ビッグボーイ

2019年05月05日

LA-SLのBig Boy

tenders2 博物館に持って行ってあるLocomotive Cyclopediaを見た。1944年版1950−1952年版にそれは載っていた。1941年版には載っていない。これらの年度のロコサイクロは珍しく、日本にはほとんど無いようだ。前者は蒸気機関車が先に収録されているが、後者では蒸気機関車は後になっている。ディーゼル電気機関車の時代になったのだ。
 American Locomotive Company(Alco社)はテンダの設計例を3種用意していた。真ん中のは、ビッグボーイその他に用いられた。上は採用例がない。
 下の図が、今回話題の図である。Los Angeles-Salt Lake線のことは、LA-SLと呼ばれた。現在のI-15号沿いである。 

16-wheel tender もう少し大きな図で見よう。従台車の形は、常識的な形とは異なるはずだ。5軸のイコライザの終端は、外側台枠だから、それと結ばれるように、従台車のイコライザが台枠に平行に伸びて来なければならない。床板は内側に強度部材が付くはずだ。最後端は復元装置の扇型のコロが付く。
 テンダ後端は、曲線上で建築限界に接触しないように、少し絞り込まれる。このあたりのことが、ベネット氏の絵からは全く読み取れないのが、残念だ。
 また、大型の4-8-4のキャブ(運転室)の形は上から見て長方形ではなく、台形であるということはあまり知られていない。オゥヴァハングが大きいので、少し絞らねばならないのだ。彼の絵を見ると、そういうところには配慮がないことがわかる。30年前に見せて貰った絵は、蒸気機関車が主であったので、筆者はそこが気になって仕方がなかった。

 給水温め器がWorthinton SAであれば、煙突前のスペイスは それに充てられ、ベルのサポートは煙室戸に付けざるを得ない。給水ポンプは太いので、今までの排気インジェクタの場所には付かない。その配管はどうすべきかなど、考えるべきところはかなりあるのだが、彼はそんなことには無頓着だ。

 ロッドのSKFベアリングは、どうやら、サイド、メイン両方に採用したナイアガラと同等のものらしい。これは、他の機種の仕様書を確認した上での推論だ。それだけでも外観上はかなりの変化がある。ロッドは、3Dプリンタで作ったロストワックス鋳物を採用すればすぐできてしまう。CNCで彫刻するという手もある。

 Big Boyの試運転が始まったようだ。井上豊氏の話にもあったが、試運転はフルギヤで行う。そうしないと圧力変動が大きく、焼き付きが起こるそうだ。 

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2019年04月29日

Classic Trains

classic trains 時々買う季刊雑誌である。面白い記事が載っていることがある。古いTrains誌の記事を再構成したものもあるが、新しい切り口で見せてくれることが多い。

 今年は大陸横断鉄道開通150周年と、Big Boyが復活する予定なので、それに関する特集であった。その中で、注目すべきは、戦争中、Big BoyがLos Angeles方面に走っていた話である。ソルトレーク市から南方に走った話は小耳にはさんだ程度しか知らなかったが、この記事にはもう少し詳しく解説してある。転車台がないので大きな三角線を作ったらしい。石炭は途中で調達できた。その後、この線区に新しいBig Boyを導入する計画もあったそうだ。その簡単な図面も添えてある。

big boy 3SA heaterextended tender 最初の25輌と異なるところは、オイル焚きと水の容量増加である。テンダには従台車が付いている。あと、feed water heater をWorthington SA型にして煙室前方に置いたことだ。多少の煙室延長があるかもしれない。 

 この記事を書いているのはGil Bennet氏だ。筆者は彼をよく知っている。以前近所に住んでいた。大阪弁をしゃべるアメリカ人である。若い時、大阪に来ていたらしい。
 描いた絵をいくつか見せて貰ったが、結局買わなかった。当時は安かったが、今は名前が売れて、一流の作家になった。写真を見て描いているので、そこそこの出来だが、彼は蒸気機関車の構造には強いとは言えない人である。このような想像上の機関車を描くと、いくつかの破綻が出る。いずれお見せするが、今作っている機関車(この絵とは異なる)も、その絵には奇妙なところがある。配管、機構などありえない構成になっていた。残念だ。
 ディーゼル電気機関車、タービン機関車の絵は、まあ問題ない。画集が出ている。

 この増備型Big Boyの仕様を見ると、RodにもSKFのローラ・ベアリングが使われると書いてあるが、サイドロッド、メインロッドを指すかどうかは分からない。エキセントリック・ロッドの後端には以前からSKFのスフェリカル・ベアリングが使ってあった。これを指しているかもしれないのだ。

 実は、筆者はテンダが破損したBig Boyを持っている。どうせテンダを作るのなら、思い切ってこれにしてしまおうかとも思う。ロコサイクロで見つけた従台車の簡単な図面はある。

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2011年09月28日

続 Cheyenneへ

2445 シャイアンに行ったら、見なければならないものがある。
 それはBig Boy 4004である。駅から10ブロック弱、東に行けばホリディ・パークがあり、そこに鎮座している。
 1985年にここを訪れた直後に大雨が降り、公園が 2 m ほど水没した。その時、この機関車も水没した。良く見ると、公園はもともと窪地だったところを造成した様子で、周りの土地よりはるかに低い。この写真を御覧になれば、どの程度低いかはお分かり戴けるだろう。

24162415 以前は機関車はむき出しで置いてあり、中にヒッピィが寝泊まりしていた。そのせいで、キャブ内の計器、機器類は全て壊されていた。水害後、修復作業が行われ、塗装された。 周りにフェンスを作ったので、機関車に触ることができなくなった。あちこちに吹かれている赤褐色の塗料は錆止め剤である。

 この機関車はもともとシャイアンの機関庫に在ったもので、そういう意味では程度がよい。デンヴァの4005は、機関車自身は「調子が最高」(Tom Harvey氏談)であったが、廃車して使い切った状態で運ばれてきたので、動輪は擦り減り、悲惨な状態である。

24262434 しかし良く見ると部品が欠落している。コールド・ウォーター・ポンプ、インジェクタがない。チャレンジャ3985を走らせるために、補修用として共通部品を外したのだ。

2429 テンダはとても美しい。最後部の放水スプレィも原型を留めている。これは飛ぶ火の粉で後続の貨車が火災を起こすのを防ぐためという、にわかには信じられない目的のために付けられている。増炭板も健在である。

2007年07月25日

続々々 UPHILL DOWNHILL

 下りの速度は、機関士が一人で決める。罐焚きが「速すぎる」とか「遅すぎる」と言ったためしはない。

 Creston峠からの「高飛び込み」について、もう少し書いておきたい。ブレーキ弁には一切手を触れず、ただ重力に任せて下っていく。Cherokeeという場所にカーヴがある。そこで転覆するのではないかと考えるだろう。

 どの機関士もここでは同じようにぶっ飛ばす。でも誰も脱線したものはいない。旅客列車は120マイル(192km/時)以上出る。

 下りの運転は機関士にとっても罐焚きにとっても楽しい。しかし機関士の方がもっと楽しいはずだ。速度を決めているのは機関士だからだ。当然なことに現場の指揮者は機関士だ。

 機関士になるには長い経験が要る。もしあなたが"Right Stuff"(機関士になるための資質)を持っているなら、その一瞬一瞬をちゃんと見ておくが良い。勝つか負けるか。ゾクゾクするだろう。経験の無いものには話しても分からない。

 あえぎながら峠を越えるのは、エヴェレスト山に登るようなものだ。多分、ヒラリー卿は登頂の瞬間に「やったぜ!」と叫んだに違いない。俺たちもそうする。

 機関士が下りでつぶやく言葉は特にない。Creston からRawlinsに向かって滑り降りる時の表情を見よ。彼らは特別に楽しそうな顔をしているはずだ。 


 筆者註 "Right Stuff"という言葉は映画の題名にもなった。宇宙飛行士になるための資質という意味であった。ここでも、機関士になるのは難しいという意味で使っている。

2007年07月23日

続 UPHILL DOWNHILL

 考えていることは違う。罐焚きの頭の中は、圧力、水位、火床のことで一杯である。ストーカがが調子よく動くか、潤滑油送出機の目盛りにも注意を払わねばならない。そうなのだ。この自動注油機の監視も罐焚きの仕事のうちだ。それを怠れば、ストーカも空気圧縮機も直ちに止まってしまう。

 登り坂でストーカが30秒止まったら、それは大変なことだ。夜間であるとなおさらだ。原因がどこにあるか突き止めねばならない。

 夜間の運転では、時々煙突から飛んでいく火の粉の様子を見る。ストーカが止まればすぐ分かる。昼間の運転では、煙の様子をよほど注意していなければ、ストーカの停止には気が付きにくい。同乗の制動手と無駄口をきいていると分からない。

 機関士の頭の中は別のことで一杯だ。時間のこと、制限速度、退避のことを考えている。後ろから迫ってくる優等列車を、どこで退避するか。Rawlinsまで行けるか、手前で退避するか。

 谷の底でも峠の上でも、頭の中ではそのことが巡っている。時計を見て考える。あの坂を登るのに何分掛かったから、次の坂を何分で登れるかということを考える。

 下り坂では罐焚きは遊んでいる。機関士の腕だけである。峠ではスロットルを閉める。罐焚きはしばらく遊んでいられる。煙突の下にあるブロワ(煙を外に放り出すための噴出口)を開ける。排気がなくなるから、この操作をしないと火室の中の煙が吸い出されないのだ。これを忘れると運転室の中は煙でいぶされることになる。



 

 



2007年07月17日

西向き列車

Big Boy 4006 西向き列車は罐焚きにとって楽な乗務だ。小さい峠を3回越えると740マイル地点のTipton峠だ。そのあとBitter Creekまでは下る一方で、そこで石炭と水を足し、Green Riverに到着する。

 RawlinsよりGreen Riverの方が標高が低いのだから、楽なのは当たり前だ。スロットルは半分までしか開かないし、ボイラがHotでなくても運転できる。ここの運転は楽だった。

 Big Boyは、調子の良い機関車であったが、冬の運転には難しいことがある。関節式であり、蒸気管が可動式である。その関節部分からはかなりの蒸気漏れがありうる。工場から出てきたばかりはよいのだが、しばらくすると、磨り減って蒸気が漏れる。

 発車時は圧力が高いので、凄まじい蒸気漏れが発生する。視界ゼロの霧の中を発進するわけだ。しかし、ある程度走れば、蒸気は吹き飛んでしまう。

 白い霧の中をBig Boyが頭だけ出して発進する姿は、今となってはとても懐かしい。

 Big Boyは動輪が大きいので、貨物用としては素晴らしくスピードの出る機関車であった。80マイルくらい訳はない。100マイルを出したこともある。Challengerはもっと速い。110マイルは出る。高速で走ると、煙と蒸気がボイラの周りにまつわりつく。信号機が見えない。

 そういうときにはスロットルを一瞬開いて、排気で煙を吹き飛ばす。そのとき、あまり開くと、列車に響く。連結器に衝撃を与えないように最小限で行うのがコツだ。

2007年07月16日

続 Fireman の能力

 私はかなり若くして機関士になった。30歳のときだ。ほとんどの罐焚きは私よりも年上であった時期が続いた。それは戦争中に雇われた連中だった。この罐焚き連中は機関車の理屈を理解しているようには見えなかったし、どうやって焚くかということも分かっていないようだった。

 夜中にCreston峠を旅客列車を牽いて登っているときのことである。力が出ない。圧力計を見ると、50ポンドほど圧力が足らない。300ポンドの圧力が必要なのだ。煙突から出る火の粉を見ていると、この罐焚きの石炭のくべ方は全く足らないことが分かった。だから、「もっと焚け。」と合図を送った。

 彼は何もしない。圧力はどんどん下がった。私は立ち上がって焚口戸を開け、中を見た。 思ったとおりだ。こんなことはしたくなかったが、罐焚きの前にあるストーカの駆動ヴァルヴを全開にした。煙突から煙が出はじめた。そして、彼の側のインジェクタを止めて罐がHotになるまで待った。

 たちまち罐がHotになり、Gun(インジェクタのこと)をOnにした。この大馬鹿者は、火力が弱いと言っているのにそれが分からなかったのだ。同乗の制動手の前で赤恥をかいたのだ。

 このようなわけで、私はしばらくこの戦争の遺物と戦うことになった。勝ったり負けたりであったが、負けの場合も私はするべきことをしてなんとか切り抜けた。

 優秀な罐焚きもいた。駄目なのよりは多かった。大体予想通りの仕事をしてくれたが、もうちょっと頑張って欲しかった。

2007年07月15日

Fireman の能力

Rock Springs Rock Springsは罐焚きにとっては大切な場所だ。ここで態勢を立て直せなければ破滅に向かうことになる。駅の外れにYard Limitという札がある。ここから駅の構内である。

 機関士が駅のかなり手前でスロットルを閉じて惰力で走れば、水面計はまだ半分くらいを指している。大抵の機関士はスロットルを最大限に開き、勢いよく走ってきて駅の手前でエア・ブレーキを効かせて無理やり止める。このような走らせ方をすると罐焚きはかわいそうだ。火床を整える暇がない。ヤードリミットの手前でスロットルを閉じてやるべきだ。

 ロックスプリングズでしくじると、そのあと何をしても手遅れだ。この先ずっとBitter Creekまで登り坂なのだから、火床を直す暇がない。どんどんくべるが、火床が持たない。次の駅までてんてこ舞いをするのだが、出力は低下してくる。

 Cab(運転室)の中には見えない線が引いてある。機関士はその線を越えて行かないし、「こう燃やせ、ああしろ。」とは言わない。機関車の中では、その種の話は全く出ない。するべきことは決まっている。

 罐焚きの側から見れば、自分がどれくらい焚けるかということは機関士には見透かされている。父はそれをよく教えてくれた。しかし私が機関士になっても、自分と組んだ罐焚きの腕は分からないこともあった。ほとんどの場合、罐焚きは何も分かってない。また、自分が分かっていないことすら、わかっていない場合が多かった。そういう連中が多かった。

2007年07月14日

続 出発時の注意

 罐焚きに水面を高く保てと指示を出すと機関車を最大限に働かせることは出来ない。中の水が泡立ち、シリンダーの中に入る可能性があるからである。そういうときはすぐにインジェクタを停め、石炭の供給量をやや少なくする。そしてストーカのジェットを調整し、石炭が均一に撒かれていることを確認する。火室扉を閉めると、火室温度は見る見る上がる。インジェクタは止まっているので水面はすぐ下がる。

 この状態が最高である。水面は低く、石炭は均一に、インジェクタは水面を見ながら動かすのだ。この状態を"Red-Hot"と言う。罐焚きは「もう2インチ(5cm)水を足させてくれ」と言うだろう。それでは戦いに勝てない。我慢させるのだ。

 すぐ我々のチームワークは報われる。よし、今だ。インジェクタを働かせて、注水すると同時に、スロットルをやや開く。罐焚きは石炭の供給量を増す。機関士はまたスロットルを開き、罐焚きは石炭をより沢山くべる。あとは水面計を見ていればよい。

 これを機関車の能力の限界まで行う。そしてその状態を維持できれば最高だ。この戦いは我々の勝ちだ。罐焚きは煙突から吹き出る煙の色を見る。どんな色が最高に調子のいい状態を作り出せるかを憶えるのだ。ストーカのスティーム・ジェットを調節し、どうすればその色が出せるのかを頭に叩き込む。

 こうしているうちにKandaの坂を越える。峠の頂上では水面計は下から1インチまで下がっている。それでよい。あとはRock Spring までほとんど平坦である。 

 

2007年07月13日

出発時の注意

 機関士が列車を出発させるとき、逆転機を前進側に最大限傾ける。すると蒸気の消費量は最大となり、牽引力が最大となる。当然、排気量が増え、通風が凄まじく良くなる。火床を通過する空気量が増えるから、石炭が持ち上がろうとする。石炭は厚く撒いておかなければならない。しかしあまり長くこの状態を続けると、罐焚きが火床を維持することが出来ない。

 出発直後は、まだボイラーが完全には熱くなっていない。石炭もまだ完全に燃えている状態ではない。これを"Green Coal”と言う。(このGreenという語は、若葉という意味に近い。訳者註)、火室、レンガアーチ、クラウン・シートいずれもまだ十分には熱くなっていない。出発直後のレンガアーチはまだ淡い黄色をしている。2,3マイルも走ると耐熱レンガは灼熱する。融ける寸前の色だ。 

 このレンガアーチが十分に熱くならないと十分な蒸気を発生させることができない。それには多少時間が掛かるのだ。鍛冶屋が鉄を焼く温度よりもっと熱くなるまで待つ。

 機関士はスロットルを大きく開く必要はない。逆転機が前進最大になっているときスロットルが全開であると、機関車は動けなくなる。火床が吹飛ぶからだ。罐焚きの事を考えれば、スロットル開度は2/3までだ。それでも、あまり長くそれを続けてはいけない。逆転機を中立の方に少しずつ戻すのだ。圧力計が300ポンド(約21気圧)を指し続けていなければ、どうやったってどこへも行けはしないのだ。他機種ではこの数字は多少低い。

2007年07月12日

続々 東行き貨物列車の運転

 10分前の退避はなかなか難しい。機関士の判断ミスで旅客列車を遅らせることはありうる。もし機関士がオーヴァーランしたら、本線を塞がないように機関車を下げなければならない。その間に旅客列車が後ろにくっついてしまう。そのような失敗をした機関士は、今度は手前で止めようとする。すると最後尾のカブースは本線上に残ってしまう。

 狙ったところにぴたりと停めるのは名人芸である。そうすると旅客列車は定刻どおりにやってきて、機関士と罐焚きは「いい仕事をした」と思うのだ。

 話を最初に戻そう。Green RiverからKandaの坂で罐焚きが失敗すると、あとは泥沼である。全てが失敗である。時間通りにはRawlinsには到着できない。途中の側線で何本かの列車を見送る羽目になる。だから、最初の坂が勝負なのである。

 前にも書いたと思うが、機関士と罐焚きは、意思の疎通が一番大切なのだ。最初の数マイルで勝たなければならない。他のどの職場でさえも、機関士と罐焚きほど息が合っていないとできない仕事はない。それぞれが、なさねばならない仕事を持ち、そのベストを尽くす。そして、互いに相手の仕事の内容を知り尽くして助けあう。運転室の両側に座っているのだけれども、相手の挙動を見てその仕事を理解する。

 もし、線路脇に立っていて機関車が通過して行くのを見ていれば、機関士が一人で運転していて、罐焚きはただ黙って石炭を放り込んでいるだけに見えるだろう。運転室の中では、機関士と罐焚きは本当の意味のチームであるが、それは外からは見えにくい。

 運転室の中に立って、我々の仕事を見よ。機関士はスロットルを開ける瞬間にも罐焚きがそれに追いついて来られるかを観察している。もし、スロットルを大きく開けたままにすると、火床が持ち上がる。燃えている石炭が全部吹き飛んでしまう。あるいは、逆転機を一番前に倒したときも一緒だ。排気が強く通風が良過ぎて火床が無くなる。

2007年07月11日

続 東行き貨物列車の運転

 私はここで逆転機を中立に近く戻す。2ノッチほど前進側にあるだけである。このままTiptonから下っていく。速度は60マイル(時速96Km)くらいのものだ。
 
 Wamsutterまでは下りで、そこからこの線区最大の難所であるCreston峠を越えねばならない。12マイル(約20km)の急坂だ。どんどん焚き続けるのだ。水面を低めに保つのだぞ。

 ビッグボーイのボイラは大したもので、必要な蒸気を十分に発生してくれる。水面が高いと反応が遅くなるので水面を低めに保っていればうまく行くのだ。

 ようやく峠を越えた。もう一つ峠があるが、ここは惰力で乗り切ろう。Creston峠からの高飛込みである。速度はどんどん増し、70マイルを越える。ここでブレーキを掛けるようではいけない。後ろを振り返って、Hot Boxがないことを確かめる。

 そのまま次の登りに差し掛かる。この登りは楽である。罐焚きの仕事はこれで終わりだ。ご苦労さん。

 私はまだ仕事が終わらない。所定の位置に停めねばならない。長い貨物列車を後続列車の邪魔をしないように側線に入れねばならない。カブースが本線に残っていてはいけない。前を見て、後ろも見るのだ。そしてカブースに乗っている制動手がポイントを切り替え、本線を開通させる。

 これをローリンズに進入してくる旅客列車が到着する10分前に完了させねばならない。本線の信号がGreenになるのを確認するまでは仕事は終わらないのだ。

2007年07月10日

東行き貨物列車の運転

 機関士と罐焚きの気持ちが一つにならないと機関車は走らない。登り坂で石炭のくべ方を間違えれば、大失敗だ。レイルの1インチごとに彼らの努力の跡が刻まれる。

 さて、今あなたは1946年に罐焚きとしてUPで働いている。私の罐焚きを務めるのだ。グリーン・リヴァからローリンズに向けて長い貨物列車を牽いている。機関車はBig Boyである。列車は重く、ローリンズで後ろから来る旅客列車を通すために退避する予定である。うまく走らなければ、途中で退避しなければならない。また、そうすると"Hot-Shot"(長距離を無解結で走る急行貨物列車)を何本か見送らねばならないことになる。何とかして調子よくローリンズまで走りたい。しかも、真夜中の乗務である。疲れていて、帰って早く寝たい。そのためにも頑張ってもらいたいものだ。

 グリ-ン・リヴァの側線から本線に出る。機関士はスロットルを開ける。ここから6マイルは登りだ。あなたは最初の上り坂での戦いを始めるのだ。火床の調子が良く、水が水面計に一杯であリ、さらに石炭が良ければ最初の坂は楽勝だ。インジェクタを止めて置け。蒸気の上がりもすこぶる良い。Kandaを通過して、Bitter Creekまでの緩い登り坂だ。今のうちにボイラーの調子を最高まで持っていかねばならない。

 東向きの貨物列車は全てBitter Creekで停車し、石炭と水を入れる。ここからは、急な登りとなる。これからの16マイルは煙突が破れるくらいの運転をすることになる。

 さほど心配することはない。もう火床は十分に厚く、機関士がスロットルを開けても火床が全部吹っ飛ぶという事はない。どんどん石炭をくべればよい。蒸発によって水面が下がり始める。水面計を見るのだ。下から2インチのところまで下げなければならない。こうすると火力の調節によってボイラの温度がすぐに制御できる。

2007年03月24日

Crossing Sherman Hill

Sherman Hill この本もTomと同時代の人たちが書いている。昨日の本と一部の内容が似通っている。

 この本の著者たちも、機関士、罐焚き、制動手、線路工夫長、信号取扱掛、機関車に石炭を積む人等々、鉄道のブルーカラーの人たちである。

 この本には事故の写真が多い。800とぶつかったディーゼル機関車とか、まさに鉄屑となった貨車(カヴァード・ホッパー)などが載っている。

 その他の写真も未発表のものが多く楽しめる。UPの蒸気機関車の最盛期の姿を知るには良い本である。

 この本の57ページに機関士、罐焚きの組み合わせを示す黒板の写真が出ている。目を凝らすと、このブログに登場した人たちの名前が読める。その右下には、補欠の罐焚きの名を書くところもある。

 
 


2007年03月19日

Laramie

Big Boy at Laramie Station  ララミーという地名を聞くと、ララミー牧場という言葉を連想する人は50歳以上であろう。西部劇の題名にもなり、いかにも牧草地のような感じがするが、実際のところは草砂漠(ステップ)気候である。

 「OK牧場の決闘」という映画があったが、原語では"Gunfight at OK Corral"であり牧場でも何でもない単なる「囲い地」のことである。牛馬が逃げないように木で柵を作ってある場所を指す。このあたりの勘違いが、頭の中の深いところに埋め込まれているような気がする。

 ララミーは重要な補給地である。人間にも機関車にとっても。町並みは19世紀のままで、かなり古臭いがよい雰囲気を醸し出している。上の写真の建物は現在でも残っている。これは歩行者用の陸橋から撮られたものである。下の写真と照らし合わせて見られると良い。 

 駅は木造で、歴史を物語る重厚な雰囲気である。既に旅客列車はこの線区を通らないので、普段は閉じられている。たまたま地元の人が会議を開くために開いたところに行ったので、特別に内部を見せてもらうことができた。Laramie

2007年02月13日

遠心給水ポンプ

 Challenger, Big Boyには排気インジェクタが取り付けられているが、どちらも罐焚き側の床下には付ける場所が無い。やむを得ず、左のラニング・ボードの先端に設置してある。その場所はかなり高い場所で、炭水車の最低水位より高くなる。

 そのインジェクタに届くように水を送るために遠心ポンプが取り付けられている。罐焚き席の真下にある円筒形のポンプがそれだ。排気インジェクタを作動させる前に、その遠心ポンプを作動させる。

 給水される温水は、ボイラの真上前方にあるcheck valve(逆止弁)からボイラに入る。どうしてここなのかと言うと、この部分の温度が一番低いからである。一番温度が高いのは、火室上部である。

 ボイラを作っている鋼板といえども、熱的ショックには弱い。繰り返して熱い蒸気と水が交互に触ると、割れが生じる。それを防ぐために一番温度が低いところを探し出したのだ。

 インジェクタからの給水管は必ず迂回させて取り付けてある。それは熱いものが通ったり、冷えたりするので、熱膨張で長さが変わるからである。おそらく、まっ直ぐでは折れてしまうのではないだろうか。
 
1940年頃に作られた4-8-4,4-6-6-4,4-8-8-4はどれも共通の部品が使ってあり、、機関車のクセもよく似ていた。どれもよく走った。しかも、熟練していない乗務員でさえも、所定の能力を発揮できたのは設計が良かった証拠であろう。これらはJabelmanという人が技師長だったとき、導入されたものである。

 4-6-6-4のChallengerだけが280ポンドとやや低い圧力であったが、これが300ポンドでも何の不都合もなかったであろう。

2007年02月11日

Water Column

Water Columnwater columnの内部 Water Columnは、新しい機関車に装備されていた。旧型機関車の水面計も全てこれに換装された。これは直径が5インチ(130mmくらい)の円筒で、火室の最上部と中央部を結んでいた。水面計に比べて大掛かりな装置で、火室の泡立ちとは無関係に水位を測定できた。図中bが水面計でcがgauge cock(水位点検コック)である。

 水面計ガラスは、まず割れることが無くなった。もちろん割れたときには、たくさんのねじを緩めて取り替えることができる。

 太い部分の水面は正しい水位になるから、それに付属した水面計も正しい水位を示す。これは機関士にとって大変安心できる測定装置であった。

 水位が高いということは、水の量が多いわけで、火力が強くても負荷の変動に合わせて蒸気を発生させるということができない。水位は低い方が負荷変動に追随させやすい。しかし、水不足でクラウンシートが露出し、爆発する危険性が増す。

Bill Winstonの運転法は、そういう意味では正しい。しかしそれは罐焚きの腕が十分に良いというのが条件である。下手くそと組むとおそらく運転は困難であったろう。だから、Billと組むのは必ずうまい罐焚きであった。

 大きな負荷がまもなく来ることが分かっているなら、水位を上げて火力を高め、安全弁が吹く寸前で待つ。こうしておいて、負荷が増した瞬間に石炭を大量にくべれば、かなりの時間は最高出力を保てる。水位はすぐ下がってくるから、注水機を作動させて水位を保つ。Mighty800ChallengerBig Boyのボイラはこのような方法が確実に採れるすばらしいボイラであった。

2007年01月05日

続 チャレンジャとビッグボーイ

View from Big Boy's Cab ビッグボーイのボイラは長い。走行中にヘッドライトが切れると、取替に行かねばならない。

 罐焚き(機関助士)はスペアの電球を口にくわえ、機関士側のラニングボードを手すりを伝って行く。落ちた時、助けに行かねばならないからだ。もっとも、落ちたらただでは済まないとは思われるが…。電球の直径は10cm位もあったそうだ。

 とにかく最先端まで行って、球を取り替えるとそれは投げ捨てる。帰りはスキップして帰って来るのだそうだ。夏は暑いし、冬の吹雪の中での作業は命懸けだ。

 一番調子の良い4005号機は、保線作業中のポイント切り替え間違い事故で横転している。そのときTomの友人のEdが、機関士と共に亡くなっている。事故後4005号機は修復されたが、テンダは他の機関車のものを流用しているそうだ。この事故では、過って側線方向に開いたポイントに高速で突っ込んだのだ。テンダが運転室にめり込んだ。二人が即死し、一人は助け出されたが二日後に死んだ。

 
 彼らにとって、テンダ(炭水車)は単なる付属物でほとんど意識の外にある。"Hog(豚)"という言葉を使って、かなり馬鹿にしたものの言い方をする。テンダは取り替えるものという意識である。水漏れその他の故障が起こると、他機種のものであっても直ちに付け替える。

 "Locomotive and Tender"という言葉がある。HOのプラスチック製の機関車の箱にそのように表示されている。機関車という言葉は、まさに機関車そのものであってテンダは含まれないのだ。

 筆者がFEF-2をワイオミングまで持っていって見せた時のことである。「こいつを友達に見せるから持って行こう。」と出かける時、テンダを持ったら、「そんなもの、置いていけ。」と言った。「テンダなんか、見たい奴はいない。」とまで言い切った。

2007年01月04日

チャレンジャとビッグボーイ

blowdown valve on Challenger fire box チャレンジャは、関節式機関車だ。動輪はやや小さく69インチ(1752ミリ)である。走り装置のバランスがよく、高速運転に耐える。100マイル/時くらいが力行時の最大速度であったが、下り坂で120マイル出したことがあったそうだ。さすがにそのときは「壊れる」気配があったそうで、恐ろしい思い出の一つだそうだ。

 チャレンジャは旧型も新型もよく走る機械で、当たり外れがなかったそうだ。一方ビッグボーイは当たりはずれがあり、4005号機以外は良くないと言い切った。

 4005に当たったときは、「今日はキャディラックだ!」と叫んだそうだ。4005号機はほとんど"Automatic"だったそうだ。ストーカ(自動給炭機)を動かし、排気インジェクタを作動させておけば、時々水面計を見るだけで機関助士は何もすることがなかったそうである。外れに当たると死に物狂いで給炭し、機関士側のインジェクタを作動させて水を足さねばならないのだそうだ。

 機関車を受け取ると、全ての動輪のタイヤ(踏面)を素手でなで、減り具合を確かめる。磨り減ったタイヤの機関車は、注意して走らせないと脱線転覆事故を起こすという。

 西部の砂漠地帯を走る機関車に入れる水は、全て炭酸ナトリウム等で処理してある。これはカルシウム塩が缶内に析出するのを防ぐためである。ナトリウム塩は水によく溶けるので問題ないが、調子に乗って入れすぎると、ボイラ内の塩濃度が上昇し、プライミングが起こりやすくなる。"Priming"とは水面で魚が跳ねることから来た言葉で、水がシリンダの中に入るとシリンダの底抜けや、ピストン抜けが起こる。

 これを防ぐには、注入した水の1%弱は常に抜かねばならない。これが"Continuous Blowdown”である。これは火室の下から抜いて線路に向けて噴き出させる。このあたりの蒸発量が一番多く、濃縮されやすいためである。また給水はボイラの前の方の比較的温度の低いところからなされる。温度差が小さく、ボイラの鋼板に熱的ショックを与えないための工夫である。

2007年01月02日

機関士のTom

Tom Harvey and the Circus Train 1976年夏、筆者は友人を訪ねて、Wyoming州、Rock Springsという町に滞在していた。するとラジオが「サーカス列車がやって来る!」と興奮した声で伝え始めた。

 友人が見に行こうと言うので隣の町のGreen Riverの駅まで行ってみて驚いた。近在の人たちがたくさん集まっている。予定時刻よりやや遅れて列車がやってきた。DDA40Xを先頭にした約30両編成のRingling Brothersの貨客混合列車であった。最初の10輌くらいの客車は人間が、次の10輌くらいの貨車には動物たちが、そのあとにはテントその他の機材が積まれていた。昔見たダンボの映画そのままの列車であった。筆者もいささか興奮してあっちこっち写真を撮っていると、長身の機関士が、「Newspaperman(新聞記者)か?俺を撮れ。俺が機関士だ。」と言う。

 話を聞いてみるとUPで1941年から働いているという。現役で3番目に古い機関士であると胸を張る。「Big Boy を知っているか。」と聞く。「チャレンジャも800も俺が運転した。俺はUPで一番速く列車を運転したのだ。」と自慢する。横にいた機関助士は「またかよー。」 という顔をした。

 「こんなクソ・ディーゼルなんか、俺に運転させやがって、」と悪態をつき始めた。「蒸気機関車の運転にかけては俺様が一番だ。いや、俺の親父は俺より速かったかな。ディーゼルは誰でも運転できる。お前でもできるぞ。」と言う。  

 「俺の家に来い。何でもあるぞ。蒸気機関車の部品なら山のようにある。」というので、後で遊びに行くことにした。

 これが、機関士Tom Harveyとの出会いであった。自信家で、実際に能力もあった。後で遊びに行くと近所の老機関助士を呼んで酒を飲みながらの昔話に付き合わされた。この機関助士は機関士に昇進せずに退職した人であった。機関士になるのはそれなりに大変なことであったようだ。

 日本に帰ってからも、大量の手紙を送って寄越し、写真のネガも貸してもらえたので一部は日本で出版された。

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