態は、動画に撮ってあれば、Youtube で100万回の視聴が望めるほどだった。
「これだよ!これでなくっちゃ。」
と、惰行するのを楽しんだ。全軸ボールベアリング装荷のOゲージ蒸気機関車を見るのは初めてのようだった。しかも三条ウォームで軽く押せて、発電によって前照燈が点く。合葉氏は子供のように何十回も押して、楽しんだ。先台車の復元装置が本当に作動するのを確かめ、テンダの重さと摩擦の少なさを確認した。

New O gauge「昔ね、”New O gauge" というのを提唱したんだ。ほとんど反響がなくってね、10人くらいの人が賛同を表明したが、それっきりになった。Oゲージにはそれ以下の模型とは異なる魅力があるんだけど、走らせる線路の確保が大変ということがあるからね。」
 と切り出した。(写真はTMS97号1956年6月号の記事である) 

「良い線路、良い車輪、良いギヤ、良いモータ、良い軸受の5つが揃えば、怖いもの無しだったのだ。今のHOに、果たして、それがあるだろうか?無いんだよね。それじゃHOの魅力って何だろう。狭い場所でも走らせられる?HOでも自宅のレイアウトで走らせている人なんて、ほとんど居ないよ。それならOゲージのほうが良い。Oゲージの大きさ、質量は、鉄道模型の最大の魅力だよね。HO以下では、逆立ちしたって、できゃしないんだからね。」
と、大きさの効果(2乗3乗則)をまくし立てた。
「原さんのはスパーギヤでよく走るけど、工夫がない。貴方のは直角伝導で、より実用的だ。こちらのほうが良い。」と言った。

「今まで誰もできなかった。でも貴方はやった。将来語り継がれるエポックメーカだ。」
と、お褒めの言葉を戴いた。


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2021年06月05日

続 昭和20年代初頭の同人誌

 他の同人誌を見ていこう。

Osaka これは大阪鉄道同好会が発行していた「快速度」である。編集者は佐々 武氏であったり、前田一夫氏であったりする。汽車会社の寮が住所になっていたことがある。新しく作られたC62の情報が、異常に詳しく載っている。どのD52から作られたかなど、普通には分かりにくいことを詳報している。


Tsujisaka 辻阪信一郎氏のComet Roadである。これはどちらかと言うと模型を中心にしている。辻阪氏は当時三重県津市に住んでいたようだ。Sゲージを始めている。当初から、椙山氏とは親交があり、椙山氏の祝辞を兼ねたかなりの長文が掲載されている。
 辻阪氏は後に、筆者の仮住まいのすぐ近くに住まれたので、親しくお付き合いしていたが、こんな同人誌を発行していたとは知らなかった。腕の立つ鉄道模型人であった。

Kita 富山の北氏が松本正二氏を訪ねたときの様子が書かれている。この時代はまだ 35 mmゲージがあったのだ。  

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2021年06月03日

昭和20年代初頭の同人誌

 椙山氏の書庫の整理をK氏と行った。

 古い海外の雑誌を約100 kg運び出した。それらの大半はすでにあるので、保存状態の良い方を博物館で並べ、良くない方は書庫に収めた。日本の雑誌の大半はすでにあり、残りは防カビ処理をして気密箱に入れた。
 
 ボロボロのファイルが見つかった。その場では判読が難しいものばかりだったが、自宅に持ち帰って明るい光の下で拡大鏡で見ると、昭和21年あたりからの、全国各地の同人誌であった。TMSの発刊前の時代に、実物、鉄道模型に関する同人誌が、全国各地でこんなにたくさんあったことなど、現代の誰も知らないことであろう。

ShiraiToyama 発行者は著名人が多く、名鉄出身で大井川鐵道副社長だった白井 昭氏、富山の北龍一氏らが、それぞれ自ら編集して発送している事がわかった。白井氏、北氏には直接お目にかかった事もあったが、このようなことは一切お話にならなかった。白井氏は、最近このブログによく登場する伊藤禮太郎氏(国鉄)とは同級生であり、伊藤氏は印刷を担当したとある。また、白井氏は伊藤剛氏の後輩で、親しかった。東京モノレールは白井氏が中心になって作られた。

Shirai2 貴重な原稿がたくさんあり、これを保存し、部分的には公開したいが、紙、インクの劣化が甚だしく、かなり難儀しそうだ。白井氏はご存命であるので、許可を得ることも可能だろう。また、このアーカイブに入れて戴くことも考えている。 

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2021年05月22日

EF58の再生計画

Nickel Plated 動輪のめっきが出来た。厚い硬質ニッケルめっきだから、スティール製のレイルの上を走っても、そう簡単には剥げることはない。台枠をどうやって作るかを思案中だ。
 オリジナルのダイキャスト製軸箱は、一つも使えるものがなかった。ブラスのロストワックス鋳物に取り替える。Φ3の穴を座ぐってΦ5にし、内径 2 mmのボールベアリングを入れる。機関車であるからΦ2が限度で、細いジャーナルでは折れてしまうだろう。

 板バネは、新たにリン青銅の板から切り出す準備が整った。イコライザは正しく動くように作り直す。リンクは作り直すべきか、調べている。バネ座を正確に作らないとバネが水平にならない。できる限り機械加工して、精度を高めることにする。

 先台車上部のフレイムは、剛性を高めた設計にする。主台枠同士は連結棒で結び、ボディには引張力が掛からないようにする。すなわち、主台枠が回転すると、片方のデッキ部分が、少し中心に引き込まれることになる。
 片方の台車のセンタピン穴は長穴にする。そうしておかないと車体が引き伸ばされたり、押し込まれたりして疲労し、ハンダが外れる。列車を加減速するときの衝撃は小さくない。

 先台車は3Dプリントにする。現在のものはあまりにも出来が悪いので、直すのは断念した 。非金属製であれば、ショートから逃れられるし、梯子に当たっても問題ない。梯子はハネ上げ式にする。
 車体には床板を付けるが、ひねりが効くような構造にするアイデアがある。床上に両軸モータを取り付けて、全軸連動させる。軽いが強力な機関車になるだろう。 

 この座グリドリルはあと数本残っているので、御希望の方はコメントを通じてお知らせ願う。コメント本文にメイルアドレスを書かれたい。  

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2021年05月20日

続 EF58の分解

EF58 lead weights 台車が外れたので、次は車内だ。ウェイトを取り付けている帯金を外した。その状態で車体を掴むと、凹みそうである。ウェイトは一つ 1.5 kgもある。これが各3本の 3 mmネジで車体に付いている。というよりもウェイトに車体がついていると言ったほうが正しいだろう。鉛だけで 3 kgもあるのだ。起動電流が 5 Aを超えるのも無理はない。 

 重いけれども堅いウェイトが車体に密着しているので、車体を握っても凹まない。ウェイトが構造部材となっているわけだ。これはなかなか良い方法かもしれない。ウェイトの角の凹みは、テイルライトを避けたものだ。稲葉氏は木で型を作って鉛を流し込んでいる。ウェイトの側面が直立しているのが素晴らしい。普通は上の方がすぼまってしまう。おそらく、それを経験して鋳型を上広がりにしたのであろう。鋳放しではなく、少しヤスリを掛けて、平面を出したようだ。
 3面(運転台面と左右)は暗い青に塗ってある。車内色はこの色だったのだろう。モータに当たるところはタガネで彫ってある。

 こんな重い機関車なので、ウォームは磨り減り、歯型が変形している。もう少しで丸坊主だ。鋼製のウォームを用いると同時に、ギヤボックスに入れてあれば、グリースが保たれてもう少し長持ちしたであろう。同時代に祖父江氏が作って輸出した機関車は、そうなっている。それに比べるのも酷だが、この機関車の設計者は工学的な知識がほとんど無いことが明白だ。

 とりあえず下廻りの塗料を剥がして、工法を考える。先台車の台枠は、ソリッドのT字型のものを作って銀ハンダで付けることにする。先台車で一点、台車側枠で二点の三点支持が2つできるわけだ。車体が柔かければ、側受を付けて四点支持で良いが、堅いのならば弾性支持にする。機関車の質量は1.5 kgにする。軽いから壊れにくくなる。


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2021年05月18日

EF58の分解

 EF58の分解に取り掛かった。とにかく重い。5 kg以上だ。作業台にひっくり返して置くと、パンタグラフはもちろん、屋根上のモニタが潰れる可能性がある。車体は厚さ0.4mmである。本物のようにふにゃふにゃだ。

EF58 trucks (3) 横向きに置いてネジを20本ほど抜くと台車が外れた。ACモータが集電ブラシから直接配線されている。界磁のポラライズはしていない。ということは、前進のみで後退できない。おそらく、電流が大き過ぎてセレン整流器が入れられなかったのだろう。特急用であれば、それで良かったのかもしれない。台車からモータ、車輪、ギヤをひとまとめで引き抜く。

 台車の構造は全く感心しない。本物の構造を知らない人が設計している。梁に相当する部分の剛性が全く足らない。重い車体が載っているのだから、かなり無理をしていて、台車ボルスタはすでに曲がっている。

EF58 trucks (1) 2つの台車も結合していないから、牽引力は車体を介していることになる。(HO以下の模型ではそれが普通だ。)
 デッキ部分の骨は、主台枠に強固に結合していなければならないのに、上下にフラフラしている。側枠の連結器に近い方の表面にはたくさんのネジが有る。そのネジが何のためなのかを考えれば、こんなひどい設計はしない。本物はここが鋳鋼でできていて、相当の厚さがあるのだ。ところが、1 mmの板にデッキの台枠が 2 mmネジ2本で留まっているだけであるから、バネのように上下に振れるのは当然だ。写真の手前を見ると、その部分が撓むのを見越して逆反りにしているのがわかる。これではだめだ。

axle box 全体を作り替える予定であったが、側枠が意外と良い出来で、残すことにした。軸箱のダイキャストは膨れて動かない。ペンチではさむと粉砕された。ブラスのロストワックス鋳物があるから、それと振り替える。数えたら11個しかないので、一つは自作し、速度計部分とすることにした。板バネは作り替える。例のシァはそのために購入したのだ。 

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2021年05月16日

四日市のクラブ

O scale (1)O scale (2) 当時Oゲージのスケールモデルは人気があり、運転会では各種の模型が走っていた。この2枚の写真は1956年8月26日の四日市工業高校での催しである。橋(伊藤禮太郎氏製作・東海道本線揖斐川橋梁)もある大規模なレイアウト(稲葉氏設計)であり、C53(益田 昌氏作)が走っているのが見える。益田氏はTTゲージを広めようとされた方だ。TMS111号に記事がある。  

 この時期のNMRC名古屋模型鉄道クラブやYRFC四日市レールファンクラブの会報を読むと、その熱気が伝わってくる。この2つのクラブは姉妹クラブで、記事原稿のやり取りをしていた。
 特に椙山氏の文章は、創作意欲を湧き立たせる、リズム感のある筆致で素晴らしい。それに答えて伊藤剛氏の軽妙な、かつ工学的な素養を含む記事が毎月発表されていた。当時のTMSを比較して読むと、4分の1近くが、この2つのクラブの会報に端を発した記事であることがわかる。

慶応三田会レイアウトOct.18,1955 YRFCの機関紙には、慶応の鉄道研究部 文蔵正弘氏からの投稿もある。先のC53を含めてかなり長い記事だ。  
 1955年10月18日三田祭におけるレイアウト(図参照)で、稲葉氏のC62、EF58による特急編成、益田氏のC53による戦前の特急編成、生川氏のモハ42編成の併走の様子などが書かれている。
 電流の事も書いてあり、C62は 2 A、EF58は 5 Aとある。C53はDCモータが2個付いているとも書いてあり、電流は 1〜2 Aだそうだ。セレンは中古の3Aで、パンクを恐れて1輛ずつ運転していたが、しまいには2列車走らせても壊れなかったとある。 
 またC53は、最初は4輛しか牽かなかったが、当たりがつくと調子が良くなって7輛牽き、騒音も小さくなった。後半には電車顔負けの猛スピードで走ったとある。精度の無い歯車しかなかった時代なのだ。 

 この時代の記事を読むと分かるのは、誰もがよく走る模型を目指していたことだ。外観にこだわる人は少数であった。


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2021年05月14日

続 稲葉氏の言葉

 稲葉氏は、HOには手を染めなかったらしい。Oゲージの時代が過ぎると、模型はやめてしまわれたようだ。筆者が初めて会ったのは1960年代後半で、筆者の作ったOゲージのコンソリをご覧になって、細かい批評を激励と共に戴いた。

 そのコンソリは手に入れた動輪径から計算して図面を描いて作った自由形でアメリカ型であった。椙山氏のところで見せて戴いた本の写真と図面から作った。動輪は3点支持のイコライザ懸架で先輪は復元を利かせていた。九割方出来たところで放置されていたが、引越しの際に派手に壊してしまい、処分した。板が薄くて、剛性がなかったからだ。その後の筆者が作る模型は、厚い板で構成し、十分な剛性を持たせるようになった。探せば動輪だけは見つかるはずだ。動輪やロッドは銀メッキをしたので、後には真っ黒になってしまった。銀は錆びやすいのだ。

 その時稲葉氏は、
「おや、まだOゲージの新作を見ることができるとは思わなかったな。これはいい形をしているね。椙山先生に見せたかい?彼の好きな形だ。」
と褒めてくれ、さらにこう述べた。 
「Oゲージは、模型として正しい大きさだと思う。大きさ、重さが良いのだ。Oゲージが斜陽化したのはメーカの努力が足りなかったからだ。良い製品、パーツを出してくれれば、我々も作リ続けたのだ。最近はHOが盛んになっているが、それは部屋が狭いからという制約だけから来ている。その大きさが素晴らしいというわけではないんだ。大きな部屋があれば問題はない。田舎なら土地はふんだんにある。君たちが頑張って、いつの日か再興してほしい。」

 それについては、椙山氏も同じことをおっしゃった。
「Oゲージはすばらしい模型の大きさなのですけど、今や子供の玩具(三線式)に成り下がってしまいましたね。Oゲージでスケールの車輛を作ろう、走らせようとしても、キットや部品がなくなってしまったのです。もっと素晴らしいものを提供してくれれば、我々はOゲージのままでいただろうと思いますよ。」

 その後も稲葉氏とは、椙山邸で何度もお会いしているが、模型は作っていないとのことだった。   
 その後、数十年が経った。稲葉氏の作品が走る日が近づいてきた。


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2021年05月12日

稲葉氏の言葉

 稲葉氏の写真は意外と少ない。K氏のアルバムを見せて戴いたが、数枚しかない。それを複写させてもらった。

Mr.Inaba (3) この写真は1951年撮影だそうだ。左端の人が稲葉氏だ。一人おいてK氏、下の左端が椙山満氏である。右端は、東京藝大のピアノ科の先生になられたKb氏である。昨年お会いした。とてもお元気であった。博物館にいらっしゃるであろう。

Mr.Inaba (2) 稲葉氏はK氏を誘ってサイクリングによく出かけたそうで、その一コマである。遠く、熊野の方まで遠征したという。



Mr.Inaba (1) この写真は四日市のクラブでは伝説となっていた有名な場面である。日永のジュニア模型店の座敷で、Oゲージの運転会をした後、
「次回からは2線式でないと走らせない
と宣言し、中央三線式の中央線(既にこの時は銅線になっていた)を引きはがしている様子である。引きはがしている本人が稲葉氏である。後ろは伊藤禮太郎氏だ。撮影は椙山氏である。

 高校の大先輩である稲葉氏とは、よくお話をさせて戴いた。               

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2021年05月10日

スシ37

Mr.Inaba's (1) もう一つの3軸台車を履いた客車は、この食堂車である。厨房付近は壁を作って見通しをなくした。石炭レンジの煙突が出ている。
 窓ガラスは全て本物のガラス板であり、稲葉氏自身がガラス切りで切っている。それを角棒で作った溝に落とし込んで、セメダインCで接着してある。徐々に接着剤の劣化が進み、はがれてきたものがある。ガラスを外し、窓枠を削って段をなくし、洗ったガラス板を嵌め込んだ。接着はもちろんスーパーXである。こうすれば二度と外れることが無い。

 幸か不幸か、この食堂車の窓ガラスはまだ外れていない。窓掃除が行き届いていないのはお恥ずかしい限りだ。外さなくても綿棒とマイクロブラシできれいにできることが分かったので、就役時までには綺麗になるだろう。

 整備の終わった3軸台車の性能はすこぶる良く、ナイロン製台車と優劣が付けがたい。もちろん後者は軽負荷(軸重100 gw程度)の時である。重い車輛であれば、ボールベアリング装荷の勝ちである。 

 床下にはカビが生えているものが2輛あったので、次亜塩素酸ナトリウム水溶液をブラシで塗って、直ちに水洗いした。カビ止め塗料を塗る必要があるかもしれない。 

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2021年05月08日

優等客車群

hand lettered3hand lettered2o-yu (1)o-yu (2)




 稲葉氏の作られた車輛の残りを受け取って来た。スユニ、スロ、カシ、マイロネフ、マイネ、スロネなどである。すべての文字が手書きである。字体が美しい。
 改造してLow-D化する。また3Dで台車を作らねばならない。車輪の在庫がかなりの勢いで減った。

ma-i-nesu-ro-ne 博物館にある客車関係の本と、当時の雑誌(初期の鉄道ピクトリアル)をくまなく見ている。作られた時代が分かると、ありうる編成も少しずつ読めて来た。星晃氏の著作を読むと、当時の工夫も理解できる。戦後の連合軍による接収が解けた頃の話だ。いのうえ・こーいち氏の本も面白い。客車の連結方向もある程度判って来た。稲葉氏宅の蔵に入れてもらって、当時の製作日記などを拝見できれば確実なのだが、それがすぐ見つかるかはわからない。

 この優等客車群は、東海道のいわゆる名士列車を編成していたのではないかと推測する。特急「かもめ」のテイルサイン(いわゆるアンドン)も出てきた。山陽線の2・3等特急だが、その編成用ではない。

 3軸台車の改良も終わり、連結器の破損も修理した。床下器具の更新も進み、多少見られるようになってきた。運転用であるから、細かい細工はしないことにしている。横から見て美しく、滑らかな運転ができればそれでよい。 

Mr.Inaba's (2) マイロネフ38を作るつもりだったが、スイロネフ37の完成品が来てしまった。TR73の新たな行き先を考えねばならない。こうなったら、新規に展望車を作る、というのも一案である。

「はと」編成は、貨物列車の最後尾につけて試運転している。非常に調子良く走り、脱線しないが、毎日連結器がぽろぽろと割れる。本物のようにナックルが欠ける。連結器は、ナイロンで3Dプリントするのが賢明だろう。 

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2021年05月06日

続 C62

C6229C6229 (1) この機関車をK氏宅で棚から降ろす時、左手首を捻挫しそうになった。それほど重いのである。
 一瞬目を疑うような状態だ。ここまで重くしないと、12輌牽けなかったのだ。この機関車のボイラ内は全て鉛で埋め尽くされているのは当然であるが、シリンダブロック、主台枠下も全て鉛の塊を後付けしている。横から見えているが、なりふり構わず、補重しているのだ。機関車だけで6 kg以上ある。 
 

 当時の客車の車輪は Φ3 のブラス製ジャーナルで、ブラス製軸箱である。いくら注油しても摩擦は大きい。せめて鋼製の Φ2 にしていれば、かなり違ったであろう。そのころ、メルクリンでは熱処理した鋼製のΦ1 を使っていた。それを使えば、ずいぶん違った走りを示したに違いない。

 このC62のロッド、クランクピンは、外れそうになるくらい磨り減っている。また、軸はガタガタで、すでに限界に来ている。タイヤを含めて動輪はブラス製であるから、かなり磨り減って、フランジは薄くなり、また相対的に高くなってしまっている。

 下廻りは全て新製する。部品は揃えた。主台枠を作り直すのにレーザを使うか、切削で作るかは悩むところだ。主台枠を一体で3Dプリントする、というアイデアも来ている。可能な範囲にあるそうだ。
 動輪は鋼製タイヤの高級品があるから、気楽な工作である。

C6229 (2) 前方の連結器はダイキャスト製であったが、座もろとも粉になっていた。取付穴に合うように板金工作して、仮の連結器を付けた。いずれエンドビームごと更新されるので、まじめに作ってはいない。 
 
 このOゲージの機関車は走行を目的とし、余り細かく飾り付けないようにするが、走行性能は最高にする。サウンドと煙が出れば文句あるまい。  

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2021年05月04日

C62

 四日市のK氏に会って、最近の博物館の事情を説明した。預かっている車輛の台車車輪を換装したら、14輌でも軽く牽けるという話をした。 「はと」編成の写真を見せたところ、大変興奮し、撮影に来るとのことだ。
「これが走れば大したものだ。すごいね。昔の四日市のクラブ仲間を誘って見に行くよ。」
とは言うものの、最後に走ったのは60年前である。

C62 by Mr.Inaba「うちで預かっているC62も作り直して貰えば、牽くよね。」と、C62の改造も引き受けてしまった。この機関車のダイキャストの部品は全て崩れ、かなりひどい状態である。後述するが、この機関車は極端に重い。

TR73 disassembled 同時に、稲葉氏製作の優等客車群も預かって来た。これらの客車は何の編成のものかは、まだ調査中である。3軸台車を付けたのが2輌あるので、また台車の改造をせねばならない。これは意外と大変な作業である。
 驚いたことにスイロネフ37が含まれていた。進駐軍に白帯を取られて、黄帯の一等車である。マイネもあって、それにはJNRと書いてある。外国人旅行者用だ。


 このC62は酒井喜房氏の設計で、設計番号A‐1である。縮尺は1/43だ。この縮尺でないと、クロスヘッド裏がサイドロッドに当たってしまう。この計算は酒井氏が「模型鉄道」誌に発表している。
 当然のことながら、この機関車は大きい。その昔、Oゲージ 1/45を採用しようと呼びかけた湯山一郎氏は、1/43が大きいとの指摘に対し、
「機関車は大きい方が立派に見えます。」
などと、怪しいことを言っていた。確かに、アメリカの機関車は客車よりはるかに大きい。日本は客車がかなり大きいので、丸屋根の客車(3等寝台など)と並べると見劣りがしたのは否定できない。

 これをOJに作り替えたものを見たことがあるが、それはかなり奇妙な様子を示す。相対的に軌間が異常に狭く見えるのだ。

 のちに1985年ごろ、KTMはOJのC62を発売した。1/45で、これは祖父江氏の設計だ。その機関車はC6217を模型化したものである。実は、名古屋の東山公園の植物園に置いてあったのを、筆者が正式な許可を得て、機関車屋根上に登って 詳細な写真を撮影したものから作られている。現在、その機関車はJR東海のリニア・鉄道館にある。 

(カツミの番号の付け方はOゲージをAとし、HOゲージをBとした。ちなみにA-2はこだま号である。) 

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2020年08月03日

続々 特急”はと”編成を預かる

  他にC62も持って来ねばならないし、優等客車もあと何輌かある。Oゲージのままで走行性能を極限まで上げて、博物館のレイアウトを疾走させるのも面白い。そうなれば客車ヤードに入れておいて、リクエストがあれば走らせるという形になるだろう。Oゲージの旧製品は下廻りと動力機構を全て入れ替える必要があり、その工事を待たねば、線路には載せられない。バネが無いものは集電が悪く、スパークでレイルに傷がつく。当博物館のレイルがきれいなのは、それが無いからである。客車であっても電球では電流が大きく、台車が固定軸だとスパークが出て、すぐに車輪が傷だらけになる。と同時にレイルも傷むわけだ。
 現在博物館のレイアウトを走っているUP4-8-4と10輌編成の急行列車は、LED照明で登り坂でも0.7 Aで走る。この程度の効率を実現するのは可能である。

 下廻りはすべて新製する予定だ。台枠はレーザで切り抜き、動輪は鉄タイヤの新品にする。
 筆者は国鉄型の知識が少ないので勉強中であって、いろいろな方からご指導を戴いている。

 最近、いろいろな方から寄贈の相談がある。應迎寺の話は現実のものとなりそうな気配である。どなたもおっしゃることは同じである。
「家に置いておくと、自分が死んだときに捨てられてしまう。頼むよ。」

 今のところ、ワンフロアが完全に空いているので、そこに順に置いて、内容物を示す紙を貼っている。スペイスはかなりあるから、当分は全く問題ない。ガラス棚もいくつか新しいものが入ったので、代表作は展示している。


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2020年07月30日

特急”はと”編成を預かる

椙山氏のレイアウト移設に関連して、稲葉元孝氏の遺品の客車群をお預かりすることになった。国鉄型車輌は初めて入線する。
 K氏から、「お宅しか、お願いするところがない。」と電話があったので、受け取って来た。緩衝材入りの箱であって、さすがに20メートル車を20輌と機関車1輌を運ぶのは大変な作業だ。乗用車の車内、トランクにぎっしりだった。

JNR passenger cars (3) Oゲージのフル・スケールモデルの列車を見ることは、稀である。窓はすべてガラス板で、意外と重い物である。一部の接着剤の剥がれは、修正が必要であるが、可能な範囲にある。室内側から、粘度の低いエポキシ樹脂を少量流し込んでみる。浸み込ませて、剥がれを押さえるつもりだ。この方法は旧い貨車の修復に使ったことがある。
 床下器具の補修は3Dプリントの出番だろう。一部の車輌には室内が完備されている。驚いたのは屋根板の内側が丸ノミで彫ってあり、天井が丸いことである。デッキ部分、トイレなどの仕切りも正確に再現されている。床板が簡単に外れないように、4つの留め金がある

 展示してあったものは、埃をかぶっているのできれいに掃除し、屋根だけは艶消し塗料を再度塗ってやれば、修復できるだろう。

JNR passenger cars (1)JNR passenger cars (2) 稲葉氏は、地元では教科書に載っている偉人の孫であった。高校の大先輩でもあり、椙山氏と共にご指導戴いた方である。
 東京の大学に行っていたので、帰省時にはカツミの製品・部品を大量に担いで帰ってもらったと、椙山氏には聞いた。毎回の往復時に乗った列車をくまなく記録した写真帳、メモ帳を拝見したことがある。非常に几帳面な方で、細かい字とスケッチがぎっしりと書き込まれていた。


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2020年07月08日

古い車輪を再利用する

 3線式の時代の車輪はかなり捨てたが、まだいくつかある。厚みがあるのでこれを削ったら、OJ用のスポーク車輪になるかもしれないと思い付いた。19 mmのサンプルで試してみる。
 
19mm wheel on collet (1)19mm wheel on collet (2) ネジは旧JISのM4で、ピッチが0.75 mmだ(現在の並目ピッチは0.7 mmである)。筋の良い車軸を選んでヤトイとする。車輪裏の根元がきちんと平面になっていないと振れが生じるので、まずそこを削り、フランジ内側を削り落とす。これでよいかと思ったが、多少の振れがある。昔の製品の精度はこんなものだ。この方法では、最初に根元を削った部分が垂直であるとは限らないからだ(大きなコレットでタイヤを掴むのが良いことが分かった)。ヤトイから外して、前後嵌め替え、今度は表面を厚さ 3.5 mmになるように削った。

 タイヤ厚み(法線方向)が1 mmだから、輪心径17.0 mmのものと、それから絶縁材の厚み×2を引いたもの、の2種を削り出すのだ。

 
 ネジ込み車輪というものは根本的に「振れ」からの脱却は困難である
筆者が圧入にこだわるのはそこである。
 この工場で作ったネジ込み車輪のネジの精度には誰しも驚く。ぎゅっとは締まらない。こつんと締まる。ガタが、事実上ないネジを作ってくれるのだ。だからLow-Dにもネジ込み車輪が登場したのである。最初はすべて圧入だった。


 タイヤはステンレスだから伸びやすい。無茶に締めると、径が左右で異なることになる。定盤の上でエポキシ接着剤を塗ってそろりと嵌めることにしよう。

19mm wheel centers (1)19mm wheel centers (2) 軸はバックゲージが21.5 mmのものを作る。今どきM4-P0.75と聞いたら、工場の人は驚くはずだ。久しく作っていないだろう。 
 当時の製品はネジがガタガタで、心が出にくい。
 
 今回の発表で、細かいものを少し作ってくれと言ってくる人があるが、そういうものは請けられない。この工場は量産工場である。極めて精度の高いものを大量に作る技術を金に換えているのである。こちらで用意した仕様以外のものは、相当数の注文がないと動き出せない。

 タイヤだけを作っておけば、いろいろな使い方が見つかるだろう。昔は旋盤工作ができないと加工は無理だったが、今回はそのまま嵌めるだけというものもできるかもしれない。ある人は、車輪内にボールベアリングを仕込んではどうか、というアイデアもある。左右自由回転になる。出来ないことはないだろうが、ガタがあるので、複列にして多少の予圧を掛ける必要がある。かなり面倒な構造だ。ガタを見越して使うのなら簡単だが、Oスケールでは避けたい。 

 見かけだけはよくできた車輛を見せてもらうことがあるが、車輪が振れていると、思わず天を仰いでしまう。優れた走りには、どうしてもこだわりたい。


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2020年06月28日

続 ”ある鉄道模型人”

 この第2弾の取材は、転車台の動きを見せてくれ、と頼まれて始まった。機構部分の動きはアメリカで発表して、その動画をまだ日本では発表していなかったので、良いチャンスであった。高性能なカメラでの撮影は意味があると思ったからだ。

 全体を俯瞰する動画は、早回しで再現している。これは面白い。カメラを機関車で押す貨車に載せている場面も、説明図を付けてもらったのでわかりやすくなった。

 K氏宅のビデオ鑑賞室(田舎の映画館ほどの大きさ)で、編集するのに立ち会ったが、まだ一つ直っていなかったところがあった。5分30秒あたりの「差動」装置は、「鎖錠」装置が正しい。
 アメリカで評判の良かった場面も入れてもらったが、その部分は筆者の撮影なので画質が低い。1分45秒辺りからの押して動く機関車の場面である。この部分はアメリカの発表では観客が立ち上がって拍手してくれた。K氏も「これはすごい。誰も信じられないだろうな。」と言った。

 K氏はこの地方では有名なビデオ作家であり、撮影の角度選びはなるほどと思わせるものがある。普段自分では見ていない視点からの動画は面白い。中で登場するI氏は凄腕シリーズの1回目の人であった。彼も、無断放映で驚いたと言っていた。

 第1弾をUPした人(テレビ会社の人らしい)と同一人物がUPしたのだが、その文字が変わっていたので、全然気が付かなかった。発表されて2月以上経つのに、見に来た人は50人だ。

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2020年06月26日

”ある鉄道模型人”

 またも知らないうちに動画がUPされていた。と言っても、今回はある程度は予測していた。

 前回は「凄腕」という題で発表されたもので、これは完全な無断放映であった。事実と異なる説明があったので文句を言ったが、それなりによく出来た動画で、もういいかという感じである。
 この撮影時は、旧知のK氏が見せてくれというので案内した。この地方では有名な ビデオ作家である。現在86歳であるが、極めてお元気な方である。経営している会社の仕事もされている。かれこれ50年のお付き合いのある鉄道趣味人だ。遠方まで取材に行くのに、交代運転手として乗って行ったこともある。

 ビデオ仲間での発表に使うのだと承知していたが、突然、ケーブルテレビで放映されていると高校時代の友人から電話があった。当家にはテレビが無いので確認する術がなかった。ちょっとひどい話である。
 後でそのDVDを貰った。間違いはたくさんあるが、すぐに消えてしまうものなので良いかと思っていた。ところが忘れた頃に、「Youtubeで放映されている」と、また友人から連絡があった。 さすがにこれには驚いたが、画像が良いので、それはそれでよいかと思っていた。見る人も居ないだろうと高をくくっていたが、随分見に来ていて驚いた。


 新しい動画がupされていた。と言っても、これはありうると思っていた。2回目の取材の折には、編集に立ち会うのを条件としたからだ。編集には2回参加し、間違いがないようにした。こちらから持って行った動画も挿入した。ケーブルテレビの放映があったが、これも当家では見ることができなかった。その後のYoutubeへのupもなさそうだと安心していたのだが、別の名前でupされていることに気が付いたのは、先々週である。


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2020年04月11日

続 コンテストの結果

 肺炎騒ぎで、原氏の博物館は閉鎖されている。本来なら、4月4日〜4月末まで展示され、その後は返却されるはずであった。それを取りに行って、その足で友人たちに見せ、家に持って帰るはずであったが、延期になってしまった。表彰式は9月にするそうだ。

 本来は5月に渡米し、コンテストにエントリィの予定であったが、それは不可能になった。もっとも、向こうも大変な騒ぎで、そのコンテストも取りやめになっているはずだから、実害はなくなった。しかし、機関車は早く手元に戻したい。少し手を加えて、より静かにしたいからだ。
 以前にも書いたように、テンダの4軸側の動力ピックアップによって発生するトルクが、チェインの許容張力の限界に近いので、急加減速時に少し音がするからだ。2丁掛けにすればかなり静かになる。定速走行時には殆ど気にならない程度の音である。

 筆者の友人たちは、機関車が帰って来るのを待っている。目の前でスリップさせて見たいのである。動画では満足していない。運転させてくれという人も多い。
 慣性が大きいので、運転はかなり難しい。慣れるまで時間が掛かるだろう。

 もう一輌作ってみたい。テンダが大きく、四角い Santa Feの6輪台車のテンダが良さそうだ。パシフィックなので、スリップは 容易だ。ただ、ギヤボックスが横から見えにくいとは言えないので、少々問題である。そういう点では、このセンティピード・テンダはとても好都合であった。

 審査風景の写真が差し替えられている。テンダをわしづかみの写真が消えてしまった。どうして消すのだろう。やったことは仕方がない。壊れなかったようで、問題は生じなかったのだ。消したことで、余計問題が大きくなるのではないか。


 驚くほど大量のコメントを戴いた。放送禁止用語の入っているものは掲載できない。すべてが選考の基準等に関するものであった。落としたのを見たというのも複数ある。そういうところであれば、無事に返してくれるよう祈るしかない。

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2019年12月13日

aftercooler

aftercooler しばらく前に作った部品が出て来た。Challenger用に作った部品だ。空気圧縮機で作った高圧の空気が熱いので、これを通して冷やす。日本では単なる蛇管であるが、この機関車は大きな圧縮機が2台もあるので、このフィン付き放熱管を通して冷やす。後ろに置いてあるshield(盾)の背後に置かれる。ゴミやほこりが付くのを避けるためである。

 本物によじ登ってみるチャンスがあったので、写真を撮って寸法を測り、その通りに作った。配管は実物通りで、縦横にU字型のパイプを付けた。 これだけ見るとなかなか良い。ただし、機関車に取り付けるとほとんど見えなくなる。

 チャレンジャではヘッドライトの下になって、ますます見えなくなるが、今製作中の機関車なら多少見えるので、これに付けることにしたのだ。

cab interior (1)cab interior (2) 運転室の内装もある程度作った。凝っても仕方が無いが、窓から見える部分は作った。35年前に作った 4-8-4 にはキャブの吊りボルトまで入れた。今回は oil burnerだから、焚口戸は簡易型である。この写真はしばらく前のもので、現在はもうすこし実感的になっている。ブレーキ・スタンドが大き過ぎるので切縮めたり、スロットルとか砂撒き装置、その他を追加した。どの部品も完全にハンダを廻してある。絶対に外れることが無い。まだ洗ってない状態で写した。黒いものは炭素のかけらである。

 洗口栓を付けるがミソである。それらしい部品を7つ作ってつける。ロストワックス鋳物は、似たものを探して切り継いで作る。すなわち、あまりまじめに考えないようにしている。 それらしく出来ていれば良いのだ。ただし、正しい位置になければならない。locomotive  cyclopedia は毎日ひっくり返して見ている。

 今回はメカニズムが主体で、外観は添え物である。シリンダブロックはブラスで作ったが、いずれ3Dプリンタで作り直す。あまりにもややこしい形で、ブラスでは作り切れない。

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2019年10月03日

台車各種

 Walthers, Lobaugh, 3Dプリンティングの台車を比較してみる。

4-wheel Pullman 4輪台車である。これらが同じ台車とは信じがたい。
 左のダイキャスト製はバネが抜けてない。これを抜いたところで形が悪すぎるので、40年以上放置である。車輪だけLow-Dにしている。背が高い。
 中のLobaughは形が良い。バネを切り抜いて適当なコイルバネを接着してある。実感的だと評判であったが、やや小さい。
 右は今回の台車だ。図面通りだ。

 こうしてみると、ボルスタ高さ、軸距離など思いのほか、異なっている。

6-wheel Pullman 6輪台車である。左の二つはコイルバネが抜けていない。切り抜いたものもあるが、いまひとつである。
 今回の台車はブレーキシュウもついているし、しかもそれがタイヤ踏面の位置にある。ナイロンだからこそできることだ。絶縁材料は助かる。

 造形的にはLobaughのものが良い。凹凸の深さも適当で、黒く塗ると十分に気分が出る。しかし、抵抗が大きく、ショートする。

 今回の試作で、いろいろな改良点が分かったので、次期量産品は素晴らしいものとなるだろう。アメリカに送って評判を聞いてみる。

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2019年05月15日

線路、輪軸ゲージ

 ゲージ論が喧しい。筆者は傍観者に過ぎないのだが、当事者だと思っている人が多いらしい。ゲージ論はHO関連で発生していることが多い。 Oスケールは、ゲージ論がほとんど無い環境であって、過ごしやすいのだ。

 筆者はHOを所有したことは無いし、是非を論じる気はないが、一部の業者が使う言葉にだけは警戒している。人を動揺させて、自社の商品を正当化しようとしている、と感じる。「縮尺通りのゲージを採用している模型をファインスケールと呼ぶ。」というのは二つの誤りを含む。これを言うのは12mmゲージ、3.5 mmスケール(1/87.08 サイズ)の業界関係者である。(13 mmの人たちは、そんなことは言っていないようだ。)
 ゲージは正しいとは言えないし、finescaleの意味も正しくない。よく考えれば見破れるのだが、騙されてしまう人は多いと心配していた。(一説によると、シノハラの売っていたフレキ線路は12.3 mmゲージだったそうだが、この話の筋からは外れる。)

 そういうところにEmpirebuilder氏から直球を投げ込まれたので、紹介しているわけである。今回の問題に関しては、Empirebuilder氏がこの記事に対してのコメントを寄せられたのが最初だ。筆者のHOに対する知識は、皆無に近いのでお答えできなかったが、徐々に情報収集して看過できない状態にあることを知った。 

 日本は42インチゲージ(3フィート半ゲージ)を主たるゲージとして本線で使用しているから、車体の小さいナロゥゲージHOn3-1/2 などではないことになっている。
 しかし、外国から来た客を案内して駅に行くと、彼らは、
 ”Oh, narrow gauge!"
と、興奮するのだ。しかし車輛が来ると不思議そうである。小さくないからだ。明らかにフルサイズと言える車輛である。イギリスの車輛よりはるかに大きい。相模鉄道では、幅が 3 mもある大きな車輛が、42インチの線路を走っている。裾が絞られていない車輌もあるようで、JR車輛より広く感じる。これが日本独特の要素だ。

 さて表題のゲージ(寸法ゲージ)であるが、筆者は、そのゲージの線路が簡単に手に入らない環境にあると、そのゲージ(軌間)は発展しないと思う。
 このブログでそれを書いたら、一部の方から反発を受けた。13 mm用のゲージは頒布されたとのことだ。しかし、13 mmゲージャーの方に聞いてみると、そんなことは知らない、と言う人が複数いた。
 ということは、誰でもどこでも手に入る環境ではなかったということだ。有力な模型店には置いてもらうべきだろう。今ならウェブ上でアクセスできる環境になければならない。

「そんなもの、自分で作ればいいんだよ。」
と言った人がいたが、それは、そのゲージ(軌間)を自滅させる引き金を引いているのと同然だ。初心者が参入し易くするべきだ。誰でもできると思ったら、大間違いなのだ。
「上手な人しか、ここには来てもらう必要はない。」
ということを公言した人がいたそうだが、これは大変愚かな発言であった。筆者の知人はそれを聞いて、腹を立てて参入をやめた。

NMRA gauge 写真は、筆者が持っている NMRA の”O gauge” である。1970年代に買った。当時送料込みで2ドル弱だったと覚えている。これはステンレスの打ち抜きであるが、今なら、どんなゲージでもワイヤ・カット、レーザ・カットで簡単にできる。まず、これが誰でも手に入れられるというのが、第一歩だ。 


NMRA O scale Mark IV 現在はMark IVになったようだ。これは外周が建築限界になっている。1枚7.5ドルだそうだ。この価格は送料別である。

 

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2019年02月17日

続々 神戸の行事

 ピギィバックは3種持って行った。本当は 89 ftを7輌持って行きたかったところだが、持って行く入れ物に余裕がなかった。

24ft trailer これは1960年ころ、UPが小口配送をしていた時のものだろう。 トレーラは 24 ft(7.2 m強)である。この模型は硬質ウレタンの鋳物だ。塗装は大変苦労したが、つるつるに仕上がった。あたかもブリキのおもちゃのようである。しかし、この種の材質の模型は、50年も経つと形が無くなっている可能性もある。それだけが残念である。
 この flatcar も、53ftである。

 89 ftの車には40 ftのトレーラを2台積んだ。J.B.Huntのロゴが鮮やかだった。

automobile carrier Autorack 自動車を3段積む貨車を塗った。こんなに透け透けでも塗料はたくさん要る。意外と表面積が大きな車体なのである。1,2段目に車を積むのは非常に難しい。載せてある車は植松宏嘉氏の愛車のジャガー2台と、1939年Hispano Suizaである。こんな高価な車を裸で運ぶわけはないが、縮尺が正しい車は手に入りにくいのだ。
 このUP塗装のものは珍しい。写真が載っている本を探し当てたので、それを参考にした。


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2019年02月15日

続 神戸の行事

watermelon car ventilated car 通風車も完成したので持って行った。ガラリのところの仕上げは、皆さんご興味があり、手に取って見て戴いた。3Dプリンタの威力をしみじみと感じたようだ。手作業では、まずできない仕事だからだ。

 フライスを使って等間隔、等しい深さに溝を掘って丸線を浅く入れるというアイデアは、納得できるそうである。深さが綺麗に揃っているので評判が良かった。ウェザリングはこの程度で良いそうで、やり過ぎではないそうだ。積荷がないので、ベアリング玉をスイカ塗装にして入れると良い、とのアイデアを戴いた。

 3Dプリンタの話題は尽きない。N氏からは、仕事上の様々な事例を教えて戴いた。ナイロンは湿気に弱いそうである。濡れると強度がかなり落ちるということで、強度試験は濡らして行うと良いそうだ。

depressed center flat car depressed center flatcar は少し積荷を工夫していった。放熱器をスキッドに載せ、木の板を挟んで積み上げた。あとはワイヤで張力を与えるようにするだけである。ワイヤは turn buckle で締め上げるようだ。

48ft trailer これは 48 ft (14.4 m)のトレーラを運ぶ貨車だ。日本にはない長さである。この時期は、様々な大きさのトレーラが出て来た時期で、53 ftの貨車を使っている。様々なタイプの貨車が設計され、一つの貨車に積むことをやめ、二つの貨車にまたがった積み方をするもの(貨車2輌にトレーラ3輌を積む)すら現れた。そうすると分岐などで車体が折れ曲がると、タイヤは多少スリップする必要があった。ブレーキは掛かっているが、無事に通過していたようだ。


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2018年11月19日

続 Lykens Valley のキット

LVM これは1973年版のWalthersのカタログである。ダウンタウンの模型屋を探し当て、このカタログを買った。Douglas Modelsといって、その町では断トツに大きな模型屋であった。間口は20 mほど、奥行は30 m以上もあった。田舎なので、飛行機の模型がたくさんあった。1/4サイズくらいの複葉機を作っている人が居ることもわかった。

 HOのAthearnの青箱が1000以上並んでいた。Oゲージは店主のブラス・コレクションが置いてあるだけで、スケール物はほとんど無く、ライオネルばかりだった。ここで最初に買ったのはDremel のMoto-Toolである。
 Oスケールが欲しかったが、「欲しいものはメイルオーダで買えるさ。」と気のない返事であった。当初はOゲージの友達がみつからず、寂しかったが、徐々に知り合いが増えた。 

 一つずつ買い始めた。当時の貨幣価値では10ドルは、学生には大金であった。一日2ドルくらいで生活していたのだ。
 LVMは人気商品で、品切れが多かった。最初に手に入れたのは 63 ft のMechanical Reeferであった。これは、UPの本線に本物が何十輌も連なって走っていた。蓋を開けて驚いたのは、直角には切れていない木のブロックが入っていたことであった。幸い、友人のお父さんが木工機械を持っていたので、新たに作って仕上げた。下塗りの回数を多くしてピカピカにした。デカルを貼ると、うっとりするほど素晴らしかった。その機械式冷蔵車はこのカタログには載っていない。模型は今でもあるが、事故で破損し、その修復に10年以上も掛かっている。これには作動するショックアブソーバが付いている。


 Auto Rackは3番目くらいに手に入れた。これは完成させると持ち運びできないので、下塗りして半組み状態で保存した。このキットは先回お見せしたQuality Craftのキットとは異なり、全木製であった。今は玄関に飾ってある。怖くて走らせられない。  

 二回目にアメリカに行っていた時は、あちこちの模型ショウに出かけて、見つけ次第買った。10年ほど前、たまたまオークションで一つ落としたところ、その人がたくさん持っていることが分かり、すべて買い取った。結構たくさん作ったが、人に譲ったり、交換したりして半分ほどしか残っていない。

 Lykens Valley というのはペンシルヴェイニア州ハリスバーグの北にあるリゾートである。ここは行ったことが無い。ゴルフをする人には良いところなのであろう。   


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2018年11月17日

Lykens Valley のキット

cushion coil car ライケンス・ヴァリィのキットについては過去に少し書いた。この会社は70年代に新しく出た車種を次々に出して、人気を得た。どのキットも肝心の躯体を構成する木材の直角が出ていないので、そのまま組むと破綻する。  

cushion coil car2 すべての部材をチェックし、ダメなのは捨てて、新しく切り出す。直角の出る鋸盤があるので、それは簡単に出来る。以前の100トンホッパなどは、事実上スクラッチ・ビルトである。

 このクッション・コイルカーは B&O の車輛を基にしている。下廻りは図面通りに作ったから良い。問題は上の天蓋である。木板で作るように指示と材料が支給されているが、そのまま作ると強度がない。
 ブラスで作れば簡単だし、強度がある。と思ってから、20年近く経つ。さすがに放置はできないので、今回は作ることにした。天蓋は0.4 mm板を曲げて作る。簡単な作業である。

 床下には油圧式のショック・アブソーバがある。以前は作動するようにしたが、今回は採用しない。運転速度が以前ほど大きくない。長大編成をゆっくりと走らせることに価値がある。そうなるとショック・アブソ−バはあまり機能しない。むしろ機関車の「押して動く」動力装置の方が、脱線防止にははるかに効く。

 cushion coil car のクッションには二つの意味があって、薄鉄板コイルを置く場所が軟らかい材料でできているのと、連結器が緩衝性に富むのとである。この双方が同時に実現したので、どちらが正しいかを断定するのは困難である。

 キットの材料は板だけで、それを組み合せてH鋼やチャンネルを作り、さらにそれを組み合わせる。実物通りの構成で、この貨車が出来上がる。いかにも重いものを積む貨車である。
canopy opened 完全な木製で、驚くほど軽い。積み荷はいくつか用意した。ロール紙(レジなどの出力用のもの)がたくさんあるので、それを使うつもりだ。床下には最大限に補重する。写真では、見本にマスキング・テープを置いた。おおよそこの太さで、少し幅が広いものが多い。
 後ろの貨車はプラスティック製である。以前紹介した真空成型品だ。ジャンクで買ったものを再生したが、今回作成のものと較べると大味だ。構造がトイ・ライクである。

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2018年11月13日

続 Ambroidの木製キット

sections Ambroidのキットは、このような繊細なセクションをもつ部材からなる。細いアングル、チャンネル、Iビーム、Zセクションなどが入っている。右から5番目はTセクションであるが、倒れている。申し訳ない。

 このような細い部材を作るノウハウがあったのだろう。bass wood(シナノキの一種)をよく切れる回転刃物で削り出すのだ。細いものは厚みが 0.5 mmに満たないものもある。型材以外に平角材があるが、その厚さたるや 0.4 mm以下のものもある。

 木材であるから繊維の向きには割れやすい。開封したらすぐにラッカ・サーフェサを塗って固めてしまう。こうすることによって、安全に作業できる。切るのは薄刃のカッタ・ナイフである。新しい刃を使うのがコツだ。チャンネルなどを切る時は、凹みに合わせた木材を噛ませて切ると、割れない。

 スティール・ウルを使って、下塗り材のザラつきを落とす。部品を接着してから、再度サーフェサを塗り、研ぎ上げる。最低2回、出来れば5回塗ると金属と見間違えるようになる。チャンネルの溝の中は細いヤスリで磨く。

 先回の写真で側面パネルについているリブは、厚みが 0.5 mm以下である。非常に繊細であって、完成時に細密感を際立たせる部分である。

covered hopper floor 床の構造は車種によって異なるが、この写真のタイプはよくある。薄板を嵌め込む溝を床板に切ってあり、それが連結器取付け板となる。非常によくできている。この写真は裏から見ている。

 ボルスタは、線路方向に”目”がある。長いものをルータで削り出して、それを10 mmほどに切ってある。これも非常に良い形をしている。
 どこで読んだのか忘れたが、「割れやすいからこの構造は良くない。」と断定する記述があった。決して悪くない。その人は割った経験があるのだろうか。筆者は100輌以上作ってきたが、1輌たりとも割れたことは無い。床板に貼る前に孔をあけてネジ込めば、割れるかもしれない。それはあまりにもマヌケなやり方である。床板に完全に接着してから、ネジを締めるのが常識というものだ。経験の足らない人が、思い込みで良いものをけなすのは、悲しいことである。

 HOとOのキットは互いに相似形である。Oは1000、HOは5000の生産が通例である。このようなキットは、生産されていないようだ。機械、ノウハウが消えてしまうのはもったいない。

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2018年11月11日

Ambroid の木製キット

 アムブロイドは1960年代からこの種のキットを出している。HO も出ているが、Oゲージの模型の方が出来が良い。その違いはサイズから来るもので、HOの設計が拙いわけではない。木材にはある程度の粗さがあるので、HOではその粗さが相対的に大きく、消しにくいからである。 

Ambroid kit boxAmbroid Cement 1980年代はこんな箱であった。1ロット1000箱ぐらいの製造である。精密に加工された木材が入っている。細かい部品はソフトメタルである。接着は当然 Ambroid Cement を使うのだが、かなり良く付く。水性ボンドを使うと木材が反る。エポキシはその点、問題がない。

Ambroid kit airslide hopper の蓋を開けたところである。原寸大の図面とディカールが入っている。
 最初は骨組みからである。この部分は木の板を正確に切ってあるから、直角ジグで正確に貼り付ける。その後は徐々に材料を切りながら、組んでいく。木製部品は、予めラッカ・サーフェサを塗って研いでおく。金属部品はバリを取り、そのまま付けられるか、確認する。全体の質量がいくつになるかを調べ、計算して補重する量を決める。この車種なら80 g位だ。
 鉛を秤量して錘を作る。内部に取り付ける時には、ショックで外れないように押さえを作って、エポキシ接着剤で留める。場合によっては、鉄骨の切れ端を入れることもある。

Ambroid kit2 これは骨組みを示したものである。床板は幅の広い、浅い溝が切ってあって、薄い板をそこに嵌めると連結器が付く部分ができる。薄いと弱いので、部分的にブラス板に取り換えても良い。

 エポキシ接着剤を使って作り始めると、大体2週間かかる。固まるのに一晩掛かるからである。この種のキットはブラス製とは違って、ずっと連続して作ることができないことを承知していなければならない。だから、複数を同時に作ると効率が良いわけだ。


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2018年09月24日

Kemalyan氏

 ケマルヤン氏は、走る鉄道模型の開発に貢献した人である。造形も素晴らしかったが、様々なアイデアを鉄道模型に応用した。
 初期の段階においても、ウォームを機械で削り出したものをそのまま使うな、と指示したらしい。必ずバフを掛けて、表面をつるつるにせよと言ったのである。要するにウォーム歯車の損失の大部分は摩擦損失であることを知っていたのである。効率を上げるには、これに勝る方法はない。

 台車では、軸を細くせよ、軸に熱処理をせよ、という指示も出している。当時の標準は軸が 3.2 mm径、あるいは 3.0 mm径であったところを1.5 mmにした。細くすれば仕事量が減り、摩擦損失は小さくなるのは当然であるが、それまで誰もしなかったのだ。

 この車輪のフィレット半径を大きくしたのは誰なのかが知りたかった。それは、意外にもカツミの高橋 淑氏であった。
「理屈は分からないが、とにかくフランジが当たらなければ抵抗は減るだろうと思った。」とのことである。正解だが、これ以外にはその応用例がなかったのは残念である。

KTM trucks USA version 台車はアメリカでよく見る、小物入れの透明ケースに入っている。スポンジは日本のものとは手触りが違う。30年以上経っても劣化していない。
 日本からは裸で送って、アメリカで箱に詰めたらしい。 


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2018年09月20日

Japanese market

 KTMという会社は、戦後長らく輸出用には最高のものを、国内需要には二級品をというポリシィを持ち続けて来た。ライアン氏による鶴の一声で、輸出用には厚い板を用いた工芸品を作ったが、国内向けはIMPの時代のままと言ってよいものしか売り出さなかったのだ。

for Japanese market このUS Hobbies向けの台車も、その路線を踏襲している。国内でこのローラ・ベアリング台車を手にしたのは1970年代の最後だと思う。いやな色をした車輪でフランジが直立に近く作られていた。こんなものでは満足できなかった。一組手に入れただけで、そのまま抽斗に入れて20年以上経った。

KTM case 2005年頃に土屋巖氏とアメリカに行ったとき、この台車のアメリカ仕様を大量に手に入れた。それには、随分良い車輪が付いていた。箱はいかにもアメリカ製のポリスチレンの綺麗な箱で、大きなKTMのロゴが金色で箔押しされていた。既に韓国製の時代になり、日本製は過去のものとして人気がなくなって、割安であった。価値の分からない人は多いのだ。

without bearing cap 軸は細く Φ1.5で、熱処理した軸である。硬い。軸受はデルリン(ポリアセタール)で摩擦が少なく、無潤滑でも行ける。軸の先端には、ローラ・ベアリングのキャップが嵌まっていて、それが回転するのが見える。RP25の枠組みの中にある。
 ボールベアリングやピヴォット軸受には負けるが、かなり優秀な転がりを示す。無給油で1%の坂を転がった。注油して重いものを載せると、0.75%以下で転がった。決して悪くない転がりだ。 

pseudo Low-Dpseudo Low-D2 この2枚の写真をご覧戴きたい。鉄レイルの上をよく走らせてあるので、黒色処理が磨り減っているが、フランジに触っている形跡がない。フィレットのRはかなり大きい。フランジ角も小さい。Low-Dと同じ考え方である。

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2018年07月10日

O Scale West の記事

 O Scale Resourceの最新号が届いた。今回の特集は、O Scale West への参加レポートである。15 ページから始まる13 ページもある記事だ。写真が多い。
 筆者のクリニックにも聞きに来てくれたので、次号あたりに何か書くよう、要請された。この説明に "a great clinic" と書いてあるのが気になる。雑誌では、一般的にこのような主観的な表現は避けるものであるが、何か感じたのかもしれない。彼自身の言葉なので論評しても仕方ないが、異例の表現である。聞きに来てくれて、
「感銘を受けた。素晴らしいクリニックだ。他所でもやるべきだ。」
と言ってくれたので、嬉しかった。

 主催者の Rod からはあとでメイルを貰った。
「遠いところを来てくれて、感謝する。貴君のクリニックを聞いた、と言う友達の来訪を受けた。素晴らしいクリニックだったそうで、招待のし甲斐があった。また来年もやって欲しい。」
という事であった。

 この無料雑誌は最近購読者が急速に伸びているそうである。ページ数もどんどん増え、広告も多くなっている。日本の雑誌もこうなるのが理想である。


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2018年06月22日

O Scale West での講演 7

 最後に博物館の目標の「摩擦の少ない世界」(Free from Friction) について話した。Oゲージ以上の大きさでなければ実現できない事であることを強調した。
「故土屋氏から引受けた祖父江ドライヴの機関車群数十輌と、私の数十輌を維持し、Low-D車輪をつけた長編成を走らせることは、模型鉄道の真髄 (essense) を受け継ぐものである。私はあと20年くらいは無事に生きられるであろうが、その後は不明である。しかし、公に博物館としての登録ができれば、遺産相続からは切り離され、切り売りの危険からは逃れられる。この博物館には祖父江ドライヴの機関車約1000輌のうち、1割以上が揃っている。これは世界的に見ても貴重なものである。客車は100輌、貨車は400輌ほどあり、すべてLow-D化されている。これまた、世界的に見て稀なことである。

 また、「博物館を開いていれば、有能な人を探し出して後継者にすることができる。」
と言ったところで、
「有能な人 (man of ability) とは何か?」という質問があった。

「まず第一に工学的素養があること。サイエンティストであること。歴史、地理に興味があること、ある程度語学ができること。経済的に余裕がある人。切り売りされてはいけないからね。」と答えた。
「そうだ、語学は必要だ。ここにきて話をしてもらわねばならないからな。」と言う人に続いて、ある人が、
「あなたはbilingualだ。便利だね。」と言った。

 それを聞いて、少々気分転換がしたかったので冗談を言った。
「ここでクイズです。二か国語を喋る人をバイリンガルと言います。それでは3か国語以上を喋る人は何というのでしょうか。」
 正解は polyglot (たくさんの舌という意味)だが、誰も知らず、trilingual という誤った言葉を使った者が多かった。それを修正したのち、
「 それでは1か国語しか喋れない人はなんと言うのでしょうか?」
この質問に対して、皆は、
「idiot(ばか)」とか様々な言葉を出した。筆者が、
「とても近いですね、惜しいな。正解は American です。」
と言ったら、皆椅子から転げ落ちそうになって笑った。
 毒のある冗談だが、実際にそうなのである。アメリカは大国なので、相手の方が合わせてくれる事に慣れている。だから、外国語を勉強しようとする人が非常に少ない。 英語圏でも、イギリス人もオーストラリア人もアメリカ英語に合わせていく傾向がある。

 ビジネスマンで本当に有能な人は、相手の国の言葉を理解しようとし、会話を勉強する。通訳を付けている人で、能力のある人は見たことがない。そういう意味でも、1960年代から1980年代にかけて日本に来た鉄道模型インポータで、能力のある人は居なかったと筆者は思っている。


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2018年06月14日

O Scale West での講演 3 

ladder with 3-way switchalignment by laser レイアウトのベンチワークの紹介をした。鉄骨を採用して、レーザで高さを揃えているのには、驚いたようだが、木質のベンチワークよりはるかに耐久性があると、納得した。すべての線路は曲率ゲージで正確な曲線を描いていることも紹介した。曲線通行中に先輪の向きが微動だにしないことを話すと、驚いた。ポイントが正確に一直線上にあるのも称賛を得た事の一つである。

 後半が勾配に掛かっている状態で、50輌の貨車を止めている手歯止めを外すと、徐々に加速して、然るべきのちに停止するのを動画で見せると、ため息が漏れた。

turntable drive with momentum 転車台の話を15分ほどした。世の中の大半の自動割出の転車台の動きが toy-like(おもちゃっぽい)であることを話した。剛性の大きな太いシャフトを使わないと、ぷるぷると震える回転橋になってしまうこと、本物は行き過ぎたのを戻したりする、と話した。即ち、回転モータ、インデックス・モータ、アラインメント・モータが独立していなければならないことを力説した。

centering device 次に話したのは駆動モータとインデックスの関係である。Vの字の溝のある金属板を使ってアラインメントを確保する動画を見せると、どよめいた。ずれて止まったのちに、すっと動いて揃うところは面白いらしい。粘性による結合方式も人気があった。押し付けられた状態でモータが回転しているのが面白いのだ。回転して所定の位置に停める様子を短い動画で示すと、”Oh, wonderful!" と声が上がった。 
 明らかに慣性が大きなものを動かしているという感じがするからである。おもちゃの動きではないのだ。

moving bridge 回転橋を3時間で作った話は受けた。質問は何箇所ヤケドしたか?であった。単純なものは速く作れるということには同意してもらった。急がないと自分の寿命が尽きてしまうと言うと、「そりゃそうだ。」ということになった。
 簡単なジグを用意して、正確に素早く作り、すべての隙間をハンダで埋めて錆びにくくするということを強調した。

2018年06月10日

O Scale West での講演 1

 今回の公演の演題は勝手に決められていて、
”Museum of Sofue Drive" であった。
「ちょっと待ってくれよ。祖父江ドライヴの発明者は僕なんだ。」
と伝えると、Rod の答は、
「確かにそうなのは知っているが、”Tad Drive" と言っても理解する人は居ないだろう。一言付け加えるから我慢してくれ。」ということになった。
 結局のところ、”Museum of Sofue Drive, by the inventor Takashi Daito”ということになった。これは非常にうまい言い方だと、感心した。

 今回の講演は60分から75分で頼むと言われていた。自宅でやってみると90分掛かるので、いくつかを削った。長すぎるといやになる人もいるので、面白い話題を10分ごとに入れて、気分転換をするようにした。動画はなるべく感動的なものを、と考えて撮った。

 3条ウォームの話から入った。3条ウォームはライオネルが採用しているから珍しいものではないということを最初に言った。そうでないと論点がずれる可能性があった。3条を採ったのは、工作の容易さ、効率の高さを考えたからである。
 1980年当時パソコンは普及しておらず、三角関数表と計算尺と電卓のみで3か月ほど掛かってグラフを作って検討した話は受けた。ウォームの進み角を増やすと多少効率が上がるが、18度以上はホブで切る場合、 tooling cost(異なる形状の刃物が別に必要になり、金が掛かること)の点で採用できなかったが、17度と効率が1%も違わなかったことを話すと、どよめいた。最高のものを求めたかったが、そんなに金を掛けないでやりたかったことを理解してくれたのだ。

 Model Railroaderに発表したら、世界中から手紙が来た話で、
「そのすべての手紙で、『歯車だけを欲しい』と言って来たのは、おかしな話だ。」と言うと皆笑った。いちばん必要な物は、精度の高いギヤボックスとスラストベアリング、潤滑剤、コアレスモータなのだ。そのことを書いて送ったら、誰も返事が来なかったと言うと、また大笑いだ。皆よく分かってくれている。
 実は日本でその3条ウォームをギヤボックス無しで付けた人もいて、動かないと大騒ぎであった。物の理屈を考えられない人に売るべきではなかったのだが、なかなか難しいことである。

  祖父江氏はアメリカからの受注がなくなって困っていたが、3条ウォーム化の改造を引き受けて生活を支えるというビジネスモデルは、非常にうまくいった。そして祖父江ブランドが確立されて、アメリカに浸透したのだ。この場面ではみな立ち上がって拍手をしてくれた。
「人を助けるために努力するというのは、大切なことだ。よくやった。」
 自己犠牲というのは、キリスト教の精神で、最も大切なものとされているらしい。
「祖父江氏は天才であったので、彼を潰すと世界的な損失だと思ったからだ。」
と言うと、
「あなたがいなければ、我々は19世紀のドライヴで我慢しなければならなかった。それをアメリカに紹介してくれて、我々は感謝している。Sofue Engines が紹介されたのも、模型界に大きなインパクトを与えた。」
と言ってくれた。これには筆者も感動した。 

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2018年06月08日

O Scale West

 久し振りの O Scale West 参加 である。代表幹事の Rod は今年限りで降りるそうだ。20年ほど代表幹事を務めたのだ。
「よくやってくれた」
とねぎらいの言葉を掛けたら、
「みんなの助けがあったからだ。特に講演をよく引き受けてくれる貴君には感謝する。」と言ってくれた。
 確かに良い講演者を見つけるのは、なかなか難しいことのようだ。

 今回の飛行はSan Jose直行便を押さえたので、空港からタクシィで10分である。18ドルであった。タクシィの運ちゃんは、こちらが道をよく知っているのでとても驚いた。
 サン・ホゼ空港は小さく、旅客はIT関係者ばかりなので、入国審査は非常に楽である。ホテルに着いてスーツケースを部屋に置き、荷物を持って会場に行った。
 Rod を探しているうちに、講演でコンピュータを操作する助手を務めてくれるTim に会うことができた。入場証とテイブルを貰ったので、次の日への準備をした。

 亡くなったAlf
の娘さんが、遺品を売りに来ていたのでしばらく話をした。
 Alfは例のH1を 筆者の博物館に寄贈するつもりだったが、奥さんがもう少し待ってくれと言っている。その奥さんは病床にあるそうだ。
 こちらも急がないので、どうぞ気になさらないでくれと伝えた。博物館の展示スペースだけは用意しておかねばならない。

 最近のPowerPointは昔とは様変わりして、極めて多機能になった。それを動かすソフトを搭載したコンピュータがなかなか見つからなかったので、Rodに頼んでそれを持っている人を探してもらったのだ。
 ダメな場合を想定して、PDFも作り、動画を別に持って行ったのだが、PowerPointがうまく作動してくれて助かった。 

 その日のうちに、彼とすべてのスライドを見て確認した。一つだけ綴りのミスが見つかったので修正した。見終わると彼は、
「これは素晴らしい講演だ。友達を呼ばねば。」と言ってくれた。

 その他親しい友人たちと話が弾んだ。日本まで博物館を見に行くぞと言ってくれたのは有難い。思えば昔は、彼らは筆者がカリフォルニアのどこかに住んでいると信じていたのだ。日本在住であることを知ったのは10年ほど前だった。そうしたら、いろいろな注文があって、機械部品、工具などを送ってあげた。

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2018年03月01日

O Scale West

 カリフォルニアで開かれる O Scale West(以下OSWと記す)の、役員のM氏から1月ほど前、突然メイルが来た。個人的な話を除いて紹介する。

 貴君はここしばらくOSWに来ないじゃないか。もちろん貴君が何をやっているかは雑誌で見ている。面白そうなプロジェクトだね。それをやっていれば、こちらに来てくれない理由は分かるよ。
 貴君の他に、日本から何人か来ていたけど、昨年は誰も来なくなった。とても淋しい。日本人はもうOSWに何も期待できないのだろうか。それとも、もうコレクションが終わったのだろうか。沢山買っていたようだから、それもありうると考えている。
 OSWの開催時期を5月に変更したのも何かの原因だろうか。以前のように2月のほうが良かったのだろうか。思うところを聞かせてくれ。
 この5月には貴君に是非とも来て戴いて、講演をお願いしたい。内容は博物館についてだ。皆、興味津々だからね。転車台の新しいメカニズムも紹介してくれ。
とあった。

 正直なところあまり行きたくない。例の時差を乗り越えるのが大変だからだ。しかし、わざわざ一本釣りをしてくれるのなら、有難いことである。ホテルに泊まらずに、みんなの家を順番に泊まれば良い、歓迎するよ。とあった。それは確かに有難い。節約できるものは節約すべきだ。H氏からは講演の詳しい予定を知らせよと言ってきた。まだ行くとは言ってないのに気が早い。

 果たして行くことになるのか、全く白紙であるが、様々な点で優待すると言ってはくれている。心は動くが、行かないだろう。

2017年09月18日

続 San Diego Model Railroad Club

118_6387118_6386 引き続いてO scaleの方を見てみよう。30年前と変化はなかった。既に、かなり陳腐化された概念のレイアウトである。ありえない階段状の本線を主題とした古臭いコンセプトに基づいている。取り壊して新しいレイアウトを作るべきである。筆者も、昔はこれを見てすごいと思ったのだが、今は妙なものであると感じた。

 HOの古いレイアウトも、陳腐化して取り壊されたのであろうと思われる。レイアウトの概念は急速に進歩しているのだ。より写実的になるか、抽象化するかのどちらかしかないだろう。
 筆者の博物館は抽象化の道を選んだ。故土屋氏のコンセプトである。すべてを無彩色にし、特別の部分だけに彩色を許した。日本にはあまりない Display Layout である。
 このサン・ディエゴの博物館は、写実的なO scale レイアウトとしては面積が小さすぎる。あたかもNゲージの1畳レイアウトのような感じである。何もかもつっこんである。現場で担当者とその件について語り合ったので、いずれ反映される日が来ると信じたい。
 O scaleでは、実感味は別のところにあるはずである。実物のような慣性のある走り、ポイントのフログでのドスドスという響き、カーヴでの揺れ具合などを十分に堪能させるようなレイアウトが望ましいと考えている。

2017年07月07日

スクラッチ・ビルディング

スクラッチ・ビルディングはもうしない」と書いたことがあるが、最近は細かいものをよく作っている。例のOBJプロジェクトもそうであるし、貨車とか客車を結構な数、作っている。
 最近は少しずつUPの客車をキットから作っているが、その中に入れる荷物車は好きな形のものがないので、自作している。全熔接タイプだから、リヴェットを打たなくても良いので、実に簡単だ。床下もごく適当に、見える範囲だけ付ける。

73ft baggage 大きなシァを持っている工場で切ってもらった床板、側板を毎日少しずつ加工している。窓が少ないので工作は簡単だ。4枚重ねて扉を抜き、内側に側板の厚み分の控えをハンダ付けする。あっという間にできてしまう。こういう工作は楽しい。
 
 妻板にはメクラの扉があるので、その周りを角線で作り、ハンドレイルを付ければできあがりだ。妻と側板を直角に付けるのは簡単である。
 まず、接合部にハンダメッキをしておき、角線を当て、大きめのコテで何箇所かチョン付けする。ハンダは玉になっている程度で十分だ。それを直角のジグに嵌め込み、接合部の下半分を濡れ雑巾で防護する。上半分を小さなガスバーナで外から炙ると、玉になっていたハンダが、つるりと浸み込んでぴかりと光った面になる。
 ひっくり返して、残りを付ける。こうすると完全な接合ができる。ハンダはスズ63%のを用いるのが唯一のコツである。融けているか、固まっているか、のどちらかしかないので、極めて短時間に終わる。このような作り方は、ある程度の大きさを持つOスケールだからこそできるのだろう。炭素棒を使えば、HOでもできるはずだ。 


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2017年06月13日

本日、ブログ2000号

 表記の通知を受けた。思えばこの1000号は早かった。祖父江氏、土屋氏、吉岡氏の死去に伴う博物館の建設作業、伊藤剛氏の遺品の収蔵、雑誌への対応などで目が回るほど忙しかったので、「おや、また1000号?」という感じだ。

 以前は全く気にも留めなかった読者数を、毎月の集計でみている。毎日、正確に決まった数の人が読みに来て下さっていることが分かる。読者数の波がここ1年、全く同じである。決まった数のフォロワーがいるということは、評価が確立されたということであろう。筆者の提唱することにご興味のある方が、一定数存在するということであると解釈している。

 筆者のポリシィは一貫している。
摩擦の少ない車輛を、高効率の機関車でたくさん牽き、重量感のある動きを再現させる。」
 それだけである。それを実現するためなら、何でもする。つまらぬ(と言っては失礼か)ディテールには凝らない。ただ、見えるところはそれなりに処理する。見えないところはすべて無視する

 博物館を見せてくれという要望はかなりあるが、今のところ、ほとんどの場合お断りしている。セキュリティがまだ不完全で、大切な収蔵物に事故があってはならないということもあるが、それよりも、見学者に割く時間が惜しい。その時間を製作に振り向けたい。
 それとターンテイブルが未完成で、お見せできる状態ではない。早く完成させねばならない。


2017年03月21日

競作

 珍しいことに電気機関車を作ることになった。50年ぶりである。チラ見せする。最近はやりの teasing advertising(じらし広告)である。  

OBJ 1 所属クラブの70周年記念例会に、伊藤剛氏追悼の電気機関車を作ろうということになった。剛氏が作られた原型を各ゲージでアレンジして、好きなように作るというのが主題である。
 Oゲージ部会では、ステンレス板をレーザで切って作ることになった。車体にレーザ加工板を使うのは初めてである。車体寸法を決めるのに、時間が掛かった。元が自由形なので、縮尺を変えるだけでは意味がない。Oゲージの車体幅は63 mmを超えると、ろくなことが無い。手摺りなどの突起物を考えると車体幅は61 mmとなった。基本設計は土橋和雄氏が担当し、工場に渡すプログラムは、例によってnortherns484氏にお願いした。


 伝導装置は筆者が設計して、提供した。強力コアレスモータと3条ウォームギヤ軸をチェインドライブする少々贅沢な組み合わせである。車輪はΦ25のLow-Dがあったので、配布した。軸箱はフライス盤で切り出したボール・ベアリング用を用いた。ロストワックス製のものを好む人もいるので、その方達には、ボール・ベアリング用の穴を開けてお渡しした。

Sacramento Northern 654 and 652 10-3-09rr 外観は全く自由なので、筆者はアメリカン・スタイルにした。実はSacramento Northernの電機に惚れていたのである。いつか、ものにしたかったのだが、作ることはあるまい、とも思っていた。
 ジャンク箱をかき回して、カウ・キャッチャを見つけた。大きさは良いのだが、一つしかない。仕方がないので採寸して図面を描き、作る準備をした。そこまでやったところで、もう一つ見つかったので、図面は投げ捨てた。

 さて軸配置は何であろうか。BrassSolder氏は、一発で当ててしまわれた。

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2017年03月15日

Kimpei Sofue’s life  (8)

 祖父江氏が亡くなる前から、彼を「O scaleの殿堂」入りをさせるべく、運動を始めた。アメリカの友人たちがそれを後押ししてくれたが、5年以上の時間を要した。存命中に殿堂入りが果たせれば、祖父江氏にとって素晴らしいことだったのだが、それは実現しなかった。
 ともかく、日本人の殿堂入り(2016)は初めてであり、日本の模型人はそれを誇りに思う。

 祖父江氏の影響力は大きく、プラスティック製機関車の上にもそれが表れている。
 RivarossiのIndiana Harbor Beltという0-8-0のOスケール・モデルをご存じだろう。それは祖父江氏の作った0-8-0を元にしている。
 祖父江氏はこう言った。
「US Hobbiesの0-8-0を作った時にね、3箇所間違えちまったんだよ。それがねえ、全部リバロッシの模型にあるんだ。本当に参っちまうよ。」
また、ブラス製HO模型のいくつかは、彼のOスケールの縮小ヴァージョンである。

 祖父江氏は3条ウォーム、ボールベアリング化の改造工事を、1000輌以上の機関車に施した。私の手元には100輌近くあり、近く開館予定の博物館で展示走行する。それらは信じられないほど滑らかでパワフルである。ギヤは15ワットの出力を伝達でき、強力なコアレスモータで120輌の列車をやすやすと牽引する。

2017年03月13日

Kimpei Sofue’s life  (7)

 国内で祖父江氏のOゲージ模型を欲しがる人は多かったが、祖父江氏には新規にそれを作る資力がない。そこで、神戸の地震で亡くなった魚田真一郎氏が良い方法を提案した。買いたい人から毎月一定額を集めて、それで新しい機関車を作ってもらう。1年ほどで、注文者は新しい機関車を受け取り、祖父江氏は注文数以上の機関車を個人的に売ることができる。一部はアメリカに私自身が持って行ったし、直送もした。この方法は祖父江氏に素晴らしい機関車を作り続けてもらう、良い方法だった。

 こうしてできた機関車は3条ウォームとボールベアリングを装備し、テンダには抵抗の少ないLow-D車輪を付けていた。こうしてこの特製品を作る方法は10年ほど稼動し、C&NW H-1, CB&Q O-5, SP5000, ATSF 4-6-4, PRR DD1 が完成した。それと並行して、古いKTM製の機関車の動力を、3条ウォーム、コアレスモータ、ボールベアリング化する改装工事を引き受けた。こうして2009年10月27日午前2時の突然の死まで、彼は仕事を続けることができた。彼は87歳の人生を終えた。

 私は彼と35年余の長きに亘って良い友達であった。私は彼の顧客であるが、写真、図面を入手するのに手を尽くした。それ以外に新技術の導入の手伝いをした。いわゆるlaunching costomerである。(ローンチング・カスタマーというのは、新型航空機を発注して導入する会社が、設計時から深くかかわる時、その航空会社のことを言う。)我々はいつも助け合った。ある時、祖父江氏はこう言った。
「あんたには本当に感謝するよ。あんたがいなけりゃ、俺はとっくに廃業して、アル中になって逝っちまってたよ。」 
 私は彼の友達として、かくも長くお付き合いできたことを、誇りに思う。 

2017年03月11日

Kimpei Sofue’s life  (6)

 次に、私の友人であるUnion Pacific鉄道の機関士Tom Harveyに会いに行った。トムはBig Boy、Challengerおよび4-8-4を運転したのだ。 Cheyenneの機関庫に行って、保存機となっているそれらを見せてもらった。祖父江氏はビッグボーイに強い興味を示した。彼はすでに1000輌近く、その模型を作っていたのだが、それらをはるかに凌ぐSuper Big Boyを作ってみたかった。そこでDenverのForny Museumに行って、写真を撮った。その頃は、機関車に登って上から写真を撮ることが許されていたので、すべての蓋を開けて内部を撮ることができた。

 1987年に、あるスポンサーが現れた。その人は株を売買していた。スーパー・ビッグボーイ を発注したのだ。ところが、彼は総費用の半分を払ったところで倒産してしまったのだ。祖父江氏は経済的に多大な被害を受けたが、30輌を完成させた。

 1990年になると、アメリカの輸入業者は日本からの輸入をやめてしまった。祖父江氏は、いよいよ窮地に追い詰められた。私は彼を助けるため、日本国内の裕福な友人を紹介すると、1番ゲージのドイツの機関車の手作りをすることになった。製品はぞくぞくするほど素晴らしい出来であった。たいていは3輌、時に5輌、10輌という生産であった。しかし彼は幸せではなかった。

 彼はOゲージを作りたかった。彼曰く、「Oゲージは正しいサイズだ。1番ゲージは大き過ぎて、片手で持つには大きすぎる。 HOはメカニズムを楽しむには小さ過ぎる。」

2017年03月09日

Kimpei Sofue’s life  (5)

 そして、ミルウォーキィで開かれたNMRA(全国鉄道模型協会)のコンヴェンションに行き、我々の”押して動く機関車”を披露した。かなり劇的な展開であった。いくつかの注文を受けることができたし、あるアメリカ人は日本に来て、UPの4-8-4を輸入したいと言ってきた。それはKTMーUSAという名前で輸入された。
 その機関車はそのころまでの模型とは全く異なり、3条ウォーム・ギヤ、コアレスモータと素晴らしいディテールを持っていた。写真で、煙室内部を示した。

 それが終わると、デトロイトのDick Tomlinsonのところに泊めてもらった。彼は70年代にデトロイト模型鉄道クラブの会長であった。彼はアレゲニィを私たちに見せるために、ヘンリィ・フォード博物館に連れて行ってくれた。祖父江氏はこの機関車を300輌以上作っていた。彼は一箇所を除き、その全てを知っていた。その一箇所とは、パイロットの上の小さなステップの上面である。滑り止めのパターンがどうなっているかを知りたかった。ディックは警官で、仲の良い友達が博物館の警備主任であった。彼は警備主任に、機関車に上っても良いという、特別許可を出すよう頼んでくれたのだ。

 祖父江氏の勘は当たっていた。その面は祖父江氏に手に入るいかなる写真でも見ることができなかったのだ。ところが、10秒もしないうちに、笛を吹きながら警備員が走って来た。
「降りろ、このクソッタレ。降りろ。」
「私たちは特別許可を得ている。」と答えると、
「黙れ、降りて来い。逮捕する。」と警備員が怒鳴った。
 警備主任が、「もういい。行きたまえ。」と言ってくれたので、我々は何もされなかった。

2017年03月07日

Kimpei Sofue’s life  (4)

 祖父江氏は1985年までアメリカに行ったことが無かった。日本とアメリカの経済の関係が変化し始めたころで、為替レートが日本からの輸出に不利な状態になった。アメリカの輸入業者は、日本から韓国へと切替え始めた。
 そこで、私は祖父江氏をアメリカに連れて行き、友人らに会わせた。アメリカの模型人は誰も、この小さな男が14,000輌もの機関車を作ったとは知らなかった。

 Bill Wolfer氏はとても驚き、話は尽きなかった。彼はPomonaの競馬場にあるOスケールのレイアウトを見せに連れていってくれた。そこにはビッグボーイ 、UP9000, SP5000などの本物もあった。祖父江氏はSP5000の模型を作ったことがあった。本物を見ての感想は、「俺の作ったのと同じだ。よく出来てた。これを見て安心したよ。」であった。彼は自分の作ったものが実物通りであったことを知って、とても喜んだ。マックス・グレイはこの機関車の図面を用意できなかったのだ。20枚ほどの写真と諸元だけしか寄こさなかったのだ。祖父江氏はそれらの資料から作らねばならないので、1月ほど死に物狂いで取り組んだ。彼の作った機関車の中で、最も難しいものであったそうだ。
 
 次にテキサス州サン・アントニオのLorell Joiner氏に会った。彼は祖父江氏に会って、とても感銘を受けたようだ。日本に帰らず、ここに居てくれと言った。家と日本食のコックを用意してくれると言うのだ。
 ジョイナ氏は、模型会社を立ち上げるつもりだった。私も残して、通訳と経営をさせようとした。3人で長い時間話したが、結局我々はその話をお断りした。もし残ってジョイナ氏の下で仕事をしていれば、おそらく模型界はかなり変わった姿になっていただろうと思う。

2017年03月05日

Kimpei Sofue's life  (3)

 資料が少ないので、出来の悪い模型しかできなかった。良い模型を作ろうとすれば、図面が必要なのだ。カリフォルニアから来た男が、祖父江氏にたった一枚のシェイの写真を見せて、それを作ってくれと頼んだ。写真はエンジン側だけで、反対側の情報はないが、祖父江氏はドライヴ・シャフトの裏にウォーム・ギヤを隠して、なんとかそれを作り上げた。発注者はとても嬉しそうだった。

 1年後、ある紳士がKTMに来て、Bシェイを多数注文した。彼の名前はマックス・グレイであった。これがKTMが商業規模の対米輸出をするきっかけとなった。次の注文はSPのキャブ・フォワードであった。マックス・グレイは本物の図面を持って来た。祖父江氏にとって、アメリカの機関車の図面を見るのは初めてであった。マックス・グレイは次の注文のための、いくつかの図面も持って来た。祖父江氏はマックスグレイのためにパイロット・モデルを作るのに忙しかった。

 祖父江氏は英語ができなかった。KTMはマックス・グレイと祖父江氏の前で何度も話をするのだが、一度も紹介されたことが無い。彼は、誰が職人の長(master craftsman)であるかということを知らなかった。KTMにとっては、祖父江氏は「金の卵を産むニワトリ」であった。もしマックス・グレイがそれを知ったなら、彼は何としても祖父江氏をアメリカに連れて行ってしまっただろう。 祖父江氏はマックス・グレイと直接話ができなくて残念であった。マックス・グレイはNYCが好きで、それがハドソンやナイアガラを何度も再生産した理由である。

 60年代の終わりに、祖父江氏は独立して工場を持ち、KTMからの注文を受けた。マックス・グレイはレヴォン・ケマルヤンを連れて来た。彼はその後、後継者となり、その会社はUS Hobbiesである。ケマルヤン氏はいい男で、発注したL&NのバークシャのBig Emmaを見て、「とてもよくできている」と祖父江氏を褒めた。


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