旅客列車

2020年06月16日

Monarch用 連結器座

Monarch draft gear (1) Monarch draft gear (6)All-Nationの発売していた部品を買い占めてある。モナークの連結器用のDraft Gear(連結器座)である。どれだけ売れたのかはよく分からない。


Monarch draft gear (3)Monarch draft gear (4) モナークの欠点として、連結器同士が正対していないと噛み合わない。即ちセンタリング機能がないと意味をなさない。この連結器座はブラスの板を組合せて作られている。引張りはバネが働くが、推進時に働くものは無い。引張りのバネを利用してセンタリングをしている。連結器のシャンクの後端が直角でないとまずいので、調整が必要だ。また、取り付けピン孔が垂直に中心にあいていないと、具合が悪い。このセンタリングは実に絶妙な力で働く。うまい設計である。

Monarch draft gear (5) 床にはどうやって取り付けるべきか悩む。0.6 mmの板で試作をした。高さの点で問題がなければ量産する。
 連結器の首の部分は左右に振れても高さが変わらないようにしておく必要があるので、このゲートを付ける。連結器自体がそこそこに重いので、上方向は何もしない。垂れるのを防ぐだけである。電気絶縁は木製床板で確保する。

 連結器座には板バネが入っていて、適度の摩擦があり、走行時の安定に寄与する。これがないとバネの伸び縮みが自由で、妙な共振が起こるかもしれない。本来は釘で留めるような構造だが、ブラスのベースにハンダ付けした。ハンダが廻らないように注意して少量のハンダで付けた。この種の仕事は炭素棒に限る。接着面はヤスリで平滑にし、均一にハンダが廻るようにせねばならない。座の部分には完全に廻ったが中には入らない。少量の油を注しておく。これはバネの錆防止でもある。 

  このドラフト・ギヤは1950年代の製品である。プレス抜きで、曲げもしっかりしている。非常に出来が良い。当時のアメリカの製作技術は大したものである。
 ただ、底板と共に釘で床に打ち付けることになっているのは感心しない。抜け落ちることもありそうだ。さりとて、アメリカ人の平均的テクニックでは、このハンダ付けは難しかったであろう。  

 このモナークの連結器は、日本には情報が入らなかったようだ。可動式の自連タイプでは最高の製品だが、筆者の知る限り、雑誌等で紹介されたのを見たことがない。モナークを知らない人が連結器について論じても、意味がない。
 Max Gray は日本に持って来たはずであるが、それはどこに行ってしまったのだろうか。残念な話だ。


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2020年06月14日

再度 Monarch Coupler

 Monarch Coupler が市場から姿を消してから、40年近くになる。この高品質の連結器がKadeeに負けたのは、連結の簡便さと価格である。連結状態からの外れにくさ、推進運転のしやすさ、静粛性では、圧倒的に勝っていたのだが、連結がやや難しいところと、簡単に使えるカプラ・ポケットが市販されていなかったところが弱点であった。

 筆者は30年前に友人から10組ほど入手し、客車に付けた。貨車には付けなかった。もったいないからだ。その後、見つけたらあるだけ買い占めてきた。手元に数十組あったが、残りは少ない。
  客車の連結器で遊間が大きいのは、許せなかった。あちこちの運転会で見ていると、客車列車が発車する時に、カタ、カタ、カタと連結器が伸びながら発車するのを見ることが多い。これでは乗っている人はケガをするだろう。旅客列車は、しなやかに曲がる棒のようになっているべきで、伸びてはいけない。実物の貨物列車を見ていると、かなりの遊間があって音を立てている。ショックは長い緩衝器で緩和している。

 モナークの良いところは、もう一つある。シャンク(連結器の付け根)が長いことである。連結器が相手と噛合った状態ではガタが少なく、ほとんど曲がらない。つまり、2つの連結器が1本の棒のようになっているカプラの回転中心が台車のセンタピンに近いので、横方向のずれが少なく、推進時、減速時の座屈が起こりにくい。これは、長年の運転経験で脱線事故が全く起こらないことからも、証明されている。

Monarch draft gear (2) ただ一つの難点は、連結時に中心を厳密に合わせないと難しい。一度噛めば絶対に開放しないから、長い列車の運転では安心できる。センタリングができる連結器座が必要だ。
 意思を持った開放操作は実に簡単で、下から撫でるように触るだけだ。開放リンクを付ければ側面からでもできるし、開放ランプでの開放タイプを選択してあれば、下からエアホース状のものを押せば解放される。

 カプラ・ポケットは手に入れにくかったから、標準品をロストワックス鋳物で作って使っていた。その強度は極めて大きく、正面衝突でも耐える。ピンは少し弱く作ってあるから、それが剪断されるときにエネルギィを吸収し、犠牲となって車体は保護されることになっている。この部品はたくさん作ったが、使い尽くした。 

 今整備中の列車に付ける分で、モナーク・カプラの在庫も無くなる。追加購入ができるか、怪しい。友人たちに手を尽くして探してもらっている。

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2020年06月12日

続 Alton Limited

Lionel Alton Ltd 手元にあるライオネルの客車側面である。この色は正しい、とアメリカ人は言う。多数の人間が見ているので、そういう意味では客観的な判定であろう。しかし、塗り分けは怪しい。前回紹介したリンクの写真とは異なる。

AHM Alton Ltd これは、Rivarossi の客車である。リヴァロッシは、アメリカの輸入元であるAHM の指定で、Pullmanの客車を多種の塗り分けで出していたが、色調はどれも感心しなかった。例えばUPは妙にオレンジ色がかっていた。AHMは東部の会社で、UPのことは良く知らなかったのだろう。

 上の二つを比較すると、ドアの塗り分けが異なることに気が付く。Alton Limitedの文献を読むと、”Red Door”という言葉をよく見る。即ち、前回のライオネル、このリヴァロッシが塗り分けの点では正しいようだ。
 屋根の色は銀と書いてあるから、その点ではライオネルは正しいことになる。この二つのどちらも、名前が Wilsonである。C&Aでは歴代の大統領の名前をプルマンに付けていた。

 文字や線は Dulux Gold という色で、いわゆる金色ではない。この色を出すのは意外に難しい。線はディカルではなく、烏口で入れることになろう。 Dulux というのは塗料会社の名前の筈である。当時イギリスにあったらしい。DuPontも当時のカタログに載せていたのを見た覚えがある。その後の経緯は知らないが、現在はオ―ストラリアにある。日本の会社が買収したという話は新聞で見た。詳しい方の情報提供をお待ちする。

 下廻りは黒で、上記のパーラーカーWilsonには、着物を着た日本娘がスチュワーデスとして乗っていたとある。写真も見た。どうして日本女性が選ばれていたのかは、全く不明である。1920年代にアメリカ中西部に日本人が居た、というのもあまり聞かない話だ。 
 最後尾の展望車は、長さが全米最長の 90 ft (27 m強)もあり、就役時には全米に名を轟ろかせた有名列車だったのだ。さすがにこの90 ftは直ぐには再現できないが、いずれ取り組んでみよう。

 ハーマンは、子供の頃、住んでいた町を通過するのを見ていたのだろう。これでいろいろな疑問が解けたような気がする。

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2020年06月10日

Alton Limited

 表題の列車について詳しい日本人には、椙山 満氏以外会ったことが無いが、アメリカの鉄道趣味人にとっては、重要な列車だったようである。

 ハーマン亡くなり、作りかけの客車を2輌引き取った。何の列車を作ろうとしていたのかが、なかなかわからなかった。最近ディカル1袋を彼のところから来た箱の中で発見したので、その鉄道の記事を本で探し出した。それはシカゴ - オルトン間を結ぶ特急の車輛の一部であったことが判明した。
 オルトン・リミテッドはライオネルのベストセラーの客車セットであり、非常に有名である理由はそこにもある。ライオネルのセットは土屋氏の遺品の中にもあり、色調は正しいらしい。即ちその色を再現すれば、1編成が完成である。完成させて奥さんに写真を送る必要がある。見に来るかもしれない。

 オルトンはセント・ルイスのすぐ近くの都市である。ミシシッピ川に面した港町であった。当初はセント・ルイスに行こうと思うと、ここから渡し船に乗る必要があった。歴史のある街である。開通当時はアメリカ深南部(アラバマ、ミシシッピ、ルイジアナ州)に行くときは、ミシシッピ川を下るしかなく、そういう意味でも極めて重要な路線であったはずだ。 
 C&A シカゴ−オルトン鉄道は、後にGM&O  Gulf, Mobile and Ohio 鉄道の一部となった。Alton Limited は赤いパシフィックに牽かれた流麗な列車であった。GM&Oの機関車、列車はこのC&Aの色を受け継いでいた。

a trainAlton Limited 手持ちの車輛群の中から使えそうなものをピックアップし、軽整備をして並べてみた。この編成で行けそうである。後ろから4輌目と5輌目(カバ色の車輛の手前からの2輌)がハーマンから来た客車である。合造車の窓配置を修正してあるのが、決め手であった。
 機関車は、パシフィックを調達しなければならない。手持ちのパシの内、Erie のHeavy Pacificは、改造して塗り替えても惜しくないと考えている。もともとは事故車で、テンダは後家である。オルトンではこのヘヴィ・パシのコピィを使っていたそうだから、それでも良いだろう。
 ここでハーマンの夢の列車が走れば、供養となろう。

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2020年06月08日

Solarium

Solarium  (1) もう一つはヘヴィウェイトのソラリウム(日なたぼっこ車)  である。寒いところを走る線区には必ず付いている。
 これは3輌持っているので、1輌は2色塗りとした。優等列車に入れておけば、それなりの意味を持つだろう。この混成時代のしっかりとした資料はあまりなく、どんな組合せにしてもそれなりの解釈ができるはずだ。他にもプルマンが何輌かあるので、そのうちの2輌ほどを、2色にしようと思う。 

Solarium  (2) UPの写真集を見ると、この種の車輛の写真が何枚か見つかる。窓が大きく特別な車輛である。列車の最後尾につないでいるのも見る。列車名を記したDrumhead(行燈・アンドンと読む)を付けている写真もある。要するに、密閉式展望車として使われていたのである。
 どういうわけか、ブレーキ・ハンドルがこの最後尾の妻面に付いている写真が多い。反対側の妻面に付けたほうが、設計も楽であろうと思う。

 まだ塗り立てで、ディカルが貼ってないので、寝ぼけた感じである。塗り分け線には銀色の線が入る。細かい色差しとか、エア・ホースなどを付けると俄然、実感が出て来るはずだ。

 側面に付いている黒い点は「ゴミ」のようだ。今までの写真の中にも同じ場所で見つかっている。この写真はトリミングしてあるので、大きくなって目立った。清掃せねばならない。

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2020年06月06日

postal-baggage combine

postal baggage combine この郵便荷物合造車は戦前の流線形客車で、屋根が深くない。筆者の好みのタイプの車輛を作った。これは友人の父上が乗務していた時の話を基に内装を割り振った、いくつかの写真を見てアイデアを採り入れた自由な設計で、スクラッチ・ビルトである。
 かなり重い車輛であり、6輪台車を付けている。当初はこれを10輌編成に組み入れることを夢見ていたが、資料が十分に集まらなかったので自由形にした。自由形とは言っても、かなり史実に基づいた設計である。今はそれほど整った編成には興味は無くなり、1952年当時の混成編成をすることが目標になった。塗装にむらがあるのは既に解決している。

 先のコメントにもあったメイル・キャッチャは別部品で作ってあるので、塗装後取り付ける。今回は動かないようにしたので、正しい形になる。これが台車センタピンのあたりに付いているのは、回収時の誤差を無くすのが狙いだとは聞いているが、曲線上にmail craneがあるとはとても思えない。
 沢山の郵便車の写真を見ると、車体の中央にメイル・キャッチャ(pickerとも言う)が付いているのもあることがわかった。メイルのやり取りには見通しが利くことが条件なので、直線状でやるのが普通だろう。

 メイル・キャッチャで回収した郵便物が激しく当たる部分には、厚いクッション材が貼り付けてあるのを再現した。また屋根には通風装置を付けた。トイレの上にも通風装置がある。

 窓枠はアルミ製であるので、別に色を差す。これも屋根の端にはリヴェットを並べてある。  郵便車部分は窓ガラスを割らぬように内側から格子がはまっていると思っていたが、これは強盗対策でもあるようだ。


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2020年05月23日

続々 Heavy Pacific

2 pacifics (3) こんなに軽そうでも、Heavy Pacific の仲間に入れることになっている。それは動輪径で分類しているからだ、という。軽いヘヴィ級なのだ。Light Pacific は動輪径が 73 インチ(1854 mm)を指すらしい。

2 pacifics (1) 日本で言えばC51だろうか。軸重は軽く、25トン弱である。ボイラは、ATSF3400クラスと比べると、情けないほど細い。罐胴の体積は半分ほどだ。

2 pacifics (2) 汽笛はキャブの前にあるが、反射板を付けている。煙突は太い。いわゆるSweeney Stackである。このスウィーニィ氏はバーリントン鉄道の技術者だったそうで、それがどうしてUPで採用されたのかがよく分からない。
 UPは機関車の出力を上げるには通風を良くすることであることを知り、ひたすらその路線を歩んだ。大口径の煙突を付け、ノズルを調整して、煙がよく吹き上がるようにした。煙室を長くするのも、火の粉止めの工夫の一つである。それにしてもこの煙突は大きい。

 テンダは細く小さい。これではすぐ水が無くなりそうだが、走らせる線区には水が豊富にあった。台車をばらして車輪を取り替え、ボ−ルベアリングを入れた。これも0.2%勾配を勢いよく転がり降りる。
 UP本線は山岳路線であったため、Pacificを本線上では殆ど使わなかった(平坦な支線では多用している)。旅客列車の牽引にはMountain 4-8-2 を使用したのだ。のちに大動輪のNorthern 4-8-4の天下となる。

 その後の韓国製の機関車を見たことが無いが、改良されていると信じたい。この機関車は、とても走るとは言えないものだった。走らせているうちに部品がぽろぽろ取れ、それがひっかかって急停止という状態であった。ボイラのハンダ付けは稚拙で、すべて補強を当てて作り直した。キャブ内のディテールだけは、必要以上にあり、位置を修正するだけで使えた。カウキャッチャの鋳物は使ったが、それ以外のフレイムはすべて新製である。


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2020年05月21日

続 Heavy Pacific

UP 2888 (1) ATSFを塗っている時、ガラス棚の反対側にあるパシフィックも塗装できる状態であったので、ついでに塗ってしまった。これは韓国のAjinからサンプルで貰って、それを完全に作り直したものだ。駆動方式のみならずフレイムを切り落として、棒台枠を新製した。従台車のイコライジングも見かけだけでなく、ある程度それらしく動かしている。この改装後、見せてやったら声が出ないほど驚いていた。

UP 2888 (2) 彼らは蒸気機関車の構造を知らないのだ。横から見た写真だけで作っているので、従台車へのイコライザがどんな形をしているのかわからなかったのだ。
 内側台枠から外に出るのだから斜めに付いているのだが、怪しい板を途中でぐにゃりと曲げて売っていたのには失望した。また、それは途中で切れていた。
 走らせて見せた時の彼らの驚きようは、ビデオに撮っておくべきであった。押して動くということの重要性が分かったのだ。その時前照灯が点いたので、それにも驚いていた。

 そのあとでアメリカのインポータに見せたらしいが、彼らは全く評価しなかったそうだ。Tom Marshはそういう人らしい。ディーゼルは大好きだが、蒸気機関車には興味が無いのだ。 

 メインロッド関連部品を、ある理由で作り直している。外した状態で撮ったので、いずれ写真は取り替える予定である。炭庫の側面の汚れは写真を見て付けてみた。単なる試しであって今後どうなるか未定である。機炭間のdrawbar pinが光っているのは許せない。

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2020年05月19日

Heavy Pacific

 このパシフィックのボイラは国鉄のC59よりもはるかに太い。C62を腰高にしてパシフィックにした感じだ。

ATSF 3420 (1) このATSFの3400クラスは、1919年製造の中古を1936年に完全にリビルトしたもので、殆ど原型をとどめていない。ボイラを替えて圧力を上げ、シリンダと台枠を一体鋳造し、剛性を高めている。動輪は新設計のディスク車輪だ。機関車のみで154トン、軸重は32トンほどもある。テンダは新製で、当時としては超大型であり、満載時180トンもあって機関車より重い。砂漠地帯で重急行列車を、高速で牽くことが目的であった。

ATSF 3420 (2) 煙突は延長が可能である。今回塗ってしまったのは、この煙突がネジ一本で取り外せることに気が付いたからだ。もしやる気になったら、そこだけ作り直して、延長煙突を可動にすることができる。

 アチソン、トピーカ & サンタ・フェ鉄道では煙室にもジャケットが巻いてある。即ち、罐胴に巻いてあるのと同じ色で先端まで仕上げている。煙室戸だけが耐熱の銀灰色のグラファイト塗装だ。この部分は、時期、線区、機種によってさまざまな仕上が施してある。銀色や真っ白のもある。白くすると目立ちやすく、事故を防ぐと信じられていた。煙突はジャケットを被っていないので、グラファイト色である。まだ、あちこちタッチアップをせねばならないところがある。ナンバ・ボードに数字を入れねばならない。

 車輪の裏まで塗ってあることに、注目願いたい。ここが白いと、おもちゃっぽく見える。汽笛は高いところについている。もちろん助士席側だ

 ディカルを貼って、仕上が施してない状態で撮ったので、部分的に妙な艶がある。いずれまともな写真に取り換える。


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2018年03月27日

続 床板

Pullman sleeper 1936年、UPはフル・ストリームラインの旅客列車を試作した。それは連接車で、台車間の距離が長いことを利用した二段の寝台車を持っていた。プルマン社の特許で、日本にはなかなか現れなかった。

49er 上下のスペイスを互い違いにして、単位長さあたりの収容人員を増やしている。上の部屋に行くには階段を3段ほど登る必要がある。側面の窓配置は、通路側と部屋側では当然異なる。これらの写真はPullmanの図面集からの複写だ。

 のちにその試作車は切り放されて、いくつかの列車に嵌め込まれて運用された。筆者が興味を持っているのは、"49er" である。Fortyninerは ”1849年にカリフォルニアに行った人”という意味である。
 1849年にカリフォルニアのサクラメントゥで金隗が発見され、そのニュースを聞いたあぶれ者たちが殺到したのだ。カリフォルニアの人口は、あっという間に10倍になったという。今では複数形にして、サン・フランシスコに本拠地を置くフットボール・チームの名前だ。 

 その名前を付けた列車で、ヘヴィ・ウェイトのプルマンと流線形客車を混成した列車だった。即ち、2輌だけ造れば一編成できる。そういう不埒な考えなのだ。屋根板もあるし、側面はフライス盤で切り抜いて窓を作ればよい。寸法さえ割り出せれば、出来たも同然だ。実はこの寸法割り出しが難しい。

 この車輌は連接車である。クラブの競作は”連接車”であった。たまには出してみよう。


Y これは何だろう。

2017年07月21日

荷物車5輌

 荷物車を複数用意する必要があった。UPの末期の特急旅客列車には、荷物車がたくさん繋いであった。大陸横断の郵便物を満載していたのだ。しかし、1968年あたりから突然その数が減った。すべての郵便物が航空機輸送になったからだ。
3 bags 博物館では、1950年代のUPを中心にコレクションを形成しているから、最大限の荷物車が必要であった。ケムトロンのキットには、80 ftの3軸台車の車輛がある。それを3輌入手した 。

 3輌のうち、1輌はアメリカ人が組んで、塗ったものだった。きれいに塗れているのだが、一部のハンダ付けが甘く、すべての扉が外れていたのを、安く買った。扉を作って、塗料が傷まぬよう低温ハンダで付けた。屋根とサイドの境目が外れたのも直したが、低温ハンダは好きではない。

 2輌目はアメリカ人が組んだのにしてはハンダ付けが完璧であったが、側壁の厚みの分、扉を控えて(recessedにして)つけるのを忘れて、平坦なサイドであった。とても奇妙な感じで、それを極端に安く買った。扉を外して、recessさせた。とても面倒な作業であった。すべてばらした方が、時間的には早かっただろう。

 3輌目は未組キットで、側板が抜いてなかった。糸鋸で切り抜いて、扉をrecessさせた。新品だから、それなりの価格であった。組立ては短時間で終わった。
 Kemtronの客車キットは、60年代の発売だから、今から見るとかなり甘い作りだが、塗って編成にすれば、素晴らしい。それ以上は望む必要もない。

 件の73 ftは、2輌作った。Kemtronのレヴェルに合わせた作りである。編成であるから、細かく作っても仕方がないのだ。 ただ、走行性能だけは最高にしてある。
 この種の窓のない車輛は楽である。2輌を10時間ほどで作った。梯子は祖父江氏のところから来たSANTA FEのテンダ用の足を延ばして使った。これにケチを付けるとは天に唾するようなものだ。
 床下器具は横から見えるものだけを取り付ける。連結面の造作は大切で、それらしく作る。

 例のコメント主がまた書いてきたが、脱力するような内容であった。博物館を開くと、様々な人が来るだろう。客商売ではあるが、断固とした態度で臨む決意だ。幸い、すぐ近くに警察があるので話は早い。そのお巡りさんは汽車が好きなのだそうだ。

2017年02月09日

express

RI express boxcar 少々難し過ぎたようだ。これはRock Island鉄道の express boxcar である。椙山 満氏が、
「ロックアイランドには、蒸気暖房配管のない小荷物車があるんですよ。」
と仰って、この写真を見せてくれた。
「色はプルマングリーンです。列車の最後に付けるから、蒸気の管がないのです。」
とのことであった。その写真はMainline Modeler誌にも載っているのを見つけた。
 椙山氏はロックアイランド鉄道がお好きで、研究していらした。
「ロックアイランドには大きな兵器工場があるのですよ。シカゴから数時間で行けるところに、そういう重要な工場があるのですね。」
と解説してくださった。

”Express”という言葉は、単に「急行」と訳してしまう場合が多いが、本来の意味は手小荷物を急送するシステムのことである。日本語に置き換えると、飛脚便のようなものである。列車に急行の意味でつかわれたのは、ずっと後であるはずだ。 

 それが為替業務も行うようになり、電信の開通と共に米大陸横断の金融業になってしまったものもある。ウェルズ・ファーゴ銀行やアメリカン・エキスプレスがそれである。荷物運送会社にFedexがある。フェデラル・エクスプレスであり、これは元の意味が生きているが、創業は1970年代である。いつも思うことであるが、Federalという言葉は、南北戦争の北軍を表す言葉だ。Fedexの会社はTennesee州Menphisにある。これは南軍の地域である。

2016年12月05日

Solarium Diner を作る

solarium dinersolarium diner 2 solariumは好きな車輛であるが、なかなかそのキットに出会わなかった。自作するつもりでいたので、10年程前、ワシントンDCで行われたコンヴェンションで見つけたときは小躍りした。同時に室内のキットもたくさん出ていて、客車の一山(30輌くらい)全部を買った。ホテルの部屋で分別し、不要なキットはすぐに転売した。All Pullmanの16輌編成の準備はその時整ったのだ。
 帰国後、ある程度形にしたが、僅かの部品不足でそのまま放置してしまった。

solarium 2solarium 3Solarium 資料はある程度集めていたので、外観を整えるくらいは簡単であった。この車輌は屋根の上が賑やかである。キッチン部分の通風装置がいくつもある。ローストビーフを焼くので、ダクトが並んでいる。冷蔵庫は氷で冷やすので、天井に大きなハッチが3つもあり、そこに氷を運び入れるための手すりも多い。氷は80ポンド(40 kg弱)もあり、それを片手で引き上げて投入する。屋根には、梯子が外れないような形の手すりがある。
 ソラリウム側の手すりは、これまたにぎやかで、ガラス窓の上にもある。ソラリウム側の貫通扉はガラス製で、昔の阪神の電車のような縦長の大きなガラスである。洋白の板を切って作った。ネジ穴が目立つがその上に幌を付けて隠す。

 この種の工作の骨(コツ)は、平行なものを平行に、である。うまい人はそこに気を配っている。手すりは何に対して平行でなければならないか、を図面等でよく確認する必要がある。これらの写真を撮ってから、修正したところがある。拡大すると粗が目立つ。しかし、塗装して走らせると全く問題ない。見えるのは、車体から飛び出している造作である。それらが整然としていると、実感味が増すのだ。

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2015年11月13日

EF58の牽く列車

EF58 leads the trainEF58 これはEF58が牽く東海道本線の急行列車である。非常に神経の行き届いた構成である。当時、写真を撮ってその通りに作られたもので、まさに「そのもの」である。

 パンタグラフの枠の側面は感電防止で赤く塗られていたことがわかる。客車のレタリングは非常に細かく書かれている。これこそまさに写実であり、時代考証の一次資料として役立つ。


 I氏はたくさんの客車をスクラッチビルドされている。東京への往復で利用した機関車、客車をつぶさに観察し、スケッチと写真でそれをまとめられたのだ。 

an express train circa 1950 急行列車の荷物車、郵便車の細かい造作も、最大限再現されている。最近、いろいろな作品を見ても、あまり感動しなかった。しかし、この列車を見て、戦慄を覚えた。
  

2015年11月11日

C62の牽く列車

 K氏のお宅で、I氏の列車を見た。I氏はお祖父さんが教科書に載るくらい有名な家に生まれた方で、椙山氏とは中学以来の友人であった。カツミの近くの学校に行っていたので、頼まれてたくさんのカツミ製品を、帰省のたびに持って帰ったそうである。数年前に亡くなった。

Mr.I's train この写真はI氏の作品である。昭和26年ころの東海道本線を走っていた、C62の牽く客車群である。素晴らしい仕上がりであるが、すでに接着剤が劣化して、下手に触るとばらばらになりそうである。
 K氏の説明によると、客車の転がりが良くなく、ほとんど惰性がなかったそうである。それを牽くために機関車はあらん限りの補重をして、摩擦力を稼いでいる。ところがその重さで機関車の軸受けが磨滅して、がたがたになったということである。ブラスの軸とブラスの軸受では持たない。せめて軸を鋼製にしておけば、磨り減ることもなかっただろう。

 良い車輪、良い軸受けがなかった時代で、致し方ないが、残念である。機関車は細かく細工が施してあり、実感的である。

 K氏は、「いずれ、これらも全てお宅の博物館に行くように手筈を整える」とおっしゃった。大変なことになった。まずこれらを収納するガラス棚を増やさねばならない。また、走るように改装もせねばならないだろう。機関車のフレームは、厚板をフライス盤で加工して加工せねばならない。軸をボールベアリングで受ければ、とても軽くなるだろう。モータは「スーパー20」と称する直捲モータである。コアレスモータに取り換えねばならない。
 最近オークションでそれを標榜するマグネット・モータが高価で出品されているが、完全な誤りである。客車もいったん分解して、接着剤の浮いているところは外し、優秀な接着剤で留め直す必要があるだろう。

 筆者が高校生の時、I氏にはよくお目に掛かり、親しく声を掛けて戴いた。尊敬すべき大先輩であった。
 

2014年09月17日

デザイン

 日本を走るかなりの数の優等列車は、土屋氏のデザインだ。違う人の名前で発表されているのもあるようだが、それについては論じない。

 海外に同行したとき、デザインについて色々な話を聞いた。土屋氏の話をまとめると、「デザインは機能」であることに尽きる。

格好良く見せようと思うと、駄目になる。下手な工夫は陳腐化を早める。」

 土屋氏はここしばらくは鉄道のデザインから遠ざかっていらした。その間に、鉄道車輌デザインが、土屋氏の言う陳腐化を早めるものが多くなってきたように感じる。しかし、そのようなデザインを賞賛する人が居るのである。

 本当にデザインが分かっている人以外は、デザインの評価などできはしないはずだ。最近の鉄道雑誌をみると、不思議な現象がみられる。どれもこれも、その列車を褒めちぎっているのである。どれか一つくらい、「このデザインはおかしい」と書いても良いのだが、どこも書かない。
 要するに、褒めないと次の仕事をさせて貰えないのだろう。取材に行けなくなるのが怖くて、書けないのだろうと推測する。

 土屋氏はデザインの世界では超一流の専門家であった。彼のような人に取材して、はっきりと言って貰えば、全て解決することなのではないかと思う。専門家でない人がいくら褒めても、何の価値もないと思うのは筆者だけだろうか。

 土屋氏のデザイン論はとても面白い。
「車のデザインには1年しか持たないデザインと、2年持つデザイン、順に4年、8年持つデザインという具合になっている。」
「えっ、1年しか持たないデザインなんてあるのですか。」
「モーターショウに出てくる突飛な形の車があるだろう。あれなんて、次の年に見ると、もううんざりだね。」
「なるほど。しかしその次の2年というのは、車のデザインとしては短いと思うのですが。」
「いや普通の車は2年しか持たないように作られるのだよ。」
「それじゃあ、3年目には売れなくなりませんか。」
「だから、マイナーチェンジというのを施すんだ。それであと2年売って、もう駄目というところで次の型が出てくるんだ。」
なるほど、と合点が行った。すごい話だ。

話はさらに続いた。
「それでは、8年というのは何でしょう。」

2013年06月11日

サンビーム號

8mm train 伊藤剛氏の著名な作品ではあるが、現物どころか写真を見たことがある人も少ない。それがこの8mmゲージ列車である。モータ、車輪全て自作である。この造形は剛氏の二十歳前後の作品である。
 就職して、下宿生活を始めたので工作もままならぬ、とこれを作り始めたのだそうだ。というと御自宅ではどんな工作をしていらしたかが、知りたい。

8mm train (3)8mm train (2) この図面は御覧になった方も多いだろう。さらさらと描いてあるが、プロのテクニックである。こんな上手な図面はそう簡単には描けない。
 2軸台車の動きを単軸台車の操舵に利用している。筆者は中学生の時にこの方法に夢中になった。色々な実験をしている。

8mm train (10) 8mm train (9)この列車の裏側の写真は、おそらく本邦初公開のはずである。この模型は70年前に作られ、そして今も走る。中央三線式であることが分かる。レイルの中央に細い銅線が張ってあり、スプーン状のコレクタで集電する。
モータの鉄心はトタン板を使ったそうだ。軟鋼鈑ではあるが、ヒステリシスが大きく、損失が無視できない。しかしよく走る。

8mm train (6)8mm train (5)8mm train (7)8mm train (8) TMSの特集号にも掲載されている。図解が詳しく、しかも明解な絵で、年少者の理解を助けている。
 誰にも描ける絵ではない。筆者も少し練習してみたが難しい。今回も描き方の手ほどきをして戴いたが、一言で言えば、円と直線の接し方がコツなのである。レイルに車輪が載っているのを、斜め前から見た図を描くコツがつかめれば良いということである。お試しを。

2012年12月16日

Rosaliaへ

812_6458-2 鉄道公園の前にはUPの駅があり、木材を満載した列車が停まっていた。バルクヘッド・フラットカーである。それをしばらく観察して、ロザリアのコンクリート・アーチ橋の見学に出発した。スポケーンの南約50kmにある橋で、BNSF線(元はNP線)を跨いでいる。Milwaukee Roadの橋である。

 この鉄道は正式名称をChicago, Milwaukee, St. Paul and Pacific Railroad (CMStP&P RR) と言い、アメリカで最後に完成された大陸横断鉄道であった。シカゴからミネアポリスへ、ハイアワッサという高速列車を運行していたことで有名である。さらにシアトルに向けてオリンピアンという大陸横断列車を走らせていた。
 豊富な電力を用いて、西部の線は電化されていた。また、シカゴ近辺はUPの大陸横断列車が使用していた。
 需要以上の拡大方針をとったため、1925年には最初の倒産をし、1960年代、70年代にも倒産を繰り返している。電化設備の老朽化に伴い、更新が不可能になって、せっかくの電化された路線から架線を外しディーゼル化に移行したが、結局1980年に太平洋に出る路線を完全に廃止した。路盤は何百キロも続く遊歩道、自転車道になった。もったいない話であるが、どうしようもなかった。

The_Milwaukee_Road-Rosalia812_6467-2 この橋はその遺構である。橋には誇らしげにMilwaukee Roadと描いてある。この場所に行くのが遅れて、到着時は日没後40分以上経過していた。
 もう写真は撮れないと思ったが、カメラのISOを
12500に上げて撮ってみた。手持ちであったが
1/15程度のシャッタ速度が可能であった。
 最近のカメラの性能は予想以上で、何の問題も無く鮮明な写真が撮れた。 

2012年10月29日

Dallasへ

712_5862-2712_5887-2  しばらく待つうちにやって来た客車は、プッシュプルのいわゆるダブルデッカーであった。座席は転換できないタイプで、テーブル付きのところに座った。

712_5879-2  列車は旧MKT路線を走ってダラスに向かった。二階建てでも日本の新幹線とは違って、かなり背が高い。窓からみると、あたかも学校の二階の窓から下を見ているような高さである。プラットフォームのない分を見込んでも、まだ高い。

712_5964-2712_5871-2 途中で車輌基地を見ることができた。もう今では珍しくなったRDCがかなり居る。その次の駅が医療センタで、デニスはここに通っていたこともあるらしい。


712_5890-2712_5891-2 ダラスの駅は大きく、昔はかなり大規模なものであったろうと思われる。現在は発着本数が少ないので、プラットフォームが少なくなっている。


712_5892-2 駅の前には刑事裁判所があり、威容を誇っている。そのすぐ北側に、我々の目的の場所があった。
 1963年にケネディ大統領が射殺された場所である。通称、教科書ビルである。事件当日、史上初の衛星中継を見るために、筆者は早起きしてテレビを見ていた。大統領の自動車が写ったと思う間もなく撃たれたので、びっくりしてしまった。
 それ以来、この事件には興味があったのだが、事件の現場には来たことがなかった。その話をデニスにすると、「実は俺も行ったことがない。」と言ったのだ。それで、皆でダラスまでやって来たというわけだ。

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2011年10月16日

続 Golden Gate Depot の客車 

 遊間の少ない連結器を丈夫な鉄板の床板に堅固に取りつけると、長編成も滑らかに発車する。Monarchは素晴らしい連結器である。先頃ある雑誌に、連結器を紹介する記事が載ったが、肝心のモナークの紹介が無かった。画龍点睛を欠く記事である。

 台車はダイキャスト製の怪しいつくりである。3軸のイコライザがバネで支えられているのは良いが、イコライザは1本である。理屈が分かっていない。しかし、そのイコライザは細く、撓むので、なんとか走るようである。問題はその荷重中心である。センタピンをねじ込むために3軸の中心にはそれは無い。中心から12mmほど離れたところに荷重が掛かるので、軸重は不等である。ライオネルの3軸台車はセンタピンから一番遠い軸はフランジレスとなっていて、荷重はほとんどない。それをまねしたような構成で、走行性能はすこぶる良くない。軸重が少ないと、スケールの車輪はフランジが低いので脱線してしまう。

GDDの3軸台車 これを防ぐには、回転中心はそのままとして、新たにセンタ・ベアラを作り、それに荷重を掛ける必要がある。たまたま持っていた発泡ポリ塩化ビニルのシートを切って作り、貼り付けた。この材料は適度の弾力があり、衝撃を吸収する。滑り子には1mmのブラス板の小片を付けた。モリブデン・グリスによる潤滑を施す。
 センタピンのコイルバネは、短く切って台車の傾きにも対応できるようにした。こうしないと縦曲線に追随できない。付属の車輪を捨て、Low-D車輪に取り換える。もちろん少量のモリブデン・グリスを軸端に塗る。ピヴォットであるが、集電は十分良い。

 照明は、最近のものはLEDであるが、2年ほど前に手に入れたものは、麦球であった。一輌で0.2アンペアも食う。10台つなげば2アンペアである。機関車が0.3アンペアしか食わないので、これは大問題である。レイアウトの本線は1.3アンペアで遮断されるようになっているので、走らせられない。LED方式は1輌あたり40ミリアンペアで済み、問題なく走らせられる。

26212623 LEDを購入して取り替え法を試行錯誤している。材料はこの店で購入した。昔に比べ余りにも安くなっていて、また明るいので驚いた。この写真は電球との明るさ比較をしているところである。電球色とは言え、電球の光より白いことが分かる。

2011年08月08日

続々々 35mmゲージレイアウト

1423 この列車は、特急「富士」であった。一等車の車内には扇風機があり、走行中に入る風によりくるくると回る。
 この列車は全て博物館模型のレベルにあり、それが走るのだから素晴らしい。

 1420 台車を見せて戴こうとお願いしたら、「その箱の中にある。」と仰るので拝見した。台車が載っているたくさんのブラスの板は何であろうか。

 はじめは気が付かなかったが、全て完成した側板であった。あと20輌分はありそうだ。台車も半製品がゴロゴロと出てきて驚いた。どれもコイルバネ、重ね板バネ、揺れ枕、サイドべアラが実物どおりに作動する。

141914181416 ブレーキテコが付いていて引っ張ると締まるようになっている。床下に付いているブレーキテコは平面上にあるものが大半だが、台車の中にあるものは全て斜めになっていて、その造形は面白い。台車内のブレーキテコが装備された模型は、ここ以外ではまず見ることができない。
 これらの台車が全て板から作られているというのは、驚嘆すべきことである。鋳物はブレーキ関係の一部だけである。

2010年12月12日

続 Pantera氏の工房を訪ねて

Dan's Workshop 地下の工作室に入る。せいぜい12畳くらいの大きさだ。O scaleの工作室としては小規模だ。しかも客車を100輌単位で仕上げるのだから、仕掛品の保管場所としても狭すぎる様に思う。



Dan's Workshop2Dan's Workshop3 今回は平積みであるが、先回は沢山の車輌が一山24輌の井桁積みになっていた。6輌ずつ直角に積むのである。地震のない国ならではの保管法である。


Dan's Workshop4 プライマは自動車用のものである。1ガロン(約4L)の缶がたくさんあった。




Dan's Paintshop2Dan's Paintshop これは塗装ブースである。宅地が広いので庭に排気を吹き出しても、どこからも文句が来ない。おそらく隣家はここが塗装工場であることすら知らないはずだ。



2010年12月10日

Pantera氏の工房を訪ねて

Dan Pantera聖地 3月にシカゴのO Scale Meetがあった。その時に旧知のPantera氏を訪ねた。現在のアメリカで最も実力あるカスタムビルダである。静かな住宅街にあり、誰もここがO Scaleの聖地だとは気が付かない。

 氏は歓迎してくれ、地下室の工房を見せてくれた。Back Orderが5年分くらいあって、もう注文の受け付けは出来ないと言う。Custom buildingをやめて、Easy Orderにするという方針転換をしたのだそうだ。
「この客車列車を12編成作るから、希望者は申し込んでくれ。」という形にしたという。「そうでなくては生きているうちに終われないよ。」とまで言う。
 超人気のカスタムビルダであるが、決して驕らず、淡々と仕事をこなす職人である。こちらのつまらぬ質問にも誠心誠意をもって答えてくれる。
 筆者がWalthersのキットを沢山持っているのを知り、いろいろなアドヴァイスをくれた。おかげで10台を同時進行で作っている。もう7割近く進行した。
 
Pantera Cars 彼の仕事ぶりを見ていると、手際が良いということに尽きる。長い時間かけてひねくり廻して作るのは素人で、プロは短時間にベストの形に持っていく。そのために部品を標準化して、一回の塗装で仕上がるような方法を採っている。
 それにしても仕上がりは美しい。思わずため息が出るような仕上がりである。このレベルに到達できる人は少ない。細かく見れば、あちこち省略してあったりするが、全体を見ると素晴らしい実感である。

 倉庫にはいろいろな製品のキットや完成品、ジャンクが山のようにあり、一つずつの箱を開けて見せてもらった。「希望すれば分けてあげる」と言ってくれたが、手持ちのキットの状況を考えると怖くて言いだせない。

Before and After Swap Meetでジャンクを買って来て仕上げるとこうなるという実例を、いくつか見せてくれた。この写真では$65とあるが20ドル足らずで入手したという話である。
 



Library 資料が無くては出来ない仕事である。資料室には図面集、写真集が山のようにある。この写真は半分も写っていない。 

2010年12月08日

Walthers の Diaphragm

Walthers' Working Diaphragm O scaleを始めた頃、Walthersの幌を見て感動した。実物のように折ってあり、伸縮する。しかし、Striker Plateが時々噛みあうので、その部分に透明なプラスティック板を貼って誤摩化さねばならない。MHPのような爪をつけて何とかならないかと思ったが、絶対にうまくいかない。

Striker Plate  この材質はなんというのか分からないが、横ずれに抵抗するのはゴムのように撓むことはないからだ。左のStriker Plateは横ずれしやすいように丸みをつけている。


HINODE MODEL Diaphragms このような材質の場合に横ずれを容認するような方法は襞の数を極端に多くする以外ない。
 HINODE MODELの和紙製の幌は、その点優れている。以前、サンプルを戴いたがもったいなくてまだ使用していない。これをアメリカで見せたら、みな仰天していた。

 HO以下の車輌で幌が密着して作動するのはまず見ない。車輌の重さが不足して脱線の原因になる惧れが大きいからだろう。せっかく精密に作っても幌に隙間があるのは残念だ。MHPの方式でしなやかな幌が出来ないものだろうか。

 いろいろな方からゴムの情報を戴いているが、残念ながらMHP方式に適するものがない。フィルムを貼り合わせる方法ではその部分の厚みが出るのでうまくいかない。やはりチューブ状でシームレスのものがよいのだ。

 半透明のものでは実感が無く、それに塗装すると剛性が出てうまくいかない。厚みが0.2mm程度、直径が25乃至30mmのネオプレンのチューブか風船があればよい。

 ネオプレンは紫外線、オゾンに対して抵抗力があり、劣化しない。普通のゴムは光が当たるとひび割れてボロボロになるが、ネオプレンはいつまでもしなやかだ。宍戸氏は化学者であったから、特にそこを強調したのである。

 MHPを使えば、多少突張っているので、Kadee連結器を使っても、遊間が無くなり、多少はスムーズな運転が出来るであろう。

2010年12月06日

続 Vestibule Diaphragms

MHP on #8 switch この写真は8番ポイントでの食い違い状況である。この程度のずれなら支障なく通過する。8番渡り線では単純に計算してこの倍である。やや苦しいが通過できるだろう。
 連結器はMonarchである。Kadeeに比べて左右のガタは許されないが、腕が長いので、ずれは吸収できる。

 幌が適度の弾力で押しあっていて、列車が一本の棒のような感じになる。貨物列車とは異なり、旅客列車は連結器のガタが許されないのでとても好都合である。

 Walthersの客車は妻板部分から屋根を留めているのでこのゴム幌の上の部分は指で捲れるようにしておく。普段は隠れていて都合がよい。
 Walthersの幌はやや腰が強く、また底が抜けているので、形が崩れやすい。要するに連結器と干渉する部分を無くしてしまったのだ。

 他にもいくつかの会社から、極端に軟らかいゴム製品が出ているが、MHPには到底かなわない。

 このゴムは一体どこで手に入るのか、随分探したが良いものが無い。一番近いものはアート・バルーン(子供のおもちゃの長い風船)の黒である。残念ながら天然ゴムのようで一月程度しか持たない。どなたかが、クロロプレンゴムの風船を探し出せれば、商品化も可能である。特許はすでに切れているから販売は自由だ。
 

2010年12月04日

Vestibule Diaphragms

 その昔のTMSに「宍戸博士の旅行カバン」という記事があった。氏は軟らかい連結幌を見つけて、興奮した文調でそれは伝えられた。「くねくねとよく曲がる。」とあったのだ。ネオプレン製と強調してあったことを覚えている。
 ヴェスティビュールとはデッキ付近(昇降口)のことである。ダイアフラムは横隔膜のことであるが、ここでは幌のことである。
MHP DiaphragmsMHP Diaphragms squeezed 長年その現物を探し求めていた。数年前の O Scale West でついに見つけた。たくさん入っている箱ごと、ごっそり買うことに成功した。
 これがその箱である。1組入っている。「MHPの幌」とあり、Patent2568684と誇らしげに書いてある。ネオプレン製と表記されている。ネオプレンゴムはデュポンの耐候性ゴムで、雨ざらしにしても割れたりしない。
 調べてみると1947年出願で、1951年に特許が降りている。ちょうど宍戸氏が渡米された頃である。20年ほど前宍戸氏にお会いした際、このことを聞いてみた。「あれはよろしいですな。しなやかでよく曲がりましたわ。」と嬉しそうに語られた。それから50年以上、この幌は素晴らしい弾力を保持している。

 極めて薄いネオプレンゴムのチューブを拡げて、枠を押しこんだものである。このゴムは直射日光にも耐え、長もちする。端面には薄いアルミ枠が付いていて、相手にはまって弾力で押しつけられ、抜けない。ポイントを通すと、本当にくねくねと曲がって気分がよい。ゴムはかなり長持ちするが、物理的に破れてしまうこともある。枠の角にはかなりのストレスが掛かっているから、そこが擦れると破れてしまう。すると破れは全周に拡がり、幌はちぎれてしまう。

 この方法はゴムの弾力を最大限に活用しているので、圧縮にもバネとして機能する。かなり軟らかく実に具合がよいが、HOには弾力が強すぎて難しいかもしれない。金属製で重い客車ならよいが、昨今のプラスティック製客車には適合しない惧れがある。
 当時の資料を見せてもらったことがあるが、一応 HO,OO用というサイズもあった。もちろんSゲージ用もある。

 この黒いネオプレン・チューブさえあれば、再生産は可能だ。組立て済新品を売っているところを探すのだが見つからない。 

2010年12月02日

続々々 Walthers の客車キット

Interior Layout 室内の様子を見るために椅子などを並べてみた。図面で見るのとは随分違い、楽しい作業である。
 椅子の色は深紅、紺、深緑などがあるので、それぞれに調色して塗装する。
いわゆるプルマン型開放寝台では、上部からも寝台が降りて来るので、その保持のために壁が必要である。上部寝台を作った例はさすがに見ない。

 室内は彩度を高くするというのがコツなのだそうだ。窓を通して見るので見える範囲が狭く、彩度を上げないと薄汚く見えるという。

 食堂車は厨房の内部を再現するのが難しい。当時は石炭を燃料としていた。Broilerと呼ばれる一種のオヴンとホット・プレートが主な加熱機器で、輻射熱で内部はさぞかし暑かっただろう。屋根には大きな煙突が付く。いわゆるコンロはない。鍋は鋳鉄のホットプレートに上に置いて加熱する。
 床はスノコ張りで、天井からは清水タンクがぶら下がる。食器戸棚が巨大だ。食器を洗うのは蒸気のジェットを使う。流し台は小さい。洗い終った食器は熱いからすぐ乾いて再使用できる。

 Coffee Pot は背の高いものが作り付けである。この燃料だけはガスのようだ。
 1930年代から、厨房の内装にはステンレス板が使われている。冷蔵庫は氷冷却で、天井から氷を投入する。その氷は1つ40キロもあり、力自慢の連中が一人で持ち上げて入れていたそうだ。その写真を見たことがあるが、大きな塊を氷挟みでぶら下げて、梯子を登っている。4つ入れるのだそうだから大変だ。

grab iron for ladder 屋根についている手摺は両端が曲がっている。それはこの人たちが梯子を掛けるためのものであることも教えてもらった。戦後になっても手摺は曲がっているが、それは点検用に梯子を掛けるためである。機関車の運転室前のフッドにも曲がったのが付いている。

 食堂車は美しい。食卓には花が飾られ、テーブルクロスは純白だ。銀器、陶器の皿、料理が並び、客はもちろんのことウェイタが立ち働く様子が再現される。

 名古屋鉄道模型クラブの会長であった荒井友光氏は、1950年ごろOゲージの食堂車を作り、床下にハンダコテのヒ―タを巻き直したものを付け、そこにベーコンを載せて走らせた。会場にその香りが広がり、観客は「進駐軍の食堂車だ!」と叫んだそうだ。時代を物語るエピソードである。

 この話をアメリカで紹介したら、「こちらでもそれをやった人がいる。」と言う。ポタージュ・スープに入れるベーコン風味の小さな塊を加熱するのだそうだ。「インスタント・コーヒーを温めると良く匂う。」と言う人もいる。考えることは皆同じだと思った。

2010年11月30日

続々 Walthers の客車キット

 ウォルサーズの客車キットの基本はHeavy Weight客車である。Pullmanの寝台車はほとんどの形式が作られている。一部の特殊な配置を持つ車輌も、NYCなどの有名会社の車輌は製品化されている。
Passenger Car EndEnd fastenedpassenger car construction 40年代から10年以上に亘って作られた方式は、この写真のような妻板の鋳物を使用する方式である。天井板に2本のネジで留めて、床板はその後である。ということは、室内装置の付いた床板を、水平方向からはめ込むことになる。この妻板を用いると側板は後から釘止めということになってしまい、細い釘を20本ほど抜かぬ限り、電球の交換は無理である。実際にこの車輌はそうなっていて、すでに電球は切れていた。
 自由に室内を点検しようと思えば、側板は屋根に付けて、床板を妻板に依らない方法で保持することが必要である。連結器の上の内側に出ている部分を切り落とし、側板にL金具を貼り付け、それに床下からタッピング・ネジを締めることにした。側板が反るとあまり良い格好ではないから、暴れ防止に側板の最下部に細い骨をハンダ付けする。
[追記] この中古車輌の側板には釘穴がたくさんあいていたのが問題であったが、最近新品の側板が手に入ったので取り換えた。 Nov.25, 2012


Newer End fastened with screws 60年代に入るとこの写真の方式に代わった。床板に妻板をネジ留めし、側板を床に貼り付ける。
当初は側板を貼り付けるのにゴム系接着剤を使用していたが、エポキシ接着剤を使用するようになり、現在はSuper Xである。長年に亘って蒐集してきたキットを組まなかったのは、この側板を床板に付けるのがかなり面倒であったからである。床下に1.6mmほどはみ出させて付けるには、全長に亘るジグが必要である。それを作らなければと思いつつ、20年経った。
 Super X はこの用途に最も適する。塗布して押しつけ、離して5分ほど待つ。位置をよく見ながら指で押しつけて仮止めし、万力で順に締め付ければそのまま固着する。こんな楽なことはない。
 屋根は、連結幌の部分から水平に木ネジで留めるように指示されている。改良案として、床下から長いネジで留め、それで通電する手も推奨されている。トイレの中などを通せばよい。長ネジは旋盤で簡単に作れる。

Pullman SeatsPullman wash bowls and toilet 室内は戦前から部品が売られていた。どれも目の細かい木をRouter(型削り盤)で削り落してそれを金太郎飴のように切ったものである。

 
 便器や洗面台もホワイトメタル製のを売っていた。これらは肉厚でとても重い。

 壁は厚紙で作り、毛羽立たぬよう塗料を滲み込ませる。

2010年11月28日

続 Walthers の客車キット

Walthers floor 床板は不思議な構成であった。台車を取り付ける部分が左右にスウィングする。急カーヴでは台車が内側に振れるのか、外に振れるのかは分からない。何か根拠があってやっているのか、単なる思い付きでやっているのかも不明だ。連結器に掛かる力で作動するわけでもなく、復元装置があるわけでもない。どなたか、この仕組みについての知識をお持ちの方はお教え願いたい。ライオネルにこのような工夫があるのだろうか。
Walthers Streamliner roof and floor これは屋根板と床板の結合状態である。スペーサを設け、申し訳程度に黒く塗ってある。これでは展望車なのに展望は出来ない。柱を2本設ければ済む話である。しかも窓を避けて壁にうまく添わせれば、幅が広い板でも構わない訳だ。金属の柱ならさらに細くできるだろう。

 側板が再利用不能なので、思い切って全く異なる窓配置にして、City of San Francisco の継ぎ接ぎ編成にしようということになった。0.5mmステンレス板をレーザ加工で抜けばあっという間にできる。丸い部分は3本ローラでゴロゴロと曲げれば滑らかに曲がる。床板も作り替えることになる。どう考えても幅が狭い。

Rounded Observation Roof 何のことはない。天井板を9.95ドルで買ったことになってしまった。後端を丸く削り、何度もサーフェサを塗って研ぎ上げた。最近、Oゲージ用の天井板はかなり高価である。新品を買えば14、5ドルもするから、安物買いの銭失いにはならなかった。また、当時の設計手法の検証もできた。もう一台のコーチは再生可能な範囲にあり、デッキ部分を別の部品に取り替えて再建中である。
 Walthersの客車キットは1940年あたりから出ているが、妻板の設計の工夫により、工法が変化していることも分かった。この客車は50年代の製品であることも分かった。
 当時のプラクティスを知る意味でも投資は無駄になったわけではない。

2010年11月22日

Coal Steam Turbine by MTH

C&O M-1 C&O鉄道はアメリカで最大の石炭運搬量を誇っていた。その石炭を燃やして走る蒸気タービン電気機関車M-1 を作ろうとしたのは、当然であろう。

 M-1 の車軸配置は例がないものであった。4-8-0+4-8-4という構成で前部に28トンの石炭、後部にボイラと発電機を搭載した。水はテンダに100トン積む。 1946年、この機関車はオハイオ州シンシナティ市から、ワシントンDCまでの1000キロを12時間で結ぶ特急列車のために計画された。この道は曲線と勾配が多く、蒸気機関車では困難な経路であった。ディーゼル機関車には石油を購入しなければならないが、蒸気タービンは石炭を燃やす。彼らはどうしてもこれを実現したかったようだ。

M-1 Coal bunkerM-1 roof 1947年に納車されたが、残念ながら、結果は思わしいものではなかった。石炭クズは動力台車のモータをショートさせることがあったし、ボイラが後ろ向きなので運転中に常に後を見る必要があった。コンピュータのない時代なので、それは大変なことであったと思われる。
 結局のところ採算が全く合わず、C&Oは1年でこの計画を放棄する羽目になる。1949年には解体されてしまった。  

M-1 rearM-1 front まさかその機関車が商品化されるとは思わなかった。MTHは2008年にこれを売り出した。先日千葉の川島教昭氏のお宅に伺った時に、写真を撮らせて戴いた。
 氏の方針で、全ての軸箱は可動式に作り替えられている。動力は全て新製である。三線式の模型を手に入れて改装されたそうで、改造には大変な手間を掛けられたようである。
 後テンダの高さを調整すれば出来上がりというところまで出来ている。テンダは肉厚のダイカストで、重くて仕方が無いので内側をフライスで肉抜きしたとおっしゃっていた。
 このような機関車を作って完売するMTHのマーケティングには感心する。ちなみに価格は1000ドルを少し切る。
 

2010年11月14日

Leaf Springs

Leaf Springs その通りで、これはリーフ・スプリングである。スペーサをはさんで1mmの針金を通し、軽くはさんでハンダ付けする。ここで軽くはさむというところがミソである。ステンレスの裏面には、材料が燃えて飛んで行った時のカエリが出ている。これを削ってはいけない。
 ハンダ付けするには隙間が必要である。またフラックスを洗うにも隙間が必要である。カエリの高さががちょうどその隙間に相当する。バネの先端にはブラスの挽き物をハンダ付けする予定だが、その寸法はまだ決めていない。ハンダ付けがすべて終わってから、それに合う寸法のものを作って取り付ける。

Leasf Springs2 この内側のところを見て戴きたい。今までに見た模型の中でこの部分が表現できていたものをまず見たことが無い。見る角度によっては丸見えであるから、作ってみた。図面の上で指示すれば出来てしまい、さほど費用も掛からない。工賃は作業時間で決まる。1秒いくらという単価がある。ステンレスの場合は切断速度が非常に大きいから、内部を作っても安上がりなのである。

 本当のところはこのリーフ・スプリングを薄板積層で作りたいところであるが、以前にも書いたようにヤング率は材料に固有で、小さくなるとモーメントが小さくなり、相対的に硬くなる。すなわちバネは効かなくなる。仕方が無いから形態だけはしっかりと図面通りにした。図面には撓んだ状態の形態が載っているから容易だ。

Daylight 台車 吊リンクはステンレスの0.8mm板で作った。残る問題はウィングバネの製作である。この台車はデイライト用で、ナポレオン・ハットと呼ばれる形をしている。この部分はロストワックスで作る以外ないと思っている。他の部分が完成してから製作することにしている。全部で100以上も必要である。

2009年10月10日

Pullman interior

Walthers' interior Walthersの客車の室内を、仮に並べてみた。部屋の壁はまだ取り付けていないし、洗面台は壁に付くものなのに、床に置いてあるのはご容赦願いたい。

 客車作りの名人に聞くコツは、「室内はなるべく鮮やかに」である。ウェザリングしてある車輌でも、中の彩度を高くせよということである。また、照明を均一にせよということである。
 これは現在の車輌ではLEDがたくさん使えるので容易なことであろう。昔は電球であったので、個数が限られ、照度のむらがあった。

「カーペットは明るい色を使え」と言うのも面白い。暗いと、光を吸収して汚く見えるそうである。壁の色も同様で、「実物のように暗い色を使うのなら、人を座らせて窓際にランプを置け。」と言うのである。

 要するに、走っているとき、内部が作られているのがよくわかるようにしなければ、何の意味もないということである。

 その昔、TMSの2桁の号に、伊藤剛氏が「室内は外部である」と言う名言を残されている。本当にその通りで、外から見える部分は作っておくべきなのである。
 トイレの中を作るのは単なる自己満足であろう。

 製作中のプルマン列車は、外から見えるところ以外は作らないという方針である。そうすると、トイレットの中は作らないので便器がかなり余る。この車輌では3個余ることになる。Compartmentの便器も、実際にはその上に座席になるカヴァを置くのでほとんど見えない。

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2009年10月08日

続 Pullman の冷房装置

 発電用の動力採取はベルトに依った。エアコンは数馬力から10馬力程度の入力が必要なので、べベルギヤとユニバーサル・ジョイントによってシャフトを回転させ、その軸にいくつかのプーリをつけてコンプレッサの駆動をした。確か、その末端に補助発電機を設置していたように思う。これは高速走行時に発電して、停車時に備えるためである。
 当時は交流発電機ではないので、回転数の増加により端子電圧が増大したので電圧調整器が必要であった。

 エヴァポレータ(蒸発器)は車端近くの天井に設けられ、そこで作られた冷風はダクトに押し込まれ、天井から各室に分配される。

Pullman's air-cond. 各部屋の天井はダブルルーフであるから段付きになっている。その垂直面から冷風が噴き出るのである。当然、出口にはレジスタ(通風制御器)があって、冷房の効き具合を個別に調整できる。

 部屋から排出される空気は、廊下に面したガラリを通って戻る。すなわち廊下はあまり涼しくはない。

 エヴァポレータが吸い込む空気は、ヴェスティビュール(乗降口)の天井から吸い込まれる外気と廊下からの内気の混合気である。

 洗面所の排気はファンによる強制排気である。エアコンにより、臭気が各部屋に廻ってしまうのを防ぐためである。
 

2009年10月06日

Pullman の冷房装置

 このEjectorによる冷水製造は、蒸気の供給源に近くなければ効率が悪い。展望車は最後尾なので、そこまで蒸気が届く間に温度が下がってしまいそうだ。
 しかし、目的の場所は展望車なので、そのあたりの工夫はどうしたのだろうか。
 冷水タンクが大きいので熱容量が大きく温度変化が少なかったであろう。

 しばらくするとRefrigeration(冷凍装置)による冷房が始まる。当初はアンモニアのような蒸発潜熱が大きなものを用いていたが、漏れると有毒なので、他の蒸発しやすい液体(塩化メチルなど)を使い始めた。もちろん塩化メチルも有毒である。
 動力源が車輪の回転なので、停車中は効かない。高速走行中は効き過ぎて寒いということが起こったらしい。ある程度の自動制御もあったが、乗務員は細かく冷房装置を調節する必要があった。
 
 1928年にはフロン(フレオン)が発明され、これは無毒なので冷房装置の設計が楽になった。補助発電機を併設して、走行時は車輪から駆動し、停車時は蓄電池から電気モータによる駆動も始まったが、蓄電池の容量が足らないので長時間停車中の運転は短時間に限られた。出発時、停車中の駆動は外部からの動力提供を受けた。
 
 冷風はMonitor Roof(ダブル・ルーフ)の部分で外側のダクトから送り込まれる。吸気は連結部付近から外気を取り、室内の空気と混合している。

 

 



2009年10月02日

続 エアコンダクト

Walthers' catalogWalthers' air-conditioner









 Walthersの屋根は木製である。Bass Woodをルータで削ったもので、反りもなく高品質である。モニタールーフに合わせて削り出した部品があって、それを貼り付けることによってダクトを増設したように作ることができる。継ぎ目は多少の加工が必要であるが、なかなかうまくできる。

air-conditioner's duct これはその断面である。荒い鋸で切ったものらしく、ささくれているがどんなものかはお分かり戴けるであろう。向こう側は、サーフェサを塗ってある。すなわち必要分を切った残りを反対側から撮ったものである。




 1920年代前半には、アメリカの最先端の優等客車にはエアコンが付いていたそうである。手元に資料がないので、記憶に残っているものを再現する。Refrigerator(冷凍装置)ではない冷水循環法で、Steam Ejector Chiller(蒸気噴射による減圧冷水製造装置)と言ったと思う。
 断熱した冷水タンクの上方に蒸気の噴射による擬似真空を作り、水を蒸発させてその潜熱で5℃くらいの冷水を作る方法である。冷水はポンプで循環させて室内の熱交換器で冷風を作るという凝った物であった。

2009年09月30日

エアコンダクト

air-conditioned Pullman アメリカでは1930年代からエアコンの装備が大々的に始まった。プルマン寝台車、食堂車、展望車はすべてエアコン付きになった。



air-conditioner duct ダブルルーフ(monitor roofという)の車輌には屋根上に枠を作って断熱ダクトを這わせた。
冷気は各室に送られ、ガラリから廊下に漏れる。廊下の隅にリターン・ダクトがあって、吸気を再冷却して送られる。

air-conditioner duct2 個室寝台の場合はダクトは片方だけだが、開放寝台では両側にダクトがあるので、事実上丸屋根になる。

 冷房装置は床下につりさげられる。かなりの大きさである。このような列車を牽くのはかなりの抵抗があったに違いない。
 その後、ディーゼル発電機を積む機種も出てきたが、当初は車輪からの動力採取であった。

 1輌60トン以上の重い列車を牽いて走る機関車は、かなりの出力がなければならない。30年代の最先端の旅客用機関車は3000馬力級であった。冬は蒸気暖房をまかない、夏はエアコン駆動をしなければならないのだから、ボイラ能力にはかなりの余裕がなければならなかった。

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2009年09月26日

続々 Walthers の客車キット

Walthers' castings for passenger cars ウォルサーズはこんなものまで製品化していた。これはプルマンの車内に掛ける背広や帽子である。鞄もある。
 右はコーチの鉛合金製の椅子である。あまりにも重くて不評であった。のちにやや薄い鋳物を他社が売り出したのでそれも使う。やはり車内装置は木製かプラスティックに限る。

 他にシャワー・ルームから顔を出す美女?とかあまり感心しないものもあった。シャワー・ルームのある車輌は限られていて、business car, private car位のものである。NYCにはあったように思うが、UPには無かったように思う。


Roof End Casting 屋根の端の丸みを付けるのは製作者の仕事であるが、その上端の縁取りを付けるのは難しい。この鉛合金のひげを付けると簡単に完成する。削るときのガイドにもなる。30年ほど前から、模型人はこのような細工をすることを面倒がって、このキットは売れなくなった。HOの方は先端部だけプラスティックの一体モールドにしたが、それでも面倒な人が多く、結局屋根はプラスティックの完成品になった。

 この鉛合金のひげは中古市場で大変高価である。糸ハンダを曲げれば済むことなのに、これを買わねば出来ないと思っている人が多いということなのだろう。

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2009年09月24日

続 Walthers の客車キット

Pullman interior Walthersのキットは1940年頃からあるそうだ。戦争中も売っていたという。室内装置も同時に発売されていた。見つけると、これまた中身も見ずに全部買う。時々、椅子以外のお宝も入っていることがある。






 
Pullman seats プルマンの車内は木製の椅子(左の写真)が大半であるが、コーチ(座席車)は重いホワイトメタル製である。1輌分で300gもある。床板に強固に接着しないと、ばらばらとはがれて気分が悪い。
 概して客車は貨車より重く、平均1300gほどもあるが、コーチはさらに重い。6軸で割ると軸重が200g以上であるから、ボール・ベアリングが必要である。

chair moulding そのコーチ用の椅子で極端に軽いものを作った人がいた。作者の名前は不明だが、これはあちこちで見るので、かなり大量に作ったものだろう。
 ルータで形を作ったもので、それを輪切りにするとリクライニング・シートになる。丸鋸で切ると刃の厚みの分がもったいないので、マイタ・ボックス中でアサリの無い胴付き鋸で切る。
 木材はシーダである。鉛筆の木の部分と言えばお分かり戴けるだろう。



筆者註 ルータはrouterのことであり、回転する工具で木材に型刃物の形に彫り込む道具である。不思議なのは、発音が"ラウタ"であることだ。末尾のrを抜いたrouteはルートと発音するのだからルータでもよさそうなものである。
 西部の方に行くとrouteもラウトと発音する人に出会う。聞いてみると、「ルートというのはフランス語だ。ラウトがアメリカンな発音である。」と言う。真偽のほどはわからない。


2009年05月21日

タミヤのオープンハウス

Tamiya Collecion1Tamiya Collecion5Tamiya Collection4





 静岡グランシップで行われたトレインフェスタに参加した。所属するJORCが参加しているからだ。天候はいま一つで、日曜日は大雨となったが、かなりの人出があった。

 この週末は静岡市内ではホビィ・ショウがあり、タミヤの本社が公開され、社内見学ツアなどがある。以前何回か行ったことがあるが、何度行っても面白い。
 2階に博物館があり、昔の木製キットの時代のコレクションがある。子供のころ、近所の工場に勤める青年が田宮の戦艦大和を作っているのを見てあこがれた。それを見た近所の木型職人がもっとすごいのを作ってしまい、その青年はいやになってその大和を筆者にくれた。

 その時代には、木製の鉄道模型キットがいくつかあった。一番欲しかったのは「こだま号」のキットだった。これも、その近所の青年が一生懸命作っていた。たしか3輌ほど作って見せてくれた。運転台がソリッドのブロックで、窓は黒く塗ってごまかすのだ。
 客室の窓は抜けているのに、どうして運転台も本当の窓にしないのだろうと不思議であった。今考えれば、金属製にしなければ窓枠が持たないことはすぐわかるが、当時は理解できなかった。当初Oゲージのみであったが、HOも発売された。近鉄の旧ビスタカーもあったのだ。

 台車は木製で、極めて粗雑であった。動力セットもあったのだろうが、塗って飾っただけでおしまいであった。塗装は刷毛塗りであまり良くなかった。このキットは当時180円位であったと記憶する。先頭車は250円位であった。当時の子供の小遣いでは買えない値段であった。いつか買いたいと思っているうちに、木製模型は消滅した。

 これが今でもYahooオークションに時々出るが、価格は1万円以上もする。誰も買わなくなった。最初のうちの数台は田宮が買ったのではないかと推測する。以前は無かったが、今年は何台か並んでいたからそう思ったのである。 

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2009年03月30日

Southern Pacific RR Train 98-99

Daylight TRAIN 98-99  この本を購入して30年経つ。78年に購入している。650ページの大部で、とにかく高い本であった。1ドル200円の時代に60ドルで、物価が今の1/3だとしても、信じられない程の価格だ。
 当時はよく調べてある本だな、としか思わなかったが、最近は読む方の知識が増えたため、そこにある図表などの意味がよくわかって、益々面白味が増してきた。
 最近この本がe-bayで250ドルで落札されていた。相対的には安いと思う。

 Ralph Brownは、この本を参考にしてキットを作ったので、キットを売りつけるときに、「これを買え。」と指定してきた。「持っている。」と答えると、「それなら、きっと素晴らしいものができる。期待しているぞ。」と連絡があった。

 それから20年、埃が積もった状態で倉庫からひき出された。接着の失敗でくねくねと曲った車輌が2台と、未組みの状態で9輌出てきた。ブラス製とブリキ製を急いで組んで並べてみると、全体像が浮かび上がる。リモネンを使えば間違いなく組めるし、過去の失敗作も修復可能であると思った。

 台車さえあれば、即完成できるという自信が湧いてきた。全ブラス製に比べてはるかに軽く、14輌でざっと20kg以内という試算も出た。収納して運搬する容器も作らねばならない。すでに、「運転会に持ってこい」というリクエストも戴いている。DCC運転には、DCC装置も必要だ。

 ディカルを注文した。値段を知ってびっくりだが、仕方がない。問題は室内である。すべて手作りすることになる。材質を検討中であるが、以前アメリカで買い求めた木製キットを参考に作ることになるだろう。室内橙を点けなければならないので、その回路も必要だ。客車は軽いので、集電が悪い。電源車を作ってそこから給電する必要があるだろう。ジャンパ回路をどうするかが問題だ。

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2009年03月28日

Daylight Consist

Daylight Consist デイライトの編成は当初の12輌編成から徐々に長くなり、最盛期には23輌編成まであった。蒸気機関車が牽くもっとも長い編成は、1952年から54年にかけての22輌であった。途中で補機をつけなければ越えられない坂もあった。

 この編成は14輌で、コンビネイション3と呼ばれた組合せである。これにAC(連接客車)を足していくと長い編成が可能である。模型としての当鉄道での編成はこれが限度で、これ以上長いと収拾がつかない。これだけでも長さが6 mある。筆者のレイアウトの一番長い側線に何とか入る。

 この表を見て気が付くことはデッキ部分の集約化である。色をつけたところがデッキ部である。客車の連接化の効果で、Porterの数を減らすことができる。連接ではない普通のコーチが1輌あるのは、デッキを片方に寄せるためである。したがって、これは編成中、特定の位置にしか来ない。模型を走らせているのを時々見るが、このあたりのことに無頓着な人は多い。すべて合理的に考えられているのに。

 全行程を乗務するポータは二等車3人、一等車2人である。ほかにSwing Porterというのが2人必要であるが、これは駅に居ればよい。デッキ部は階段があるので、荷物の出し入れにポータが必要である。日本のような高いプラットフォームがないので、手間がかかる。

 食堂車にはコック4人とWaiterが6人乗務し、Tavernには2人、さらに責任者1人という具合である。タヴァーンは"Money Making Car"と呼ばれるほど大きな収益を上げていたようだ。
 車掌は3人、機関士、罐焚きというわけで、かなりの人数が乗務していた。

 朝8時15分にサンフランシスコを出発し、夕方6時にロスアンジェルスに到着する。

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2007年08月25日

Alco PA

Erie-Built & Alco PA Alco PAはV型16気筒2000馬力のプライム・ムーヴァを搭載している。これは4サイクルエンジンである。とても重い。

 発電機、駆動モータはGE製である。その点でもFM Erie-Builtと共通点がある。台車も、かなりの部分が共通である。
 
 Alco PAは、Erie-Builtに似ていると言われている。写真の左がErie-Built、右がAlco PAである。発表当初から、盗作だと非難されたらしい。並べてみると長さを少し延ばし、鼻をより長くして、よりスピード感を強調している。

 要するに、GEのErie工場に生産委託された製品を、受注者側がそれに似た物を作って売ったということである。

 商売の結果は、どちらもあまりうまく行かなかった。GE製の発電機の性能がよくなく、故障が続出したのである。これが元で、FMの機関車の商売は傾いたらしい。Alco PAも、EMDに比べて売れ行きは全く良くなかった。エンジンの性能も今ひとつであった。

 UPは、旅客機関車を全てEMD製に統一した。手持ちのFMPAはほとんどが売却された。売却先ではギヤ比を変更して貨物用にしたものが多い。

 EMDの2サイクルエンジンの優秀さは折り紙つきで、設計者の総合的能力の高さがそれに現れている。なんと、一部の顧客は、PAのプライム・ムーヴァをEMDの567エンジンに積み替えている。

PAの改良型のPA2PA3も出現したが、EMDの首位は揺るがなかった。

2007年08月22日

EMD Eシリーズ

 UPにはEシリーズがある。Cityシリーズの旅客列車の先頭に立つ機関車は1956年以降、全てEMDのEシリーズになった。

 E-8E-9が混在するらしいが、筆者には詳しいことは分からない。色々な書物を見ると、異なることが書いてある。

 E-8E-9の外見上の区別も、ほとんど分からない。ロットによって違うので、ヘッドライトが違うとか、砂箱蓋の形が違うという意見は、正しくもあり間違ってもいるだろう。

 中身は明らかに違っている。どちらもV12 567エンジンを積んでいるが、出力が違う。前者は1125HP×2、後者は1200HP×2である。

 567エンジンは一気筒の排気量が567Cubic-Inchから来ている。この体積は9299ccである。ということは総排気量は、111Litreである。 

 567エンジンは1938年ころから作られた60度V型エンジンである。ボアは8インチ半、ストロークは10インチの2サイクル・エンジンである。このころの吸気方式はルーツ式の送風機であったが、後にはターボ・チャージャを付けている。

 現在UPに生き残っている保存機の3台のE9は、オリジナルとは別のエンジンを付けている。保守上の問題で、V16 5671台に換装しているらしい。このエンジンはUPで広く使われているPrime Moverである。


2007年08月15日

FM Erie-built

Fairbanks-Morse Erie-built A+B このFMは珍しく日本製である。MGの時代にKTMが輸出したもので、ボディシェルの製造所はInamiである。稲見製作所は現在も営業中であるが、先代の時代の作品である。多少短いが鑑賞に堪える。どういう訳か、現在の評価は、さほど高くない。なんと、プラスティック製の機関車と同程度である。タマ数が少ないが、人気がなく、待てば手に入る。A、BともにPoweredであり、とても重い。下廻りの作りは祖父江風である。輸入して蓋を開けて驚いた。一度も走らせた形跡がない。

 細かさの点ではプラスティック製には敵わないが、手直しして特定番号に改造しようとすると、ブラス製が一番である。しかも台車がこの形のものは、プラスティック製のものには無い。

 ラジエータ部は透けて見えるように作ってあり、興味深い、実物も多少は透けて見えるはずである。

 対向ピストンのディーゼルエンジンは、潜水艦用にも使われたものである。効率がよくコンパクトである。

 FMの初期の何台かは、前面窓が狭い。後期の製品は窓が大きく、曲線を描いている。

 ヘッドライトを増設し、キャブの屋根を低くする必要がある。屋根上の造作物を修正すれば良い。
  

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2007年08月14日

旅客機関車群

Streamliners’ Diesel Engines  古きよき時代のUPの旅客列車の機関車群である。

 UPには3つの製造所の機関車があった。手前から、Fairbanks-Morse Erie-BuiltEMD E8, Alco PAである。

 それぞれ特徴ある形をしている。このFMは標準的な形のキャブを持っている。UPFMの大部分は天井が低く、ガラス窓が狭いタイプのものである。これもいずれ改造してみようと思っている。FMは水平対向ピストンの2000馬力エンジンを付け、レイモンド・ロウウィのデザインである。

 EMDは一番多く購入された。1輌のA-unitに、2輌から4輌のB-unitをつなぎ、16輌編成の列車を牽いている写真が有名である。

 Alcoは一番輌数が少ないはずだ。A-B-A編成で運用された。すなわち6千馬力であったから、余裕が少なかった。 もともと、PAは貨物用に適するらしく、格下げされたあと、他社の貨物用に売却された。

 筆者の旅客列車は一本しかないのに、機関車だけは3通りある。少々贅沢だが、これも趣味である。

 FMは今のところAB編成しかない。友人のブローカに頼んで、Bをもう1輌探してもらっている。いずれ手に入るだろう。この機関車の台車は少々変わっている。イコライザが台枠をはさんでいる。砂鋳物だがよく出来ている。

2007年07月29日

ゴム型による絞り

round die + rubber mallet プレス工房を見学したことがある。金型だけでやっているのかと思いきや、そうでもないことが分かった。オス型は鋼で作るが、メス型は作らない場合もあるという。

 メス型は、復元力の強いウレタン・ゴムの厚い板そのものであり、焼きなました板をその上に置き、ゆっくりとオス型を押し付ける。すると見事にメス型が変形しオス型に合う形になる。押し付けたオス型を持ち上げればその通りに成形されている。材料がある程度薄く、軟らかいものであれば、この方法は実にうまく機能する。

 それを上下逆にしてみたらどうなるであろうかと考えた。鋼製のオス型を上向きに置き、材料をセットして、ゴム型で押す代わりにゴムハンマで叩く。

 鋼のシャフトに材料をテープで動かないように留め、1ポンド(450g)のゴムハンマで叩いてみた。実に見事にシャフトの丸みが材料に転写された。焼きなまさなくても、完璧に出来る。

 種々の実験で分かったことは材料が0.5mmくらいまでは非常に容易に成形出来る。エッチングや押し出しリヴェット表現があっても、それがゴムハンマでつぶれることはない。もし、強く丸みが付いてしまったときは、より大きな半径の型を使って更に叩くと簡単に戻る。

 屋根のように長いものも、順に端から叩いていけば歪むことなく全面的に曲げることが可能である。平らな板でも全体を屋根の形にすることは容易に出来る。

 丸棒は焼きが入っている必要はなく、極く普通の鉄筋程度の硬さで十分である。 


2007年07月28日

続々 Streamlinerを作る

roof forming dies この図は屋根曲げ用の型である。アメリカではどういうわけかこれが標準的な方法らしい。ブラスのバーを削って作る。

 手順としては、まず屋根板をガス火で赤熱させて冷やし、完全に焼きなます。それをこの型にはさんで少しずつ送る。型の幅(屋根の長手方向の長さ)は1インチ(2.5cm)である。

 全体をある程度曲げてから、センター線をよく見極めてグッと押すと一応の形が出来る。エッチングのリヴェットがあっても、キズが付かない程度に押すだけで出来るわけである。

inside of the roof 写真はその加工後の裏側。波紋状に、押した型の痕が分かる。意外にも、表面にはその模様はほとんど出ていない。

 この方法で曲げてもらったのがあるが、どうも形が気に入らない。曲線ゲージを作ってあわせてみると、似て非なるカーヴであった。修正するのは可能であるが失敗したくない。

 焼きなます方法では、完成したときに屋根が軟らかすぎて、取り扱いに困る。何かが当たっただけでも凹んでしまう。現実に工具を落としただけで凹んだ箇所がある(このような凹みのことを英語でDentという)。

 この型を使う方法では焼きなましてないと曲げることは難しい。というわけで新しい方法を開拓する必要があった。

2007年07月21日

続 Bates機関士

 私はいつかこのBates機関士の代わりを務める日が来るのだろうかと考えた。自分が特急列車の運転が出来るようになるまで無事故で務められるであろうか。

 まさかStreamlinersが消えてしまうなどという事は考えても見なかった。Streamlinersが無くなってしまった今でさえも、Bates機関士の持っていたPrestage(威光)というものは消え去りはしない。

 StreamlinerのFireman(機関助士)の仕事は、30日で終わった。素晴らしい体験であった。

 いつか父がそのStreamlinerを運転できる日が来ると良いと思った。しかし、この素晴らしいディーゼル電気機関車の運転ができるようになるまで、あと7年の勤続が必要であった。

 結局のところ、父はStreamlinerの運転をせずに退職した。生涯、蒸気機関車の運転だけに携った。

 私はガス・タービン電気機関車、ディーゼル電気機関車の運転をしたが、Streamlinerの運転をすることはなかった。消滅してしまったのである。UPはその運転を1971年に取り止めた。航空機路線の拡充により、長距離の特急列車の採算が取れなくなったからである。

その後、旅客列車というものはUPから消えてしまったので、以後貨物列車の運転しかしたことがない。

2007年07月20日

Bates機関士

 その機関士の名前はCharley Batesであった。当時の機関士の中で飛びぬけて優秀な機関士である。まず服装が違う。

 当時、普通の機関士はブルー・ジーンズのオーバーオールを着ていたが、彼は違った。青と白の縞のCoverall(つなぎの上下)を着ていた。しかもそれがきれいに洗濯してあった。そして白いドレスシャツを着て、ネクタイをしていた。

 彼は全ての点で傑出していた。このベイツ氏は1901年に罐焚きとして雇われた。そして1942年当時、既に61歳だった。とても年寄りに見えた。多分18歳のFiremanから見れば、今の私も年寄りに見えるだろうが。その年寄りの機関士が機関車の運転室へとハシゴを登るのを見て驚いた。

 この人は、ユタ州のPromontoryで始めての大陸横断鉄道が完成した当時の事を憶えている人たちが居た頃に、このUPに入ったのだ。1942年当時、41年勤続であり、それはベイツ氏が始めて乗務したとき、完成後32年しか経っていなかったのだから、それより長いのだ。

 1901年の手焚きの小さな機関車の時代から、1930年代後半にStreamlinerを走らせるようになるまで、彼は仕事を続けてきたのだ。この優秀な機関士が時速90マイル(時速144km)で列車を走らせるのを称えざるを得ない。彼には自信が漲り、何か普通の人とは違うものを感じた。

 私はこの機関士と同列に並べられる機関士を2,3人しか知らない。

2007年07月19日

続 City of San Francisco

 私はこの列車のFiremanとして乗務したことがある。それは私の人生の中で特記すべきことであった。運転室に登って中を見たとき、息が止まりそうであった。後に、アメリカ空軍少尉としてBoeing B-17の爆撃手になったときと同じような緊張であった。

 蒸気機関車とは異なり、前方にはボイラがない。運転室から前が見える。大した違いだ。乗り込んだ瞬間、私は何か場違いなところにいると思った。何か犯罪を犯しているように感じたほどだ。

 蒸気機関車であれば罐焚きであるが、ディーゼル電気機関車なので、特に何もすることがない。機関士と並んで座り、前を見ているだけの仕事である。時々機関室を見に行かねばならない。ディーゼル・エンジンと発電機の後ろにはちゃんとボイラがあった。冬の間、列車全体を温めるためのものだ。私は多少安心した。ボイラの無い列車はないことが分かったからだ。

 機関車の運転室の床は油滲み一つ無く、輝いていた。現代の機関車とは大きな違いだ。

 走行は滑らかで快適であった。このような滑らかさは、それまで経験したことが無かった。最高速は90マイルであり、当時としてはとても速いと感じた。

 すばらしい列車だった。また運転してみたいものだと思う。いつかこのような、あるいはもっと素晴らしい列車が、この鉄道を走る日が来ると信じたい。

 

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