蒸気機関車

2019年11月06日

先台車を作る

 先台車にはLow-Dを使うべきである。振れがなく遊びの少ない車輪が、先台車の車輪として適する。それを台車枠にガタなく付けねばならない
 
619_1393 三点支持にして、ローラ式の復元装置を付ける。台車枠はレーザで切ってある。それを底板と組み合わせてハンダ付けする。大きな穴は固定軸である。そこにフランジ付きのボールベアリングを入れる。旋盤で正確に削った車軸を差し込み、ロックタイトで車軸と固定する。

619_1395 可動する軸は、チャンネル材を切ってはめ込む。その両端には角材を押し込んで、銀ハンダで固める。ガタが出ないように注意して、嵌めあい部分を仕上げる。ボールベアリングは両端に専用工具で彫り込んで嵌め込み、車軸を通す。下から中が見えるので、ロックタイトを付けやすい。これで全くガタの無い先台車が完成する。

 中心部を一点で支える。軸距離が小さいので、上下 0.5 mmも動けば上等だ。これで脱線しない先台車ができた。小さいボールベアリングを仕込んだ中子で、上から押さえる。動輪軸の半分程度の軸重を掛けると、実物のような復元力を持つようになる。


dda40x at 11:06コメント(2) この記事をクリップ!

2019年11月04日

クランクピンにボールベアリングを入れる

 4-8-4の出力は大きい。牽引力も速度も大きいからだ。主動輪のクランクピンには大きな力が掛かる。1985年頃、大きな仮設レイアウトで60輌ほどの列車を、長時間全速力で牽いていた時に、big endが熱くなった。本物と同じだ。出力が10 W程度もあり、それがロッドを介して伝わるのだから、その摩擦は無視できない。熱を持つのは当然であり、その損失は大きい。ビッグエンドとはメインロッドの太い方を指す。国鉄時代から、現場で使われていた言葉である。
 
 クランクピンは、Φ4 で、それに嵌まるボールベアリングは外径 8 mmもある。ロッドのビッグエンドの外径とそう変わらないから、無理だ。ここに収めるにはクランクピンを Φ3 にして、外径 6 mmを用いるしかない。ベアリングは複列にして転ばないようにする必要がある。即ちパイプ状のアウタ ケーシングが必要だ。その外径は Φ7 である。それに各種のロッドが、三層にはまることになる。

619_1387 かなり面倒な工作であったが。なんとか押し込めた。この種の工作は3回目であるが、あまり慣れない。


dda40x at 11:04コメント(2) この記事をクリップ!

2019年10月21日

quartering jig 2

quartering jig USA2 アメリカで入手したジグはこれである。作者はクラインシュミット氏ではない。彼の家で同じようなものを見たがそれはスティール製であった。これとは出来がかなり違う。
 スライドバァがあって、それに沿って滑らせる。へそはバネで支えられていて、出入りする。2枚のブラス厚板は、平行に動く万力で締める。本当は縦に動くプレスで締めるべきだ。

quartering jig USA この写真は上下を逆にして写している。クランクピンの入る溝は妙に長い。HOでも使えるかもしれない。ただし、そうするにはクランクピンにはパイプを被せて、太くせねばならない。
 また、右先行と左先行の2種類に適合する。アメリカにも左先行があったのだろうか。120度クランクには適合しない。
 以前は軸箱を支える構造のものを作ったが、ややこしい割に精度が良くなかった。やはりセンタを支える方が良いのだ。

quartering jig USA3 これも上下を逆で、反対側から見たものである。スライドバァの中心は、伸縮ピンから外れたところにあるので、万力で締めればうまくいくはずである。しかし、万力の精度によっては傾いて締められる可能性もある。口が開き気味の万力では、何の意味もない。
 大きな万力の口金を整備して、直角を出して使ったが、やはり専用機が欲しかった。
 手持ちのすべての機関車を調査して、どの大きさにすると最大径の動輪を締められるか調べた。あまり大きな装置だと、移動させるのも難しい。それで津田駒の100 mmを入手したのだ。もちろん、125 mmの方が余裕があって、設計がより楽であった。


dda40x at 10:21コメント(0) この記事をクリップ!

2019年10月19日

quartering jig 

quartering jig2quartering jig3 このジグには「へそ」がある。出べそだ。




 HO以下の模型を加工されている人にとっては、まず見るチャンスがないと思い、ここに写真を載せることにした。本物の機関車の車軸にはセンタ穴がある。旋盤では、そこを支えて旋削するのだ。
 Oスケールの模型には、センタ穴があるから、これを使って心を支える。(HO以下ではセンタ穴がないものもある。)押し込むときは、その出べそが引っ込まねばならない。心を保ちながら引っ込むようにするのだ。バネで支えて伸縮させる。ここにガタがあってはいけない。そういう意味では精度を高くせねばならないから、気合を入れて作るつもりであった。

 万力を奮発した。最高級品の津田駒製である。これを入手して、口金を新調した。S45C製である。この万力の平行度には感服している。まがい物では平行に締まらないから、だめだ。

 車軸を支えれば良いではないか、という意見もあろうが、筆者の手法では車軸中央部は露出していないのが大半だから無理だ。両方の軸箱はパイプ状の canon box でつながっているからである。また、フランジで支えるという手もあるが、フランジは車軸と同心であるとは限らない
 以前、韓国製のとんでもない機関車を見たことがある。フランジが偏心していたのである。材料をいい加減に掴んだのだ。旋盤工が職人としての気構えを持っていないとこういうことになる。以来、フランジは信用できないものとしている。

dda40x at 10:19コメント(0) この記事をクリップ!

2019年10月17日

Sofue Drive

 1985年、3条ウォームが実用化された。 これを世界中に広めたいと、祖父江氏と筆者はかなり努力した。雑誌に発表し、現物を持ってアメリカ中見せて廻った。その真価は理解できるようだが、なかなか浸透しない。

 カリフォルニアのある富豪が、現物を見て目を輝かした。名刺を渡したら早速連絡があり、試しに一台送るから改装してくれと言って来た。

 それは1950年頃の安達製作所製のミカドであった。もともとは酒井喜房氏の設計である。この機関車は動輪がブラス製で、台枠は、t1のブラス板をプレスでコの字断面に曲げてある。軸距離は怪しい。しかもクランクピンがネジ留めであるから、クランクピンが緩みやすいし、磨り減りやすい。正直なところ、改装の価値がない劣悪な模型であるとは思ったが、祖父江氏が丁寧に直してドライヴを入れ替えた。

 それを送ったら、大変興奮して電話を掛けて来た。日本は深夜だったので驚いたが、その興奮はよく分かった。その後の彼の注文数は凄まじかった。300輌ほどの機関車を順次送ってきて、その改造で祖父江氏の生活は成り立った。
 大半はカツミ製(祖父江製)であったが、アメリカ製、韓国製もかなりあった。それらの改装のノウハウも掴め、順調に注文をこなすことが出来た。

 その後30年経ち、その富豪は亡くなり、コレクションが売りに出された。Sofue Drive付きだから、価格はすこぶる高い。しかしすべて売れてしまった。その後、筆者のところに、改装を依頼する連絡が届き始めた。祖父江氏の代わりをせよというリクエストが大きくなってきたのだ。
 本業の仕事を辞めて、そちらにシフトしようと思っていた矢先に土屋氏から博物館設立を頼まれ、Sofue Drive受注はしばらく中止となった。動輪リビルトの道具一式を揃えたのに、日の目を見ることがなくなった。

 しかし、今回あるきっかけで、既存の機関車を改装し、新製に近い形で完成させねばならないことになった。その第1号がこの4-8-4であった。今ボイラまでばらして、新しい缶胴を作っている。50年前の製品のボイラは、一部間違いがあり、ばらさないと修正できなかった。煙室は新製である。給水逆止弁への管は煙室にめり込んでいるのが正しい。そうでないと除煙板との隙間を歩いていけない。キャブも新製である。
  
quartering jig 動輪嵌め替えジグを引っ張り出して、整備した。これはアメリカで普及しているタイプであり、日本ではあまり見ない。これを自作するつもりで、northerns484氏の親しい職人に部品を作ってもらっていたが、彼はあっという間に全体を完成させてしまった。これには驚いた。筆者はジグを自作した、と言いたかったのだが、有難いことに言えなくなってしまった。さてどんな構造であろうか。


dda40x at 10:17コメント(3) この記事をクリップ!

2019年10月15日

Cockerham Drive

 Doug Cockerham氏には何度か会ったことがある。ダグは背の高い黒髪の男で、自分の伝達装置にはかなりの自信を持っていた。
 筆者は現物を2組持っていたが、間違って廃棄してしまったような気がする。あるべき場所で、ここ数年見ていない。ブラス屑の処分の時に捨てたのかもしれない。もったいないことをした。

Cockerham Drive 蒸気機関車用のギヤボックスの構成は、薄肉のロストワックス鋳物で作ったギヤケース内にベークライト製のウォームホィールを入れ、鋼製の細い2条ウォームをボールベアリングで支えていた。ギヤボックスは歯車、ベアリングの外径 + 3 mm 程度の形で、なかなか優美であった。残念ながら、その写真をGoogleで探しても、”Cockerham Driveという街路(drive)” の名前しか、見つからない。
 split line(分割面の線)上にはネジのタブが付いていて、それを3本締めるようになっていた。軟らかいグリースを使っていたのは、先回紹介したのと同じだ。 

 逆駆動が出来た。ギア比は35:2の互いに素であり、進み角は12度程度で、かなり急な部類に属する。当時はモータが直捲、あるいは有鉄心マグネットモータの時代であるから、押しても動かなかったが、効率は非常に良いと感じた。ベークライトのギヤを使った理由は分からない。悪くはないが、良いとも言えない。リン青銅との組み合わせを使うのがベストだ。

 1995年頃、彼に3条ウォーム + コアレスモータの実例を見せた時の、驚愕した顔は忘れられない。当時はそのようなものに需要がなかったし、経験のない走行性能であったから、事故が起こるという心配の方が大きかったのだろう。
「これでは勾配の途中で停車できないからダメだ。」と言った。

 コカハム氏の方が、ホワイト氏より工学の素養があったようだ。

dda40x at 10:15コメント(0) この記事をクリップ!

2019年10月13日

Jerry White Drive

Jerry White Drive (4) Jerry White氏は、Lobaughの職人であった。数多くのカスタム・ビルディングをこなした。腕の方は素晴らしい。絵で言えば、水彩画のような機関車を作った。特徴をよくとらえた造形で、板厚は薄目である。直接には会ったことは無いが、1990年代に手紙のやり取りはある。10年ほど前に亡くなった。

Jerry White Drive (3)Jerry White Drive (2) ギヤボックスは独特の2条ウォームで滑らかである。逆駆動はできないわけではないという程度だ。どういうわけか30:2である。感心しない。薄い板金工作で出来ている。厚みは15ミル(0.38 mm)である。ウォームの先端はボールベアリングで受けている。軸径は、3/16インチ(4.76 mm)、外径は3/8インチ(9.52 mm)である。実に滑らかな動きをするベアリングである。このべアリングが付いているから、逆駆動できる。ギヤは快削鋼だが、シャフトにはブラスを使っているのは不思議だ。ギヤボックスを支えるトルクアームはない。ドライヴシャフトが反作用を受け持つから、そういう点ではスティール軸の方が良かった。

Jerry White Drive (5)Jerry White Drive (1) ウォームホィールはブラスである。外径はボールベアリングと近い径である。もう少し細くすれば、進み角が大きくなって、効率が上昇したはずである。残念だ。
 グリースは軟らかい。ギヤボックスは、普通にはない分かれ方をする。下半分は動軸から外れない。ウォーム部分だけが外れる。そのウォーム部は長いストラップ状のもので、下半分に連結されて固定される。前後を逆にすると嵌まらない。即ち互換性は無い。
 どういうわけか、このドライヴが付いていると値が高い。今回の機関車は全体がかなり破損していたので、超格安であった。このドライヴだけでも欲しい人が居るので、外してアメリカで処分することにする。動輪を抜くと購入者が困るので、付けたままの方が売却しやすい。予備の動輪は持っているから、それに3条ウォームを付け替える。


dda40x at 10:13コメント(0) この記事をクリップ!

2019年08月13日

Big Boyの排気管

Big Boy's exhoust nozzles 先日の記事で、排気は前後の煙突から均等に同時になされると書いたところ、そうではないと仰る方があった。その方を納得させるには、図面集を調べて、見せる必要があった。

 これは先方の単純な勘違いであって、見せる必要もなくすぐ解決したが、せっかくスキャンした図面があるので紹介しよう。この図はLocomotive Cyclopediaの1944年版からのコピィである。この年の発行数は極めて少なく、貴重な本である。日本には、まず他に持っている人はないだろう。とは言っても1941年版の図と比較しても、このページに限って言えば、さほど変化はない。お持ちの方は調べられると良い。文字の位置と図面番号が違う程度である。

 さてこの図では、中心線の左右で描き方が異なる。左は断面、右は外観も表している。前後から来た排気はここで合流する。そしてその上面にある十文字に排列された4本のノズルから噴出する。即ち、前後で8本のノズルがある。排気は煙突からぶら下がっている petticoat(スカート状のもの)の中に吹き込まれ、周りの煙を吸い出す。いわゆるエジェクタの効果を現出するものである。この中にはさらにもう一つのペティコートがあり、それは4つの裾をもつ。こうすることによって、排気はよりたくさんの煙を吸い出す。このあたりはUPの長年の工夫の成果である。

 前後のエンジンから来た排気はいったん小さな部屋に入るが、単なる接続箱であって、日本型蒸機についていた、排気膨張箱なる無用の物とは異なる。この部屋の名前が分からない。ノズルが載っているだけの、鋳鋼製の前後に長い箱である。

 先のコメントで plenum という言葉を使った。それが正しい用語かどうかは分からぬが、この種のものをプレナムという。例えばエアコンで冷気を作り、それをダクトで各部屋に分配する時、最初に断熱した箱に入れ、それからダクトを使って分配する。そうしないとダクトごとの圧力が均一にならない。その箱を、plenum chamberと言う。
 また、汽笛の5室に均等に蒸気を当てるために分配する根元部分の小さな空間も、プレナムと言っていた。

 手に針金が入ったまま、飛行機に乗ることができた。

(註)最近は配列と書くが、本来は排列が正しい。排は並べるという意味である。台湾に行くと、駅のプラットフォーム床に”排”と書いてある。そこに並ぶわけである。

dda40x at 08:13コメント(7) この記事をクリップ!

2019年08月05日

Big Boy の復活

 アメリカではかなりの騒ぎになっている。筆者も行きたいが、手の中を針金が貫通していて、その上にギプスを巻いているので、空港での検査に通るかどうかが怪しい。過去に筆者が見ていた範囲では、別室に通されて、金属探知機と犬による検査があり、さらに医師の判断でX線で見る。要再検査の乗客が一人だけならよいが、何人か居るとそれだけで長時間かかって、飛行機に乗り遅れということになるのが目に見えている。

 さて、動画をたくさん見た。分岐をくねくねと曲がるところが面白い。模型でも同じなのだが、実物の動きを見るのはまた格別だ。蒸気は洩れまくっている。Tom Harveyが言うには、
「夏は良いのだ。冬は、蒸気管継手から漏れた湯気で真っ白になって、前なんて全く見えやしない。」
 球面の高圧蒸気管自在継手はネジとバネで締め込んであるが、効果があまりなかったそうだ。現代の工具で研削してもダメなのだろうか。 
 もう一つ気になるところがある。シリンダの前蓋がない。鋳鋼製の鋳物が丸見えだ。Tom はそれをとても嫌がっていた。ニッケルめっきの部品を付けるべきだ。

 石炭を焚かないというのが興味深い。アメリカには妙な法律が出来てしまい、石炭を燃やした排気ガスを、そのまま大気中に放出してはいけないことになっているのだそうだ。それなら重油は良いのかというと、それも怪しい。
 今回燃やしているのは、ディーゼルエンジンの廃潤滑油という説がある。潤滑油には硫黄化合物、場合によっては塩素化合物が含まれているので、却ってよくないような気がする。

 ところで、先日TMSの最新号を見た。田舎に住んでいるものだから、この種の雑誌には遭遇しない。友人に見せて貰った。

 その中にBig Boyの特集記事があり、最後の部分には首を傾げた。Big Boyが二本煙突の理由を書いているが、全く筋が通らない説明だ。

 煙突下の2組のノズルが付いている排気管には、中間に仕切りは無く、前後のノズルから、同時に全く同じ圧力で噴出する。前後のエンジンからの排気が独立に噴出するわけではないのだ。それは動画を見ていればよく分かる。片方だけが噴出することがあれば、他方の煙突では煙が吸い戻されるだろう。ドラフトで、煙室の空気を吸い出し燃焼を助ける、という理屈が分かっていれば、こんな理屈が通らないことは書けない。大きな図面があるのでチェックしたが、当然のことながら、中間の仕切りはない。
 写真の説明には、エクスパンションジョイントという言葉も書いてある。前部高圧蒸気管は屈曲して長さの変化を吸収するが、継手部分での伸縮はしない。だからエクスパンションという言葉は使わない。後部エンジンの上の継手は温度差による多少の伸縮を吸収する機能を持っているが、それのことを指しているは思えない説明だ。

 詳しい人はたくさんいるので、電話一本で解決することだ。この種の間違いがあると、だれも信用しなくなる。10,000トンを牽くという話も書いてあるが、重連でも無理だ。ちょっと高校一年の物理の計算をすれば理解できることなのだが、それをしないのはどうしたものか。
 ちなみに、勾配を緩く(10‰)した第3本線でなら、1輌で6,000トン牽けた。こういうことは文献を調べた上で、計算すると正しいかどうかわかる。この記事は2009年2月号の平岡氏の記事をなぞっただけである。それだけなら間違いはないが、上積み分が間違っているというのは編集者の能力の問題だ。
 査読者が必要であることは、論を待たない。 

dda40x at 08:05コメント(7) この記事をクリップ!

2019年05月05日

LA-SLのBig Boy

tenders2 博物館に持って行ってあるLocomotive Cyclopediaを見た。1944年版1950−1952年版にそれは載っていた。1941年版には載っていない。これらの年度のロコサイクロは珍しく、日本にはほとんど無いようだ。前者は蒸気機関車が先に収録されているが、後者では蒸気機関車は後になっている。ディーゼル電気機関車の時代になったのだ。
 American Locomotive Company(Alco社)はテンダの設計例を3種用意していた。真ん中のは、ビッグボーイその他に用いられた。上は採用例がない。
 下の図が、今回話題の図である。Los Angeles-Salt Lake線のことは、LA-SLと呼ばれた。現在のI-15号沿いである。 

16-wheel tender もう少し大きな図で見よう。従台車の形は、常識的な形とは異なるはずだ。5軸のイコライザの終端は、外側台枠だから、それと結ばれるように、従台車のイコライザが台枠に平行に伸びて来なければならない。床板は内側に強度部材が付くはずだ。最後端は復元装置の扇型のコロが付く。
 テンダ後端は、曲線上で建築限界に接触しないように、少し絞り込まれる。このあたりのことが、ベネット氏の絵からは全く読み取れないのが、残念だ。
 また、大型の4-8-4のキャブ(運転室)の形は上から見て長方形ではなく、台形であるということはあまり知られていない。オゥヴァハングが大きいので、少し絞らねばならないのだ。彼の絵を見ると、そういうところには配慮がないことがわかる。30年前に見せて貰った絵は、蒸気機関車が主であったので、筆者はそこが気になって仕方がなかった。

 給水温め器がWorthinton SAであれば、煙突前のスペイスは それに充てられ、ベルのサポートは煙室戸に付けざるを得ない。給水ポンプは太いので、今までの排気インジェクタの場所には付かない。その配管はどうすべきかなど、考えるべきところはかなりあるのだが、彼はそんなことには無頓着だ。

 ロッドのSKFベアリングは、どうやら、サイド、メイン両方に採用したナイアガラと同等のものらしい。これは、他の機種の仕様書を確認した上での推論だ。それだけでも外観上はかなりの変化がある。ロッドは、3Dプリンタで作ったロストワックス鋳物を採用すればすぐできてしまう。CNCで彫刻するという手もある。

 Big Boyの試運転が始まったようだ。井上豊氏の話にもあったが、試運転はフルギヤで行う。そうしないと圧力変動が大きく、焼き付きが起こるそうだ。 

dda40x at 05:05コメント(0) この記事をクリップ!

2019年05月03日

Takeno氏のこと

 いつも有用な情報を教えて下さる01175氏から、驚くべき情報を戴いた。

 竹野三郎氏のことである。ご子息が詳しく書かれている。かなりの個人情報が含まれているが、ご子息がウェブ上で公開されていることなので、ここで紹介しても問題なかろう。

 竹野氏は橋梁設計に携わっていた技術者だったのだ。以前模型の現物を見た時、普通の職人の作ったものとは違う何かを感じたのはそこだった。力学的に無理のない構造であって、軽衝突にも耐える。祖父江氏の作品と相通ずるところである。
 当時の職人の作品の中で、巧拙以外の部分の本質的な良さを感じたのには、わけがあったのだ。

 ウォルト・ディズニーが直接訪ねて来た、というのも興味深い。名前が出ていたからだろう。KTMは個人名を出さなかったから、14,000輌も作ってもアメリカ人は祖父江氏のことを知らなかった。

 最近、当時の模型を手に取って見るチャンスが多くなった。概して、HOの模型の中では、出来が良いのにはなかなか巡り合わない。これではだめだ、という設計のものが多い中で、このTakenoの模型は光を放つ。

dda40x at 05:03コメント(0) この記事をクリップ!

2019年04月29日

Classic Trains

classic trains 時々買う季刊雑誌である。面白い記事が載っていることがある。古いTrains誌の記事を再構成したものもあるが、新しい切り口で見せてくれることが多い。

 今年は大陸横断鉄道開通150周年と、Big Boyが復活する予定なので、それに関する特集であった。その中で、注目すべきは、戦争中、Big BoyがLos Angeles方面に走っていた話である。ソルトレーク市から南方に走った話は小耳にはさんだ程度しか知らなかったが、この記事にはもう少し詳しく解説してある。転車台がないので大きな三角線を作ったらしい。石炭は途中で調達できた。その後、この線区に新しいBig Boyを導入する計画もあったそうだ。その簡単な図面も添えてある。

big boy 3SA heaterextended tender 最初の25輌と異なるところは、オイル焚きと水の容量増加である。テンダには従台車が付いている。あと、feed water heater をWorthington SA型にして煙室前方に置いたことだ。多少の煙室延長があるかもしれない。 

 この記事を書いているのはGil Bennet氏だ。筆者は彼をよく知っている。以前近所に住んでいた。大阪弁をしゃべるアメリカ人である。若い時、大阪に来ていたらしい。
 描いた絵をいくつか見せて貰ったが、結局買わなかった。当時は安かったが、今は名前が売れて、一流の作家になった。写真を見て描いているので、そこそこの出来だが、彼は蒸気機関車の構造には強いとは言えない人である。このような想像上の機関車を描くと、いくつかの破綻が出る。いずれお見せするが、今作っている機関車(この絵とは異なる)も、その絵には奇妙なところがある。配管、機構などありえない構成になっていた。残念だ。
 ディーゼル電気機関車、タービン機関車の絵は、まあ問題ない。画集が出ている。

 この増備型Big Boyの仕様を見ると、RodにもSKFのローラ・ベアリングが使われると書いてあるが、サイドロッド、メインロッドを指すかどうかは分からない。エキセントリック・ロッドの後端には以前からSKFのスフェリカル・ベアリングが使ってあった。これを指しているかもしれないのだ。

 実は、筆者はテンダが破損したBig Boyを持っている。どうせテンダを作るのなら、思い切ってこれにしてしまおうかとも思う。ロコサイクロで見つけた従台車の簡単な図面はある。

dda40x at 04:29コメント(0) この記事をクリップ!

2019年04月07日

Forney

 船はニカラグアのCorintoという港に半日泊まった。ホンデュラスに行けなかったのは残念だった。実は拙宅は、ホンデュラス・マホガニィをかなり使って建てている。どんなところか見たかったのだ。

Forny (5)Forny (6)Forny (7) コリントォでは市内見物するのに輪タクを雇った。英語がほとんど通じないので、かなり困ったが一巡りして、機関車があるというところに連れて行ってもらった。
 3 ft 6 inゲージのフォーニィが置いてあった。ごく適当にクレーンで吊ったらしく、サイドロッドは曲がっていた。

Forny (12)Forny (10)Forny (3) 日本の国鉄と同じゲージなのだが、このナロゥ感はすごい。しかしゲージが広すぎる。 この矛盾した感覚が面白い。もともとは3 ft 用なのだろう。それを無理に拡げたのだ。ボイラの低さ、細さが、かわいらしい。日本に持って来て国鉄の線路に載せるとどんな感じなのだろう。

Forny (2)Forny (9)Forny (8) 従台車がこれ以上ないほど簡略化されている。模型の方がややこしいのではないか、と思えるほど簡単である。乗り心地はひどそうだ。

 これで思いがけず叶った中南米訪問の報告を終える。


dda40x at 04:07コメント(8) この記事をクリップ!

2019年04月05日

運河の掘削

 パナマ運河は、当初水平式を計画したようだ。実際に掘り始めてはいるが、すぐに挫折した。スエズとは違って、途中の山を崩すのがあまりにも大変であったからだ。川を堰き止めて人口湖を作り、それでつなぐことにしたが、航路は屈曲している。最終的に峠を切り開かねばならなかった。ある程度真っ直ぐにしないと意味がないので、いくつかの山を削り取っている。

Culebra Cut その中で最大の難所が、この Culebra Cut である。ちょうど分水嶺になっている部分で、海水面からの高さは100mほどもあったろう。その山を全部掘り崩し、深く削ったのだ。工事は困難を極め、死傷者が続出した。岩が脆く、地滑りが起こりやすかったのだ。完成後にも何度か地滑りを起こし、運河は埋没したらしい。浚渫は何度も行われている。
 現在では特殊な杭(アンカー付き抑止杭を山に刺し、板で押さえて崩れないようにしてある。このあたりの説明を、船内の映画で何種類か見た。

 映画には当時の最新型の掘削機や、バケットを連続させたエクスカヴェ―タが登場した。すべて蒸気機関で動いている。ズリの運び出しにはダンプ機能を持つ貨車が初めて用いられた。斜面のガイドレイルに当てて、一編成を順次連続的にダンプする工夫で、今では常識的な手法だが、ここで用いられたのが最初らしい。

 工事に伴い病人が続出した。黄熱病、マラリアなど、蚊を媒介とする病気だ。それについては、世界で初めて、広大な地域全体を防除する体制が採られた。強い薬ではなく、特殊な油を薄く撒く方法である。蚊の親油性部分に付着して、生きていけなくする工夫であった。蚊は、水にぬれてはいけないところは水を弾くように出来ている。その部分は油にぬれやすいから、付着して呼吸できなくなる。
 その工夫は大きな効果を発揮し、病人は激減した。

 パナマ運河は、人類が成し遂げた大偉業であるというのは実感できる。現在の様子は、この動画で楽しめる。100倍速のタイム・ラプスで、数分で太平洋側からカリブ海へ抜ける全線が見られる。2分50秒辺りがクーレブラ・カットである。

dda40x at 04:05コメント(0) この記事をクリップ!

2018年12月21日

ロストワックス部品 出来

DSC_0216 正確にはインヴェストメント鋳造というべきである。ワックスは使っていないからだ。

 3Dプリンタで作った原型を埋没材 (investment) 中に埋めて焼成し、生じた空間に融解したブラスを流し込んで鋳造したものだ。拡大してあるので、3Dプリンタの積層面が見える。よく出来ている。六角ナットの角度はすべて違えてある。

 積層面は少し削れば見えなくなる。裏を少し削らねばならない。形成時に必要があって、厚みを少し増しているからだ。 丸棒に紙やすりを巻き付けて磨れば良い。この写真は積層面を目立たせる角度から光を当てている。

 さてこの機関車は何であろうか?実現しなかった機関車であるが、ある程度の設計は進んでいた。機関車の模型が完成したら、その写真をModel Railroader に送ってやると、たちまち載るだろう。注目を集めた機関車だったのだ。この機種には4という数字が付くはずであった。 

dda40x at 12:21コメント(0) この記事をクリップ!

2018年12月01日

ユニヴァーサル・ジョイントの問題

 阿里山のシェイの問題が明らかになって、多くの方から連絡を受けた。1960年代から様々の媒体でシェイの存在、運行状況が紹介されてきた。どの写真も位相が間違っているとのことである。それに気付かなかった日本の鉄道趣味界の底の浅さを残念に思う、という内容のものが多い。全くその通りなのである。自称技術者の人たちがどうしてそれに気付けなかったのかは、全くもって不思議である。

 それを受けて、northerns484氏が、数学的な証明を紹介されている。数学に自信のある方はじっくり取り組まれると良い。結論は単純である。機構学の教科書にも証明方法が載っている。この種の証明は図が勝負である。うまい絵が描いてあると一発でわかる。

 最近の記事は、「ユニヴァーサル・ジョイントの角度を同じにすれば等速になるので、ジョイントの位置を考える」ところまで来ている。ここまでは筆者も考えた。
 しばらく前の伊藤剛氏のアイデアが面白いので、紹介する。この記事は「模型大学」の2009年2月号に載っている。そこには筆者も登場しているのだ。

universal joint 2 二つのジョイントのなす角が等しくなるようにするのは難しいので、モータを動かすのだ。”えへへ冗談ですよ”と書いてあるが、無視できないアイデアである。
 モータはもう一つの台車の上に載せるとある。


dda40x at 12:01コメント(3) この記事をクリップ!

2018年10月12日

ブレーキ

 鉄道のブレーキは自動車に比べれば効きにくい。摩擦係数を考えれば自明だが、それが分からない人が居た。

 川端氏の体験談だ。関西線八田駅近くで、単機回送のC57を運転していたところ、踏切にトラックが入り込んでエンストしたらしい。すぐに急ブレーキを掛けたが間に合わず、トラックをはねた。そのトラックはばらばらになり、運転手は即死した。

 処理は終わったと思ったが、検察庁から二度も呼び出しが来た。そのトラックを見つけてからブレーキを掛けるまでの時間を問われたそうだ。すぐに掛けたと言っても信用しない。
「列車を牽いているならまだしも、単機回送なのだから直ちにブレーキを掛ければ、急停止できるはずだ。ぶつかっても仕方がないと、漫然とした運転をしていたに違いない。」
とその検事は嫌疑をかけ、主張を曲げない。
「どんなに急ブレーキを掛けても、止まれないものは止まれない。」
と言っても聞かない。話は平行線をたどり、実際に運転して現場検証をすることになった。

「はいそうですか、どうぞ。」
とやってみたところ、絶対に停止出来ないことが分かり、そのまま”嫌疑なし”で不問となったそうである。

 その検事は当時の県知事の甥であることをひけらかしたそうで、「腹の立つ奴だったなぁ」という感想であった。
 機関車が急ブレーキでつんのめるように止まることを想像すると、漫画のような珍妙な光景が思い浮かぶ。どうしてこんなことが分からないのか、筆者には理解できない。 

dda40x at 10:12コメント(6) この記事をクリップ!

2018年10月10日

御召し列車

お召し列車運転速度曲線 御召し列車の運転を任される機関士は、誰が見ても納得する人が選ばれるのだそうだ。結局のところ、そんな人は数多くはいないので、いつも同じ人が選ばれることが多いらしい。


 蟹江駅で被災したC57139は御召し列車に使われる機関車であった。ブレーキは多少効きにくいそうだ。わざとそうしてあるという話を聞いた。御召し列車では客車のブレーキは殆ど使わない。機関車のブレーキだけを使って止める。ショックが無いように、停止位置が所定の位置からずれないように、最深の注意を払って運転される。

 現在そのC57139は名古屋の金城埠頭にあるリニア・鉄道館にある。以前は千種駅北の旧国鉄の教習所であった中部鉄道学園にあった。名前が社員研修センターになってからもしばらくそこに置いてあった。聞くところによると、管理者側は持て余していたそうだ。

 以前はあまり感心しない状態であったが、現在は磨かれて置いてある。問題は、その保管場所が名古屋港内の0メートル地帯 低地にあることだ。潮風の問題(室内でも海塩の粒子は入り込む)と津波の問題がある。次の地震で押し寄せる津波は 5 mほどと予測されている。甚大な被害を受けるだろう可能性がある。こういうところに博物館を設置することにためらいがない、というのは理解できない。

<追記>
 ゼロメートル地帯ではないというご指摘を受けたので、表現を変えた。津波の予測高さは諸説あり、湾内であることを考えてもその程度はあると考えられる。現場に行って見た感じでは、設置場所の標高は低過ぎると感じている。
 津波は大きな潮位変化と考えれば、施設内各所にある排水溝から水が逆流することが想定されるが、果たしてそのようなことには対処されているのだろうか。
               2018年10月11日     

dda40x at 10:10コメント(6) この記事をクリップ!

2018年10月08日

豊橋空襲

 川端氏は昭和20年6月19日夜、乗務中に豊橋空襲を経験している。
 それは23時52分着の上り列車であった。3分の停車であったが、駅に到着するとすぐに駅長が走ってきて、すぐに出発せよと言う。旅客列車は、所定の時刻表より早く出発することが禁じられているにも関わらず、直ちに出発するように急かされたのだ。
 その駅長は山口氏、機関士は木村氏である。川端氏は機関助士であった。連絡を受けているうちに、少し離れたところで爆撃が始まった。機関車C59は全力を振り絞り、豊橋駅を離れた。駅構内を出て後ろを振り向くと、駅に爆弾が命中して、周辺は火の海となった。後1分出発が遅れたら、乗客1000人もろとも吹っ飛ぶところであった。まさに間一髪であった。 

 戦後、豊橋空襲が一体いつ始まったかということはよく分からず、19日の夜だという説と20日の午前1時ころとの説に分かれていたという。慰霊祭をいつにするかでいつも揉めていたのだそうだ。
NHKTV 昨年、それを聞いた川端氏が証言して決着が付いたのだそうである。乗務員は時刻を正確に認識している。当時の時刻表も見せて貰った。確かに11時52分着、55分発である。定時到着であったそうであるから、爆撃開始は11時55分前後である。これはNHKで放映された。
 川端氏は数字に強い人である。非常に細かい数字を完璧にそらんじている。

満州国皇帝溥儀乗用列車運転速度曲線 さらに珍しいものを見せて戴いた。満州国皇帝であった愛新覚羅溥儀が日本に来た時の、御召し列車の運行計画表である。実際に予行演習で走ってみて、その結果も書き込んである。その機関士であった人から貰ったものということだ。満州国の国旗もあったそうだが、それは畏れ多くて貰わなかったそうだが、あれば貴重なものである。満州国の国旗は黄色を基調としている。その国旗と日の丸を交差して機関車前方に付けたのだそうだ。


dda40x at 10:08コメント(0) この記事をクリップ!

2018年10月06日

川端新二氏の来訪

 先日川端新二氏のお宅にお邪魔してお話を伺った際、当博物館の話題が出た。川端氏も、椙山 満氏のところに何度も訪問されているから、模型は嫌いではないと思った。いらっしゃいませんかとお誘いすると、見たいとおっしゃるので、車でご案内した。

114_4574 レイアウトを見た感想をお聞きしたが、その中で一番印象に残ったのはこの転車台での機関車の状況だ。この写真は2年前のものを再録している。
「これは正解。機関車が外を向いて止まっている。なんでだか、わかるか?」
「外に向かって開いているから、作業する場所が広いからでしょうか。」
「いやそればかりではないよ。逆だと何が起こるか考えてみよ。」
工学エキスパートのT氏と頭をひねったが、思い付かなかった。

「たまにはドジをする奴もいるんだ。機関車が落ちると大変なんだよ。テンダが落ちても軽いからね。すぐ引き上げられるさ。機関車はそういかんよ。重いからね。落ちるとたぶん壊れる。修理に何日も掛かるだろう。テンダは水さえ漏れなければどうってことない。梅小路では機関車を転車台の方に向けているが、客受けを考えているんだろうね。」
ということであった。意外な答ではあったが、なるほどと思った。
川端新二氏 蔵書を丹念にご覧になって、この本は珍しいとか、様々なご意見を頂戴した。




quiz ここでクイズである。これは何だろう。大きさは背景のグラフ用紙が参考になるだろう。ひと目盛り 5 mmである。ピントが浅くて、手前のがぼけている。矢印のが形をよく表している。大きさは3種あるように見える。
 下が曲がっているのは、塗装時に穴から抜けにくくするために曲げた。最終的には切り落とす。色は緑を塗るように指定されていた。

dda40x at 10:06コメント(2) この記事をクリップ!

2018年10月04日

機関士

Engeer Takashi Fukui 福井機関士の話を聞いて気が付いたのは、機関士は判断力が全てだということである。Big Boyの機関士Tom Harveyも同じことを言っている。

「蒸気機関車の時代は、すべてを機関士が判断した。ところが、ディーゼルの時代になると、dispatcher(列車指令)がすべてを握っている。機関士は名前だけで、単なるスイッチを入れたり切ったりする仕事に成り下がった。無線電話というものがすべてを破壊した。どうしてこの経験ある優秀な機関士が、生意気なディスパッチャの指示を聞かなければならないのだ。そんな指示よりもっとうまい手があると言っても、いうことを聞かない。」
 Tom は、よくブチ切れていた。
 
 伊勢湾台風の時は停電し、鉄道電話も不通だった。現場の判断しかないのだ。今のJRの機関士に同じことができるだろうか。もちろん停電したらすべてアウトだが、機関車は動くとしても難しかろう。ちょっとした事故の時に後ろから見ていたが、Tomの言う通りで、列車指令の言うとおりにせねばならない。あの程度の仕事で良いなら筆者でも務まる。

 しばらく前に、八田駅と蟹江駅の中間に新設された春田駅の構内で、すれ違うはずの貨物列車が線路有効長より10mほど長く、対向列車が構内に進入できないという間抜けな事故があった。手動なら簡単に解決するが、CTCで遠隔操作しているので、解決法がない。残念なことに半日も不通であった。
 どうやって解決したのか知らないが、CTCは全能ではないことを思い知ったに違いない。プログラムが更新されたかどうかは知らない。

dda40x at 10:04コメント(0) この記事をクリップ!

2018年10月02日

続々 217列車

 機関助士の水谷久(ひさし)氏の家は養老方面にあった。桑名方面は水没しているので、名古屋、大垣廻りしか帰れないだろうと思った。3日目になっても見込みがないので、線路伝いに歩いて帰ることにした。10 kmほどを3時間以上掛けて歩いて、名古屋機関区に戻ったら大変な騒ぎであった。沢山の人が被災した。勤務中に妻子4人全員を失った機関士もいた。

 放置された客車には、家を失った人たちがたくさん住み着いた。この写真では周りの水は無くなっているが、堤防閉め切り工事が完成して排水が完了し、すべての陸地が姿を現したのは、2か月半後の事である。国鉄関西線は2か月運休し、その間に近鉄は突貫工事で狭軌を標準軌に敷き替えた。
 奇しくも9月26日は近鉄の標準軌化に備えた新しい木曽、揖斐長良橋の完工式典の日であった。式典の途中でテントが飛びそうになったらしい。このあたりのことは、youtubeで記録映画が見られる。
 筆者の学校は水没したので、1月まで学校に行かなくて済んだ。

Engineer Takashi Fukui 2 福井機関士は、国鉄総裁から人名救助で表彰され、のちに内閣総理大臣表彰も受けた。
「あの場面に居たら、誰でもそうする。そうする以外ないのだ。大したことではない。」
とは言うが、300人の命を救った判断は的確であった。蟹江駅付近は3 m以上の水深になった。そのまま停車していたら、多数の犠牲者が出たであろうことは間違いない。そもそも、八田で運転を打ち切っていれば、問題は無かったはずだ。鉄橋から列車が吹き落とされた可能性はあったが、そのことは不問にされた。

C5536 先行列車のC55 36は桑名の次の富田という駅で足止めを喰らった。デッキまで流木に囲まれて止まっている写真を見たことがある。
【この写真は中部日本新聞社(現中日新聞社)発行「伊勢湾台風の全容」よりコピーしたもの。2018年12月8日追補) 
 桑名駅が水没から脱したのちは、桑名に名古屋機関区の支区が置かれ、亀山、四日市方面からの列車は、桑名どまりであった。旅客は近鉄養老線経由で大垣方面に行った。
 急行「大和」は運休、急行「伊勢」は草津線経由となった。C55、C57、D51などは、転車台がないのでバック運転で列車を牽引した。筆者は、蒸気機関車がテンダを先にして運転しているのを見て驚いた。

 中学校の体育倉庫には遺体が並べられ、校庭でガソリンをまいて荼毘に付した。茨城の伯父が、はるばる3日も掛けて、養老線経由で大量の衣類、食料を担いで見舞いに来てくれた。

dda40x at 10:02コメント(0) この記事をクリップ!

2018年09月30日

続 217列車

 このまま増水すると危ない。既に水は客車の床あたりまで来た。まだ火が消えることは無い。機関士は列車を前進させて橋の上に行こうと思った。橋までは築堤で周りよりは高い。洪水からは逃れられる。駅長に出発すると伝えたが、ポイント切替のテコが流木で壊れていることが分かった。保線の人は水に飛び込んで、手探りで壊れている部分を探し出して外した。前照灯の光で照らし、かなり苦労して切替えたのち固定した。当時は蟹江駅には保線支区があったのだ。
 切替え完了の合図を受けて、機関車は汽笛を鳴らしながら暴風雨の中、濁流を掻き分けて前進した。風は強く、機関車がぐわぐわと揺れた。これは異常な事態だ。

 どんどん進んで橋の上に来た。機関車だけが橋の上に載っている状態でブレーキを掛け、手歯止めをした。いろいろなものが飛んできて、機関車にぶち当たる音がした。この川の水はまだ溢れるほどではなかった。
 真っ暗で何もわからなかったが、ただとても寒かった。雨合羽を体に巻き付けてしのいだ。

217列車 凄まじい数時間が過ぎ、朝になった。驚いたことに周りはすべて海になっていた。堤防の上の踏切を塞いでいるので、少し下がるべきだと思い、列車後端が水に浸からない程度まで下がった。そこで再度手歯止めを掛け、今後のことを考えた。(この写真は中日新聞社発行の「忘れない伊勢湾台風50年」p.18を拡大したもの。9月29日の撮影とあるから、3日目で多少水位が下がった状態である。)

 これは大変な災害だ。前のほうには桑名や四日市があるが、低い土地だからとんでもない被害を受けているだろう。さりとて後ろに下がろうにも水の深さは 2 m以上もある。これでは無理と考え、機関車の火を落とした。客車に乗っていた人たちは少し減った。近くの人は自分の家まで水の中を帰ったのだろう。遠くの人も徒歩で帰ろうとしたらしい。しかしそれは不可能であった。泥水が見渡す限りに広がっている。近所で被災して家を失った人は、客車に乗り込んできた。

 二日目の夜が来た。とても寒く、客車の中でまたもや雨合羽を着てしのいだ。食料はまだ来ない。駅から水を貰ったが、茶碗に一杯ほどしかなかった。次の日にパンを一つ貰った。それだけである。


dda40x at 09:30コメント(0) この記事をクリップ!

2018年09月28日

217列車

福井孝之機関士 その日、217列車は6時50分に6輌編成で名古屋駅を出た。機関車はC57139であった。亀山まで2時間弱の乗務である。
 機関士の福井孝之(たかし)氏は30歳になったばかりで、関西線の乗務はその日が初めてである。台風が近づいているので、運休になるかもしれないと思っていたが、定時に発車した。
 最初の駅の八田で停車した時、機関車が風で揺れたのを感じた。ただ事ではない。ところが駅長は信号を進行に変え、発車を促した。厄介払いしたかったのかもしれない、と感じたそうだ。
 列車は強風の中、築堤の勾配を登り、庄内川の鉄橋を渡った。その時、風で吹き落とされそうに感じたそうである。機関車が傾くのだから、客車は片輪が浮いたかもしれない。ともかく無事橋を渡り、次の駅の蟹江に近づくと、すぐ手前の福田川は堤防まで満水で溢れそうであった。
 
 蟹江駅に到着すると風はますます強さを増し、飛んできた瓦が機関車のボイラにガンガンと当った。これはまずいと思う間もなく、福田川の堤防が決壊し、水が流れ込んできた。流木がドドンと客車に当ったが、水の深さは腰のあたりで、まだ命の危険は感じなかった。困ったことに、客車の床下になだれ込んだ木材で、ブレーキ管が破損した。このままでは動くことができない。
 すぐに破損車輛を切り離すことにする。3輌だけにするのだが、連結部は既に水の中で、流木の中の危険な作業だ。手間取ったが、切り離しには成功した。辺りは停電し真っ暗だ。蒸気機関車は有難いことにタービン発電機を持っているから前照灯、キャブ室内灯は点く。近所の人たちは駅に逃げてきた。浸水して家には居られなくなったのだ。その人たちも客車に乗った。その時水はそれほど深くない。まだプラットフォームの上の水が、線路の方に流れ落ちる状態であった。火室の火が消える心配はなかった。


dda40x at 09:28コメント(0) この記事をクリップ!

2018年09月26日

伊勢湾台風

 今年も9月26日がやって来た。あれから59年経つ。その日は土曜日であった。行きたくない学校に着いたら、教師が「今日はもう帰りなさい。」と言う。校門を出たところで、木琴を置いてあったことを思い出し、取りに戻った。既に風は強く、それは生ぬるい風であった。
 木琴を持って帰ったのは正解で、学校は1か月ほど水没した。市内は完全に床上浸水し、潮の干満が家の中でもわかった。3日目の昼過ぎ、自衛隊が助けに来てくれた。なんと上陸用舟艇で海から上がってきたのである。中学校は自衛隊の基地になって、ヘリコプタの発着場になった。水が引いても、市内は泥の中であった。学校のピアノは海水に浸かり、全ての板が反りくり返って、バラバラになっていた。

 鉄道は2か月運行できなかった。その間に近鉄は”広軌化”し、国鉄に差を付けた。そのあたりのことは、井上 靖の小説「傾ける海」に詳しい。
 国鉄の蟹江駅を出てしばらく西に行ったところの本線上に、列車が2か月ほど止まっていた。駅に止まっていたら浸水が始まり、客車の床まで水が来たのである。機関士は、このままでは危ないと判断し、西進して鉄橋に這い上がったのだ。客車は6輌つないでいたが、切り離して3輌だけで駆け上がった。

 そのまま汽車は止まり、家を失った人はそこに住み着いていた。機関車は潮風で赤さびが出て、見るも無残であった。客車には10家族くらいが居た。

 その機関士が、10年ほど前新聞に紹介されたので名前が分かり、今回川端氏の紹介で健在であることを知った。一次情報蒐集家としては、どうしても会っておきたかった。新聞の記事は、どうも腑に落ちないところがあった。鉄道のことを知らない記者が書いているから、仕方がないのだ。

Engineer Takashi Fukui 3 その機関士は福井孝之氏である。89歳の今も、お元気で車を運転されている。駅まで迎えに来られて、乗せてもらった。信号で止まる時、一般人は減速率を変化させるのが通例である。福井氏は一定の減速率で、目的の場所にきちんと止まった。それは職業柄の癖であろうが、見事であった。


dda40x at 09:26コメント(2) この記事をクリップ!

2018年08月29日

ユニヴァ―サル・ジョイントの不等速性

 現物を手で廻してみると、この辺りは速くなる、この辺りは遅くなるというのが分かるが、紙の上で説明するのはなかなか難しい。傾いた軸を回転させながら正射影を見ると、回転部分の円周は楕円を描いている。周速度は一定でも、正射影は一定速ではないのだ。

universal joint そんな説明ではだめであるが、例の工学のエキスパートT氏が、素晴らしい絵を描いて送って下さったので、紹介したい。これを見れば一目瞭然である。よくもこんなうまい絵を描けるものだと、感心した。



 優秀な人は易しい説明で相手を納得させるという良い実例である。自称専門家は、専門用語を並べ立てて、相手を煙に巻こうとするが、それは説明能力がないことを立証していることに他ならない。

 先回紹介した音で角速度の変化を示す動画では飽き足らず、T氏は角速度変化を目でみる装置を作られた。まだ改良の余地があるそうで、この動画はより良いものができれば更新するそうだ。
 途中の黒いリンク装置は動力を二つに分けるクランクである。歯車ではバックラッシがあって誤差が出るので、クランクにしたそうだ。その部分は見る必要が無いのだ。向こうの回転板は左右で位相差が分かるようになっている。追い越したり、抜かれたりする。

 反対側から見た動画もある。


dda40x at 08:29コメント(4) この記事をクリップ!

2018年08月27日

阿里山のシェイ

 阿里山のシェイについては多くの方から情報を戴いた。古い写真を点検されて間違いを確認して下さった。
 結論として言えることは何も考えていなかった訳ではなく、間違った方向に統一したようだ。完全に孤立した社会で、他から全く干渉されなかったというのが、その間違いが温存された理由だろう。アメリカの場合は、シェイを使っているところがたくさんあるから、他所のを見るチャンスがあって、間違いを指摘されたりしたはずだ。

 トラックのドライヴ・シャフトの話も出たが、それは正規の位相しか組めないようになっているのだそうだから、間違いようがない。急勾配の曲線上で客貨車を押し上げている時、彼らは何を感じたのであろうか。振動して当たり前と思っているなら、悲しい。

 ちょうど友人のN氏が、1968年撮影というvideoを貸して下さった。DVDになっている原氏の台湾旅行記である。例によって撮りまくったもので、細かいところは一切写っていないが、当時の雰囲気は分かる。若かりし頃の 植松宏嘉氏の姿が写っていて、懐かしい。
 原氏は機械工学を専攻したことになっているのだから、気が付いてもよさそうだが、その件については何もない。

 最近のニュースによると、嘉義は大雨で浸水し、阿里山鉄道も運休のようだ。

dda40x at 08:27コメント(0) この記事をクリップ!

2018年08月25日

再度 ユニヴァーサル・ジョイント 

 阿里山のシェイは混迷の度合いを増してきた。彼らは一体何をやっていたのだろう。曲線では異常な振動があるはずだし、駆動系の寿命も短くなる。 
 写真集もたくさん出ているが、それらも間違いを写している。撮影者や、編集者は何も感じないのだろうか。機構学の知識がなかったとしても、正しいシェイの写真を見たことがあれば、何かおかしいと気付くのが普通ではないか。

gear trainUV joint 実はしばらく前のことだが、博物館の図書の整理をしていて、1976年のNMRA Bulletin(会報)を見付けた。その中に無視できない問題があった。
 その記事は鉄道模型の動力伝達方式の研究で、10ページほどもある大論文である。モータの架装の仕方とかギヤトレインについて、細かく実例を書いてある。ところが、ユニヴァーサル・ジョイントの接続法が間違っている。丁寧に書かれた図が間違っている。説明文にも、90度捻るとある。これはどうしようもない。
 その図の上の方にゴムパイプでつなぐ絵があるが、ギヤボックスの反動受けの話もない。前後進で調子の違う機関車ができる。

 2,3箇月後の号に訂正が載るはずだと思って調べたが、見つからなかった。おそらくそのままになっている。NMRAも意外に低レヴェルである。AJINは間違っていたが、その図を見て間違えたわけでもあるまい。しかし、これは由々しき事態である。

 その後NMRAには車輪の件で何度も手紙を出して間違いを知らせたが、規格担当者の資質の問題で、ますますおかしくなった。その件もあって、NMRAとは縁を切った。アメリカの O scale の友人たちは、「NMRAはHOの連中の集まりだから、付き合う必要などない」と、切り捨てた。

 この件に関しては、栗生氏の記事の一番下の【追記3】にその顛末が出ている。

dda40x at 08:25コメント(0) この記事をクリップ!

2018年08月23日

続々々 Shay geared locomotives

25-3 ギヤはむき出しだから、油が飛ぶ。油はタンクから滴下するようになっているが、この機種だけは軸端から入れるようになっている。軸受への注油と兼用だろう。


Shay 25-9 これは水面計である。キャブ内にもあるが、もう一つ付けたのだ。こんなところにまで水面計を増設したということは、水面の泡立ちによる見誤り等があったのだろう。(コメントで、勾配での変化が少ないところに付けたという説明を戴いている)

Shay25-11 給水温め器である。かなり大きい。配管は単純で、追跡するとすぐ分かった。



 ユニヴァーサル・ジョイントの件には参った。ひどい話だ。誰も理屈が分かる人が居ないのだろう。昔はどうだったのだろうか。どなたか、古い写真集をお持ちの方は確認願いたい。台湾には知らせてやるべきだろう。開き直られると大変だ。そういう人もいるらしいから、気を付けて手紙を書かねばならない。


dda40x at 08:23コメント(5) この記事をクリップ!

2018年08月21日

続々 Shay geared locomotives

Shay 25-2Shay 25Shay 25-4 動態保存されているのを見かけた。この3気筒も、傘歯車は後ろにある。


 
 火を入れればすぐ動きそうである。これはオイル炊きに改造されている。石炭を焚くのにはある程度の技量が必要であり、カマ焚きを養成するのはもう賄いきれないのであろう。

Shay 25-6Shay 25-5 石炭庫の上の方に油槽を作ってある。体積が小さくなったので、その分、水をたくさん積める。給水温め器は巨大である。おそらく国鉄仕様のを無理に載せたのだろう。水面計は外にも増設してある。
 
Shay 25-7 前の台車へ行くドライヴシャフトがおかしい。現地では気が付かなかったが、この写真で判断する限り、間違っているように思う。位相がおかしいのである。平坦な直線路を走っていれば気が付かないだろうが、急曲線で重負荷が掛かるとアウトである。

dda40x at 08:21コメント(3) この記事をクリップ!

2018年08月19日

続 Shay geared locomotives

Shay 23-2Shay 23-3Shay 23 この機関車は3気筒である。この機関車もギヤが逆方向についている。やはり何かの理由があるはずだ。
 ユニヴァーサル・ジョイントは外してある。静態展示なら付けておくべきである。

 ボイラーさえ更新すればいくらでも寿命は伸ばせるのだが、放置してある。要するにお金さえあれば直せるはずだ。どなたか懐の温かい方が手を伸ばして下さらないだろうか。

Shay 23-4Shay 23-5Shay 23-6 この機関車も、キャブは何回も作り替えらえて中華風になっている。エンジン部はオーバーホールして部品を換えれば使える筈だ。ユニヴァーサル・ジョイントがないのは残念だ。 

 空気圧縮機が一つしかないが、不都合なく使えたのだろうから十分であったのだろう。ギヤード・ロコはエンジンブレーキが良く効くそうなので、それで良かったのかもしれない。


dda40x at 08:19コメント(0) この記事をクリップ!

2018年08月17日

Shay geared locomotives

Shay 29 阿里山のシェイの動力機構の歯車配置は個体によって異なる。小歯車が前方(煙室側)にあるのと、後ろ側にあるものがあるのだ。ここで見る限り、3気筒のものは後ろにあるようだ。
 エンジンの構成が同じなら、逆転レヴァの向きが逆になりそうな気がするが、良いのだろうか。小傘歯車の減り具合によっては、歯の裏を当てて均一な減り具合を期待しているのかもしれないとも考えたが、前後を逆に運転すればよいことで、それも考えにくい。筆者は小ギヤは必ず前側にあるものだと思っていた。


push-pull train 嘉義市内の北門駅に行った。嘉義駅から歩いても15分程度だ。下り列車がやって来たので写真を撮った。
 鉄道公園になっていて、そこにはシェイが3輌あった。1輌は動態である。あとの2輌は保存状態が良くないのだろう。静態展示されている。

Shay 13-2Shay 13Shay 13-3 この13号は小さい。2気筒の機関車だ。キャブは何回も作り替えられたのだろう。原型を全く留めていない。


dda40x at 08:17コメント(2) この記事をクリップ!

2018年08月15日

続々 阿里山

ShaysShay 18-2Shay 18 奮起湖駅には機関区があり、そこには2輌のシェイが置いてあったが静態である。片方はドライヴシャフトも外してあった。

 ここには整備工場もあったが、もぬけの殻で、壁に近いところに、古い旋盤とボール盤があった。旋盤の展示は向きが逆で、スピンドルが右にあった。おそらくもともとそういう向きにあったのだろう。観客の観覧スペイスを作るために、平行を保って奥にずらしたので、意味不明の展示となってしまった。こういうところは考えるべきである。

Shay 29Shay 29Shay 29-6Shay 29-3 シェイは頂上の駅付近にもまだ置いてあるのだろうが、詳しくは分からない。阿里山のシェイはどれがオリジナルなのかが、特定できないらしい。フレームを新製したり、廃車と振り替えたりしたという。ボイラも自家製と取り替えているものがあるという話も聞いた。

Shay 29-5Shay 29-4 小さな機関車である。762 mmゲージだから、北勢線と同じである。今までに見たものは、 standard gauge と 3-ft gauge であるから、格段に小さい。

 彼らもこの機関車が観光資源になると気付いたので、最近は大事にしている。40年前は、買おうと思えば、目方で買えるという話さえ聞いた。北朝鮮の蒸気機関車も、おそらく目方で買えるだろう。代わりの機関車を持って行けば、喜んで交換するかも知れない。狙っている人も居る筈だ。しかし、石油のない国だから難しいのかも知れない。


dda40x at 08:15コメント(0) この記事をクリップ!

2018年08月13日

続 阿里山

loop line 樟脳寮という駅を過ぎると、世界で最も巻き数の多いループに突入する。2巻き半と8の字というとんでもない線形で、車窓から樟脳寮の駅が、3回見える。



 この辺りから高原に入り、窓ガラスが熱くなくなる。植生も変化する。シェイの能力はこの種の急勾配、急曲線によく適合する。3気筒のものは特に調子が良かった。ドライヴシャフトが一回転する時のトルクが均一化されているから、スリップが起きにくい。

diesel engine 今回のディーゼル機関車はかなりの大出力らしく、この急勾配を 25 km/h程度でぐんぐん進む。機関車が後ろだから、煙を吸うこともない。途中のトンネルや築堤はかなり新しかった。数年前の大事故で、あちこちを更新したのだ。時々、旧線跡が見える。

奮起湖 奮起湖という駅が、現在の終点で、標高は1400 m程である。ここにはホテルがいくつかあるし、商店街は必要以上に賑やかだ。この地名の由来は、要するに山に囲まれた地形で、霧が湖のように見える事から来ている。前の二文字は元々は別の字で、当て字である。

 バスに乗ると阿里山頂上まで行けるが、時間的余裕が少ない。何かあると帰りの汽車に乗れない惧れがある。3時間ほど、そのあたりを散策した。
 弁当屋が何軒かある。弁當という字を使う。日本語が残っているのだ。

dda40x at 08:13コメント(1) この記事をクリップ!

2018年08月11日

阿里山

高鐵 阿里山に行くには、まず嘉義(ジャーイーと発音している)という町に行かねばならない。新幹線で行くと、高鐵嘉義站(站は駅の意味)に着いて、バスに乗り換え、嘉義站に行く。このバスは、新幹線の切符を持っていれば、無料である。20分ほど広い道を走ると、嘉義の駅の西口に着く。新幹線駅はかなり郊外にあるわけだ。

嘉義駅 嘉義の駅は日本の地方都市の駅そのもので、日本統治下を偲ばせる。その阿里山鉄道切符売り場は外の壁に面していて、コンピュータで打ち出した予約表を見せると切符がもらえた。日本語の表示もあるが、音声では通じなかった。

 朝だけ3本の列車が、30分ごとに出る。うっかり早いのに乗ってしまい、席がないのでびっくりしたが、「30分後の列車である」と指摘され、慌てて下車した。車輛はリクライニング座席で、冷房付きである。冷房は個別のエンジン駆動のものである。

 出発後10分足らずで、北門駅に着く。ここはその昔、大きな製材所があったそうだ。既に台湾ヒノキの巨木は枯渇し、製材所は取り壊された。現在は車輌基地があり、シェイの復元工事もしている。ここからさらに30分くらいは、ほとんど勾配を感じない。

pin and link couplers その後60‰以上の急勾配が続く。機関車1輌で客車4両を押し上げる。すべての車輛はピン アンド リンクの連結器と安全鎖二本でつながっている。先頭の客車に監視台があって、いわゆるプッシュプルの運転方式だ。監視台は運転装置は持たない。蒸気機関車の時代は、機関車から先を見ながら運転したが、客車は2輌しか押さなかったので問題はなかった。
 古橋氏はシェイの運転室に乗って行くほどの ”顔” であった。また、機関士が名古屋に訪ねて来ることもあった。

push-pull freight train 置いてある貨物列車もプッシュプルである。安全を考えるとそれしか方法はないだろう。


dda40x at 08:11コメント(1) この記事をクリップ!

2018年08月09日

台湾

   台湾は時差が少ないので来やすい。最近は、台北の地下鉄網が完備されたので、市内の混雑の中をタクシィで移動する必要がなくなったのは助かる。しかも電車賃が安い。地下鉄のことを「捷運」という。英語の ”rapid transit” の直訳である。新幹線は「高鐡」という。高速度鉄道の略だろう。外国人には割引切符を提供してくれている。事前にインターネットで押さえるのだが、行ってみると、無効であったりする。金額的には大したことではないが、腹立たしい。ソフトウェアに問題がある。鉄道側は、随分恐縮していた。
   阿里山の乗車券もインターネットで押さえられるが、これは外国人にはなかなか難しい。友人のアシストがなければとても無理であった。開通直後で、乗ってみると満席だ。立ち乗りもできるようで、かなり混む。
   
   同行者は実によく知っているので、安くて安全な宿を押さえてくれた。また、食べ物も廉価で美味しい店ばかり行ったので、日本にいるより安いくらいだった。

   筆者はシェイを1輌持っている。 祖父江氏が作った試作品である。途中まで作って放置してあったのを貰ったものだ。動力伝達装置を工夫して作り直そうと手を付けて、そのままになっていた。車輪も作り替えるつもりでいた。
   本物のシェイを見るたびに写真を撮り、細かい構造を調べてきた。今回の訪台は良いチャンスである。じっくり見てきた。今回見たシェイは、今まで見た中で最小のものである。2-1/2フィートのシェイは初めてだ。 

   阿里山には、45年ほど前に、シェイの大家の古橋正三氏に連れて来てもらう予定であったが、たまたま渡米することになって、そのままになってしまった。当時は生きたシェイがたくさん働いていた時代で、今思えば、万難を排しても来る価値があった。古橋氏には、8mm映画等をよく見せて貰ったが、そのうち行けるだろうと思っているうちに、チャンスが無くなった。


dda40x at 08:09コメント(0) この記事をクリップ!

2018年08月05日

2-truck Shay

 PFMの極めて初期の製品に 2-truck Shay がある。筆者が祖父江氏に最初に会ったときに見せて貰った。その時は単なるHOのシェイだとしか思わなかったが、そのうちにそれがHOの最初のプロダクションモデルであると気付いた。再度じっくり見せてもらった。(写真は上のリンクの一番下の方にある。)

 Oゲージのものとは伝導方式が違う。細いウォームをドライブシャフトに取り付けたウォームホイールに、斜めに裏側から当てている。ウォーム軸は片持ちである。うまい工夫だな、と感心した。しかしながら、祖父江氏は、
「3気筒のは、真ん中のヴァルヴギヤは動かねえんだ。インチキなんだけど、これでいいってんだから、しょうがねえよ。」
とぼやいた。
 その機関車は祖父江氏の設計である。その試作品を保管していたのだ。

  あと2,3輌のHOモデルがあった。ドイツ型の4気筒の機関車は、内側まで作られていた。プロダクションモデルでは、内側は省略されていたそうである。多分、ご自身の設計のものだろう。ギヤは外してあり、押すとするすると走った。

  既に当時祖父江氏は50歳になろうかという時で、「老眼で、もうHOは見えやしないよ。」と言っていた。それから30年以上、彼はより進歩した模型を作り出したのだ。

 このシェイのギヤトレインの設計は、その後の United の標準仕様となった。生産総数は万の桁であろう。もし祖父江氏がいなかったら、様々な点で大きな違いが生まれたことは間違いない。

dda40x at 08:05コメント(2) この記事をクリップ!

2018年03月15日

翻訳

 日本ほど、世界各国の本が翻訳されている国もないそうだ。特に英語の本は、すぐ訳本が出る。素晴らしい訳ばかりではないのが残念だ。

 先日の「走れ‼機関車」は、なかなか良い。英語版が届いたので並べて再読した。なるほどと思わせる訳もあり、感心したところも多い。しかし、一箇所訳を外したところがある。その言葉自体を無くしてしまっている。訳せなかったのだろうか。

tricock valves水面計? それは、"tricock" である。おそらく辞書には載っていない言葉だ。これは蒸気機関車のバックプレートにある三つ並んだコックである。その中心付近に水面が来るように設計してある。水面計はあっても、ガラス管が割れることはよくある。また、水質の悪いところでは、水が泡立って、水面計では用をなさないこともある。そういう時は、この最も原始的な方法を採るしかない。西部ではガラスは貴重品で、ガラス水面計の無い機関車もたくさんあった。

 高いところのコックを開いてブシュッと蒸気が出れば、水面はその下にある。真ん中のコックを開いてジュワッと熱水が飛び出れば、水面はその上にある。もちろん圧力が掛かっているから、気化して泡立つが、水が出ることには変わりがない。Big Boyにもついている
 飛び出した熱水は漏斗で受け、床下に捨てる。こういう単純な装置なのだが、訳者は意味が分からなかったのだろうか。水面計ではまずい。アメリカに聞けばわかる人もいる筈だが、どういう訳か、この言葉は日本語版から削除されている。よく見ると、図には修正の痕らしきものも、見えないこともない。これはまずい。作者に失礼だし、読者にも同様だ。
 gauge cock として、このブログでも近いところまで紹介した。

 翻訳というものはとても難しい。作者と同レベル以上の知識の持ち主でないと訳せない。筆者も時々翻訳を引き受けるが、分からない時もある。そうなると知っていそうな友人を順番に当たり、さらに外国に問い合わせて、やっとの思いで正しい解釈にたどり着いたことがある。そういうときの焦燥感は終わってみると懐かしいが、その当時は大変だった。

 この本は素晴らしい本なので、直ると嬉しい。

2018年01月30日

御殿場線ものがたり

御殿場線ものがたり たまたま寄った古本屋で見つけた。福音館の子供向けの「たくさんのふしぎ」シリーズの一つだ。30年ほど前の号である。このシリーズは我が家の子供たちも読んでいたが、これだけは買っていない。アメリカに居た頃なのだろう。その後の調べでは、再版されて単行本になっているようだ。


御殿場線ものがたり2 著者は宮脇俊三氏、絵は黒岩保美氏である。間違いは無さそうだと手に取って、中のページをめくって驚いた。どの絵も素晴らしい。特に筆者はこの見開きの絵を見て、衝撃を受けた。このようなスイッチバックを作りたいと思っていたことがあるからだ。すぐに買って、帰りの電車でじっくり読み直した。

 御殿場線は田舎を走っているのに、隣に線路があったような跡があるのはなぜ?駅の構内が広いのはなぜ?という疑問から始まる謎解きがある。

3御殿場線ものがたり 東京駅から電気機関車でなくC51の牽く特急が国府津に到着すると、30秒で後補機のC53が連結され、峠まで押していく。そこで走行中解放する様子が躍動感溢れる絵で表されている。東京から電気機関車だと、付け替えの時間が掛かるからだ。


 当時はC53が出たばかりなのだが、特急「燕」の本務機はC51なのだ。信頼性があったのだろう。一方、普通列車は小さな機関車で牽いている。

 筆者も関西本線でC51が本務機の、重連鳥羽行き快速に乗ったことがある。C55と組んで、ぶっ飛ばした。当時名古屋ー桑名間(23.8 km)は18分であった。平均速度は 79.3 km/h である。当時近鉄は木曽三川を渡る鉄橋が古く、そこでの最高速が40 km/h に制限されていて、とても国鉄の快速には敵わなかった。
 その後この記録は40年間破られることなく、ディーゼル快速「みえ」で再度18分になった。今は最速17分半だと思う。

 C51はブラスの帯を沢山巻いた、お召し列車に使われるような機関車で、古いけど魅力的であった。その列車と相前後して発車する湊町行き快速も良かった。それはたいていC55とC57の重連であった。昭和33年頃の話だ。毎日駅まで行って観察していた。素晴らしい時代であった。写真があれば・・・、としみじみ思う。


2017年05月28日

イギリスの機関車のブレーキ

 鉄道発祥の国のブレーキを調べている。

 古い機関車はほとんどニュートラルである。近代機は前進に対して明らかにリーディングである。

leading brake この機関車は3気筒の機関車で両抱きであるが、位置を工夫して、リーディングにしている。一つ目(右側)が接触した時の位置を支点として、二つ目(左)のシュウが接触する時の角度を見ると分かる。二つ目の角度が大きすぎて、喰い込まないかと心配するほどである。このリンク機構は興味深い。

leading brake 2 この機関車は4軸機である。これも明らかに前進に対してリーディングである。イギリスの機関車は、前抱きが多いのは日本と同じ理由なのかが知りたい。

 

neutral この機関車は戦後イギリスで建造された中国向けの機関車である。細かく見ると、アメリカの特許をたくさん使っている。補器類もすべてアメリカ製である。
 ブレーキはやはり後ろ抱きで、鋳鋼製のブレーキ・アームを用いている。支点の位置はニュートラルである。動輪が減ると少しずつリーディング方向に向かう。この理由が知りたい。    写真は筆者撮影

 
 
 

2017年05月26日

日本の蒸気機関車のブレーキ

 T氏から、さらにいろいろな機関車の調査結果を教えて戴いた。機種によっては、リーディングとトレーリングを混在させているらしい。 

 再検証した範囲では、以下の様だ。

・9600は前進で明らかにトレーリングである。
製造当時は最重量級の列車を牽いていたのだから、これは不思議である。
・8620とC56の第3動輪、C58の第2動輪は前進で明らかにトレーリングだ。いずれも軽量の中小型機なのでブレーキが強すぎると動輪が滑走しやすい可能性があるだろう。
・大型テンダー機のC51、C55、C57、C59〜C62、D51、D52は前抱きで前進リーディング(ただし、かなりニュートラルに近い)
C53は3シリンダの関係で軸距が独特なので、第1動輪だけ後ろ抱き、第3動輪は長いリンクで吊っているため、第3動輪だけ極端にリーディングだ。恣意的か、それとも単なるスペースの問題か?
・D50はかなりきわどいが、第4動輪だけはトレーリングに見える。

 蒸気機関車の動輪はすべて連結されているので、動輪群全体でブレーキ力確保という考え方かもしれない

 ともかく、前抱きはトレーリングというのが非常に浅い思考であったことは、反省している。


2017年05月06日

続 ブレーキの設定 

 T氏から興味深い文章を送って戴いた。イギリスの蒸気機関車を設計する手法について述べた本のようだ。”How steam locomotives really work?”  という題の本であるそうだ
 

 servo brake という言葉が出ている。すなわち倍力装置のことである。要するにリーディングにするということだ。
 日本の文献には、今のところこの記述が見つかっていないという。日本型蒸気機関車が前抱きブレーキにしたのは、後ろ抱きにするとブレーキ・梃子(てこ)が圧縮荷重を受け、振動することを嫌ったためのようだ。アメリカ型の近代機では、ブレーキ・アームは極端に太く、圧縮に十分耐えるようになっている。

 ヨーロッパでは、前後進でブレーキ力が変化しないような設計を推奨しているようだ。タイヤが減ると、どうしてもどちらかに傾いていくだろう。よく見ると、磨り減っていくと、リーディングでもトレーリングでもないニュートラルのところに行くようだ。そこで取り換えるのだろう。

 久し振りに、頭をよく使って結論を導き出せた。何か非常に爽やかな気持ちだ。チャンスを与えてくれたT氏には感謝する。


2017年04月30日

leading or trailing

 自動車は前後進するので、リーディングだけだとブレーキ力が不足し、危ないことがある。
 最近は4輪ディスクが普通だが、40年ほど前までは乗用車もドラム式がかなりあった。前輪は2リーディング(二枚のブレーキ・シュウが両方ともリーディングになっている)であったが、後輪はリーディング・トレーリングであった。後退時にブレーキが効かないと事故を起こすからである。
 最近は、ディスク・ブレーキでもリーディングがあるらしい。英語の表現は、self actuating、self energizing などである。  
 
 
 バイクは前進しかしないので、2リーディングがふつうである。ところが、モトクロス用のバイクだけは、前輪にリーディング・トレーリングが採用されていた。逆に廻そうとする力が掛かる瞬間があるからだ。

 蒸気機関車は前進を旨としている。となると、ブレーキはリーディングが有利だ日本の機関車はトレーリングが多いのはなぜだろう。喰い込み過ぎて危ないのだろうか。
 アメリカの近代の機関車は、後ろから抱くリーディングがほとんどだ。この考察は実物業界の技術者K氏によるものだが、興味深い。

 井上豊氏は、
「列車のブレーキは大したことはないが、機関車のブレーキは良く効くんだ。カキッと止まるんだぜ。」とおっしゃった。バックの方がもっと効くという話は出なかった。そこを聞いておくべきであった。

追記 日本の機関車も、前から抱いているが、リーディングであると、指摘されました。次の記事を参照してください。

2016年09月24日

続 ベルの内側

 色は赤か黒だ。赤は警戒色ではあるが、黒い機関車の前面にあったとしても、明度の差が小さく、視認性に欠ける。内側が黄色や白だったりすると、かなり目立つだろう。
 たぶん、視覚に訴えるという話ではないと思われる。

 材質については、書き出すときりがない。金属の専門家に話を聞くと、やはりヤング率に大いに関係がある。硬い材料は高い音が出せる。銅合金であれば、青銅系のものがよく、ブラス(黄銅)系のものはダメだ。青銅系でもスズの割合を多くすると良いらしい。その代わり割れやすい。
 歴史上有名な割れた鐘は、いくつかある。フィラデルフィアの独立記念館に行くと、その割れた鐘が展示してある。嬉しくて鳴らしまくったのだろう。色はかなり白い。ということはスズの比率が高いということだ。

 アルミニウム青銅も極端に硬い。その専門家の話によると、船に付ける鐘の注文があったが、普通の青銅製を示しても納得しなかったそうで、鋳造屋が聞きに来たのだそうだ。

 アルミニウムを1割弱含む銅合金で、恐ろしく硬い。スクリューなどに用いる例が多かったが、それを鐘に転用したのだ。
 素晴らしく良く響く音で、発注者は納得したそうだ。

 日本の話なので、多くの鐘がそれで鋳造されていると思うが、意外に出くわさない。消防車の鐘は今までどおりの音である。

 戦争中はアメリカでも各種の物資が不足した。有名なのはBig Boyなどのパイロット先端のゴムである。日本がマレー半島を押えたので、すぐに木製に取り換えられたらしい。 

2016年09月22日

ベルの内側

 機関車のベルの内側はどうして赤く塗ってあるのかという質問を複数の方から戴いている。これは極めて難しい質問で、筆者にはとても答えられそうにない。

 実は40年以上前に椙山 満氏のところで、それについて論議したことがある。当時カラー写真は少なかったが、明らかに赤のものが多く、たまに黒いものが見つかったのだ。

 アメリカに居た時、いろいろな場所で鉄道関係者に当たってみた。赤が基本のようだが、黒い時もあった。戦争中は黒かったというのが、答えとして多かった。

 赤は目立つから、という話もあるが、それはほとんど意味はなさそうだ。たまたまどこかの機関車メーカが赤く塗って出荷したのが、定番になったというのが信じられる話だ。

 もっと意外な証言も出てきた。東部で聞いた話だ。戦争中は物資が不足し、ベルの材料の銅合金は供出させられた。代わりに鉄のベルが来た。変な音だった。戦後すぐに新しいベルが支給され、音が良くなった。

 確かにその音の問題は深刻だ。鋳鉄で作ったベルの音など、聞けたものではない。ボコボコという音がする。焼きの入った鋼製ならばかなりいい音がするが作りにくい。
 日本のベルは、砲金(青銅)を使っているものが大半だ。専門家の話では、
「音が良くない。もっと硬い材料を使うべきだ。アルミニウム青銅はいいよ。試作したら、皆驚いた。」
 この話を聞いたのは20年以上前のことだ。今ではどうなっているのだろう。

2016年09月12日

続 Allegheny

the Henry Ford (14)the Henry Ford (29)the Henry Ford (28) 1973年にこの博物館を初めて訪れた時、持っていた情報は、
「とてつもなく大きな機関車がある。世界一大きい。」だけであった。
the Henry Ford (25)the Henry Ford (23)the Henry Ford (24) それはBig Boyに違いないと思っていたのだが、行って見たら外れであった。
 当時はどこにどんな機関車があるかという情報はあまりなく、現物を見て驚くことが多かった。幸い、アレゲニィは井上氏の模型を知っていたので、なるほどという感じである。

 世界一大きいというのは間違っているとは言えない。機関車の「大きさ」はいくつかの次元で語られる。
 質量、長さ、出力、引張力などである。その前に「機関車+テンダ」が、100万ポンド(454トン)以上なければ比較の対象にはならないらしい。1980年代のNMRAの会報にいろいろな諸元から考える記事が載っていた。整理が悪くてその記事が見つからない。
 確か、アレゲニィは引張力と機関車の質量とが最大ではなかっただろうか。長さはPenssyのS1だ。出力にはいろいろな測定条件があり、Big Boyは連続した出力の点で1位だったような気がする。短時間の出力ではPenssyのQ2が凄い。それと速度の問題もある。Big Boyは大動輪で高速運行ができた。特に下り坂ではその違いは大きい。また稼働していた輌数、期間、運行距離も大きなファクタである。
 様々な点で、Big Boyを最大、最強、最速、とする意見が支配的であると感じている。

2016年09月10日

Allegheny

the Henry Ford (26)the Henry Ford (27) 多くのコメントを戴いた。すべて正解で、Alleghenyである。ビデオが繰り返し放映されていて、その発音はやはり第一音節にアクセントであった。

 この機関車は整備し終わった状態で放置されたので、それをそのまま博物館に収蔵した。タイヤが削りたてである。デンヴァに置いてあるBig Boyのタイヤが磨り減っているのとは大違いである。塗装も当時のままだろう。ベルの外が黄色であるのは興味深い。
 
 ベルの内側を赤く塗るのは、大半の鉄道会社で行われている。40年ほど前、筆者は自分の機関車のベルを赤く塗って椙山氏のところに持って行って披露した。椙山氏はそれを目ざとく見付けられて、褒めて下さった。懐かしい思い出である。

the Henry Ford (21)the Henry Ford (30) この機関車の大きさは、尋常ではない。よくぞこんなものを作り上げたものだと感心する。
 この博物館がなければ、屋外に放置されて朽ちていったのだろう。

2016年09月04日

Greenfield Village

 このグリーンフィールド・ヴィレジには1991年から鉄道が整備された。もちろんヘンリィ・フォード自身の意思によって線路敷設は予定されていたのだそうだが、時間が掛かった。
Greenfield Village (9)Greenfield Village (7) 機関庫は1884年に建てられたものを移設した。転車台は手動である。
 稼働可能な蒸気機関車は3輌あって、先の4-4-2、4-4-0とこのメイソンボギーがある。 
  
Greenfield Village (30) かなり大型である。訪問時には機関庫に入っていたが、走っている動画はかなり見つかる。


Greenfield Village (31) 機関庫の中にはピットも切ってあり、動輪の嵌め替えもできるようになっている。工具類の並べ方は参考になる。


Greenfield Village (34) 煙突は上下できるようになっていて、煙を庫内に充満させることがない。見学スペイスは高く、作業の邪魔にはならない。原則として機関車を奥に突っ込む。そうすれば作業スペイスが確保できる。
 テンダは後ろに尻を出しているときもある。昔、テンダばかり買う男がいたので、何をするのだと聞いたら、こう言った。
「機関庫に並べるのだ。」

2016年08月23日

Atlantic

Greenfield Village (32) このアトランティック 4-4-2は出発時の牽引力を一時的に増すための装置を持っている。文字通り、traction increaser と呼ぶ。従台車のイコライザ中心穴が上下に長い。長穴の上は親指が入るくらいの隙間がある。

Greenfield Village (4) 下から覗くと、蒸気シリンダが2本下向きに取り付けられている。テコでイコライザの動輪に近いところのピンを押し下げるようになっている。そうすると第二動輪の軸重が3割くらい増す。機関車は後ろが持ち上がり、妙な姿勢になるが、短時間のことである。加速する間はこの姿勢を保つ。機関士の乗り心地は良くないだろう。これは以前図示したので、覚えていらっしゃる方もあるだろう。筆者は、理屈は承知していたが、現物を見るのは初めてだった。図面はp.202にある。

 機関庫内にいたcurator(日本語では学芸員)に、この装置のことを聞いてみた。多分知らないだろうと思っていたのだが、実に正確にその機能を説明してくれた。その瞬間に機関車の姿勢が変わることまで知っていた。さすがはヘンリィ・フォード博物館である。

 博物館はキュレイタで持っている。能力のないキュレイタしかいない博物館は、「仏作って魂入れず」である。日本の博物館には、不合格点しか付けられないものがかなりある。

2016年08月21日

Russian Iron の表現

 この方法は膜が薄いところが良い。電着した膜は加熱によって硬化させる。おそらく、熱硬化性樹脂(エポキシ系か)を用いている。低温ハンダを使うと、ばらばらになるかもしれない。
 常識的にはマイナス極に析出させるはずだ。陽極には溶けにくい金属が良いが、ステンレス板で十分だ。電圧はそれほど問題にはならない。適当に調節すればよい。模型用の電源で十分だ。電流は少ない。

 この方法では、色が自由に選べるので、黒染めの代用になるかもしれない。あらかじめニッケルめっきを施すと色が良くなるだろう。アメリカの機関車の一部にはラシアン・アイアン風の緑色のボイラ・ジャケットがある。それも簡単に再現できるはずだ。 

 先回の黒い被膜の機関車も、この方法で仕上げる方法が可能だろう。 塗装に依らない機関車の仕上げの時代が来るかもしれない。
 HO以下のサイズなら、全体を容易に液の中に沈める ことができる。凹凸があると、凹んだ部分は電界が小さくなるので、やや不利だが、それも工夫によって克服できる範囲にあるとみている。相対する電極をとがらせて、その近くに持って行けばよいのである。電界を狭い範囲だけ大きくするわけだ。

Recent Comments
Archives
「最新トラックバック」は提供を終了しました。
Categories
  • ライブドアブログ