プラグマティズム

2017年10月26日

物理的考察

 自動車競走に勝つ工夫を集めた動画がある、という連絡を受けた。なかなか面白い。グラファイト粉末、要するに鉛筆の芯の粉(Greasemという名でKadeeが売っている)を軸受に塗ると良いそうだ。液体による潤滑とどちらがよいかは、実験しなければ分からない。軸を曲げるという話も実験しないと分からないだろう。軸を磨くのは当然だ。
 筆者は、軸重の大きい後輪がガイドレールに触れると損だと思い、少し拡げて触らないようにしたことを思い出した。せいぜい1.5 mm程度(片側で0.75 mm)だ。
 重心を後ろに持って行くのは、効き目が格段に大きいらしい。これは実感できる。

 ついでにいくつかの動画を見たが、最近はかなり進化しているようだ。どれもこれも素晴らしい走りだ。30年前とは全く違う。アルミ合金引抜きのコース、ディジタルでの時間測定、着順判定は常識になってきた。


 人の乗れるsoapbox car derbyのレースは、ますます盛んになっている。これについては有名なインチキ事件があった。噂として広まっていたが、最近はそれがウェブ上ですぐに検索できるところが凄い。

 模型は木製の押えを、ゴムの張力などで瞬時に外すことによって発車する。乗用のものは大きいので、鋼パイプ等で作った押えを急に前方に倒すことによって発車する。 
 ある切れ者は、車の再前端に電磁石を付け、発車時に搭乗者のヘルメットを後ろに押し付けることによってスウィッチを入れるようにした。押え金具はバネによってバチンと倒れるので、それに吸い付けられた車は一瞬前に出る。こうしてレースでは軒並み優勝したのだが、誰も気が付かなかった。
 役員の中に疑いを持つものが出てきて、X線写真を撮ることになった。インチキはバレて、過去の栄誉はすべてはく奪され、なお且つ裁判で相当額の罰金を払うことになったそうだ。その理由は子供の非行を助けたというものだ。数回の優勝で止めておけば、永久にバレなかっただろう。

 このレースには物理学者がかなり貢献しているそうだ。これ以上できないというところまで来ているという。


2016年12月29日

続 コメントへの反応

 今回投稿されたコメントで、思わず吹き出してしまったところがある。
”工作マニアが「模型に価値観を与えたいからだ」なら理解できます”の部分だ。

 確かに、我々は工作マニアの中に入るだろう。しかし、価値観(多分、「価値」の方が適切か?)を与えるつもりはない。それによって人にどう思われるかはわからない。現実にこの投稿者は、その価値を完全に否定しているように見える。
 ロンビックから始まる等角逆捻りの概念を実現するためには、様々なアプロ−チの仕方がある。剛氏は4つほど試作された。筆者はそれを含めて7種作ってみた。どれが一番作り易いか、どれが見かけに影響を与えないか、どれが一番ガタが少ないか、どれが最も理論的に誤差の無い方法かなど、様々な見地からの分析を行い、生き残った物が筆者の3種である。

 だからこそ、これを付けると良いですよ、と広く公表しているわけだ。筆者の場合、機能以外全く考えていないから、裏側のハンダ付けの後処理も全くしていない。キサゲも掛けてないから、ひどい状態で、ただよく着いているだけである。そういう意味での価値の向上は期待できない。
 
 我が国の鉄道模型は、相も変わらず外観重視だ。投稿者はそのような土壌の中にいるのだから、今回の投稿がなされたのも無理はない。実物のみを観察し、その精密縮尺模型を作ってもうまく走らないのである。これは作ってみて、初めて実感できることである。実物業界人が、したり顔で論評することがあるが、的外れなことが多いのは、これが原因である。

 今回、解説コメントを投稿して下さった方は、鉄道よりも、もう少し大きな実物を扱っている方で、物が動くことを解析することに長けている方だ。
 「模型は堅いからね。」「二乗三乗則が効いているからね。」「ステップ応答がピーキーだからね。」と説明してくれたのだが、専門語を一切使わずさらにわかりやすく、擬音、擬態語を使って書き直して下さったのだ。
 今回の解説コメントは、非常に評判が良いので、筆者も嬉しい。
 「専門家であっても、素人に説明できない人は、自分自身も分かっていない。」とはよく聞く。自戒したい。

2016年12月23日

ED14の台車

ED14 equalizer 読者の方から、この連載が始まってから現場まで行って撮影した、という写真をお送り戴いた。掲載の許可も戴いているので、予定を変更してお見せする。
 見事に2本のピンがあるのがわかる。距離が近いので効果は少なそうという感想も戴いたが、そんなことはないと思う。心皿の中心との三角形を考えれば十分に機能している。

ED14 trucks この角度から見ると、イコライザは台車と平行である。即ち、傾きはない。イコライザはアメリカで発達した。イギリスの機関車で、(蒸気機関車を含めても)イコライジングを採用したものは極めて少ない。日本に輸入されたED17にも、イコライザはない。バネ材が優秀なのだろう。

 イギリスは大規模な土木工事で、線路をほとんど真っ直ぐに敷き、勾配を減らした。また保線状態が極めてよかった。それに引き替え、アメリカは未開の土地に猛烈な勢いで線路を敷いたので、保線は劣悪で、その線路に追随するためのしなやかな車輛を要求された。また、バネの鋼材の質も良くなく、折損の危険を減らすために、イコライザが必要となった。このことは椙山 満氏から何度も伺ったし、井上 豊氏からも体験談をお聞きした。

 おそらく、この2本ピンの方式はその中の試行錯誤から得られた「体験知」であろう。ベストの解ではないが、「これでうまく行く」という方法を採ったのだ。これはまさにプラグマティズムである。
 プラグマティズムは哲学の一分野であるが、それは何かと説明を求められても、筆者にはうまく一言で説明できない。簡単に言えば、「唯一絶対の解を求めなくてもよい。」ということだろう。この2本ピンの方法は、教条主義で理論派の人からは、「あるまじき発想」と攻撃されるだろうことは、想像に難くない。しかし、これでほとんどの場合はうまく行くのである。それならそれで良いではないか、ということだ。現実にこの機関車は日本にやってきてから何十年も問題なく働いてきた。  

2016年12月19日

ED14

9784777019557 さらに土橋氏はこの特集号を示された。DFの20号に大きな写真が載っている。もう少し近くによればよいのだが、かなりはっきりと2本入っているのがわかる。囲み記事に、2本にする理由も書いてあるのには驚いた。 


 観察をせずに憶測で、あるいは先入観で物を考えてはならない、ということを守らないと失敗する典型的な例である。現物の機関車の近くに住んでいらっしゃる方も多いので、見に行かれるべきであった。かくいう筆者も、ピンは1本だと信じていたから、人のことは言えない。

 模型を作ってうまくいかなかったのは当たり前で、その時現場に行っていれば、すぐに解決したのだ。実は模型製作の1年前に友人と現物を見に行っているが、高校生の頭ではそこまで気付かなかった。製作後に行っていれば、気が付いたかもしれない。それから50年も経って気が付くとは、情けない限りだ。

 この機関車をイコライザ・ピン一本で作られた人は居ないのであろうか。どのような動きをするのであろうか。転び止めはどうされたのであろうか。拝見したいものである。 

2015年06月27日

続 easement

 この記事が出たころ、わが家にドイツから来客があった。日本人なのだが、空港から直接来て、しばらく逗留していった。彼は今話題の国立競技場の設計で、忙殺されているはずだ。

 彼は建築屋さんなので、この種のcantilever(片持ち梁)の撓みの計算などはお手の物だ。記事を見せると、先回も出てきた式を直ぐ導き出し、いろいろな場合を想定して、コンピュータ画面で見せてくれた。記事中、図の定規の向きが反対であることを説明し忘れたのだけども、すぐにこの図は間違っていると気づいた。専門家であるから当然だろうが、筆者が言い忘れても直ちに見破ったのは、さすがだ。

 彼の説明である。
 梁は重力場の中にあって水平であると仮定する。梁には質量があるから、その全長に亘ってその重さを積分しなければならない。すると三次曲線から大きく外れる。それでも三次曲線にしたいなら、梁をだんだん細くしなければならないと言う。
 やはり、彼は現場でいろいろな場合を見ているので、非常にプラグマティックだ。その細くする関数はかなり難しいけれど、結論としては指数関数であるそうだ。もっともこれは撓み量が目に見えないぐらい少ないときの話で、先回の話のように、撓み量が大きいと外れて来る。
 数学というものは面白いもので、素人には想像もできないような現象を計算して予測することができるのだ。
 ここまでは重力場の中の話であって、これから記事の中身に戻る。

 MRの記事にある、重さによる撓みを無視することができる横方向の撓みについても見せてくれた。もちろん細くする必要などない。
 彼も同じことを言った。
「大きく撓むと駄目です。バネはいけません。」
 
 
 これが5年前のことだ。その結果をいろいろな人に伝えたところ、面白がる人も居たが、聞く人の取り方にはいろいろあるらしく、三次式なのがわからないのかと御立腹の人も居る。世の中は単純ではないのだけども。

 先回の数理工学の先生の口から出たファンタジィという言葉には感銘を受けた。様々な問題点がそこに集約されていると感じる。プラグマティズムとは対極の方向にあるものだ。

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2014年02月03日

Low-D wheel contour 総括

 筆者は、色々な分野の専門家と共同して仕事をすることがよくあった。専門家の皆さんは非常に的確な推論を出して問題を解決する場合が多かったが、たまに完全に外れる場合があった。
 それを筆者なりに分析すると次のようになる。

推論





 未知の事象が過去の経路からそれほど大きく外れていないときには、専門家の皆さんの推論はたいてい当たっている。しかし、未知の事象は必ずしも微分可能な関数の上に載っているわけではない。急な曲がり方をしているかもしれないし、完全に折れているかもしれない。あるいは連続性がないのかもしれない。
 工学は演繹的な推論と帰納的な推論を組み合わせて出来ている。前者は連続的な関数の時には非常に大きな効果を与えるであろう。またその結果が今まで全て当たっていると、その演繹性がこれからも全て正しいはずという帰納的な推論をもたらす。ここに大きな落とし穴がある。

 条件設定が変わると、「今までどの変数がどの範囲で正しい結果をもたらしたのか?」という検証が必要になるのだが、専門家の皆さんは、過去の成功体験から逃れられない場合が多い。
 筆者は成功体験などないので、物理の基本原理だけから考えることしかできない。
 いわゆる公式というものも、元の関数だけから調べれば、近似の結果であることが大半だ。近似という操作をするときも、近似できる範囲は条件によって大きく変化する。

 自然科学は観察の学問である。何が起きているかは机の上では解決しない。実際に模型を作って、多数の例を観察して結果を出すべきである。都合のよい例だけを分析すると間違える。

 この連載記事が始まった途端、「個人攻撃を始めたのですか?」というご意見も戴いたが、そうではない。もっともっと客観的な話である。全てを本物の理論で解決することが出来ないことを伝えたいのである。Proto48や、本物縮小主義に対しての筆者の意見表明である。

 先日も「旧型EF電気機関車を本物通りに作った。」というのを見せてもらったが、車体の剛性が大き過ぎて、線路のひねりに追随できない。本物の車体は細い梯子フレイムにへなへなの箱車体が載っているだけであるから、簡単にひねられる。台車と台車は牽引力を伝えるように結び付けられていて、車体には牽引力は伝わらない。そのあたりがあやふやで、非常に残念であった。

2014年01月24日

続 フランジ

 フランジが摩耗した車輪で手を切った方は少ないであろう。”ピザ・カッタ”と揶揄する人もいたが、本当に切れる。
 筆者には経験がある。昭和30年代の3線式Oゲージで、EB電気機関車の動輪が摩耗したのだ。軟らかいブラス鋳物を挽いた動輪と、ブリキ線路とが擦れるわけだから、当然のことながらブラスが負けるのである。擦り切れるまで走らせたわけで、動輪を嵌め替えて、さらに走らせた。
 ライオネルは極端に固い焼結合金(sinteredという)の車輪だから、レイルには負けない。すなわち、手を切る心配はない。

 フランジでカーヴを曲がるということに異存はない。それは当然である。レイルヘッドの食い違いを乗り越えることにフランジ角が効いていることは、筆者も小学生のころから気が付いている。 フランジが擦り減った車輪は脱線しやすく、新品の車輪は多少フランジ角が小さいので脱線しにくかったのである。フランジ角を小さくしようと、減った車輪を父親の電気ドリルに銜えてヤスリを当てた。いわゆるドリルレースなのだが、あっという間にフランジが丸坊主になって泣きべそをかいた。

 フィレットがレイルヘッドの食い違いを乗り越えるというMR, TMSの説明が明確な間違いであることは1987年に吉岡精一氏から知らされた。彼は国鉄の研究所の友人から教えられたそうだ。ナダルの式もその時知った。その結論は当然であるが、このような数式を生み出した能力には畏敬の念を覚えた。

 フランジ角は脱線抗力を決める。直角では最大値になるが、別の原因で直ちに脱線する。ここでも摩擦係数が絡んでくる。摩擦係数が小さい材料を使えば、フランジ角が小さくても良いのである。
 フィレットは何のためにあるかということは、実物の専門家が解説されているが、その概略は、圧力が一点に集中して金属組織が破壊されるのを防ぐためである。実物と模型は同じ理屈によると、力説されているが、圧力が異なるので、理屈は正しいが応用する必要は全くない。ステンレスの摩擦は小さいので、フランジ角に到達する前にフィレットを滑り落ちる
 すなわち、模型ではフィレットの効用が別にあるわけだ。先回のLow-Dの写真でフランジにほとんど擦過痕がないのは、この結果である。

 昨年から、フィレットについてかまびすしい論議があった。どうして反論しないのかという問い合わせは多くの方から戴いていた。専門家だという方の論理展開は全て同じで、「素人は知らないだろうが…」という書き方になっている。素人も観察くらいは出来る。模型の走行を時間を掛けて観察するべきである。観察に時間を掛けないと、理論に振り回されてしまう。
 不思議なことに、専門家が「こうだ」と言うと、「私もそう思っていました」という意見が出てくる。ものを言う前に観察しよう。
 Low-D車輪をカーブ上で乗り上げるように押しても、フランジの円錐台面に当たる前にずり落ちるのが観察できる。撮影は非常に困難であるが、望遠鏡で覗くとよく分かる。半径の大きなフィレットはよく働いている
 模型と実物は大いに異なるのである。フランジが接触しなくなるだけでも、曲線抵抗はかなり小さくなることを、だれも否定することはできないだろう。

 実物の技術者は、鋼と鋼の接触を考えているが、模型には異なる材料が使われている。当然のことながら圧力が異なり、曲率も異なる。さらに速度も異なる。フランジ塗油器もないし、散水装置もない。 フィレットが大きいと走行が安定しないそうだが、模型には誰も乗っていないから乗り心地は考慮する必要はないだろう。

 観察はまだまだ続く。

2011年04月27日

「1000記事達成!」 の通知を受ける

 気にも留めていなかったが、昨日表記の通知が届いた。思い起こせば2006年8月末から始めて、当初は毎日更新であった。ある方から、ペースが速すぎてついていけないと言われ、2日に一回とした。

 このブログを始めたきっかけは既存のメディアに対する不満からだ。とにかく勉強が足りない。金を取って売る雑誌なら、少しは努力せよと言いたかったのである。筆者は職業柄、物事を客観的に見ている。鉄道模型は情緒的な面もあるが、本質はメカニズムである。

 幼少のころより、技術者であった父の指導の下、理屈に合った模型を楽しんできた。ところが雑誌に書いてあることはそれとは異なり、大きな誤りも多々あった。それを正す人が居ないのはこの趣味を楽しむ人たちのためにならない。それなら書いてみようということになったのだ。もっとも筆者が楽しむのはO Scale であり、日本ではやや異端である。あまり影響力を及ぼすことはできないとは思っていたが、読者の方々の御賛同を得ることができた記事も多かった。

 「快削ブラス板の採用」、「炭素棒ハンダ付け」、「バネの効いたイコライジング」、「ステンレス容器中での折れ込んだタップの溶解」、「曲がった橋」、「パイクは卑称と言う新説」、など、今でも読み返してみて感慨深い記事もある。一方、興味深いがとても手が届かないという御意見をたくさん戴いた記事もあった。ロストワックス関係の記事がそうである。
 日本ではどういうわけか、ロストワックスのプロセスが模型雑誌には久しく載らなかった。ある人は、「秘匿している。」という表現をされたほどである。
 アメリカではごく当たり前の鋳造法で、電話帳で Casting の項を調べればいくつかは簡単に見つかる。この方法のテクニックを公開することは、当然必要なことであり、多くの人がその恩恵に浴することが必要であると思う。

 最近はブラス工作をする人が減っているが、やってみればこれほど簡単な工作はないと思う。接着という時間のかかる難しいプロセスがないのである。やけどさえ気を付ければよいのである。
 工具をそろえると速くできる。おそらく投資金額分を時間の節約ですぐ回収できるはずである。また、プロの工房でのテクニックを皆さんに披露したい。本当はそのような記事こそ、雑誌に載せるべきなのである。

 もうひとつこのブログでやりたかったことは、中間に人を介さない直接の海外の情報提供である。過去の雑誌の記事を読むと、記事を書いている人が、だれか(通訳?)を介して情報を集めているのが明白なものが見つかる。とんでもない勘違い記事があるのだ。このブログではすべて筆者が自分で集めた情報しか書かない。伝聞はウラを取り、間違いがあればすぐ訂正する。しかし、雑誌は誤りを指摘してもまず訂正しない。困ったものだ。 

 幸い、筆者は伊藤 剛氏、故井上 豊氏、故祖父江欣平氏、故椙山 満氏らの綺羅星のごとく輝く先輩模型人に直接の御指導を戴いたので、その一部でも御紹介したいと考えたのである。彼らの助言なしにはとても現在の自分があるとは思えないのである。感謝している。

 また、読者の方々からは有用な助言をたくさん戴いて励みとなった。あらためて御礼を申し上げる。

2010年04月12日

続々々 Kalmbach社のHOレイアウト

MR Layout 8MR Layout 9 この辺りは舞台裏である。二段の収納用のヤードが在った。二段の間隔が十分広く、奥の方にも手が届きやすい。路盤は、3/4インチ(19mm)の構造用合板である。
 上の段のポイントマシンの設置の仕方に興味を覚えた。見えないところなのでこれで良いのである。上に飛びださせれば、下の段には全く飛び出さない。工事も保守も格段に楽であろう。機能を最優先させた設計で、筆者の好みである。
 ポイントマシンは手前と向こうの二列に並べ、中間部分の駆動は細いロッドに依る。

MR Layout 11 この部分の立体感が面白い。カメラは単眼なので、いかにも奥行きがあるように思える。実際の深さはせいぜい 5cm である。
 これはあきらかに印刷媒体を使う出版社だからこその表現である。
「ちょっとしたトリックですよ。」としか言わなかったが、目で見ると不可思議な感じがする。真正面から片目で見ない限り、薄い建物と背景画にしか見えないのだ。 

Kalmbach社訪問記は今回で一応終わる。出版社の中で多人数のスタッフが関わって研究用のレイアウトを作るからこそ、説得力ある記事が書ける。レイアウトの一つすらない出版社が、投稿された記事を載せて、したり顔で解説記事を書くのとは違って当然だ。MRは、プラグマティズムに満ち溢れている、と感じた。 
 車輌の性能テストなどもここで行うのだそうだ。

2008年02月03日

続 非可動軸とレイルの汚れ

 鉄道模型に限らず、建築業界、自動車産業その他日本の産業界に通じて言えることは、自然科学の軽視である。

 筆者の体験は、上記の3つの分野くらいしかないが、それを強く感じる。自然科学を深く理解しているとは思えない人が、その応用を考える場合が多いことである。しかも、わずかばかりの自分の体験の中で見聞きしたことがすべてであるという、妙な自信家が多い。

 世の中は複雑である。しかし根本原理は単純である。その根本原理を確実に理解している人を探し出して、演繹的に思考を積み上げれば、それはベストの方法であるが、その努力をしているとはとても思えない。

 その努力がちっとも見えてこないのである。我が家の建築のときにもそれを感じた。筆者は、どう考えてもこれ以上の性能は出せないというところまで考えて作った。ノウハウはすべて公開して、日本の住宅性能が向上するように努力した。業界も役人も見には来たが、理解して実行できる人が来たようには思えない。雑誌にも載せたが、あまり効果はなかった。材料・工法も吟味すれば、日本製のものも使えることも示した。しかし、「そんなことしたってたいしたことないだろう」と言う人が多過ぎる。いろいろな効果は「積」の形で表される部分が大半だ。すべてを底上げしなければ、よい結果が出ないという事が分からないのである。しかも、そうやって作った住宅に自ら住んだことのある人などいないのである。
 学生時代アメリカに居たとき、世話になっていた銀行家がこんなことを言った。「車を売りに来たセールスマンの車検証を見せてもらえ。売る車を自分で買ったセールスマンの車なら買ってもよい。」

 「理屈などどうでもよい」と言う人が多すぎる。「理屈どおりには行きませんよ」という人にも多く会う。学校で何を習ったのだろう。
 これもプラグマティズムの欠如である。この点についてだけは、筆者はアメリカの偉大さには敬服している。自然科学に対する畏敬の念を持つ国民である。日本にはない点である。
 数年前の調査で、アメリカは約50%の人が自然科学は人類の役に立つと答えている。日本は先進国の中で最低で10%台であった。これは模型を楽しんでいても、よく感じることである。 

2006年12月05日

続 プラグマティズム

 筆者は幼少の頃より鉄道模型に親しみ、楽しんできた。学校で習ったことは全て応用してみた。

 高校の物理の教科書に書いてあることはほとんど全部やってみたと思う。それ以降は、あまり関係のない方面に進んでしまったので、工学はほとんど独学である。

 模型雑誌を見ると、あまりにも非常識なことがたくさん書いてあるので読む気がしなくなった。そのような誤りは、ほとんどが思い込みからきている。あるいは他人からの吹き込みである。

 筆者は、現在、客観性が必要な仕事をしている。いかなることも、原理原則から導き出さねばならず、本に書いてあることを全て疑ってかかるのが性になっている。

 模型雑誌の責任は重大である。年寄りはともかく、若年層に対して正しい知識を与えねばならない。編集者は博識でなければならない。もし、知識がなければ、正しい知識がどこに行けば得られるのかを知っていなければならない。

 この点、日本の模型雑誌には合格点はつけられない。

 さて、アメリカとドイツの話をしよう。彼の国で進歩した鉄道模型を分解して驚くのは、機械工学の常識がちりばめられている事である。軸受、歯車、モータいずれも文句の付けようのない組み合わせである。ライオネルの歯車は3条ウォームで(押して動かす目的ではなさそうだ)、ウォームには硬い材料が使ってある。メルクリンのスパー歯車は、『互いに素』である。軸受けは摩擦軸受けだが、軸は細く、円周速度を小さくして損失を抑えている。接点は硬質ニッケルめっきが施され、耐久性に富む。

 当たり前のことばかりであるが、この中で日本の有名模型店製の車輌中、実現されているものがどれくらいあるだろう。

 これは社会の成熟度だけでは説明できないと思う。より優れた模型を作ろう。そのためには何をせねばならないかということを考えねばならない。

 どうしても、外観重視になるようだ。模型雑誌を見ると、ディーテイルをこうつけましたという記事が大半だ。走らせるということを忘れている。そんな模型にはモータとギヤは必要なかろう。

 鉄道の魅力はどこにあるのだろうか。筆者が気に入っている表現を掲げさせていただく。
 「鉄道の社会的背景を取り去り、情緒を抜いて全てを裸にすれば、それはメカニズムの美しさである。」

2006年12月04日

プラグマティズム

11月19日のワークスKさんのコメントには考えさせられた。再録させて戴く。

>私も実は機械屋のなれの果てでして、歯数を互いに割り切れない数にすることは、学校で確かに習いました。韓国でも中国でも、それは絶対に常識のはずです。
>ただし、歯車にはモジュールとかピッチとか、門外漢に判りにくい概念がありますから、それを知らない人なら、どうしても要求される歯車比や軸間距離から既成の歯数を使ってしまうという様なことがありそうです。
>昔の我が国を含め、問題は、機械工学を修めた者が、模型製造に関わらなかったところにあるのではないかと思います。社会の成熟度合いの関係ではないでしょうか。

 社会の成熟度合いだけではなさそうだ。これはこの国の教育のせいであると思う。
 明治以来、日本は努力によって身を立てることが美徳とされた。江戸時代までの身分制度から解き放たれ、自己の才覚で生きていくことが求められるようになった。すると学業が能力の目安として用いられるようになり、学業が優秀であると生涯安泰な仕事に就けることになっていった。企業も然り、軍隊も然りである。

 富国強兵の時代はそれでもよかった。戦後の日本では、経済の発展とともに進学競争が盛んになり、学校の勉強は試験に通るためのものに変化していった。

 本日の表題のプラグマティズムとは、簡単に言えば「勉強は役に立つ」という哲学である。そもそも勉強とはそういうものではなかったか。
 日本も貧しかった頃は、勉強して知識が増えればそれだけで確実に生活レベルが向上した。今でも低開発国ではまさにその実践を見ることができる。

 「理科を勉強すれば気候の変化には理屈があることが分かる。太陽の軌道の変化が分かれば、夏涼しく、冬暖かい家はどうしたら実現できるか考えることができる。」

 実は上の2行は、昭和23年の中学校の理科の教科書からの抜き書きである。占領下の日本ではこのような教育が行われていたのである。ところが時は過ぎ、戦後20年も経つと、生活が豊かになると勉強は形骸化した。テストのための勉強の時代が始まった。

 「いくら知識を持っていても、それを使えなければそれを知らないのと同じである。」アメリカの哲学者デューイはプラグマティズムをこのように説明した。

 筆者宅に来られた技術者(高学歴で大企業にお勤めの方)が機関車を持参された。拝見したが、どう見ても何の工夫もなく、できのよい中学生の工作にしか見えなかった。そしてレイルに乗せて電圧を掛けると、「あっ、動いた。」と叫んだのである。ジコジコと走って止まった。喜色満面である。車輪が少し偏心しているらしく妙な揺れ方をしていた。

 この方はいったい何をされている方なのであろうか。有名大学の工学部を出られてどんな仕事をされてきたのであろうか。学校で学んだことが、その模型のどこに生かされているのであろうか。模型はこんなものだという気持ちがあるとすればあまりにも寂しい。

 好きな機関車がジコジコと首を振りながら走っても何も感じないのであろうか。問い詰めたくなる気持ちを抑えながら、筆者の車輌を動かして見せた。「凄いですね。たくさん牽いて走りますね。」とはおっしゃるものの、何が違うのかという質問はなかった。「動いた。」と言ったのは、動くかどうかもわからなかったのではないか。この方はしばらく前に亡くなられた。

 まさにプラグマティズムの欠如である。 

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