左右別回転車輪
2012年03月04日
San Francisco へ



低床車と高床車とが組み合わさってくる。これは連接車である。タイヤと車輪の間にゴムがはさんであって、音はとても静かである。低床車の連接台車は無動力であって車軸もない。左右の車輪が別回転するようになっている。要するに車輪の間を人が歩くようになっている。標準軌だからこそできる設計である。この写真はいずれお見せする。

「ただ今到着の飛行機には退役軍人が乗っています。皆さんこぞって御迎えをお願いします!」
この放送を聞くのは久しぶりだ。筆者の世代はベトナム戦争の時代にアメリカに居たので、当時はよくこのような場面に遭遇した。反戦運動のリーダ達が来て、「人殺し!」などと叫ぶものだから、警察とよく小競り合いがあった。
危ない目に遭い負傷して帰国したのに、罵声を浴びせられて精神状態がおかしくなった友人もいた。
今回は、そのあたりに集まった人が温かい拍手を浴びせ、穏やかな帰国であった。兵士にはマイノリティが多いということを改めて知った。貧困層からの兵役志願者が多くなるのである。ベトナム戦争のときは徴兵もあったので、知り合いも何人か行った。

ここに内野日出男氏をご案内したとき、ずいぶん興奮されていたのを思い出す。対岸には6インチの砲座がまだ何箇所かある。このように湾の入口に向かい合って存在する砲台をBattery という。この言葉はのちに、電解液に差し込まれた二つの電極を意味するようになり、電池という言葉になった。ニューヨークにもバッテリィ・パークがあるが、地図を見ればその語源を知ることができる。そう言えば、野球の投手と捕手の組もバッテリィという。
ともあれ冷静に考えてみれば、大日本帝国海軍の艦隊にはそれほどの航続距離もなかった。石油もなかったのだ。油槽船すら、ろくになかった。
しかし40年前、筆者はサンフランシスコの人達に聞いたことを思い出す。
「本当に怖かった。燈火管制が敷かれて、町が真っ暗だった。ヤマモトは絶対やってくると思った。」と言ったのだ。

冬に雨の多いオレゴン州から、乾いたカリフォルニアに来た。西岸海洋性気候からステップ気候への変化である。