2021年05月04日

C62

 四日市のK氏に会って、最近の博物館の事情を説明した。預かっている車輛の台車車輪を換装したら、14輌でも軽く牽けるという話をした。 「はと」編成の写真を見せたところ、大変興奮し、撮影に来るとのことだ。
「これが走れば大したものだ。すごいね。昔の四日市のクラブ仲間を誘って見に行くよ。」
とは言うものの、最後に走ったのは60年前である。

C62 by Mr.Inaba「うちで預かっているC62も作り直して貰えば、牽くよね。」と、C62の改造も引き受けてしまった。この機関車のダイキャストの部品は全て崩れ、かなりひどい状態である。後述するが、この機関車は極端に重い。

TR73 disassembled 同時に、稲葉氏製作の優等客車群も預かって来た。これらの客車は何の編成のものかは、まだ調査中である。3軸台車を付けたのが2輌あるので、また台車の改造をせねばならない。これは意外と大変な作業である。
 驚いたことにスイロネフ37が含まれていた。進駐軍に白帯を取られて、黄帯の一等車である。マイネもあって、それにはJNRと書いてある。外国人旅行者用だ。


 このC62は酒井喜房氏の設計で、設計番号A‐1である。縮尺は1/43だ。この縮尺でないと、クロスヘッド裏がサイドロッドに当たってしまう。この計算は酒井氏が「模型鉄道」誌に発表している。
 当然のことながら、この機関車は大きい。その昔、Oゲージ 1/45を採用しようと呼びかけた湯山一郎氏は、1/43が大きいとの指摘に対し、
「機関車は大きい方が立派に見えます。」
などと、怪しいことを言っていた。確かに、アメリカの機関車は客車よりはるかに大きい。日本は客車がかなり大きいので、丸屋根の客車(3等寝台など)と並べると見劣りがしたのは否定できない。

 これをOJに作り替えたものを見たことがあるが、それはかなり奇妙な様子を示す。相対的に軌間が異常に狭く見えるのだ。

 のちに1985年ごろ、KTMはOJのC62を発売した。1/45で、これは祖父江氏の設計だ。その機関車はC6217を模型化したものである。実は、名古屋の東山公園の植物園に置いてあったのを、筆者が正式な許可を得て、機関車屋根上に登って 詳細な写真を撮影したものから作られている。現在、その機関車はJR東海のリニア・鉄道館にある。 

(カツミの番号の付け方はOゲージをAとし、HOゲージをBとした。ちなみにA-2はこだま号である。) 

コメント一覧

1. Posted by ggm   2021年05月09日 20:39
Nゲージの機関車は大きかったですね。上から見るので、あまり気にならなかったのですが、スケールの蒸機が出たので、その差は大きいとわかりました。
国鉄の車両限界は小さいので、客車をそれに合わせると煙突とドームのある蒸気機関車は小さく見えます。
確かにアメリカの機関車は客車に比べると巨大です。NYCだけはそれほど大きくないのですが、やはり客車の天井より遥かに高いのです。その湯山氏の意見は夢と現実が混ぜ合わされた”ファンタジー”ですね。レイアウトのなかった時代の産物です。
2. Posted by dda40x   2021年05月12日 21:07
確かにレイアウトなど殆どなかった時代ですから、車輛ごとにサイズが異なっていても、さほど気にならないのでしょう。
 アメリカ型と並べると、殆ど大きさが変わらず、逆に不自然さがなくなります。小さな国鉄型が膨らんで大きくなったわけです。客車もアメリカのプルマン寝台車と並べても違和感がないのは面白いですね。
 1/45のC62と比べると、人間の脳は大きさの違いを3次元で感じますから、かなり大きく感じます。体積比で1.14倍ですから、ごまかしにくい状況です。 

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