蒸気機関車

2018年08月27日

阿里山のシェイ

 阿里山のシェイについては多くの方から情報を戴いた。古い写真を点検されて間違いを確認して下さった。
 結論として言えることは何も考えていなかった訳ではなく、間違った方向に統一したようだ。完全に孤立した社会で、他から全く干渉されなかったというのが、その間違いが温存された理由だろう。アメリカの場合は、シェイを使っているところがたくさんあるから、他所のを見るチャンスがあって、間違いを指摘されたりしたはずだ。

 トラックのドライヴ・シャフトの話も出たが、それは正規の位相しか組めないようになっているのだそうだから、間違いようがない。急勾配の曲線上で客貨車を押し上げている時、彼らは何を感じたのであろうか。振動して当たり前と思っているなら、悲しい。

 ちょうど友人のN氏が、1968年撮影というvideoを貸して下さった。DVDになっている原氏の台湾旅行記である。例によって撮りまくったもので、細かいところは一切写っていないが、当時の雰囲気は分かる。若かりし頃の 植松宏嘉氏の姿が写っていて、懐かしい。
 原氏は機械工学を専攻したことになっているのだから、気が付いてもよさそうだが、その件については何もない。

 最近のニュースによると、嘉義は大雨で浸水し、阿里山鉄道も運休のようだ。

dda40x at 08:27コメント(0) この記事をクリップ!

2018年08月25日

再度 ユニヴァーサル・ジョイント 

 阿里山のシェイは混迷の度合いを増してきた。彼らは一体何をやっていたのだろう。曲線では異常な振動があるはずだし、駆動系の寿命も短くなる。 
 写真集もたくさん出ているが、それらも間違いを写している。撮影者や、編集者は何も感じないのだろうか。機構学の知識がなかったとしても、正しいシェイの写真を見たことがあれば、何かおかしいと気付くのが普通ではないか。

gear trainUV joint 実はしばらく前のことだが、博物館の図書の整理をしていて、1976年のNMRA Bulletin(会報)を見付けた。その中に無視できない問題があった。
 その記事は鉄道模型の動力伝達方式の研究で、10ページほどもある大論文である。モータの架装の仕方とかギヤトレインについて、細かく実例を書いてある。ところが、ユニヴァーサル・ジョイントの接続法が間違っている。丁寧に書かれた図が間違っている。説明文にも、90度捻るとある。これはどうしようもない。
 その図の上の方にゴムパイプでつなぐ絵があるが、ギヤボックスの反動受けの話もない。前後進で調子の違う機関車ができる。

 2,3箇月後の号に訂正が載るはずだと思って調べたが、見つからなかった。おそらくそのままになっている。NMRAも意外に低レヴェルである。AJINは間違っていたが、その図を見て間違えたわけでもあるまい。しかし、これは由々しき事態である。

 その後NMRAには車輪の件で何度も手紙を出して間違いを知らせたが、規格担当者の資質の問題で、ますますおかしくなった。その件もあって、NMRAとは縁を切った。アメリカの O scale の友人たちは、「NMRAはHOの連中の集まりだから、付き合う必要などない」と、切り捨てた。

 この件に関しては、栗生氏の記事の一番下の【追記3】にその顛末が出ている。

dda40x at 08:25コメント(0) この記事をクリップ!

2018年08月23日

続々々 Shay geared locomotives

25-3 ギヤはむき出しだから、油が飛ぶ。油はタンクから滴下するようになっているが、この機種だけは軸端から入れるようになっている。軸受への注油と兼用だろう。


Shay 25-9 これは水面計である。キャブ内にもあるが、もう一つ付けたのだ。こんなところにまで水面計を増設したということは、水面の泡立ちによる見誤り等があったのだろう。(コメントで、勾配での変化が少ないところに付けたという説明を戴いている)

Shay25-11 給水温め器である。かなり大きい。配管は単純で、追跡するとすぐ分かった。



 ユニヴァーサル・ジョイントの件には参った。ひどい話だ。誰も理屈が分かる人が居ないのだろう。昔はどうだったのだろうか。どなたか、古い写真集をお持ちの方は確認願いたい。台湾には知らせてやるべきだろう。開き直られると大変だ。そういう人もいるらしいから、気を付けて手紙を書かねばならない。


dda40x at 08:23コメント(5) この記事をクリップ!

2018年08月21日

続々 Shay geared locomotives

Shay 25-2Shay 25Shay 25-4 動態保存されているのを見かけた。この3気筒も、傘歯車は後ろにある。


 
 火を入れればすぐ動きそうである。これはオイル炊きに改造されている。石炭を焚くのにはある程度の技量が必要であり、カマ焚きを養成するのはもう賄いきれないのであろう。

Shay 25-6Shay 25-5 石炭庫の上の方に油槽を作ってある。体積が小さくなったので、その分、水をたくさん積める。給水温め器は巨大である。おそらく国鉄仕様のを無理に載せたのだろう。水面計は外にも増設してある。
 
Shay 25-7 前の台車へ行くドライヴシャフトがおかしい。現地では気が付かなかったが、この写真で判断する限り、間違っているように思う。位相がおかしいのである。平坦な直線路を走っていれば気が付かないだろうが、急曲線で重負荷が掛かるとアウトである。

dda40x at 08:21コメント(3) この記事をクリップ!

2018年08月19日

続 Shay geared locomotives

Shay 23-2Shay 23-3Shay 23 この機関車は3気筒である。この機関車もギヤが逆方向についている。やはり何かの理由があるはずだ。
 ユニヴァーサル・ジョイントは外してある。静態展示なら付けておくべきである。

 ボイラーさえ更新すればいくらでも寿命は伸ばせるのだが、放置してある。要するにお金さえあれば直せるはずだ。どなたか懐の温かい方が手を伸ばして下さらないだろうか。

Shay 23-4Shay 23-5Shay 23-6 この機関車も、キャブは何回も作り替えらえて中華風になっている。エンジン部はオーバーホールして部品を換えれば使える筈だ。ユニヴァーサル・ジョイントがないのは残念だ。 

 空気圧縮機が一つしかないが、不都合なく使えたのだろうから十分であったのだろう。ギヤード・ロコはエンジンブレーキが良く効くそうなので、それで良かったのかもしれない。


dda40x at 08:19コメント(0) この記事をクリップ!

2018年08月17日

Shay geared locomotives

Shay 29 阿里山のシェイの動力機構の歯車配置は個体によって異なる。小歯車が前方(煙室側)にあるのと、後ろ側にあるものがあるのだ。ここで見る限り、3気筒のものは後ろにあるようだ。
 エンジンの構成が同じなら、逆転レヴァの向きが逆になりそうな気がするが、良いのだろうか。小傘歯車の減り具合によっては、歯の裏を当てて均一な減り具合を期待しているのかもしれないとも考えたが、前後を逆に運転すればよいことで、それも考えにくい。筆者は小ギヤは必ず前側にあるものだと思っていた。


push-pull train 嘉義市内の北門駅に行った。嘉義駅から歩いても15分程度だ。下り列車がやって来たので写真を撮った。
 鉄道公園になっていて、そこにはシェイが3輌あった。1輌は動態である。あとの2輌は保存状態が良くないのだろう。静態展示されている。

Shay 13-2Shay 13Shay 13-3 この13号は小さい。2気筒の機関車だ。キャブは何回も作り替えられたのだろう。原型を全く留めていない。


dda40x at 08:17コメント(2) この記事をクリップ!

2018年08月15日

続々 阿里山

ShaysShay 18-2Shay 18 奮起湖駅には機関区があり、そこには2輌のシェイが置いてあったが静態である。片方はドライヴシャフトも外してあった。

 ここには整備工場もあったが、もぬけの殻で、壁に近いところに、古い旋盤とボール盤があった。旋盤の展示は向きが逆で、スピンドルが右にあった。おそらくもともとそういう向きにあったのだろう。観客の観覧スペイスを作るために、平行を保って奥にずらしたので、意味不明の展示となってしまった。こういうところは考えるべきである。

Shay 29Shay 29Shay 29-6Shay 29-3 シェイは頂上の駅付近にもまだ置いてあるのだろうが、詳しくは分からない。阿里山のシェイはどれがオリジナルなのかが、特定できないらしい。フレームを新製したり、廃車と振り替えたりしたという。ボイラも自家製と取り替えているものがあるという話も聞いた。

Shay 29-5Shay 29-4 小さな機関車である。762 mmゲージだから、北勢線と同じである。今までに見たものは、 standard gauge と 3-ft gauge であるから、格段に小さい。

 彼らもこの機関車が観光資源になると気付いたので、最近は大事にしている。40年前は、買おうと思えば、目方で買えるという話さえ聞いた。北朝鮮の蒸気機関車も、おそらく目方で買えるだろう。代わりの機関車を持って行けば、喜んで交換するかも知れない。狙っている人も居る筈だ。しかし、石油のない国だから難しいのかも知れない。


dda40x at 08:15コメント(0) この記事をクリップ!

2018年08月13日

続 阿里山

loop line 樟脳寮という駅を過ぎると、世界で最も巻き数の多いループに突入する。2巻き半と8の字というとんでもない線形で、車窓から樟脳寮の駅が、3回見える。



 この辺りから高原に入り、窓ガラスが熱くなくなる。植生も変化する。シェイの能力はこの種の急勾配、急曲線によく適合する。3気筒のものは特に調子が良かった。ドライヴシャフトが一回転する時のトルクが均一化されているから、スリップが起きにくい。

diesel engine 今回のディーゼル機関車はかなりの大出力らしく、この急勾配を 25 km/h程度でぐんぐん進む。機関車が後ろだから、煙を吸うこともない。途中のトンネルや築堤はかなり新しかった。数年前の大事故で、あちこちを更新したのだ。時々、旧線跡が見える。

奮起湖 奮起湖という駅が、現在の終点で、標高は1400 m程である。ここにはホテルがいくつかあるし、商店街は必要以上に賑やかだ。この地名の由来は、要するに山に囲まれた地形で、霧が湖のように見える事から来ている。前の二文字は元々は別の字で、当て字である。

 バスに乗ると阿里山頂上まで行けるが、時間的余裕が少ない。何かあると帰りの汽車に乗れない惧れがある。3時間ほど、そのあたりを散策した。
 弁当屋が何軒かある。弁當という字を使う。日本語が残っているのだ。

dda40x at 08:13コメント(1) この記事をクリップ!

2018年08月11日

阿里山

高鐵 阿里山に行くには、まず嘉義(ジャーイーと発音している)という町に行かねばならない。新幹線で行くと、高鐵嘉義站(站は駅の意味)に着いて、バスに乗り換え、嘉義站に行く。このバスは、新幹線の切符を持っていれば、無料である。20分ほど広い道を走ると、嘉義の駅の西口に着く。新幹線駅はかなり郊外にあるわけだ。

嘉義駅 嘉義の駅は日本の地方都市の駅そのもので、日本統治下を偲ばせる。その阿里山鉄道切符売り場は外の壁に面していて、コンピュータで打ち出した予約表を見せると切符がもらえた。日本語の表示もあるが、音声では通じなかった。

 朝だけ3本の列車が、30分ごとに出る。うっかり早いのに乗ってしまい、席がないのでびっくりしたが、「30分後の列車である」と指摘され、慌てて下車した。車輛はリクライニング座席で、冷房付きである。冷房は個別のエンジン駆動のものである。

 出発後10分足らずで、北門駅に着く。ここはその昔、大きな製材所があったそうだ。既に台湾ヒノキの巨木は枯渇し、製材所は取り壊された。現在は車輌基地があり、シェイの復元工事もしている。ここからさらに30分くらいは、ほとんど勾配を感じない。

pin and link couplers その後60‰以上の急勾配が続く。機関車1輌で客車4両を押し上げる。すべての車輛はピン アンド リンクの連結器と安全鎖二本でつながっている。先頭の客車に監視台があって、いわゆるプッシュプルの運転方式だ。監視台は運転装置は持たない。蒸気機関車の時代は、機関車から先を見ながら運転したが、客車は2輌しか押さなかったので問題はなかった。
 古橋氏はシェイの運転室に乗って行くほどの ”顔” であった。また、機関士が名古屋に訪ねて来ることもあった。

push-pull freight train 置いてある貨物列車もプッシュプルである。安全を考えるとそれしか方法はないだろう。


dda40x at 08:11コメント(1) この記事をクリップ!

2018年08月09日

台湾

   台湾は時差が少ないので来やすい。最近は、台北の地下鉄網が完備されたので、市内の混雑の中をタクシィで移動する必要がなくなったのは助かる。しかも電車賃が安い。地下鉄のことを「捷運」という。英語の ”rapid transit” の直訳である。新幹線は「高鐡」という。高速度鉄道の略だろう。外国人には割引切符を提供してくれている。事前にインターネットで押さえるのだが、行ってみると、無効であったりする。金額的には大したことではないが、腹立たしい。ソフトウェアに問題がある。鉄道側は、随分恐縮していた。
   阿里山の乗車券もインターネットで押さえられるが、これは外国人にはなかなか難しい。友人のアシストがなければとても無理であった。開通直後で、乗ってみると満席だ。立ち乗りもできるようで、かなり混む。
   
   同行者は実によく知っているので、安くて安全な宿を押さえてくれた。また、食べ物も廉価で美味しい店ばかり行ったので、日本にいるより安いくらいだった。

   筆者はシェイを1輌持っている。 祖父江氏が作った試作品である。途中まで作って放置してあったのを貰ったものだ。動力伝達装置を工夫して作り直そうと手を付けて、そのままになっていた。車輪も作り替えるつもりでいた。
   本物のシェイを見るたびに写真を撮り、細かい構造を調べてきた。今回の訪台は良いチャンスである。じっくり見てきた。今回見たシェイは、今まで見た中で最小のものである。2-1/2フィートのシェイは初めてだ。 

   阿里山には、45年ほど前に、シェイの大家の古橋正三氏に連れて来てもらう予定であったが、たまたま渡米することになって、そのままになってしまった。当時は生きたシェイがたくさん働いていた時代で、今思えば、万難を排しても来る価値があった。古橋氏には、8mm映画等をよく見せて貰ったが、そのうち行けるだろうと思っているうちに、チャンスが無くなった。


dda40x at 08:09コメント(0) この記事をクリップ!

2018年08月05日

2-truck Shay

 PFMの極めて初期の製品に 2-truck Shay がある。筆者が祖父江氏に最初に会ったときに見せて貰った。その時は単なるHOのシェイだとしか思わなかったが、そのうちにそれがHOの最初のプロダクションモデルであると気付いた。再度じっくり見せてもらった。(写真は上のリンクの一番下の方にある。)

 Oゲージのものとは伝導方式が違う。細いウォームをドライブシャフトに取り付けたウォームホイールに、斜めに裏側から当てている。ウォーム軸は片持ちである。うまい工夫だな、と感心した。しかしながら、祖父江氏は、
「3気筒のは、真ん中のヴァルヴギヤは動かねえんだ。インチキなんだけど、これでいいってんだから、しょうがねえよ。」
とぼやいた。
 その機関車は祖父江氏の設計である。その試作品を保管していたのだ。

  あと2,3輌のHOモデルがあった。ドイツ型の4気筒の機関車は、内側まで作られていた。プロダクションモデルでは、内側は省略されていたそうである。多分、ご自身の設計のものだろう。ギヤは外してあり、押すとするすると走った。

  既に当時祖父江氏は50歳になろうかという時で、「老眼で、もうHOは見えやしないよ。」と言っていた。それから30年以上、彼はより進歩した模型を作り出したのだ。

 このシェイのギヤトレインの設計は、その後の United の標準仕様となった。生産総数は万の桁であろう。もし祖父江氏がいなかったら、様々な点で大きな違いが生まれたことは間違いない。

dda40x at 08:05コメント(2) この記事をクリップ!

2018年03月15日

翻訳

 日本ほど、世界各国の本が翻訳されている国もないそうだ。特に英語の本は、すぐ訳本が出る。素晴らしい訳ばかりではないのが残念だ。

 先日の「走れ‼機関車」は、なかなか良い。英語版が届いたので並べて再読した。なるほどと思わせる訳もあり、感心したところも多い。しかし、一箇所訳を外したところがある。その言葉自体を無くしてしまっている。訳せなかったのだろうか。

tricock valves水面計? それは、"tricock" である。おそらく辞書には載っていない言葉だ。これは蒸気機関車のバックプレートにある三つ並んだコックである。その中心付近に水面が来るように設計してある。水面計はあっても、ガラス管が割れることはよくある。また、水質の悪いところでは、水が泡立って、水面計では用をなさないこともある。そういう時は、この最も原始的な方法を採るしかない。西部ではガラスは貴重品で、ガラス水面計の無い機関車もたくさんあった。

 高いところのコックを開いてブシュッと蒸気が出れば、水面はその下にある。真ん中のコックを開いてジュワッと熱水が飛び出れば、水面はその上にある。もちろん圧力が掛かっているから、気化して泡立つが、水が出ることには変わりがない。Big Boyにもついている
 飛び出した熱水は漏斗で受け、床下に捨てる。こういう単純な装置なのだが、訳者は意味が分からなかったのだろうか。水面計ではまずい。アメリカに聞けばわかる人もいる筈だが、どういう訳か、この言葉は日本語版から削除されている。よく見ると、図には修正の痕らしきものも、見えないこともない。これはまずい。作者に失礼だし、読者にも同様だ。
 gauge cock として、このブログでも近いところまで紹介した。

 翻訳というものはとても難しい。作者と同レベル以上の知識の持ち主でないと訳せない。筆者も時々翻訳を引き受けるが、分からない時もある。そうなると知っていそうな友人を順番に当たり、さらに外国に問い合わせて、やっとの思いで正しい解釈にたどり着いたことがある。そういうときの焦燥感は終わってみると懐かしいが、その当時は大変だった。

 この本は素晴らしい本なので、直ると嬉しい。

2018年01月30日

御殿場線ものがたり

御殿場線ものがたり たまたま寄った古本屋で見つけた。福音館の子供向けの「たくさんのふしぎ」シリーズの一つだ。30年ほど前の号である。このシリーズは我が家の子供たちも読んでいたが、これだけは買っていない。アメリカに居た頃なのだろう。その後の調べでは、再版されて単行本になっているようだ。


御殿場線ものがたり2 著者は宮脇俊三氏、絵は黒岩保美氏である。間違いは無さそうだと手に取って、中のページをめくって驚いた。どの絵も素晴らしい。特に筆者はこの見開きの絵を見て、衝撃を受けた。このようなスイッチバックを作りたいと思っていたことがあるからだ。すぐに買って、帰りの電車でじっくり読み直した。

 御殿場線は田舎を走っているのに、隣に線路があったような跡があるのはなぜ?駅の構内が広いのはなぜ?という疑問から始まる謎解きがある。

3御殿場線ものがたり 東京駅から電気機関車でなくC51の牽く特急が国府津に到着すると、30秒で後補機のC53が連結され、峠まで押していく。そこで走行中解放する様子が躍動感溢れる絵で表されている。東京から電気機関車だと、付け替えの時間が掛かるからだ。


 当時はC53が出たばかりなのだが、特急「燕」の本務機はC51なのだ。信頼性があったのだろう。一方、普通列車は小さな機関車で牽いている。

 筆者も関西本線でC51が本務機の、重連鳥羽行き快速に乗ったことがある。C55と組んで、ぶっ飛ばした。当時名古屋ー桑名間(23.8 km)は18分であった。平均速度は 79.3 km/h である。当時近鉄は木曽三川を渡る鉄橋が古く、そこでの最高速が40 km/h に制限されていて、とても国鉄の快速には敵わなかった。
 その後この記録は40年間破られることなく、ディーゼル快速「みえ」で再度18分になった。今は最速17分半だと思う。

 C51はブラスの帯を沢山巻いた、お召し列車に使われるような機関車で、古いけど魅力的であった。その列車と相前後して発車する湊町行き快速も良かった。それはたいていC55とC57の重連であった。昭和33年頃の話だ。毎日駅まで行って観察していた。素晴らしい時代であった。写真があれば・・・、としみじみ思う。


2017年05月30日

Old Black Joe

OBJ しばらくチラ見せしていたのは、これである。軸配置がまさか2軸とは思わなかった方が多いだろう。今月のTMSに載っているそうだ。筆者はまだ見ていないが、写真が一枚掲載されているとのこと。以前は写真を貸しただけでも掲載誌を送ってきたが、最近はそれもしないのだろうか。

 伊藤剛氏の1946年製の機関車である。元は35mmゲージだったらしい。それを32mmゲージにしたので、少々バランスが良くない、当時はそんなことを言う人はいなかった。
 戦争中、外地でイギリスの凸型機関車の写真からスケッチを起こし、それを日本に持ち帰ったらしい。その機関車はこんな形をしていたようだ。

 今年は名古屋模型鉄道クラブ結成70周年で、本来は伊藤剛氏の存命中にということで、75周年を5年早めて大規模な集会をするつもりだった。伊藤剛氏が、不慮の事故で他界され、少々淋しい年次総会ではあった。

OBJ on track 今年の競作は伊藤剛氏の記念作 ”Old Black Joe" を各ゲージで作るというもので、Oゲージ部会では、ステンレス板をレーザで切り抜いて頒布し、動力は筆者が提供した「3条ウォーム」 + 「コアレスモータ」で、すべて押して動くようにした。1台で数輌の機関車を牽引することができる。

 切り抜いた板を頒布できたのが少々遅くなり、実質2箇月で製作せねばならなかった。原作の雰囲気を残しつつ、スケール感を出している。設計は土橋和雄氏である。 

2017年05月28日

イギリスの機関車のブレーキ

 鉄道発祥の国のブレーキを調べている。

 古い機関車はほとんどニュートラルである。近代機は前進に対して明らかにリーディングである。

leading brake この機関車は3気筒の機関車で両抱きであるが、位置を工夫して、リーディングにしている。一つ目(右側)が接触した時の位置を支点として、二つ目(左)のシュウが接触する時の角度を見ると分かる。二つ目の角度が大きすぎて、喰い込まないかと心配するほどである。このリンク機構は興味深い。

leading brake 2 この機関車は4軸機である。これも明らかに前進に対してリーディングである。イギリスの機関車は、前抱きが多いのは日本と同じ理由なのかが知りたい。

 

neutral この機関車は戦後イギリスで建造された中国向けの機関車である。細かく見ると、アメリカの特許をたくさん使っている。補器類もすべてアメリカ製である。
 ブレーキはやはり後ろ抱きで、鋳鋼製のブレーキ・アームを用いている。支点の位置はニュートラルである。動輪が減ると少しずつリーディング方向に向かう。この理由が知りたい。    写真は筆者撮影

 
 
 

2017年05月26日

日本の蒸気機関車のブレーキ

 T氏から、さらにいろいろな機関車の調査結果を教えて戴いた。機種によっては、リーディングとトレーリングを混在させているらしい。 

 再検証した範囲では、以下の様だ。

・9600は前進で明らかにトレーリングである。
製造当時は最重量級の列車を牽いていたのだから、これは不思議である。
・8620とC56の第3動輪、C58の第2動輪は前進で明らかにトレーリングだ。いずれも軽量の中小型機なのでブレーキが強すぎると動輪が滑走しやすい可能性があるだろう。
・大型テンダー機のC51、C55、C57、C59〜C62、D51、D52は前抱きで前進リーディング(ただし、かなりニュートラルに近い)
C53は3シリンダの関係で軸距が独特なので、第1動輪だけ後ろ抱き、第3動輪は長いリンクで吊っているため、第3動輪だけ極端にリーディングだ。恣意的か、それとも単なるスペースの問題か?
・D50はかなりきわどいが、第4動輪だけはトレーリングに見える。

 蒸気機関車の動輪はすべて連結されているので、動輪群全体でブレーキ力確保という考え方かもしれない

 ともかく、前抱きはトレーリングというのが非常に浅い思考であったことは、反省している。


2017年05月06日

続 ブレーキの設定 

 T氏から興味深い文章を送って戴いた。イギリスの蒸気機関車を設計する手法について述べた本のようだ。”How steam locomotives really work?”  という題の本であるそうだ
 

 servo brake という言葉が出ている。すなわち倍力装置のことである。要するにリーディングにするということだ。
 日本の文献には、今のところこの記述が見つかっていないという。日本型蒸気機関車が前抱きブレーキにしたのは、後ろ抱きにするとブレーキ・梃子(てこ)が圧縮荷重を受け、振動することを嫌ったためのようだ。アメリカ型の近代機では、ブレーキ・アームは極端に太く、圧縮に十分耐えるようになっている。

 ヨーロッパでは、前後進でブレーキ力が変化しないような設計を推奨しているようだ。タイヤが減ると、どうしてもどちらかに傾いていくだろう。よく見ると、磨り減っていくと、リーディングでもトレーリングでもないニュートラルのところに行くようだ。そこで取り換えるのだろう。

 久し振りに、頭をよく使って結論を導き出せた。何か非常に爽やかな気持ちだ。チャンスを与えてくれたT氏には感謝する。


2017年04月30日

leading or trailing

 自動車は前後進するので、リーディングだけだとブレーキ力が不足し、危ないことがある。
 最近は4輪ディスクが普通だが、40年ほど前までは乗用車もドラム式がかなりあった。前輪は2リーディング(二枚のブレーキ・シュウが両方ともリーディングになっている)であったが、後輪はリーディング・トレーリングであった。後退時にブレーキが効かないと事故を起こすからである。
 最近は、ディスク・ブレーキでもリーディングがあるらしい。英語の表現は、self actuating、self energizing などである。  
 
 
 バイクは前進しかしないので、2リーディングがふつうである。ところが、モトクロス用のバイクだけは、前輪にリーディング・トレーリングが採用されていた。逆に廻そうとする力が掛かる瞬間があるからだ。

 蒸気機関車は前進を旨としている。となると、ブレーキはリーディングが有利だ日本の機関車はトレーリングが多いのはなぜだろう。喰い込み過ぎて危ないのだろうか。
 アメリカの近代の機関車は、後ろから抱くリーディングがほとんどだ。この考察は実物業界の技術者K氏によるものだが、興味深い。

 井上豊氏は、
「列車のブレーキは大したことはないが、機関車のブレーキは良く効くんだ。カキッと止まるんだぜ。」とおっしゃった。バックの方がもっと効くという話は出なかった。そこを聞いておくべきであった。

追記 日本の機関車も、前から抱いているが、リーディングであると、指摘されました。次の記事を参照してください。

2016年09月24日

続 ベルの内側

 色は赤か黒だ。赤は警戒色ではあるが、黒い機関車の前面にあったとしても、明度の差が小さく、視認性に欠ける。内側が黄色や白だったりすると、かなり目立つだろう。
 たぶん、視覚に訴えるという話ではないと思われる。

 材質については、書き出すときりがない。金属の専門家に話を聞くと、やはりヤング率に大いに関係がある。硬い材料は高い音が出せる。銅合金であれば、青銅系のものがよく、ブラス(黄銅)系のものはダメだ。青銅系でもスズの割合を多くすると良いらしい。その代わり割れやすい。
 歴史上有名な割れた鐘は、いくつかある。フィラデルフィアの独立記念館に行くと、その割れた鐘が展示してある。嬉しくて鳴らしまくったのだろう。色はかなり白い。ということはスズの比率が高いということだ。

 アルミニウム青銅も極端に硬い。その専門家の話によると、船に付ける鐘の注文があったが、普通の青銅製を示しても納得しなかったそうで、鋳造屋が聞きに来たのだそうだ。

 アルミニウムを1割弱含む銅合金で、恐ろしく硬い。スクリューなどに用いる例が多かったが、それを鐘に転用したのだ。
 素晴らしく良く響く音で、発注者は納得したそうだ。

 日本の話なので、多くの鐘がそれで鋳造されていると思うが、意外に出くわさない。消防車の鐘は今までどおりの音である。

 戦争中はアメリカでも各種の物資が不足した。有名なのはBig Boyなどのパイロット先端のゴムである。日本がマレー半島を押えたので、すぐに木製に取り換えられたらしい。 

2016年09月22日

ベルの内側

 機関車のベルの内側はどうして赤く塗ってあるのかという質問を複数の方から戴いている。これは極めて難しい質問で、筆者にはとても答えられそうにない。

 実は40年以上前に椙山 満氏のところで、それについて論議したことがある。当時カラー写真は少なかったが、明らかに赤のものが多く、たまに黒いものが見つかったのだ。

 アメリカに居た時、いろいろな場所で鉄道関係者に当たってみた。赤が基本のようだが、黒い時もあった。戦争中は黒かったというのが、答えとして多かった。

 赤は目立つから、という話もあるが、それはほとんど意味はなさそうだ。たまたまどこかの機関車メーカが赤く塗って出荷したのが、定番になったというのが信じられる話だ。

 もっと意外な証言も出てきた。東部で聞いた話だ。戦争中は物資が不足し、ベルの材料の銅合金は供出させられた。代わりに鉄のベルが来た。変な音だった。戦後すぐに新しいベルが支給され、音が良くなった。

 確かにその音の問題は深刻だ。鋳鉄で作ったベルの音など、聞けたものではない。ボコボコという音がする。焼きの入った鋼製ならばかなりいい音がするが作りにくい。
 日本のベルは、砲金(青銅)を使っているものが大半だ。専門家の話では、
「音が良くない。もっと硬い材料を使うべきだ。アルミニウム青銅はいいよ。試作したら、皆驚いた。」
 この話を聞いたのは20年以上前のことだ。今ではどうなっているのだろう。

2016年09月12日

続 Allegheny

the Henry Ford (14)the Henry Ford (29)the Henry Ford (28) 1973年にこの博物館を初めて訪れた時、持っていた情報は、
「とてつもなく大きな機関車がある。世界一大きい。」だけであった。
the Henry Ford (25)the Henry Ford (23)the Henry Ford (24) それはBig Boyに違いないと思っていたのだが、行って見たら外れであった。
 当時はどこにどんな機関車があるかという情報はあまりなく、現物を見て驚くことが多かった。幸い、アレゲニィは井上氏の模型を知っていたので、なるほどという感じである。

 世界一大きいというのは間違っているとは言えない。機関車の「大きさ」はいくつかの次元で語られる。
 質量、長さ、出力、引張力などである。その前に「機関車+テンダ」が、100万ポンド(454トン)以上なければ比較の対象にはならないらしい。1980年代のNMRAの会報にいろいろな諸元から考える記事が載っていた。整理が悪くてその記事が見つからない。
 確か、アレゲニィは引張力と機関車の質量とが最大ではなかっただろうか。長さはPenssyのS1だ。出力にはいろいろな測定条件があり、Big Boyは連続した出力の点で1位だったような気がする。短時間の出力ではPenssyのQ2が凄い。それと速度の問題もある。Big Boyは大動輪で高速運行ができた。特に下り坂ではその違いは大きい。また稼働していた輌数、期間、運行距離も大きなファクタである。
 様々な点で、Big Boyを最大、最強、最速、とする意見が支配的であると感じている。

2016年09月10日

Allegheny

the Henry Ford (26)the Henry Ford (27) 多くのコメントを戴いた。すべて正解で、Alleghenyである。ビデオが繰り返し放映されていて、その発音はやはり第一音節にアクセントであった。

 この機関車は整備し終わった状態で放置されたので、それをそのまま博物館に収蔵した。タイヤが削りたてである。デンヴァに置いてあるBig Boyのタイヤが磨り減っているのとは大違いである。塗装も当時のままだろう。ベルの外が黄色であるのは興味深い。
 
 ベルの内側を赤く塗るのは、大半の鉄道会社で行われている。40年ほど前、筆者は自分の機関車のベルを赤く塗って椙山氏のところに持って行って披露した。椙山氏はそれを目ざとく見付けられて、褒めて下さった。懐かしい思い出である。

the Henry Ford (21)the Henry Ford (30) この機関車の大きさは、尋常ではない。よくぞこんなものを作り上げたものだと感心する。
 この博物館がなければ、屋外に放置されて朽ちていったのだろう。

2016年09月04日

Greenfield Village

 このグリーンフィールド・ヴィレジには1991年から鉄道が整備された。もちろんヘンリィ・フォード自身の意思によって線路敷設は予定されていたのだそうだが、時間が掛かった。
Greenfield Village (9)Greenfield Village (7) 機関庫は1884年に建てられたものを移設した。転車台は手動である。
 稼働可能な蒸気機関車は3輌あって、先の4-4-2、4-4-0とこのメイソンボギーがある。 
  
Greenfield Village (30) かなり大型である。訪問時には機関庫に入っていたが、走っている動画はかなり見つかる。


Greenfield Village (31) 機関庫の中にはピットも切ってあり、動輪の嵌め替えもできるようになっている。工具類の並べ方は参考になる。


Greenfield Village (34) 煙突は上下できるようになっていて、煙を庫内に充満させることがない。見学スペイスは高く、作業の邪魔にはならない。原則として機関車を奥に突っ込む。そうすれば作業スペイスが確保できる。
 テンダは後ろに尻を出しているときもある。昔、テンダばかり買う男がいたので、何をするのだと聞いたら、こう言った。
「機関庫に並べるのだ。」

2016年08月23日

Atlantic

Greenfield Village (32) このアトランティック 4-4-2は出発時の牽引力を一時的に増すための装置を持っている。文字通り、traction increaser と呼ぶ。従台車のイコライザ中心穴が上下に長い。長穴の上は親指が入るくらいの隙間がある。

Greenfield Village (4) 下から覗くと、蒸気シリンダが2本下向きに取り付けられている。テコでイコライザの動輪に近いところのピンを押し下げるようになっている。そうすると第二動輪の軸重が3割くらい増す。機関車は後ろが持ち上がり、妙な姿勢になるが、短時間のことである。加速する間はこの姿勢を保つ。機関士の乗り心地は良くないだろう。これは以前図示したので、覚えていらっしゃる方もあるだろう。筆者は、理屈は承知していたが、現物を見るのは初めてだった。図面はp.202にある。

 機関庫内にいたcurator(日本語では学芸員)に、この装置のことを聞いてみた。多分知らないだろうと思っていたのだが、実に正確にその機能を説明してくれた。その瞬間に機関車の姿勢が変わることまで知っていた。さすがはヘンリィ・フォード博物館である。

 博物館はキュレイタで持っている。能力のないキュレイタしかいない博物館は、「仏作って魂入れず」である。日本の博物館には、不合格点しか付けられないものがかなりある。

2016年08月21日

Russian Iron の表現

 この方法は膜が薄いところが良い。電着した膜は加熱によって硬化させる。おそらく、熱硬化性樹脂(エポキシ系か)を用いている。低温ハンダを使うと、ばらばらになるかもしれない。
 常識的にはマイナス極に析出させるはずだ。陽極には溶けにくい金属が良いが、ステンレス板で十分だ。電圧はそれほど問題にはならない。適当に調節すればよい。模型用の電源で十分だ。電流は少ない。

 この方法では、色が自由に選べるので、黒染めの代用になるかもしれない。あらかじめニッケルめっきを施すと色が良くなるだろう。アメリカの機関車の一部にはラシアン・アイアン風の緑色のボイラ・ジャケットがある。それも簡単に再現できるはずだ。 

 先回の黒い被膜の機関車も、この方法で仕上げる方法が可能だろう。 塗装に依らない機関車の仕上げの時代が来るかもしれない。
 HO以下のサイズなら、全体を容易に液の中に沈める ことができる。凹凸があると、凹んだ部分は電界が小さくなるので、やや不利だが、それも工夫によって克服できる範囲にあるとみている。相対する電極をとがらせて、その近くに持って行けばよいのである。電界を狭い範囲だけ大きくするわけだ。

2016年08月19日

続 Russian Iron

 ラシアン・アイアンの表現は塗装による再現もあるだろうが、筆者の興味のある方法は化成処理である。これは顔料を含む電荷をもった粒子の懸濁液(suspension)であろう。電圧を掛けると電気泳動を起こし、被着物の表面で析出する。自動車の車体を防錆加工する時の電着塗装と同じ原理を用いている。 
 この製品はある程度の厚さに着いたところで、加熱処理をして定着させている。見たところ、メッキ面のような光沢と適度な色を持っている。

 残念ながら、筆者のコレクションにはこれを施すべきものがない。どなたか試されたら、報告をお願いしたい。


henryford1 さて、Greenfield Villageの鉄道には素晴らしい4-4-2がある。この色をご覧戴きたい。塗装ではない。表面処理でこの色を出している。
 文字では表現できない色だが、黒みがかった銀色である。30年ほど前、木曾森林の0-4-2のGゲージ程度の大きさの置物が売り出されたが、その色と似ている。上廻りのみならず、下廻りにもかなり施されている。

Greenfield Village (33) この角度から見るとよくわかるが、ボイラーバンドも同じ処理である。とても立派な機関車である。キャブは木製だ。この機関車はヘンリィ・フォ−ド本人がとても気に入っていて、早い段階から購入して保存していたものだそうだ。

 この種の表面処理は機関車ではあまり見ないが、古い大型のキッチン・ストーヴ(調理用のかまど)や、暖炉に施されているのを見たことがある。

2016年08月17日

Russian Iron

Greenfield Village (10) ラシアン・アイアンの処理の仕方の説明を探しても、なかなか見つかるものではない。もうすでに誰もやっていないからだ。
 博物館での再生処理は秘伝の方法でやっているのだろうが、公表されているとは思えない。 古い文献を当たると、それらしいものが見つかる。
 筆者の祖父が使っていた金属便覧昭和25年版には、 400 ℃ で融解した硝石(硝酸カリウム)に清浄な鉄板を浸すと書いてある。
 硝酸カリウムの融点は 333 ℃ だから、それほど高くない。ハンダごての先の温度のほうが高い。るつぼに硝酸カリウムを入れて融かし、磨いた釘を入れると確かに酸化被膜が付き、青みを帯びた艶のある被膜ができる。高温の硝酸カリウムは徐々に分解して酸素を放つので、それが鉄に結び付くのだ。
 しかし、これを大きな鉄板に施そうと思うとなかなか大変だ。どういう装置でやっているのだろう。 
 
 出来たものを、油を付けてぼろきれで磨くと、さらに艶が出る。青い色は干渉膜の色だろうから、削らないように拭く程度だろう。昔の機械式の掛時計のゼンマイ・バネの色が近いが、あれはすぐ錆びてしまう。おそらく、緻密な膜ではないのだ。その点、ラシアン・アイアンは屋外で使っても大丈夫だ。

 模型に塗ってあるのをたまに見るが、艶消しになっていることがある。これは明らかな間違いだ。本物はピカピカだ。そうでないと錆びてしまう。塗装で再現するのは難しいが、銀塗装して磨き、さらに透明青塗料を掛けるぐらいしか思いつかない。プラスティック模型の世界には達人がいらっしゃるだろうから、テクニックを紹介してほしいものだ。

2016年08月15日

the Henry Ford

 アメリカに行っていた。友人に案内を頼まれて、シカゴ、デトロイト方面に行ったのだ。降って湧いた話で、何の準備もなく出発した。 向こうに着いてから、会うべき人と連絡した。
 最近はこの手の話がよくあって、今後この種の通訳・ガイド・ビジネスができるかもしれない。

 表題のヘンリー・フォード博物館はこれで5回目だと思う。最初は1973年で、
まだ隣のGreenfield Villageがそれほど充実していなかった。76年もさほど変わりがなく、89年はかなり建物が増えていたと感じた。
 名古屋に、トヨタの作った産業技術記念館という博物館がある。明らかにこのヘンリー・フォード博物館の劣化コピィである。真似をするなら、完全な真似をすべきであった。

 周辺の道路にある行先表示は、最近は表題のような表現になった。固有名詞にtheが付くようになったのだ。「あなたの行きたいヘンリー・フォード博物館はここです。」という意味になったわけだ。
 
 2009年に鉄道施設の拡充があり、扇形機関庫、転車台が整備された。収蔵されているのはかなり大型の4-4-2などで、非常に美しい。塗装でなく、鋼の表面を緻密な酸化被膜で保護した、いわゆるRussian Ironである。

 この色については様々な場所で論議されているが、あまり正しいことは示されていない。塗装による再現の話題もあるが、それを見ても正しいとは思えない。反射光であるから、塗膜の中での反射では解決するわけにはいかないのだ。 

2016年07月13日

C&O 2-6-6-6 Allegheny

 井上 豊氏のHOモデルが掲載されたのはTMSの1967年11月号である。表紙のうすい黄色を覚えていたので探すのは容易だった。実は自宅の書庫のどこにあるのかはすぐには分からないのだが、博物館の棚には全て並んでいるので、探すのは非常に楽である。
 当時は高校生で、ずいぶん興奮して読んだ覚えがある。井上氏はどうしてこの機関車の図面を手に入れたのだろう、という疑問を我々の世代の人は持ち続けていたようだ。
 TMSの569号にはウォーカー氏の記事があり、疑問が氷解した方が多かった。 

 このHOモデルはのちに改良された。テンダのリヴェット打ち出しをやめ、酒井喜房氏の紹介で、エッチング図面を描いて外注したのだ。出来上がったテンダは素晴らしく綺麗で、メーカ完成品かと思うぐらいだった。デカールは椙山 満氏が貼った。テンダの改良は、1983年のTMS436号に載っているが、やはり不満で、すぐそのあとに根本的に作り替えられたのだ。 
 その試運転に来られて、拙宅に泊まられた。その2日間は非常に濃密な時間であった。あらゆる常識、テクニック、機構的アイデアを伝授して戴いた。
 押して動くウォームのアイデアはまだ出ていなかったが、すでに筆者は摩擦の少ない模型鉄道の実現に向けて動き出していた。ミニチュア・ボールベアリングには大変興味を示され、しばらくするとTMSにその記事が出た。筆者が半径3mの線路を敷いて、60輌運転をしていた時代だ。
 ウォーカー氏の件も多少は話題になり、569号の記事にある「お代官様」という表現も、その時出てきたことを覚えている。

 そのTMS569号1993年4月号には、NMRCの新年例会の記事が載っている。このころはすでにTMSとNMRCとの和解の時期であり、その以前の20年弱の「反目の時代」が終わったのだ。だからこそ井上氏の記事が取り上げられたのだ。「名古屋特集」もこの後出版されている。

2016年06月27日

Walker氏のこと その3

opentop hopper 井上氏はその図面を祖父江欣平氏にも見せている。だから、Oゲージの アレゲニィはよく出来ている。Max Grayの時代にしては、他の機種より数等、出来が良いのだ。
 祖父江氏は、そのお礼にOゲージのアレゲニィの鋳物、プレスで抜いた板を井上氏に差し上げた。その板や部品は長い間井上氏の押し入れに眠っていたが、ある時、
50-ft boxcar「もうOゲージを作ることは無いから、君に上げるよ。組めるだろ?」
と筆者に譲ってくれた。半分くらい組んだところで、祖父江氏が仕事が無い時期があったので、組んでもらった。
そうしたら、
「鋳物の台枠なんてオモチャっぽいから、厚板で作り直したよ。他にも気になっていたところを全部作り直しちまったよ。」
と言って送ってくれた。それは完全にカスタム・ビルトと言えるものであった。そして、韓国で作っていた怪しいアレゲニィの鋳物部品のうち、正しいものだけを組み付けた。当時のメーカが提供してくれたものから、選り出したのだ。半分以上は捨ててしまったが。
 そのアレゲニィは筆者のコレクションの中で、最も価値ある機関車である。

livestock car さて、ライヴのアレゲニィであるが、井上氏は国鉄の工場の旋盤を使って主要部品を作り、自宅で仕上げをしていた。
 ウォーカー氏は時々寄って、ヤスリ掛けを手伝ってくれたりしたそうだ。そういう時には、
”For your family."
と言って、缶詰をたくさん持ってきてくれたそうだ。
「食べ盛りの子供がいたから、あれは助かったね。」

 蒸気の自在継手を球状に仕上げて、漏れないことを確かめたときは嬉しかったそうだ。  

2016年06月06日

Alf の死去 

 先ほど我々の共通の友人であるBoからAlf Modineの死去の連絡を受けた。87歳であった。

 アルフとは25年ほどの付き合いであった。お互いに助け合った仲である。さまざまな部品を作って供給し、また逆に向こうから部品をもらったりした。
 最近は、博物館の工事進行状況を知らせて、意見を聞いたりしていた。

 昨年の春には泊めてもらった。日本に来ないかと誘ったのだが、健康上の理由で少々難しいという話であった。最近は足が悪く、歩きにくそうであった。

 訪問した際には上機嫌でワインを次々に開け、こちらがあまり強くないのを笑っていたものだった。いつも政治がらみの話を持ち掛けるので、事前に予習してから会うようにしていた。

 もうあのような話ができないと思うと悲しい。

2016年03月02日

Harmon の死去

 Harmon が死去したと、先ほど奥さんから連絡があった。

 実は昨日彼からのメイルで、「シカゴのショウに来るかい?またうちに遊びに来ないか。」という連絡があったばかりなのだ。すぐに返事を出して、
「いま博物館の建設で忙しいから今年は行けない。夏までには片付くから行きたいもんだ。ところでそちらはどうなんだ、奥さんと一緒に遊びに来ないか?」
と送ったばかりだった。

 先ほどメイルボックスを開けたら、奥さんから来ていた。
「大変なことになった。ハーマン が今朝3時に脳卒中で死んでしまった。とても残念だ。友達でいてくれてありがとう。」
 本当に残念だ。昨年のショウで賞を取って、満足だったようだ。その後、モータを換装するから、コアレスモータの良いのを紹介してくれ。」という打診があった。

 彼は筆者の3条ウォーム、Low-D車輪に興味があり、導入するつもりであった。地下には大きなスペイスがあり、そこにレイアウトを作るつもりで、図面を見せてくれたのだ。それはイリノイの田舎の実にのどかな風景であった。

 今度行くときには飛行機に乗せてもらう予定であったのに、それも叶わなくなった。

2016年02月27日

貨車の移籍

 貨車の自宅からの移籍が進んでいる。不良な貨車を修理に回して排除しつつ、新たに移した貨車を試運転している。輌数は徐々に増え、123輌編成が走っている。この辺りが当鉄道の事実上の限界だ。引張力が最大級のAC9が少しスリップするのだから、もうこれで十分だ。
 坂の途中で止まってから再起動するのは、なかなかの見物である。難しくはない。スロットルを加減して、サウンド装置を調節すると、本物と同じ音がする。友人が来た時にやって見せると喜ぶ。

alignment by laserred laser まだ取り掛かっていないが、次は1970年代の貨車を100輌ほど持ってくる。長い89 ftのT/T(トレーラ・トレイン)がたくさんあるので、意外な長さになるだろうと思う。それが始まる前に、側線を付けねばならない。
 レーザを使ってアラインメントを出す。正確に作っておかないと、後で後悔することになる。分岐は10年ほど前につくったのだが、保存中に曲がってしまったものもあって、修正に手間が掛かる。
 7本の分岐がつながっているので、真っ直ぐ見通せる。直線側がそろっていると気分が良い。

 この側線には40-ft車が都合100輌入ることになっている。とても足らない。客車ヤードは10輌編成が5本置けるはずである。やはり、隠しヤードの建設を急がねばならない。
 フレクシブル線路の数が足らなくなってきた。場合によっては自作する必要がある。
 ガラスエポキシ板は超硬の丸鋸でいくらでも切れるし、急いでいるときは金属板を切るシァでも切れる。また、ヤードの奥まで、動力車が行くことは稀であるし、電池動力で無線操縦の入替用機関車を使えば、何の問題もないだロウ。

2016年02月25日

Free to Roll Mechanism

 この名前は、筆者が3条ウォームギヤを開発した時に名付けた。それにKTMなどが名前を勝手につけている。コースティング・ギヤなどと言っているが、正しい名前ではない。それはもっと古い時代に別のメカニズムに対して付けられた名前である。

 ギヤ比が小さいから低速性能が云々、と書いているウェブサイトがあるが、とんでもない間違いである。自分で工作もせず、持ってもいないものを、いかにも知り尽くしているかのような書き方をするのは、失礼千万で迷惑そのものだ。
 筆者の機関車は、どれも低速性能がずば抜けて良い。効率が良いから、極めて低速でも、決して躓くことが無いのだ。何も考えずに、モータを買うわけではない。優秀なモータを選んである。特性曲線を調べ、要求されるトルクを持つモータを採用している。この辺りのことは、吉岡精一氏の研究で、完璧に押えてある。

 117輌を牽くビデオでもゆっくり走っているが、動輪はスリップしている。音を聞いていると、前後の排気音が徐々にずれてくるのがわかる。モータは2台入っている。トルクが余っているからこそ滑るのだ。 発進時にも、ゆっくり滑る。ここが大事なのである。高電圧を掛けて、ビューと滑らせるのではない。ほんの僅か、トルクが過剰だから前後のうち、どちらかが滑る。この場面をアメリカの友人に見せたら、「素晴らしい。本物と同じだ。」と言った。
「ゆっくり滑るのが正しい。機関士だって分かっているから、無茶な空転は少ないよ。」 

 10輌のプルマンをチャレンジャに牽かせた。このような編成もあった。坂を登らせると、やはり、排気音がずれていく。いつも少しずつ滑っているのだ。
 チャレンジャのテンダ、従台車の車輪をLow-Dに取換えた。明らかに音が静かになった。 土屋氏から来た機関車のほとんどの車輪を取替え終わった。不要な車輪がかなり溜まった。使えそうな気がするが、多少振れているのもあり、捨てざるを得ない。

2016年01月18日

クランクピンの潤滑

 模型蒸気機関車の中で、一番潤滑に気を使うのはクランクピンである。力が掛かるし、保油装置が無いから、すぐ油切れを起こす。
 ロッドはブラスのドロップ打ち抜きで、厚さはせいぜい2.5 mmである。ピンの太さは4mmが多い。車輪より半径が小さく、テコ比で力が倍増している。普通の潤滑油では効かない。

 筆者はロッドにボールベアリングを入れるようになる前は、スリーブを入れた。接触面積を大きくし、面圧を下げる。少しでも油がたまりやすくした。潤滑油はモリブデングリスだ。このような、圧力が大きな部分では、極圧剤が入っていないと意味がない。モリブデンは有効である。

 最近、K氏から「ベルハンマー」という潤滑油を戴いた。巷では人気なのだそうだ。極圧剤が入っているようで、ロッドに注すと、起動電流が10%以上低下する。しかし、連続3時間以上運転すると、電流が急上昇する。 そのままではモータが焼けるし、電源もシャットダウンされてしまう。ロッドに指を触れると、少し温かさを感じる。
 機関車を重ねたタオルの上に倒し、ロッド廻りを溶剤スプレィで洗う。溶剤は黒い粉とともに下に落ちる。白い紙を敷いて置くと、どれぐらい出たかよくわかる。ガーゼで溶剤を拭き取り、ヘアドライヤで乾かす。自然乾燥すると、気化熱で水滴が付くからである。
 ベルハンマーを細い棒に付け、クランクピンの隙間に吸収させる。3条ウォームのおかげで手で動輪を廻せるから、こういう時は楽だ。すべてのピンに注油し、スライドするピストンロッドや弁棒にも潤滑油を注す。 

 これで完了である。走らせると、電流値は激減する。8Vで平坦線を巡航させると、軽負荷であるから0.3A程度になる。以前は0.5Aほども喰ったのにである。効果はあるが寿命が短いのには困ったものだ。
 この調子では博物館の開館後は、毎日2回ないし3回の洗浄、注油が必要である。 

2016年01月16日

続 installing ball bearings

 コメントやメイルを数多く戴いたので、予定を変更して、この話を続けたい。ほとんどのことはコメントで言い尽くされているが、少しばかり追加をさせて戴く。

 軸箱の内側にフランジ付きボールベアリングを入れると、荷重中心と、ベアリングの球の中心がずれているので、インナレースにねじ曲げる力が働く。
 たとえば、壁にボールベアリングが嵌まる穴が開いて居て、そのべアリングに軸を通し、その軸にぶら下がることを考える。ぶら下がりながら軸を廻すとどうなるだろう。壁の穴が精密にできていれば良いが、少し大きめであると、アウタレースが変形する。そのうち球が飛び出しておしまいである。また、廻すとゴロゴロする。球はいくつかしか入っていないので、その球が廻ってきたときは少し持ち上がるのを感じるだろう。

 今野氏はフランジ付きを入れられたことがあるのだろうと推測する。HOのロコで軸が非可動なら、なんの問題もない。軸が台枠に対して垂直を保っているからだ。可動軸箱ではまずい。二つずつ入れるべきだ。フランジ付きがいけないとは言っていない。ボールベアリングの位置がおかしいのに、「それでよい」と開き直ることは感心しないと言っているのだ。

 筆者の機関車や祖父江氏による改造を受けた機関車は、動軸が左右つながった軸箱を持つ。軸箱には二つ入れるのが原則だ。しかし、輪重が1N程度のテンダ台車は、一つずつしか入れていない。しかし、それらは、荷重中心に置いてある。これこそが、「模型的には」正しい方法だ。軸重の大きい従台車や、ディーゼル機関車には二つずつ入れてある。

 実は先回の文中、「模型的には」の部分を、正確に書いておいた。その言葉を聞いた瞬間にこれは面白いと感じたからだ。コメントを読むと、読解力の良い方がいらしてそれを感じ取られたことが分かった。
 筆者は重負荷で長時間の運転をすることを念頭に置いている。趣味であっても、である。たまにある運転会で、エンドレスを一巡りしておしまい、の人にはご理解戴けない部分なのであろう。
 せっかく精魂込めて作るのであるから、大した手間でもないので、少し工夫をされてはどうかと思うのである。以前見たものは、軸がベアリングの中をするすると左右に動き、軸端が軸箱に擦るようだった。これはまずい。
 軸は段付きにして、左右に動かないようにしたい。特に先輪は復元が効くように、ガタを最小限にしたい。

2016年01月14日

installing ball bearings

ball bearings on crankpins ロッドにボ−ルベアリングを取り付けるには、大きさが限られているので、クランクピンを細くせねばならない。それともう一つ気を付けねばならないところがある。
 近代機(UP4-8-4 や ナイアガラ等)はロッドに関節がなく、クランクピンのところで、二本が重なっている。ここにボールベアリングを入れるには複列にせねばならない。すなわち、ベアリングを中空軸でつないで、その中空軸の外で折れるようにするのである。

 この中空軸は、当初ブラスのパイプで作るつもりであった。祖父江氏にそれを伝えると、
「パイプは快削じゃねえから、リーマが通らないぜ。」と言われてしまった。
 確かにその通りで、仕方なく、快削鋼を削って作った。内側にshoulder(堰)をつけて、ベアリングが離れているようにした。後から考えてみれば、パイプの輪切りを入れれば済んだかもしれない。
 その中空軸は片方のロッドにはハンダ付けされ、他方はかぶせてあるだけである。動軸の動きで生じる多少の捻れを吸収できるようにしている。 末端は一つだけだが、力の掛かる中心を外さないようにしている。

 効果は抜群で、素晴らしい走りを示した。効率が重負荷でも下がらないのが良い。もっとも、そんな重負荷を楽しんでいる人など、世界中で一人なのかもしれないが。

 中空軸の外側の端には、フランジ付きを使うともっと簡単だったろう。フランジ付きはあまり買ったことがない。軸上に荷重が掛かる時にベアリング上に掛からねばならないので、奥のほうに入れる必要があるからだ。

ball bearing with flange 最近、某XXゲージの人たちから、「フランジ付きのベアリングを分けてくれないか。」という問い合わせがあった。持っていないので要請に応えることはできなかったが、何に使うのか聞いてみると、軸箱に使うのだそうだ。
「そんな使い方は間違っていますよ。」
と言うと、
「模型的にはこれでよい。」と言う。

 指導的な立場にある人がそんなことを言うので、とても驚いた。短時間なら壊れるまでは行かないが、長時間負荷をかけて走らせると確実に壊れる。走らせた距離が短くて、壊したことがないのだろう。
 本物の構造はどうだ、こうだと言っている人たちなのに、こういうことには無頓着なのだ。

2016年01月12日

効率

 レイアウトで走行中の列車を見て、その電流の少なさに驚いた友人がいる。「常識では考えられない値だ。」と言う。筆者はそれが当たり前の状態を30年も続けてきたので当然だと思っていたが、彼はとても驚いていた。
「いったいどれくらいの効率なのだろう。」
「普通の市販の機関車は5%から10%くらいのものらしいよ。」
「それじゃこれは?」
「3、40%くらいじゃないだろうか。」
「すごいね。測ってみたいな。」

 模型蒸気機関車の効率はどれくらいなのだろう。dynamometer carをまだ作っていないので、いくつかの次元を測定せねばならない。線路が目の高さだから、ついて歩いて調べる。

114_4407 バネ秤で引張力を測定しつつ、速度を計測するという面倒なことをせねばならない。しかし、走行が非常に安定しているので、引張力と速度は別々に測定しても変わりがない。
 AC9単機での平坦線での最大引張力は8.5 Nであった。1.55%上り勾配上ではやや減って、7.8 Nほどであった。
 その坂で103輌引張る時の引張力は5.5 Nほどである。写真は止まっている時のもので、走っているときはもう少し大きい。速度を掛ければ、テンダ後端での出力が計算できる。実物は、drawbar pullという言葉のように、テンダなしでの値を調べる。テンダは死重だ。 

 供給電力を求めて、それで出力を割ると効率が出る。AC9は18%、Q2は25%ほどであった。もちろん、このデータには機関車そのものを持ち上げるのに必要な出力が入っていないので、平坦線で測り直さねばならない。おそらく、AC9で24%ほど、Q2では32%ほどになるのだろう。意外と低い。

 重負荷下での測定であるから、摩擦が多い可能性がある。特にロッド廻りの摩擦が無視できない。潤滑が大切である。これらの機関車にはクランクピンにボールベアリングが入っていない。最近はやりのベルハンマという潤滑剤を、K氏から紹介されて使っているが、かなり優秀である。普通のエンジンオイルによる潤滑時より、電流値は1割下がる。しかし、摩擦はまだまだある。軽負荷時の測定であれば、この部分の摩擦が小さいので、良い値が出やすい。
 筆者のUP4-8-4にはロッドにもボールベアリングが入っているので、重負荷でも効率が常に50%を切らない。モータも優秀である。出力11.5 Wのモータの3割以下の出力で走るので、モータ自身の効率も良いということもある。

追記
 Q2は42%と算出された。客車の室内燈の消費電流を計算するのを忘れたことが判明した。


2015年11月11日

C62の牽く列車

 K氏のお宅で、I氏の列車を見た。I氏はお祖父さんが教科書に載るくらい有名な家に生まれた方で、椙山氏とは中学以来の友人であった。カツミの近くの学校に行っていたので、頼まれてたくさんのカツミ製品を、帰省のたびに持って帰ったそうである。数年前に亡くなった。

Mr.I's train この写真はI氏の作品である。昭和26年ころの東海道本線を走っていた、C62の牽く客車群である。素晴らしい仕上がりであるが、すでに接着剤が劣化して、下手に触るとばらばらになりそうである。
 K氏の説明によると、客車の転がりが良くなく、ほとんど惰性がなかったそうである。それを牽くために機関車はあらん限りの補重をして、摩擦力を稼いでいる。ところがその重さで機関車の軸受けが磨滅して、がたがたになったということである。ブラスの軸とブラスの軸受では持たない。せめて軸を鋼製にしておけば、磨り減ることもなかっただろう。

 良い車輪、良い軸受けがなかった時代で、致し方ないが、残念である。機関車は細かく細工が施してあり、実感的である。

 K氏は、「いずれ、これらも全てお宅の博物館に行くように手筈を整える」とおっしゃった。大変なことになった。まずこれらを収納するガラス棚を増やさねばならない。また、走るように改装もせねばならないだろう。機関車のフレームは、厚板をフライス盤で加工して加工せねばならない。軸をボールベアリングで受ければ、とても軽くなるだろう。モータは「スーパー20」と称する直捲モータである。コアレスモータに取り換えねばならない。
 最近オークションでそれを標榜するマグネット・モータが高価で出品されているが、完全な誤りである。客車もいったん分解して、接着剤の浮いているところは外し、優秀な接着剤で留め直す必要があるだろう。

 筆者が高校生の時、I氏にはよくお目に掛かり、親しく声を掛けて戴いた。尊敬すべき大先輩であった。
 

2015年10月18日

牽引力

 最近、牽引力を測定する場面に遭遇した。車輪の回転により、スリップする瞬間の摩擦力を測定する。それで良さそうに見えるが、ここには大きな問題がある。牽引力は平坦線で問題になることは少ない。勾配での牽引力こそが問題になるのである。

 高校の物理で習った通り、動輪上の重量と摩擦係数との積が牽引力だ。しかし勾配では、機関車自身を持ち上げなければならないから、やたらに補重すると牽引力が損なわれる。 

 要はたくさんの貨車客車を牽きたいのだから、牽かれるものを整備するのが先決だ。台車をばらして軸受を洗い、良質の油脂を満たす。ジャーナル部はできる限り細かい研磨紙で磨き、ぴかっと光らせる。良く洗って砥粒を除き、再組立てすると、驚くほど良くなる。
 軸受から音がしているような状態で走らせる人がいるが、それでは無意味だ。

 機関車はスリップする程度に補重するのが望ましい。スリップしないとモータが焼けてしまう。動軸、先従輪の軸受には十分注油する。それだけでも性能は大きく変わる。
 日本で生活していると、注油と云う操作を忘れてしまう。アメリカ人は、日本人よりはるかに注油の重要性に気が付いている。いたるところに潤滑油の容器が置いてあって、それを注す。車庫の扉は大きく重い。それに注油するのをサボると、モータが焼ける可能性があるのだ。

 翻って日本の実情だが、駅に乗り着けて置いてある自転車のチエンを見ると、油が切れているものが大半だ。どうして油を注さないのだろう。すぐ磨り減るし、音がして気持ちが悪い。重くて疲れるだけである。これが日本の模型の状態を象徴しているように見えてならない。
 
 牽引力を調べるには、実際の勾配上で、ダイナモメータで測るのが良い。もちろんテレメータ(遠隔計測)にすべきだ。現在の日本には、これに必要なものは全て市販されている。HOサイズであっても収まるはずだ。
 

2015年09月04日

machine shop

machine shopmachine shop 2 もう一つの大きな建物が machine shop である。ここでは機関車の動輪を抜いて嵌め替える作業をしていた。背の高い部分は走行クレインが取り付けられた部分である。その他の部分には車輪旋盤などが据え付けられていたはずだ。
 入り口にはEvanston Machine Shopと書いてある.
machine shop 3 内部を見てみよう。この写真の扉を開くと、扇形庫を経て、ターンテイブルに至る。引き込まれた機関車は1軸ずつピットで動輪を下に抜き取られて、横に移動させ、輪軸を解体する。 天井走行クレインのレイルが見える。

machine shop 4 反対側を見ると、手動ホイストが残っている。この扉を開けて、反対側にも出られるようになっている。こちらに出ると操車場につながっている。

 この建物は、訪問当日、何かの演奏会場になるようだった。中にいた人は突然日本語で話しかけてきて驚いた。横須賀に10年もいたそうだ。ユル・ブリナに似ている人で、それを言うと、Magnificient 7(荒野の7人)の話から三船敏郎の用心棒の話になり、盛り上がった。日本映画をたくさん見ている。
「エヴァンストンは初めてか?」と聞くので40年前に来たことがあると言うと、とても驚いた。「その頃はこの地方には日本人はほとんどいなかった。ましてや学生なんて・・・」




2015年09月02日

power house

roundhouse01roundhouse02 扇形庫の裏に廻ってみた。これが完全に修復されるのには、かなりの資金が必要だ。10年後に来てみようと思った。


power house 2
 扇形庫から、power house (発電所)を見ている。 この発電所は蒸気エンジンで発電していたらしい。のちにディーゼル発電機になったのだろうが、いずれにせよ、外部からの電力供給がなされた後は用済みとなった。
 格調高い建物である。その昔には高い煙突があったのだろう。蒸気機関車の時代にはボイラで蒸気を作り、機関車のブロワを効かせていた。着火時とか、煙室の掃除の時には蒸気が必要なのである。
power housemachine shop 5 側面から見るとこのような具合である。中身が空っぽなので面白くないが、いずれ何らかの施設になるのだろう。
 途中にこのような鉄骨があった。ホイストを取り付けて、何かの重量物を持ち上げたのだろう。詳しいことはわからない。






2015年08月31日

turntable

turntable ターンテイブルは整備されたばかりだ。 手すりが付いているということは、観客を乗せて廻ることがあるのだろうか。



turntable 3turntable 4 動力は電動油圧モータである。三相電動機でポンプを動かし、油圧モータを作動させている。回転方向制御、速度調節が容易で、起動トルクが大きいからであろう。
 駆動輪に掛かる荷重を大きくするために、コンクリート製の錘を載せている。
turntable 2turntable 5turntable 6 これが全体像である。塗装が綺麗で驚いた。中央部は剛構造であるが、上に引張りを受け持つリンクがある。
 ということは、センタで荷重を受けるということである。 

 短いが、これでチャレンジャを廻すことができる。もちろん、テンダの一部をはみ出させ、後ろ2軸を楔で持ち上げるという離れ業である。センティピード台車はイコライザ可動範囲外で底突きするので、このようなインチキができることがわかったのだ。いわゆる現場知というもので、最初からそれを狙って設計したのではない。

2015年04月30日

続 Harmon の入賞

 何人かの方からもお知らせを戴いた。
 Harmonの作品の大きな写真が The O Scale Resource という雑誌に載っている。

 この雑誌はWeb上でのみ読めるもので、無料である。広告料だけで運営されている。筆者の考える最終的な雑誌の形である。写真もきれいで、60ページ以上もある。中身も濃い。Resourceという言葉はふつう、資源と訳されるが、そう意味ではない。必要な時に役に立つ助力 a source of aid or support that may be drawn upon when needed という意味だ。

 筆者の3条ウォームギヤとかLow-D車輪の原稿を頼まれているのだが、博物館が忙しくてなかなか書けない。
 Harmon は最近のシカゴのショウで入賞し、なおかつBest in Showという最高賞まで与えられた。どうして一等にならなかったかが不思議だが、おそらく塗装がきれいだったのだろう。投票結果は接戦だったようだ。筆者も行って投票すれば良かったと思う。
 45ページの解説に、ハーマンは成功している農家で、夏の間は忙しい。製作は冬の期間に限られる。製作期間は15年以上とある。今度会ったら何と言ってあげようかと思っている。

 この雑誌の先号に電池動力のラジコン機関車の話がある。23ページである。少々ややこしいが、面白い方法である。筆者がやるならもう少し簡単にしたい。

2015年03月21日

Harmonの入賞

 Harmonの作品がシカゴのコンテストで一等になったそうだ。当然であろう。ここしばらく会っていなかったので、進捗状況を掴んでいなかった。素晴らしい出来である。

Harmon Monk’s EngineBest of Show 写真は1枚しか公表されていないので、細部はわからない。テンダが美しい。 いずれ、他の写真も発表されるはずだ。



 テンダの車輪にはLow-D車輪が使われているはずだ。詳しいことは分からないので本人からの連絡を待っているところだ。

2015年01月31日

PRR T1

PRR T-1 Konno氏が目ざとく見つけられたPRR(ペンシルヴェイニア鉄道)のDuplex(双子という意味)である。ショウケース内の位置を変える時に外に出したので、写真を撮ってみた。
  素晴らしい機関車である。日本製であるから、ハンダ付けが確実で外れないのが良い。当初、この機関車の動力装置はアメリカ製で、アルミブロックをフライスで切り出したボールベアリング入りのギヤボックスが付いていた。動きはいま一つだった。どういうわけか、固いのだ。多分グリスが粘いのである。モータの出力の半分が失われてしまう。祖父江氏に2モータ、三条ウォームに改造してもらったのだ。押すと電灯が点く。

Tsuchiya  遠くに土屋氏の写真が置いてある。土屋氏のお気に入りの機関車であった。
 図面等はアメリカから提供されているので、正確であるが、メカニズムには理解できない点がある。どういうわけか、テンダ台車は2軸ずつイコライズされていて、バネがない。4点支持なのである。機関車も動軸2軸づつがイコライズされているが、バネが入っている。それはよいが、先台車、従台車はバネで軽く押さえてあるだけで、先輪としての役割を果たしているかは疑問である。

 筆者がアメリカに居たときに、購入して日本に送った。日本製の刻印が打ってあるのに、税関で高い税率を掛けられた事を思い出す。結局は安くなったが、その時のやり取りが面倒で、思い出すと気分が悪くなる。

 思えばたくさん購入して送ったものだ。当時はアメリカが不況で、このような嗜好品の価格は相対的に安かった。調子に乗ってたくさん購入して送ったら、「アメリカの中古市場の相場が上がった」と、ある友人から文句が来た。値切らずに買ったので、「日本人は物の買い方を知らない。迷惑がかかるから値段交渉をせよ。」と言って来たのだ。
 バブルの絶頂期のことである。


2014年12月13日

San Francisco Overland

SFO Overland Ltd この絵は30年ほど前、K君が描いてくれたものだ。当時、80坪の部屋を格安で借りていたことがあり、Oゲージの運転会をした。彼は筆者の重連を見て、描きたくなったのだ。資料として、”Sherman Hill” という本を渡し、その中の写真を元に構成してくれたものである。

 博物館建設を機会に新しい額に入れて、キャプションも更新して、飾った。照明の関係で、色再現が良くないが、実物はすばらしい。

 1946年当時、ヘヴィ・ウェイトの客車を中心に構成された特急で、重いので重連で牽いていた。すばらしい光景であったろう。Tom Harveyのお父さんが機関士をしていたはずである。
 この列車は、27列車と言う番号が振られている。1-27というのは、その第一セクションである。すなわち、続行運転をしていた。2-27とか、たまには3-27もあったらしい。列車間隔は30分程度だと聞いたが、詳しいことはわからない。
 当時は対日戦争が終了したばかりで、西海岸までの旅客需要が非常に多かったので、このような運転形態を取った。 

 キャブの側壁最後端にはスモーク・シールドが付いている。Smoke Shieldとは、煙突から飛び出す不完全燃焼の石炭ガラがキャブ内に巻き込まれるのを防ぐために取り付けられた板である。キャブの天井には三重に付けてある。
 筆者の機関車にも付いている。展開図は扇形の一部で、正確に切り出して作るのは、むずかしい。筆者は帯板を丹念に叩いて片方だけ伸ばし、屋根にぴたりと合うように円弧を作った。
 加工硬化しているので、重い機関車を天地逆に置いても、シールドが曲がることが無くて、好都合だ。もちろん、屋根の孤に合わせて、隙間なくハンダ付けしてある。

 1948年ころにはかなりの機関車から、シールドが外されている。炭鉱ストで重油焚きに改造されたからだ。重油を燃やす時にはシンダが発生しない。



2014年07月12日

続 転車台

 現在製作中のものは35mmステンレスシャフトの下に300枚歯の特大平歯車を付けてある。それを駆動するピニオンのガタが許せないので、バックラッシを消す工夫(トヨタのエンジンのDOHC駆動メカニズムに似ている)を付けるつもりで図面も描いてある。本当はそれを使って、
16348分割のロータリィ・エンコーダで位相検出をするはずであった。いくつかの特殊部品は友人に貰ったものである。

 ところが、DCCのレイアウトをいくつか見るうちに、自動停止とか、目的のところまでの自動運転に興味が失せてしまって、そのまま何年も放置してある。

 現在の目標は、目的の位置まで行ったら、レイルの内側にぴったり嵌る板をキィとしてロックすることである。前後の板が出入りするようにする。バネで保持すると、目的地に近づいたときに少し出せば、パチンとロックされる。クラッチ付き動力で弱く結合しないと、めりめりと壊れそうである。
 その板は絶縁材料で作らないと短絡してしまう。エポキシ基盤の銅を一部剥がしたものを使う予定である。

 先日のレイアウト・ツアで同行のK氏が、アメリカでのターンテイブルの作り方を話された。ヘッドホン・ジャックを使う話である。これはMRなどでは何回も紹介されている話であるが、日本では知っている人は少ない。回転しても導通は保たれるし、接点も自然に3本付いているから便利だ。

 さて、次に作る転車台はどのような構造にするか、全く決めかねている。出来れば、イコライズしてある4輪台車2組を再現したい。しかも本物のようにそのうちの一部を駆動輪としたいのだが、実際には無理だろうと思う。摩擦がとても足らない。
 実物は橋自身の重さで撓んで接触が保たれるが、模型では剛性が強過ぎる。思い切って折れる構造にするという手もある。


2014年03月25日

機関士人生

 川端氏から2枚のCDを送って戴いた。
 1枚目は名古屋機関区のお召し列車の機関士であった伊藤 実氏を椙山 満氏が招いて、談話会を開いた時の録音である。C52が関ヶ原で、中央シリンダのコッタ・ピン脱落で脱線事故を起こした話とか、グレスリィ弁の水平クランクの中心のボールベアリングから玉がこぼれる話など、信じられないほど面白い話があった。
 C52は、名古屋機関区に集中的に配置され、そののちはC53の初期ナンバー機が大量に居たということだ。新型機の実験場のような雰囲気で、日本で最も先進的であったという。「いや、東洋一の…」という言葉が出るところが当時の人たちの意識だったのだろう。
 C53のテンダの水が少なかったので、容量が増えたものも作られたようだ。その3トンの違いが、大きな違いをもたらしたと言う。
 名古屋から沼津まで240 kmを早くて3時間強、遅い列車は4時間半乗務して、2時間半の休み時間でまた折り返して帰るのだそうだ。同じ機関車に同じ乗務員が乗るようにしていたらしい。その休み時間に飯を食い、機関車の点検をするので、実質の休みは1時間ほどしかなかった。

 もう1枚は、NHKラジオのラジオ深夜便という番組で、ディレクタの質問に答える形で川端氏が語っている。あらすじは先回紹介した。機関士と機関助士は強い絆で結ばれ、親子、兄弟、夫婦のようなものであったという。
 機関士の娘は機関助士と結婚する例が大変多かったそうである。いつも一緒に居ると人格が全部見えてしまうので、「こいつならいい。」と家に呼んで御馳走し、それが見合いになっているという話だ。川端氏は「私はそうではなかった。」と念を押していらした。

 筆者はアメリカの機関士を何人か知っているので、彼らの話と照らし合わせると、共通するところも多々ある。しかし、狭軌の機関車を少ない石炭で効率よく走らせる技量というのは、アメリカ人にはとても理解できないだろう。


2014年03月23日

川端新二氏との再会

川端新二氏 そのお別れ会で思わぬ方と再会した。
 川端新二氏にお会いしたのは35年ぶりである。椙山満氏の御紹介で2度お会いしている。

 吉岡利隆氏は学生時代に川端氏と知り合い、お宅に泊めて戴くことが何回かあったらしい。川端氏のお子さんとのやり取りの話を聞かせて戴いた。
 吉岡氏が拙宅に逗留されたとき、「元機関士の方に会いたいので、行きたい。」と仰った。「その人はひょっとして川端さんじゃないか?」と聞くと、「えっ、どうして分かったの。」と驚かれた。
「この近くで有名な機関士は川端さんだからね。」と言うと、ますます驚いて、「よし今度一緒に行こう。」と約束した。それも叶わなかったが、こうしてお別れ会でお会いすることが出来た。


 川端氏は昭和40年頃「暮らしの手帖」誌に機関士の人生について複数回投稿していらした。高校生の時、母が「ほら、機関士の人の話が出ている。」と記事を見せてくれたので、お名前をよく覚えていた。
 
 川端氏が機関士としての職務、エピソードを語るのを、末席で聞かせて戴いた。すばらしい記憶力の持ち主で、当時のことを極めて正確にお話しになった。いずれ御本を書かれるのだろうと思った。

 最近出版された本では、「ある機関士の回想(イカロス出版)、「15歳の機関助士(交通新聞社)がある。どちらも素晴らしい本で、当時の躍動感が伝わって来る。まだお読みでない方は、お勧めする。特に後者は電車の中で読むと、内容に没入して目的の駅を乗り過ごしてしまうタイプの本である。このような本は珍しい。

 井上豊氏は川端氏のお師匠さんであったそうだ。川端氏によれば、井上氏は見かけの豪胆さとは違って、極めて慎重な人であったそうだ。給油機に油を注ぎ、油面を点検して機関区の詰め所に戻る。川端さんに「帰ってよし」と言ってから、再度機関車に戻って油面を確かめる様な人であったという。これは意外な一面であった。

「15歳・・・」の本に出てくる数学を教えてくれた先輩機関士とは、井上豊氏のことであった。


dda40x at 03:23コメント(0) この記事をクリップ!
Recent Comments
Archives
Recent TrackBacks
Categories
  • ライブドアブログ