2020年07月02日

椙山 満氏のレイアウトの移設

レイアウト移設 かねてより告知していた椙山氏のレイアウトが移設されることになった。K氏と共に、引き受けて下さる方に会った。その方は四日市市内の方であった。
 1日昼頃に現場で落ち合い、打ち合わせをした。レイアウトには10年前の断層あとがある。それは活断層で、今回もそこから切り離す予定だ。
 事前に、電源やいくつかの車輛も付属品としてお渡しした。今後大切に使われるはずだ。


 K氏は椙山氏より8歳若く、戦後すぐからの椙山氏の片腕であった。知り合ったきっかけは、電柱に貼ってあった一枚の紙切れの広告であった。椙山氏の字で、「鉄道模型の運転を楽しみましょう」とあったそうだ。それを見て会場に行って知り合ったのが始まりであったそうだ。
 椙山氏は中学生のK氏を、付きまとうチンピラどもから、身を挺して守ってくれこともあったそうで、「椙山先生がいなければ、自分はどうなっていたかわからない」と述懐する。
 鉄道趣味、8mm映画、シトロエンを共通の趣味としていた。古いTMSを探すとK氏の近鉄2200の紹介記事が見つかるだろう。シトロエンは走行可能なDSをお持ちであり、いろいろなところから声が掛かるそうで、貸し出している。
 工作はとてもお上手である。今でもその2200は走行可能である。この動画の2分23秒あたりには、若き日の椙山 満氏も写っている。

  思えばちょうど50年前、椙山氏が駐車場の上に、看護婦の寮を建てるのがきっかけだった。ついでに3階を載せてしまえばレイアウト室になると思い付いたのだ。設計は椙山氏だが、当時国鉄に勤めていた電気技師のH氏が製作を陣頭指揮し、筆者もお手伝いした。完成時には慰労会を開いて戴いた。
 このレイアウトにはPECOのフレクシブル線路が全面的に採用されている。事前のテストで各種の線路を直列につなぎ、高速で長時間の試運転をしたのだ。一月ほど連続で走らせると、PECO以外はレイルヘッドが磨滅して脱線するようになったのだ。

 耐久性について筆者の目を開かせてくれたのは、椙山氏である。以来筆者は”Ready to Run”でなければならない、”Durabilitiy"を持たないものは模型ではない、という信念を持つに至った。
 塗装済みであること、窓ガラスが入っていること、ディカルが貼ってあることは大切な要素である。これも椙山氏の教えである。

 椙山氏のレイアウトは運転本位で平面上に作られているが、一箇所5%の急勾配があり、本線を乗り越している。これは勾配がなければ性能が分からないということと、内側から最も外の線に移行できるようにして、各種ポイントをくねくねと渡る長距離の走行試験ができるようにしたものである。外部の人が得意げに持って来た車輛を走らせると9割以上はどこかで引っ掛かる。一発で無事故で周回したのは井上豊氏の機関車くらいのものである
 若かった筆者はそれを見て、よく走る機関車製作を目標とすべしと心に誓ったのであった。

 その後Model Railroader への投稿をすることになり、筆者もお手伝いした。 

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