蒸気機関車

2020年05月23日

続々 Heavy Pacific

2 pacifics (3) こんなに軽そうでも、Heavy Pacific の仲間に入れることになっている。それは動輪径で分類しているからだ、という。軽いヘヴィ級なのだ。Light Pacific は動輪径が 73 インチ(1854 mm)を指すらしい。

2 pacifics (1) 日本で言えばC51だろうか。軸重は軽く、25トン弱である。ボイラは、ATSF3400クラスと比べると、情けないほど細い。罐胴の体積は半分ほどだ。

2 pacifics (2) 汽笛はキャブの前にあるが、反射板を付けている。煙突は太い。いわゆるSweeney Stackである。このスウィーニィ氏はバーリントン鉄道の技術者だったそうで、それがどうしてUPで採用されたのかがよく分からない。
 UPは機関車の出力を上げるには通風を良くすることであることを知り、ひたすらその路線を歩んだ。大口径の煙突を付け、ノズルを調整して、煙がよく吹き上がるようにした。煙室を長くするのも、火の粉止めの工夫の一つである。それにしてもこの煙突は大きい。

 テンダは細く小さい。これではすぐ水が無くなりそうだが、走らせる線区には水が豊富にあった。台車をばらして車輪を取り替え、ボ−ルベアリングを入れた。これも0.2%勾配を勢いよく転がり降りる。
 UP本線は山岳路線であったため、Pacificを本線上では殆ど使わなかった(平坦な支線では多用している)。旅客列車の牽引にはMountain 4-8-2 を使用したのだ。のちに大動輪のNorthern 4-8-4の天下となる。

 その後の韓国製の機関車を見たことが無いが、改良されていると信じたい。この機関車は、とても走るとは言えないものだった。走らせているうちに部品がぽろぽろ取れ、それがひっかかって急停止という状態であった。ボイラのハンダ付けは稚拙で、すべて補強を当てて作り直した。キャブ内のディテールだけは、必要以上にあり、位置を修正するだけで使えた。カウキャッチャの鋳物は使ったが、それ以外のフレイムはすべて新製である。


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2020年05月21日

続 Heavy Pacific

UP 2888 (1) ATSFを塗っている時、ガラス棚の反対側にあるパシフィックも塗装できる状態であったので、ついでに塗ってしまった。これは韓国のAjinからサンプルで貰って、それを完全に作り直したものだ。駆動方式のみならずフレイムを切り落として、棒台枠を新製した。従台車のイコライジングも見かけだけでなく、ある程度それらしく動かしている。この改装後、見せてやったら声が出ないほど驚いていた。

UP 2888 (2) 彼らは蒸気機関車の構造を知らないのだ。横から見た写真だけで作っているので、従台車へのイコライザがどんな形をしているのかわからなかったのだ。
 内側台枠から外に出るのだから斜めに付いているのだが、怪しい板を途中でぐにゃりと曲げて売っていたのには失望した。また、それは途中で切れていた。
 走らせて見せた時の彼らの驚きようは、ビデオに撮っておくべきであった。押して動くということの重要性が分かったのだ。その時前照灯が点いたので、それにも驚いていた。

 そのあとでアメリカのインポータに見せたらしいが、彼らは全く評価しなかったそうだ。Tom Marshはそういう人らしい。ディーゼルは大好きだが、蒸気機関車には興味が無いのだ。 

 メインロッド関連部品を、ある理由で作り直している。外した状態で撮ったので、いずれ写真は取り替える予定である。炭庫の側面の汚れは写真を見て付けてみた。単なる試しであって今後どうなるか未定である。機炭間のdrawbar pinが光っているのは許せない。

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2020年05月19日

Heavy Pacific

 このパシフィックのボイラは国鉄のC59よりもはるかに太い。C62を腰高にしてパシフィックにした感じだ。

ATSF 3420 (1) このATSFの3400クラスは、1919年製造の中古を1936年に完全にリビルトしたもので、殆ど原型をとどめていない。ボイラを替えて圧力を上げ、シリンダと台枠を一体鋳造し、剛性を高めている。動輪は新設計のディスク車輪だ。機関車のみで154トン、軸重は32トンほどもある。テンダは新製で、当時としては超大型であり、満載時180トンもあって機関車より重い。砂漠地帯で重急行列車を、高速で牽くことが目的であった。

ATSF 3420 (2) 煙突は延長が可能である。今回塗ってしまったのは、この煙突がネジ一本で取り外せることに気が付いたからだ。もしやる気になったら、そこだけ作り直して、延長煙突を可動にすることができる。

 アチソン、トピーカ & サンタ・フェ鉄道では煙室にもジャケットが巻いてある。即ち、罐胴に巻いてあるのと同じ色で先端まで仕上げている。煙室戸だけが耐熱の銀灰色のグラファイト塗装だ。この部分は、時期、線区、機種によってさまざまな仕上が施してある。銀色や真っ白のもある。白くすると目立ちやすく、事故を防ぐと信じられていた。煙突はジャケットを被っていないので、グラファイト色である。まだ、あちこちタッチアップをせねばならないところがある。ナンバ・ボードに数字を入れねばならない。

 車輪の裏まで塗ってあることに、注目願いたい。ここが白いと、おもちゃっぽく見える。汽笛は高いところについている。もちろん助士席側だ

 ディカルを貼って、仕上が施してない状態で撮ったので、部分的に妙な艶がある。いずれまともな写真に取り換える。


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2020年05月13日

トルクアーム、トルクチューブ、吊掛け式

 コメントが多いので、予定を変更して稿を起した。

 吊掛け式は、トルクチューブの先端に剛の状態でモータが付いていると考えられる。そしてそのモータの一部を、僅かの自由度を与える方法で(ゆうえん氏は両面接着テープで)フレイムに取付けている。要するにモータ軸の延長線に対して垂直の動輪軸が、減速装置を介して廻るだけ、と考えることができる。その動軸が、バネその他の懸架装置で、レイルに押し付けられている。

torque tube 左の写真のトルクチューブはその先端が一点で固定されている。SKT氏の指摘通り、長孔があり、多少の伸縮(チューブが斜めになっているから)があっても逃げられるようになっている。この方法ではモータは固定できる。これはOスケールではありがたい。モータは350 gもある。そのモータが吊掛け式で動くと壊れやすい。また吊掛け式ではモータ固定ネジが、軸方向から締められるので、どうやって締めるべきか、設計に苦労する。また、吊掛け式ではバネ下質量が大きいから、軸重は均等にはならない。即ちレイル接続部を渡る音が、同じ音ではなくなる。

 トルクアーム方式は機種ごとにトルクアームの位置を考えねばならない、ところがトルクチューブはすべて共通部品で済む。モータ軸とドライブシャフトとはほぼ同一直線状にあれば良い。ルース・カプリングを介して付ければ、全く無調整でよく走る。トルクチューブには簡単な腕を付け、その先端にはピンを差すようになっているだけで、とても簡単である。モータ・ブラケットに小さな腕をつけたのは祖父江氏のアイデアである。これは優れたアイデアで、簡単に、かつ確実にできるので、量産には都合が良い。筆者のプロトタイプは、配線用のゴムのグロメットで承けたが、これでは経年変化が無視できない。10年でパリパリになったので改装した。

 この駆動方法は、祖父江氏が改造して世界中に出て行った1000輌のほとんどすべてに使われている。即ち、Sofue Drive である。

 愛読者氏のコメントで質問されているフレイムが曲がる話は、ギヤボックスや反トルク受けとは全く無関係の話である。おそらく、高ギヤ比の減速装置の付いたモータを取り付けたが、動輪が何らかの原因で廻らなかっただけのことである。単なる勘違いであるので、削除した。


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2020年05月11日

続々々々々 ATSF Heavy Pacific

 本物では、インジェクタなどの補機類はどこに付いているのだろうか。たいていは運転室床下にある。機関士が手を伸ばしてレヴァを引き、あるいはコックを開き、作動させる。インジェクタは配管だけでぶら下がっているのではない。配管だけでは、振動で折れてしまう。大型機のインジェクタは重い物である。最低100 kg、大きいものは300 kgほどもありそうだ。垂直荷重の大半はフレイムから生えた支え(stay)で持つ。配管には殆ど力が掛からない。ステイは垂直方向にもある。三角形にして重さも受け持つようにしたものもある。また、Uボルトでインジェクタを押さえたり、インジェクタそのものに取付ボルトがあるものもある。

 模型では、インジェクタはキャブに配管だけでぶら下がるものが、ほとんどだ。だから塗装などで上下分解すると、上廻りをインジェクタで支えるような置き方になる。HO 以下のサイズなら、さほど問題にはならないかもしれないが、Oスケールの大きさであると、これは 大きな問題である。上廻りをどうやって置くべきか、考えねばならない。事前に台を作ったりする。そのまま置けば、インジェクタが曲がってしまったり、配管が折れたりするからだ。

injector suppoert (1)injector suppoert (2) 今回は火室底板に付いている配管を延長し、インジェクタまで一体にした。インジェクタには支えをハンダ付けし、フレイムに作ったネジ穴で固定することにしたのだ。2箇所留まっていれば安定する。

 このやり方は祖父江氏と何回か相談したことがある。どうすれば実感的で、しかも壊れにくいか、だ。今までは、キャブ床板からステイを下に延ばしたものが多かった。これは実感を損なうし、弱い。今回のやり方でいくつか作って検討してみることにする。

  既製品であるので、寸法を出すのが難しい。配管だけで浮かしたものに、フレイムにネジ留めしたステイを接触させ、その先に炭素棒でインジェクタをハンダ付けした。こうすれば位置は必ず合う。 そうしておいて外して洗う。

 塗装はばらばらの状態で行い、組んでネジを締める。あちこち触っているので塗装は傷だらけだ。後でタッチアップする。裏面だから見る人はいないが、気にする人もいるからだ。

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2020年05月09日

続々々々 ATSF Heavy Pacific

torque tube 動力部分を示す。過去に何度か触れたトルクチューブである。これは筆者の発案で、祖父江氏が全面的に採用したメカニズムである。ギヤボックスから生えた剛性のある円筒の後ろをピンで支える。発生するトルクは、そのピン一本で受ける。ギヤボックスは自由に動くので、サスペンションに何ら影響を及ぼさない。トルクをリンクで受けるのも良いが、そのリンクは意外に目立つものである。トルクチューブは目立ちにくい。

 この種の反動トルク受けは実物にとっては大切な機械要素であるが、そのスケールモデルと称する模型に正しく付いているのを見ることは、まれである。TMSの記事で出現確率を調査されると面白いと思う。コンテストの入賞作品でさえも、ついているものはまれだ。

 スリップさせながら(最大のトルクを発生)、フログなどの不整部分を通過させる時、バネ、イコライザの動作があっても、全く同じように引張力を発揮することが求められる。要するに動輪の上下動があっても、引張力が変化してはならないのである。これはサウンド装置を働かせながら、重列車を牽いてポイント上で起動するとよくわかる。

 ギヤボックスは負荷の大小に関係なく、自由に動かねばならないのだ。 

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2020年05月07日

続々々 ATSF Heavy Pacific

ATSF (1) テンダ床の補強工事をした。3/8インチ (9.5mm) のアングルを、全長に亘って貼り付けた。この厚みは1.3 mmであるから、かなり強い。要は前後の端梁付近が弱いので、衝突時の力を受けるようにしたわけだ。
 端梁は厚いブラス鋳物だから、それにしっかりとハンダ付けすれば、安心である。ハンダが廻るように傷をつけ、ブラスのネジで締め付ける。ガスで焙って持てなくなる温度(100 ℃くらい)まで予熱し、その上で炭素棒で短時間加熱すると、狭い部分だけを完全に融かすことができる。途中はネジで締めただけで十分だ。おそらくオリジナルの状態よりも丈夫になっている。

ATSF (3) 塗装をした。絶好の天気であった。前日に水洗いをして、風に当てた。特に錆取りはしない。ゴミとか埃が取れれば良い。下塗りをし、太陽を背にして裏側から塗り始める。最終的に金網の上に正置して、少しずつ回してどこにも塗り残しが無いように確認する。テンダは2つあり、これは慣性増大装置を付けない方の物だ。 
 背後から太陽光を受けると、塗り残しを発見しやすい。蒸気機関車のように凹凸が大きく、丸いものは難しいものだ。

ATSF (2) 今回はインジェクタの支えに工夫を施したので、それを塗るのに、少し手間取った。マスキングテープは銘版を隠している。これは”Product of Japan”の時代だ。その横の21という数字はこのロットの中の製造番号だろう。ボイラの中には祖父江氏の筆跡で番号が書いてある。
 不思議なのはその番号で、機関車は30、この灰箱下の板は21、テンダは22であった。もう一つのテンダは20だ。


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2020年05月05日

続々 ATSF Heavy Pacific

ATSF Tender (3) テンダの床板は1 mm板である。 フライスで切り抜いたら、前後方向の剛性が小さくなって、衝突時にめり込む可能性が出て来た。内側に厚いアングルを2本、全長に亘って貼り付けることにする。回転体を避ける位置である。前後の端梁は分厚くて丈夫なブラス鋳物であるから、そこにネジ留めしてハンダ付けすれば良い。前より強くなるだろう。

ATSF Tender (2) これは6輪台車である。砂鋳物でできていて、幅が広い。ジャーナル部がガバガバしている。これではボールベアリングが左右に踊ってしまう(ベアリングが見えている)。こういう台車のボルスタを幅詰めするのは面倒である。ネジ孔の隣に近接して孔をあけ直すのが難しい。M2のネジを1 mmずらすのはやりたくない。削るならたくさん削って孔一つ分ずらしたい。

ATSF Tender (1) ボルスタを片方からフライスで切り込んで、2mm狭くした。片方から削り取ると心皿位置が変わるが、今回はどうせその付近を削りとってしまうのだから問題ない(普通は対称的に両方から同じ量を削る)。ネジ孔は、ブラスの丸棒を突っ込んで銀ハンダで固めた。こうすれば隣に孔をあけても、ドリルが引き込まれない。台車の幅を絞ると、見かけがかなり改善される。模型の台車枠は厚いのだ。

 テンダの集電シュウは祖父江方式で前後の2軸から採っている。DCCの時の雑音を無くすには効果がある。左右の動輪と従輪から2極採り、テンダの場合前後台車で2極を採る。テンダ本体は機関車と同極性であるが、カプラは絶縁してある。いろいろな方法で試したが、この方法が、最も集電が良く、ショートが無い。

 台車ボルスタの心皿の周りは、ギヤボックスを収容するために四角の穴を大きく抜いた。ここに 2 mmの板を貼り重ね、ドライヴ・シャフトを貫通させるスペイスをボールエンドの刃物で削る。可撓継手のスペイスも要る。その 上に、さらに2 mm板を貼り重ねる。全体を厚板から作ると設計施工が面倒なので、よくやる方法である。銀ハンダを使えば、一体構造と同等の強度を持たせることができる。切り取るものは補強板を付けてからという原則を守ると、寸法の狂いが無い。合計でボルスタの最大厚みは7.5 mmになった。過去最高である。

ATSF Tender (4) 床板に台車を置いて位置確認をする。両端の軸からチェインで駆動するのは同じだが、スプロケットはギヤボックスの内側寄りであって、2軸目まで共通のドライヴシャフトである。その次に可撓継手が来て3軸目がつながる。ガスタービン機関車と同じ方法だ。簡単にして確実である。

 心皿高さは現行より5.8 mm高くなる。床板の上面とほぼ同じ高さになるが、心皿が邪魔なので別の方法を考えている。中央軸のギヤボックスの収容は大きな体積を必要とするからだ。
 先回のリンク機構は今思えば、ベストの方法であった。駆動軸を通すと心皿は邪魔である。今回もそれが気になっていた。ギヤボックスを偏心させ(中心に置かない)、センタピンを反対に置くという手もあるが、見た人が驚いて落とすといけないので、それはやめた。

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2020年05月03日

続 ATSF Heavy Pacific

 この機関車は場違いなところにあったのだ。東部の機関車は西部で、西部の機関車は東部で買うと良い、と言われていた。人気がない機種は、安く買えるということだ。サンタフェの機関車がニュー・イングランドにあっても、欲しい人などいない訳である。当時の相場としては900ドル位であった。その価格で出ていたが、誰も見向きもしない。売り主と話をすると、
「800ドルにするから買ってくれないか。」と言う。
「いや、こちらはアメリカ一周の旅行中だから、買いたくない。」と答えると、「最終日まで待って誰も買う人が居なかったら、600でも良い。」と言う。
「いやそれでも買いたくないな。」
「じゃ500でいいから。」と言う。その価格でなら魅力があった。

 そして最終日の夕方行って見ると、筆者の名前を書いた箱があり、小切手を渡してそれを受け取って来た。良い買い物であった。南部の友人を訪ねてから、自宅に帰って箱を開けた。驚いたことに、ACモータが入っていて、逆転スウィッチはキャブの中にあった。Max Gray時代の極めて初期のものだったのだ。それが安い理由であった。ニ線式であったのは助かった。帰国する時には錘とモーターは捨てた。それでも十分に重かった。
 祖父江氏に見せると、「参ったねー。こいつは古いよ。30輌位作ったかな。モータが入らないから、バックプレートを切り開いて、無理に押し込んだんだよ。テンダは重いよ。厚い板で作ったんだ。高くついたね。あとでUS Hobbies向けにも作ったけど、あれは薄い板で作ったから軽いよ。」と言った。
「煙突の裾はハンダの丸味だよ。プレス型を作るほどの数が無かったからね。あとで作った時はプレスになったな。」

pneumatic smoke deflector (2) バネを入れ、動力を改造して押して動くようにした。外装もかなり手を入れた。塗ってしまえば良かったのだが、ガラス棚に長期間鎮座していた。今回テンダを改造する予定だが、先に塗ってしまうつもりだ。本物の煙突は2フィート(61 cm)ほど折れて畳めるようになっている。それをやりたいのに、資料が見つからなかったのが、塗装が遅れた理由だ。DCCで畳めるようにしようと思っていたのだ。この図面がかなり近いと思う。

 実は、この機関車はもう一輌ある。テンダを手に入れたので、スクラッチからある程度作ってあった。並べると壮観だろうと思った。それは贅沢にもフル・イコライジングである。作りかけのまま、30年以上放置されている。スポーク動輪を他に使ってしまったのだ。今度作るときはボールドウィン・ディスク輪心にしたい。最近は3Dプリントでもできるから、試しにやってみたくなった。しかしタイヤを挽くのは大変である。快削鋼のΦ45を買ってきて削り出すのだ。ほとんど切粉になってしまう。昔は鋳鉄からも作ったことがある。鋳鉄製タイヤでは、牽引力は確かに増大するが、見た目が良くない。ステンレスのタイヤは許せない。色が悪いし、滑りやすい。快削鋼の色は素晴らしい。錆びると言う人がいるが、よく走らせていれば心配ない。
 精度の点ではタイヤだけは外注したいのだが、20枚程度では引き受け手がない。タイヤを研削する時に使うヤトイを作ってあったのだが、見当たらない。頑張って作ってみよう。 

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2020年05月01日

ATSF Heavy Pacific

ATSF Pacific Santa Fe鉄道のヘヴィ・パシフィックである。背が高い。動輪径は79インチ、2006 mmだ。古いパシフィックを大改造して作られた。大きな動輪に替え、ボイラを作り替えて圧力を上げて給水装置をElescoにした。筆者の好みの形だ。この機関車は、筆者としては珍しく完成品を入手している。1960年より前の祖父江氏の作である。

 1989年、アメリカ東部のOスケールのショウを見てみたいと思った。西部から車で何日も掛けて走り、あちこちで友人を訪ねながらメイン州まで行った。帰りにコネチカット州のスタンフォードに寄った。駅前のホテルでその模型ショウがあったので、Bill Wolferに頼んで、入場券を押さえて貰った。ホテルはマリオットで高級だが、参加者は安く泊まれた。すぐ裏に、St. John's Episcopal Church があり、そこの地下には巨大なOスケールのレイアウトがある。その大きさ、精緻さは全米で屈指のものである。

 物品販売しているテーブルはたくさんあり、手紙のやり取りで知っている人も多かったので、一つずつ訪ねて歓談した。中には金を払ったけど送って来なかった奴がいて、乗り込んで行って名乗った。非常に驚いて、「もうすぐ送るつもりだった。」と言い訳をした。「黙れ!さっさと商品を渡さないと主催者に言うぞ。」と怒鳴ると、慌てて渡した。もう廃業しているから名前を出すが、Sal Marino’sというイタリア系の店であった。何回か電話したが、ごまかすつもりで、でたらめなことを言っていた。まさか西部から乗り込んで来るとは思わなかったのだろう。啖呵を切る練習をして行ったので、うまく行った。そのせりふの手ほどきをしてくれたのは、Bill Wolferである。後ろで見ていてくれた。


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2020年04月29日

慣性増大装置付き機関車の増備

 今アメリカの複数のフォーラム(非公開サイト)で筆者のUP850が採り上げられている。Youtube を見て討論しているのだ。傍観しているが、いろいろな意見があって面白い。
 増速装置にウォームギヤを使っているとは思わないので、様々な想像をして、多段スパーギヤ + 食い違い傘歯車だろうと書いている。そんな歯車装置では、高価だろうし、多分すさまじい音がする。たとえウォームギヤが使ってあっても正しい歯型のものでないと無意味なのだが、そのあたりはあまり理解されていない。動けば良いというものではないのだ。高効率で静粛性を求めるには何をすべきか、ということは自分で計算をしてみないと分からないだろう。7軸の内、6軸から動力採取をしていることの意味は読み取った人がいた。これは嬉しい。
 そのうちに、誰かが3条ウォームを使っている筈だ、と言い出した。ここでも"3条"に意味があると思っている人が多いことがわかった。3という数字には意味はない。「互いに素」の組み合わせが相手が偶数でも作りやすいという利点しかない。かなり頭を絞って考えているようだが、進み角 lead angle にたどり着いた人は、まだいない。

 多条ウォームは、世の中に沢山ある。オルゴールとか、蓄音機に使われて来た。しかしそれらはゼンマイ動力であって、駆動側の慣性モーメントが無いに等しい。
 歯形がでたらめでも、被駆動側の大きな慣性モーメントで、均等化されていたのだ。今回は、大きな慣性モーメントを持つものを駆動し、また逆に、それによって駆動されるのだから、話は違ってくる。角速度の均一性は極めて重要なファクタである。そこに気が付くかどうかを見ている。
 MRに投稿する原稿をまとめる上でとても参考になるので、しばらく議論を眺めていたい。


 原氏の博物館からは、当分帰って来ないことが確定した。その間落下事故がないことを祈る。
ATSF Tender フライホィールの効果を見たい友人がいる。もう一台くらい作って見せてくれ、と言う。作るのが簡単で効果が大きいものは、テンダの体積の大きな、大動輪のパシフィックであろう。このSanta Feのパシフィックは塗る直前の状態で10年以上置いてあった。

 車輪は既にLow-Dに交換してあり、この重いテンダは0.2%の坂を下り降りる。塗装前にテンダの床に孔をあけて準備しておけば、フライホィールの増設は難しくない。このテンダは箱型で、高さがあるから、改造には適する。台車のシルエットも、動力ピックアップ装置をかなり隠せる大きさだ。 車輪径が小さいので、増速率を減らすことができる。これは音の問題を小さくするだろう。


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2020年03月26日

続々 Texasからのメイル

 もう一人のMike Rは糖尿病の医者である。こちらも週2日しか、仕事に行っていないという。レイアウト漬けになっている。静電気で芝を植える装置を改良して、猛烈な速度で緑化したようだ。
 知らない間に橋を架けた。トラス橋は韓国製のブラス製である。ガーダ橋は Atlas の製品だそうだ。本体は金属製で、上のデッキ部分は耐候性のあるABS樹脂である。屋外での使用を考えた製品らしい。
 このレイアウトも線路はすべてハンドスパイクである。ここまで来るのに20年以上掛かっている。生きているうちにはできないと言っているが、もったいないから早く作れ、とけしかけてある。

 

「Tad が来てくれると出来る。航空運賃を払うから一月ほど来ないか。」と言ってきたが、こちらは信号機と転車台で忙しいから断っている。
 逆にこちらへも来たいという。彼は48年前に横須賀の海軍病院に赴任していた。当時はまだ蒸気機関車が沢山いた時代なので、日本中写真を撮りに歩いていた。コダクロームのスライドが数千枚あるそうなので、それを日本で出版したいとも言っていた。それもあって日本に来たいのだ。その時はうちに居候する予定だ。博物館の工事を手伝ってもらう。

 彼のところにはLow-D車輪が沢山ある。先日それを付けたタンク車を線路に置いて振り向いたら、それが消えていた。猛烈な速度で1%の勾配を下り降り、レイアウトをほぼ半周して目の前に止まった。事故はなかった。「壊れないで良かったけど、ひやひやしたぜ」と言う。この動画を送ったら、全く同じ走りだったそうで、喜んで見ていた。


 彼はFEF4のメカニズムに非常に興味がある。驚異的なメカニズムだと言っている。テンダの先台車の首振りリンクもやりたいようだ。 

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2020年02月19日

続々 FEF4 UP850

centipede tender (2) テンダは最前部のデッキを切り落とせば済むわけではなかった。キャブが延長されているので、それと連結するにはデッキ下の台枠を13 mmほど延長してやらねばならない。機関車の連結部を伸ばすと、オウヴァハングが大きくなる。これは避けるべきである。テンダのdraw barのピン位置は10 mm移動した。この部分は力が掛かるところであるから、十二分に補強してある。床板にはチェインが通る穴があいている。強度を持たせるために、ボディ・シェル側に太い骨を入れて、それとネジで連結するようにした。銀ハンダで付けてあるから、オリジナルより丈夫かもしれない。

 テンダのボディ・シェルの骨は、重いのをわしづかみにされても凹まないように設計した。また、シェルと床板をネジで締める部分は、力がシェル全体に掛かるような設計にした。こうしておけば、メネジ取り付け部が剥がれたりしない。ここまで考えておかないと、塗装完成後に壊れて泣きを見る。ここまで重いテンダはまずないから、気を付けねばならない。

centipede tender オリジナルの模型の製造は1966年頃で、祖父江氏による。まだKadeeはなく、怪しいダイキャスト製のダミィ・カプラが付いていた。その取付部の高さは、どのように工夫してもKadeeには適合しない。フライスですべて削り取り、ブロックを作成して埋め込んだ。テンダは重いので、バネの沈み込み量が大きい。実験・測定を繰り返して、高さを決めた。

FEF4 painted (1) 今までの車輛とは大幅に異なる質量を持ち、なおかつ客車ほど長くない。即ち平均密度が大きい。初めて触れる人はきっと驚く。落とすまいとしっかり握るから、何も対策しないとつぶされる可能性があった。だいたい、わしづかみにする人はHOの人で、Oスケールの標準軌車輛を持ったことが無い人だろう。

 博物館に来た人で、車輛に触りたい人が居るが、それは遠慮願っている。HO以下の模型とは全く異なるので、壊す可能性が高い。握って客車の窓をぶち抜いたり、荷物室扉を押し潰したりする例は多い。機関車を持つときは、どこが一番堅いかを調べてからしか、持ってはいけない。テンダについては今まで特に注意を与えなかったが、これに限っては重いので最高の注意が必要である。

 今回は審査員が触るという前提があったので、最大限の補強を入れているし、壊れそうなものは付けなかった。一般論で言えば、他人の車輛には手を触れてはいけない。


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2020年02月17日

続 FEF4 UP850

UP FEF4 finished (2)cab support キャブは新製である。オリジナルは、落として凹んでいたので捨てた。0.5 mm厚の板から作り直した。
 火室は大きくした。実物で 8 inch 延ばした。運転室内に余裕があるので室内方向に延ばし、キャブ前端は移動していない。FEF3は石炭焚きで登場した。今回は、そのストーカ部分のスペイスが浮いたのである。

 all-weather cab いわゆる密閉式キャブである。ナイアガラと寸法的には近いので、キャブ後端の絞りはそれに倣った。作図して、半径2800 mmと8番分岐で、当たらないことを確認した。ドアは解放状態と閉まった状態の2種とした。
FEF4 painted (2) 運転装置はぎっしり詰め込んである。DCC化するとキャブの照明が点くので、良く見えるようになる。ハシゴのデザインは、NPのZ8を参考にした。同時代のAlco製の機関車だ。下がすぼまっている。図面はA氏から提供戴いた。 
 屋根上の樋の形も、各種の機関車を参考にした。シンダ除けを付けてある。これも叩いて作ったものを取り付けたのだ。

 座席は4名 + 補助椅子2名とした。補助椅子は後ろの壁についていて、引き起こすタイプである。後ろの壁は全体が外れるようにした。そうしないとキャブ・インテリアが付けられない。

ts_90823_39hanging cab キャブは例によって後ろ下がりとした。本物のFEFは、新車時以外、すべてキャブが下がっている。ボイラ後端から突き出た三角の支えにキャブが載っている。落ちて行かないように、火室上部から伸びているボルト2本がキャブを引っ張っている。そのボルトは天井の裏にあって、ナットで締めて、持ち上げるようになっているが、キャブ全体が薄板なので、徐々に歪んでくる。そうするとキャブは後ろにぶら下がる感じである。これが水平に真っ直ぐだと全く実感味が無い。当鉄道のUPの機関車は、すべてぶら下がっているようにしてある。知らない人は「曲がっていますね」と言うが、苦労して下げているのだ。FEF4はキャブが長いので、三角板では間に合わず、角パイプで支えている。また、ハシゴ部には蹴込みがあって、後ろにスペイスが要る。だから三角板は付けにくい。

 後ろの妻板にはドアがある。そのドアは少しオフセットさせた。そうしないとテンダによじ登った時、手摺を掴めない。手摺りはオイルタンクの縁に付いているからだ。これも身長180 cm(模型で3.75 cm)の人形を置いてステップ等の位置の可否を調べた。

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2020年02月15日

FEF4 UP850

UP FEF4 finished(4) 機関車の外観については、詳しく発表していなかった。

 まず前頭部である。パイロットは Holizontal Swing Coupler を付けている。要するに水平回転収納型である。Vertical Swing 縦に動いて収納するタイプは、転換操作に二人必要で、評判が悪かった。FEF1とFEF2は縦型だったが、後に水平型に取り替えられたのは、このような理由だ。
 NYCのナイアガラは縦に動く。それは殆ど起伏のない線路を走るので、重連をすることがなく、問題が無かったからだ。UPは山岳路線であって、多重連が日常茶飯事であったから、連結器の出し入れがしやすいタイプが望ましかった。
 水平型は、夏は良いのだが、冬は凍り付いて全く動かなかったらしい。だから、冬は出しっぱなしにしていた。

 除煙板は、文献によっては、French type small wingsとあったりするが、わざわざCanadian National type と明記してあるものがあった。調べてみると、小さなものは一つしか該当するものがみつからなかったので、その形を採った。位置は簡単には決まらない。列車番号を掲示する行燈が見えなくなってはいけないのだ。だからあまり前には出せない。高さも問題だ。結局、行燈位置を少し上げて解決した。番号板を差し替える時、人が登らねばならないので、握りも必要だ。ステップは煙室戸に付いている。実際に人形を置いてみて、握りの位置を確認した。こういうところをおろそかにすると、不自然な模型になる。
 除煙板は、煙室から生えたアングル、チャンネルに付けられた。ここを持っても壊れない程度に、強度を持たせた。煙室に近いところにあるので、人は外側を通る。当然手摺も要る。それはボイラ側面と同じ高さにしないと危ない。あとで黒く色を塗った。

4 smokestacks 煙突は4本で巨大である。出力を上げるには、通風面積を増大させ、大量の燃料を燃やすことしかない。FEFは1本から始まって、2本が主流になり、後に試作で3本ができた。そしてこれは4本である。本物の図面を基に、設計手法を分析し、その延長上で作ったのがこれである。ST氏にはお世話になった。
 空気圧縮機の排気管も付いている。40年前、ある人が穴がないことを指摘したので、今回は実物の寸法を調べてパイプを付けた。取付けの六角ナットの位相はすべて変えてある。3Dプリンタによるインヴェストメント鋳造だから、こういうことは容易にできる。
 開口部が大きいので、この下にスピーカを付けることにする。そうすると、ドラフト音、汽笛音などすべて矛盾が無くなる。戻ってきたらDCC化する予定だが、瞬時の逆転、急加速ができるか調べている。

 今だけは、前照灯はLEDを押し込み、電池で点燈するようにしてある。スウィッチは煙突の下に付けてあるから、棒を突っ込んで操作する。この写真は、水平に付けて様子を見ていた時のものだ。
 
 塗装は当時のグラファイト塗装である。ざらざらにしたかったが、もう少し目が細かい方が良かったかもしれない。汽笛の引き棒に針金を付け、ボイラ・ケーシングに引き込んだ。

 給水温め器は、Worthington SA型である。文献を良く調べて、配管を正しく施した。lift ring 吊りボルトも付けたのはよく目立つ。
  
 アフタ・クーラは割合よく目立つので、付けて正解であった。


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2020年01月22日

鳥羽給炭所

 もう60年以上昔の話だ。親戚が居たので、志摩半島に年に一回は行った。
 名古屋から亀山までの湊町行き快速列車は、たいていはC51と C57の重連だった。快速は、亀山までの60 kmがちょうど1時間で、表定速度は60 km/hである。単線での蒸気列車としてはかなり速い。快速用の機関車は磨かれて、輝いていた。
 亀山からはC51の単機が牽いた。それも快速列車だった。姫路から来る快速もあった。伊勢を過ぎて鳥羽までは、平坦線であって軽やかに走った。当時は伊勢まで行くのでも、国鉄の方が近鉄の中川乗り換えより、ずっと早かった。


 筆者の世代は、蒸気機関車が全速力で走るのを見た最後の世代であろう。蒸機はノロいと思っている人が多いだろうが、決してそんなことは無かった。速い乗り物の代表だった。筆者の父親の世代はもっと速かったのだ。蒲郡駅で上り下りの特急がすれ違うのを見るのが楽しみだったそうだ。どちらもC53で100 km/hをはるかに上回る速度であったと聞いた。蒲郡駅はどちらからも下りで谷のようになっている。 
 

 参宮線の六軒駅で大事故があり、機関車が証拠物件なのか、長く放置してあった。ブレーキの構造が重連仕様でなかったのが原因らしい。アメリカの機関車は重連用のブレーキ管を持っている。 

 当時の国鉄鳥羽駅はそこそこに大きな駅で、貨物も扱っていた。三重交通志摩線では貨物も扱っていたし、鳥羽港で陸揚げした砂利置き場もあった。プラットフォームは1本しかなく、到着列車は海側に着くことが多かった。その窓からは転車台が見え、給水タンクも目の前であった。接続電車まで時間があると、客車の窓から機関車の動きを見ることができる。
 切り放された機関車は軽やかに走って転車台に向かい、転向する。水をたくさん呑んで、前後に走り、ポイントを渡って先頭に着く。

 ちょうど目の前に機関車が来た時、機関士が大きな声で叫んだ。
「おーい坊主!見てろよ。」
 機関士はスロットルを少し強めに引き、動輪をしゅるしゅると一回転させて発進した。それは禁止されているはずであったが、見せてくれたのだ。単機でも動輪がスリップするのは初めて見た。単なる格好つけであるが、少年の眼には焼き付いた。その後、機関車は列車の先頭に行って停止するが、その時もブレーキを使わずに、動輪を逆回転させて停めた。実に見事なスロットルさばきで、機関車が止まる瞬間に動輪も止まった。機関士は満面の笑顔で、どんなもんだい、という顔をした。こちらは飛び上がって喜んだのは言うまでもない。

 その時の情景は鮮明に思い出される。いつかあんな動きをする模型を作ってみよう、と思ってから50年以上経つ。今それが完成したのだ。
 列車を牽いている時にスリップさせることは容易だが、単機では不可能だったのだ。

 
 
 T氏から、このウェブサイトを紹介戴いた。元機関士の方が公開している。写真は自由に使ってよい、とあるのがすごい。また、別の角度からの写真を紹介するウェブサイトもある。懐かしい風景だ。近鉄が鳥羽に乗り入れて、志摩線も買収された。標準軌が賢島まで続いたので、貨物は廃止された。以前は電車が貨車を牽いていたのを見たことがある。

19670224tobaekimeikanban 国鉄の旧鳥羽駅には真珠と海女の看板があったのはよく覚えている。日和山(ひよりやま)のエレベータにも乗った。天気が良ければ富士山が見えるとあった。しかしそれは、鳥羽駅が火事になって延焼してしまった。
 写真は上記の藤田憲一氏のサイトからお借りしている。

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2020年01月12日

続 500時間

 最初の10日間は、資料を再度読み直す調査期間とした。イギリス、フランスの文献を探した。ドイツには参考になるものは見つからなかった。
 その機関車には、高速時の高出力が求められていた。それには poppet valve の採用しか、解決策が無い。ワルシャートやベイカー弁装置では、成しえないものである。これらは弁が徐々に開き、徐々に閉じる。力が要る瞬間に、蒸気が少しずつしか入らないようでは、出力が出ない。大きな開口面積で、大量の高圧蒸気が瞬時に流れ込んで、ピストンを押せば、出力は増大する。高回転の旅客用の大型蒸機に求められる性能である。貨物用機関車には縁が無い話だ。

 その後は設計に没頭した。数十枚の図面を描いた。すべて方眼紙に手描きで描いた。今回はフルスクラッチ・ビルディングではないから、寸法の採取には大変手間取った。リンクの長さを決定するのには苦労した。寸法を決めておけば、材料の選択、加工の時間を節約できる。使う材料は選び出して机の上に順に並べ、取り出しやすくした。机が広いのは有難い。博物館には広い机が沢山ある。
 工具類、特にリーマ、タップ類を点検した。ボールベアリングは十分にあったから、注文せずに済んだ。この種の準備に時間を割くことは、後の作業時間を大幅に節減できる。工作の途中で材料や工具を探すと時間がもったいない。 

 ポペット弁は、アメリカではNYC、Pennsylvania、C&O、AT&SFなどに採用例があるが、その数は多くない。この機関車が必要とされたのは、対日戦争勝利後の旅客需要の増大に対処するためである。当時の大陸横断は鉄道によるものが大半で、ディーゼル電気機関車の出力不足、信頼性の低さには参っていたのだ。やはり、信頼性の非常に高い蒸気機関車を高出力化することが、当時としては最良の案だったのだ。

 ポペット弁に関する情報は日本では極めて少なくて困ったが、工学エキスパートのT氏からお借りしたイギリスの本に、参考になる記事が見つかった。Franklin式を採用することにし、valve chestを切断した。

removing valve chest 作り始めて気が付いたが、改造をするべきではなかった。シリンダブロック全体を新製すべきであったのだ。今回は時間がなく、そのまま突っ走ったが、いずれ3Dプリンタにより、文句なしのものを作って嵌め込むつもりだ。 この写真では既に先台車は新製され、Low-Dを装備している。
 また、ワルシャート式リンク機構は外され、スライドバァの保持枠も余分なところを切り捨ててある。この後、クロスヘッドは作り替えられる。

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2020年01月10日

500時間

 昨年末、ある機関車を作った。正味2箇月しか時間が無かったのだ。500時間で作らねばならなかった。各単元分野の仕事は、大体の時間が計算できるので、工程表を作れば、製作可能かどうかが分かる。

 9月末に、親しい友人からその話が持ち込まれた。コンテストに出せ、というのである。筆者のコンテスト嫌いは知られていて、過去一度も出したことが無いし、今後も出すつもりがなかった。友人は、
「このまま逃げ切るつもりか。お前は作品を出すべきだ。世界の模型界に影響を与えた過去の作品群も、コンテストの入賞作であったら、日本国内でのインパクトがさらに大きかったはずだ。コンテストに出てないから、山崎氏が意図的に無視したので広まらなかった。」と言った。
「でもさ、それを審査する人達の資質の問題があるんだよ。外観ばかりじゃないか。自宅にレイアウトを持っていないような人が審査するんじゃ、意味は無いよ。こちらは最高の走りを実現することが目的だ。外観なんてそこそこに出来ていれば十分だと思っているのだからね。
 過去の実際の入賞作には、構造が根本的に間違っている作品が多々あったことは前にも話しただろう。審査する側に能力が欠けていることは明白だ。そんな人たちが審査するコンテストなんて、意味がない。」 
と蹴飛ばしていた。
「それじゃ、内容を審査するように、説明をちゃんと付ければよい。実際に走って見せて、驚かせればいいんだろう?」と畳みかけられた。

 その後主催者側に通じている人に聞くと、運転して審査するということだったので、それならやってみるか、ということになった。


 作ろうとしているモデルは、実際には製造されなかった機関車なので、どうあるべきかを考えねばならない。資料は集めてある。関係者からの情報を精査し、ありうる形にしなければならない。その機関車は、当時の最先端の技術を採り入れた史上最強力の機関車であった。誰も模型化していない。雑誌に紹介記事が載るのだが、例によってBenett氏の絵があって、いくつか間違いが含まれている。蒸気機関車の構造が全く分かっていない人が描いた絵などには価値はない。

 その話をすると、
「それじゃちょうど良い。むこうが『恐れ入りました。』というものを作ればいいんだよ。」
とけしかけられた。

 さて何を作ったのだろう。正解者は今のところお一人である。かなりヒント発表されているのだが。

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2019年12月25日

続 洋白材を削る

milling 3 横から見るとこんな形をしている。土台の 2.6 mm厚のブラス小片との対比で大きさがお分かりであろう。溝や穴は0.35 mm彫り込んである。


 removing soldering ハンダを外すとこんな形である。周りをヤスリで削って成型する。この種の仕事に使うヤスリはセイフ・エッジを持たねばならない。それがあれば、簡単に削れるし、失敗が無い。これの縁をさらに薄く削り、例の丸アンヴィルに載せて、ゴムハンマでぶん殴るとできあがりである。丸みが大切で、ここがうまく出来ていないと密着しない。

finished これが完成品である。ここまで来るのに2時間もかかった。これは蒸気機関車のボイラ・ジャケットに付けてあるステップである。飛び出している状態と、畳んだ状態があるのだ。出ているものは7個あった。畳んだものを用意してあると思っていたが、どうしても見つからない。板材を切って貼り、ごまかすつもりであったが、置いてみると不自然だ。結局彫り出すことにした。ロストワックス部品というものは高価であるが、自作するともっと高くつくという事例である。

steps 完成品を貼り付けるとこんな状態である。例によって、完全なハンダ付けがしてある。絶対に剥がれない。付着したハンダは吸い付けて、磨き砂で磨けば取れる。ちなみに黒いのは炭素棒の粉であるからすぐ取れる。吸い付けるというのは別項でいずれ紹介するが、毛細管現象を利用するものである。


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2019年12月23日

銀ハンダ

 ほとんどのハンダ付けは 63%のスズを含むハンダで行う。流れが最高で、薄く付く。この薄さが強度確保につながる。ハンダの厚さがあると弱い。これは接着剤の働きと同様である。スズとの合金層だけでくっついている状態が望ましいのだ。こういう接着をしようと思うと、十分な加熱が必要で、炭素棒を使えば簡単であるが、鏝ではなかなか難しい。

 他のハンダは使わないのですか、という質問を受けた。盛らなければならない時は50%のものを使う。フレイムを組むなど強度が必要な部分には銀ハンダを用いる。3.2 mmの板を直角に付けて、しかも力が掛かる部分(端梁など)はこれに限る。そうでないと連結時のショックで疲労し、取れてしまう。

silver solderingsilver bearing solder 今回は台枠の作り直しがあったので、銀ハンダをかなり使った。できあがりはロウ付けに近い。実は筆者はロウ付けは得意なのだが、あまりやらない。銅合金はロウ付けで全体に熱が廻り、焼き戻されるのを避けたいのだ。Oスケールは比較的大きく、モーメントが大きいので、くたんと曲がってしまうことがある。そういう点ではHO以下では便利な手法ではあろう。

 煙室戸にヘッドライト支えを付ける時など、ロウ付けすると固くて良さそうだが、ハンダでも十分な結果を得ている。イモ付けより、ピンを入れておくことだ。そうすれば落としても壊れない程度の強度がある。もっとも、十分に熱が廻らないと意味がない。良く削って新しい面を出し、機械的に接続された状態で保持し、加熱する。炭素棒があれば言うことは無い。

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2019年12月15日

whistle support

whistle support 汽笛は斜めに付いている。配管は前の方からスーパ・ヒータを避けて、後ろに来る。場所がないから、汽笛は斜めにせざるを得ない。この手法は日本のC62で真似をしている。こんな長い汽笛を、単に斜めに付けると、モーメントが大きいので振動で疲労して根元が折れてしまう。必ず先端にサポートがある。これが付いていないと、見た時に不安感がある。しかし、サポートを付けた模型には殆ど遭遇しない。

whistle support on FEF1 模型を見て、本物を想像し、その機能、作動を考える。ありえない形をしていると、気持ちが悪い。今回の製作では、特にそこに留意した。この写真は、土屋氏と行った時に Council Bluffで撮ったものだ。支えは1/4インチ(6.35 mm)の鉄板である。意外に厚い。

 昔から汽笛の位置には興味がある。
 Tom Harvey は、「湯気で視界を妨げられるのは、許せない。」
と言っていた。
 手元にある機関車を見ると、大半の機関車では、汽笛は左側(要するに機関士席側ではない方)にある。中心線上の時は、ついたてを立てて、湯気が直接には流れて来ないようになっている。UPの大型機では煙突直後にあって、前に傾けている。この場合、湯気は煙突の方に吹き出し、排気と共に上に向けて飛んでいくのだろう。

 小型機ではキャブの真前にあるのが普通だ。安全弁もそこにある。この場合は速度が小さいので、問題は起こらないだろう。キャブの近くだからやかましい。ついたてを付けて、音を反射するようにしたものがある。 

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2019年12月13日

aftercooler

aftercooler しばらく前に作った部品が出て来た。Challenger用に作った部品だ。空気圧縮機で作った高圧の空気が熱いので、これを通して冷やす。日本では単なる蛇管であるが、この機関車は大きな圧縮機が2台もあるので、このフィン付き放熱管を通して冷やす。後ろに置いてあるshield(盾)の背後に置かれる。ゴミやほこりが付くのを避けるためである。

 本物によじ登ってみるチャンスがあったので、写真を撮って寸法を測り、その通りに作った。配管は実物通りで、縦横にU字型のパイプを付けた。 これだけ見るとなかなか良い。ただし、機関車に取り付けるとほとんど見えなくなる。

 チャレンジャではヘッドライトの下になって、ますます見えなくなるが、今製作中の機関車なら多少見えるので、これに付けることにしたのだ。

cab interior (1)cab interior (2) 運転室の内装もある程度作った。凝っても仕方が無いが、窓から見える部分は作った。35年前に作った 4-8-4 にはキャブの吊りボルトまで入れた。今回は oil burnerだから、焚口戸は簡易型である。この写真はしばらく前のもので、現在はもうすこし実感的になっている。ブレーキ・スタンドが大き過ぎるので切縮めたり、スロットルとか砂撒き装置、その他を追加した。どの部品も完全にハンダを廻してある。絶対に外れることが無い。まだ洗ってない状態で写した。黒いものは炭素のかけらである。

 洗口栓を付けるがミソである。それらしい部品を7つ作ってつける。ロストワックス鋳物は、似たものを探して切り継いで作る。すなわち、あまりまじめに考えないようにしている。 それらしく出来ていれば良いのだ。ただし、正しい位置になければならない。locomotive  cyclopedia は毎日ひっくり返して見ている。

 今回はメカニズムが主体で、外観は添え物である。シリンダブロックはブラスで作ったが、いずれ3Dプリンタで作り直す。あまりにもややこしい形で、ブラスでは作り切れない。

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2019年11月25日

シリンダブロックの構造

Mr.Sofue's cylinder block 先日steam chestの話題を出したが、どなたからも応答がなかった。少々難しすぎる問題だったようだ。
 答はさておき、現物を見た人が非常に驚いていたので、その写真をお見せする。


cylinder block construction シリンダブロックの前後の板は1 mm厚で、かなり分厚い。そこにシリンダ前カヴァが付いている。これは挽き物を嵌めて取り付けてあるのだが、かしめてある。突っ込んだ部分に穴があいていて、それをポンチで潰して抜けないようにしている。後ろ側も同様である。こうすれば、ハンダ付けの時、部品が取れて来る心配はない。これはプロならではのアイデアである。

 前後の板はスペイサを入れてハンダ付けしてある。しかもスペイサは縦横2枚入っていて、それに外板を巻き付けてハンダ付けしてある。過剰品質ではないのか、という声もあった。これは祖父江製作所の仕様である。シリンダ部は踏んでも壊れないほど堅固だ。ネジで台枠とボイラを締め付けるので、弱いと狂ってしまうからだそうだ。

 今回、外に巻いてある板を外して一部のスペイサを切り取った。そして新たな部品を 6 mmと 3 mmの板を切り抜いて貼り足した。炭素棒でなければこんなハンダ付けはできない。もちろんバラバラにならないように、ブラスのピンを通してかしめてある。さて何を作っているのであろうか。

cylinderblock covering 巻き付けてある板は、0.5 mmの薄板であるが、巻き始め部分に工夫がある。溝に差し込んでハンダで仮留めし、力を入れて巻き付ける。そうしてから全周をハンダ付けしたようだ。こうすれば隙間は無くなるし、強いものができる。これも祖父江氏の手法である。


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2019年11月06日

先台車を作る

 先台車にはLow-Dを使うべきである。振れがなく遊びの少ない車輪が、先台車の車輪として適する。それを台車枠にガタなく付けねばならない
 
619_1393 三点支持にして、ローラ式の復元装置を付ける。台車枠はレーザで切ってある。それを底板と組み合わせてハンダ付けする。大きな穴は固定軸である。そこにフランジ付きのボールベアリングを入れる。旋盤で正確に削った車軸を差し込み、ロックタイトで車軸と固定する。

619_1395 可動する軸は、チャンネル材を切ってはめ込む。その両端には角材を押し込んで、銀ハンダで固める。ガタが出ないように注意して、嵌めあい部分を仕上げる。ボールベアリングは両端に専用工具で彫り込んで嵌め込み、車軸を通す。下から中が見えるので、ロックタイトを付けやすい。これで全くガタの無い先台車が完成する。

 中心部を一点で支える。軸距離が小さいので、上下 0.5 mmも動けば上等だ。これで脱線しない先台車ができた。小さいボールベアリングを仕込んだ中子で、上から押さえる。動輪軸の半分程度の軸重を掛けると、実物のような復元力を持つようになる。


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2019年11月04日

クランクピンにボールベアリングを入れる

 4-8-4の出力は大きい。牽引力も速度も大きいからだ。主動輪のクランクピンには大きな力が掛かる。1985年頃、大きな仮設レイアウトで60輌ほどの列車を、長時間全速力で牽いていた時に、big endが熱くなった。本物と同じだ。出力が10 W程度もあり、それがロッドを介して伝わるのだから、その摩擦は無視できない。熱を持つのは当然であり、その損失は大きい。ビッグエンドとはメインロッドの太い方を指す。国鉄時代から、現場で使われていた言葉である。
 
 クランクピンは、Φ4 で、それに嵌まるボールベアリングは外径 8 mmもある。ロッドのビッグエンドの外径とそう変わらないから、無理だ。ここに収めるにはクランクピンを Φ3 にして、外径 6 mmを用いるしかない。ベアリングは複列にして転ばないようにする必要がある。即ちパイプ状のハウジングが必要だ。その外径は Φ7 である。それに各種のロッドが、三層にはまることになる。

619_1387 かなり面倒な工作であったが。なんとか押し込めた。この種の工作は3回目であるが、あまり慣れない。


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2019年10月21日

quartering jig 2

quartering jig USA2 アメリカで入手したジグはこれである。作者はクラインシュミット氏ではない。彼の家で同じようなものを見たがそれはスティール製であった。これとは出来がかなり違う。
 スライドバァがあって、それに沿って滑らせる。へそはバネで支えられていて、出入りする。2枚のブラス厚板は、平行に動く万力で締める。本当は縦に動くプレスで締めるべきだ。

quartering jig USA この写真は上下を逆にして写している。クランクピンの入る溝は妙に長い。HOでも使えるかもしれない。ただし、そうするにはクランクピンにはパイプを被せて、太くせねばならない。
 また、右先行と左先行の2種類に適合する。アメリカにも左先行があったのだろうか。120度クランクには適合しない。
 以前は軸箱を支える構造のものを作ったが、ややこしい割に精度が良くなかった。やはりセンタを支える方が良いのだ。

quartering jig USA3 これも上下を逆で、反対側から見たものである。スライドバァの中心は、伸縮ピンから外れたところにあるので、万力で締めればうまくいくはずである。しかし、万力の精度によっては傾いて締められる可能性もある。口が開き気味の万力では、何の意味もない。
 大きな万力の口金を整備して、直角を出して使ったが、やはり専用機が欲しかった。
 手持ちのすべての機関車を調査して、どの大きさにすると最大径の動輪を締められるか調べた。あまり大きな装置だと、移動させるのも難しい。それで津田駒の100 mmを入手したのだ。もちろん、125 mmの方が余裕があって、設計がより楽であった。


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2019年10月19日

quartering jig 

quartering jig2quartering jig3 このジグには「へそ」がある。出べそだ。




 HO以下の模型を加工されている人にとっては、まず見るチャンスがないと思い、ここに写真を載せることにした。本物の機関車の車軸にはセンタ穴がある。旋盤では、そこを支えて旋削するのだ。
 Oスケールの模型には、センタ穴があるから、これを使って心を支える。(HO以下ではセンタ穴がないものもある。)押し込むときは、その出べそが引っ込まねばならない。心を保ちながら引っ込むようにするのだ。バネで支えて伸縮させる。ここにガタがあってはいけない。そういう意味では精度を高くせねばならないから、気合を入れて作るつもりであった。

 万力を奮発した。最高級品の津田駒製である。これを入手して、口金を新調した。S45C製である。この万力の平行度には感服している。まがい物では平行に締まらないから、だめだ。

 車軸を支えれば良いではないか、という意見もあろうが、筆者の手法では車軸中央部は露出していないのが大半だから無理だ。両方の軸箱はパイプ状の canon box でつながっているからである。また、フランジで支えるという手もあるが、フランジは車軸と同心であるとは限らない
 以前、韓国製のとんでもない機関車を見たことがある。フランジが偏心していたのである。材料をいい加減に掴んだのだ。旋盤工が職人としての気構えを持っていないとこういうことになる。以来、フランジは信用できないものとしている。

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2019年10月17日

Sofue Drive

 1985年、3条ウォームが実用化された。 これを世界中に広めたいと、祖父江氏と筆者はかなり努力した。雑誌に発表し、現物を持ってアメリカ中見せて廻った。その真価は理解できるようだが、なかなか浸透しない。

 カリフォルニアのある富豪が、現物を見て目を輝かした。名刺を渡したら早速連絡があり、試しに一台送るから改装してくれと言って来た。

 それは1950年頃の安達製作所製のミカドであった。もともとは酒井喜房氏の設計である。この機関車は動輪がブラス製で、台枠は、t1のブラス板をプレスでコの字断面に曲げてある。軸距離は怪しい。しかもクランクピンがネジ留めであるから、クランクピンが緩みやすいし、磨り減りやすい。正直なところ、改装の価値がない劣悪な模型であるとは思ったが、祖父江氏が丁寧に直してドライヴを入れ替えた。

 それを送ったら、大変興奮して電話を掛けて来た。日本は深夜だったので驚いたが、その興奮はよく分かった。その後の彼の注文数は凄まじかった。300輌ほどの機関車を順次送ってきて、その改造で祖父江氏の生活は成り立った。
 大半はカツミ製(祖父江製)であったが、アメリカ製、韓国製もかなりあった。それらの改装のノウハウも掴め、順調に注文をこなすことが出来た。

 その後30年経ち、その富豪は亡くなり、コレクションが売りに出された。Sofue Drive付きだから、価格はすこぶる高い。しかしすべて売れてしまった。その後、筆者のところに、改装を依頼する連絡が届き始めた。祖父江氏の代わりをせよというリクエストが大きくなってきたのだ。
 本業の仕事を辞めて、そちらにシフトしようと思っていた矢先に土屋氏から博物館設立を頼まれ、Sofue Drive受注はしばらく中止となった。動輪リビルトの道具一式を揃えたのに、日の目を見ることがなくなった。

 しかし、今回あるきっかけで、既存の機関車を改装し、新製に近い形で完成させねばならないことになった。その第1号がこの4-8-4であった。今ボイラまでばらして、新しい缶胴を作っている。50年前の製品のボイラは、ばらさないと修正できなかった。煙室は新製である。キャブも新製である。
  
quartering jig 動輪嵌め替えジグを引っ張り出して、整備した。これはアメリカで普及しているタイプであり、日本ではあまり見ない。これを自作するつもりで、northerns484氏の親しい職人に部品を作ってもらっていたが、彼はあっという間に全体を完成させてしまった。これには驚いた。筆者はジグを自作した、と言いたかったのだが、有難いことに言えなくなってしまった。さてどんな構造であろうか。


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2019年10月15日

Cockerham Drive

 Doug Cockerham氏には何度か会ったことがある。ダグは背の高い黒髪の男で、自分の伝達装置にはかなりの自信を持っていた。
 筆者は現物を2組持っていたが、間違って廃棄してしまったような気がする。あるべき場所で、ここ数年見ていない。ブラス屑の処分の時に捨てたのかもしれない。もったいないことをした。

Cockerham Drive 蒸気機関車用のギヤボックスの構成は、薄肉のロストワックス鋳物で作ったギヤケース内にベークライト製のウォームホィールを入れ、鋼製の細い2条ウォームをボールベアリングで支えていた。ギヤボックスは歯車、ベアリングの外径 + 3 mm 程度の形で、なかなか優美であった。残念ながら、その写真をGoogleで探しても、”Cockerham Driveという街路(drive)” の名前しか、見つからない。
 split line(分割面の線)上にはネジのタブが付いていて、それを3本締めるようになっていた。軟らかいグリースを使っていたのは、先回紹介したのと同じだ。 

 逆駆動が出来た。ギア比は35:2の互いに素であり、進み角は9度程度である。当時はモータが直捲、あるいは有鉄心マグネットモータの時代であるから、押しても動かなかったが、効率はかなり良いと感じた。ベークライトのギヤを使った理由は分からない。悪くはないが、良いとも言えない。リン青銅との組み合わせを使うのがベストだ。

 1995年頃、彼に3条ウォーム + コアレスモータの実例を見せた時の、驚愕した顔は忘れられない。当時はそのようなものに需要がなかったし、経験のない走行性能であったから、事故が起こるという心配の方が大きかったのだろう。
「これでは勾配の途中で停車できないからダメだ。」と言った。

 コカハム氏の方が、ホワイト氏より工学の素養があったようだ。

Cockerham Drive追記 コカハムドライヴのウォームホィールが出て来た。写真をお見せする。ベークライトのギヤがスリップしないように、軸を圧入したボスにピンで留めている。    (Jan.16, 2020)


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2019年10月13日

Jerry White Drive

Jerry White Drive (4) Jerry White氏は、Lobaughの職人であった。数多くのカスタム・ビルディングをこなした。腕の方は素晴らしい。絵で言えば、水彩画のような機関車を作った。特徴をよくとらえた造形で、板厚は薄目である。直接には会ったことは無いが、1990年代に手紙のやり取りはある。10年ほど前に亡くなった。

Jerry White Drive (3)Jerry White Drive (2) ギヤボックスは独特の2条ウォームで滑らかである。逆駆動はできないわけではないという程度だ。どういうわけか30:2である。感心しない。薄い板金工作で出来ている。厚みは15ミル(0.38 mm)である。ウォームの先端はボールベアリングで受けている。軸径は、3/16インチ(4.76 mm)、外径は3/8インチ(9.52 mm)である。実に滑らかな動きをするベアリングである。このべアリングが付いているから、逆駆動できる。ギヤは快削鋼だが、シャフトにはブラスを使っているのは不思議だ。ギヤボックスを支えるトルクアームはない。ドライヴシャフトが反作用を受け持つから、そういう点ではスティール軸の方が良かった。

Jerry White Drive (5)Jerry White Drive (1) ウォームホィールはブラスである。外径はボールベアリングと近い径である。もう少し細くすれば、進み角が大きくなって、効率が上昇したはずである。残念だ。
 グリースは軟らかい。ギヤボックスは、普通にはない分かれ方をする。下半分は動軸から外れない。ウォーム部分だけが外れる。そのウォーム部は長いストラップ状のもので、下半分に連結されて固定される。前後を逆にすると嵌まらない。即ち互換性は無い。
 どういうわけか、このドライヴが付いていると値が高い。今回の機関車は全体がかなり破損していたので、超格安であった。このドライヴだけでも欲しい人が居るので、外してアメリカで処分することにする。動輪を抜くと購入者が困るので、付けたままの方が売却しやすい。予備の動輪は持っているから、それに3条ウォームを付け替える。


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2019年08月13日

Big Boyの排気管

Big Boy's exhoust nozzles 先日の記事で、排気は前後の煙突から均等に同時になされると書いたところ、そうではないと仰る方があった。その方を納得させるには、図面集を調べて、見せる必要があった。

 これは先方の単純な勘違いであって、見せる必要もなくすぐ解決したが、せっかくスキャンした図面があるので紹介しよう。この図はLocomotive Cyclopediaの1944年版からのコピィである。この年の発行数は極めて少なく、貴重な本である。日本には、まず他に持っている人はないだろう。とは言っても1941年版の図と比較しても、このページに限って言えば、さほど変化はない。お持ちの方は調べられると良い。文字の位置と図面番号が違う程度である。

 さてこの図では、中心線の左右で描き方が異なる。左は断面、右は外観も表している。前後から来た排気はここで合流する。そしてその上面にある十文字に排列された4本のノズルから噴出する。即ち、前後で8本のノズルがある。排気は煙突からぶら下がっている petticoat(スカート状のもの)の中に吹き込まれ、周りの煙を吸い出す。いわゆるエジェクタの効果を現出するものである。この中にはさらにもう一つのペティコートがあり、それは4つの裾をもつ。こうすることによって、排気はよりたくさんの煙を吸い出す。このあたりはUPの長年の工夫の成果である。

 前後のエンジンから来た排気はいったん小さな部屋に入るが、単なる接続箱であって、日本型蒸機についていた、排気膨張箱なる無用の物とは異なる。この部屋の名前が分からない。ノズルが載っているだけの、鋳鋼製の前後に長い箱である。

 先のコメントで plenum という言葉を使った。それが正しい用語かどうかは分からぬが、この種のものをプレナムという。例えばエアコンで冷気を作り、それをダクトで各部屋に分配する時、最初に断熱した箱に入れ、それからダクトを使って分配する。そうしないとダクトごとの圧力が均一にならない。その箱を、plenum chamberと言う。
 また、汽笛の5室に均等に蒸気を当てるために分配する根元部分の小さな空間も、プレナムと言っていた。

 手に針金が入ったまま、飛行機に乗ることができた。

(註)最近は配列と書くが、本来は排列が正しい。排は並べるという意味である。台湾に行くと、駅のプラットフォーム床に”排”と書いてある。そこに並ぶわけである。

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2019年08月05日

Big Boy の復活

 アメリカではかなりの騒ぎになっている。筆者も行きたいが、手の中を針金が貫通していて、その上にギプスを巻いているので、空港での検査に通るかどうかが怪しい。過去に筆者が見ていた範囲では、別室に通されて、金属探知機と犬による検査があり、さらに医師の判断でX線で見る。要再検査の乗客が一人だけならよいが、何人か居るとそれだけで長時間かかって、飛行機に乗り遅れということになるのが目に見えている。

 さて、動画をたくさん見た。分岐をくねくねと曲がるところが面白い。模型でも同じなのだが、実物の動きを見るのはまた格別だ。蒸気は洩れまくっている。Tom Harveyが言うには、
「夏は良いのだ。冬は、蒸気管継手から漏れた湯気で真っ白になって、前なんて全く見えやしない。」
 球面の高圧蒸気管自在継手はネジとバネで締め込んであるが、効果があまりなかったそうだ。現代の工具で研削してもダメなのだろうか。 
 もう一つ気になるところがある。シリンダの前蓋がない。鋳鋼製の鋳物が丸見えだ。Tom はそれをとても嫌がっていた。ニッケルめっきの部品を付けるべきだ。

 石炭を焚かないというのが興味深い。アメリカには妙な法律が出来てしまい、石炭を燃やした排気ガスを、そのまま大気中に放出してはいけないことになっているのだそうだ。それなら重油は良いのかというと、それも怪しい。
 今回燃やしているのは、ディーゼルエンジンの廃潤滑油という説がある。潤滑油には硫黄化合物、場合によっては塩素化合物が含まれているので、却ってよくないような気がする。

 ところで、先日TMSの最新号を見た。田舎に住んでいるものだから、この種の雑誌には遭遇しない。友人に見せて貰った。

 その中にBig Boyの特集記事があり、最後の部分には首を傾げた。Big Boyが二本煙突の理由を書いているが、全く筋が通らない説明だ。

 煙突下の2組のノズルが付いている排気管には、中間に仕切りは無く、前後のノズルから、同時に全く同じ圧力で噴出する。前後のエンジンからの排気が独立に噴出するわけではないのだ。それは動画を見ていればよく分かる。片方だけが噴出することがあれば、他方の煙突では煙が吸い戻されるだろう。ドラフトで、煙室の空気を吸い出し燃焼を助ける、という理屈が分かっていれば、こんな理屈が通らないことは書けない。大きな図面があるのでチェックしたが、当然のことながら、中間の仕切りはない。
 写真の説明には、エクスパンションジョイントという言葉も書いてある。前部高圧蒸気管は屈曲して長さの変化を吸収するが、継手部分での伸縮はしない。だからエクスパンションという言葉は使わない。後部エンジンの上の継手は温度差による多少の伸縮を吸収する機能を持っているが、それのことを指しているは思えない説明だ。

 詳しい人はたくさんいるので、電話一本で解決することだ。この種の間違いがあると、だれも信用しなくなる。10,000トンを牽くという話も書いてあるが、重連でも無理だ。ちょっと高校一年の物理の計算をすれば理解できることなのだが、それをしないのはどうしたものか。
 ちなみに、勾配を緩く(10‰)した第3本線でなら、1輌で6,000トン牽けた。こういうことは文献を調べた上で、計算すると正しいかどうかわかる。この記事は2009年2月号の平岡氏の記事をなぞっただけである。それだけなら間違いはないが、上積み分が間違っているというのは編集者の能力の問題だ。
 査読者が必要であることは、論を待たない。 

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2019年05月05日

LA-SLのBig Boy

tenders2 博物館に持って行ってあるLocomotive Cyclopediaを見た。1944年版1950−1952年版にそれは載っていた。1941年版には載っていない。これらの年度のロコサイクロは珍しく、日本にはほとんど無いようだ。前者は蒸気機関車が先に収録されているが、後者では蒸気機関車は後になっている。ディーゼル電気機関車の時代になったのだ。
 American Locomotive Company(Alco社)はテンダの設計例を3種用意していた。真ん中のは、ビッグボーイその他に用いられた。上は採用例がない。
 下の図が、今回話題の図である。Los Angeles-Salt Lake線のことは、LA-SLと呼ばれた。現在のI-15号沿いである。 

16-wheel tender もう少し大きな図で見よう。従台車の形は、常識的な形とは異なるはずだ。5軸のイコライザの終端は、外側台枠だから、それと結ばれるように、従台車のイコライザが台枠に平行に伸びて来なければならない。床板は内側に強度部材が付くはずだ。最後端は復元装置の扇型のコロが付く。
 テンダ後端は、曲線上で建築限界に接触しないように、少し絞り込まれる。このあたりのことが、ベネット氏の絵からは全く読み取れないのが、残念だ。
 また、大型の4-8-4のキャブ(運転室)の形は上から見て長方形ではなく、台形であるということはあまり知られていない。オゥヴァハングが大きいので、少し絞らねばならないのだ。彼の絵を見ると、そういうところには配慮がないことがわかる。30年前に見せて貰った絵は、蒸気機関車が主であったので、筆者はそこが気になって仕方がなかった。

 給水温め器がWorthinton SAであれば、煙突前のスペイスは それに充てられ、ベルのサポートは煙室戸に付けざるを得ない。給水ポンプは太いので、今までの排気インジェクタの場所には付かない。その配管はどうすべきかなど、考えるべきところはかなりあるのだが、彼はそんなことには無頓着だ。

 ロッドのSKFベアリングは、どうやら、サイド、メイン両方に採用したナイアガラと同等のものらしい。これは、他の機種の仕様書を確認した上での推論だ。それだけでも外観上はかなりの変化がある。ロッドは、3Dプリンタで作ったロストワックス鋳物を採用すればすぐできてしまう。CNCで彫刻するという手もある。

 Big Boyの試運転が始まったようだ。井上豊氏の話にもあったが、試運転はフルギヤで行う。そうしないと圧力変動が大きく、焼き付きが起こるそうだ。 

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2019年05月03日

Takeno氏のこと

 いつも有用な情報を教えて下さる01175氏から、驚くべき情報を戴いた。

 竹野三郎氏のことである。ご子息が詳しく書かれている。かなりの個人情報が含まれているが、ご子息がウェブ上で公開されていることなので、ここで紹介しても問題なかろう。

 竹野氏は橋梁設計に携わっていた技術者だったのだ。以前模型の現物を見た時、普通の職人の作ったものとは違う何かを感じたのはそこだった。力学的に無理のない構造であって、軽衝突にも耐える。祖父江氏の作品と相通ずるところである。
 当時の職人の作品の中で、巧拙以外の部分の本質的な良さを感じたのには、わけがあったのだ。

 ウォルト・ディズニーが直接訪ねて来た、というのも興味深い。名前が出ていたからだろう。KTMは個人名を出さなかったから、14,000輌も作ってもアメリカ人は祖父江氏のことを知らなかった。

 最近、当時の模型を手に取って見るチャンスが多くなった。概して、HOの模型の中では、出来が良いのにはなかなか巡り合わない。これではだめだ、という設計のものが多い中で、このTakenoの模型は光を放つ。

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2019年04月29日

Classic Trains

classic trains 時々買う季刊雑誌である。面白い記事が載っていることがある。古いTrains誌の記事を再構成したものもあるが、新しい切り口で見せてくれることが多い。

 今年は大陸横断鉄道開通150周年と、Big Boyが復活する予定なので、それに関する特集であった。その中で、注目すべきは、戦争中、Big BoyがLos Angeles方面に走っていた話である。ソルトレーク市から南方に走った話は小耳にはさんだ程度しか知らなかったが、この記事にはもう少し詳しく解説してある。転車台がないので大きな三角線を作ったらしい。石炭は途中で調達できた。その後、この線区に新しいBig Boyを導入する計画もあったそうだ。その簡単な図面も添えてある。

big boy 3SA heaterextended tender 最初の25輌と異なるところは、オイル焚きと水の容量増加である。テンダには従台車が付いている。あと、feed water heater をWorthington SA型にして煙室前方に置いたことだ。多少の煙室延長があるかもしれない。 

 この記事を書いているのはGil Bennet氏だ。筆者は彼をよく知っている。以前近所に住んでいた。大阪弁をしゃべるアメリカ人である。若い時、大阪に来ていたらしい。
 描いた絵をいくつか見せて貰ったが、結局買わなかった。当時は安かったが、今は名前が売れて、一流の作家になった。写真を見て描いているので、そこそこの出来だが、彼は蒸気機関車の構造には強いとは言えない人である。このような想像上の機関車を描くと、いくつかの破綻が出る。いずれお見せするが、今作りたい機関車(この絵とは異なる)も、その絵には奇妙なところがある。配管、機構などありえない構成になっていた。残念だ。
 ディーゼル電気機関車、タービン機関車の絵は、まあ問題ない。画集が出ていて買う人も居る。

 この増備型Big Boyの仕様を見ると、RodにもSKFのローラ・ベアリングが使われると書いてあるが、サイドロッド、メインロッドを指すかどうかは分からない。エキセントリック・ロッドの後端には以前からSKFのスフェリカル・ベアリングが使ってあった。これを指しているかもしれないのだ。

 実は、筆者はテンダが破損したBig Boyを持っている。どうせテンダを作るのなら、思い切ってこれにしてしまおうかとも思う。ロコサイクロで見つけた従台車の簡単な図面はある。

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2019年04月07日

Forney

 船はニカラグアのCorintoという港に半日泊まった。ホンデュラスに行けなかったのは残念だった。実は拙宅は、ホンデュラス・マホガニィをかなり使って建てている。どんなところか見たかったのだ。

Forny (5)Forny (6)Forny (7) コリントォでは市内見物するのに輪タクを雇った。英語がほとんど通じないので、かなり困ったが一巡りして、機関車があるというところに連れて行ってもらった。
 3 ft 6 inゲージのフォーニィが置いてあった。ごく適当にクレーンで吊ったらしく、サイドロッドは曲がっていた。

Forny (12)Forny (10)Forny (3) 日本の国鉄と同じゲージなのだが、このナロゥ感はすごい。しかしゲージが広すぎる。 この矛盾した感覚が面白い。もともとは3 ft 用なのだろう。それを無理に拡げたのだ。ボイラの低さ、細さが、かわいらしい。日本に持って来て国鉄の線路に載せるとどんな感じなのだろう。

Forny (2)Forny (9)Forny (8) 従台車がこれ以上ないほど簡略化されている。模型の方がややこしいのではないか、と思えるほど簡単である。乗り心地はひどそうだ。

 これで思いがけず叶った中南米訪問の報告を終える。


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2019年04月05日

運河の掘削

 パナマ運河は、当初水平式を計画したようだ。実際に掘り始めてはいるが、すぐに挫折した。スエズとは違って、途中の山を崩すのがあまりにも大変であったからだ。川を堰き止めて人口湖を作り、それでつなぐことにしたが、航路は屈曲している。最終的に峠を切り開かねばならなかった。ある程度真っ直ぐにしないと意味がないので、いくつかの山を削り取っている。

Culebra Cut その中で最大の難所が、この Culebra Cut である。ちょうど分水嶺になっている部分で、海水面からの高さは100mほどもあったろう。その山を全部掘り崩し、深く削ったのだ。工事は困難を極め、死傷者が続出した。岩が脆く、地滑りが起こりやすかったのだ。完成後にも何度か地滑りを起こし、運河は埋没したらしい。浚渫は何度も行われている。
 現在では特殊な杭(アンカー付き抑止杭を山に刺し、板で押さえて崩れないようにしてある。このあたりの説明を、船内の映画で何種類か見た。

 映画には当時の最新型の掘削機や、バケットを連続させたエクスカヴェ―タが登場した。すべて蒸気機関で動いている。ズリの運び出しにはダンプ機能を持つ貨車が初めて用いられた。斜面のガイドレイルに当てて、一編成を順次連続的にダンプする工夫で、今では常識的な手法だが、ここで用いられたのが最初らしい。

 工事に伴い病人が続出した。黄熱病、マラリアなど、蚊を媒介とする病気だ。それについては、世界で初めて、広大な地域全体を防除する体制が採られた。強い薬ではなく、特殊な油を薄く撒く方法である。蚊の親油性部分に付着して、生きていけなくする工夫であった。蚊は、水にぬれてはいけないところは水を弾くように出来ている。その部分は油にぬれやすいから、付着して呼吸できなくなる。
 その工夫は大きな効果を発揮し、病人は激減した。

 パナマ運河は、人類が成し遂げた大偉業であるというのは実感できる。現在の様子は、この動画で楽しめる。100倍速のタイム・ラプスで、数分で太平洋側からカリブ海へ抜ける全線が見られる。2分50秒辺りがクーレブラ・カットである。

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2018年12月21日

ロストワックス部品 出来

DSC_0216 正確にはインヴェストメント鋳造というべきである。ワックスは使っていないからだ。

 3Dプリンタで作った原型を埋没材 (investment) 中に埋めて焼成し、生じた空間に融解したブラスを流し込んで鋳造したものだ。拡大してあるので、3Dプリンタの積層面が見える。よく出来ている。六角ナットの角度はすべて違えてある。

 積層面は少し削れば見えなくなる。裏を少し削らねばならない。形成時に必要があって、厚みを少し増しているからだ。 丸棒に紙やすりを巻き付けて磨れば良い。この写真は積層面を目立たせる角度から光を当てている。

 さてこの機関車は何であろうか?実現しなかった機関車であるが、ある程度の設計は進んでいた。機関車の模型が完成したら、その写真をModel Railroader に送ってやると、たちまち載るだろう。注目を集めた機関車だったのだ。この機種には4という数字が付くはずであった。 

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2018年12月01日

ユニヴァーサル・ジョイントの問題

 阿里山のシェイの問題が明らかになって、多くの方から連絡を受けた。1960年代から様々の媒体でシェイの存在、運行状況が紹介されてきた。どの写真も位相が間違っているとのことである。それに気付かなかった日本の鉄道趣味界の底の浅さを残念に思う、という内容のものが多い。全くその通りなのである。自称技術者の人たちがどうしてそれに気付けなかったのかは、全くもって不思議である。

 それを受けて、northerns484氏が、数学的な証明を紹介されている。数学に自信のある方はじっくり取り組まれると良い。結論は単純である。機構学の教科書にも証明方法が載っている。この種の証明は図が勝負である。うまい絵が描いてあると一発でわかる。

 最近の記事は、「ユニヴァーサル・ジョイントの角度を同じにすれば等速になるので、ジョイントの位置を考える」ところまで来ている。ここまでは筆者も考えた。
 しばらく前の伊藤剛氏のアイデアが面白いので、紹介する。この記事は「模型大学」の2009年2月号に載っている。そこには筆者も登場しているのだ。

universal joint 2 二つのジョイントのなす角が等しくなるようにするのは難しいので、モータを動かすのだ。”えへへ冗談ですよ”と書いてあるが、無視できないアイデアである。
 モータはもう一つの台車の上に載せるとある。


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2018年10月12日

ブレーキ

 鉄道のブレーキは自動車に比べれば効きにくい。摩擦係数を考えれば自明だが、それが分からない人が居た。

 川端氏の体験談だ。関西線八田駅近くで、単機回送のC57を運転していたところ、踏切にトラックが入り込んでエンストしたらしい。すぐに急ブレーキを掛けたが間に合わず、トラックをはねた。そのトラックはばらばらになり、運転手は即死した。

 処理は終わったと思ったが、検察庁から二度も呼び出しが来た。そのトラックを見つけてからブレーキを掛けるまでの時間を問われたそうだ。すぐに掛けたと言っても信用しない。
「列車を牽いているならまだしも、単機回送なのだから直ちにブレーキを掛ければ、急停止できるはずだ。ぶつかっても仕方がないと、漫然とした運転をしていたに違いない。」
とその検事は嫌疑をかけ、主張を曲げない。
「どんなに急ブレーキを掛けても、止まれないものは止まれない。」
と言っても聞かない。話は平行線をたどり、実際に運転して現場検証をすることになった。

「はいそうですか、どうぞ。」
とやってみたところ、絶対に停止出来ないことが分かり、そのまま”嫌疑なし”で不問となったそうである。

 その検事は当時の県知事の甥であることをひけらかしたそうで、「腹の立つ奴だったなぁ」という感想であった。
 機関車が急ブレーキでつんのめるように止まることを想像すると、漫画のような珍妙な光景が思い浮かぶ。どうしてこんなことが分からないのか、筆者には理解できない。 

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2018年10月10日

御召し列車

お召し列車運転速度曲線 御召し列車の運転を任される機関士は、誰が見ても納得する人が選ばれるのだそうだ。結局のところ、そんな人は数多くはいないので、いつも同じ人が選ばれることが多いらしい。


 蟹江駅で被災したC57139は御召し列車に使われる機関車であった。ブレーキは多少効きにくいそうだ。わざとそうしてあるという話を聞いた。御召し列車では客車のブレーキは殆ど使わない。機関車のブレーキだけを使って止める。ショックが無いように、停止位置が所定の位置からずれないように、最深の注意を払って運転される。

 現在そのC57139は名古屋の金城埠頭にあるリニア・鉄道館にある。以前は千種駅北の旧国鉄の教習所であった中部鉄道学園にあった。名前が社員研修センターになってからもしばらくそこに置いてあった。聞くところによると、管理者側は持て余していたそうだ。

 以前はあまり感心しない状態であったが、現在は磨かれて置いてある。問題は、その保管場所が名古屋港内の0メートル地帯 低地にあることだ。潮風の問題(室内でも海塩の粒子は入り込む)と津波の問題がある。次の地震で押し寄せる津波は 5 mほどと予測されている。甚大な被害を受けるだろう可能性がある。こういうところに博物館を設置することにためらいがない、というのは理解できない。

<追記>
 ゼロメートル地帯ではないというご指摘を受けたので、表現を変えた。津波の予測高さは諸説あり、湾内であることを考えてもその程度はあると考えられる。現場に行って見た感じでは、設置場所の標高は低過ぎると感じている。
 津波は大きな潮位変化と考えれば、施設内各所にある排水溝から水が逆流することが想定されるが、果たしてそのようなことには対処されているのだろうか。
               2018年10月11日     

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2018年10月08日

豊橋空襲

 川端氏は昭和20年6月19日夜、乗務中に豊橋空襲を経験している。
 それは23時52分着の上り列車であった。3分の停車であったが、駅に到着するとすぐに駅長が走ってきて、すぐに出発せよと言う。旅客列車は、所定の時刻表より早く出発することが禁じられているにも関わらず、直ちに出発するように急かされたのだ。
 その駅長は山口氏、機関士は木村氏である。川端氏は機関助士であった。連絡を受けているうちに、少し離れたところで爆撃が始まった。機関車C59は全力を振り絞り、豊橋駅を離れた。駅構内を出て後ろを振り向くと、駅に爆弾が命中して、周辺は火の海となった。後1分出発が遅れたら、乗客1000人もろとも吹っ飛ぶところであった。まさに間一髪であった。 

 戦後、豊橋空襲が一体いつ始まったかということはよく分からず、19日の夜だという説と20日の午前1時ころとの説に分かれていたという。慰霊祭をいつにするかでいつも揉めていたのだそうだ。
NHKTV 昨年、それを聞いた川端氏が証言して決着が付いたのだそうである。乗務員は時刻を正確に認識している。当時の時刻表も見せて貰った。確かに11時52分着、55分発である。定時到着であったそうであるから、爆撃開始は11時55分前後である。これはNHKで放映された。
 川端氏は数字に強い人である。非常に細かい数字を完璧にそらんじている。

満州国皇帝溥儀乗用列車運転速度曲線 さらに珍しいものを見せて戴いた。満州国皇帝であった愛新覚羅溥儀が日本に来た時の、御召し列車の運行計画表である。実際に予行演習で走ってみて、その結果も書き込んである。その機関士であった人から貰ったものということだ。満州国の国旗もあったそうだが、それは畏れ多くて貰わなかったそうだが、あれば貴重なものである。満州国の国旗は黄色を基調としている。その国旗と日の丸を交差して機関車前方に付けたのだそうだ。


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2018年10月06日

川端新二氏の来訪

 先日川端新二氏のお宅にお邪魔してお話を伺った際、当博物館の話題が出た。川端氏も、椙山 満氏のところに何度も訪問されているから、模型は嫌いではないと思った。いらっしゃいませんかとお誘いすると、見たいとおっしゃるので、車でご案内した。

114_4574 レイアウトを見た感想をお聞きしたが、その中で一番印象に残ったのはこの転車台での機関車の状況だ。この写真は2年前のものを再録している。
「これは正解。機関車が外を向いて止まっている。なんでだか、わかるか?」
「外に向かって開いているから、作業する場所が広いからでしょうか。」
「いやそればかりではないよ。逆だと何が起こるか考えてみよ。」
工学エキスパートのT氏と頭をひねったが、思い付かなかった。

「たまにはドジをする奴もいるんだ。機関車が落ちると大変なんだよ。テンダが落ちても軽いからね。すぐ引き上げられるさ。機関車はそういかんよ。重いからね。落ちるとたぶん壊れる。修理に何日も掛かるだろう。テンダは水さえ漏れなければどうってことない。梅小路では機関車を転車台の方に向けているが、客受けを考えているんだろうね。」
ということであった。意外な答ではあったが、なるほどと思った。
川端新二氏 蔵書を丹念にご覧になって、この本は珍しいとか、様々なご意見を頂戴した。




quiz ここでクイズである。これは何だろう。大きさは背景のグラフ用紙が参考になるだろう。ひと目盛り 5 mmである。ピントが浅くて、手前のがぼけている。矢印のが形をよく表している。大きさは3種あるように見える。
 下が曲がっているのは、塗装時に穴から抜けにくくするために曲げた。最終的には切り落とす。色は緑を塗るように指定されていた。

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2018年10月04日

機関士

Engeer Takashi Fukui 福井機関士の話を聞いて気が付いたのは、機関士は判断力が全てだということである。Big Boyの機関士Tom Harveyも同じことを言っている。

「蒸気機関車の時代は、すべてを機関士が判断した。ところが、ディーゼルの時代になると、dispatcher(列車指令)がすべてを握っている。機関士は名前だけで、単なるスイッチを入れたり切ったりする仕事に成り下がった。無線電話というものがすべてを破壊した。どうしてこの経験ある優秀な機関士が、生意気なディスパッチャの指示を聞かなければならないのだ。そんな指示よりもっとうまい手があると言っても、いうことを聞かない。」
 Tom は、よくブチ切れていた。
 
 伊勢湾台風の時は停電し、鉄道電話も不通だった。現場の判断しかないのだ。今のJRの機関士に同じことができるだろうか。もちろん停電したらすべてアウトだが、機関車は動くとしても難しかろう。ちょっとした事故の時に後ろから見ていたが、Tomの言う通りで、列車指令の言うとおりにせねばならない。あの程度の仕事で良いなら筆者でも務まる。

 しばらく前に、八田駅と蟹江駅の中間に新設された春田駅の構内で、すれ違うはずの貨物列車が線路有効長より10mほど長く、対向列車が構内に進入できないという間抜けな事故があった。手動なら簡単に解決するが、CTCで遠隔操作しているので、解決法がない。残念なことに半日も不通であった。
 どうやって解決したのか知らないが、CTCは全能ではないことを思い知ったに違いない。プログラムが更新されたかどうかは知らない。

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2018年10月02日

続々 217列車

 機関助士の水谷久(ひさし)氏の家は養老方面にあった。桑名方面は水没しているので、名古屋、大垣廻りしか帰れないだろうと思った。3日目になっても見込みがないので、線路伝いに歩いて帰ることにした。10 kmほどを3時間以上掛けて歩いて、名古屋機関区に戻ったら大変な騒ぎであった。沢山の人が被災した。勤務中に妻子4人全員を失った機関士もいた。

 放置された客車には、家を失った人たちがたくさん住み着いた。この写真では周りの水は無くなっているが、堤防閉め切り工事が完成して排水が完了し、すべての陸地が姿を現したのは、2か月半後の事である。国鉄関西線は2か月運休し、その間に近鉄は突貫工事で狭軌を標準軌に敷き替えた。
 奇しくも9月26日は近鉄の標準軌化に備えた新しい木曽、揖斐長良橋の完工式典の日であった。式典の途中でテントが飛びそうになったらしい。このあたりのことは、youtubeで記録映画が見られる。
 筆者の学校は水没したので、1月まで学校に行かなくて済んだ。

Engineer Takashi Fukui 2 福井機関士は、国鉄総裁から人名救助で表彰され、のちに内閣総理大臣表彰も受けた。
「あの場面に居たら、誰でもそうする。そうする以外ないのだ。大したことではない。」
とは言うが、300人の命を救った判断は的確であった。蟹江駅付近は3 m以上の水深になった。そのまま停車していたら、多数の犠牲者が出たであろうことは間違いない。そもそも、八田で運転を打ち切っていれば、問題は無かったはずだ。鉄橋から列車が吹き落とされた可能性はあったが、そのことは不問にされた。

C5536 先行列車のC55 36は桑名の次の富田という駅で足止めを喰らった。デッキまで流木に囲まれて止まっている写真を見たことがある。
【この写真は中部日本新聞社(現中日新聞社)発行「伊勢湾台風の全容」よりコピーしたもの。2018年12月8日追補) 
 桑名駅が水没から脱したのちは、桑名に名古屋機関区の支区が置かれ、亀山、四日市方面からの列車は、桑名どまりであった。旅客は近鉄養老線経由で大垣方面に行った。
 急行「大和」は運休、急行「伊勢」は草津線経由となった。C55、C57、D51などは、転車台がないのでバック運転で列車を牽引した。筆者は、蒸気機関車がテンダを先にして運転しているのを見て驚いた。

 中学校の体育倉庫には遺体が並べられ、校庭でガソリンをまいて荼毘に付した。茨城の伯父が、はるばる3日も掛けて、養老線経由で大量の衣類、食料を担いで見舞いに来てくれた。

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2018年09月30日

続 217列車

 このまま増水すると危ない。既に水は客車の床あたりまで来た。まだ火が消えることは無い。機関士は列車を前進させて橋の上に行こうと思った。橋までは築堤で周りよりは高い。洪水からは逃れられる。駅長に出発すると伝えたが、ポイント切替のテコが流木で壊れていることが分かった。保線の人は水に飛び込んで、手探りで壊れている部分を探し出して外した。前照灯の光で照らし、かなり苦労して切替えたのち固定した。当時は蟹江駅には保線支区があったのだ。
 切替え完了の合図を受けて、機関車は汽笛を鳴らしながら暴風雨の中、濁流を掻き分けて前進した。風は強く、機関車がぐわぐわと揺れた。これは異常な事態だ。

 どんどん進んで橋の上に来た。機関車だけが橋の上に載っている状態でブレーキを掛け、手歯止めをした。いろいろなものが飛んできて、機関車にぶち当たる音がした。この川の水はまだ溢れるほどではなかった。
 真っ暗で何もわからなかったが、ただとても寒かった。雨合羽を体に巻き付けてしのいだ。

217列車 凄まじい数時間が過ぎ、朝になった。驚いたことに周りはすべて海になっていた。堤防の上の踏切を塞いでいるので、少し下がるべきだと思い、列車後端が水に浸からない程度まで下がった。そこで再度手歯止めを掛け、今後のことを考えた。(この写真は中日新聞社発行の「忘れない伊勢湾台風50年」p.18を拡大したもの。9月29日の撮影とあるから、3日目で多少水位が下がった状態である。)

 これは大変な災害だ。前のほうには桑名や四日市があるが、低い土地だからとんでもない被害を受けているだろう。さりとて後ろに下がろうにも水の深さは 2 m以上もある。これでは無理と考え、機関車の火を落とした。客車に乗っていた人たちは少し減った。近くの人は自分の家まで水の中を帰ったのだろう。遠くの人も徒歩で帰ろうとしたらしい。しかしそれは不可能であった。泥水が見渡す限りに広がっている。近所で被災して家を失った人は、客車に乗り込んできた。

 二日目の夜が来た。とても寒く、客車の中でまたもや雨合羽を着てしのいだ。食料はまだ来ない。駅から水を貰ったが、茶碗に一杯ほどしかなかった。次の日にパンを一つ貰った。それだけである。


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2018年09月28日

217列車

福井孝之機関士 その日、217列車は6時50分に6輌編成で名古屋駅を出た。機関車はC57139であった。亀山まで2時間弱の乗務である。
 機関士の福井孝之(たかし)氏は30歳になったばかりで、関西線の乗務はその日が初めてである。台風が近づいているので、運休になるかもしれないと思っていたが、定時に発車した。
 最初の駅の八田で停車した時、機関車が風で揺れたのを感じた。ただ事ではない。ところが駅長は信号を進行に変え、発車を促した。厄介払いしたかったのかもしれない、と感じたそうだ。
 列車は強風の中、築堤の勾配を登り、庄内川の鉄橋を渡った。その時、風で吹き落とされそうに感じたそうである。機関車が傾くのだから、客車は片輪が浮いたかもしれない。ともかく無事橋を渡り、次の駅の蟹江に近づくと、すぐ手前の福田川は堤防まで満水で溢れそうであった。
 
 蟹江駅に到着すると風はますます強さを増し、飛んできた瓦が機関車のボイラにガンガンと当った。これはまずいと思う間もなく、福田川の堤防が決壊し、水が流れ込んできた。流木がドドンと客車に当ったが、水の深さは腰のあたりで、まだ命の危険は感じなかった。困ったことに、客車の床下になだれ込んだ木材で、ブレーキ管が破損した。このままでは動くことができない。
 すぐに破損車輛を切り離すことにする。3輌だけにするのだが、連結部は既に水の中で、流木の中の危険な作業だ。手間取ったが、切り離しには成功した。辺りは停電し真っ暗だ。蒸気機関車は有難いことにタービン発電機を持っているから前照灯、キャブ室内灯は点く。近所の人たちは駅に逃げてきた。浸水して家には居られなくなったのだ。その人たちも客車に乗った。その時水はそれほど深くない。まだプラットフォームの上の水が、線路の方に流れ落ちる状態であった。火室の火が消える心配はなかった。


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2018年09月26日

伊勢湾台風

 今年も9月26日がやって来た。あれから59年経つ。その日は土曜日であった。行きたくない学校に着いたら、教師が「今日はもう帰りなさい。」と言う。校門を出たところで、木琴を置いてあったことを思い出し、取りに戻った。既に風は強く、それは生ぬるい風であった。
 木琴を持って帰ったのは正解で、学校は1か月ほど水没した。市内は完全に床上浸水し、潮の干満が家の中でもわかった。3日目の昼過ぎ、自衛隊が助けに来てくれた。なんと上陸用舟艇で海から上がってきたのである。中学校は自衛隊の基地になって、ヘリコプタの発着場になった。水が引いても、市内は泥の中であった。学校のピアノは海水に浸かり、全ての板が反りくり返って、バラバラになっていた。

 鉄道は2か月運行できなかった。その間に近鉄は”広軌化”し、国鉄に差を付けた。そのあたりのことは、井上 靖の小説「傾ける海」に詳しい。
 国鉄の蟹江駅を出てしばらく西に行ったところの本線上に、列車が2か月ほど止まっていた。駅に止まっていたら浸水が始まり、客車の床まで水が来たのである。機関士は、このままでは危ないと判断し、西進して鉄橋に這い上がったのだ。客車は6輌つないでいたが、切り離して3輌だけで駆け上がった。

 そのまま汽車は止まり、家を失った人はそこに住み着いていた。機関車は潮風で赤さびが出て、見るも無残であった。客車には10家族くらいが居た。

 その機関士が、10年ほど前新聞に紹介されたので名前が分かり、今回川端氏の紹介で健在であることを知った。一次情報蒐集家としては、どうしても会っておきたかった。新聞の記事は、どうも腑に落ちないところがあった。鉄道のことを知らない記者が書いているから、仕方がないのだ。

Engineer Takashi Fukui 3 その機関士は福井孝之氏である。89歳の今も、お元気で車を運転されている。駅まで迎えに来られて、乗せてもらった。信号で止まる時、一般人は減速率を変化させるのが通例である。福井氏は一定の減速率で、目的の場所にきちんと止まった。それは職業柄の癖であろうが、見事であった。


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2018年08月29日

ユニヴァ―サル・ジョイントの不等速性

 現物を手で廻してみると、この辺りは速くなる、この辺りは遅くなるというのが分かるが、紙の上で説明するのはなかなか難しい。傾いた軸を回転させながら正射影を見ると、回転部分の円周は楕円を描いている。周速度は一定でも、正射影は一定速ではないのだ。

universal joint そんな説明ではだめであるが、例の工学のエキスパートT氏が、素晴らしい絵を描いて送って下さったので、紹介したい。これを見れば一目瞭然である。よくもこんなうまい絵を描けるものだと、感心した。



 優秀な人は易しい説明で相手を納得させるという良い実例である。自称専門家は、専門用語を並べ立てて、相手を煙に巻こうとするが、それは説明能力がないことを立証していることに他ならない。

 先回紹介した音で角速度の変化を示す動画では飽き足らず、T氏は角速度変化を目でみる装置を作られた。まだ改良の余地があるそうで、この動画はより良いものができれば更新するそうだ。
 途中の黒いリンク装置は動力を二つに分けるクランクである。歯車ではバックラッシがあって誤差が出るので、クランクにしたそうだ。その部分は見る必要が無いのだ。向こうの回転板は左右で位相差が分かるようになっている。追い越したり、抜かれたりする。

 反対側から見た動画もある。


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2018年08月27日

阿里山のシェイ

 阿里山のシェイについては多くの方から情報を戴いた。古い写真を点検されて間違いを確認して下さった。
 結論として言えることは何も考えていなかった訳ではなく、間違った方向に統一したようだ。完全に孤立した社会で、他から全く干渉されなかったというのが、その間違いが温存された理由だろう。アメリカの場合は、シェイを使っているところがたくさんあるから、他所のを見るチャンスがあって、間違いを指摘されたりしたはずだ。

 トラックのドライヴ・シャフトの話も出たが、それは正規の位相しか組めないようになっているのだそうだから、間違いようがない。急勾配の曲線上で客貨車を押し上げている時、彼らは何を感じたのであろうか。振動して当たり前と思っているなら、悲しい。

 ちょうど友人のN氏が、1968年撮影というvideoを貸して下さった。DVDになっている原氏の台湾旅行記である。例によって撮りまくったもので、細かいところは一切写っていないが、当時の雰囲気は分かる。若かりし頃の 植松宏嘉氏の姿が写っていて、懐かしい。
 原氏は機械工学を専攻したことになっているのだから、気が付いてもよさそうだが、その件については何もない。

 最近のニュースによると、嘉義は大雨で浸水し、阿里山鉄道も運休のようだ。

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