タービン電気機関車

2012年05月27日

Illinois 鉄道博物館 再訪

 シカゴに戻って、最初にイリノイ鉄道博物館に行った。2年前にも行っているが、その時写真を写し損ねたものがあったので、それを撮りに行ったのだ。
 
COM_4181-2COM_4190-2COM_4196-2 それは8500hp タービン電気機関車である。この模型を作り始めて、かれこれ20年以上になる。
 分からないところがいっぱいあって、色々な本を買い集めたが、現物を見ないとどうしようもない。たとえ現物を見られても、上に登れないと面白くない。模型は屋根まで作らねばならないからだ。

COM_4200-2COM_4294-2COM_4199-2 この排気口の内部の写真は、まず公表されていない。今回はひょんなことから、その撮影ができた。Chicago O scale Meet の行事のひとつとして、この博物館の特別観覧があった。冬季閉鎖中の博物館に入れてくれるのである。
 行ってみたら、筆者が最初の訪問者で、あと10名ほどしかいなかった。主催者は「全ての扉を開放するから勝手に見てくれ(Self Guided Tour)。」と言う。
 これはチャンスである。「自己責任 (At your own risk) で上に登っても構わぬ。」というので、テンダから登って排気口を覗き込んだ。見ていた他の連中も、いろんな車輌に登って屋根の写真を撮り始めた。 

2010年11月22日

Coal Steam Turbine by MTH

C&O M-1 C&O鉄道はアメリカで最大の石炭運搬量を誇っていた。その石炭を燃やして走る蒸気タービン電気機関車M-1 を作ろうとしたのは、当然であろう。

 M-1 の車軸配置は例がないものであった。4-8-0+4-8-4という構成で前部に28トンの石炭、後部にボイラと発電機を搭載した。水はテンダに100トン積む。 1946年、この機関車はオハイオ州シンシナティ市から、ワシントンDCまでの1000キロを12時間で結ぶ特急列車のために計画された。この道は曲線と勾配が多く、蒸気機関車では困難な経路であった。ディーゼル機関車には石油を購入しなければならないが、蒸気タービンは石炭を燃やす。彼らはどうしてもこれを実現したかったようだ。

M-1 Coal bunkerM-1 roof 1947年に納車されたが、残念ながら、結果は思わしいものではなかった。石炭クズは動力台車のモータをショートさせることがあったし、ボイラが後ろ向きなので運転中に常に後を見る必要があった。コンピュータのない時代なので、それは大変なことであったと思われる。
 結局のところ採算が全く合わず、C&Oは1年でこの計画を放棄する羽目になる。1949年には解体されてしまった。  

M-1 rearM-1 front まさかその機関車が商品化されるとは思わなかった。MTHは2008年にこれを売り出した。先日千葉の川島教昭氏のお宅に伺った時に、写真を撮らせて戴いた。
 氏の方針で、全ての軸箱は可動式に作り替えられている。動力は全て新製である。三線式の模型を手に入れて改装されたそうで、改造には大変な手間を掛けられたようである。
 後テンダの高さを調整すれば出来上がりというところまで出来ている。テンダは肉厚のダイカストで、重くて仕方が無いので内側をフライスで肉抜きしたとおっしゃっていた。
 このような機関車を作って完売するMTHのマーケティングには感心する。ちなみに価格は1000ドルを少し切る。
 

2010年05月26日

Illinois Railway Museum その10

UP GTEL TruckUP GTEL Truck 2UP GTEL





UP GTEL Power Unit EndUP GTEL Tender EndUP GTEL Tender











 UPの3ユニット・タービン電気機関車を作っているので、詳細が分かる写真を撮った。尤も、このタイプのタービン機関車は30台あるが、全て外観が異なるから、特定番号機を作るときにしか役に立たない。
 今思えば、巨大な排気孔の中を、はしごをよじ登って写すべきであった。内部の写真は2枚しか公表されていないから、貴重なものになったはずだ。

 側面のはしごの出具合などの参考になる。台車も以前見たタイプといろいろなところが微妙に違う。


2007年08月24日

Prime Mover

 プライム・ムーヴァとは何かという質問を受けた。Primeとはラテン語の「No.1」という意味である。Moverは動かすものであり、現代語訳としては「原動機」ということになる。

 蒸気機関車には使わない。それ自身が原動機だからだ。製材工場内の据え置き式蒸気機関には使う。ディーゼル電気機関車、タービン電気機関車では、それぞれディーゼル・エンジン、ガス・タービン・エンジンを指す。

 アメリカやイギリスの本を見ていると、よく出てくる表現である。

精神的な原動力となる人物にも使う表現である。ある集団で中心になる人をPrime Moverというが、最近はあまり聞かなくなった。1970年代のアメリカではよく使われた。元々はこの世を創った「神」という意味であった。

 機関車の内容説明の文書には必ず出てくる。エンジンと言えば済むことなのに、どうしてこのような長い言葉を使うのだろうか。

エンジンにはさまざまな補機類が付いている、冷却水ポンプ、過給機、潤滑油ポンプ、燃料噴射ポンプ、これらはSecondary Moverと呼ばれる。

 それでは発電機(Generator, Alternator)、駆動用モータ(Traction Motor)は何に属するかというと、これらは動力伝達装置である。

タービン電気機関車の場合、補助動力用に小さい(といっても750馬力)のディーゼル・エンジンが載っている。これは補機類の駆動用と、機関区構内での低速移動用だそうだからSecondary Moverなのだろう。

2007年08月21日

ダイナミック・ブレーキを掛ける

 Steffes氏の本の中に、ダイナミック・ブレーキの効かせ方についての記述があった。Tom Harveyからも聞いていたことなので、極めて普遍的な話であろう。

 長大な貨物列車を牽いて、坂を越えていく。峠を越えると、そのまま下っていくが、この時各車両間の連結器には力が掛かっていない。隙間が空いている。

 そこで機関車だけに少しブレーキを掛ける。すると、貨車は前からズンズンと連結器の隙間を詰めていく。その衝撃はとても弱いものだが、体で感じることが出来るものらしい。

 全部の連結器が詰まった状態になったのを確認して、ダイナミック・ブレーキを効かせるのだそうだ。効かせ方は、当然最初は緩く、徐々に強くしていく。後ろから貨物列車がすごい勢いで押してくるのが分かるそうだ。

 ブレーキ・グリッドは赤熱し、放熱ファンは最高速で廻る。その音を聞いていなければならない。何かの故障でファンが止まれば、それはとんでもない事故の前兆だ。

 機関車のエンジンルームの上にはダイナミック・ブレーキ装置が載っている。そのファンも廻すようにした模型を作った日本のメーカがあった。さすがにアメリカの雑誌では酷評されていた。巡航時には動くはずは無い。さりとて、ブレーキを掛けたときだけ動かそうと思うと大変だ。

 筆者のDDA40Xの一台にはダイナミック・ブレーキが搭載されている。ブレーキを効かせたときは、サウンド装置のダイナミック・ブレーキ音が同期するようになっている。つまらぬ装置だが簡単に出来て楽しみを増加させる。いずれ、ファンも廻すように出来るだろうか。
 

2007年04月06日

続 3-unit Turbine 

UP14  この写真は24mmレンズで撮ってある。f11まで絞ってあるので、周辺光量も十分だ。隅々まで高い解像度を持つすばらしいレンズであった。

 露出計は入射光型を使うので、このような近距離の被写体では完璧な露出ができる。筆者はTTL(レンズを通った光を測定する方式、現在は全てこの方式である)露出計に対して妙な嫌悪感を持ち、未だに信用していない。NikonF4あたりからTTLの精度は確実に上がったが、それに入射光型の方のデータを加味して撮影する。

 もっとも、最近のフィルムはラチチュード(露出の過多、過少に対する許容度)が大きくなったので、TTL プラス モータドライヴで適当に撮っても何とかなるようだ。

 コダクロームの時代は1/3絞りの過多で全く駄目になったものだ。1970年頃、終戦直後にアメリカ軍の将校が撮ったコダクロームを見て、その鮮やかさに驚いたものだ。ネガフィルムはほとんど退色していくが、陽画はほとんどそのまま残すことができる。

 それ以来、重要な写真は全てコダクロームのスライドにしてある。

B unit Ladder さて、これは現在のオグデンの博物館のUP26である。B-unitのハシゴの内1本は台車の回転の邪魔にならぬよう、かなり外にぶら下げてある。模型化するとき、ここの処理が重要なポイントになる。ほとんどの模型は、ハシゴを車体と同一面に取り付けているので、台車の回転を妨げている。           

2007年04月05日

3-unit Turbine

3-unit Turbine Engine この写真は本邦初公開である。1977年の8月、ソルトレーク市の機関区のはずれで撮ったものである。これもコダクロームである。

 友人のフランクが、突然やってきて、「タービンがいる!」と言うのである。廃車になって10年以上経つから、ありえない話だと思ったが、彼の車に飛び乗って駆けつけた。

 確かに居た。どう考えても理屈に合わない。どこかから回送されて来て、たまたまそこに居たのだろうか。一週間後には消えていた。

 その前につながっているのはGP-9やSD-7である。あちこちの機関区から廃車予定の機関車を集めていたのであろう。このとき以来GP-9は見かけない。

 Aユニットだけが2台つながれていた。これは厳密にはタービン機関車ではない。正確にはコントロール・ユニットと呼ばれて、補助機関の750馬力ディーゼルエンジンを積んでいる。これでブレーキ用の空気圧縮、励磁などを行う。

 タービンの発音であるが、最近"ターバイン"という人をよく見かける。"タービン"と発音しないと、野卑な感じがする。

 携帯電話でインターネットなどをするとき"モーバイル"というのも、筆者にはとても気になる。教養ある人はモービルと言う。

2007年03月30日

Ogden Union Station

Ogden Union Station これも70年代の写真である。オグデンはソルトレークの北約60キロにあり、SP,UPの接続駅であった。70年代にはもう旅客列車は少なかったが、どうしても乗りたくなって、ネバダ州Rinoまで行くことになった。 
  
 切符を買って所定の時間に駅に行ったが、汽車(AMTRAK)は来ない。駅員は「今日は貨物列車が脱線したから、カンザスシティー経由でしか来られない。8時間遅れだ。」と言う。仕方が無いから、市内の友達の家で泊めてもらい、早朝に駅に行った。

 駅員は「お前は日本人か?日本にはシンカンセンという列車があるそうだな。どれくらい速いか。」と聞く。「最高速は140マイル位かな。」と答えると、「な−んだ、その程度か。この国でもそれくらいの最高速を出せる機関車はある。」と言う。

 「でも、それが15分おきに走っている」というと、目を丸くして驚いた。「本当か?列車の間隔がそんなに狭くて追突はしないのか。」と聞く。「旅客列車にそんなに人が乗るのかね。こちらの旅客列車は週2便だけどな。」

 これは30年前の話だが、今でも旅客列車はとても少ない。新幹線が5分おきに走っていることをアメリカの人たちは理解できないだろう。

UP822 FEF2 at Ogden さて、今回は久しぶりにオグデンの博物館を訪ねた。Union Stationが博物館になっている。中にはソルトレークを 渡っていた木橋の実物も展示してあった。屋外にはFEF2の833号機、DDA40X、3-unitタービン電気機関車などが展示してある。以前は柵の中には立ち入り禁止であったのに、どういうわけか中に入れた。

UP26 at Ogden RR Museum 展示物の下にもぐりこむ事も可能であったので、タービン機関車の床下の写真をたくさん撮ってきた。
 

2007年03月28日

Echo Canyon

Echo Canyon エコー・キャニヨンは、グリーンリヴァーとソルトレークシティーの中間にある。

 細い谷ではあるが勾配が小さく、鉄道を敷くには適した場所である。ここは筆者がもっとも好きな鉄道風景である。

 古い映画を見ると、この谷を汽笛を響かせながらBig Boyやタービン電気機関車が100両もの貨車を引いて走る様子がよく出てくる。

 実際にこの谷に立って。音を聞くと遠くの方から機関車の音が響いてくる。最近は高速道路のトラックのエンジン音が邪魔をするが、それでもよく聞こえる。

 手を振って汽笛を鳴らしてもらうと、音がこだまするのがよく聞こえる。

 すばらしい写真が紹介されているのでご覧戴きたい。

 この写真は、エコー・キャニヨンの東の出口から望遠レンズで撮ったものである。このまましばらく東に向かうとUPの本線は上下二段になり、崖にへばりついて走る。その写真は80年ころの雑誌に発表したことがある。

 筆者のレイアウトの半分はその情景を再現している。

2006年09月29日

Janのエッチングキット

c4b61f1d.jpg この写真の右手にボディ側面の傾斜が始まる部分がある。その線で車体が接続されている。窓枠もその線の延長上で接続される。こんな細いところでつながなくてもとも思うが、これがなかなかよいアイデアで車体の曲げ加工が簡単にできるようになっている。このGTELはヴェランダ・タービンと呼ばれている。回廊部屋根のひさし高さで全周を継いであるのだ。

 こうすることによって、エッチング板の構成が非常に簡単になり、価格を低く抑えている。
 
 細い窓枠の裏にはブラスの線を貼り付けておけば外れることはない。外側に見える継ぎ目は、やすり落としてしまえばよい。
 
 初め、このキットを見たとき、「こんなもの、できるものか」と思ったが組み立ては容易で、驚いた。
このような発想のキットは他に例を見ない。

 Janのキットにはホワイトメタルが多用される。先日のEMDE-8もそうである。出来がよければいいのだが、たいてい何かおかしい。

 「ここのキットを元に作りました」という作品のうち、素晴らしい出来のものは、エッチング板以外はすべて作り直したものが殆どだ。

 Janは数年前に亡くなった。

2006年09月10日

3-unit GTEL

3492a22d.jpg GTELとはGas Turbine Electric Locomotiveのことである。ディーゼル機関ではなくガスタービンで発電機を動かし、それを各軸のモータに分配して列車を牽く機関車を言う。
 日本のこれまでのディーゼル機関車には電気式のものは少ない。最近久しぶりに電気式が現れた程度であるが、アメリカはその逆で殆どが電気式である。大出力ではトルクコンバータ内のクラッチが持たないからである。
 
 Union Pacific鉄道は世界の鉄道の中で、その種の機関車を最も多く保有し、稼動させた鉄道である。初期のものは4500馬力程度であったが、何度かの改良により最終的に8500馬力の機関車を30両稼動させた。この写真の機関車はその中で最終機番であり、意欲的な改造実験により11,000馬力を叩き出したモデルである。
 
 8500馬力級の機関車は3ユニットに分かれ、1両目はコントロールユニット、2両目はパワァユニット、3両目はテンダ(炭水車)である。もっとも石炭ではなく重油を積んでいる。重油は粘いので、ヒータで予熱して圧送する。水は積んでいない。

1両目には補助のディーゼル機関(それでも750馬力ある)と空気圧縮機などの補機類を積み、2両目にはガスタービンが積まれている。排ガスは2両目の最後尾から、炭水車の上をかすめて斜め後ろに噴き出す。その音はまさにジェット機の離陸時の轟音であり、UPのように田舎を走る鉄道にしか許されない凄まじさであった。

 そもそもどうしてこのようなタービン機関車が導入されたのかというと、燃料費の高騰に端を発している。ディーゼル用の軽油の値段に比べ4分の1のC重油を使うにはもっとも簡単な方法であったそうだ。ただし、距離あたりの消費量は軽油の2倍ほども喰い、決して良くなかった。機関車自体の保守費用を考えると、高性能なディーゼル機関車が出現すれば、負けそうな範囲にあったという。
 しかも、アイドリング時でもフルパワァの半分もの燃料を無駄喰いしたのである。

 事実5000馬力のDD35、6600馬力クラスのDDA40Xが出現すると、たちまち廃車になってしまった。しかしこの機関車は、UPの飽くなきハイパワァへの挑戦を象徴している。そしていつの世の鉄道ファンも、これを特別な機関車として敬愛の目で見つめるのである。


 

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