2019年07月28日
HOの起源
M氏は4日も掛けて書いた文章だとは言うが、全く客観性のないお粗末な文章である。自分に都合の良い発言だけをなぞって、権威付けに利用している。
まともな人はこういう文章を読むと、めまいを感じる筈だ。逆に、何も知らない人が読むとそうなのか、と納得する人もいるだろう。そういう意味では、そこそこに優秀なアジテータではある。
理系の論文にも、こういうのがたまにある。いわゆる御用学者が書いたものだ。
さて、井門氏(M氏も含まれるかもしれない)が拠り処としている山崎氏の1949年の文章には、正しくない部分がある。
山崎氏はイギリスとアメリカにはある程度詳しかったようだが、欧州の事情に関しては全く不勉強であったことが分かる。
先回もお伝えしたように、HO=1/87は1953年のNEM発足後の規格であるから、山崎氏の文章の時点では、決まっていなかった。山崎氏は欧州の情報を知らなかったのだ。欧州=メルクリンと思っている人が多いようだが、メルクリンは交流三線式の独自の世界であって、それをスタンダードと言うのは無理がある。山崎氏はメルクリンはよく出来た玩具と言っているから、模型の範疇には入れていなかった。
また、HOがアメリカ発祥のスケール規格という話は、明らかな間違いである。3.5 mmというアメリカとは全く関係の無い数字を見て、何も感じないのだろうか。今も昔も、アメリカではメートル法は定着していないことを知らない人の文章である。
HOはゲージ規格として、Oの半分で、欧州から始まっている。その後、アメリカでは早い時期に、HOスケールとして定着したのは事実であるが、欧州ではHOゲージ=16.5mmとして発展してきた。
山崎氏が16番を広めようとしていたのはわかるが、氏の権威が強くなったのは1960年代のことである。したがって、1949年の山崎氏の発言を拠り処にして議論を展開するのは無理がある。当時は複数の模型雑誌が乱立し、その一つの若い尖った編集者が、言ってみただけのことなのだ。やはり、昔から言うように「四十にして惑わず」である。それぐらいの歳になるまで、編集者などできるわけがないのだ。
1970年代になると、山崎氏は過去の失敗に気が付いている気配がある。それが書かれたのは、先日の記事である。「五十にして天命を知る」だろうか。その後は違う方向に行っているが、そんなことはどうでも良い。
イモンの新しい「1/80はHOではありません。」の文章も、保存しておくべきだ。10年後に読み返してみよう。
コメント一覧
https://web.archive.org/web/20190101000000*/https://www.imon.co.jp/webshop/index.php?main_page=addon&module=mt_pages&page=180ho
IMON社のWEBサイトも保管されていないか検索してみたところ2007年から2016年までのデータがありました。もっと新しいデータがないのは残念ですが、ここにある範囲内でも文章や画像が何度か修正されていることが読み取れる興味深い資料となっています。
その一部だけリンクを紹介しておきます。
2007年6月版
https://web.archive.org/web/20070607022951/https://www.imon.co.jp/models/hovs16.mbr/html
2016年12月版
https://web.archive.org/web/20161202172057/https://www.imon.co.jp/models/hovs16.mbr/html
時間と共に変化しているのが分かりますね。
どうぞ皆さんで保存してください。
読みました。ひどい文章ですね。中学生が書いたみたいです。
中身は無茶苦茶であることがよく分かりました。