Oゲージ

2017年09月18日

続 San Diego Model Railroad Club

118_6387118_6386 引き続いてO scaleの方を見てみよう。30年前と変化はなかった。既に、かなり陳腐化された概念のレイアウトである。ありえない階段状の本線を主題とした古臭いコンセプトに基づいている。取り壊して新しいレイアウトを作るべきである。筆者も、昔はこれを見てすごいと思ったのだが、今は妙なものであると感じた。

 HOの古いレイアウトも、陳腐化して取り壊されたのであろうと思われる。レイアウトの概念は急速に進歩しているのだ。より写実的になるか、抽象化するかのどちらかしかないだろう。
 筆者の博物館は抽象化の道を選んだ。故土屋氏のコンセプトである。すべてを無彩色にし、特別の部分だけに彩色を許した。日本にはあまりない Display Layout である。
 このサン・ディエゴの博物館は、写実的なO scale レイアウトとしては面積が小さすぎる。あたかもNゲージの1畳レイアウトのような感じである。何もかもつっこんである。現場で担当者とその件について語り合ったので、いずれ反映される日が来ると信じたい。
 O scaleでは、実感味は別のところにあるはずである。実物のような慣性のある走り、ポイントのフログでのドスドスという響き、カーヴでの揺れ具合などを十分に堪能させるようなレイアウトが望ましいと考えている。

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2017年07月07日

スクラッチ・ビルディング

スクラッチ・ビルディングはもうしない」と書いたことがあるが、最近は細かいものをよく作っている。例のOBJプロジェクトもそうであるし、貨車とか客車を結構な数、作っている。
 最近は少しずつUPの客車をキットから作っているが、その中に入れる荷物車は好きな形のものがないので、自作している。全熔接タイプだから、リヴェットを打たなくても良いので、実に簡単だ。床下もごく適当に、見える範囲だけ付ける。

73ft baggage 大きなシァを持っている工場で切ってもらった床板、側板を毎日少しずつ加工している。窓が少ないので工作は簡単だ。4枚重ねて扉を抜き、内側に側板の厚み分の控えをハンダ付けする。あっという間にできてしまう。こういう工作は楽しい。
 
 妻板にはメクラの扉があるので、その周りを角線で作り、ハンドレイルを付ければできあがりだ。妻と側板を直角に付けるのは簡単である。
 まず、接合部にハンダメッキをしておき、大きめのコテで何箇所かチョン付けする。ハンダは玉になっている程度で十分だ。それを直角のジグに嵌め込み、接合部の下半分を濡れ雑巾で防護する。上半分を小さなガスバーナで外から炙ると、玉になっていたハンダが、つるりと浸み込んでぴかっと光った面になる。
 ひっくり返して、残りを付ける。こうすると完全な接合ができる。裏にアングルを付ける必要はない。実によく付いている。ハンダはスズ63%のを用いるのが唯一のコツである。融けているか、固まっているか、のどちらかしかないので、極めて短時間に終わる。このような作り方は、ある程度の大きさを持つOスケールだからこそできるのだろう。炭素棒を使えば、HOでもできるはずだ。 


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2017年06月13日

本日、ブログ2000号

 表記の通知を受けた。思えばこの1000号は早かった。祖父江氏、土屋氏、吉岡氏の死去に伴う博物館の建設作業、伊藤剛氏の遺品の収蔵、雑誌への対応などで目が回るほど忙しかったので、「おや、また1000号?」という感じだ。

 以前は全く気にも留めなかった読者数を、毎月の集計でみている。毎日、正確に決まった数の人が読みに来て下さっていることが分かる。読者数の波がここ1年、全く同じである。決まった数のフォロワーがいるということは、評価が確立されたということであろう。筆者の提唱することにご興味のある方が、一定数存在するということであると解釈している。

 筆者のポリシィは一貫している。
摩擦の少ない車輛を、高効率の機関車でたくさん牽き、重量感のある動きを再現させる。」
 それだけである。それを実現するためなら、何でもする。つまらぬ(と言っては失礼か)ディテールには凝らない。ただ、見えるところはそれなりに処理する。見えないところはすべて無視する

 博物館を見せてくれという要望はかなりあるが、今のところ、ほとんどの場合お断りしている。セキュリティがまだ不完全で、大切な収蔵物に事故があってはならないということもあるが、それよりも、見学者に割く時間が惜しい。その時間を製作に振り向けたい。
 それとターンテイブルが未完成で、お見せできる状態ではない。早く完成させねばならない。


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2017年03月21日

競作

 珍しいことに電気機関車を作ることになった。50年ぶりである。チラ見せする。最近はやりの teasing advertising(じらし広告)である。  

OBJ 1 所属クラブの70周年記念例会に、伊藤剛氏追悼の電気機関車を作ろうということになった。剛氏が作られた原型を各ゲージでアレンジして、好きなように作るというのが主題である。
 Oゲージ部会では、ステンレス板をレーザで切って作ることになった。車体にレーザ加工板を使うのは初めてである。車体寸法を決めるのに、時間が掛かった。元が自由形なので、縮尺を変えるだけでは意味がない。Oゲージの車体幅は63 mmを超えると、ろくなことが無い。手摺りなどの突起物を考えると車体幅は61 mmとなった。基本設計は土橋和雄氏が担当し、工場に渡すプログラムは、例によってnortherns484氏にお願いした。


 伝導装置は筆者が設計して、提供した。強力コアレスモータと3条ウォームギヤ軸をチェーンドライブする少々贅沢な組み合わせである。車輪はΦ25のLow-Dがあったので、配布した。軸箱はフライス盤で切り出したボール・ベアリング用を用いた。ロストワックス製のものを好む人もいるので、その方達には、ボール・ベアリング用の穴を開けてお渡しした。

Sacramento Northern 654 and 652 10-3-09rr 外観は全く自由なので、筆者はアメリカン・スタイルにした。実はSacramento Northernの電機に惚れていたのである。いつか、ものにしたかったのだが、作ることはあるまい、とも思っていた。
 ジャンク箱をかき回して、カウ・キャッチャを見つけた。大きさは良いのだが、一つしかない。仕方がないので採寸して図面を描き、作る準備をした。そこまでやったところで、もう一つ見つかったので、図面は投げ捨てた。

 さて軸配置は何であろうか。BrassSolder氏は、一発で当ててしまわれた。

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2017年03月15日

Kimpei Sofue’s life  (8)

 祖父江氏が亡くなる前から、彼を「O scaleの殿堂」入りをさせるべく、運動を始めた。アメリカの友人たちがそれを後押ししてくれたが、5年以上の時間を要した。存命中に殿堂入りが果たせれば、祖父江氏にとって素晴らしいことだったのだが、それは実現しなかった。
 ともかく、日本人の殿堂入り(2016)は初めてであり、日本の模型人はそれを誇りに思う。

 祖父江氏の影響力は大きく、プラスティック製機関車の上にもそれが表れている。
 RivarossiのIndiana Harbor Beltという0-8-0のOスケール・モデルをご存じだろう。それは祖父江氏の作った0-8-0を元にしている。
 祖父江氏はこう言った。
「US Hobbiesの0-8-0を作った時にね、3箇所間違えちまったんだよ。それがねえ、全部リバロッシの模型にあるんだ。本当に参っちまうよ。」
また、ブラス製HO模型のいくつかは、彼のOスケールの縮小ヴァージョンである。

 祖父江氏は3条ウォーム、ボールベアリング化の改造工事を、1000輌以上の機関車に施した。私の手元には100輌近くあり、近く開館予定の博物館で展示走行する。それらは信じられないほど滑らかでパワフルである。ギヤは15ワットの出力を伝達でき、強力なコアレスモータで120輌の列車をやすやすと牽引する。

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2017年03月13日

Kimpei Sofue’s life  (7)

 国内で祖父江氏のOゲージ模型を欲しがる人は多かったが、祖父江氏には新規にそれを作る資力がない。そこで、神戸の地震で亡くなった魚田真一郎氏が良い方法を提案した。買いたい人から毎月一定額を集めて、それで新しい機関車を作ってもらう。1年ほどで、注文者は新しい機関車を受け取り、祖父江氏は注文数以上の機関車を個人的に売ることができる。一部はアメリカに私自身が持って行ったし、直送もした。この方法は祖父江氏に素晴らしい機関車を作り続けてもらう、良い方法だった。

 こうしてできた機関車は3条ウォームとボールベアリングを装備し、テンダには抵抗の少ないLow-D車輪を付けていた。こうしてこの特製品を作る方法は10年ほど稼動し、C&NW H-1, CB&Q O-5, SP5000, ATSF 4-6-4, PRR DD1 が完成した。それと並行して、古いKTM製の機関車の動力を、3条ウォーム、コアレスモータ、ボールベアリング化する改装工事を引き受けた。こうして2009年10月27日午前2時の突然の死まで、彼は仕事を続けることができた。彼は87歳の人生を終えた。

 私は彼と35年余の長きに亘って良い友達であった。私は彼の顧客であるが、写真、図面を入手するのに手を尽くした。それ以外に新技術の導入の手伝いをした。いわゆるlaunching costomerである。(ローンチング・カスタマーというのは、新型航空機を発注して導入する会社が、設計時から深くかかわる時、その航空会社のことを言う。)我々はいつも助け合った。ある時、祖父江氏はこう言った。
「あんたには本当に感謝するよ。あんたがいなけりゃ、俺はとっくに廃業して、アル中になって逝っちまってたよ。」 
 私は彼の友達として、かくも長くお付き合いできたことを、誇りに思う。 

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2017年03月11日

Kimpei Sofue’s life  (6)

 次に、私の友人であるUnion Pacific鉄道の機関士Tom Harveyに会いに行った。トムはBig Boy、Challengerおよび4-8-4を運転したのだ。 Cheyenneの機関庫に行って、保存機となっているそれらを見せてもらった。祖父江氏はビッグボーイに強い興味を示した。彼はすでに1000輌近く、その模型を作っていたのだが、それらをはるかに凌ぐSuper Big Boyを作ってみたかった。そこでDenverのForny Museumに行って、写真を撮った。その頃は、機関車に登って上から写真を撮ることが許されていたので、すべての蓋を開けて内部を撮ることができた。

 1987年に、あるスポンサーが現れた。その人は株を売買していた。スーパー・ビッグボーイ を発注したのだ。ところが、彼は総費用の半分を払ったところで倒産してしまったのだ。祖父江氏は経済的に多大な被害を受けたが、30輌を完成させた。

 1990年になると、アメリカの輸入業者は日本からの輸入をやめてしまった。祖父江氏は、いよいよ窮地に追い詰められた。私は彼を助けるため、日本国内の裕福な友人を紹介すると、1番ゲージのドイツの機関車の手作りをすることになった。製品はぞくぞくするほど素晴らしい出来であった。たいていは3輌、時に5輌、10輌という生産であった。しかし彼は幸せではなかった。

 彼はOゲージを作りたかった。彼曰く、「Oゲージは正しいサイズだ。1番ゲージは大き過ぎて、片手で持つには大きすぎる。 HOはメカニズムを楽しむには小さ過ぎる。」

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2017年03月09日

Kimpei Sofue’s life  (5)

 そして、ミルウォーキィで開かれたNMRA(全国鉄道模型協会)のコンヴェンションに行き、我々の”押して動く機関車”を披露した。かなり劇的な展開であった。いくつかの注文を受けることができたし、あるアメリカ人は日本に来て、UPの4-8-4を輸入したいと言ってきた。それはKTMーUSAという名前で輸入された。
 その機関車はそのころまでの模型とは全く異なり、3条ウォーム・ギヤ、コアレスモータと素晴らしいディテールを持っていた。写真で、煙室内部を示した。

 それが終わると、デトロイトのDick Tomlinsonのところに泊めてもらった。彼は70年代にデトロイト模型鉄道クラブの会長であった。彼はアレゲニィを私たちに見せるために、ヘンリィ・フォード博物館に連れて行ってくれた。祖父江氏はこの機関車を300輌以上作っていた。彼は一箇所を除き、その全てを知っていた。その一箇所とは、パイロットの上の小さなステップの上面である。滑り止めのパターンがどうなっているかを知りたかった。ディックは警官で、仲の良い友達が博物館の警備主任であった。彼は警備主任に、機関車に上っても良いという、特別許可を出すよう頼んでくれたのだ。

 祖父江氏の勘は当たっていた。その面は祖父江氏に手に入るいかなる写真でも見ることができなかったのだ。ところが、10秒もしないうちに、笛を吹きながら警備員が走って来た。
「降りろ、このクソッタレ。降りろ。」
「私たちは特別許可を得ている。」と答えると、
「黙れ、降りて来い。逮捕する。」と警備員が怒鳴った。
 警備主任が、「もういい。行きたまえ。」と言ってくれたので、我々は何もされなかった。

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2017年03月07日

Kimpei Sofue’s life  (4)

 祖父江氏は1985年までアメリカに行ったことが無かった。日本とアメリカの経済の関係が変化し始めたころで、為替レートが日本からの輸出に不利な状態になった。アメリカの輸入業者は、日本から韓国へと切替え始めた。
 そこで、私は祖父江氏をアメリカに連れて行き、友人らに会わせた。アメリカの模型人は誰も、この小さな男が14,000輌もの機関車を作ったとは知らなかった。

 Bill Wolfer氏はとても驚き、話は尽きなかった。彼はPomonaの競馬場にあるOスケールのレイアウトを見せに連れていってくれた。そこにはビッグボーイ 、UP9000, SP5000などの本物もあった。祖父江氏はSP5000の模型を作ったことがあった。本物を見ての感想は、「俺の作ったのと同じだ。よく出来てた。これを見て安心したよ。」であった。彼は自分の作ったものが実物通りであったことを知って、とても喜んだ。マックス・グレイはこの機関車の図面を用意できなかったのだ。20枚ほどの写真と諸元だけしか寄こさなかったのだ。祖父江氏はそれらの資料から作らねばならないので、1月ほど死に物狂いで取り組んだ。彼の作った機関車の中で、最も難しいものであったそうだ。
 
 次にテキサス州サン・アントニオのLorell Joiner氏に会った。彼は祖父江氏に会って、とても感銘を受けたようだ。日本に帰らず、ここに居てくれと言った。家と日本食のコックを用意してくれると言うのだ。
 ジョイナ氏は、模型会社を立ち上げるつもりだった。私も残して、通訳と経営をさせようとした。3人で長い時間話したが、結局我々はその話をお断りした。もし残ってジョイナ氏の下で仕事をしていれば、おそらく模型界はかなり変わった姿になっていただろうと思う。

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2017年03月05日

Kimpei Sofue's life  (3)

 資料が少ないので、出来の悪い模型しかできなかった。良い模型を作ろうとすれば、図面が必要なのだ。カリフォルニアから来た男が、祖父江氏にたった一枚のシェイの写真を見せて、それを作ってくれと頼んだ。写真はエンジン側だけで、反対側の情報はないが、祖父江氏はドライヴ・シャフトの裏にウォーム・ギヤを隠して、なんとかそれを作り上げた。発注者はとても嬉しそうだった。

 1年後、ある紳士がKTMに来て、Bシェイを多数注文した。彼の名前はマックス・グレイであった。これがKTMが商業規模の対米輸出をするきっかけとなった。次の注文はSPのキャブ・フォワードであった。マックス・グレイは本物の図面を持って来た。祖父江氏にとって、アメリカの機関車の図面を見るのは初めてであった。マックス・グレイは次の注文のための、いくつかの図面も持って来た。祖父江氏はマックスグレイのためにパイロット・モデルを作るのに忙しかった。

 祖父江氏は英語ができなかった。KTMはマックス・グレイと祖父江氏の前で何度も話をするのだが、一度も紹介されたことが無い。彼は、誰が職人の長(master craftsman)であるかということを知らなかった。KTMにとっては、祖父江氏は「金の卵を産むニワトリ」であった。もしマックス・グレイがそれを知ったなら、彼は何としても祖父江氏をアメリカに連れて行ってしまっただろう。 祖父江氏はマックス・グレイと直接話ができなくて残念であった。マックス・グレイはNYCが好きで、それがハドソンやナイアガラを何度も再生産した理由である。

 60年代の終わりに、祖父江氏は独立して工場を持ち、KTMからの注文を受けた。マックス・グレイはレヴォン・ケマルヤンを連れて来た。彼はその後、後継者となり、その会社はUS Hobbiesである。ケマルヤン氏はいい男で、発注したL&NのバークシャのBig Emmaを見て、「とてもよくできている」と祖父江氏を褒めた。


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2017年03月03日

Kimpei Sofue’s life  (2)

 祖父江氏は1922年、東京に生まれた。父親は建具職人であった。父方の伯父は日本刀の鞘を作る職人であった。祖父江氏は中学校時代からブラスの切れ端で蒸気機関車を作っていた。科学雑誌を見て知識を得、駅で本物を見てメカニズムを理解した。
 彼は本物の機関車の部品を作る工場に就職した。速度計、インジェクタ、自動逆転器、汽笛、ベル(満鉄の機関車用)などを作った。そして会社の中の学校に通う許可を得た。そこでは図面の描き方、機械工学を習った。これが彼の作る機関車が他と違う理由である。
 戦争中は軍艦の部品を作る工場で働いた。彼の技量は傑出していて、兵役を免除された。他の誰も彼の代わりができなかったのである。戦争中でさえも、彼は小さな機関車を作っていたという。(訳者注 3台作ったが、戦後の混乱期にGIに売って食べるものになったそうである。)

 戦後、日本は連合軍によって占領された。彼はKTMで工場長として働き始めた。KTMはもともとはゴム動力の飛行機模型を売っていた。たくさんの兵隊が、彼に機関車の模型を作るように頼んだ。写真を数枚と、車輪径などの諸元しか寄こさなかったが、彼は1週間に1輌!ほどの速さで作った。
 ある将校がKTMにロボゥの機関車を持ってきて、そのコピィを作ってくれと言った。ロボゥは素晴らしい模型メーカで、いくつかのアイデアはKTMによって使われた。たとえば、先台車のセンタピンは長いネジで、シリンダ・ブロックを貫通してボイラを留めた。また、KTMのモータはロボゥの形を真似ている。

 東京の立川基地の格納庫の天井裏にはなかなか良いOスケールのレイアウトがあった。祖父江氏は背が低くて見えなかったので、誰かが肩車をして、見せてくれた。それは15メートル角くらいの大きさで、素晴らしい出来だった。そこには祖父江氏の機関車が走っていた。その場所には何度か連れて行ってもらった。

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2017年03月01日

Kimpei Sofue’s life  (1)

日本語版を発表してくれという要望が多いので、しばらく連載することにした。

     祖父江欣平氏の生涯

           マックス・グレイに機関車を作った男
 
 70年代の中ごろ、アメリカで見るHO、Oの機関車は、ほとんどすべてが日本製であった。日本で誰が作っているのか、全く見当もつかなかった。 
 日本に帰ってから、友人がHOのいろいろな製造所で機関車の図面を描いていたという老人を紹介した。(訳者註  椙山氏が酒井喜房氏を紹介してくれたのだ。) 彼曰く、「祖父江さんに会うべきです。その人がKTMのOゲージの機関車を作っている、まさにその人ですよ。」
 私は、たった一人の人がKTMのほとんどのOゲージ機関車を作っていると聞き、とても驚いた。Oゲージのみならず、その設計がHOの機関車にも使われていたという。私は東京の郊外の田舎にある祖父江氏の工場を訪問してみようと思った。

 彼の工場は小さく、6 m X11 m ほどの作業場であった。3台の旋盤のうち1台は中型、残りは小型である。足踏みプレスが2台、型削り盤が1台、縦フライス、横フライス各1台、足踏みシャア1台、コンタマシン(いわゆる縦型帯鋸)、ボール盤数台とタッピングマシン2台があった。一角には簡単な鍛冶屋をする場所があった。ほとんどの特別な刃物はここで自作して焼きを入れていた。一番大きな機械は湿式研削盤である。これは自製のプレス型を研削して平面にする装置だ。

 3,4人の女性が主としてハンダ付けをしていた。祖父江氏は彼女らに組み立てさせる”キット”を作っていたのである。もちろん奥さんも手伝っていた。私が彼女らのハンダ付けを見ていたら、祖父江氏は聞いた。
「あんたはハンダ付けはできるかい?」
「もちろんできます。」と答えたので、私がハンダ付けする準備をしてくれた。

「駄目だ。」と彼は長いブラスの棒(断面は 3 mm X 25 mm)で、私の手首をぴしゃりと叩いた。「そんなんじゃ駄目だね。」と、彼は肘を机の端に付ける方法をやって見せてくれた。(次ページの私が鋼製トラス橋をハンダ付けしている写真を参照されたい。)これが、強い圧力を掛けながら鏝先を正確に制御するコツなのだ。
 彼が言うには、ハンダ付けは温度だけではなく、圧力で出来るのだ。熱い鏝はたくさんの熱量を持ち、先端には平らな面がある。押し付けると、熱エネルギィは短時間にワークになだれ込むのだ。私は練習生で、彼は厳しい教官であった。私は彼のところによく通って、模型の作り方を習った。 

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2017年01月10日

続々々 Lionel

BlogPaint ネジを2本外すとモータは分解できる。カーボンブラシはそこに立ったまま、抜けている。組むときはブラシなしで組んで、ブラシを落とし込み、バネをセットする。実に簡単である。モータ軸の先端は、先の尖ったネジで押さえられている(青矢印)。スラスト(軸方向の推力)を小さな摩擦で受けつつ、ガタを調節するためだ。この種の工夫は初めて見た。
 動力台車のセンターピンはない。前後はスライド溝で制限し、左右はモータの枠が当たって制限される。ゴムタイヤが付いていて、2軸駆動だが十分な牽引力がある。

 ライオネルの機関車は発電できない。これは界磁が励磁されていないので仕方がない。これがマグネット・モータならば、界磁に吸い付けられて、ますます動きにくい。しかし、3条ウォームを戦前から採用していたとは驚いた。どうしてそれが日本に入って来なかったのだろう。これは理解しがたい。ライオネルを分解した人は居なかったのだろうか。

 この方式が広く認知されていれば、鉄道模型界はかなり変わっていたと思われる。山崎喜陽氏は、「ウォームギヤは逆駆動できない宿命を持つ」とまで書いていた。単なる無知では済まされない。
 特許が取られていたとしても、昭和40年代にもなれば切れていたはずだ。もっとも、マグネット・モータが採用されていたので、逆駆動はやや難しかったろう。
 コアレス・モータが出るまでは、大きな変化はなかったかもしれないが、何かの変化はあったはずだ。 

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2017年01月08日

続々 Lionel

 ライオネルは、どの機関車も押して動く。正月に子供たちの遊び方を観察した時に分かったが、「押して動かす」という動作は、本能に基づくもののようだ。
 Williamsの機関車はマグネット・モータを搭載し、整流ダイオードが付いている。近代的ではあるが、押して動かない。本家ライオネルの電圧を上げて逆転器を動かすという手法を踏襲してはいるが、車輛を押しても動かないものは、子供が認めない。すぐに横に放り出されてしまった。

Lionel motor2Lionel motor3 ライオネルのディーゼル電気機関車は、モータ軸が垂直で、ウォーム・ギヤ駆動だ。これも押したら動く。ギヤは何と3条ウォームだ。非常に細く、普通のインボリュートでは当たってしまうようだ。歯型が特殊だ。かなり「逃げ」を大きくしている。

 筆者が3条ウォームを開発した時は、ライオネルがそれを採用していたことを知らなかった。後で聞いたところによれば、戦前からあったそうだ。しかし、押して動かす時の軽さは全く異なる。ライオネルは直捲モータであるが、平型コミュテータの径が大きく、摩擦が無視できない。ディスクブレーキのようなものだ。また、ウォーム・ギヤの前後にスラスト・ボールベアリングがないので、摩擦が大きいと思った。しかし、ブラシを外すと、実に軽く押せる。これには秘密がある。

 ブラシ付きでは、レイルに押し付けて押すと、モータが何とか廻るという程度だ。子供はそれを楽しむ。筆者の3条ウォームは、指先ひとつで押せる。また発電もできる。


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2017年01月06日

続 Lionel

115_5130115_5131 蒸気機関車はspur gear drive(平歯車駆動)である。直捲電動機であり、ギヤ比は12:1程度であるが、簡単に逆駆動できる。すなわち、子供が機関車を手で押すとモータが廻る。永久磁石のない直捲電動機ならでは、である。モータ軸は枕木方向であって、歯車は二段になっている。残念ながら、発電はできない。全軸ギヤ駆動だからロッドは飾りであるが、エキセントリック・ロッドも加減リンクも動く。子供たちはその動きに魅せられる。

115_5132 直捲電動機は起動トルクが大きい。電圧を上げていくと、じわっと動き、電圧を変化させなくてもそのまま加速していく。伊藤 剛氏が、「オートマティック・トランスミッションのようなものですから。」と仰ったが、全くその通りである。 3極モータで、コミュテータは3等分の円盤である。円筒状のものに比べて、円周が大きいから摩擦の点で損なのだが、後述のブラシ取換えのことを考えた構造であろう。

 モータ軸は機関車を裏返せば軸端が見えているから、簡単に給油できる。ブラシもその横に見えているから、押えのヒゲバネを横にずらせばすぐ外れる。交換部品はいつまでも供給されているから、半永久的に使える。
  
 先従輪は、左右に自由に動き、急カーヴの上では極端に飛び出す。

 電流値は最大5 Ampほどである。フィーダ線を手で軽く押さえて出発させたところ、接触抵抗が大きかったのだろう、熱くなって驚いた。50年ぶりの経験だった。


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2017年01月04日

Lionel

 Lionelはすでに100年を越す歴史を持つ会社で、経営自体はすでに創業者から離れているが、製品はポリシィを守って脈々と作られ続けている。精密な模型がいくらでもある中で、汽車のおもちゃとしてその哲学は一貫している。

 アメリカでライオネルと言えば、その浸透度は他を寄せ付けない。お付き合いしていた範囲では、10軒に1軒は持っているような気がした。クリスマスには引っ張り出して走らせるようだ。 
 古くても、油を注せばちゃんと動く。減りそうなところは硬い材料を使っているので、いくら走らせてもほとんど摩耗しない。注油の指示も正確に描いた図が添付されているから、簡単である。

 線路は昔ながらのtubelar rail (いわゆるガラレイルで、内部が中空)もあるが、徐々にプラスティックの路盤になりつつある。中央三線式で、確実な集電が可能である。昔のレイルはレイル内部の針金状の「爪」の向きが決まっているので、いわゆるSカーヴを作るためには両方に爪があるものが必要であった。また両方の爪がないものも必要であることは言うまでもない。

115_5133115_5135 最近のプラスティック路盤は、接続部の接点が逆接続もできるようになっていて、その点は大した進歩である。要するに接続面では接点が点対称に配置されているのだ(これはMTH製)。
 走行レイルは独立していて、電気的にはつながっていないので、どちらも給電しておくと、電気抵抗が減る。電流は大きく、5Aほど喰うものもあるので、少し離れると電圧降下がある。それも理科教育には大切なことかもしれない。

Lionel チューブラ・レイルの時は車輪と二点接触だったが、普通のレイルではほぼ1点接触と言える。これは今まで気が付かなかった。被牽引車はすべてピヴォット軸受で、極めて軽く動く。半径400mm程度の急カーヴをしゅるしゅると走る。大したものである。 

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2016年10月12日

open top hopper の整備

USH hopper conversion シカゴから貰ってきたブラス製貨車を整備している。台車が足らないので3台しか直していない。この貨車は安達製作所製である。以前入手したジャンクとは異なり、完成品なので、ダミィ・カプラが付いている。その部分を外し、Kadeeが入るように切り取る。

USH hopper conversion 2 そこに t1.2のブラス板を貼り付けて、高さを合わせるが、チャンネルをただ切っただけでは、連結時の衝撃で壊れてしまう。台車センタ・ピンのところまで深く差し込んで、全面ハンダ付けをすると丈夫だ。
 こうすれば、連結器にかなりの力が掛かっても座屈することが無い。こういうところに少し気を付けるだけで、長持ちする模型になる。

 ホッパの連結部はややこしい形をしているので、めり込むと修復が困難だ。以前めり込んだのは、切り落として全く新しい部品を作って嵌め替えた。大変に面倒な作業で、二度とやりたくないのだ。要するに加わった力は背骨を通って次の車輛に伝わらねばならない。途中で弱いところがあると、そこが座屈するわけだ。

 天気予報を見て、塗装日を決め、塗料瓶の数を確認する。塗り始めてから足らないことがわかると、悲惨だ。 

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2016年09月02日

祖父江欣平氏の殿堂入り

 祖父江欣平氏を、O Scale Hall of Fameに入れようと、過去5年ほど動いてきた。その前の段階から考えると、もう10年もやって来たことになる。

 DavidはワシントンDCの弁護士で、この運動に力を入れてくれていた。今まで殿堂入りした人は、すべてアメリカ人だ。その点も難しいところであった。
 筆者は各地で何回か、祖父江氏に関するクリニック、”The man who built engines for Max Gray" を講演した。参加者はすべて、祖父江氏のファンになり、運動を後押ししてくれた。O Scaleのコンヴェンションをまとめる評議会で何度も話題になったらしいが、すでにその年の人選が終わっていて、難しかったようだ。
 ようやく、今年になって可能性があるという知らせをもらったが、決定を知らされたのは最近だ。日本人が、アメリカの殿堂入りをするということは、画期的なことであり、日本の模型界のみならず、世界に影響を与えた模型人という意味でも、我々模型ファンは深く心に刻むべきことであろう。
 写真を送らねばならない。良い表情のものを探している。
  
 これは、もちろん日本の模型雑誌でも発表すべきことである。さて、どんな扱いになるだろうか。雑誌社にコンタクトしたいが、先年コンピュータが2台ともクラッシュして、アドレスが行くえ不明になってしまった。 

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2016年08月31日

続 O Scale Resource

 OSRは、もともとあった紙媒体の雑誌を受継いでいる。数千部では経費ばかりかさんで採算割れしてしまった。いっそのこと、無料のウェブ雑誌にしてしまえば、採算が取れるという計算だ。大きな利益を目的としていないので、損失がなければよいのだ。編集者は、良い書き手を求めて、取材活動をしている。くだらない投稿記事ばかり並べるような雑誌とは、一線を画しているのだ。

 編集者は、筆者と過去に何回か話をしている。記事にあったように、Melissaが日本に来て、当家に逗留していった報告を聞いて、ぜひとも詳しい話を聞きたいと思ったのだそうだ。
 博物館のレイアウトの分岐がハンドメイドであることには甚く感動していた。例の4番Y分岐と8番の関係など、目から鱗だったようだ。また、持って行った等角逆捻りのサンプルを見て、眼を輝かした。
「これはすごい発明だ。このデモンストレイションをやったら、みんな拍手喝采だよ。」
線路を持って行かなかったので、ハーマンの遺品の線路を借りて置いた。p.28の写真を見ると泣き別れになっているが、そんなことはどうでもよい。3点支持のまずいところがよくわかったのだ。

 ハーマンの奥さんが、
「線路がたくさんあるが、持って帰れるものなら博物館に寄贈したい。」
と言う。有難い申し出であった。線路はいくらあってもよい。ショウケースの中の展示用が不足していた。縦横高さの和158 cm以下であれば持って帰れる。航空会社の上級会員になっているので、荷物の数も余裕がある。数十本貰い、ちょうど良い箱を作って入れた。他にも、
「組み掛けの貨車キットなども、持って帰ればどうか。」
と勧めるので、10輌分ほどもらってきた。完成時には「ハーマンからの寄贈」というシールを貼る。
  墓地でハーマンの墓に参り、
"Bye bye, Harmon."
と言った瞬間に、それまで気丈に振舞っていた奥さんが号泣した。遠いところを来てくれたことを感謝された。

 帰国してから、すでに半分以上組んでしまった。欠落した部品は自作して補った。どれもシカゴ近辺の鉄道会社の貨車である。久しぶりの車輛工作だ。ハーマンのことを思い出している。

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2016年08月29日

O scale Resource

 昨日友人から連絡があって、記事が載っていると言う。開いてみたら、5ページもあって驚いた。27ページからである。編集者によると5,6回の連載にするつもりだそうだ。この雑誌は無料のウェブ雑誌で、広告費と寄付だけでやっている。金を取る雑誌よりも中身が良いと評判である。数千人の定期読者がいるそうだ。

 先日、シカゴに行ったときに、亡くなったハーマン宅を弔問し、墓参した。その時、奥さんが編集者に筆者が来ることを連絡したのだ。彼は急いでやってきて、3時間半のインタヴュを受けた。
「世界中であなたしかやっていないプロジェクトを紹介したい。なぜ、ここまで機関車の性能向上に心血を注ぐのか、それは一体何が始まりだったのかを知りたい。誰があなたに影響を与えた(mentorという言葉を彼は使った)のか。」と聞く。
 彼はジャーナリストである。今まで、仕事上でも趣味の世界でも、さまざまな報道関係者と話をしたが、彼の姿が一番正しい。核心を突いているのだ。

 i-Padの写真を見せながら、いくつかのサンプルを机の上に並べて見せた。彼は一つずつ動かしてみて、驚嘆した。
「これは模型の世界ではない。とてつもなく素晴らしい性能だ。どうして模型製造業者が飛びついてこないのだろう。」と聞く。
「単純に言えば、彼らに能力がないからです。見ても理解できない人たちなのです。実際に走らせていないから、100輌牽くと言っても、フーンで終わってしまうのですよ。」
と答えた。
「誰にもわからない、とは思えないけど。」
「ごく一部の人はわかります。今回も車輪を1000軸ほど買ってくれた人がいて、それを持ってきました。また、韓国の製造業者はこの歯車を欲しがりました。」
「でも、実用化されなかったよね。」と畳みかける。
「アメリカのインポータがそれを蹴ったのです。頭が悪いとしか言えませんよ。『単なるマスターベーションの一種だ。』と言ったそうです。でもヨーロッパには売れたようです。それほど高いものではないからね。」
「うーん。そうだね。」

 100輌以上の列車が1輌の機関車によって牽かれ、なおかつ下り勾配で発電しながら降りて来る様子をヴィデオで見せると、
「これは世界中に見せる必要がある。」と言った。           
 
 忘れていたが、このブログの開設10周年の記念日が過ぎたことを指摘された。 

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2016年04月24日

来訪者

 博物館に連れていって中に入った瞬間に、同じ言葉を発した。
”Huge(巨大だ)!"
 まさかアメリカ人の趣味人が、そういう感想を持つとは思わなかった。すでにYoutubeで動画を見た上での来訪であるから、 その点でも意外であった。もっと狭いところをくねくねと線路を引き回していると思ったそうである。 

 サウンド装置を最大限に働かせた後で、音を消して走行させた。
”音がしない!あまりにも静かだ!”と驚いた。参考に、ごく普通のめっきをした車輪を付けた車輛を1輌、斜面を滑らせた。シャーッという音がして、これが普通なんだよと言うと、納得した。
 Low-Dの威力が分かったのだ。 

 何台つないでいるのか数え始めた。実は数えやすいように、10輌ごとに少し変わった塗装の車輛をつないである。それでもどういうわけか10輌間違えた人がいた。正解は123輌である。貨車を手で押してみて、動力車が入っていないことを確認した。
”間違いなく、1輌の機関車で牽いている。これはすごいことだ。ギネスブックに申請しよう。”と言った。この程度のことではさほど感心することもないのだが。

 図書のコーナではかなり驚いていた。
”よくもこんなに集めたね。”
”大半は故人のコレクションなんだ。一応、日本で発行された趣味誌はほとんどある。”
と言うと、感心していた。

 線路の整列具合も彼らの興味のあるところだ。「レーザでこうやってアラインメントを出している」と見せると、非常に興味深そうであった。
”この方法は使うべきだが、この機械は高いのだろうか?”
 大まかな価格を知らせると、納得していた。  

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2016年02月01日

車重

 貨物列車の推進運転をしたときに2輌が座屈して脱線した。その2輌の質量を測定したら、
325 gであった。その2輌はその10日程前も脱線したことがある。40 ftの貨車だから12 oz、 355 gにするという当鉄道の規則から外れていたのだ。

 当鉄道では長年の経験からその数字を決めている。今回も前後の車輛群をすべて測定した。どれも355 g以上、370 g以下であった。他の車輛が踏ん張っている中で、この2輌だけが押し出されたという結果は興味深い。
 たった30 g(約1 oz)の不足が、その違いを生んでいる。極めて低速だから、遠心力は無視できる。連結器高さもゲージで合わせてあるから、違いは質量だけである。
 
 NMRAのRP(推奨項目)に車重のことが書いてある。「基本的な数値 + 長さによる数値」をオンスで表してある。メートル法で表してもよいのだが、数字が面倒な値になるので、オンスをそのまま使っている。
40-ft車の場合、車長は10インチである。
 基本の数値は”5”であり、長さのインチ数を足す。そうすると15となり、それがオンスで表される車重となる。15オンスは約 420 gだ。当初はそれでやってみたが、重過ぎる。少しずつ減らして、半径2800 mmで押し出されない車重を調べた。この実験には足掛け10年掛かっている。その間にLow-Dの採用もあり、条件が少し変化したが、結論として12 oz、355 gでうまく行くことが分かった。これで80輌の推進運転は可能である。ただしそれは平坦線上の話である。今回のような勾配上での押上げは想定していなかった。今までは単に、80輌の入替えを楽しみたかっただけである。

 今回の脱線は押上げ時であるが、他の車輛は脱線せず、この2輌だけが事故を起こしたことは、今までの実験の条件設定がかなり適切なものであったことを示している。


 当博物館の線路の勾配は55輌分の長さしかないから、それほど大きな推進力は掛かっていない。せいぜい2.5 Nである。ただし衝撃力は考慮していない。
 衝撃力が掛かるときには、ダンパを付けた車輛が不可欠だ。早く作らねばならない。 

 車重不足の車輛には鉛活字を接着剤で貼り付けた。こういう時にはSuper Xが便利だ。裏側の骨の隙間の見えない部分に貼り付けた。鉛活字は廃業した印刷屋から貰った。

 自宅から車輛を150輌ほど移籍したが、運転していると様々な不具合が見つかり、それを補修するのにかなりの時間を割いている。 

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2015年05月06日

続 Atlas' covered hopper car  

Atlas and Max Gray 手元にあったMax Gray時代のカヴァード・ホッパと並べた写真である。いろいろなところが細かくできている。MGの時代は資料を与えなかったのだろうか。諸元と写真を数枚与えて、「作れ」と命じたのではないかと思う。
 製作は安達庄之助氏である。安達氏は手抜きする人ではないからだ。

Atlas and Max Gray 2 上面のハッチの造作が異なる。MGの方は、ラッチを掛ける部分の構造が、実物を見ないで作られたように思える。残念だ。全体の寸法は正確だ。


Atlas and Max Gray 3 裏面のホッパの補強は興味深い。Atlasはダイキャストで作るのでやりたい放題の表現である。MGの時代であれば、この部分は省略するであろうと思う。


Atlas brake detail 車端のブレーキ装置は、Atlasではさすがによくできている。ブレーキ・シリンダからのロッドを受けるテコが実に実感的である。 



Atlas and Kadee 2 カプラはKadeeそっくりである。上がAtlas、下がKadeeである。シャンクの長さが異なるので辛うじて識別できるが、よくぞここまで、と言うくらい完全なコピィである。意匠の点で訴えられないのだろうか。
 スプリングは異常に硬く、話にならない。よほどの力を加えないと首を振らない。仕方がないので、Kadeeのスプリングを二重に入れてみたところ、調子が良くなった。
Atlas and Kadee 上がKadee、下がAtlasである。Atlasは伝統的な左右の張り出しを持っている。ここが引っ掛かって、左右の復元をする。

 総じて良くできているが、走行性能は極めて怪しい。台車の出来も良くないが、ブレーキシュウが付いているのは良い。下廻りは総取替えが望ましい。 

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2015年05月04日

Atlas' covered hopper car

 友人から預かっている貨車がある。Atlas製のカヴァード・ホッパである。2-Bayの古典的な形で、アメリカではセメントホッパという場合が多い。

 預かった理由は、脱線が多いからである。見ると車輪が振れている。彼のレイアウトはゲージが多少広いところもあり、振れて狭くなった瞬間に、たまたま広い軌間にはまり込む可能性があるのだ。

Athearn and Atlas Low-Dに取り替えることを条件に引き受けた。Atlasの台車は、車輪の厚いハイレイルにも対応する設計で、台車枠が広い。すなわち側面から見ると台車枠が、車体の側面に近い。ただでさえ、Oスケールは線路幅が2 mm弱広く、車輪厚さも多少は厚い。それに加えてこのせり出しでは見かけが相当悪くなる。また、台車枠が捻れない。すなわちイコライズしない。走行音が面白くないのだ。
 しかも車軸は2 mm径で摩擦が大きい。かなりの量の潤滑油を保持しているが、ピヴォットには敵わない。

Atlas underframe ボディ・ボルスタがないのは台車の心皿高さが高いからである。NMRAの規格から大きく外れている。どうしてだろう。他者の製品と互換性がない。仕方がないから、別部品のボディ・ボルスタを作って接着した。
 台車はAthearnの高級なピヴォット台車(今は品薄である)に振り替えた。
 

Atlas truckAthearn truck Atlasの台車枠はよくできていると感じるが、いかんせん厚すぎる。横から見ると、黒いボルスタが上の方に飛び出している。バネも2本しかないのは残念だ。右はAthearnである。

 

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2015年04月02日

sound deadening について

 先日、魚田真一郎氏の線路が全て運び込まれたことを書いたところ、当時の事情を知る人たちからいくつかのコメントを戴いた。皆さん、一様に感動されたようだ。「奇跡的だ。」と云う表現が多い。この博物館の件がなければ、それぞれの場所で吉岡式線路は朽ち果てて行ったのだろうと思うと、感慨深い。
 コルクが無意味な件についても、たくさんの方から連絡を受けている。公正取引員会に訴えるべきだという意見もあるほどだ。模型業界では、コルクは吸音性があると正々堂々と広告を出して売っているから、優良誤認ということになる。車の床にコルクを敷く人はいない。 

  さすがにおかしいと思った人もあったようで、いくつかの実験動画を紹介して戴いている。 これらの二つは同一の方の投稿である。最初の方は線路を直置きとゴム板を介しての比較である。コルクを敷いた状態も試しているが、ほとんど効果なしである。「コルク+ゴム」はかなりすばらしい。おそらく、コルク板とゴムとの接触面でも摩擦で、振動が熱に変わるのであろう。
 二番目はポイントをたくさん並べて走行音を比較している。 ゴム板が1mmではあるが、かなりの効果である。これを2mmにするともっと良いだろう。

 バラストを撒いた動画もあるが、どんな種類のバラストなのかが分からない。しかも固着してあるのかどうかも分からない。
 筆者の実験ではゴム板の上に緩く取り付けたフレキ線路を置き、その上にゴムを砕いたバラストを撒いたものが最優秀であった。ただ撒いただけで、取り除くときは真空掃除機で吸う。新しいダストバッグに溜めて、取り出す。ゴミやネジも入っているから、選り分ける。拙宅の地下のレイアウトはその方式である。ポイントのフログの音はドスドスと響く。
  
 アメリカではHomasoteを使う人が多い。昔は3/4インチ程度が多かったが、ほとんど効果がなかった。最近は2インチ(51 mm程度)を使うようになったので、そこそこの効果がある。それは質量の効果である。 
 ホマソートは紙粘土を固めたようなものである。二階の床に敷き詰めると、多少足音が聞こえにくい。向こうは靴履きだから、そういう遮音(insulation of noise)には関心が高い。
 しかしゴムにはかなわない。今の家に引っ越す前、高層マンションに住んでいたことがある。子供が小さかったので、床をめくって厚さ12mmの防振ゴムで床を支え、厚い合板を敷き詰めた。効果は抜群で、下の人が驚いていた。 

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2015年03月09日

Richmond の博物館

Richmond 3 RichmondはGoleden gate から見て、サンフランシスコ湾の奥にある町だ。歴史的に鉄道と深い関係にある町である。Santa Fe鉄道の終点であった。町の中心にある駅の中にはターンテイブルがある。
 そこにある鉄道博物館を今まで見るチャンスがなかったが、今回のレイアウト・ツアで行ってみた。会場からゆうに1時間かかる。
 O, HO,N のレイアウトが一つの建物の中にある。大きさはサイズに正比例しているわけではないので、HO,Nのレイアウトは相対的に大きい。
 これはOスケールで、左がHOである。

Richmond 4 Oスケールは線をひき廻し過ぎで、列車が山の中に入るとぐるっと回って出てくるのだが、どのトンネルから出るのか、見当もつかない。



Richmond 2 シーナリィはよくできていて、サンフランシスコ郊外の植生をよく観察している。もう完成して20年以上になるそうだ。



accidentaccidennt 2 脱線転覆した様子を表している。側面から見ることもできる。
 壁が切り取られ、谷底の様子が見える。ぐちゃぐちゃに壊れた貨車が落ちている。
 救援に来た重機が居る。

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2015年03月07日

O Scale West 2015

OSW 2015 今年は博物館の方が忙しいのと円安で、OSWはパスしようと思っていたが、講演の依頼があって行くことにした。帰りの便が中国の正月帰省の客で込んでいて、思う便が取れなかった。

 友人たちが「歓迎するから来い。」と執拗に誘ってくれたので、泊めて貰ったりして節約できた。開催地のホテルは毎年値上がりして、今年は116ドルもした。しかし立派な部屋で、面積は30畳以上ある。

OSW 2015 2 毎年、参加者の平均年齢が上昇する。このままではどうなるのだろうと、クリニックでは「OSWの未来」と題する講演まで行われた。来年は5月ごろに開くと云うので、筆者の参加は難しいだろう。
 
 テーブルの数は昨年とほぼ同数だが、売っているものが古い貨車等が大半であった。初日は高いが、最終日の昼過ぎになると値札を貼り替えて最終的には半額になるのだろう。頼まれていたものがあったので、手際良く買った。

Gary'sGary's 2Gary's 3Gary's 4



 
  レイアウト・ツアは毎年同じ顔触れで、工事の進捗があれば良いが、もう完成していると、行っても面白くない。しかし、Garyには会いたかったので行ってみた。
 博物館のことは知らせてあったので、最近の写真を見せ、いきさつを話した。
「君のLife-time project だね。」と言うので、「その通りだ。」
「100輌を牽いて1.6%を登るんだ。」と言ったら、彼は眼を丸くした。
「君のメカニズムとLow-Dなら可能だろう。」と言った。
「そのうち行くからな。」ということで、早く完成しなければならない。

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2014年11月17日

続 Mike Wilson氏を訪ねて

layout base height この写真で、レイアウトの高さが63インチ(1600 mm)であることが分かる。筆者は身長180 cmなので、口の高さである。線路は路盤より20mm程度高いので、眼の高さが機関士の眼の高さになる。


 レイアウトの路盤高さが 900 mm であると、座った人の眼の高さはおおよそ1200〜1300 mmであるから、標高差は300〜400 mm である。HOスケールなら、26 m〜35mほどになる。7階から10階の窓から鉄道を見下ろしている。Oスケールでも14〜19 mとなり、4〜5階の窓から見ている計算になる。
 いわゆる鉄道ファンが、そのような高さから鉄道を見るだろうか。Nゲージだったら、高層ビルから見ているのだ。今までのレイアウトはそのようなつくりである。縮尺が大きいほど眼の高さに近くすべきである。我々が汽車を見るのは、せいぜい跨線橋からである。

 筆者が今回製作中のレイアウトは路盤高さを1200 mmとする予定であったが、1230 mmにするつもりだ。少しでも高くしたい。子供さん用のお立ち台は作る。特定の場所からしか見えないが、それが安全につながる。うっかり手を出されると大変なことになる。

 世の東西を問わず、手を出すのはその瞬間である。それは列車が脱線したときである。脱線を直すと云うのは特殊技能が必要で、素人には難しいことがある。そこに手を出した瞬間に対向列車が来ると、三河島の事故のような惨状となるのだ。脱線しなければ、ほとんど問題ない。

 筆者の自宅レイアウトでは、脱線事故はまず起こらない。保線の問題もあるが、やはりLow-D車輪のおかげである。RP25の時代は、ちょっとした減速時に脱線が起こった。最近は連結器のダンパァのないものばかりをつないでも脱線が起こらない。

 

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2014年11月15日

Mike Wilson氏を訪ねて

Mike もう一人のMike、 Dr.Wilsonを訪ねた。彼のレイアウトも広い。60坪ほどある。このレイアウトは、かなり高い。5 ft 3 inもある。約1600 mmである。彼は背が高い(183 cm)こともあるが、部分的に床が低くなっていることも大きな要因である。他の部分では1350 mmほどのところが多い。この写真を見れば、床に段があるのがお分かりだろう。

Mike Wilson このレイアウトを最初に見たのは6年ほど前だが、その時に比べるとかなりの進歩である。今年すべての線路が敷け、バラストが撒かれた。次回行けばストラクチュアができ始めているだろう。


Mike Wilson3 このレイアウトはアメリカの東部の雰囲気を持っている。NYCとかPennsylvania鉄道の車輌が多い。厚くバラストが敷かれた複線の本線を持つ。
 線路の敷き方は非常に念入りで、透かして見ても波打っていたり、蛇行したりしているところは見つからない。




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2014年11月07日

続々 Mikeのレイアウト

Mike's この一角の完成度が高くなっている。丘の部分はどのように作ったのか聞くと、柔らかい紙に1インチ目の細い金網を漉きこんだものを手に入れたのだそうだ。中間にはポリエチレンの不透水層もプレスしてある。
 それを好きな形に整えて、整形外科で使うギプス入りのガーゼを置き、霧吹きで水を掛けるだけである。
 
 その金網入りの紙の品番をメモしていたのだが、行くえ不明になった。現物を持っているはずなので確認して報告する。しばらくお待ち戴きたい。安いもので驚いた。
 今まではさまざまな方法で地面の形を作っていたが、この方法ならあっと言う間だ。

Mike's crossing このセクションは、見せ場である。まだDC方式なので切替えは難しい。いくつものスウィッチを切り替えねばならない。操作を誤ると急停止する。多分ショートするだろう。クロッシングを、ドドドン、ドドドンと言う音を立てながら、列車が通り過ぎるのを、Mikeはうっとりとして見つめている。

 
Mike's TurntableMike's turn table2 このターンテイブルは、フロリダのCLWの創業者のBob Smith氏のところにあったものらしい。もちろんスクラッチ・ビルトだ。それを譲ってもらってきて、30年ほどになると言う。このレイアウトに付けるつもりだ。
 中央のタワァから左右に出ているワイヤは、タワァ自身を安定させるもので、決して旋回橋を吊り上げているのではない。

 Mikeは、定年後の自由な時間を欲しがっていた。しばらくはこのレイアウトで遊べるだろう。筆者の博物館の建設途上の写真を見せると、「40年ぶりに日本に行く。」と言い始めた。
「手伝ってやる。Mike Wilsonと一緒に行く。手伝ってやれば早くできるだろう?」
 急速な円安で、彼らにとって来やすい環境だ。きっと来るだろうと思う。

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2014年11月05日

続 Mikeのレイアウト 

soldering feeder Mikeのレイアウトでは、レイルジョイナは通電に寄与していない。レイルの真下に電線を直角にハンダ付けし、それに給電している。レイアウト全体では、その数は極めて多い。
 ハンダ付けしたフィーダは路盤の孔を通して下に垂れ下がる。ハンダ付けは炭素棒による。この金属製台に押さえ込んで、ワニ口クリップで通電する。電気配線であるからペーストを用いている。

how the feeder solderedhow the feeder soldered 2 左の写真はピンボケで申し訳ないが、このように線が直角に付く。右の写真は側線の終端で、線は折り曲げて付けてある。
 要するに本線部分では、全く見えないと云う事が大切なのだろう。

bus wire 路盤の下に、電線はこのような調子でぶら下がり、バスワイヤにハンダ付けされる。バスワイヤは2 ㎟ ほどの銅線である。
 ポイント部分の真下であるから、結線部の数が多い。トータス・ポイントマシンの接点を使って、回路の切替えをしている。すなわち、これはall-rail switchである。無電区間が全くない。





 


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2014年09月15日

続々々々々々 土屋 巖氏の死去

 祖父江氏を土屋氏に紹介してから3年ほど経った頃の話である。

「dda40xさん、祖父江氏は仕事がないと言っている。改造だけでは面白くないらしい。彼は機関車を作りたいんだ。でも、資本が無い。出してくれないかという話もあるが、それよりも、あの人をうちの会社に取り込んでしまいたい。会社の定款を多少変更しなければならないが、今でも1/1の モデル作りをしているんだから、そのままでも行けるかもしれない。」
「えっ、祖父江氏を雇うということですか?」
「いや、工場長ということではどうだろう。模型部門を独立させて、社員を何人か移動させる。中には好きなのも居るからね。工場には週2日ほど来てもらうという案ではどうだ。」
「祖父江氏は『自分の工場の中にある道具がないと仕事ができない』と言って、アメリカ移住の話も断ったのですから、難しいと思いますよ。」
「それなら、うちの会社の近くに、そっくり家ごと引っ越してもらうのはどうだろう。祖父江氏の図面は全て買い取り、NCの機械に掛けられるように、うちの社員に描き変えさせて保存する。」

 祖父江氏はあまり気乗りがしなかったようだ。
 しかし、土屋氏は諦めきれず、機関車を三次元測定器に掛け、NC彫刻機で彫り出して複製を作ったりしていた。そこで分かったことは、祖父江氏の図面と、出来上がった模型との間には僅かの差があったことだ。
 図面通りに彫り出したモデルと、製品とでは微妙な違いがあるのだ。

 土屋氏は矯めつ眇めつ、モデルと製品とを比べて、
「製品の方が良い。この差は祖父江氏の感性から来ている。これは図面通りに作ったらこうなる、というものではないんだ。要するに、無形文化財だな。彼は天才なんだ。祖父江氏が死んだら、もうおしまいだ。同じことを出来る人はいない。工場を作っても駄目だな。」

 その後土屋氏は、祖父江氏の持っている能力を全て模型という形にして、移し替えるという哲学で接した。必要なものは全て揃えて渡し、祖父江氏の好きなように工作をさせたのである。正しい意味のパトロンである。祖父江氏はそれに応え、素晴らしい仕事を残した。

「うちには祖父江氏の能力が具現化した模型が揃っている。これは素晴らしいコレクションだよ。」と土屋氏は満足であった。


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2014年09月13日

続々々々々 土屋 巌氏の死去

 土屋氏は単なるコレクタではない。自ら工作をされる方であった。しかもそれが実にお上手である。会社の社長室は工作室であって、ありとあらゆる素材が用意されていた。
 大物は会社の設備を使って加工するので、精度が出る。筆者もジグの部品をいくつか作って戴いたことがある。

 土屋氏は遠州鉄道のナロゥ・ゲージがお好きであった。かなりの作品を残されている。実物を見て写真をたくさん撮られている。藝大で同級生だった田宮督夫氏を訪ねて、静岡に遊びに行ったことがあるのだ。督夫氏は田宮模型の社長俊作氏の弟である。
 面白い小さな鉄道があるというので駿遠線を見に行き、全線に乗車したそうだ。

 10年ほど前から、土屋氏はナロゥ・ゲージに力を入れ始め、バックマンのGゲージを楽しんで来られた。1/20.7サイズの模型をたくさん集められたが、やはり日本の模型も欲しいということになり、駿遠線のモデルを作り始めた。
 762 mmを1/24にすると31.75 mmになるから、Oゲージの線路と車輪が使えるということに気が付き、車輪をLow-Dで作った。下廻りはブラスで、車体はプラスティック板から作られた。実に写実的で美しい模型であった。塗装は御専門であるから、素晴らしい仕上がりだ。全部で10台ほど作られたと記憶している。

 10年ほど前のJAMでGゲージの大きなレイアウトを出展されていたことをご記憶の人もいるだろう。巨大なTimber Trestleの上をサウンド装置付きの機関車が大きな音を立てて走っていた。あのレイアウトも土屋氏の自作である。色調が独特で、実に渋い。実物の色調をよく見ていらしたからだ。

 海外に御一緒すると、土屋氏は街の色、自然の色を丹念に観察されていた。次にデザインする車をそこに置いたとき、どのように見えるかを考えていたのだ。
 ホームセンタに行くと、ペンキ売り場で色見本をたくさん手に入れ、大事に持って帰った。
「日本にない色もあるからね。」


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2014年09月11日

続々々々 土屋 巌氏の死去

 土屋氏が亡くなって、御子息と話をさせて戴いた。

「博物館の話は進めて下さい。父や母から話はよく聞いております。」
とのことで、予定通り工事は進んでいる。

 土屋氏は、博物館の運営方針として、いくつかの条件を付けられた。

1) 共同経営者を入れないこと。苦しくても一人で持ち堪えよ。人に助けを求めると、喧嘩別れしたときに半分持って行かれてしまう。コレクションの分割は絶対に許されない。

2) 寄贈された品の処遇に対して、遺族は異議を申し立てることができないようにせよ。部分的に返せなどと言って来ると大変困ることになる。

3) いずれ遺品を寄付したいと、色々な人が申し出てくる時代が来ると思うが、多少なりとも、運営費として浄財を寄付してもらうこと。タダで貰ってくれるならあげますと言うなら断ること。電気代だけでも払えるくらいの寄付を戴け。価値あるものを収蔵していることをアピールすること。

4) トイレをきれいにすること。トイレがショボいと、全てがショボく見える。最高級のトイレを備え、清潔にしておくこと。

5) 背の低い子供達のために、お立ち台を作ること。その前には堀とフェンスとを設けて手を出させないようにすること。

 その他いくつかあるが、割愛する。土屋氏が、一番気を付けよとおっしゃったのは2)である。仕事上、藝大にはよく行かれて、博物館事情にも明るいので、このようなことをおっしゃったのだ。

 博物館は寄贈に当たって念書を取るらしい。そうでないと、様々な問題が起こるということである。
 よくあるのが、本物だと思って寄贈したが、贋作であったということだ。博物館は展示出来ないので、倉庫に入れておくと、遺族はどうして展示しないのだと怒鳴りこんで来るのだそうだ。
  
 現在、博物館は天井、壁、床が完成した状態で、来週から路盤作りに掛かる。鉄工所を経営している友人が、路盤を支える支柱を格安で提供してくれることになった。多くの友人の助力により、建設が進んでいる。

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2014年09月03日

Mike のレイアウト

 Mike Rossは日本の蒸気機関車に非常に詳しい医師である。若い時に横須賀の海軍病院に居た。日本全国をカメラを持って歩いた。数千コマのネガを保管しているそうだ。

Mike Ross 6Mike Ross 4 このレイアウトを訪ねるのも2年振りだ。以前は遅々として進まなかったが、このところ急速に進んでいるように感じる。聞けば、常勤だった病院を退職して週に2回程度行っているだけで、残りの日々はレイアウト建設に邁進していると言う。

Mike Ross 7Mike Ross 山に緑が増えてきた。このレイアウトはNorth Carolina州のBlue Ridgeを題材としている。アパラシァ山脈を縫って走る炭鉱鉄道という前提である。走る鉄道はVirginian と C&O, Norfork & Westernが主である。Mikeは少年期をそこで過ごしたらしい。  


Mike Ross 3 配線は台枠の下に孔を開けて通してある。全てのレイルに給電し、レイル・ジョイナは機械的なアラインメントのみで、通電を期待していない。

 台枠は太い2x4である。

Mike Ross 2 とても広い部屋で、母屋の2階を全て占有している。線路は優雅に曲線を描き、美しい。

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2014年08月12日

続々々 吉岡精一氏の死去

 分岐の設計についても吉岡精一氏の指導を受けた。とりあいカーヴという言葉を知ったのも、氏の図面からであった。線路の最小半径よりも大きなとりあいカーヴを持たせねば、車輌は分岐上で脱線する。
 
 「同じ番手のポイントなら、OゲージとOJゲージのどちらのとりあいカーヴが大きいか?」と聞かれた。
「そりゃOゲージでしょう。」と答えると、「作図したのか?」と問われた。
「いえ、してませんが、」と答えると、「あてずっぽうでは駄目だよ。作図してみなさい。」と言われた。

 作図して求めることの大切さを教えてくれたのである。「どんなことでも作図しなさい。絵を描くと気付くことがあるのですよ。」
 全くその通りで、気付かないことでも図の上では明確に現れることがある。

 筆者がアメリカにいたときは、頻繁にお手紙を戴いて、指示通り色々なものをお送りした。赤外線によるリモコンのパワーパックなど、走らせるためのものが多かった。
「アメリカにも行ってみたいが、忙しくてね。」とのことでいらっしゃることはなかったが、組み立て線路の設計が佳境に差し掛かり、分厚い封書がよく届いた。

「帰国するときには、アメリカ製のエンジン付き芝刈機をひとつ買って来てくれ。」という連絡が入り、引っ越し荷物に入れて送った。
「良く刈れるけど、刈った跡が荒っぽいな。」と、長く伸びた草を刈り、仕上げは日本製を用いてらしたようだ。

 30年以上の長きに亘り、細かく指導して戴いた。感謝に堪えない。

 先日亡くなった伊藤剛氏とは非常に親しいお友達で、頻繁に手紙をやり取りされていた。
 筆者は剛氏の逝去を知らせる手紙を書いたのだが、それが届いたとき、吉岡氏は既に入院中であった。御家族がそれを読んで聞かせられたのだそうだが、もはやご返事を戴くことはできなかった。

 御冥福をお祈りする。

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2014年07月06日

N氏のOゲージ・レイアウト

N氏のレイアウト 筆者のところに注文のあったポイントは、現地に運ばれ、取り付けられた。ポイントマシンはネジ式の既製品を用いたが、補助接点に問題があり、作動によって極性が切り替わらず、調整に手間取った。
 熟練した仲間がそれを修理し、確実に動くようにした。補助接点は外部のマイクロスウィッチによる方が確実だ。

ポイントマシンとリンク機構 一箇所のポイントマシンは設置場所が無く、ポイントの股の部分に置いた。長いリンクで駆動するようにした。ラジコン用のベルクランクを用い、回転に伴うバーサインを吸収するよう、もう一つのリンクもある。かなり高級な仕様だ。


 本線走行中に間違って側線の車輌が動かないように、ポイントマシンに連動するマイクロスウィッチでインターロッキングを掛ける。その配線をしながら、DC方式の配線はつくづく難しいと感じた。DCCなら何も考える必要はない。配線も極めて少なくなる。 

レイルボンド レイルボンドの取り付け状況である。1.25平方ミリの撚り線を作り、ハンダ付けしてある。
 小さなレイアウトなので電圧降下は少ない。

 

 


 

 

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2014年06月26日

博物館進捗状況   

2014年6月21日air conditioner installationair conditioner installation 2 ようやくエアコンが付いたところである。消費税率変更のあおりをくらって、様々な工事請負契約が遅れていた。税率増大の前に契約した仕事が6月初頭まで残っていたのである。急がなくても、8%になってからの方が価格は下がっている。105が108になるのであるから、2.85%しか、上がっていない。それぐらいのディスカウントを引き出すのは容易である。

Shelves さて、壁を塗って陳列棚を所定の位置に並べた。立派な棚で、これを捨てずに有効利用できたのは幸運であった。大きな斜めの収納部には、大型書籍を入れることができる。
 雑誌も年度別に平積みすることができる。上の方には汽車を置く。それぞれの棚にはLED照明を点ける。最近はテープ型の電球色LEDが安い。5mで送料とも800円台である。12 V で約 1 A である。とりあえず50 m 分用意した。手前のやや低い棚は高架部分を支える。下に物が置けるので、捨てずに活用する。

Front 館の前面は無理すれば車を3,4台置けそうだ。土日は隣の銀行の駐車場が開放されるので、7台が置ける。裏にはさらに10台ほどの駐車スペースがある。
 最寄りの鉄道駅は事実上なく、新幹線駅が一番近そうだ。

 全ての写真は14 mmレンズで撮っているので遠近感が誇張されていることに留意されたい。

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2014年06月24日

乗越しフログ

 もう壊してしまって20年以上も経つので記憶が薄れてしまったが、楽しい思い出がある。高校生の時の話だ。

 近所の駅の退避線の出発信号機の下には、乗越しフログの付いた脱線ポイントがあった。銅レイルのレイアウトには、直線部分があり、そこですれ違いができるようになっていた。そこに脱線ポイントを作った。当時のOゲージはフランジが高めであったので、ドリルレースで少し削って1.5 mmにした。全ての車輪を削るのは大変だったので、機関車と一輌目だけである。脱線側に行って突っ込むのは、それぐらいだからだ。

 ただ、実物がやっているのだから作ってみたくなったわけである。レイルの上にかぶさるポイント・レイルには、均一な斜面を付けないと飛び上がって脱線する。フランジ分の1.5 mmを持ち上げると、車輌はかなり傾く。しかし、フログの辺りに行くと、持ち上がって同じ高さになる。

 遊びに来た友人がそれを見て、わざわざ脱線させて遊んだ。彼はよほど気に入ったらしく、後々までその時の話をする。そのポイントでは、正しく本線に行った回数と、脱線させた回数が同じくらいだろう。本線のポイントとはリンクで連動させた。
 台車にバネが入っているのでそれほどショックはなかったが、たまに固定軸の機関車を走らせると、ゴンというショックがあった。 

 引越しの時に破損して、修理することなくそのまま分解してしまった。昨年、整理していたら、かぶさるレイルが見つかったのだが、うっかり廃品回収に出してしまった。既に熔かされているだろう。
 模型の写真を探しているのだが、なかなか見つからない。

 どなたか、乗越しフログを作られた方はいらっしゃらないだろうか。

追記 土橋和雄氏から写真を送って戴いた。関西本線井田川駅構内である。(8/30/2014)
乗越フログ乗越フログ2

 

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2014年06月22日

銅レイル

copper rail track 組み立て式線路の整理をしていたら、最も古い線路が出てきた。これは高校一年生の時に、級友のお兄さんから貰ったものだ。良く出来た線路で、路盤は桜の木で出来ている。木型屋に作らせたのか、既成品であったのかはよく分からないが、実に正確にできている。

 受け取ったとき、銅線による第三軌条が付いていた。枕木数本おきに木ネジを立てて、それに1 mm径ほどの銅線がハンダ付けしてあった。つなぎ目は二つ折りにして斜めに曲げてあって、弾力で接触するようになっていた。接触抵抗は大きそうだったが、特に問題なく走った。 

  四畳半にぴったり納まるように出来ているから、半径は1300 mm程度である。注目すべきはそのレイルである。当時は電圧降下が問題であった。モータの性能が悪いから、5 Aとか、10 Aを流していたのだ。電圧降下は電流に依るので、少しでも小さくしようと思うと、レイルの材質を銅にする以外ない。銀が最も良いだろうが、さすがにそれは売っていなかった。銅レイルが市販されていたのは非常に短い期間であったはずだ。筆者もこれ以外見たことがない。

copper rail 狭いところでも敷けるので、マンション住まいの時はよくこれで走らせていた。パシフィックならこれでもOKである。レイルの継ぎ目の音が大きく響くので、賑やかではあるが、楽しかった記憶である。継ぎ目が外れると面白くないので、細い釘を端に打ち、それの輪ゴムを掛けて外れ止めとしてあった。
 ゴムの威力は絶大で、速度を上げても決して脱線することが無かった。

 銅のレイルではすぐ擦り減ってしまいそうだが、意外と長持ちしていた。やはり色が良くないので、人気が無かったようだ。
 
 これは博物館で展示する。 

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2014年06月20日

続 懐かしい線路

 最近H氏に会った時に、カツミのブラスレイルを手に入れたいと相談した。そうしたら、
「昔譲って戴いた例の線路が、半分くらい余ってます。あれを剥がせば簡単ですよ。」と仰ったので、残りを買い戻した。
 
 結局8本残っていて、程度の良いもの1本を記念に残し、あとは引き剥がした。大半の合板の接着剤は剥がれ始めていて、寿命が尽きた感じであった。耐水合板でない時代のタイプ3という合板である。
 
 外したレイルはよく磨いて、ポイント作成用とした。フライスで削ってニッケルめっきを掛ければ出来上がりだ。

 当時の犬釘の形状が良く出来ていて、感心する。
O scale spikes 犬釘の断面が四角である。これが硬い材料なら言うこと無しなのだが、軟らかく、くにゃくにゃである。焼きの入る鋼を使えばよいのに、と思う。写真は、真っ直ぐな物を選んで写している。やや大き過ぎるが、レイルを保持する力は十分だ。打つ時は下孔が要る。
 下孔に入れて、釘締めポンチでコンコンと打つと締まる。


 ブラスレイルだから、饋電線なしでもよく走った。レイル・ジョイナの接触抵抗は無視できないはずなのだが、3Aほどの電流を流してもさほど問題はなかった。後に引っ掛け部分を通して通電するようにしたので、性能はぐんと良くなった。

 ポイントのフログで車輪が上下するのを眺めて楽しんだ。当時から、Oゲージの台車はバネ可動であったのだ。モーターは台車内に入れ、2軸を連動した。平歯車であったから、押して動く電車であった。モータはHO用のモータを使用した。

 これが筆者の日本型を走らせた最後の機会であった。

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2014年06月18日

懐かしい線路

old track とても懐かしい線路が里帰りした。高校生の時のものであるから、60年代の作品である。3線式から、ガラレイルの2線式に移行して運転していた時の話だ。
 あるとき、模型屋で出会った人(多分当時20代)が、
「うちの線路を譲ってあげる。ポイントも2つ付いている。真鍮レイルだから立派だよ。」
と、言う。その人はHOに移行したので不要となったものだ。

 早速荷台の大きな自転車に乗って取りに行った。価格は忘れもしない五千円であった。当時の五千円は高校生には大金で、青い五百円札10枚を持って行ったことを覚えている。真鍮ムクレイルが、1本85円の時代で、合板、枕木、ジョイナ、犬釘、塗料の材料費程度で売ってくれたことになる。

outer rail shifted 8畳間にぴったり入る大きさの円形で、退避線があり、それは円の内側にあった。早速電車を走らせたが調子が悪い。
 電車は近鉄の2200である。これもある人が車体キットを1500円で譲ってくれたものである。ひどいキットで、大半を捨てて作り直した。おかげで糸鋸工作がうまくなった。その2200は関西のN氏に譲り渡し、最近のTMSに紹介されていた。

 具合が悪かった原因は軌間である。31 mmしかない。ひどい話で、作った人は線路ゲージが32 mmであることを知らなかったのだ。手持ちの車輌をゲージにして車輪ゲージにぴったりの線路を作ったのだ。おそらく、うまく走らなかったはずだ。それで嫌になって筆者に売ったのだろう。

 レイルはほとんど新品で、カーヴ・ポイントは美しく作られていた。早速、片方のレイルを外して、ジグで押えながら 1 mm ほど外にずらした。それから数年、その線路は頻繁に使用したが、20年以上倉庫に仕舞われたままになっていた。

superelevation 10年ほど前、H氏がお座敷運転に使える線路を探しているとのことで、その線路を譲り渡した。40年前の価格で、である。H氏は、カントを付けるために、片側のレイルの下に1 mmゴム板を貼って、持ち上げた。ポイント部は本線側だけを持ち上げたようだ。その後、H氏はフレクシブル・トラックを使った線路に移行し、半分くらいの線路は合板だけ利用したりして、残りは放置されていた。

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2014年06月14日

続 鉄道模型博物館

 ほとんどの方は、Oゲージ車輌が眼の高さで走るのをご覧になったことがないと思う。慣性のある走りをする模型を観察されたことも、稀であろう。30年近く前、合葉博治氏が御覧になって、唸ったのを思い出す。


 この博物館には15パーミルの勾配があるから、それを乗り越えて走る様子をご覧になると、きっと感動されると思う。押して動く機関車の挙動は、実に実感的である。カーヴにはカントが付いている。見上げれば、それは実物のようである。

 博物館を開く目的はもう一つある。若い人たちへの勧誘である。Oゲージに魅力を感じれば、きっと参入者が現れるはずだ。20代の人たちが何人か、仲間に入ってくれれば嬉しい。材料を提供するのでそれを組んで貰う。テクニックは公開するし、機材も貸して差し上げれば、敷居も低くなるはずだ。

 車輌は最初、300輌程度で始めたい。ヤードの延長工事が完成すればもっと多くの車輌を移転させる。エンドレスは一巡りが80 m 以上あるので、100輌牽いても不自然ではない。

 外部の車輌は車検を通過したものだけ受け容れるが、おそらくこのような長距離を重負荷で走らせると、不具合を生じる場合が多いと思う。ほとんどの模型は連続運転を前提にしていないからだ。祖父江氏による改造車輌は、耐久性が抜群である。全ての車軸がボールベアリングで受けてあることが大きく効いている。
 また、どの軸もバネ付きであるから音も軽やかだ。
 

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2014年04月13日

続 枕木と砂利

Laying ties (6) 砂利を撒く。この砂利はアメリカのBallast Kingという会社のもので、筆者の好きな色である。結構な値段がするが、極めて実感的で、消音効果も大きい。材質はゴムである。冷凍して粉砕し、篩ってある。篩(ふるい)の大きさで、HO用もある。撒くためのホッパ車まで売っているようだが、自分でも作れるだろう。

 枕木の隙間に押しこむと、はみ出したシリコンシーラントでくっついてしまうのだ。枕木上の砂利を荒神箒(こうじんぼうき)で掃って、上に重いものを載せておく。3時間で固着する。
 路盤を傾けて、余分の砂利を落とし、回収する。

Laying ties (7) この方法は足立健一氏の開発された手法を元にしている。接着剤として機能するシリコーン・シーラントが柔らかいので、音が静かである。木工用ボンドでは固い音がする。砂利が柔らかいので、余計静かである。
 この写真は、余分をまだ落としてないときの様子である。左右の部分は前日に砂利を撒いて、清掃済みである。この程度の深さに仕上がる。

 4箇所に分けて施工して、4日で終わった。過去の経験で言えば、枕木位置が正確であれば、線路敷きは簡単である。枕木も本物のように片側だけ位置を正確に合わせれば良い。枕木の長さは不正確であるという前提である。

 外側のレイルを先に留め、ゲージを見ながら内側を留め、フログを固定する。フログ位置は裏から線を突き出させておくと分かり易い。

 謹告 ブログのURLを変更した。今までのURLでも転送されるはずであるが、こちらを登録して下さると確実である。
      
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2014年04月11日

枕木と砂利

 路盤作りをしている。最近は多忙で、1日1時間程度しか割けない。短時間に所定の工程を終われるよう、手順を明確にし、手際良く片付けることに留意した。

Laying ties (1) 路盤がレーザで正確に切ってあるので、その縁を基準にノギスで軽くケガいて砂利の限界、フログ位置を正確に決めておく。後者は枕木、砂利が載ると分からなくなるので、貫通孔をあけておく。



Laying ties (2)Laying ties (3) 枕木を縁から所定の位置になるように並べて見る。全体のバランスを見て、不自然でなければOKである。枕木の寸法は階段状にした。養生テープをそっと載せて、しばらく待つとくっつく。こうすれば位置関係を記憶させることが出来る。持ち上げて保存する。


Laying ties (4)Laying ties (5) 砂利を敷く面積にマスキング・テープを貼る。そこに変性シリコーン・シーラントを1 mmほどの厚さに塗り付け、枕木を所定の位置に置く。
 当初決めた位置関係を保っているか、よく確認してテープを剥がす。剥がすときにずれることもあるので、再調整する。枕木を指で圧迫して、隙間に入っている余分のシーラントを押し出す。押し出されたシーラントは枕木の隙間に溜まる。
 これらの写真は、再調整前で、枕木を多少動かす必要がある。

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2014年04月07日

続 O Scale Layout

 今回作成中のレイアウトは半径が1700 mm程度であって、電車の運転を主に考えている。長大編成の走行は考えていない。ポイントは6.7番である。曲線上のポイントは10.8番となる。幾何的に算出した。

 筆者は今まで多種のポイントを作ってきたので、今回は指名されて作ることになった。枕木はフレクシブル・トラックの寸法を採り、3 mm の木の板から切り出す。小型丸鋸で簡単に用意できる。

 このレイアウトは個人用ではあるが、一般の人にも開放するので、単純にして明解な配置である。凝った工作はしない。フログも旧型車輪が通ることを考慮して、非対称フログは採用しない。


 
 今秋開場予定のレイアウトは、筆者宅のレイアウトと同様、半径約3 mの複線で、ホース・シュウ・カーヴを作る予定である。その部分は四線となる。いわゆるドッグボーンを二つに折ったタイプのレイアウトである。側線は8本用意している。
 ポイントは8番を用いる。ダブルスリップはすでに製作済みなのでそれも入れる。いわゆるディスプレイ・レイアウトであって、シーナリィは最小限である。

 3月中に方針が決まるはずであったが、消費税の税率増大で工務店などの請負業務が全く契約できず、5月にならないと話が出来ない状態である。

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2014年04月06日

O Scale Layout

O Scale Roadbed 今、日本にOゲージのレイアウトはいくつあるだろう。筆者はそのほとんどを知っている。関東には3箇所、名古屋圏には2箇所、関西には3箇所であろう。都市部では大きな面積を必要とするOスケールのレイアウトは設置困難である。その点、名古屋圏は田舎で、少し離れれば土地は極めて安い。
 上記のレイアウトは公開されていないものを含む。

 今年になって、名古屋圏には新しいOゲージのレイアウトがさらに2つ建設中である。どちらもそう大きくはなく、14畳程度である。その一つは今、筆者が分岐を作って差し上げている。コンピュータを使ってレーザで切り抜いた。図面通りにできているから、作った部品を嵌め込んですぐ出来るはずだ。
 いずれ主催者のN氏から発表があるはずであるが、おそらく名古屋で一番古い模型人である。伊藤剛氏と親友で、名古屋模型鉄道クラブの発足時からの会員である。当初はN氏のご自宅で例会を開いたそうであるから、65年振りの回帰ということになる。 ご子息のお二人も会員で、このレイアウトで、Oゲージ部会が催されるはずである。

 残りの線路を作って下さっているH会員の別宅にも新しいレイアウトが完成間近だ。H氏は電車専門なので、筆者のような長大編成とは無縁である。HOのレイアウトも同時に作っていらっしゃる。

  Oゲージは絶滅危惧種と先日書いたのではあるが、新しいレイアウトが生まれて、新規の会員が増えれば、再生への道は開ける。

 この秋、もう一つ大きなレイアウトが名古屋圏のはずれに開場する。まだ詳しくは書けないが、60坪の広さがある。筆者がその案を練っている。工作教室もそこで開かれるはずだ。筆者の車輌群が半分ほど移籍することになっている。



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2013年10月25日

続々々々々々々々々々々 Ron を訪ねて

  長い時間を掛けて機関車を見せてもらったあと、Ronが「貨車を見てくれ」と箱から出してきた。

Ron Mitchel covered hopperRon Mitchel covered hopper 2 この貨車はWeaverの4-bay covered hopperである。1台30ドル以下の大量生産品である。筆者もたくさん持っている。梯子やステップが全てモールドされていて、線が太い。筆者のところでは一部取り換えたものもあるが、 それは破損品の修理に伴って部品を換えた程度だ。

 この貨車には参った。歩み板には手を加えていないが、梯子全てを切り捨ててヤスリをかけ、針金でスケールに近い太さで再現してある。ブレーキ配管をして、床下の4-bayを切り離して3-bayにした。筆者はブラス製の床下に振り替えたが、それより数等出来が良い。

Ron Mitchel covered hopper 3Ron Mitchel covered hopper 4 恐るべき腕である。細いプラスティックに正確に穴をあけ、きちんと曲げた針金を入れて接着してある。
 ホッパの排出口周りの工作は実に手際が良い。
「なに、写真撮って来て、適当に作っただけだよ。」とは言うものの、このレベルの工作はなかなか出来ない。台車がプラスティック製で、車輪もプラスティック製である。
 あまり転がりが良くない。いずれLow-D Wheelを買うよ。とは言ってくれた。少しサンプルを持っていたので提供した。
 Ron Mitchel ore car 
 うっかりブレた写真しかないのをお許し願いたい。これはAtlasのore carである。安ければ1輌10ドルで買える。その梯子をすべて切り取って、針金にしてある。凄まじい労力だ。なんと50両仕上げたと言う。毎日2時間やって半年掛かったそうだ。
 寝室の脇にある机の上でやるのだそうだ。後の黒い貨車の車輪はLow-Dである。

「僕はみんなのようなワークベンチを持ってないんだ。」と言うので余計驚いてしまう。機械は一切なしで、全て手工具だけだそうだ。恐るべき腕である。

 庭の畑の部分をつぶしてレイアウトルームを持つのが来年からのプロジェクトだと言う。横の芝生を畑にするそうだ。そうすれば工作室も完備するそうである。すごいことになりそうだ。

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2013年10月23日

続々々々々々々々々々 Ron を訪ねて

 このパシフィックには少なからぬ因縁がある。この機関車の上廻りとテンダは筆者が持っている。共通の友人Bobから買ってくれと頼まれたのだ。
 その煙室部分を作り変えるとミカドになることが分かったので、筆者の持つLobaughのミカドの下回りと組み合わせることにした。まだ完成していないが、いずれお目に掛ける。煙突はSweeny stack(ラッパ状に開いた煙突)である。この写真の機関車になる予定だ。

 そのパシフィックの下廻りを活かしてAlcoの機関車を作るとは聞いていたが、急に気が変わってRonに任せたらしい。テンダは自作だ。

 Ajinの下廻りは従台車辺りがでたらめである。イコライザが曲がって途中で切れている。従台車はリヤカーを引っ張っている感じだ。せっかくのスクラッチビルトなのだから、ちゃんと作り直すべきだと伝えた。

 次にChallengerが出てきた。Sunsetの製品で、十分に細かく出来ていて、価格の割には良い商品だ。問題の砂箱も正しい形になっている。
 しかし、フレーム形状は馬脚を現わしている。幅が一定の角棒を削っただけで、横から見えているではないか。これではオモチャである。
Ron Mitchel ChallengerRon Mitchel Challenger 2Ron Mitchel Challenger 3 僅かの注意を払えば、とても日本製が叶わないレベルの製品になるのに、と思った。
 塗装は美しい。火室の下に赤い電線があるのは興ざめだ。従台車の軸箱の形は良くない。

 テンダの出来は良いとは言えない。特に台車がいけない。実物を観察していないのが明白だ。安く買って、テンダは日本製に振り替えて従台車をいじれば素晴らしいモデルになるだろうと思った。

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2013年10月21日

続々々々々々々々々 Ron を訪ねて

Ron Mitchel 0-6-0 2Ron Mitchel 0-6-0 tender 2Ron Mitchel 0-6-0Ron Mitchel 0-6-0 tender
                                 


 

 Lobaugh の0-6-0である。火室下のフレイム、灰箱など新製している。 オリジナルはモータがキャブ内にあったが、それはうまく隠されている。筆者も持っているが、それは祖父江氏のアイデアで、ボイラー内にモータを押しこんだ。動輪の砂鋳物はよくヤスリが掛けられ、スポークがきちんと出ている。

 機関車はキットを改造して組んだものだが、テンダーはスクラッチ・ビルトである。素晴らしい出来だ。鏡板をどのように作ったかを聞き洩らしたが、よく出来ている。板バネの作りを見ると、ベッテンドルフ台車はKTM製品らしい。軸箱下に補強板らしきものが見えるのが興味深い。

 draw barは妙な位置にある。これは、アメリカの模型人全般に言えることだが、無関心な人が多い。

Ron Mitchel Pacific 2Ron Mitchel PacificRon Mitchel Pacific 3Ron Mitchel Pacific 4




 スクラッチビルドのものを見せると言って持ってきたのがこのパシフィックである。下回りはAjinの製品である。上回りは板から作ったと言う。煙室のリベットの打出しには唸った。素晴らしい。どうやったのか聞くと、
「なーに、薄い銅板にリベットを売って巻いただけだ。」と言う。一手間かけるだけでこんなに素晴らしくなるのか、と感心した。この機種に近い。Ajin のdraw bar はどういうわけか、曲がっている。困ったものだ。


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