鉄道模型

2017年08月02日

ダイキャスト部品の膨張

 ダイキャスト部品が使われている模型は、定期的に点検をしないと具合が悪くなることがある。
 戦後すぐのダイキャストはボロボロになったものが大半だ。合金中に異種の金属が入っていると、金属の結晶隙間で腐食が起こりやすいからだ。最終的に粉になってしまう。
 そこまでひどくなくても、鋳物が膨らむことがある。1%以下の膨張であるが、篏合させてある部品が外れて、ばらばらになる。ギヤボックスが膨らめば、ギヤの噛合いが悪くなるだろう。

diecast expansion この写真をご覧戴きたい。KTMが1970年ごろ作って輸出したものであるが、台車がバラバラである。軸箱はたくさん必要であるので、ダイキャストで作った方が安いと判断したのだろう。以前はブラスの角棒から挽き出した軸箱体に、ドロップ製のベアリング・キャップをハンダ付けしていた。
 含油合金で作った軸受をダイキャスト部品の中に押し込んで作ったのだが、50年近く経つと、抜け落ちている。割れているわけではないのだが、ごそごそである。いずれ割れるのであろうか。仕方がないので、フライスで角棒を挽いて軸箱体を作る。それにロストワックスで作ったベアリング・キャップをハンダ付けした。かなりの手間である。
 長年のうちに集めたディーゼル電気機関車のうち、半数が修理不能であったが、この半年のうちに殆ど作り直した。フライス盤あればこそである。それと金属回収業の人と仲良くして、大量の材料を持っているからできることである。

 やはり亜鉛ダイキャストは信用できない。ブラスに限る。


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2017年03月15日

Kimpei Sofue’s life  (8)

 祖父江氏が亡くなる前から、彼を「O scaleの殿堂」入りをさせるべく、運動を始めた。アメリカの友人たちがそれを後押ししてくれたが、5年以上の時間を要した。存命中に殿堂入りが果たせれば、祖父江氏にとって素晴らしいことだったのだが、それは実現しなかった。
 ともかく、日本人の殿堂入り(2016)は初めてであり、日本の模型人はそれを誇りに思う。

 祖父江氏の影響力は大きく、プラスティック製機関車の上にもそれが表れている。
 RivarossiのIndiana Harbor Beltという0-8-0のOスケール・モデルをご存じだろう。それは祖父江氏の作った0-8-0を元にしている。
 祖父江氏はこう言った。
「US Hobbiesの0-8-0を作った時にね、3箇所間違えちまったんだよ。それがねえ、全部リバロッシの模型にあるんだ。本当に参っちまうよ。」
また、ブラス製HO模型のいくつかは、彼のOスケールの縮小ヴァージョンである。

 祖父江氏は3条ウォーム、ボールベアリング化の改造工事を、1000輌以上の機関車に施した。私の手元には100輌近くあり、近く開館予定の博物館で展示走行する。それらは信じられないほど滑らかでパワフルである。ギヤは15ワットの出力を伝達でき、強力なコアレスモータで120輌の列車をやすやすと牽引する。

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2017年03月11日

Kimpei Sofue’s life  (6)

 次に、私の友人であるUnion Pacific鉄道の機関士Tom Harveyに会いに行った。トムはBig Boy、Challengerおよび4-8-4を運転したのだ。 Cheyenneの機関庫に行って、保存機となっているそれらを見せてもらった。祖父江氏はビッグボーイに強い興味を示した。彼はすでに1000輌近く、その模型を作っていたのだが、それらをはるかに凌ぐSuper Big Boyを作ってみたかった。そこでDenverのForny Museumに行って、写真を撮った。その頃は、機関車に登って上から写真を撮ることが許されていたので、すべての蓋を開けて内部を撮ることができた。

 1987年に、あるスポンサーが現れた。その人は株を売買していた。スーパー・ビッグボーイ を発注したのだ。ところが、彼は総費用の半分を払ったところで倒産してしまったのだ。祖父江氏は経済的に多大な被害を受けたが、30輌を完成させた。

 1990年になると、アメリカの輸入業者は日本からの輸入をやめてしまった。祖父江氏は、いよいよ窮地に追い詰められた。私は彼を助けるため、日本国内の裕福な友人を紹介すると、1番ゲージのドイツの機関車の手作りをすることになった。製品はぞくぞくするほど素晴らしい出来であった。たいていは3輌、時に5輌、10輌という生産であった。しかし彼は幸せではなかった。

 彼はOゲージを作りたかった。彼曰く、「Oゲージは正しいサイズだ。1番ゲージは大き過ぎて、片手で持つには大きすぎる。 HOはメカニズムを楽しむには小さ過ぎる。」

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2017年03月09日

Kimpei Sofue’s life  (5)

 そして、ミルウォーキィで開かれたNMRA(全国鉄道模型協会)のコンヴェンションに行き、我々の”押して動く機関車”を披露した。かなり劇的な展開であった。いくつかの注文を受けることができたし、あるアメリカ人は日本に来て、UPの4-8-4を輸入したいと言ってきた。それはKTMーUSAという名前で輸入された。
 その機関車はそのころまでの模型とは全く異なり、3条ウォーム・ギヤ、コアレスモータと素晴らしいディテールを持っていた。写真で、煙室内部を示した。

 それが終わると、デトロイトのDick Tomlinsonのところに泊めてもらった。彼は70年代にデトロイト模型鉄道クラブの会長であった。彼はアレゲニィを私たちに見せるために、ヘンリィ・フォード博物館に連れて行ってくれた。祖父江氏はこの機関車を300輌以上作っていた。彼は一箇所を除き、その全てを知っていた。その一箇所とは、パイロットの上の小さなステップの上面である。滑り止めのパターンがどうなっているかを知りたかった。ディックは警官で、仲の良い友達が博物館の警備主任であった。彼は警備主任に、機関車に上っても良いという、特別許可を出すよう頼んでくれたのだ。

 祖父江氏の勘は当たっていた。その面は祖父江氏に手に入るいかなる写真でも見ることができなかったのだ。ところが、10秒もしないうちに、笛を吹きながら警備員が走って来た。
「降りろ、このクソッタレ。降りろ。」
「私たちは特別許可を得ている。」と答えると、
「黙れ、降りて来い。逮捕する。」と警備員が怒鳴った。
 警備主任が、「もういい。行きたまえ。」と言ってくれたので、我々は何もされなかった。

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2017年03月03日

Kimpei Sofue’s life  (2)

 祖父江氏は1922年、東京に生まれた。父親は建具職人であった。父方の伯父は日本刀の鞘を作る職人であった。祖父江氏は中学校時代からブラスの切れ端で蒸気機関車を作っていた。科学雑誌を見て知識を得、駅で本物を見てメカニズムを理解した。
 彼は本物の機関車の部品を作る工場に就職した。速度計、インジェクタ、自動逆転器、汽笛、ベル(満鉄の機関車用)などを作った。そして会社の中の学校に通う許可を得た。そこでは図面の描き方、機械工学を習った。これが彼の作る機関車が他と違う理由である。
 戦争中は軍艦の部品を作る工場で働いた。彼の技量は傑出していて、兵役を免除された。他の誰も彼の代わりができなかったのである。戦争中でさえも、彼は小さな機関車を作っていたという。(訳者注 3台作ったが、戦後の混乱期にGIに売って食べるものになったそうである。)

 戦後、日本は連合軍によって占領された。彼はKTMで工場長として働き始めた。KTMはもともとはゴム動力の飛行機模型を売っていた。たくさんの兵隊が、彼に機関車の模型を作るように頼んだ。写真を数枚と、車輪径などの諸元しか寄こさなかったが、彼は1週間に1輌!ほどの速さで作った。
 ある将校がKTMにロボゥの機関車を持ってきて、そのコピィを作ってくれと言った。ロボゥは素晴らしい模型メーカで、いくつかのアイデアはKTMによって使われた。たとえば、先台車のセンタピンは長いネジで、シリンダ・ブロックを貫通してボイラを留めた。また、KTMのモータはロボゥの形を真似ている。

 東京の立川基地の格納庫の天井裏にはなかなか良いOスケールのレイアウトがあった。祖父江氏は背が低くて見えなかったので、誰かが肩車をして、見せてくれた。それは15メートル角くらいの大きさで、素晴らしい出来だった。そこには祖父江氏の機関車が走っていた。その場所には何度か連れて行ってもらった。

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2017年02月27日

祖父江欣平氏の生涯

 OSRの最新号が出たKimpei Sofue。かねてより依頼のあった祖父江氏の生涯について書いた。いつか発表するつもりで祖父江氏の生涯について書いておいたものを、投稿した。1999年にワープロで打って、ご本人に修正して戴いたものだ。直筆での添削が入っているから、今となっては貴重なものである。博物館で保存する。

 英語訳は何回も書き直した。「もしこうだったならば、このようになっていただろう。」という仮定法過去完了の表現が必要であったので、堅苦しいがお許し願いたい。ほとんど書いたとおりに出てしまった。編集者による添削を期待していたのだが、そのままでよいということになった。

 "a stag at bay" という表現があるが、「いよいよ追い詰められた」という意味である。これは、過去の人生で2回しか使ったことが無い表現だ。この表現は編集者に褒められた。

 写真を探して、表情の良いものを選んだ。工場の様子はあまり生々しいものは避け、半製品が積まれている様子を載せた。
 14,000輌もの機関車を数人で作っていたのだ。ハンダ付け、小さな旋盤仕事などはアルバイトの女工さんがしていた。祖父江氏は彼女らに組ませるキットを作っていたのだ。この14,000という数字は、聞いた人が誰しも驚く数字だ。 


 編集者は、
「とてもすばらしい。読んで、ためになる。多くの人たちがこの話を喜んで読むだろう。もしこの歴史を貴方が書いてくれなかったなら、誰も知らずに終わってしまっただろう。」
と書いてきた。

 思った以上の反応でうれしい。

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2016年12月25日

等角逆捻り機構の英語訳

 the O scale Resourceの1.2月号が出た。拙稿も掲載されている。編集者と会った時に、ぜひこれを載せたいと乞われたので、原稿を送った。
 問題はその英訳である。same angle opposite twist mechanism で、SAOTでどうかという話もあったが、northerns484氏が、symmetricalという言葉を薦めて下さった。symmetrical twisting か symmetrical tilting のどちらがよいか編集者に聞いてみた。多少の時間が掛かったが、結局後者に決まった。今後これで行こうと思う。

等角逆ひねりe3 今回の投稿で最も大切な部分はこの図である。等角逆捻り機構の意味が分かるようにした。鉛筆でスケッチして northerns484氏に送り、3次元の作図をして戴いた。視点を上下して、最も効果的な角度で表した。

 ロンビックもフカヒレも結局はこの動作(あるいは疑似動作)をさせているわけで、それさえ理解できれば、細かい理屈はどうでもよくなる。

 動画が要るというので、慌てて撮った。時間がなく、一回きりの撮影である。台本も作らず、実にいい加減な動画撮影であったのは反省している。いずれ撮り直したい。
 グネグネ線路を走ってくる様子は、大変気に入ったようで、素晴らしいと言っていた。

 あといくつかのネタで編集サイドからの要望があり、いずれ発表される。 

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2016年09月28日

続 関西合運

 筆者の属するJORC関西には様々なお客様がいらしたが、
「ブログをいつも拝見してますよ。」
と仰る方が多く、驚いた。

 ガーダー橋を持って行ったが、意外と人気があり、皆さんが手に持って、その重さと構成を吟味された。意外なのは支承が人気であったことだ。可動する支承は初めて見たという方が多い。
 ダイキャスト部分はかなり欠陥があり、パテで埋めなければならないことを指摘されている。塗装するので全く問題ないであろう。
 トラス橋の図面も持って行った。その規模、精緻な設計には賞賛を戴いた。レーザによる加工手段がなければ、とてもできる代物ではない。
 ブレイスが同位相あるいは逆位相の件については、構造の専門家がいらして、実例を示して話をしてくださった。災害時に橋台の半分が無くなったりした時には、逆位相のほうが落橋せず、生き残る率が高いらしい。
 ピッツバーグ市内の同位相の例の話は面白いとのことであった。

 持って行った貨車は少なかったが、手で押すと、するするとどこまでも滑走するのが面白く、何度も実演した。
「今までの鉄道模型の概念を崩しましたね。」と言われた方があった。
「いやそうではなくて、鉄道というものは、もともとそういうものなのです。模型がその特性を再現するように方向づけられなかったのが間違っていたと思います。」
と答えると、
「全くその通りですね。潤滑というものすら抜けている車輛がありますからね。」

 軸受からキーキーと音を出して走る車輛は少なくない。

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2016年09月02日

祖父江欣平氏の殿堂入り

 祖父江欣平氏を、O Scale Hall of Fameに入れようと、過去5年ほど動いてきた。その前の段階から考えると、もう10年もやって来たことになる。

 DavidはワシントンDCの弁護士で、この運動に力を入れてくれていた。今まで殿堂入りした人は、すべてアメリカ人だ。その点も難しいところであった。
 筆者は各地で何回か、祖父江氏に関するクリニック、”The man who built engines for Max Gray" を講演した。参加者はすべて、祖父江氏のファンになり、運動を後押ししてくれた。O Scaleのコンヴェンションをまとめる評議会で何度も話題になったらしいが、すでにその年の人選が終わっていて、難しかったようだ。
 ようやく、今年になって可能性があるという知らせをもらったが、決定を知らされたのは最近だ。日本人が、アメリカの殿堂入りをするということは、画期的なことであり、日本の模型界のみならず、世界に影響を与えた模型人という意味でも、我々模型ファンは深く心に刻むべきことであろう。
 写真を送らねばならない。良い表情のものを探している。
  
 これは、もちろん日本の模型雑誌でも発表すべきことである。さて、どんな扱いになるだろうか。雑誌社にコンタクトしたいが、先年コンピュータが2台ともクラッシュして、アドレスが行くえ不明になってしまった。 

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2016年07月09日

Walker氏のこと その9

 Walker氏の模型は、すべて完成後、大同製鋼の集会室で運転をしたのだそうだ。戦災で焼け残った大きな建物は少なかったようだ。おそらく旅客列車が写っている場面がそれなのだろう。
 詳しくはわからないが、中央三線式交流18 V 程度であったろう。HOが12 V になったのは比較的古いが、大規模なOゲージ、1番ゲージは電圧を高くしておく必要があったと思われる。

 ウォーカー氏は帰国時に、
「これらは日本の模型人のレベルの高さをアメリカに知らせる良い見本だ。アメリカ中でこれを見せるツアをする。」と言ったそうだが、それをしたという話はどこからも聞こえてこなかった。彼自身もこれが賄賂性があることを認識していたはずだから、そんなことはできなかっただろう。

 1980年代の終わり頃、名古屋模型鉄道クラブに一通の手紙が舞い込んだ。それはウォーカー氏の子息からのもので、
「里帰りさせたい。」
とあったが、よく読むと、要するに買い取ってくれないか、というものだったそうだ。
 当時筆者はアメリカに居たので、間接的にしか知らないが、乗用車1台分くらいの価格であったそうだ。

 後で土屋氏にその話をすると、
「買っていたかも知れんな。」
と仰った。

 その後、その話は全く消えてしまったので、どうなったのかは分からない。一度見てみたいものだが、手掛かりを探すだけでもかなり時間が掛かりそうだ。

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2016年07月03日

Walker氏のこと その6

baggage Walker氏はライオネルをたくさん持っていたらしい。剛氏たちはそれを見せて貰って、内部を考察し、TMSなどに解説記事をたくさん書いている。 
 井上豊氏は汽笛の構造に興味を持ち、その中に針金を突っ込んで内部の様子を調べ、その通りに再現したものを作った。ちゃんと本物と同様の音がしたそうだ。そのあたりの様子は、「高級モデルノート」などに再録記事が載っている。

coachcoach interior いかんせん、ライオネルはおもちゃであり、模型ではない。伊藤 剛氏率いる名古屋模型鉄道クラブは模型を作っていた。より精密で、実感的なものだ。
 その点、Walker氏も同様で、スケールモデルの美しさには敵わないことを認めていた。だからこそ、このプロジェクトで鉄道模型が賄賂として機能したのだ。

 伊藤 剛氏からこのアルバムを譲られたとき、
「あなたのブログで紹介して下さい。ただし私たちがみんなこの世に居なくなってからにしてくださいよ。なんと言っても賄賂であることは否定できないですからね。私たちは胸を張ってこれを見せられるかと言うと、決してそうではないのですよ。」
と仰った。

 賄賂としての鉄道模型は絶大なる効果を発揮し、それらを作ってくれる人たちがいる工場には、決して無理難題を言わなかったそうだ。

 その製作に関して得た知識は、その後模型製作に大いに貢献した。私たちもその恩恵を受けていることになる。

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2016年07月01日

Walker氏のこと その5

40-ft Reafer and hopper car この写真の裏にはこのような文章が書きこまれている。(原文ママ

 砂利を敷いた線路の上の七両の貨車は、内部も本物そっくり、
 トビラを開けば、電燈もともり、左は冷蔵庫、右は小麦、セメントなど積み込む貨車で、底が開くようになっている 製作費十万円


 その通りなのであろうが、この金額は7輌分なのであろうか。昭和24年当時の10万円は大金である。今の200万円くらいに相当するかもしれない。

 caboosecaboose interior このカブースの内部の写真をご覧戴きたい。室内灯が点き、ストーヴがある。煙突にストーヴ本体が付いているのが面白い。煙突部分でつなぐというのは素人の発想なのだろうか。

 貨車のブレーキハンドルは鋳鋼製であったそうだ。伊藤剛氏はこれからは鋳鋼の時代だと思って、どの程度薄くできるかの試験をしたそうだ。結果は0.5 mmだそうだ。したがってこれらにはその技術を使われていて、鋳鋼でできている。もちろん台車枠も鋳鋼だ。

 本物の動くところはすべて動くようにした。ハンドルを廻すと、鎖が巻上げられてブレーキが掛かったそうだ。これらの鋳物は大同製鋼で作らせた。

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2016年05月22日

吸音材

 ゴムは重い。5 mm厚の1 m幅の1 m当たりの質量は8 kg以上である。10 mあったので、80 kg以上あったことになる。道床下張りにはそれを80 mm幅に切って使った。それだけでも 1 m当たり 640 gほどもあるのだ。

 天然ゴムは水の密度よりわずかに軽い程度だが、この黒ゴムは重い。充填剤がかなり入っているのだろう。

 隠しヤードの先端部分 5 mは、低発泡ポリ塩化ビニルのシートである。工業用のシートで、工場の棚に敷くものだそうだ。大切な工具を置くとき、傷まないようにするのだろう。かなりの面積を戴いたので、それを重ねて貼る。表面が緑で、裏は黒だ。これも重いものである。

 ポリ塩化ビニルは黒ゴムの密度と同程度だろう。いずれにせよ、厚いものを使うと効果があるので、重くなる。

 コルクは全く機能しないことを書いたが、相変わらず吸音性があると称して売っている。驚いたことに、ウィキペディアに、”コルク道床”という項目まである。Google で調べると、無数の写真がある。どなたも効果があると信じていらっしゃるのだろう。ゴムを試すべきだ。吸音能力の大きさにあまりにも大きな差があって、驚くだろう。
 ウィキペディアの間違いは多い。信じがたいほど派手に間違っている。ロンビック・イコライザの項は相変わらず、めちゃくちゃだ。どなたか書き直して戴きたい。 

 ゴム道床を試してみれば良いのに、と思う。走らせて楽しむのだから、より良い方法へと模索するのが正しい姿だ。本に書いてあるからとか、先輩が使っているからと言って採用するのは、賢明とは思えない。
 ゴムは相対的には安いものだ。よく切れるオルファ・カッタがあれば、切断も簡単だ。接着も完璧に付ける必要はないので、気楽にやればよい。HOなら 2 mm厚を使えば十分だろう。

 毎日、ゴムを1mずつ貼っている。今、面積の大きな部分なので、下準備、施工とも大変な作業である。重いのには本当に参る。

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2015年10月16日

保油機構

倉石榮夫氏 先日行われた関西合運で倉石榮夫氏の市電を拝見した。昨年は体調が良くなく欠席されたそうだが、今年はお元気そうで、新作を披露された。

 久しぶりであったので、いろいろな機構についてお話しさせて戴いた。倉石氏は農業機械の設計をされていた技術者で、機構学の要諦はすべて押さえていらっしゃる。しかも実践に基づいた知識の持ち主で、理論だけの方とは違う。

oil level 電車のギヤは、しばらく前に提供させて戴いた。ギヤボックス完備で油を撒き散らさない。
「保油機構は大したことありません。」
とおっしゃるが、素晴らしい。聞けばシャフトは鋼製で、研磨してあるそうだ。ギヤボックスは図のような構造で、油が入っている。
 ひっくり返して注油すれば、1年以上は持つそうだ。この曲がったパイプがみそである。取付け位置は歯車の中心から外してあるから、歯車によって撒き散らされない。
 倉石氏の模型は小さな機械として、輝いていた。

 日本の模型は長らくブラス軸にブラス軸受で保油機構なしというのが普通だった。
「あんなもの、ダメですよ。」
とのことである。それはそうであろう。筆者もすぐ磨り減る歯車と軸受で迷惑した。専門家の目がどこにも行き届いていなかった。当時のモータは軸受が鉄板についていて、界磁の磁界がバイパスされて、最初から弱め界磁になっている。これには参った。当時、伊藤剛氏はその状態を憂えていた。

 結局、全てを捨てて始めたのが現在につながった。昭和20、30年代の日本の模型界をリードした人たちの不作為の罪は無視できない。

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2015年04月28日

多くのコメントに感謝

 最近読者数がかなり増えて、多数のコメントを戴くようになった。大半は知人からで、私信であるから公表できない。初めての方はお若い方が多いらしく、昔のことを御存じないようで、少々的外れのこともある。今回は予定を変更して、コメントの内容を紹介したい。

「キットを組めるのはスクラッチ・ビルドを出来る人」と書いたところ、何人かの人からは「その通り」という御意見を頂戴しているが、そんなのおかしい、というコメントも戴いている。
 最近のキットは優秀らしい。昔のキットはひどいものが多かった。本物の形を知らないと、まずできない。曲げや絞りがいい加減で、縦裂きにして縮めないと合わない。窓の間隔がすこしずれているので、1枚物を貼り重ねて側板にすることが出来ない。仕方がないから、窓枠の板は細かく切って順番に貼りつける。
 キットのままでは、荷重がかかると台車枠が開いてしまい、車軸が外れる。など枚挙にいとまがない。それをキットと呼んでいた時期があるのだ。

 筆者も初めは一所懸命に修正を施して組んだが、ある時、合わないものは捨てたら良いということに気が付いた。ゴミ箱を横に用意して、どんどん捨てながら組む。捨てた部品はその場で作る。横にブラス板、ブロック、丸棒を置いておくと都合がよい。糸鋸をバリバリ折りながら猛烈な速度で作る。スクラッチビルドとさほど変わらないが、一から作るよりははるかに速い。
 最近のキットがどの程度の出来なのかは知らない。多少は良くなったのだろう。

 匿名の方から、非常に面白いコメントを戴いたので、紹介させて戴く。

>……という頼みはよくある。そんなものすぐできるからやってあげるよ。すごく喜んでいる。……
というお話は、助けを求められないというよりは、求め方を知らない、または求めてみたけれど助けてくれない場合も結構ある、ということが影響しているのでは、と考えられるのではないでしょうか。

例えばKKC会員の方達なら喜んで助けてくださるでしょうが、鉄道模型工作を趣味とする方々は、特に職人的な雰囲気があってなかなか近付き難いものです。昔の経験ですが、技術的な事で丁寧に教えを乞うたら何故かはぐらかされてしまったり(ポイントマシンを操作する回路に関して。)、持っておられる機械での加工をお願いした時には言を左右して断られたり(卓上サーキュラー・ソーでの枕木用角材の正確なカット。機械を使えば数分で済む作業でしたが、これは結局マイターボックスを使ってレザーソーで気長にこなしました。苦笑。)しました。また、引き受けてもらえはしたもののあまりいい顔をされずしぶしぶながら協力していただいた(マイクロドライプリンターでのデカール印刷。気遣いとお礼が大変でした。)などという例もあり、秘伝の技術や知識(それほど大層なものでもないと思われるのですが)を教えたくない、自分の機械を使わせたくない、という方々もかなり居られるのではないかと想像します。

逆に、見ず知らずの方からいきなり「私は今レイアウトを作っているが、ネットであなたが作った樹木を見て大変気に入った。模型店で売っている樹木は高くて買えないから、50本ほど作ってプレゼントしてくれ」とメールが来て、「作るのには相当の手間と時間、それに材料費がかかるし、まったく面識のない方からいきなりプレゼントしてくれと言われても困る。作り方は下記urlのHPに掲載されているからそれを参考に自分で作ってください」と返信したら、一言「ケチ!」という返信が来たという経験もあります。この場合は、頼み方を知らない以前に常識がないという部類でしょう。まあ、この世界、変な人が多いのも確かですので、そんなものかなという感覚でした。

最近はネット環境が発達し、検索すれば相当特殊なことでもない限り、それなりに知識技術も見つける事が出来ますし、ホームセンターなどが設置している工作室では、ある程度の工作機械も利用可能です。デカールやインレタもネットでオーダー出来ますし、良い時代になったものだと思います。相変わらず一部妙な方々が跋扈してはいますが、時代が進み、世代が入れ替わるに従ってかなり良くなってきているのではないかと感じます。

このあたりの事情に関しては、プラモデル趣味の方々は、最初からそういう世界に住んでいるであろうし、ネットでも書籍でも非常に豊富に詳細にテクニックが公開されていたり、模型クラブ活動も盛んであったりするのが、鉄道模型界隈とは異なるところではないかと邪推(苦笑)しておりますが、いや、最近は鉄道模型でも、若い方々が多いNゲージの世界ではプラモデル趣味の世界に近いのではないか、とRM Modelsなどの雑誌をみて感じております。いかがなものでしょう。

TMSなど伝統ある純粋鉄道模型雑誌にも、製作者による作品紹介や製品紹介記事ばかりではなく、プラモデル関係の雑誌に見られるように、もっとプロorセミプロ作家や編集部による製作テクニックの解説記事などが掲載されたり、工具の入手、使用のような記事が増えると状況は随分と変わってくるように思います。期待したいものです。



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2015年04月12日

電子工学の専門家

 せっかく専門家に来てもらったので、手元にあるいろいろな車輛を見せ、工夫したところを説明した。

 速度計内臓の車輛にはとても驚いていた。速度は一定区間を通過する時間で測定するものだ、という固定観念が、その方たちには あったようだ。それよりも車内の大きなディスプレィに現在の速度が表示される方が面白い。
 車輪にスリットを入れ通過する光の時間当たりのパルスを数えて、演算する。すなわち表示は3秒に一回更新される。この速度計のついた貨車は、30年も前に作ったものだ。今なら PIC を使って簡単に作れるが、当時は大袈裟な回路で、不調も多かった。 

「それよりも、パルスの間隔の時間を測って、リアルタイムの表示の方が面白い。」と言うのだが、スリットは自作なので、それほどの精度がない。すなわち一定速度で走っていても、速度が一定にならない可能性が高い。

 現在作っているダイナモメータ・カァの構想を話した。どのような構造にすべきか、いろいろなアイデアが出た。
 構造計算の専門家も同席していたので、力が掛かった時の車体の歪みの解析をすると面白いということだった。もちろん模型の歪みは少ないから測定は難しいのだが、等角逆捻り機構の付いた車輛を使えば、線路の不整を調べることが出来るというアイデアには恐れ入った。前後の台車の捻りを測定すると、軌道試験車になるというものだ。これはやってみる価値がある。測定の精度を上げる工夫はしなければならない。
 彼らは等角逆捻りの車輛をひねくり回し、例の不整線路を走らせて、「実に面白い」と評価してくれた。

 この二人の客人は様々なアイデアを出してくれ、それを筆者が聞いて、実現の可能性を探った。すぐにも出来そうなアイデアもあったし、とても無理なものも多かった。
 しかし、どの話もテレメータにするという前提があったのは、時代を反映している。

 Oスケール程度の大きさになると、たいていのものは詰め込むことが出来る。Gセンサを3つ付けて、一周すると、レイアウト全体の図を描くことが出来るというのは、既に夢ではない時代になったそうだ。ジャンボ・ジェットが出来たころ、慣性航法装置と云って最先端の技術だったが、今はカーナビにも付いているのだそうだ。

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2014年09月13日

続々々々々 土屋 巌氏の死去

 土屋氏は単なるコレクタではない。自ら工作をされる方であった。しかもそれが実にお上手である。会社の社長室は工作室であって、ありとあらゆる素材が用意されていた。
 大物は会社の設備を使って加工するので、精度が出る。筆者もジグの部品をいくつか作って戴いたことがある。

 土屋氏は遠州鉄道のナロゥ・ゲージがお好きであった。かなりの作品を残されている。実物を見て写真をたくさん撮られている。藝大で同級生だった田宮督夫氏を訪ねて、静岡に遊びに行ったことがあるのだ。督夫氏は田宮模型の社長俊作氏の弟である。
 面白い小さな鉄道があるというので駿遠線を見に行き、全線に乗車したそうだ。

 10年ほど前から、土屋氏はナロゥ・ゲージに力を入れ始め、バックマンのGゲージを楽しんで来られた。1/20.7サイズの模型をたくさん集められたが、やはり日本の模型も欲しいということになり、駿遠線のモデルを作り始めた。
 762 mmを1/24にすると31.75 mmになるから、Oゲージの線路と車輪が使えるということに気が付き、車輪をLow-Dで作った。下廻りはブラスで、車体はプラスティック板から作られた。実に写実的で美しい模型であった。塗装は御専門であるから、素晴らしい仕上がりだ。全部で10台ほど作られたと記憶している。

 10年ほど前のJAMでGゲージの大きなレイアウトを出展されていたことをご記憶の人もいるだろう。巨大なTimber Trestleの上をサウンド装置付きの機関車が大きな音を立てて走っていた。あのレイアウトも土屋氏の自作である。色調が独特で、実に渋い。実物の色調をよく見ていらしたからだ。

 海外に御一緒すると、土屋氏は街の色、自然の色を丹念に観察されていた。次にデザインする車をそこに置いたとき、どのように見えるかを考えていたのだ。
 ホームセンタに行くと、ペンキ売り場で色見本をたくさん手に入れ、大事に持って帰った。
「日本にない色もあるからね。」


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2014年08月08日

続 吉岡精一氏の死去

 吉岡氏は受け継いだトウガラシ畑からの一次産品を処理するだけでなく、中国での栽培も手掛けた。中国でのビジネスの厳しさを何度となく聞かせて戴いた。日本のトウガラシを持って行って栽培しても辛味が薄くなるという話もあった。
 家内工業から近代的な工場へと脱皮させ、大きく成長させた。工場を見学させて戴くと、吉岡氏らしい様々な工夫があることが分かる。

 吉岡氏の住宅も御自身の手による設計である。最初のお家も御自身の設計のすばらしいものであった。建築雑誌に載るほど洗練されたデザインであったのだ。ところが隣の病院の拡張により立ち退きを迫られ、代替地に選ばれたのは廃止された鉄道の駅の脇であった。
 庭は公園と間違えて入って来る人があるほど広く、素晴らしい。

 吉岡氏は東京生まれで、ちゃきちゃきの江戸っ子である。祖父江欣平氏の言葉を聞いて、「ああいう巻き舌の江戸言葉は久し振りに聞いたよ。」とおっしゃったのが印象的であった。お手持ちの全ての機関車の動力機構は、祖父江氏のところで三条ウォームに改装された。その時、祖父江氏は、「素晴らしい能力のある方だねぇ。あんな人が〇〇〇の社長だったら、日本の鉄道模型はこんな状態にはならなかっただろうよ。」と仰った。

 どの順番に繋いでもよい、互換性のある組立て式線路を設計され、筆者、魚田真一郎氏と土屋氏、そして吉岡氏で半径2900mmの複線を発注した。Oゲージだけでも合計3セットである。他にOJ用もあった。合わせると結構な金額になり、受注した木工所は張り切って作ってくれた。神戸の震災で潰れたものを除いて2セットが、今度の博物館の線路として利用される。
 この線路は、饋電線を内蔵したホゾ継ぎの高級仕様である。カントも付いていて素晴らしい出来である。ゴムを制震材として採用しているので、走行音が実に良く、実感的である。この音響効果については吉岡氏が10年以上かけて研究されたものである。

 イコライジングは理論だけでなく、様々な試みを実現したモデルを作られ、実際に走らせて挙動をテストされた。理論だけで終わらない実践家としての主張は、傾聴すべきところが多かった。

 ご自宅に伺うと、物理実験に使うような精密電流計、可変抵抗器、定電圧電源を並べて機関車の性能試験をされていたことが多い。旧来のモータ、ギヤでは効率が10%台であったのに、筆者の三条ウォームとコアレス・モータを採用すると50%以上もあることに、とても驚かれた。

 そこで「モータ調書」という論文をものにされた。コアレスモータの特性を順次測定され、目的別のギヤ比の策定をし、負荷が掛かった時の回転数の落ち具合を調べられたのだ。
 すなわち、重連をしても問題の無い組合せを探し出されたのである。現在はDCCであって個別調整が効くから意味が無くなってしまったが、DC二線式の時代には重要な意味のある論文であった。

 吉岡氏の口癖は、「客観的なデータを出せ。」である。それは筆者の仕事と重なるところも多く、様々な測定値を送ると、測定時の条件を必ず問い質された。

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2014年07月08日

レイアウトの高さ

 先日、ある素晴らしいレイアウトを拝見させて戴いたので、その話がしたい。Oスケールではなく、1/80である。全てhand-laidの線路である。全ブラス製の扇形庫、給炭クレーン、照明燈など、うっとりする出来のレイアウトだ。

 しかしご本人は不満足で、取り壊して作り替えることになった。その最後のチャンスで、見せて戴けることになった。現状は線路高さが 900 mm である。

 新レイアウトの線路面は1200 mmになるそうだ。非常に喜ばしい。それから勾配を上がって、最高標高は1500 mm 近くになり、下ると1000 mm強になるようだ。

 現状では上から見下ろす形であり、ストラクチュアの中まで見えないのがご不満ということだ。駅の中にはベンチがあり、乗客が待っている。時刻表も張ってあるのだが、それが見えないのだ。
 また、現状では遠くで機関車が立ち往生すると、台枠の下を潜って行かねばならないのが面倒である。歳をとるとますます面倒になる。
 
 高さを上げて、くぐり易くするのだそうだ。中に入れば、その全周がレイアウトである。ウォーク・アラウンドでもあるし、椅子に座れば目の高さである。

 日本のレイアウトの高さの標準が1200 mmになる日は近いと確信する。

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2014年06月30日

続 伊藤剛氏の死去

 伊藤剛氏は名古屋模型鉄道クラブ NMRC の創設者である。以来、67年間、クラブを牽引し、新しい試みを次々と発表されてきた。その功績たるや、日本の鉄道模型史そのものであると言っても過言ではない。

 拙ブログでは、氏の功績を順次再録してきた。若い方も、剛氏のアイデアを再認識されたと思う。剛氏はアイデアを出すだけでなく、それが模型界に浸透する様に、様々な努力をされた。また、筆者に部品を売るように強く勧められた。おかげさまで、Low-D 車輪は 3万軸弱が市場に出ていった。
 今回の博物館には剛氏の業績を伝える展示も用意するところであった。

 剛氏は階段で足を滑らせたのが原因で亡くなった、とお聞きした。杖をつくのを嫌がられたのだそうだ。もう少し長生きして戴きたかった。
 86歳を記念して8620が牽く列車を完成されたので、96歳では9600を、101歳では101系をという冗談もあった。決して不可能ではない範囲にあったと思う。とても残念だ。

 

 

  


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2014年06月28日

伊藤 剛氏の死去

MRを見る伊藤剛氏 6月24日、伊藤剛氏が逝去されたと、ご子息から先ほど連絡があった。93歳であった。

 昨年、鉄道模型功労賞が授与され、筆者も立ち会ったが、お疲れのようで心配していた。しかし、その後の会合では元気にやって来られて、楽しいお話を皆さんに聞かせて戴いた。

 今回の博物館構想をお話しして、賛同を戴き、「うちのも頼むよ」と言われたのが、つい先日のことであった。そのとき、オーストラリアの吉岡利隆氏が急死された件で、とても残念そうであった。線路工夫のギミックを全コンピュータ制御することを頼みたかったのである。その後、機械式シーケンス制御を苦労して直された。

 まだまだ教えて戴きたいことがたくさんあったのに、あっと言う間に旅立たれてしまった。

 剛サン、ありがとうございました。貴方から教えられたことは、多くの人に伝えますよ。

 


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2014年05月27日

管理型模型人

 吉岡精一氏と知り合ったのは30年ほど前である。その時、彼は筆者の模型趣味を見て、「珍しいタイプの模型人だ。」と仰った。「管理型模型人というのに初めて出会った。」

 彼は、「模型人はスクラッチ工作型模型人コレクター型模型人、評論家型模型人の3つに分けられると思っていたが、あなたは新種だ。こんな人がいるとは思わなかった。」と仰るのだ。
「外注先をいくつか持っていて、様々な部品を発注する。大量に注文しないと高く付くから、仲間をたくさん持っていて、出来た部品を配給している。アイデア商品をいくつか持っていて、外国にも顧客がいる。でも利益を得ている様にも見えない。ここに利益さえあれば、それはすでに模型会社だ。」
 
 まさにその通りである。これは道楽であるから、儲けても仕方がない。本業で稼ぐ方が効率が良いので、それで楽しんでいるのである。数が必要なので一度にたくさん作る。買う方も心得たもので、たくさん買って、それに利潤を乗せて再販売していた。それはそれで良い。

  そういうわけで、当家にはOスケールの部品は商売できるほどたくさんある。最近は行く末を考えて在庫を随分減らした。

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2014年05月13日

続々 またまたスクラッチ・ビルディング談義 

 プロの模型製作者は別として、スクラッチ・ビルディングの名手はどのような人なのかを、筆者は長年観察してきた。ただし、Oスケールの話である。  

 答は、「実物の知識がある人」である。実際の機関車に攀じ登った経験があり、ロッドの隙間から体を入れて、ボイラ下を見た人である。ある程度の図面があって、正しくボイラを丸め、CNCで切り出したフレームに載せたとしよう。すると、ある程度の形になる。問題は補機類の配管である。どのような角度で飛び出して、どんな支え方をしているかを正確にとらえた模型の実感味は素晴らしい。
 しばらく前に紹介したHarmonの模型はまさにそれだ。
 
 ロッドの納まりも、重要なポイントだ。模型の動輪は本物より厚いので、多少ごまかす必要があるが、そのごまかし方のさじ加減が素晴らしい模型がある。全て実物どおりでは、動輪が急カーヴで脱輪する可能性が否定できない。
 フランジレスの動輪では、タイヤを外側に向かって少しせり出させないとカーヴで脱輪する。そこに事前に気が付いて、手当てした模型があった。その走りは素晴らしかった。 

 テンダとの接続部の補機類の配置も大切である。車体の外側部からどのくらいの深さにあって、メンテナンス時にどの方向から工具を入れるかを考えなければならない。実物を見るとき、そういうところに興味を持って、写真を撮る人の模型は素晴らしい。高価なロストワックス鋳物をちりばめながら、配管が怪しい模型を見ることは避けたいものだ。

 先の2回のアクセス数が、このブログ始まって以来の数字である。普段の3倍以上だ。拙記事を色々な方が引用されて、そこからのリンクが多い。ご意見もたくさん戴いているが、匿名での無責任なコメントは削除させて戴くことがある。

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2014年05月11日

続 またまたスクラッチ・ビルディング談義

 スクラッチ・ビルド至上主義の方々は、自分たちの優秀性を人に認めさせたがるように感じる。優秀さの次元は一つではないので、こちらとしてはどうでも良いと思っているのではあるが、ある会合で露骨に嫌味を言われたことがある。

「ここにはスクラッチでないものを持って来られては困る。」

 ここまで来ると常軌を逸していると筆者は思うのだが、読者の皆さんはどうだろう。その方は最近お亡くなりになったそうだが、その会合には足が向かない。 

 日本のクラブによくある閉鎖的な雰囲気を感じる。自分たちはこうしているから、そうでないものは来るべきではない、という考え方だ。人間の能力の次元は極めて多いから、色々な人と出会わないと、人生を無駄にするように思う。排除しておいて、工具、パーツの外国から取寄せの依頼だけはよくあった。変な話だとは思ったが、断る理由もないのでどんどん引受けた。彼はその工具を随分自慢していたらしい。ロストワックス鋳物もいくつか取り寄せたが、それを使うことには何のためらいもないというのは、理解しがたい論理ではある。


 ゆうえん氏がキット改造の愉しみという一文を発表されている。その中に筆者も登場するが、まさにおっしゃる通りなのである。筆者は、随分以前に、”Scratch Building”という記事を発表した。3回の連載になっている。それを指していらっしゃるのだろう。

 これだけ各種の製品が発売されているご時世に、市販されているものを作ることはない、と思うのは間違っているのだろうか。完成品、キット、パーツを買う瞬間、我々は時間を買っているのである。
 もちろん不完全なところはある。しかしそれはすぐに直せる。スクラッチ・ビルドする能力があればこそ、なのだ。

 最近ポイントをいくつか作ったが、これもスクラッチ・ビルディングである。フログの鋳物を買えば早いが、機械があれば訳なくできるので、自作してしまった。これを持って行ったら、その会合に入れてくれるのだろうか。


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2014年05月09日

またまたスクラッチ・ビルディング談義

 昨年ある会合で、スクラッチ・ビルド至上主義の人に会った。その人の作品はあちこちで見る。かなりの腕自慢の方だ。その人が筆者に話し掛けてきて、「たまにはスクラッチの車輌を持って来ないか?」と言うのである。

 このブログもたまにご覧になるらしいが、全てを読んでいるわけでもなさそうだ。「3条ウォームとか、低抵抗車輪の話やイコライジングの話は読ませて戴いた。でもスクラッチしてないだろう。たまにはやらないと、あんたのことを疑っている人もいるよ。
 少々驚いたが、彼は正直な人なのだろう。人が言ったこと、自分の思ったことをそのまま伝えてくれたのだ。
 筆者は、「うんと暇になって、やることが無くなるまではスクラッチ・ビルドはしません。」と答えた。彼は不思議そうに筆者を見て、「できないわけないことは俺は知っているよ。でも他の人がどう思うかだ。」 

 他の人にどう思われているかはどうでもよいが、時間の使い方が問題だ。人生は短い。筆者もあと20年あるかどうか怪しい。やることは山積である。自宅のレイアウトを完成させなければならない。仕掛かり品の動力車が30輌ほどある。貨車は少し減って26輌になった。また、その時点ではまだ構想が無かったが、新規に建設するレイアウトを完成させねばならない。これは60坪もあるし、線路総延長は400 mほどもある。シーナリィは最小限にするが、色々なことを考えるとかなり大変な内容である。

 筆者は、長年完成品の改造を主としてやってきた。いわゆるニコイチ(2輌を切り継いで1輌にする)、サンコイチは得意中の得意だ。世界に一台の機関車もある。
 安く買ったブラス機関車をまっぷたつにするのはなかなか快感である。中には高級品もある。祖父江氏の4-10-2 SP5000を手に入れたが気に入らないのでUP8000に改造中である。煙室に凹みがあったので、修理するよりも取換えてしまえということになった。
 たいていの場合は、下廻りは新製である。もちろん祖父江氏の作品では温存した。スクラッチ・ビルドは多大な時間が掛かり、その時間を他のことに向けることができれば、人生は有効に使えるというのが筆者の結論である。筆者のところにはあまりにもたくさんの車輌があり、またそれらは性能試験上、必要であったからだ。規模の小さい鉄道を経営していたら、おそらくスクラッチ・ビルドをしていただろう。  

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2014年02月24日

鉄道模型の発煙装置

smoke generator ライオネル、メルクリン、MTHあたりで使われているのは流動パラフィンとかプロピレングリコールである。いずれも常温での蒸気圧はかなり小さく(蒸発しにくい)、100℃以下で十分大きな蒸気圧を持つ(プラスティックが融けない程度の温度でよく蒸発する)物質である。後者はヒータの設計をよく考えて、部分的に150℃くらいまで加熱される部分があると、よりうまく行くはずだ。
 これらの液体を加熱すると発生する蒸気は当然無色透明で見えないが、空気中で急速に冷えて白い湯気に見える。前者は放置してもいずれ蒸発して無くなるが、後者は蒸発しにくい。

 流動パラフィンは吸い込んでも全く害はない。皮膚につけても大丈夫だ。それでもご心配の方このページを読まれると良い。日本語版は説明が少ない。
 プロピレングリコールは食品添加物であるし、害はない。ただ蒸発しにくいのでべとつくが、水に極めてよく溶けるので、水拭きするか、流水でさっと洗えば良い。
 筆者は霧を吹いて、綿棒で拭き取る。べとつきがあると、カビるのではないかと心配される方もあろうが、カビは生えない。この種の化合物は防カビ剤として機能する。濃いと浸透圧が大きくなり、生物が繁殖できないのである。

 写真は01175氏ご提供のサンプルを試運転中のもの。
 

 <追記>
 01175氏から詳しい情報を戴いた。プロピレングリコールはBachman が使っているそうである。
 メルクリンが使っているゾイテ社の発煙液はよりさらさらしているリグロインのように見えるとのこと。
 流動パラフィンよりもうちょっと分子量を小さいものがリグロインである。尤も、沸点で分けているので分子量はややばらつきがあるだろう。同じ分子量でも分子の形によって分子間力が異なり、沸点が違うからだ。
 
 ここに動画があるのでご覧戴きたい。上の写真はかなり発煙して、残り少なくなった時のもので、本当はもっと発煙量が多い。 



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2014年01月30日

推進運転

 長い列車を推進運転するのは勇気が要る。脱線したときの被害は甚大だ。特に高架線では転覆して落下すると修復不能な被害を被る可能性がある。
 友人が来るとたまに80輌列車の推進運転をして見せる。心配する人は多いが、急加速しないようにすれば、うまくいく。列車の編成時に、重い車輌を機関車に近い位置に置くのは当然必要なことである。

 全体がLow-Dで摩擦が少ないので、推進時に掛かる力も少ない。緩やかな加速であれば、物理の法則通り、必要な力が少ないから、脱線の心配はない。以前はピヴォットでない車輌が存在したので、転がり抵抗が大きく困難であった。

 ポイントを渡っての入れ替え作業は楽しい。トングレイルの浮きさえ気をつけていれば、まず脱線はありえない。側線の平坦度は大事なことである。下手をすると流れてしまい、接触限界標を越えれば即事故である。

 アメリカでは、そこを突っ込んで来る。「側線に停めて置くことができないような車輌は役に立たない。」
レイアウトに見に行くと、車軸に油が注してないので、キーキーと音を立てる。「油を注すと動いてしまうから、入れ替えが楽しめない。」と言うのだ。
 何か間違っているのだが、直そうとしないから、話しても無駄だ。以前KadeeのNゲージ用のカブース台車には軸端にコイルスプリングが入っていることを知った。軽くブレーキを掛けておいてDU ディレイド・アンカプリングを成功させるためと聞いた。一つのアイデアではあるが、筆者にはなじめない話である。要するにKadeeのNゲージ車輌は、類まれなる転がりを示すという自信の表れと解釈した。

 伊藤英男氏のところで車輪を見せて戴いて驚いた。Low-Dに似た、大半径のフィレットを持っている。その理由を聞くと、「こうすると曲線での抵抗が減るのです。実験もしてみました。」と仰る。Low-Dを作ってしばらくしての訪問時であったので、時間的には伊藤氏の方が多少早かったのかもしれない。一緒に訪問した吉岡精一氏も非常に驚いたが、同じ実験結果を得たということで、納得した。 

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2014年01月16日

潤滑油

 最近、「〇〇ローラー」という輪軸の話を聞いた。もう30年近く売られているものらしいのだが、効果があるのかどうかが良く分からない。
 ボール・ベアリングのような構造なのだが、アウタ・レースとインナ・レースがデルリン(ポリアセタール)なのだそうだ。ボールが入っているのだが、リテーナが無いのだそうだ。
 ボール・ベアリングはリテーナがないと玉が、擦れ合って具合が悪い。グリースが入っているのでもないそうで、ありえない話ではある。

 その現物を見ていないので、どのようなもので、どの程度の性能を持つものかはわからない。いずれ、この話を聞かせてくれた友人が、客観的なテストをされるのだろうと期待している。

 HOの皆さんは、牽かれるものの摩擦低減についてあまり熱心でないように思う。運転会に行っても、さほど長くない編成を、機関車がスリップしながら牽くのを見る場合がある。潤滑油を替えるだけでも、かなりの効果がある場合が多いはずだ。定量的な実験結果が、全く発表されないのも不思議である。
「△△輌牽いた。」という話は聞くが、全質量が何キログラムで、起動勾配がどれくらいのなのかが知りたい。

 摩擦を測定するのは簡単で、斜面を作れば良い。撓まない程度の剛性のある路盤の下に何か挟んで、勾配を作り、起動する限界を探れば良い。
 静止時から動き出す勾配と、動いている車輌が止まらない勾配を測定しなければならない。

 筆者のピボット軸受には、必ずモリブデン・グリスを少量入れてある。軸受がポリアセタールであれば、潤滑油が要らないと信じている人は多いが、測定してみると潤滑油の有無で1.5倍ほどの違いがある。潤滑は必要である。
 ほとんどの人には十分小さい値で、問題がないのだろうが、筆者にとっては軽く動く車輌でないと100輌編成が牽けないので、そこは譲ることができない。

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2013年10月03日

Ron を訪ねて

 ジムのところを辞去して、ソルトレーク方面に向かった。途中の宿場で一泊した。標高がかなり高く、夏でも夕方は寒くなるほどであった。

 Ron とはO scale Westで過去5年くらい毎年会っている。新進気鋭のモデラーだ。当時30代でやる気満々だった。HO からOに転向したばかりで、最初は戸惑っていたが、2年目に彼がコンテストに出したUPのディーゼル電気機関車を見て驚いた。
 実にうまい。ディーテイルの付け方、塗装、その他全てに亘って文句の付けようがなかった。1等賞を得て、彼は自信を付けた。その後、常に1等を取り続けているから大したものである。

 ロンは素材としてブラスに拘らない。アルミもプラスティックも接着剤もなんでも使う。投げ売りの製品を元に、最大限の工作をして一級品に作り変える能力は素晴らしい。彼の優れたところは観察眼である。実物を詳細に調査する。博物館や、現役の場合は駅、機関区で徹底的に写真を取り、工作法を決定する。そのあとはひたすら作り込む。
 
Ron Mitchel backyardRon Mitchel slogan

 今回は、共通の友人の勧めで彼の自宅を訪問した。Ronは身長187cmの巨漢である。こんな大男がどうやって、あのような繊細な模型を作ることが出来るのかが、知りたかった。
 家に入るとこれがあった。どこかで見た表現である。彼も敬虔な宗教人である。

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2013年07月07日

続 Bob Longnecker氏のこと

 Bob Longnecker氏(1934-2004)はPFM のサウンド装置の開発者である。発明者ではない。
 高周波がリアクタンスの大きい走行用モータを通過しにくいことを利用し、動輪の接点で高周波のみを接地し、その電圧降下を検知して、音声電流のタイミングを動輪の回転に同調させる工夫である。
 シアトル近辺の模型クラブで試作したのを聞きつけ、電話したのが始まりとのことである。もちろん完成度を高めたのは彼である。その後ヴァージョン・アップされて、アナログ伝送方式での極致を究めている。
「DCCには敵わないが、アナログでここまでは出来たということを誇りにしている。」と仰っていた。

 Longnecker氏こそは正真正銘の技術者であり、模型に必要な全分野の知識を備えられた方であった。そしてその知識を生かす工作力をもちあわせた方で、比較的大型の工作機械を万全の整備で稼動させ、種々の試作をされていた。工作室には旋盤、縦および横フライス盤、研削盤、油圧プレスなどを完備し、ちょっとした鉄工所の様相を示していた。
 片隅には電子工学機器が並び、PFM方式の性能をさらに向上させる工夫をしていた。今やDCC全盛で、PFM方式を楽しむ人はかなり減った。


 ロストワックスの原型作りは、彼の得意分野で、PFMのHO機関車のロストワックスの半分以上は彼の製作であったそうだ。
 2003年にお会いしたときには、ありとあらゆる分野の模型談義をさせて戴いた。いくつかヒントを戴いたし、多少お褒めにも与った。大変光栄であった。

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2013年07月03日

続々 JAM

 Andyは良く覚えていてくれて、「日本ではO gaugerはどの程度いるのだろうね。」と聞いた。
「Standard Gaugeを楽しんでいる人は100人位、Narrow Gaugeも同じくらいいます。でも後者の8割はJapanese Standard Gauge である3’ 6” Gaugeです。」と答えた。
「日本にはOゲージのレイアウトはいくつある?」と聞かれたので、「4つ位でしょう。」と答えた。それ以降増えたのだろうか。

 アンディの講演は素晴らしく、納得の行くものではあったが、観客中のどれくらいがウォーク・アラウンド方式のレイアウトに興味を持ったのだろう。レイアウトの高さの点では、いまだに90 cm台の人が多いと思う。一部屋をレイアウト専用にできなければ、120cmまで持ち上げることができないと考える人が多い。長さ2mほどのセクションであっても、椅子に座ってeye-levelということであれば、運転の楽しみは倍加する。
 DCCを採用すればその長さでも十分な楽しみ方が出来るはずだ。

 つい最近、レイアウトを持ち上げたという記事を拝見した。以前は93 cm だったそうだ。少しずつ持ち上げて支えを入れるという工法を取られた。
 これは既存のレイアウトに対する改良法として非常によい手段であろう。

 ウォーク・アラウンド方式であると、列車について歩くので、ポイントの切り替えも手動でやる場合が多い。尤も、転換テコを線路上で動かすのではなく、壁についているレヴァを動かすのである。色々な意味での意識変革が必要である。

 ウォーク・アラウンドと言いながら膝をつかなければならないレイアウトもあるようだが、それでは面白味が半減する。

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2013年07月01日

続 JAM

 第一回のJAMにはModel Railroader誌のAndy Sperandeo氏や
NTRAKのJim FitzGerald氏も来ていた。Andyには1985年のMR掲載時に大変世話になった。Jimには1976年にシカゴで会っている。
 ジムはNTRAKを主宰し、シカゴのNMRAのショウで大々的に発表していた。筆者に話し掛け、「ちょっとこれを見てくれ」と言って、TMSを一冊、鞄から取り出した。
「こんな雑誌が送られてきて、『特集記事を書きたいので、原稿を送ってくれ』と言っているのだよ。」
 その号には、アメリカでNTRAKという組織が動き始めたという記事が載っていた。筆者はたまたまNTRAKに興味があり、ジムから資料を取り寄せていたので、TMSに縮小掲載されたNTRAK magazineの記事には見覚えがあった。

「この雑誌はどの程度の雑誌なのだ?」と聞くので、「一応、a leading magazine(代表的な雑誌)である。」と答えた。さらに、「編集長はどんな奴だ?」と聞くので、正直に答えた。「MRと提携関係にあると言ってました。」
 そこにMRの編集スタッフが通りかかったので呼び止めて、「この雑誌と提携しているのか?」と彼が聞いた。そうしたら、MRは「そんなことはないと思う。」と言った。ジムはプッと噴き出して、「そういうことか。」と言った。
「まあいい、ところでここに何と書いてある?」と聞くので、TMSの記事を抄訳して聞かせた。
「中味は間違いないから、返事を書くことにする。」と言った。 

 その後、ジムには20年以上会っていなかったが、会場で偶然出会い、しかも座った席が隣だった。壇上での主催者の挨拶を聞いたが、その通訳が頼りなかったので通訳して差し上げた。今でも御健在のようだ。
 
 アンディは「低空飛行のヘリコプタから列車を見る」という、walk-around方式のレイアウトを紹介する講演をした。もちろんこれは英語なのでそのまま聞いた。あれから10年以上経ったが、ウォーク・アラウンド方式のレイアウトは日本にいくつ出来たのだろうか。 

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2013年06月29日

JAM

 筆者はJAMという組織についてほとんど知識がない。 

 10年以上前にJAMが発足したとき、大きな期待を持って出向いた。内野日出男氏から、ロングネッカも来るから、是非来るように、と連絡があったのだ。確か新宿のNSビルだったと思う。
 鉄道模型の催しは業者主催が普通であったが、JAMは違うというように事前に発表されていた。そんなことがうまくできるものかなという心配があった。
 蓋を開けて見ると、金を出したのは業者であったと聞いた。東京の一等地である程度の場所を借りるためには金が要る。仕方がないのだけれども、少しずつアマチュア主導の方に転換して行ったのだろうか。その後、大阪開催時以外ほとんど行っていないので、詳しくは分からない。毎年の開催時にちょうど仕事があったり、海外に行かねばならないことがあり、つい行きそびれている。今年は久し振りに行けるはずだ。

 アメリカのコンヴェンションはアマチュア主導である。カリフォルニア、ニューヨーク、ワシントンDCいずれも完全にアマチュア団体が運営している。シカゴだけは少し異なり、Hill's Hobby Shopの主催であったが、徐々にアマチュアに運営が任されて行った。テキサスの場合は極端で、Lorell Joiner氏が全てを請けた。ジョイナ氏は大富豪であって、会場代、晩餐会、その他全てを個人で負担した。これはかなり珍しい例であるが、当時かなりの評判になった。

 アメリカの場合は、日本とは違って会場代がそれほど高くない。入場料を20ドルから35ドル位取るだけで、十分賄えるらしい。会場を提供するホテルにはまとまった数の宿泊客があるので、部屋代のみならず飲食代で落とされる金も大きい。現に筆者もホテルのバァで、かなり飲んでいる。その分も含めての契約なので、会場費は安く上がるということだ。

 日本の場合も、もう少し田舎の、大ホールが付設されたホテルを借り切れば、かなり安く上がるのではないかと思う。先日浜松の駅近くのホテルに泊まった際、そのようなことを感じた。浜松以外にも、そのような場所は在りそうだ。

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2013年06月27日

続 伊藤剛氏の記事

 先回の続きである。

   不思議な表現                続 不思議な表現

   Pullman Interior               equalized と sprung その5

   続々々 Max Gray のタンク車      続々々 慣性を増大させる装置 

   続 フラックスの役目           続々 cat walk, gang way & running board 

   
鉄道用語                    続 不思議な工作記事 

   
   続々々々 St.Louis の鉄道博物館    続々 IMP の Boxcar を改造する  


 他にもいくつかあるが、重複しているものもあるので割愛した。
 
 この一連の記事を書いたので、連絡を差し上げて間違いを指摘して戴いた。
「ロシア語は少し勉強したがほとんどできない、幼稚園クラス。」
とのことであるが、「窓はアクノー開かないのー」という、ロシア語を勉強した人以外、知らないであろう冗談を書いて来られた。やはりおできになると思う。
 それとTMSに名前を出さないで記事を書いたことは多数あることはあるそうだ。

「安井酉次郎(ヤスリ・ドリル・作ろう)は私ですが、あの名前は編集部員持ち回りでした。」とのことである。これは知らなかった。


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2013年06月25日

伊藤 剛氏の記事

 TMSでの伊藤 剛氏の記事はあまりにも多くて驚く。以前、200号までの全ての記事の索引を作られた方がいらっしゃって、その話を聞いた。断トツに多いそうである。名前が出ていない外国からの情報は、半分くらいは剛氏がもたらしたものだという。

 拙ブログでもかなりの回数、登場して戴いている。  まだまだあるが、今回はここまで。



 放熱ファンのルーバー   Dan の車輌  

 
続 EMD F-7    NMRAのX2E

 Kadeeの紹介記事     Gyra-Light   

 
Marker Lights   さまざまな特許

 絶縁法のアイデア     Scratch Building  

 
ダブルスリップの製作  続々 DCCの可能性

  
多重制御                       ASTRAC

   続 余裕について 

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2013年06月21日

最近の記事

 この二週間ほど、伊藤 剛氏に関する記事を書いて来た。剛氏は全国区での有名人ではあるが、実際に会ったり話を聞いた人は、もはや少ないであろうと推察する。かねてより、「私の書いたもの、しゃべったこと、全て公開して下さい。」ということを言われていたので、なるべく忠実にお伝えしている。

 この二週間のアクセス数が異常に増えている。この記事を偶然読まれた方が、他の方にお伝えになったのではないかと思う。どういうわけか、6月7日のアクセス数は、普段の2倍以上に達し、過去最高値を示した。こんなことは初めてである。

 少なくとも、現代においても伊藤剛氏の評価は大きいということである。その功績は、日本の鉄道模型界において輝きを失ってはいない。
 模型工作のあるべき姿を具現している。手工具だけでもかなりの精度が出る手法を公開し、年少者の目から見た工作法を伝授し続けている。
「昔は部品の通販があったのですよ。子供の科学の代理部とか朝日屋とかありましてね、ありがたかったですよ。そういう店がもうないのです。子供でも車輪と歯車を手に入れれば、あとは何とかなるのです。」
 その時代はモータは自作が前提であった。現在は主要部品すら入手が難しい。

 筆者は剛氏から、「車輪とか歯車を売る店をやりなさい。」と、20年前から勧められている。筆者の車輪とか歯車は仲間内では供給しているが、一般にはあまり知られていない。
素晴らしいメカニズムによって、たとえ貴方が世界的に有名な模型人になったとしても、その記事に書いてあるものがどこにも売っていないものならば、それは価値がないのです。直接でも間接でも良いから、売ることを考えないと、あなたのアイデアは無用の長物として忘れ去られてしまいますよ。」
 歯車に関しては、祖父江氏の工房で約1000輌の機関車が加工されて世界中に出て行った。そういう意味では、剛氏の教えは守られている。しかし、祖父江氏の死後は誰かがやらなければならない。アメリカでもその話をよく聞かされた。
 そろそろその時期が来たような気もするが、まだ仕事が忙しく、思うようには行かない。


 先回JAMの話を出したが、JAMでは鉄道模型功労者を毎年表彰しているはずだ。伊藤剛氏は十分にその資格があるように思う。JAMがどのような組織なのか、筆者には分からないが、関係者の方がいらしたら、是非この話を運営会議で発言して戴きたいと、切に思う。

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2013年06月19日

建設機械

Power ShovelPower Shovel 2Side Dump Car これらは日本車輌が作った建設機械らしい。本業の分野でも、剛氏は模型製作の腕を見込まれている。顧客への説明に、図面だけでなく、模型が要るということで作ったということだ。
 キャタピラは蝶番をハンダでつないで作っている。サイドダンプは空圧で作動するタイプだ。

Sony Micro Train これはSONYのマイクロトレーンである。1967年頃の話だ。ご子息がソニーにお勤めだったので、貰ったとのこと。設計には関与していないそうだ。
 企画に参加されていれば、もう少し違うものになっていただろう、と思う。構成が今一つの感があるからだ。

伊藤剛氏伊藤剛氏2 この写真は2012年の四月に名古屋模型鉄道クラブの特別例会において撮ったものである。剛氏が川崎に引越されるので、この70年の模型製作のかなりの部分を持って来て戴いて、披露をお願いした。
 説明をお願いすると、例によって、冗談をたくさん交えて面白いお話を聞かせて戴いた。

 伊藤剛氏のスピーチ能力は驚異的である。しばらく前の静岡トレインフェスタの懇親会でのスピーチは、満場を沸かし、「ケーシー高峰よりすごいな。」という感想が聞かれたほどだ。
 JAMのような催しで公開対談をするべきだと思う。聞きたい人はたくさん居るはずだ。

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2013年06月11日

サンビーム號

8mm train 伊藤剛氏の著名な作品ではあるが、現物どころか写真を見たことがある人も少ない。それがこの8mmゲージ列車である。モータ、車輪全て自作である。この造形は剛氏の二十歳前後の作品である。
 就職して、下宿生活を始めたので工作もままならぬ、とこれを作り始めたのだそうだ。というと御自宅ではどんな工作をしていらしたかが、知りたい。

8mm train (3)8mm train (2) この図面は御覧になった方も多いだろう。さらさらと描いてあるが、プロのテクニックである。こんな上手な図面はそう簡単には描けない。
 2軸台車の動きを単軸台車の操舵に利用している。筆者は中学生の時にこの方法に夢中になった。色々な実験をしている。

8mm train (10) 8mm train (9)この列車の裏側の写真は、おそらく本邦初公開のはずである。この模型は70年前に作られ、そして今も走る。中央三線式であることが分かる。レイルの中央に細い銅線が張ってあり、スプーン状のコレクタで集電する。
モータの鉄心はトタン板を使ったそうだ。軟鋼鈑ではあるが、ヒステリシスが大きく、損失が無視できない。しかしよく走る。

8mm train (6)8mm train (5)8mm train (7)8mm train (8) TMSの特集号にも掲載されている。図解が詳しく、しかも明解な絵で、年少者の理解を助けている。
 誰にも描ける絵ではない。筆者も少し練習してみたが難しい。今回も描き方の手ほどきをして戴いたが、一言で言えば、円と直線の接し方がコツなのである。レイルに車輪が載っているのを、斜め前から見た図を描くコツがつかめれば良いということである。お試しを。

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2013年06月09日

ローカのボーシ

 もう35年ほど前の話だ。剛氏から年賀状を戴いた。例によって上手なイラスト入りだ。
 長い廊下があって、壁に帽子掛けがいくつかある。そこに野球帽がひとつ掛かっている絵だ。向こうの方で剛氏が、「鉄道模型はローカのボーシ」と言っている。そうしたら、奥さんが「廊下の帽子?」と聞き直している様子が描かれている。

 これが分からなかった。何度も年賀状を覗きこんで何かヒントが無いかと調べるのだが、分からない。壁に張っておいて時々見るが、見当もつかなかった。
 夏に剛氏とお会いして色々なお話を伺っていると、「鉄道模型は老化の防止には良いんだよ。」という話が出てきた。筆者が「ああそれですか!」と言うと、剛氏は「今年の年賀状は、良く分からないという人がいっぱい居ましてね…」と仰る。

 音で聞けばすぐ分かるのだが、カタカナで「ローカのボーシ」と書いてあったら分からない。しかも誤解を誘うような絵まであってはたまらない。

年賀状 それ以来、剛氏の年賀状は非常に単純明快なものが多くなったが、イラストはいつも素晴らしい。
 今年の年賀状はご自宅の窓からの風景を描かれたものである。

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2013年06月03日

伊藤剛氏を訪ねて

 伊藤 剛氏は今年92歳である。 名古屋郊外の知多市で、定年後は長らく郵便局を開いていらした。最近完全に引退して、川崎の高層住宅に引っ越されたのだ。遊びに来るようお手紙を戴いたので、早速お邪魔した。

 近くに息子さんご夫婦がいらっしゃるが、「独居老人ですよ。」とのことである。電話を掛けるときは、「ベルが20回鳴るまで待ってくれ。」とのことであったが、3回で出られて驚いた。

伊藤 剛 しばらく前、叙勲されたそうで、皇居での出来事を面白おかしく話された。天皇陛下が、たくさんの受賞者に挨拶されたとき、わざわざ近くに歩み寄られて、「ご苦労様でした。」と声を掛けられたのだそうだ。どうしてだろうかと考えたところ、その回の受賞者の中で最年長であったからだそうだ。それ以外の理由は無いとのこと。


 伊藤剛氏は名古屋出身で、日本車輌で設計の最先端にいらした方である。名古屋模型鉄道クラブの発足以来65年の会員歴をお持ちである。170号くらいまでのTMSの記事には、ほとんど毎号伊藤剛氏の談話、アイデア、作品が載っている。その後はTMSとの関係が疎遠になったが、25年ほど前から関係が修復され、次々と秀作が発表されている。類稀なるクラフツマンで、モータの製作などお手のものである。
 瀬戸電の単車の記事は、筆者の個人的な評価では、日本の模型工作記事の最高峰ではないかと思う。走りは素晴らしい。小さな電車が大きな慣性を持ち、ゆっくり起動しゆらゆらと車体を揺らしながらゆっくり止まる。どこにもボールベアリングなど使っていないが、素晴らしい設計で慣性の表現を実現された。
 さまざまなアイデアを出され、この国のみならず世界の模型界にも影響を与えた方だ。語学に強く、英語のみならず、ドイツ語、フランス語、ロシア語、中国語もかなりおできになる。TMSの外国の情報紹介の記事は大半が伊藤剛氏の翻訳の要約である。山崎喜陽氏は、その記事群に伊藤剛氏の名前を出していない。

 若い方は、伊藤剛氏がどんな方か知らない人がほとんどであろう。栗生弘太郎氏がブログで作品の一部を紹介されているので、是非ご覧戴きたい。  


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2013年04月16日

Model Railroaderの記事

 以前は何月号に載りますということをある程度教えてくれていたが、今回は全くの唐突であった。しかも、時間が経ち過ぎて、半分忘れてしまっていた。

 今月号のMRは”Tech Trend”というタイトルの特集をしている。挑戦的な技術を紹介しているのだ。拙記事のタイトルも”Rethinking the RP25 Wheel Standard" となっていて、規格(本当は規格ではないのだが)の見直しを迫るような感じを与える。
 筆者の原稿では、タイトルは"Is RP25 still correct?"(RP25 は今でも正しいのか)であった。どちらが強く迫っているかは判らないが、 編集者の判断で変えられている。
 本文も50%ぐらいしか元の文は見つけ出せない。図とか数表を文章に置き換えているところが今一つ理解しがたい。特許でもないのだから、図を見せられないわけでもない。フランジ形状が図で紹介されていないのは残念だ。

 Milwaukeeに行った時、現物を持って行って見せたところ、その差に驚き、大いに感動したAndyはもう退いてしまった。若い編集者に仕事が任されてしまっているのも、その原因の一つだろう。

 Youtubeの動画のリンクが紹介されているので、それを見て連絡してきた人が何人か居る。ある人は早々と、500軸買いたいと言って来た。彼も長い列車を牽かせるのが趣味のようだ。在庫が無いので再生産をすることになる。
「長年の夢をかなえてくれて感謝している。」と、すでに所有しているかのごときメイルを寄こした人もいる。

 あと二本の投稿を約束させられているが、それが載るまで何年かかるのだろう。

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2013年02月16日

続々々々々 ロンビック・イコライザの幾何学

clinic4「全てのことは出羽文行氏、内野日出男氏、前田昌宏氏、伊藤剛氏、栗生弘太郎氏によって開発、解析されました。私はそれらをまとめてコンシールドした物を作ったのです。」と言うと、
「それが大事だ。総合的に全ての原理をまとめて製品化するのが最も重要なんだ。」と言う。

 随分褒めてもらったので、ニュートンの言葉を引用してこう述べた。
”I was standing on the shoulders of giants."(幾多の巨人の肩の上に乗って(遠くを見た)。)
 途中まで言うと、それを聞いていた3人が唱和した。これは有名な言葉だからだ。アインシュタインもこの言葉を使った。学問(業績)は多くの研究の蓄積の上に成り立つという意味である。ノベール賞受賞者がこの言葉をよく使う。

 この講演で、聴衆が比較的少人数ではあったが、かなりレベルの高い人たちであったので、非常に深く理解されたと感じた。また日本の模型技術(技能ではない)が高い、ということも印象付けられたと自負する。

「これをYoutubeにupせよ。」とか、「MRに載せろ。」という提言を戴いている。いずれまとめて、発表したい。

 最後に、「脱線しにくいだけではない。集電が飛躍的に良くなる。」と言うと、
「最も大事なことだ。それを強調すべきだ。』と言う。

 筆者は今年もテーブルを購入していたので、講演参加者の友達が何人もやってきた。何度も再演して見せた。
 今年は売るべきジャンクがほとんどなかったので、テーブルを購入しても無駄かと思ったが、こういうときには役に立つ。売れた細かいジャンクの価格で、テーブル代がちょうど払えた程度のことだ。

 古くからの友人たちも、テーブルを持っていれば立ち寄ってくれるので、そういう意味では価値がある。
「来年は何をやるのか?」と聞かれるのだが、次の新しいネタがあるわけでもなく困っている。

 所属クラブの来年の競作の「お題」が決まったので、新しいアイデアを盛り込むつもりだ。開発に成功すればそれを発表できないものかと思っている。

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2012年11月22日

続々々 Vic's Hobby Supply

812_6128-2812_6129-2812_6130-2 今まで紹介した部分は全体の2/3である。残りの1/3はまだ完成していない。いわゆるHidden
Yardになるのだろう。
 隠しヤードには貴重な車輌などを置いておく。壁向こうの公開部分から列車が進入し、ひと巡りして出て行くが、一般の人はそこにさらなるヤードがあることには気が付かない。昔ある人のレイアウトの隠しヤードを見せてもらった。高価な機関車以外に分厚い鉄板を熔接して作った現金輸送車まであった。鍵がついていて、もちろん中身が詰まっていた。

 ある程度のシーナリィを付けるつもりらしく、青い発泡スチロールを積み上げて加工し、色を付けて黒褐色にしてある。

812_6132-2 公開部分からこの隠しヤード部屋に入るには、この可動橋を通る必要がある。垂直に立っているが、水平になる。根元には接点があり、持ち上がっていると通電しないようになっていることは言うまでもない。


 全ての部分を見せてもらって、これを作っているLeoという人に興味を持った。話を聞くと、もともとエンジニアで工作機械をたくさん持っているそうだ。類稀なるクラフツマンらしいので会ってみたくなった。
 店主である息子も、「あなたとは気が合いそうだ。」と言うので、紹介してもらうことにした。
「行く道は簡単で、この道をずっと10キロくらい行って、右に曲がって左に曲がれば行ける。」と言う。しかし、それでは分かるはずがなく、詳しい住所をメモし、Google EarthでStreet Viewを見せてもらって大体の感じを掴んだ。あとはGPS頼みだ。
 電話して、居ることを確かめて貰って出発した。住居番号が表示されていない茂みの中の家で、先にStreet Viewを見ていなかったら、とても分からなかった。あとで分かったが、住居番号は、通りの反対側に郵便ポストが立てられていて、そこに書いてあった。

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2012年09月27日

続々々 2012 O Scale National Convention

712_5457-2712_5458-2 最近はこの種のトロリーを張った電車のレイアウトがはやりである。架線は細かく出来ていて、ポールが、架線に追随して走る。分岐でも全くひっかかることもない。曲線ではメッセンジャ・ワイヤで外に引っ張って、架線が多角形になっているところなど実物通りである。
 もちろんDCCで一つの線路に複数の車輌が走っている。動力機構はスパーギヤを使っているので、動きが実に滑らかだ。

712_5524-2 これが会場の入り口である。青いヴェストを来ている人たちがホスト役の人たちである。地元のThe New York Society of Model Engineers の会員である。Model Railroad と書いてないところが面白い。聞いてみると鉄道専門の模型クラブだそうだ。80年以上の歴史のあるクラブだ。
712_5459-2 持ち運びの出来る簡易なシーナリィ付きのDisplay Layoutも用意されている。どのレイアウトもDCC化されていて、単線であっても楽しく運転できる。


712_5461-2 製造業者のブースである。美しいディスプレイはとても垢抜けている。製品はどれも全て中国製である。最近は金属製と見まごうばかりのフル・ディテイルで、線路に置けばそのまま音を出して走るようになっている。ブラスモデルは少なくなった。

712_5494-2712_5483-2 コンテストの部屋に行けば、たくさんの作品が並んでいる。ストラクチュアは、どれも目がくらむほどの細密さである。 

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2012年09月23日

続 2012 O Scale National Convention

712_5474-2「トーキョーカラ キマシタカ?」 この男Davidは、突然日本語で話しかけてきた。朝鮮戦争の頃、日本に来ていた軍人だと言う。

 1960年代に、MRの編集長Lin Westcot氏と日本に来たことがあると言った。「Mr.Yamazakiを知っている。鉄道模型の雑誌を発行している。彼は元気か?」
「10年以上前に亡くなりましたが。」
「そうか、みんな死んでしまったな。次は俺だ。
名古屋に行ったのだ。名古屋には大きな模型クラブがある。Mr.Itoは素晴らしいクラフツマンだ。」
「彼は健在です。今92歳です。時々会いますよ。」と言うと、「よろしく伝えてくれ。」とのことであった。

712_5465-2712_5466-2 Davidはコレクションの売却に来ていた。「ここにあるものをどれでもいいから買ってくれ。値段はどうでもいいんだ。欲しい人に譲れば本望だ。」という。まだまだ元気そうなのだが、今のうちに処分を始めないと大変だからと言う。筆者は一つ欲しいものがあったのだが、二の足を踏んでしまった。それはホワイトメタル製の
Alco U50であった。良く出来ているが、接着剤で固めてあるだけである。日本まで無事に運べるか、少々心配であった。
 最近はTSA(アメリカ交通安全局)による手荷物検査は厳重を極め、この種のいかにも怪しい物は全て開封検査される。元のように完璧に箱に収めてくれればよいが、適当に押し込まれるとばらばらになる。
 手に持って機内に持ち込めば多少は安全だが、搭乗前の検査で引っ掛かって別室で取り調べということになるだろう。鉛合金でできていてX線を通さないから、かなり疑われる。しかも重いから、「振り廻すと凶器になる」と宣言されて没収されてしまいそうだ。 熟慮の結果、買わなかったが欲しかった。

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2012年07月10日

続々 Kleinschmidt氏のコレクション

COM_4382-2 このあたりはヨーロッパの製品が多い。赤いクロコダイルの向こう側にはSPのAC9が見える。これも祖父江氏の製品である。
 ハドソンは有名なライオネルのスケール・ハドソンである。1937年に精密ダイキャストで1/48の模型を発売している。走行を見せる動画がある。自動逆転機を内蔵しているせいか、通電音がひどい。

COM_4383-2 この旧型チャレンジャは1950年頃の祖父江氏の作品である。製造とはまだ言えない頃の手作りである。テンダの文字は糸鋸切りぬいてある。のちにエッチングとなった。テンダは、当時丁稚奉公中の高橋淑氏が作ったとの証言を戴いている。お話を伺うと、祖父江氏は手が早くて、エッチングを注文してあるのに待ちきれなくて、文字を全部、手で切りぬいてしまったそうだ。当時としては最大級の機関車で、アメリカでは大変な人気であったという。テンダの台車はバックアイで、フル・イコライズしている。これはインポータの要求以上の仕事で、インポータのIMPはとても驚いたそうだ。

 その上のNYCハドソンも祖父江氏の製品である。何度もリ・ランしていてこれも1000輌以上作ったと祖父江氏は言っていた。グレイ塗装が実物にあるかは疑問であるが、なかなか良いと感じた。

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2012年07月08日

続 Kleinschmidt氏のコレクション

COM_4379-2COM_4378-2 青い機関車はライオネルである。その上のUNION VALLEYとある機関車はやや大きい。多分17/64インチスケール、1/45.3ではないかと思われる。非常に端正な作りで好感がもてる。その後ろの機関車は当時いくつかあったアメリカ製の機関車である。

COM_4380-2 これはMax GrayのErie RR Heavy Pacific K-5aである。祖父江氏の製品である。とても良く実物の雰囲気を捉えた機関車で、力強さを感じる。
第一次世界大戦後の鉄道国有化USRAの時代に基本設計がなされたHeavy Pacificであるが、この1機種しかない。Light Pacificはたくさんある。この太いボイラ、いかにも大きそうな軸重が力強さの源である。
 この模型の従台車は少し傾いている。前を少し持ち上げるべきである。
 筆者も持っているが、このようなボックスポックではない。スポーク動輪である。それは筆者が最初に買ったブラスエンジンで、事故車であった。キャブがめり込み、動輪が凹んで軸が曲がっていた。それを安く買って、完璧に修理したのである。ボックスポックが手に入らず、スポークにしたら、見た人はみな同じことを言う。
「これは珍しい機関車だ。売ってくれないか?」
 上に見えるGP-9もMax Grayの時代の祖父江氏の製品である。

COM_4381-2 このあたりにも祖父江氏の機関車がある。まず黄色のUPのSD-7はMax Grayの時代の製品である。安達庄之助氏がパイロットモデルを作り、祖父江氏が製造した。そのパイロットモデルを入手することができたので、いずれ発表する。祖父江氏の証言を得られたので間違いない。SD-7の向こうにはN&WのY-6bがある。これも祖父江氏の製品だ。
 二段下にはナイアガラがある。祖父江氏は、これを延べ1000台は作ったそうだ。彼自身もとても好きな機関車であった。
 その上の段に8軸ディーゼルが見える。多分これはBill Melis氏の製造のDD35Aであるが、後ろの妻板にナンバーボードがあるのは何かの間違いだろう。誰かが蛇足を付けてしまったようだ。

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2012年07月06日

Kleinschmidt氏のコレクション

COM_4372-2COM_4371-2COM_4373-2 クラインシュミット氏はあちこちの模型ショウで出物があると買っている。最初に見せてくれたのはこのガーラットだ。
 縮尺は1/32位だろうか。妙に大きかった。30年くらい前に手に入れたそうだ。プロトタイプが狭軌なので、それをOゲージにするために全体を大きくしたのだろう。この手法は佐野衡太郎氏のガーラットでも採用されている。誰が作ったのかは分からないが、よく出来ていた。大きいので、Oスケール・レイアウトで走らせると、あっちこっちでひっかかりそうな感じである。

COM_4375-2COM_4376-2COM_4377-2 LobaughのC&NW Berkshireである。この機関車はかなり大量に生産された。筆者も持っている。組んで塗装してあるものは珍しい。しかもオリジナルのデカールが貼ってある。
 従台車の構造はオリジナルとは異なる。実物を摸した構造である。当初のデザインは側枠が独立していて、回転中心は無かった。これはその構造が気に入らなくて造り替えたものであろう。
 主台枠も後ろが絞られ、良く出来ている。テンダーの床板が日本製のようにも見える。祖父江欣平氏の手法が見えるのである。
 一つの推測として、ロボゥのキットを祖父江氏が組み直したものではないか、と思った。1950年頃にはそういう仕事をしたことがあると祖父江氏から聞いている。その時のノウハウ吸収が、大きな転機となったそうだ。

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2012年07月02日

続々々々 Kleinschmidt Drive

COM_4389-2 機関車の補重をするのには鉛の塊を積む。その鋳造はここで行う。
 色々なサイズの鋳型があり、熔かした鉛を注ぎ込む。当初は木の型を使ったらしい。焦げて用をなさなくなるので、アルミ製にしたのだそうだ。角がシャープで気持ちが良い。鉛はインゴットで買う。
 穴を開けたりしたときの切り粉は捨てずに再利用するそうだ。

COM_4390-2 ブラス材料置き場の一部である。角材、平角材がどっさりある。これ以外にも板材、線材が大量にあった。
 材料は潤沢に持っていないと、仕事に差し障るので多めに持っているという。材料が安く出ることもあるので、その時は買ってしまうということである。

 最近はインターネットでそのような出物を探すのが容易になったので、助かっていると言う。その通りで筆者も、その方法で材料を買うことがある。しかし、快削ブラスかどうかは分からない場合が多く、使いにくい材料のこともある。そういうのは叩き出しの材料として分けてある。アメリカで流通しているブラスは板材も含めて快削ブラスが普通である。

 
 

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2012年06月28日

リンクによる先台車の支持

先台車リンク 先回のリンク機構についていくつか質問を戴いているので、予定を変更して図を載せる。短いリンクは主台車に固定されている。先台車が横に動くと、先台車は回転しつつ動く。もちろん完全な円弧を描いているわけではない。 

 定数を変えて作図すれば、目的の線路半径で、軸を完全に円の中心に向かわせることも不可能ではないが、その手前の状態でどうなるかは不明である。

 曲線中で先台車のフランジがいつも二つとも外側レイルに当っている(厳密にはフィレットが触っている)とは限らないから、これでも良いのかも知れない。

先台車T bar これがその昔TMSに載っていたはずの図である。Tの縦棒の先端をどこに留めるかは悩む。どの位置にしてもあまり良い結果は出ない。無理があるのである。これに比べると、上の図のリンクは、はるかに筋が良い。
 一軸先台車であれば、中学程度の簡単な幾何学で心向棒の長さは計算できる。実物はフランジの摩耗を減らすために、計算値より少し短くして、より内側に向くようにしているらしい。

 いずれにせよ、リンクではいつも完全に曲線に載ることはないので、ある程度の自由度を持たせるために、リンクを多少伸縮するように(栗生氏案)するか、支点をゴムで受けて多少の動きを許すようにすべきである。

 もちろん復元装置を付けることは当然必要である。

 

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